はてなキーワード: うずくとは
年末の忙しさから解放されて気が緩んだのか、冬休みに入ってから急に体調を崩してしまった。
30代一人暮らしの風邪はなかなかにツラいものがあるが、まあ寝ていれば治るだろうと特に何もせずごろごろしていた。
本来であれば1/1には実家に兄弟家族が集まるのだが、今年はパス。メールだけして携帯も放置していた。
1/1の夜、急な来客があり何かと思ったら母親だった。
電話をしたのだが出てくれなかったので、連絡も取れないくらいヤバいのではないかと思い飛んできたとのこと。
ごめん寝てた。そこまでじゃないよ。とぶっきらぼうに答えながらも、片道2時間をはるばる来てもらったことに申し訳ないようなありがたいようなことを感じていた。
んが
入口すぐ横の洗面台に大型オナホールが思い切り干してあるのに気付く。(リアルボディシリーズのどれか)
ヤバい。
来てくれたのはありがたいが、風邪をうつしてしまうと悪いので気にせず帰ってくれないか。と、2時間はるばるミカンと水を持ってきてくれた親に言ってしまう俺。
掃除でもしていこうか、などとぬかす母親。いいからいいからと突っ返そうとする俺。
軽くひと悶着あったのち、そのまま追い返すことに成功した俺。ああよかったよかった。
聡明でかわいらしい、素敵な彼女だった。
酔狂にも俺というオッサンを選ぶくらい、独特の価値観を持つ女性だった。
おまけに脳内存在ではなく、実在しているときた。二次元相手にすら恋愛という感情を覚えることができないままぶくぶくと肥ったオッサンには過ぎた幸福であった。
三十路半ばに降って湧いたように訪れた初恋は一年と少しで消えていった。
仲違いではないし、ケンカをしようといっていたけれど、それも楽しみにしていたけれど、結局できないまま終わっていった。
わかっていたことだが、未来よりも過去が強く、彼女は聡明でやさしく、俺は弱かった。
「いつか、彼女が俺に愛想を尽かすだろう」と、非モテのオタクらしくビクビクした卑怯で惰弱な予防線をはりめぐらせ、それでも卑屈にならぬようにつとめて一年を過ごした。
それは思い返しても幸福で濃密な一年で、一人で過ごしたこの一年はただネトゲとソシャゲの数値を漫然と増やすのと同じ時間であることがにわかには信じられないほどであった。
我々は遠距離であったから、一年の間にともに過ごしたのは実質3週間かそこらといったところではなかろうか。
俺は身に余る幸福を、軽々に疑うことなく、その一瞬をひとつづつ大切に味わい、決して忘れないようにしようと思ったのだ。いつか失われるものだと予感していたから。
別れを告げられる前の、楽しそうだった最後のデートで時折見せた憂いの表情で確信にかわった。
もちろん決裂を回避すべく、さまざまな方策が取られた。しかし、竹ヤリで飛行機は落ちない。俺にできることはこの先のお互いの平穏を用意することしかなかった。
万全の心の準備があった。
傷付かずにいられると思った。
やせ我慢などではなく、こんな甲斐性も主体性もない男に生まれてきたことを感謝させてくれてありがとうな。なんて思っていた。
愛想をつかされたわけではない、しかし、どうしても避けられぬ別れを。一緒になるには俺が俺であること自体が障壁になる理由を、来るべき三行半をLINEでしぼりだすように送られたとき。
ここからの余生が決定された。
このハッピーにもほどがある一年を思い返し、少しずつキャラメルをなめるように溶かしながら生きていくのだ。
それはそれで悪くないと、口を半開きにして漫然と生きてきた自分には身に余る幸福なのだと本気で思った。
恋をしたことがないオッサンは、恋に免疫はなかった。ぶっちゃけ甘く見ていた、ひどくナメていた。今自分にとりついている無情感、寂寥感、つかれ、首の凝り、残尿感、就寝後喉から込み上げてくる胃液で灼ける喉、そういったものは一時的な症状で、一年もたたないうちに治るのだと。
そうしたら、突然推しが自分ちの台所で白米を炊き始めたのを目撃した女子のごとき切ない声をあげてうずくまるようなこともなくなるだろうと軽く考えていた。
これは失われゆくときに効果を発揮し、一生をかけて宿主を食らう猛毒の類であることに。オッサンはようやく最近気づかされてしまった。
余生のはじまりであったこの一年は短いが、人生を支配するには十分な期間だった。
一年には四季があった、ふたりでいろんな話をしながら、様々なところにでかけた。おそらく、ほかのつがいたちがそうするように。我々もさんざんそうした。行こうと約束したきりの場所が、いくつもあった。
ひょんなところで、どうしても、少しのきっかけで思い出してしまう。
つきあっている間から、ちょっとした瞬間にこねくりまわしていた甘い思い出たちが、刃を剥いてオッサンのやわらけえ心をズッタズタに切り裂いていくのだ。
お揃いで買ったボールペンを筆箱から取り出したとき。町中でてんぷらそばの香りが漂ってきたとき。美しい紅葉を見たとき。バスの中が閑散としていたとき。Twitterにネタ画像を貼ろうとしてカメラロールをたぐったとき。カップル用の写真置き場として導入したアプリに「もう別れた」と告げることもできないままだったから「つきあって2年目ですおめでとう」という通知が臆面もなく画面に現れたとき。テレビにサメがでてきたとき。花火の音を聞いたとき。モネの絵を見たとき。映像の世紀のテーマソングが流れたとき。海。いきつけの居酒屋。空が透き通るように青かったとき。ふたりで行こうと話していたその場所への旅行記。机の引き出し。
容赦なくそれらにまつわる我々のイベント一枚絵がフラッシュバックしていく。
思い出がたのしかったほどに、もはやそれらが二度と訪れないことを突きつけていく。無能で怠惰だった自分を上っ面だけなじって、甘い記憶の反芻にくたびれる。
そして文字通りくたびれたオッサンは何度目か忘れた記憶の反芻の果てに、ふと気づいてしまう。
たった一年だ。
たった一年でも、強い記憶でも、そのすべてをわすれないように目に、鼻に、耳に、手がかりをのこして脳の一番とりだしやすい引き出しにこうしてしまいこんだつもりでも。
どうしたって、あせていくのだ。あせていく割に、思い出したときのダメージは軽くなりはしない。ただうすくらがりの割合が増していき重くなっていく。
なんて意味のない自問をして、やめて、また自問して、夜が明ける。
どうすればこの変質を止めることができるのか。
高校生のうちになやんで置くべき事をいまさらやりはじめているから、だれもその無意味な思索を止められない。
俺の印象に沿って変質した思い出を、きっと刻み込んだ瞬間から変質しつづけているその代替品を、いつまで、いつまで舐め続けることができるのか。俺が改竄したのは、いったいどの部分か。彼女の行動か、表情か、懊悩か、それらを突きつけられまいと先手をとって口先で蓋をしていった愚かで卑しい自分の行動か。
傷つけるかもと言おうとして言えなかったうわっつらの言葉か。
いや、それに妥協する自分を、自己愛を自覚していますみたいなメタい達観視点で、別の自分を用意したあげくのいぎたないマウントをキメる惰弱な自分への嫌悪感だ。
こんなものが、二度とこない、見ることのできない美しい追憶の邪魔をする。
しかしこんなものがなければ俺はきっと、こんなこともわかりはしなかった。
冒頭で「フラれたときに、余生を決定した」と言った。
20代のはじめに自分というハードウェアの脆弱性に愕然とした自分は、ここより余生という看板を高々とかがげ、レールにトロッコを設置してゆっくりと坂を下りはじめた。山にぶつかるまでが人生だと割り切ってみると、けっこう空は綺麗だったし、白米は噛むと甘かった。
思い出じゃなくて、君と君と一緒にいる自分自身を。
なんて、ありあわせの後悔を口に出せば、どうしたって、安っぽくなる。
感謝の言葉を書き連ねたいが、それここでやるにはあまりにも浅ましすぎる。
誰の目にもつかず埋もれるか、「貴様の贅沢な懊悩など見る価値ないわ」と吐き捨てるように扱われたいだけなのに。
そうでもされないとやっぱりやってられないくらいにただひたすらに、いまだに、恋しさだけが、こびりついていく。
こんな寒い日に、さびれた地方都市のビジネスホテルで、小さなシュトーレンを分けて食べた。
みんな! 現実には存在しないキモオッサンの気持ちになって書いたキモポエムをここまでよんでくれてありがとうな! 愛してるぜ!
