はてなキーワード: ジェネラリストとは
そこまでできるならジェネラリスト名乗るわ
年齢だけいってる無能が俺
新部署を立ち上げたら上司は次の部署に行き、管理職は自分に任せる予定だったらしい
一年経ったタイミングで昇進させる予定だったんだけどなぁ、と酒の席でポロリとこぼした
知っている限り有能だし人格もできている
自分が管理職に近い要素は、年齢と勤続年数、上司との関係値ぐらいで
横並びで始めていたら業務をよりこなせるのは後輩達だろう
スペシャリストでもない、器の小さいジェネラリストの自分にはそんな部分はない
むしろ、普段の業務で普通の人ができる部分で自分の苦手部分が見えやすく、
一プレーヤーとしてだったらそれなりに自分の範囲でこなしていればよかったものを、
管理職になるのであれば人と比べてできないといけない
腐ったことをいうのであれば万年プレーヤーで良かったとすら思う
最終的にどうなるかは分からないが、自分が管理職にされる辞令が下るんだろうと思う
その期間中後輩に駄目なとこを一切見せないのは無理だ
休日返上で何かを準備しないといけなくなるだろう
「年功序列」という悪しき習慣のせいで自分にばかり負荷がかかる
後輩に馬鹿にされながら、不満に思われながら会社で過ごすなんてしたくない
逃げ出したくてしょうがない
僕はアメリカの大学でComputer Scienceをundergraduateで専攻しています。
大学自体のレベルはTOEFLスコアが80あれば入れるぐらいです。
今は2年次ですが各学期に専攻のクラスを一つ以上取っている状況です。
基礎教養に当たるクラスが60単位ほどあるのでそれと並行して進めています。
中学高校とまともに学校へ通わずに、だけど高校は通信制だったので欠席分の課題を何とか終わらせ無事に卒業しました。
大学は担任に勧められるまFランに入ったのですが友達も作れず一年も続かずに退学しました。
それからフリーターしながらダラダラと生活していて、二十歳を迎えます。
高校の友達や担任とその辺りのタイミングで再開した時に自分の人生の方向性を深く考えられました。
唯一英語だけは人生のいろんな場面で触れる機会があり、それを活かしたいとも考え留学に決めました。
両親に掛ける負担は一般的な学生に比べて半端ないと思いますし、それは一生を通しても清算できません。
なのでせめて、失敗だけは絶対にしないという心構えで取り組んでいます。
話を戻します。
入学当時プログラミングに関して、僕はスッキリわかるjava入門を通読した程度で、他の知識は皆無でした。
今まで取ったコンピューターの基礎クラス2つはjavaが主で、試験は選択+プログラミング問題(これは10行に満たない簡単なもの)でした。
もう一つのソフトウェア開発はc++を用いて、後はlinuxの基本的なsyntaxを覚えました。
基本的にどの講義で習うこともネットで調べれば(geeksforgeeksなど)独学は可能で、
特に日本人なら良い日本語の書籍に恵まれているので学費のコストを考えたらUdemyでかなり節約できるだろうなと思いました。
それ以外の雑多なクラス(日本の基礎教養のカリキュラムはあまり分からないのですが、歴史や生物学、英語と理系文系関係なく取らされます。)
も新しい知識を得られる意味では楽しいと思えるのですが、それが大学を出た後にどう自分を助けてくれるのかは想像できません。
Computer Science自体のカリキュラムをざっと眺めると高水準言語からアセンブリなどの機械語に近いものを必須クラスで学び、
後はOSや機械学習、プログラミン言語のprinciples、など選択で取る流れになっています。
これはどの講義でも言える事だと思うのですが、1セメスターで一つの内容に対する深い理解を得るのって時間的に厳しい所があります。
上辺の理解でも試験対策さえすればAを取るのはそう難しくなく、そのまま次の学期に移行してしまいます。
僕が懸念しているのは、このまま卒業すると間違いなくただのジェネラリストになってしまうんじゃないかって事です。
自由時間を使って書籍なりUdemyなりで技術を身に付けるのが最善策ですが、要領よく課題と並行してやるのは難しいです。
まだコンピューターに対する理解が浅く、注力したい分野を定められていないのも不安を抱く要素なのだと理解しています。
マリオパーティ、マリオカート、ボンバーマン、桃鉄みたいな、自分は持ってないゲームならまぁいい。
問題は、スマブラみたいな、自分でも持ってて家でやってるゲームでも勝てないということだ。
だいたい攻撃を読まれてほとんど当たらず、コテンパンにされる。
20代の頃には、ゲーマーじゃないからゲーム下手だろうとタカを括っていた当時の彼女に、ゲームでボコボコにされた。
ポケモンは、厨ポケ使って俺TUEEEしてたら、高校の頃滅茶苦茶強い奴にコテンパンにされて心折れた。
オセロもそこそこ強くて俺TUEEEしてたと思いきや、ネットで知り合った友達にオセロでもコテンパンにされ、テトリスはSNSの友達の中じゃ上位に食い込むが、如何せんT-Spinが出来ない。
どうも、全てが苦手というわけでもないらしく、ハンプシャーツリータスクという、何やらミニゲームっぽいテストでは、世界上位2%以内に入る成績を軽く取った。
運動もそうだが、ゲームの上手い下手は脳の認知機能の性能とリンクしてる。つまり、ゲームが下手である事は、(どれだけ幼少期にゲームに触れたか?との相関を外してみれば)現実世界での頭の悪さとか要領の悪さとかとリンクしてる。
最近、ゲームをやっててとにかくヘタクソな自分が、リアルでも要領が良くない自分を彷彿とさせて嫌になる。
たぶん、何かしら得意なことがあって、その事ならきっとなんの努力もせずに軽く結果を出せるんだけど、自分のいる環境では得意なことは必要とされてない上に、娯楽としてすらメインストリームではないという残念さ。
結果、「やらなくちゃいけないこと」も「やりたいこと」も、苦手な事だらけで人生ハードモードという。
ハンプシャーツリータスクで上位2%が取れる能力を必要とされる仕事ってなによ?
