はてなキーワード: 木村元彦とは
数年前に夢をあきらめないということというエントリを読んだ。
サッカーライターになりたい!と明確に意識したのは、大学生の頃だった。
金子達仁の「28年目のハーフタイム」、木村元彦の「悪者見参」などなど。
こうした作品に影響を受けまくって、「いつか、こういう作品を書いたる」と意気込んでいた。
何の根拠もなく、どこかには通ると思っていた。
無理だった。
マイナーな専門分野に特化した雑誌を作っている出版社にすべりこんで、そこで広告営業の仕事をした。
それでも、「ここで何年か頑張って営業→編集→スポーツライターだ」と思っていた。
当然、そんなに世の中は甘くなかった。
そうとばっかり思っていたら、なんと自分より後に入った新入社員が編集部に配属されたりした。
モチベーションを保つのが難しくなったが、当時の編集長が喫煙所でタバコを吸いながら
「次の異動でうちの編集部に呼んでやる」と言ってくれたので会社に残った。
でも、そんなタイミングで会社の経営陣が丸ごと入れ替わったので、そんな些末な異動の話は吹っ飛んだ。
さすがに限界だと思って、転職活動をして、なんとか編集の仕事ができる会社にすべりこんだ。
そこは、大企業の子会社で2chで「社畜www」と叩かれるような企業風土のところだった。
そんな雰囲気の会社で、2年半ほど「編集者」として働いた。先輩の編集部員や上司とはまったく“肌”が合わなかった。
逃げるように、今の会社に転職して、細々とWeb編集の仕事をしている。
それが俺の日常だった。今じゃサッカーより野球が好きなぐらいだ。
ある日、会社に見たことのある人間が入ってきた。それは前の会社にいた時、最初に入った会社の先輩が紹介してくれた
何回か一緒に昼飯にいったりして、サッカーの話をした。でも、その時は何も起きなかった。
しばらくして、その人は会社からはいなくなったが、仕事でチョコチョコ付き合いは続いていた。
そして、またある時、その人が「自分が企画したサッカー関連の同人誌にノーギャラだけど寄稿しないか?」と声をかけてくれた。
でも、今更俺に何が書けるというのだろう。
チャンピオンズリーグなんて、ここ数年結果しか知らない。Jのスタジアムにもほとんど足を運んだことがない。
戦術分析のサッカーブログなんて世の中に溢れかえっている。そんな中で何が書けるんだろう。
5,000字に満たない原稿だったが、スポーツライターを目指していたときの気持ちが蘇ってきて楽しかった。
掲載誌が送られてきて、他の寄稿者の原稿と比べてみると、異質すぎて浮きまくっているように思えた。
でも、サッカーについて思ったように書いた原稿が「読者」の目に触れることは純粋に嬉しかった。
6月4日。本田がPKを決めて、日本代表がW杯出場を決めた日。俺は試合を見るでもなく、普通に仕事していた。
大学生の時、2002年は鈴木隆行がゴールを決めた。あれからもう10年。あのときは2006年W杯には取材で行っていると思っていた。
送り主は、原稿を書くように誘ってくれた人だった。
「○○さんの書いた原稿、市販のサッカー雑誌の編集者が転載したい、と言っているんです」。
俺は「サッカーライター」にはなれなかった。でも、今度俺の書いた原稿がサッカー雑誌に載る。
それは「夢が叶った」なんて大層なものではない。