はてなキーワード: 風土とは
先日、こんな記事が出た。
ヤフーのeコマース革命は第2フェーズへ~小澤氏らに聞く、人員が増え続けても「爆速開発」が可能な理由
http://engineer.typemag.jp/article/bakusokukaihatsu
しかしながら、こういう記事は良いように見えるようにしか書かないのも事実。
実際のところ、どうなんだろうか。
気になった投稿があったので拾って個人が特定できないように書き換えてリポストする。
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わたし、ほんと合わなかったんだろうなー(笑)わたしは今のところでがんばるよ。
元からスピード遅かったじゃん。「速度が落ちてません」ってどうなんだ?
人数増えたのに落ちてない、元から遅かった=低下してんじゃんって読めるんだが。
ペットボトルの例は「言われたことだけをやってればいいという風土で
「水をこぼれるのを防ぎたいんだ」ということまで言わないと意図を読み取れないのってどーなの?
と、つい、考えてしまった。
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この年齢だったら「分かってる」とかこの年齢以下だったら「分かってない」
えーとね、そこを、完全に理解してるかどうかで区別してるわけではないわけ。
これをどこかで区別しなくては行けない。すべての事柄にというわけではないけど、
どこかで権利を線引すべきだ、ということ自体はあなたも同意してくれますよね?
もし、そのような区別を全てなくしなさい、という理論であれば別の話ですが。そこんところどうでしょう?
社会を作る以上、区別はしなくてはいけない、ということを前提で。
実際子供がなんで俺らは出来ないんだー、って文句言いますよね?(あなたが言ってるのはそのレベルなんですけども)
ただ、すべての子供が自分勝手にすることを許可されたら大変な事になることはわかりますよね?
この時に、最も公平な線引の仕方が年齢、というだけです。
年齢によっておおまかに能力の差を測る事が出来る。
ある程度の能力を見込むことが出来る。
ただ、そこに個人的な要素は入れない。
個人的な要素を入れてしまえばどうしたって誰かの恣意的なものになる。
年令による制限は勿論知的にどうか、ということを含みますが、絶対ではありません。
ただ、最も差別的でなく、公平に区別しようと思えばそれが一番やりやすい、というわけです。
私の立場の問題なので、あえていいました。
なんお立場の話をしてるのでしょうか?
あなたが女性で女性の差別を撤廃しろ、ということを言いたい、ということ?
恐ろしい?女の人しか子供を産めないのは生物的な事実ですけど。
人間社会が発展して今、家事も子供の面倒も楽になったし、産後の回復も早くなったし、女性が男性と同じレベルで働ける様になって来ましたね?
ただ、過去には同じレベルで、と言うのは結婚して子供を産む以上は不可能だったわけですね?
ここまで言うと、子供を産まない女性への差別だ、というかもしれませんが、
まず、生きてく上で、大多数の人が快適に生きていく社会を作るのは当然のことです。
基本的にすべての人は自分が良くなる為に社会に貢献し、社会のルールを守ってるわけで。
その中で、豊かになって来て、余裕が出てきたら、マイノリティーに対しても、他に危害を加えない、害にならないものであればどんどん認めていく、と言う風潮なわけです。
逆に、そうでなければ、女も男と同じだけの力仕事を行い、残業をし、産休なんてものもホントに産む瞬間くらいしか許されない様な生活を強いられるのですが、
それで良いのでしょうか?
「平等」とは一体何なのでしょう?
貴方の言ってることは、単に、自分の都合の良いとこだけの「良いとこ取り」でしかありません。
勿論、社会が対応出来る限りの事は対応すべきだし、今や、職業よっては、元々男が多い職場などでは、女性を優先して取るあまり、
同じ能力で合ったら女性の方を取る様に、といった逆差別のようなことすら起こっています。
それについてはどう考えますか?
また、客観的とはどういう点でしょうか。
単に、個人的な差によらない、という意味です。
どこの出身でも誰から生まれても、どんな教育を受けてきても10年生きた、ただそれだけです。
なんでそこ、理解しようとしないかね?
ですから、その部分、どう判断するんですか?
年齢による、というのは、ある程度の割合が一定の程度に達するのがこれくらいだ、という基準だ、というのは良いですよね?
勿論、全ての人がそれに達する、というわけではありませんが、その基準は全ての人に平等な基準です。
いいですか?これが平等です。
一定期間は保護下に置く代わりに権利を制限する。その期間というものを平等にするというのがもっとも重要なことだとおもいますがね?
テストに落ちたから自分は恋愛できない、あいつは受かったから恋愛できる、なんですかその世の中は?
だからぁ、その知的障害者に対して認めてる投票権を認めないのは、弾圧だつってんの。
それと同じこと。
知的障害者に関しては特別な処置が取られてるだけだって言ってるの。
そうですよ?だから、難しい話なんですよ。
子供のIQテストなんかで測る、なんてことをしたら、それこそやりたい放題ですよ。
また知的障害者が認められている*(つまり知的には認めてよい水準)であるならば、
当然児童にも、その程度には認められて然るべきという話ですよ。
ですから、知的障害者については、現在の社会が成熟してそのような特別な場合に関して別途対処できる余裕があるから
利便を与えてるにすぎません。
別途、保護を与えてるだけです。
後は、貴方の言う、「子供を性的対象に見るけど、性行為には及ばない」という人に対する対処についての問題ですよね?
あなたの言ってることでは「保護者の範囲」なんてものは存在しないじゃないですか?
その1つには、「区別」なんてものは簡単に出来ない、と言う前提があります。
芸術とはなんでしょう?
子供が実際自分でやりたいと言ったかどうか、ということも分かりません。
例えば、貧乏な家に生まれて、それでお金がもらえる、というのであれば喜んでやるでしょう。
IQテストで周りの子を凌駕するような子でも、むしろ逆に、その時点で一番金が稼げる方法、ということを
理解して敢えて行うでしょう。
ただ、子供の時点でそれを初めてしまえば、一生そういった方向でしか生きていけないでしょう。
実際、そのように金だけで買われていった過去があるので、それらを制限しよう、となってきたのですが?
