はてなキーワード: 平行線とは
夏休みとかの長期休暇では、父親(自営)のところに1週間くらい遊びに行ったりして、年に数回は顔を合わせていたと思う。
中学生になってもそれは続いて、私がブリーフからトランクスにパンツを変えた頃、また休みがあったので父親の元へ遊びに行った。
父親の店に行くと知らない女の人がいて、父から「実はこの人と再婚することになった」と言われた。
いきなり引き合わせるなよ……と思いつつ、「へーそうなんだおめでとう、こんな父ですがよろしくお願いします」とか無難なことを言っておいた。
奥さんは結構グイグイくる人で、しきりに距離を詰めてくる感じだった。
今思うと、この子がここにいる間は母親代わりよ!みたいな感情があったのだろうか?今風に言うとマウンティングがすごかった。
この人苦手だなー、とか、再婚かあ、とかで頭が回らないうちに食事を終え「明日早いから風呂に入ってきなさい」と言われ、
風呂に向かったら、洗濯機を回しに来た奥さんに脱衣所をあけられて、「あらあらあらカッコイイパンツ履いてるわねー」
「ほらアナタちょっと増田ちゃんのパンツカッコイイわよー」「こういうのが今はいいのよ!ねー!!」と大声で言われた。半泣きになった。
風呂からあがって、「そういえば明日どっか行くの?」と聞いたら、
「朝5時にタクシーが来るからそれで空港に行って、それから飛行機でテーマパークに二泊三日だ!!」と言われた。
全く聞いてなかった。当然奥さんも来る。ホテルでは同じ部屋に泊まる。
私が再婚に難色を示したりしていたらどうするつもりだったんだコイツ、馬鹿か?馬鹿なのか?
この時点ですでに「うわーこの人苦手だよー普段身の回りにいない距離が近くて話聞かないおばさんだよー」と思っていたので正直帰りたかった。
助けを求めるように視線をやった父親は「親睦を深めてもらおうと思ってお金ためて頑張ったんだ!」と100%のドヤ顔スマイルをしていた。
あ、この人ダメだ。と父親に対して一人の人間として本気で諦めの感情を抱いたのはその時が最初だと思う。
母親に居場所が変わることを連絡しておいた方がいいかなあ?と悩んだけど、ケータイも持ってなかったし、
多分母親はこの話を正直にしたらブチキレて今からでも飛んでくるよなあ、でも父親は何が悪いのか全く理解できなくて平行線になって、
最悪の空気が完成した現場に自分が取り残されるよなあ……とうっすら思ったので、やめておいた。
黙っておけば初めて飛行機に乗れるし、テーマパークにも行けるという打算もちょっとあった。
そのあとはもう、開き直って再婚に理解があって聞き分けのよいいい子を3日間精一杯演じ続けた。
こういう場合、子供があれ食べたいこれ食べたいと定期的に言って、食べっぷりがよければ、大体相手は満足してニコニコする節がある。
外国を放浪して現地民に溶け込む作家の本で、出された飯を美味そうに食うの最強とかそんな話読んだなあと思いつつ実践した。
浅知恵ではあったが、ある程度奏功したようで、二日目には奥さんは「めっちゃ仲良くなれた!」父親は「いやー来てよかった!」と喜んでいた。
この旅行は本当にしんどかったし、奥さんの出現で以後父親のところに遊びに行くのが億劫になったし、父親への信頼みたいなものも完全に失墜した。
そんな中でも最大の成果は、幼少時にカルピスを薄めて作るものだと知らずに勝手にお代わりしようとして原液を1ビンガブ飲みして喉が灼けて以来
「カルピス=喉がカーってなるやつ」という認識で苦手だったのだが、
そのカルピスを奥さんが「子供はカルピスが好きなものよ!」と気を利かせて買ってきたことで飲む機会があって、カルピス嫌いが治ったことだと思う。
ただ、今度はカルピスを飲むと毎回このエピソードを思い出してしまってちょっとしんどくなるので、相変わらずたまにしか飲まない。
親はどうしても俺に所帯を持たせたいらしく、ことあるごとに見合いの話を持ってくる
最初は適当に受け流していたのだが、成り行きでとある女性と食事に行かなければならなくなった
が、すっぽかされた(相手は待ち合わせ場所に現れず、事前に携帯電話番号を互いの親を介して交換していたが着信拒否されていた)
まあいいやと思って帰宅し親に経緯を報告したら、「なぜもっと真剣に探さなかったのか」「たかだか1時間2時間待たされた程度で帰ってくるなんて」「こういうときこそお前の真剣さを相手にアピールする絶好の機会だというのに」と、いつのまにか俺が親に怒られる流れになっていた
さらに両親揃って「先方のご両親に経緯を説明し、もう一度お会いできるようお願いしてきなさい」などと言い出してきて、いやそれはさすがに違うだろうと反論したのだが、話は平行線のままで付き合いきれなくなったので親の携帯を着信拒否してふて寝して今に至る
うーん…平行線だね。もうやめよう。堂々巡りで二人ともがアホになる。
お前の主張する【予想外のイレギュラーに対しては運転手に同情すべき論】俺は全然納得しないけど、まあ住宅地辺りの子供の飛び出しは含まれないなら一理あるとします。でも対人間である以上納得はしないからな。
http://anond.hatelabo.jp/20160509224725
制限速度20kmだと渋滞まみれの非生産的国家ね。これは俺最初に30km以上出せない車作れみたいなこと言ってんだけど、現状では不可能だよ。そんなの分かってる。根本的に車の量を減らす。これが大前提。
だから趣味や娯楽の不必要な運転はやめる。公共交通機関を使う(もちろん今より充実させなきゃ意味ない)。さらには30kmしか出ない車。んなもん乗る楽しみもなく、車離れも相まって一気に非車社会へ進む。30kmしか出なくても、たいして車いないから渋滞しない。これが理想。
何十年かかるか分かんないけど、非生産的国家に成り下がることなく、脱車社会が実現すれば日本は素敵な国になるんじゃないかしら。
