はてなキーワード: ホームシックとは
ただその中の女の子のスカートがすげー短くて、これでもか!というほどガン見してやったわけだが
その後 家に帰り全く別の件でツイッター見てたらなんとその子の鍵なしアカウントを見つけてしまった
これはきっと神様がお仕置きのチャンスをくれたに違いないと思ったね
んでアイコン画像をプリントアウトしてぶっかけてやろうかと思ってたんだが・・・
よくよくツイートを読んでみたら、去年の4月に大学に入ったばかりのまぁクソガキなの
月3回もディズニーランドに行きやがったり
お母さんから化粧の仕方を教わったり
リア充生活を満喫しているかと思えばホームシックにかかって頻繁に実家に帰ってたり
すべてがうまくいくほど人生は楽じゃないとちゃんとわかってたり
いつしかそんなカノジョのツイートをこっそり覗き見るのが俺の楽しみのひとつとなってしまっていた
そのキラキラした日々を自分の学生時代と比べて、あまりの違いに落ち込んだり、
それでもときには共通点を見つけて、ちょっと懐かしくなったり・・・
もしかしたら、俺・・・この子が卒業する日が来たら、一緒に泣いちゃうかもしれない・・・
最近はそんなこと思ってる
例の記事は要約すると「富裕層に生まれて何不自由なく育ったお嬢様の私がホームシックになった件について」みたいな話だ。こう書くとラノベみたいだなと思うが本当に創作かと疑ってしまうような、こちらとしてもある意味カルチャーショックを受ける記事だった。
まず断っておきたい。自分は記事に対して批判的な立場ではあるが同意できる部分もある。知らなかったということを内省する姿勢──所謂無知の知というやつだ──や、田舎特有のネットワークについて。二点に関しては最早何も言うまい。
「親のステータスを自分のステータスと誤認し歪みきった価値観」
"まず今までの人生で親の所得の話になったことが一切なかったことに気がついた。"
"遊ぶ時にかかるお金は、その思い出に対して支払うものであり、いくらになろうと楽しければ構わないし、やりたいことをしてきたと思う。"
"地方都市なんだからデパートくらいあるでしょうというが、私は新宿伊勢丹で先行発売の化粧品を、エムアイカードのポイント10%還元を利用して購入したいのであり、そのついでにフェラガモの靴を物色したり、グッチの新作にケチつけたりしたいのである。"あたりだろうか。
純粋に聞きたくなった。
「誰が稼いだお金ですか?」と。
当たり前ではないことを当たり前だと思い込んでしまうのはかなり恐ろしい。教育に費やす金銭に関しては未来への投資だから理解できるのだ。
しかしどうだろう、親の金を感謝もなく湯水のように使うことが「当たり前」であると彼女は思っている。本当にあった怖い話、だ。
よくもまあ大きな顔をしてそんなことが言えるな、と思ってしまうわけで。
薄っぺらい。
また、他人の靴を貶す神経は私にも理解できないが「『トリーバーチすら知らない』ことに驚く」彼女の思想に驚いてしまう。
狭い。狭すぎる。大体靴を貶すことに田舎者も貧乏人も関係あるはずがない。
彼の態度を貶すのも結構だが自身の無知を貶す態度も貶されて当然のものと思う。彼女が忌み嫌う「田舎者」「貧乏人」の思想は誰でもないあなたが持っているのだと、誰か教えてあげてほしいのだ。
知らないことは罪ではない。知ろうとしないことが罪だというのに。
少しだけ自分の話をさせてほしい。
私は「田舎者」「貧乏人」でもなければ「都会人」「金持ち」でもない、ごくごく普通の中流家庭に生まれ育った、彼女と同年代の子供だ。
ただ単に「金持ち羨ましい! ムキー!」と腹を立てていると思うのであれば間違いであると言わせてほしい。
近くにはコンビニやデパートがある。街を歩けば知人に会うことはしょっちゅうある。それなりに中途半端な土地に生まれ、それなりに普通の暮らしをしてきた。世間のこともそれなりに知ってはいるのだと思う。少なくとも知ろうという気概は持ち合わせている。
"たかだか地方の医学部に、賢い人間なんていないのだ。本当に賢い人は、理三だの、ハーバードだの、そういうところにいるのであり、医者になるとか、ならないとか、そんな次元のところにはいない。"
彼女はそう言う。
賢いとは何なのだろうか。「勉強ができる」それ即ち賢いということなのだろうか。
確かに、具体例は一つあるようだ。
テンプレート的に凝り固まって歪な価値観をいつまでも、アップデートすることなく大事に大事に抱え続ける、お世辞にも賢いとは言えないお嬢様が。
"生まれ育った土地が自分には一番合っているというだけなのに、田舎と東京の話に置き換えている私はきっと性格が良くないのだと思う。"
地元が嫌いで東京に出てきたクチなので前半については何も言わないが、後半に関しては、確かにそうだ。
私達は歪んでいる。
だから私達は互いに、もっと広い世界を知らなければいけないのだ。
敢えて批判的に書いたが序盤に記したように当然称賛に値する箇所はある。どこの誰とも知らない人間のちょっとしたモヤモヤを吐き出しただけだと思ってもらえれば幸いだ。
ついこの間、ツイッターで「海外にいるのにネトウヨになってしまう人間って何が起こっているんだろう」という意見を見た。気持ちはわかる。ツイッターで海外情報を発信する様な人って、海外のリベラルな雰囲気が好きな人が多いし、多くは海外在住だ。そうした人の周りに集まるのはやはり似たような思想の人。「海外に行きさえすれば、差別発言に敏感になる」と思う様になるのも無理もない。
自分も海外に約7年住んでいた。外国人のみならず、海外在住の日本人も人種差別に断固反対、ネトウヨなんてもってのほかという人が多い。日本在住の日本人がなんの気もなしにポロリと漏らす一言が海外なら顔をしかめられる程の差別発言だったりする事があるのも身に染みているし、同じ日本人としてちょっと恥ずかしいと思う事もある。
ただ、そんな私も昔ネトウヨになりかけていた。今では恥ずかしい黒歴史だが、11歳の時に親の都合で某欧米諸国に移住、高校卒業まで欧米で育った自分がネトウヨになりかけた過程を、何かの為になるかもしれないのでここにつづる。
こうした思想に染まりかけた理由としてまず第一に挙げられるのが日本へのホームシック。
