はてなキーワード: うずくとは
手がかりは「やわらかいトゲ」「今ごろ…痛い」であり、ウチワサボテンの一種と推定される。「金烏帽子」「白桃扇」などだろうか。ウチワサボテンには柔らかく短いトゲがたくさん付いているものがあり、触れるとそれが刺さりっぱなしになってしまい、ふとした時に痛みを感じる。
私はそれを知らずに素手で植え替えをしてしまい、夜中チクチクと痛みに悩まされることとなった。ホームセンターなどで広く販売されているので、触れる際には気をつけるべきだ。不意に軽く触ってしまっただけでもトゲが刺さっている場合がある。
手がかりは「君がそだてたサボテンは小さな花をつくった 春はもうすぐそこまで」「この長い冬が終わるまでに」と冬に花を咲かせる品種であるのが明示されていること。と言うわけで、シャコバサボテン(ジャコバサボテン。間違えていた。コメントより。ありがとう。以降は修正済み)である。サボテンと名は付いているけれどトゲはなきに等しく、多肉植物や観葉植物と言ったほうがピンとくるかもしれない。広く販売されている。冬に花を咲かせるサボテンはこれ以外に知らない。
冬に花を咲かせる多肉植物としてはリトープスやコノフィツムなどのメセン類があるが、これをサボテンと誤認していたとは考え難いので、やはりシャコバサボテンが正解だろう。
(追記)冬に咲くサボテンとして「マミラリア類」があるとブコメで指摘頂いた。ありがとう。確かにこちらの方がイメージに近い。
手がかりが「サボテンに花が咲いたとか 小さな幸せ 数えるんだ」という部分しかなく、判別不能。「小さな幸せ」であることから、花が咲きにくい品種でないことはわかる。花が咲きにくい品種だったら大きな幸せだからだ。
「灼熱の太陽と 風が乾ききった砂漠の ど真ん中で叫ぶサボテン トゲを持ち夢の花を守れ」という部分から推察するに、砂漠にそびえ立つ大型の柱サボテンであると推測される。
手元ある『サボテン・多肉植物ポケット事典』(NHK出版)によれば、該当しそうな品種としては「武倫柱」「大鳳竜」「亀甲柱」「ネオブクスバウミア・マクロケファラ」などがある。ちなみにタイトルの「覇王樹」は品種名ではなく、サボテン自体の別名。
「僕はサボテン 見かけよりはすごくやさしいよ」という部分しか手がかりがなく、特定困難。「見かけよりは」と言っているということは、「金鯱」のようなトゲの激しい品種であると推定される。
「トゲトゲが伸びてつらくなってきて」とあることから、トゲの長い品種であろう。そして「歩く」とタイトルにあって擬人化されているということは、縦に長い柱サボテンであることが推測される。前掲書によればそれに該当しそうなのは「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたりだろうか。
歌詞に「トゲ」とあるので、トゲのないサボテンではない(つまり「兜」「ランポー」「老楽」などではない)ことはわかるけど、それ以上は手がかりが少なくてわからない。
■『レッツゴー!サボテン』サボ
歌詞に「砂漠」「トゲ」とあるので、砂漠に自生するサボテンであり(つまり「シャコバサボテン」ではない)、トゲのないサボテンではない(上のももクロの曲参照)というところまでしかわからない。
(追記)サボさんを見た。全体的な形状とトゲの長さ・少なさから判断するに、これは「墨こけし」で間違いない(https://greensnap.jp/post/311512)。特定した。
(追々記)墨こけしは3年くらい育てているけど花は見たことないなぁ。
歌詞中の「あなた」が何らかのサボテンをプレゼントしてくれた以上のことはわからない。(追記)たまに園芸店でハート型のサボテンが売られているが、それかもしれない。
「さむいのはにがてなんです」と歌い出しにあるが、サボテンは意外と寒さに強い。私は北関東に住んでいるが、育てているサボテンは冬でも外に出しっぱなしにしてある。但し、寒さに弱い品種があるのも確かである。幾つかは冬に枯らしてしまった。従って、ここで歌われているサボテンは寒さに弱いタイプの種類であると推測される。おそらくたくさんあるので特定は困難を極める。
■『サボテン』VIXX
「棘の先に華やかに咲く花」と歌詞にあることから、サボテンではなく多肉植物ユーフォルビアの一種であると推測される。具体的には「紅彩閣」あたりだろうか。
トゲのようなものを持つ多肉植物が幾つか存在するが、サボテンとの見分け方は「トゲの根元に綿みたいなものが付いているのがサボテン」と言われている。ユーフォルビアの「紅彩閣」にはトゲみたいなものはあるものの、綿みたいなものはないから多肉植物である。
で、その「トゲみたいなもの」は実はトゲではなくて「花座」と呼ばれるもので、季節になるとその先端に黄色い花を咲かせる。一方、サボテンのトゲは葉っぱが変化してできたものであり、棘の先に花を咲かせることは私の知る限りない。サボテン本体から蕾が出てきて花が咲く。
―追記―
「サボテンが赤い花を付けた」ことから赤い花を咲かせる品種であることはわかるものの、赤い花を咲かせるサボテンは結構たくさんあるので特定は困難を極める。今日、育てている「ランポー」が鮮やかな黄色い花を咲かせたので、ランポーではない。
歌詞中の手がかりが少なくて判別できない。「緑」というキーワードがあるので「(白い)ランポー」「老楽」「月世界」あたりではないと思う。
(追記)PV見た。ぷっくりとした美しい形だった。知る限りあの形に一番近いのはユーフォルビアの「大正キリン」かと思うが、断定はできない。
■『孤独のRunaway』B'z
「サボテンが街を笑い」とあるので街を笑うことのできるサボテンであることは確かだが、街を笑うことのできるサボテンは寡聞なので誠に遺憾だが判別できない。
あまりにも唐突な台詞であり、リアリズムと言うよりはメタファーであると思われ、品種を特定するための手がかりが少なすぎるので特定には困難を極める。(追記)画像を見るにこれ(https://www.iris-gardening.com/leaf/33_01.asp)に似ている。ただ、名前がわからない。わかったら書く。わかる人いたら教えてください。
―追記2―
「変な形してるのに 可愛い花咲く」が手がかりとなると思われるが、サボテンは厳しい環境を生き抜くために殆どが変な形にデザインされているし、変な形から比べると殆どが可愛い花を咲かせるので一般的な情報を越えない。
また「力一杯 握ってごらんよ」の部分からトゲがそんなに鋭利ではない種類であると推測される。鋭利なものだったら「力一杯」握ったらスプラッターと化すからである。これ以上のことはわからないものの、敢えてあげれば「金烏帽子」などのウチワサボテンあたりが妥当かと思われる。
■『仙人掌哀歌(サボテンエレジー)』二階堂衝(CV:織田優成)
ヒントが少なくて品種の特定は困難である。「仙人掌」とはサボテンの異名。
ちなみに、歌詞中に「仙人掌はただ見つめてた 君の勇姿とあふれる夢を」とあるが『植物はそこまで知っている』(ダニエル・チャモヴィッツ、河出文庫)によれば「植物は、あなたが近づいてくるのを知っている。あなたがそばに立って、見下ろしているのを知っている。青いシャツを着ているか、赤いシャツを着ているかも知っている」とある。つまり単なる擬人化ではなく「仙人掌」は少なくとも「君の勇姿」はきちんと見ていた(モニタリングしていた)と考えられる。
