はてなキーワード: ジェネラリストとは
チラ裏ごめん。
就活だ。
私の周りのエリートたちを見ていると、日系の企業から、全く内定をもらえていない。
東大・一橋・早慶→ 世界的な超名門大学・大学院、のような学歴も申し分なく、
もちろん英語も日本語もネイティブで、頭のキレもかなり良く、ロジカルで、知識も豊富で、話も上手い。
努力もしてきて、とにかく、とてつもなく頭が良い。
しかし彼らはみんな就活で失敗しまくっている。落ちるのは日系企業、もしくは外資でも日系っぽい企業。
私が考えた理由は2点ある。
1. 扱いにくい
おそらくエリートすぎて扱いにくいのだろう。上司よりも仕事が出来てしまったり、非効率な雑務が出来なかったり。可愛げがないのだろう。
だから上に従順してくれる体育会系とかが受かりまくり、エリートは落ちるのである。
外資は能力主義なので、可愛げのある奴なんかどうでもよく、仕事が出来れば良い。だから受かる。
2. 嘘がつけない
エリートたちは嘘をつくのが下手なので、「志望動機」を聞かれる最終面接まではホイホイ行く。
しかし志望動機でうまいことを言えないのである。「第一志望で〜す♪」なんて言えないのである。
言えても目が死んでいる。
外資は志望動機なんてどうでもいいのである。志望しているから受けているのだから。
この2つのせいで落ちてる気がする。
逆に
1. 扱いやすくて
2. 嘘・演技が上手い人
は、能力がなくても日系企業には受かっている。その代わり、能力重視の外資にはなかなか受からない。
成長するポテンシャル、我慢する力はあるのかもしれない。が、それだけでいいのか?と思ってしまう。
なんだか、勿体無いような気がしてならない。
1点特化型は、そのスキルが必要とされている間は、重用されるけど、
これよく言われるが、実際はジェネラリスト(というかこれと言って何もできない)側の人が「そうであって欲しい」と強く願っているだけのことだよね。
そりゃ○○のウェッブフレームワーク一本で食っていきます!みたいなのはダメだろうけど、コンピュータサイエンスの基礎とか、
ファンダメンタルな数学スキルとかは取って代わられたりするようなもんじゃないし、応用範囲超広いし、コモディティにもならないからね。
今の人数。
正社員0人(俺だけ) 契約社員とアルバイト3人 その他業務委託4人
こういう編成。
で、業績が安定してきたので、2人正社員を雇いたい。
新卒でもいいし(ただし新卒の場合はインターン1ヶ月以上にしたいかな。お互いのためにマッチングは上手くしたい)
中途でもいい(業界は未経験でもいいけど、スペシャリストタイプよりもジェネラリストでスキルはその都度身につけるタイプが良い)
中途にするなら2人とも中途。でそろえたい。
でも、中途だと、自分の付き合いある人間から引っ張ってくる感じかな。ミスマッチが少なそうだし(人としての相性的な意味でも)。
今、45のおっさんです。25年前の自分に対してだと思って、書いてみます。
(1)まず、どこの大学に行きたいのか?決めよう。
「なぜ高校2年生のころは、この大学に行きたかったのだろう。」
※どこでもいいと、いうのであれば、とりあえず、今通っている
高校の過去数年間のうち、卒業生実績から上位5個ぐらいを対象とすればいい。
(この時点では、まだ候補)
おっさんの場合には、親は中卒で、誰も何も教えてくれなかった。せいぜい年に1人浪人して、
あるきっかけで、ある大学をターゲットにして、結果的に、現役でそれに受かった(旧帝大は滑り止めぐらいにした)
本を20冊ぐらい親に買ってもらって、「勉強の仕方」(どういった参考書をつかって、どのような勉強をするか?)
