はてなキーワード: うずくとは
いや女性でも乳首感じない人はいると思う。開発されていないと感じない。自分がそうだった(過去形
自分は最初二十代前半の頃はくすぐったいのが大半だったけど気持ちよい感じも少しあって、その感覚を強く意識しながらクリオナする前に少しでも触るようにしてたら二十代中盤ぐらいから気持ちよくなった。
触ってるとクリと膣の中がうずく。体の性的興奮が性感が高まる感じがある。
だからこれ↓すごいわかる
https://anond.hatelabo.jp/20181027114634
指で直接さわると皮膚が擦れて痛いのでシャツとかの薄い服の上からや、薄い掛け布団の上からがいいです。
厚手と薄手で感覚が違うのでお好みで。
指の腹でこする、爪でひっかくなどなど。
クリにローターあてて脚ではさみながらフリーになった両手で乳首をいじるとか良いかも。
乳首が感じない人は開発によって感じるようになれる、が自論です
私が求めているのはコレジャナイ!
じゃないとスパイスがキマらないの!
一口食べたら気絶しそうなほどスパイスの利いたやつが欲しいわ!
でないと食べた気がしない!
食べたあと辛さでうずくまっちゃうほど動けなく具合が悪くなる感じがいいの!
そういうやつ!あの辛さみのスパイス!
ハマってるインドカレー屋さん巡りで
初めて行ったカレー屋さんの感想を酔った勢いで書いたメモ書きよ。
しかもさ
辛いスパイス入ってないのかよ!って
さすが0を発明した国なだけあるわ。
「そう思うと辛さ0倍カレーこそがザ・インドなのかも知れない」って
でも今こうやって振り返って思うと
逆を突かれたって感じで!
お店の人曰くちゃんと辛さ4段階あるので
また行ってみたいと思ったわ。
でね、
そのお店に行ったとき、
うふふ。
だんだんと冷たいヒーコーも寒くなってきたので、
ホールスパイスを使ったデトックスウォーター閃いたと思ったのね!
ググったらめちゃくちゃ出てきたわ。
だいたい私のようにごく普通の人が考えつくことは、
やってる人がもうすでにいるのね。
試してみるわ。
ワカメはあんまり「ん?」って首をかしげる感じの磯臭さなので、
でもチャレンジしてみてもいいと思う!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!おー!
昨日から鼻炎が酷くて鼻炎薬を飲んだら鼻は止まったけど市販薬なので全身干からびて怠かった。夜になっても治らないのでもう一度薬を飲んで寝たら身体は火照って暑いし朝起きたらやっぱり全身カピカピで喉が痛い。今日は2限からだからいつもよりは遅いけど家が遠いので6時半には起きないといけない。
全てのやる気が消えている。なんとか朝ご飯を食べて化粧まで済ませたけどどうしても家を出られない。あいかわらず鼻炎は酷くて全く粘り気のない鼻水が滝のように出てくる。
熱を測ったら完全に平熱だったけど今日はもう休もうかな、でも休むと面倒だし午後は必修だし放課後はサークルの集まりがあるからできれば顔を出したい。体調は良いとは言えないけど特別悪いわけでもない。
だけど必修も最近は先週から作ってきたものを見せてちょっと面談してあとは他の人が面談してる間作業するだけで半分くらい家でもできるんじゃないかってことばっかりだ。作業するのにパソコンがほぼ必須だから片道2時間半も重いノートパソコンを背負っていかないといけない。だったらもう今週は休んで家で作業してようかな。
もうすぐ学祭があるからその準備にも追われてて毎日毎日やらなきゃいけないことを消化して気がついたら1週間が過ぎている。
終わらないから毎日1時くらいまで起きていて朝は5時に起きるから睡眠時間が絶対足りてない。だけど早く寝るために作業を何もしないで1日を終えるのが怖くてつい夜更かししてしまう。ソシャゲはきっちり周回している。虚無。
リビングから今日も元気なアナウンサーの声が聞こえてきて、あの人たちは毎朝早くから笑顔で頑張ってるのにどうして私は頑張れないんだろうって思ったら辛くて涙が出てきた。こういう時に泣いてると世界で一番自分が不幸だと思っている人間みたいで嫌だ。なのに出るものは出る。
大体私の世界で一番不幸なのは自分に決まってる。自分の辛さを一番強く感じているのは自分だ。他の人から見たら私の何十倍も大変な思いをしている人はたくさんいるけど他人の辛さなんてこれっぽっちもわからないから結局私が一番辛い。
大学から家が近いくせに徹夜したとか朝起きるのが辛いとか言ってる人間が嫌いだ。絶対私の方が辛いと思う。お前は1週間に6日5時起きの生活をしたことがあるのか?
