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はてなキーワード: 資質とは

2016-03-05

こういうのが世の大学院生の平均的な姿なのか

言いたいこと

志望動機他人に教えてもらわないとわかんないなら、そもそもなんで院試うけたの?

自分研究に向いているのかいないのか」よりもまず、「自分研究がしたいのかしたくないのか」を問い直したほうがいいんじゃない

大学院進学の意味を問うブログ記事たちを読んだ

博士後期課程にいる野良院生です。

最近はてブで「大学院に進学することの意義」みたいな記事に対するコメントをいくつか読んだのですが、すごくモヤモヤしてます

最初に見たのはこれだけど

研究に向いてない学生には全力で就職活動をさせたほうがいいと思うよマジで

あとはそれに対する批判的な反応とか

研究者になれるかどうかは研究室選びにかかっている 〜学生のことを考えてくれる研究室選びのすすめ〜 - つなぽんのブログ

自分は研究者に向いていない? 〜研究者に必要な資質とは〜 - つなぽんのブログ

これに先立つ、主に修士向けの人に書かれたっぽいやつとか

理系大学院に進学するメリット・デメリットを実体験を振り返ってお伝えしたい - なぎぶろ

理系大学院に進学するメリット・デメリット記事へのコメント返しと情報の追記を試みる - なぎぶろ

個人的には2つ目のブログの人の言ってる

私が研究者必要だと考える資質はたったひとつです。それは、

「まだこの世界のだれも知らないことを、自分の手で明らかにしたい」

という欲求です。

というはそうだなーって思って、よくよくみたら最初ブログの人と割と近い認識っぽいのになーって思ったんだけど、それより2つ目のブログの人のいう「研究課題を心から「知りたい」「明らかにしたい」と思って言っていること(略)(私はこれは素質ではなく、指導によって伸びる部分だと思っている。)」とか3つ目のブログの人のいう「研究に対しての関心や探究心を出させるのは教授仕事でもある」というのがどうにもわかんない。博士号とってアカポスいく人も修士でて就職する人もこういう核心っぽいところで同じような観点になるのは興味深いんだけど

tsunapon氏のほうは2つ目の記事での「研究者必要だと考える素質は、まだ(略)を自分の手で明らかにしたい」っていうのも「研究課題を心から「知りたい」「明らかにしたい」と思うのも指導によって伸びる」というなら、じゃあ大学院に行くのは誰でもいいのか、あえてこの自分でなくてもいいんじゃない?なのになんで私こそが大学院行くの?ってとこがよくわかんないし、

nagitaka氏も最初記事で「学部生の場合、(略)自分研究に向いているか否かなんてわかるはずがない。」とか書いてるけど、2つ目の記事にあるように「研究に対しての関心や探究心を出させるのは教授仕事でもある」みたいな丸投げ見ると、そもそもそれって研究への向き不向きを考える以前の問題じゃないの?って思ってしまう。

なんというか、最終的に自分の胸によく問いかけて決めるべき重要なところの判断教授とかにすごく介入されてるっぽいんだけどそれでいいのか?(もちろんはじめから修士でて就職するつもりで入学するなら話はぜんぜん別だけど、だったら研究への向き不向きとか考えずに割り切って就職予備校としての利用に徹すればいいだけだし)

しかし、女性からと言って良いとは限らない。

良いか悪いかは、個人の問題であって性別関係はない。

女性の方が、依存的で、思い責任を持たない傾向があるのは事実だし、感情的であるのも事実

いくら、子育、出産家事パートをこなすからと言って、

リーダー資質・器があるか無いかの評価を、甘くしてはいけない。

http://anond.hatelabo.jp/20160305152928

2016-02-28

研究に向いてない学生には全力で就職活動をさせたほうがいいと思うよマジで

今年の卒論修論が一段落した.そこで思うのあるが,研究室学生をみていると,学部修士博士を問わず研究(者)に向いているかってのは,かなり簡単に判断できるよな.研究者として就職できるかってなるとまたコネなど色々な要素が関連してくるので一概にいえないのだが,たとえば「こいつにファースト(筆頭)で論文を書かせて査読を通せそうか」あるいはそういう人間に成長しそうかってのはけっこう早い段階で分かる.

論文の元となる調査実験のものには失敗がつきものなので,卒論修論研究が頑張った割にいいものにならないってのは,運の要素もある.しかしそこはおいといて,「そこそこ意味のある調査結果が得られた場合に,通るんじゃないかと期待を持てる論文を書けるかどうか」は,レポートプレゼン資料論文を書き上げる際の態度みたいなもので,かなり判断できるのだ.

 

その態度というのは,昔から言われている平凡な真実なのでわざわざ言うほどのことでもないんだが,結局のところ研究目的,つまり「何を明らかにしたいのか」をしっかり考えているかということに尽きる.要は「問い」がしっかりしているかどうかということだ.

俺が学生を見るとき注視しているのは,振り返ってみると,

 

  • 先行研究を調べた上で立てている「問い」であるかどうか.まだ調べてない段階であっても,調べようという意識があるかどうか.
  • そいつの心のなかで,その「問い」が切実なものであるか.つまり本当に心の底から「知りたい」「明らかにしたい」と思って言っているかどうか.

 

の2点な気がする.「問い」が明確に定義されているかどうかってのも大事なのだが,それは結局,先行研究を掘っていく中ではっきりしてくるものだと(少なくとも俺が関わっている分野では)言えるので,上記2点をみていればだいたい学生資質は分かる.まぁ,見ていればっていうか,自然に見えてくるものなので,特に頑張って見極めようとしているわけでもないんだが.これらは,「目をみれば分かる」というと文学的すぎるがそれに近いものがあって,ちょっとした会話やメールの文面なんかにも如実に現れてくる.

 

 

それで最近思ったのは,上記2つの態度は,指導してもあまり変わらないんじゃないかということだ(もちろん人は変わることがあるので,見切りを付けるのが早過ぎるのも問題だが,多くの人がイメージするよりも早い段階で,簡単に見抜けるもんですよということをいいたい).

先行研究で既に明らかにされていることは何で,いま自分が取り組もうとしているテーマは先行研究から文脈上にどう位置づけられるのかが「気になる」かどうかというのは,かなり「性格」に左右される問題なんじゃないかという実感がある.真面目な学生であれば,調べろと言えば調べるのだが,言われなくても調べるorまだ調べて無いけどこれから調べなきゃという意識自分で持っている学生と,そうでない学生の間には,大きな壁がある.

また,「問い」が切実であるかどうかというのも,結局は「本当のところどうなのかが気になって仕方がない.だから考える」「人がまだ考えていないことを俺が考えて明らかにしてやりたい」という,ほっといても調査考察が加速していくような「性格」を持っているかどうかで,ほとんど決まる.

