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はてなキーワード: 偏狭とは

2018-05-28

anond:20180528115825

生涯未婚率の中に非モテが入ってる以上、非モテも増えてると考えて然るべきだろう

第一非モテにだけ全ての非を押し付けて、何が解決するんだろうな。

そういう上から目線は、暴発する非モテに油注ぐだけだろ。

経済格差は完全自己責任じゃないのに、モテ格差は完全自己責任だと思う方がどうかしてる。

所詮あなた自分利益の源たる自由恋愛に傷1つ付けられたくないだけの偏狭な奴。

2018-05-25

手袋を買いに

人種的偏見は金(資本主義)の力で乗り越えられるって話だよね。

(以下はてなー向けにはてなーが好みそうな付け足し)今の日本だったらこうはならずに狐を偏狭で頭の悪い保守的人間が毒を流す狐だと吊し上げていたことだろう……。

2018-05-07

anond:20180506150253

高専入学に際して息子にPCを与えた父親だが、5年経って振り返るに、やはりPCを買い与えたことは失敗だった気がしている。

オンラインゲームは本当に依存性が強いらしいと気がついたが、後の祭り

学校の成績は当然ぼろぼろ、明け方までゲームをしているか遅刻と欠席が多い。夜中に奇声を上げてゲームに熱中していて近所にも恥ずかしい。

ネットの影響はゲームだけでなく、ツイッターまとめサイトから得る一面的偏狭社会認識したり顔で言いつのる様子にも暗然とさせられる。性的表現がキツいマンガアニメのグッズが散らかっているのもむなしい。

ネットに浸っていると問題を深く考えぬく習慣が身につきにくいのかとも思わされる。

繰り返し本人と話し合い、本人も問題自覚しているようだが、自分では止められないようだ。そのくせ、PCを取り上げるなど物理的に距離を遠ざけることを提案すると、猛烈に怒る。

現状、ネットコンピュータを使うというよりも、それに振り回されているという感じになっていて、正直な話、途方に暮れている。

2018-03-13

アニメアイドルタイムプリパラ」のエスコートが不評な3つの理由

エスコートシステムを快く思っていないのはどんな人たちか?

プリパラおじさん在宅組だ。つまりアーケードをやっておらず、アニメの視聴をしているだけの萌えオタクの男だ。

なぜ彼らは(というか、おれが)ブーブー言ってるのかをこれから説明していく。

理由その1 強者ぞろいの個性的女の子たちはエスコートを望むのか?

おれがまず思ったのは、「あいつら(ゆい、にのみちる、しゅうか)は、みんな強い女だし、エスコートなんかされなくても自力でファララのところに行って、コーデをぶん取れるんじゃねえの?」ということだった。

夢見がちな少女・ゆいはともかく、にのみちる、しゅうかの三人はああいった王子様的な振舞いに憧れていなさそうだから違和感があった。すんなりとエスコートを受け入れて、屈託のない笑顔を見せるようなキャラなのか?と思えてしかたなかった。

それに、いまやディズニープリンセスですら王子様を求めない時代だ。そんな時代に、エスコートごっこなんてやってどうするんだろう。プリパラにはもっと新たな価値観提示してほしかった。

理由その2 男子禁制の世界男の子が入ってきて憤慨

プリパラおじさん在宅組の多くは深夜アニメファンでもある。女の子しか出てこないような萌えアニメに親しんでいるから、男子禁制を貫いてきた「プリパラ」を安心して観ることができた。

ところが、WITHの登場だ。拒否反応をしめす萌えオタクがいるのは当然のことだ。

萌えオタク(というか、おれという人間)は萌えアニメを見ているときはたいへん偏狭になってしまう。おれはかわいい女の子しか見たくないんだ!!恋愛対象になりうる男は去れ!!というふうに。

