はてなキーワード: 風土とは
元の話は俺も頭悪そうに感じたが
養子は家の存続のためにやってることで全く別の価値風土の習慣だ。
お家乗っ取りじゃない限りなんらかの血族をつれてくるしな。
というわけでお前も頭悪い。
秋葉原自体が、日本がマイナー文化を受け容れる国であることを象徴してると思う。そして重要なのは、今ある秋葉原の風土を作ったのは政治じゃなく、君みたいなファンダムの人たちが作ったってことだよね。それは、政治に頼らなくても生きる場所を作ることはできるってことだ。
もちろん性的マイノリティみたいに、そもそも自分たちの自由を縛る法律が存在するようなマイノリティは、政治的な主張をして戦わなきゃいけない。
オタクは違う。大声を上げなくても、自分たちの居場所を自分たちで作ってきた。でもその中で、政治的な意見も生まれてくる。公に認められなくても、特区みたいな形で自由に遊べる場所を残してほしいとも考える。棲み分けってのはそういうものだと思う。それを実現するための制度は、権利団体とは違うものだと俺は思うんだ。
現実的には、制度を変更するよりも、コミケみたいに自分たちで形を先に作って、社会に認めさせるのが近道だと思う。オタクの人ってそういうの得意だしね。"Fandom is a way of life"ってやつだと思う。ただ、そういうあり方がもっと示しやすい社会であればいいなとは、俺も思う。
あまり詳細に書くと身元バレするが、自分の父は鹿児島の貧民だった。
父は5人兄弟の真ん中だったが、一番上の兄は、結構勉強も出来たらしい。
父の兄は、学力的には行けたかもしれない大学進学を諦め、高校卒業後、早々に働きに出た。
父と兄(自分の叔父)との間で、どのような人間ドラマがあったのか、自分には分からない。
多分に、兄の側には「自分も大学に行けたのに、弟のために自分を犠牲にした」という
屈折した感情があったようだ。
どちらかと言えば避けようとしている。
恐らく、父にとって、鹿児島時代の出来事は、「極貧の、思い出したくない事柄」だったんだろう。
兄との葛藤もあったろうし、また鹿児島自体保守的な風土なので、
傍から見れば
「東大の父に、東大の子供、恵まれた家庭・家系」と見えるのかもしれない。
経済的にはそうだったかもしれないが、自分のメンタリティ的には
父自身が自身の家族・家柄を嫌っていたフシがあるので、自分もその影響を受けてる気がする。
安倍総裁が「理想」とする戦前社会が続いていたら、恐らく父が東大に進学することも、
ままならなかったのではないだろうか?
あるいは、家柄優先の社会になっていたから、父や自分がいかに学問が出来たから、と言っても、
「自身の才覚だけで、大学進学・弁護士合格・タレント進出・政治家進出をやってのけた異才」
ということで、安倍総裁なんかより1億倍魅力的だ。
後輩ちゃんが俺過ぎてマジで心臓口から出るかと思った。性別フェイクで俺の後ろの席の先輩が書いているのかと。
辞めたい気持ちもそこに至るまでの考えとか組織風土も給料もほぼ全部一緒。
先輩が大体この元増田みたいな感じで憧れどころか参考にもならないところまでもw
こっちは辞める予定が(まだ)無いことだけが相違。
いやー羨ましいなー後輩ちゃんは。思い切れたんだなあ。
良かれと思って何か新しいことやると叱られるだけ、お前はとりあえず決められた時間に決められた場所に座っていればいいんだってぎゅうぎゅう抑圧されるだけ。
そらお前、ちょっとメシの心配が生じるとしても首輪外して逃げたなるわい。
良い門出になりますように。
君のいるところは小さい会社か、大きい会社でも治外法権的な、それこそソニーCSLみたいな部門じゃない?→年俸制
大きい会社は君の言うように、無能な人を養う社会的責務を負ってるから、クソみたいな新卒至上主義(別の言い方をすれば、社会主義的資本主義)を続けなきゃいけない。そういった大きい会社の人事制度をブチ壊すぐらいなら、比較的小さいけど優秀な風土を持つ会社(スタートアップだけじゃなく、ピニンファリーナみたいな所も含め)に先見のある人達が集まるような社会制度にするほうがまだ望みが持てると思うけどなぁ。
(つーか、増田に「本質的に何の話してるのか通じてねーのか」って言われても、ダレがダレやらわからん状態で、どっからが君の話なのかなんて一つの記事に書いてある範囲でしか通じるわけないと思うぞ。元々、「テレビにカラバリを作らない日本企業はダメだ」って意味のわからん文脈だったから尚更)
2007年から2009年にかけて、2年弱ではあるが、外資系金融で派遣社員として働いていた。
外資系企業で働くということは、私にとって、黒船到来とでもいうべきエポックメイキングな出来事だった。
日本のベンチャー企業で解雇の憂き目に逢い、1年以上ニートをやっていた30歳過ぎのキャリアもない女性に仕事などなく、
