はてなキーワード: 資質とは
質問はYes・Noで答えられる形式まで落としこんでから質問する。
質問・要望はできるだけ正確に、前提から丁寧にかつ簡略に伝える。
分かってもらおうとしない。推し量って理解してもらえるだろう、という話し方をしない。機械だと思って正確に入力することに努める。
資料に・メールに・1度でも記載して送っていれば伝えたと思っている。たしかに書いてはあるので、事細かに読むことを優先する。
資料にざっと目を通して、あとは口頭で確認しようと思ってはいけない。正確に書いて伝えたのに読めていない、とバカ扱いされて大変不快な思いをすることになる。
「何を言っているか分からない」は罵倒ではない。本当に理解できていないだけ。腹を立てるよりは正確な文章で伝える努力を。
可能な限り、口頭ベースではなく文書ベースでコミュニケーションを取るようにする。口頭だと伝達は早いが伝え方・受け取り方のギャップが大きく双方ともひどく疲労することになる。
スキルは高く、責任感もあり、コミュニケーションへの努力も見受けられる。
が、生まれ持った資質や育成環境によるコミュニケーションパターンは容易に変えられるものではない。それはしょうがないと思っている。
顧客企業常駐、大手SIer常駐、自社請負開発、いろいろやったけど
前者ほど勤怠面では安定する、後者ほど残業休出の程度がひどくなる
客が常に周囲にいる状況なので前者ほどストレス値は高い、ただ後者がストレス値が下がるかというとそうでもない場合も多い
当然ながら情報は前者ほど手に入りやすいし意思疎通もしやすい、後者ほど開発に集中しやすくはなる、はず
短期間で精度の高いものを少ない人数で作れって言われたら、顧客に開発チームごと常駐させる
客が過干渉で物づくりが進まない状況なら、要件切るチームだけ常駐させて、開発部隊は自社に置く
で、常駐チームメンバーを頻繁に自社と客先を行き来するようにする
自社の待遇と評価の問題について、これはどの環境かには依らず、自社社員が多い現場ほどやりやすくなる
少人数・場合によっては一人の現場では、問題はプロジェクトの問題としては認識されず、
子供に家の手伝いをさせるべきかどうか悩んでいる。
周囲の人に聞くと、そりゃさせたほうがいいと言われる。
だが、はたして、家の手伝いは子供のためになるんだろうか。
というのも、おれが子供の時にさせられた家の手伝いは単なる苦行でしかなく、その後の人生になんらの実りをもたらさなかったからだ。
おれは、毎朝、床の掃除機、雑巾がけに加えて外階段の掃き掃除をさせられた。
社宅の2階に住んでいたので、2階から1階の入り口までほうきをせっせと動かしていた。
きっと、親は社宅の住人に「よく躾けられた子供」の姿を見せたかったのだと思う。
他にも、風呂掃除、洗濯、夕食の手伝い、皿洗いなど、ありとあらゆる家事をやらされた。
ところが、現在、おれは毎日掃除や洗濯をすることもなく、のんべんだらりと暮らしている。
家事なんて、やり方さえ分かれば、あとは本人の資質次第なんだろうなと思う。
うちの親がものすごい量の手伝いを子供に課していたのは、自分の負担を減らしたかっただけなんだろう。要は親のエゴだ。
けれど、子供にとって最優先されるべきは、家の手伝いではなく、勉強であったり、遊びを通したコミュニケーションであったりするはずだ。
親のエゴを捨て去り、子供の成長にとって何が大事かという観点で、家の手伝いの是非について考えてみると、継続的な手伝いは不要という結論しか出てこない。
でも、周囲の人は手伝いをさせるべきと言う。理由を聞いても「それが当たり前だから」程度の答えしか帰ってこない。
様々な要因で、その家庭により非常に大きな差があることは理解しているし、自分たちはおそらくトップクラスに楽な部類に入ることも理解している。
それと、今は1歳半だがこれから大変になるであろう可能性も承知している。
しかし子育て楽だ自慢は大っぴらに言えないことでもあるので、世の中にはこういう場合もあるのだと誰かの参考になればと思い書き記しておく。