恐ろしい思想の持ち主ですね、相変わらず。
たとえば、ある成人が自分の子供の頃に変態的な行為を行い、それを写真や動画で残していたとしましょう。
逆に、なんとなくヌードをやってみた、と言う子が居て、その写真を小児性愛者が持っていたとして、
その子がどうしたって消したい、とあとで思った時、誰が被害者でしょうか?
この様な自体を事前に防ぐため、多少厳し目の法律を作ることはあっても仕方がない、と思考実験によってすぐに分かります。
という風潮が有ります。
その、子供の頃に変態行為を行ってることは害でしかありませんので、むしろ規制すべき対象です。
では、それで良いのでは?
小児性愛者、と言うのは、少なくとも「子供を性的対象とする」人だ、ということは良いわけですよね?
貴方の中では、その中で、実際に子供に性的行為を行う人と、それを我慢出来る人、に分けたい様ですが、
それはどう区別したら良いのでしょうか?
多くの目に触れるようになる前から価格が高騰し、入手困難なCDであるため、これを引用公開することで、多くの人の目に触れることは、昨今の事情に照らし、有用だろうと思い、ここに記しておきます。じゃあ増田で書くなよ、というツッコミは効きません。たぶん期間限定。
佐村河内のスコアを詳細に眺め評価することは、近頃の劇音楽に屡々見られる基本的な技術不足や、必要以上に技を凝らそうとする過剰なテクニックの持て余し。
これらとは明かに一線を画しているという事だ。
第一楽章、邦楽の静謐な、それでいて熱いエネルギーを内に秘めた佇まいから戦いを表現する大オーケストラへの見事な転換、目の眩むような、あたかも生物の細胞分裂の様な声部の増殖の緊張は、来たるべく英雄の出現(心に強く刻み込まれる主題[テーマ])を準備しているのだ。
第二楽章では、一楽章の主要な動機[モティーフ]や主題[テーマ]を巧みに変奏発展させてゆく、限られた時間の中で超絶的展開能力。
全く隙の無い構築力と完璧なオーケストレーションには唯々感嘆するばかりだ。
これらの事が自然に在る、ということ、技術はその為にこそ使われなくてはならない事をこの奇麗なスコアは私達に示してくれている。
私がコーダ部の総譜を受け取りに氏宅に伺った日のこと。
着いてすぐ筆談で、まだ出来てないので待てとのこと。
以降氏は黙したまま延々4時間が流れた。
と突然立ち上がり、未だ見た事も無い80段はあろう巨大な五線紙を取り出し席に着くや否や、嵐の如くペンを走らせ始めた。
それは神憑り的な速さといった感じだった。
何やらスケッチでも書き写しているようだった。
10分も経った頃、「写譜なら手伝おう」と立ち上がり氏に近づいた私は思わず目を疑った。
氏が書き写している筈の五線紙の向こうには何も無かったのだ・・・・。
その恐ろしい光影に立ち尽くすばかりだった。
写し取っていたのは頭の中のスケッチだった、以降ペンは一度と止む事無く僅か20分で全ては終わった。
氏は見直しもせず「ポイ」と私に手渡した。
後に私が見直したところ、何の落度も無かった事は言う迄も無い。
注:引用者により、ルビを該当する熟語のあとに[]で読みを挿入してある。また、句点ごとに改行し、アラビア数字は半角に変更した。
遠い古からの声―長い間日本の風土の中で培われてきた都節と呼ばれる伝統的な様式―からこの曲は始まる。
この尺八の「息」が、はじめは琵琶の力強い一打や笙の開放的な響きを導き、外に開かれていく空間を形づくるが、つづく締太鼓の合いの手を橋渡しとして、今度は逆に人間の持つ陰の部分、尺八の内に籠った響き、そこに影を落とす琴の不穏な調弦や笛の虚ろな息づかいなどが、前との微妙なコントラストとして対置される―ここで提示された様々な要素(おもにコントラストという概念)がこの作品の全体を紡いでいく上での重要なポイントとなっている―。
やがて一本の竹のひびきは12本もの竹(尺八)を呼び(ff)、静かに、しかし豊かにひびき渡る和太鼓の一打が大オーケストラを迎え入れ一転としてスペクタクルな場面に突入する。
前の部分と全く別な世界の様にみえるこの部分は実は冒頭の尺八の旋律と深い関わりを持っている。
譜面を見てみよう。
(譜例1)ここでフレーズの後半にあたるAという部分にオーケストラが対応する。
(A')。
そして英雄の出現を伝えるファンファーレ(これは西洋で培われてきた伝統だ)につづいて(やはりこれも西洋の伝統的な)ハーモニーのゼクエンツ(鎖)に乗って英雄のテーマが提示され(譜例2)クライマックスを迎えた後、譜例1のBの和音の固定(オスティナート)による経過句に入る。
ここで邦楽の冒頭部分が新しい状況の上で再び現われる。
尺八がサキソフォーンに、笙がヴァイオリン群に、また12本の尺八は今度は虚ろで怪しげなハーモニーを醸し出し、三味線は乱れ(冒頭の拡大)、琴はますます不穏なアルペジュを掻き鳴らす、一瞬の閃光、地底から沸き起こったかのような轟音から出現したものは英雄のテーマのヴァリエーション、そして輝かしいマーチ(ファンファーレの変奏)―ここで西洋にハーモニーのコントラスト(長三和音と短三和音)を挙げておく。(譜例3)
そして再びスペクタキュラーなシーンが登場し、コーダ(ゼクエンツ部分の変奏、このモティースがその後の楽章で大変重要な役割を果たす)(譜例4)。
二楽章は前半の静かな部分「夜の音楽」(佐村河内談)と後半の激しいアレグロからなるが、前章であらわれた様々なモティーフによる更なるヴァリエーションである。
(一楽章をソナタ形式に於ける提示部と捉えるならば二楽章は展開部、三楽章は再現部とみなすこともできる)
三楽章は前の余韻を受けて「能楽」の囃子、コラージュ的部分を経て尺八の冒頭が再現される、ここでは笙のか代わりに弦楽器が増四度上で現れる、実に美事である。
メインテーマがアダージュで(本来の姿で)再現され圧倒的なコーダで締めくくる……
以下は若干の譜例による指摘にとどめるが、この作品は様々な要素を複雑縦横に織り込んだ大変興味深い大曲であり、聴き手は注意深く聴き込む毎に新たな発見を見いださせる至宝の逸品と言える。