まぁたぶん、殆どの人が、得意なことなんかさせてもらえてないんだろうけどさ。日本の会社はスペシャリストじゃなくてジェネラリストを好むからね。
近年、諸要因に伴う労働プールの枯渇と求人倍率の上昇により、博士課程院生のキャリアパスとして、日本でもようやく民間就職が現実味を帯びつつある。
例えば、この前も数学科?の博士課程修了の方が研究職を諸事情により諦め、民間就職にシフトしたことについての総括エントリをまとめ、バズっていた。
http://wakabame.hatenablog.com/entry/2018/11/04/190441
こうした潮流自体はもちろん喜ばしいことであると思う。しかし一方で、一人文社会科学系院生であり、かつ一応数年間民間企業で働いていた人間として、民間企業でのキャリアパスが確保されること=バラ色の未来とはとても思えなかったという経験がある。
これは、①本質的に博士課程院生を日本の民間企業で雇う際の歪み(特に非エンジニア職制の場合)と、②いわゆる「役に立たない」ことを研究している院生は、本質的に民間企業の価値規範にそぐわないメンタリティーを、大学院教育の中で滋養しているという二点に起因していると思う。
というわけで、極めて私的経験かつ、まったくもってエゴイズムの塊のような問題提起をあえてしておきたい。これは、前述したような近年の博士課程院生の民間就職を過度に褒めそやす風潮に対し、挫折し結局研究業界に戻ってきてしまった人間として嫌味を言っておきたいという気持ちによる。
私は修士終了後、まあいろいろあって博士課程進学と同時に民間企業へ就職をした。コレ自体、かなりイレギュラーではある。
仕事内容はまあ、詳しく言うと確実に特定されるので防ぐが、政策調査や地方自治体の計画策定コンサルである。官公庁の調査案件を請負、クソみたいな――時々インターネットで炎上するような――分析と鉛筆なめなめを行い、官僚様と政治家様の願望にそぐう数値をでっち上げる仕事である。
で、これは当然のことながら人文社会科学系の研究者の価値規範と真っ向から相反する。というのも、私たち人文社会科学系の研究者は、扱うデータがどのようなものであれ、そのデータの分析においては仮説を用意したとしても、最初から結論を用意するということはしないからである。ところが、この業界――まあいわゆるシンクタンク業界なんだけど――においては、最初から結論が決まっているので、データ分析はいかに結論をでっち上げるかという方向に労力が注がれる。
これはなんでそうなるかというと、この手の仕事がコンサルから派生しているからである。すなわち、元々コンサル業界の倫理観においては客の求める結論をはじき出すということがある程度正当化されているので(外コンのプレゼン術を名乗る本は多くの場合ただのごまかしである!)、それに基づいて目の前のデータを弄ることに抵抗がないのだ。ただ、そのデータを弄る際に、人文社会科学のスキルセットを援用するというだけなのである。
で、問題はこのスキルセットが活用できるという理由でもって、人文社会科学系の院生がこの業界を志望し、実際雇われているという現実である。サンプルサイズは極めて少ないが、私の周囲を観察するのならば、このギャップにやられて会社を辞める人間は実に多い。特に「優秀」――ここでの「優秀」とはアカデミアでの評価である――な人間ほどである。
事実、私は「優秀」ではないが、こうした現状に辟易して、言い換えるのならばアホなクライアントと上司の妄想に無理やり付き合うことに疲れて退職してしまった。
なぜこうなるのだろうか。それは、人文社会科学系の教育カリキュラムの価値規範が、現代日本企業と致命的にあってないからであると思う。
よく人文社会科学系の先生は、「常識を疑うこと」や、「新しい仮説を立てること」を大学教育の美点として強調する。私ももちろんこれらのことが本質的に良いことであることには同意したい。だが、これが現代日本の新卒就職においてよく働くかといえば、まったくもって嘘である。というのも、少なからぬ日本企業においてこれらのスキルが必要となるポジションは、多くの場合前頭葉が退化した老人によって占められており、我々若手社員がやりうることは、老人が出した意味不明な結論に向けて数字をでっち上げることだからである。この作業は、前述した批判精神と真っ向から相反する者である。私たちは、今まで培ってきたスキルセットをもってクソの世話をするのだ。
