はてなキーワード: 風土とは
配偶者を「パートナー」とか「相方」とか呼ぶのを聞くと非モテの自分はとてもイライラする。
なぜかというと、嫁とか旦那とか家内とか主人とかいう呼び方というのは、社会制度と風土としての婚姻関係を示すものなのに対して、
パートナーとか相方という呼び方は、「(お前らと違って)私たちは社会とか関係なく成熟した大人同士の成熟した恋愛をしていますのよ」という優越感の搾取を感じてしまうからだ。
たしかに男女平等は大事だと思うが、そういうことを重視する人たちが安易な成熟主義、マッチョイズムにはまって別の弱者を足蹴にして何も省みない、という状況を結構よく見る。
上野千鶴子なんかが好例だろう。
今年になってスタッフ増員が決まって、機材やらソフトやら用意でいろいろ準備が忙しいが、
入れただけのリターンは得られているのだろうか・・・。
なぜこんなことを言い出すかというと、こんな状況があるからだ。
計画や監督している人間の話を聞いてみたところ、一応、即戦力の人間を引き入れたらしいが、
そういう人ほど自分の流儀が強すぎて、なかなか会社の風土や流儀を受け入れてくれない
(コントロールが難しい)と嘆いていた。
例えばでいうと、プログラマー系の人材だと、自分の使い勝手のいいという
よくわからないメーカーのソフトを許可なく勝手に入れて使おうとするし、
ディレクター系の人材だと、会社のしきたりみたいな部分がなかなか飲み込めないようで、
かなり苦労しているし、だからと言って飲み込めない期間が長いと見切りを付けられた人もいた。
要は即戦力になってくれないわけ。
そりゃあ、いくら優秀だったとしても所詮は中途採用の派遣スタッフなので、
長期と言ってもいてくれる期間に限度はあるし、職場になじむまでの期間の教育も、
とにかく時間がかかるし、優秀な人ほどなかなか居ついてくれない。
そして実際に現場で行われているのは、ものづくりの人員増強というよりも、
受注が増えそうな案件対応用の流れ作業担当を増やしているだけだし
そのあたりって上の人たち(役員・幹部クラス)はサッパリ見てくれていないんだなーと感じる。
そんな話を諸先輩方にしてみると、
「(自分が作った)教育マニュアルがあるから、新しいスタッフが来ても大丈夫!」と豪語する人もいたが、
別にその人はマニュアルを作るところだけやって、以後その人がつきっきりで教育することはないわけで。
・・・と、そんなこともあって、上の人たちが、
会社の方針は「コミュニケーションをデザインすることだ!」とか
「うちのクリエイティブがドコソコの業界ではトップクラスだ!!」とか言っているのを聞いていると、
むずがゆくてしょうがない。
だって、ものづくりができる正規従業員なんて数えるほどしかいないんだもの。
というわけで、今後どうなるんだろなーと思って今は様子を見ている。
「大学教師が新入生に薦める100冊: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」のCSVファイルを重複排除・ソート。出現数3回以上だけを抜き出してみた。記号が統一されていなくて漏れてしまっているのもあるかも知れない。(ゲーデル、エッシャー、バッハ─
の長音風記号はなぜか統一されていて、Amazonでも全く同じ表記)
江戸時代とか、日本は世界で最も成功した社会主義国家である、とか言われてたころの風土が未だに残ってるのが地方。
都市部は競争社会に転換できたけど、田舎はずっとその頃のまま。転換するタイミングが無かったからな。
みんな平民なのよ。「職業選択の自由」なんてパイが多ければこその発想であって、公務員になりたいといっても、規模が数十人とか数百人とかそんなだ。
年の新規採用の人数想像付くだろ?助役の息子さんと試験面接して勝てるか?無理。
そういうのがいやだ、と思った人のために都会がある。
http://anond.hatelabo.jp/20140510231402
1社目:11ヶ月
2社目:6ヶ月
3社目:3年
という社歴なので、転職活動はよくやりました。過去の転職活動では全く苦労したことありません。
大体1社〜2社受けると全部内定出るか、もしくはヘッドハンティングです。
正直、この記事書いてる人は人のせいにしすぎ。
受けてる企業で2次に進んでる企業をみると、どうやら大手で書類とかペーパーチェックが緩いところだけ通過してる気がします。
ということは、まず可能性として以下のどれかです。
1.「本当に技術力がない」
2.「風土に合わない(=要はコミュニケーションしにくそうとか)」
3.「他の人に比べて良くない」
どれかの原因があるわけですよ。
ってことは、なんか努力しないと。技術力足らないのかもしれないし、ひょっとしたら話しにくいのかも。
自分はいつもどおりだから企業どっか受け入れてってのは横柄では?