私は今でこそ「社畜」と形容される日本の会社の風土そのものに全く馴染めない社会不適応者であるのだが、外資系企業は、
そんな私でも馴染む組織であるということを働いてみて初めて知った。
日系大企業に見られる「社畜」の風習である、空気を読む、他者迎合、足の引っ張り合い、残業していることをPRするための
残業(残業自慢)、横並び意識、おべっか、滅私奉公、給料=我慢料、「あれをこうして」という抽象的で意味不明な指示、
非ロジカルな会話、議題のない長時間の会議、社内政治、客よりも組織内の利益を優先する、奴隷営業、就活の茶番、パワハラ、
セクハラ、長い物には巻かれろ、付和雷同、といったありとあらゆる理不尽を永遠に繰り広げる旧陸軍のような環境そのものが、
反吐が出るほど嫌いだった。
しかし、外資系企業では、これら当たり前だった日系企業の風習が、随分緩和された環境であるということを経験した。
もちろん、外資系企業といえど、日本人社員が比較的多い組織を渡り歩いたので、上述のような風習が全くないというわけではない。
それでも、日系企業の「社畜」に囲まれる空間より、居心地が良かった。
景気悪化により、2010年より、私は日系企業に再び戻ることになった。典型的なドメスティック企業で、旧態依然とした社風に
発狂しそうになった。それでも、自分の希望する職種であったため、社畜集団しかいないということは織り込み済みで働くことにした。
面接した当初、直接雇用を視野に入れているという言及があったものの、後にカモフラージュであることが判明。
勤務先の管理職より、先月6月の株式総会後、経営方針の変更等という上っ面の理由で、
直接雇用はしないという旨を暗に諭され、転職活動を真剣に視野に入れるようになった。
ダイレクトかつストレートかつ正直に現況を述べず、オブラートに包むやり方は、いかにも日系企業らしい。
会社から直接契約終了とは告げず、私が辞めてくれるのを手ぐすね引いて待っているような状況である。
自分たちは決して悪者にはなりたくない。。。
怒りすら生じなかった。
以前、就業していた派遣会社に問い合わせたところ、早速現在の仕事に類似した外資系企業を紹介された。
このご時世、このようなタイミングで希望する職種に近い求人があるのは非常に珍しい。
派遣といえど、リーマンショック後は、書類選考や面接を行い、スクリーニングするようになった。
誰でもできるような一般事務で、誰もが知っている大企業の求人になると、50人〜100人くらいの応募者が殺到することすらある。
企業の選びたい放題である。完全に買い手市場だ。現在の私のポジションも、3〜4人面接を行い、最終的に私にしたと管理職から聞いた。
この2年半で、外資系企業に再び戻って働きたいという渇望は募るばかりで、過去の経験に基づく事実が心の中で勝手に膨張され、
妄想になっているのではないかという懸念はあった。片思いの人に入れこみすぎて、リアルな人物像よりも勝手に素晴らしい人物像を
今回は、そんな妄想を打ち破る現実に直面するかもしれないという覚悟はしていた。同時に同業他社動向を知りたいという好奇心もあった。
■面接で聞かれたこと
全部で4人の方と面接した。
日本の会社のように「自己紹介をしてください」という決まり文句からはじまり、新卒から現在に至るまでの経歴を延々と述べることはあまりない。
外資系企業の多くは、予めレジュメ(履歴書)は閲覧しているので、気になる点をピンポイントで質問するというパターンが多い。
転職歴の多さ、年齢、既婚未婚、協調性、弊社を選んだ理由といった典型的な質問や、会話のあいまいさに起因する論旨の不明瞭さ
今回の会社では、直近に携わっていた仕事をどこまで踏み込んでやっていたのか、何ができるのか、という1点に絞られた。
私は具体的な数字を述べ、先方に業務タスク量が明確にイメージできるよう述べた。また、業務裁量に関しても、具体的に
どこまで自主的に仕事に取り組んでいるのか、先方に理解できるようPRした。
その後、現在の勤務先の取扱商品数と、取扱金額も質問されたので、明確な数字を述べた。
面接した企業と、現在の勤務先のビジネス規模は殆ど同様であるということが判明した。
そして、今後携わる仕事内容について、詳細な説明がなされた。
現在の仕事と先方の業務内容で、決定的に違うポイントをその場で端的に指摘された。
そして、その違いが、先方の業務の肝であるということが面接を通じてお互いに理解できた。
このような理解に至るのは、面接官が非常にロジカルに会話を展開するからだろう。
現在の勤務先で自分が携わっていることを詳細に質問するので、自然とPRに熱が入る。
日本の会社はどちらかといえば、圧迫面接に近い感じがするのだが、外資系企業の多くは、ポジティブに過去の業績をPRしたくなる雰囲気がある。
狙ったわけではないが、業務上最新の注意を払っていることについて、述べた所、何故か「オチ」のあるギャグになってしまい、周囲が笑いに包まれた。