であるからにして、私は現在のアカデミア教育は、少なくとも人文社会科学系に限るのならば、民間就職に対し逆作用しか生み出していないと考える。ただ、これはアカデミアが悪いとは必ずしも言えない。繰り返すがこれは高スキル社員を作り出せず、無駄に高コストなジェネラリストという名の無能を社内に飼いながらスペシャリストの下請けを買い叩くという、日本大企業の伝統的構造に起因しているからである。鶏が先か卵が先かは言い難いが、そもそも日本企業において、一部理工系エンジニア(計量系の経済・社会・心理なども含めてもよい)以外は、「無能」――ここでの「無能」とはアカデミックにおける「無能」を意味する――でなくては生きていけないのである。
というわけで、現状の日本大企業の構造をそのままにしていては、博士院生をふくむ多様なキャリアを持つ社員の活用なんかできっこないし、実際出来てなかったよ、ということを本エントリは主張するものです。
金はないけどアカデミック最高!好きなことを好きにやれる環境って、結局俺たちには大学しか無いの。俺たちには理研も産総研も産学連携ベンチャーもない。同情するなら金をくれ。役に立たない研究しかしないけどね。
自分と同じ会社で働いていた若者がブログ(銀行員を辞めたい銀行員へ!僕は三井住友信託銀行を辞めた)を書き、良くも悪くもバズっていた。
メガバンクと違い、普段ほとんどメディアに取り上げられない会社なのでびっくりしてしまった。
自分も彼と同じ会社で働いていたが、「そんなに悪い会社じゃないよ!!楽しかったよ!!」と言いたいので匿名で記事を書きたいと思います。
支店勤務
転職して1年くらい ←いまここ
・どこでもよかった。反省はしていない。
大学時代やりたいことがなく、
「そもそも働いたことないのに働きたい会社なんてわかんないよな。とりあえず3-5年一生懸命頑張って天職見つけて転職しよう」と適当に考えていた。
実家も貧乏で余裕はなかったし景気も悪かったしストレス耐性には自信あったのでとりあえず給料もらえて安定的な大手金融に行こうと。
適当に就活頑張って、ここ以外にもメガ2つと生損保1つずつ、ついでにインフラ企業に受かって、一番キャラクターが合いそうなところに入った。
・居心地がよくて5年以上いてしまったが、後悔はしていない
・一言には言えない。メガバンクやりそにゃより小さい癖に、それ以上に会社内でカラーがバラバラすぎる印象
・明らかに風通しは良い。若手(20代)が部次長に意見しても全然怒られない(一部部署は除く)
・ジェネラリストよりもスペシャリストを優遇する雰囲気があると感じた。しっかり勉強してバリューだせやと。
ちなみに資格取得は最低限で良い。1年目で全部取れて、2年目以降は自分の勉強ができる
・30代以上は銀行員らしくない、変わった人が多い印象。合併して就活の世界でもプレゼンスが出て、
良くも悪くも普通な人が年々増えていった印象がある。
・やりたいことが見つかった
・そのやりたいことは、この銀行でも実現できることだったが、会社まるごと移ったほうが良さそう(総合的判断の結果)
・そもそもいつか辞めると決めていた
・労働時間の長さ、内容の高度さはメガ以上と思われる。労働強度が高い。
・その代わり、クソみたいな仕事は少ないし裁量が与えられる。やってみなはれの精神
・(直接関係ないけど)そもそも、今の若手銀行員がつらいのって、下記あたりが原因かな。
①ファイナンスの高度化が進み、メインバンク制がなくなって、銀行が他企業に対して出来ることが減った
②合併とリストラにより本部セクターの席が減り分業も進んだ結果、若い人はソルジャーと化し、クソみたいな商品を売りつけることだけが仕事となった
・辞めることは別にいいと思うけど、パワハラやノルマがキツイっていうのが退職の理由の場合、
なんで就活の時にちゃんと調べなかったんでしょかね。いくらでも情報転がっているだろうに。自信あったのかな
(地方の場合は、ほかに良い就職先がないという切実な理由があるから仕方ないところはある)
・仕事頑張って、「面白い仕事やらせろ!」ってアピールして、叶わなかったら辞める、くらいでよいと思う
自分の場合、ここのあるあるの2,3割は納得できるものでした。
最近、同じように銀行や信金を辞めた人と会うことが多いが、銀行カルチャーはSMTBは控えめな気がする