引用者注:譜例3には『マーラーの交響曲第8番(第6番かも、とにかく字が小さくて読みにくい)が想起される!』と書いてあるので、もともとマーラーが好きなんだろうと思う。また、誤字と思しきものも原文ママにしてある。
www.youtube.com/watch?v=ukFtX9iZPjU
余談だが、このサウンドトラックは贅沢にもxrcd2を採用している。ネットにある音源とは比べられないぐらい素晴らしい音楽が堪能できる。
論旨は違うけど、文字で言えばどうなのかわからないけど言語でいえば効率的とはいえない気がする。
たとえば
日本語「ちょっとこっちに来い」「こっちってどこですか?」「どこってオフィスだよ」「オフィスってだれの?」「いいから来なさい」「いいからの意味がわかりませんが」「私は、あなたを、私のオフィスに呼んでいるんです」←すでに会話の意味が一人歩きして全然関係ない会話に発展している
日本語「どうぞおかけください」
日本語「どうぞお座りください」
日本語「どうぞすわってください」
日本語「おすわりなさい」
日本語「かけて」
日本語「座って」
日本語「座って」「人をまねいておいて座れとはなんだ。おかけくださいだろ」「椅子に座るという行動自体を促すのに表現は関係ないでしょ?」「言い方ってものがあるだろ、人をまねくとか座るとかいうこと自体の意味について考えたことがあるのか?」←すでに会話の意味が一人歩きして全然関係ない会話に発展している
英語「have seat」
「I'm so sorry」ひとつにしても「私が SORRY の状態をあなたに対して持っている」というだけの表現が
対峙した状態で千変万化なところとかが、言い方ひとつでという「言葉だけで態度や背景を含める」みたいなパケットの増大を防いでいるような感じ。
発する言葉自体に時系列や状態や条件、その言葉だけを書き起こして言葉じりを判断されても状況が再度確認できるようになっているのは言葉としては高効率だろうけど情報伝達が指示や明確な目的達成の手段である場合については、すごく非効率な気がする。
標準時の変更を 与党議員が発議=韓国 聯合ニュース 11月21日(木)19時22分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131121-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国与党セヌリ党の趙明哲(チョ・ミョンチョル)国会議員は21日、日本の標準時と同じ韓国の標準時を韓国本来の標準時に変更することを柱とする「標準時に関する法」の改正案を発議した。
韓国標準時は日本標準時子午線の東経135度を基準とするが、これを韓国の国土の中心を通る東経127.5度に変えるという内容。その場合、標準時は現在より30分遅くなる。
韓国は1908年、東経127.5度を標準時子午線に定めたが、
日本植民地時代の1912年に朝鮮総督府の指示で日本標準時にそろえた。1954年に東経127.5度に戻した後、1961年に再び135度に変更した。
趙議員は、現在の韓国標準時子午線の東経135度は韓国の領土を通っておらず、韓国最東端の独島からも278キロ離れていると指摘。「標準時の改正を通じ、領土主権と歴史を再確立し、国のアイデンティティーと国民の自尊心を回復すべき」と述べた。
mgk1202@yna.co.kr
●韓国標準時 - Wikipedia、フリー百科事典(google翻訳)
http://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%95%9C%EA%B5%AD_%ED%91%9C%EC%A4%80%EC%8B%9C によると
1912年 1月1日:東経135°UTC +9に変更。朝鮮総督府官報第367号(告示第338号)。
1954年 3月21日:解放後、大韓民国の標準時間は、再び東京127.5°UTC +8:30へ変更。大統領令第876号(1954年3月17日)。
1961年 8月10日:国家再建最高会議の決定に基づいて東経135°UTC +9:00へ変更。法律第676号(1961年8月7日)。法律第3919号(1986年12月31日)。
となっていて、詳しいことはわからない。
少し詳しく調べてみると
●日本が奪っ朴正煕がまた奪った '韓国時間' [走る鉄道で見た世界] (17)時間をめぐるいくつかの物語 インターネット紙 「プレシアン」(Google翻訳)
http://www.pressian.com/article/article_facebook.asp?article_num=10131025141140
1945年になるとすぐ時間を取り戻してくるとは、努力があったが、韓国の統治を務めた米軍政は、操作利便性という単純な理由で東京標準時をまだ守った。韓国標準時を再訪れたのは韓国戦争が終わって遠征きた米軍の撤退が行われた後の1954年3月だった。21日午前0時30分部大統領令によって再び東京127度30分を標準子午線とする大韓民国標準を指定します。1954年3月21日、大韓民国は0時30分を二回経験することになる。一度は東京標準時に一度ソウル標準時。しかし、このソウル標準時は長続きしない。7年後にクーデターを起こした朴正熙を筆頭とした軍部勢力は国家再建最高会議で、韓国の標準時間を東京標準時に戻って変えてしまった今まで続いてきている。
もう少し詳しく調べてみると
●良い名前の研究所は標準時を韓国の基準東京127度30分を適用しています(Google翻訳)
元韓国が使っていた標準を日本が強制的に日本のものに変えたし解放が
れた後一歩遅れて1954年に韓国基準の標準に還元したこと以上にも
1961年5月16日の軍事クーデターが起きたすぐ後の1961.8.10から再度東経135度を
標準時に変更したことをご存知ですか?
