はてなキーワード: 一般受けとは
シン・仮面ライダー面白かったんで、感想や解説を色々と読みながら余韻にふけってる最中
そこでちょくちょく見かけるようになったのが「普通の人はわからない」「一般人にはついていけない」というもの
「俺は面白いと思ったんだけどね、これは一般受けはしないよね~」
「俺はわかったけど、話が飛び飛びで知らない人はちんぷんかんぷん」
いやいや、そういう映画じゃね?
オタクの代表みたいな庵野秀明が「みんな(オタク仲間)が好きそうなやつ」を映画にした
シンゴジラからそこは変わってないんだけど、シンゴジラが売れたせいで周りが勘違いしてる状態
半分はシンウルトラマンで気づいたらしいからシン仮面ライダーはそこまで勘違いされていないと思うんだけど
これはオタクが作ったオタク映画なんだから映画好きって人に「シン仮面ライダー見た?」なんて聞いても「いや、ああいうのはちょっと」ってグリッドマンユニバースやプリンセスプリンシパルの話を振ったのと同じような反応されるし、職場や学校で「週末シン仮面ライダー見てきたんですよ」なんて突然話始めたら「週末プリキュアショー見てきたんですよ」ってくらいヤバい
シン仮面ライダーは特撮オタクがオタクコミュニティの中で盛り上がる映画であるという事は理解しよう
だから
長澤まさみの出オチ感凄いし最後は画面に映さずエロボイス出して終わりかよw
ラスボス戦が派手なアクションではなく、敵の弾切れを狙って泥仕合に持ち込むというのが、圧倒的な戦力差を前にした攻殻機動隊GISのラストの戦車戦にも通じるところがあって、ともすれば押井守へのリスペクトも感じられる
等々をオタクの中だけでワイワイやってりゃ良いんだ
これでスッキリした
二次創作では斬新な解釈でめちゃくちゃ面白い漫画を描いていた人が、いかにも一般受けしそうなリーマンBLや、どこかで見たような青春群像劇、キャラが空回りしているギャグ漫画を商業で描くようになるの本当に悲しい。
実際、そういう商業作を何冊か買って読んだことあるけど、全然面白くないんだよ……。
絵は丁寧で綺麗だし、コマ割りもセリフも見やすくなっているのに、まったく心に響かない。
その作家さんの人生だから私に止める権利はないし、その方の商業で頑張ってみたいという気持ちはすごいと思うけど、星が一つ消えたような気持ちになる。
「私は、あなたの、これまでみたいな二次創作の作品が読みたいのであって、商業作は特に読みたくない」とも言えないし。
「商業デビューが決まりました!」というツイートが、商業アカウントのRTと一緒に回ってくると「あー、またか……」と喪失感にさいなまれる。
「商業デビューおめでとうございます!」みたいなリプつけたり、「商業作品も楽しみ」というツイートしたりしてる人って、本当にみんな心の底からお祝いしてるんだろうか?
一旦商業デビューしちゃうと、二次創作同人を辞めちゃう人が大半なのも辛い。
鍵になったり、日常生活のことやソシャゲのスクショしかアップされなくなったりした二次創作アカウントで「また同人も出したいですね~」みたいなツイートを見て、期待させられるのも疲れた。
商業デビューが二次創作同人の一つ上の段階、みたいな風潮も嫌。
「二次創作同人はステップアップになった」みたいな、「踏み台にしました」発言を堂々とする人もいる。
Vikunjaは、この記事を書く少し前にホッテントリに上がってるのを見ていいな、と思ってたんだけど、
代替する元ネタのSaaSに該当するものがピンと来なくて触れてなかった。
触った印象としては、TrelloとEvernoteが進化した形の印象を受けたが、
BacklogやAsanaを代替するにはまだ途上という印象。
ただ、UIはイマドキで好感が持てたので、今後に期待といったところ。
ブコメにはNotion代替を教えて欲しい、というのもあったが、
Notionは日々爆速の進化を続けていて、OSSクローナーたちの開発が追いついていないという印象。
多分、Notionの中の人たちもOSSクローンに追われることは知っていて、追いつかれないように頑張っているんじゃないだろうか。
昨年11月に京都でNotionのイベントがあって参加したのだが、上記の質問をしたわけではないものの、そういう熱気的なものは感じた。
MediaWikiはWikipedia以外ではお世話になったことないんだけど、
Wikiというか複数ユーザーでのドキュメント管理はあまりしないのでこのジャンルはあまり詳しくない。
教えてくれてありがとう!