どういう資料で書いてるのか知らないが、ちょっと暴論だなあ。
「遣唐使をサクッと廃止」って、まず遣隋使から始めて「日本」という国家の成立期に300年間も影響下にあったことを簡単に片づけていいのか、と。
その後の「国風文化」を高く評価してるんだろうなと思うけども、それこそ明治政府が作り上げた「和」の虚構にまるっと乗っかった無反省な議論であって、現実的には鎌倉、室町、江戸と、一貫して政治的、経済的そして文化的にも大陸の多大な影響下にあったことは、紛れもない事実。
たとえば、「国風文化」で取り上げられる「枕草子」でも、ちゃんと読んでみた? 遣唐使廃止から100年経っても、依然として「漢籍の素養」が文化の中核だったことはすぐ分かる。「真似をしてしきれない部分」は多々あったろうけれども、「モデルとしての中国」の存在は、日本に関して言えばずっと意識の底にある。「似てない=影響ない」とは単純に言えないよ。「中国からの影響は小さい」なんて、一言で片づけられるもんじゃない。
また、中国の文化に「異民族の文化が混ざっている」ことをして、文化の連続性を否定しているけれども、むしろそれこそ「連続性」の最たるもので、そこを否定したら日本文化の連続性ですら怪しくなる。中国から、西洋から多大な影響を受け、かつ、京都貴族→関東武士、関東武士→九州武士、と権力が移り変わった日本文化には連続性などない、と言った方がいいのかな?
たとえば明治に入って、古くからの江戸の人は「田舎者の大量流入で、江戸はすっかり失われた」と嘆いたし、確かに現在の東京は「江戸」とはすっかり違う町だけれども、今の東京を見て、それでもそこに「人」と文化と風土がある限り「江戸」は息づいている、と言って別にいいと思うんだけどね。
ただ、後半の「共産党政権も、歴代中国王朝と大して変わらない」というのは、同意。中国は歴代「外国」との関係の維持構築が下手だし今も下手。これは、実際どうしようもない感じなので、中国が21世紀型の「大国」として生まれ変わるという未来は、おっしゃるとおり「歴史上一度も成功したことのない難事」であり、その意味では万里の長城築くより難しいよね。まあ、今の統一状態を保っていくだけでも相当な難事だし、そのためにヤバい橋を渡り続けてどこかで破綻……というのが一番ありそうな未来だと思うけど。問題は、X-DAYがいつ頃になるか、それまで周辺にはどんな影響(とばっちり)があるか。そして、その際の日本の利益を最大にするためには、中国内のどういった勢力と連携していくかを慎重に見定めることが必要だよね。
3つに分断する。
国A:東京から東海道沿いの東京/名古屋/大阪周辺に限った組織
=新自由主義、アメリカとシンガポールとシリコンバレーを3で割ったような政治体制。「金融」「アイディア」「メディア」「企画」「デザイン」でなりたつ風土。アップorアウト。会社でいうと、ネット系メディア企業や外資
=みんなで共有、みんなで考え、みんなで頑張る。やや没個性。「農業」「漁業」「運送」。組織で言うと自衛隊や地方公務員の雰囲気。
今の日本に近い感じ。より福利厚生が充実で北欧っぽく。みんなだいたい同じ年収、同じ学歴。「工場」「精密機械」「製造」「医療介護」
会社でいうと、パナソニックや建設会社の雰囲気で昔ながら。年功序列で上下関係はしっかり。新人は待遇は低いがそのかわり先輩はしっかり新人をみてくれて将来のステップアップのレールがあるからローンも組みやすい。
挙式後に家族だけで食事会をする場合も、それを「披露宴」と呼ぶことがあります。
あなたは、あなたの狭い価値観で、披露宴というものをイメージしてるのではないでしょうか?
最近では、職場の人間を呼ばない披露宴など珍しくもありません。
私の周りでも、上司が部下の披露宴に呼ばれないのはよくあり、既にそれを非常識だと叩く風潮はありません。
あなたは、あなたの狭い価値観で、新郎の職場の風土や新郎の上司を貶めているのではないでしょうか?