まず環境要因として、お互いの両親(祖父母)が健在で近くに住んでおり、いつでも預かったり面倒をみてくれる。
両親側から積極的に子供見てるから外食してきていいよとか言ってくれるし、丸一日でも預かってくれる。
さらに金銭的にも大きな不自由はない程度であること、子育てのやり方について相談には乗ってくれるが口出しはしてこないこと。
自分たちの時代とは違うからと、勝手なことはしないでくれるし尊重してくれている。
ネットや周囲の話を聞くと、その辺の苦労も結構多いようなので助かっている。
ちなみに私たちは30代前半で、その両親たちは60代半ば~70前半。第一子の女の子。
次に父親が本当にイクメンであり、家事育児の全てを一人でできるレベルにありながら母親のことを尊重してくれること。
なおかつ非常に些細なことでもしっかり話合うことができて、喧嘩をしてもすぐに仲直りできる貴重な存在。
当然のように母親より上手に離乳食を作り、事前の準備、下調べから後片付けまで手際よくこなす。
妊娠中や産後の辛い時期にいくらキツイことを言っても優しくしてくれたし、ネットや周りで聞くような不満は何一つ見当たらない。
ベビーカーや抱っこひも忘れて出かけても、良い筋トレになると喜んで抱っこし続けてくれる。
産まれて以来、寝不足になったことはないどころか一度も夜泣きをしたことがなく初期の頃から放っておくと朝まで寝てしまうので
わざわざ起こしてミルクをあげていて、終わるとすぐに寝てくれていた。
離乳食も最初から喜んで食べてくれて、好き嫌いもなく何でも食べてくれている。
食べる量や内容に多少のムラはあるが、続くわけでもなく成長にも問題がないので苦労している等というレベルにはない。
もちろん事前に調べて対策したり気を付けてはいたが、気を付けていたから全てを防げるというものではないのもわかっている。
寝かしつけるのも簡単で、ベッドに置いて親はテレビをみたりゲームしているだけで勝手に寝てしまう。
なんだか申し訳ないので普段はできるだけ寝付くまで遊んだり一緒にいるようにはしてはいるけど。
昼寝もいくらでもしてくれるから、いくらでも休むことができるし、お風呂も大好きで顔にシャワーをかけようが
湯船で転んで全身ダイブしてしまおうが泣くことすらなかったりする。
当然大きな病気はまだ経験がなく、風邪を引いたことはあるがちょっと元気がない程度で普通に過ごすことができている。
家の中を勝手に歩き回るようになってきたが、段差は自分で落ちないように気を付けてくれるし、なぜか扉は手を挟まないように注意しているし、
当然大事故にはならないように対策はとっているが、ちょっと危ない目にあったりするとすぐに学習して気を付けてくれるので
頭の良さには常日頃驚かされている。
既に自己主張も上手にできてきて、かなりの意思疎通も可能になってきており、なぜ泣いているのか理解できない等ということもない。
保育園の先生や周囲からはしきりに頭がいいと言われるが他所を知らないので何とも言えない。
上司が普通に子供が風邪ひいたから休み誰も文句を言わないような環境でありながら、過度なくらい皆気を使ってくれるので
あとなにかあったかな。
愛情の深さが重要なのではないかという意見を目にしたが、あまり関係ないような気もする。
なぜなら意思の疎通が可能になる最近までは夫婦揃って、可愛いけど自分たちの子供という感覚がわからない、飼い猫を可愛がるような感じだと
常々話をしていたりしたからだ。
向き不向き有能無能、実際は大変でも感じない等も一理あるとは思うが、明らかに両親の資質よりは環境含めた運のほうが大きいと感じてもいる。
とにかく、こんなに楽ではあるのだけれど一人目でこれだけ楽だと二人目以降はまず今より大変になるであろうことは容易く想像できるので
二人目を作るかどうか、時期をどうするのか等悩ましいところではある。
ちなみにうちの子は「ようかい体操第一」が以前から大好きで機嫌悪い時や泣いた時の効果は抜群だった。