「ここにサボテンを植えよう 花が千年に一度咲く」とあるけれど、千年に一度花を咲かせるサボテンは寡聞である。サボテンではないが、たまにニュースで見かける「スマトラオオコンニャク」は「7年に一度2日間」しか花を咲かせないらしい。
また、これもサボテンではないが、砂漠で千年以上も生き続ける植物としては「奇想天外」がある。2つの葉っぱが延々と伸び続けるだけという奇特な植物で、成長は遅く、「種子が発芽してから種子をつけるまでに、25年ほどもかかる」との情報がある。これをサボテンと誤認した可能性がなくはない。
歌詞に「紺碧の仙人掌」と出てくる。「サンタマリア」とはポルトガル語で「聖母マリア」のこと。「紺碧」とは「やや黒みがかった青」とのこと。
「やや黒みがかった青」っぽい色のサボテンには例えば「豹頭」などがある。また、サボテンではないが多肉植物として黒っぽいものには「黒法師」がある。いずれにしても特定は難しそうだ。
―追記3―
「棘」「砂漠」というキーワードがあることから、上に挙げたようにトゲのない品種ではなく、「シャコバサボテン(湿度が高めの森林地帯に自生する)」でもないことはわかる。自己防衛のメタファーとして「棘」と表現されているらしいので「金鯱」のような棘の鋭いものをイメージして書かれていると想像される。「金鯱」は丸く成長するので(つまり柱サボテンではない)、歌詞中に描かれる主人公が落胆してうずくまっているような様子とも合致するし、かなり大きく成長するので擬人化も容易そうだ。
「荒んだサボテンは 世界を敵に回すほど トゲを伸ばしたんだ 喉が渇いてSOS」なので、砂漠に生えてトゲの長い種類であることはわかる。柱サボテンであれば『歩くサボテン』(奥田民生)のところで挙げた「近衛」「錦鶏竜」「金城丸」あたり、丸いサボテンなら「金鯱」あたりがイメージに近そう。「金鯱」の汎用性の高さ。
歌詞が見当たらないので全く見当がつかないが、汎用性の高さからすると「金鯱」あたりが妥当かと思われる。
クライマックスで「サボテン持って」といきなりサボテンが登場する。サボテンを持ってどこかに出かけるつもりのようだから、携帯に容易な品種であることは確実で、間違っても直径30cmの「金鯱」でないことはわかる。
「サボテンの花さいてる 砂と岩の西部」とあり、曲はアメリカのフォークソングであるようなので、アリゾナ州あたりに自生する何らかのサボテンであると思う。
「ソープに行け」と言われたわけではないけど、25歳でソープランドに初めて行った。
そこで「童貞」を捨ててきた。つまり、相手の膣に自分のペニスをいれた。
僕の今までの性体験の総決算だったと思う。おおげさに聞こえるかもしれないけど。
というわけで、まずその日のできごとについて書きたい。
近くのソープを調べてサイトまでいったものの、迷いに迷い、でも今やらなかったらいつやるんだ、と勢いでようやく送信ボタンを押した。10分くらいして電話がかかってきた。女衒っぽい?声音だった。電話が切れるとなにかふっきれてしまい、今まで何を悩んでいたんだという気持ちになった。
値段は思っていたよりかなり高かった(3万くらい)。というか料金表の見方がよくわからない。70分のコースにして、午前中だと安くなるというのでGWの早朝にぶっこんだ。もっと安いヘルスとかあったはずだが、事務的に「射精処理」されるのも困るのでやむをえないということにした。
起床して、風呂に入り、ひげを剃り、むだ毛を剃り、爪を切り、歯を磨き、髪を整えて香水を軽くかける。そこまで準備するかよと思うかもしれないが、人前に出る以上引け目を感じたくなかった。服は迷ったが、「男っぽく」しようと黒と白でまとめて、フェイクピアスをつけた。耳飾りをつけるとちょっと自信がつくので。
はじめてソープ街を歩いた。店の前に立っている呼び込みの人がこわい。どすの利いた声で「どうぞ」と言ってくる。世間の人はこれで入ろうと思うのだろうか。道に迷って、店に電話をかけて、やっと中に入ることができた。店内はなんというか…照明のうす暗いけどキラキラした雰囲気がカラオケボックスに似ている?かも。
待合室は席が仕切られており、雑誌や大きなテレビがおいてある。金正恩がうつっていた。水着姿の女性の写真が出され、指名料2000円で選べるといわれた。もちろん店にまかせた。反応に困ってしまって、「みんなきれいですよ」とか言った。お茶とおしぼりが出てきた。これだけお金を払うとサービスがよくなるのだ。
それなりにリラックスできたはずだったが、奥に通されて嬢と会ったときは緊張した。というかひたすら緊張しっぱなしだった。階段を上るとき腕に手をまわしてくれるけど、雰囲気にうまくついていけない。「こういうお店は初めてなので」と言い訳する。
部屋に入ると、お風呂があって、ベッドがあって、冷蔵庫があった。ラブホみたいだ。嬢が服を脱がせてくれる。僕は小柄で痩せているので裸になるとますます子どもっぽくなり、ますます自信がなくなり、ということで、そうそうに売り専で働いていたことを切り出してしまった。
ここまで読んで、なにが童貞じゃと思った人が多いと思うが、そのとおりです。男とならそれなりにセックスしてきました。しかし僕は男とセックスができるだけで、どちらかというと異性愛男性に分類されると思う。膣と肛門はなにか違うような気がする。
もちろんマンコに入れて童貞を捨てたなら、アナルに入れたときは何を捨てたのか、オナホに入れたときは何を捨てたのかという突っ込みがあるだろう。そういう難しいことは僕にはわかりません。
突然のカミングアウトにも嬢は冷静で、というかちょっと興味を持ってくれた。よかった。嬢もこの店で働き始めたのは最近で、その前は前立腺開発とかいろいろやっていたという。そうと知っていればシャワ浣もやってくるんだった。
ソープでどんなことをするか興味があるので、お任せするからひととおりやってくださいとお願いした。ということでまずお風呂に入り、マットでローションプレイというかマッサージっぽいことをして、ベッドでキスして、フェラして、セックスしてもらった。完璧なサービスでした。パイズリもキスもフェラもセックスも上手で、コンドームを口に含んでフェラをするように伸ばしてつけるのには感動した。コンドームで中断してしまう間をどうもたせるか困ることが多かったのだが、こういう方法があるのか。
特にフェラは上手だったのでその話をする。僕もフェラはずいぶんやってきたけど、いかに射精させるかを考えて、つばを多めに、カリへの刺激を強めに、亀頭を強く吸って、ずっと口だと疲れるから根元を手でしごいて、相手を上目づかいに見る。あと、動きが単調だと飽きる気がするのでときどきたまたまの裏や蟻の門渡りをなでる。まあ、こんな感じである。
嬢のフェラは手をあまり使わず、舌使いも優しく、しめつけて射精させようとする感じがまったくなかった。あたたかいもので包まれているという感じだった。くわえるまえに睾丸や根元を舐めるのが丁寧だった。
あと、僕はくちゅくちゅ音を出すようにするんですが、嬢は蕎麦を吸うみたいなずっずっという音を出すようにしていた。こういう音の方が受けるんだろうか?