その偏狭な視聴姿勢が「プリパラ」にも及んでしまうというわけだ(不思議なことに、実写映画とか少年漫画とか小説とかではそういったこはいっさい起こらない)。

萌えオタク理想を叶える解決策は簡単だ。女の子どうしでエスコートをすればいい。ゆい&らぁら、にのシオン、というふうに対応する先輩キャラを配置すればいいだけだ。

「その1」で新たな価値観云々と書いたけれど、女の子どうしのエスコートというのは「アナ雪」的な今っぽい要素(同性どうしの強い絆で危機を乗り越えるというテーマ性)と捉えることもできなくはない。

それに、これまでのプリパラの総決算であるアイドルタイムプリパラ」で、これまでのキャラ活躍を増やすのは今作のコンセプトに合っていると思う。

理由その3 WITHよ、君たちはエスコートをするためにアイドルになったのか?

アイドルという概念によって「プリパラ」はさまざまなタイプ女の子たちを幸せにしてきた。となると、残りは男の子をどうするかだ。このごく当然の発想の結果、男子プリパラ始動した。

ダンプリでもプリパラ同様さまざまなアイドル活躍していると推測される。数いる男の子アイドル象徴としてWITHが視聴者の前にあらわれる。3Dアニメもつくられた。けれど、彼らはそこまでアニメ内で活躍するわけではない。

いちばん活躍エスコートだったのではないか。すくなくとも、おれはWITHといえば、まずエスコートが思い浮かぶくらいエスコートの印象が強い。

WITHはエスコートシステムのために生まれてきた印象すらある。それはどうなんだろう。WITHは女の子幸せのためだけに存在するべきではない。

WITHにはWITHの幸せがあり、物語があり、絆があるはずで、そのために彼らはアイドルになったはずだ。もちろん、エスコートもその一部にはなりうるだろうけれど、主だった幸せにはなりえない。

まり、なにがいいたいかというと、WITHおよびダンプリの描写中途半端だということだ。せっかくダンプリを始動させたんだからダンプリ回がしばらくつづいてもよかったし、おれ個人としては雨宮くんがアイドルになって、みれぃにちょっとだけ見直されるみたいな展開があってほしかった。

2018-02-12

テロリストかどうか知らんが北朝鮮スパイなら普通にいるだろ

ちょっとした破壊工作の手伝い位でもテロリストって言えばテロリストだし.

AMでの暗号放送もやってるし(ブラフ意味も大きいかな).

破壊工作殺人の手配するような人の話はマレーシアでも中国でもそれらしい報道されてたよ.

少し話が飛ぶが中国日本人公安関係逮捕されても日本政府コメントできないんだから

日本だって怪しい任務を持つ人をいろいろな国に入れてると思うよ.

まり北朝鮮テロリストだけじゃなくて,各国にはみんなそれなりのスパイがいるのが通常の状態なのではないか,ということ.

こんな状態でも紛争にならずに済んでいる国際的均衡状態安全保障関係を,もし彼女が言いたかったのなら,昼間のワイドショーでは無理だったのではないかな.

ま,北朝鮮テロリストという語句朝鮮人差別とだけ短絡的に結びつけて考える,偏狭視野言論空間問題な部分もあると思うよ.

2017-10-19

anond:20171019120058

やっぱり「『信念』というデフォルト設定をキャラ絶対遵守しなければならない」という俺ルールに囚われてるだけだったね。

偏狭な読み方を改めてもっと自由漫画を楽しもうよ!

2017-09-02

コミケって、公共じゃないだろw

オタク村社会をつくるのは自由

オタク嫌いの奴らが村社会をつくるのも自由

問題は、オタクと、オタク嫌いな奴らがいっしょに集まる公共空間でしょう?