当初は「赤ちゃん 寝る音楽」とかで出てくるようなものを使っていたが(そもそもあまり必要なかったのだが)けた違いに効いたので
予防接種で泣いたとき等病院の待合室のような、どうにもしようがないような場面、場所で大変役にたってくれた。(あとゲームしたい時とか)
頼りすぎはよくないと思うが、上手くこういうものを活用できるとさらに楽にできると思う。
うちの子以外に効果があるのかはわからないが是非とも試してみてほしいものだ。
いまはそういう使い方をすることはないが、見せると喜んで踊りだすようになったのでたまに見せている。
例えば進学校の教師というのは、実は割と自分の趣味丸出しでいい加減な授業をしていたりするのだが、
そこの生徒は元が概ね優秀なので、「やっぱ自分で勉強しないとダメだなー」と勝手に受験対策を始める。
しかし、それで実績が上がったからといって、同じことをレベルの低い学校が真似したら、
それはもう悲惨なことになるに違いない。
「生徒の自主性を重んじる」ことより、「元々生徒の資質がある」ことの方が、要素として明らかに大きいのだ。
我々は成功や失敗の要因を、主体の心境や行動といったものに求めがちである。
そしてもって生まれた資質や環境のせいにするのは卑怯者のやることだと考えがちである。
しかし、「やればできる」というのは安易なようで、単に思考停止しているだけなのかもしれない。
確かに、「お前がやってもダメ」と認めることは簡単なようで難しく、そして残酷だ。
まあ、何が言いたいかというとつまり、※ただしイケメンに限る。
そういう資質ならそれはそれでね。
自分は IT 業界の人間なんだけど、ある時期以降日常業務におけるセキュリティに関する対応が増えていて、(たぶん、どこもそうなんだろうけど)それについてモヤモヤしてることを吐き出しておきたい。
末端で働く側から見ると、セキュリティインシデント対策/予防のメインは「末端に対する注意喚起と教育」に見えるんだよね。
「常に気を付けろ!」「セキュリティ意識高めろ!」みたいな精神論に終始しているように見える。
あげく「セキュリティ事故があったらたいへんなんだぞ!」みたいなビデオだの見せられた日には「精神論の次は脅しかー」と思う。
ついでに誓約書まで書かされたりして、マイルドパワハラとでも呼びたいぐらいだ。そのうち血判状とか言い出しかねない。
これって、末端に対するしわ寄せだよなあ。と思うわけです。
「何かあったら意識が低いお前が悪いんだからな!」とでも言わんばかり。業務は組織としてやってることなのに、問題があったらいきなり個人の資質にその原因を求めんのかよ?と思うわけ。
現場はあれこれのデータを扱ったり持ち出したりせざるを得ない状況があるわけで(そんなのおれたちだって望んでいない)、どんなに気を付けて意識高く持っていてもゼロリスクはあり得ないし事故は起こる。
実際のところ、組織はそれなりにいろいろやってるとは思う(てか思いたい)。
・(中位)インシデントを防ぐ仕組みを導入
・(上位)インシデントの損害をあらかじめ折り込む
下位についてはそのまま。中位については、アクセス権の管理や、認証技術の導入、ワークスペースのゾーニングとかかな。上位については、食べ物屋さんの廃棄率とか工場の歩留まり率みたいな話。
そうした取り組みって末端の現場にはあまり説明されていなくて、精神論をキーキー押し付けられてるようにしか見えないんだよね。(仕組みは変わったら嫌でもわかるけど。)
加えてモヤモヤするのは、インシデント対策として業務プロセスが変わって、業務コストが上がってるのに、その分のコスト増はプロセス上は無視されて、ウヤムヤのうちに現場に押し付けられてるケースが多いこと。
今までオフィスでやってた仕事が、インシデント予防のため特定のロケーションでしか行えないことになって、片道1時間の移動コストがかかりますと。でも、そのコストはどっからも補てんされない。みたいな話はよく見るわけで。仕方ないのでそれを案件のコストに乗せると、「コスト減らせ!」みたいなメールが飛んでくる。そらみんな鬱にもなりますわ。
