はてなキーワード: 敷地とは
面倒だから会社の駐輪場に止めた自転車のカゴに入れたんだ(俺は自転車通勤
こんなもん盗るやついないだろうって
でも定時で上がって自転車カゴ見たら無いでやんの
Doveが盗まれた!×3
いや別に数百円だし痛くはないよ?
部外者が入ってきて盗むのは考えにくい
じゃあ社内の人間か?と言うことになるんだけど
俺は定時のチャイムで一番乗りで帰ったんだ
つまり犯人は就業時間中に「お Doveあるじゃん」ってカゴから盗んで
オーマイガー!ベイベー!
そこまでしてDove欲しかったのか?!
窃盗なのに悪意が感じられなくて逆に怖いよ!
Doveが盗まれた!×3
古びた校舎の部分的な工事に伴い、敷地内の仮設教室に追いやられたクラスには、扇風機が割り当てられていたが、窓を開けても熱風、扇風機は熱風をかき混ぜながら撒き散らした。
そんな教室での昼休みは、いまいいち活気がないムードでボソボソとした会話が散発的に起こった。
「最近これ聴いてる」と友人はCDアルバムを取り出す。Dragon AshのBuzz Songs。いいよね、なんかオシャレだよね。あの曲が好きだな、Under Age’s Song。ラップって優しい感じのもあるんだね。反応されたのが意外だったらしく「知ってるの?え〜、なんか悔しいわ。絶対知らないと思った。」
ソフトウエア開発部門のマネージャーだった時、派遣テスター絡みの事件があった。
始まりはプロジェクトマネージャーからの派遣テスターのスキルにミスマッチがあるとの報告だった。
全く仕様書を読む気がなく当然、テスト仕様書作成もできないから派遣テスターとして使えないと。
頑張ってもできないならともかく、やる気がないなら話にならないので派遣会社にその旨を連絡した。
派遣会社に連絡した翌日、彼女(問題の派遣テスター)から直接「相談」があると言われた。
プロジェクトマネージャーを飛び越して直接自分が話をするのはレポートラインが違うので担当社員であるプロジェクトマネージャーと話してくれと言ったが聞かなかった。
話を聞くとプロジェクトマネージャーからパワハラを受けているという。
僕はそのプロジェクトマネージャーと長く一緒に仕事をしてきたので嘘じゃないかと疑ったが、周辺の人間からそれとなく聞き取りした。
すると出てくる話は彼女がテスト仕様書作成作業を徹底拒否し、他の派遣に押し付けようとするので困っているという不満ばかり。
プロジェクトマネージャーによるパワハラの疑いは見つけられなかった。
そこで彼女にプロジェクトマネージャーにも話を聞いていいか確認すると「パワハラというよりはプロジェクトマネージャーの性格が悪い」と話を変えてきた。
具体的に何が悪いのかと聞くと指示の仕方に優しさがないとか言い方にトゲがあるとかパワハラの話は完全にどこかへいってしまい人格批判のオンパレードになった。
そしてプロジェクトマネージャーへの確認は徹底拒否。つまり彼女はレポートライン無視で告げ口はするけど相手の反論は認めないと。
おそらく自分が切られそうなのを知ってプロジェクトマネージャーを貶めることで自分のクビをつなげようとしたんだろう。
後日、プロジェクトマネージャーに顛末を話したら「やっぱりそんなことやってましたか」という反応だった。
結局、彼女の嘘の告げ口のために彼女の退場までに余計な日数を費やすことになった。
完全なスキルミスマッチなのでうちの会社から派遣会社への支払いはなかったけど、彼女は派遣会社からその日数分の給料を受け取ったんだろうか。
それから1年ほど過ぎた頃、会社の同じ敷地内にある別のビルへ行く用事があった。
するとなんとあの彼女が働いていた。
そこのマネージャーは僕の同期だったので話を聞くと別の派遣会社から派遣されてきたという。
そして僕の時と同様にプロジェクトマネージャーとトラブルを起こしていて仕事もできないので契約解除を検討中だった。
それはいいとして問題はなぜダメだとわかっている派遣と2度目の契約をしてしまったのか。
すると人事部が一括で採用する正社員ならチェックできるが、派遣は各部署で調達するためチェックできないことがわかった。
すべての派遣を同じ派遣会社から調達すれば派遣会社でチェックできる可能性があるが、そのために派遣会社の一本化なんて無理ということだった。
15年位前に彼女はうちの会社に派遣されていて、やはりトラブルを起こして派遣契約を解除されていた。
