はてなキーワード: 戦士とは
バンド名: Shadowrealm
アルバムタイトル: Apocalypse Chronicles
説明: このアルバムは、終末、死生観、地獄など、深いテーマに基づいた曲で構成されています。"Apocalypse Chronicles"は、世界が滅亡に向かう物語を表現しており、バンド名の"Shadowrealm"は、深く謎めいた世界観を表現しています。
この曲は、人類の終末時について歌っています。悲惨な状況にある人々が、最後の希望として再び希望を見つけ、力を取り戻すために戦う物語です。
神の怒りが地上に降り注ぎ、人間たちは絶望に陥ります。この曲は、神の正義と償いについて歌っています。
地獄の火が全てを焼き尽くす世界を表現しています。曲の中では、この火に包まれた者たちが、激しい苦痛に耐えながら、絶望とともに永遠に生きることを歌っています。
不死の戦士たちが集い、戦いの準備を始めます。曲の中では、彼らが魔法と剣で敵を倒し、最終的に勝利を手にする姿が描かれています。
死後の世界で待ち受ける謎めいた影たちが、死者を誘惑していきます。この曲は、死生観について考えるきっかけを与えるような深い世界観が表現されています。
黒魔術を使う霊能者の支配する世界を描いた曲です。彼の魔法によって、死者たちが蘇り、地上に畏怖の念を与えます。
地獄に落ちた魂たちが、一つにまとまり、軍団を作り出す様子が描かれます。曲の中では、彼らが地上に攻め込み、人々を苦しめる様子が描かれています。
何もない虚無の世界に取り残された人々が、自分たちの存在意義を問いかけます。この曲は、生と死、善と悪、そして存在意義についての深い哲学的思考が表現されています。
「無産だが光る所があるアカウント」を目指してTwitterで活動していた。
Twitterが崩壊しそうなのでコンセプトを変えようと思う。
ふと振り返ると、俺はこのインターネットの中で何者でもなさすぎるのが寂しくなった。
ふど気づくと創作、寄稿、ブログといった形でネットの中に「アレの人」として知られている連中ばかりだ。
そういえばインターネットは元々こういう所というか、ROMでないならモブではないみたいな世界だったはずだ。
昔は名前があるだけのホームレスだった連中がミニブログという仮住まいを持ったことでその感覚を忘れていた。
子供の頃、憧れていた「インターネットの一部」としての自分に全くなれないまま、なったつもりでダラダラ15年ほど時間を使ったようだ。
俺もそろそろ何者かになりたい。
承認欲求に踊らされてリアルにまで影響を及ぼしそうだったのでずっとそういうのは控えていたが、そろそろ自制心も身についただろうから解禁していこうと思っている。
昔はブログを持っているだけでそれなりの人間みたいになれたという増田が少し前にあったが、全く同じ問題に直面している。
今はもうブログを持つだけでは何者にもなれない。
多くの人間がミニブログをやっている中で、長文になる場合ははてブやNoteにそれを書くようにしているわけで、そうなると単にブログをやるだけとういのはそこから導線が失われただけの貧弱な存在になる。
何かをやりたいんだよな。
でも何をやればいいのか。
ただ、他の人がやればいいことを俺がやる気にはならんのだよな。
たとえば「人気ゲームのストーリーオート再生を動画にまとめてアップする」みたいなのは、誰にでも出来るわけで、そういうのに手を出す気にはなれないんだな。
こういう奴におすすめなのがAIノベリスト×Novel AIによる挿絵付きエロ小説らしいが、それもまあ誰がやってもいいわけで俺がやる必要はないわけなんだな。
どうしたものかな。
過去の国政選挙はだいたい「選挙区は民主党系、比例区は共産党」。吉良よし子議員にも入れたことがある。ただ、立憲民主党が立ち上がったときは御祝儀で両方立憲民主党に入れたし、れいわ新選組が立ち上がったときは一票入れた。「俺の一票が国会議事堂のスロープになった」と思うと誇らしい。ロシア非難決議に対する対応とかで「どうしようもねえなこいつら」と思ってはいるけど、国会に何人も重度障害者を送り込んだ実績があるので完全に嫌いにはなれないんだよな……
政治的スタンスとしては、象徴天皇制支持、日の丸君が代に愛着あり、日米安保支持だが、どうせ今すぐに共産党が政権獲ることはないだろうし、と思って少しでも生活をマシにしてくれそうな党に入れていた。共産党が恒常的に第二党になり天皇制や自衛隊への攻撃を強めてくるようになったら流石に別の党に入れるだろうけど、現状の勢力ならまあ天皇や自衛隊の脅威にはならんだろうな、という判断。
過去の地方選挙はだいたい共産党一択。地方選挙なら共産党がいくら勝とうが天皇制や自衛隊に直ちに影響があるわけではないので、安心して共産党に入れられていた。
で、前置きが長くなったけど、昨今の共産党について。正直、かなり失望している。