「自分はマシだったんだな」って思うことが非常に多い。
1:自分らしく生きれるようになった
銀行員を辞めたことで、仕事中に人の評価を気にすることはなくなりました。『人の評価』を気にすることは予想以上に、心に負担をかけます。
⇒どこの会社でも人事評価は気になるのでは、、、そして、SMTBの人事評価なんて自分でコントロールしやすいほうだろうに
ていうか人事評価が気になったら自分らしく生きられないんですかね。まじめな人なんですね。
事務手続きに毎日6時間、無駄な会議、無駄な勉強会、使わない資格の勉強、規定を読む時間、上司との飲み会などいくらでもあります。
⇒事務手続に6時間。どんなブラック支店、部署だろう。18時に営業から帰ってきて2時間で事務やってかえるよね普通
上司との飲み会はほどほどでいいのは合意。自分は3か月に1回くらいしか会社の飲み会なかったけど
6:失敗を恐れずに何事にも挑戦できるようになった
失敗したら評価下がるなんてどこの会社だよ。みんな失敗ばっかでしょ
銀行員になって感じたのは「お客さんは銀行の看板に魅力や安心感を感じ、商品を買う」ということでした。
そこに「僕の価値がほとんどない」です。銀行員を辞めて『自分の能力、知識』で勝負し、仕事がうまくいった時に感じられる喜びは大きいです。
⇒じゃあなんであんなに社員間で成績に差がつくんですかね、、、
看板がないとお客さんが話聞いてくれないとは感じたけど、商品を買ってくれるかどうかは個人の頑張りだと思っていました。
⇒分かる。紙と印鑑はどんどんなくすべき。実際に本部セクターは紙文化は目に見えて減っていった。
⇒支店旅行はクソなので排除すべきだが、SMTBで今でもやっているのは某西日本の2,3支店しか知らない。
制度があるまでは言えないのでは
⇒自分が新人の時はまだ手書き日誌があったが、2015年以降なくなったはずでは・・・
融資案件、定期預金の預かり残高、投資信託、生命保険、医療保険、平準払い保険、住宅ローン、贈与関連商品、教育ローン、クーレジットカード、遺言、不動産などのノルマが20種類以上あります。
⇒全部達成しなくても評価されてたけどね。で、全て達成して今でもSMTBで頑張ってる人いますよ
いろいろ思うことはあるけど、一度同じ会社に入った仲間だし、どんな人かは気になる。会ってみたいもんよね。
今後とも頑張ってほしい。終わり。
俺は、今どき紙で日経新聞を毎朝読んでいて、日経の記事で持ち上げられているサービスがあるとすぐに真に受けて「これは是非とも当社でも導入すべきと次の会議で提案しなければ!」
と資料を作り始めるような、エンジニアのすくつであるはてなでは人権を認められない純ドメ文系ジェネラリスト情弱だからさ、
自信満々でプレゼンするつもりだった日の朝に何となくはてブを覗いたら当該記事が「嘘・大げさ・紛らわしい」とエンジニアの皆様方の批判ブコメが大量に付いて炎上しているのを見て、
この人も言うように。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/28/120000
はてなブックマークは、バッシングの場になることがある一方で、間違った(あるいは、極端な)主張に対する反論が行われることも多い場所でした。
社内のシス管さんとも主にはてブから得ている世間のITに対する無理解と情弱を馬鹿にするネタで仲良くなれて、
元々俺が投げたパソコントラブルを24時間以内に必ずシュートしてくれる有能な人だったけど、
最近は「急ぎでお願い」の一言で3時間以内にトラブルを解決しているから、本当に助かっている。
俺がやっていることって、エクセルで大した関数も使っていないレポート作るぐらいなのに、なぜかほぼ一週間に一回はパソコンでトラブルんだよね。
だから、変なサービスの導入を提案してシス管さんに失望されることの無いように、はてブを通してエンジニアの皆様方の集合知をずっと利用させてもらいたいなあ。
郵政の住宅手当等の問題で、また雰囲気で叩いている感じがあるので私見を述べる。
まず、下への切り揃えの妥当感を感じるポイントは、働かないおっさんである。
例えば、同じ公社系でもみかかなどは40代で住宅手当が打ち切りになる。
これはだいたいの新卒は入社してから知ることが多いが、おっさんになるとある程度出世して昇給していないといろいろ懐は厳しいというのは世の常である。