久々に外資系特有の「会話のテンポやノリ」に触れることができた。
今回の求人は、携わっていた正社員が海外移住するとのことで、ポジションが空いた求人だった。しかし、本国のバジェットの都合等の理由で、
正社員のヘッドカウント(頭数)が正式に降りず、申請中との説明を受けた。ただ、打診は行っている最中であるとのことで、私のパフォーマンスと、
本国からのヘッドカウント承認如何では、そのまま直接雇用の可能性があるとのこと。その一方、私のパフォーマンスが悪い、もしくは、
本国のバジェットの都合で雇用は1年契約で見送る可能性もまだ残されているため、その場合、雇用契約は終了する可能性があるという説明も受けた。
要は、首になるというリスクを予め、面接時に開示している。会社の保守的な(悪くいえば都合の良い)防衛策でもあるのだが、
日本企業の期待をほのめかしながら、最終的に公約違反を平気でやってのける卑怯なやり方よりは、随分良心的である。
■業務内容のロジカルな説明について
業務内容の説明時に、一通りメモをしていた。現在の業務に関連する仕事ではあったものの、業務特性は異なることが判明。
私は現在、編集土方として制作物をリリースしているが、外資系での仕事は、編集コーディネーター(執筆者とのリエゾン)
としての要素が非常に強い業務内容だった。
面接官の説明が、非常にロジカルだったせいか、メモの内容を友人に話すだけで、非常に明瞭な業務内容の説明になっていた。
私は人前で何かを説明するのはおろか、吃音なども多少あるので、基本的に会話が苦手である。しゃべることができない。
しかし、メモを読むだけで、誰にでも分かるような業務フローを述べることができた。
それくらい、面接官の説明がロジカルで明瞭だったのだろう。キレのある人達だった。
■業務プロフェッショナルとして
過去の私の経歴をざっと説明していたとき、面接官でトップの人が、法的専門知識に関することをポロッと余談のように言及していた。
その知識は、現在の勤務先の部課長よりも、明らかに深い内容であった。
非常に嬉しかった。
しかし、焦点は編集作業員から、編集コーディネータ要員という毛色の異なる業務に注力できるか、否かということだった。
結論としては、私は編集作業員(土方)としての経験がなかった時から、編集業務を全うできるだろいうという根拠のない自信はあったが、
コーディネーターとして業務を全うする自信はあまりないと判明した。
友人曰く、「コーディネーターとして采配を振るう仕事は、あなたが例えばマネージャー以上の権限のあるポジションだったら、
強く出ることはできるのでやりやすい仕事だと思うが、派遣という立場をあなたが意識してしまうと、調整業務に支障が生じる公算が大きい。
あなたは、力のあるポジションじゃないという理由で被害妄想を抱き、ひるんだり、やる気をなくしたりする弱さがある」と。
友人の指摘の通りである。
悩みに悩んだ末、今回は辞退させていただいた。
たった40〜50分の面接で知り得た断片的な商慣習、そこで働く人、カルチャー。。。
同じ日本人でいながら、黒船に乗った人々は、もはや、日本人の面をした、外国人なのである。
きっと、あの組織ならば、満足度の高い環境で仕事ができるだろう。
しかし、どんなに環境が良くても、不得手な仕事を長く続けられるかといえば、NOなのである。
そう思ったとき、現在の自分の仕事に、かなりの自負があるということに気がついた。
精神病を発症させ、毛嫌いしている日系企業で、社畜として猛烈な我慢と忍耐を強いられながら、
■熱病
できれば、一生おさらばしたい。
もう、こうなると、ただの熱病のような岡惚れといっても差し支えない。
私は熱病にうなされながら、次を目指す。
だってさ、ルームシェアするなら坂口さんの女友だちでいいじゃない。
こういうときに助けてくれるお友だちはいないのかしら、坂口さんには。
わざわざヨシナガ氏と“ルームシェア”するからあーだこーだ言われるのであって。
男女間のルームシェアがなかなか受け入れられないとか受け入れられるとかいう話じゃないよね。そういうの屁理屈って言うんだわ。
その前に、世間的に叩かれる割合の大きいことしちゃったんだから、その辺自重しとくべきだったんじゃないの。と、思う。
いくらかもらってるからいいでしょ、みたいな顔されてもね。
受け入れられないことが悔しいみたいに言わないでほしい。Liverty周りのスタッフ間では男女間ルームシェアが当たり前の認識、みたいなことどっかに書いてあったけど、いやいやそれもホントかよ、ってね。どんだけマイノリティアピールよ。残念ながら日本だここは。
そんな社風でもなんでもかまわない。
でも、そういうのは誤解を招く風土が日本にある、っていう世間的空気が読めてないというかリサーチができてないあたり、もうそこからしてダメじゃないの?