あなたは、後輩が、両親の病気の状況と職場の人間を呼ぶこととを比較考慮して決断したことに対して、
後者の重要性を訴えるあまり、よく知りもしないくせに前者の事情を軽視しているようにも見受けられます。
あなたは、あなたの狭い価値観で、新郎新婦の両親の病気を大したことのないものと捉えたのではないでしょうか?
しかも想像力の足りなさ、価値観の狭さもあいまって最悪ですね。
「未熟で無知なあなたのために世話を焼いてあげる」という後輩に対する驕りまで見えて、反吐が出ます。
恥を知れよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140412184724
上の元増田の話
・部活担当教師が見えない形で被っている負担(この場合は車代差額…維持管理費差額含め、おそらく遠征時のガソリン代も自腹)
・対する待遇の低さ(元増田が書いてる一日当たりの手当額は、高額な方。県によっては1,200円とかのところもある。そして「年度末に予算が苦しくなれば打ち切り」。部活動への外部講師の話はしばしば検討されるが、進まないのは「一日1,200円で来てくれるまともな技術指導者・講師など、普通はいないから」。)
ということも付け加えるべき。(一日1,200円で来てくれる酔狂な講師がいたとしても、「生徒の怪我等には、あなたも個人として責任も負うことになります」と言えば、また、ためらわれる。というかそれ以前に、頼む側の常識が疑われる案件だろう。)
移動なんて、本来は、マイクロバスなどを借り上げて、その費用を部員の保護者に請求すべき筋合いのものだが、公立校でそんなことできようはずがない。請求・取りまとめ・精算にかかる事務の手間だけで、あっという間に部の運営は立ち行かない。だから、元増田のようなことになる。でも、こういう「自己判断でこっそり移動」をさせるせいで、もし事故などが起きれば元増田を守る方法がない。「生徒を自分の車で移動させていた先生が悪い」となる。下手したら「遠征費を浮かすためにやっていたのだろう」などと批判されかねない。
遠征費!何にでも使える遠征費!そんな便利な金があればオレにくれ!生徒には、選手のお前らには学校や県から補助が出てるからな、と言って、連れて行って飯を食わせてた。出てるのは全国大会ですら、片道交通費の8がけと宿泊費一日3,000円くらいだよ。練習試合じゃ出ねんだよ。残りの交通費は学校経費かオレの金だよ。そんで、お前らが今食ってる飯代は10割オレの金だよ、なんて、頑張って全国大会に選ばれた生徒に言えないだろう。保護者から金集めろって? じゃあ「金のない奴は代表辞退しなさいね、つーかそもそも部活なんてやらないでね」って言えんのか? 言っていいのか? どうなんだ? ……すまない。興奮してしまった。(ちなみに私立の学校が代表に入ってる場合はいくらか楽ができた。1/5が1/2くらいにはなったよ。)叩きたきゃ叩いてくれ。頭悪いから、自腹切る以外にいい方法思いつかねんだよ。
これは社会が悪いのではなく、そもそも部活動というものが一般社会の想定する常識とかけ離れたところで運営されていることが悪い(どこの社会人が、毎週土日を潰し、自分の子どもをほったらかし、余所の子どもの習い事を、足代飯代に身銭を切って面倒見るというのか。しかもそれが、事実上、『業務命令』として下されるとは! そんな人がいることを想定してないのは、社会が悪いんじゃない。そういうことを当たり前にやってる組織が悪いに決まってる)。
自分も、教育の隅に席を占める立場で、かねてからこういう不健全な組織は学校から切り離すべきじゃないのかと思ってきた。
(ちなみに、公立校で、教師の自己犠牲や奉仕活動によらないで成立する部活動は、運動部文化部問わず原則一つもない、と言い切ってもいい。)