ということで嬢のフェラをほめちぎる。「男の方が自分にもついてる分上手なのでは?」と当然の質問を受ける。オナニーとかけっこう強く握るし、激しくこするので、それと同じようにやってしまうのではないかと思った。
とはいえ全体的に緊張しっぱなしで、ちゃんと勃つようにと2日オナ禁してきたのだが、いろいろ話し込んだこともありフェラのときくらいしか勃たなかった。とうぜん射精もできなかった。まあでもいちおう膣の中に入れたので、童貞は捨てたのではないか。もうよくわからん。
途中で、初めて売り専の仕事をしたときに途中で萎えてしまったことを思い出した。あれはきつかった。動揺した。今回はお金を払う側でよかった…。
とはいえ、相手が勃たないとうまくサービスできているかわからなくて嬢はしんどかっただろう。僕もお客さんが勃たなかったら焦る。ちんこを思い通りに勃たせたり萎えさせたりすることが、なぜこんなに難しいのか。まだ経験が足りないのかもしれない。それにもう一度行ったらふつうに勃つ気がする。行かないけど。
名刺はもらわなかったが、楽しかったことは伝えたし、アンケートもいろいろほめておいた。アンケートもそうだが全体的に、男が女を買って性的に奉仕させる空間だということは伝わってきた。お風呂があってマットがあってベッドがあるのだから、本質的には異性愛男性がリラックスして射精する場なのだろうが、エンターテインメントとしても楽しめるほどの「男らしさ」が僕にはなかった。
…たぶん、今までの話は読者の予想をいろいろ裏切ったと思う。そこでこれから、男体持ちの僕のめくるめくセックス遍歴について、けっこう書きます。おつきあいください。
僕がはじめて女性と性関係をもったのは22歳の大学四年生のときだった。
その女性とは学園祭で知り合った。あるサークルでたまたま哲学の話になった。僕は哲学は多少身に覚えがある。なにしろ、論理哲学論考を中学生から読んでいた。その話をした。その人は小学生から論理哲学論考を読んでいた。なんじゃそりゃ。僕たちはウィトゲンシュタイン推しで気が合い、あとでgoogle:哲学宗教日記を貸してもらったりした。
そのあとデートに誘われた。街角の喫茶店でお茶をした。そのころの僕はいろいろ精神的にきつくて、大学の授業にずっとでていなかった。留年も確定して、そのことを両親にこっぴどくなじられていた。そんな話を少ししたと思う。その人も家庭のなかの問題がいろいろたいへんだと話していた。僕の両親もおせっかいだが、それと比較しても過度に束縛的だと思った。親の期待する「大人の女性」になれないことをその人は気に病んでいた。
しばらくして、その人からメールが来た。大事な要件だという。その人に会うと、他の人にあまり聞かれたくないから僕の下宿に行きたいというので、そうした。たいして片づけもしていない薄汚い部屋に入って、そこでその人は僕に告白した。とても劇的で、すごく大胆で勇気のある告白だったと思う。
その頃の僕は全ての牛が黒くなるほどのブラック夜勤バイトを週4で入れ、頭がまともに働くときはSTAP細胞の真相究明に熱中していた。自分は忙しいんだ、こんなに大変なんだ、ふつうの大学生とは違うんだ、と思い込むために必死だった。
典型的な非モテだったと思うけど、僕はその苦しみを異性に向けず、そういう興味をひた隠しにしていた(周りからオナニーなんかしなさそうと言われるタイプ)。もちろん女性を自分の部屋に招くというのが「どういうこと」なのかわかっていなかった。その人が告白しなければ、ウィトゲンシュタインの話でもして指一本ふれずに帰したと思う。この心境は、恋人で一発逆転を狙うタイプの人には理解してもらえないかもしれない。
そのあとふたりで散歩して、人気のない公園で夜が更けるまで話し込んだ。僕が提案して、別れ際にキスをした。「唇を奪ってほしい」というので、僕から口づけした。そのとき、相手の唇がぬれていたのと、いきなり勃起しかけことに驚いて、あわてて(軽く突き飛ばすような感じで)唇を離した。キスに動揺して勃起までしたことを気づかれたくなかった。
後日、その人がふたたび下宿に来た。とはいえ、僕はコンドームの用意もなく、セックスについての具体的なイメージもできていなかった。
僕もそれなりに性教育を受けて、コンドームの付け方や性感染症のことを知識としては知っていた(男子校だったこともあり、保健体育の教師はディルドにコンドームをつける実演までさせた)。それでもどうしていいかわからなかった。主体的に取り組まなければどんな知識もうわすべりになる。それはセックスも同じだ。
上半身だけ服を脱いでベッドに入った。そのとき、その人はパニックになり、ふとんをかぶって部屋の隅でうずくまってしまった。僕は落ち着いてほしいと真剣にお願いした。その人は小学生の時ひどい性暴力を受けたことを話してくれた。あまりの衝撃に僕は声を上げて泣いた。お前が泣くのかよ、と思うかもしれないが…。
その一方で、僕もネットで女性のエロ画像や動画を何時間も検索することがあるし、セックスへの興味を押さえられない衝動というのがわかる。僕は自分にそんな(女性を辱める)汚い欲望があることをオナニーを始めたときから気に病んでいたが、なくそうともがいてもなくすことができずにこの歳になっていた。その欲望をどこかで肯定できたら…と思っていた。でもやはり許されないのかと思った。
