はてなキーワード: プリパラおじさんとは
・女がクルマやPCで困ったことがあればさんざんいじくったあげく壊す
・掃除洗濯家事手伝いしてくれた女に「主婦は気楽でいいよなw」とのたまう
・入社早々窓際
・同期より300万ほど収入が低い
・喧嘩になりそうになったら「三十八系逃げるにしかずでゴザルwwwwヌポォwww」とニヤリとする
・子供とみたら見境なく殴る
・夜中の夜泣きが1ヶ月続いたら実家に帰ってママに泣きつく(嫁は放置)
・朝は8:59に出社して階段でフーフーいってる
・酒を一杯飲んだら「プリキュアはのぞみちゃんが至高ですなwwwwフォカヌポォwwww」とかダルく絡んでくる
・愚痴だらけ
俺の思う男らしさ
・スーツが似合う
・クソ暑くても汗をあまりかかない
・汗をかいてもくさくない
・笑顔が素敵
・1日歩いても足が臭くない
・喧嘩になりそうになったら「そっちの方が本当は得意なんだけどな」とニヤリとする
・子供好き
・それでも朝は7時から出社
・どんだけ酒飲んでも壊れない
・愚痴を吐かない
と、こんなくらいかな
「艦これの布面積が増えた」というtweetに対して、「いいですね、艦これはもっと露出を減らすべき」みたいなリプが沢山ついていて、頭が痛くなった。
艦これの露出に頼らないスタイル好き
最近は改装すると布面積増えてる子多い気もする
街あげてだったり、百貨店がからむようなコラボでは凄く強みになってると思う
佐世保コラボで女の子が朧パネル見て「この子可愛いねお母さん」って言ってる光景目の当たりにして、俺は心で泣いていた— ASG151CM (@Asg151CM) October 24, 2019
最近本当に「男性向け作品に対する敬意」ってのが足りないと思う。艦これもFateもそう。男性向け作品が人気になると、男性向けに作られたことに文句をつける輩が多すぎる。
そういう奴に限って、「自分は作品の根本的な部分(シナリオ・設定)が好きなんです」「エロが無ければいい作品なのに」みたいな事をのたまう。いいか、男性向け作品の根本はエロだ。暴力だ。
例えば「ちゃお」なんかを見て、「男主人公がすくない、男が女の都合のいいホストみたいになってる!男性蔑視的表現が散見する!」なんて注文つける男は居ない。
ちゃおを見る男はいるが、ちゃんと「女向け」な事に敬意をもって見てる。「女向け」だからこその繊細な心理描写(間違っても女作者だからではない)に自分に需要が出来ていることを理解しているからだ。
プリパラおじさんも、景観保護条例には違反しているが、「もっとアクションバトルを多くして男を沢山入れろ!」なんて言わない。あれもちゃんと「女向け」な事に敬意を持っているからだ。というか女児向けだな。
ちゃんとその作品の成り立ちの根本を理解して、作品を尊敬している。
艦これやFateに限らず言える事だが、元々男向けに作られたものにそういう注文がついてしまうのは、
根本的に「男向けに対するうっすらとした軽蔑」が存在するからだろう。
熱いバトルや熱血は女も好きなのだ!と言いつつ、エロや暴力性は馬鹿にしている。本当にバトルや熱血が好きなら、女向け作品の中にバトルや熱血を増やせばいいだけだ。
結局、「既存の男向けからエロや暴力性を抜けば素晴らしいものになる」という、無根拠の傲慢が存在しているが、何故かそれが男性向けばかりに求められることに彼ら・彼女らは気付けない。
結果的に面白さがスポイルされた腑抜けの、児童向けの絵本みたいな内容の作品のなんと多い事か。サビ抜きの寿司とかいうレベルじゃない。低脂肪乳だとか、砂糖抜きのコーラとか、塩味の無い煮つけと同レベル。
男性向けに作られたものなら、男性向けな事に敬意を持って楽しんで欲しい。それが出来ないなら初めから全年齢向けの作品を愛でてほしい。
本心はエロと暴力性に惹かれてたくせに、政治的正しさとかいう、賞味期限の短い価値観に流されてそれを馬鹿にし否定しないでほしい。
笑われること承知でいうけど、純粋にプリパラみてる。と思っている。
「あなた達おじさんは下心をもって見ている(のだろうから水着の抱き枕カバー出します)」
と突きつけられたような気分。
実際、この感情は、その様に決めつけられた悲しさなのか、下心を見透かされ恥ずかしさなのかは正直わからない。