 

勉強が好きで,「研究者」という存在になることそのものへの願望が強い学生であったり,非常に優秀で要領の良い学生であったりしても,上記2つの性格」を本当に持ちあわせていない奴はけっこういる.そういう奴には,民間企業や,役所事務官技官を問わず)への就職を勧めることにしている.

たとえば,とても「知的」でしっかり教科書などを読んでいて,「研究」という活動に憧れを抱いているんだけど,自分の頭で考えたことが何か素晴らしいものであるとの思い込みが強く,他人研究を参照する努力を怠ってしまう奴がいる.少し調べると,自分ときの思いつきなんていかにショボイものであるかとか,すでに30年前から議論されているのだというようなことがすぐにわかるのに,それをやらない.

また,めちゃめちゃ頭がよくて努力を惜しまないのだが,何か本質的なことを「明らかにしたい」という願望を強く持っていない奴がいる.そういう奴は,たとえば大手コンサル会社などに就職すると,極めて有能なビジネスマンになっていたりするのであるが,研究職には全く向いていないのだ.

 

たとえば東大学部から大学院に来た学生は,地方国立やそこらへんの私大出身学生よりも優秀なことが多いのであるが,上記1と2を持ちあわせない東大生は,結局のところ研究者としては,それらを持ち合わせる他大出身者にかなわないのだ.東大生京大生は,不向きな道に勘違いして進んでも,脳のスペックである程度まで押し切ってしまうことも多いのだが,どこかで壁に当たるというか,研究に飽きてしまうようなことも多いように思う.(しかしなんだかんだで,旧帝大出身者のほうが,上記1と2を持ち合わせる学生が多いような印象はある.頭がいいけど研究者として使い物にならない学生は,上位私大に多いかな.)

※注記しておくと,オボ何とかさんみたいなのはそれ以前・以外の問題を色々抱えていそうなので,あまり興味がない.

 

 

それで,他の大学研究室教官に言いたくなることがよくあるのは,研究者としての見込みの無いやつに,研究者としての自分のやり方みたいなものについてくることを過度に期待するのはやめたほうがいいでしょということだ.学生本人がどんだけ優秀であっても,どんだけ「研究者」にあこがれていても,向いてない奴には全力で「民間就職」へ向けて頑張らせるべきだ.大学大学院研究の場であり,研究者としての姿をみせるのが仕事だと思っている教授准教授は多いのだが,研究に向いてる学生なんてそう多くはないのだから卒論修論適当にすませておいて,就職活動をがんばるようにと早い段階で言ってやったほうがいいのだ.

あと,研究者としての見込みがないことを見極められずに,うちの研究室学生を送り込んでくる他大の先生方にも困るときがある.まぁこっちは研究室としての学生受け入れの枠はけっこうあるから,最低限の水準をみたしていれば進学はさせるし,途中で化ける奴がいないとは言わないけど,どっちみち民間就職したほうが活躍できる人材には,手前の段階でそのアドバイスをしてやったほうがいいのではないか.

 

まあ,研究に向いてなくても,修士で2年間研究に取り組んだという経験が,企業に入ってからとても役にたったというような話はよく聞くので,そういうのを無くすべきとまで思っているわけではない.こっちは研究が本職だから研究に向いてないやつに指導をして,とりあえず学位をとって卒業するためだけの論文添削をしたりするのもダルいのではあるが,そうやって民間就職組の人生の糧になるようなものを与えてやるのも,大学人としての義務の一つだとは思っている.てか,そういう義務意識のない,研究世界に閉じ込もっているような先生に限って,学生の向き不向きの見分けが付かずに「無駄な進学」や「無駄ゼミ出席」を量産してるんじゃないかという気もするが,どうなんだろうね.俺はどっちかというと,「ゼミなんか出なくていいから企業説明会にでも行ってろ,単位学位ギリギリもらえる程度に仕上げるための指導はちゃんとしてやるからな」ぐらいの意識なのだが.

 

そういえば学部3年から就職活動をするのが,勉学をおろそかにしているとかいって問題化していたと思うが,それもそんなに大問題なんだろうか.たしか大学人としては,学生には,たくさんの論文教科書を読み,データとにらめっこしながらああだこうだ悩むような学生生活を送って欲しいという思いはあるものの,結局のところ研究に向いていない学生にとっては,「そこそこ以上の待遇会社就職できるかどうか」のほうが人生上のインパクトはるかに大きいのだから,もうそっち優先でいいんじゃないのかと思う.

最近進んできたように,企業が一致して就活期間を短縮すれば,同程度に就活を優先していても勉学に割ける時間は多くなるだろうが,「最初にどこに就職するか」はかなり大きく人生を左右すると思うので,就職について考える期間が長いほうがむしろいいという気がしなくもない.

というか,周りでも「就活優先でいいんじゃない?」派の人が多いので,新聞などで早期の就活問題だと書いてあっても,そもそもそんなの問題化してたっけ?という疑問はあるのだが.

だいたい,研究職についている先生方の中にも,学部自体は遊び呆けていて院に進学する間際でなんとなく勉強し,その後なんとなく大学に残り続けているって人はけっこういるぞ.そしてそういう人が,割と尊敬に値する研究業績を挙げていたりもするのだ.そういう先生方は,本質的研究に向いていたか宿命のようなものに沿って研究者として生き残っているのであって,「就活より勉学を優先したから生き残っている」というようなことは全くない.「この人が他人講義に真面目に出席して聴いてる姿なんて想像できない」って人だってけっこういるしな.

2016-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20160225182254

時間内できないんならそのポジション必要資質を満たしてないんだからポジションを下げて賃金を安くするか首切ってできる人を雇うかでしょ。

2016-02-14

ITは移り変わり激しいから新しい物に敏感であるのは必要資質ではあると思う

個人的にはレイトマジョリティが一番安定するし良いと思ってる安月給SI

2016-02-12

レース業界で働いているものです。

話題自称レースクイーンタレントさんのような方が大勢オーディションにいらっしゃいます

オーディションに参加する方でモデルと呼べそうな方々はせいぜい1~2割です。

下位カテゴリーのチームではアラサーではなくアラフォーの方々がレースクイーンをやっていらっしゃいます

彼女たちはおそらく無報酬です。

なぜこんなことが起きるかというと小さなモデル事務所では登録料やレッスン料が主な事務所の売り上げだからです。

そして仕事紹介してるよ、オーディションに落ちるのは個人の資質からねという体裁をとっているので無理やりチームのオーディションポケモン妖怪ウォッチ的なものねじ込んできます

(もちろん合格することはありませんが。)