それからずっと一生続く苦しみの中で必死にもがいている私とその元投稿の人似てるなぁと思って。
最近、そうやってもがいている人を自殺に見せかけて殺すという嫌な事件がありました。
その人がもしも変な人に引っかかって自殺してしまいたくなったら私は泣くから、ここに出来る限りのことを書きます。
死なないでね。
私のこと信じられなくてもいいから死なないでね。
苦しかったら助けを求めてね。
てか、あの投稿をした時点であなたは助けを求めてるし、それに応えてくれる人はいるよ。
助けに来てくれる人、実はいるよ。
昔の私
誰のことも信じられなかった。
だって道行く人は自分のことが可愛くて、『助けて!』の言葉さえも言えずにただ泣いて殴られ続けている私を見捨てて去っていったから。
母のことも信じられなかった。
私が家の前でいじめっ子に首筋にナイフを突きつけられているときに、
何もできなかったから。
当時鉛筆削りとして使われていた折りたたみ式のプラスチックケースが着いていたもの。
肥後守に似てるけど、それよりももっとチャチな、当時の小学生が普通に買って使ってたようなもの。
もう机にくくりつけて使う大型の安全な鉛筆削りも普及していたけど、
そんなチャチなナイフでも首筋に突きつけられたらそりゃ怖い。
頸動脈の近くだったし。
今の私だったら当時の母やそう、近所のおばさんもそばにいたけど、手を出したら私に命の危険があるから何もできなかったってわかるけど、
当時の私にそんなことわかるわけがない。
助けてもらえなかった
それしか頭に残らなかった。
もうさ、朝は近所の子なんかと一緒に登校できるから怖くなかったけど、
安住の地とは思えなかった。
まあ色々ありました。
本当に誰のことも信じられないから、成人して仕事についても同僚のことが信じられないのね。
全部悪い方に捉えちゃう。
よくニュースでいい人が出てきたり、仲の良いクラスの話が出てきても、
同じ世界のこととはとても思えなかった。
とてもじゃないけど信じられなかった。
(念のため。
今そのナイフは持っていません。
持ち歩くのをやめてからも保管してたけど、自分にはそのナイフを使う資格がないと思ったので警察に持っていって正式に処分しました)
私がナイフを持ち歩いていると知ったとき止めてくれた人がいましたが、その人のことも完全に信じたわけではありませんでした。
でも一応、持ち歩くのはやめました。
本当に誰のことも信じられなかったのよ?
誰も私が困ったときには助けになんて来てくれない、そう思い込んでいました。
そのとき、アレって思ったのね。
あれ?あの人たち本当に助けてもらえてる。
すごくビックリした。
もしかしたら声を上げたら助けてもらえるの?って生まれて初めて思った。
その直後に起きたのが地下鉄サリン事件でね。
ショックだった。
私は人を信じられないけれど、それでも自分の子供時代と同じような思いをする人が出ないように、自分だけは助けるんだ、助けることでちっちゃかった頃の私も喜んでくれるに違いない、そう思って仕事を選んでいたから。
その仕事は脳の研究をする人たちのお手伝いで、生活できるようなまともなお給料なんてもらえていなかったけどね。
でも、必死になって働いてた。
その私と教祖が合わせ鏡のように見えたのね。
別の言い方だとドッペルゲンガー。
鏡のお化けかな。
ほんのちょっと砂一粒分違っていたら、私はこの人になっていたのかもしれない。
その時、それまでの自分が壊れました。
それで初めて人に助けてと言いました。
それまで自分が心の中で憎んでいた恵まれた頭と恵まれた環境にいた人に助けを求めました。
信じてはいない人に助けを求めました。
それからいろんなことがありました。
どの土地も私には故郷よりも優しい人が住んでいるように感じました。
しがらみがないから新鮮な目で見られたのでしょう。
初めて人を信じることを覚えました。
で、もう大丈夫だろうと思えた頃、故郷に帰ってきたのだけれど、やっぱり昔の傷がうずくの。
それでも私が子供の頃から比べると通学路は随分と安全になっていました。
大人があちこちに立ってて、通学中に襲われる心配をする必要はないように思いました。
それでも傷はうずく。
精神安定剤が欠かせません。
なんで自分をいじめた人間が苦しむのではなくて、私が苦しまなくてはいけないのか!
道端でベルトをムチ代わりにしてぶたれていたときに、家の中から飛び出してきて助けてくれた人がいたの。
吐けば助けてもらえるとでも刷り込まれたか、苦しくなるとそれ以降吐くようになっちゃいましたが。
最悪の結果にならずに大人になれたのはその時のことがあったからかもしれないと思うことがあります。
お前は助けてもらえたじゃないか、自分はそんな経験ないぞ!って思ったでしょ?
違うからね。
あなたの投稿を読んで、どれだけの人がブックマークしたと思ってる?