意外と若い人の手当を含めた賃金水準と、おっさんの年功での賃金水準はバランスがとれているのである。
では、若い社員や非正規社員をイラだたせるものは何か?それは「働かないおっさん」である。
若い社員は転勤もしなければならないし、昇格のために職場でも率先して企画推進をしなければならない。
ここで、働き方はそこそこで、転勤したくないという若者のためにエリア採用社員という働き方も出てきた。
エリア限定での勤務だけど賃金は全国転勤できる人より何割か安いというものである。
全国転勤できる若者は「職場でも一番よく働き、転勤にも従うから給料は高くて当然」と思い、エリア限定は「全国転勤はない前提だからやむなし」と考えるが、エリア限定というものが出来る以前からいたおっさんは、全国転勤型と同水準で給料をもらいながら、かつ出世を捨て去った転勤拒否でぬくぬくと地元に根を張っているのである。
非正規にしても、職場で主体的に会社の向上を考えて仕事をしてくれる人はそんなおっさんの万倍マシなので、おっさんの労働条件をカットして、社員登用の原資にすればよいのである。
(あ、ただぶら下がってるだけの契約社員のおばちゃんはノーセンキュー)
余談ですが、非正規保護や新卒ばかり皆さん指摘しますが、今、世の中の職場では働かないおっさんや働かない非正規に挟まれて必死こいて安い給料で職場回してる30代中堅がいることを忘れないでください。
こちとら職場慣れた瞬間に転勤、次の職場(全く違う業務分野)で一瞬で仕事覚えてまた職場を回すという地獄サイクルなのです。販売から厚生までジェネラリストであるもののプロでもないから転職しても給料下がるし、会社の給料上げるしか道がないのです。
医学部を卒業して初期研修(いろんな専門科を数ヶ月単位でぐるぐる回る)を終えた。
不勉強な学生だったし、研修先は無名病院だったから一般化できる話じゃないけど、もやもやしたこと
簡単のため、一般外来診療に話を絞ってみる。直感だけで、何も考えずに診断をくだしている医者は本当に多い。田舎の開業医が出してるわけわからない薬とか本当にたくさんある。でも慢性期疾患とか適当に薬を出してもすぐに結果が変わるわけじゃないから、漫然と経験を積んでも自分の診療内容を洗練させていくのは難しい。外来診療をちゃんとフィードバックをもらいながら教えてもらえることはあまりないし、適当にやっても結果が大きく変わるようには見えないし、診療内容よりも態度や人柄で患者やコメディカルの評価は決まってくる。だから、高い信念を持ち続けていないと、診療技術を向上していくモチベーションがなくなっていってしまう。
外科医なら下手くそだとメスを置かざるを得ないような圧力がある程度働くかもしれないけど、内科医はそういう圧が働きにくいから、ヤブ医者が自分がヤブであるということに気づくことも排除されることもされないままになっているのかなと思う。
重箱の隅をつつくような基礎医学の試験問題で、留年させていくことに一体何の意味があったんだろう?精神修行?
そもそも論だけど、実臨床で重要なのは病態生理より疫学データじゃないのかなと思ってしまう。
病態生理から色々考えて独自かつ複雑な治療をやっている医者もいるけど、本当にアウトカム改善しているのかなと思ってしまう。
まだエビデンスが無いような専門性の高い領域では考える必要あると思うけど、大抵の患者はそんな複雑な病態じゃないんじゃないかな。
UpToDate通りにやっていけばそれで十分なのではないかなと、むしろ専門家以外がUpToDateから逸脱したことをやるのは悪い方に傾くことの方が多いんじゃないかなと思う。
であれば、基本的な症候へのアプローチを反復させて学習させて、徐々にpit fallを教えていくみたな教育プログラムをやったほうがいいと思う。あったらいいと思う。
不確実性が高い領域なので、結果で評価するのではなくて、決まった診断治療アルゴリズムに沿っているかで評価されるべきだと思う。それって楽しくは無いけどね。機械にやらしとけって気持ちになる。
3.ジェネラリスト厳しいです
基本的なアプローチは定型化していく中で、人間に残されている領域は直感と広範な背景知識かなと思ってしまう。
専門領域を絞らないとどっちも得るのは厳しい。
マルチプロブレムに対処するには専門家じゃ厳しいというのには同意するけど、プロブレムリストたくさんある人はもはや寿命なのではと思ってしまう。冷酷ですかね?