オーディションが終わると社員同士で我々はポケモンマスターではないよね?と確認あいます

いやポケモンが本当に来てくれたらかわいいから大歓迎ですけどね。

相手ショッカー並みの改造人間ですからね。

今年も疲れました。

2016-02-07

諦めないことは大事だけど、自己への評価に対して盲目になってはいけないと思う

狭き門であることは間違いないのだし

がんばれば、諦めなければと言ったところで、本人に資質がなければしょうがない

逆の不幸の事例のが世間的にはよく目にするよな

2016-02-05

優秀な子どもが埋もれている

幼稚園のおともだちをみていると、直感資質の子もいれば、二重飛びどころか三重飛びも出来たり、

体が柔らかくてありえないおもしろポーズみせてくれる子とか多才な子どもがいて、

でも、水泳なり、バレエなり、体操をやってるとかじゃなくて。

中国とかロシアなら、どこかで見いだされてちゃんとした指導者について能力が開発されるのに、

日本だと親が興味を持って、お金や送迎の負担をして、ってしないと子どもの才能は埋もれてしまう。

3歳からゴルフをやってます!とか、2歳でバイオリン始めました!とか、卓球天才少女とか、両親頼みじゃねーか。

日本でも優秀な子どもが発掘されたら奨学金しますとか必要じゃないのかね?

2016-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20160203113005

そうだよな

丁寧な仕事評価される職場行けばいい

おなじITでも、営業PGPCでも保守だと求められる資質全然違うもんな

2016-01-26

キラキラネームしろ、親の過剰な教育しろ、子の資質によってどう出るかは変わってくるんだろうな。

何でもプラスにできる性格ならいいけど。

その状況を取り入れて強い子になればいいけど。

子が出来たら余計そんなことを思うようになった。

そしていつも、童夢君とメロちゃんを思い出す。

2016-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20160109215419

海外アニメ感想とかでも、原語で聞きたいんだけど英語をしゃべるシーンが出ると辛いって意見を見るね。

今は過渡期でこれからしづつマシになっていくと思う。

コストや労力・資質など色んな物の兼ね合いの中で優先順位として高くないというのはわかるが、声優演技力はこの程度なんだから文句言うなみたいな意見には同意できないな。

http://anond.hatelabo.jp/20160110131356

全部読んだ。……ということだけ伝わればよいかと思うのだけど、ともあれ同情申し上げる。

そんなしょうもない上司に泣かされる悔しさ、というのは想像することしかできないが、こちらまで悔しくなるような腹が立つような内容だった。どこの組織にも一定割合でそういう人は居るもので、関わってしまったのは不運としか言えない。でもあなたはその中でよく気を遣って立ち回り、精一杯プロジェクト成功に貢献しようとされているように見受けられる。これだけ丁寧に一連の出来事を整った文章記述して提示できることからも相当聡明な方ではないかと想像する。(対面時のコミュニケーション能力については判断できないが)

上司無能であることはもう全社的に認知されているようだが、それでもプロジェクトが終わったタイミングにでもしかるべきところにしかるべき報告はしたほうがいい。密室で相手が泣くまで詰めるのはどんな事情があってもパワハラだ。あなた組織がその報告の過程あなた不利益不快をもたらすような組織でないことを願う。

ウルトラ級のバカで甘ちゃんだっただけ

そんなことはない。もしかすると少し人がいいかも知れないけど、そういう本来尊ばれるべき資質はいつか必ず報われるものだ。

どうか身体や心を壊すほど無理をされないように。

あなたになにかいいことがありますように。

2016-01-09

ベッキーはどのように釈明すべきだったか

どう釈明しても、男女の仲を「疑われない」という状態に持って行くことは不可能。本当に単なる友人であった、もしくは親密でありながらも肉体関係には至っていなかった、というのが仮に事実だったとしても、会見での釈明によってそれを信じさせることは無理である。無理である限り、CMイメージキャラを降ろされたり、各番組レギュラー一時的に干されるのは避けられない。

会見後の報道で、既に相手との関係は清算し二度と会わないと約束したということだったので、それが事実であれば仕事犠牲にしてプライベートを選ぶという選択肢はない。逆に相手を精算してでも仕事を続けたいというのが望みであるから、状況的に今持っている仕事を失うことが避けられないとすれば、将来の復帰の可能性を最大化することに全力を注ぐべきである

また今回の会見が叩かれる理由として「言うべき相手に言うべきことを言っていない」「どう考えても不自然な釈明である」「質疑応答がなく多くの疑問に答えていない」という、釈明そのもののまずさがある。簡単に言えば「嘘つき」「不誠実」と思われてしまうような会見になり、ベッキーというキャラクターの元気さ、明るさ、正直さといった資質を損なっている。

年齢的に、ベッキー恋愛結婚を望むこと自体自然であるから恋愛感情を持ったこと、相手との結婚を望んだこと自体が大きなマイナスになるとは考えにくい。「恋愛関係でなく友人関係」と釈明しても信憑性が薄く効果的でない上、恋愛関係というだけならばさほど叩かれなかったと考えられる。

叩かれているのは相手が既婚者であったという一点であるが、報道の通り相手が妻帯者だったことを「知らなかった」と強弁するのはLINE状況証拠から不可能。よって取り得る手段は「積極的不倫、略奪しようと望んだのではない」というストーリー信憑性を持たせることであろう。どう信憑性を持たせるか。これまでスキャンダルがなかったことを活かして「最初は知らなかった」「付き合ってから妻帯者だと知ったが、恋愛経験が乏しかったため、周りが見えなくなっていた」と釈明してはどうか。

この作戦が仮に成功したとしても、法律的道義的責任は避けられない。相手の妻が訴訟を起こせば勝てる見込みもない。怒るファンや視聴者も少なくないだろう。だがベッキーというキャラクターが持つ資質を大きく損なわずに済むため、今回の会見のように失敗したり、あるいは何も釈明しないでいるよりも、ずっと復帰の可能性を高めてくれる。

ここまでをまとめる。

1. 相手との関係より仕事を優先したいという希望がある (らしい)

2. 今の仕事を失うことは、どう釈明しようと、どのみち避けられない

3. 恋愛したこと自体ではなく、不倫であったことが叩かれている

4. 恋愛関係にあることを否定しても無駄なのに、友人であると言い張ったため、ベッキーは嘘つきであると思われ、キャラクターにキズがついた

5. 将来仕事に復帰する可能性を最大化するには、キャラクターを守らなければならない

6. 恋愛経験が乏しく、周りが見えなくなっていたと釈明する

これを踏まえて、先日の謝罪会見原稿を書き直してみる。

「このたびはお忙しい中お集まりいただき、大変申し訳ありません。今回発売される記事に関して、多くの方々、テレビCMラジオ関係者の皆さま、ファンの皆さま、そして誰より川谷さんのご家族の皆さまに対し、多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます申し訳ありませんでした。