その日から、上半身だけ裸で抱き合うのが暗黙の了解になった。キスしてお互いの身体をなめたり噛んだりし合う「だけ」だったけど、文字通りいつまでも続いてほしい素敵な経験だった。その人はときおり、まんこにちんこをいれるセックスができないこと、「傷物」の体であることを気にして申し訳なさそうにしていた。ペッティングだけで僕はオナニーする必要がないほど性的に満足していたので、それを気に病む必要はまったくなかったのだが。そのことを伝えればよかったのに、僕は好奇心から一度下まで脱いでいいかどうか聞いてしまった(もちろん拒否された)。
結局、その人とは別れることになった。僕なりに整理すると、一番の要因は僕が結婚に対して本気にならなかったからだと思う。その人は僕が立ち直り、大学を卒業することを期待していた。僕はやっぱり大学に行けずバイトを止められず、その人の頼みで試験には出たものの2単位しか取得できなかった。
しかも、僕は「彼女」の存在を公にすることができず、両親はおろか友達にさえも、というかだれにも切り出せず、彼女のいない人が招待される「ぼっちクリスマス会」すら断れなかった。ひどい話だ。
結婚に対して前向きに努力してほしいという彼女の要求に僕はどんどん防衛的になっていき、敵意さえ感じさせることがあったかもしれない。そのひとは僕に見切りをつけ、別れ話を切り出した。僕は強がって「わかった」と応じたものの、一週間食事がのどを通らないほどショックを受けた。遠ざかって行く彼女の夢を何度も見た。
…そして、別れてから半年以上たったのに、その人の誕生日にメールをして、電話をかけてしまった(もちろん出なかった)。
バンクロフトのgoogle:別れる? それともやり直す? カップル関係に悩む女性のためのガイドを読むと、その人の決断が正しかったことがわかる。僕は二人の将来について責任のある態度をとらなかった。それにしても、その人は自分から告白し性関係に負い目さえ感じながら、別れることをよく自分の力で決めることができたと思う。
つづきます↓
痛い、お腹が痛い。
痛いので痛いしか言えない。
ありとあらゆるポジティブシンキングが敵。
労れ、私を労ってくれ。
女だから生理だからと毎月当然のように少なからず痛む私のお腹を労ってくれ。
病院に行こうとか薬を飲もうとかホルモンバランスを整えようとか、わかっている。しかしそれもタダじゃない。
女にしかこの痛みはわからないというけれど、正直女でも他人の痛みはわからない。
毎月全く同じように痛むわけでもない。ちょっと楽な月と、最初の二日ぐらいが特に痛いときと、最初から最後まで死にたいほど痛いときと。
先月と今月の自分でさえ違うんだから、性別が同じくらいで痛みの共有などできるものか。
効果の出る対処法が人によって違うのなんて、ここまできたら説明しなくてわかるでしょ。
だからもう当てにならない聞きかじりのポジティブメソッドを教えてくれるよりも、水と痛み止めとカイロをくれ、労って、お願いします。
自分の思う解決法を実践してほしいなら、最初の一ヶ月分の費用をくれ。
だって毎月じゃん。薬よりは安いけど、一週間で必要な分買うと1000円は越す。肌に優しいやつを選ぶと2000円かかるかも。
一年で最低12000円、そこに対策費とか治療費とか足すと泣きながら道行く生理のない男からカツアゲしたくなる。しないよ。
相手が女でも、生理中じゃなければ攻撃したくなるかも。しないよ。
とにかく今、痛くないのが羨ましい。
ナプキンのCM見ても「生理の日でも大丈夫!」「大丈夫じゃねーよ!」ってキレる。
普段綺麗な女優さんが顔を真っ青にしながら布団でうずくまってゾンビのようにうめいているのが理想。こういうのがいいんだよ、こういうので。
あとナプキンの値段と一週間でどれだけ必要かも伝えて。一日に必要な野菜みたいなノリで。
一ヶ月、一週間分で1080円!一年契約で11000円!お得~!みたいなCMを流して。
当社の痛み止めとホルモン調整剤も合わせて、月々3500円から!一年契約で38000円!みたいなCMでもいい。
年間でいくらかかるのか、せめて世間に浸透させてほしい。そして国の補助が欲しい。
男女平等参画社会にしたいなら、女を生理期間中も働かせたいのなら、数字だけでも社会に理解させるべき。
どれくらい痛いとか不調とか、平均値は実測できないからもういい。
結局金か、って言われても「金をもらえば少しは負担が減るんだよ!」って今なら怯まず返せる。
痛くて気持ち悪くて不調の上に、年間12000~の出費が義務づけられてるのだから泣きっ面に蜂だよ。
予定を立てるのだってなるべく生理とかぶらないように気を遣う。しかし生理開始が一週間早くなる遅くなるは自然な誤差の範囲。ばかやろう。
そういったことも踏まえて「生理、お腹が痛い、つらい」と言うと「豆乳がいい、イソフラボンが~」って言い出す男は血濡れの二日目ナプキンを見るがいい。
豆乳飲んだってどうにもなんねー感じするだろ、二時間足らずでこの惨状。
イソフラボンが今痛んでるこの腹に効くのか、ノーです。次回からならワンチャンありますけどね。
風邪を引いてつらい、って呻いてるときに「うがい手洗いでかかりにくくなるらしいよ~」って言われても「ちっげーよ!」ってなるでしょ、ならない?