なんか、話が飛び飛びになってるけど。。何が言いたいかって言うと、「どう分析して何をやってるのか、ちゃんと説明すれば?」ってこと。
現場への注意喚起と教育だけじゃ「また上が現場の事もわからず勝手なこと言ってるぜ。クソが。」としか思われないってこと。
以下蛇足
末端の人間で、「セキュリティ事故の原因は個人の意識の問題だと思いマース。」みたいなこと言う人って、明日は我が身なのを想像できないのかね。。自分で自分の首絞めてるってゆーか。上からのウケが良いからそう言ってる部分もあるだろうけど。
----
私は10年以上前に転売から始めた簡単な会社を作った。良いときも悪いときもあったが
特に辞めたいと思ったことはない程度に順調に進んできた。
そんななかで、起業したというエントリーをよく目にするわけだが、その方たちの書く内容の意識の高さに驚く。
自分を高めるために読書に勤しんだり、人脈を作ることに躍起になったり、信念や物づくりに孤軍奮闘する。
私はというと基本的には右から左に流すことで金銭を得て、その金を元に投資で増やしてきた。
投資の勉強もシミュレーションと書籍を利用しただけだ。特に目新しいことはやっていないし
33歳になった今、一生遊んで暮らせるほどの大金は得た。だが、中身は18歳くらいから全く変わっていないわけだ。
なんとなく大人の振る舞いはできるが、いろんなエントリーに見られるような意識の高さは全く持ちあわせていない。
冠婚葬祭のルールなんてほとんどわからないし見よう見まねでやり過ごしている。
ネットの熱心な記事を目にするたびに自分だけが子供のままなのだと思い知らされる。
これからも漫画やテレビのバラエティ番組を見て腹を抱えて笑いながら
10数人の中高年に指示を出して金銭を得るだけだ。大人になんてなれない。
私は、もうすぐ結婚する。相手の女性は田舎の出身でのんびり、おだやかな人だ。
そのうえ物欲があまりなくネットにも疎い。意識高い系とは無縁の人だ。
いつか生まれてくる子供も意識高い人生とは無縁の道を進むのかもしれない。
リスク、メリット・・いろいろ教えてあげなければならないのだろうが、逆に私が教えてほしいくらいだ。
ごめんな、将来の子供よ・・。
私が40年ほど人を雇って仕事させてみてきた範囲での感想なんだが、
何かを思い付く能力というのは、平均的な知能の持ち主が経験を積めば自然と身に着く。
だが、思いついたアイデアを実行に移せない人が大半だ。
実行に移せる人と、そうでない人の違いは、私の印象では、
リスクを取れるタイプの人間か、リスクを回避するタイプの人間か という違いが一番大きいように思う。
アイデアを実施することで背負わされる(と思っている)重大な責任や、
実施に伴い発生する様々なリスクをどう抑えるか、、考え出す辺りで止めてしまう。
なので、そいう人に有能な実行部隊みたいなのを指揮させても、
ただでさえ中学・高校に行かないっていうリスクの高い生き方をするんだったら、
大学に行ったその先まできちんとプランを立ててからの方がいいんじゃないかな。
例えば、お堅い業界(金融・保険・警察官等)に行きたいのであれば
よほどの事がない限りレールからはみ出さない生き方の方が就職に有利だし、
フリーランスで生きていくにしても、お客さんとの交渉は自分でやらなきゃいけないから
嫌いなお客さんにも礼儀正しく接する忍耐力などが求められたりする。
結局のところ、人生は大学を出てからジジイになるまでの時間が圧倒的に長い訳で、
中高行こうがいくまいが、将来なりたいものになれるだけの資質は身につけておかないといけない。
中学・高校に行かずに高卒認定を受けて大学に行く、はいいんだけど、
その後に中学・高校を普通に出てきた人とどうやって戦っていくの?
何かその人たちが持っていない『武器』を手に入れられる当てはあるの?