失望のその1は表現規制問題だ。かつて共産党が表現の自由のために戦ってくれた経緯があるのは知っているし、そこは感謝しているが、最近の共産党は表現規制派のフェミニストに乗っ取られてしまったかのようだ。『温泉むすめ』へのバッシングには何人もの共産党の地方議員が参加していた。地方とはいえ仮にも公職にある者が、たかだか地域おこし用のご当地萌えキャラ程度のものに「ゾーニングすべき」などと堂々と言ってきたのだ。『月曜日のたわわ』だってそうだ。他にもいくらでも事例は挙げられる。そしてとどめが、一昨年の衆院選だ。
不安定な雇用に振り回される萌えオタクの俺は、安定した雇用や充実した福祉と天秤にかけて、俺の嫁たちを選ぶことにした。まっとうな仕事がないのは俺が人文系などというカネにならないことでは定評のある学問を専攻したからであり、自己責任であると諦めもつく。一念発起して資格を取るなり起業するなりすれば一発逆転ができるかもしれないのにしていないのも、最終的には俺が怠惰なのが悪いのだ。しかし、彼女たちがいったい何をしたというのか。たかだかスカートに皺が寄っていただのといったくだらない理由で、彼女たちがあそこまで攻撃され、貶められてよいはずがない。金がないのは耐えられる。でも俺たちの文化が貶められ、排除されようとしているのは耐えがたい。
失望のその2は、まあその1とも絡んでくる話だが、Colaboの件だ。モリカケサクラであれだけ特定の民間人との癒着や公的リソースの私的流用や公文書の黒塗りを批判してきた共産党が、Colaboをあそこまで庇うとは思っていなかった。まだ知らんふりしてColaboを詰めてくれた方が全然よかった。暇なんちゃらが「共産党と強いつながりのある~」って枕詞を使ってたときは「まあそりゃ事実っちゃ事実だけど下品な攻撃だなぁ」と思っていたんだけど、あそこまで全力で都の不明朗な会計を庇い始めるのは予想外すぎた。本当にあったのかよ強いつながり。俺はお前らが行政の透明性をうるさく追及する党だと思って、そういう政党が議会制民主主義には必要だと思って、だからずっと貴重な一票を入れてきたんだぞ……
そして失望のその3。今回の党首公選問題だ。たかだか党首公選すべきだと本を出し記者会見をした程度の党員をあそこまで攻撃するのはドン引きするほかない。「気持ちはわかるけどすぐには難しいっすね~。貴重なご意見あざーっす」で済ませていればすぐに鎮火しただろう問題をここまで燃え広がらせているのは、すべて共産党自身が招いたことだ。
俺は党首公選が絶対に必要だとは思わない。それは2つの理由からだ。理由のその1は、紙屋研究所の人が書いていたように、公選のみが民主主義だということになったら、じゃあ国会はどうなんだ、という話になってしまうからだ。当たり前だが首相は国民による直接選挙ではなく、国民に選ばれた議員の互選である。それでも、安倍晋三や菅義偉や岸田文雄は競争的な選挙で選ばれた政府の長であるということになっている。ならば、別に政党内部でも間接民主制であって悪いわけではない。すべてを直接選挙に還元するのは議会制民主主義の否定だ。
けれど、問題は、それで20年以上も同じ人物が党首の椅子に座り続けていることだ。いやもちろん、指導者の在任期間が長いことそれ自体が直ちに問題になるわけではない。たとえばドイツの首相は非常に長期にわたって在任することで知られており、アンゲラ・メルケルは16年にわたって首相府に君臨してきたが、ドイツが民主国家ではないと言う人はいない。しかし、ここは日本だ。たいていのアメリカ大統領が経験する8年間の任期を勤め上げたら憲政史上最長の長期政権になってしまう国だ。かつては1年単位でコロコロ首相が代わり、選挙に負けたら与野党の党首が腹を切らされ、ポスト○○は誰だという話でワイドショーがもちきりになる国だ。麻生太郎も野田佳彦も、そして最初の組閣時の安倍晋三も、選挙に負けて党首を辞めさせられてきた。選挙にはめっぽう強かった再登板以降の安倍晋三は、コロナで失政をやらかした(と国民から思われた)ために首相を辞めた。じゃあ、志位和夫は? 共産党の党勢を爆発的に伸ばしたわけでもなく、有能な首長を何人も輩出したわけでもなく、山本太郎や福島瑞穂のように事実上の個人政党を統べているわけでもない彼は、なんでずっと党首の椅子に座っていられるんだ? ヘルムート・コールが25年にわたってCDU党首を努めたドイツであればいざ知らず、安倍晋三ですら10年も自民党総裁の椅子を温めることができなかった日本において、それはあまりにも異様で非民主的に「見える」光景だ。
もちろん、党内で綿密な議論を重ねた結果、たまたま有為な人材が連続して選出されているのだ、という主張をすることは可能である。自民党の世襲政治家の皆様も、有能な人材がたまたま息子だった、と言いたいことだろう。我が国には職業選択の自由があるので、それは一概に否定できることではない。そこで、党首公選が絶対に必要だとは思わない理由のその2になる。共産党の人びとがここ最近力説されているように、憲法には結社の自由が定められており、なおかつ、政党は党員による直接選挙で党首を選べ、と規定している法など存在しないのだから(政党内部の民主主義に関する法がないにもかかわらず多くの政党が党首選挙を採用しているのは、日本が成熟した自由民主主義社会であることの証左だと思う)、そんなもんは共産党の自由なのである。究極的な話になるが、神のお告げで党首を選ぶ政党があってもよいし、レスラーが立ち上げた政党であればリングで党首を決めたっていいのだ。嘘をつかずに「我が党は格闘や神託で党首を決めています」と言ってくれさえすれば、あとは国民の方で判断すればいい話なのだから(現に、「○○の息子でございます」と名乗った上で自由選挙で選ばれている世襲政治家は大勢いるわけで。そして世襲政治家であっても当選が保証されているわけではないことは、偉大なる田中角栄のドラ娘が見事に証明してくれた)。