東京127度30分には大韓帝国官報第3994号(勅令第5号)に基づき、1908年4月1日から
それが、日本の日韓併合策の一環として、朝鮮総督府官報第367号に基づき、1912年
光復後、1954年3月21日、李承晩政権は日帝残滓清算の一環として、標準時を
変更して、時間を30分遅らせました。 しかし、当時、米軍は、作戦指揮権を東京
米極東司令部の関係で標準時の変更に従うことができないと頑強に反対した
します。
ところが、1961年8月10日、朴正煕の軍事クーデターが起きた後席月もされていない、
軍事政権は、法律676号(標準子午線変更に関する法律)に基づいて時間を30分
繰り上げ日本と同じ東経135度基準の標準時を使用する法案を可決した。
その時の理由は、国際的に30分差が出る標準時がないことを国際的
習慣と一致させるというものでした。 (これはとんでもない論理です)
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについては、これまで知られていなかったが、
最近入手した1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録による
面が会議に参加した某人が在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために
統一された時間が必要だと標準時の変更を要求してわずか数分で通過させたとされて
ています。
米軍の軍事作戦の便宜のために国の時間を無理やり日本時間に合わせるとんでも
国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、どうしてわかったのか。
[緊急提言]韓国時間30分ずらす "いい加減"風土消える 金基德 キム·ギドク 建国大研究教授·韓国史
東京127度30分採択は、「時間の光復」! (Google翻訳)
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_2.html
http://shindonga.donga.com/docs/magazine/shin/2005/05/25/200505250500029/200505250500029_3.html
1961年に国家再建最高会議が標準時を変更したプロセスについて、これまで知られていることがほとんどなかった。 ところが、
2004年8月KBSがソクジェの事件ファイル "光復59年、時間は解放されなかった"という番組を放送した。 KBSは1961年8月4日、国家再建最高会議第27次常任委員会の議事録を入手して、次のように報道した。
「光復」と「不快感」の間
「この会議に出席した関係者は、米極東軍司令部(在日米軍)が、在日米軍と在韓米軍、韓国軍との連合作戦のために統一された時間が必要だと標準時の変更を要請してわずか数分で通過させたと証言した」
結局、国民の代表機関ではなく、軍事クーデターで成立した「国家再建最高会議」は、米軍の要請があろうクーデターの承認を受けるために、1954年に標準時変更後わずか7年ぶりに東経135°を基準にした時間に変更したものである。 以降の夏時間(サマータイム)の導入根拠を用意するために、1986年に「標準に関する法律」に一回変更しただけで、現在までに我々は、1961年に改正された東経135°基準の標準時をそのまま使用している。
参考資料
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=tyahnstein&logNo=100194115583
韓国語で標準時は現在より30分遅くなる利益・不利益をまとめて書いたエントリー。
その人の一部を削り取って食卓に上っているのだったらその人にむかって「ありがとう」と言うのでいいと思いますよ。でも実際食べるのはだれかが収穫してきた別の命なわけでしょ?
ありがとう言う気があるのは充分いいことなので言うなら食卓に上がるまでに関わった全員訪問してから食べないとね。
「頂に登ります。」というヒエラルキー下位のものを自分の足元に得て
吸収し土台と成して上に立ちますという宣言で
自分の一部とすることで死や犠牲も自分の一部と扱い無駄にはしないという宣言です。
食べるために殺し奪いはするけれども、それは自分自身であり自分自身の為でもあるという自然と一体になる、また自然の一部で一体であることを意味していて
摂食される動物や植物が死んでその役割を果たす意味を唱えるとともに自分に委託された共生環境における相互利益と全体の豊穣を祈るものです。
現代風に言うと、
今日もご飯が食べられるのは日本国政府が貨幣管理し外交を行い法整備によって食料の安全と供給を一律のものに安定させその政策化でさまざまな産業が食料供給を行いその供給された食料を取得することができる努力をされた方々が自分のために調理してくださり今まさに食べる事ができます。今より関係者と食材の名前を順不同で申し上げます。Aさん、Bさん、・・・。
というのをまとめて「いただきます」と宣言して、では何の頂にあるのか、魚、野菜、それらの産地、農家、その自治体、法整備、知事、政府、自然、それらによって供給をされている一部を金銭などによって獲得したその小さな積み重ねの頂に登りますよ、という儀式なのです。
金銭は労働力という自分の一部を支払いその交換として得た食事であり食事は自分の労働であり労働は自分自身であるという循環する自然への信仰です。
あなたがいただきますをしたその食事は、供給の流れ全てと自分自身へのありがとうが同梱されています。
いただきますをした食事は、全部きれいに食べないと「自分の交換条件に適さない交換をすることになる」という独特の風土も持ち合わせます。
汚く食べる事が礼儀とか、一部を残して祈りとするという文化とは異なるところでもありますね。
でも、テーブルの上のあなたのそのシチューに作ってくれた彼女さんの血や髪の毛が入っているのだったら、顔みながらありがとうでいいと思いますよ。
あと関係ない話を付け足してしまいますが、おあがりなさい、召し上がれ、というのはまさにその上段に上りなさいという進言を返答としたものです。
また食べ終わった後の「馳走になった」はその四方八方の命を得たということで「それらの地と繋がりました(いろんな意味でいろんなものが駆け巡りました)」食べました、得ましたということです。
いまの訳では取得関係者への労いであるようですが、それであればまず最初に掛けるべき言葉なので、招かれる段階で「馳走になる」というのも習慣による変化ではないかと思います。
仏教が起源という話もあるようですが文化吸収は柔軟に広がりを持つ教義によくある形で、外国語に「いただきます」が無いところから宗教の関連性についてはお察しください。
ただ、今ある「お粗末様」の由縁はわかりません。
愚痴全般を否定する訳では無くて、愚痴を言うことでのいい効果も確かにあるのだと思う。
ストレス発散や、愚痴で人との繋がりや連帯感が生まれたりするものね。