「痛むんだね、大変だね」って痛み止めとか命の母ホワイトとか渡されたら個人的にちょっと嬉しい。身近な人間に限るけど。
会社なら生理用品、薬のレシート出したらその分支給してくれたらもっと嬉しい。国が出してくれるのが安心だけど。
痛む、痛いよう。
でも書いたらちょっと気が楽になった。
お腹は痛い。誰かが下腹部を面白半分に混ぜてる感じする。イメージ。
匂いが気になりにくいナプキンに改良を続けてくれてありがとうメーカーさん。
お尻の肌荒れも減ったよ……。
男は男で云々~、つらいんだぞ。
そうなんだろうな~って思う。女が大変だと思う分、男も未だ可視化されてないつらい!があるんだろうな~。
秘めずに教えてくれよな~、そうするともっと女も言えるからさ~。
誰かが秘めてても辛かったら言っちゃうんだけどさ~。
誰かが秘め続けた結果、今の私はこうして文句垂れてんだからさ~。文句垂れて少し楽にならせてもらってんだからさ~。
……いややっぱり変わらず痛いよ。
その理由はかつてその先生が全校集会でマイク越しに大きなおなら
をしたからだと聞きましたが僕たちが入学する前の話だった為、真
相は不明でした。
ただその先生は気弱というかあまり生徒を強く叱るタイプの先生で
はなかったので、おなら先生という不名誉なあだ名もあり多くの生
という具合で、すぐに共通の話題で盛り上がれるので本当に印象に
残ってる先生でした。
先日も実家に帰省した際、新しく出来たレストランに寄ったら店員
さんが同じ中学のOGでした。やはりおなら先生の話題が通じたの
ですが、なんとその店員さんはおなら先生が実際におならをした現
場を知る先輩だったのです。
「ははは!やっぱり伝説は本当だったんですね!」
「でもね、実はあれは○○先生が私を守ってくれたのよ」
と優しく語り続けました。
大笑いしたのが気まずくなる私と妻でした。
ある寒い日、体育館の全校集会でそのOGさんはたまたまトイレを
臭いなどが周囲に気付かれあまりの恥ずかしさに泣いてしまって頭
が真っ白になっていると、体育館のスピーカー越しに「ブブブ!!」
と大きな豪快なおならが響き渡ったそうです。
続けて「ごめん!ごめん!」と司会をしていたおなら先生こと○○
先生がマイクで謝罪し全校生徒がそれはもう割れるばかりの大爆笑
に包まれたそうです。OGさんはその大爆笑の間に保健の先生に付
き添われそっと体育館を抜け出して事なきを得たそうで。
おなら先生は、OGさんから周囲の気をそらすために自らマイク越
しに屁をして無理やり自分に注目を集めさせOGさんを守ったとい
OGさんは卒業する時におなら先生に涙ながらに感謝の言葉を伝え
ましたが、「あれは本当にたまたまおならが出ちゃっただけだよ。
卒業おめでとう!」と優しく笑ったそうです。
そのOGさんは今でもおなら先生こと○○先生と年賀状のやり取り
をしており、結婚式にも担任でもなんでもなかったおなら先生に来
てもらったとの事。
一昨年の初夏。人員不足だからと同じ課の中で配置転換されて、そこでパワハラされた。
無視、仕事の内容伝えてくれない、会議に参加を除外されて決定事項を教えられず決まった事を守らないと叱られ、通院で休日出勤出来ないと言うと迷惑そうに苦笑いされて、風邪をひいて休めば「休んでもいいけどちゃんと仕事をして」と言われ、新しい仕事の内容を確認に行けばそれぐらい予測できないんですかと言われ、とにかく初めての事が多いのに謗られ詰られ、自律神経がおかしくなった。
瞳孔が眩しくてもちゃんと閉じない、 寒くて震えが止まらない等。
このままでは本当に鬱になってしまうと課長に言っても「戦略的な事で配置転換したから」と取り合ってもらえず、産業医面談までした。
お盆休み明けも無視と捌き切れない量の説明の無い仕事を積まれて、なんとかその日を終えたもののどうしても明日会社に行きたくない気持ちが会社の出口に立った時に湧いて、行かなくていい為には死ぬしかないと結論を出してしまった。
轢かれる為に会社の目の前の道路に飛び出そうとして、あんまり痛くなく済むスピードの車を。と選んでいる時、人が後ろを通って正気になった。なって、心臓がバクバクして冷や汗が止まらなくなった。
それから1時間弱、邪魔にならなそうなところにうずくまって、落ち着くまで深呼吸して。
涙が勝手に出て惨めで辛くて。
毎日フラフラになりながら会社に行っていたら、産業医と課長と三者面談になって。
そこで大泣きして、泣き止めなくて。やっとヤバいと判断されて、移動になった。
移動先は皆何をされたか知っているから、優しいし穏やかな場所だ。でもたまに色々フラッシュバックする。けど、なんとかやってる。
でも、パワハラしてきた相手は罰を受けない。受けたと言う話はない。
多分何年かしたら、昇進するかもしれない。
許さなくてもいいですか。
復讐してもいいですか。
偉くなりそうなタイミングを教えてもらったら、社のパワハラ委員会に相手が何をしたか伝えていいですか。
謝ればいい話じゃなくて、謝って欲しくない。会いたくない。遠くから姿が見えるだけで冷や汗が出て動悸が激しくなるし、目眩がする時もある。
流産が発覚してから手術日まで4日。その間に子どもは自然に流れてきてしまった。
既に出血が始まっていてこのまま自然に出てくるかもと言われたけれど、前回の流産はまったく出てくる様子がなく結局手術になったので、まさか本当にそうなるとは思っていなかった。
出血し始めて2日後、だんだんお腹が痛くなってきた。常に痛いわけではなく、数分重い生理痛のような痛みがあり、その後10分くらいはなんともなくなる。そしてまた痛み始める。その繰り返し。
次に痛み始めたときにスマホを見て時間を見、続く時間を測る。そして収まった時間と、再度始まった時間を見る。
間違いなく規則正しく痛みがきている。そしてだんだんその感覚が狭まってきている。
医者にお腹がいたいときはもう鎮痛剤を飲んで良いと言われていたので、ロキソニンを飲んだ。生理痛のときは毎月お世話になっている。
わりかし重い方なので飲みなれている。だいたい15分くらい耐えれば効いてくる。
今回は陣痛みたいなものとはいえ赤ちゃん自体の大きさは6週目。2cmくらいだと聞いたので鎮痛剤が効くだろうとタカをくくっていた。
いや全然効きませんがな。飲む前が10だとしたら9くらいにはなったけれど全然痛いですねこれ。
世の中のお母さんはすごいな。
布団の上でのたうち回る。脂汗ダラダラ。だめだとは思ってたけれど、耐えきれない痛みに涙目になりながら、収まったすきをみて最強の鎮痛剤であるボルタレンを飲む。
そういえば生理痛を癒やすためにロキソニン飲んでからお風呂に入ったりしてたな、と思い出してお風呂を沸かす。
あとで掃除が大変になるとはわかっていても入らずにはいられない。
暖かい湯船に入るとなるほど確かに少し収まったような気もする。ただやっぱり痛い。のたうち回る場所が布団からお風呂に変わっただけだった。
顔が汗びっしょりで気持ちが悪い。また痛みが収まったすきをついてシャワーで洗顔する。泡立てている間にまた痛み出してうずくまる。