  

はてな左翼アカがここぞとばかりにオタクバッシングしているけど、コミケって公共空間じゃないからね。

コミケに参加している村民には自治権があるし、その村民がクソだと思うならば村を出ていけばよい。これは当事者同士の問題だろう。

  

表現の自由」とか言っている左翼アカは、頭が悪すぎる。

美濃加茂の「のうりんポスターとか、伊勢志摩のなんとかメグと違って、真木よう子はべつに公共空間から排除されたわけじゃない。

オタク偏狭ぶりを指摘したつもりだろうが、それはぜんぜん皮肉になってないんだけど……。

  

https://anond.hatelabo.jp/20170902092850

2017-08-20

https://anond.hatelabo.jp/20170820191325

オタクリベラルから絶滅戦争仕掛けられた当事者から

ここらで歴史修正しておかないと都合が悪いんだろ

 

建前上リベラルは正しくて寛容なんだから

リベラルが自らの偏狭さに基づいて他者攻撃したなんて事実は「あってはならない」

2017-07-29

https://anond.hatelabo.jp/20170729140236

好きな人に期待しすぎてた場合どうすればいいですか。

自分という人間のクソすぎるほどの偏狭さにも気づいたけど。

2017-07-05

https://anond.hatelabo.jp/20170705132827

最近アニメ面白いって言ってる」ってのは「黒人友達もいる」と同じで、おまえ自身感性の摩耗・偏狭アニメ観の形成に対する言い訳にはならないんだよ。そのまま老い死ね

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

2017-05-09

右傾化の原因を国内で探しても意味がない

安倍首相や現政府の動向、またそれに対する社会の反応を見ても、日本右傾化否定のしようも無いものと言える。20−30年前なら安倍首相稲田大臣の数々の放言は毎回政権をひっくり返してもおかしくなかったようなものだが、今は保守化した社会とそれにともなう高い支持率のおかげでまったく安泰である

こういった日本社会右傾化の原因を探る記事は多々あるが、多くは日本社会構造の変化、国民気質の変化にその原因を探っている。控えめに言っても、的はずれとしか言いようがない。なぜなら右傾化保守化国家主義化・排他化は全世界先進国で並列に同時に起こっているからだ。イギリスのブレクジット、アメリカトランプ、今回当選はかなわなかったがフランスルペンの台頭。その他の国でも国民保守化しており、あきらかに世界的な流れである。その世界的な状況を無視して国内だけの事情説明できたとしても、単に場当たり的な後付理論以外にはなりえない。

それではこれらの国を同時に襲った共通事情とはなにかといえば、2008年以降の経済の停滞であるリーマンショックによる一時的はいえ壊滅的な被害を受けた後、どの先進国も2000年前後のような高成長率に戻ることは叶っていない。一人一人が保守化する原因は多種多様だが、国民全体が一度に保守化するのは大概において経済的な行き詰まりが原因である第二次大戦前にドイツイタリアファシストの台頭を許したのも、本邦が軍国主義化したのも、経済的な苦境という背景が大きな役割を追っている。70年台に不況に入ったアメリカ保守化ジャパン・バッシングを始めとする排他主義に陥ったのは日本人ならば記憶に遠くないところであろう。今回の低成長もそこまでとはいかずとも世界的な保守化引き起こしているのだ。

したがって、先進国がなぜ軒並み保守化しているのか?という問いは、なぜ先進国が低成長に陥っているのかという問に還元されるべきである

そしてこの問への解はシンプルだ。世界の成長余力が新興国に移っているのだ。この十年も世界経済の成長率は極端に落ちたわけではないが、先進国寄与度は明らかに減っている。たとえば、こちらのページに世界成長率への各国の寄与度のグラフが載せられている。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4505.html