エビデンス大好きで論文オタクみたいな先生はすごいなあと思うけど、論文って嘘ばっかりなわけで。自分が会った基礎系の研究者は、論文を出した研究者やラボが信頼できるかどうか、データが自分の経験から逸脱しているものではないかどうかなど、メタな情報を駆使して読んでた。本当に批判的に読むには近い領域で論文を書いている必要があるのでは無いかと思う。RCTがいくら出ようと結局信頼できるのはエキスパートオピニオンなのではないかな。
ひどい。Windows98みたいなUIしている。電子カルテがまともになったら無駄な時間とエラーをどれだけ減らせるかを考えると恐ろしい。
生活習慣病やほとんど寿命の超高齢者への医療見てると、今の医療ってマクロに見て人を幸せにしているのかなって思ってしまう。野菜食べて運動して自分がやりたいことやって満足な時間の使い方をする、ってことにお金を使ったほうがみんな健康で幸せに生きられるんじゃないかな?そもそも皆さんそんな長生きしたいですか?ぼーっとテレビ見たりゲームやってる時間って生きてる時間ですか?その時間を充実させられたら、その分寿命が縮んでも構わんくないですか?とかね。いってそんな充実した人生を送れていないですが。
なんか最近ブラック校則っていうのが問題らしいですね。なんでも髪染めるの禁止、恋愛禁止、防寒具禁止とか。
もうさあ、ほんとアホらしいよね。髪染めたからなんだってんだよ。黒髪にしたら頭良くなるのか?ピアスしたら馬鹿になるのか?ただのオシャレだろ。
こういうのって教師がめんどくさいから一括管理するために作ってるだけだから、ほんとにくだらない。
これからは個性を伸ばす教育を!とか言っといて実態はこれですからね。笑えますよほんとに。
僕の通ってた高校もありましたねこういうの。男は髪が耳と目にかかったらダメとかヘアゴムは黒か茶色しかダメとか。あとバイトも禁止だった。
そういえば一度だけデンマークのサッカー選手に憧れてモヒカンにして行ったらめちゃくちゃ怒られたことあったな。
なんか頭の固い人たちって基本的に思考停止してるんだよね。未だに茶髪=ヤンキーだと思ってる人もいるもんなあ。
どうでもいいことにこだわりすぎなんだよね。なんでもかんでも型にはめたがる。
まあ教師なんて基本無能しかいないから、子供達は教師の言うことなんて別に聞かなくてもいいと思う。
今ならスマホでもっと素晴らしい大人たちの話が無料で聞けるからね。たとえばこの動画なんか凄くいいこと言ってる。
こういう大人の作り出したくだらない同調圧力とかで、子供の個性や才能が潰されていくのはもったいない。
なんかの本で読んだけど、日本の教育ってジェネラリストを育てる教育だから、ひとつ秀でた才能があって他の能力が低いようなスペシャリストが育ちにくいらしい。
もうさあ、型にはめるのやめようぜ。普通の高校生はオーシャントーキョーみたいな髪型に憧れるんだから、茶髪もピアスも許してやれよ。
ブルーハーツも言ってたぜ。「生まれた所や皮膚や目の色でいったいこの僕の何がわかるというのだろう」ってね。
元記事
http://blackmagician.heavy.jp/topbuzz/2018/03/08/『同調圧力死ね』ブラック校則について思うこと/
「限定正社員」という別名が示しているとおり、「ジョブ型正社員」という制度は、「非」限定正社員つまり従来型の正社員制度をそのまま残すことを前提にしている。
正社員とは、特定企業の完全なメンバーであるという身分のことだ。
正社員である限り、その他の雇用形態の人よりも多くの特権が得られて、企業の外にいる人たちからも「この人は〇〇社の正社員だ」と区別されるので、正社員は身分だ。
正社員でない派遣社員、契約社員、パート、アルバイト、嘱託等は、正社員よりも得られる特権が少なく、正社員よりも身分が低いものとみなされる。
契約社員とたいして代り映えしないようにみえる、「ジョブ型正社員」というもうひとつの身分を、どうしてわざわざ作り出す必要があるのか。
「ジョブ型正社員」は、「転勤しない代わりになんか給料が安い人」の代名詞になっているが、もともと欧米の企業の雇用形態を真似してできたものだ。
乱暴にまとめると、欧米の企業は、ジェネラリスト採用がほとんどなく、マーケティング、セールス、ビジネスデベロップメント、HRといったように、役割あるいは職域に応じて人を採る。
日本でもメンバーシップ型の雇用制度はいろいろ弊害がある、というか、年を取ってスキルがない人が居座って、お金がかかって大変なので、即戦力になる人をサクッと採ろうということになって、「ジョブ型正社員」ということを言いだした。
だが、そういうことを言いだした人々のうちで、少なくない数の人が、ジェネラリストつまり「総合職」というくくりで採用されて、会社の中で偉くなっていった人だった。
そういうわけで、「ジョブ型正社員」という概念をつくりだすにあたって、「正社員=総合職」という身分を廃止しようなどということは、思いもよらなかった。
その結果、「ジョブ型正社員」は、正社員を頂点とする身分制度に「限定正社員」という下位区分をひとつ作り出すだけの「改革」に終わった。
「正社員=総合職」という身分を廃止しないかぎり、「ジョブ型正社員」として採用された人が平等な、一人前の労働者として認知されることはない。
お前は会社の完全な奴隷になるという契約にサインをしないのだから、収入面やほかの待遇で半人前の扱いを受けることに甘んじなさい、というわけだ。
これを「現実」として受け入れない奴は甘えている、いやそうではない、という人々の間で、また罵詈雑言のやりとりがつづくだけで、日本は今日も平和である。
病院薬剤師を10年もやってると、つくづく薬剤師って不要だと思う。
こんなこと書くと、がーっと反論来ると思うので補足するよ。
あくまで不要なのは「薬剤師」であって、「薬剤師的な立場」の人は必要なのね。
これ、医師がやればいいと思ってる。
と、これもがーっと反論来ると思うので補足しとく。
「内科」「外科」「病理」「薬剤」……って具合に別れればいい。
単純に、医療に対して、超ジェネラリストな知識を要求されるポジションなのね。
内科だろうが外科だろうが婦人科だろうが小児科だろうが歯科だろうが。
当直のとき、自分の得意分野以外のこと聞かれると全然分かんないんだよ。
もう、これ、医師でよくない?