私はアーティスト川谷絵音さんの作る音楽のファンでありまして、ライブにも行かせていただき打ち上げなどでお話もさせていただき、そんな中、川谷さんと連絡を取るようになりました。はじめは一人の友人として接していましたが、次第に異性として意識するようになり、昨年11月から交際をはじめました。

当初、私は川谷さんが既婚者であることを認識しておらず、交際をはじめた後に事実を告げられました。事実知ったからには当然ながらすぐに身を引かなければいけなかったのですが、恋愛経験に乏しく、周りが見えなくなってしまった私は、関係を断ち切るということをすぐに決断できませんでした。

今回の記事きっかけに、ようやく勇気を持って周囲の皆さまに正直に相談することができ、このままではいけない、多くの方々、特に川谷さんのご家族の皆さまに対して本当に顔向けできない、恥ずかしいことをしているのだという事実を、やっと飲み込むことができ、気持ちを整理することができました。

私の取った行動はたくさんの方々にご迷惑をおかけし、誤解を招くような大変軽率行為だったと、深く反省しております申し訳ありませんでした。

川谷さんのご家族の皆さま、ファンの皆さま、関係者の皆さまに、多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。そして、いつも私ベッキーを応援して下さっているファンの皆さま、関係者の皆さまにも、多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたこと、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

今回の私の軽率行為を、深く反省し、また皆さまの前で笑顔お仕事させていただけるように、これからは1日1日を大切にしていきたいと思っておりますあらためて、このたびは本当にお集まりいただきありがとうございました。そして、申し訳ありませんでした」

ここまで述べてしまえば、質疑応答は「付き合ったのはいから」「既婚者だと知ったのはいから」「男女の仲になったのか(肉体関係を持ったのか)」「相手の実家ではどんな話をしたのか」「離婚届を急ぐよう迫ったか」「まだ付き合っているのか」などの想定質問に対し、正直に、丁寧に答えていけば良い。変に隠さず全てを語ってしまうことが、ベッキーというキャラクター価値を守るためには最善であると思う。

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160108194104

メッセージが見え見え、薄っぺらい」そのようにしか感じられないのなら、その作品はきっと童話のようなもので、成熟したあなたに合った作品ではないのだろう。

……本当にそうであるなら、批判などしなくてもただ距離を置いて忘れ去るはずだ。そうしないということは、その作品あなたは期待を寄せており、その作品を高く評価する同年代人間も多いということだろう。彼らは「薄っぺらい」とは感じていない。

ではなぜあなた自分の「薄っぺらい」評を見つめ直せないのか?それは、自分が読み取った受け止め方が正しい、作者の言わんとしていることはこれに違いない、だからこの作品はこの程度のもの、これを有難がっている奴は幼稚だ、そう信じこんでいるからではないか。もしそうなら、“正解”があるかのように誤解させる国語教育を恨んでもいい。言うまでもなく、作品が伝えるものに“正解”はない。ある程度の枠組みの中にテーマ性はあっても、何をどう受け止めどう感動するかというのは、人により千差万別で、それでいい。でもどうせその作品から目が離せないなら、楽しめる受け止め方をしたいもの。娯楽だもの。つまらなく受け止めた自分とは異なる受け止め方をした人の考えを理解しようとするのは非常にエネルギーのいる事だが、非常に知的好奇心が刺激されることでもある。自分が見えていなかったポイントを裏側から見るような経験ができるからだ。

まがりなりにも作品批評――というか貶すような物言いをするのなら、“自分は見るべきポイントを全て網羅しており、かつそれらのポイントを良い視点から眺めている”ことを確認する作業必要になる(それを意識的にしている人がどれほどいるだろうか)。その作業は、下を見ることではなく、上を見ることによってはじめて達成される。具体的には、たとえば熱い考察記事に片っ端からあたること。決して、2ちゃんtwitterに溢れるネガコメ同調して自分見方を補強することではない。より頭を働かせ貪欲に楽しもうとしている人からこそ学べるのだ。その作業をしていると、きっと自分の小ささを実感するはずだ。一個の人間の持てる視野はあまりにも小さいことに気づくはずだ。そういう経験を繰り返すうち、どのような作品に対しても謙虚にその見えざる良さを斟酌するような姿勢がとれるようになる。そして、楽しむ人を侮ることもなくなる。楽しめるということはすなわち、人生の読むべきタイミングで読むべき作品を読んでいること。それは幸福なことで、茶々を入れて壊すべきでないと思えるからだ。それは他人を、他人人生尊重するということでもある。しかし、ネガティブ感情に囚われていると、決して、そのような心境には至れないだろう。それは本当にもったいないことだ。

残念ながら昨今のインターネットの短文文化は、このもったいない状況を加速している節がある。ぜひそれに抗って、深く長く思いを巡らす時間をとってほしい。私のようなニートの仲間なら特にニート生存するために一番必要なのは、きっと心の豊かさだ(経済的には依代があるからニートできているのだろう)。まあ、ネガティブなことに思いを巡らすのは逆効果だが、ネガティブポジティブに転化できるものの考え方というのは、何にも代えがたく、得難い資質であると思う。脱線してきたのでこのへんで。

2016-01-06

貧困から抜け出すこと

http://m.huffpost.com/jp/entry/8902352

子供貧困から抜け出すことについての記事を読んだ。

私も塾には行かなかったし行きたいとも思わなかったが、仮に行きたいと思ったとしても、行けなかったと思う。

別に黒い服を着たおじさんが家に来たり、親がギャンブル中毒離婚したりはないし、(大学に入って一人暮らしをするまでは)特段ひもじい思いをしたことも記事に書けるようなドラマチックな出来事も何もなかった。

しかし、子供心に塾の授業料を見て、ウチの家計では無理だろうなと思ったくらいの家庭に育った。要するに田舎一般的サラリーマン家庭だった。

周りはあまり裕福ではなく、飯場のようなところで、ギャンブル中毒の親、母子家庭、父親の自殺小学校6年間で4回も苗字が変わった子、夜逃げしたためどこか遠くから車で送られてくる子等だらけだった。

金銭感覚教育観といった観点で)まともな両親が2人とも健在だった時点で、そこでは最も恵まれ環境だった。

そういう意味で、私は当地では最も恵まれ環境に生まれ育ったと思う。

大きなショックを受けたのは、親の預金通帳を盗み見た時だ。

それと当時ねだっていたゲームの値段を比べた。

それ以来、私は親にモノをねだらなくなった。当然塾に行きたいとは言えなかったし、私は小さいこピアノが習いたかったのだが、習いたいと言えなかった。

私は14歳の時、田舎を出ることを決心し、田舎中学を出て、片道2時間以上もかかるような遠い街の進学校へ行き、東京大学に現役で合格した。結局塾には一度も行かなかった。