だからって一人暮らしは料理洗濯掃除ゴミ出し買い出し全部自分でやらないといけないから実家から離れられない。
この間ネットで流れてきた漫画ではこうやって人生に疲れた時、不器用だけど優しい先輩が声をかけてくれてた。そのままのあなたでいいんだよって言ってもらえてた。
私の周りには私と同じくらい辛い人間しかいないからそんなイベントは起きようがない。心の中の夢彼氏に励ましてもらおうと思ったけど疲れた心ではそんな妄想さえできない。今そのままのあなたでいいんだよとか言われたらよくねーーよハゲとしか言えないけど。
好きなことを高い学費払ってやらせてもらってるんだから授業出ないと勿体ない。だけど高い学費の割に毎回面談しかしない教授もどうなんだよ。話すと次回やることがわかるから意味がないわけではないけど待機時間がひたすら虚無だし毎回授業長引くし早めに面談終わらせて時間通りに帰るのもどうかと思って残ると帰りが8時9時になる。それから飯食って風呂入って11時。今日こそ学祭に出す絵を描くぞと思っていたのにあと1時間しか今日がない。
毎日課題と学祭の準備のことばっかり考えてて授業始まってからろくに趣味の絵が描けてない。月曜から金曜まで大学行って土日課題やってまた月曜だ。午前上がりの日も帰ったら4時前だし疲れて眠いから昼寝をすると7時前。
朝起きてから夜寝るまでずっと何かしら考えてて脳が休まる暇がない。唯一登校中にゲームやってる時は比較的何も考えなくて済むけどその時間を作業に充てられたら……とか考え始めると何もしたくなくなる。
しばらく部屋でうずくまってツイッターのみんなの推しについてのツイートとか見てたらなんとか元気を取り戻したから2限はもう間に合わないけどせめて午後だけでも出ようと思ってなんとか家を出た。すごい偉い。
今日もどうせ授業は長引くんだろうけどさっさと面談を終わらせて7時には家に帰ってテレビ見ながらお母さんのご飯食べて金曜提出の課題やって時間があったら学祭の絵を描いて12時半には寝よう。明日は1限だ。
凡人は努力しないとどうにもならないんだからせめて授業に毎回出るくらいのことはしよう。凡人のくせに努力しなかった奴より努力したけどどうにもならなかった凡人と思われる方が5億倍はマシだ。
僕はQUEENのファンなのだが、I WANT IT ALLという曲が好きだった。この曲の、特にブライアンメイのソロの部分~Not a man for compromise and where’s and why’s and living lies~「妥協したり、場所や理由のために生きたり、偽りの人生を生きるような男じゃない。だからこそ全てを賭けて何もかも手に入れてやる」・・・そういう歌に、当時15歳の僕はひどく感銘を受けた。何度もこの歌を繰り返し聞き、辞書の側面にこの歌詞を書き込んだ。そして人生に夢も希望も目的意識も無い偏差値45の私立高校生だった僕は、人生の目標として独学による早稲田大学合格を打ち立て、何を思ったか高校を中退してしまった。校風が合わないこともあったが、自分を追い込み、それこそ全てを賭けるに相応しいと思ったのだ。しかし高い意識と目標とは裏腹に自堕落な受験生活。