はてなキーワード: 体感とは
求めている対象が手に入らない苦しさから、それをとうとう憎んでしまうようになってしまう心理というのは珍しくない。自分もまた、そういう誘惑に何度屈しそうになったか知れない。はてブでもツイッターでも、どうして僕が暗黒面に堕ちなかったのかをいぶかしく思っている人も多かった。ここでは、毒を吐きたくなったときにどのように抑えたかを共有したい。
一般的に、結果が出ないときには次のようなことを意識している。頑張れば結果が出るとは限らないと認識する。過程そのものを楽しむ。女性がいなくても楽しめる趣味をたくさん持つ。それから家族や友人を大事にする。友人からのアドバイスとは時として的外れで、かえって傷口を広げてしまうこともあるけれど、そういうときは失恋のことは伏せていて、普通に遊んでいればいい。それだけでも気が晴れる。
一つ目。自分は相手から好かれなくて悲しく、悔しいのだと直視する。とてもつらいが、この感情を無視しようとすると、悲しみは怒りへと変わってしまう。怒りが二次的な感情だといわれる所以だ。悲しみとは何かを失ったというサインで、怒りは相手が期待に添わなかったとサインとされる(1)。この段階で対処しないと、怒りは憎しみになってしまう。憎しみとは厄介な感情で、無駄に精神のリソースを食う。
二つ目。論理的に考えるように心がける。「女性はいつも自分を嫌う」というのは実は正しくない。「今回この女性には恋人としては受け入れてもらえなかった。次の女性の場合はどうなるかわからない」というのがより現実に近い。こういう「全か無か思考」は「認知の歪み」の一つであり、うつ病の原因の一つといわれている。うつ病にならないとしても、必要以上に自分の機嫌を悪くする行為だ。対処法は(2)に載っている。簡潔に言うと、自分の不合理な考えに一つ一つ反証していくことだ。面倒だが、やってみると楽しい。
三つ目。自分が男性だというだけの理由で受けた仕打ちや、不快な思いのことを考える。例えば、電車で隣になっただけで警戒されるような目つきでにらまれたとき。あるいは、攻撃的なフェミニストが、男性の失礼な態度だけではなく、男性が女性のことを「かわいいな。素敵だな」と思う感情そのものも否定するような発言をしたとき。そういうミザンドリーに満ちた文章を読んだ時にどう感じたか。ぐさり、と胸に冷たいものが突き刺されたような気がしなかっただろうか。ここで自分が、公共の場で女性を叩く発言をしたら、見ず知らずの女性が同じ思いをする。そんなことを僕は望むだろうか。
僕はフェミニズムがいけないのだといっているのではない。むしろ大賛成だ。女性の選挙権、セクハラを受けない権利(3)、功績をあげているのに忘れられている女性にきちんとスポットライトを当てること、その取り組みはすべて立派だと思うし、心から応援している。まだこの世には性別による不平等や偏見がいっぱいあり、これをみんなでなくしていくことこそが、僕らや次の世代の幸せへとつながっていくはずだ。僕も自分の中の偏見と闘っていくつもりだ。ただし、言葉を選ばないと両性の間に分断を無意味に生んでしまう。誰にだって怒る権利はある。間違ったことがあるときには怒ったっていい。時には厳しい表現を選ばないといけないことも当然ある。でも、不公正を公衆に訴えて世の中を改善していくことと、自分の不機嫌を見ず知らずの人間に通り魔的にぶつける暴力とは、厳然たる区別があるはずだ。少なくとも自分は、公共の場で他人を口汚くののしるような真似はしたくない。
少々熱く語ってしまった。本題に戻ろう。
四つ目。公共の場で女性を馬鹿にする発言をすることは、自分にとてもよくしてくれた母、祖母、姉妹を馬鹿にすることになる。同時に、未来に付き合い、結婚することになる女性、それから生まれる娘や孫たちに対する侮辱である。自分はまだ出会っていない家族のことを馬鹿にしたくない。
それに、自分の尊敬する文筆家や科学者の多くが女性だ。女性が馬鹿であるという謬見に対する、強烈な反証だ。
インターネット上には様々な声があふれている。ある女性は「なんでもきちんと話し合いで解決したい」という。別の女性は「なんでもかんでも気持ちを察してほしい」という。ある人は「男性からの性的なまなざしに耐えられないと」訴え、別の女性は「異性として意識されなくて悔しい」とぼやく。そういう意見を総合していくと、矛盾の塊というかキメラが発生する。こちらを立てればあちらが立たずだ。さらに「どうしたらいいのですか」と尋ねても、「私はあなたのママじゃないから自分で考えてください」といわれる。そこで困ってしまう。一生懸命行動しても、誰かからは怒られるのだ。ある種のダブルバインドである。
そういう時に思い出したいのは、結婚できるのはたった一人、という事実だ。自分が一番好きな人の幸せを一番に考えて、ほかの人の意見はスルーする。それでいいではないか。相手はこちらの面倒を見ないし、自分も赤の他人の機嫌を取る必要はない。
最後に。誰かに復讐してやる、という気持ちの時には、じっとしているのがいい。他人を憎んでいる心理状態はとてもつらく、幸せからは程遠い。人を呪わば穴二つ、である。そんなときは、家でゆっくり休むといい。肉体が健康でないと、精神の健康もおぼつかない。
相手に八つ当たりしない自信があるのなら、風俗も決して悪い選択肢ではない。ハグしてもらうだけでも怒りは収まることがある。相手から優しく触れてもらえる時には、言外の「あなたを男性として尊敬しています」のメッセージを受けている気がする。たとえそれが作りものだとしても、触覚や嗅覚はどんな言葉よりも雄弁だ。もちろん、人によっては空しさが増えてしまうかもしれないので、諸刃の剣だ。利用の際はよく考えてほしい。
あくまで理想なので、すべてを満たすことは難しいかもしれないが、希望はこういう形だ。
問題は、自分の好みが良く笑うタイプの女性か、研究者タイプの女性か、よくわからないことだ。とはいえ、これは実際に会ってみないことにはどうしようもないのだろう。
苦しかった。悔しかった。けれども、これでいいのだと思う。自分はこの方法ではうまくいかないのだ、そしてモテないのだと直視することができた。自分の実力がこの程度だと理解したことで、やっと素直に結婚相談所に向かうことができる気がしている。