助けてもらえないなんて嘘だからね。
信じられなくてもいいから助けは求めなさい。
助けは来ます。
効果があるのか、それとも逆効果になっちゃったらどうしようなんてことを考えながら、必死になって言葉を紡いでる。
気づいてください。
助けは来ます。
でもって傷ついたままでも、
生きていけます。
とりあえず、酒飲んで精神科の薬っつうのはやめて、
私が今やってるみたいに増田に書き込んでもいいと思う。
毎回じゃないだろうけど反応があるかもしれない。
本当に助けは来るのよ。
うつヌケ?
そんなもん信じられなくてもいい。
助けは来る。
それでも信じられないなら、自分が人を助ける側に回れ。
そうしたら少なくとも例数1確保できるから。
何度でも言う。
助けは来る。
自分自身のことさえ信じられなくてもいい。
それでも助けは来る。
私のことも信じられなくてもいい。
それでも助けは来る。
だから助けを呼ぼう!
タイトル通り。
別に会社がつらいわけじゃない、というか会社はサイコーなんだけど、自分があれすぎて死にそうなので、ちゃんと働くためにもいくことにした。
希死念慮は正直自分でもよくわかってないんだけど、夜中に突然自分が嫌になってしにたさで眠くても眠れなくなったり、駅で立っていられなくなってうずくまって号泣したりする。わりと辛い。
ADHD傾向については昔から自覚があったものの、就職前は同居していた両親がそういうものへの偏見がつよくて行けなかった。怠け者だと言われてきたけど、怠けたかったことなんてなかった。
最後に不眠。さっきもいったけど夜になると寝れなくて昼になるととたんに眠気がくる。仕事ミスりまくる。すげー辛い。
もし会社の上司にばれてクビになって実家にかえるしかなくなったら死ぬつもり。
慣れないイベントとかで頑張って笑顔でみんなに対応してくれてありがとう。人見知りだからファンとはいえ全く知らない赤の他人には面白いことなんて何一つ言えないような不器用な性格だけどそんなところも好きです。何百人も対応するのは本当に疲れることだろうに笑顔の写真をSNSにあげてくれてありがとう。またやりたいです、って嘘でも言ってくれてありがとう。接触では基本的に8割「ありがとうございます。」ばっかりだしそっちから話を振ってくれたりなんてもってのほかだけど一人一人目を合わせて丁寧に対応してくれようとするのが伝わります。ありがとう。舞台はどんなものでも真面目にやってくれてるよね。舞台によって多少やる気というか、熱量の差はやっぱ違うんだなってSNS見てると感じるけど、本番は全力でやってくれてるのがわかります。ありがとう。ファンからのプレゼント使ってくれてありがとう。よく同担たちも喜んでるよ。服が部屋に溢れかえっていないか少し心配だけど。自撮りは好きじゃないらしいのに謎自撮りをあげてくれたりすることろも推せるなって思うよ。
でもね、例えば「地方から来ました!」って言うとさ、みんな「わ、ありがとうございます〜」って言ってくれるじゃないですか。いや有難いよ、有難いしこっちが好きでやってることだからそんな言及することじゃないけどさ。そんな遠くから来てくれるファンが自分にもいるんだなってホクホクしてくれてるかどうかは分からないけどさ。
君に一目会うためにさ、こっちは朝早く起きて、または深夜に夜行バス乗って、お尻や背中や腰をバキバキにしつつ東京に着いて、バスじゃよく眠れないから寝不足で頭グワングワンさせながら東京歩いて、早朝とかに着くと時間有り余るから体調不良の状態で漫喫やらマックやらでうずくまりながら時間潰して、知らない道を地図頼りに歩いて、イベントや舞台が終わればまたすぐ長い時間公共交通機関に揺られて帰るんだ。腰背部はマジギレ寸前だしお尻は怒りを通り越して呆れてる。そんな感じ。家に着く頃には体はボロボロ。でも次の日は普通に仕事だったりして。
「遠くからありがとうございます」って言ってくれてありがとう。でも、本当にそう思ってる?私がお金や魔法を使って楽にピョーイと東京に来たと思ってない?なんだかんだ地方から来てるんだって実感わいてないでしょ?いやそれはまあ仕方ないとこもあると思うんだけどさ。
私は君がイベントとか舞台とか、誠実に、真面目に、喜んでやってくれてると当たり前に思ってるし。推しは私たちファンがプレゼントとかチケット確保とか、好きでやってくれてるというだけでその裏苦労してお金注ぎ込んでるとまでは多分思ってない。
見てないだろうけど見てるか。推し。君に何千円も何万円も使うことが当たり前じゃねえからな。日々死にたい死にたいと思いながら働いたお金を君に投資しているんだ。時間を体力を、君に使ってるんだ。分かってるのか。意識してくれてるのか。君は人間だし、何なら私たちも人間だ。君と同じようにバックグラウンドがあって今の生活がある。例え無意識だとしても、「自分にお金をかけてくれる人たち」という認識で、括りで、見ないでくれ。それはそんな簡単なことじゃないんだ。大変で難しくて、でも君にその価値があると信じてるからやってるんだ。
けどこれが全てファンのワガママだというのは重々理解している。
私たちからすれば推し1人へ向ける意識だけど、推しからすれば何百人のファンのバックグラウンドを理解しろだなんて酷な話だ。一体どれだけの人の生活を背負えばいいのって話になる。
そしてファンも推しも出来るだけ綺麗な部分だけを見せ合いたいと思ってる。そんなデュエルの中で、裏の泥臭い部分も察して労われよ、なんて無理難題。
推しを心労で潰したいわけでは毛頭ないのに、心のどこかで駄々をこねる自分がいてしまう。
推しよ、一つだけ、一つだけ忘れないでいてほしい。知ってほしい。
類稀なる音楽の才能を持った友達Aが大学をフェードアウトした。