うぐっ!!!!と声が出るほど大きな痛みがきた瞬間、さっと痛みがひいた。
何かが流れ出てきた。
間違いない。これだ。
腹痛はウソのようになくなっていた。
その後手術日に術前診察を受けると、やっぱり赤ちゃんはいなくなっていた。出てきたものを病理検査に出すからと言われていたので私はもってきていた。
先生がそれを見ると、ああこれだね。よくがんばったね。
1番いい形で終われたね。手術をするより自然なほうが体には良いしすぐに子作りできるから。と励ましてくれた。
虚しかった。
1回目の流産はそこそこ自分の気持の整理がつくのが早かった。私の母、祖母、叔母、そして義母も1度は流産経験があったからだ。その話を聞いていたし、流産の確率は15%と結構高いということも知っていた。
不妊じゃないだけいいじゃない、って義母は言った。そうですねと笑いながら私は心の底でどす黒い感情を押さえつけていた。
酷い話だ。
それから1週間経ったけれど私は回復できていない。出血もそれから数日続いたけど止まり、お腹の痛みもつわりも消えたけれど、今回は精神の回復がうまくいかない。
前は手術だったから生まれた赤ちゃんを見なかった。でも今回は見てしまった。完全にトラウマになっている。
暗くなるまで外に出れなくなった。買い物は旦那と一緒じゃないと行けない。妊婦さんや小さい赤ちゃんを見るとその場で泣き出してしまう。
前はそんなことなかった。今回も覚悟してたしまさか自分がそうなると思ってなかった。
テレビやネットで妊娠・出産のニュースを見るとどうしても耐えきれなくなってしまう。
ついには旦那とおしゃべりするのも嫌になってきている。何気ない会話ができない。YesとNoで終わる会話なら声を出さずに済むけれど、他愛もない会話ができない。
LINEでなら話せるので今はそうしてもらっている。
妊娠が発覚してからとても良くしてくれたのに、なんでこうなっちゃったんだ。
私が手術を受けずに終わったことで旦那も喜んでいたし、早く良くなるように家事は代わりにやってくれているのに感謝の言葉の1つさえ出てこない。
夜になると、所詮他人事にしか思えないよね、あの痛みも、あのショッキングな光景も目にしてないんだし、だから普通に笑えるし仕事も行けるしスマホでゲームだってできる。
なんて酷いことばかり考えてしまう。口がきけなくなってよかったのかもしれない。
でもあんなこと私だけで良かった、経験させたくないなとは思うし、そもそも男だからできないし。頭ではわかっているのだ。
もともと不眠気味だったのも加速して今は夜に寝れず、日中細切れの睡眠でなんとかしている。
友人とコミケへ行く途中猛烈な腹痛に襲われほぼ満員の電車のなかでうずくまって動けなくなってしまった
その時の苦しさとか恥ずかしさとかがきっかけになって
外出している時、お腹が痛くなりそうになると
視界がぐにゃ〜〜っとなるような感じになり、全身に冷や汗をかいて、
死にそう、倒れそう、ていうような気持ちに追い込まれるようになってしまった
電車に乗っている時(とくに、満員とか快速とかの身動きがすぐにとれないと自分が感じるとき)
または仕事での打合せの最中(すぐに離席できない、帰ったりする事ができない)
しばらくたってから、これはパニック発作というものかもしれないと知った。
ニートではないけど外界との接触がほぼない引きこもりみたいな生活になっている。
たまの打合せとか、友人に誘い出される食事の機会とかに、そとへでることがすごくイヤになってしまった。
最初は面倒なだけだと思っていたんだけど
やはり一時期のパニック発作をひきずっているのかもしれない。
きっと病院などへ行くほどの事でもない。
ウソをついてでも打合せを断るべきだろうか(別に直接会って話す必要など実質的には無い)
車を停めすぐにそばに駆け寄り抱きかかえた。
子猫だった。
家に連れて行こうか正直迷った。
既に家には3匹も猫を飼っていて、父が特にもう猫は飼うなといっていたし
子猫を飼える自信がなかった。
車が通らない野原に置いてみた。
やせ細った体に「みゅーみゅー」と私に訴えかける。
私はとりあえず家に連れ帰ることにした。
知り合いにねこの里親探しのプロがいたから相談してみることになった。
するとすぐに貰い手が見つかった。本当に感謝でいっぱいだった。
しかし向こうから3日間だけ預かっててくれたらという条件が来たのだ。
1時間ごとにミルクを飲ませたり目を拭いてあげたり…とにかく大変だった。
せっかく仲良くなったのにあっという間に3日が過ぎた。
3日間だけだったけど逆に3日間もいると情も沸いてくる。
先住猫と引き離すのも辛くて私は静かに涙した。
引き渡しの日を延長してくれと連絡があったのだ。
仕方ないかとその時は思ったが
後1日、後4日、後1週間とどんどん先延ばしにされたのだ。
最後まで反対だった父や家族はみんな、責任感のない人の元にこの子を渡したくない。
という気持ちで引き渡しを断り、なんだかんだでうちの猫になったのだった。
黒猫長毛のオス猫。
動物病院に連れて行ったときにやせ細っていたからわからないけど
おそらく生後2ヶ月はたっているだろうと言われた。
だから今は4ヶ月になるのかな。
今じゃ目もすっかり開いて黄色のくるっとしたかわいらしい目をしていて、
元気で…いや元気過ぎて困っている。
仲良しの先住猫も最近ちょっかい出されまくって参っているのか疲れ気味だ(笑)
それでも寝ている時と私が仕事に出かけるときのこの子は本当に可愛い。
暴れん坊将軍がすやすやとお腹を見せて寝ているのだから可愛くて仕方がない。
私が仕事に行くとき行ってしまった私を家の中からずっと目で追いかけ
「くぅ~んくぅ~ん」と鳴くらしい。私も母に聞いた話で詳しくは知らないが可愛すぎる。
のろけに来たわけではない。
”将来の夢”へと変わったのだ。
それは大きく言うと不幸な猫をなくしたい。
でも大きすぎるのでせめてうちの地域のねこだけでも救いたいと思った。
まずは近所に野良猫が増えすぎて最近では追い払われているなどという
噂もきくのでどうにかしてあげたい。
長々書く内容じゃなかったと思うけど
今朝のラジオのNHKニュースで高速道路で猫がうずくまってるニュースを詳細に読み上げてて、それって、朝の大事な時間に長時間かけてニュースで読むことか?と思った
顛末としては
対応する会社の人間がかけつけて虫取り網みたいなので捕獲しようとしたが、捕獲失敗
猫は救助車の下に入り込んだ後、最終的にエンジンルームに入り込んでしまった
どうしようもなくなったため、低速運転で高速道路から出て3kmくらいの場所まで移動した
ボンネットを開けると猫は逃げたとのことです
らしいけど
他に重大ニュースなかったんだと思えばまあ平和な証拠なんかもしらんが、そういや最近政治経済系のニュースであんまり大きな話題になるのがなくなった気がする
スキャンダルみたいなことじゃなくても大事なことを税金で議論したりしてんだから、猫なんかじゃなくてちゃんとニュースを流してほしい
みなさんはコップの水を目の前の人間にぶちまけたことがありますか?