キレそう…。コイツ、一番踏み入れちゃいけない場所に足を踏み入れたぞ…
昔のオタク像がおかしいのであって、オタクだってジャンルによるのにやれ最近のオタクはリア充だの、やれおしゃれもするだの言うけど、それって「レイヤーさんとかは昔からそうだったんじゃないの?」「親がオタクではない子どもは割りと昔から普通っぽい人が大学入ってからヲタ化してたのでは?」と
だいたい、オタクがオシャレになったのなってないの、と言うのはコミケで3年間以上開始前の準備列で並んだことのあるやつならだれだって感じそうなことなんですよ…。でも、本当にコテコテの、中学高校からオタクやっててガッツリとオタクな奴は見ればわかるほどガッツリオタクなんですよ!はい。
こんなオタク見たことない。コミケの待機列にもニコ動のイベントにもいない。割りと観測範囲広いつもりだけど、こんなオタク見たことない。特に、声オタならなおさらこんなののイメージない
メイド喫茶だからにいるオタクだの、メイド喫茶というフレーズが出たからといってバカにしてはいけない。メイド喫茶の種類によっては客引きや外から中が見える軽薄なメイド喫茶とは比べ物にならないぐらいガチなところもあり、そのガチなところにお色気目的じゃない理由で行く奴はかなりのガチやから!
節子それニセオタやない!ぬるオタであり、にわかであり、新参や!そういう奴に限って一人でオタクに染まり始める(話す相手がいないままアニメやゲームと向き合う時間を過ごす)と濃ゆいオタクになってカムバックしたりするんや!伸び代あるで!
ウェイサーのオタクはウェーイであって、オタではない…は言い過ぎだとしても、オタをいらつかせるよくわからない資質を持ったオタだとは思う
半可通にアニメの話をしたがるにわかは確かにうざい。でも、そういう奴に限って周りのブームが過ぎ去っても、本気でアニメにハマり続けたり、一人になった途端にじっくりと考えはじめたり、もっとアニメの話がしたくて濃ゆいところに行こうとするから、最終的には濃くなってこじらせてるんだよなぁ〜にわかには「このにわかが」と言ってもいいんだけど、それと同時にそのにわかがギリギリ用意できない次のステップを用意してあげるんだ!コミケに行った後はそれ以外の即売会(例大祭でもティアでもOK)へ道筋を引いてあげると、そいつはドンドンこじらせていくから!大事なのは緩やかな普及です
kanose 自分が半可通にアニメの話をしたがるにわかオタクだからよくわかるんですね。
これ嘘っぱちだろ!ドルオタはカラオケや宴会の盛り上げ役なんかしねーよ!逆に自分が歌ってる曲が思いの外知られてないか、熱を入れすぎて引かれるかによるディスコミュを避けて陰日向の存在として表の世界では生きてるイメージだよ!
人に言う事は自分のこと
人に「ダッセー奴w」という人は、
回りも、その人を「ダサい」と心の底で思っているけど、
口にしていないのを、なんとなく本人は感じ取っていて
実際、世間からみて恥ずかしくてダサいのは「ヤンキーの方」なのです。
人に「うそつき」という人は、その人が嘘つき。
人に「幼稚な奴」という人は、その人が幼稚。
人に「才能ない」という人は、その人が才能ない。
人に「かわいそうな奴」という人は、その人がカワイそうな奴。
人に「強欲なやつ」という人は、その人が強欲。
人に「器がない」という人は、その人に器がない。
人に「こいつは俺より格下」という人は、お前が格下。
でもって、人からも、そう思われている。
http://anond.hatelabo.jp/20150913113601
「なんで子供生んだんだこいつ」
みたいな意見を見かけるけど、
ブコメに山程あふれた”子供の可愛らしさが分からない人間は人非人””子供最高”みたいな意見が、
世の中で強烈な同調圧力になっているのは簡単に想像できるよね。
ひどい人になると”子供いない奴は一人前じゃねえから黙ってろ”みたいなことを平然と言ってたりする。
そうして圧力かけて追い詰めて生ませて、愛せなかったら「なんで生んだんだ」。
まあ同一人物が言ってるわけじゃないけど(多分ね)。
でも酷い話。
(子供作る前から愛し愛され幸せになる確信がある人は、もちろんそれだけでもとても幸せな人だ)
そういう人はどうかそのまま幸せになって欲しい。
問題なのは、それが分からない人が一定以上いるってことなんだろう。
子供をちゃんと愛せるか?
