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はてなキーワード: 就職とは

2024-08-02

友達借金を断ったら切られた

先月初め、大学時代友達から久しぶりにLINEが来てね。

まぁ、金貸してくれと言われたんですよ。

色々生活が苦しいだの仕事がどうのと書かれていたけど

俺もどっちかと言うと、というか普通に貧乏寄りだから貸せる金なんて無い。

からごめんと言って断った。

で、断ったとは言えちょっと心配で、久しぶりに飲みに行かんかと誘いのLINEを打ったんだ。

そしたら、ごめんの方には一瞬で既読着いたのに、飲みの誘いには未だに既読付かないの笑

あれから1ヶ月弱たったけどそのまま。

これはブロックされたんだろうな。

まあ仕方ないんだけど、寂しい。

学生ときそいつとは結構仲良かったつもりなんだよね。

就職物理距離が離れたから年に数回も会わなくなったが、それでも年始休みなんかは大学の連中と合わせて飲みに行ってた。

コロナの頃から会ってなかったが、まさか久しぶりの連絡がカネクレで、断ったら即ブロックで縁切りなんてことになるとは思わなかったよ。

借金の頼みは知り合いの中で一番どうでも良いヤツから当たっていく、という話を聞いたことがあるんだけど、あいからすると俺がそういうヤツだったんだろうな。笑

まだ40手前なのに、こんな目に遭うとは思わなかった。

anond:20240802120538

白人黒人を騙っても人種差別を受けないだろうけど、トランス女性女性として暮らしてたら性差別を受けるし性被害も受けるし暴力ターゲットにもなる。シス女性より被害率も高い。就職も困難になる。話がまったく違う。そもそも日常的に黒塗りで生きる白人なんて聞いたこともない。

anond:20240802021644

改めて状況を書かれると、

こんな奴と一緒に仕事したくねえー!ってなるな

この場合会社がそういう働き方を認めてるから

そんな会社就職したくねえ!が正解か

anond:20240801173312

恋人ほど強いものじゃないけど、

似たような支配搾取毒親持ちの友人がいて、

その親は愛玩子である弟を優遇し、友人本人は搾取子。かなり縛られた生活をしている。

進路や就職(大学学費が安くて自宅から徒歩もしくは自転車で通学できるところ、就職年収○万円以上で自宅から自動車または徒歩で通勤できるところで正社員絶対条件)

メイク服装(メイク染髪、親の指定する髪型以外は禁止。服の形、色柄や素材も全て指定)

門限及び食べ物風呂(親が指定する冷凍食品缶詰食品を、親が指定する時間しか食べられない。その調理も親。入浴時刻と入浴時間もすべて親が決めている)

スマホスケジュール(通信量は毎月500gbまで、通話家族間(無料)以外禁止。送迎など、家族の予定を最優先にするなど)

等々生きる上で必要な全てにおいて制限されている。

その上、弟(愛玩子)から暴力も受けていたよ。弟は大学進学のタイミング上京し、そのまま就職したらしいけど。

そんな状況で育ち、当たり前だが精神を病んでた。精神科にかかって親の異常性に気づいたタイミングで友人として家を出るように言ったりルームシェア提案した。一時期は前向きに検討してたよ。

でも、結局なんの行動にも至ってないよ。「親が死ぬまで耐える」んだとさ。「弟が地元を離れたから、私が介護もしなきゃね」って言ってた。

親って偉大だと思うよ、よい意味でも悪い意味でも。

まれときから、少なくとも18年は洗脳して刷り込むから子供本能とか思想心理レベルで裏切れなくなってる。

逃げられた人の手記とか読んでも、やっぱり逃げた事実に苛まれたりする瞬間があるんだと。

しか暴力ネグレクトかいう、はっきり分かりやす虐待じゃないから「育ててもらった」という意識も強い。「少なくとも養育はしてもらえた。私はまだマシ」って思っちゃうらしい。

女の子だと特に、親を切るのが難しいのかもしれん。

2024-08-01

クソ話

たまに思い出してものすごく申し訳なくなることがあって、今それが来ている。(今回はADHDのAさんの話を読んだのがきっかけ)

学年でものすごく浮いていた子がいた。

ADHDのAさんみたいな子だった。まじでそのもの

ゆっくり実況のモノマネをするAさんと同様に、その子は常に変わった言動をする。だから最初面白がって近づく人もいるけど、徐々に嫌われていく。

周りの状況含めその子はあのダイアリーに書かれていたAさんそのままみたいな感じだった。

そして私はそのAさん(仮)と仲が良かった。

Aさんは話をきいてくれたり、褒めてくれたり、手を振り返してくれた人に異常なまでに懐く。

そして、一度懐けばクラス替えがあっても朝一番相手クラスに行き、相手の席の真横に立って永遠と話し続けるのだ。

多分、Aさんにとって学年で一番仲がいい人物は私だったと思う。

でも特別なことは何もしてなくて、ただAさんの話を聞いたり、Aさんが見せてくれる創作物を褒めたり(Aさんはアニメが大好きでキャラの絵を描くのが趣味)、「朝ごはん食べた?」とか「今日髪の毛きれいだね」とか当たり障りのないことを言っていた。

それが高校2年〜3年生まで続く。

もちろん、毎日相手をしていたわけではない。あまり懐かれすぎてしまうと(この言い方もどうかと思うが)、色々と困ることが増えるから適度な距離をとっていた。

でもAさんは、私が友達と喋ってるとすごい勢いでどこからともなく現れて乱入して自分語り説教をする。そして勉強してるときもお構い無しにやってくるし、永遠と話続けるし、LINEも長文で毎日何件も何件も来る。

そんな感じだったか大学受験勉強が本格化し始める時期になると、他の人からAさんと縁を切るよう勧められる回数が爆増した。

友達は「受験とかもあるのに、あんなのにストーカーされるとあなたの身がもたないよ」とか心配して言ってくれる。

当時の私はかなりカスなアホだったので「受験」って言葉をきいて妙に納得してしまい、「それもそっか!勉強に集中できないのは嫌だし、みんな困ってるし、縁切ろ^^」とか思うようになった。本当に最低でバカ