つまり実際は僕の部署で2回目、同期の部署で3回目の契約だった。
当時のマネージャーは既に退職していて詳細はわからなかったけど、派遣契約の作業内容がテスト仕様書作成となっていたから彼女にできるはずがない。
そして15年以上もの間、他の派遣先でも同様のことをやってきたんだろうと容易に想像できる。
仕事ができなくてもすぐに切られず、長期間しがみつける派遣先もあったのかもしれない。
レポートライン無視の嘘の告げ口で他人に責任をなすりつけることで自分のクビをつなげられたこともあったかもしれない。
そこまでしてスキルがなく勉強する気もない派遣テスターという仕事にしがみついてきたのは通常の派遣に比べて時給がいいからだと思う。
派遣プログラマーも同じくらいの時給だけど、さすがに全くプログラムコードが書けないのは誤魔化しがきかないと考えたんだろうか。
だとしたら真面目に派遣テスターをやっている人をバカにしているとしか言いようがない。
もし自分が同じような人生を送っていたら、何かのきっかけで自分の人生を振り返った時にやってきたことの卑劣さと情けなさに後悔して自殺でもしてしまいそうで怖い。
二十代に、広い部屋に引っ越したわけ。元々都営住宅だったのかな?そんな雰囲気の、築50年くらいの、一応マンションだったか。5階建てで、ファミリータイプの間取りで、窓がやたら大きかった。角部屋、2面採光、周りに高い建物がないから朝から夕方まで日当たりが良い。カーテンが好きじゃなくて、周りの視線もあるんだか無いんだか気にならなかったから、窓に何も付けずに過ごした。朝は朝日で目が覚めて、夜は電気をつけないでおくと遠くの高速道路の光がチカチカと光った。敷地内に本当に立派なイチョウの並木があって、歩いているだけで壮大な景色の中にいるようだった。
で、そんな部屋の中で夜、ソファベットに横たわって目を閉じると、眠れない。疲れていても眠れない。仕事が忙しい時も、暇で早く帰ってきたときも、すっかり眠れない。会社の同期も結婚し始めてなんとなく連絡を取る頻度が落ちて、夜に連絡するのも憚られた。そうして考え事をしていると、夜が本当に長い。誰とも話さず、誰のことも考えず、じっとスマホを眺めている時間がどんどん長くなる。夜が空けて、窓の外が明るくなって、周りから生活の音が聞こえてくる。ファミリータイプだから、家族が多かったんだろうね、みんな早起きしてご飯の支度をしたり、遠くで働いてるパパかな、6時前には家を出ていく人もいる。
晴れると、遠くに富士山が見えたりするんだ。ずっとそういう景色を眺めて、家族の朝の気配を感じながら。サイコーに孤独だと思った。
ストーカー客が、先週菓子をくれたばかりなのに今日も高級食材をくれた。なんかもう正気の沙汰じゃないなとAさんと私は話した。
あの人はこうやって、頻繁に高いものを持ってきては勝手に私どもへの期待を高めていき、何かのきっかけで爆ギレをかましてくる系のヤバい奴なのでは……と、私もAさんも恐れている。
しかし、だからといってオーナーに相談したりなどしてどうにかなるもんなのか? Aさんはとにかくオーナーにはこの件を話したくはないと言う。
オーナーは後先を考えずにその時の気分でものを言ったり言わなかったりする人だ。なので、私らがどうなるか良く考えもせずにストーカー客を怒鳴りつけそう。それで私らがストーカー客に逆恨みされることになったらヤバい、と。
オーナーのことだから、相談したって「そんなの俺には関係ない面倒くさい。君らが嫌って思うなら受けとらなきゃいいだけじゃん」って言って取り合ってくれない可能性もある。
とにかく、オーナーは両極端な反応をしそうであり、どっちにしたって私らには不利益にしかならないかもしれない。
私としては、一応店で起きていることなんだから、何の解決にもならなくてもオーナーの耳に入れるだけ入れておけば? って思う。ただ、私は去年、店の敷地内で変質者に遭遇し、警察沙汰になっているので、オーナーに「またお前か」と思われるのは気が重い。最悪、トラブルを招きやすいみたいだからもう雇い続ける訳にはいかないと、店をクビになる可能性もなくはない。変態の愚行のために私の経歴に無駄にケチがつくのってやだな。まあ、所詮バイトだし、クビになったとしても自分でクビになりましたと言いふらさなきゃバレはしないか?