レスリングやイタコで党首が決まる政党であっても、俺たちの利害を適切に代弁し、国民の自由を保障してくれるのなら一票を投じてもよい。非民主的な発想かもしれないが、少なくとも俺はそう思う。だから共産党にとっての真の問題とは、そのようにして擁護してくれる人の数を年々減らしていったことにあるのではないか。俺は、あんたらがフェミニストと手を組んでゾーニングだの何だのと喚き散らしたりしなけりゃまだ共産党に票を入れてただろうし、松竹伸幸を強引に追い出したりしなけりゃ、結社の自由戦士になって共産党を庇ってもよかったんだけどね。
自分は戦争を恐れる子供だろうか?そうではない!戦いの斧を埋めるときは大地に深く埋め、その上に石を被せる。だが、同朋を守るためなら直ぐにでもそれを掘り出すことが出来るのだ。白人の戦士を見れば、傷つけることを気の毒に思う。だが、彼らを恐れるわけにはいかない。自分は以前にも彼らと戦った。同朋が戦えというならまたそうするだろう。
数千人月を投入しても元が取れるって見込まれるからこそ、アニメ化作品に選ばれると思うんですよ。
でもとうとう「ネットスーパーで通販ができる」「100均で買い物できる」がTUEEE要因になってた
なんか本当に悲しい。
王道なろうの共通点(逆張り作品ももちろん後続で存在するが)は努力して、頑張って、褒められようじゃなくて
いかに努力せず称賛されまくるか→そうだ世界の方に変わってもらおう、だと思うんだけど
え?こんなの普通だろ?が昔は、いかにも薬学部卒のオタクが薬学知識で称賛無双するラノベとかかいてて、まだ専門知識を生かしてる要素がぎりぎりあったのに
今季はレトルト温めて「こ、こんな美味しいものがこの世にあるとは…!」って金髪碧眼や銀髪紫目の美少女や、屈強な戦士に絶賛されてるの
「あんぱんを備えるのじゃ!」って西洋の神様にねだらせて「な、なんだこのあんこというものは…!」とか言わせてんの(日本人の考えた話だなーってかんじ…)
一切なにも頑張らずにただ称えられたい欲望の強さに驚くし
その人口の多さにも驚く
悪役令嬢もさあ普通に振る舞ってただけで全員私になぜか惚れられちゃいました、が寒いんよ…。
お人形みたいな見た目の美少女を、銀髪は異端者!っていじめないだけで「あなただけは私に優しくしてくれる(うるうる)」ていうレベル。
以前は、アンチフェミ表自戦士も含めて同性婚には(消極的ながらも)賛成、反対しないって声が大きかった
「同性婚反対!悪用ガー、生産性ガー、近親婚ガー、リベラルはクソ!」
そんなツイートがめちゃくちゃバズってる。リベラルなはてなでまで。
なんでだ?なんで後退してるんだ??
・一大インフルエンサー、暇空の影響
・暴かれた統一教会が開き直ってきた
・元々反対派が多かった。イーロンマスク買収前までトレンド操作により目立たなかっただけ
さぁどれだ!
コマンチ族の酋長。ペタ・ノコナとシンシア・パーカーの息子。1874年居留地への強制移住に反発して、カイオワ、アラパホ、シャイアンと共に白人と戦った(レッド・リバー戦争)。しかし、食料源であるバッファローが狩り尽くされたため翌年降伏。居留地入りした後も部族を率い、白人文化を受け入れる一方でインディアンの文化も守り続けた。
・ブラック・ケトル
シャイアン族の酋長。白人との共存を臨む平和主義者で交渉による戦争回避に生涯を捧げたが、裏切られ続けた。最期はワシタ川の虐殺でカスター指揮下の第7騎兵連隊に無抵抗の女性、子供共に虐殺された。ブラックケトルは死の瞬間まで白旗を掲げ、「友達だ!」と叫んだが無視され蜂の巣にされた。
・シッティング・ブル1831~90
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。若い頃からレッドクラウド戦争,ブラックヒルズ戦争(1876~77インディアンの聖地ブラックヒルズを守るための大激戦)などの白人との戦いに従事した。1876年リトルビッグホーンの戦いではシャイアン族、アラパホ族と共にジョージ・カスター指揮下の第七騎兵連隊250名を全滅させた。スー族はその後降伏するも彼は頑なに居留地入りを拒みカナダに亡命した。71年に帰国し、捕虜となった。暴動を扇動したという無実の罪で逮捕されそうになり抵抗したため射殺された。
ラコタ・スー族オグララの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争などに従事し、その勇猛さをシッティング・ブルと並び称えられた。1876年ローズバッドの戦い、リトルビッグホーンの戦いで米軍を破った。しかし、物量や装備で勝る米軍に敵わず降伏し、捕虜となった後に銃剣で刺殺された。