それからすぐにLINEブロックしたし、Aさんが手を振っても見ないふりしたし、話しかけられても友達と走ってどっかに逃げた。

2ヶ月くらい経ったときAさんは泣きながら音楽先生相談していた。私は個別音楽先生に呼ばれ、何があったの?と質問されたが、適当に答えてそのまま終わった。

(Aさんは持ち前の粘着性と虚言癖のせいで教師から距離を置かれていた。だから非常勤の優しい女の先生けが話し相手だった)

そして色々あったがAさんとはめでたく距離ができて、何事もなく受験を迎え、無事私は浪人を決めて卒業した。

普通なら、別に親しくなかった人についても友達を経由して卒業後の近況や噂は耳に入ってくるのだが、Aさんの行方だけは誰も知らない

生きてるのか死んでるのかも誰も知らない。そのままAさんは私の記憶から無くなった。

数年が経って私は就職について考えるようになった。そして色々な場所で私は

「誰もがその人らしい生き方ができるようサポートしたい」

しんどい思いをしてる人に寄り添いたい」

とか考えてたし言ってた。

そんなときLINEブロックリスト何気なく開いたらAさんを見つけた。

当時は自分のことを聖人だと思っていたので、Aさんを見捨てた事実が蘇り、冷水をかけられたような強くビンタされたような衝撃があった。そんですごい自己嫌悪になった。アホカス

すぐブロック解除したけど、私がAさんを悲しませた事実は変わらないし、トーク履歴は消えてるし、そんな奴が今さら「久しぶり!元気?」とか送れるわけがない。

Aさんが私のことを思い出して連絡してくれたらすぐ返信するし、遊びに誘いたい。とか都合よく考えたりしてるけど、もちろんそんなことは無い。

Aさん今なにしてるのかな。

ちゃんご飯食べてるかな。変な男に依存してないかな。友だちいるかな。安心して話せる相手がいるといいな。アニメ見てんのかな。いまもあのキャラ好きなのかな。とか思いながら、アイコンとかステメに変化がないかたまにLINE検索している。

はいまも「人に寄り添う」とか「誰にでも手を差し伸べたい」とか相変わらず思ってるし、なるべくそうなるように努力しているけど、「でもお前、自分の都合でAさんのこと見捨てたじゃん」っていうのがすごく重くのしかかってくる。


これ一生背負うんだろうな。

2024-07-31

anond:20240731234007

お、オデ、あたまわるいからよくわからないけど…

ほんにんや親のひとは、すごく心配してるんだろうな。でも、どんな進路を選ぶにしても、その子にとって一番いい選択を見つけるのが大事だね。

しか支援学校は、就職に向けたサポートが充実してることがおおいよ。けど、「障害」とか「普通」とかのラベルにこだわりすぎないほうがいいのかなって思うよ。

通信制学校だって習い事とかで得意なことをのばせる子もいるから、いろんな選択肢を考えるのがいいかもしれない。ほんにんが好きなこと、得意なことをのばしていける環境を見つけられたらいいね

まあ、人生ってなにがあるかわからいから、そのラベルにこだわらずに、できるだけ生きやすい道を見つけるのが大事だと思うな。応援してるよ。

公立支援級に通ってる中学3年生と話す機会があった

全日高校偏差値30台)に行くか支援学校高等部に行くか迷っているとのことで、

支援学校就職に強いよ! 実習も充実してるし卒業後大きな会社バリバリ働いてる人も多いよ!」

と言っておいた

実際のところ、軽度知的障害知的ボーダー中学3年生って進路にすごく悩むんだろうな(本人も親も)

傍目から見れば、将来の就職福祉のレールへの乗りやすさを考えると支援学校ベターなんじゃないかと思うんだけど、「障害者」になるというか「みんな」や「普通から外れることへの覚悟は大変だと思うし

あるいは通信制高校に籍をおきつつ、サポート校習い事などで得意なことを伸ばすという選択肢がある子もいるかもしれない

これは本人の特性に左右される部分だから何とも言えないけど

まあ一つ言えるのは、人間いつ「障害」を負って「普通から外れるか分からないんだから、そういうラベルにこだわりすぎずに本人が一番生きやすくなりそうな進路を選ぶのが一番だよなってことかねぇ

anond:20240730204549

つぶれかけてる第三セクター鉄道就職したらそのシフトだぞ。

なおすき間の時間は休憩時間なので無給。

拘束時間が凄いけどな。

anond:20240731005958

イケメンではないと自覚して過ごしてきたし就職するまでずっと彼女かいなかったけど唯一面食い自称する妻にだけモテたのでわからない

しょうもない人間が頑張って就職しても

勤務先はしょうもない

頑張って婚活しても

結婚相手しょうもない

こんなんだったらニートのままで良かったですね

あーあ。

anond:20240730234211

※続き

 オーナー店長ドン引きした。だが、当店は新装開店以来(それよりずっと前からだが)重度の人手不足だったので、就職が決まったら辞める気満々のAさんを追い出すという選択オーナーにはなかった。Aさんは大丈夫だと胸を張って言った。

規定通り、1ヶ月前には辞めるって言いますので、安心してください!」

 当たり前体操~♪

 ということがあってから何だかんだ1ヶ月半くらいAさんは当店にいただろうか。Aさんは当店に勤めていた数年間に試験さえ受ければ取れる資格を取れるだけ取っていたのだが、中でもお気に入り資格活用出来る仕事に就くことに拘っていた。

 その資格はどちらかといえば女性の取得者が多い。子育てが一段落した女性が、割りのいいパートをする為に取りがちな資格だ。一方男性がその職に就く場合正社員としてだし、大学で専門的な勉強をし、もっと上位の資格を持っている場合が多く、つまりその人は優秀である

 だから高卒職歴もほぼバイトしかないAさんが資格を生かしてパートアルバイトではなく正社員になるというのは難しそうだったのだが、数社受けて落ちたあとで妥協の最低ライン上の企業採用された。その時は適性検査ありのまま自分表現しなかったらしい。

 二週間ほど前に、ちょうど〆日の日にAさんはバイトを辞めた。誰も引き留めはしなかった。それはそうだ。いくら今の時代は売り手市場はいっても、三十路の男がいつまでもフリーターを続けていれば後が無いのだから、じゃあねー! もう帰ってくんなよ~w とバイバイするのが情けというもの

 Aさんのことが話題に上るたび、私どもバイト仲間達は「どうなんでしょうね~」と口々に言うものの、その後が続かない。

 店長までもが、

「どう思うよ、増田さん?」

 と言う。

 どうって、心配している風に私達は言うけど、本心からAさんを心配なんか誰がするだろうか。

 Aさんは、辞める前に散々イキり倒していった。新しい仕事も俺は長く続けるつもりはないんですよなんて言って。そんな思うほど上手くいくかよと思っている。人生がそんなヌルゲーだったら、私達だって今頃ここにはいないだろう。

 っていうか、Aさんには散々振り回されたから、一度外の世界に出て痛い目見て来いよと内心思っている。偉そうにしてた奴の鼻っ柱が折れるところを我々は見たい。それ以外に望むことってあるだろうか?