もしもいきなり相談所に直行していたら、将来浮気したくなり、結婚生活を破壊してしまったかもしれない。恋愛はすごく疲れる、ということを体感したことで、落ち着いた生活へのあこがれも強まった。仕事でもそうだが、自分はこのくらいのことはできるが、これ以上はだめだ、という理解が、体調管理には必須なのだ。
今回も長くなってしまった。モテないことのぼやきならいくらでも書けるだろうが、ここで切り上げたい。
読んでくれてありがとう。
(3) 僕も女性からのセクハラを受けたことがあるので、そういう屈辱感を相手に与えるなんて真似はしたくない。もっと異性同士が、もちろんいろんなマイノリティを含めて、尊敬しあう世の中になってほしい。
たくさんの反響をいただけて感謝している。初めて4桁のコメントをいただいたのも嬉しかったのだが、ブクマやコメントの体感9割が共感に満ちた、あたたかいものであったことのほうがずっとうれしかった。ツイッター上でも多くのコメントがついた。これほど多くの人が恋愛で何らかの挫折を感じていることを知ることができただけでも、自分の経験を率直につづった意義があった。すべてにコメントを返すことはできないが、非常に励まされた。ほんとうにありがとう。
一方で、デートを繰り返すたびにどのようなトライアンドエラーを繰り返してきたのが不明確で、問題はそこにあるのではないか、という意見をいただいたので、そこを捕捉する。
心掛けたのは清潔感だ。ただ、この清潔感の内容があまり具体的でないことが、多くの人を困惑させている印象を受ける。自分としては逆に、不潔感から減点されることがないことを心掛けた。
まず、身体面について。髪の毛は美容院で短くし、眉も整えてもらう。きちんと入浴し、定期的に歯科医で歯垢を除去してもらい、ブラッシング指導を受ける。爪は短く切りそろえる。デート前にはシャワーをしっかり浴びてさっぱりする。ただし、香水はつけなかった。人によって好き嫌いがかなり大きく出るので、そこはリスクが大きいと判断した。
衣服については、ワイシャツっぽいのとチノパンが多い。靴はスニーカーではなく、革靴に似た質感のものを。眼鏡はJINSをかけている。髪は黒いままだ。学生の頃はコンタクトレンズにと茶髪にしたこともあったが、すぐに目が痛くなってしまったし、染めるのも手間だった。髪を染めたからといって別にモテるようにならなかった、というのも大きい。
ネックなのは、そこまで皮膚がきれいではないということだ。どうも毛穴が開いてしまうし、ニキビ跡が気になる。そこが改善点だろう。
基本的に、自分のなじみのある行動圏内にした。休日を一人で過ごすときにうろつく場所だ。そこでなら、急に予定を変更しても対応が可能だ。美術館を中心に過ごしているので、候補としては新宿、渋谷、六本木、丸の内、上野が真っ先にあがる。次の候補としては水族館のある品川、明治神宮や絵本カフェのある原宿、日本庭園のある美術館のある表参道、それから日本画を見られる恵比寿がある。
その近辺の映画館やカフェを把握しているので。その場の流れで行く場所を考えることになっても対応可能だ。ついでに事前にイタリアンやタイ料理屋などの場所を調べておく。
今後の課題としては、お酒の飲める場所だろうか。自分は下戸なのでそこが困る。アルコールよりは料理にお金をかけたいタイプだ。そうそう、脱線してしまうがwithにはどういう食事デートがいいかのタイプの心理テストもあって、バーが好きとか居酒屋が好きとかお酒よりの料理派とかでもマッチングが行われていた。
基本的に聞き役に回り、共通点があったら話す。体感では相手の話す量とこちらの話す量が7対3だった。知識のひけらかしは絶対にしない。聞かれたときにだけ、ごく簡潔に答える。相手の興味があるジャンルだったらそこに乗っかることも考える。
美術館や映画の感想は、率直に感じたとおりに伝える。ただし、否定的なことはなるべく言わない。面白かったところ、楽しかった点などを話したほうが楽しい。岩井俊二監督の「ラストレター」は、内容はそこまで心に響かなかったが、個人的には庵野秀明が鶴田謙二の絵を描いているという設定がかなり笑えるポイントだった。さいわい、彼女も僕と趣味が共通していたので、そこがおかしいと言って笑ってくれた。その人が結局は音信不通になってしまったのだけれど、もう過去の話なので、どうでもいい。あとは、彼女によれば、岩井俊二の作品には誰かに成り代わって手紙を書くという場面が頻出するそうで、その話をじっくり聞かせてもらった。「花とアリス」にもそういう描写があるそうだ。ずいぶん昔に観たはずなのだが、すっかり忘れてしまっている。
PDCAを回すとすればここなのだろうが、盛り上がるときは盛り上がるし、共通の話題が少ないとなかなか盛り上げられない。共通の話題が少ないと、交際に至っても大変なんじゃないだろうか。あと、実際に顔を合わせないとどうしようもないところも多々ある。さらにPDCAを難しくしているのは、就活と同じで向こうからのフィードバックが原則として一切無いところだ。真っ暗闇の中での手探りとなり、ここで病んでしまう人も多いだろう。
他に心がけたのは、相手の顔を見てゆっくりと話すことと、声を少し低めにすることだ。
趣味は美術鑑賞、読書、ジョギング。無難な趣味で、本は図書館を利用するのでお金がほとんどかからない。
美術鑑賞は、月に1~2回。学生時代は西欧の絵画を見ることが多かったが、最近は日本画も気になっている。現代アートも抵抗がない。それと、古代の出土品なども見るのが好きだ。
読書は小説とノンフィクションを半々。小説は古典や海外文学が多い。ノンフィクションは科学や歴史を扱ったものが中心だ。大体月に12~13冊だが、先月は失恋したのでペースが落ち込み、10冊にとどまっている。
ジョギングは週に1度だけだが近所を10~11km走っている。頻度としては少ないが、やらないよりはずっといい。運動しなかったころに比べると仕事で疲れにくくなっている。加えて、走る前には軽く筋トレをしている。この間失恋した時に行った風俗嬢からは「何か運動されてたんですか?」と尋ねられるくらいの体型だ。ただし、やっぱりここでも顔立ちは褒められたことがない。