ラコタ・スー族ハンクパパの戦士。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に従事し、リトル・ビッグホーンの戦いではカスターの心臓を切り取った。1880年降伏した。
ラコタ・スー族の戦士。クレイジーホースの親戚で2m近い大男であった。リトルビッグホーンの戦いに参加した。
・ゴール1840年頃~1894
ラコタ・スー族の戦士。リトルビッグホーンの戦いでは騎兵連隊を分断し、勝利に貢献した。シッティングブルの盟友だったが、後に仲違いし1881年に降伏した。
・レッド・エンド1797~1881
ダコタ・スー族の酋長。兄を白人に殺されたことへの報復にスピリット湖畔の入植地を襲撃した。リトルビッグホーンの戦いにも参加し、シッティング・ブルと共にカナダに亡命し、現地で亡くなった。
・ジョゼフ酋長1840~1904
ネズ・パース族の酋長。平和主義者であり、キリスト教に改宗するなど白人に対して友好的であったが、1877年居留地への強制移住に反発し、カナダへの亡命を図り、部族を率いて1600km近い大移動を行った。巧みな戦術で白人の追撃をかわし続け、赤いナポレオンと称えられたが、最後は捕らえられ、逃避行は失敗に終わった。
・リトル・ウルフ1820~1904
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。その後米軍に降伏したが、部族を率いて居留地から故郷への脱走を図り、2000km以上の大移動を行った。途中で降伏するもシャイアン族は故郷への期間を認められた。
シャイアン族の酋長。レッドクラウド戦争、ブラックヒルズ戦争に参加。米軍に降伏後、リトルウルフと共に大脱出を率いた。
・ヴィクトリオ1825~1880
アパッチ族の酋長。1879年居留地から脱走し、アメリカ・メキシコに対して挑戦した(ヴィクトリオ戦争)しかし、翌年メキシコ軍に包囲され戦死した。
・ナナ1810年代~1896
アパッチ族の戦士。ヴィクトリオの姉と結婚し、ヴィクトリオ戦争でも共に戦った。1886年に降伏した
アパッチ族の女性戦士。ヴィクトリオの妹。ヴィクトリオ戦争に従軍し、兄が殺されると、ジェロニモと合流して米軍と戦った。1886年に降伏し、翌年病死した。
・ジェロニモ1829~1909
アパッチ族の戦士。1851年メキシコ当局に家族を皆殺しにされてしまう。それ以後獰猛な戦士としてメキシコ軍とアメリカ軍を苦しめた。1874年の連邦政府の強制移住に抵抗し、何度か捕らえても脱獄を繰り返した。1886年に捕らえられて以降故郷から連れ去られ、見世物とされるなど屈辱を受け、虜囚のまま死去した。
クリー族の戦士。飢餓に苦しめられ、1885年メティ(カナダ先住民と白人の混血)のルイ・リエルの北西反乱に加わった。
・ブコナイゲシク1830年代~1916
オジブワ族の戦士。1898年頻繁なインディアン逮捕や森林破壊に抗議し、逮捕されるが脱走。シュガーポイントの戦いで追討軍を破った
・デニス・バンクス1937~2017
オジブワ族の人権活動家。1968年アメリカインディアン運動AIMを設立。デモや選挙活動によりインディアンへの人権侵害に激しく抗議し続けた。その中でも有名なのがアルカトラズ占拠事件(1969~71)とウーンデッドニー事件(1973)である。前者は1年半にも及ぶ長期戦でインディアンの人権問題を国際的に周知させるきっかけとなった。後者は州兵、FBI、戦車、ヘリコプターを動員させる大事件となった
・ラッセル・ミーンズ1939~2012
ラコタ・スー族オグララの人権活動家。アルカトラズ占拠事件後にAIMに参加、ラシュモア山占拠事件、BIAビル本部占拠事件、ウーンデッドニー事件に加わった。ラシュモア山ではワシントンの像に放尿した。何度も逮捕や殺人未遂などの危機に陥るが恐れることなくインディアンのための活動に生涯を捧げた
再投稿です
・タスカルーサ~1540
ミシシッピ先住民の首長。スペイン人征服者エルナンド・デ・ソトと交戦し、戦死した。ミシシッピ先住民はチョクトー、マスコギー族の祖先である。
・オペチャンカノウ1544~1646
ポウハタン族の酋長。ポカホンタスの叔父。1622年と1644年に白人への大襲撃を行った(第二次・第三次ポウハタン戦争)が、捕らえられ処刑された。
・ササカス1560~1637
ピクォート族の酋長。ピクォート族は白人男性を殺害したと濡れ衣を着せられ、襲撃を受ける。1836年から翌年にかけてピクォート戦争を戦うも、敗北、ササカスはモヒガン族に殺された。ピクォート族は数百人が虐殺、奴隷化され、一時期は絶滅認定を受けるまでに激減した。ピクォート戦争で白人に協力したナラガンセット族も後のフィリップ王戦争で白人に虐殺されることとなる。
・ポペ1630~1692
プエブロ族の魔術師。スペインの宗教弾圧に対し、1680年一斉蜂起を起こす。スペイン人を駆逐したプエブロ族は独立国家を築くが、ポペの死後内部分裂しスペインに降伏した。