でもそう願うくらい交通事故で亡くなってしまう人が可哀想で仕方がない。
それだけは理解してほしいわ。
レイアウトの問題もありますけど長すぎると区切らなければならなくなるので長文は増田に向かないかもしれませんね。
多少機械的になりますが、考察と反論を兼ねた返信をさせて頂きたいと思います。
まず「楽しめなくてかわいそう」という感想の持ち方については、先の記事でも既に見解を述べていたので、それに対する反応らしい反応がなく内容として変わらないことを繰り返されてしまうと、改めて反論を頂いた意味がなく、勿体なく感じました。
一応、どうしても楽しめない境遇を可哀想だと同情して頂けるのであればそれは有り難いのですが、本当にそのような同情したいという気概があるのであれば、さらに相手の感情や思考の深い所まで歩み寄り、踏み込んで頂いた上で検討するのがよいかと思います。
また、「かわいそう」といえば、自分はアニメ前のキャラクター達がかわいそうでなりません。光を浴びれば必ず輝ける素質があったのに、アニメ以降ないがしろにされ、隠蔽されるように扱われてしまったのがどうしようもなく可哀想です。
そして自分の思いの最も大きな原動力はそこにあるかもしれません。特に自分が思うのは矢澤にこです…。
ところで、
とありますが、自分が記事を投稿したのも最近の間に留まる話ですし、そんなに熱心な批判派が存在するような心当たりがないのですが…。どこかには一定数存在するのでしょうか。ファンの大半と同様にろくに考えもせずとりあえず批判というアンチなら確かに沢山いるのは分かりますが…。
また、互いの意見は『交わる事がない平行線』と仰っていますが、交わらないというより、そちら側は交わろうとする気がないという印象を強く持ちました。
勝ち負けとかはどうでもいいのですが、せっかく会話や意見交換をした上で中枢部分の内容を読み飛ばされると寂しい気持ちになります。
おりあそ氏やkato19氏は自分の考察や批判を読んで、「自分の記事を読み込んだ上で書いている」と畏れ多くも評価して頂けたようですが、自分としては読み通してはくれたようですが、内容をしっかり考えながら読んでくれただろうか…?という疑問を抱いてしまいました。
個人的には反論されて論破されても構わないので、一度は自分が書いた作品内容批判の論理を受け止めてほしかったと思います。特に盗作問題についての考察は、何故か他の方の評論などを読んでみてもパクリかどうかの比較はあっても、その行為の中身と影響に突っ込んだ考察がなかなか見付からないので、最も伝えたいことというわけではないですがもう少し考えながら読んで頂きたかったと思いました。
様々な紆余曲折の後に結局議論はどこまでいっても平行線のまま続く…となるのであれば分かるのですが、前提から交える気がない態度で、主に作品内容や作品の展開内容に踏み込んだ議論をしようという場において、その話題になるとこちらの意見にはあまり踏み込もうとしてこない状態に受け取れるので、そのような中途半端な態度で反論をする意味にも疑問を抱いてしまいました。
例えると、本来議論が平行線という場合はどこまでも平行な線が二本伸び続けているという状態のように思います。対して、今回の場合はある長い線に対して平行ではあるが短く途切れている一本の線が寂しく添えられている、という状態のように思います。
結局の所、絶賛派は作品内容の是非がどうであれ布教をしたい、ファンである状態を共有したいというのが強く、作品を批判する人を減らしたいというのが最前面にきているのではという疑念が深まったような感があります。
とありますが、そもそも最近はいろいろなことがありましたが、未だ以て絶賛派の(根拠も中身もない)ブログや書き込みの方が圧倒的多数であり、未見の人への影響力は強いですから、その辺りの説明がなくこのように書くと違和感を抱きます。
おりあそ氏の劇場版批判記事に寄せられた反論記事でも、氏の記事を見て作品に対して安易に判断を下す未見の人が大勢現れかねないことを危惧しておりあそ氏に反論するという記述がありましたが、既に多少批判派が増えてもうんざりするほど思考停止の絶賛派のファンであふれかえっている状態で何故絶賛派は未見の人がアニメラブライブ批判派になることについてそこまで敏感になり、怖がる態度を見せるのかという部分が気になりました。
悔しいくらいにファンが多いのに何故そこまで余裕がないのかが不思議です。
また、普通は相反する立場の相手と意見を交わす際には自分の意見と相手の意見の比較を先に考える人が多いはずですし、そのように互いの意見の内容自体に向き合うべきだとも思いますが、アニメラブライブの絶賛派は自分の意見の説得力の有無などよりも、相手の意見による批判派の増加を怖がりながら意見交換に臨んでいるように映ります。
そしてその点に、彼らが作品のどこがどう好きかというより、自分や自分たちがファンであるということのつながりや広がりを最重要と感じており、作品内容自体を捉えて論じる個々の姿勢としては多少の問題があるように思います。もちろんそのような楽しみ方は自由ですし悪ではないのですが、作品内容自体の評価を行う上ではズレが生じていると思われます。
また、そのような態度を見ていると自分自身が切実に内容に感動したから賛美したい擁護したいというよりも、宗教団体のスポークスマンのように便宜上賛美、擁護の立場をとっているかのような胡散臭い軽薄さを感じます。
一方で、自分やその他の原案やアニメ前の状態を持ち出してアニメ以降の展開を批判する人達(一体何人存在してくれているのだろう…?)の意見の根拠の概要としては、kato19氏の推察は大ざっぱに捉えた形としては大体正しいと思います。
その上で、
コミック版・小説版があるとはいえ、メディアミックスとは単なるアニメ化決定ではないはずです。μ'sという架空のアイドルがアニメに出演している、そういうものですよね?