社会人、日系企業勤めでの海外転勤なら、周囲の人間も日本人が多い。お金を出して日本食レストラン(メニューは日本語と現地語併記、店員も簡単な日本語ならわかるし、日本人の扱いになれている)に行ったり、日本式カラオケにも遊びに行けるし、そこまでホームシックは強くならないかもしれない。
ただ10代の学生という身で望んでもいないのに海外へ来させられた自分にはそんな事は許されなかった。親も早く英語を覚えてほしい一心で「あまり日本人とつるむな」と言いつけ、日本人の店員がいるレストランや店には一切連れて行ってもらえなかった。日本語に触れると英語を覚えないという理由で、日本で小遣いを貯めて集めた日本語の小説本も目の前で捨てられた。しかし英語も喋れない自分に外国人の友達ができる訳もない。一度だけ現地の日本人と仲良くなりかけた事もあったが、先生が母に「最近増田さんにお友達ができた様でよかったです。○○ちゃん(日本人)っていうんですけど」と、先生的には「ようやく友達ができてよかったね!」という善意の報告をしてくれた際、親はそれを「裏で日本語を喋っているという密告」と取らえ「あんた日本人と友達になってるんだって!日本語で喋っているのか!」とこっぴどく叱られてしまった。それからは日本人からも距離を置くように。英語のコミュニケーションも全く取れない上に、「助けようと日本語で話しかけてみたが反応が薄い」という事で数少ない日本人の学生からも遠巻きにされる様になり、どんどんクラス内で孤立していった。
そんな中、唯一の息抜きと言っていいのがインターネットだった。当時はまだダイヤル回線でスピードも遅かったが、学校の課題で必要という事で使用を許され、かつ父が仕事で日本語を使用する事もあり日本語の読み込み・書き込みができる父のお古のPCを手に入れた。遠目に見れば何語のホームページを読んでいるかはばれず、これが唯一「家族に秘密で日本語と触れられる媒体」だった。
元々アニメが好きだったし、海外に出た事で日本のアニメがいかに評価されているかというのかを肌に感じるように。自分が作ったわけでもないが「日本のアニメはすごいね!」と褒められるとやはり嬉しくなるし、海外オタクが何人か話しかけてくれた。つたない英語しか喋れない自分が外国人オタクと対等に喋るには向こうが知らなさそうなネタを仕入れなくてはいけない。それには日本語で検索した方がより精度の高い情報をゲットできるだろう。2ch(現5ch)に出会うのは時間の問題だった。
ここまで書いてきてわかると思うが自分は内向的な性格をしている。外で遊ぶより家で一人で本を読んだりお絵かきしたりしている方が楽しいタイプ。日本ではそれでもかろうじて友人はできたものの、言語の問題もあり、海外では全くできない。日本で友達がいたという事は性格の問題ではないはず。じゃあ何が問題なんだ?→周りの環境だ。と考えを飛躍させてしまった。
今となっては自分が周りと馴染もうとしていなかったのが要因だとわかる。外国人との話題だって自分がわかる日本のアニメの事ばかり。彼女達が勧めてくれたアメコミやカートゥーンを下に見て、日本のアニメを英語吹き替えで観る外国人オタクの事も内心馬鹿にしていた。口にこそ出さなかったものの、周りにもその空気は伝わったのだろう。日本アニメばかり放送している国内ではそうした見下す雰囲気もバレずにオタク友達はできたかもしれないが、海外では無理な話だ。せっかくできた外国人のオタク友達もだんだんと私と距離を置くようになっていき、私はそんな友達を「日本アニメのネタを知っている自分に嫉妬しているに違いない」と恨むようになった。
そしてこの思考は「ニッポンスゴイ!」と称賛する2chととても相性がいい。
自分に友達ができないのは外国人が悪い。日本の文化は世界一なので日本人である自分が悪いはずがない。
クラスで孤立していた自分はこの2chの「ニッポンスゴイ」に自尊心を擽られ、ネトウヨ的思想に少しずつ染まっていった。
脱却したきっかけ
上記に色々書いたものの今はネトウヨはやっていない。というよりあのミソジニーや人種差別発言に嫌気がさして距離を置くようになった。親に反抗して日本人の友達を作ったこと、自分の性格を見直し外国人の友達もできた事、成績を上げて「日本人である事」以外に自尊心を保てる様になった事も大きい。
自分のネトウヨ的思想を見直すようになったきっかけは2ch特有の人種差別発言だった。海外にある程度滞在をした人なら多分わかってもらえると思うが、自分が外国人というマイノリティになった時に、手を差し伸べてくれるのは大抵同じアジア人だ。そんで留学してる日本人学生なんかも最初に仲が良くなる外国人は圧倒的に中国人・韓国人が多い。もちろん中には悪い奴もいるが、それは日本人も同じ。
自分も漏れず、初めてできた外国人の友達は韓国出身の女の子だった。生活環境が近く(主食が米だとか、鬼ごっことかの遊びのルールの細かい決め事とか、好きなアイドルとか)アニメ以外に共通の話題があり、海外で初めて「アニメに頼らずに」できた友達だった。この子とは2chに出会う少し前あたりから仲良くなり始めたので、初めて2chでの人種差別発言を見た時も中国人・韓国人に関しての流説は最初から懐疑的になれたのは大きかったし、完全に洗脳されずに済んだのは彼女のおかげだと思う。
そしてそれ以外に自分が腐女子だという事。ご存知の通り(ていうかついこの前も話題に上ったけど)基本的に女というのは2chで馬鹿にされる。801板や喪女板等の限定された場所以外で女を出せば「臭い」と罵られ、飯炊き女、ダッチワイフ以上の価値は認められない。違和感を覚えながらも最初は男のふりや名誉男性的発言で書き込んでいた。この違和感が確信に変わったのが「男の体ってなんの価値もないよな」的なスレで「腐女子とかゲイとか専門にやっていけば」という書き込みをした時だった。(一緒に並べてしまってゲイの方に本当に申し訳ないです。謝ります)。臭い、お前の話す戯言には何の価値もない、早くおぱいうpしろ等の罵詈雑言を浴びながら、今の今まで女として直接自分の書き込みを攻撃された事がなかく「こいつら女を馬鹿にしている割には直接女っぽい(この場合は腐女子として自分の意見を書き込む様な)レスをしない限りどの書き込みが女の書き込みなんだかわからない程度の頭脳しかないんじゃないか」と気づいた。