まとめてみる。似たような言葉が並んでいるが。
<まとめ>
・横一列で競争を嫌う=みんな一緒
・ポジショニングできない=横一列
=やばいかも
⇒産業は衰退し原始人にもどりそう
●だから
性別に関係なく男性的な思考と女性的な思考の両方をバランスよく持っている人間が理想的
<まとめここまで>
色々突っ込みどころはあるが、
まず、ポジショニングってなんなのか。急にモノを配置始めるのか、俺はここだもんねとか言い始めるのか。
何とでも取れるが好意的に「職位・職掌の采配」とでも見ておく。
上記から推測すると、男性的・女性的思考は次のような特徴として見ていると思われる。
・横一列での競争
=結果による職位・職掌の采配
・競争を伴わない=(転じて協力的な業務遂行・ノウハウの共有?)
要は競争原理と成果主義の仕事に無理に非競争と画一的な職務采配を導入するとヤバイ。
そりゃそうかもしれんが。
何がヤバイって社内の話に留めておけばいいものを経営や産業の理論とやらが破壊されて
原始に戻るほど競争・階級主義じゃないかと思うが原始人=ド低脳ぐらいに好意的に読み替えても
それはもう女性とか男性とか限らずド低脳のトップと社会だったに過ぎないんじゃないかと。
演奏に代金は払いたくないのか(一部のコメントに対して。最初の文章から変わっています)|ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!
約めて言えば、会社における社員教育のせいだ。それと「仕事」に対する意識の違いだ。
アメリカの会社は大手であればあるほどいわゆる「即戦力」を取りたがる。何かしらの技能、資格、実績を有している人々をリクルートするのだ。だから、しぜん中途採用が多くなる。つまり、最初から「プロ」として雇われるわけだ。
対して日本の会社はいわゆる新卒一括採用を行う。たいして技能も実績も持たない純真無垢な新人社員をOJTで実地教育していく。このとき、社員たちは様々な分野の部署をたらい回しにされる。どの部署についても一定の知識を得られるように、よくいわれる「ジェネラリスト」教育ってやつ。
しかし、このジェネラリスト教育に罠がある。というか、教育後の人材の使い方に罠がある。
アメリカの会社員はプロフェッショナルなので、基本的に自分の分野外の仕事はできないし、仮にできたとしてもしない。日本ではよくある「君、◯◯もできるって言ってたよね? ちょっと助けてよ」が通用しない。なぜなら、それは契約にないから。もしその人から助けを借りたければ、金を払って雇い直すしかない。
一方で、(まあ企業にもよるけど)日本の社員はそのへんかなりユルユルだ。極端な話、全然自分とは関係ない他部署を特別な技能を発揮して手伝ったところで、お礼なんて感謝の言葉と、よくて飲み代のおごりくらいだろう。「会社は仲間なんだから、家族なんだから、親切(ただばたらき、と読む)にするのがあたりまえじゃん?」という意識だ。持ちつ持たれつってやつ(自分のほうが持つとは言わない)。
それだけじゃない。こうした仕事における「境界のゆるさ」はどんどん拡大されていく。
まず日本人は仕事とそれ以外の時間をあまりわけない。国勢調査かなんかのアンケートに出ているが、日本人の人生の優先順位のトップにくるのは「仕事」だ。その意識がトリクルダウンを起こした結果、「仕事外の時間も仕事の話をしてもいい」という変な慣例ができる。
たとえば、「飲みニケーション」といわれるものがそれだ。日本企業で働く外国人はよく「ニホンジンは飲み会で業務に関する重要な情報交換を行うカラずるいデース」と愚痴る。そう、業務時間外に仕事の話をしあうのは彼らにとって「ずるい」のだ。一時期の喫煙室なんかもそうした役割を担っていた。
そして残業。サービス残業。これについての説明は不要だろう。文字通り、自分の時間を会社のために捧げているのだ。タダで。
こうした仕事と人生、公私の境界線がゆるゆるになっていった結果、さらりまんたちの倫理もメルトダウンしてくる。
彼らはニコニコ動画や youtube にあげられているちょっと面白い専門技術を持った面白い人々の動画を見て、あるいは pixiv のイラストなどを見てこう思う。
「この人たちは『親切で』こういう面白いものを公開してるんだ。良い人たちだなあ」