と氏の記事にも言及があるように、ラブライブがメディアミックス作品であることを理解しているならば、そのあるべき在り方についても考察して頂きたかった気がします。
原案の良かった部分を根こそぎ取り除いてしまったアニメ以降の内容を批判すると、アニメ絶賛派はメディアミックス理論を持ち出してきますが、普段はそんなことは関係無いアニメと声優ライブこそラブライブで他は二次創作の延長線だくらいの勢いで見ているくせに、都合のいい時だけメディアミックス作品だと持ち出してきているように感じます。
それはつまるところ、「アニメもメディアミックスの一部だからそれぞれと違っていてもいいでしょう?だから原案を蔑み破壊しているアニメを許してくれ」という論理なわけです。
実際にそのような形で、それぞれのメディアミックスの各種媒体の独立性が保たれていたならば、原案厨(とアニメ絶賛派は呼ぶのでしょう)がアニメ版がどうおかしくなってようと酷いけど仕方がない、作品の下らない一部に過ぎないからとスルーしつつ、基本的にポジティブなままプロジェクト全体を捉えて各種展開を見守っていきたいという姿勢になることも容易だったでしょう。
しかし、PVやCDドラマなどもアニメ以降、設定が侵食されるようにアニメ版の設定で統一されていきました。
メディアミックス作品だったのにもう好きだったかつての姿には出会えなくなるという危機感を抱かずにはいられません。作品の、キャラクター性の内容、中身が好きなので当然の態度だと思います。
しかもスクフェスやスクパラ、ドラマCD、PV、ライブで流れるアニメなど声優が付いている媒体は全てアニメ系設定に統一、侵食されているのです。(スクフェスにはSIDコラボもありましたが、残念ながらおまけのようなものです)
いきなり横入りをして住処を奪い、穢した側が、自分も同じファンの一人だから尊重してください、十人十色だから許してくださいと言い出しても説得力を感じられません。
つまり、そのような棲み分けが十分であれば別物として積極的に評価できる可能性も大きくなっていましたが、そのような状態にないためにメディアミックスだから許しなさいという理論は説得力が弱いのです。公式運営が抱える大きな問題点の一つですね。
また、アニメにおいて原案の方向性から改変改悪された内容の根拠が、例のglee盗作によるものであったり、人気があり改変する必要のないキャラを粗雑な配慮と見解の下に設定改変していたり(説明は先の考察記事など)と、正当性を感じがたいものであるため、ただ単に変わっているとかただ違っているというレベルの浅い問題ではないことは先の記事でも指摘しています。
glee盗作騒動は自分の絶望とアニメ制作陣への憎悪を深める決定的な出来事でした。ただでさえ2期のにこのキャラクター描写の凄惨な状態に打ちひしがれていた所にそのことが発覚して、制作陣や作品内容という結果だけでなくそれに携わる動機や姿勢の時点で重大な問題を抱えていたのだと分かり、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。
また、その点がアニメラブライブの内容や展開の是非がただ好みというだけの問題では片付けられず、作品やキャラクターを扱う上での倫理的な善悪について重大な問題があることを検討するべき根拠となる部分でもあります。
絶賛派の方は盗作問題にはまともに向き合わずに軽く済ませようとする人が多い感がありますが、そのような根深い問題から目をそらしながらの朦朧とした感情と論理から、批判派の体験や感情は全て妄想だから目を覚まそうと訴えかけても特に響くものがありませんし、ポジティブになれる気もしません。
仮に全てが好き嫌いで済む問題だとしても、絶賛派からはパッケージへの思いは伝わってきても内容自体に対する好きという気持ちはあまり伝わってきません。好きな作品が批判されたくないとか、好きな作品がパッケージとして表面的に認められている状態が保たれて欲しいという気持ちは伝わってきますが…。
kato19氏や自分が思い当たる絶賛派の何人かもアニメの作品表現や演出を評価していることが多いように思います。そのような部分を評価する場合、表現が曖昧にならざるをえない部分に対する「好き」なので言い表すのが難しい部分もあるかもしれません。しかし、結局その作品がラブライブでなければいけないほどの理由というのが見えて来ません。
先の記事でも書いているように絶賛派が評価している表現法や演出などそれ自体については殆ど否定していません。それが物語性だとか本来のキャラクターの持つ魅力の描写と両立されていたら良かったのにと思っています。
ただ、絶賛派が作品の物語性とキャラクター描写の酷さの免罪符にしたがるくらいに賛美する作品の演出などが安易なパクリだという可能性と、その場合に失われる効果がどれほどかというものは多少審議する価値があるでしょうけれども…
たとえば、人間的にでも性的にでも構いませんが、自分が大好きな人を指して、この人は「顔が美人だから好きだ」、「身長が高いから好きだ」「優しいから好きだ」というように好きな根拠をアピールする場合、じゃあ顔が美人なら、身長が高いなら、優しいなら他の誰でもいいのでは?という指摘ができます。
kato19氏やラブライブ絶賛派の好きだとする根拠、評価する根拠を読んでいると、その作品がラブライブという作品群であることの意味や価値が殆ど考慮されていないように思います。簡単にいえばそれが原案や原作、物語性やキャラクターの軽視や蔑視につながっているのでしょうが…。
おりあそ氏の批判や先の自分の考察や反論にもあったように当初のコンセプトを否定して廃棄しまっているのがアニメ以降のラブライブという作品でした。
絶賛派はそれらの問題があってもアニメラブライブは素晴らしい表現が魅力だからいいんだと主張しますが、ラブライブがラブライブである所以を廃棄してもアニメでくっつけた魅力があれば全く問題がないと思えることが狂気的に思います。
そのような評価の仕方は、どんな作品を見ても表現や演出その部分だけを見て論じる第三者的な評論家のすることのように部分的には真っ直ぐでも冷たく短絡的です。
その評価の仕方を否定するわけではないですが、その評価は他の評価を全て飲み込めるほどの影響力や説得力には著しく欠けていると言わざるをえません。
高級レストランに行って、「ここは、料理は高いくせに不味いが、内装や外装、食器が素晴らしいから料理が美味い他のレストランよりあらゆる意味で最高だ」と言うようなものです。デザイナーや建築家などであればそう評価をするのも分かりますが、レストランや料理の包括的な意味でのファンや評論家としては問題があるのではないでしょうか。いわゆるナンセンスというやつですね。高級レストランが高級レストランであることの価値は高品質な料理を提供することだと思います。ただ内装外装が素晴らしいことを売りにして全てのマイナス面を打ち消したいなら宗教的建築物にして料理を出さずに見物料をとればいいでしょう。
レストランにける内装外装などの美しさはどんなに素晴らしくても評価する場合には料理の不味さを打ち消せるほどの価値はありません。独断偏見の好きでいいならば、他が全てどうしようもなくても格好いい、可愛い店員がいるから一番好きなレストランだと言い張るのは自由ですが、その場合その店員のファンというだけであって、レストランに対する大きな好きの評価として直結させるには弱いと思います。
この例えにおいては料理の種類や味というのが作品の物語性やキャラクターにあたる部分で、内装外装食器店員などの外的な部分が表現演出や声優スタッフなどにあたるでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20160331015322
やっぱり遅くなっちゃいましたが、ようやく書きあがりました。
ただレイアウト上の問題と、書いているうちに自分のコンテンツにしたくなってしまったので(笑)自分のブログで公開しました。
お手数ですけど私のブログで見てください。
『ラブライブ!批判への回答:批判派の負のエネルギーを消し去りたい!』
http://kato19.blogspot.jp/2016/04/lovelive-hihan.html
やっぱり反論って書くの疲れますけど、自分の心の整理にもなりますね。
もし返信はあれば、こちらに書いていただいて結構ですよ。
たまにチェックしておきます。それでは!
高校時代に 戻った気分で 増田で all night 遊んで暮らそう
しょうがない じゃない なくない? お前は四歳
あと二、三年で 小学生さ Oh 兄さんさ
籠城戦 もう強情に生きてんな
平行線 そう同情してくれんな
どうしようもないさ 今日もこうして生きてんだな
Tender な 気持ち Lonely で素敵
今日からいいな? 俺らひとりひとりが Hustler あるいは Scholar
酒に酔うほど Forever ベイベ
負けが混むほど 放れない べいべ
なんてそんなんじゃ 困難
四歳 にして人生に遭難 ですか それで いいんですか あんた
死んだんですか 死ねないんですか 簡単じゃないですか
邯鄲の夢から覚めれば Die の大冒険じゃないですか 夢のダイアリー あるじゃないですか
そして声をさらに増す大なり
小なり その叫びを聴いてるんだ サバカリー あなたに ダイアリー
新たに ここで 漏らせよ 増田
http://anond.hatelabo.jp/20160225040508
「鉛筆が100円で消しゴムが120円だとする」とかの「とする」と同じように、
鉛筆が100円である世界は必要なく「今言及している鉛筆」が100円であればいいし、
めっちゃ歪んでる。
私なんて数学で赤点とったことがあるくらいだから証明はできない。すまん。
もし仮に半径11の円の円周率がぴったり3.14だった場合の世界って、仮定(あるいは定義)できるんだろうか?