ちょうどその頃からピクシブやツイッター等、2ch以外のSNSも活発になり始め、日本語でコミュニケーションが取れるコミュニティも増えていった事から2chから離れる決心がついた。
学校で孤立していたからインターネットに居場所を求めた。これは別に日本海外関係ないと思う。海外で孤立しかけていたのは母親に日本人とつるむなと言われたのが要因の一つと認識はしているが、ずっと日本にいてもそれ以外の理由で孤立していたかもしれない。自分はあまり社交的な性格ではないので、親の事がなくとも運が悪かったらいじめられていただろう。
でもそれ以外の理由。例えばインターネットの普及がもう少し早くて、韓国人の友人ができる前に個人PCを与えてもらっていたら。先に2chと出会っていたら完全に洗脳されてしまっていたかもしれない。
自分が海外に出て友達ができない理由を「外に」向けていた事の問題を認識できなかったら。実際私はそうしたからこそ、その思想と親和性の高いニッポンスゴイ、ガイコククソ思想に陥りかけた。
これって私の様に幼少期から海外に出た人以外にも、今の世代の人間なら十分にこの危険性はあると思う。今の様にネットが発達して外国人の知り合いができる前にネトウヨ的スレやツイッタラーに共感する様になっていたら、その後海外に行っても友達はできないだろう。よくて日本人の友達のみ、アジア人からはそっぽを向かれるし、レイシストという事で非アジア人からは軽蔑される。それを顧みないでいると「だから外国は駄目なんだ!ニッポンスゴイ!」とさらにネトウヨ的思想に巻き込まれる悪循環に陥りやすい。
それ以外にも日本で一所懸命英語を勉強して留学をしていたのに、全然英語が通じず友達ができなかったら。ホームシックに強くかかってしまって、日本語のコミュニティを探し、そうしたネトウヨ的思想を持つところに入ってしまったら。
例えば自分が男だったら。マジョリティとして2chの民が認める生き物は「日本人の異性愛者の男(パリピは不可)、ヤマジュンネタをニコニコ笑って許してくれるゲイ(ただし自分には絶対に危害を加えない)、ダッチワイフ」という事に気づくのが遅れて、あるいは気づかないふりをする事ができて、深みにはまっていったかもしれない。
例えば同時期に海外へ住した来た女性のコミュ力が高く、自分より馴染んでいるように見えていたら。そして自分が男だったら。女性蔑視に陥ってネトウヨの方に転がり落ちるかもしれない。私は女という性別だからこそ、自分より海外に馴染んでいる日本人の女友達に対して「彼女はコミュ力を高める努力をしたから」「英語の勉強を頑張っているから」と思えたが、自分が男だったらそこらへんすっぽかしてたかもしれない。ていうか多分そうしてたと思う。
海外に行けばリベラルな思想になるというのはある意味では間違いではないと思う。結局出会う日本人のリベラル率、海外の方が断然に高い。そうした人が海外に出ていくわけだし、海外が受け入れる人材もそうした日本人だ。今は自分の経歴を生かして留学生なんかを支援する活動をしているんだけど、1年以上の留学を経て帰国した人たちはやっぱりずっと日本で育ってきた人に比べて差別発言に敏感になっているし、自分もできるだけそうした言動をしない様に気を付けている。
でもだからと言って海外に行けば自動的にそうなる訳ではない。必ず数人はネトウヨになりかけて、或いはなって帰国する。自分が2chに入り浸っていた事、ネトウヨに染まりかけていた事、今ではあまりにも恥ずかしくてリアルでは言えない過去。幸いにも脱却できたが、こうした事が「自分が海外にいた」事も要因だったのも事実だ。
俺はイチローと同学年、愛知県出身、小学校から野球をやってた。
なのでイチローを中学生の頃から知ってる。向こうは知らないけど。
野球やってるやつだけじゃなく野球好きのおっちゃんおばちゃんたちもイチローが中学生の時から、「あれはプロに行くがや」「中日行くでサインもらっとかないかんて」といつも言っていた。たしかに飛び抜けてうまかった。イチローがオリックスに行った時は、みな口々に「中日アホだがや」と怒り、オリックスで活躍しだした時は、「ほら見い。言った通りだがや」と中日に呆れ、メジャーに行った時は、「アメリカから帰って来たらやっと中日だがや。」と他県に進学、就職した息子が修行して帰って来るような期待と誇りを持って応援していた。
俺はその後野球はやめて進学し、サラリーマンになった。野球よりも楽しい事もあったしあの当時愛知県出身のプロ野球選手はまぁまぁいたし、忙しくなってそこまでイチローのことに興味はなかった。
イチローがシアトルに行った年にちょうど俺もカナダに転勤になった。海外には住んでみたかった。留学は金がかかって無理だったから、話が出た時は飛びついた。海外転勤なんてエリートみたいに聞こえるが、小さい漁業系の会社でまわりは漁師や加工工場のおばちゃんたちしかいなかった。給料なんか平均以下だし俺の英語もままならないし、知ってる人もいないし、大手企業じゃないから手続きやらなんやらほとんど一人でしなければいけなかった。疲れきって空っぽのアパートに帰って自分とこの缶詰や加工食品を食べながらテレビを見たら、なんとイチローが出てる。でもイチローとは呼ばれていない。最初はイッキルーみたいな発音で呼ばれていた。で、俺の英語力でもわかるようなバカにされ方をしていた。小さいけど大丈夫?wとか、はーい!2塁打!がんばりましたねwみたいな。マリナーズがお金をもらってイチローを出させてるみたいな話もあった。
俺は俺の知り合いみんなが誇りに思っている昔の試合相手をバカにされてまじでムカついたけど、そうなのかもしれないとも思った。あんなでかいやつばかりの中でやっていけるわけがない。やっぱりメジャーと名電は違うわな。イチローも俺も名古屋に帰ってイチローは中日、俺は名古屋でトヨタ系かなんかに再就職して、またみんなで近所の飲み屋でイチロー見ながらワイワイやって、ながれでバッティングセンター行って、地元の子と結婚して子供が生まれて野球やりたいって言ったら野球やらせて、みんなでバーベキューに行ったり、釣りに行ったり...