次の次のシフトでは私はオーナーと一緒に二時間ほど仕事をする。その時にストーカー客がなんか持ってくるとか言ってくるとかして、しかもその現場にオーナーが居合わせたとしたら、オーナーが直接ストーカー客に「そういうのは止めてもらえませんか」と言うかもしれない。が、これまでストーカー客はオーナーや他のバイトを巧妙に避けては私とAさんに接近してくるので、そういう流れはあまり期待が持てない。
ていうか、そういう流れに持ち込もうとすればオーナーへの報告と相談は必須だよなあ。
あまり気が進まないけれども、4月になって下の子が小学校に上がるのを期に、私がバイトを辞めてトンズラをこくという手もある。しかし、この近辺で接客業をすればストーカー客に再発見をされ、逃げたぶん余計に粘着される可能性はある。それに、人間関係の悩みで一々仕事を辞めていてはキリがない。接客業でなくたって、どこかの職場に属して人と関われば、ストーカーとはまた別の形の厄介事に遭うのは避けられるものではない。
https://www.shibukei.com/headline/14953/
元々百貨店自体が凋落しているのにこのコロナ禍であるから仕方のないことであろう。
ということで道を挟んだ向こう側の小学校に通っていた増田がクソガキだった頃の話をしようと思う。もう時効だろうし。
というのもガーデンプレイスという広い土地はガキどもにとっては良い遊び場だったのだ。
公園が少なく狭く、またボール遊びなどは禁止されているものだから、目一杯遊べる場というのは他には月極の広い駐車場くらいしかなかった(今はそれすらもうないが)
真っ先に流行ったのは恵比寿三越内での鬼ごっこだ。流石にガーデンプレイス全体は広すぎた。学校の何倍もの敷地があるのだから、小学生には手に余ったのだ。
建物を使った立体的な鬼ごっこはそりゃあもう楽しかった。走ることはしないが、エスカレーターやエレベーター、階段を駆使して動き回るのだ。面白かった。
しかしそれはすぐに禁止の通達が出てしまった。どうやら別の学年で誰かが見つからなくて迷子放送を使ったらしい。幼いながらも「そりゃあバレて禁止になるわ」と思った。
あとは書店でよく本を買って貰った。最初は2階のほぼ全てが書店だった気がするが、徐々に店舗は縮小していき、雑誌と少しの本しか取り扱わなくなってしまった。ついでに今確認したらなっていた。
それくらいしか思い出せない恵比寿三越よ、さようなら。跡地は一体どうなるのやら。
追記)
ブコメに返信。
あの辺りがあんなに発展したのはガーデンプレイスが出来てからなので、昔は普通の住宅街だったよ。
戦前はデカいビール工場(のちのガーデンプレイス)建てられるくらい何もない場所だったし。
外を1人で徘徊していた。母にマンションの敷地から出るなと言われたので、マンション内をうろうろしていた。寒かった。
住んでいた部屋の向かいに事務所?があって、そこの人に一度今はなき5/8チップスをもらってから、またもらえないかなとマンションの外階段に座って事務所の入り口を見ていた。
マンションの下の階には、大学生のお姉さんが住んでいて一度家に入れてみかんをくれて、当時出始めだったファミコンで遊んでくれた。お姉さんは何度か家に入れてくれたけれど、あまりにも物欲しそうに部屋の前で待っていたからか、何度目かにもう来ちゃダメと言われたから行かなくなった。
今考えるとおかしい、わたしには専業主婦の母がいたが、母はその時何をしていたのだろう?
