はてなキーワード: ジョジョ立ちとは
Twitterに吐き散らかす独り言にしては長すぎたので、ここに置いていこうと思う
私は20代後半の女で、生まれた時からオタクになるべしというような環境で育ってきた女だった。
父は鉄道模型や電車が好きで、大型の鉄道模型を作ってはその資金源について母に咎められ、最終的にはそれが家庭内別居、ひいては母との離婚の一因になったような男だった。ついでに言うとアニメ好きである。
母は私の幼少期の時にはそういった片鱗を見せなかったが、若い頃はアニメーターを目指し始動したばかりのアニメージュ編集部に突撃し、アニメのラフを強奪してきたらしいと言うとんでもない経歴を持つ女だった。今の時代ではありえないが、若くそれなりに可愛い女が田舎からアニメージュ編集部を訪問してきたことが、当時の編集部にとっては驚きだったらしい。実際後から強請って絵を描いてもらったこともあったが、キャンディキャンディのイラストで、かなり絵がうまかった。
歳の離れた兄もいて、これまた非常にオタク気質だった。刀剣や寺院に詳しく歴史学の教授のような男子で、小さい時は父の影響か色んな電車のモデルを暗記していてすらすらと言えた。
父は元々家族に興味が無かったものの、自分の趣味について聞かれるとぺらぺらとよく喋る男だったため、父と話そうとするともっぱらレトロアニメとパソコンと模型の話だった。母は情緒不安的になりがちな兄によくかまっており、私は放置された妹であったため、私は可愛がってくれ面倒を見てくれる兄に必然的にべったりになった。
つまり、私の趣味はそのまま兄のコピーの趣味だった。年齢差ゆえに難しい歴史の趣味はついていけなかったが、ゲームは一緒にいろいろした。マリオとカービィ、ソニック、ポケモン。可愛いものも好きではあったのでハム太郎やサンリオも好きだったが、それでもピカチュウとリザードンのぬいぐるみを抱えて寝ていた。
そのうち兄は父の影響もありレトロアニメにはまりだした。地元のテレビで再放送されているアニメや、アニメチャンネルの影響もあり、その時に見たファーストの機動戦士ガンダムは衝撃的で、あまりにも面白かった。兄を引っ張り父を引っ張り母を引っ張り、ガンダムのグッズをいろんな形で買ってもらったり、付き合ってもらった。
初めて父にねだって埃まみれの古い模型屋で買ったのは、積んであった初代ガンダムの144/1スケールのプラモデルだった。模型屋のしわしわのお婆ちゃんにこれください、と言うのは、すごく緊張した。
幼かったので組み立てるのには苦労したが、兄に手伝ってもらって完成させた時の喜びは忘れられない。そのあとゲルググを作ったり、安価でより簡単な、小さいプラモデルをそれ以降は購入した。好きなモビルスーツはファンネルがかっこいいキュベレイで、好きなキャラクターはそのパイロットのハマーン様。誕生日にはとっておきのおねだりとして、母にハロを買ってもらった。アムロよろしくハロは連れ回した。兄にはずっとガンダムのゲームで一緒に遊んでもらった。
そのあとは順調にZ、ZZと試聴し、あまりの楽しさに私はレトロアニメ好きを小学校でも隠さなくなった。当然私は浮いた。お前ガンダムなんか好きなんかよ、だっせえ、と男子にすらからわかれた。女子友達の花とゆめとかなかよし読もうよ‥という誘いにも拒否はせず一緒に見ていたものの、すれ違いの素敵な恋愛模様より、どこか孤独なシャアやアムロの方が、幼いながらにわかっていなかったものの個人的にずっと共感できて、何だか辛かった。少女漫画の素敵な男の子より、等身大の無茶苦茶なアムロの方が好きだった。当時から少女漫画が嫌いなわけではなくむしろ今となっては好きなのだが、私の初恋はウルトラマンというくらいセンスがまわりとズレてしまっていた。
次第に友達は同じく兄の影響でジャンプを読んでいるというたった1人の女の子だけになってしまった。彼女にはレトロアニメの良さは共感してもらえなかったが、男の子っぽいものが好きでさっぱりとした彼女とは非常に相性が良く、ずっと親しくしていた。
私はその後もレトロアニメを見ることはやめず、兄と一緒に鉄人28号、宇宙戦艦ヤマト、999、などいろんなレトロアニメを見た。それでもまだ一番はガンダムだった。
またその繋がりでスパロボが好きと言うクラスの男の子と共感し仲良くなったが、クラスメイトにお前らできてんだろ、とからかわれて疎遠になった。その後少し大人になり、男の子の友達も増え、女は私1人という環境下で逆襲のシャアの鑑賞会をした。楽しかったが、男の子たちにはずっと腫れ物に触れるかのような扱いをされ続けた。
次第に私は、やはり女という性別で、このままではいけないのではないかと、ガンダムを見るのをやめた。ちょうど当時放送していたガンダムのシリーズが宇宙世紀でなくなる区切りだったせいもあったと思うが、私はガンダムのプラモデルを買いに行くことを、金輪際やめようと思った。