これを見れば先進国寄与度が落ち続けており、特にこの10年ほどは先進国全体で中国一国にさえ遅れをとっていることがわかる。

ここまで読んで、「なんだなんだ。なんでも中国のせいだというのか。まるで風が吹けば桶屋が儲かるという類の与太話ではないか。」と呆れられた方もいるかと思うが、中国は単に今もっとも目立っている国ということで出てきただけであり、経済力先進西側諸国から新興国への移動は全世界的な潮流で、たとえ中国をなんらかの理由で止めたとしても全体の方向性が変わるわけではない。例えばインド名目GDPは今のところ約10年前の中国の水準でありしかも成長率は7%前後を維持している。中国の成長が止まれば、インドや他の新興国経済成長の中心となり、旧先進国は常に蚊帳の外である

では今後我々はどうすれば良いのか。どうすれば経済を安定成長に戻し、極端な排他主義さらなる台頭を防ぐことができるのか、というのが次の問になる。

方法はない。

我々は甘んじて低成長を受け入れねばならず、民族主義の広がりを黙って見つめ、あるいは自分もその中に身を投じていくことになる。

この経済力シフトは単に経済グローバル化に伴い隠れていた成長余力が表に出てきているだけであり、経済グローバル化有史以来、いやそれ以前から続いてきた不可逆な流れであり、それを止めるにはローマ帝国崩壊中国王朝崩壊、といった歴史的転換点に近いカタストロフィレベルイベント必要になる。しかもそれさえも流れを一時的に止めるだけであり、しばらく後にはグローバル化はまた進みだす。一国、又は狭い地域グローバル化を無理やり止めれ自由経済主義の国々に遅れをとり、状況はさら悪化する。その中で自分の身を守るためにさらなる排斥主義が広がり、先進国からは寛容性はなくなっていく。

しかしそれは終わりではない。それは、これまでの先進国後進国化し、これまでの発展途上国のなかから次の先進国が生まれる、というだけの話である。その時現ヨーロッパアメリカ日本は、偏狭で旧来の古臭い価値観もつプライドばかり高いが文化的に劣った国々と見られるようになっていることだろう。

2017-05-07

平和を愛する諸国民の公正さにおいて我々(日本人民)は名誉ある地位を得たいと思う

だっけ

憲法前文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府行為によつて再び戦争惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威国民に由来し、その権力国民代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法法令及び詔勅排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互関係支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国無視してはならないのであつて、政治道徳法則は、普遍的ものであり、この法則に従ふことは、自国主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想目的を達成することを誓ふ。

2017-04-06

ギリコ馬脚を現す

https://twitter.com/kobayashigiriko/status/849924596778151936/photo/1

これって「低学歴コンプレックスに触れちゃったーこわーい。みんな気をつけよーね」案件なんだよね。

自分の親をダシにしてるところがまた陰湿というか。

この人のマンガホントに絵柄も展開も気持ち悪くてなんなんだろうと思ってたら、理由マンガに要約されてたわ。

要するに世間知らずで偏狭なくせに、上から目線弱者の味方ぶって偽善者から気持ち悪いのか。

絶賛してるやつらもたぶん目線知的レベルが同じ狭い世間しか生きてない自称被害者なんだろう。

2017-03-17

リベラルが勝てないのは美徳のゆえらしい

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/101989/031500021/

今日見たこの記事みたく、ヒラリートランプ比較典型に、なぜリベラル勢力が支持を得られず、ポリュリストや極右が支持を得ているのかっていう説明にあたって、最近言論ではその理由リベラル勢力が自慢に思っている多様性尊重やら社会正義、洗練された知性みたいな美徳に、ポリュリストや極右が支持を得ている理由を彼らの反知性主義やら田舎臭いアホっぷりや偏狭な頑固さのような悪徳に帰する言論が多い気がする。リベラル勢力は有徳で優れているから負け、ポリュリストや極右は劣悪で悪徳にまみれているか勢力を伸ばしているってことかいな。