ただ、そういうプラスの面もあることは認めるけど、僕はできるだけ愚痴は言いたくない。
僕が考えるに、愚痴や不満不平ってものは乱暴な言い方をすると何かのせいにするってことだと思う。
自分のせいじゃなくて、環境がとか、誰かがとか、色々あるのでしょう。
まぁそれは間違いじゃないけど、それ言っちゃうともう、変わんないじゃんって思う。
できるだけ自分のせいだと思うようにしているし、逆に全てを自分でどうにかできると考えている。
その上で、マイナスな言葉を吐く時は出来るだけ笑いに繋げるようにしている。
自分の中の不幸なことも、伝え方によっちゃ人を笑わせることができる。
不幸から幸せを生み出す。世界の幸せの総量を僕が増やすことができる。
話は戻りまして愚痴を言っている人について。
上司との信頼関係が出来ていなくて、部下は上司の居ない所で愚痴ばっかり。
なんとか間に入ってなんとかしようとしていたのですが、
こういう職場の風土みたいなものは、なかなか変えることは難しいですね。
で、最近このままここに居たら僕もそのうち不満ばっかり言う人になってしまうんじゃないかって、
世界を変えるとか調子乗った発言をしたくせに、職場ひとつ変えることができずに、
尻尾を巻いて逃げ出しちゃうのもアリかなーとか考えるようになってきました。
きっとここが踏ん張りどころだし、分かれ道でもあるのでしょうね。
まぁどういう選択をするにせよ、後悔の無いようにしたいものです。
池袋、それも西口(北西側)と言えば「中国人街」というステレオタイプな偏見がある。
確かに中国人が多いのは事実だが、絶対数では日本人の方が多い。
この祭りはあまり都内では知名度少ないが、規模的には都内でも有数の祭りである。
元は池袋北西側、「中国人が多い」側に立地する御嶽神社の例大祭がグレードアップされたもので、町内会毎(氏子毎)に盛大な神輿が池袋駅前に繰り出し、子供神輿なんかも繰り出す。
この祭りを見ていると、池袋西口方面は地元の中小自営業者が多い下町の街、保守の街なんだな、と実感する。
小説「池袋ウエストゲートパーク」は、こういう風土のもとに成立している。
このような伝統的な街の木賃アパートに、1990以降、徐々に中国東北系の中国人が流入して行った。
何も知らない人は、「池袋は中国人だらけ」と誤解しそうだが、実は3階建て事務所兼住居に自民党的池袋民が住み、その隣の木賃アパートに中国人が住む、そういう構図である。
以前いきなり「東京中華街構想」というのがぶち上げられ、その後沙汰闇になったが、そういう保守な池袋民だから、この構想に安易に賛同できない訳だ。
風土や景観を壊しかねないAを廃止すべきと主張するのは国を愛するが故だし、
当然の主張だと思う。
というか推進するのがB主義者だという人間っていうのは、第二次世界大戦でお国のためだからと無実の国民を徴兵し
強制的に戦地に送り込んだり、お国のためだからと1000年以上の歴史を誇るわが国の財産を鉛玉にするために溶かしてるような人間だから、
A推進自体もやはり既得権益のためであって、そこに住む人達の事を顧みていない証拠だよ。
先のA事故以降、Aの安全神話は崩壊してるわけで、それでもAを推進しなければならないと言うのは推進派の感情論、エゴだと思う。
風土や景観を壊しかねない原発を廃炉すべきと主張するのは国を愛するが故だし、
当然の主張だと思う。
というか推進するのが愛国主義者だという人間っていうのは、第二次世界大戦でお国のためだからと無実の国民を徴兵し
強制的に戦地に送り込んだり、お国のためだからと1000年以上の歴史を誇るわが国の財産を鉛玉にするために溶かしてるような人間だから、
原発推進自体もやはり既得権益のためであって、そこに住む人達の事を顧みていない証拠だよ。
先の震災以降、原子力発電の安全神話は崩壊してるわけで、それでも原発を推進しなければならないと言うのは推進派の感情論、エゴだと思う。
その原因的な部分の考察なのですが、出版というのは非常に小さな仕事なんですよ。
コミカライズやゲーム化、アニメ化の起点となる事が多いのでイメージだけは大きいですが、客観的に見てみれば、作者が書いて編集者が編集し、出版社が印刷費を出せば本はできるのです。取り次ぎや営業も定型化されているので、すごいことをしなければ、工夫も費用も余り必要ありません。
ライトノベルやその周辺ジャンルでは絵師さんがさらに必要ですが、美少女ゲームに比べれば必要な絵の数は数十分の一です。しかもほとんどがモノクロなので塗り師さんもいりませんし背景師さんもいりません。
なにが言いたいかというと、ラノベ出版は、美少女ゲームに比べ費用がかかりませんし関係するスタッフも非常に少ないのです(結果、完成商品の単価も安いです)。
その結果どうなるかというと、ある任意の一冊のラノベ出版が失敗をしても、その傷は浅くて済むのです。
もちろんそれが十冊二十冊と積もれば別ですが、単体の本がこけてもそこまで致命傷にはならない。
なんというか、総体としては大ダメージを受けないんですよ。もちろんその人が関わった作品は不作になる確率が高いでしょうが、ラノベ出版界隈全体がいつかしっぺ返しをくらうかといえば、くらわない。被害が限定的なんです。ラノベ出版界隈全体どころか、おそらく、そのレーベルすらくらわないでしょう。
こういう状況下では「内容的にはランダムなものを手当たり次第に出して儲かったものの続編を書いてもらう」という戦略が可能になります。
以上が、「あきらかにわかってない人間が作品制作に関わってる」、そしてそのままいられる理由です。
出版業界には「その本がどれくらい売れるかはバクチだよね」という文化があります。この文化はよい面も悪い面もあるのですが、元増田さんがあたった編集者の存在、そういう人が生存できる風土というのは、この文化の負の側面の代表例ですね。
もちろんこれらはよいことではありませんが、なくなる方向には動かないかと思います。
追記:
Webなんかでは「ラノベはそもそも自由に書けない/編集のいいなりになって書くしかない」というような意見を時に見ますが、それは間違いだと思いますよ。もちろん編集者からその種の圧力とも取れるアクセスがあることはありえますが、屈服を強要されるストレスというのは非常に大きいのです。そんなものに晒されながら長い間書ける人は多くありません。特殊だと言えるでしょう。現在本が出せている作家さんのほぼすべては、編集者からのリクエストに、内容面で折り合いをつけられている(編集さんのリクと自分の書きたいものを両立させられている)のです。また元増田さんは断ったわけですよね。断る場合、当然本は出ないんで書店店頭という意味では可視化されませんが、そういう事例も非常に沢山あるわけです。つまり、本が出ていて出続けている作家さんは、何らかの形で折り合ってるんです。折り合ってない場合、そもそも本が出ないもしくは、引退と言うことになります。ラノベ作家業=奴隷的労働で賃金をいただくというイメージは間違いですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