兄は友達と好きなことを一緒にできているのに、私だけ相手が兄しかいないのが、どこか羨ましくてしんどかった。クラスメイトにからかわかれるのも、もういい加減うんざりだった。仲良くなった男の子とガンダムの話をしていると、付き合ってるんじゃねーのと軽率に言われるのも、もう嫌だった。
だから同じ趣味の男の子たちにも、腫れ物にされていたのだと思う。
私はずっと中途半端だったから。男の子にもなりきれず、女の子にもなれなかった。私は所詮、男の子の好きなものが好きな女の子だったのだ。
そのあと成長した後も男の子趣味でゲームをやったり競馬を見ていたりもしていたが、腐女子の流行がきてジャンプを読む女の子が増え、少し共感できる友達が増えた。バンドやメイクにも興味を持って、世界が少しずつ中身も趣味も女の子寄りになり、今までとは違う友達もできた。
でもやっぱり、悔しかった。小学生の時の私が好きと言っていたものを、周りに理解されず馬鹿にされた経験は、しこりとして残り続けていた。
そうだったんだと気づいたのは、ジョジョの人気が沸騰してからだった。ジョジョはここ10年以上にわたりアニメ化を続け、今やっている6部は徐倫が主人公で、アニメ化してからと言うもの女子のファンがわっと周りでも増えた。5部からは明らかに女子をターゲットとした商品も増え、コラボコスメが増えた。もちろん買い占めるくらい買っている。
私の小中学生時代、一番好きなジャンプ漫画はジョジョだった。ジョジョ立ちは兄の友達が可愛がって付き合ってくれたが、周りには理解されない趣味だった。あんなに周りには、楽しいのに…お兄ちゃん許してたから貸すようちの漫画‥と言っていたのに、誰も読んでくれなかった。唯一のジャンプを読む女の子の友達でさえ、ジョジョは好きじゃなかった。共感してくれたのはテレビ越しのしょこたんだけだった。
ようやくこの時代が来たんだほら見たことか!と叫んでやりたかった。
そして今、水星の魔女でやっと、やっと小学生の頃のしこりが、消えたような気がする。
ヨドバシへエアリアルのプラモデルを、十数年ぶりに買いに出かけた時、何だかすごく、すごく泣けた。買いに行くおゆるしを、やっと自分に出せた気がした。
ガンダムSEEDについては、周りの腐女子友達が関係性が好きだと言っていたことがあったのだが、それでも私はずっとずっと、ガンダムの世界観丸ごと、モビルスーツのデザインもよくて、キャラクターもよくて、そういったガンダムの世界まるごとを好きだと言っても「変だよ、女の子なのに」と言わない世界が欲しかったんだと思う。
私はもういい歳で、でも周りの女性も、おそらく子供世代も巻き込んで、水星の魔女は話題によく上がっている。キャラクターのカップリングだけでなく、世界観の考察含め、ガンダムの過去作も見たいと言う人がいる。
多分今エアリアルが好きと言っても、欲しいと言っても、女の子が言っても、馬鹿にされないだろう。だってパイロットはかわいいたぬき顔の女の子なんだから。ファラクトミカエリスなんかもシャープでめちゃくちゃかっこいいモビルスーツだし、ディランザも真っ先に足元を見た時にドムを思い出すようなかっこよさがある。全部欲しいしみんな好きだと思う。小学生の時でも全部欲しいと思ったと思う。特にファラクトはガンビッドかっこよすぎて絶対ほしい。
改めて、思い切った決断で初めて女性主人公のガンダムの新作を作ってくれたこと、すごく感謝したい。こんなたった1人かもしれないけど、過去の思い出ごと、丸ごと救われてしまったひとがここにいることを、製作陣に感謝したい。
母も毎週ファーストガンダムの放映を楽しみに、学校から帰るのが楽しかったと言う。母はガンダムを好きになった私に喜んでハロを買い与えたが、母も恐らくガンダムが好き、アニメが好きと言う友達には時代もあって全く恵まれなかったと思う。
そんな母の子である私もガンダム好きな友達には恵まれなかったが、今の小学生は、性差なくきっとガンダムの話ができているだろうと思うと、こんなに嬉しいことはない。もう亡くなってしまった母もきっと喜んでいることと思う。
水星の魔女、毎週すごく楽しくて、楽しみです。作ってくれてありがとう。見られなかったガンダムシリーズもこれから見て、ガンダムが好きだとこれからは自信を持って言いたいと思います。
いや、「ジョジョ人気なんてなかった」って言いたいわけじゃない。
これは書き方が悪かったけど。
(言い訳じゃないが、6部の時点で80巻の漫画だし、こういうのは書かなくても当たり前に伝わる部分だと思った)
だけど相対的には、他のジャンプ漫画が「圧倒的多数派」でジョジョが「少数派」っていう立ち位置だったでしょ?