私自身はそれが当然だと思っていたので全く辛くはなかったのだが、多分傍から見れば相当努力した部類だと思っている。

受験期には文字通り一日中勉強していた。これまでテレビゲームゲームセンターボーリングくらいしかなかった私にとっては、本を読むこと、勉強はとても楽しかったのだが、貧しい体験からくる出世欲と反骨精神、この世に対する恨みのような気持ちは並々ならぬものがあったと思う。

今の私は、東京大学を出て大きな、公共に係わる仕事をしている。

田舎いたころとは比べ物にならない人生だ。世間一般的には、エリートの部類に入るだろう。

給料は、外資に行った同級生弁護士になった同級生と比べたらかなり少ないだろうが、普通給料をもらって生活している。

社会階層を上げるためには大学に行くべし、というのは多分正しいと思う。

日本大学受験(というより東大受験)の良いところだと思うことは、基本的にはどんな境遇人間でも、ペーパーテスト一発、しか普通教科書理解できていれば合格できることだと思う(それが相応に難しいことは否定しないが)。

まりは個人の資質や、やる気次第でどうにかなるものだと思うのだ。

だがしかし、このやる気というのがかなりの曲者で、その大半は環境で決まってしまうと思っている。

私の転機高校だ。

進学校に入ったことが大事だった。

地方進学校だったが、地元中学とは全く違う人種が集まっていた。ゲーセンテレビファミレス以外の世界を知っているのだ。

この世界に多感な高校時代に飛び込み、周りが読むように本をたくさん読み、たくさん考えた。

これが今の自分の基礎だ。

そして高い交通費をかけて、遠い(公立だが)進学校に通うことに、反対せず後押ししてくれた両親の存在も大きい。

親がまともで精神的に安定していること、これは本当に大事なことだ。

不幸にもこのような環境が確保されなかった場合、私は同じように東京大学に独学で入り、今のような人生を歩めていただろうか。

おそらく無理だ。

視座を広げるためには、まずそれができる機会が与えられる環境にいることが重要だ。

テレビ以外の楽しみがある環境必要だ。

モチベーションを維持するためには、少なくとも将来に前向きな人たちの多い環境にいることが大事だ。

負の感情だらけの中で、周りに影響されず自分を貫き通すのは、然して気持ちの強くない高校生の私にはできなかっただろう。

私は幸運にも環境に恵まれ、これから何でもでき、何にでもなれる人生を手に入れた。

最近やりたいことに悩んでばかりで、鬱々としているのだが、こうした経験をした自分からこそできる方法で、世の中を良くしていきたいと考えている。

2015-12-27

若い引きこもりはまだやり直しがきく、みたいな言い方あるけどさ

若い・年とってるじゃなく、本人の資質や周囲の環境のが大きいと思う

うちは田舎で、引きこもりの親戚も田舎

コンビニなんて車で15分の距離にやっと1軒

普通の職でさえ少ないのに、引きこもり社会復帰バイト先なんてそうそうない

公共サービスにしたって支援団体にしたってそういう病院にしたって、都会で求めるレベルからは格段に落ちる

変わろうと思ったら都会よりはるか難易度高いと思う

親戚の引きこもりは30少し前だけど、若いからといって変われる要素がまるで見込めない

ぶっちゃけ10年後も引きこもりのままだろうな、と自分は思ってる

都会だったら40でもバイト先くらいは探せるじゃん

やり直しがきくかどうかは、若いかどうかより、都会かどうかによると思う

2015-12-23

日本子供っぽい美徳を売りに世界で唯一の不思議ちゃんになるべき

スイスどころじゃなく

日本はそれをやれるだけの資質がある、その設定でやりくりするだけの頭脳もあると思う

2015-12-22

アイドルヲタであることをアピールするアイドルが苦手な理由

 そもそもアイドルなんていう特殊世界を目指してきたコたちは、素人時代からアイドル情報を一般女子より詳しい言わばヲタク資質を持ってる場合が大半でしょ。

また同業の人間に関心を待つのは他の職業も同じであって、一々「ヲタクアピールするようなことじゃないとも思うわけです。

ももちデビュー当時のインタビューでファンだった石川梨華について問われ

まだ小学生だったにも関わらず「もうファンじゃありません、先輩です」と答えたという痺れるエピソードがあります

っても、アイドルとなった以上、それまでのファン(ヲタク)というポジションとは違うプロ意識を持つべき!なんて言っちゃたら単なる説教オジサンですよね…。

ただエーベックスのトップグループの童顔巨乳のコにしろ

ラップをするのは楽しいです」と言いながら、そのアイドル愛に比べて

いつまでたってもヒップホップに対する愛情が全く感じられないあのコにしろ

まわりのメンバーやファンから気持ち悪~い(笑」というツッコミなしに、そのヲタアピールが成立してないところは

面白くないし面倒くさいんで直して頂けるとありがたいとは思います

ぶっちゃけアイドルヲタであることをアピールするアイドルの何が嫌かって

キモいドルヲタおっさんたちに「自分たちと同じ匂い」を感じさせることで釣り上げようっていうヲタサーの姫的なあざとさが鼻に付くんです。

地下ドルロコドルが増加し誰もがアイドルになれる昨今

アイドル夢を与える職業”というクリシェますます陳腐ものになりつつあります

少なくともアイドルの与えるべき夢ってキモいオッサンとのシンクロ率の高さじゃないと、キモいオッサンは感じる次第です。

間違った努力無意味←これ

これ見て思った

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4984841.html

方向性を間違った努力って何なんやろう?

例えば、野球がうまくなるために計算しつくされた最短距離努力を最大限積み重ねたとする

これは正しい努力だよね?

しかし、その努力をしたやつが、どうやったって地元公立高校野球部ですらレギュラーとれない才能だとしたらそれは無駄か?

これなら無駄じゃないという人もそれなりにいそうだし、結果にならないなら無駄だよね、という人もいそう

じゃあ、そいつノーベル賞とれる天才科学者資質があったらそれはどうなるんだ?

野球を正しく頑張ることはそいつ人生において正しい努力か?

野球を頑張りすぎて、科学者として道で大成しなかったら、それは無駄努力だった、と言える?

それとも、そいつ野球を選択して頑張った以上、野球への努力無駄じゃない正しい努力

そうなると、結果出さな人生無駄人生

しか無駄こそが人生の喜び?

で、結局、間違った努力って何?