祖母の家に2-3ヶ月預けられたことがある。その時は飛行機に一人で乗った。確かジュニアパイロットという制度があって、4歳以上は1人で乗ることができた。当時わたしは3歳だったので、親に何歳?と聞かれたら、4歳と答えるんだよと、事前に練習をさせられた。
これも今考えるとおかしい、なぜわたしは1人祖母に預けられたのだろう。
幼稚園入学前に引っ越しをしたので、それ以降には母がわたしの育児をしていた記憶はある。
母は1人の時間を取るために、一時わたしを遠ざけていた期間があったのだろうか?
東京二十三区の駅チカ、商店街まで徒歩5分の立地に金山さん(仮名)は住んでいる。
三階建ての自宅は12LDKはあるはず。それ以上あるかもしれない。
駐車場は二台分。
いつのタイミングか忘れたけど、ネコチャン用の段ボールと思われるハウスが何個か置かれるようになった。
少なくとも三匹はいた。
見るたびに「うへぇっ」と思ってた。
こんなゴミみたいな猫をよくもまあ敷地においておけるもんだと呆れていた。
ボロボロネコチャンたちはとても汚くて、死んだ方が早くね?と思わせるほどボロボロだった。
通りがかるたびに「生きてるかな?」「死んだかな?」とのぞき込むのが習慣化した。
いないと死んだと思ってちょっとほっとしたし、いたらいたでちょっとほっとした。
ネコチャンたちは金山さんの半端な厚意と善意によって段ボールハウスと食物をもらって細々と生きてる感じ。
近所の人に嫌われてるだろうな金山さん。
ネコチャン汚さは半端なかった。
金山さんちの前にでっぷり太って年取ったネコチャンが三匹いた。
「は?」
鳴らない鈴とかキーホルダーみたいなのがついてる。
あのネコチャンたちだった。
ハゲてたのに毛並みも良くなって見違えた。
いや、見た目だけなら飼い猫だわ。
大出世してた。
段ボールハウスは相変わらずだけど果物かごのベッドやバスタオル使った寝床が増えてた。
相変わらず外飼いだけどたぶん死ぬまで面倒見てくれそう。
「JFKは影武者で本物は俺だから」が口癖だったJFKおじさん。
最初はそういう冗談かと思って聞いていたら本人は割とマジだったらしく、茶化していたら「俺の家にJFKの鉛筆があるからそれを見せてやるよ。それで信じるよな?」と半ば強引にJFKおじさんの家に連れて行かれる事になった。
新宿御苑の裏にあるJFKおじさんの家は要塞のように外壁が高い大豪邸で、都心の一等地にしてはかなり広い敷地があり、外から見るとモダンな美術館のようだった。知らない人の家を勝手に自分のだと主張しているのだと思いビクビクしながら家に入るとJFKおじさんの娘(?)が滅茶苦茶デカい犬を連れて出迎えてくれた。
JFKおじさんの娘に応接間に案内され10分ほど待っていると、JFKおじさんが桐箱を持って来て部屋にやって来た。
「開けてみな?」と言われ開けて見ると、中には何も入ってなかった。曰く、本物のJFKの鉛筆はスミソニアン博物館に貸し出してるからここには無いらしい。「スミソニアンとは高校からの付き合いだから断れなくてね〜」と笑っていたが、決して目を合わせようとしなかった。
https://s.japanese.joins.com/jarticle/274234
ソウル中央地裁民事合議34部(裁判長キム・ジョンゴン)は8日午前9時55分、故ペ・チュンヒさんら慰安婦被害者12人が日本政府を相手取って起こしていた損害賠償請求訴訟で、原告に1億ウォン(約949万円)を支払うよう命じる判決を下した。
この判決に真っ先に嫌韓厨が大喜びしているという事実を冷徹に受け止めた方がいい
主権免除の原則にのっとって日本政府は判決そのものを無視するだろう
「日本政府」の資産となると、韓国国内にある日本大使館や日本領事館の敷地を接収するくらいしかないんじゃないかな?