RaiLoop
これは知らんかった。調べてみる!
Wallabag
そうそう、これ紹介し忘れてた。古くからのPocketユーザーだったんだけど、いつの間にか記事のサマリーしか保存されなくなって、代替を探していてWallabagを見つけたんだった。
ただ、PocketはiOSからの記事共有のUXが最高に便利なので、Wallabagもそうだったらいいなと思ってるんだけど、まだ試せていない。
もしそのあたりのことご存知だったら、教えてもらえると助かります!
254 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 2023/02/20(月) 13:12:52.13 ID:LpWXHBWe
反論できんかったわ…
https://i.imgur.com/mfySrgD.jpg
255 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 2023/02/20(月) 13:14:20.22 ID:9pFuD5ti
257 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[] 2023/02/20(月) 13:15:21.94 ID:ohjQlioa
反論できる
きららは美少女動物園とおもって一切視てなかったがぼっちはハマった
298 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 2023/02/20(月) 13:58:07.75 ID:h3kEeAdL
444 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 2023/02/20(月) 17:07:02.29 ID:9nwQMm7X
940 風の谷の名無しさん@実況は実況板で[sage] 2023/02/21(火) 09:50:18.97 ID:bsnkNEly
事前特番はアニメの内容は一切語らずひたすら下北沢のライブハウスの宣伝してて
なんとなく受けそうな暗めのダークブラン。
重すぎず軽すぎずな髪色。トーン6くらいの髪。
ネイルはたまにやるくらいだがベージュか、暗めのピンク。アートはやらない。短めの爪。
オフィスでも大丈夫な服は、派手過ぎない色で、普通の形で、面白くはない。
面白くない服だけど、それがオフィスでも大丈夫な服というものだった。
電車に乗ったら他人の会話が気になって、香水の匂いにもすぐむせてしまう。
HSPという言葉があったけど「それかも?」と思いつつもよくわからない。
仕事を変えようと思って髪の毛を暗く染めに行った。
ハイトーンの髪にバチバチのマツエク、長くとんがったネイル。かっこよかった。
抗不安薬を飲みながら、布団にまるまっていた。
自分を変えたいな。
強くなりたいな。
うじうじ悩みたくないな。
そう思ったら「ギャルになりたいな」と思うようになった。
私の中のギャルは「自分を持っていて、強い。明るい。前向き。おしゃれで元気」だ。
とりあえず、手持ちのカラコンをいれてみた。
HONEYDROPSというところのカラコン。「うるつやピンク」らしい。
前に大きいカラコンをいれたら、焦点のあわない宇宙人みたいになってしまったのだが
「ふんわりぼかしフチ」とやらのおかげか、自然と目が大きくなった。
最近のカラコンはすごい。通販なら度つきも揃っているので、メガネ愛用者の私にも優しい。
目が小さいのがコンプレックスだった私は20歳を過ぎたときにまつエクに出会う。
まつ毛だけでこんなに印象が変わるのか!!!???と衝撃だった。
フラットラッシュというタイプのエクステを120本つけてもらった。
アイライン効果もあるし、毛のおかげで顔に立体感が出来た。本当にまつ毛というものは不思議だ。
女性は、線を引いたり(アイライン)まつ毛に繊維をつけて長く伸ばして瞳をきれいにする技術を持っている。すごい。
下向きまつ毛の私も、まつパーをしたりエクステで、なんとか小さい目に抵抗していた。
そして最後のネイルサロン。久しぶりすぎてマグネットネイルを目の前で初めて見た。
長さだしはしてないサロンだったのでとりあえず、定額コースで派手めのアートもつけてもらった。指先が3色に染まってキラキラしている。
正しい「ギャルのネイル」がわからなかったので、とりあえず「自分が好きな色味だけど、派手目。マグネットネイル。アート込み」にした。
こうして、即席のギャルが完成した。
とりあえず目の下の手持ちのラメシャドウを塗ってみた。それっぽい。メイクはこれから要研究である。
指先がカラフルで可愛い。爪が短いからギャルっぽくはないが、テンションがあがる。モテる爪じゃなくていい。自分ウケである。っていうかそもそもモテる爪ってなんだよ。可愛い子はどんな爪でもモテるだろ、と思った。
洋服が全くギャルでないことは置いといて、即席のギャルは完成した。
https://twitter.com/nakanishico/status/1587809364185751554
久々リアタイできたけど深澤さんが少女小説を解説しながら「女性は少年文化に触れなければならないけど男性は少女文化に触れなくてもいいからね」とさらっと言ってて「本当にそれな」となった
いつから触れなければならないことになったんですか?