2015-12-19

人を見るめを養う

この人は、

正解の道よりも、プライドを守る方を優先する人だな、

この人は、

プライドよりも(たとえプライドがあったとしても)、真実の道を選べる人だな

こういう資質というのは、すぐに分かる。

後者大成する優秀な逸材

2015-12-18

緊デジについて圧力を受けたので増田に書きます

とある特定会社については触れるな、責任を問う様な記事を書くなと言われましたが

関係者緘口令が敷かれ証拠の揉み消しが行われているため、増田にてリークします。

既報にて触れられた箇所は冗長になるため削除しています

2013年3月に終了した事業2015年11月時点で配信されない、配信についての期限も切られないのはさすがに民間からすればおかしいのですが、「それではいつ配信されるのか」などの疑問すら封殺して圧力を掛けるのはやり過ぎでは無いでしょうか。

内部資料を入手した上で記事にしているという証拠のため、手元の一部資料を上げておきます

https://drive.google.com/file/d/0B2eVxJtFskpeNUZURkVjSGZCRms/view?usp=sharing

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◇緊デジとは何か

コンテンツ急電子化事業の略

東北振興と電子書籍市場活性化目的とし、書籍電子化を国の補助にて行う総額20億円の事業

JPOが事業受託し、パブリッシングリンク社が製作委託業務請負う。また出版デジタル機構が(補助金とは別に)製作費を立て替える形で、中小出版社でも費用無しで書籍電子化が行えるスキームが組まれた。配信も出版デジタル機構が担っている。

事業期間は2012年4月〜2013年3月

実際は2012年4月の出版デジタル機構設立に伴う"ご祝儀"として組まれ事業

略称

JPO:日本出版インフラセンター

PL社:パブリッシングリンク

機構出版デジタル機構

産革:産業革新機構

経産省傘下の半官半民ファンド

B社:ビットウェイ社

2013年10月機構合併した電子書籍取次最大手凸版印刷より買収した。

Y社:機構取引のある大田区電子書籍制作会社イニシャルのみ記載

…緊デジにおいて検品修正ファイル製作の一部を担当

M社:取次他社。

T社:凸版印刷子会社イニシャルのみ記載

◇なぜ未配信が発生したのか

予算消化ありきの事業

(既報ではあるが)とにかく期限内に規定金額を使い切ること、製作点数を満たすことを優先し、権利処理、製作体制の構築が後回しになったため。

電子化に伴う諸々の権利処理がなされていない状態にも係わらず、見切り発車で電子書籍製作がなされた。仕様も期間中に二転三転し、電子書籍製作を請け負った東北会社は二重三重作業を強いられた。

前述した通り緊デジ事業元請けとなったのはJPOだが、事業スキーム自体出版デジタル機構ありきで組まれもの。また、緊デジは機構営業部門出版社に対して営業を掛けており、説明会機構内にて行われていた。JPOとパブリッシングリンク社の出張所も機構内(神保町にあるビル内)に併設されていた。

電子書籍書店への配信部分を担うため、出版デジタル機構では会計監査院の指摘を受ける前から未配信書籍の存在を把握していたが、メンツ問題を恐れて出資母体の産革及び経産省への説明はされていなかった。会計検査院の内々の指摘に対しては、担当部長社員が職を辞したので分からない、との説明がされていた。

◇カラ納品で締め日に間に合うように見せかけの納品

事業は終了すれども納品はされていなかった

何故このようなことになったのか。書籍タイトル募集が不調に終わった後、なんでも良いから申請してくれとの駆け込み募集がなされ、製作、納品、配信と一連の作業が玉突き式に遅れたことに起因する。

すべての工程問題だったのだが、明確な隠蔽が行われたのは納品工程からである2013年3月の緊デジ事業締め日に間に合わせるべく、制作会社未完成ファイルを納品させる"見せかけ上のファイル納品"が行われた。中にはまったく同じファイルタイトルだけ変えて納品させる例まであった。このカラ納品はネット上の制作会社関係者ブログによっても示唆されている。

これはJPO、PL社、機構の三者による合意の元に行われ、カラ納品をもって産業革新機構および経産省には緊デジ事業完了したとして報告がされていた。

もちろん実際には納品されていないため、緊デジ締め日以降に発生した実作業によって費用が発生し、決算日をまたいだ予算上の付け替えが発生している。

この納品データ収納したハードディスク現品存在しているため、監査を行いファイル日時とファイルの中身を確認するだけで不正行為が判明する。

また、東北電子書籍製作会社取材するとカラ納品の指示メール、録音まで保存している会社複数存在している。

電子書籍ファイルフォーマットの多重製作

無駄になったフォーマット製作金額はなお不明

緊デジ当初はdotbook、XMDFファイルフォーマット製作がされていた。このうちePubで作り直し配信した電子書籍や、複数フォーマット製作を行うが片方のフォーマットしか配信しなかった電子書籍一定存在する。

これらの方針転換は緊デジ期間中にePub事実上の標準としての地位を固めたことも一因として挙げられる。ネット上の関係者記事からも作り直しや方針転換のため、納品・配信がなされず製作費用が丸々無駄となったものが多数存在することが示唆されている。

どれほどの金額無駄になったフォーマットに使われたのか、事業税金を原資としている以上、説明をすべきである

検品体制は万全だったのか

・極めて疑わしい検品体制

緊デジで納品された電子書籍ファイルについて、当初は神保町出版デジタル機構内に併設されているPL社の出張所にて検品がされていた。(異常が見つかったファイル修正も内々に行われていた)

極めてセンシティブな噂があるため、その後に起こった出来事事実だけ記す。ファイル納品数の大幅な増加に伴い、当時M社より機構へと出向していたH氏(元M社執行役員部長)の強い働きかけによって、B社と懇意である電子書籍制作会社Y社に、検品残りePubについて検品ならびに修正委託された。

その際に○千万金額が"検品修正委託"名目で支払われる。(その後H氏はB社と合併した出版デジタル機構運用部門長として採用されるに至る)

問題は3点。検品修正がなされているにも関わらず"正常に表示できない"と返答されているファイルがある点、検品について恣意的特定の1社が選定された疑いがある点、検品費用についての監査が不十分であるである

1点目

検品修正がされたのではなかったのか?