自分たちがなにをしてもいいけど、これじゃ非常識とか胡散臭いとか言われても仕方ない。
坂口さんと“ルームシェア”してくれる女友だちいないなら、Livertyの女性スタッフにしとけばよかったよね。
てか、そのほうがよかったよね。ざーんねん。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120320-00000001-president-bus_all
■リストラ対象になる働き方とは
>[流通] ただリストラで注意しなければいけないのは、残った社員のモチベーションが下がらないようにすることだ。彼は辞めさせられてもしょうがないなと思う人間をピックアップする。あるいは、仕事がずば抜けてできる社員がいれば、その人を切る。なぜならできる社員には敵が多いから、周りの人間はああよかったと思うし、職場風土のマイナスにはならない。そのために周囲にそれとなくヒアリングする。
まあ、本当にデキル(リーマンとして)人間は、社内政治や周囲とうまくやっていく(リーマンとしての)能力も持ち合わせてるんだろうな。実際、数字なんかだけでは、担当顧客に恵まれてるとか運もあるし。
>[電機] 低いパフォーマンスしか出せない社員が真っ先に切られるのは当然。それ以外で言えば「真面目で無能な人」だ。じつはこんな社員ほどやっかいで迷惑な存在はない。これはドイツのワイマール共和国の参謀総長だったハンス・フォン・ゼークトが言っているのだが・・・無能で勤勉な人は「銃殺」すべきと言っている。
まずここさ、
なにが「だから」なのかさっぱりわかんないよね。
ここの繋がりが全然論理的でないことは議論が好きな人ならわかるはず。
1「自由闊達な議論を推奨する」ことも、
2「意見や提案を入念な議論で精査する」ことも、
3「かなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ」ことを正当化はしないよね。
そもそも全然つながってねーし。
むしろ3は1や2を萎縮させかねないと思うけど。
そこんところを社長はどうお考えかお聞きかせ願いたい。
荒い言葉が乱れ飛んでるって状況は
「自由で柔軟で風通しのいい社風」なんてものとは全く似て非なるものなのに
親分がそこを理解しないまま満足してるのはいけないと思う。
だいたい
タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。
むしろ他人と接するときにはほとんど「欠点」と言った方がいいことにお気づきだろうか。(個人的には同性質なんだが。)
その性質と仕事での議論を分別してないらしいところが大変危うい。
(そしてあなたに諫言出来る部下が居なかったゆえだ…)
ところで、最近新しく人を雇った。財務・会計のスペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。
一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。
あんたの会社は、
あんたの強引なパワーと、それに洗脳されて従順な子分達のインチキ合議制で運営されてる。
外部からいきなり入ってきた人はそりゃ馴染めないはずだ。一人だけ洗脳受けてないのだから。
そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。
まあこれは一般的に経理マンの特徴って面もあるかもしれない。
俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。
「私は」。「人間」。「です」。でしょ。
そもそも言葉遣いからだけでもあんたの独りよがりでナルシシズム過多な性格が読み取れるんだよ社長。
全文そうだけど。
そういうのも会社の推進力になるのかもしれないし
もしかしたらそれはあんたの才能なんだろうけど
自分の性格の負の面は常に考慮に入れて、自制すべき場面では自制しろよ。
してるならいいけど、あんたの文読むとしてなさそうに思える。
だから、彼が提出して来たレポートや企画書にも、細かく質問・意見を出す。わからないところは教えろと言う。
彼はこれが煩わしいようなのだ。
これは無理だよ・・・。
専門分野について知識の土台すらない人に100%の説明するのは不可能だ。
ごく浅い説明をもっともらしい口調でやる、素人騙しなら出来るけどね。
それをやらないだけ誠実な人だよその人は。
社長さんが本気で経理財務を、経験豊かなスペシャリストと同じぐらい把握する気なら、そのガッツはいいと思う。
けど、それならまず最低限として簿記1級をとってもらわないといけない。
それぐらいの労力投下をしたうえで「さあ教えろ」って言うならまだ対等なやり取りといえる。
でももし、自分は経理の知識ゼロのまま「すべて把握させろ」っていうなら
それはそもそも不可能な話の上に、相手にだけ負担を押し付けててフェアじゃない。
ウチの会社にジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。
我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。
これは余計なお世話だが、
小さい新しい会社ならそのやり方もいいけど、
大きくなればどっち道その制度は持たないと思う。
大会社から経理マンを連れてきたのを見ても、そろそろ過渡期なんじゃ?