さっきAのマンションに行って来て遠方から駆けつけた親御さんと話したけど、Aはずっと布団にうずくまってシャドウバースをやっていた。俺が話しかけてもウンともスンとも言わないし、親御さんが話しかけてようやく「あぁ」とか「うん」とか話すレベルで話にならん。あんな抜け殻みたいな人間は初めて見た。中学の友達に鬱になった奴がいたけれど、それとはまた違う。Aは呼吸とシャドウバースしかしていなかった。
ギターの類稀なる才能を持っていた。
ファンクが大好きで俺はAのギターが正直好きではなかったけれどその腕や才能には舌を巻いた。中学生の頃からギターを初めて、ずっとオリジナル曲を書いてきて一応腕には自信があったけれど、あらゆる意味でAには勝てないと思った。
何より顔が良く、ギターの腕もあり、人を惹きつける魅力があるAは女によくモテた。
人としていいやつとは言えないし、バンドマンらしいクソ野郎だし、わがままで人を振り回すのが好きな奴だった。
歩くスター性のような男だった。
授業の感想のレポートを一緒に2日徹夜して丸々曲にし、提出した事もあった。
俺はなんとなくこいつはきっとギターで人生食って行くんだろうなと思っていた。
Aが学校に顔を出さなくなったのは1ヶ月前の事で、夏休みが明けてからのことだった。他の友達が心配して家を訪ねても家の電気は点いているけれど本人は出てこないという事が続いた。
クレジットカードの支払いが払えずサラ金から追われてるから玄関を開けないなんて噂もまことしやかに囁かれた。
親も教授も教務課も電話した。だけどAは一切レスポンスを寄こさなかった。
大学祭のライブが近づけば音楽に誘われて出てくるだろう、とも考えたけれどそれでも駄目だった。Aのいない大学祭は卵の無いチャーハンみたいだった。
大学祭が過ぎ、俺は痺れを切らしてAを心配していた&金を貸していた他の友達と教務課に乗り込み、Aの親御さんを越させる事に成功した。これが、昨日のこと。
今日、親御さんと少し話した。Aは大学にはもう二度と来ないらしい。お父さんも、お母さんもAに似てとても整った顔立ちをしていた。急いで来たのか2人ともラフな格好だった。服装もAに似ていた。
俺はAに貸していた現金1万7000円とブルースドライバーを親御さんから受け取り、その金でAとよく行った店で台湾ラーメンを食べて帰った。Aの車は何故か俺が引き受ける事になった。
Aがなんでこうなったかわからない。だれか詳しい人教えてくれ。Aはどういう病気なんだ。治るのか。
2ヶ月前にAがポムポムプリンをギターのボディに挟んで笑顔で弾いている写真を撮った。2ヶ月前までは普通だったんだ。
誰か教えてくれ Aを返してくれ
もともと、反射神経が悪く、車の運転なんてもってのほかだなぁ、と思ってたんだけど、友達が免許取るので一緒に取りに行った
なんとか、一段階は受かったけど、路上に出る前日、どうしようもない不安に襲われて、よく眠れなかった
音楽を聞いたり、水を飲んだり、友だちと話したりして、気を紛らわせていたが、乗車した途端、汗がダラダラでできて、体中が震えて、過呼吸ぎみになってしまった
それでも、教官は「だいじょーぶ、おちつて、ね?」というばかりで、路上に出ようとするから、「ごめんなさい!私無理です!!」と泣きながら叫んでしまった
教官は、「じゃあ、教習中止するから、降りて」と事務的にいって、私をロビーにおろした
わたしは、全身が震えてうまく息ができないのに、なんかキャンセル料だの、次の予約だの、の説明をしてくるのでうずくまって、わんわん泣いてしまった
けっきょく、事務のお姉さんに介抱してもらって、その日は一人で帰りました。
そんな私も、今では車でお買い物できるまでになったので、みんなも車の免許とろうね♪
結婚後の性生活について「そんなの知らなかった、想定外だ」という思いが強い。
男の人は定期的に出さないと溜まるらしい、とかいうあやふやな知識があっても、適当に一人で処理するんだろうって思ってた。
もちろん一人でもしているようだけど、3日から一週間性的な接触がないと辛いらしく、できるならば私に相手をしてほしいと言う。
セックスレスが離婚事由になることは知っていても、ここまで相手をしないといけないなんて知らなかった。
(みんな知ってる?!)
ちなみに私は夫に会うまで男性経験がなく、セックスについては夫に全て教えてもらった。
結婚してすぐに妊娠したが、妊娠中も求められるなんて想定していなかった。
私自身、妊娠中も性欲が無くはなかったのでそれなりに応じていたが、断ることも多かった。
手でも口でもいいからと言われるけど、それも体調や体勢的にしんどかったりする。
妊娠にともなう体調の変化、辛さなども口に出して伝えてはいたが、それでも溜まるものらしく、機嫌が悪くなったりしていた。
しょうがないからこっちから「しようか?」って声かけるけど、ご機嫌取りのために持ちかけてる感じが否めない。
それでもいいの?って聞くけどそれでもいいらしい。
産後にいたっては子育ての大変さもさることながら、性欲が消え失せてしまい、会陰切開した部位も引きつるし、
中も変化してしまったのか感じにくくなって、セックスに応じるのが苦痛だった。
とはいえ、まったく応じないのは悪循環になりそうで、努力が必要だと感じてなるべく応じてきた。
ついには、自分が持ちかけたときに拒否されるとダメージが大きいからと、
できる、もしくはしたいときには私の方から早めに言ってほしいと言い出した。
「じゃあ今晩しましょう」「今日は手で」「今日はそのまま寝るよ」なんて毎日表明しないといけないなんてどうかしてると思う。
自分は性欲が強いわけではないが、それなりに身体がうずくし、セックスも嫌いではない。
すれば、夫をより愛おしいと思うし、関係もいい方向に回るのでコミュニケーションの一つとしても必要だと思う。
最近はもとの感覚が戻ってきたし、子育てに余裕もできてきたので、一週間に一度は、と心がけている。
とはいえ自分の気分が乗らないときは、もはや奉仕や義務感で相手するんだけど、男の人ってそれでもいいの?