南部タスカローラ族の酋長。白人の土地侵奪、奴隷狩りに反発し、タスカローラ戦争(1711~15)を起こす。しかし、北部タスカローラに裏切られ、白人に引き渡され処刑された。
アベナキ族の酋長。フランス人神父セバスチャン・ラルと結託し、マサチューセッツ植民地総督へダマー戦争(1722~1725、ラル神父戦争、グレイ・ロック戦争ともいう)を仕掛ける。ラル神父は戦死し、和平が成立した後も散発的に植民地への攻撃を続けた
ワンパノアグ族の酋長。ピリグリム・ファザーズを助けた心優しきマサソイト酋長の息子。白人の貪欲な土地略奪に耐えかね、交戦した(フィリップ王戦争1765~66)。メタカムは戦死、遺体は戦利品としてバラバラにされ、妻子は奴隷として売り飛ばされた。数千人のインディアンが死亡し、白人の勝利に終わった。
・オブアンディヤック1720~69
オタワ族の酋長。英名ポンティアック。交易を制限したイギリス人たちに不満を抱き、オジブワ族、ポタワトミ族などと連合し攻撃をしかけた(ポンティアック戦争1763~65)。白人を追い出すことには失敗したが、イギリス政府は政策変更を余儀なくされ、インディアン保護区を制定した。オブアンディヤックは白人では無く、対立する部族のピオリア族に暗殺された。
ショーニー族の酋長。1774年ダンモア卿の戦争で白人と戦った。アメリカ独立戦争ではショーニー族の中立に努め、ランドルフ砦のアメリカ人を訪問した際に拘束され処刑された。
チェロキー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。独立戦争後は他部族へ同盟を呼びかけながら、アメリカと戦った。チョクトー族、マスコギー族との同盟を祝う最中に心臓発作で亡くなった。
・リトルタートル(1747~1812)
マイアミ族の酋長。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦い、オーギュスタン・ド・ラ・バルム大佐を戦死させた。独立戦争後はワイアンドット、ショーニー、チェロキー等と北西インディアン同盟を結びアメリカと戦った。(北西インディアン戦争1785~1795)。ハーマー作戦で勝利したほか、アーサー・セントクレア少将を破り、戦死者600名の大損害を与えた。しかし、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北し降伏した。
ショーニー族の戦士。アメリカ独立戦争ではイギリスと組んでアメリカと戦った。北西インディアン戦争でも活躍し、ハーマー作戦、セントクレアの敗北で活躍したが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗北した。
レナペ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、セントクレア将軍を破ったが、フォールン・ティンバーズの戦いで敗れた。
・エグシャワ1726~1796
オタワ族の酋長。アメリカ独立戦争、北西インディアン戦争でアメリカと戦い、フォールン・ティンバーズの戦いで負傷した
・テカムセ1768~1813
ショーニー族の酋長。白人の侵略に対し、インディアン全体の団結を広く呼びかけた。ティッペカヌーの戦いで敗れたが、抵抗を諦めず、米英戦争でイギリスと組んでアメリカと交戦した。デトロイド包囲戦で米軍を破り、メグス包囲戦でも攻略には失敗したものの損害を与えた。しかし、テムズの戦いで戦死し、彼の壮大な夢は叶うことが無かった。ちなみにテカムセと米英戦争で敵対したウィリアム・ハリソンは1841年9代目大統領に就任するが、わずか31日で病死した。
マスコギー族の戦士。1811年の大地震を白人と戦えというメッセージと解釈し、交戦派レッド・スティックスを率いクリーク戦争(1813~14)を戦った後に降伏した。ちなみにクリーク戦争で活躍したジャクソン大統領は後に7代目大統領に就任、インディアンへの弾圧・虐殺を行った。
・メナワ1765~40頃
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争を戦い、戦後も土地割譲に同意した酋長を暗殺するなど強制移住に抵抗し続けた。
マスコギー族の戦士。レッドスティックスのメンバーとしてクリーク戦争で活躍、バーントコーンの戦いで米軍に勝利した。
ウィネベーゴ族の酋長。白人に対して友好的であったが、鉱山労働者の横暴に耐えかね、1827年ウィネベーゴ戦争を起こした。米軍に敗れ、翌年獄死した。
・ブラック・ホーク(1767~1838)
ソーク族の酋長。白人の土地侵略に対し、1832年フォックス族、ポタワミ族と結託してブラックホーク戦争を起こした。しかし、この戦いはインディアンが数百人殺される悲惨な結果に終わり、ブラックホークは降伏し、捕虜となった。
・オセオラ1804~38