確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな
あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。
内容にもよるけど、
経理実務の話に簿記すら理解してない人から「矢のような質問」をされても閉口するだけだと思う。
論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。
それが別個のことだと理解してるなら、
まず「かなり荒っぽい言葉が飛び交う」状況は改善すべきだと思う。
それで喧嘩にならずに済んでるのは単に、怖い親分がトップに居るから&全員親分のイニシエーション済み子分だからで、
よその水で育った人(つーより社長んとこの水で育った人以外すべて)にそれは通用しない。
ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。
まとめるよ。
・専門性の高い分野について、実務家と素人の間に「議論」は成り立たない。どんなに素人達が「議論」のつもりでも。
・本気で部下の仕事を100%把握する気なら、会社が発展すればするほど寝てる暇なんかなくなる。睡眠1時間で勉強をすべき。
突っ込みばっかり書いたけど、
タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。
だから、本質的な対立の無い相手に対しても、ある種意見や提案のストレス・テスト的な意味合いを込めて
反論を試みることが多い。どんなすばらしく見える意見や提案もある程度「叩いて」みないと真価はわからないものだと思っている。
そういう風に経営をやって来た。俺が論戦を挑む時はネガティブな意味合いはなく、ただ単にあらゆる側面から
提案や意見の真価を問うているだけだ、と部下には理解して貰って来たと思う。
自分が面倒くさい経営者であり上司であることは十分理解しているけれど、その代わり俺は闊達な議論こそを是として
どんな立場にある人間にでも、極めて自由な発言を許して来た。俺に対して「おまえは間違っている」と面と向かって言える会社を目指してきたし
ある程度は実現出来て来たと思っている。だから、会議ではかなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ会社になった。
形式的なものは一切重視しない、立場も上下も無い。意見をひたすら出せ、戦わせろ。という会社の風土には満足している。
ところで、最近新しく人を雇った。財務・会計のスペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。
一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。
しかし、この人材を動かしてみるともちろん専門領域では想定通りの有能さを見せるものの、
議論が成立しないのだ。「反論」を人格否定と受け取られてしまう。そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。
俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。現実的にはそれは難しいとしても、最低限部下の土俵で論議が出来なければいけない
と思っている。だから、彼が提出して来たレポートや企画書にも、細かく質問・意見を出す。わからないところは教えろと言う。
彼はこれが煩わしいようなのだ。専門領域外には口を出さないから、自分の領域にも口を出すな。そういうことらしい。
もちろん、俺はそれを絶対に認められない。
そして、財務・会計のスペシャリストとして雇ったとはいえ、会社全体のことも理解して貰わなければ困る。
率直に物を言い合うことを是とする他のメンバーと同じ土俵に立ってもらわなければ困る。
「この会議にわたしが呼ばれる理由がわかりません」とか、ホント困る。つーか、俺言ったよね?面接であれだけ念を押したよね?
ウチには基本的に何かのスペシャリストしかいないけど、業務領域は一切特定されてないって言ったよね?
そりゃ、元が大企業の人だからわからんでもないけど、ウチクラスの会社で「専門領域しか触らない」なんて出来るわけないのよ・・・。
ウチの会社にジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。
我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。
徹底したブラッシュアップを図る。ミーティングは闘争的にやれ、つまらない会議するくらいなら帰れ。
そーいう会社なんだよ。そりゃ、あなたの職能は高いよ。だから高い給料出してんじゃないですか。
確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな
あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。
論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。