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にて田舎者を差別し、本人のブログhttp://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/07/01/220257で「差別的な思考」を「表現」の問題に矮小化して謝罪を行った@gudahcanであるが、その後どうなったのか観察してみた。
考えてみれば日本の人口比は都市部と地方で半々です。それに地方は超高齢化して居て、そんな時代に大学で田舎者がうようよいるのはおかしいわけで、実は彼らの実家は地の利の仕事の自営業者とかで親が高卒なんですよ。時代が時代なら大学にも進学せず家業を継いでいるような若者が東京に集るのは危険だ
2013-07-06 12:52:34 webから | Location:
URL: | Timezone:Toky
http://twittaku.info/view.php?id=353360800548782082
そんなだから地方の商店街は「跡継ぎがいないから」と廃業してしまう。農民がいなくなり耕作放棄地が増える。すると、地方衰退がさらに激化する。 都会の過密は一向に変わらず「一世代遅れ」の若者が多すぎるために都市社会の基本形がアップデートされず昭和のままに。東京はそうして国際競争力を失う
2013-07-06 12:54:03 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361173489528832
上京一極集中を廃止にしよう。そのほうが地方の未来も東京の未来も明るい。「高卒で当たり前」は本来は戦争体験世代までなんだよ。若者の親の時代(4~50代)は普通は大学いってるんだよ。首都圏育ちで親が高卒なんてほとんど全くいねーぞ。「親が高卒の田舎者」は単純に1世代遅れているんだよ
2013-07-06 12:55:25 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361518693335040
地方出身の友人知人、大勢いる。個人に対する情はあるんですが、社会風土としての上京一極集中は絶やした方がいいと思うんだわ。こんなの間違ってる。こんな親の若い頃みたいな人間が自分ら世代とか自分より若い年齢の大学生に多いから東京は文化も労働環境も時代遅れのままで落ちぶれるんだよw
2013-07-06 13:04:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353363794732396544
地方出身者が地元に残った仲間との「格差」を口にするのを聞くと「いや、お前らがホイホイ東京に集るからそのしわ寄せが地方に発生してあんたの友人も格差に苦労するんだろ」としかいいようがないのだが、同じ口で「上京して村を捨ててよかった」と自画自賛するから本当に鬱陶しかったな
2013-07-06 13:20:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353367868806660096
良いヤツほどUターン就職するんだけど、嫌味っぽいやつばっかり東京に居残るんだよ。商業主義のカモみたいな、着飾って、ギョーカイ人でもないのにTOKYO全開の場所にいきまくって、利己主義で軽薄な人間ほど残るわけ。東京がつめたい町になるのは間違いなくこのせいだと思うんだよねw
2013-07-06 13:22:06 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368233044213763
俺は地方の人は嫌いではないけど、東京に居残る田舎者はいやだなあ。東京(都会)の嫌味な部分を上辺ベタベタにぬったくって、田舎(地方)の悪い所、陰湿さとか村社会?とか封建仕込みは踏襲するあの感じ。ドヤ顔でTOKYOっぷりをひけらかすあの感じはマジで吐き気がするし
2013-07-06 13:23:45 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368648787828738
昼ドラマとか電話人生相談に出てくるような漫画みたいな姑的というか村八分社会に生きるしょぼい田舎者みたいな、そういう陰湿で「そんなことを気にするのか」という人の細かいことを槍玉にあげ、執着し、くどくどと文句を言いたがる、こういう人間は碌でもないよ
2013-07-05 11:29:38 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352977541092474881
そして、あくまで「スクールカーストの下目」なんだよ。「スクールカーストの一番下」ではない。そして、そういう人間は、近親憎悪から一番下をイジメるんですね。いじめられっ子はみんなそうだった つまり、生活保護を批判するのは「生活保護に依存しない貧乏人」だと思う
2013-07-05 12:26:23 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352991824043978757
なんつうの。ほら、田舎とかの自称進学校卒で、田舎の人間なのにチャライこともやんなかったり、つうかオラオラ系にはびびっちゃって、一方で引きこもりやオタクや偏差値の低い高校の子どもたちを蔑視しているような、そういうポジの人、日東駒専大学にはうようよいるけど、「性格悪いいい子」多すぎw
2013-07-05 12:40:20 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995334777094144
日東駒専大学の中でもやはり数割程度だけど、こいつら、マジで閉塞感&存在感ヤベーよ。こういう人間たちは、偽でもいい子で「真面目系」だから自分自身は批判にさらされることはないので、極端になるわけですよ。あと、生きているフィールドが狭すぎるというのも問題だね
2013-07-05 12:41:29 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995621457756160
そういう馬鹿が日東駒専大東亜あたりの中堅(または中の下)の大学には多い。マーチにも下流層あたりに数割はると思う。こいつらのなりふりってネットの足手まといみたいな匿名世論そのものでマジで面倒くさい。自分みたいな出すぎた杭でない限りは厳しい批判にさらされているんだよ
2013-07-05 12:49:48 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352997717041094656
田舎はオラオラ系至上主義だろ?田舎育ちでチャライ兄ちゃん姉ちゃんは案外いい人多いんだよ。で、田舎だとしょこたんとか土田みたいなアニメ被れた中間層がいないから、カーストの底辺がヲタになる。田舎出身のヲタはいい人多い。ほどよい進学校でほどよくガリベンして手抜きしてた人間が一番たちが悪