追記
随分赤裸々なことを書いてしまったが、こんな相談誰にもできないので、思い切って書いてみてよかった。
補足として、夫は子育てにもよく参加しているし、家庭の運営にも協力的で、夫婦間での話し合いもよくできている方だと思う。
セックスは無理強いされることはないし、独りよがりなところもない。
溜まると一人で処理しているようだが、できれば好きな人と触れ合いたいんだそうだ。
夫のことは今でも愛しているし、私に欲情してくれるのは嬉しい。
結婚前のようにのめり込めたら、変わらず体のコミュニケーションも取れたらと思うのに、気持ちと身体が付いてこない。
したくないわけではないが、ムラが激しく、日課、習慣のようになってくるとしんどいのだ。
手や口でもいいと言われても、淡々と作業のようにこなすことも拒否感があり、気持ちよくなってもらうために奉仕するとそれなりに疲れる。
夫としては0か100かで、しないならもう今後全くしないで、諦めて気持ちを切り替えたい。
セックスの余地がある状態は期待してしまって生殺しで非常に辛いんだそうだ。
なお、私は外注について肯定派で、浮気も分からないようにしてもらったらいい。
本気になったら気持ちは戻ってこないだろうから、そうなったらしょうがないと思っている。
それは伝えているが、性格的に無理なんだそうだ。
夫は今40代前半、私は30代前半で、これがいつまで続くのか、というのが正直な思いではあるが、
セックスレスになってしまったら、乾いた関係になってしまうのではという恐れもある。
皆さまの意見を拝見した今、家事が面倒な日もあるけどやらなきゃいけないように、
追突と言ってもごく軽いもので、とっさのことでよくわかってはいなかったけど車の先端がかかとにぶつかったくらい。
痛くてびっくりして数分起き上がれなかったくらいだし、血はほとんどでなかったし、軽いすりむけができたくらい。ただ、10cmを超える大きい青あざができそう。
車道を歩いていたわけではもちろんない。駐車場の先、研究棟の裏口へ向かう小道を歩いていた時のことだった。
正直言って、車がそこまで侵入している状況ってみたことなかった。行き止まりだし。表玄関ならいざしらず裏口だし。
だから、後ろから車や自転車の類がくるとは想像していなかった。
こちらの過失。イヤホンで音楽をきいていたこと。ただし、同じ音量で音楽をながしたままコンビニで買い物をしてみたら全く聞きづらいようなことはなかったので、音量が非常識に大きいということはない、はず。
考え事をしながら歩いていたので、ぼーっとしていたのはあるかもしれない。
ただ、ぶつかってきた車の運転手がまったく申し訳なさそうなそぶりすらしなかったのがいまさら無性に腹が立つ。
私と車の進行方向は同じだったから、死角だったというようなこともない。うずくまってる私を横目に、バッグで後退していってさよならされてしまった。
ある日、男友達であるMにようやく彼女ができた。最近女友達に聞いた話だと、その彼女と近々結婚するそうだ。本当におめでとう。
私とMは、ある友人の紹介で出会った。友人に誘われて居酒屋に行ったらその場にいたのがMだった。彼氏を作ろうとしない私を心配して、友人がセッティングしたのだと後から聞かされた。あの時は気遣いに応えてやれなくてごめんと言いたい。
恋愛に興味がない人間がいるのかと聞かれると、いる、としか答えようがない。多分、神様みたいな何かが、私に大事なものを入れ忘れたのだと思う。人間の本能みたいな、そういうもの。性欲も、子どもが欲しいという気持ちも抱いたことがない私にとって結局のところ恋愛は無意味だと思い込んでしまったのか、いや、そもそも全く恋愛感情がないだけなのか。とにかく、恋を知らないまま今まで生きてきてしまった。まともな人間にはなり損ねたけれど、一応自分という存在ではありたくて、ある夢を見つけた。その夢のために生きてきたし、こんな欠陥人間でも良くしてくれる人はいるから、別にそのことを寂しいとは思わないけど。
Mとは初めて会った時から不思議と波長が合った。居酒屋の帰りに連絡先を聞かれたけれど、彼氏とか欲しいと思えないからそういうのならごめん、と言ったら、男友達もいらないかと聞かれた。本当にいいの? と尋ねたら、めっちゃいい友達になれそうだからって笑っていたよね? ……これはちょっと創作だったかも。 ごめん、よく覚えてない。でも確か、こんな感じだったと思う。
勿論彼女なんかじゃなかったから、いつも割り勘で、お互い暇をしている休みがあれば行きたい所を言い合って、どこへだって行った。海も、山も、街も。路地裏を探検していたら迷って、いつの間にか夜が明けていたっけ。
本当に長い間一緒にいたけど、恋愛とか、そういうことには一度もならなかった。夢を語り明かした夜も、もう歩けないと二人して道路にうずくまった夜も、並んで星を眺めた夜もあった。それでも二人の距離はいつだって15cmは空いていたし、その体温に触れたことはたったの一度だってなかった。服の裾を掴んだ試しもない。あんなに沢山のことをしてあげたし、してもらったけれど、私も結局恋愛としての好きは分からないまま、静かにこの関係は終わりを迎えた。
いつも彼女がほしいとこぼしていたM。そんなMに彼女ができたのは、出会って二年くらい経った日のことだったと思う。
「彼女できた!」ってメールがきて、「マジか、おめでと!」って返した。本当に嬉しくて、よかったなぁって心から思った。それから、もう会えないのだなとも。あまり寂しくはなかったと思う。もう、二、三度経験してきたことだったから。
連絡をもらって、いつも待ち合わせをしていた駅に急いで向かった。いつも通り、ニューデイズにいるよってメールがきて、私もはーい、って返信を書いた気がする。例の背中を見つけて、その振り向きざまに、もう会えないと伝えたら、分かってると困ったように笑ってくれた。そうやってこれまでも男友達と別れてきたのだと伝えていたし、君に彼女ができてもそうするとずっと言ってきたから、ちゃんと分かってくれた。彼女可愛い? って聞いたら、めちゃくちゃ、って照れたみたいに笑っていた。好きな人にはそんな顔するんだ。私には一生できない笑顔だなって思った。それから、幸せになったらいいなとも。これで終わり。そのあとは知らない。連絡先を消したわけじゃないし、連絡を取ろうと思えば取れたけれど、幸せの絶頂にいる彼にわざわざ伝えることもなかった。向こうもそれを分かっていたのだと思う。お互いどこかで幸せになっている友人一人に、執着する必要もないのだから。何となく切なかったのは、女友達が電話も繋がらない海外に移住してしまったときのそれと全く相違なかったはずだ。
今でも恋愛はしていない。来月はインドネシアに行く。夢はもう少しで叶いそうだ。それが叶ったらどうなるのか、今はまだ分からない。叶ったところで何も変わらないのかもしれない。そうしたら、また夢を見つけて一人で歩いて行くだけだ。勿論、いつかできるものなら恋愛ってやつもしてみたい気がする。
男友達との出会いは私にとっては別れでしかなかったけど、それでも出会わなければよかったとは思わない。別れなくてはいけない大切な人であったっていうだけで、特にMとの出会いは、私の人生においてとても幸福な二年間をくれたと思うから。
私のこと、女としてじゃなくて、ただの私として扱ってくれてありがとう。
君は奥さんと幸せになってね。
君が生まれ変わった時、まともな人間に生まれ変わった私が隣にいたら、今度は恋人になれるかしら。なんてね。そんなの君の方がお断りか。
◎追記
予想以上の沢山の反応に驚いています。色々なコメントをいただけて嬉しいです。ありがとうございます。全てに返信することは叶いませんが、一つ気になったコメントがありましたので少しだけ。