何かがひっくり返っている。何かが。

2017-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20170222194057

俺ぁ作品を深掘りする評論は多少コジツケっぽくても面白がれるオタクだよ。

しかし「この作品にはテーマがないか駄作だ!」と言う奴と

「この作品が売れたのは斬新だからだ!」と言う奴は馬鹿にするね。

前者は偏狭なだけだし、後者が言う「斬新さ」はたいてい誤認だからな。

2016-11-08

ブラック企業是正~の増田です

http://anond.hatelabo.jp/20161107104928

コメントの中のある種の意見を見て非常に残念に思っています

偏狭正義感に溺れて、提起している問題無視されているようです。

潰すか潰さないかではなく、どう潰すか、あるいは潰さずどうホワイト化するかという質問/提案しました。

そこまでしっかり考えていく段階に来ているのではないかというメッセージです。

潰せばいいなんて想像力のない人でも言えることです。

ブラック企業問題は一体何かという原点に立ち返って欲しいのですが

それは労働者が不当な苦しみを強いられているということになるのではないでしょうか。

ミクロ視点ですね。

ところが、「ブラック企業を潰せ」と言って思考停止する人たちは

企業を取り締まる労働警察官」「理想を持ったホワイト経営者」みたいなマクロ寄りの立場なんですね。

選挙の話で政局の話を楽しそうにしちゃう人たちみたいな感じです。

そうじゃなくて、ブラック企業労働者たちが苦痛から解放される、優しい目線で考えましょうと言っているつもりです。

大事なのは不幸をなくすことであって、捌いて捨ててフタをすることではないはずです。

最近日本目的が「レッテルを貼り、ゴミ箱にポイする」ことを目的にしてる人が多くて本当に残念に思います

さて、今まで頂いた意見について少々疑問に思う点が合ったので、より議論を進めるために質問させてください。

まず「潰れても仕事は残るから、そこが働き口になる」という意見ですが

現状のキャパを超える仕事量の場合設備投資問題が生じます

業務の内容によるのですが、そうそ簡単お金を出せるわけではありませんので

これが流動性を妨げ、失業者を生み出す要因となるでしょう。

また誰もが再就職アピールできるスキルを持っているわけではないという点も考慮していただきたいと思います

それから基本的に「新しい現場で働くのは嫌だ、つらい」という心の問題もあります

労働者には心があり、誰もが転職を受け入れられるとは限らないのです。

加えて、想定される二次被害としては、「あぶれた仕事の受け皿」になった会社で急にに残業が増え、

広告会社社員のように過労自殺で亡くなる方が出てくることもあるでしょう。


次に、ブラック化は生存競争の(違法だが有効な)戦略であるという点に着目して頂きたい。

生き残ったもの勝利する世界ですので、ブラック懲罰として潰れた会社

ブラック改善してホワイト化した上で潰れた会社より

バレずに生き残ったブラック企業が得をするということになります

ブラック企業を同時に一斉に潰さない限り、生き残った企業が得をすることになるのです。

ホワイト企業が圧倒的である業界なら、ブラック企業順次潰すことに意味はあるかもしれません。

しか飲食業界を見ればわかるように、同じようなビジネスモデルであればどこもブラックになりがちです。

まりブラック企業を一つずつ潰していくことは他のブラック企業に利するだけで、不公平になる可能性があります


「生き残った側のブラック企業も潰せばいいじゃないか」という反論は容易に想定できます

しかし、十分なパイを得て生存競争に打ち勝った企業は「殿様商売」が出来るようになります

当然利益が上がり、ホワイト企業擬態化し、摘発を免れるようになるのです。

生き残ったものが勝者であり、血みどろの戦争を勝ち残った人間が王となり、野蛮人聖者のような顔をするようになるのです。

まあ、これは極端な例ではあります

目についただけのブラック企業を潰すことは他のブラック企業を利するだけだということには留意してください。

以上の二点を踏まえても、マクロ寄りの視点ブラック企業を潰すとしても”計画性”が必要なのです。

これについても考えて頂きたいなと思います