2013-07-05 13:05:14 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353001600580722689
田舎だと子どもじゃないのにアニメ見てるってだけで、逸脱者だろ。あれも面倒くさそうだけど、その逸脱経験があるから寛容なれるんなら、上京すりゃあいい生き方で切ると思う
2013-07-05 13:13:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353003669752516608
田舎の「ただのいい子」は限りなく偏狭だ。「頭がいい子」ならその頭脳をもってよく学び、視野を広め地元で一番の高校にいき、いい大学にいってエリートになる。「クラスメイトウケのいい子」はオラオラ系っぽくても弱い者に気にかけたり笑顔でお神輿かついでそうだ、田舎の「ただのいい子」は問題だわ
2013-07-05 13:17:50 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353004771931725824
偏差値ヒエラルキーでもスクールカーストのヒエラルキーでも上位ではない。けど、底辺でもない。国道の中央分離帯に生えてる並木みたいなありふれた存在の「いい子」は、高卒になるほどアレではなく、されど名門大に行くほど学もないから首都圏の中堅大にはうじゃうじゃいるんだよ
2013-07-05 13:19:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005228028723201
都市部の「ただのいい子」なら別にいいんだよ。首都圏はやはり人口が多く流動性がある故に多様性がある。休日なんかには遊んだりする経験も豊富だろう。「疎か過ぎず密すぎない」クラスの付き合いの中にも地方と比べると多様性がある。首都圏と札幌仙台名古屋関西福岡はそんなもんかなあ
2013-07-05 13:21:27 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005679084191744
@-------- 地方固有のよい文化や風土についてを貶める意図はないのですが、そういう点のみを読むと誤解されてしまうのも仕方がないでしょう。昔と違って今のネットユーザはじっくりと読みませんからな、ぱっと見た上で問題があったら批判をするでしょう。再考が必要かもしれないです
2013-07-02 16:15:33 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=351962332760514561
ホームの床に座りこんで通行客相手に堂々と巨大M字開脚してる女の子はヤバいな。県央ギャルはさすがにクオリティが違うわ
2013-07-03 23:16:36 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352430678316552193
彼女との痴話喧嘩にキレたのかゴミ箱を蹴っ飛ばし飲んでいたビール缶を線路に投げて三回くらい唾を吐いて叫んだ青年よ。県央人の立派な鑑だよ
2013-07-03 23:21:05 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352431806131343360
タイムラインが勉強になる。なるほどなあ・・・都市と地方の差ってこれかもな 「一般的な小中学生が洋楽に並程度の認知理解があるか、または並にも満たないか」
2013-07-05 13:40:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353010467783966722
@sasakitoshinao (承前)なんら過ちを侵していない人への理不尽な難癖による「炎上」ケースもたまにありますし、炎上に満たなくても、ネット上で些細ないざこざをおこしたがる人というのは、どこにでもいます。佐々木さんはこの辺についてはお気づきでしょうが、どう思われますか?
2013-07-06 15:45:37 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353404348778299392
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
世界的に見て日本は一国家としては必ずしも低い評価を受けてはいないが、1人1人の「日本人」という立場で見るに日本人は折衝力が極めて低い民族とみられているのは確かだ。
それは今に始まったことではなくペリー来航の頃から少なくともそのようになっていた。これは長年にわたる遺伝子の取捨選択の結果とするならば、その原因は日本の風土にあると言わざるをえない。
日本人は人に何か強硬な主張をされたり何か痛い部分を批判されたりした場合に、じっと堪え忍ぶ民族と思われている。
それは日本の古き良き付和雷同の文化では個が強く主張するのは好ましくなくて、少しへちまなことを言えば村八分やGoogle八分にされてしまう。
日本の風土を考えるとこれはさも当然のことと言える。底辺校でもデキる奴はデキるように見えるのと同じく日本でも主張の激しい人はいる。それは海外諸国の大多数では平均なのだ。
それが世界から見ていかに奇異に映ろうとうちはうちよそはよそであり郷に入れば郷に従ーえであるからそれ自体は問題ないと言えるが、それに付随していささか厄介な問題が付随しているということを今申し上げているのである。
具体的に話すと日本は何か言われたときに言い返すと基本的にバカをみる国でありだからスルー力がことさらに言われるのであることは想像に難くないであろう。
しかしよくよくつぶさに観察してみれば本当にコミュ力のある人間はちゃんと言い返せる。このコミュニケーション様体をアサーションと呼ぶのが一般的だ。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃの言葉通り言いたいことを言えないのが人間にとって一番苦しい。その場で言い返せればいいが言い返せない時は裏で陰口をたたいたり
机の引き出しの奥にしまってある日記帳に怒りとともに激しく書き殴ったりするのが日本風である。それでも我慢を重ねているうちに無駄に耐性がついてしまうのが人間の設計の悪いところ。
人間は我慢というスキルを無駄に身につけてしまったがために、より良い適応のチャンスを失ってしまった。
つまるところ、その場で変に押し黙ったり変に意地悪な態度をとったり変にねじ曲げたりせずに素直に自己主張しなさいという話である。普通に接することのできる人間を人は最も信頼するのである。
だからホームステイなどした人の体験談に頻出するのが日本人はよくわからない人、それも単に変な人やシャイな人という意味ではなく、人として普通に接しにくい人とみられてしまう。