アセクシャルか、っていうコメントを頂いたのですが、実は私はそのアセクシャルという言葉を生まれて初めて知りました。検索をかけてみて、驚きました。恋愛が全ての愛ではないですし、私は他の愛に関しては人並みかそれより少し厚く持っているつもりなので、悩んだこともあまりありませんでした。調べたことも、勿論。本当に驚きました。とはいえ、私が歴とした人間だったと分かったことは嬉しくて、何だか安心しました。こちらに書き込んでみて良かったです。そういった意図はなかったのかもしれませんが、教えてくださってありがとうございました。
保育園までの往復は母の自転車だった。母の後の幼児用シートで、手や足に風を浴びながら横を飛んでいく景色を見ているのは好きだった。ある日の朝までは。
その朝、いつもと同じように保育園に送られる途中、私の右手と背中に突然、激痛が走った。それと同時に「うう」とも「ああ」とも違う、変な男の人の声が聞こえた。しばらく何が起きたか分からなかったが、振り返ると知らないおじいさんがうずくまっているのが見え、子供ながらに自分の手がすれ違うときに、そのおじいさんのどこかにぶつかったのだと理解した。おじいさんを助けなきゃと母に知らせようとしたが、自転車は再び猛スピードで保育園へ走り出していた。保育園に着いた後、母は何事も無かったように私を預けていった。
自分がものすごく悪いことをしてしまい、母はそれを隠そうとしてくれているのだと思った。おじいさんが死んだかもしれないと本気で恐ろしくなり、先生にも友達にも何も言えなかった。ずっと手と背中は痺れたままで、どうしたのかと聞かれたように思うが、理由は口が裂けても言えなかった。その日の帰り、母はいつもと変わらない様子で私を迎えに来たが、帰り道はその事件があったあたりで、道の反対側を母は走った。車道の両側に、それぞれガードレールで仕切られた歩道があり、その片側の歩道を行きも帰りも走っていたのだが、その日から母は反対側の歩道を走るようになった。私はますます、母が私の罪を無かったことにしようとしていると確信した。母がそんなに必死に隠さなければいけないほど、私は悪いことをしてしまったのだと思った。その場所を通るときはいつも、おじいさんがその場で死んでいるような気がして、恐怖に怯えながらも目で確認してはほっとするのが習慣になった。
その後ずっと、自分からも母からもその話はしていない。成長するにつれ、母は私を守ったのではなく、母自身を守ったのではないかという疑念が徐々に蓄積していった。私が母親の立場なら、子供が怪我をしなかったか心配になるのではないかと疑うようになった。私が痛みでしばらく呆然としていた後に、振り返っておじいさんはそう遠くなかったので、たぶん母はいったん止まったか、少なくとも減速しておじいさんの様子は見ていたはずだった。思春期のころの私には、母の言葉は何もかもきれいごとで、自分の保身のために言っているように聞こえた。反抗期という感じではなかった。歯向かうことは少なかった。母をただただ信じられない人とみなし、言うことを聞いたふりをしながら内心ではその言葉をすべて冷たく疑っていた。不良にもならず普通の大人になれたのは、逆に自分が正直に生きることによって、母を軽蔑したいという感情のおかげだったかもしれない。皮肉なものだ。
今でも右の肘には違和感がある。実際に後遺症があるのか、精神的にそう感じるだけなのか分からない。いつか母とあの事件の話をすることがあるだろうか。少なくとも屈託なく笑って話せる気はしない。
同人誌なので正規に手に入れる手段はないが、内容が気になるという人もいると思うので。
市役所の役人を名乗って放射線レベルを調べるという男が家に尋ねてくる
少女は初め警戒気味だが、男はリアルな役人っぽい演技をしながら、まんまと家の中に入ることに成功する
カッターで脅しながらガムテープで口をふさぎ結束バンドで手の親指を繋いで拘束する
一ヶ月前から調べて親がいないことも把握済みの男
出し終わってよっしゃまだ行けるかといったところで一巻おわり
あとがきのところに子供の落書きみたいな絵で犯行に使った男の鞄の中身の紹介
2巻は前回の続きで、咥えさせたりスク水着せたり色々
自分の名前を呼ばせ、大好きとか結婚しようとか言わせつつひとしきり楽しんで、パンツを持って男は去る
エピローグ、完全にトラウマになりプリントを届けに来た友達のピンポンが聞こえただけで激しい恐怖に襲われうずくまる少女
場面変わって別の少女の家、ガスの点検を名乗る男がやってきたところで終わり
とらのあな商品ページ(18禁)https://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0030/15/79/040030157963.html
当然これを購入するような人間なので規制されろとは思わないけど、
まあ確かに実際に事件が起きて、犯人がああいう供述をして、これを見れば警察としては注意をせざるを得ないんじゃないかなと思う。
部数が限られてるとは言えネットがあれば誰でも買える通販で売ってるわけだしね。
TVで犯罪の手口を紹介しても何も言われない、ということを言う人もいるけどそれも邪推じゃないかな。
強姦を暴行と言い換えたり、いろいろなところで自主規制が入ってるのは注意されてきた事があるからだと思う。
一昔前だとパンチラの盗み撮りの仕方とかバラエティーで紹介してたことも合ったらしいけどねw
この件で問題だと思うのは作者は穏便に話が進んだと言ってるのに、メディアの表現と食い違うところだね。
警察からマスコミへの伝え方に問題があったのか、マスコミの伝え方が悪いのかわからないけど、
必要以上に事を大きくしようという悪意を感じるね。
昨日、昼飯食った後に二階の部屋(実家)でエロゲやりながらシコってたら親父が急に入ってきた。
普段平日は会社の寮にいるのでムラムラが溜まっており、久々の休みだし連発してやるぜ!と思った矢先だった。
普段用事があったら下の階から大声で呼ぶくせに、なんでこの日に限って入ってくるんだよ!!!!!!!
というかノックするのはいいよ!!!!!いいけどノックしてからのタイムラグなさすぎだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
コンガチャ!っておかしいだろ!!!!!!!!!!コンコン、今いいかな?、ガチャくらいのラグで来いよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ノックの意味ねーじゃん!!!!!!!!!!処刑宣言じゃんそれ!!!!!!!!!!!!!
というかせめて足音だせや!!!!!!!!階段の音全く聞こえなかったぞ!!!!!!!!!!!!!!!忍者かお前は!!!!!!!!!!!!
あっ…みたいな顔して扉閉めるな!!!!!!!!!!!!!!!せめて笑ってくれ!!!!!!!!!!!何事もなかったかのように閉めるな!!!!!!!!!!!ネタにしてくれ!!!!!!!!!!!!
俺もなんなんだよ!!!!!!!!!あまりに急すぎてパニックになるなよ!!!!!!!!!!!
すっとパンツだけはいて座ってれば「今日暑いね」で済ませられたのによ!!!!!!!
焦りすぎて何考えたのかうずくまってんじゃねーよ!!!!!!!!!!!!
下半身丸出しでうずくまる姿みたらそりゃ「あっ…」って顔になるわ!!!!!!!!!!!!!
あと凌辱シーンでシコるのはやめろ!!!!!!!!!!!!!!!あの厳格な親父のなんともいえない表情が頭から離れないぞ!!!!!!!!!!