元々要領が悪く遅々として進まない独学に焦りを感じ、代ゼミの社会科目の単科でリズムをなんとか維持するも、現役は全落ちし、一浪の果てに偏差値50の私大法学部にしか引っ掛かからなかった。しかし、(方法方向が間違っていても)それなりに努力していた僕の姿を見ていた父の言葉は優しかった。「もう1年やってみるか?」泣きながら自宅の窓から外を眺めていた僕はその優しい言葉にとても惹かれたが、自分の学歴面のハンデや就職時年齢を考慮して、今後受験を続けては人生へのリスクが高すぎると判断し、コンプロマイズ(妥協)の道を選ぶことになる。偏差値50の私大へ進むよ、と答えた時、僕のI WANT IT ALLは終わり、僕の心は死んでしまった。
早稲田だろうと滑り止めだろうと、どの大学に入ったとしても、大学へ入った時点で偏差値の呪縛やしがらみから解き放たれて大学生活を充実させるべきなのは間違いない。今では心からそう思うし、妥協して腐っている新入生には、偏差値の呪縛から解放されて人生を楽しんで欲しい。しかし僕にはそれが出来なかった。話しかけてくれる数少ない人達の好意を踏みにじり、常に孤独を選んだ。そして心が1度死んでしまうと、頭が何かを理解しようとすることを拒否してしまうのだ。高い教科書を何冊も買い読もうとしても、講義をいくら受けても、言葉と言葉の間に繋がりが見いだせず、混乱しか引き起こされなかった。次第に大学へは通わなくなり、1日のほとんどを自室から出ずに過ごすようになる。1度も大学へ行かないまま2年前期が終わったとき、僕は「ヨシ、もう死のう。友人もいない、勉強もできない、頭も死んでいるし、どうせ妥協した人生だ。僕の負けだ。もう死のう。」と思い立ち、同じ旨の遺書を書き置きし、身辺整理してから実家を出た。家族に迷惑がかからないどこか遠くで自殺しようと、ひたすら電車を乗り継いだ。電車が止まれば路地や公園で凍えながらうずくまり、朝になるとまたひたすら電車であてもなく遠くへと揺られた。九州へたどり着き死に場所を探していたときの事だ。ある駅のマクドナルドで座っていると、隣に明らかに知的障害のある若い男とその父が座った。その父は、食事をしている我が息子に愛しそうにカメラを向け、楽しそうに、笑顔で写真を撮り出したのだ。その親子の姿に私は衝撃を受けてしまった。なんという父親の愛だろう。もし僕に障害のある息子が産まれたら、この父親の様に心の底から息子を愛せるだろうか。そこにあるのはただひたすらな無条件の愛だった。自分の両親顔が浮かび、次の瞬間僕の目からは涙が止めどなく流れ、いてもたってもいられずすぐに席を離れた。泣きながら公衆電話を探し、実家へ架電した。「今から帰るよ。ごめん。」と。自宅へ帰ると泥のように眠った後、今後のことについて話した時も父は優しく「もう大学は辞めるのか」と尋ねてきた。僕はもう迷わずこのまま通う事を選んだ。大成功だけが人生では無い。あの親子のおかげでそれを本当の意味で理解し、心の再生は近づいていた。大学では相変わらず孤独だったが、それからは全ての講義に欠席せず、聴講したのを録音して更に講義録を作り、試験対策も死に物狂いでやった結果、本当にスレスレで4年で卒業できた。留年が無く卒論が必須ではない法学部だからこそだったと思う。しかし就職活動は完全に捨ててバイトもサークル等もせず、卒業だけを目指していたので、卒業して無職になってからは、今後の人生の方向性は定まらず、これにも困りきってしまった。