ホームシックになった。
ホームシックになったからと言って帰る度胸は持ち合わせていなかったので、しょうがなく毎日働いた。そのうちいつも酔っ払いの漁師が「おい、イッキルー知ってるかお前。あれ日本人だぜ。すげーな。俺はホッケーしか見ないけど最近は野球も見てるんだ。」とか工場の休憩所でスポーツニュースのダイジェストが始まるとおばちゃんたちが呼んでくれて、「あの日本人小さいのにすごいわねー!」とか言ってくれて、そのうち俺も拙い英語で、俺も野球やってた事、イチローと試合した事がある事なんかを話せるようになっていた。
英語力の事じゃなくて俺の話を聞いてくれるようになってたって事。
その頃すでにスポーツニュースのダイジェストでイチローのファインプレー特集みたいのが急に多くなっていて、カナダの片田舎でもみんながヒューヒュー言いながらイチローの活躍を見ていた。
数年が経ち俺は帰国する事になったけどイチローは悪口も言われてたけど、それは相手チームの悔しまぎれの悪口で大活躍のままだった。
帰国すると思ったら今度は東南アジアに行かないかと言う話になって、また一から異国でやり直しになった。とはいえなんとなく外国人でいる事に慣れてきていたので、初海外よりは早く慣れた。早く慣れたのが良かったのか悪かったのか、人生初の大恋愛をした。
薄給なのは変わらなかったが仕事もまぁまぁこなせるようになって、彼女もできて、大人として少し自信がついた。結婚を申し込もうと思った矢先、彼女は事故で死んだ。
俺も死ぬと思った。彼女を突然失った事は内臓が口から出るような苦しみだった。未だにこれに関しては思い出したくない。
そんな時WBSがやっていた。テレビなんか見る気にならなかったけどたまたまついていたNHKでやっていた。野球だからやっぱりついつい見た。
そこにイチローが登場。俺は東南アジアの硬いタイルの床に正座して見ていた。イチローの気持ちと俺の気持ちなんか全く関係ないけど、一瞬リンクした感じがした。
俺は号泣した。
イチローがアメリカから日本に帰ってきたら中日に来ると信じてたおっちゃんは去年亡くなった。俺がカナダに行く時に使った小牧空港はとうに使われていない。昔虫捕りをした山はカフェだらけのおしゃれな街になってる。同級生はハゲたり太ったり。味仙に関しては相変わらず美味い。
「パパこの人のこと知ってるんだよねー!」
「うん。イチローはパパのこと知らんけどね。でもパパの人生にはイチローがおるんだ。」
「よくわからんけど」
関西生まれ関西育ちの私は、「同じ国民=同じ仲間」だと思っていた東京都民から想定外の敵意を受け、思わず愕然としました。
台風の影響でたくさんの飛行機が飛ばなくなって、彼女の旅行社に苦情が殺到したときがあったそうです。
「飛行機飛ばへんのかいな!!どうにかせえや!!!!!」関西方言はときに、乱暴で攻撃的に聞こえます。
関西の中でも、大阪や神戸といったド関西とは少し離れた田舎で生まれ育った私には、そのことは感覚的に理解できます。
高校生の頃、部活動の遠征でしばしば田舎から神戸まで出てきたものですが、自分たちと異なるイントネーションや語彙に違和感を持って、親しみを感じにくかったおぼえがあります。
「なんて乱暴な話し方だ。やっぱり関西の人は礼儀知らずだ。」彼女やその同僚たちが至ったのは、このような結論だったそうです。
(そもそも私や彼女らが、関西方言に乱暴な感じを覚えるのはなぜでしょうか。
それは自分と異なる性質の人間の集団に対して、危機を感じることと関係があるとおもいます。
なぜ自分と異なる性質の人間の集団に危機を感じるかというと、異なる価値観を持つ人間は、自分に攻撃してくる可能性が大きいからです。
これまで維持してきた生活や考え方を揺るがされることは、人間のアイデンティティの危機をもたらします。そして人間にとってアイデンティティの危機は、生命の危機とも言えます。(実はこの辺りはまだよくわからない。教えて欲しいです。))
ひとくちに異なる価値観といっても、例えばわたくし関西(の田舎、、笑)人からみると、東の標準語は比較的洗練されて聞こえます。なぜでしょうか。
東京の人たちから関西方言が野蛮に聞こえるのは、自らが住む地が日本国の首都であるという自負があるからではないかと、今は思っています。また、地方の者が東京の方言を洗練されていると感じるのも、同じ理由からだと思っています。
繰り返しになりますが、東京生まれ東京育ちの友人から関西に対する偏見を聞いた経験は、私にとって非常に衝撃的なものでした。
これまで身内だと思っていた「日本国の首都、東京」に対する認識が覆されました。すなわち、自分が「日本国」だと認識している範囲について、懐疑的になったのです。
具体的にいうと、これまで北海道から沖縄までを日本国だと思っていたのが、実は「自分が認識できている範囲=自分の周囲の人間関係や社会」を日本国であると思い込んでいるだけではないか、と疑うようになりました。
私は以前中国の上海に留学していたのですが、文化や習慣、環境の違いから、ホームシック気味になるときもよくありました。「日本に帰りたい」と強くおもうときもありました。しかしそのときに帰りたいと思った場所は、果たして「日本国」なのでしょうか。それとも、単に「自分の家や友人、地域、地域の文化」が恋しかっただけなのでしょうか。
国ってなんなんでしょう。
今の世界では「国」が一つの基本的な単位になっていますが、その「国」ってなんなんでしょうか。
独りで生きていけるって思わないと不安になる。
私は大学生で、彼氏も歳が一個上の大学生。お互い地方から来た人間で、帰省することは大切だと思ってる。今、大学は夏休みで、彼氏は帰省中。1週間くらい地元にいる。
私もちょうど5日ほどバイトがないので実家に帰ろうかと思ったが、実家に電話すると両親ともに働いてるため「今家に来ても誰もおらん」とのこと。結局1Kの住処に留まることとなった。
彼氏ができる前の大学一年生の夏休みは、別にこんな不安を抱いていなかった。バイトがあるから帰省もそんなにしなくて、バイトがない日は部屋でゴロゴロと過ごす日々。たまに部活に顔を出したり、ぶらっと1人で買い物に行ったり(もとより友達が少ないのだが、その大学の友達も地方民で夏休みの間中帰省していたのだ)。
1人で行動するのは嫌いじゃない。1人暮らしを始めた時もホームシックにかからなかったし、1人でラーメン屋に入ることに幸福を覚え、1人で映画を見ることに満足し、狭い部屋でアニメや撮り溜めてた某アイドル番組を見ることが楽しかった。今もそうだが。
とにかく、1人で生きていけるのだ。私という人間は。
しかし、何がどうなったのか私に交際を申し込んできた男がいた。私は肯定の返事をした。はい、よろしくお願いしますと返事をした当時、私は変な男に言い寄られていたため、(なんかそれなりに仲が良い男なら)誰でもいいから付き合いたい、そして安心感を得たい、という気持ちが大きかったのだ。おかげで変な男からのLINEの通知を相手するにも謎の余裕ができ、今はブロックするに至る。
そうだ、私は1人で生きていけるはずなのに、手を差し伸べられたら、その手を取ってしまったのだ。
しかし、私は1人でも生きていけると思わないと不安になる。だって今まで1人で生きていけたんだ。友達もいたら楽しいけど、そんなに頻繁に遊ばなくても良かったし。1人でファミレス入るのも苦じゃないし、1人で遠出もするし。感動したドラマもマンガも別に友達と共有しなくていい。
でも、今の私は酷く寂しい気持ちにいる。
彼氏が帰省したと知ったのは、バイト帰りの夜のことだった。不在着信があったから、折り返したら「今地元に帰ってきた」と。別に前から言っとけよとかは思わない(このようなやり取りは私たちの間ではそんなに珍しいことではない)が、なんとなくモヤモヤした。アパートに帰り着いて、うーん?と首を傾げた。ご飯を食べて、風呂に入って、ベッドに入った。スマホを弄りながら、なんとなく、泣きなくなった。
翌日から5日間バイトもなく、完全休日が幕を開けた。1日目は、1人でも生きていけるって思いたくて、映画を見に行った。映画は感動したし楽しかった。いろんな店にも入った。新しいバッグが欲しかったけど、あんまり気に入るものもなく。そのうち、私は何してるんだろうと思って帰りの電車に乗った。そういえばネットショッピングの支払いがあるんだった、と近所のコンビニにより、ついでに美味しそうな新商品のコンビニ弁当があったから買った。
夜、私はいつの間にかイツメン(もう死語か?)のLINEグループにメッセージを送っていた。
私は、1人で生きていけなくなってしまったのだろうか?彼氏に依存してる?彼氏がいないと生きていけない?そんなはずはない!だって会う頻度は週2、3程度だし、別に会わない日に寂しいなんて思わないし!じゃあ、今はなんでこんなに寂しいのだろう?どうすれば、この不安から解消されるの?