セミノール族の戦士。強制移住に反発し、第二次セミノール戦争(1835~42)が勃発した。ゲリラ戦法に苦しめられた米軍は和平交渉を行い、交渉の場に向かったオセオラを捕らえた。彼はその後獄死したが、セミノール族の怒りは収まらず、戦争は続いた。なお、セミノール族の一部はフロリダの奥地に居座り続け、現在に至るまでアメリカに降伏していない
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争で活躍し、デイドの戦いで100人の米兵を戦死させた。
・ビリー・ボウレッグス1810頃~1859
セミノール族の酋長。オセオラが獄死した後も第二次セミノール戦争を継続し、オキチョビー湖の戦いで勝利するなど活躍した。第三次セミノール戦争でも米軍を苦しめたが、強制移住に従った。
セミノール族の戦士。第二次セミノール戦争に加わり、オキチョビー湖の戦い、ロクサハッチーの戦いで米軍に勝利した。
・バッファロー・ハンプ1800頃~1867頃
コマンチ族の戦士。同朋が虐殺された報復に1840年の大襲撃を行った。43年テキサス政府と和平を結び、晩年は農夫として暮らした。
・ワルカラ1808~55
ユート族の戦士。その知恵と武勇から「砂漠のナポレオン」「史上最大の馬泥棒」と呼ばれた。モルモン教徒入植者と対立し、1853年から翌年にかけてワルカラ戦争と呼ばれる一連の襲撃を行った。
・フレチャス・ラヤダス
ヒカリラ・アパッチ族の戦士。シエネギラの戦いでアメリカ軍を破った
・カミアキン1800~1877
ヤキマ族の戦士。白人探鉱者との対立からヤキマ戦争(1855~58)を闘った。降伏を拒否してフラットヘッド族の下に逃れた後に故郷に帰還し、最期まで立ち退きを拒んだ。
・レスキ1808~58
ニスカリー族の酋長。白人の土地侵奪に反発し、ピージェット湾戦争(1855~56)を闘ったが、捕らえられ処刑された。
・テカムタム?~1864
アサバスカ族の酋長。鉱山労働者たちの横暴に反発し、ロングリバーウォー(1855~56)を戦い敗れた。
・カイルーク
モハベ族の酋長。当初は白人に対して友好的だったが、モハベ戦争(1858~59)を戦うようになった。降伏し捕らえられるも、脱走を図ったため射殺された
・ヌマガ1830~71
パイユート族の酋長。白人との平和を望んでいたが、探鉱者たちがパイユート族の食料を奪ったため、1860年パイユート戦争を戦った。敗戦後も白人と部族の平和のために生涯を捧げた。
・マヌエリト1818~93
ナバホ族の戦士。1860~66年までアメリカ政府の土地収奪と強制移住政策に抵抗し続けたが、後に降伏し、移住を受け入れた。
ティンパノゴス族の酋長。モルモン入植者と対立し、1865年ユタ、パイユート、ナバホと結託しブラックホーク戦争を仕掛けた(ソーク族のブラックホーク戦争とは別)。70年にアントンガは結核で亡くなるが、72年まで闘争は続いた
・マンガス・コロラダス1793~1863
アパッチ族の酋長。1830年代家族や同朋をメキシコ人に虐殺されたため、米墨戦争ではアメリカと組んでメキシコと戦った。後に後述のコーチーズと共に米軍と戦った。和平交渉の最中に捕らえられ、処刑された。
・コーチーズ1805~1874
アパッチ族の酋長。マンガスの義理の息子。1861年入植者の息子を誘拐したというあらぬ疑いをかけらたことがきっかけで1872年に和平が成立するまで白人たちと死闘を繰り広げた。
ダコタ・スー族の酋長。白人に対して従順であったが、1862年飢餓に耐えかね一斉蜂起を起こし敗れた。翌年逃亡先で農夫に発見され射殺された。
カイオワ族の酋長。第一次アドビ壁の戦いでアメリカ軍に勝利した。
カイオワ族の戦士。第一次アドビ壁の戦いで活躍したほか、ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃も成功させるなど戦果を挙げた。第二次アビド壁の戦いに関与し、1874年に逮捕され、投身自殺した。
カイオワ族の戦士。ウォレン・ワゴン・トレインの襲撃など軍事基地、幌馬車、入植地への襲撃を多数成功させたが、1870年逮捕され、翌年逃亡を図り殺された。
・ローン・ウルフ1820頃~79
カイオワ族の酋長・交渉によりウォーレンワゴン・トレイン襲撃で逮捕されたホワイト・ベア、ビッグ・ツリーの釈放を実現した。1873年息子と甥が白人に殺されたことがきっかけで闘争を開始。クアナ・パーカーと組んでレッド・リバー戦争を戦ったが、降伏した。なお、ビッグ・ツリーは他のカイオワ戦士と違い、レッド・リバー戦争に参加していない
シャイアン族の戦士。強制移住に反発し、スー、アラパホと結託してコロラド戦争(1864~65)を戦う、ジュールズバーグの戦い、プラット橋の戦いで白人に勝利するなど活躍した。和平派が強制移住にしたがった後も白人と戦い続け、1868年ビーチャ島の戦いで戦死した。酋長ではないが、勇猛さとカリスマ性から白人から酋長であると誤解された。
ラコタ・スー族の戦士。ララミー砦からモンタナへの金鉱に向かう道路建設に反発し、シャイアン、アラパホと結託してレッドクラウド戦争を戦った(1866~68)。米軍は道路建設を諦め、砦を放棄したため、和解が成立。レッドクラウドは居留地に入り晩年はキリスト教に改宗した。
