2015-12-11

相手によって態度を変えることは悪いこと、ではない


親や教師から
相手によって態度を変えるような人間になってはいけない」
教育を受けた人は多いのではないか


自分にとって利益をもたらす相手には媚びへつらい、自分にとって役に立たず、害も与えない無害な人間を邪険に扱うような人間は、多くの人にとって不愉快だ。時間が経つにつれ、そのような人間の周りからはまともな人間がいなくなり、人生がつらくなる。たしかに、このような利益の如何で態度や行動を変えるような人間になってはいけない。


しかし、ここで多くの人が勘違いをしている。上記のバカ人間が間違っているのは、自己中心的視点で態度を変えていたからだ。「相手によって態度を変えること」自体が間違っているわけではないと思う。


壊れた関係


私の年上の知人だが、彼は、社会人となった子どもとうまくいっていない。子供が、過去に親から受けた仕打ちを決して許さず、話し合いをしても平行線をたどるばかりだという。


彼は、経営者としてとても優秀な人間だ。得意先の情報を、様々な手段を用いて彼は収集する。手段別に違法方法ストーキング的な方法ではなく、あくま正攻法だ。得意先との何気ない会話や、購入履歴、得意先の知人やさらにその知人への何気ない質問報道ニュースなどなど、手に入れる方法は無数にある。その上で、お得意先である顧客が口に出さな潜在的な欲求について、常に考え抜き、要望を先回りして叶えようと動く。


贈り物も欠かさない。何か機会を見つけては、様々なものプレゼントとしてお得意先に立ち寄った時に渡す。こうした努力を欠かさないお陰で、顧客からの信用は抜群だ。


子供には逃げ場がない


ところが、彼はそれを子供にも、やる。


子供のすべてを把握していないと気が済まない。だから子供が虐められていたことを隠していて、それがバレた時に、彼は激高して子供を殴りつけた。子供自分を信頼していないことが許せなかったのだろう。


そして、子供意思確認せずに、
子供が喜ぶだろうと思われるもの
子供に次々に用意してやる。


これが子供には、きつい。もらえるものは確かに嬉しい。カネのある親が選んだものから、たしかに質もいい。
だが、子供はたとえ質の悪いものでも「自分で」選びたいのだ。
ところがそれが知人には納得出来ない。
子供の頃から質の高いものに囲まれていなければいけない」
というのが知人の持論だからだ(たしかにそういう考えは価値観を育てるという点で一面の真実なのだろうが)。


こうした行動の積み重ねの結果、子供は親から常に支配されているという圧迫感を感じながら育つはめになった。社会人となって感情が爆発、親の言うことを一切聞かない、という事態に陥っているのだ。


客への態度と家族への態度は切り替えねばならない


上記の知人の例は一例だ。仕事上の態度をそのまま家族適用して、家庭が壊れてしまう、という例を、いくつも見てきた。

分け隔てなく教え子に接する素晴らしい教師が、自分の子供にも同じように接してわが子を鬱病に追いやったり、
論理的な態度で定評のある弁護士が、我が子にも常に論理的であることを求めた結果、子供が家に寄り付かなくなり家庭が崩壊したり、
腰の低いことで有名な人物が、子供にも同じような態度で接したために、子供に舐められて子供非行を止められなかったり。


相手によって態度や行動を変えなければ、一番大切な家庭を維持できないとしたならば、
相手によって態度や行動を変えない」
という原則が間違っているのだろう。


相手によって態度を変えない」こと自体を尊ぶな


自己中心的な態度の変化という、間違った選択をすることが問題なのであり、相手によって態度を変えることがわるいことではない。
から
「彼は相手によって、態度を変えない。立派な奴だ」
という評価をすることを改めねばなるまい。評価をするとしたら、
「彼は自分利益のない相手にも優しく接している。立派な人間だ」
と、こう評価をしなければならない。


相手によって態度を変えないことを立派だと考える価値観を心の何処かにもったままでいると、その人が子育てに関わるとき、一番気安く接する子供に、仕事上の態度と同じ態度で接してしまう。それは家庭を壊すもとなので、注意をして欲しい。

  • 「お世辞の一つも言えない人間はクソ」「人を喜ばせるための小さな嘘は良い事」 等と教える家庭もあるのでそういう育ちの人と家庭を築けばバランス取れるんじゃないの

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