“独りで生きていける”が“1人でも生きていける”に変わったのは、いつだ。“一人で生きていけないかもしれない”と思い始めたのはいつだ。なぜだ。どうしてだ。
母親の行動は以下のような感じだった
書き出せるのはこれくらいだが多分まだあると思う。
小学生の頃からの夢は「一人暮らし出来るほどお金を稼いで家を出ていく」だった。
引っ越しの日が待ち遠しくて仕方なかった。
今までこれほどワクワクしたことはないんじゃないかと思うほどだった。
それは突然起こった。
急に涙が溢れてきたのだ。
騒がしくないし、干渉もされない。
嬉しいはずなのに。
何故だか涙が止まらなかった。
所謂ホームシックなのだろうと推察したが、何故ホームシックにかかったのかは分からない。
現在一人暮らし1週間目、涙がでることはなくなったが、この気持ちは初日から変わっていない。
ここまで書いてふと思った。
本当は「嫌いじゃなくなった」ではなく「嫌いじゃなかった」のではないだろうか、と。
実家にいた時は「親を大切にした方がいい」という話はよくネットやテレビ、漫画等で幾度となく目にしてきた。
また、自分は冒頭の理由により、女とはそういうものだ、という刷り込みがあったため結婚に興味がなかった。
「孤独は辛いよ」
そして二言目には「結婚した方が良いよ」と続いた。
「親を大切にした方が良い」も「結婚した方が良いよ」も実家にいた当時は反吐が出るほど嫌いな言葉だったが、今なら理解できる気がした。
もともと東京で働きたかったわけじゃない、でも若手で期待されているのを知ってたしキャリアアップになると確信して部署異動も含めて辞令を飲んだ、後悔はしてない。
でも転勤して、上司の期待通りのことは何一つ出来なくて、オペレーター仕事しかできず、なんのために転勤したのかダンボールだらけの部屋で毎日涙目で自問自答した。
満員電車と人の多さが怖かった、誰かとご飯を食べることが減り、醤油がしょっぱくて食パンが薄く、空気が乾燥していて、物価が高く、なにより東京は寒かった。
大雪の日の夜、しんしんと積もる雪を見て感じたのは薄い恐怖だった。このまま振り続けたら、生き埋めになるのでは。
朝起きて一面真っ白で深く雪に埋もれた景色を見て叫びそうになった、会社を休んだ、布団の中で泣いた、こんな遠くに来るつもりなかったのに。溶けない雪が死ぬほど怖い。
生まれ故郷は地面そのものが温かくて雪が降ってもすぐ溶けてしまう、温暖な気候、硫黄の匂いのする街だった、嫌な思い出もあるけど心底帰りたいと思った。
でも帰ってどうするの、私の席などないのに。どんな顔して帰るの。不様だ。
ふとした瞬間に生まれ故郷の方言がもう出てこない、かろうじて、関西の方?と聞かれる、笑って違いますと答える。
頭に靄がかかってる、朝きちんと来てくれるだけでいいんだ、きちんと来てから先の話をしようと上長は優しく諭す。チームのみんなが心配して代わる代わる声をかけてくれる。分かってます、色々試行錯誤してて、上手くいきそうな途中なんです、新しい枕を伊勢丹で買ったんですよ、そんでアロマデュフューザーで快眠のやつ焚いてるんです、大丈夫です、大丈夫ですよ、頑張ります。
産業医は鬱じゃないと言った、そうですちょっと生きづらくてホームシック引きずってるだけです、もともと根暗でロングスリーパーだし、朝は弱くて、生理痛と胃痛もあってちょっと今タイミングが悪いだけです。7時には目が覚めてるんです、頭に靄がかかってるだけで、上手くスイッチが切れたら始業に間に合います。
自分は地元から離れて他県の工業高校で下宿生活を送りながら通っている新高校一年生。
入学前は将来的にはこんな目標!!というビジョンがあったものの登校2日目で進路間違えた思考+ホームシック+中学の時と違って交友関係を築けそうにもなく午後で早退。
自分の良さが活かせなくなってるし、このまま続けることも不可能だと思い始めてる。どうせなら今退学して、通信高校→地元の公立大学→公務員になりたい。
自分の選択は甘過ぎた。大人ぶってる場合じゃなかった。子供なんだ。
進路を変えるなら今なんだ。
ずっと言い聞かせている。
工業高校は悪くない。
ただ高校生から親元を離れて暮らすことを生半可に思ってはダメだ。
実際に今はご飯も喉を通らない。
プライドが許さない、高校中退がダメ、そういうことではないだろう。
幾らでも今ならかえられる。
もう無理だ。精神がボロボロ。テスト勉強どころじゃない。それでますます追い込まれてもうどん底。