お金がなくなった、自由がなくなった、責任だけは重くのしかかり、そして愛もよく分からなくなってしまった。
でも生存バイアスのせいか、そうした不都合な意見は圧殺される。
それは真実かもしれないけど、全てでもない。
人はだれも同じじゃないし、貴方の当たり前は誰かの当たり前じゃない。
子供は可愛い。確かにそうだ。でも誰にとっても可愛いわけではないし、
”子供最高!”と世の中を煽った先に、傷めつけられて、飢えて、乾いて、殺された子供がいるかも知れないことを思いもしない。
なら子供を堂々と捨てられる世の中になればいいのに、って思ったよ。
作ってダメなら捨てられるようにすれば、親もやり直しがきく。
なんらかの歯止めや条件が必要だろうけど、
変に虐待とかに走られて、子供の虐待死みたいなイヤなニュースを聞くよりはマシだ。
親の幸せは子供の幸せに通じるから、親を自由にし、子供を自由にする。
でも少なくとも、怯えた目をした子供がうつむきながら歩く世の中よりマシだ、と思う。
それこそ昔は子供を捨てる親なんて山ほどいたわけだしさ。
うちの爺さん実際捨て子だったけど、ちゃんと立派に生きて、私にまで繋いだよ。
確かに、実の親に愛されて育てられるなら最高だ。
でも子供の幸せを中心に考えるのなら、捨てる権利も認めたほうがいい気がする。
捨て子が出ないように社会制度を充実させるのも勿論だけど、
イザという時の選択肢を残さず、個人の資質や愛情や努力に責任を丸投げするのは、
少子化問題を頭におけば、単なる根性論、単なる社会的無責任だと思う。
ベストばかりを求め過ぎて、ベターを封殺するから歪みが生まれる、なんてことも思う。
それが追いつめられた親を凶行に走らせたりするだろう。
例え親が育てなくても、作ってくれただけでまあ、そこそこいいじゃない?
M議員といえば、安保関連法に反対する学生団体SEALDSに対してTwitterに書いた内容が物議を醸し出し、また未公開株の不透明なやりとりが発覚して、所属していた自民党を離党した矢先だった。
私個人的なところで、M議員の政治家としての資質に対して懐疑的であり、感情的にも嫌いではあったけれど、しかし今回の暴露記事を目にした際には、そういう個人に対する評価や感情を越えて、胸につっかえる感覚を抱いていた。それで、ボヤっと1日考えていたわけだけど、それが何なのかが少しずつ溶解してきたので、書き留めておこうと思った。
今回の記事では、M議員は19歳の男性とゲイ向けの出会い系サイトで知り合い、金銭の受け渡しを伴う性的関係を複数回持ったということが、LINEのスクリーンショット画像と「売春」という言葉ともに公開されている。
日本の法律と照らしあわせてみていくと、先ず同性間において金銭や報酬の受け渡しをともなった性的関係を罰する法律はなく、これは売春にあたらない。
相手が19歳という年齢に関しても、18歳以上であるので法的に問題がない。
にも関わらず、「19歳の男性を“買春”していた」というセンセーショナルな言葉を使ったわけだ。
これはつまり法的には完全に無罪ではあるのに、M議員が「ゲイ」であること、そして男性と性的関係を持っていることをセンセーショナルに公にすること自体が目的の記事と言える。
個人のセクシャリティというのは、プライバシーでもあり、そしてとても繊細な情報でもある。
近年ではLGBTという言葉の認知も広がり、多様な性のあり方があるということが社会に浸透してきているとはいえ、まだまだ性的少数者に対する偏見や差別があるのは否めない状況下でもあり、ましてやプライバシーの侵害という点で、第三者が個人のセクシャリティを本人の断りもなく勝手に公開していいというのは余りにも身勝手で酷い話では無いのか。それがたとえ公人であるとしてもだ。
そして、この記事がSNSやニュースを通して大きな話題となった。
この記事がこのようにセンセーショナルに扱われるというところには、この社会の中にある性的少数者への眼差しや本音が現れ出ている。
記事を書く側が、受け手であるこの社会の少なからぬ人が、M議員が「ゲイ」であることに対して、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
セクシャリティと世間の狭間にあるモノがここに露わになったのだ。
4月に電通ダイバーシティ・ラボが「LGBT調査 2015」を実施した。
http://www.dentsu.co.jp/news/release/pdf-cms/2015041-0423%2B.pdf