わたしは一度だけあります。土下座している人に向かって、そのとき持っていたコップの水を全部勢いよくぶちまけました。うわっ、ますますドラマみたいだなと思いました。
すなわち、わたしには「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた経験」があります。稀有な経験だと思いますが、リアルで話すと絶対に引かれるので、致し方なく匿名ダイアリーに書いています。
どうしてそんなことをしたのか?
相手が土下座という、およそ非現実的な謝罪方法を選択したとき、わたしは強い危機感を覚えました。彼の必死さが怖ろしく、一方で、ここで舐められたら終わりだと思いました。わたしが相手を絶対に赦さないことをはっきり示し、復縁を諦めさせる必要があると感じました。
伝統的には土下座をしている相手を踏みつける方法もありますが(ドラマとかで)、現実にそれをやると犯罪なので、とっさに手に持っていたコップの水をぶちまけました。水は弧を描いて、土下座をしている相手の後頭部と背中を濡らしました。
厳密に言えば、これも暴行罪に該当する可能性がありますが、場所が自宅のリビングで相手はパジャマ姿だったので、万が一、被害届を出されても警察は動かないだろうと考えました。
相手は、土下座して謝っている最中に水をかけられるという完全に異常な状況であるにもかかわらず、特に驚く様子もなく、か細い声で「ごめんなさい。本当に反省してる。許してほしい。」と言いました。
わたしはここが正念場だと思ったので、普段は出さない大きな声で「うるさい。早く出て行け。視界に入るだけで不愉快だ。」というようなことを言いました。その夜はさすがに眠れませんでした。
その日に至るまでの3カ月間、彼はほぼ一日おきに「とても反省している。愛しているのは君だけだ。君を失ったら生きていけない。なんでもするからやり直すチャンスをくれ。」といった内容のポエムメールを送ってきていたのですが、その夜を境にピタリと止み、2週間ほどで荷物をまとめて出て行きました。
彼が去ったあと、がらんとした部屋のテーブルの上に記入押印済の離婚届と一緒に四つ折りにされた便箋が置いてあり、確か「君と暮らした10年間、とてもしあわせだった。本当にありがとう。傷つけてごめんなさい。」というようなことが書いてありました。
わたしはそれを読んだあと、すぐに鋏で細く切って他のゴミと一緒にマンションのゴミ捨て場に持って行きました。
部屋に戻って靴を脱いだ瞬間、ああ本当に一人になってしまったんだなという実感が湧いてきて、涙が溢れて止まらなくなり、床にうずくまって、文字通りわんわんと泣きました。
離婚したことについて後悔はなかったのに、それでも10年の歳月はあまりにも長く、喪失感は大きく、どうしようもなくてわんわん泣きました。
それからの一年は、これまでの人生で最もつらい期間でした。一番つらかったのは、人を信用できなくなったことです。わたしはおろかだったので、10年も一緒にいた相手が病的な嘘つきであることを見抜けなかったのです。客観的な証拠により相手が膨大な嘘をついていたことが分かった後は、誰も彼もが嘘つきに見えました。
周囲の人からは、なんであんなにいい人と離婚したのか、もったいないと責められたり、浮気は男の甲斐性だ、許せない女のほうが悪いと説教されたりしました。
離婚後も相手からは「元気にしてる?君のことをとても心配している。落ち着いたらまた会えないかな。」といった内容のメールがときどき来ていたのですが、返信せずに削除していました。
最近連絡がないなと思った矢先に、「ご報告」という妙にかしこまった表題のメールが届いて、開けてみると「結婚(再婚)することになりました。相手は妊娠しています。」といったことが神妙なトーンで書いてありました。彼が出て行ってから半年も経っていませんでした。
彼の再婚相手は、複数人いた浮気相手の誰でもなくて、わたしもよく知っている、ほんの数日前に一緒に食事をした女性でした。わたしは彼女を友人だと思っていました。お酒がとても好きなはずなのに、その日はガス入りの水しか飲まなかったので、体調が悪いのかなと少し心配していたのです。ああ、なるほど、妊娠していたからアルコールを飲まなかったのかと妙にスッキリ腑に落ちました。
わたしは、「土下座して謝っている人に向かってコップの水をぶちまけた」瞬間が一連の出来事のクライマックスだと思い込んでいたので、まだ続きがあるなんて想定外でした。事実は小説より奇なりとはこのことかと思いました。
そして、ようやく治り始めた傷口に乱暴に塩をすり込むようなことをした彼らを強く憎みました。彼らを憎んでも自分を損なうだけだと頭では分かっているのに、感情がコントロールできなくて、四六時中、彼らがしたことについて考え、彼らが不幸になるように願いました。そのときには、もうわんわん泣く余裕もありませんでした。
彼が出て行ってから一年くらい経ったある日、気が付くとすべては過去になっていました。時折、激しい憎しみの名残が発作のようにやってくるのですが、それも長くは続かなくなりました。ただ、不倫や浮気を美化する内容のドラマや小説に強い嫌悪を感じるようになりました。
彼らが不幸になったかも知りません。子どもは無事に生まれたらしいと風のうわさに聞きました。それでよかったと思います。わたしの見ている前で、彼らが不幸にならなくて本当によかった。
さっき「離婚して、わんわん泣ける女になりたかった。」というタイトルの記事を読んだら、一連の記憶がフラッシュバックしてつらくなったので、気持ちを静めるためにこれを書きました。
自分の経験に照らすと、記事中できれいごとを言っている元夫は嘘つきで、本当は慰謝料を払わずに離婚して他の女性と再婚したいだけなのではないかと感じましたが、そんな風にうがった考えを持つことは人を幸せにしません。
(追記)ウザがらされない→ウザがらせられない ですね。日本語が不自由になってました。恥ずかしい。
後、importuner と Un porc, tu nais がどちらもアンポルチュネで発音同じことに言われて気づきました。これも恥ずかしい。
そして、さらに恥ずかしいことに、最後の段落抜けてました。大急ぎで追加しました。
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ちょっとフランス語を翻訳してみたくなったので、最近の増田の流れで、一つ記事を訳してみました。
Leïla Slimani (レイラ・スリマニ)というモロッコ出身のフランス人女性作家の Liberation のサイトに昨日掲載された«Un porc, tu nais ?» (「あなたは、豚として生まれたの?」)という記事です。