 と思うから

「ゆって、所詮他人人生ですよ」

 店長の問いに私はぴしゃんと答えた。この話はこれでもうお仕舞い。

2024-07-30

コンビニバイト日記

 長らく一緒に働いたバイト仲間のAさんがついに辞めた。某企業中途採用就職出来たというまっとうな理由での退職だったのだが、そうなる前が色々まっとうじゃなかったので、当店のオーナー店長、そして私ども従業達にとっては、「はぁー(クソデカ溜め息)」という事案だったのだ。

 当店は、この春にオーナー交替による新装オープンをした。その際に前オーナーのはからいにより、従業員全員が従前通りの条件で新オーナーのもと再雇用されることになった。勿論、前オーナーの下じゃなければ働きたくないとか、これを機にコンビニを辞めて他で働きたいということで去った人もいる。

 Aさんも当店に残ることを選び、新オーナーとの面談の際は長く働きたいと熱烈にアピールまでした。だが、Aさんは端から辞める気でいて、しかし期限ギリギリまで就活はしなかった。それで、1ヶ月間就活に専念しつつ、収入が途絶えないよう当店で働き続けることにしたのだ。

 ということを、自分の心の中に留めて置けばいいものを、Aさんは自らバイト仲間達に吹聴してまわり、自分がどんなに上手いことやっているかと自慢しまくった。

 かといってバイト仲間達はAさんがそんな事を言ってるだなんて誰もオーナー店長に告げ口はしなかったので、二人は裏切られるギリギリまでその事を知らなかった。

 新装オープンから一ヶ月ほどの間は、多忙だったが悪くない労働の日々が過ぎた。Aさんだけが終始不機嫌で、この世の終わりみたいな顔をしていた。

 Aさんは変な奴で、バイト仲間の私どもはAさんの変人ぶりには慣れていたし、そもそも人生落伍者みたいな者どもの多い職場から、同病相憐れむみたいな感じで上手くやっていた。

 ところが店長がわりかしまともな人間だったことがAさんにだけ禍となってしまった。Aさん以外の私ども従業員達にとっては、店長がわりかしまともな人間だったことは、理不尽に怒られなくていい職場だな~、のびのび働けていいわ~という感じで、前より忙しいものの快適な労働環境になりありがたかった。しかし、Aさんは今まで誰からも言われなかったような事で店長から小言を言われることが大いに不満だったらしい。

 Aさんが店長から言われる小言の類いは、たとえばレジ周りを散らかしながら仕事をするなとか、お客様には見えない所の掃除を堂々とサボるなとかいうことだ。Aさんの視野が極端に狭いとか、人に迷惑をかけても気づかないとか、すごく忘れっぽくてあちこちに物を置き忘れるとかいうことに、長く一緒に働いてきた我々は慣れすぎていた。言って治るもんじゃないし自らが人の事を言えるほどデキた人間じゃないので、まあしょうがないよね、気づかないのは、気づいた人がフォローすればいいでしょ、と暗黙の了解のもと、細々とAさんのやりっ放しや出しっぱなしの片付けをしたり、ちょっとサボりには目を瞑ってきたのだ。

 やたら弁がたち一見しっかりしているAさんがこういう人だと店長は思わなかったらしく、Aさんの仕事が超速いとか度胸があってカスハラに屈しないとかの美点よりも細かい所のダメさのほうが気になってしまい、一々を注意して直させようとした。

 店長パワハラしない主義で話せば解るはずと信じていて、従業員に何か頼んだり注意したりと丁寧に関わろうとする。ところがAさんは相手にブチギレられて初めて悪さをする手を止めるタイプで、しか自分は何かやっただろうか? と疑う前に「何かこいつ今日は機嫌が悪いみたいだな」と思いがちだ。更に酷いことに悪い意味で「話せば解る」というか、「話せば許してもらえる」と素で思っていた。

 そんな彼らが衝突するとどうなるのかというと、店長ちょっとここは直して欲しいなとAさんに指摘すると、Aさんは超長大言い訳怒濤の如くに浴びせて店長が口を挟む隙を与えない。ほんの小さな事を直して欲しかっただけなのにすごい時間を取られ、しかもやってくれるのかくれないかよくわからないがやるつもりはないっぽいらしいという曖昧な感じの話を延々聞かされるので、店長イライラしやがて爆発する。

 店長パワハラする気はないがすごく気が強い上に短気なので、はっきりしない相手には普通にキレる。するとAさんはキレてる奴=ダメ、冷静な人=いい人、という価値観なので、正しい自分がしっかりしててあげないとと思ってより解りやすく諭すように自分の言い分を述べようとして火に油ぐ。

 というわけで、まもなく店長はAさんの事を「使えるけどヤベェ奴」と思うようになり、Aさんは辞めたみを強めていった。

 だが、辞めたいというわりにAさんの就活は捗らなかった。Aさんはジョブホッパーになりたくて、まだ就職が決まらないうちから「次」の仕事の糧になるような踏み台を求め、転職エージェントからおすすめされた企業を値踏みし、ろくな会社がないといって選り好みした。

 私どもバイト仲間達がAさんの就活所詮口だけだったんだなと思った事すら忘れかけた頃になって、Aさんはとある企業に応募したら書類審査が通ってトントン拍子で最終面接を受けるところまで行った。

 二次面接で手応えを感じたAさんはオーナーに1ヶ月後に入社予定なので辞めると伝えた。その時初めて、Aさんはオーナーに対して自分コンビニ店員で終わるつもりはないと打ち明けた。

 ところで、Aさんが採用の手応えを感じたのはどこなのかというと、二次面接の後に抜き打ちで受けさせられた適性検査だった。

 Aさんは適性検査を受ける時、「いい機会だから自分という人間の全てをわかってもらおうと思って」ありのままに回答した。その結果、某企業の求める人材イメージ像とありのままのAさんが完全に一致した、というわけではなかった。