我々はともすると頭脳を怠けさせがちである。こと日本の風土にかけては誠にその風潮が根強いと言える。
日本人はやればできるのにやらない人が多い。日本人は頭をもっと酷使せねばなるまい。
2chのダイエット板のスレをみるとどれもこれも胡散臭い。で肝心の「思考ダイエットスレ」がない。
これを誰もおかしいと言い出さないのが今の日本である。誰もがおかしいおかしいと思いながらも押し隠している。
将棋棋士は対局で3kg痩せる。痩せるんだから頭使えと苫※地()は言うが、確かに棋士は総じて痩せている。
実験してみたらペースは安定しないが平均すると概ね毎時0.4kgのペースまで痩せることができた。ただしトイレと水分補給はOKで、食事はしていない。
対局8時間で3kgは痩せる計算である。棋士は対局中食べるのでさらに脳を酷使していることが数字で確認できた。
そういえば体重減少は汗や尿や大便といった排泄物できまることを再確認されたい。トイレでどれだけ減少するかというと全体の減少の7割を占める。残り3割が汗である。
つまり2時間で0.4*2*0.3=0.24kgもの汗をかくわけw 寝ている間にコップ一杯の汗をかくと言われるがそんなの頭使ってれば2時間だよと言いたい。
君も実験し検証してみるがよろしい。トイレ、食事といったファクターがそれぞれどれだけ体重に影響しているのか。
さらに、その根元をたどると、思考が多いほど体重減少が多いこともみえてくる。またどのタスクがダイエットに効果的かもよくわかる。
例えば数学の問題を解くのはあまり体重が減らない。計算を大量にするのはなかなかカロリーを使う。
人と話すのもかなりカロリーを使う。読書は頭を使おうとするか、頭を使うような内容かでカロリー消費に差がある。
数年前に夢をあきらめないということというエントリを読んだ。
サッカーライターになりたい!と明確に意識したのは、大学生の頃だった。
金子達仁の「28年目のハーフタイム」、木村元彦の「悪者見参」などなど。
こうした作品に影響を受けまくって、「いつか、こういう作品を書いたる」と意気込んでいた。
何の根拠もなく、どこかには通ると思っていた。
無理だった。
マイナーな専門分野に特化した雑誌を作っている出版社にすべりこんで、そこで広告営業の仕事をした。
それでも、「ここで何年か頑張って営業→編集→スポーツライターだ」と思っていた。
当然、そんなに世の中は甘くなかった。
そうとばっかり思っていたら、なんと自分より後に入った新入社員が編集部に配属されたりした。
モチベーションを保つのが難しくなったが、当時の編集長が喫煙所でタバコを吸いながら
「次の異動でうちの編集部に呼んでやる」と言ってくれたので会社に残った。
でも、そんなタイミングで会社の経営陣が丸ごと入れ替わったので、そんな些末な異動の話は吹っ飛んだ。
さすがに限界だと思って、転職活動をして、なんとか編集の仕事ができる会社にすべりこんだ。
そこは、大企業の子会社で2chで「社畜www」と叩かれるような企業風土のところだった。
そんな雰囲気の会社で、2年半ほど「編集者」として働いた。先輩の編集部員や上司とはまったく“肌”が合わなかった。
逃げるように、今の会社に転職して、細々とWeb編集の仕事をしている。
それが俺の日常だった。今じゃサッカーより野球が好きなぐらいだ。
ある日、会社に見たことのある人間が入ってきた。それは前の会社にいた時、最初に入った会社の先輩が紹介してくれた
何回か一緒に昼飯にいったりして、サッカーの話をした。でも、その時は何も起きなかった。
しばらくして、その人は会社からはいなくなったが、仕事でチョコチョコ付き合いは続いていた。
そして、またある時、その人が「自分が企画したサッカー関連の同人誌にノーギャラだけど寄稿しないか?」と声をかけてくれた。
でも、今更俺に何が書けるというのだろう。
チャンピオンズリーグなんて、ここ数年結果しか知らない。Jのスタジアムにもほとんど足を運んだことがない。
戦術分析のサッカーブログなんて世の中に溢れかえっている。そんな中で何が書けるんだろう。
5,000字に満たない原稿だったが、スポーツライターを目指していたときの気持ちが蘇ってきて楽しかった。
掲載誌が送られてきて、他の寄稿者の原稿と比べてみると、異質すぎて浮きまくっているように思えた。
でも、サッカーについて思ったように書いた原稿が「読者」の目に触れることは純粋に嬉しかった。
6月4日。本田がPKを決めて、日本代表がW杯出場を決めた日。俺は試合を見るでもなく、普通に仕事していた。
大学生の時、2002年は鈴木隆行がゴールを決めた。あれからもう10年。あのときは2006年W杯には取材で行っていると思っていた。
送り主は、原稿を書くように誘ってくれた人だった。
「○○さんの書いた原稿、市販のサッカー雑誌の編集者が転載したい、と言っているんです」。
俺は「サッカーライター」にはなれなかった。でも、今度俺の書いた原稿がサッカー雑誌に載る。
それは「夢が叶った」なんて大層なものではない。
俺も坊主だけど、
ただ、何で坊主なの?みたいな話は、前職だとよく聞かれたね。
上長から一年目で坊主で世間的には生意気みたいに思われるから気をつけた方がいいよ、みたいな涼しげな顔して忠告された時は、
絶対お前が思ってんだろうとうざかったな。
それもあって、会社移って、今は私服だし、自由だし、色々職場は快適だわ。なにより俺以外にも坊主いるし!!
世間的には、みたいな考えは正直好きではないけど、働いていたら企業風土みたいなのは免れないし、
お客さんによっては髪型でNGとかわけわからない人って絶対いるから。
http://anond.hatelabo.jp/20130405172016
すみませんわかりにくくて。
それを導入していない対象国が1つあったとして
(ビッグデータが対象1つの国における成功の可能性にどう因果関係があるのかといわれたら)
こういうくくりで国単位でわけたとして 「日本と似た動作をする市場」 を
(気候・風土・習慣・土地など含めて100の国のうち「日本でもそれを実施すると同じ効果が期待できるのではないか」という候補単位としての国)
を略して「日本という国」
にしてました
ごめんなさい
なんつーかな
理系が人口比の25%いるわけだが、理系女子は全体の1割ぐらいだろ9割が男子
他にも、体育会系の仕事みたいに、同じく男子のほうが数が多い物もある。
つまり、残った文系の統合職とか一般職に大卒女子が集中する傾向にある。
つまり、女子の敵は女子という事が起きて、女子の就職戦線が激化する。
つまり、女子が差別されているというのは、日本的風土であるかもしれないが、昨今はだいぶ改善されている。とくに能力が高い上位職になればなるほどだ。
反面、誰でもできるたぐいの一般職は、女子だけでも競争倍率が高い。そこに男子も流れこむ。
そんなに、女子の待遇改善が希望なら、理系来いよ。スカスカだし、モテモテだから。
別にどこの国でも引かれたり警戒されたり周囲でなんか事件が起きたときに捜査に浮上したりすると思うぞ前科持ちは。
よその国では違うっちゅーのか。