よくわからないんだけど、少なくとも円に内接する96角形の周長よりも、円周のほうが小さいってことでしょ?
違う。非ユークリッド空間で円周率が3.14なら円に内接する96角形は歪んで小さくなる。
まず、円周率が3.14ピッタリの世界で、円に内接する96角形の面積よりも円の面積が大きくなるのか、小さくなるのか、
それすら私にはわからないわけだが。
私にも内接する96角形のほうが大きくなる条件は想定できなかった。
数学屋に聞きたいところだ。
そんなわけのわからん世界である必要はない。他のブコメでも非ユークリッド空間に触れていたが
世界のどこでも同じ円周率である必要はないので適当にゆがんだ空間で
空間内にある条件(円周率が3.14)を満たす範囲があればいいしこれは現実の空間である必要はない。
これはモデル化だと思う。
実際は太郎君は歩くときに早くなったり遅くなったりするだろうし別の太郎君はマッハ4で歩くかもしれないが
今言及している太郎君は平均では時速4㎞と認識しているという意味であり、
消しゴムは100円ショップでは100円だしスーパーなら98円にしそうだが今は100円ということにするという意味だ。
「円周率を3.14とする」は、円周率はπだが私は小数表記で正確なπを記述できないので3.14ということにするという意味だ。
あなたにはπを正確に用いて小数の計算ができるのか?もちろんπ表記のままでは計算したことにならないぞ?
時速4㎞で歩き出すのは加速時間が0となるため理論的に実現不可能だ。
あなたが目の前に円を想定した場合、その円は地球の重力により相対性理論的に歪んで円周率はπではなくなる。
必ず円周率がπである世界は何も存在しない世界である必要があり理論的に実現不可能だ。
一方、πが3.14となる範囲を含む非ユークリッド空間は理論的に実現可能だろうが
数学屋に聞きたいところだ。
残念ながら時速4㎞で歩くのを想像させるのは意外と難しい。
常に一定の速度で歩くのはおかしいとか言い出す子供はたくさんいる。
実際の世界には真理など存在しないし認識もできない。それどころか人間には実際の世界を正しく認識することすらできない。
問題文にない条件を持ち出すことが正しいなんて言い出すくらいなら実際の世界を想定しないほうがマシだ。
そのとおりだ。
書いてあるので汲み取る必要はないというか汲み取ってはいけない。これは国語の問題じゃないんだ。
そうだ、科学に対する姿勢の問題だ。何が正しいかを知っているかではなく、
目の前にある条件から矛盾しない答えを導き出すことこそが科学的な姿勢だ。
私は、どんな世界であれ押し付ける傲慢さをあなたに感じている。
もちろん私も世界を正しく認識できていないがそれを人に押し付けるようなことはしていないつもりだ。
違う。与えた条件と異なる条件を持ち出すと間違った答えになるからだ。
「円周率は3.14と条件を指定したな?あれは嘘だ」と言い出したら
私は今、「洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる」
と言ったプラトンの気持ちを痛感している(Wikipediaの引用であり国家の文面そのままではない)。
真理というものがあるとしよう。だがそれをあなたが認識しているものと私が認識しているものは違う。
真理の手掛かりとなる影を認識し集め、お互いの認識を形にし、共有する(モデル化)。そして、この共有したモデルについて話をするんだ。
だから「数学の定義では円周率はπだから私が正しい」というのは成立しない。
これはあくまで数学上のπの定義を共有しているモデル、つまり数学での話であり、
円周率がπではないモデルを共有しているときは円周率がπではない前提で話をすることになる。
例えばここに一見正しい条件がある。
・平面上の平行線は交わらない
実際に昔はこれで十分だった。
「平行線が交わりしかも矛盾しないモデルも作れるんじゃないか?」と工夫したことにより
非ユークリッド幾何学が生まれた。
そして、
・平面上の平行線は交わらない
という条件は
という条件に洗練された。真理に一歩近づいたんだ。
だが、きっと、これでもまだ真理そのものではないだろう。
だがその真理に向けて認識を表明し共有しそれを基に議論することで近づいていくことが大事だとプラトンは説いたんだ。
だからこれには、「今はそんな話をしているんじゃない」としか言いようがない。
今は「円周率が3.14としたときに計算結果はどうなるか」という話をしているんだ。
彼は悔しかっただろう。私もとても悔しい。
我々ちょい古いソフト屋はオブジェクト指向の本質を伝えることに失敗した。
認識を形にすることだということを伝えられなかった。
初めて使うので読みにくいだろうことを申し訳なく思う。
モデル化だからいいとかダメとかよく分からないな。だって「円」ってのがそもそも一種のモデルに思えるから。
算数や数学で学ぶべきポイントの一つに、現実を超えた抽象的概念のみを扱えるようになる、というものがあるのではなかろうか。
現実の世界には、「~個」と数える対象が存在しない純粋な「1」とか、線の太さや歪みを一切持たない純粋な「円」は存在しない。でも算数ではそれを扱う。
ここが上手くいかないと、分数の割り算あたりで「分数で割るって(現実の物事になぞらえると)どういうこと???」とついていけなくなるんだと思う。
この難関を超える方法の一環として、「仮定する」という問題文を数こなして慣れていっている面もあるんじゃないか。
もちろん、その方法でうまく理解できない子のために、別なアプローチを考えることは意味があると思う。
かくいう私も、分数の割り算は何とか乗り越えたが、図形の証明問題などで「定理」という概念がなかなか理解できなかった。
算数で習う範囲だと、「平行線は交わらない」というのは証明する必要がない真理のように扱われてたが、何でそれは証明しなくてもいいの?と。
本当に絶対交わらないかどうか、誰がどうやって確かめたの?と。
今から思えば、それはそういう世界という仮定の下にすべてを行え、という意味だったんだな。
円周率3.14の仮定とこれ、何が違う? 少なくとも私には差が分からない。
教育現場の先生がそこまで考えて教えてるかどうかはまた別、というか、関係ない我々だからこそこんな決着つかない議論できるんだろうな。
えーっと自分は、「元の問題は不備があるのでどう答えれば正解か」って話は意味ないという立場。「π=3.14を定義と考える」と考えることが妥当かどうかって点だけについて議論してる。