付け加えるとしたら旅行だろうか。ここからも話題が広げやすい。
男子校に行っていたので、初デートが19歳でのことだった。大学の中国文学での授業で知り合った女性を、夏休み直前にデートに誘った。けれども、あまり盛り上がらなかった。しかも、無理に手をつないだら痛烈な軽蔑のまなざしで睨み返してきた。そして、夏休みの予定がすっかり空になってしまった。たくさんデートしようと期待していたのに打ちのめされた。懐かしい。だが、今でもあのことが胸につかえていて、女性と気軽に手をつなぐことができない。とはいえ、デートした女の子はみんなポケットに手を突っ込んでいたので、勇気を振り絞っても仕方がなかっただろう。
大学での思い出は他にもいろいろとある。講義で、隣の女子に何気なく話しかけた次の週に、まるでボディーガードのようにその女子の友達らしい人物が控えていたのが、悔しかったことを思い出した。普通に友人になりたかっただけなのに。
社会人になってから、都合三回ほど街コンに出かけた。とはいえ、デートにつなげることは一度しかできなかったし、それも一回目で終わってしまった。
街コンのメリットは、マッチングアプリとは違って必ず対面で話ができることなのだが、進展しなければそれまでだ。それに、街コンそのものに何らかのテーマがないと初対面の女性との接点がほとんど持てない。なんとかデートに持ち込めたのは美術館で行われた街コンだった。恐竜に関する企画展で行われた街コンでは、一応テーマがあって理系女子も多かったはずだけれどもほとんど会話ができなかったし、テーマがまったくないときには非常に困ってしまった。なにより、その時に運営側の手際があまりよくなかったうえに男性が余り気味で、男性4に対して女性2でテーブルにつく羽目になった。なお悪いことに、同席した相手があまり柄のよろしくない人で、女性がいないときには平気で卑猥なことを口にしていたのが耐え難かった。女性とマッチングしなかったのはこいつらのせいじゃないか、とも感じられたのだ。おそらくは八つ当たりだ。
しかも、結局は数人のモテる相手だけで連絡先交換が行われていた。たぶん婚活パーティに参加しても、同じ結果になりそうだ。
2回ほど経験がある。
1回目は塾講師をやっている友人とだ。カラオケボックスで2人連れの女性を落とし、その場で交互にセックスしたという剛の者だ。街コンで連敗していた自分は自棄になって彼についてカラオケ屋に行ったのだけれど、そこでもうまくいかなかった。女性連れの部屋を探し、扉を開けて「一緒に歌いませんか?」と何度も言ったけれど、普通に「迷惑だから帰ってください」と言われて終わった。今振り返ってみれば、そりゃそうだろうと思う。反省している。二十代前半の黒歴史で、一番恥ずかしく、忘れてしまいたい。
2回目は湘南の海辺での話だ。獣医をやっている男で、犬を飼っている若い女性に自然な形で話しかけて仲良くなれるタイプだ。二人して江ノ島をうろついていたが、僕がうじうじしていたのもあり、結局うまくいかなかった。その後、彼が勝手に姿を消して、どこに行ったのかと電話を掛けたりメールしたりしているうちに、水着姿の大学生グループを連れてきた。結局僕はビキニギャルとビーチバレーをして遊んで帰った。楽しかったのだけれど、結局は僕がいるからナンパがうまくいかなかったのかもしれない。
とはいえ、そのイケメンの友人も妻の浮気で離婚しているし、失礼な女性にばかり引っかかっているので、イケメンにはイケメンの悩みがあるらしい。別のイケメンの友人も女性側が不倫していた。なんか自分の周囲はこんなのばっかりだ。ただ、基本的に男性側の話しか聞いていないので、バイアスがかかっている可能性は否定できない。
なんにせよ、一番向いていない方法だと学んだ。
ちょうど就職した直後、文学サークルの後輩女子三人とそれぞれ二人きりで会うことになった。パフェだとかガレットだとかチャイだとかをおごって、ああだこうだ話したのはとても楽しかった。けれども、基本的にはそれっきりだった。僕もそれほど期待していたわけではない。学生なら、社会人の先輩からはランチくらい当然おごってもらいたいだろう。SNSを見るとみんなそれなりに元気そうなので良かったけれど、僕もサークル内恋愛がしたかった。
サークル内部の一組のカップルは結局結婚した。誰が見てもイケメンと美女のカップルだった。もう一人のカップルは男が平気ですれ違った女性に対して「あいつはブスだ」とは言うような奴だったし、女性蔑視的な言動が多かったのに、なぜか彼女ができていたのが、今でも不思議で仕方がない。粗野な奴のほうがモテるのか、という疑惑にさいなまれることもあるけれども、こっちが軽蔑したにもかかわらず慕ってくる相手とは、なんというか健全な関係が築けない気がしていて、自分としてはやっぱり相手のことは大切にしたい。ちなみにそのカップルは別れた。
全然関係ないけど、サークルのもう一人のイケメンは新聞記者をやっていて、そのつてで引退した芸能人と結婚していた。うちの大学は偏差値高いんだけど、天は平気で二物を与える。こればかりは仕方がない。
「納豆」というタグを作って納豆関連の記事を集めているブクマカさんを偶然見つけてしまった
極度の納豆好きの人だろうか、あるいは納豆関連の仕事をしている人だろうか 世の中にはいろんな人がいる
あまり擁護もしたくないんだけど、あの人の真骨頂はコピックイラスト(実物)にあるのでデジタル画だと良さの40%も発揮されていないと思う。デジタルに手を出したのはここ1年ぐらいの話のはずで、ずっと手探りで試行錯誤してるなとは思ってた。ただ俺はあの絵をデジタルで再構築するのは無理だと思う。使ってる画材もコピックだけじゃなくて油絵のようにこってりしたものも多用してるしあの立体感は無理だよ
結論から述べると、マッチングアプリでは彼女を作ることはできなかった。
けれども、2年間の経験から何も学ばなかったわけではない。そのことを再確認し、次のステップに進むために本記事を書く。自分を振り返り、失敗した点を反省しながら、絶望したり自棄を起こしたりしないように、時折この記事を振り返ることとしたい。