2016-09-23

本当に無関心であり、なるべく彼の手から離れたいと思っています

私は彼の偏狭価値観から逃れて、自由に生きたいと思っています

本来であれば、彼の自傷行為につきあわされる筋合いもありません。

いま膠着状態を打開するために、いろんな人の手を煩わせてしまっている状態です。最悪。

2016-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20160719190247

左側に理想論者が多いな。理想論者だから自分が善、敵対者は悪、という偏狭二元論にすぐ到達してしまう。

右側っていうのは、現実論者なんだ。善と悪で物事を計っていたら何もできない、というところに気づいて、そこから歩き出す。

俺は右側だが、悪呼ばわり大いに結構武力が悪だとはわかっているが、現に他国領海侵犯する国がある現実の中で、使えるのは武力だ。

ただな、左側の夢想意味がないとは言わん。その夢想人類がやがて到達すべき理想郷からだ。

から右側左側、両方がいることに価値があるんだよ。

2016-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20160705150810

自由にしてやれ」って書き方、間違えた。まあ、元増田は実に偏狭だな。一億層評論家典型

2016-07-03

帰ってきたヒトラーBrexitに関するメモ

◆昨日映画の日だったので、「帰ってきたヒトラー」を見てきました。それ見て思ったこととかEU離脱騒動とかのメモ。まとめなんでネタの新鮮さとかはあんまりないですが。

はてなブックマークを眺めると、今回のEU脱退騒動での都市在住エリートの反応を見て「ああ、これはLeaveが勝っても仕方ないわ」と思った人も多いようです。どうも都会のエリートは「田舎者」とまともにコミュニケーションを取ろうとしていない人が多かったように見えました。

ある話題になった(1000ブクマ!)ブログ記事の補足記事(※)で引用されている向こうで話題になったらしいファイナンシャルタイムズ記事に着いたコメント

『(前略)最後におそらく最も重要なことには、私たち事実に基づかない(post factum)民主主義時代にいるということ。事実がつくり話に出会った時、オーソン・ウェルズ小説に出てくるようなエイリアンの体に当たった銃弾のように跳ね返され全くもって役立たなかった。マイケル・ゴーブは「イギリス人エキスパート専門家)にうんざりしている」と言った。でも、反知性主義が広がったとき偏狭な考えに結びつかなかったことがあるなら誰か教えてほしい』(引用一部改変)

にも、なにが「重要事実」なのかを判断するのは自分たちで、そうでないのは「事実に基づかない民主主義」だという意識が裏に透けて見えます自分の選んだデータを見れば自分と同じ解釈をして同じ結論になるはず。そうならないのは誤解か相手の知性の問題、という発想自体への反省は見えません。

今回のエリート達の騒ぎは自分たちもそれ以上に馬鹿だったということを受け入れられず他人責任にしていて、地金が出たというかとても見苦しい。「自分たちと違う」人たちが自分たち生活に(悪)影響を及ぼしてきたことにヒステリーを起こして、相手レッテルをはって(偏見で)叩きに走ってる姿は同じなのに。

Brexitが示すのは民主主義限界世界ライフスタイルの作り方)より引用リンク削除】

移民大都市の方が多いのにRemainが多く、移民の少ない地方の方がLeaveが多いか外国人嫌いの扇動に乗せられたのに違いないという報道が多いですが、当然の話だけれど移民の数がそのまま社会へのインパクトになるわけではありません。特にロンドンのような大都市田舎では資本提供する社会システムインフラ全然違う。

大都市では外国人社会参加や受け入れのシステムがすでにあるし、そもそも「対人距離を金で買える」んですよね。だから外国人とのつきあいメリットだけをつまみ食いできる(そしてうまくつきあえるのを自分たちの寛容性や知的能力によるもの錯覚できる)。

対して田舎ではインフラ不足の分を人々の経験知と人間関係で埋めています。なのでここにきしみが出たりコミュニケーションコストリスクが上がると生活レベルに直撃する。かれらには「円滑な相互扶助」やそれを支える「社会常識の維持(復旧)」が為替株式市場より重要な訳です。