そりゃ、プレゼンが始まったらガンガン質問と批判が降り注いだのにビビったのはわかる。
でも、それがウチの社風で俺のスタイルなんだよ。変える気はないから、適応してくれよ・・・。
毎回会議の後にブチギレて憔悴しきった顔されても困るんだよ。別に、会議が終わった後の飲み会に来いとまでは言わないから
ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。
そして議論の中でどれだけ敵対しても、個人間の対立にはしちゃいけないんだよ。そーいうルールなんだよ。わかってくーれーよー・・・。
いちおう、一つだけ確認。
世の中、何事にも例外はある。言い方を変えれば多様性という奴だな。「日本企業は~」みたいな主張を、文字通り「全ての」日本企業に例外無く当てはまる話だと考えると、話がおかしくなる。
例えば、日本の大企業はダメとは言っても、名実共に日本最大最強企業であるトヨタなんかは、組織の大きさにも関わらずイノベーションを継続する能力を維持できているように見える(内情は知らないけどね)。
注目すべきは、構造と確率だ。学生が、自分の能力を活かせる職場に出会える確率は、その企業なり業界が置かれている構造に依存する。先の東大の講師が言いたかったのは、「日本で職を探すより、海外の方が能力を活かせる職場に出会える確率が高い」という主張だと解した方が良いだろう。
で、そこで「海外」と言った時に念頭に置かれているのは、君の言う通りアメリカ西海岸(シリコンバレー等)だろう。あの辺りは、相互扶助的なコミュニティーが出来上がっていて、成功者が失敗した者の再挑戦を支援する風土があると聞く。
だから、あの辺の連中は、エンジェルやベンチャーキャピタルから資金を調達してスタートアップをガンガン立ち上げ、成功すればイグジットして大金をゲットし、「ぶッ潰れ」ても再挑戦できる。
ただ当然だが、そうした場所で個人がチャンスを得るには、現地の起業家・技術者コミュニティに認められ参入できる程度の能力を持っていることが前提だろうと思う。先ほどの講師のコメントは、あくまで「東大の」「優秀で」「意識の高い」学生について述べているという点は忘れてはならない。
では、イノベーションを起こすことは日本の大企業ではもはや不可能なのか、ということなんだが、理論上は可能だろう。最近、イノベーションは「イノベーションのプロセス」から生まれる、という話がある(天才的な個人の奇抜な思いつきからではなく、という意味。ここでは説明しないので、興味があったら"The art of innovation"でググってみるといい)。そういた業務プロセスを基本に据えた組織へと作り変えれば、日本企業でもイノベーションを生み出すことはできると思う。
しかし、職場を探す(本当の意味で)優秀な学生がいた時に、日本企業の中で組織文化と戦いながら新たな業務プロセスを確立するために何十年も奮闘するのと、海外の流動性の高い土地でベンチャーに参加するのとどちらが良いか、と相談されたら、俺は明らかに後者を勧めるだろう。本人の幸せという意味でも、優秀な人材の社会全体での有効活用という意味でも。
では、それほど優秀でない奴は? まぁ、泥臭く地道に組織改革をやるしかないだろうな。
一つだけ注意点があるとすれば、「俺達には才能はなくても数で勝負だ」「皆で力を合わせて一丸となり(ry」とか絶対に考えないこと。人海戦術と親和性の高い業務プロセスこそ、君の組織の閉塞感を生み出している原因だ。ミッションをブレークダウンして組織の階層構造で業務を分割できる、という考え方は、つまり「仕事に貼り付ける人材は取替え可能である」という発想が根底にある。
専門性を尊重する評価体系を作ること。専門家同士が協同して業務を遂行するプロセスを回すこと。そうしたプロセスを回すプロジェクトに経営資源(決裁権、人事権、etc..)を委譲すること。これらが重要だと思う。
あと、「専門バカは視野が狭いからチェック機能が必要だ」みたいな意見には、間違っても耳を貸さないように。専門性の高度化がさらに進んでいる現代において、「ド素人の素朴な意見」が役に立つことは少なく、多くの場合、プロセスのスピードダウンという悪影響しか招かない。コミュニケーションコストの増大と、俊敏さ(アジリティ)の低下は、プロジェクトにとって最大のリスクであると認識すべし。
しかしだ、だからといってお前の普段を見せようと思って「アイアンマン」持ってったら、「個性を履き違えている」とかしたり顔で言われるのがオチだぜ?
ここがわかんねぇんだよ。
合わないのに、なんで就職したいの?
まさに善意だろ。それ以上でも以下でもない。
独創性を求めてるのか、最低限の技術や知識を求めてるのか、単なる人足を求めてるのか、そりゃ企業によって違うんだから、
企業側が選びたいのは当たり前だし、就職する側は選ばれるべきだろ。
人ひとり養うのにいくらかかると思ってんだ。
んで、3年後に使えない(合わない)と判って首切る身にもなれよ、リストラが流行った頃、ストレスで体壊した奴がいるくらいなんだぞ。
しかもブログでは上から目線で「あの企業風土は僕には合わなかった(キリッ」とか書いちゃうんだぜ?