また、これからマッチングアプリを使う人にとって、参考になることがあればうれしい。確かに、女性と交際にまでは至らなかったが、全然マッチングしなくて困っている人には、役に立つかもしれない。
pairsとwithを使用。それぞれの仕組みは基本的に同じ。検索条件で異性を絞り込み、気になる相手に「いいね!」を押す。互いに「いいね!」を押すとチャットができるようになる。どちらも、毎日ランダムに無料で「いいね!」を押せる相手が出てくる。
プランはどちらもプレミアム的なものを選択。これだと通常1か月に付与される「いいね!」が30回から50回に増える。
この二つのアプリの仕様はよく似ている。どちらもコミュニティに入ることで共通の趣味や興味関心で検索ができる。ただし、withのほうがおおよそ2週間に1度DaiGoによる心理テストがある。そして、このテストにより相性がいいとされた異性は「いいね!」を1日に10人までなら無料で押すことができる。適度に「いいね!」を押す相手が入れ替わるし、無料で選べる相手が増えるのはありがたいが、心理テストのたびにDaiGoのドヤ顔を毎回見ることになる。
pairsを半年、しばらく休んでwithを1年半使ってみた。結果、どちらが特に使いやすいということはなかった。しかし、どちらも毎日ログインすることにより無料で「いいね!」に交換できるポイントがたまっていく。普通に使っていれば毎日ログインボーナスがもらえるのでありがたいのだが、まるでアプリにこちらの行動を支配というか指示されている気がするのはいただけない。ソシャゲの類をやらないので、そうしたことが煩わしく思えてしまう。
使い勝手そのものはいいのだが、こうやって様々な条件の女性が並んでいるのは、カタログみたいで興ざめというか殺伐とした気持ちになる。それに、相手の女性が何人から「いいね!」されているかも表示されるので、野菜か何かの品評会みたいだ。18歳のビキニの女性に3000近くもの「いいね!」がついているのを見るとやりきれない思いがする。谷間を見せたりしているだけでも露骨に「いいね!」がついているのも、あまり気持ちのいいものではない。自分もおっぱい大好きだけどさ。
逆に、「いいね!」をたくさんもらっている男性のプロフィールも参考にすることができるのだけれど、僕の苦手なさわやかな人間の写真が出てきたので、即閉じた。
プロフィールはできるだけ詳細に書いた。それから、友人と楽しそうにしているところをサブ写真に選んだ。コミュニティはできるだけたくさん入った。自分は読書が好きなのだが、読書のコミュニティだけではなく、作家ごとのコミュニティにも入った。こうすることで、共通の話題の多い女性を探しやすくなった。
こちらから「いいね!」を押すのは、大体20から40くらいの「いいね!」が押されている相手を中心にした。何百もの相手から「いいね!」をされている相手からすれば、当然埋もれてしまうからだ。弾の無駄打ちはしたくなかった。確かにお金を払えば「いいね!」する回数を増やせるが、すでにプレミアムプランを使っていたので、その必要はないだろうと判断した。それに後述するが、自分は同時進行が苦手だ。
相手の女性は、自分と同じ内向的な読書家で、美術館が好きそうな人を中心に「いいね!」していったが、もしかしたら意外と相性がいいかもしれないと思い、例えば国内旅行や登山が好きな人も選んでみた。ガチ勢ではないが、友人と富士山に登ったことはあるので、新しい趣味として開拓してもいいかもしれない、と考えたのだ。結局そういう相手とは会話が続かなかったけれど。
結婚歴は未婚を選んだ。もしかしたら、離婚歴のある人のほうが優しくしてくれるかな、とも思ったのだけれど、今回はやめておいた。やっぱり過去の人と比べられてしまうのが怖い。御覧の通り、僕は器が小さい。学歴は初めのうちは気にしていなかったが、結果として高卒よりは、大卒・専門学校卒のほうが共通の話題も多く、話は長く続いた。
メッセージを同時進行するのは気が引けたが、相手もそうしているだろうし、そこは割り切ることにした。ただ、自分の頭の処理能力を考えて、3人までの同時進行とした。どのみち、同時進行でデートに誘うことができたケースは1回だけだった。自分はそこまでモテるわけではないので、そうした心配はしなくてもよかった。
会話をして1~2週間してから実際にデートに誘った。そこで音信不通になるケースもあるので、実際にデートができたのは1か月に1度か2度だ。
もともと、デートした各相手について項目を立てて論じようかと思って手帳を取り出していたのだが、馬鹿らしくなってやめた。10人以上の相手それぞれについて思い出すのも大変だし、振られた相手なのだから面白くない。それに、細かく書いていくとねちねちした恨み日記になってしまう恐れがあるので、細部は省く。
結果だけ言うと、様々なタイプの女性と会った。たいていは常識的だったが、中には残念ながら失礼な相手もいた。
ひどいケースだと、こちらを一目見るなりムスッと黙り込んで、理由もわからないまま不機嫌な相手と水族館を回る羽目になったこともあった。2回目のデートで「ごめんなさい、やっぱりあなたとは恋愛できそうにないです」と告げられたこともある。誠実な人柄を感じたので諦めもついたのだが、その直後に「あなたの顔って、面白いですね」などと言われたのには傷ついた。男性が女性に対して敬意を欠いた失礼な態度を取るのが許されないのと同様に、女性も男性の自尊心を大事にしてほしい。
まだマシなケースでは、会話が弾まなかったり、恋愛対象にはならない相手だって互いに気づいてしまったりした。でも、これはどっちも悪くない。需要と供給が一致しなかったのだ。
でも、マッチングアプリを使っているうちに、1回で終わるデートが2回目に続くことがぽつぽつと出始めた。
そこで、ある女性と3回目にデートした時に告白した。3週間連続でデートできたので、これは間違いなく行けるだろう、と思ったのだ。けれども、彼女は驚いた様子で返事を保留した。僕は待つことにした。そして、7回目のデートの後、8回目のデートのリスケジュールの途中で、彼女は音信不通になった。