 サイコ野郎ありのまま自分を適性検査にぶつけたところ、当たり前にとってもサイコパスな結果が出た。それを見た面接官は怒り出した。

「こんなのダメに決まっているだろう。君、今からもう一度テストを受けなさい。そして私の言う通りに問題に答えること」

 ということで、ありのままサイコパスAを余すところなく表現したテスト白紙に戻されて、面接公認カンニングによりAさんは二次面接を無事突破した。

 そこまでして、某企業面接官はAさんを欲しがった。という可能性はなきもあらずだが、それより馬鹿過ぎる子が来ちゃったのを面接官は憐れに思って模範解答を示し、次の機会にはこのようにやりなさいと諭したつもりだった、という可能性が高いですよと私はAさんに言ったのだが。

 Aさんはボサボサの頭で最終面接に行き、たっぷり2週間待たされたあとでご活躍をお祈りされた。

 そんなこととは露知らず、ある日私がレジ接客をしているとAさんが威風堂々たる歩みで来店したから、Aさんはついに就職が決まって当店を辞めるとオーナーに言いに来たのかと思いきや、「大事お話があります」とオーナー店長呼び出しておいて、「採用試験落ちたので、もう少しの間ここで働かせて下さい」と頭を下げた。

ソシャゲ運営をしていた時の思い出 1/2


前の会社を辞めて、今月でちょうど十年になる。いい機会だから振り返ってみたい。若かりし日のことを。

この振り返りの日記が、ソーシャルゲーム業界や、ゲーム開発者への理解を深めるきっかけになれば幸いだ。

大学を出て、新卒で入ったのがその会社(以下D社とする)だった。私が入社した頃がちょうど、D社が経済社会の中で一番ノッてくる時期だった。

出身大学は、準MARCH的な目立たないところである。D社の入社試験を受けてみようと思ったのは、なんとなくだった。

リクルート仕事に全振りしてる人が多そう、旅行業界はインドア自分にはちょっとメーカーは父が苦労していたのを見ている、飲食業界が地獄なのは身に染みて知っている、という具合に就職マップの本を見て絞っていった。そして、残ったのがゲームエンタメIT世界だった。

在学中にD社のサービス体験していて、悪くないなと思っていた。面接試験自然体が大事で、「自分の想いを素直に話して、それで落ちたのだとしたらお互いにwinwin」だと思っていた。

それで、淫キャラである自分が受かるかどうかは不安だったけど、D社とK社のふたつから内定をもらった。自分の魅力をアピールできたと思う。

私は採用パンフレットに載っているキラキラした人ではなかったけど、嬉しかった。一週間ほど悩んで、D社のオファーを受けた。



ソーシャルゲームを開発する部署への配属だった。開発といっても、実際のプログラミングといった手を動かす仕事委託先がやってくれる。主には企画開発がメインだった。

ソーシャルゲーム、という言葉はまだ一般的じゃなかった。言われ始めた頃だったかな。いろんな会社DeNA(怪盗ロワイヤル)に続けと、雨後の筍のように湧いていた。

新入社員の頃は、どうだったかな? 研修はあまりなかったと思う。今だったら半年はやりそうだ。ベンチャー企業らしく、良くも悪くも飾らないシンプル研修だった。

配属当初も、ゲーム開発をがっつりやるわけではない。座学だったり、職場や協力会社見学だった。会議や打合せの端っこに混ぜてもらって、「増田さん、とりあえず意見を笑」みたいに振られることもあった。できるだけ率直に思ったことを言っていた。レベルは低かったと思う。

デバッグはよくやった。専用の画面でゲームをするのだが、開発段階なので不具合が多数ある。すると、エンジニアの人がババッとコードが入った画面を開いて、適宜修正検討する。当然私にはできなかった。今ならコードを読むことはできる。

Q&Aの仕事もやらされた。今でいうCS部門(カスタマーサポート)である。「やらされた」というと受け身だけど、本来はほかの部署仕事だった。社内アルバイトのようなものベンチャーなので、そのあたりの垣根は低い。

文章を作る力は、わりかし評価されていた。中学生高校生と思しき人が、よくわからない問い合わせメールを送ってくることがあったけど、粘り強く取り組んで、一件一件解決していった。速度は遅かったけど……チームリーダーに褒めてもらえた。

意外な学びもあった。実際のCSのやり取りで中学生かな? と思っていたら、40代ほどのおじさんおばさんだったりすることがよくあった。ゲームアカウント名は、どう考えても子どもが名付けそうな名前(卍侍候extreme卍 みたいな...「はべらいそうろう」が読めなかった笑)だったけど、自分世界が狭くて気付かなかった。こういう体験は今でも大事にしてる。

社会一年目は、ひたすら下働きをして学びを深めていった。年度の最後の方では、担当ゲームひとつ持たせてもらえた。開発チームの末端だったけど嬉しかった。



二年目は……といっても、二年目で当日記(に書く内容)は終わりだ。一言いっておきたい。

すごく、キツイ記憶を思い出そうとしている。二年目の終わり頃は、朝によく吐いていたし、会社に行きたくなかったし、おそらく消費者庁に提出する反省文の原案を作らないといけなかったし、ほかのチームメンバーも死にそうな顔だったし、毎日とんでもない量の苦情の電話メールがあって辛かった。

電車通勤してたんだけど、夜に電車ホームに入ってくるのを見ると、「飛び込んでみようかな」と思ったりした。体が勝手に飛び込んでくれたらなぁ、とも思った。

その年の4月時点で、所属チームが開発していたのは地味なゲームだった。

ほかの同業他社が出してるソシャゲは、日の目が当たるキャラ性の主体がメインでゲーム世界を形作っていた(海賊とかドラゴンとか)。対してこちらは、ドリルで地面に穴を掘り続けるゲームだった。それで宝を集める。圧倒的地味。しかし奥深いゲームで、かくいう自分もどハマリしていた。

私の仕事ルーティンが多かった。ゲームシステムの保守である一般社会でいうと、道路管理するための特殊車両がウインウインウイン……と低速で走っていて、アスファルト舗装の亀裂を見つけてると思う。ああいう地味な仕事だ。