すごい時代になったもんだわ
はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり
(はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)
・子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。
子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児の育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。
・妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。
物件選定、下見、ローンや物件の契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。
・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。
物件選定
・ネットの物件情報サイトで市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ。
中古の場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまでリストアップした。
リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。
・エクセルで物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点の物件を買った。
高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家からの距離」「校区小学校からの距離」「最も近い保育園からの距離」「バス停からの距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」
俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。
(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田は添付ファイル付けられないんだね。)
以下、各項目ごとに説明する。
「駐車場台数」
地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤。子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家で車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断。
両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。
→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たときは住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。
「延床面積(部屋数)」
リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。
→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。
「価格」
世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。
(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票で判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。
俺は残業あっても無くても500万。県庁は時間外手当ほとんど付かない)
→ 建物の登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。
「構造」
当時住んでた借家が築10年のプレカット工法の木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリングが劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造の隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。
両実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。
よって鉄筋コンクリート(RC)造、鉄筋コンクリートブロック(RCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。
→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。
「築年数」
新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格の新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。
住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。
→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。
とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。
夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母のサポートが絶対に必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。
妻実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。
→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日の散歩コース)の物件となった。
中学生になれば自転車やバスが使えるから距離があってもいい。小学生(特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。
→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。
越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能。市民税納めてないし仕方ないね。
認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞もからんで勤務時間に支障する。
→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園が安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園に入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。
子供が高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。
→1.5kmほど先に本数の多い路線のバス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。
「敷地面積」
庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうから。ガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。
→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい。
「土地条件」
当時は東日本大震災から数年のちで津波の記憶が新しく、標高は確保したい。
谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土は絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらないか心配(両実家も借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)
→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件を候補にしてからは県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院のサイトで米軍撮影の1945年前後の航空写真を見たり、県の地図サービスで災害指定区域を確認したりして、
昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域に指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。
眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングのカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。
→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンクの住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。
→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校やバス停までの距離で足きりすると必然的に市街化調整区域は除外され、市街化区域の第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。
車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。
→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクグラインダーが使える。ぐへへ
「他」
周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路は交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護付住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブルが理由ではない。下見や内覧のときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。