対人距離を金で買えない地方移民の受け入れ負担を求めるなら、それ相応の「しくみ」が要るのではないかと思います。できれば異質な人たちが存在することが上記の環境利益になるような。

◆今回の結果を反知性主義と評する人たちも多いのですけれど、政治や国際情勢社会問題などの「専門家予測」が本当に正しいのかを1988年から検討したTetlock氏の研究(※)では、実は専門家予測判断は(因果が明白な直近の結果を除いて)素人予測と的中率が変わらないことが示されています。その原因として挙げられているのが自分視野過大評価です。実際、今回多くのエリートは「自分に何が見えていないのか」を大きく読み違えました。

※”Expert Political Judgment: How Good Is It? How Can We Know?”(2006

自分に何が見えていないのか」「自分の知る正しさはどこまでなら妥当なのか」を認識できていないのはどちらも同じ。それを可視化し共有する「しくみ」はまだありません。自分はこれの実現が集合知研究のゴールの一つだと思っていますヒトラーを「過去のもの」にできるとしたら、それなんじゃないかなと。

2016-06-30

メンヘラは、病気じゃないから薬じゃ治らない

xevra先生が、高齢メンヘラカップルブログに、薬が合ってないのか、とブコメされておられるが、

ブログを読む限り、主治医への相談必要で薬を変えなければいけないほどのうつ症状がある感じはしない(あのブログ精神リスカは通常営業だ)し、

そもそもパーソナリティ障害自体は、神経や脳器質などの生化学的なものというより、他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人、というだけのことなので、

薬じゃあ治らないし、根気よくカウンセリングなどを続けたところで、あまり効果がない(何しろ著しく性格が悪い人を相手カウンセリングしなきゃいけないから)ことが多い。

パーソナリティ障害には多くの種類があるが、これは、様々なベクトル性格の悪さを、大まかにカテゴリー分けしているだけ、という側面もある。

実体験数が少なく、それに反して情報量が多い今時の若者には、多かれ少なかれパーソナリティ障害的な心の動きが見られる人もいて、それほど珍しいことでもない。

まだ若い人であれば、良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていくことで、カウンセリング的な効果を得て、成長と共に

他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人」から、「ちょっと個性的だけど面白い子だよ」ぐらいまで改善することも少なくない。

まぁ、当該の高齢メンヘラカップルは、もう既にどっちも高齢者で、今までの道のりで見つけられたであろう性格改善ヒントをすべてスルーしてきたという実績に加えて、

道端に落ちてたメンヘラを拾って隙間を埋めてみたけど合わなかったから捨てました、みたいな、

いい年した人間ならとっくに卒業したような(おまけにそれをSNS告白したり、サブイボ級のポエムタッチブログ公表したりの)破壊的な行動を繰り返している輩どもなので、

パーソナリティ障害に係る各種の「生きづらさ」の改善は、期待できないだろう。

「うつ」心の風邪から休養がいちばん、という例えに倣うなら(これは本当によくできている例えだと思う。複合原因または原因不明放置・反復が過ぎると死を招くところまで特徴をよく表してる)、

パーソナリティ障害は「子供の頃から生活習慣ですっかり太った精神デブ」みたいな感じだと思っている。これは自分勝手定義していることではあるが。

彼らのような、パーソナリティ障害に苦しんでいる人たちの持つ共通の原因は「肥大化した自意識」。他者存在を受け入れずに生きてきた結果「自」のフィールドけが肥大化している。心の内臓脂肪理由

これは、遺伝的な体質ももちろんあるけれど、どちらかと言うと、生育環境なども含む生活習慣由来の問題なので、投薬やおざなりカウンセリングなどでは、根本改善するのは難しい。

例えば、長年の運動不足肥満から糖尿を発症した人に対して、糖尿への投薬治療はできるけれど、運動不足由来の肥満を解消させて原因を改善させるのが本当に大変なのと同じような感じ。