みんなが楽しくゲームできるように、バグが生じていないか点検したり、ユーザーから質問に答えたりする。

その穴掘りゲームだけど、突如終了がきまった。うちの会社がイケイケ(死語)になり始めた時期であり、収益性の低い穴掘りゲームは終了のようだった。老舗タイトルだったからか、名前だけは残された。

私は、ガワだけを変えたそのソシャゲカードゲーム(以下、『幣タイトル』とする。今のゲームに例えると、「グランブルーファンタジー」や「Fate/Grand Order」をもっとシンプルにした感じ~)のチームへと異動になった。

多忙な日々だった。アクティブユーザー数は前のゲーム10倍近かった。最終的には20倍ほどになる。

穴掘りゲームと比べたら射幸性が高い。みんなよくガチャを回してくれたし、ダンジョンも進んでくれたし、回復アイテムを買ってくれたし、協力プレイで敵モンスターを叩くのにも意欲的だった。

ゲームを楽しんでいる感が伝わってきた。業務量はものすごかったけど、あの頃は楽しかった。社会の役に立っている実感があった。ただ若かっただけかもしれないけど。

秋に入っても、幣タイトルの人気はうなぎのぼりだった。既存の人気ゲームを追い越して、世間に知られるゲームになっていた。自分リリースからちょっとの間だけどプレイしていた。醍醐味は協力プレイだ。電車の中でできる気軽さがいい。

ただ、お金がかかるのが難点だった。そのゲームには、特定カードを【ガチャによって】○枚集めると強力なキャラクターカードが手に入る仕組みになっていた。しかし、○枚の中にはすぐに手に入るものもあれば、そうでないものもある。

ちょっとだけ確率の話をする。例えば、10%の確率で手に入るコンプ対象カードが5枚あったとする。最初の1枚目のカードの入手確率50%だけど、最後の1枚になってからを考えると10%になる。実際には、一番難しいカード群の排出率は2~3%だった。プレイヤーは厳しい戦いを強いられる。

電子上のガチャというのは、コンビニくじ引きとは違って箱の中味が無限だ。この場合ちょっと前提が変わってくる。箱の中に100枚のくじ(当たり×1)がある場合だと、100回引くまでに必ず当たりが出る。でも、プログラム上のガチャだと、1回以上当たりを引ける確率は約63%だ。

※箱のくじと違って当たりを2つ以上引ける可能性もある。電子上のガチャハイリスクハイリターンということだ。なお、コンプガチャだと当たりを2つ引いても意味はない。強力カードを手に入れるためのフラグなので。

実際のコンプガチャでは、一番難しい入手率2~3%のカードを引けた時には、ほかのカードも揃っている可能性が高いためだろうか~~期待値は約10~15万円ほどで推移していた。

コンプガチャというのは、「影響力の武器」などの名著に書いてあるコミットメントという心理的手法になる。とにかく、まず最初にやってもらうということだ。

この仕組みを考えたのが誰かは知らない。「自分が考えました」と主張する人間が、当時の開発チームのリーダーや、他部署の先輩・上司役員クラスまで含めて、少なくとも5名はいた。誰が最初の考案者かは本当にわからない。

あの頃は、「うちの会社は儲かってる。CMもこんなにやってる。やった、すごい!!」。それくらいしか思ってなかった。今では思う。当時の自分達がやっていたのは、暗号資産投資本質は一緒だった。

まり、純然たる賭博(ギャンブル)であるものを別の何かで覆い隠している。ビットコイン場合は『未来技術』であり、幣タイトル場合は『ソーシャルカードゲーム』になる。

会社飲み会は、いつも大騒ぎだった。自分達は新興ゲーム業界リーディングカンパニーであり、このまま規模を拡大して、伝統的なゲームメーカーとも肩を並べて、いずれは任天堂を追い越して……といった未来を、和風洋風エスニック、いろんなお店がある都内エリア飲み屋で深夜まで語り明かしていた。

__________________

文字数が入りきらないので一旦切ります

残りは推敲して明日の同じくらいの時間投稿

同じくらいの文字数です。

後半

https://anond.hatelabo.jp/20240731192822

文化圏の違う者同士の結婚

医者キャバ嬢結婚、外銀エリートアイドル結婚のように、いわゆる「住む世界が違う」結婚がある。

一方が一方に完全に合わせますっていう関係性ならまだしも、力バランスが対等の場合色々と軋轢が生じるんじゃないかと思う。

うちの嫁は田舎育ちで勉強しすぎるとひねくれるという謎の固定観念があり、子供勉強させることを良しとしない。

東大京大性格ひん曲がっていて地方の国公立高卒公務員就職が一番いいと信じてる。

しか強制的勉強させてでもいい大学に!とまでは思わんけど、学問に興味が湧くような経験環境を作ってあげたいとは思ってる。

それに対して嫁は資格に繋がる以外の勉強なんて意味ないじゃんという考え方。

この点で真っ向から嫁と反りが合わない。家族同士レベルで反りが合わない。

文化圏が違う者同士が結婚した人たちはこの辺の折り合いをどうつけてるんだろうか。

anond:20240730101336

自分自分のことを書いてるのだろうけど、

どうにもならないレベルならちゃんとクビになるから多分被害妄想ですね

ガチでどうにもならないレベルなら障がい者雇用で働いたら? 

上記のいずれにも該当しない人はフツーに一般就労してます

(500万を超える求人一般の方が難易度低いことが多いため)

 

あと下記も再放送しておくね

お仕事って人によって段階が違うから本当に噛み合わないよなこの話

いちばん最初の段階、いろいろ怖くて働くことができない・採用されないって人は、

 

そこをクリアした次の段階からは、

  • 就職はできたけど転職できないとか言ってるヤツを見ると、『まともに仕事してなきゃそりゃそうなるよ』って思う
  • 朝夜勉強しないと仕事についていけない・転職することもできないってヤツは、根本的にその仕事向いてないから辞めた方がいいぞ★← ここ

 

さらにそこをクリアした次の段階からは、

国内でも食えるぞ

 

ただ殆どが500万未満で、700・800万とかのクラス求人だと、

一般雇用で入った方がたぶん楽ですね

前も書いたけど、べつに障がい者雇用でも募集時に提示している額で年収800万以上とかあるし、

手帳持ったまま一般雇用でも働けるし、自分に合った仕事を選べば良いだけだぞ

 

健常者よりもむしろ選択の幅が広がるから医者に健常者と判定されている自称弱者障害判定されるまでドクターショッピングすると言うことが起きているのやで

ちゃんと下々の会社ベンチャーで働けば誰でも(元増田でも)上司になれるぞ

ワイはクソ雑魚ナメクジのクソオタクで、DQNではないけど、かなりのあたおか+手帳持ちだからコレはマジで言葉通りの意味やで。よかったな

難しいのは新卒プロパーとして勤務歴積んでないのに大企業部課長になることだゾ

 

あと増田ITフリーランスで在宅やっているとアレ?これ人雇えるのでは?(名推理)ってなるので、社長になれるやで。よかったな

微小妄想に余念がない嘘吐きIT土方でもやったら?そもそも時間どういう設定で増田を書いてるの?