→現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。
保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。
なにより妻の両親の毎日の散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から「問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。
県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科や整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係に不安はない。
買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列のスーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアやホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。
(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかないか)
購入
妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。
均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。
住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。
変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)
土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBやソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。
地場の都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)
世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査はトントンで進んで融資決定の連絡があった。
年収(源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。
利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。
住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告が必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整で職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。
・値引き
基本的に都市部の中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。
不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。
4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。
近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。
・不動産屋
仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。
・司法書士
登記関係は銀行指定の司法書士に一任した。土地は登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。
反省点
結果論だが、保育園までの距離は考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。
子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供が独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。
親の敷地で親に立ててもらう
(前編 anond:20201231031127 より)
行きと同じように、出発24時間前にハワイ州の健康情報登録サイトに離島→ホノルルのフライトに搭乗出来るように健康状態を登録。後で分かるけれど米国内で空港の外に出ることはないのでこれはあまり意味がなかった。
同時に厚生労働省から指示されている入国時の質問票Web(https://arqs-qa.followup.mhlw.go.jp/#/)という手続きも実施。
12月中旬の時点ではGoogleから検索ではこのサイトにたどり着けず(今はたどり着ける)、成田で配られた紙に書かれたURLを打ち込んでアクセス。アンケートに答えてQRコード発行。
これがハワイ州の手続きのサイトと比べてかなり貧相。スマートフォンからのアクセスしか想定してない作りになっているし、質問項目の設定も前項目で該当しないはずのものを聞いてきたりと、使っていて不安を感じる作りになっていた。
発行したQRコードもハワイ州のサイトとは違ってメールで送ってくれず、仕方ないのでPCで画像保存したのを転送した。
なお、帰国の搭乗前はPCRの検査は不要。(米国本土から乗り継ぐ場合は必要らしい)
恋人と出来るだけ早く収まるといいね、早く日本に帰ったりまた遊びにこれるといいね、と話しながら空港でチェックイン。
そもそも飛行機に乗る人が少ないので空港スタッフが凄い暇そう。
日本に帰るとわかると、日本からきたの!へえ!こちらの方はこちらにお住まい!それは寂しいね!二人の写真を撮ってあげるわ!と写真を撮ってくれた。ハワイの人いい人だ。
見送りが見えなくなって飛行機に乗り込んで半泣き。ホノルル行きの機内のお客さんは乗っている間もしっかりマスクをつけていた。本当に意識が変わったよアメリカ人。
成田行きの機内は前後3列誰もおらず、横もはるか向こうの窓際に一人いるだけ。二重に付けたマスクは食事以外は外さずに過ごした。
こんなに空いている国際線初めて乗った。前方の座席は少し混んでた模様。
入国前の成田に到着する飛行機では「健康カード」と書かれた紙が配られました。厚生労働省の検疫所と署名があり上部に「入国される方へ検疫所よりおしらせ」とタイトルがふられていて14日間以内に新型コロナウイルス感染症が特に流行している地域から入国する人が必要な手続きについて書かれていました。
以下内容要旨の抜粋
1.特に流行している地域から聞いたことを必ず検疫官にお申し出ください。
2.入国した次の日から起算して14日間は指定された場所で待機し、外出せず、人との接触を控え、公共交通機関を利用せず滞在場所を記載して検疫官に共有し、健康状態を毎日チェックして、熱や咳や出たら指定医療機関にて受信してください。
というものでした。また同居の家族の人も十分に配慮するようにとか、相談センターや窓口の電話番号、外国語での医療機関の案内などのQRコードが記載されていました。
成田に到着。降機した後、速やかに専用の待合室(エリア?)に全員通されて検査をしました。
壁や柱のあちらこちらに
と書かれた紙が貼られてて、記されていた翻訳が
と丁寧さも礼儀正しさも30分という情報も含まれないものだったので、公式の場の翻訳の適当さに日本に帰ってきた感じがしました。
本当は写真を取りたかったのだけど完全に撮影禁止エリアだったので我慢。
健康状況の対面確認 → 検体取得 → 書類確認・結果通達 → 入国
の順番で行われました。
非接触型の体温計で体温測られながら、どこから帰ってきたか、咳はないか、熱はないか、などの質問をうけました。コロナが特に流行っているとされる国と地域(ほとんど全世界)だと抗原検査にまわされます。(回されない場合があるのだろうか)
検体とは唾液。事前の待列の案内に、唾液腺を刺激するマッサージの方法が書かれていました。こちらは日本語でも英語でも正しく書かれているようでした。
順番が来ると管理番号が発行されて、番号の貼られた検査キット(プラで出来てる漏斗とシリンダーの簡易セット。大体10ccくらい?の唾液の量のあたりに黒い線が引かれている)が渡され、唾液を入れるために選挙の投票用紙を書くような広さのブースに入って、漏斗に向かって唾を垂らす方法。ブースには酸っぱいものを思い浮かべましょうと梅干しとレモンの写真が貼られてたけど、「クエン酸」とか「ビタミンC」とか「アスコルピン酸」とか書かれている方が垂涎ものだと思う。元々唾液量は非常に多いと歯科医でお墨付きをもらっているので、ブースの後ろをウロウロしていた唾液量を確認する係の人に光を当てながら確認してもらってOKを貰い、出口で検査員に渡しシリンダー立てに立ててもらう。
出発24時間前に登録したアンケートが発行したQRコードと、パスポート、入国前に配られた前述の健康カードを確認してもらい、厚生労働省からのご連絡、と書かれた紙を渡されます。
二週間の健康状態の確認を行うのに、LINEアプリか電話番号の登録方法についての案内について書かれています。
(前のQRコード発行時にどちらかを選ぶ。)LINE使ってないので電話番号で登録できるのはよかった。ここで次の待機列で座る場所を番号で指定されます。
廊下に二列にソーシャルディスタンスを保った状態で並んだ番号のついたパイプ椅子に着席。この座席は空いても再利用されないようになっていました、
フライト自体人数が少なく、列に並んだ人も91人。ウロウロと歩き回る人や、マスクしてる以上に具合が悪そうな人もいたりして、周りで咳をする人がいると、みんなが振り返ってその人を見るという状況で気分は罪人。なんとなくバツ悪い感じで待っていると、館内放送で管理番号の下4桁が日本語と英語でそれぞれ読み上げられて検査室で結果を聞くスタイルで、ドキドキしながら40分程待機。
結果は陰性。
陰性だと信じていても、嫌疑かけられて証明する迄の間はやはり嫌なもので、結果を聞いてホッとした。
陰性だとわかると、健康カードにネガティブを表す(-)が貼られて、不思議なデザインの模様が入ったオレンジ色の紙を渡されます。(青い紙もあるらしい)
この紙を見せてやっと入国手続き→荷物受け取り→税関申告(犬が頑張ってた)→ゲートの外へ!