生理一週間前にきたのにまたきて、ずっとPMS酷くて頭痛くて、精神も不安定で意味なくボロボロ泣けるし、そんなだからテスト勉強集中できなくて、ぜったい単位落としたくないからまた追い込まれて、それで寝られなくて、ますます頭痛酷くなって、生理だから眠いし、しょうがないからレッドブルとかコーヒーとかのんで、そうすると今度カフェイン中毒で頭またガンガンして、生理痛ひどくてロキソニン飲んで、眠くなって、レッドブルのんでお腹痛くなって、寝ないと酷くなる一方なのにテスト勉強集中できなくてどんどん時間ばっかりかかって、寝たらよくなるかもしれないけど起きられる保証がなくて、単位は落としたくないし、間に合う保証もないし、今週いっぱいはこうやって体騙しながらやってくしかなくて、辛くて辛くて、ホームシックになった
ホームシックになったら前よりもっと泣けてきて暗くなってくるとどうしようどうしようって不安になって、家族に会いたくて、寝たいし、頭とお腹いたいし、単位落としたくないし、テスト勉強もっと早くやれば良かったとかぐるぐる色々考えて、とにかくやらないとってコーヒーのんで、ロキソニン飲んで、ほとんど泣きっぱなしでレジュメの文字よく読めなくて、でも頭に入らないといけなくて、ただでさえパソコンで目も使いすぎで寝てないし、目も腫れてるのにもっと腫れてて、そして今日は1限からテストで、今日はほかにあと二つもテストがあって、眠いし、お腹いたいし、頭痛いし、血もいっぱい出てて、全然うまくいかないし、単位不安で泣けてくるし、ママに会いたいし、いえにかえりたい
生理がおわってくれたら、こんなことにならないのに、おわってくれたとおもったのに、もういやだ
はやくいえにかえりたい
実家に知的障害者の兄がいる。一緒にいるとストレスが半端ではない。生理的嫌悪感も。
大学進学を機に上京して、快適すぎて一度もホームシックにならなかった。
アラサー独女になってみて、もし自分の子どもができたとして障害者だったら我慢できない。なんでゆりかごから墓場までそんなもんの相手を狭い家の中でせねばならんのだ。
家族である限り責任が生じて社会もたいして助けてくれないんだから、障害者が産まれたら赤ちゃんポストにダンクシュートしたい。でもそんなの非常識すぎだから子どもはいらないかな。
もうひとりいる健常の兄は結婚してる。子どもも普通にほしいみたい。
もし私に子どもとかいなくて、東京でひとりだか夫婦だかで楽しく暮らしてたら、ずるいって言って実家にお金や時間を取られるんだろうか。
障害者の兄を見ていて、かわいそうだなぁとは思う。本当に。普通に生きてるだけで厄介もん扱いされて自分だったらただただ辛いだろうなぁ。
ばあさんがむかし、「本当の孤独を知りたかったら兄を見ろ。友達なんか一人もおらんじゃろ。」って言ってたのには笑った。
でも、今現在不快なもんに変わりないし、苦労したこともないよその人に私のほうがオカシイと思われるのもむしゃくしゃする。ホントは障害者がいるってだけでこっちの一族郎党まで無意識に差別してるんだろうに。
健常者しかいない家が羨ましいなぁ。ほのぼの団欒してるおうちの子は、兄に絡まれたらウザイから夕食後は蜘蛛の子を散らすように各々自室に籠もる我が家とかドン引きなんだろうなぁ。
もし障害者ナシ家庭なら、この人うちの実家との付き合いはキツイなってわたしが勝手に判断して別れた彼氏と、結婚できてたのかな。
どんな家にも苦労はあるから言っても仕方ないんだけどね。
俺はたぶん無い。
以下蛇足
田舎から上京して10年が経った。ずっと田舎から離れているが一秒もホームシックになることも無くすごしている。
俺がこのまま東京にずっと住むのかは別として、地元には戻らないだろうとは思っていた。実際数える程度しか帰っていないし。
しかし数年前、兄が半ば婿養子のような形でで別の県へ行ってしまった。
両親は強く帰って来いとは言わないが必然的に俺が戻ってくる流れになっている。
正直地元に何も魅力も感じないしできれば帰りたくない。彼女を連れて行きたいとも思わない。
別に両親と仲が悪いわけではないし、嫌いな親族がいるわけでもない。
田舎とは言ったものの、それなりに(田舎のわりに)栄えてはいるし、生活する分に不自由はないだろう。(家賃も安いし)
地元に悪い思い出もない。むしろ高校時代まで楽しく過ごした所だし、友人も結構残っている。
ただ、圧倒的に地元愛がない。
その友人は飲みに行く度に地元に帰りたいと言う。何故そんなに帰りたいのか一度聞いたことがあった。
すると「生まれ育ったところだから」「好きだから」「そういうもの」「帰巣本能」「地元愛」そんなことを言われた。
「なるほどねぇ」と返事をしたが全くピンと来なかった。
「確かに生まれ育ったけど」「別に嫌いではないけど好きかと言われたらそこまでではない気がする」「帰巣本能ならあるよ。でも今住んでるマンションに帰りたい」「地元愛ってなんだ」
先日、その友人の紹介で同じ地元から上京してきた人が集まる会に参加した。(県人会?)