さようならを言う機会さえ与えられなかったのか、と思うと吐きそうだ。悔しい。小説も漫画も音楽も趣味がぴったり合って、普段ならできないディープな話を何時間してもお互いに飽きなかったのに。
そういうこともあり、一緒に見に行った岩井俊二や三谷幸喜の映画まで嫌いになったし、彼女が好きだと言っていた東京事変の印象も悪くなってしまった。すすめてくれた「子供はわかってあげない」や「北北西に曇と往け」も背表紙が見えないように逆にして本棚に置いている。ついでに、「パラサイト」を見に行こうという話になっていたのだが中止になったので、ポン・ジュノ監督の映画はしばらく見たくないし、ついでに是枝裕和監督のことも褒めていたので、当分この監督の作品を見ることもないだろう。なんというか、自分の好きだったものまで嫌いになってしまいそうでみじめだ。しばらくすれば、またまっさらな気持ちで好きなものを好きだと思えるようになるはずなのだけれど。しばらくは映画を見たいとは思えそうにない。
きちんと「一緒に過ごして楽しかったけれど、あなたとは交際できません。ごめんなさい」の一言があれば、ずっと救われていたのに。その程度の言葉をかけるのも面倒くさかったのか。そこまで軽んじられているのかと思うと情けなくて泣きそうになる。そういえば、本名を教えてくれた時も、男性でいえば鈴木一郎みたいな感じだった。そもそも偽名だったのかもしれない。そういえば遅刻魔だったのも、僕のことなどどうでもいいと思っていたのだろうか。それとも、本当に事故にあったのであろうか。心配でならない。
こういう時に限って、過去の恋愛のみじめな失敗を思い出す。例えば、大学時代に片思いをしていた女性から童貞を馬鹿にされたこととか、前の職場の同僚の女性から面と向かって恋愛感情を見せたわけでもないのにいきなり迷惑だといわれたことだとか、告白したけれどもやっぱり保留にされて、1年以上たってから振られたこととか、とにかくみじめな失敗ばかり浮かんできて仕方がなかった。
そして、残念ながら2年間で1度も手をつなぐことができなかった。
現在、音信不通、という最悪の結果を受け入れてから2週間ほどだ。正確にはラインの返事が来なくなってから4週間、こちらからの催促のメッセージが未読のまま3週間が過ぎた。土日はジョギングをするほかは、家に引きこもって寝ているばかりだ。コロナウイルスのせいで、美術館に気晴らしに行くこともできない。仕事にも集中できない。失恋した直後は同僚のなんということのない口調に激昂しそうになった。その時は1度席を離れて6秒数える、アンガーマネジメントを試みた。しかし、腹の虫がおさまらなかったので、100まで数えることを3度やった。さすがにこれは効果があった。とはいえ、そのあと結局体調を崩して職場を2日間休んだ。
今日も最低限のパフォーマンスは確保しているが、突然襲ってくる虚無感は抑えがたい。手が止まってしまう。それでも、原因がわかっている落ち込みだから、対処の仕様はある。
いやっほーい、自由だ! これから風俗で未経験のプレイをたっぷり楽しんじゃうぞ! うひひ! みたいな気分になることもないではないが、それはちょっと躁状態のときの考えだ。本当は、自分は好きな人と手をつないでデートしたり添い寝したりしたいのだ。まるで人生の実績解除みたいに、複数プレイに興じたり、白人美少女と寝たり、メイドさんにお尻ぺんぺんしてもらったりしても、そこまでの喜びはないのだと思う。
自分は恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない。そのことを身をもって体感させられた。しかし、それで絶望するつもりはない。結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれないからだ。
もともと自分は結婚願望が強く、子供も欲しい。マッチングアプリからの疲れから十分に回復したら、そういう条件で折り合ってくれる人を探してみたく思う。マッチングアプリは単純に素敵な彼氏彼女を見つける場所で、僕に対する需要が少なかった可能性がある。
それに、結婚相談所にはアドバイザーがいる。なんであれ、苦手だったり詳しくなかったりする分野の出来事に立ち向かうには、専門家に相談するのがいいはずだ。病気になったら医者にかかる。進路相談には学校や塾の先生に相談する。悩んだらカウンセラーに相談する。それと同じことだ。
確かに自分の生涯にはロマンチックな出来事は少ないかもしれない。自分は高校・大学時代の甘酸っぱい恋愛にあこがれたが、失敗してきた。こういう絵にかいたような青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分は10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ・元カノという言葉を聞くだけで、複数の相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。だが、それでもチャレンジしたことは恥じてはいない。行動せずに文句だけこぼしていたよりは、ずっとましな人生を送ってきたはずだ。
長々と読んでくれてありがとう。
つらい失恋の渦中にある人が慰められるといいと考えて執筆した。
そしてこれを読んで一歩踏み出す勇気が出る人がいたら、もっとうれしい。
これは失敗の記録だ。だが無意味ではない。
泣いたっていい。気が済んだらもう一度アタックする。
女性から断られる勇気がまた出てきたら、それは3か月後か半年後かわからないが、またチャレンジしたい。
たくさんのコメント、本当にありがとうございます。励みになりました。
ここまでコメントをともらったのが初めてで、すべてにレスポンスはできないのですが、こちらも勇気が出ました。
一言だけ。手を繋げなかったのは、相手がずっとポケットに手を突っ込んでいたからです。