待機列に並んだのが20:04で結果を受け取ったのが20:50だからやはり実質1時間前後はかかるみたい。
成田空港の入国や出国手続きのエリアは2年前より明るく綺麗にハイテクになってて、
2020のイベントに向けてこんなに頑張って整えてたのになぁって思うととても寂しい。
早くコロナが収まってなんの障壁もなくこの場所が使われる日が来て欲しい。
陰性証明は貰ったものの、トランジットのホノルル空港や機内で感染してても未だ結果には現れないので14日間は公共交通機関は使えません。
それにも関わらず。 待機列で前にいた同じ便で帰国したはずの女性は1階の京成線のホームへ向かうエスカレーターに消えていくし、(どうなったか知らない)この日予約していた空港のホテル(陰性証明があると泊まれる)は若干遠いので行き方を空港にいたお巡りさん(複数)に聞いたら「遠いからそこのタクシー使っていけばいいですよーっ」て笑顔(マスク付き)で言い出す始末。タクシーって公共交通機関ですよね?ダメじゃない?帰国者だよ?と言い返したらお巡りさんが全員黙ってしまった。千葉県警察署大丈夫か。日本の水際対策の効果について不安を覚えつつ、40キロの荷物をガラガラ引っ張ってホテル迄歩いて行きました。
何故成田に一泊したかというと自力でレンタカーで帰るためでした。
成田のレンタカーショップが時短営業で軒並み到着便と同時刻に閉店してたので、次の日に出直して車を借りるため。
レンタカーも調べてみたら大手のトヨタレンタカーは乗り捨てに対応していなかったけど、タイムズのレンタカーが系列店舗への乗り捨てだったら陰性証明書の提示で利用出来るとのことで予約しました。
が、ここで待ったがかかります。
朝の京葉道は危ないんじゃないかとか、普段ペーパードライバーなのに大丈夫かとか、アメリカの道路ルールを見た次の日に日本のルールにすぐに戻るのか、などなど言われてても意に介してなかったのですが、親から書留が送られてきて、事故に遭って千葉県の医療従事者に迷惑かけるようなことがあってはいけないと現金が入っていました。散々悩んで帰国者用のタクシーサービス(成田から定額)に3日前で申し込みました。同時にキャンセルしたタイムズさんごめんなさい。成田から東京都23区外、大体25000円から40000円が相場。レンタカーが乗り捨て代金込みで16000円だったので送金がなかったら無理でした。
既に成田に一泊していたので、自宅に帰ってから14日間が自宅退避になります。
外に不要にでてはいけないし、お店にも入るのは憚られるし、公共交通機関は使わないでくださいとのことです。
予めこの14日に備えて買い置きしていた食材や、ネットスーパー、宅配便で食事はまかない、ゴミ捨てだけは敷地内なのでOKということにして、ベランダで仕事の合間に日光浴と宅配の受け渡し以外は一切外に出ていません。
帰国後14日間は保健所から連絡を行って健康状態を確認しているとのことでしたが、自動音声の電話かLINEに切り替わったとのことで、次の日から電話を待ちわびてました。が、かかってきたのは帰国後3日後からでした。内容は毎日かわらず、厚生労働省から海外から帰国した方への電話であること、14日以内の健康状態を確認していること、熱はないか、家族も熱はないか。せき、喉の痛み、鼻詰まり、鼻水、強いだるさ、息苦しさ、その他の風邪症状は無いか。という質問と、出来るだけ安静にして不要不急の外出を控えて手洗いと消毒を徹底してください、という内容を毎日大体お昼ごろにかかってきて言われました。一回出られなくて毎日かかってくる番号に折り返して登録しようとしたら、折返しでは受け付けられません、と冷たく言われました。電話に出なかったことでどんな罰則がくるのかビクビクしていますが今の所何も言われてないです。
昨日でやっと自宅退避が終了して大晦日の今日から外に出られます。14日間で合計歩数が20000歩行ってなくて本当運動不足が怖い。正月から散歩します。