その人達にも聞いたが、結局似たような答えが返ってきた。
どちらかといえば帰りたい人が多数だった。
帰りたくないと言っていたのは強烈に嫌な思い出がある人や家族と縁を切っている人ぐらいだった。
もしかしたら、県人会に集まってる人に聞いたのはサンプルとして悪かったかもしれない。何というか「地元好き!」って感じの人が多かったし。
最近、クラスに転校してきた留学生の女の子のためだけに外国語を必死に勉強したいなってよく考える。
自分のクラスにカタコトの日本語をギリギリ話せる留学生の女の子(超美少女)が転校してくるんだけど、
日本語が覚束ない上生来人見知り彼女は慣れない日本での生活に強いホームシックに陥ってしまう。
そんな彼女に一目惚れしてしまった僕は彼女のためだけに外国語を勉強することを決心する。(英語だとただの勉強熱心な男の子になってしまう恐れがあるためロシア語とかドイツ語辺りっていうのがミソ)
ある程度言語を習得した僕は彼女に「俺、昔から○○語得意なんだよね。」と言って、彼女がコミュニケーションで困っていると軽い通訳役を仰せつかったり、
彼女が一人でいると冗談を言って話しかけ、なるべく周りにも声をかけたりして彼女が楽しい学園生活を送れるようにいろいろと努めていく。
そんな僕の努力の甲斐もあって、彼女は次第にクラスのみんなにも「心を開いていき、いつしか抱えていたホームシックもなくなっていく。
「日本にいて○○語を話せても大して役になんて立たないのに、あなたって変な人ね。」
みたいなことを言ってくるんだけど、
ある日彼女はふとした拍子で「僕が昔から○○語が得意」ということが真っ赤な嘘で、僕が今までやってきた気遣いは全て付け焼き刃な努力で彼女のためにいつも必死にやっていたことだということを知ってしまう。
(ふとした拍子というのは『0から始める○○語入門』的な本を彼女が転校してきた直後に買っていたというのが妹や友人の発言からバレてしまうといった、こちらからは全くひけらかさない、むしろ今まで隠していたということが際立つ展開がベスト)
自分は中学卒業して自分はテニスしかないと思ったので推薦もある工業高校へ推薦をもらい高校へ通った。
高校ではほぼ男子校だし、学科があるので3年間同じクラスメート。
気の合う友達は部活で2人いて、それ以外は今はもうあまり連絡をとっていない。
辛かったことは、
女子がいないこと。
自分はパソコン系の科で同じ学科の子とはそれほど仲良くなれなかったこと。
けれど唯一テニスでは地区大会の高体連では優勝することができすごく嬉しかった。
けれど下手な顧問と3年間は辛かった。
教育が始まって10人部屋に押し入れられ、ホームシックで辛い日々を味わいながらも必死でこらえ現在に至る。
久しぶりにラインで中学の同窓会ラインのプロフィールを見てみるとみんな楽しそうだしすごく輝いてる!
なんかそれを見て普通科の高校に通い普通に大学生になりたかったと思う。
サークルとか入ってみんなと楽しくやりたいなと思った。
働いているからお金も少しはあるし、休みもあるけど21歳として何か足りない気がする。
俺は高校を間違ったのか?
大学生でただ遊びたいだけなのか?
彼女が欲しいだけなのか?
辛い思いから逃げ出したいのか?
我慢が足りないのか?
贅沢してるのか?
ま、結論としては
美味しい物食べてウンコしてよく寝たら直るよってことだったんだけど、
それよりさ、
8時9時頃になったらすっかりきれいに片づいてるわよね。
これって誰が片付けてるのかしらって思っちゃったわ。
私更にショックだったのは、
渋谷にローストチキンが食べられるケンタッキーって閉店しちゃったの?
えーって感じでショックだわ。
故郷を思い出すあの味、
もう食べれないなんて!
バター塗ったとき溶けなくて染みこまない感じの熱くないトーストってイラッとくるわ!
もっと熱いのをちょうだいって感じね。
いや、厚切りの方じゃなくてって
ややこしいわ!
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
私の家には、家族4人の洗濯物を置いておく部屋があった。干した洗濯物は、全部その部屋にバサーっと落として、洗濯物の山を築き、着るときはその中から探して着てた。
4人分の衣類を始め、シーツやタオル類も全てごちゃ混ぜだから、すごい量だった。靴下もバラバラだし、「今日はいていく靴下が見つからず遅刻」が普通にあった。普通に親に怒られてた。「どうして昨日のうちに探しておかなかったんだバカ増田」。
その部屋には、パソコンや父ののスーツがあった。それらを使うときは、その洗濯物の上を踏んで通っていたし、衣類を探す度に4人で踏んでいたので、服はかなりしわくちゃだったと思う。だったと思う、というのは、記憶がないからだ。服がシワだらけで恥ずかしい、という概念がなかった。
私があれ?と思ったのは、初めて一人暮らしをした大学生の時だった。その時は洗濯物の山に全く疑問を抱いていなかった。ただ部屋が手狭だったこともあり「洗濯したらたためば良いんじゃないか?」と思い、すぐタンスにしまうことにしたのだ。ある日、下着を取り出して広げてみると、見慣れた下着がいつもと違った。美しく、触ったことのない質感をしていた。私は驚いた。 そして初めて気付いた。シワがないからだ、と。
一人暮らしは、とても快適だった。築数十年のボロアパートだったし、壁は薄いし、ゴキも出たが、なぜか実家に帰りたくないほど快適だった。トイレはキレイで臭いもしないものだと気付いた。お風呂の水は透明で臭いもなかった。お皿は見たことないほどピカピカになった。下痢しなくなった。アレルギーが無くなり、鼻炎が治った。肥満だったのが標準体型になった。毎日が心穏やかだった。私はなぜ同級生の様にホームシックにならないのだろう、冷たい人間なのか?と思っていた。
お正月は帰っていたが、帰省すると必ず体調を崩していた。家族には「リラックスするから気が緩んだんだ」と言われた。喉が痛く鼻水がでて、アパートに帰ると数日で治ることから、そんなものかと思っていた。
ある日、サークルの合宿で先輩が風邪っぽい症状を呈していた。先輩風邪ですか、と聞くと「たぶん、ふとん。ハウスダストアレルギーなんだ」と言われた。私は気付いた。もしかしたら、あれはアレルギーなのかもしれないと。
地元で就職し、久々に実家暮らしとなった。自分のお金で自室をフローリングに改装すると、鼻炎は治った。トイレもお風呂も食器も、ちゃんと掃除しない、洗わない暮らしだったことに気付いた。食事は揚げ物、惣菜、インスタント食品が多いから太り、下痢は賞味期限を過ぎたものを食べ、まな板や調理道具を洗わないことが原因だと分かった。
最近になってようやく、両親がふたりともクチャクチャ噛んで食べるクチャラーだと気付いた。私は今は意識して口を閉じるようにしているが、たぶん子供の頃はしていただろう。
私は、子供の頃からずっと、しわくちゃの服を着て学校へ通っていた。肥満だった。たぶんクチャラーだった。そういうヤツは避けられて当然だ。仲良くしてくれていた友人らは、素晴らしいご両親に育てられた優しい人間だと思う。本当にありがとう。
家は閉鎖空間なので、育ちや悪癖は本当に気が付かない。ずっと実家暮らしという人は、こういう意味でも一人暮らしをしてみた方がいいと私は思う。我が家は常識的だと思っていても。
当方偏差値69の某私大文系学部卒の新社会人です!!!!! いきなりマウンティングしてすいません!!!!!