そして「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」習慣が身に付けば、収まってしまう(糖尿発症ちゃうと収まっちゃう簡単には言えないけど…)ようなものでもある。

パーソナリティ障害精神科受診すると抗うつ剤を処方されることがあるが、肥満理由の糖尿と、メンヘラ理由うつは、似ていると思う。

そして、肥大した自意識=過剰な内臓脂肪、と例えると、他者筋肉量、という感じである

上の方に記した「良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていく」というのが、「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」にあたる部分で、とても大切なことだったりする。

職業カウンセラーでは、そこまで対象者踏み込み、「適切な距離を取った他者」であり続けるのは、時間的にも精神的にも難しいのが現実

一方で、メンヘラではない多くの人は、自分の近くにいる人と適切にコミットしたいと願うのがふつうだ。その方が人生を楽しみやすいし人間関係安全性を確保しやすいから。

ましてや、近づいた意図友情恋愛などの「好意」に基づくものであれば、時間や労力を厭わずに、その相手との適切なコミュニケーションコミットメント方法模索しようと試みる。

メンヘラ傾向があったが色々あって落ち着いた人」というのは、このような友情愛情という機会を、きちんととらえることができた人。

若いうちのメンヘラは恋すれば治る、みたいな側面もあって、良い人と巡り合えば、ケロッと、それこそ憑き物が落ちたかのように普通になっていたりする。

一方で、当該の高齢メンヘラブログを読むと、今まで、改善可能性を感じる「他者」と向き合わうべきタイミングで常に逃避行動を取って生きてきたのだろうということが分かる。

な、著しく性格が悪いだろう。

ちなみに、他者と向き合わなくても、結婚だって離婚だって浮気だってセックスだって、するのは簡単。というか、むしろ他者ときちんと向き合わない方がどれも簡単だったりする。

相手のこと考えずにいる方が、照れや逡巡や羞恥心プライドなんかの、恋愛セックスにまつわる精神的なハードルは超えやすいから。

ただし、他者ときちんと向き合った付き合いの上で行う、結婚生活セックスは、向き合わないまま行う結婚セックスの何千倍も多幸感が強い。まぁ当然の話だが。

「彼ら・彼女ら」が、あれだけ行動的で、発信意欲が強くても、ちーとも幸せそうに見えないのは、これが理由

パズルの合わないパーツを、手前勝手に合わせようとして癇癪起こしてる子供と一緒。

他者と向き合わず精神的な成長を否定して、というのは、大昔は「ピーターパンシンドローム」なんつって流行ったんだ。

まぁあれはあれで、この文章と同様に偏狭な側面が強いものではあったが(なんで男性限定したんだろうなあれ、時代性だろうか)。

まぁ、そんな通俗心理本が出る程度には、一山幾らの、凡庸特に特徴も魅力もないような、特に珍しくもないような、ただの性格の悪さでしかないんだよな。

2016-06-11

http://anond.hatelabo.jp/20160611185210

なるほど。

この中で自分が知ってるコールドプレイオアシスは確かに普通に歌えるよなぁ。

ヨーロッパイコール聞く音楽日本イコール歌う音楽、というのはちょっと偏狭見方みたいだね。

色々教えてくれてありがとう


韻踏みの美学はわかるけど、なかなか聞いた時に気づかないことも多いなぁ。教えてもらっておおって思う。

でも奥深い世界だなぁ。


ブコメ

きゃりーは聞いたことないからわからないけど、水カンは確かに歌えん。

2016-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20160526175635

標準語に本人は直してるつもりでもイントネーションはまんま残っている人も多いけどな。

関東からすると関西弁一向にビジネスで使ってもらっても個性の一つだし、構わんと思うのだが、関西人はそうは思わないので、やはり関西偏狭価値観と言わざるをえない。

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