トラバが消えてツリーが切れたので繋げておきますね(anond:20240730094138)

嘘吐き自殺した方がマシなんたら〜
嘘吐き:まともに働くのは自己陶酔

 

自己肯定感の低いやつはSESやったらいいと思う

こいつ生きてる価値ある?って疑いたくなるレベル無能が平然と生きてるから俺なんかまだマシだって思える

https://anond.hatelabo.jp/20240705134714#

 ↓

吹き出ししまったwいろんな人間おるよなw

 

けどまぁ、どこで働いて居ようとも、自分自身能力で余力のある場所いるから強いだけで、

そうじゃないところへ行ったら自分ポンコツ側の人間になると思うので、他人には優しくね?

 

そういう気分にはなれねぇなぁ・・・なら、とりあえず金稼ぐと良い、死ぬほどどうでも良くなる

やはり金・・・!!金は全てを解決する・・・!!

 ↓

多分経験してるのがSES比較自分が出来る方だからそれ思うだけで、色んな職場で他の人達も同じことを思ってるよ

 ↓

ワイはSES所属したことないけど、IT土方やってるとトンデモないポンコツと遭遇するんよ

フィジカルワークがメインの人は驚くんじゃねーかな

 

例えば、清掃業務なのに掃除をしないことが許されているみたいな

質とか速度じゃないからな。掃除のものをしねーのよ。なぜかは知らん

あと、生まれつきお勉強が不得意とかでもない、むしろ高学歴

でも英語エラー文に答え書いてあるよを送りつけてきたりする(英語スルー出来る学歴ではない)

 

でも、そういう人たちのおかげで飯喰えてるので、敬意を持って接しなければならん

あと、自分自身能力で余力のある場所いるから強いだけで、

そうじゃないところへ行ったら自分ポンコツ側の人間になると思うので、

他人には優しくしないとなのだ

 ↓

天才プログラマー

 ↓

たぶん、増田の想定しているポンコツが、ポンコツではなくただの不器用な人なのだと思う

これは実際に見たことあるやつじゃないとわからない感覚だと思うなぁ

 

でもまぁ、すべての人は尊重されるべき存在だし、ポンコツにも生活があることを忘れずに、接しましょうって思ってるよ

気軽にクビに〜とかネットで言ってるヤツとか見るけどね。つか、業務を依頼したり、雇用した時点で、責任は伴うもんでしょうよ

自分がどのポジションにあっても、すべての人に敬意と思いやりを持って接するべき、何が出来るかに関係なくね

 

どういう設定で今時間増田やってるん?

anond:20240730094714 anond:20240730094420

 

 

あと下記も再放送しておくね

お仕事って人によって段階が違うから本当に噛み合わないよなこの話

いちばん最初の段階、いろいろ怖くて働くことができない・採用されないって人は、

 

そこをクリアした次の段階からは、

  • 就職はできたけど転職できないとか言ってるヤツを見ると、『まともに仕事してなきゃそりゃそうなるよ』って思う
  • 朝夜勉強しないと仕事についていけない・転職することもできないってヤツは、根本的にその仕事向いてないから辞めた方がいいぞ★← ここ

 

さらにそこをクリアした次の段階からは、

国内でも食えるぞ

 

ただ殆どが500万未満で、700・800万とかのクラス求人だと、

一般雇用で入った方がたぶん楽ですね

前も書いたけど、べつに障がい者雇用でも募集時に提示している額で年収800万以上とかあるし、

手帳持ったまま一般雇用でも働けるし、自分に合った仕事を選べば良いだけだぞ

 

健常者よりもむしろ選択の幅が広がるから医者に健常者と判定されている自称弱者障害判定されるまでドクターショッピングすると言うことが起きているのやで

ちゃんと下々の会社ベンチャーで働けば誰でも(元増田でも)上司になれるぞ

ワイはクソ雑魚ナメクジのクソオタクで、DQNではないけど、かなりのあたおか+手帳持ちだからコレはマジで言葉通りの意味やで。よかったな

難しいのは新卒プロパーとして勤務歴積んでないのに大企業部課長になることだゾ

 

あと増田ITフリーランスで在宅やっているとアレ?これ人雇えるのでは?(名推理)ってなるので、社長になれるやで。よかったな

2024-07-29

A型事業所で働いてるが嫌いな人が就職して辞めてくれて嬉しい

A型事業所で働いてるが、話題のAさんや少し前に流行ったBさんレベルの人はなかなかいない

どころか、健常者と遜色ないコミュ力の持ち主が大半だ

数人ほど、障害あるっぽいなと感じる人はいるが、その人たちにしても話題のAさんほど酷くない

そして、コミュ力の塊のような人から就職して辞めていく

コミュ力の塊で皆に好かれていた人が辞めてから、お喋りタイムはお通夜タイムとなった

ところで、A型事業所にくるのも納得の明らかな発達障害の人がいた

AさんとBさんの枠はもう埋まってるので仮にCさんとしておこう

Cさんとは何度も雑談した。最初は話が合うと思っていた。

だがCさんは仕事普通にできたものの、壊滅的に空気が読めず、何度も何度も脈絡なく同じ話をし、会話の途中で意味不明な口を挟み、話題のAさんを弱くした感じのように無駄正義感で場を白けさせ、小さなことで独特のイントネーション大袈裟にお礼やお詫びを言い(いいことだと思われるかもしれないが正直鬱陶しかった)、かと思えばお礼を言って欲しい時に限って言わず、態度がやけにオドオドうじうじしており、顔や体型からして陰キャオーラ全開であった。