以前増田にてゲーム制作者増田(猛虎弁だった)と面白さの要素とは何かという話になった。自分はとりあえず面白いゲームには繰り返し要素がある、とだけ返しておいた。しかし繰り返し要素が必ずしも面白さに直結しないのは自明で、繰り返すから飽きられるゲームと、繰り返したくなるゲームの違いは論じることができなかった。
実のところ、ゲームの繰り返しを行う上で脳内では「試行錯誤」が繰り返されている。何を当たり前のことを、と思うかもしれない。しかしゲームにおける試行錯誤を更に還元すると「着地点/完成」を探している自分がいることに気づく。例えばハクスラやRPGの場合、プレイヤーは沢山の装備や魔法、職業を取捨選択して最適解を探す。言ってみれば安定するかどうかを探していると言っても過言ではない。なぜならこの鉄則は全てのゲームに当てはまるからだ。格ゲーもそうだ。格ゲーはコマンド入力、フレーム、リーチ、ディレイなどを頭に叩きこんで安定して勝てるパターンを作り上げてゆく。パズルも連鎖を頭に叩き込んで最も安定して高得点を出せるかどうかを練り込んでゆく。
ゲームが面白いと言えるシンプルな要素がある。それは「未知」だ。人は未確定で未知なるものを探求する脳の構造をしている。とりわけこれは狩りに必要だったらしく、やはりゲーマーの殆どは男性である(断じてジェンダー論に帰結するつもりはない)。未知のものを安定させる間が面白さになっている。曰くどう立ち回るか。曰くどう早解きするか、どうすれば早くアイテムを回収できるか。どうすればイベントが進行できるか。このときプレイヤーは未知を楽しみながら未来の着地地点を夢想している。この夢想が更にプレイへの希望をもたせることに一役買っている。まるで人生設計のようだが、実のところ未来への希望を抱いて確定できる「かも知れない」チケットを購入する時点で人生はまさにゲーム的である。
となれば次なる問題は自ずと浮かび上がってくる。ゲームバランスだ。
ゲームバランスは基本的にな何が破綻せず、何がノーマライズされているかを突き詰める作業ではないかと考えている。いわゆるバランスだけに絞れば出てくるアイテムや能力も平均的なものにならざるを得ないし、一点突破させるには他の強さも並列して上昇させなければならない。実はこの問題には解決策がある。破綻した強さに弱点をつけるのである。これを国内で有名たらしめたのはかのFFシリーズだ。FFの画期的な要素の一つとして弱点属性なるものがある。これは完全にじゃんけんになっており、いずれかが一方的に強いわけではない(もっともホーリーやフレアなど規格外の無属性も存在するが)。この完璧ではないもどかしさが重要である。数あるカードゲーをプレイした人はわかるかも知れないが、壊れカードには必ず致命的な弱点が存在する。弱点は完璧性の欠けであり、未来を夢見るプレイヤーにとってできうる限りの完璧を目指すきっかけとなる。ここで多くのプレイヤーが夢中になるのである。完璧ではない現状に多くのプレイヤーは満足せず、何がしかの補助手段で弱点を埋めようとする。しかしゲームバランスが優れたゲームはその補助も渋い仕様になっており、そう安々と運用させてくれない。
だが一方で、やりこまないタイプの人もいる。例えばバイオで一周すれば無限ロケランが手に入ると聞かされても、イージーでクリアすれば十分弾薬も足りるだろうという心境の人たちだ。
こうした人たちの楽しみとは、ゲームに一度きりだけ没入できる演出や飽きるまでの操作感、そして何よりストーリーだろう。
ストーリーは未知に対する動機の一つとなる。プレイヤーはまだ見ぬ着地点であるエンディングに向かってひた走る。少なくともゲームという体感する分野においてストーリーは体験して消化する最も大きな要素の一つだ。しかし多くのゲームはシナリオがメインではない。あくまでもその世界でプレイヤーが何をするかが主軸になる。したがってシナリオのクリア後、前述の彼らはゲームパッドを床においてしまう。なぜなら彼らにとってシナリオの完結はゲームという体感世界における完成形であり、それ以上のやりこみに意味を感じられないからだ。実はこの問題には以下のような仕組みがある。
例えばプレイヤーが一周目をクリアして隠し要素が姿を現したとしよう。この場合隠し要素を観るためにプレイヤーはゲーム性のみならず「シナリオを含めて」続きをプレイすることになる。この隠し要素の方向性はとても大事だ。なぜなら新しい要素があることと、今までやりこんだ高難易度版が敵配置を変えて登場する、などでは意味が変わってくるからだ。後者の場合基本的にはやってもやらなくても知ってることだらけであるし、前者の場合未知は残されている。また、マルチエンドのゲームの場合でも別ルートは未知であり、多くのプレイヤーは分岐を試したくなってしまうだろう。
まとめるならば、ゲームを面白くしたいならば、「完成形に向かって未知を突き詰めようとするが、実際には完成形などない」状態を作り出すことだと言える。先程は人生に似ていると言ったが、この感覚は習い事にも通底する。プレイヤーは学校や会社から帰ってきて、学習効率の良い箱庭でまるで仕事のような成長を楽しんでいるのだ。
トイレットペーパーが残り6ロールくらいだったから朝からドラッグストアに並んだ。
並んだのは15分くらいだったんだけどなんか楽しかった。
同じ苦難を感じている人と集まっていることでなんとなく一体感がある。
こころなしか並んでる人達は普段より知らない人に話しかけてるような気がする。
「まったく、困っちゃいますよね」
「こんなに並んでるの?ビックリだよー」
わたしも普段そんな知らない人には話しかけないけど、こんな時は饒舌になる。
入荷したトイレットペーパーは20個ほどだったからギリギリ買えた。
ギリギリ買えた事で達成感もあった。
トイレットペーパーを持ち帰る時もウキウキしていた。なんとなく自慢げになった。たいしたことないのに。ふしぎ。
トイレットペーパーの大きさがそうさせるのか。
そんなこと4G入る前の時代から言われてた事なので。5Gになって役に立つのは移動式の機材を使うものに対して。一般には不要な代物。
移動式の機材って何だよって思うかもしれないが、医療機器にも移動式のものはあってな?被災地などでも使えるものはあるんだぜ。それでもまだ有線でいいじゃんって言っちゃうかい?