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加した。戦後敵対するショショーニ族と交戦し、戦死した。
・ヤングマン・アフレイド・オブ・ヒズホース(彼のウマを恐れる若者)1836~1893
ラコタ・スー族の戦士。レッドクラウド戦争に参加、ウーンデッドニーの虐殺後はアメリカ政府の平和交渉に当たった。
モードック族の酋長。居留地への強制移住に反発し、複雑な地形を利用して装備、戦力で勝る米軍を苦戦させた。(モードック戦争1872~1873)戦争の途中の和平交渉が決裂し、エドワード・キャンビー少将が殺害されたため、インディアン戦争で米軍将軍が殺された唯一の戦いとなった。降伏し絞首刑に処されたキャプテン・ジャックの遺体は見世物とされた。
モードック族の戦士。モードック戦争に加わり、サンドビュートの戦いで勝利した
コマンチ族の酋長。スペイン人の鎖帷子を身にまとって戦い、勇名をはせた。しかし、彼の防備はリトルローブクリークの戦いではライフル弾を防げず、戦死した。
・ペタ・ノコナ1820頃~1864
コマンチ族の酋長。アイアンジャケットの息子。1836年パーカー砦を襲撃し、白人女性シンシア・パーカーを誘拐、妻とする。1860年ピーズ川の戦いで敗れ妻を連れ戻された悲しみと戦傷から亡くなった。
私は、リアルでは憚られる不謹慎ネタをつい考えるのが癖となっており、そのたびに興奮して考えが止まらなくなる。
また、大きな事件が起きると、もっとひどくなれ、もっと起きろ、と思ってしまう。
本来こういった不謹慎ネタや事件には眉をひそめるべきであり、決して面白いと思ってはいけないものだ。
その気持ちがあり、外に出すにしても、なんJとかニュー速みたいなところで出すべきであってリアルで出してはいけないものだ。
が、私はそれを抑えられず同世代や近しい関係の人にはドン引きされ、目上の人から大目玉を食らったことが何度もある。
その詳細を書いていくが、どうしたらやめられるのだろうか。長文申し訳ないが、アドバイス求む。
もちろんそれらが行っていることは社会的に許されざることなのだが、だいたい彼らは面白いことをするから困る。
空中浮揚なんかできるわけないのにあぐらをかいてジャンプする。
特徴的なイントネーションのニュースキャスター(何言ってるかはわからないけど)。
やたらとハイテンションな歌の数々(コンギョ、金正日将軍の歌、金正日豚汁など)。
毎日のように効かなければ気が済まなくなり、スマホに入れて移動中ずっと聞いていた。
大学4年生のとき、助教がこういうのが大好きで、毎日やってもおとがめを受けるどころかそれで盛り上がれるほどだった。
(教授も笑って見逃してくれた)
しかし、大学院(他大学)で所属した研究室ではこういうのは許さない雰囲気のところだった。
少しでもこれらのネタを出すと後で呼び出されてお叱りを受けた。
実家でこれらのネタを出そうにも、母親はこういうのが嫌いでどうしようもなかった。
一応言っておくが、私はオウムや北朝鮮とは無関係であるし、そこに入りたくもないし生まれ変わっても絶対にそこで暮らしたくもない。
だってそんなところに入ったら肉体的にも精神的にも(言葉では形容できないほど)辛いからだ。
リアルの人やマスメディアはおろか、アングラ色の強いサイトですらほとんどなされない。
それどころか、そういった言説がなされると愛国心しか取り柄のない暇人日本人が押し寄せ潰されるのが常だ。
菊タブーという現実があるからこそ、皇室をおちょくりたくなる。
「ブルーギル天皇」「コピペ・裏口入学の悠仁」「あ、徳仁」「2分前に死んだ昭和天皇」「パコ様」「天皇認知症でぼけてんのう」などと。
さすがにこればかりはブラックユーモアに寛容な父親も怒らせてしまったが。
・♪うえをむ~いて あ~るこお~よ… あ、山にぶつかった
...etc
最近ニュースで報道される事件群。その中には面白いものがある。
こういう「面白い事件」が起きると、もっとエスカレートしろだとかもっと起これと思ってしまう。
私は小心者で犯罪には手を出せないが、だからこそ勇気ある方々には頑張ってもっとやってほしいと思う。
そう思った事件を列挙していく。
バイトテロをはじめとして、様々な施設に迷惑をかける様子が話題になっている。
Z世代がそれらに手を染める様子がよく見られることから、彼らは「Z戦士」と呼ばれている。
(年代ごとの正確な件数やSNSの影響についてはここでは論じない)
最近だと、金髪少年によるくら寿司醤油ペロペロ事件がとくに有名だろうか。
彼らがそういった行為に手を染めている様子を見ると、誰かにバレないかという感情が読み取れ、その緊張がたまらない。
そして行為に成功した時の笑顔を見ると、こちらもうれしくなる。
まず、「恒心教」とは、悪質な書き込みのせいで特定された少年及び彼が依頼した弁護士をおちょくる人々を指したネットミームである。
彼らは様々な行動をしており、その一部は犯罪行為を含む過激な行動に出る。
しかし、グーグルマップに実在しない施設を追加している様子には笑いをこらえられなかった。