なにしろ受験と大学の勉強だけしか知らず、その他は中学生で時間が止まっているのでやりたいこと、人生の目標なんてものは無い。呂律は回らない、言葉は詰まる、人生経験は何一つ無い。そのため就職活動は困難を極めた。臆病で説明会や面接で行った会社のインターホンを押せずに帰ったりもした。結局数社説明会を受けたりボロボロの面接をしただけでやめてしまい、困った事になったなと思いつつも1年ほどダイソーの釣具で海釣りばかりしていた。けれど何か人生の軌道修正をする糸口が欲しいと思い、就職活動の練習のために一般教養科目だけで受験できる公務員試験を受験した。これがトントン拍子に進んでしまい採用されることになり、現在はもう5年が経とうとしている。面接の相手が、実際の職場で会うことはまず無い公務員試験だと、堂々と話すことができたのだ。それに法学部出身故の法律の素養が意外と仕事や昇進で役に立ち、年齢的には結構早く昇進もさせてもらっている。何がどこで繋がり役に立つかは、なかなかわからない。確かに僕の人生は妥協の先にある人生だが、これは妥協や敗北ではなく、小規模な成功と換言できるのではなだろうか。大大大勝利だけに囚われて孤独で苦しい人生から抜け出せなくなるより、戦略的に人生をスライドさせていくことも、ひとつの人生としてはありなのではないかと思った。
俺の人生は何だったんだろうと思わせてくる。
たとえばそれがスポーツにおける活躍であるならば、むしろそれは二十代、せいぜい三十代のうちしか出来ないようなことだからまだ耐えられる。
俺がいつかそこを目指そうと今から歩きだしたら実力を身につけるだけで20年はかかってしまう場所にすでにたどり着いてる人を見ると絶望する。
若さというエネルギーを振り回し、若さゆえに期待され、若い内に凄い世界に飛び込めた人間だけに許される圧倒的成長なしではとてもたどり着けない場所に彼らは居る。
長い時間をかけて十分な実力を身につければそこに届く事はあるかも知れない。
でも、人生の最大値で若くして成功した人に勝つ見込みはほとんどない。
若くして結果を出した人間はその後多少の減速を見せても、常人が人生2回分必要とするところまでいつかたどり着いてから人生を終える。
勝てないんだ。
一生。
勝てない事が絶望なんじゃない。
そういう世界で勝ち抜いた人間にだけ許されるような仕事がある。
いつかそういう世界で勝ち抜く可能性を秘めた人間しか門をたたけないフィールドがある。
そこに……俺達はもう二度と立てないんじゃないかと突きつけてくる。
同時に、泥を這い回れば自分のような凡人でもただその場所に行くだけなら……ただ砂を噛みに行くだけだろうけどたどり着ける可能性が完全に途絶えていなかった事も突きつける。
圧倒的な違いはあるが、その圧倒的は、絶対的な壁ではない。
越えられたかも知れない壁。
100mを9秒台で走るのは苦しいだろう。
だが100mを10秒台で走るぐらいなら、根気と目的意識、ないしはただそれが純粋に好きであれば可能なのだ。
それすら出来ないままにうずくまった奴に、嘆く権利なんて有るのか?
お前の人生には彼が産まれてからと同じだけの時間がまだ残っているんだから全部使ってみたらどうだ?そこまでする勇気はないか?