まあ5Gの速度自体は一般に恩恵があるかと言ったら半分にも満たない恩恵しかないよ。4Gより速いと感じられる程度。
と、言うのも、まずベストエフォートであるという事で建物が雑多な場所では満足な数値は補助アンテナがあるような場所くらいしか無い。次にキャリアが最高速度を出せるセッティングにしない。3G4Gの時もそうだが、ベストエフォートという盾があるのでトラフィック的な部分の混雑を防ぐためにMAXの半分も出ないように制限している。
だから、5Gになってもすげー速いって事にはならない。というか、そう感じているのは多少速くなったからの体感程度で本当の速度は誰も経験できない。
じゃあなんの役に立つんだよって思うだろう。一般には制限かけても国が絡むような場面では制限取っ払って速度出るようにするわけさ。もちろん多少のイベントじゃやらないけど、大きなイベントなどが起これば制限を解除する。そんな時に使ってみたら、素晴らしい速度を体験できるだろうな。
大麻はいい匂い ハーブみたい ピザの上に乗せて食べたらとっても美味しそう
火をつけて煙を吸い込む
タバコと一緒
タバコよりいい匂い イタリアンのような匂い 少し煙たくてむせる
一回吸い込んで様子を見る 何も変わらない
二回め吸い込む 何も変わらない 眠かったので元々頭はぼんやりしている
3回目吸い込む 目がぼやぼや」してくるが、普段の眠いときと変わらない 相手は決まり始めている 自分の体に何も変化が起きないため、少しがっかりする
電車乗って帰れそうだなと思いながらぼーっとする
いきなりくる
思わず「うわアアアアアアア」と声をあげる 体が今まで体感したことのない感覚に襲われる 一気に現実から遠くなり、どこにいるのか一瞬で分からなくなる
体に波が打っており(体の中に波ができる 下に向かっている)、どんどん体が重くなる 床に体がめり込んでいく感覚
アアアアこれはやばいこれはヤバイとかなり焦り始める 心臓が異常なくらいバクバクし始める 何が起きているのか全くわからない 現実なのか夢なのかも分からない、とにかく焦る
相手がいるから良かったものの、1人だったらパニックになっていたと思う
酒なんかと比べ物にならない、全くの別物 息が吸えるのに溺れそうな感覚 ヤバイしか口に出せない 落ち着かない
波の方向が上に変わる
体が浮き始める 体が浮いて、波が心臓の部分を通るたびに、息が苦しくなる 口はずっと動いていて、何か喋っているのだが、自分が喋っているのを自分で認識するのが数秒後の為、頭が混乱してくる 目を閉じると実家の玄関にいる 目を開けると部屋が広くなっているように感じる 壁がどんどん遠くなる
あぐらをかいて座っているのだが、元々苦手な体制なのに何も辛くない
頭が円を描き始める 機械のようにルートが決まっており、その流れ レーンに頭を乗せると自動で回り始める 楕円状の逆向きのハート形に頭が動く
力を入れなくても勝手に動いてしまう、止まっても、少し待つとまたレーンに頭が乗り、周り始める
音楽がよく聞こえるようになる
立体的、色までついて聞こえるようになる 耳の真横で聞こえる(スピーカーは少し遠い位置においてある)
大きな丸が頭の周りにあるような感覚 このなkで音楽が聞こえる
一度笑い始めると、止まらなくなる
どうでもいいことで息が詰まるほど笑い転げてしまう
サルを思い浮かべただけで涙が出るほど面白い この状態でお笑いを見たら死ぬと思う
とてもじゃないが外を出歩くことができない状態 根本的なことは分かっているのに(明日のこと、来週の予定、掛け算もできる、住所も言える)、もっと大きなところがダメになっている 家に帰ることは不可能 なんで不可能なのかはよく分かっていない
眠たいと言う訳でもないが、目を瞑っている方が楽しい 音楽がよく聞こえる
でも目を開けていても楽しい、部屋がどんどん広くなるし、何をしているのか余計わからなくなる
気がついたら眠っている
いつもと何も変わらない状態のため、帰る
正確には軽度のアスペにADHDが混入しており、いわば心のなかで「自閉の弟を多動の兄が連れ回している」状態。
診断受けたときにやった知能テストでは、アスペが強いとされる部分は天才的に凄いと言われた反面、弱い部分は境界知能クラスと言われた。
今までの人生を振り返ると、結局の所、自分の一番弱い部分が事あるごとに足を引っ張ってきたと言っていい。
だから、「長所を伸ばすことが生存戦略として適っている」という、よくある言説は一切信用していない。
むしろ弱い部分を底上げするほうが確実にQOLは上がるだろうと思っている。まあ言うは易く…ってやつなんだが。
あと、障害特性が「軽度」で「混ざっている」というコウモリ野郎なため、普通の人からのみならずガチアスペっぽい人からもADHDっぽい人からも「変人キャラ」扱いされるのが地味に辛い。
さて、長い前置きはこれくらいにして、今まで使っていなかったストラテラを使うことになった。
薬については自分の場合、二次障害に対処するリスパダールとかリボトリールとかは使ったことあるけど、障害の根本部分にコミットする薬は使ってこなかった。
今まで比較的自分に向いていた部署にいたのが、配置転換により、全く向いていないどころか事故多発→クビ路線が確実視される現場に行くことになったから。
正社員につきものの話なのか、はたまた会社が自分を追い出したいからなのかは知らないが。
それで、とにかくなりふりかまっていられない。薬でもなんでも、合法的に使えるものは何でも試してやれと決心。
とはいえアスペに効く薬はないから諦めるとして、せめてADHDの特性だけでも軽減させないと…ということで主治医に相談したところ