「恒心教警視庁サティアン」「オウム真理教皇居支部道場」「オードリー春日トゥース」などを見ると誰もが吹き出すだろう。
おまけにある参議院議員がこのことを法務委員会でぶち上げた割には各省庁の担当者にはぐらかされる様子もまた見ものだ。
(おしいのは具体例の挙げ方だ。当時はるかに被害が集中していた松戸市の一軒家に言及すればより効果ある問題提起ができたはず)
警察もメンツをつぶされてご立腹だがやる気がないのか、軽犯罪で書類送検にしたらしいが。
まずおふざけと明らかにわかる予告文。
「~しますを」「~ナリ」「3時34分」「それはできるよね」「当職は弁護士だ」…などと。
また、明らかに嘘と分かる、というかそんなにあったらすぐに見つかるし搬入されるほど警備が手薄なのかといえるような爆弾の数。
そしてバカバカしいと感じながらも宝探しをする人たち。なぜか警察の爆弾処理班は呼ばれない。
インターネットユーザーもネタを理解しているのか、大喜利大会になっているのもまた一興。
(一部マジになって陰謀論を垂れ流す人もいないわけではないが)
一方で首相官邸にやられて警察が動いたり、西九州新幹線にやられて運休したりと一定の成果があるのも面白い。
(爆破時間だけが重要なのに、どうでもいい日付を関連付けて語呂合わせをしたアメリカ名門大卒のコメンテーターもいたっけ)
皇居は今までほとんどやられたことがないからね(見つかる限りでは2008年に1回のみ)。
こんなくだらないことに莫大な税金を使って会議や捜査するくらいならもっと国民の生活を支援しろよと言いたいが。
とはいえ、警察がブチギレて捜査一課を担当とし全面戦争に突入したのが非常に面白い。
上司のパワハラに耐えかねた派遣社員が勤務先に放火し数十億の被害や物流への影響(そこにある医薬品への被害など)が出た。
京王線内で放火して車内が大騒ぎに(小田急線はダサすぎる。京アニは計画側も致命傷を負ったのが問題)。
宗教の被害を受けていた勇者が、広告塔だった元総理大臣を自作の散弾銃(銘銃・安倍崩)で仇討ちを果たす。
どれも記憶に新しい。
こうなるまで苦しむ人を無視し続けた社会や為政者などの責任を鑑みると、そらそうよ、と思ってしまう。
わずかな犠牲はあれど、それで社会が大きく騒ぎ、よい方向へ変わるきっかけになっているのが面白く非常にうれしく感じる。
日本は諸外国と比べ感染者数を抑え込んでいますよ的なイメージがあったが、それが崩れていくのが趣がある。
(実際は保健所が検査数を抑えていたり、日本人お得意の同調圧力でどうにかしていたそうだが)
2021年の東京パンデミックオリンピックでも、メダル数だけでなく感染者数も新記録を更新したのもすばらしい。
ちなみに私は、電車内などでノーマスクを貫いているがこの3年間全く発症しておらず、PCR検査をしてもずっと陰性だった。
東京(願わくば東京駅・新宿駅とか山手線の内側)着弾したら大騒ぎになって面白いと思ってしまう。
ちなみに、大学4年生のときの助教は「大学の建物にミサイルが刺さっていたら面白い」と語っていた。
よくわからないのでWikipediaを見るしかないが、その様子が非常に勇敢だった。
警備が厳重な成田空港に武装して突入し、警察に健闘しながら機器類を破壊したのはお見事といってよいだろう。
・家のテレビリモコンが壊れた
・つながるかどうかテストしてみた
など、不要不急の110番通報が数多くあり、警察の業務が妨害されているのが面白い。
(3番目だと、岩倉市に似たような例があった。1,072回やったらしい)
普段から無能な警察なんだから(はるかぜちゃんを恫喝した神奈川県警とか)、遊んでもらった方が気晴らしにもなっていいだろう。
ここまで書くと、私も何かしてみたくなる。
犯罪行為はできないが、国や社会をおちょくれることをしてみたい。
そこで思いついたのは、天皇が死んだ日にカラオケをすることだ。
昭和天皇が死んだとき、国からの要請よりも国民が進んで自粛したそうだ。
平成天皇はそれを懸念して生前退位としたようだが、それでも自粛と自粛警察の出現は少なからずや起こるだろう。
何らかの事情で令和天皇が死んだらもっとすごいことになるだろう。
「なんてことだ、もう助からないゾ♡」
と答え、死んだら、
「生前退位したにしても、昭和天皇の時みたいに自粛でデレマス・シャニマスのライブが中止になりそうで嫌ですね」
と答えたい。
すでにセトリの一部も決めてある。
・なんどでも笑おう
・S(mil)ing!
・恋が咲く季節
・ステップ!
・ミツボシ☆☆★
・Happy Funny Lucky
・ありったけの輝きで
・ハナマルバッジ
・FELICE
(余談だが、作曲者が逮捕された件、悪いのは本人であり曲ではない。だからライブ演奏やストリーミングまで自粛しなくてもいいのに…)
・Let's get a chance
・ダブル・イフェクト
・HAPPY PARTY TRAIN
あとは、地下鉄サリン事件の日、黙祷中に霞ヶ関駅のホームで尊師マーチを歌って踊りたい。
たくさんの応援をいただきありがとうございます。返信は以下にまとめておきます。