なんで、これを訳したかというと、先の「ウザがらせる自由」が、何やらフランスを代表するもの、英米系からのmetooブームに対する、大陸系からの批判みたいな取られ方をしている向きがあったからです。全然そんなことありません。twitter を見る限り、あの記事叩かれまくっています。
現在も、テレビの討論番組で、Brigitte Lahaie という元ポルノ女優(あの記事の署名者の一人です)が「レイプの最中だって、楽しめるわ」と発言した件で、絶賛大炎上中です。(この発言が、あの記事の後半部につながっているのは明らかでしょう)。
フランスでは #metoo に加えて #balancetonporc というタグは使用されていて、意味は「あなたの豚野郎を叩き出せ!」です。ものすごく攻撃的ですね。Le Monde 誌の記事はそんな流れの中でのカウンターとして出されたもので、まぁ、要するに両者ヒートアップしてるってことです。
「あなたは、豚として生まれたの?」は明確に「ウザがらせる自由」に対する反論として書かれています。いくつかの言い回しが、あの記事から来ているので、増田での訳語にその辺はあわせました。この記事の文脈では「ウザがらせる」は生ぬるい気もしますが。
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(追記)ブコメで指摘がありましたが、あちらの翻訳は「ウザがられる自由」でしたね。完全に見間違いをしていました。
でも、これはしょうがないところがあって、原語 importuner は他動詞の能動形以外のなにものでもないので、まさか受動形で訳しているなんて思わなかったのです。
「ウザがらせる」が正しいです。
「不器用・勘違いから来る過失のニュアンス」は日本語訳から生まれたものであって、原文にはそうした解釈の余地はありません。
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小説家による平明に書かれた文章なので、致命的な誤訳はないと思いますが、気づいた点があれば、じゃんじゃん指摘しちゃって下さい。
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通りを歩く。夕方、地下鉄に乗る。ミニスカート、胸の広く開いたシャツとハイヒールをはく。ステージの真ん中で一人で踊る。派手めの化粧をする。ほろ酔いでタクシーに乗る。半裸で草むらで伸びをする。ヒッチハイクする。深夜バスに乗る。一人旅をする。テラスで一人グラスを飲む。ひと気のない道を走る。ベンチで待つ。男を誘い、意見を交わし、歩き続ける。イル=ド=フランスの人込みに紛れる。夜勤する。公共の場で子どもに乳をあげる。賃上げを要求する。
こうした、日常的で平凡な生活において、私はウザがらせられない権利を、そんなことにかかずらわされない権利を要求します。 私は、私の態度、私の服装、私の歩き方、私のお尻の形、私の胸の大きさについて、とやかく言われない自由を要求します。私は、私の平穏と孤独の権利を、恐れることなく前に進んでいく権利を要求します。私はただ、内的な自由だけを求めているのではありません。私は、外での、広々とした場所での、私もまたその片隅を占めている世界においての自由を求めているのです。
私はちっぽけな壊れやすい品物ではありません。私は守られることを求めているのではなくて、安全と尊重についての私の権利を認めるよう求めているのです。そして男性たちは、皆が皆、豚であるわけではありません。そんなことは全くありません。この数週間、どれほどの男性たちが、彼らの能力でもって、今起こっていることを理解し、私を魅了し、驚かせ、大喜びさせたことでしょう。どれほどの男性たちが、もう加担することをやめ、世界を変え、これらの行為から、彼ら自身をもまた解放しようとする意志を示してくれることで、私を驚嘆させたことでしょう。
というのも、例のいわゆるウザがらせる自由は、その奥底に、男性性についての極めて決定論的な見方を隠しているからです。すなわち、「あなたは豚として生まれたのだ」と。
私の周りの男性たちは、私を侮辱するものたちに対して、怒り、抗議してくれます。朝8時に、私のコートに射精した誰かに。私の出世に何が必要か理解させようとした上司に。研修の対価にフェラチオを求めた教師に。「キスしないか?」と尋ね、「淫売」扱いして去った通行人に。
私の知っている男性たちは、この男らしさについての反動的な見方に、うんざりしています。私の息子は、そう私は希望するのですが、きっと一人の自由な男になるでしょう。その自由とは、ウザがらせる自由ではありません。制御できない衝動にとりつかれた捕食者としてではなく自分を定義する自由です。私たちを魅了した男たちが持っているようなたくさんの素晴らしい仕方で、魅了することのできる一人の男に、息子はなるでしょう。
私は一人の犠牲者ではありません。しかし何百万もの女性たちはそうです。これは事実なのであって、道徳的判断やそうした女性たちを(犠牲者として)本質化するものではありません。
そして、世界中の何千もの街の通りを、うつむいて歩いている全ての被害者たち、付け回され、ストーカーされ、レイプされ、侮辱され、公共の場で場違いなものとして扱われている彼女たち、その恐怖が、私の中で瞬きます。うずくまり、恥じている彼女たちの、辱められたという理由で通りに投げ出され除け者になった彼女たち、彼女たちの体がウザがらせる行為を招くからという理由で、黒く長いベールに隠させられている女性たちの叫びが、私の中で響いています。
カイロ、ニューデリー、リマ、モースル、キンシャサ、カサブランカの通りで、歩いている女性たちは、失踪、誘拐そして(下心ありの)慇懃さを心配しているのではないでしょうか?彼女たちに、誘惑し、選び、ウザがらせる権利などあるでしょうか。
私は、いつか、娘が夜中に通りを、ミニスカートと胸の開いたシャツを着て歩き、一人で世界旅行をし、真夜中に何も恐れることなく、そんなことを考えることもなく、地下鉄に乗れることを望みます。その時、彼女が生きるその世界は、清教徒の世界ではないでしょう。私は確信しています、それはより正しい世界、そこでは愛と歓びに満ち、魅了し合う場だけが、より美しくより豊かである世界になるだろうと。それはまだ想像すらできないものだけれど。
http://www.liberation.fr/france/2018/01/12/un-porc-tu-nais_1621913