この世界は地獄かよ?!?!?!? ってことが最近ありましたので、ちょっと匿名はてなにでも書くか…… 久しぶりに…… とログインしました。
屍者の帝国を観て、この世界は地獄かよ…… って思ったときぶりです。
テンションがクソなのは非常に傷ついているからです。テンション上げてかないとたぶんこの記事を書き上げられねえんだよ!!!!!
そういうわけで冒頭に申しあげたとおりの学歴なんですが、現在実家に暮らし、地元の公的機関で働いています。
先輩「Aさん(当方)って○○大学卒だよね?『学歴の無駄づかいだよね~なんでここで働いてるのか不思議』って人と話してたんだけど……」
私「あはは……(泣きそう)」
先輩は心の底から悪気が無かったんだとは思いますが、この台詞を心の底から悪気なく言えるのは闇が深いな~~~と思います。
バックグラウンドの話をしますが、私は大学が都内だったので東京と地元の両方で就活をしました。
結果都内の就職先(民間会社)と地元の就職先(公的機関)で一つずつ内定が出ました。
業務としてはどちらも選び難かったです。月給は都内のほうが3~4万高かったのですが、生活費等を比較して総合的に見ると、都内のほうがマイナスになる具合でした。
勤務時間も、いずれも9-5時だったので、金銭面以外はほんとに差がありませんでした。
あと環境としては大学在学時4年間、東京で暮らして死ぬほど楽しかったしホームシックになんて一度もかからなかったので、絶対都内に住み続けたい気持ちはありました。
ですが、金銭的問題は大きいよね、ということで地元に就職を決めました。
そうして就職してみると、実家から出たことのない人がマジョリティでした。これが結構キツい。
同じ大学を出た人どころか同じ高校を出た人というレベルの地元とのガッチリ感。ちょっと遠い進学校に通ってた私はマイノリティ。
大学名なんて出そうものなら、「え~頭良い~私たちとは違うよね~」呼ばわりされる。
なんかマジで鬱になります。自分は自分の入った大学にふさわしくない就職先を選んでしまったのかなっていうようなことまで考えてしまう。
そんなこと言われるまで考えてもみなかったのに。
学歴の無駄づかいだよねって言われると、同じ職場で同じように働いてる人に、
「学歴の無駄づかいしてる」って面と向かって言えるような人と働いてるその環境こそが学歴の無駄づかいだって思う。
そう言ってきた先輩は、実家を出たことが無くて、でもいい国立大を出て若いうちに結婚して子供もいるので、周りから見たら完全に勝ち組だし正統派な人生を歩んでいる。
そんな人がどうして、私にこんなひどいことが言えるのか不思議でならないです。
私は納得して都内の内定先を断って地元に就職を決めたけど、あの選択は間違いだったのかもしれない。
家族は好きだし仕事も好きだけど、周りにいる地元を離れたことのない他人が均質的にすぎて疲れる。
先輩の出ている国立大だってすごく頭のいいところだし、少なくとも私は受験するのを諦めたところだ。なんでそんな自分を差し置いて言えるんだろう。
むしろ先輩にこそコンプレックスがあるのでは? なんて邪推もしてしまう。案外そうかもしれないけど。
結構尊敬していたし好きだった先輩にそんなことを言われてしまったので、帰路運転しながら全身ぐにゃぐにゃになるような気分だった。
このままハンドルさばきを間違えてどこかに突っ込みたいとさえ思った。
学歴の無駄づかいって言葉には、相手を持ち上げているようでその実、相手のそれまでを全否定するようなニュアンスが含まれていると思う。
本当に残念に思う。もう二度と先輩を尊敬できる気がしない。
まず、戻ってきたことを喜びたいのだが、ネット上じゃこんな反応である
http://hamusoku.com/archives/9214207.html
1人でスーパーにも行けた、とか、宅配便も受け取っていた、とかいう情報が出て、
「これって本当に監禁か?」
「単に家出して転がり込んだ男とうまくいかなくなっただけでは?」
とか
冷静になって考えてくれ
18歳未満に選挙権がないのは何故だ?
18歳以下とセックスすると淫行になるのは何故だ?
12歳以下とセックスすると、同意があっても強姦になるのは何故だ?
心神喪失だと罪に問われないのは何故だ?
つまりこれは、人間はどんな年齢でもどんな境遇でも正しく判断が出来る、なんてことはあり得ないことの証明だ
今回の少女が失踪した真相はわからんが、報じられている限り、男が少女を騙して車に乗せたことになっている
これは誘拐だ
少女に非はない
そして中1だった少女が男と一緒に暮らすことになるわけだ
帰らなきゃいけないって気分にならないはずもない
それでも親に連絡さえ出来なかったわけで、これはもう、少なくとも誘拐当初は、少女の自由を奪う何かがあったのは間違いない
監禁、拘束かもしれないし、恐怖かもしれないし、お金かもしれないし、地理的なものかもしれない
何かはわからないけど、少女が望むように動けたとは到底思えない
少なくとも当初はね
しかし、それ以降、中1の女の子が、若い男と2人だけで暮らすわけだ
ストックホルムシンドロームは有名だけど、少女の状況を思うに、長く暮らしている中で、一度も2人の心が通わなかった、ということは確かにないだろう
少女が犯人に対して、好意のようなものを一度も持ったことがない、とも言い切れないだろう
そりゃ長く誰かと一緒にいれば誰だってそうなる
それに、そうしなければおそらく彼女は生きてはいけないのだから
当初は恐怖や拘束だったかもしれない
でも、現状平和に生きれているならそれをあえて壊すリスクをおかすこともないと思い出す
そして1人でスーパーにも行けるようにもなるし、宅配便のお兄さんに助けを求めることもなくなる
しかし、これは最初に書いたように状況と年齢から、正常な判断力を奪われて後の思考だ
これだけは全員に理解しといてもらわなきゃ困る
彼女が本当に望んでそこに留まったと?
本当にそう思うのか?君たちは?
長い時間2人だけで過ごせば、そりゃちょっとした好意くらいゼロじゃないだろうさ
でもそれが、彼女が自由に実家で過ごせている状況でも生じた愛情だと思うのか?
あり得ないだろうそれは
だから、監禁途中にいかに少女が自由に過ごせたかのような情報が出ても、
それが正常な判断ができる状況で起きたことじゃないということだけは知っておいて欲しい
それを忘れて、少女が望んだ家出だろ?って空気を作るのは完璧に間違えている
それはあってはならないことだ
彼女は、途中の心理状況がどうであったにせよ、帰る場所を最終的にちゃんと理解して、生き抜いて帰ってきた