ネットで「お前も好きだったのか!」ってなって連帯したり、反動で盛り上がるのは全然いいよ。
ネットで流行ったのも「そういうキワモノ感」の反動はあるだろうし。
刃牙シリーズだって今じゃ知らない人はいない大人気作だけど、「バキ」のころなんて、普通に「バキかあ。。(そもそもチャンピオンかあ)」って空気だっただろ。
既に40巻以上続いてる漫画だったけど。
で、元々のファンは「少数派の意識がある故」、荒木が変なこと言ってても「まあ、荒木先生だし」って大目に見るスタンスだったのよ。
逆に、「荒木に瑕疵があること」なんて前提でしかないのよ、そういう作者だから。
あれだけ現代のイラストレーターのポーズを数えきれないほど「丸パクリ」しておいて、
「ジョジョ立ちの起源はルネッサンス芸術で~ミケランジェロの彫刻が~」とか豪語する人間だぜ。
カーッ、荒木先生今日もトバしてんねい!ってのが「ファンとして正しい対応」だろ。
でもそういう「荒木は信用ならない人」というファンにとっての常識が、いつからか通用しなくなったでしょ?
元々のファンは、「荒木は平気でパクリもやるし、それを開き直るし、発言は一貫しないし、展開は適当だし、そのくせインタビューでは大見栄を切るし、全然褒められた人間じゃないんだよ。。」と思ってるのに、
むしろその破天荒さや恥ずかしさも含めて魅力だと思ってるのに、
今じゃ真面目な顔して「さすが荒木先生」と褒め讃える奴しかいないじゃん。
「荒木先生がパクリ?あれはパクリじゃなくて~漫画におけるアイデアの借用は一般的なことで~」とか、したり顔で「擁護する奴」ばっかりじゃん。
そういう話をしてる。
ネットにおける「パクリ・トレース騒動」がいつ発祥かはわからないけど、おそらく初期と言っていい2000年代から、ジョジョはその俎上に上がってた。
そのとき、「ジョジョファンが荒木だけは擁護して、冨樫義博を叩く」という分岐点の光景を目にした。
今では考えられないけれど、富樫は「貶していい存在」だった。
一時期のBLEACHとまでは言わないが、とにかくネットでは「叩いていいもの」扱いだった。
そんで、「富樫のパクリは叩いていいけど、ジョジョのパクリは何が何でも認めない」みたいな、俺からしたら意味の分からない連中がたくさんいて、荒木擁護・富樫disに連日邁進していたんだよ。
どっちも同じようなパクリをしているのに、「ジョジョ絶対擁護」という気色悪いダブスタを披露していた。
「理屈」では擁護できないジョジョを無理やり庇う流れが、確実にあった。
だって、今なんて荒木の発言を「ネタ」として楽しむ余裕がまったくないじゃん。
ネタ扱いして突っ込み入れたら、「著作権とは~」って急に大上段の話をしはじめるじゃん。
おいおい、俺たちは「荒木飛呂彦」の話をしてるんだぜ?って思う。
後追いのジョジョファンには届かないかもしれないが、昔からジョジョを好きだった人間にはいくらかは通じる話だと思って長文で追記した。
失礼。
追記終わり
この辺、荒木やジョジョを擁護するために急激に神格化が進んだよね。
昔からのジョジョファンだと、温度感が変わったのがわかると思うけど。
ネットでパクリとか色々指摘され始めた頃から、ジョジョは世界中で認められてる素晴らしい作品なんだアピールが妙に強くなったよね。
芸術に理解のあるインテリで荒木先生はすごい人なんだ!みたいな、信者を増やして批判を減らす方法っていうか。
「ジョジョなんて読んでる奴は少数派」「ジャンプの後ろに乗ってる気持ち悪い漫画」というリアル体験がないファンも増えた。
元々は荒木飛呂彦って適当なことばかり発言してたので、ファンからも「はいはい、荒木先生、荒木先生」って扱われるのが共通認識だった。
それがいつの間にか「人間賛歌…!流石荒木神…!」みたいな、荒木の発言自体を本気で受け止めて、祀り上げる連中が急増したんだよね。
(ジョジョなんてご都合主義の連続で、人間中心主義じゃ全然ないだろ!)