ちなみに算数の問題としては「4桁目で四捨五入して答えましょう」とつけておけば何の問題もないだろう、って立場。
そんで、言いたいこととはずれるんだけど「問題作成者は恣意的に矛盾のある前提を後付けできるが、回答者はそれを受け入れなければならない」というのは、勉強をすんごくつまらなくしてると思うんだよねー。そういう運用がされてるところが多いってことは知ってるけど。
俺38サラリーマン 嫁32主婦 結婚6年目 子供4歳と1歳。
離婚になるかもしらん。
離婚したいかといえば、したくない。でも現状がつらいからそうなったらそうなったでもいいかと思ってる。
直接のきっかけはSNSで俺が嫁への愚痴を書いていたのが、実はばれてたこと。
一回目は三か月前。
で、今回、まだ見てるかな、まぁいいやと愚痴書いたら、やっぱり爆発した。
根本原因は、なんだろう、すれ違いかな。
嫁はあれこれしてほしい、それを察して自発的にやってほしい。
家事育児などやってるけど、どれもトロくさい(言われたまま)。
トロくさいとか言われても、専業主婦より家事の手際が悪いのは仕方ないだろ。
と平行線。実際、俺の家事手際悪いのはあるし、子供と遊びに行って
子供が転んで怪我したり、目を離したすきに見失ったことはあるので、
確かに嫁からしたら心細いかもしれん。そこは確かに俺が悪い。
反省して直す。
細心の注意払ってるからのろくなるところもあるし、
それも指示もなく、常識で考えればわかるでしょ、前も言ったでしょ
さえやめてもらえれば、もっとできると思うが。
まぁ愚痴だわな。
子供はかわいいし、嫁も愛してるし(夜の生活はもう半年以上ないけど)。
できれば離婚したくないけど、妻の言うようにすべてを察せなんて無理だし
そのたびにキれられるのもつらい。
言ってもらえれば、出来る限りやるのに。
嫁がインフルのときも、会社休んで、半休とって頑張ったじゃないか。
同窓会のときだって子供の世話はできたし、出かけたいなら言えば子供の面倒みるって。
家事だって、こうせよといえと。説明されてないルールだらけの家庭で、そのたびキれられてつらい。
もう離婚でもいいか、もう、って感じ。はぁ。
これ読んで思ったんですけどね。
この人の同僚が「俺だって鬱病言って家でぬくぬくしたいわっ」と言った時、俺がその場にいたら拍手してただろうな。
この人に突撃してアカウント凍結に追い込んだ「自称心の優しい病人(笑)」の奴らはマジで糞だわ。
あれって身動き取れないぐらいガチの病人と、ただ甘えて怠けてるだけの自己憐憫野郎が混在しているから、平行線のままだと思うんだよね。
まぁ論争なんて大体そんなもんだけどさ。
そして、「何も悪いことはしてないのに鬱になってしまった人」には配慮してあげるべきだし、じっくり休んで治療してほしいと思う。
きちんと歩道を歩いていたのに交通事故に遭って半身不随になったようなもんだ。
気の毒だわ。
ただ、単なる怠けとか不摂生がこじれて鬱になった奴には同情しない。
というか、かなり見下している。
こいつらは馬鹿以下だろ。
俺が勤めている職場にも鬱病の奴がいるんだよ(同じ職場といっても別会社だし、職種も違うが)。
一緒に仕事をしていると、こいつがクビになってきた理由がよくわかる。
まず、ロクに返事をしない。
こちらが用件を伝えているのにちっちゃい声で「ふぁん」って言うんだぜ?
なんだよ「ふぁん」って。
それ返事なの?何語?それともオリジナル擬音?もしかして「はい」のつもり?
施設警備の仕事なんて、こういっちゃ悪いけど「受付と巡回と点検と報告」ぐらいのもんなんだよ。
誰でもできる。
木下の仕事ぶりは、ま~びっくりするぐらいミスが多いし、ミスした後も言い訳してごまかすんだよ。
と言ってる小学生と変わらんわ。
救いようがないことに、木下は自分じゃ何にもできないくせに、他人に対して態度が横柄なんだよ。
「アイツら仕事おせーっすよねwww使えねーなぁwww」
と言って俺に同意を求めてきたり。
お偉いさんが来た時は、さりげなく後ろに回ってカンチョーポーズしたり。
落し物を受け取りに来た人に
「アンタ、ぼーっとしてるから物落とすんだよ。気をつけなよ」
と偉そうに注意したり。
と誰も意見求めていないのに地域差別しはじめたり(ちなみにその場には名古屋出身の人がいた、木下は気がついてなかったようだが)。
年上と喋ってるとき基本的にタメ語混じりだし、どうしようもねぇわ。
木下のミスを俺達がフォロー(別会社なのに・・・)した時なんか、特に最悪だったな。
普通は「私のせいで仕事を増やしてしまい、申し訳ありません」とか言うじゃん?
「みなさん、働き者ですねぇ(しみじみ)」
だとよ。
こちとらお前の尻拭いしてやってんだよ、このボケが!
で、そんな出来事が積もり積もって、木下の上司である警備隊長がとうとうブチ切れた。
隊長のほうが三才も年下だから、普段はある程度加減した説教してるんだけど、その時ばかりはマジで殺す勢いで怒ってたな。
勤務態度も人格もそれまでの生き方も将来も何もかも否定していた。
まぁそりゃそうだ、糞の役にも立たないどころか、他会社の俺たちにまで迷惑かけてんだから、徹底的に怒らないと示しがつかない。
さすがのアホ木下もこたえたらしく、下を向き、両拳を握り、真っ赤な顔をして、小刻みにプルプル震えていた。
そして一言こう漏らしたんだ。
「俺、うつ病なんですよ」
衝撃の告白の後、木下は隊長に反論した。奴の言い分はこんな感じ。(⇒は俺の心の中の反論)
『木下の主張1』
自分は基本的な業務と言葉遣いはできているからそこまで怒られる筋合いは無い。
⇒実際はできていない。
『木下の主張2』
某警備会社は残業月100時間超えが当たり前のブラック企業だから、こきつかわれて寝不足でフラフラしている。だからミスするのは仕方ない。
⇒たしかに某社は糞ブラックだが、お前は残業時間が無い研修中の時からミスしてただろ。態度が横柄なのは残業関係ないし。他の社員はこなせているんだから木下だけできないのはおかしい。そもそも防犯の仕事でミスは許されない。能力的に無理なら辞めるしかない。誰もこいつに続けてほしいと思ってないし、辞表を出せば代わりの人間が派遣されるからすぐにやめられる。
『木下の主張3』
鬱病になったのは違法レベルの残業と、隊長のパワハラのせいだ。あと高血圧も会社のせいだ。
⇒その会社を選んだのはお前自身だし、注意されてるのもお前が無能だからだろ。そもそも周りの人間がどれだけお前に耐えているのかわかってんのか?なんで被害者面してんだ?残業が嫌ならとっととやめろ。そもそも警備の仕事は精神病の人間がやっちゃいけないという法律あるだろ。そして木下の血管よ、破裂しろ!
