「メッセージが見え見え、薄っぺらい」そのようにしか感じられないのなら、その作品はきっと童話のようなもので、成熟したあなたに合った作品ではないのだろう。
……本当にそうであるなら、批判などしなくてもただ距離を置いて忘れ去るはずだ。そうしないということは、その作品にあなたは期待を寄せており、その作品を高く評価する同年代の人間も多いということだろう。彼らは「薄っぺらい」とは感じていない。
ではなぜあなたは自分の「薄っぺらい」評を見つめ直せないのか?それは、自分が読み取った受け止め方が正しい、作者の言わんとしていることはこれに違いない、だからこの作品はこの程度のもの、これを有難がっている奴は幼稚だ、そう信じこんでいるからではないか。もしそうなら、“正解”があるかのように誤解させる国語教育を恨んでもいい。言うまでもなく、作品が伝えるものに“正解”はない。ある程度の枠組みの中にテーマ性はあっても、何をどう受け止めどう感動するかというのは、人により千差万別で、それでいい。でもどうせその作品から目が離せないなら、楽しめる受け止め方をしたいもの。娯楽だもの。つまらなく受け止めた自分とは異なる受け止め方をした人の考えを理解しようとするのは非常にエネルギーのいる事だが、非常に知的好奇心が刺激されることでもある。自分が見えていなかったポイントを裏側から見るような経験ができるからだ。
まがりなりにも作品を批評――というか貶すような物言いをするのなら、“自分は見るべきポイントを全て網羅しており、かつそれらのポイントを良い視点から眺めている”ことを確認する作業が必要になる(それを意識的にしている人がどれほどいるだろうか)。その作業は、下を見ることではなく、上を見ることによってはじめて達成される。具体的には、たとえば熱い考察記事に片っ端からあたること。決して、2ちゃんやtwitterに溢れるネガコメに同調して自分の見方を補強することではない。より頭を働かせ貪欲に楽しもうとしている人からこそ学べるのだ。その作業をしていると、きっと自分の小ささを実感するはずだ。一個の人間の持てる視野はあまりにも小さいことに気づくはずだ。そういう経験を繰り返すうち、どのような作品に対しても謙虚にその見えざる良さを斟酌するような姿勢がとれるようになる。そして、楽しむ人を侮ることもなくなる。楽しめるということはすなわち、人生の読むべきタイミングで読むべき作品を読んでいること。それは幸福なことで、茶々を入れて壊すべきでないと思えるからだ。それは他人を、他人の人生を尊重するということでもある。しかし、ネガティブな感情に囚われていると、決して、そのような心境には至れないだろう。それは本当にもったいないことだ。
残念ながら昨今のインターネットの短文文化は、このもったいない状況を加速している節がある。ぜひそれに抗って、深く長く思いを巡らす時間をとってほしい。私のようなニートの仲間なら特に。ニートが生存するために一番必要なのは、きっと心の豊かさだ(経済的には依代があるからニートできているのだろう)。まあ、ネガティブなことに思いを巡らすのは逆効果だが、ネガティブをポジティブに転化できるものの考え方というのは、何にも代えがたく、得難い資質であると思う。脱線してきたのでこのへんで。
アニメでもマンガでも小説でもゲームでも映画でも。 例外なく鼻白む。 そういう表現が出てきた時点でもう続きは見ない。親と一緒にテレビ見ててエロいシーンになったときの気まずさ...
「俺はそれを知っている」という自意識を介在させて見ているから、そういう心理に陥るのではないか。 すこし余計なお節介、いやお説教をさせてもらいたい。その高尚な自意識を消し...
こういう創り手がいたら純粋にキモい 俺の作品に感動できないのは読者が悪い 俺の作品をこうだと決めつけるのは没入できない読者にも問題がある 透け透けのメッセージや自我が見え...
事実を指摘されて「キモい」「イタい」みたいな反論しかできない人
メッセージが見え見え自我が強すぎて没入できない下手くそという事実を指摘された結果、顔真っ赤にしてイタいキモいにしか反応できなくなる間抜けは筆折ってくれよ どーせ会話ばっ...
「メッセージが見え見え、薄っぺらい」そのようにしか感じられないのなら、その作品はきっと童話のようなもので、成熟したあなたに合った作品ではないのだろう。 ……本当にそうで...
反応したということは期待を寄せているに違いない!!と他人の内心を既定して解釈したり 評価する人もいるに違いない!!という空想で現実逃避するのはやめような むしろネットにお...
赤ちゃんのようなフラット云々カンヌン それってつまり自己否定しろってことだよな フラットにするって自分を消失させろってことだろ? そんなことできるわけねーだろ 二重人格のフ...
常に自我をなくして見ろという訳ではないよ。自分の人生に照らして感動できる作品であれば、素直にそのように見ればいい。それが出来ないほど自分の常識や美意識を逸脱した作品に...
で作品の薄っぺらさを誤魔化すのであった、作品の美しさ!はお前の自我に過ぎないんだがな笑 http://anond.hatelabo.jp/20160108185914
それは自我を無しにして見続けられるようなクソどうでもいい内容の作品ってだけだろ 本当に感動したら嫌でも自分が出てきます どうでもいいことでは人生豊かになりません
作者の人間性が透けるからでしょ 要するにそういう顔も見えないような人間が作って愛用してるその場限りの言葉を借りないといけない技量と器量の狭さ それがすぐに透けてしまうから...
脱線と連想ばかりで長文書くのがおもしろいみたいな風潮もイタいよなー
わからなくないけど 電車男は突き抜けすぎててパラレルワールドとしてみれる 10年以上前のドラマだから時代が違うと割り切れるところも大きいが
『風光る』なんかでも当時の全共闘とかその手の空気がパッケージされてるけど、今似たような事になってるし。 時代を回すことができればいいだけだ。若い子がTOKIOを聞いて生まれる...
なるほど、携帯電話もポケベルも黒電話もダウトですな。 あぁ、電車や車・バイクも、いずれなくなるからアウトか。 これ、家屋もダメなんジャン? さて、何を描こう?
宇宙すらいずれ終わりを迎えるから無理だな
これ、実は映画とか舞台とかの脚本では意図的にやってることがあったりするので注目してみるといいぞ。 例えば三谷幸喜の映画なんかでは、滅多に携帯電話が出てこない。 雰囲気的に...
キャラにチョベリバ言わせてた作品は出た時点で既に寒かったのを思い出した。 作ってる間に古びたんだろうな… というか本当にチョベリバ言ってた女子高生なんて本当にいたんだろう...