「女がなんで少年漫画読んでんだ?」みたいなことは言われてたし、「女だけど少女漫画があわない面白くないから、ジャンプ読んでるんだよね~」的な女性が多かった印象ですけどね。
「うわーめんどくせーけどジャンプ読まないと素養ないって思われるからなぁ~」みたいな文化あったんですか?
発行部数で大差付けてるわけですし
つまり少年文化だからじゃなくて、人気文化はって意味なら、これくらいしっとけよ的な同調圧力あるって認めますけど
それってちびまる子ちゃんとかセーラームーンでも同じことですよね
まぁ俺が勝手に少女文化少年文化を漫画アニメに置き換えて考えたからそうなるだけの話で
このひとたちは別の何かを指してるのかもしれませんね
でもじゃあ女性も知っておかなければいけない少年文化ってなに?って話になりますよね
女性も知ってないといけないなんて扱い受けました?
やはり考えれば考えるほど、女性なんだから少女漫画読んでろよぬいぐるみで遊んでろよ的な疎外の圧であって、同調の圧ではなかった気がしますよ。
なんか両極端な感想が多いのは、あえて主語を大きくして言うと「男性には忌避される」「女性は受容しうる」物語構成になっているからだと思うな。
https://anond.hatelabo.jp/20221022121601
この感想、読解について少し思うところがあったので書いておきたい。自分は漫画よりも演劇とか脚本の方が馴染み深いので。
最初に書いておくと、他人様の人生や他所のご家庭に物申せるほど人生を生きてないので、あくまでも"漫画"や"作劇"としての話になるよ。
まず、エッセイなんだから随筆、いわゆる散文であって、そもそも構成やパターンが無い。何しても良い。
そういう意味で、例えば三幕構成じゃないとか起承転結が無い、みたいな批判はできない。
別にエログロじゃなきゃいかんとか、カタルシスが無いと、みたいなのも無い。
じゃあ、何を言いたいのか、それは伝わってるのか、という点だけ気にすれば良い。
その意味で、"ある特定の読者には受容される"お話の流れになっていると思う。
それが、"漫画が読めるハッシュタグ"と銘打つには弱いのがポイントだと思う。
良い点と悪い点をリストアップしてみる。
最初に"受容される理由"からだけれども、共感を得られやすい物語構成になっている。
多かれ少なかれ自身ではどうにもならない理由で嫌われたり上手くいかないことは、まあ良くある。
そして、それを克服するのではなく、受け入れる、その上で前に進むというのは、前向きなメッセージ性を持つ。
だから、特に前半の「生きているだけで嫌われる」という部分に共感する人には、とても良いコミックエッセイになっていると思う。
次に"忌避される理由"だけれども、何の解決も行われていないから、に尽きる。
例えば、嫌われる理由が最後まで明らかにならない。"生きているだけで嫌われる"ことが自明のこととして描かれている。
空気が澱んできた、という描写も、特に解消されない。なんかよくわからないけど嫌われる、そして虐められる、という流れが覆らない。
そうすると、わが子を見て「ただ生きているだけで嫌われることがありませんように」という祈りは、ゾッとする描写にしかならない。
なんなら笑顔じゃなくなったわが子と折り合いが付けられない可能性すら感じさせるコマで終わっている。
(コミックエッセイなんだから好きにしたら良いんだけれども)一般受けする形式に寄せる場合ね。
例えば、包丁を突き付けられるっていうのは結構インパクトがある。そんなバイトある?と思うかもしれないけどワリとある。
俺は一度角材でぶん殴られたことがある。まあ、工事現場で交通誘導に失敗したからなんだけど。
まあ、「ドタマかちわったろか!」みたいなのは、生死に直結してしまう職場では結構ある。
だから、例えば調理場で色々言われて慌てふためいて、フライヤーの油を高温のまま床にぶちまける、みたいな事故も起こる。
「作業中閉めるな」と書かれた札をうっかり見落として、閉めて鍵をかけたうえで、定時に職場に自分しかいないので困って鍵を持ったまま自宅に帰り、次の出社日に返せば良いかとノホホンとしていた実例を知っている。(警察沙汰になったが幸い閉じ込められた人は無事)