緊デジで製作されたePub電子書籍ファイル(※)は大部分がY社へ検品委託されており、実際に金銭も動いている。であるにも関わらず会計検査院の指摘に対して"正常に表示できない"と返答がされている。はたして、検品修正は適正にされていたのか。どのような作業が行われていたのか。どのようなやり取りがなされたのか。

ePub以外のdotbook、XMDFフォーマットについては制作中止や配信停止がなされた。別項参照

2点目

製作水準に達しない企業検品を請け負う

まず前提となる情報として、緊デジ事業電子書籍製作にあたって制作会社公募がなされた。その上で各制作会社試験を課し、水準に満たない制作会社足切りを行った上で発注が行われた。

そして、Y社はその"制作"会社選定時の試験足切りに合った企業である

足切りにあった企業が緊デジ事業製作されたファイル修正検品委託されているのである製作水準に達しない企業が"検品"と修正を行うに足るのかの説明が求められる。

関係者への取材によると"検品"にあたっては検品水準の維持を目的としてY社ただ1社を選んだとの返答だったが、なぜ製作時と同じように公開試験を行い、複数から選定しなかったのか。透明性のあるプロセスにて選ばれていないため、懇意にしている企業恣意的に選んだ疑惑があると複数制作会社からは指摘されている。

3点目

監査不十分な諸経費分担

出版デジタル機構内に併設された出張所にて検品が行われていた際の費用は、PL社と機構折半されていた。だが、検品をY社に委託した際にはその費用はほぼ機構のみの負担となっている。

機構大口出資母体には産革がおり、産革の資金の9割以上が税金で賄われている。前述したように、緊デジ締め日以降に納品されたファイル存在しており、それらの作業費は緊デジの事業費には乗っていない。

少しややこしくなったので状況を整理すると、緊デジはその事業費外に「締日以降の作業費」「検品修正費」という形で費用負担が発生しているのだ。

緊デジは東北復興予算によって賄われた事業だが、出版デジタル機構負担した作業費用も含めると税金が二重(場合によっては緊デジ事業費、期間外作業費、検品修正費の三重)に乗った事業ということである

これは緊デジ事業だけの配信調査監査では不十分であることを意味する。出版デジタル機構負担分の金銭の流れも含めた監査必要である

◇現執行体制責任はないか?

出版デジタル機構2014年6月に新社長就任、新役員体制に移行している。

そして、緊デジは2013年3月に建前上終了している事業である。緊デジ未配信は過去問題であり現執行部の責任は無い、と現在各所での“言い訳”がなされている。

しかしながら、入手した社内資料では新役員体制への移行時2014年6月時点でもまだ未納品電子書籍が大量に存在していると指摘されている。しかも、あろうことか副社長を排している大手出版社小学館による大量の未納品まで存在していた。

(より正確には直接申請と代行申請という違いがある。しかしながら納品がされていなかった事実は変わらないため詳細はここでは省略する)

内部関係者より証拠資料付きで告発されたこの件を受け、産業革新機構出版デジタル機構への投資を不適格として引き上げるべく、引受株式の一部処分を決定したとの情報もある。

※産革の株式処分2015年9月1日発表

http://www.incj.co.jp/PDF/1441072277.03.pdf

(会計検査院の緊デジ未配信指摘は2015年10月2日)

大手出版社特別扱い、他社マニュアル剽窃著作権法違反をする官製企業存在意義

大手出版社優遇し、中小出版社冷遇

機構には緊デジ以外にも問題が指摘されている。取次としての資質が問われているのだ。

ここでは既存出版取次の詳しい説明は省くが、分かりやすく述べると大手・老舗出版社既得権側として極めて有利な仕組みになっている。料率(出版社取り分)が多くなっており、仮払金と呼ばれる見込み売上金も有利な率で受け取れる。新規出版社は料率で不利、仮払金も率が悪いどころか受け取れないところもある。

では税金が投入されている電子書籍取次はどうなっているのか。こちらも大手・老舗出版社が有利な仕組みとなっており、一部は取次料なしでの扱いもなされている。取次料なしとは、つまり大手出版社によってタダで使われているのだ。

税金によって賄われた以上は最低限の公益性中立性は担保すべきであり、大手・老舗出版社が有利になるのはおかしいと前述の新規中小出版社からは指摘されている。

民間企業取引先の重要性に応じて条件に傾斜を付けるのはやむを得ない。だが公器としての存在を期待され出資を受けた以上、中小出版社と同一の条件にするのが筋だという論である電子書籍取次は出版取次と違い金融機関としての機能存在しないため、この主張には一定説得力がある。

この主張には対して、そんなことをすれば同業の取次他社との競争に勝てないと機構出資者反論もみられた。むろん、公益性担保競争力は一部トレードオフ関係にある。だが、現状は競争力の向上と称し得ない。実態大手出版社に対して国の税金が投入されているのとほぼ同等であり、補助金に近い。

書店に対しても同じことが起こっている。外資を含む一部書店に最恵待遇として有利な料率・条件が結ばれており、事実上の言いなりになっているのだ。

これら重視すべき対象機構内では戦略出版社戦略書店と呼ばれ、それ以外はゴミ出版社ゴミ書店呼称されている。

税金に群がるのは大手出版社だけではない。「凸版印刷赤字子会社(※注 ビットウェイ社)を買収した。ではうちに何をしてくれるのか」との大日本印刷の指摘に対して、共通書誌情報システム大日本印刷関連会社である日本ユニシスへと発注するなどの便宜が図られている。

果たして、このような結果を出版業界は望んでいたのだろうか。出版業界の終わりの始まりに思えてならない。

同業他社マニュアル剽窃などやりたい放題

さらには、同業の取次他社が用いるマニュアル剽窃まで指摘されている。前述した取次大手M社から部長待遇転職したH氏の手により、M社資料である電子書籍入稿マニュアル出版デジタル機構内にて回覧され、出版デジタル機構の同マニュアル作成時に流用されたという指摘だ。

これは社長副社長本部長の認識の元に行われており、社内及び業界内の武勇伝として語られている。もちろんM社の守秘義務違反行為にあたる。競争相手マニュアル剽窃する、それによって競争力を高めようとするのは民間でも眉をひそめられる行為だが、税金で作られた企業がやるとなれば民業圧迫との誹りは免れない。

事故多発、著作権法違反が行われるなどのずさんな企業統治

他にも被災地馬鹿にした発言がなされていた、値段・発売日違い事故の多発、著作権法違反による著者からの抗議、Y社及びT社に対する下請法違反派遣法に抵触する行為などのコンプライアンス違反散見されるという、複数証拠証言もある。

一部は既に然るべき機関通報がなされているため、これらの件については調査がなされることを期待したい。万が一ではあるが調査がされない、圧力を受ける等があれば証拠付きで今回のような形式でリークする。

出版に携わる人間として、どうしても許せなかったのは緊デジに関する一連の騒動が終わったこととして隠蔽されようとしていることだ。緊デジには正の面もあり、書籍電子化が加速したのも東北にある程度の金額が回ったのもまた事実だ。だが、負の面も大き過ぎる。それらは現在進行形証拠が消され、関係者箝口令が敷かれようとしている。大手出版社印刷会社が総出で無かったことにしようとしている。

あえて聞きたいのだが、自浄作用を発揮できない出版業界に、果たしてどれほどの価値があると読者は考えるだろうか。

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取材にあたり】

上記、一部をあえて伏せる、疑問形にした箇所が存在します。

手元に資料及び証言存在していますが、記事内にて提示することでそれに沿った形で資料の書き換え、口裏わせがされるのを防ぐためです。ご容赦ください。

緊デジと出版デジタル機構についての調査、踏み込んだ監査がなされることを期待しつつ、復興予算という名目で行われた事業である以上は、国民や読者が納得する形の結論が出ることを強く望みます