それによると、国内のLGBT層に該当する人は 7.6%と算出された。人口でいうと約900万人前後といったところ。
もちろん、約900万人の全てがカミングアウトして生活しているわけではない。
偏見や差別を恐れ、自分のセクシャリティを隠しながら生きている人も多数存在している。
そういう社会の中で、M議員が、その”人”が、ゲイであることを晒したうえ、それをネタにして記事にしたのだ。
ゲイ=話題が取れるネタになるということを改めて世間に知らしめたのだ。
この社会を構成する人たちがその記事を見て、冷笑と侮蔑を突き刺したのだ。
自分のセクシャリティを隠しながら生きている人達はこの状況に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティと周囲との関係性に悩んでいる思春期の子たちは、この風潮に何を感じたのだろう。
自分のセクシャリティを公にしたとき得ることになる反応を、この記事の中に見ているのかもしれない。
実は、私も性的少数者の1人である。LGBTでいうなら、Tである。
性別を変えたのち、現在は変更後の性でノンカムのままフリーランスの仕事と大学講師を掛け持って暮らしている。
これまでの私の人生においても、過去を知る知人によって私がトランスセクシャルであると第三者に勝手に暴露されて、好奇の視線を浴び、侮蔑され、差別され、そんな悲しい思いをしたことは数知れない。
そのような経験を内に秘めて生きてきて、この記事を目の当たりにした。
今はただ、悲しく虚しい思いだけが記事を前にしてポツリと佇んでいる。
追記:
私の友人たち(大半はヘテロセクシャル)は、彼がゲイであることは切り離して、議員としての自覚や言動、資質について書いている人が多かったことは救いです。
というより、お母さんの料理がめっちゃ上手であるということがそんなにも子供にとって良いことなのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/white_cake/20150819/1439993011
このへん読みながらぼんやり考えた。
当のサミレさん自体は本当に不憫だと思うし、料理が下手であることを認めない母たちには確固たる落ち度がある。
どちらかと言うとこれからわたしが書くことは、メシマズ問題総体からすると本題からはずれた話になると思う。
家族全体として舌が肥えているとはお世辞にも言えなかった。
たまの外食といえば近所のファミレス一択だし、旅行先でもおいしいものを食べようという発想自体がなかった。
当然おいしいごはん屋さんなど誰一人知らないし、各地の名産品もほとんど知らなかった。
小さいころに友達の親御さんがおいしい蕎麦屋さんに連れて行ってくれたとき、
蕎麦のおいしさ以上に、自分と親のおいしいものへの知識の貧弱さが恥ずかしくて悔しくて、突然泣きだしたことがある。
当時はそんな両親がイヤでイヤで、大きくなったら世界中のおいしいものを食べまくってやると考えてた。
ただ今になって思うと、「なんでもおいしいと思える舌」って
それはもう何物にも代えられないほどの恵まれた資質ではないかとさえ思ってる。
今は大人になったのでいろんなおいしいものを知る機会もずいぶん増えたけど
この類稀なる資質は自分の子供にも受け継がせてあげたいな、とはよく考える。
話は戻ってメシマズ嫁の話だけど、
ブコメ群を見る限り、美味しいご飯を食べられないということは「子供がかわいそう」という認識のようであり、賛成する部分はある。
しかし↑のリンクに出てくる「息子」さんはそれこそわたしの言う類稀なる資質を幼少期に授かっている。
(飯をマズいと思わないだけでおいしいとも思っていなかったのかもしれないが)
これを良いことと言い切ってしまうのは抵抗があるが、必ずしも悪い部分ばかりではないのでは、とは思う。
お母さんの料理が上手すぎて、幼少の頃から美味しい料理を食べて舌が肥えてしまって
いろんなものをおいしい!と思えなくなってしまうのは生涯的な幸福という意味では損失ではないかと思う。
わたしの周りでも小さいころ「回転寿司とかマズくて嫌い」「ファミレスなんかでごはん食べたくない」という友達によく会った。
(その度、回転寿司もファミレスも大好きだったわたしは人知れず心を痛めていた)
おいしくないご飯をおいしく食べられるということも、これまた幸せではないか。