ただし、これを一種の「社会奉仕活動」だと考えれば、いくらか納得がいかないでもない。海外では休暇などを使って、学校教員が積極的に社会奉仕活動やプログラムに参加したりする。社会奉仕活動をするのは、教員が社会常識を身に付ける上で非常にいい機会だと思うので、本当はそれができるように法や制度を整備すべきだと思うのだけれども、残念ながらそういう風土がない日本では、それに代わる一種の社会奉仕活動として、学校の部活動があると考えてもよい。その意味では、「学校の部活動」という概念を捨てて、「地域社会・一般からの参加を積極的に受け入れる社会運動団体」化を段階的に進めていくというのが一案だ。つまり、クラブチーム化する、ということ。学校の部活に、地域の小学生や社会人、お年寄りまで受け入れるってこと。んで、事務・運営にも一般の方(当面はPTAなど)に入っていただく。プロのある運動競技などなら、プロとの提携も視野に入れる。これにより、
・活動の拡大
……などの利点が見込まれる。だが、その反面以下のような課題も考えられる
・部活動が学校から離れ始めると、学校運営への部活動利用が難しくなる(指導困難な学校ほど、生徒指導と部活動が一体化している現状がある。運動部員がいるから学校が落ち着いている、など)
・現状、これも教員が負担している、大会運営などを行う都道府県の事務組織運営を誰がするのか、という問題(これは、部活顧問に成り立ての若手教員などは余り分かっていないと思うが、地味に相当の負担)これは、たとえば運動部の場合、特定の運動部の都道府県組織だけではなく、都道府県の運動部全てを扱う高体連組織、更にはブロック高体連、全国の高体連の事務局運営なども含めての話。ブロックや全国の事務局となると、予算立てをしてそれ用の事務員さんなどを雇うことになるが、それ以下の大半の組織では、そんなお金はどこからも出しようがない)
……そのため、こういったこと(一度は考える教員も多いと思うが)には、ちょっと手を出しかねて、結果現状維持、となっていると思う。
それらを踏まえて、個人的には、いまの部活動の現状はやっぱりおかしいと思うし、変えるべきだと思う。しかし、「よりよい対案」や「その対案へソフトランディングさせる方法」というのは、なかなか難しい。従って、こういう場合には、むしろトップダウンで(たとえば文部科学省から「全ての部活動は段階的に社会体育に移行すること」という通達を出すなど)進めるのが、改革するにはベストの方法だと思う。
君は次の二つのどちらがいいと思う?
1. 低賃金で奴隷労働をしてくれる外国人を受け入れる。日本語も出来ないし、素行も悪い。
2. 付加価値のある労働が出来る外国人を受け入れる。母国語と日本語と英語がペラペラ、エリートで日本人と職を競合する。
もう今年から研修生という名前のもとに、最低賃金以下で働く外国人を増やそうとしてる。
長期的には無理だよ。
不満も出るし、日本の経済が追いつかれ、物価の差がなくなってきたら、そんな条件で働いてはくれない。
俺は、2にシフトしていくと思う。
いい悪いとかではなくて、むしろ付加価値のある仕事を出来る人間のほうが世界中を移動するのは自然なことだ。
クリストフ・ウェバー、クレイグ・ネイラーみたいな外国人社長が当たり前になれば、部長級、課長級も徐々に外国人が増えてくる。
経団連がなにもしなくたって、企業の内部から外国人を拒まない風土ができてくる。
その頃から、最初は低賃金労働についていた外国人も、ホワイトカラーの椅子を日本人と奪い合うようになる。
困る人もいるし、俺だって困る側に回るかもしれない。
でも、しかたないと思ってる。
http://gin0606.hatenablog.com/entry/2014/03/04/211916
プログラマが勉強しないと生き残れないってのはある程度間違っていないんだけど、
それを強制するかのような物言いは、
どこか似ている気がする。
会社のカラーに沿わない奴をその会社の風土に無理やりなじませる、
あまり変わらなくね?