少しでも注意すると、自殺をほのめかしたり、これ見よがしに精神安定剤を飲むからだ。
ミスをカバーし続ける隊長は、それこそ鬱になるぐらい疲れを溜め込んでいった。
それからしばらく日々は過ぎ、奴のそんな態度を見るに見かねた俺は
「木下さん、お仕事辛いんでしたら、うちの会社に転職されたらどうですか?うちの会社は残業もありませんし、いくつか資格を取れば入社は容易ですよ」
と木下に言った。
隊長も「よくぞ言ってくれた」という顔で俺を見た。
俺はマッドマックス怒りのデスロードのあのシーンのように、隊長に親指を立てた。
ところが木下は
「いや、俺は鬱だし、資格勉強とかできないんすよ。今、欝で記憶力が低下してるから学習障害だし。そもそも鬱だから何かやろうという気にならないんすよ。転職どころか会社やめるのも無理。ホントにしんどいんすよ、まぁ健常者にはわからないでしょうけど、ふぁん」
と言ったのだ。
は?
「鬱だから何もできないけど、ゲームやったりアニメ見たりすることはできる」、こんなこと言ってる自称鬱の甘ったれはネットにも掃いて捨てるほどいるよな。
奴が言うには、鬱で飯を作るのも面倒だからチキンラーメンとかジャンクフードしか食べる気がしないのだという。
おいおい、インスタント食品はどう考えても体と脳に悪いだろ。
インスタント食品みたいに手軽に食える健康食品だってあるだろ。
なんでそういうの食わないでチキンラーメンなの?
例え俺が日清の社員だったとしても、お前にチキンラーメン食われたら腹立つわ、ボケ!
というわけでもうお気づきでしょうが、木下は「鬱」を免罪符にしているだけなんですよ。
無能な自分を正当化するために「鬱」を振りかざしているんです。
奴にとって鬱とは水戸黄門の印籠なのです。
木下の頭の中の木下像は、「心が優しくて繊細、限界ギリギリまでがんばる真面目で責任感が強い人間」なのでしょう。
実際はただの「せんとくん」だけどな。
まぁ奴から見た他の人間は「鬱を甘えだと思ってる偏見厨」といった感じですか。
「うつは甘えではなく、病気なんだ。感受性豊かな心の優しい人間がかかる病気なんだ!」
とか言って元気にレスバトルしてるわけだ。
ちゃんとした人間だったら、もし自分が窮地に立たされた場合、最低限の努力をすると思うんです。
仕事でミスをしたら素直に謝って次から同じミスをしないようにするし、他人から信頼されてなければ態度を改めて誠意を見せるし、仕事がきつすぎたり向いてないと思ったら病気になる前に辞めるようにするし、転職したいと思ったら資格勉強したり職業訓練受けたりするし、血圧とか尿に異常が出たら食事に気をつけたりする。
俺だって糞みたいな能力しかもってないが、そういう最低限の努力ぐらいはするよ。
そういった努力をなんもせず、人のせいにして甘ったれて生きてきた奴が鬱病になり、今度は鬱を理由に甘え始めるわけです。
そんなにかわいそうだと思われたいのか?
馬鹿丸出しだな!
えーと、長々と書いてしまいましたが、冒頭に戻りまして。
おそらく、会社を休んだ人は木下みたいな奴だったんじゃないかな。
あーそうそう、木下の近況ですが、あいつ最近ますます鬱が悪化したようで、青ざめた顔でいつもうつむいてますよ。
もう言い訳する気力もないみたい。
まぁそろそろアレするんでしょうね。ハハハ。
あの日も、東京に雪が降る、そんな予報が流れていた日だった。当時俺はとある芸事の女師匠に弟子として使えていた。稽古場兼住居に住み込みをし、師匠の身の回りから何から何まで
を管理していた。師匠には妹がおり、その妹さんと資産相続の件で揉めていたのだ。師匠の親はもう80を超える年齢で、とある上場企業の創業一族。都心の一等地に屋敷を構えていたらしく、
その屋敷と土地の分け方で姉妹がうまく行っていないというのが専らの噂であった。十数年前の寒い日だった。ニュースでは翌日から関東にも雪が降り、交通の便が乱れるだろう、そんなことを
夕方、突然師匠の妹さんが訪ねてきた。俺はお茶を準備し応接間にお持ちしたが、二人の険悪な様子は鈍感な俺にも伺い知れた。後から分かったことではあるが、妹さんは親の屋敷に住み、父の介護をしながら、
その屋敷で地域の子供相手にピアノ教室を開いていた。しかしながら、師匠はその屋敷を取り壊し、大きなマンションにすることに固執していた。勿論それは相続税上、賢い策ではあったため、
妹さんは決して反対ではなかったのだが、せめてピアノ教室のスペースをマンション内に設けてほしいと依頼していたらしい。しかし、師匠はそのお願いを断り、妹をマンション計画から追い出そうとして
いたのだった。
話し合いは平行線に終わり、妹さんは去った。師匠は俺を呼び、「清次郎(仮名)、塩をまいときなさい」と命令した。私はしょうがなく、玄関に塩を撒いたのだった。師匠のそういう部分がとても嫌いだったで、
イライラして沢山の塩を、えいっとまるで水戸泉の真似をしながら撒いた事は覚えている。
さて、翌日俺はいつも通り朝6時に起き、箒を持って、近所の掃除に向かおうとした。近所付き合いも兼ね毎日行っていた習慣だった。引き戸の玄関を開けて俺は気を失いかけた。何と師匠が玄関に
倒れていたのだ。顔に生気はなく、口から血が出ている。俺は気が動転しながらも、師匠を抱きかかえた。身体は冷たくなっていて、呼びかけにも殆ど反応が無かった。すぐに救急車を呼び、俺は近所の知り合いに