これはもう、明らかに学生時代から周りから嫌われて疎まれてきたんだろうなと思わせた。他害するわけではないから本人も辛いし周りもいじめだとみなされやすいやつ。

私は段々とCさんが苦手になった。顔を見るのも、声を聞くのも生理的に無理な状態に。加害されたわけでもないのに、自分だって人のこと言えないのに、Cさんを嫌う自分も嫌だった。Cさんには妙な嗜虐心が引き起こされた。関わりたくない。関わったらCさんを傷つけるかもしれない。Cさんと顔を合わせないためにも早く就職しなきゃ。

Cさんとは幸い仕事の都合上あまり一緒ではなくなった。空気の読めなさに直面することもなくなった。たまに挨拶を交わす(いつも向こうから)だけとなった。

何が嫌って、私がCさんを嫌う理由の大半が同族嫌悪だということだ。顔も性格陰キャなのも空気が読めないのもお礼のタイミングおかしいのも昔から周りに嫌われるのも発達障害なのも、私だ。ともすれば私はCさん以下かもしれない。そんなことを考えてまた鬱になった。

そんなとき、Cさんが就職して辞めた。

私は大いに喜んだ。よかった!これで私はもう神経をすり減らさずに済む!私がCさんを傷つけてしま可能性はなくなった!

Cさんは就職できてハッピー、私もハッピー

Cさんに幸あれ

中国就職氷河期が生まれている(就職率が公式5割、体感3割らしい)

WELCOME。まぁ、やっていこうぜ。

[] ある漫画家が「障がい者ネタツイート」をした後、妹が自

ある人気漫画家が「障がい者ネタツイート」をした後、妹が自◯しました。

そのツイートコロナ禍より前に投稿され、自◯はその数年後の出来事です。

4つ歳の離れた妹は「境界知能」でした。

いわゆるグレーゾーン

本当にざっくりではあるのですが、『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』の子たちをイメージして頂けると分かりやすいかと思います

妹は成績面で不安はあれど生活面ではさほど問題がなく、進学も本人の努力と周りのサポートで上手く行き、周りも妹自身もあまり困難を感じていなかったため療育手帳を取得したのは高校卒業後でした。

進路や就職などで彼女自身が困難を感じ始め、医師支援センター等に相談し、今後の人生を考えての判断でした。

取得の際、過去の発達傾向の証明が大変だったり、精神障害者保健福祉手帳の方が良いのでは?と悩んだりなど色々ありましたが、ここでは割愛いたします。

妹は最初、いわゆる「手帳持ち」になることに対して悩んでいました。

バイト先で複雑なことが出来なかったり、会話中に何を話しているかからなかったりなど本人も自覚している部分はあったため、「今後のために必要もの」と自分でも希望しつつも、心がついていかない状態でした。

友達にも変に気を使われたり、また「手帳持ちだ」というだけで心無い言葉を投げてくる者もこの世にはいます

妹の辛さ生きづらさを理解して、私は彼女にしっかり寄り添って行こうと誓いました。

とは言っても何か特別なことをするわけでもなく、妹が心無いことを言われた際には「うわ最悪だったね」と一緒に愚痴を言い合ったり、気分転換に一緒にテーマパークへ行ったり、お店で見つけた美味しいものを一緒に食べたり、そんなふうにとにかく「普通姉妹日常」を大事に過ごしていました。

「寄り添う」というのはそれで十分なことだと思っていたのです。

しかしある日、やまゆり園での障がい者殺傷事件が起きました。

犯人気持ちも分かる」「障がい者には生産性がない」「手帳持ちは寄生虫」などなど、世間に心無い言葉が溢れました。

もちろんほとんどの人が事件をあってはならない悲劇として捉え、そして心無い言葉咎めてくれたかと思います

しかし、酷い言葉というのはとにかく強い。

妹は塞ぎ込みました。急に世間がみんな敵のように思えたとのことです。

また、「自分と◯された人たちは全然うから大丈夫」と差別的に考えてしてしま自分自身にも嫌気が差したようです。

真っ直ぐで優しい子です。本当に。

ところで言い忘れてましたが、妹は私や親の影響で結構オタクでした。

妹は事件からしばらく経った後、当時スタートした女性向けのとあるコンテンツにハマり「推し」を作ることで回復しました。

具体的なコンテンツ名は明記しませんが、女性向けですので見た目と声が良くて個性的な男たちがたくさん登場するやつです。

私も妹と一緒にハマって、CDを購入したりイベントに参加したりと楽しくオタ活をしていました。

世間の心無い声も、夢中になれるものがあれば聞こえてこないぞ!とでも言うかのように、妹はみるみる元気になりました。

妹はAくんが推しで、私はBくんが推しでした。

そしてファンの方々の二次創作品も拝見させて頂いておりました。皆様その節は、素敵な作品ありがとうございました。

二次創作といえば性的ものもあるかと思いますが、障がいがあるからといって妹をそこから遠ざけることはしませんでした。

しろ姉妹オープンにすることで、何か間違いなんかが起こりそうな時に助けになれると思っていましたので。

よくいるオタク腐女子な(便宜上そう書きますが、この言い方も最近は良くないんですよね。ごめんなさい。)姉妹だと思ってください。

そんな感じで、妹は幅広くAくんの魅力的なファンアートを描かれている方々をフォローしており、その中に「ある漫画家」さんもおりました。

ところがある日、その「ある漫画家」さんが、

交通機関内でテンション上がって騒いだCくんが障がい者割引にされちゃった話」

といった感じのネタツイートを、フォロワー多数のツイッター上に放ったのです。

Cくんは、元気で明るいウェイ系のキャラクター。(心の内にはトラウマを抱えている等の裏もありますが、ここでは割愛します)