でも穏やかではない。自分はプリパラを本当に純粋に見ていたし、子供心に戻った気持ちで見ていたから。
しかし本当はずっと下心があったのかもしれない。間違いなく最初は下心からだったから。好きなエロイラストレーターがエロい絵を描いていたから見始めたし。
下心があったが、段々と内容に引かれて、純粋に見れるようになった。そして、浄化されたのだとおもっていた。しかし、やはり根には下心があるのは消せない。この下心がなければプリパラには出会えなかったのだから。
多分、恥ずかしいんだ。裸にされたような恥ずかしさだ。
そして多分、買ってしまうんだ。
プリパラおじさん在宅組だ。つまり、アーケードをやっておらず、アニメの視聴をしているだけの萌えオタクの男だ。
なぜ彼らは(というか、おれが)ブーブー言ってるのかをこれから説明していく。
おれがまず思ったのは、「あいつら(ゆい、にの、みちる、しゅうか)は、みんな強い女だし、エスコートなんかされなくても自力でファララのところに行って、コーデをぶん取れるんじゃねえの?」ということだった。
夢見がちな少女・ゆいはともかく、にの、みちる、しゅうかの三人はああいった王子様的な振舞いに憧れていなさそうだから違和感があった。すんなりとエスコートを受け入れて、屈託のない笑顔を見せるようなキャラなのか?と思えてしかたなかった。
それに、いまやディズニープリンセスですら王子様を求めない時代だ。そんな時代に、エスコートごっこなんてやってどうするんだろう。プリパラにはもっと新たな価値観を提示してほしかった。
プリパラおじさん在宅組の多くは深夜アニメファンでもある。女の子しか出てこないような萌えアニメに親しんでいるから、男子禁制を貫いてきた「プリパラ」を安心して観ることができた。
ところが、WITHの登場だ。拒否反応をしめす萌えオタクがいるのは当然のことだ。
萌えオタク(というか、おれという人間)は萌えアニメを見ているときはたいへん偏狭になってしまう。おれはかわいい女の子しか見たくないんだ!!恋愛対象になりうる男は去れ!!というふうに。
その偏狭な視聴姿勢が「プリパラ」にも及んでしまうというわけだ(不思議なことに、実写映画とか少年漫画とか小説とかではそういったことはいっさい起こらない)。
萌えオタクの理想を叶える解決策は簡単だ。女の子どうしでエスコートをすればいい。ゆい&らぁら、にの&シオン、というふうに対応する先輩キャラを配置すればいいだけだ。
「その1」で新たな価値観云々と書いたけれど、女の子どうしのエスコートというのは「アナ雪」的な今っぽい要素(同性どうしの強い絆で危機を乗り越えるというテーマ性)と捉えることもできなくはない。
それに、これまでのプリパラの総決算である「アイドルタイムプリパラ」で、これまでのキャラの活躍を増やすのは今作のコンセプトに合っていると思う。
アイドルという概念によって「プリパラ」はさまざまなタイプの女の子たちを幸せにしてきた。となると、残りは男の子をどうするかだ。このごく当然の発想の結果、男子プリパラは始動した。
ダンプリでもプリパラ同様さまざまなアイドルが活躍していると推測される。数いる男の子アイドルの象徴としてWITHが視聴者の前にあらわれる。3Dアニメもつくられた。けれど、彼らはそこまでアニメ内で活躍するわけではない。
いちばんの活躍はエスコートだったのではないか。すくなくとも、おれはWITHといえば、まずエスコートが思い浮かぶくらいエスコートの印象が強い。
WITHはエスコートシステムのために生まれてきた印象すらある。それはどうなんだろう。WITHは女の子の幸せのためだけに存在するべきではない。
WITHにはWITHの幸せがあり、物語があり、絆があるはずで、そのために彼らはアイドルになったはずだ。もちろん、エスコートもその一部にはなりうるだろうけれど、主だった幸せにはなりえない。
つまり、なにがいいたいかというと、WITHおよびダンプリの描写は中途半端だということだ。せっかくダンプリを始動させたんだからダンプリ回がしばらくつづいてもよかったし、おれ個人としては雨宮くんがアイドルになって、みれぃにちょっとだけ見直されるみたいな展開があってほしかった。