社畜ってのは労働基準違反を肯定的に見るという不法的な側面あるので
勉強厨のほうが会社としての資産(技術的なもの、またその技術により得られるもの)が
おそらく分かりやすいってのはある。分かる、否定はしない。むしろ肯定だ。
だからこそ、勉強しない豚を豚と定義し軽蔑する物言いや振る舞いに拒絶感を覚える。
ランキングトップはいつのスーパーセールでもあまり変わらないラインナップ。
・あじげんの雑穀
・あじげんのうどん
嫉妬はそれ自体よる結果がないから、価値の移動に関して増減がないからそれ即ち「行動に意味がない」位置に置かれるんだよ。
社会は共存と生産を良好にすることを規範としているから意味がないことをするのは基本的に×だからね。
嫉妬する、ということについての原罪についての定義なので、嫉妬に駆られて行動した結果、第三者が得したり良好な結果が得られたとしてもそれは「嫉妬」の存在に対する評価じゃないんだよ。
全ての自己願望をゼロコストでかなえる方法に「自殺」があるけどあれを大罪として全否定するのは同じような理由だよ。
人ひとりの満足のために社会全体が活動しているわけじゃなくて、社会に住まう人ひとりが満足しているという評価値をその情報にふれることができる全員にむけて発信することを旨としているんだよ。
嫉妬しました、嫉妬させられた側の権利を主張します、社会が対応してください。相手に対応をもとめます。といった自己行動が要求のみである結果になるのはイラナイって感じだよ。
嫉妬という借用書の債権を得るのに、原因となるのはその相手の成功だけというなにも努力せず再配分だけもとめる行動そのものの発想だからだよ。
嫉妬による行動は評価するのかってことでいえば、評価はされるとおもうよ。一応それが原因で起こる「避けるべき行動」は罪として定義してあるものが多いよ。
そのおかげで「嫉妬から、みんなをハッピーにさせる行動」をとった場合は救済されたりするよ。
嫉妬したならさっさと健全な行動しろ、というのが社会的に推奨されるという事だよ。
価値の有無で言えば「僕おおきくなったら大統領になる!」というのはうそであり誇大妄想であり、不適切な発言で無価値なんだよ。個人の欲求だからね。
それが実現したら「大統領になれたのは嫉妬のおかげだ」とすれば、嫉妬自体は無価値だけれども嫉妬を利用して価値を創造した結果を再評価できるね。
「だから嫉妬はいいものだ」に対して不可逆なのは「パンを毎日たべていたから大統領になれた」という真実もまた無価値なのと同じだからね。
嫉妬したからこそ、ということに価値をおいてしまえば「そういう感情を個人でもつことができる特別性」を優位にしてしまうので、生まれや人種などの平等性が損なわれる可能性があるからね。
宗教が妙な服装、あたまそったり、体に傷をつけるのを禁止したりするのは「特別性」を持たせないためなんだよ。ハゲてるのはすごいから、とかアザは神のしるし、とかで無意味に価値を高めないようにね。
王はうまれたときから王であるべき王なのだ、という制度がないところでは一般的になったのかも。もともと侵略した土地に社会を形成させるための文化の多くが社会構造に残っているからね。
復讐もそう。討たれる人から討つ人に満足が移行するだけだから。
仏教にはないとか日本で仇討ちは美談だったとかいうのは社会構造がちがうから、同一民族の利益分割が平滑的なので「なにかアクションを興せばみんなに影響がでる」ところからじゃないかな。
先日、こんな記事が出た。
ヤフーのeコマース革命は第2フェーズへ~小澤氏らに聞く、人員が増え続けても「爆速開発」が可能な理由
http://engineer.typemag.jp/article/bakusokukaihatsu
しかしながら、こういう記事は良いように見えるようにしか書かないのも事実。
実際のところ、どうなんだろうか。
気になった投稿があったので拾って個人が特定できないように書き換えてリポストする。
わたし、ほんと合わなかったんだろうなー(笑)わたしは今のところでがんばるよ。 元からスピード遅かったじゃん。「速度が落ちてません」ってどうなんだ? 人数増えたのに落ちてない、元から遅かった=低下してんじゃんって読めるんだが。 ペットボトルの例は「言われたことだけをやってればいいという風土で 兵隊を育て続けてしまった弊害」ということでしょ。 「水をこぼれるのを防ぎたいんだ」ということまで言わないと意図を読み取れないのってどーなの? 「俺たちがやっているのは終わらない文化祭だ」社畜乙! と、つい、考えてしまった。
仲間を仲間と思わず敵にしてしまって出し抜くような人が多かったですからね。
配属されて部署に行った時に所属するチームに席がなかったとか、 OJTが昼からしかこないしなにも教えてくれなかったとか、 先輩の企画さんにいじめられたとかあったけど、 そんなもんかねーと思ってたし。 鈍感力に優れててほんとうによかったと思ってる。
したっぱ(というと聞こえは悪いかもしれないけれど)同士は敵いなかったんだよ。 いろんな機能のたくさんの開発さんたちと仕事してきたけど、みんな協力してくれたし。 開発としゃべると話が早くて超楽だったし。いちいち確認する必要なかったからね。 いい意味の空気嫁で仕事できてた感はある。 制作メンバーとも仲悪いとかなかったし。 去年の誕生日は開発メンバーがバースデーカードくれた。うれしかったな。 昔いた企画の人の中にはいまだに飲みたい人たちもいるし、いい思い出もたくさんあるんだよ。。。 ほんと残念だよ。 最終的には、あそこにわたしの居場所はなかったし、居場所を得ようとさえ思えなかったからね。
修羅の国で修業したい人には良いところなんでしょうね。
でも、きっと、長く続かない。