「増田さんにどこまで効くかはわからないけど、最小量の25mgから試してみようか」
ということになった。
これが10日くらい前。
その効果だけど、「おお!こういう効き方するのか」と結構納得できる手応えだった。
初日から、仕掛中のタスクもさっくり切り上げて他のタスクに切り替われるようになり、更に集中と俯瞰の切り替えがベストタイミングで発動する感覚を味わった。
翌日には、相手の話を最後まで聞いて話すのがデフォルトになった。
翌々日には、話す前に一呼吸置いて話すようになった。
一週間後には、怒りも悲しみも不安も全て「冷静さを失わず」感じられるようになり、逆に今まで自分の心がいかにざわついていたかを実感した。
そしてここが重要なのだが、薬が効いているときに経験した言動は知らず知らずのうちに脳に記憶されるようで、効き目が切れ始めても、前述の記憶で言動が自然矯正されるのだ。
即ち一度薬を摂取したが最後、摂る前の自分には二度と戻れなくなると。
しかもたった25mgで、前頭葉にしか作用しない、精神系のお薬としては「見劣りする切れ味」と言われているものでも、この効果である。
こりゃ、麻薬や覚醒剤を売るなんて人殺しと一緒だよなと、心の底から思わされた。
というわけで、本格的に新しい部署に赴任するのは来年度で、今は移行期間なのだが、今の所大事故は起きていない。
それでもつまらないミスや必要以上にビビるケースは無くなっていないので、薬の増量を試すのもありかと思っている。
ただそれで治るのは多動のみであり、自身の問題のもうひとつの根幹である、自閉の部分は未だ手つかずである。
よって、話を端的にまとめるとか、相手に合わせて話す内容やアプローチを変えるとか、そういう他者への強い興味とそれに伴う情動がなければ身につかない部分は、多分今後も生きる上の厄介事でありつづけるだろう。
てかMDMAみたいな、情動を喚起する系の薬が早く実用化されて欲しいんだよね。
そんな感じ。
人が何か(ex.各種スポーツ、各種習い事になるようなこと、人との会話やあらゆるコミュニケーション、歌...他あらゆること)を習得するときは以下をポイントとして押さえると早く確実に習得できる。
・行動すること
実際に話す、体を動かすなどの行動(アウトプット)を起こし、その結果が目的通りか、目的通りでなければ補正して再度アウトプットを出して結果を判定する、を繰り返すことでのみ習得できる。「経験を積む」「体で覚える」があらゆることで有効。頭の中でシミュレーションすることはアウトプットを良質にするけどアウトプットまでやり切って身になるのでほどほどにして行動を起こすのが良い。要はたくさん失敗と成功を繰り返して安定した成功パターンを身につけることなので、失敗が許容されにくい場面ならシミュレーションを入念に行うし、許容されるのならシミュレーションよりも思った通りに行動してみるのが一番早く習得できる。
・言語化すること
ゴール(目的)は何なのか、今何ができているのか、何ができていなくて、それをクリアするためにはどうしたら良いと思うのか、言語化する。言語化する際にはまず思ったまま書いてみて、書いてみた結果を見てやっぱり違う、とか必要な補正を繰り返す。無意識にそんなはずないと直感していることでも自分の中にあるものを言語化してアウトプットしてから削除して次の思考に切り替えていく。言語化して決めたことを実際に行動してみる。行動する際には言語化した内容を拠り所にして、必要なら頭の中で復唱しながら身体を動かして結果に繋がる有効な動かし方の感覚を体感して覚える。体感で覚えるだけだといずれ感覚を呼び戻せないスランプになるので、安定したパフォーマンスのためには身体感覚や身体全体のバランス感覚をいつでも呼び寄せられるような拠り所になるような的確な表現の言葉を紡ぐよう努める。
・核となる信念、思想、思いを見つける
習得する(できるようになる)ためにはお手本を探して真似るのが早い。最初は10点くらいでもお手本の各ポイントを真似て50〜60点くらいには急激になれる。なれるがチグハグでおぼつかないものになる。お手本が優れたパフォーマンスを発揮するのは根源となる信念か思想か執着、こだわりなどの強い思いが核となった結果出てきた行動なので、全く同じパフォーマンスを発揮するなら同じ思いを持つ必要がある。形から入ることもとても大事で、形が出来上がったらその核を探り当てることまでやり切ることが習得には必要になる。
私は快便派なので、体感では5cm程度しか産み落としていないのに
便器には合計で30cm程はあろう3本のうんこが存在していました
今回は、3本のうち1本が重力に反してそそり立ち、水から顔を覗かせていました
うんこの立ち姿は実際に見ずには知ることができません
ですが私は、座ってうんこ産出の余韻に浸ったまま、うんこが水から覗いていることを知っていました
くさかったからです
昨日食べたものがうんこになるとこのような臭いになるのだと思いました
ほとんどの方は便器に水が溜まっているおかげでくさい思いをせずに産出できることを実感していないと思います
それは水から覗くほどのうんこを産出する人が少ないからでしょう
ですが私は、もっと深い便器に座り、くさい思いをせずにうんこを産出したい
そのような一過性の熱い思いと、自分のうんこの臭いに耐えかね、私は便器のコックを捻りました
轟音を立てながら水が流れ、そそり立っていた1本は弧を描いて無事に流れて行きました
安心した後、あの1本ほど残るうんこはないと思い、記録した次第です
以上です