そう突きつける。
中学の時通っていた塾で、色白の美しい顔の男の子の後輩がいた。彼は、足が速く運動が得意なのだが、学科の成績が悪かった。普段から私や同級生の友人は彼の頭の悪さをイジっていた。彼は屈託のない笑顔でそれを交わしていたし、私たちもその関係が居心地良かった。
あるとき、そいつがどこまで根性あるか試そうという話を友人とし、塾の休み時間が来るのを待ち、実行に及んだ。友人が彼の体を羽交い締めにし、私は彼の眼球の寸前に尖った鉛筆の先端を突きつけた。怖がらせようとしたのだ。ビビらせて、その様子をあざ笑うのが僕らの想定だった。
しかし、彼は毅然とした態度で前を見据え、まったく怖気付く様子がなかった。想定とは完全に逆の光景だった。自分なら、恐怖に屈し、情けない顔をし、全身で嫌がり、バタバタともがいただろうに、年下のこの男にはまったくそれがなかったのだ。その時点で、私は男としての負けを感じた。それが猛烈に腹立たしくなり、どうだ、怖いだろう?なんならこの鉛筆を動かすぞ、と脅した。
それでも彼は力強い表情で、全然怖くない、と言ってのけた。なんだこいつは?くそう、本当にやってやる。私は鉛筆をブルっと横に震わせた。やはり、彼は怖気付く様子を微塵も見せなかった。
このままでは終われない。そう思った私は、逡巡した挙句、ついに数ミリ、前後に鉛筆を震わせてしまった。彼は悲鳴をあげ、うずくまった。友人は驚きの表情を見せていたが、私が青ざめた表情をしているのを見て、後輩に、お前が動いたからいけないんだぞ、と嘘を言って私の立場を守ろうとした。私は、なんてことをしたんだ、男として負け、あまつさえ、暴力を振るい、本当に怪我を負わせるなんて、こんなのは現実じゃない、自分はそんなことする人間じゃないんだ、ほんとうは、と、何度も現実を否定し、やがて頭が真っ白になった。
その日のその後のことは覚えていない。
後日、彼の目は幸い大事に至らず元に戻ったことが分かり安堵した気がする。
あれから30年ほど経つ。未だにそのことを思い出すたび、身悶えする。
せめて私は、罪の分だけ、なにかを為さねばならない、とは思っている。
今朝、キッチンのカウンターに置いてあったハングルのパッケージの袋麺を食べた。真っ赤なパッケージの上に、唐辛子っぽいマークもあるし、「×2.5」とか書いてあるから辛さで売っていることが予想された上に、全くこの暑い日に何故辛いものを食べなければならないか分からなかったが、空腹に負けて、食べた。辛すぎて、麺をすすることができなかった。辛かった。からくて、つらかった。全部残そうかと思うほどからくて、それでも貧乏人根性で全部食べた。汗をかいてうなだれて、意外とうまかったなと思った。
その後、PCをぼちぼちいじっていると、なんだか妙に腹の調子が悪いことに気づいた。スピーディな解決が必要だと思い、すぐに便所に駆け込んだが、空振りだった。私の力みはガスだけを放った。座椅子に座っては立って、便所に駆け込んで、空を切るという行為がルーティーン化してきた午後3時、なんだか虚しくなった。俺はうんちも出来ないのか。うんち野郎以下だ。クソったれ。いや、クソも垂れることができない。クソったらずだ。
19時から用事があった。18時頃になるとお腹も落ち着いてきた。バイト前にシャワーを浴びてササッと出ようと考え、そのようにした。しかし、シャワーを浴びてからというもの、突如腹痛が再発した。今度は強烈な痛みを伴った。便座にすわっていたときだった。体を「く」の字どころかもはや「<」こんなくらいに折り曲げて腹痛が収まるのを待った。しばらくしても痛みは治らないので、「=」これくらい体を屈折させて気を紛らわせた。上体を起こすと腹痛が過激化するので、「=」この形で5分ほどうずくまっていた。下半身丸出しで「=」この形で5分も便座に座っていると、いくら痛いからといっても惨めな気になってくる。もし、神の目があらゆる所に行き届いているのだとしたら、私の「=」この状況を救ってほしかった。私は等号ではない。