を勉強した。
(3)目的を再確認する。
目的は、「頭が良くなること」でも無く、「勉強ができること」でも無く、
上位で入る必要はなく、ギリでいいから入り込んでしまえばいい。
今、大きな人生の目標が無いのであれば、目標の設定後は、1年後にまた考えればいい。
長い人生、1年ぐらい誤差だ。
大学を選び間違えることもあるかもしれない。当然ながら、
大学に入った後の「貴方の人生」なんて、(親以外の)他人は誰も真剣に考えてくれない。
大学勉強の過程で、「勉強が楽しい」と感じられるのに「変わった」であれば、
それは嬉しい副作用だが、それも将来考えて下さい。
よく就活で、出身大学が問われるけれども、これは「親のしつけ・教育」「地頭の良さ」
「目標に対して真面目にコツコツ努力できる」ことの総合力を見るには都合が
いいからだと考えている。
話は変わりますが、「幸せ」とは何か?という質問があったとします。
何か食べにいく場合でも、「ファーストフード」の店「しか」選べない人と、
お金があれば、購入物の選択肢が増えて幸せと見なせることが多いですが、
代わりに時間を失うと、それは(行動)選択肢が減ってしまい、不幸せという解釈です。
Fランクの大学に行くよりも、上のグレードの方が、貴方の人生の選択肢は
もちろん、人生万事塞翁が馬のため、保障はしませんけれども。。。
最近は、弁護士や歯医者さんなども収入が減って大変だそうです。
それでも自分で職業を「選べる」だけまだ「幸せ」なんだと思います。
貴方の人生の選択肢を増やすために、1年間「だけ」真面目に勉強してみては?
(4)ひたすら過去問を解く。
現在2年生で、3年生の範囲は?となるかもしれないけれども、それは関係ない。
わからなければ、模範解答を丸暗記するぐらいまでやりこむ。
手に入る限りの過去問をやっていると、「どのジャンル」が出て、
今回は、(どの大学でも受かる)ジェネラリストを目指しているのでなくて、
ある大学に受かるスペシャリストを目指しているから、「出ないジャンル」の
勉強は、ばっさりと切り捨てる。
それは「リスク」として割り切る。
今まで真面目に勉強してこないんで、それなりの価値をつかもうとしているので、
ある程度の「リスク」を抱えるのは当然だと思う。
もしかしたら、次年度のテストは、過去問とは、関係のないジャンルが初めて出る
かもしれない。それは「不運」としてあきらめる。(=実力無い分、リスクを背負っている)
および(問題には出なかった過去問の周辺知識)を把握する。
※(導入の無い)答えの丸暗記は当然NG。
あくまでも答えの導入方法を理解して、または設問内容を把握できて、
厳しいこと書くと、その英語の問題集って、試験に受かるのに役立つ?
そういったことは余力がある人がやればいい、または余力ができてからいい。
まずは、「大学に合格する」という目標を定めて、具体的に、「何が試験に出て」、
「何が試験にでない」のかを把握すること。
「試験に出ない」ことは、現在の目標「大学に合格する」からすると、
※一般的な受験勉強は、教養にはなるし、自分のポテンシャルアップには
繋がるけれども、それはまた別の目的。
そういった「不純」な目的は、大学に受かる実力をつけた後に考えればいい。
大人の世界での、困難なプロジェクト管理におけるコツは、目標から逆算して計算して、期限を区切ること。
決して、現状から、コツコツつみあげるようなことはしない(できるのであれば、それは
目標の再確認をすると、今の目標は「大学に受かること(=Fランクにはいきたくない)」。
そのために、「勉強する範囲を精査する」(試験に出ない範囲は勉強しない)
そのために、「過去問を解く」そして、「現在の自分の実力」と「目標」
そして、その「差異」をいつまでに埋めるのか?の「期限」の設定を行います。
ここまでくれば、「てか何やったらいいのか分かんねえよorz」には、
なっていないはずです。
例えば、来年前半に、物理に、90日割くとします。過去問を3回繰り返すとします。
90日=60日(初回)+15日(復習)+15日(復習)。初回分は、60日。
仮に(計算しやすいように)120問だとしたら、1日2問づつ、確実に理解・把握していく。
感じで、大学入学という漠然とした目標から、目先の数時間レベルの具体的行動まで
落とし込んでいきます。
※お父様が筑波大学ならば、それなりに地位の方だと思うので、
大人がやるスケジュール「管理」の方法は相談しましょう。自分で全てをやる必要は無いです。