パクリに関して言えば、
「死んだ人間のまねをするのがオマージュ、生きてる人間のまねをするのはパクリで、パクリはダメだ」って堂々とインタビューで言いながら、平気で「生きてる人間の真似をしまくってる」のが荒木先生クオリティですよ。
小さい頃から45歳手前になる今現在までずっと絵が下手なんだよ。
仕事と絵は全く関係ないし、今までの人生で絵が下手な事で特別損をした事がなかった。
だけど昨今鬼滅の刃が流行り、子供から鬼滅の絵(主に猗窩座)の絵を描いてとせがまれる事が多くなった。
こちとらアンパンマンやドラえもんまではギリギリそらで描けるが猗窩座は見様見真似でも流石に無理。
特にあの三本線が顔に全く馴染まない。
という事で年も変わり新年の目標として上手く猗窩座を書きたいんだ。
アイビスペイントというアプリも入れた、あとは描くだけ。Photoshopは使えるのでレイヤーやフィルターの概念はある程度理解している。他に何か必要であれば10万までは出せる。
はてなーのみんなはアニメアイコンが多く博識な方が多いと感じるので、効率よく絵が上達するノウハウ等あれば教えてほしい。
バトル系マンガで千兆回も繰り返されている「えっ?」は、ダサいので今すぐやめてほしい。
「えっ?」を詳しく説明すると、
「雑魚っぽい敵が、目にも留まらぬ速さの攻撃(露悪的な残酷描写であることが多い)を喰らって、自分の欠損した部位を見つめながら呆けたような顔をして、
『えっ?』
しかし「いきなり残酷なことが行われる」状況を演出する術が、呆け顔と「えっ?」の台詞しかないのが駄目なのだ。
何故もっと工夫しないのか。
そこに労力を遣いたくはないが、なんとなく残酷っぽいことをやって格好はつけたいという姿勢が、ダサい。
陳腐化した表現なのに、それを使い続けられる無神経さがダサい。
しかも割りと大ゴマのことが多く、作者本人は見せ場のつもりらしいのが情けない、恥ずかしい。
例えば、マンガ好きから崇められている荒木飛呂彦は「ジョジョ立ち」「特殊な擬音」「人間賛歌」などで持て囃されているが、こういう「えっ?」のようなシーンでも、得意の「ドドドド」効果音を使って自分の作風に取り込んだ上で使ったり、ギャグっぽくしてみたりと、工夫を欠かさない。
似たようなシチュエーションでは(雑魚キャラじゃないけど)、2部で敵に勝利したと思ったジョゼフが不意打ちで腕を失う場面があるが、緊張感のみなぎる無音コマでその衝撃を描いていた。
こういう基礎力こそを評価し、見習うべきではないのか。
他の漫画家も似たようなシーンを描くことがあるが、有名なバトル作家の場合は、キャラの後ろの背景を描いた上で「状況としての緊張感」込みで演出するなど、みなそれぞれに工夫している。
逆に言うと、この程度の工夫でいいのだ。
それすらできない奴が、なに漫画家なんか名乗ってんだという話である。
おまえらは漫画家ではなく能無しふにゃちんダサダサ包茎マンだこのボケが、ということである。
繰り返しになるが、すでに陳腐化した「えっ?」という表現で済ますのは、一表現者として非常にダサいことであり、見るたびにゲンナリするので、即刻やめてほしい。