その後重ねて5分ほど経つと、急に気が変わったように腹痛はおさまった。神に思いが届いたのか、半時間前に飲んだ葛根湯が腸に届いたのか。よかった、これで外に出られる。
しかし、あの袋麺を置いていったヤツは許さない。いつの間にか置いてあった袋麺は、おそらく韓国土産っぽい風体だったが、実際にはトラップ系土産なのかもしれない。静岡行くと食べられる「わさびソフト」とか、そんなノリ。アホらしい。
26歳の会社員です。大学院まで進んだので現在新卒1年目です。精神的に辛かった時とは大学院の研究室にいたときのことです。特別珍しくないですね。
今年の3月までいた研究室は10時から25時までを週6日という、まぁ厳しいところでした。
その道では非常に有名な先生の研究室です。厳しいという噂は聞いていました。ですが設備もスタッフも成果も一流です。入学前はわくわくしてました。
その研究室は少し特殊で、大学院から入学する人が大半を占めました。修士で卒業するつもりなら2年です。辛くてもギリギリ耐えられそうな気がしますね。
結論から言うと私はM1の11月、つまり入ってから半年ぐらいで壊れてしまいました。成果が出ない焦りや、スタッフから見限られる目線、精神的な不安はミスをうみ、ミスは信用を落とします。
11月の水曜日、14時くらいに緊張が切れました。教授が出張のその日、私は初めて早退しました。半笑いで早退する私を助教は冷たい目で見てました。
家に帰ってから私は12時間リビングの床にうずくまってました。苦しかったのです。心臓を弱い力で握られている、そんな苦しみです。
決して痛くはないのです。しかしいつ握りつぶされるかわからない、そんな不安があり心臓の鼓動を意識してしまう。鼓動がうるさいのです。何度とまれと思ったことか。
しかし頭では違うことを考えているのです。成果も出ていないのに早退した負い目。周りのみんなは研究を進めているのに。スタッフの人の期待に答えられない。学費を払っている親に申し訳ない。体は健康なのに。何をやっているんだ自分は。そんな焦りや不安が次々に頭に浮かんでは鼓動にかき消され。息苦しくなって、嫌な感情が出てきて、心臓が潰されそうになる。
そのまま眠れずに次の日から普通に研究室に通いました。何事もなく朝の挨拶をかわし笑顔を心がけた気がします。ボロボロでしたが卒業もできました。就職もなんとかできました。今は上司、同僚に恵まれ、平和に過ごしています。
しかし心臓が握られている感覚が取れないのです。気をぬくとギュッと潰されるのではないかと不安を感じて過ごしています。壊れたは言い過ぎかもしれません。でも二度と戻らない気がします。私はもう治らないように思います。
それは夢のようではない。正しく夢だった。
優しく微笑む彼女と、普段しないようなにこやかな表情を浮かべている自分。
それは正しく夢であったが、確かな感覚でもあった。小さく柔らかな彼女の手の感触。そこから伝わってくる彼女の体温。
夢の内容はあまりよく覚えていない。思い出そうとしても、どこか白い靄がかかってすくい取ることができない。
確か故郷の浜辺を彼女に手を引かれながら歩いていたような気がした。付き合っていた頃には叶わなかったことだ。
「疲れるのが嫌だ」「ヒールしか靴を持っていない」と言って、レジャーの類には一切ノッてこなかったのを覚えている。
逆に彼女が行きたかった旅行は、俺が貧乏なせいで一度も行けなかった。
昨年までの今頃はクーラーの効いた部屋でセミの鳴き声をBGMにセックスをするか、気温の下がった夜に祭りへでかけて花火を観ていたっけ。
月曜日の到来を告げるアラームで目が覚める。先ず最初に映ったのは、彼女がいた痕跡はすでに一切なくなっている筈の部屋。
起きてすぐ頬に違和感を感じ、反射的に手が伸びた。俺は、泣いていたようだ。