夕飯はすき焼きでした。
親父はすごい気を使ってくれました。
ひきつった顔が辛いからいっそ笑ってくれ。
ステージの内容は素晴らしく、キャストの皆さん、スタッフの皆さんの努力が伝わってきました!
本当に感動的なステージだった。
ですが、その裏で問題点も多かったライブであったと感じています。
規模が大きくなれば必ず問題は起きるものですが、今回なぜ訴訟などの話まで悪化してしまったのか、私になりに考えてみました。
急いで書いたので誤脱はお許し下さい。
以下は私が実際に現場で体験したこと、ツイッターなどで情報収集をしたことを元に、書いていきます。
まず、今回は初めての試みが非常に多いライブでした。
・平日の物販販売
・公演会場と物販会場の分離
・リストバンド制の入場
大きく分ければこの3点が新しい取り組みでした。
きっと運営側も良かれと思って、考えに考え抜いてこの方法にしたのだと思います。
まず、事前抽選物販。
私は都心に住んでいるので全日程に応募しました。そして当たったのが2日目の夜。
正直、ムービックの在庫については、これまでの経験上期待はしていませんでしたが、行ってみると見事に欲しいものは全て売り切れでした。
まあ、予想していたことでしたが、抽選に当たったからと飛行機をとり、わざわざ来た人もいるでしょう。
それで在庫がなかったら…と思うと、辛さは計り知れません。
抽選にしたことで良かったこと
・徹夜組や現場での混乱を未然に防げた(運営にとってもファンにとってもいいこと)
抽選にしたことで悪かったこと
・来るも来ないも自己責任という免罪符が薄れてしまったこと(これは運営側にとって悪かったこと)
・在庫がなかったときの期待を裏切られた感が増大してしまったこと(これはお客さん側にとって悪かったこと)
私個人としては、抽選制自体は良かったと思っていますし、今後も行ってほしいです。
が、在庫はもう少し頑張ってほしかった。在庫についてはまた後で話します。
これは正直、私も納得いない部分が残っています。
事前に公開されていた情報では在庫追加は土日のみということでしたから、私をはじめとした多くの社会人の方は、土曜日を狙っていたと思います。
そのために前々からお休みを調整していた方もいらっしゃると思います。
土日は始発で頑張ろうとホテルを取っていた方もいらっしゃるでしょう。
指折り当日を楽しみにしていたところで、直前になり公式から発表されたのが「金曜日も在庫投入」という情報です。
「そんなにすぐ商品作れないはず。ということは、土日在庫を金曜に出すのか…」
ということでした。
できれば金曜日に行きたかったのですが、社会人はそんなに簡単に休める人ばかりではありません。
私も、土日のみ在庫投入の情報が出た段階で、平日は行かないと上司に宣言していたので、一縷の望みにかけて土曜日始発でいくことにしました。
蓋を開けてみると、一番早い始発で向かった私ですら、ライトなど一番欲しいものは買えませんでした。
これについては、徹夜をしていた人間が一番悪だとおもいますが、それを容認してしまった運営にも責任はあるでしょう。
今回の物販で一番まずかったのは、予定されていなかった金曜日に、殆どの在庫をもっていってしまったことでしょう。
これによって、前々から予定を立てて買いに行こうと思っていた土曜日曜組は、ほとんど欲しいものが買えなかったというのが、さらなる怒りを買ってしまった原因だと思います。
当日しか来られない地方組も、この件には納得いかない方がいるかと思います。
金曜に仕事投げ捨てでも来なかったお前が悪いと言われれば、そうですねとしかいえませんが、できないことはできない、これが社会人です。
これは、その時の対応もでしたが、どちらかと言えば、その後の対応が原因で炎上したのだと思います。
まずは現地の様子から。
実は、一番やばかった時間に、渦中にいたのです。
地方から来る友達がチケットを持っていたので、その方の到着を待って3時すぎから並び始めました。
まさか列の先があんな混乱になっているとも知らず、「間に合うかな・・・」と考えながら数センチ数センチと少しずつ進んでいきました。
ようやくリストバンド発行がされる駐車場に行くと、入り口で「4列に並んでください」と言われそのまま進みました。
しかし、目の前には列などはなく、目の前に見えたのは、ごちゃごちゃになった人の塊と、「どこに4列?」と戸惑うファンの方々でした。
その後は全く誘導はなく、ファンの人は戸惑いながら立ち尽くしていました。
この時すでに4時を過ぎ、現場のファンたちは「間に合わないのでは…」という不安にかられていました。
そのため、少し列が動けばそちらへ流れ、また反対に動けばそちらへ流れ…。集団心理とは怖いもので、波が打ち寄せたまま戻ってこない感じで、だんだんと前に圧迫していくのです。
前からは「苦しい」「押さないでください!」という声と数千人の人々、後ろでは体調不良で運ばれていく人、列から外れうずくまっている人、その人を看病する人と、あと30分で始まるとは思えない悲惨な光景でした。
私達の少し後ろで、ようやくスタッフがお客さんを止めて整理を始めましたが、見える範囲にいるのはスタッフ2人のみ。
どう見ても人手不足でした。
そのまま動かず、気づけば開演時間5分前。
もう諦めていると、ようやくスタッフが指示を出してくれました。
しかし、言っていることがいまいちわからず混乱していたところ、すでにリストバンド交換を終えたお姉さんたちがスタッフさんに何かを話し、誘導してくれました。
自分たちも間に合わないかも知れないのに、自分のことより混乱している私達のために動いてくれたお姉さんたちには感謝です。
人混みで全く気づかなかったのですが、会場の右側には、大きなくぼみのようなスペースができていました。
そこに移動するように言われ、移動していくとその先には私達より30分以上前に並んでいたらしいファンの方たちが。
彼女たちは指示がない中で自主的に列を作ってずっと待っていた方たちでした。
私達がスタッフの誘導でその方たちに合流することになったとき、「なんでちゃんと並んで待っていたのに、私達より遥かに遅く来た人たちと一緒にされるの?」と泣きながら言われました。
たくさんの方が泣いていらっしゃって、私達もスタッフの指示とは言え心苦しくて、とてもつらい空間でした。
しかし、もう戻ることもできないので、そのまま並ばせていただき、リストバンドを交換することができました。
私はなんとかオープニングに間に合いましたが、席はガラガラで、演奏中も沢山の人が入場してきて、正直そちらが気になって仕方ありませんでした。
一歩間違えれば、私もあちら側だったのかと思うと…。
そして、1歩間違えれば将棋倒しで沢山の人が犠牲になっていたかもしれないと思うと、急に恐ろしくなりました。