助けを求めに一旦外へ出ようとした瞬間、つるっと滑ってしりもちをついた。全く師匠と同じ場所で。雪の予報は外れ、雨が降った程度だったが、冷え込みは激しかった。扉を開けた一面がまるで
アイスリンクの様になってしまっていた。痛めた腰を摩りながらよく見ると、凍っていたのは昨日俺が師匠に言われ塩を撒いた一部分だけであった。そこだけが、まるでそこが死の世界に繋がる入り口のように、黒く艶やかに光っていた。
救急車の中で師匠に呼びかけながらも、俺の手のひらに出てくる脂汗が師匠の容体からではなく、自分が撒いた塩に関しての生体反応であることは気づいていた。師匠はその後入院をしたが、脳内出血をおこしており、
意識が戻ることはなく、数週間後にこの世を旅経つこととなった。
さて、そこから意外な事になる。俺は、そもそも、師匠の冗談で師匠と養子縁組をしていたのだ。師匠には子供はなく、まだ50代であった事もありそれほど深い考えがあって俺を養子にしたとは思えない。
しかしながら、すでに師匠はその土地の一部を生前贈与していたらしく、その土地の相続する権利が俺に発生していまい、師匠の一族(といっても殆ど死去しており、また、子も少ない一族であったので数人)、
と話し合いをすることになった。俺は勿論その相続が単なる冗談の様なものであったことは理解していたので、放棄する手もあったのだが、妹さんと話していくうちに、何故かこの人を守りたいという気持ちになり、
一部の権利は確保することとなり、マンションの建築計画に参画をすることになった。
少ない知識ではあったが、マンションを建てることで相続税も最小限に抑えることができ、勿論そのマンションの一部をピアノ教室にして、更には何とその妹と、お互い50代ではあったが慎ましく結婚をした。
一族も皆無欲な人々で、株券だとか、車だとかそういうものは皆で分けたが、土地の権利は我々夫婦で全てをもつこととなったのだった。
ピアノ教室はその素晴らしい立地もあり、多くの高所得者層のご子息が多く通う教室となり、経営は成功した。優秀な講師をどんどん雇い入れ、レベルがある程度高い割には、
牧歌的な雰囲気もあったことが成功の秘訣であった。また、数年後にはそのノウハウを生かしフランチャイズ展開も行った。今では全国に20か所の同じようなピアノ教室を運営し、
我々は経営の一線からは退いたが、妻は相変わらず子供たちにピアノを教え、俺は趣味でかつての芸事をやったり、日本全国の登山をしたりと悠々自適な晩年を送らせてもらっている。
しかし、こんな寒い日になると、俺はあの日、手にもった塩の感覚が蘇り、汗がじとっと出て一人布団で震えているのだ。人間の運命とはかくも不確かで、不安定なものである。それは、ただの偶然の積み重ねだったのだろうか、
それとも、神が定めた運命だったのだろうか。いや、きっと人間一人の人生など、大きな宇宙のうねりの中ではまるで人間にとって小さな蚊が叩いた手からすり抜けていくか、はたまた潰されてその一生を終えるのかの如くであろう。
>エスカレータの存在意義に「到達地への所要時間の軽減」は含まれていない。
エスカレータを設置する場合、設置費用や点検費用や電力など多大なコストが発生するのは論ずるに値しないが
弱者への配慮のためと肉体的労力の軽減のためなら階段とエレベーターだけの利用で十分なはずです
なぜエスカレータが駅やデパートなどのような施設で採用されやすいのか考えたことはありますか?
あなたの考える存在意義は今教えてもらったのでそれは分かりました、
けれどもあなたがなぜそう考えるに至ったかは何一つ教えてくれてはいない
私はエスカレータの存在意義について状況に対する必要性として説明したし、
存在意義に逆行するような調整がされた結果として現状の問題が浮上してきているという説明もしましたし、
日本以外のエスカレータを採用している国では同様の問題が起こっていない理由の説明も同時にしました
ところがあなたは存在意義の1つを否定をしているにも関わらず、その否定の根拠と
についてはどういった解釈をするつもりなのかの説明もありません
ずっと積み重ねられている価値観として、表現は普遍的であるべきと言うのがありそうなんだけれど、それに与していない私とは平行線だよね。
本来、結果論で語るべきところに、「チョイスすべきではないワードではある」とか言い出しちゃうでしょ?
「私は対象ではない」という所から、「対象顧客は少ない」に繋がって、「こんな言葉使うのは間違っている」となるんだよね?
「ネットスラングが使われる是非」みたいな大元の問いに対して、「ニャル子さんレベルは許される」と返ってくるのも趣深くって、何を話してたんだっけ?とか思えてきます。
星新一さんみたいな表現もあっていいし、星新一さんのように、常に古くならないように修正を繰り返し普遍性も目指すと言う価値観もあっていいが、そうでない物はNGとかちょっと理解できないんですけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20151213203240
ただ権利闘争のように既存の権益者とそうでない者が権利のとりあいをするという利益VSの利益というときには、両方で尖った主張ができる人がいないと結局話が平行線になって終わりになることが多い。
これは分かる。でも、それは立場が対等な時だよね。フェミニズムは運動の成果として、内閣府男女共同参画局といった行政機構を手に入れている。
行政という観点では『ある特定の団体の利益を最大化する』って危険だよね?