勘弁してくれよ。
>何かできないことがあったときに「あぁ…早生まれだから。他の子より育ちが遅いから」「仕方ないね」「かわいそうに」と親から言われることによって、それが本人の中にも内面化されるんではないかという分析だった。
えー、ご存じの通り(ですよね?)早生まれの私ですが、敢えて「異議あり!」と言わせて頂きます^^;というのは僕の場合、親から言われたことはなくて、自分で後から「早生まれは損だ」と思ったからなんです。もし敢えて親のせいにするのであれば「早生まれなんだから仕方ないよ」ぐらい言って欲しかったな、ということになるのかもしれません。
経験談の一例ですが、幼稚園から小学校にかけて、周囲に比べてダントツで運動能力が低かったんです。ですが、高校を出る頃にはいつの間にか体力テストなんかでは全国平均を普通に超えられるようになってました。まあ元々運動や外遊びが好きな子供ではなかったですけど、別にその後人と比べて特に運動していたわけでもなかったので。で、子供の頃は実年齢の差がかなり大きかったのではないかなということに気づいたのはかなり後になってからでした。無駄に運動苦手コンプレックスを持ってたもんだと後悔したものです。
ところで、N さんが誰だか見当がつかない私です。
そういえば、悪名高き私の母校では全学年を通して異様に4・5・6月生まれが多かったです。僕はどちらかというと年齢以上にガキなので、周囲のマセ具合に余りついて行けなかった記憶があります(苦笑)
あと聞いた話だと、少年サッカー英才教育の世界では、選手がやはり4・5・6月生まれに偏っていたので、選抜に誕生月を考慮するようになったとかいう話も聞いたことがあります。
そういうことから、すくなくとも一部の分野においては、無視できない程度の影響があるのかなとは思っています。ただ、どれも男の場合の話であるのは事実ですね。女性はその辺どうなのか、面白いデータがあれば欲しいですね。たぶん誰か既に研究してるんでしょうけれど。
例のあだ名ゆえにあのお方が「Nさん」であることを完全に失念していました^^;まあ、何となく「先輩」が女性であるという先入観があったのも事実ですが(何でだろう?)。まあでも確かに、女性だったらおめでたの話があるのにもかかわらずお酒を飲んでいるはずがありませんね。
いずれにせよ、おめでたいことで。
そういえばドイツでもシュレーダー政権ができたてのとき、首相が党の実力者を追放して一波乱という一幕がありましたね。そのときの状況と今の日本の状況は似ているのかどうか……。
たぶん noctifer さんの同期の「実家が尼崎の人」がデジタル化したデータ持ってると思いますよ。僕も自分が 3 回生のときの録音をその人にもらったので。
ちなみにこれ、一年掛けて準備したのに散々ボロクソに言われた演奏で、僕の中ではまさに「黒歴史」だったんですけど、5 年ぶりに聴いてみたら意外にも、自分としてはそれなりに納得のいくものだったので愕然としました。あれ以来自信なくして楽器にだんだん触れられなくなってたのはいったい何だったんだろう……、と。というか音楽以外すべてにおいても自信喪失してしまう悪循環に陥ったきっかけみたいな一件だったので、あれをもっと早く聴いてればひょっとしたら少しぐらい人生変わったかもなー、なんて思ってます。要はその録音を聴かなかったこと自体が「黒歴史」でしたという情けないお話ですが(苦笑)。
ああなるほど、定演以外の録音でしたか。そりゃさすがに尼崎の人に頼んでも持ってないですよねえ。
ところで全然関係ないですが、今日聴講した某研究会で、僕の2年下の「ヘアスタイルが独特の人」に会いました。彼は今年D3でしたっけ?月日が経つのはなんとやらとはこのことですね。
都合が許さず彼の晴れ舞台を見られなかったのはなんとも残念です。こんど会ったらよろしくお伝え下さい。
前回までの大会と違って、今回は自分が主力選手と同世代だから身につまされるものがありました。仮に自分にあの方面の才能があったとしても、この段階で最盛期なんてとても無理だろうなとか思うと、前回大会までとは違った意味で感慨深いです。
それでよく考えてみれば、サッカーの選手生命から考えて、僕らと同世代の選手のほとんどは今回が最後のチャンスだったわけですよね。今までよりも、負けて悔しがる選手の姿が一歩だけとはいえ身近に感じられて、その分切なくなりました……。
論文を添削するには内容を理解できないといけないわけですから、それをタダでやってくれる人となると本当に貴重ですよね……。
思うに、大人に言語を教えるのは経済的にも効率がよくないですよね。色々な場に応じてそれなりの言葉づかいができて、なおかつ幅広いスタイルの文章を読んで書ける人なんて、なかなか語学教師をやろうとは思わないでしょうし、そういう人を雇うには相当なお金がかかって当然、生徒の側もそれだけの教師を探すには苦労するわけですから。
子供の頃から、母語の習熟に準じて第二言語を(できれば複数)学べると、言語というものを相対化できるという意味でいいんでしょうけどね。(現状は英語崇拝と英語憎悪の二極化およびその裏返しとしての日本語特殊論、そしてそれ以外の外国語への無関心がはびこっていて本当によくないと思う今日この頃。
こんにちはー。
「絶対音感」って能力、実は個人的には言語能力と近いんじゃないかなと思ってるんですよね。少なくとも僕の場合は、ですが。実際、無調性に近い音楽を聴いていると途中で音がわからなくなったりずれてしまうことが多いですし、無調性は無調性でもそれなりに慣れているウィーン学派系よりも、あまり聴かないブーレーズとかのフランス現代音楽系とかのほうが苦手だったりするので。
あと、E-dur と F-dur を間違えることはほとんどないのに D-dur と Des-dur の区別にはたまに自信がなくなることがあるなど、多分にピアノの鍵盤(というか頭の中でつけている「読み仮名」的な音名)に引きずられる傾向があるんですね。いってみれば、日本人は /t/ と /d/ の区別には苦労しないが /l/ と /r/ には苦労するというような話なんですが、まいさんはそういう傾向ってないですか?