何でこんな話をしたかというと、「あの包丁を突き付けられたのには、実はこういう前フリがあった」という対比があれば、ずいぶん違ったと思うから。
そういう意味では発達障害を持った人にとっては、これは"話を盛る"って部分にあたる。
「私が調理場に入ると、いろんな人にフォローしてもらっていた。それは私だけだったかも」とか。
「手順書や説明書が理解できずに、いつも必死に努力して自分なりに書類を埋めていた」とか。
「事務職で無視されるようになったきっかけは、自分では努力しても覚えられないので、同じことを5回ほど聞いた時だったかも」とか。
捏造してでも、「なぜ」を入れることで、「虐めや悪意」が「怒りや失望」に転換される。
自分のせいじゃなかったんだ、発達障害だから虐められたんだ、この子は虐められないと良いな、少なくとも私は理解者だよ。
これは、共感する人もいると思うし、受容されやすいメッセージ性を持つと思う。
まったく同様の意味合いで、これがホラーの導入部だと受け取られたり、苛立ちをもって忌避される構造を持っている。
ある人が日本の職場で生きづらい特性を持つ、そういう人も生きやすい世の中になると良いね、というのと
その特性が職場のどこかに負荷をかけたり、ことによって生き死に関わる危険を持つというのは、同時に満たせてしまう。
でも、件のコミックエッセイにおいては、虐めとして表現され、自分のせいじゃなかったと安堵までされている。
受容の物語が、"自身の受容"以外を一切排除した形で描かれると、忌避感を持たれやすい。
これは、夫や両親、友人や過去の同僚への回想でも良いけれども、他者とのやり取りを通じてその受容が描かれると忌避されることがグッと減る。
もしくは職場では無くて人間関係で悩んでいたという前半部に置き換えて、いまは特性を理解してもらえるよう人間関係を構築しています、とか。
他者を交えた分かりやすい受容の物語の方が、受け入れられやすい。
結構な数の物語が、ある障害を乗り越えるもしくは乗り越えられなかった、というパターンを持つ。
前半部で示された障害が「虐め」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「許し」であろう。過去虐めていた人を許す。
前半部で示された障害が「生き方(労働)」であり、乗り越え方が「受容」であるなら、オチは「生き方を変える」であろう。労働以外に生き方を見出す。
つまり、「生きづらさ≒虐め」を「受容≒私のせいじゃない」としてオチが「祈り≒理解者」とすると、次の展開は「わが子が虐められる≒生きづらい(≠私だけはわかってあげられる)」になってしまう。これは「虐め」という障害を、「受容」して乗り越えた結果になっていない。わが子にバトンが繋がってしまっているがゆえに、解消が行われなくなっている。
いまのままだと、わが子にも同じ苦難が待ち受けており、特にそこに救いはない。
(辛い時期に「お前も結婚して子供を持てば救われるよ」と母から言われるのってバッドエンドでは?)
逆に言えば「わが子が虐められる≒生きづらい≒私だけはわかってあげられる」にするのであれば、障害は「誰もわかってくれなくて苦しい≒理解者がいなかった」にする必要がある。
この場合は、「理解者がいない」という障害を「診断結果を受け入れた自分が理解者になる」ことで乗り越えて、オチが「わが子には理解者がいる(私はダメだったがこの子は大丈夫)」になる。
エッセイなんだから自由なんだけど、狭い読者層向けのつもりで一般的な人に読まれるハッシュタグをつけると、齟齬が生じて疲弊することがある。
あんまりエッセイ漫画では乗り越えられなかったパターンを見ることは無いんだけど、実は演劇なんかだとそういうのも良くある。
まあ、「失踪日記」とかは乗り越えられていないパターンになるのかな。あれも他者の目線が入ることでああ困った人だなあでも楽しそうだなあ関係者の皆さんは大変そうだけど、みたいな可笑しさが生まれていると思う。
そういう意味では作劇とか全無視して、とても良い質感のクソ職場の虐め描写と同じ質感で今の家庭の会話を描き出すだけでも、かなり一般からもらうフィードバックは変わると思う。
一部読者が「私はわかってるよ」とラブレターを出すだけで救われる作者が多いのは事実だけど、やっぱ一般受け狙うなら一般に受け入れられやすい構成の方がお得よ。