恋人に会いに行くなんていうと聞こえはいいかもしれないけれど、今この時期には褒められた行動では全然ないです。バカかと思う。
この時期に移動する人は、やむに止まれぬ家庭の事情があるか、やっとハワイに行けるぜヒャッハー!!SNS!!映え!!という、やむに止まれぬ病な人のどちらしか居ない印象だし。
恋人は現地で在宅勤務やりつつ元気そうで、久しぶりに一緒にご飯を食べ庭を散歩してゲームをして、この一年が無かったかのように普通に過ごせました。すごい安心しました。
出来たら毎日一緒にいたいけど、今のところはいつでも話せる・文字や画面を共有できる技術の発達に本当に感謝しつつもう暫く我慢できそう。令和万歳。
そんな感じの数多にある遠距離の恋人に会いに行く旅行記の一つでした。
ここまで読んでくれた皆さんありがとう。
中古不動産投資家のぐりと金融ブローカーのぐらは、おおきなアタッシェケースをもって、もりのおくへでかけました
ぐりぐら ぐりぐら
「中古マンションを適当にリノベしたら、利益をたっぷりのせて売ろうね」
「仕入れた中古アパートの空き部屋をいっぱいにしたら、利回りに目が眩んだ素人投資家に高値で掴ませようね」
と、2ひきがはなしながらいくと・・・
まあ!みちのまんなかに、とってもおおきな
原野が落ちていました
「やあ、なんて広大な敷地だろう 営業マンがインセンティブで自分用のアパートが建てられるくらいの戸数のダイワハウスのアパートが建てられるぞ」
と、ぐりがいいました
「毎日豪遊しても使いきれないくらいチャリンチャリンとお金が入ってくる規模のコインパーキングができるぞ」
と、ぐらがいいました
「それよりも、メガソーラーがいいや 42円/kWhであさからゆうがたまでキャッシュが転がり込んでくるメガソーラーができるよ」
と、ぐりがいうと
「そいつがいいや」
と、ぐらも さんせいしました
ところで、どうやってファイナンスをつけたらいいでしょう
「このメガソーラーは事業規模があまりにおおきくて、まともにいったら銀行の融資承認が得られないよ」
と、ぐりがいいました
と、ぐらがいいました
「例え買取価格42円で財務内容抜群でも期間15年のコーポレートリスクを容認してくれる銀行はいないよ」
「政府系にいこうか?」
「低圧ならともかく特別高圧だと公庫もそう簡単にはいかないよ」
2ひきはうでぐみをして、しばらくかんがえていました
ぐりがぽんと てをたたきました
「それじゃ、GK-TKスキームで倒産隔離を図ったうえで、銀行からはプロファイで調達して、一般投資家からは匿名組合への出資を募ろう」
ぐらもぽんとてをたたきました
会社の決算書3期分、実印、不動産の謄本、発電量予測レポート、会計事務所の手配、一般社団法人の設立、りゅっくさっく
「さあ、銀行に話をきいてもらうぞ!」
ぐりは銀行の支店を訪問し、正面から話をきいてもらおうとしました
「おお、いたい! なんて銀行員の頭は固いんだろう」
ぐりはなみだをながして、とびあがりました
「かねで 頬をたたいてごらんよ」
と、ぐらがいいました
かねでたたくと、やっと審査をしてくれることになりました
ぐりはいそいで銀行の担当者を高級クラブへ連れまわすと、現金といっしょにタクシーチケットを渡しました
そのあいだに、ぐらは太陽光発電投資のパンフレットをつくり、投資家から資金をあつめました
さて、合同会社と匿名組合を設立し、公認会計士に一般社団法人の社員を引き受けてもらうと銀行に審査を急いでもらうよう圧力をかけました
ぐりぐら ぐりぐら
「美味しい案件を仕込んでいるんでしょう とっても胡散臭いにおいがするもの」
ともりじゅうのどうぶつが、はなをうごかしながら、あつまってきました
そうとも、おおがねもうけのぐりとぐら
けちじゃないよ ぐりとぐら
メガソーラーの売電収入を信託受益権として証券化して個人投資家へ売りさばくからまっていて
「さあ、できたころだぞ」
ぐらがメガソーラーの予定地へいくと
まあ、途方も無い数のソーラーパネルが並べられていました
「やあ、おいしそう!」
みんなはめをまるくして、かんしんしました