布団からしばらく動けなかった。体を丸め、数分うずくまっていた。それまでに感じていたものが現実から夢になるのを待った。夢で再会した彼女が記憶から消えていくのを眺めていた。
これで何度目だろう。やる気を出そう、頑張ろうと決意した日の夜に限って彼女は毎回夢に現れる。そして俺の気力を奪っていくのだ。
何故だ。彼女にまつわるものは全て処分した筈だ。食器も、シーツも、化粧品も歯ブラシも、写真もプレゼントも何もかも全部だ。
なのに何故、なぜ…どうして。 つらい
職場環境により鬱になった。このまま悪化すると誰かを殺すかもしれない、それなら早く死んでしまわないといけない、と考えていた。そのことが職場ではバレないように、押し殺して働いていたが、仲の良いのいい先輩が気づかれた。泣いた。自分ではどうしようもなかったダムが決壊した。
俺が働いていた会社の産業医もクソだった。痴呆が始まっていたのか、前回話したことをもう一度説明させたり、なんの解決にもならないどころか、よりひどくなりかねない状況で最悪だった。
何が嫌だったのかを思い出すことも嫌で、なんとか振り絞って伝えたのに、それを掘り返されて、本当にしんどかった。
ただ、駆け込み寺として上司から引き剥がしてくれたこと、会社に対して正当に休養が取れたことだけが良かった。
心療内科に行ったり、増田に色々書きなぐったり、ひたすらFPSをやったり、猫カフェに入り浸ったりした。
結局、会社をやめて、今は海外で生活していて、だいぶ回復した。
全てのことを一つの方法で解決することは難しい。命の電話に電話をかける、増田に書く、まであなたはできた。
ずっと自分で抱えてうずくまっているところから、はじめの一歩を自分で動き出せたことが本当にすごい。俺は幸運にも先輩に声をかけてもらえた。
そして、あなたが書いた増田も本当に素晴らしい。俺が鬱っていたときには、クソとか死ねとか何も文章にならないようなスパムのようなものを書くことしかできなかった。
こうしてガイドは罪罰メーターを片手に、当初の目的である協力者探しを始めた。
暇なので、断る理由はないけど。
「キミたち、邪魔だけはしないでくれよ」
あっちからついてくるよう頼んできたくせに、この言い草はイラっとくるが、俺たちはテキトーに相槌を打つ。
この「大丈夫」っていうのは「邪魔をしない」っていう意味と、「どうせ失敗するから」って意味がある。
俺たちは今回も失敗するだろうな、と何となく感じていた。
上手く言葉にはできないけど、この罪罰メーターのプロモーションには、何か欠点があると思ったんだ。
ガイドが訪れたのは、俺の家。
「……また、お前かよ」
ガイドが着ている服にはステルス機能があるらしく、これで俺たちに紛れて家に侵入した。
俺たちがいて、かつ家の中に入ってしまえば、兄貴も無理やり追い出したりはしないだろうと考えてのことだ。
だけど兄貴は木刀を携え、いつでも追い出せるよう準備をし始めていた。
「他にも候補がいるだろうに、何で俺んところに真っ先に来るんだ?」
兄貴の口調が荒くなり、木刀を握る力が強くなっているのが分かる。
兄貴は感情があまり表に出てこなくて、出ようとしても隠したがる人間だ。
そんな兄貴が感情を前面に出しているってことは、ガイドに対して取り繕う気すらないほどにイラついているってことだ。
このままだとキレるかもしれない。
そう思った俺たちは、慌てて間に入った。
キレた兄貴は、俺たちが束になっても止められるか怪しいからな。
「まあまあ、兄貴。こんなに一生懸命なんだから、話だけでも聞いてあげなよ」
「頼むよ。マスダの兄ちゃん」
「私、どっちでもいいけど、ここまできたら聞く位はしてあげたら?」
「……マスダの、に、兄ちゃんが、ど、どうしても嫌だって言うなら仕方ないけど……」
「はあ……全く。セールスマンが絶滅した時代になってから、お前らみたいな良い子が生まれてきて本当に安心した」
すると、飼い猫のキトゥンが近づいて、兄貴の膝元にうずくまってくる。
まだちょっと刺々しいが、かなり落ち着いてきているようだ。