「その明るさゆえの異様なテンション知的障がい者と間違えられちゃった。面白いねw」という意図投稿のようでした。

バリアフリーの一環である割引制度揶揄するだけでなく、障がい者への偏見助長する投稿だと私は感じました。

もちろん、こういったブラックジョークを言ってしまうことというのは誰でもあり得るとは思いますし、この発言だけで差別主義者だとかは思いません。

実際、その漫画家さんご本人も所属されてる出版社ファンの方々も、その発言をあまり重くは捉えていなかったと思いますし、悲しいけれどそういうものなのだと思います

しかしこれは、妹がやまゆり園の事件で受けた心の傷がまだ癒えていない時。

妹の心の拠り所となっているコンテンツファンコミュニティで。

そして妹が尊敬している漫画家の方から発言

タイミングも状況も何もかもが最悪だったのです。

妹は限界でした。

バイト先での失敗を「◯ちゃんの真似~」と笑われながら真似されたこと。

要領を得ない会話をしてしまったときに、「お前ガ◯ジだなw」と言われたこと。

世間に「手帳持ちは寄生虫」と言われたこと。

自分と◯された人たちは違う」と考えようとしてしまたこと。

そういった辛い記憶が一気に押し寄せました。

楽しく好きな世界で過ごしていても、そんな気持ちに陥ってしまう。

妹は自分存在に耐えられなくなり、「消えたい」と言いました。

そこから私たちは大好きだったコンテンツから離れ、心の防波堤を築くことに注力しました。

一緒にゲームを楽しみました。お家で映画も見ました。これまで通り姉妹で過ごす日常大事しました。

映画館やテーマパークは「障がい者割引」のことを思い出すから(また、コロナ禍もありましたし)断られてしまいましたが、そうでないものは妹も進んで楽しもうとしていました。

嫌な出来事払拭し、自分人生を明るいものにするために。

この世には楽しいことはたくさんあるし、無神経な言葉なんて無視すればいい。

しかしその数年後、その「ある漫画家」さんの作品アニメ化されたのです。

それまでの間も全く視界に入れないことは難しくはあったのですが、映像化による世間への影響力は大きく、また、文字や絵ではなく映像で視界に入った際の精神への影響は大きいものでした。

妹はフラッシュバックを起こしました。

「またあんなことを言われたらどうしよう」「心の内ではみんなに馬鹿にされていたらどうしよう」

「私みたいなのがAくんやコンテンツを好きになったのが良くなかった。」

「昔のことをずっと引き摺っていてごめんなさい。お姉にもオタ活辞めさせてごめんなさい。」

以前のように塞ぎ込みながら、そんなことを言っていました。

コップに熱湯が一気に注がれたような状況でした。

湯が溢れ出るだけでなく、熱でガラス割れしまいそうな緊張感。

不安定な状態で年を越して翌年。

申し込んでいたカウンセリングの予約日がもうすぐだという時に、妹は自○を図りました。

自○の具体的な内容は書くべきではないと思うので割愛します。

発見救急車を呼び、病院で息を引き取りました。

当時は医師看護師の方々へも「救えなかった」という憎しみが向いてしまっていましたが、今思い返すと、まだコロナ禍の真っ最中に皆さん頑張ってくださっていたと思いますありがとうございます

とにかく、このようにして、妹は帰らぬ人となりました。

フラッシュバックより前はまだ、姉妹と友人でゲームだってやってたんですよ。

当時はまだスプラ2。あの子はマニューバー系をよく使っていて、そして上手でした。

『嫌な出来事払拭し、自分人生を明るいものにするために。』

しかしたら、それがダメだったのかもしれません。

嫌な出来事と、ちゃんと向き合うべきだったのかもしれません。

まり私がすべきだったのは、やまゆり園の事件の時、心無い言葉に向けて怒ることだったのかもしれません。

そしてあのツイート投稿された時、「ある漫画家」さんに怒りの声を上げることだったのかもしれません。

五月蝿いお気持ち女と揶揄されても、厄介クレーマーだと嗤われても、その言葉で傷つく人がおり、一生引き摺ってしまものだと声を上げ、妹と、妹のような子が、「え~そんなに怒らなくても~そんな気にしてないし」って逆に引いてしまうくらい、私が怒るべきだったのかもしれません。

いえ多分そうすべきだったんです。妹の嫌いなものが「世界」ではなく、「私」だったら彼女はまだ生きていたかもしれませんので。

温厚でいることで妹を笑顔に出来ると思っていました。

波風を立てないことが幸せでいる秘訣だと思っていました。

今は、ただただ、後悔があります

どうか妹が天国か生まれ変わりか、笑顔幸せでありますようにと無責任に願いながら、こうして今更何にもならない文章を残すことしか私には出来ません。

最後まで読んで頂きありがとうございます

こちらの投稿は「ある漫画家」さんに責任謝罪を求めるものではありません。原因や責任第三者にあるのではなく、きちんと対応出来なかった自分達にあると自覚しております

あ、でもちょっと最後にこれだけ。

すみませんついうっかり少し目にしてしまったのですが、現在その「ある漫画家」さんは作中でマイノリティの悩みを描いたりと、人権派なことをされているそうです。さすがに驚いてしまったので追記します。ブラックジョークを言う芸風を貫いていらっしゃるならまだ腑に落ちるのですが…もちろん誰が何をするのも自由ですし、極端な例ですが「元いじめっ子だったけど今は慈善活動をする良い人になっている」というケースも現実にはありますよね。でもどうしても、多様性とかポリティカルコレクトネスとかを謳う漫画家に不信感が湧いてしまいました。

だって、冒頭でタイトルを出させて頂いた『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』のように、妹のような障がい当事者目線を拾い上げようとしてくれる漫画家さんも、『スキップローファー』のように、災害被害への支援など慈善活動をされている漫画家さんも、『作りたい女と食べたい女』のように、プライドフラッグを掲げてレズビアントランスジェンダー権利を訴える漫画家さんも、『とんがり帽子アトリエ』のように、世界で起こる虐殺差別にNOを言う漫画家さんも、影では「交通機関内でテンション上がって騒いだ人が障がい者割引にされちゃった話」とか平気で言ってる可能性もあるってことですよね。

[]

身も蓋もないような話ですが、就職するのが最大の節約だったりします。

これにはちゃん理由がありまして、仕事している間は基本的お金を使わないからです。

父の言葉

就職ときに、地元に戻って来たほうがいいぞ(戻ってこい、とは言われなった)とあれだけ言われて従ったが、従う必要はなかったのだと今更思う。自分の頭で考えて自分判断して自分の足で歩いていかなきゃいけなかったんだ。40代も半ば。今更どうしようもない。

2024-07-27

anond:20240727204020

氷河期世代というワードはすでに一般化されており、就職難の不遇の時代世代を指す言葉

なのでお前の主張はズレてる

anond:20240726011515

追記してるけど、本当に大学院で学んだとしたら、その割にふわふわしすぎてない?

からこそ、別分野に就職したんだろうけど

何度でも書くけど、そもそも元増田は数量最適化理解できてるか怪しくない?

書いた修論貼らなくても良いけど、テーマくらいなら書けるだろ?

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