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2013-06-09

夢をあきらめないということ(俺の場合

数年前に夢をあきらめないということというエントリを読んだ。

サッカーライターになりたい!と明確に意識したのは、大学生の頃だった。

金子達仁の「28年目のハーフタイム」、木村元彦の「悪者見参」などなど。

こうした作品に影響を受けまくって、「いつか、こういう作品を書いたる」と意気込んでいた。

就職活動出版社を中心にマスコミを片っ端から受けた。

何の根拠もなく、どこかには通ると思っていた。

無理だった。

諦められずに就職浪人した。おかげで当時の彼女に振られた。

それでも大手出版社スポーツ新聞社には入れなかった。

マイナーな専門分野に特化した雑誌を作っている出版社にすべりこんで、そこで広告営業の仕事をした。

それでも、「ここで何年か頑張って営業→編集スポーツライターだ」と思っていた。

当然、そんなに世の中は甘くなかった。

編集経験者の中途採用ばかりで異動なんかさせてくれない。

そうとばっかり思っていたら、なんと自分より後に入った新入社員編集部に配属されたりした。

モチベーションを保つのが難しくなったが、当時の編集長喫煙所タバコを吸いながら

「次の異動でうちの編集部に呼んでやる」と言ってくれたので会社に残った。

でも、そんなタイミング会社経営陣が丸ごと入れ替わったので、そんな些末な異動の話は吹っ飛んだ。

さすがに限界だと思って、転職活動をして、なんとか編集仕事ができる会社にすべりこんだ。

そこは、大企業の子会社2chで「社畜www」と叩かれるような企業風土のところだった。

そんな雰囲気会社で、2年半ほど「編集者」として働いた。先輩の編集部員や上司とはまったく“肌”が合わなかった。

この会社にいたときは、精神を病む寸前まで追い込まれた。

逃げるように、今の会社転職して、細々とWeb編集仕事をしている。

それが俺の日常だった。今じゃサッカーより野球が好きなぐらいだ。

ある日、会社に見たことのある人間が入ってきた。それは前の会社にいた時、最初に入った会社の先輩が紹介してくれた

サッカー関連の仕事をしている人だった。

何回か一緒に昼飯にいったりして、サッカーの話をした。でも、その時は何も起きなかった。

しばらくして、その人は会社からはいなくなったが、仕事チョコチョコ付き合いは続いていた。

そして、またある時、その人が「自分が企画したサッカー関連の同人誌にノーギャラだけど寄稿しないか?」と声をかけてくれた。

でも、今更俺に何が書けるというのだろう。

チャンピオンズリーグなんて、ここ数年結果しか知らない。Jのスタジアムにもほとんど足を運んだことがない。

戦術分析サッカーブログなんて世の中に溢れかえっている。そんな中で何が書けるんだろう。

試行錯誤の果てに1本の原稿を書いた。

5,000字に満たない原稿だったが、スポーツライターを目指していたときの気持ちが蘇ってきて楽しかった。

掲載誌が送られてきて、他の寄稿者の原稿と比べてみると、異質すぎて浮きまくっているように思えた。

でも、サッカーについて思ったように書いた原稿が「読者」の目に触れることは純粋に嬉しかった。

6月4日。本田PKを決めて、日本代表W杯出場を決めた日。俺は試合を見るでもなく、普通に仕事していた。

大学生の時、2002年鈴木隆行がゴールを決めた。あれからもう10年。あのとき2006年W杯には取材で行っていると思っていた。

そんな風に少し感傷的になっているとメールが届いていた。

送り主は、原稿を書くように誘ってくれた人だった。

「○○さんの書いた原稿、市販のサッカー雑誌編集者転載したい、と言っているんです」。

俺は「サッカーライター」にはなれなかった。でも、今度俺の書いた原稿サッカー雑誌に載る。

それは「夢が叶った」なんて大層なものではない。

でもサザン桑田が言ってた。「いつの日にも神様が決めた粋な未来が待っていると」。

本田PK日本中が沸いていた瞬間。俺は小さく小さくガッツポーズをしていた。

 
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