そういえば、高校生ぐらいの頃は基準音を 2Hz ぐらいの単位で聴きわけられたものでしたが、古楽を聴くようになって以来その能力はほぼ完全に破壊されてしまいました。
ちなみに僕も音に「色」のイメージがありますけど、その正体はかなり情けないものでして、おそらく子供の頃に買ってもらったおもちゃの鉄琴です。一音ごとに色分けされていたのですが、その印象を未だに引きずっているんですよね。
個人的には欧米でどうして "Hentai" 文化があんなに抑圧されてるのかが気になりますねー。ホラーの世界では日本よりよっぽどどぎつい表現が社会的に許容されている風土で、ポルノの方面になるとフィクションであってもある種の表現はまかりならぬ!というのは、日本に生まれて暮らしている限り根本的にどこかで理解できない面があると思うのですが、だからといって「ピューリタニズムの伝統」で片付けてしまうのも一方では乱暴な気がするんですよね。
似たようなことは、捕鯨問題とかその他の文化摩擦のときにも色々感じることではありますが、その辺のことで「住んでみてわかったこと」って何かありました?
>実際には日本のエロゲの守備範囲の広さはそんなのを凌駕しうるわけですが、それでもアニメでは女性はそのように子どもっぽく可愛く描かれる事が多い(ただでさえ若く見えるアジア人をベースにしているのでなおのこと)
なるほどありがとうございます。確かに現代の日本人はおしなべて幼形成熟的なものが好きですね。女性に限らずジャニーズ系とかも結構そういう気がしますが。向こうから見れば余計子供に見えるというのは盲点でした。
しかし個人的にもっと疑問なのは、その "Hentai" 文化を変なものとして片付けるのでなしに、禁止してしまおうという考え方の方なんですよね。そしてそれを日本でも禁止せよと圧力をかける動きもあるようですし。米国は基本的に他者に寛容を是としているのだと思ったら、ときどきいきなりその逆の面が見えることがあるので、いったいあのあたりはどういう感覚なんだろうなあと思いまして。
うーん。やっぱりそれなんでしょうかねえ。だとすると捕鯨と "Hentai" はちょっと性質が異なる問題なんですね。
どうも最近、英語圏のメディアを読むようになればなるほど、日本に対する悪意や蔑視が一部高級メディアにでも平気で蔓延していることに気づいて憂鬱なんですが、その根っこは必ずしも一つではなさそうですね。
やっぱりこういうと何ですけど、欧米がアラブに違和感を持っている(あえて「蔑視している」とは言わない)のと同じような意味で日本から欧米(といっても色々温度差はあるでしょうが)を見たときに違和感があるんだなあと最近思うんですね。あんな趣味を持っているぐらいなんだから当然私は西洋かぶれ的人間なんですけど、例の "The Cove" 以来やっぱりあばたはえくぼじゃなくてあばたなんだなということにようやく気づきだしたわけでして、その背景には最近ちょっと興味を持ちつつあるんですが、どうもなかなか一筋縄ではいかなさそうですね。欧米の天地は複雑怪奇なり。
ところで話は変わりますが、意外なところで結婚ラッシュが始まりそうな噂を耳にしました。詳しくはそのうちお聞き及びになると思いますが……。お楽しみ(?)に!
あれ、あそこバーベキューだめになったんですか?「新条例」がなんなのか気になります。
>知らない人が20人以上という状態で3時間おしゃべり持ちこたえたのは我ながらよく頑張ったと思う(たぶん英語スキルというより社交スキルの問題)。
最近あちらこちらで、アメリカでは(あるいは「国際社会」では)そういう状況で人間関係を作れるかどうかがものをいう、そういう場でやっていけないと通用しない、みたいな主張をよく見るもので。
本当だとしたら語学力以上に絶望的に高い壁だなあと思いつつ、そういうことを書く人は大抵すごく社交的だから、たまたまその人の回りでそういうことが起こりやすいだけのようにも思えるし、その辺の真相が少し気になってまして。