ある花火大会で将棋倒しになった人が圧迫死した事があったと思います。
あの惨劇がこの会場で起きていたかもしれないと思うと、寒気がしました。
当日までの流れと、はこんな感じです。
ここまでのリストバンド交換の話は、あくまで私が知ってる事実と私の感想です。
ここからはツイッターなどで情報収集をした結果の私の考えです。
ツイッターで言われていた原因はいくつかありましたが、見た中で有力なのはこの3つかなと思いました。
・ファンが全体的に来るのが遅かった
ファンの心理を考えると、リストバンド交換よりも売り切れ必須の物販に並ぶのは予想できます。
また、土曜日ですから、地方から来る人は午後にしか来られないでしょう。
さらに、今回の物販は池袋でもやっていましたので、私のように池袋で買い物をしてから西武ドームに行く人も多かったでしょう。
そのため午後に人が殺到してしまった。これが一番現実的な原因ではないかと思います。
これが2時以降に重なる+あの少ないリストバンド交換所だとしたら、混乱しないわけがないです。
そして、もう1つの原因ではないかとツイッターで言われていた、一部のルールを守れないファンの存在。
正直、徹夜組なども多いジャンルですから、自分が良ければいいという人も少なからずいるでしょう。
残念ですが、噂通り割り込みなどをした人がいたとしたら、もうファンは運営側に土下座するしかないです。
こういった、複数の要因が重なった結果、今回のようなトラブルになってしまったのではないでしょうか…。
ファンも早く行ける人は行くべきだった。
公式もスタッフ配置や来場数予想をもうすこしきちんと予想すべきだった。
最後に、これだけ炎上したのはどうしてか?を考えたいと思います。
私が思うのは、リストバンド交換について公式が出した文章が原因だと思います。
おそらくここできちんと謝罪しておけば、ファンの怒りはここまで増幅しなかったのだと思うと、とても残念です。
初日に出された文章には一切謝罪はなく、「明日は早く来てくれ」という内容しか書かれていませんでした。
怒っている人がこの文章を見たらおそらく、
「全てはファンのせいだと思っているんだな」
現場にいた人は明らかなスタッフ不足を認識していますから、自分たちだけが悪いと言われたような文章が出されたら、いい気持ちはしないでしょう。
例えばここで、以下のような文章を出していれば、おそらく少しは消火ができたのではないでしょうか?
この度は、運営側に不備があり、開演までにご入場できないお客様がでてしまいましたこと、大変申し訳ありませんでした。
明日は、本日の反省点を改善し、スムーズなご入場ができるように対応を考えさせていただきます。
また、開演時間までにご入場にご協力いただけますよう、明日も引き続き早めのご来場をお願いいたします。
謝罪がなかった。
正直、ある程度大規模な企業が出している謝罪文とは思えない内容でした。
謝罪文は誰に向けて出すのかを考えれば、自ずと問題点は見えてきます。
謝罪文はその問題に怒っている人のためにだすものだと私は考えます。
今回の対象は、開演までに入場できなかった人たちで、その中でも怒っている人たちでしょう。
今回の謝罪文には「ファンが遅い時間にきたことが原因」という謝罪対象への批判(運営側は批判と思ってないかもしれないが)と、「シュミレーションはしたんだよ」という言い訳、どちらも入ってしまっています。
ツイッターのリプライ欄をみると、これを見て更に怒りましたという人が多く見られましたが、これは運営側が自ら油を注いでしまったので、仕方がないなと思いました。擁護のしようがない…。
これからもうたプリが続いてほしいからこそ、少し厳しいことを言うと、「会社としてきちんとした謝罪文がかける人を雇うべき」だと思います。
運営側も言いたいことはたくさんあるでしょうが、企業として我慢すべき部分は少なからずあります。
いちどだけ自殺しようと思ったことがある。中2の時。俺はクラスでかなりハードなイジメに遇ってた。家に帰れば両親は離婚寸前でもめてるし、とにかく最悪だった。
当時、神奈川県の中学では2年次にAテストというのがあって、高校入試にめちゃめちゃ影響する重要なテストと言われてた。俺はその結果も散々だった。勉強なんかできる精神状態じゃなかったのだ。3才から一緒に暮らしてた犬も死んじゃうし、かわいいなと思ってた女子から「バイ菌」と呼ばれるし、もう死ぬしかねえと思った。
文学にかぶれていた俺は、太宰治にあやかって鎌倉のこゆるぎ岬で死のうと思った。太宰が心中に失敗した場所だ。
俺は太宰みたいに睡眠薬を持ってなかったので、家中の薬をかき集めて持って行った。でたらめに飲んでやるつもりだった。
こゆるぎ岬に着いて岩畳の上でぼんやり突っ立ってたら「おい」と呼ぶ声がした。
振り返ると、ネプチューン名倉みたいな妙に濃い顔のおっさんが立ってた。片手にでかいビデオカメラを抱え、もう片方の手で缶ビールを握ってた。赤ら顔。完全に酔ってた。
おっさんは映画の撮影中だと言う。それだけならまだしも、俺に協力を仰いできた。浜辺でのカンフーシーンを撮りたいから、ぜひ闘ってくれという。完全にヤバイ奴だと思った。
断ってその場から走り去ることもできたが、おっさんはすぐに三脚を用意してカメラのセッティングを始めた。その様子をぼーっと眺めていると、おっさんが「よーい、スタート!」と叫んでいきなり俺に飛び蹴りをかましてきた。蹴りは俺まで届かず、おっさんは勝手に転んで派手に尻餅を付いた。俺はなぜか爆笑してしまった。おっさんがうずくまりながら「撮影は中止だ」と呟いた。
それからおっさんはなぜか俺にもビールを勧めてきた。おっさんはクーラーボックスを持参していて、中に大量のビールが入っていた。
俺は生まれてはじめて酒というものを飲んだ。ぐでんぐでんに酔った。泣きながらおっさんに洗いざらい喋った。勉強のこと、いじめのこと、両親のこと。おっさんがどんなリアクションだったかはおぼえてない。
おっさんはなぜか別れ際にヌンチャクをくれた。そして、浜から見える大きな病院の方に帰って行った。
あのおっさんは何者だったのだろうか。ひとりで酔っぱらってカメラを持ってうろついてた。中学生の俺にいきなり飛び蹴りを仕掛け、そのあとがんがんビールを飲ませた。まったくろくなもんじゃない。
でも俺は自殺を免れた。それに今もこうして生きてる。おっさんは世間的には不審者と呼ばれる部類の人だったのかもしれないが、俺にとっちゃ救いの神ってことになる。
あの暗黒時代をどうやってくぐり抜けたのか、今となってはさっぱりわからない。ヌンチャクはとっくに無くしてしまった。でもたまにおっさんのことは思い出す。こゆるぎ岬のおっさん。