そこに奴隷を収奪するプランテーションオーナーのような攻撃的意識はない。むしろ、彼らはプロフェッショナルに「好意」を持って「讃えて」いるのだ。
そこには「この人たちは『たまたま』特別な才能や技能を持っていて、そういうものがあるんだから当然『親切』で芸を提供してくれるよな」という考えが底流にある。「尊敬」などはない。あったとしても「技能」ではなく、「態度」や「生き様」などといったその人自身の人間性に対する部分への尊敬だ。
日本の「芸」は大道芸人だから〜「芸」は自分でも習えるから「芸」なのだ〜などというなまっちょろい歴史解釈的説明づけなど及びもつかない残酷さがここにはある。日本人の「プロに金を払わない主義」は間違いなく近代日本社会が、私達が作り上げ是認してきた監獄なのだ。
私たちは根本的な錯誤をしている。プロは「誰にでもできること」を「助け合い」のために使う人間ではない。「誰にでもできるわけじゃないこと」を「報酬」のために行使する人間のことだ。言葉で言えばまるで簡単だし、誰でも表面上は「そりゃそうだ」と思うかもしれない。でも、日常的に誰しもがプロをプロとして扱えるように振る舞えるわけではない。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。わかっているはずなのに。なぜだろう。なぜそうできないんだろう。
社員教育システム、そして仕事に対する倫理観を根底から変えないかぎりこういう悲劇は今後も続くし、「プロ」は永遠に軽視されつづける。そしてこの国において「◯◯しないかぎり」という言葉は暗に「未来永劫実現しない」という意味を含んでいる。つまり、これが日本だ。がんばってはたらいていこうな!
駄サイクルという言葉が遠洋まで援用されていたので、当たり前のことだけですが、少し補助線を引きたいと思います。
某デザイナーが代表のデザイン事務所の某キャンペーンのお仕事について擁護しているわけではありません。
まず、その分野の第一人者であることが条件です。このとき、応募されたものの内容が優れているか、募集と合致しているかを判断できる能力があること、実現可能であるか予算面などから判断できる能力があることなどが挙げられます。それぞれのジェネラリストやプロフェッショナルはバランスを見て配置します。(これは各種の調査・監査委員会の顔ぶれを見れば分かることだと思います。)
一方で同業界内の人材だけでは、それが審査後の反応の中で理由の一つとして挙げられることが必ずと言っていいほどあります。実際に新鮮味に欠けるなと感じる判断が見られ、「多様性の確保」の点で好ましくありません。
また、市民投票といったケースもあります。私はクラウドファウンディング系やファン推薦枠のような使い方ならばありだという立場です。それは、「自分たちで選んだんだから〜」という論理で押し通す形は出来る限り避けたいからです。
経験値と実績が何より重要になります。また、特定分野の最前線にいることです。それは各方面への信頼と信用、時流や資料から読み取れる能力に優れて出来るからです。これは本当に月とスッポンなので、検討の余地はないと言って過言ではありません。(某競技場のようなケースは、元々の予算ありきでフィックスしていくという困難を抱えてはいたものの、上手く見せるべきだったと思います。)
その中でなぜ重複が起こるのかというと、上の条件を満たす数がいないからです。ある程度の規模のものを任せられるとなると尚更です。大きな事業はたくさんあるわけではないし、多くの方から評価を得る機会もまた数えるほどしかないから当然です。
最前線にいる人間は、公募事業について選考委員としてではなく逆の立場で関わることもまたあります。これは全くおかしなことではありません。場の違いはあれど、互いを評価することは恥ずかしいことでも卑しいことでもありません。
お上の慣習などの悪い部分は前提としているので、その点はご勘弁ください。
私は審査の一部分はオープンにしてよいという立場ではありますが、権力構造が存在していることも事実であるので、一切合切オープンにすることは賛成しかねます。それは、出来レースではなく落選者の周辺からの圧力行為への対策です。大きめの公募で選考理由や過程をオープンにしていない場合、理由の99.9%がこれだと思います。