2015-12-14

今起きている変革とは

これから起こる変革とは、階級移動のことかもしれない

社会というものは、カースト制度のような階級制度が無くても、自然人口の6~7割りが、親の職業と同じ職業に進むということが、

(現代実験で)わかった。


医者階級に生まれたら医者階級のまま。

経営者も、政治家も、芸能人サラリーマンもそう。

大半の人間が、親の職業子供職業となる。

ライオンの子ライオン、羊の子は羊のというわけだ。

しかし希に、鶏の子キメラだったりする。

階級を越えるタイプというのは、その一族の中では変わり者の新種になる。通常、人口の2~3割ぐらいがこれにあたる?階級を越えるには、それなりにエネルギーがいる。

この一族とは異なる新種タイプは、独特の感覚思想をもっている。ある意味特殊資質の持ち主。2つ以上の階級を眺めることができる。

しかし、従来職業がなくなり、新しい職業に就かざるを得なくなった場合は、強制的に皆で開拓者にならないといけなくなる。

無くなった従来職業とは、武士とか、農業とか、職人とか、神官とか…。

過去時代、大きく階層移動が起きた時代があった。

これが大変革期。大流動時代

階級移動できるチャンスとなる。階層シャッフルされるのだ。

それは人口の5~6割かもしれない。

どんな職業神様から渡されるか、お楽しみだ。

自分で選ぶというよりも神様から要請を受けて、回ってくるという感じになるかもしれない。

思いもよらなかったものが来るかもしれないが、これが変革期なのだ人生を楽しもう。

無論、どの階級が楽か?というものはない。それぞれの階層にはデメリットメリットはある。

追記

しかし、最終戦争が終わった後かもしれない。

最終戦争は、無血開城のように無傷に終われるかもしれないし、

大衆の知らない内に終わるかもしれない。

そうであればベストだけど、失敗すると、人口3分の1が無くなるような戦争になるかもしれない。

2015-12-13

学級委員リーダー資質なのか?

評論家の方々などが「これから若者が2極化する。学生時代に、学級委員などを勤めた子は勝ち組になる」と述べます。その為、最近の子供は益々、学級委員になりたがるというわけです。

けれど、私は学級委員になりたがる人間が、真の意味リーダーになりえるのか?といつも疑問に思うんです。というのは、学級委員というのは椅子が限られているわけです。


それを取るというのは、必然的パイの奪い合いをするわけです。自分が生き残りたい、勝ち組に入りたい、だから椅子を奪う。

しかし、真のリーダーなら、そもそも限られたパイは譲り、本質的問題解決に集中するのではないかと、思うんです。

私は学級委員になりたがる人間が怖い。ギラギラしているから。

容赦なくライバルを蹴落とせる思考回路をしている人も中にはいると思っている。ライバルと見たら意地悪も平気。人を痛めつけても心が傷つかない。

パイの奪い合いは、大抵、本質的技能の磨き合い(健全競争)

にはならず気の強い子が勝ちます

学級委員をしてもリーダとしての経験値は上がると思うけれど、リーダーにふさわしい人格が磨けるかというと、どうも対局に思えてならない。しかし、ある意味で、そういう能力(パイを奪える生命力)としては高い子供なのだと思います

まり、この問題というのは、ソロモンの知恵のようだ、と思うのです。

子供を引っ張って奪えた方が真の母親、というルール提示し、

実は最後に、負けた方が真の母親というドンデン返しです。

これは偽の母をあぶり出すゲームだったのです。

自戒として、つくづく良心に従いたいものです。

2015-12-06

イケメンはいから自覚されるか

小学校ときからネクラデブメガネだった女です。

そんなんだから男子と対等に遊ぶなんてとんでもなくて、ひどいいじめこそは幸いうけなかったけど狭い友人の輪の中でひっそり教室の隅で過ごす生活を送ってきました。

小学校5年のときに6年生と一緒に清掃をする場所担当になったんだけど、そこで初めて「イケメン体験」をした。

その人は6年生の男子だったけど、見た目残念な私に優しく清掃用具を渡してくれたり、重たいバケツを持ってくれたりした。

他の男子がガキっぽくからかったりサボったりするのを嫌味なくたしなめたりしながら私や他の女子を守ってくれてたのがわかった。

で、小学校卒業して中学校に行って、そこでもまた別のイケメンに遭遇した。

その人は小学校ときイケメンとはまたタイプが違って、初対面の女子でもすごくフレンドリーでボディタッチとかもすごく自然でうまくて、当然同級生の中でも相当評判になってた。

メガネニキビデブオタブスな私なんぞはまさかそんな恋愛戦線に参加できるわけもなく、そっと遠くから見守る程度だったんだけどそれでも委員会とかちょっとした接点があると名前とか覚えてくれててすごく優しくしてくれてた。

今になって思うのがそのときせいぜい10代はじめくらいの年代だったのに、彼らは一体どこで自分を「イケメン」だと自覚していたんだろうってこと。

優しいとか自分に自信があるとかは親の育て方もあるんだろうけど、たった10歳そこそこでそこまで「イケメン」然とした行動ってとれるもんだんだろうかって思う。

イケメンていうのは生まれつきの資質なんだろうかとも思う。

そろそろ20歳になるけど、きっと彼らはもっといい男になってるんだろうな。

2015-11-27

海士町特集を見るたび絶望に襲われる

あいつらなんだかんだで恵まれすぎてる。

そりゃ離島だし、財政も相当ヤバかったらしいが、彼らは必要資質を持っていたと思う。

彼らの成功の要因としては、

トップ問題意識があり

住民よそ者を受け入れる度量があり

・ニューカマーが新しいアイデアを持ち込み

・それが都会でヒットした

こんな感じのことがよく言われている。しかしこんなもん地方に求める方が贅沢じゃないのか。

日本の平均的田舎ってのはな、もっと殺伐としてるんだよ。

まず選挙の候補はどいつもこいつも、うさんくさいのしか出てこない。

結局、元官僚自公民(下手すりゃ社民も)相乗りみたいなのが順当に当選する。

さすがに秋田のアレほどじゃないにせよ、古参住民がいろいろとうるさいのはたぶんどこも同じだ。

それに、今から万全の受け入れ態勢を整えたところで、たぶんもうイケハヤ劣化コピーみたいなのしか来ない。

最終的には都会で受けて、外貨を稼がなければならないが、その割にはどこもよその真似ばかりだ。

海士町成功例として持ち上げられるたびに思う。結局その他大勢希望はないんじゃないか。

王朝幕府の末期には「まあ、こいつはそこそこ優秀だったけど、もうどうしようもないよね」

みたいな人物がよく出てくる。果たして何人いれば、今の流れを止められるのだろう。

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