誤解を招く言い方かもしれないが、暴力ではなく話し合いで解決をするのなら最初からあっちの利益もこっちの利益もと全部に公平になるような意見を全員が持っていてはいけないと思う。
このクズが。結果的に女性の利益の方が、女性の幸福の方が優先される社会ができあがりますよね。
これ書いた者だけど、どうも話を(意図的に?)取り違えて解釈している人が多いようなので一応追記。
私は「フェミは女性の権利主張をするための存在である」と言いたいだけで、「男の権利なんていらねーだろ」と言っているわけではない。
例えば
といったことをフェミ的意見の反論にするのは間違っているということを言いたいだけ。
おそらくヒステリックにオトコガーオトコガーという人ばかりが目立つのでフェミ=頭のおかしい感情論しか言わない人という先入観があって、それが“フェミニスト=男を守らない女=クズ”という図式ができて変な男VS女みたいな構図を作っているんだろうとは思う。
話を最初に戻すと、女性の権利について声高に主張をするところまでがフェミニストとしての仕事であって、そこで仮に同じフィールドで損をしている男性がいたときにそこまで守ってもらえると思うのは甘ったれもいいとこということ。
男性でも差別をされていると感じるのであれば、それをフェミニストの主張のせいにするのではなくきちんと闘うべき相手を見つけてそこに保護を依頼するべき。
「バックラッシュ」の話はなるほどと思う。
ただ権利闘争のように既存の権益者とそうでない者が権利のとりあいをするという利益VSの利益というときには、両方で尖った主張ができる人がいないと結局話が平行線になって終わりになることが多い。
誤解を招く言い方かもしれないが、暴力ではなく話し合いで解決をするのなら最初からあっちの利益もこっちの利益もと全部に公平になるような意見を全員が持っていてはいけないと思う。
親や教師から、
「相手によって態度を変えるような人間になってはいけない」
と教育を受けた人は多いのではないか。
自分にとって利益をもたらす相手には媚びへつらい、自分にとって役に立たず、害も与えない無害な人間を邪険に扱うような人間は、多くの人にとって不愉快だ。時間が経つにつれ、そのような人間の周りからはまともな人間がいなくなり、人生がつらくなる。たしかに、このような利益の如何で態度や行動を変えるような人間になってはいけない。
しかし、ここで多くの人が勘違いをしている。上記のバカな人間が間違っているのは、自己中心的な視点で態度を変えていたからだ。「相手によって態度を変えること」自体が間違っているわけではないと思う。
私の年上の知人だが、彼は、社会人となった子どもとうまくいっていない。子供が、過去に親から受けた仕打ちを決して許さず、話し合いをしても平行線をたどるばかりだという。
彼は、経営者としてとても優秀な人間だ。得意先の情報を、様々な手段を用いて彼は収集する。手段は別に違法な方法やストーキング的な方法ではなく、あくまで正攻法だ。得意先との何気ない会話や、購入履歴、得意先の知人やさらにその知人への何気ない質問、報道、ニュースなどなど、手に入れる方法は無数にある。その上で、お得意先である顧客が口に出さない潜在的な欲求について、常に考え抜き、要望を先回りして叶えようと動く。
贈り物も欠かさない。何か機会を見つけては、様々なものをプレゼントとしてお得意先に立ち寄った時に渡す。こうした努力を欠かさないお陰で、顧客からの信用は抜群だ。
ところが、彼はそれを子供にも、やる。
子供のすべてを把握していないと気が済まない。だから、子供が虐められていたことを隠していて、それがバレた時に、彼は激高して子供を殴りつけた。子供が自分を信頼していないことが許せなかったのだろう。
そして、子供の意思を確認せずに、
「子供が喜ぶだろうと思われるもの」
を子供に次々に用意してやる。
これが子供には、きつい。もらえるものは確かに嬉しい。カネのある親が選んだものだから、たしかに質もいい。
だが、子供はたとえ質の悪いものでも「自分で」選びたいのだ。
ところがそれが知人には納得出来ない。
「子供の頃から質の高いものに囲まれていなければいけない」
というのが知人の持論だからだ(たしかにそういう考えは価値観を育てるという点で一面の真実なのだろうが)。
こうした行動の積み重ねの結果、子供は親から常に支配されているという圧迫感を感じながら育つはめになった。社会人となって感情が爆発、親の言うことを一切聞かない、という事態に陥っているのだ。
上記の知人の例は一例だ。仕事上の態度をそのまま家族に適用して、家庭が壊れてしまう、という例を、いくつも見てきた。
分け隔てなく教え子に接する素晴らしい教師が、自分の子供にも同じように接してわが子を鬱病に追いやったり、
論理的な態度で定評のある弁護士が、我が子にも常に論理的であることを求めた結果、子供が家に寄り付かなくなり家庭が崩壊したり、
腰の低いことで有名な人物が、子供にも同じような態度で接したために、子供に舐められて子供の非行を止められなかったり。
相手によって態度や行動を変えなければ、一番大切な家庭を維持できないとしたならば、
「相手によって態度や行動を変えない」
という原則が間違っているのだろう。
自己中心的な態度の変化という、間違った選択をすることが問題なのであり、相手によって態度を変えることがわるいことではない。
だから、
「彼は相手によって、態度を変えない。立派な奴だ」
という評価をすることを改めねばなるまい。評価をするとしたら、
「彼は自分に利益のない相手にも優しく接している。立派な人間だ」
と、こう評価をしなければならない。
相手によって態度を変えないことを立派だと考える価値観を心の何処かにもったままでいると、その人が子育てに関わるとき、一番気安く接する子供に、仕事上の態度と同じ態度で接してしまう。それは家庭を壊すもとなので、注意をして欲しい。
彼女は今、某接客業で働いているが、過労で精神的に参っているみたいで、見ていて辛くなる。
大学を卒業してからがむしゃらに働き、人生でやりたい仕事は何かを求め、何度も転職をしていた。
聞いた限りでは、今までの職場での評価は、まあ良い方だと本人は言っているし、
出会いが前職の職場だったので、仕事がデキる側の人間だったということは分かっている。
彼女が転職し、その接客業に就いた理由は、人生で本当にやりたい仕事はこれだと思ったからと言っていた。
しかしその業界は彼女は未経験で、年齢も年齢だからやっていけるかは難しいと俺も彼女も分かってはいたが、
俺としても止める理由が未経験でとかそういうのしかなかったし、俺より歳上で俺より仕事ができると
周りに評価されている彼女の進路をどうこうできる立場じゃなかった。
そして転職して、蓋を開けるとその接客業は超が付くほどの激務だった。
正社員なのでフルタイム。みなし残業。月の残業時間は平均70時間。
始業までの準備や清掃の為に早めに出勤しないといけない事も多く、
さらにはシフト制で平日休みになっているが、お客が平日打ち合わせがしたいと言うと、
半ば強制的に出勤になる。お客にはシフトで休みなんですとは言わないという方針らしい。
給与はそこら辺の派遣PGぐらい。もう一度書くが、残業代がない。
俺は彼女自身の心配半分、会社に対しての怒り半分で、何度も彼女とケンカした。
彼女の転職先の実態が明らかになっている頃は同棲していたが、俺が先に帰っていて、諸々の家事をして、
彼女の帰りを待つ生活を送っていた。俺は土日休みなので、お互いが合わない休みの日に洗濯や掃除をしていた。
俺は遅く帰ってきた彼女に、心配なのとその会社に対しての嫌味を言うのでケンカになる。
辞めろと言った事もあるが、私がどれだけこの仕事に就きたかったか真剣に取り組んでいるのかを聞かされるばかり。
この業界は忙しいし、充実しているからという彼女の意見と俺の価値観は平行線のままだった。
俺も友人にこの事を相談したが、忙しいのはともかくちゃんと働く彼女を応援してあげるべきと逆に説教されて、
今では改めてケンカごしのような仕事の事はとやかく言わないようにしている
だが、最近になって、彼女のストレスが態度に出るようになった。
仕事ミスばかりで上手くいってない。上司と折り合いが付かない。
同時期に中途採用になった、二十代の子たちの若い勢いについて行けない。
その勢いの良さを上司が評価するから、自分は職場で浮いている。という愚痴が増えた。
そして彼女が、職場に馴染めない。ミスが目立つ。けど仕事にはやりがいがあるという悩みを何度も言うようになった。
仕事のできる彼女がここまで弱音を吐くのは相当ストレスを溜め込んでるというのは明白なんだけど、
俺は何ができるのだろうか。俺は彼女はどうすればいいのだろうか。