刀剣を見るとか、鉱物を愛でるとか、そういう系と思ってもらえればいい。
たまに時間を見つけてはその筋では国宝級のものを見に行っては、大興奮で語ったりするのだが、特に趣味の友達がいるわけではないので、大体が「ふーん?(よくわからん)」というリアクションになる。
しかしそのリアクションがとても自分にとって健康にいいと最近気づいた。
それによって、自分のこの「好き」は他人に左右されない純粋なものだと思える。自分の「好き」を再認識できる。
メジャーなマンガや映画だと、「すごいよかったなぁ」と思っても、誰かが否定的な感想を言っていたりすると、自分の「好き」に自信が持てなくなってしまったりする。
ニッチなジャンルだと、その揺らぎが起きないことが、自分にとってはとても健康にいい。
他人に否定されたら揺らぐ程度の好きなんて甘っちょろいと言われるかもしれないが、そういう批判すら言われる心配がないというのはとても心の平穏につながっている。
研究者だけど
気持ちもわかりつつ、似たような境遇の奴なんて死ぬほどいるからなんでこんなに特集されてるんだろとは思ってる
飛び級で千葉大に行ったことを天才の証拠みたいに書かれていて一般受けしやすいんだろうけどさ、そのレベルの人間なんて文字通り掃いて捨てるほどいるわけで単に才能が足りなかったって話なんだよね
地元の神童で東大に入ったけど鳴かず飛ばずで博士課程を退学していったり、学位が取れてもポストが取れず詰んでる奴がたくさんいる世界だよ。本当に才能のある天才は小学校卒業する時点で高校物理くらいはできたりするから、なんか天才の基準が甘いな〜といつも思っている(たぶん本人もそう思ってると思う)。物理なんて特に才能が煮詰まり続けて日本最高クラスの天才がポスト争いをしているので、17才飛び級の人が…とか言われるとTOEIC600点の人が駐米大使になれなかったくらいの違和感がある。多分本人が一番良くわかっていて、だからこそ研究職をやめたっていうのもあるだろうし
自分は寂しがりなところがあるので結婚願望が強い、正直女遊びとかできるタイプじゃないし20代後半には結婚したい。
ただ、交際経験は二人しかないし、そのうち1年以上保ったのは一人だけである。
去年、マッチングアプリに手を出してみたが根本的に合わなかった。
ビビリ+ネガティブ思考の相乗効果でほとんどLINEを交換するとこまで行かず、仲良くなってもたいてい相手に退会されていた。
しかも人見知りがあるためもうどうにもならない気がしてきた。
ただ、新しいコミュニティに首を突っ込むのがめちゃくちゃ苦手な上に前述の人見知りがあって
出会いは期待できない。
と、なると社内恋愛くらいしかないのでは?と既に考えてしまった自分がいる。
正直気になる先輩くらいはいるのだが、中途半端にうまく行かないし、何人もアタックしてしまうと
確実に社内で悪評が立つしあんまりやりたくないのは正直なところ。
今の所できる気はしない。
女性と飲みに行っても「彼女できたらめっちゃ大切にしそうだね!」とお世辞を
もらってしまうしどうすりゃいいのこれ。
ほしいのに恋人ができない、したいのに結婚できない、と思うやつほど友達を作れ
友達で終わることを失敗とか不発とかいうやつがそもそも結婚に向いてないんだよ
甘い声×ほどほどの媚び×美麗な容姿で乗り切れるタイプの人間じゃないってもう学習したなら正攻法で頑張ろうよ
利益のない人間でも、自分の価値観でいい人間だなと感じれる範囲の相手には、礼儀を持って親切にしようよ
なんでみんなそうしないのか不思議でならない
そのうちの誰かが本気で、恋人がほしい、紹介して欲しい、っていってきたら全力で応援するし、人脈フル活用するし、
どんなに自分にとって素敵な人間か、今まで助けてもらってきたか、この人といると幸せになれるかを、プレゼンするよ。
もういいって言われるまで頑張るし
自分自身「あなたがそこまでいうなら」と思ってもらえるような信用や誠実さを維持できるよう日々頑張るつもり。
容姿で弾かれる勝負なら、容姿が関係ない入り口から入りましょうと言っているのに、コンプまみれの人間はでもだってしかいわない。その精神だからね、ダメなの。見た目じゃねえから。
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。