最悪、答えは理解できなくとも、時間の限り、「写経」するだけでもいいです。
私も同じ回答を何度も、(参考書みずに書けるぐらいまで)書き写しました。
あとは、本番で、数字・記号を変えるだけで、最悪、頭で覚えていなくても
「手が覚えてくれています」のでなんとかなるケースも多かった気がします。
(このご時世、受験の範囲で、高校生が、世界で初めてひらめくような
ことは、ほぼ無くて、既に、誰かが考えています)
数ヶ月後、一通り、過去問が解ける状態になったら、またここで、質問すればいいと思います。
誰か親切な人が答えてくれるでしょう。
まず、インターネットが無かった。今、空気のようにあるインターネットが
非常にうらやましい。
田舎だった。当然、学校の先生も、高度な大学の入試についてこれない。
(これは先生の能力の問題ではなくて、その他大勢の生徒のレベルに合わせるため)
おっさんの高校生(2年生2月)の行動力は、自画自賛になるけれども、
今でも褒めてあげたいぐらい。
(A)まずは、合格体験記を20冊ぐらい読みあさり、効率的な勉強の方法を調査。
※合格体験記を見て、自分なりのコペルニクス的転回は、「できない問題は捨てて良い」
ということ。田舎の学校では、そんなことは教えてくれず、目の前のことは
がんばってやりましょう」という概念が変わりました。
(C)我が家は貧乏だったので、「予備校に行かせて」とは言えないし、
そもそも予備校までも遠かった。
(参考書代金と、模試の代金は、貧乏ながらも出してもらえました)
「3ヶ月に1~2回の試験を受ける人」と「3ヶ月で20回試験を受ける人」
とでは、駄目出しされる回数が圧倒的に違うから、修正ポイントも早く気づきやすいし、
ジャンルが違う模試は、厳密には無意味だけれども、周りの受験生の雰囲気などにも
早くなれることができました。
>てか何やったらいいのか分かんねえよorz
「親が模試の費用を払ってくれている。少なくとも、費用分の元を取りたい」
と考えられるのであれば、模試をうければ、「3時間以上の濃厚な時間」を勉強できる。
時間内は、必死で考えるから、印象にも残る。試験後に、気になることは自分で調べたり、
先生(しつこいが、学校の先生に聞くのはタダでできる)に聞いたりして、同じ問題には
対応できるようにするだけでも、レベルが変わってくると思います。
試験で悪い点を取り慣れていなければ、自分も頑張らなきゃと思うようになると思う。
(勉強しようとう環境に、当時のおっさんは、自分を追い込んだ)
スポーツに例えると、武者修行(道場破り)にいって、週1でコテンパンに
やられて帰り、翌週までにまずかったところを調整。再度、やられにいく感じでした。
(少なくとも、同じパターンではやらなれないようにした)
頑張るのは、1年間だけだから、
睡眠時間+学校の時間(通勤時間)+2時間以外(基本的生活時間)は、
全て勉強するつもりだったら、なんとかなるかも?
生活は親が面倒みてくれていると思いますので、一生のうち1年間だけは、
狂ったように勉強してみるのも、いい経験になるのではと思います。
大人になると、「勉強だけすればいい」という贅沢な時間は持てなくなります。
1日8時間寝るのであれば、それは残りの16時間のためを充実させるための
必要経費です。
そもそも、最初から、1日16時間、さらに基本生活時間の2時間を除くと、
残りの14時間を効率的に生きること。それは、「本を読むスピードを上げましょう。
問題を解くための手を早く動しましょう」のような基本動作のスピードアップと
いう意味ではありません。
今の自分にとって、「必要なこと」「不要なこと」を見定めて、「不要なこと」を
やらない勇気を持つということです。
25年前の自分宛のつもりで書いてみました。
<追記>
おっさんは、元質問者に書いたつもり向けだったのですが、ここまで読まれるとは思いませんでした。
(1)実力者(上位10%)
(2)中間層(上位30%)
(3)残り(他)
(1)の人は、普通に王道を歩めばよくて、今回、おっさんが書いたような
おっさんは、「(3)残り」の人が、「(2)中間層」にどうやって勝つか?を書いたつもりでした。
(3)の人達は、まず(1)の人には勝てません。どのジャンルにも「天才」と呼ばれる人がいます。
勝つことは考えていません。
(3)の人達が、実力をごまかして、(2)の人達に勝つ(かもしれない)方法を書いたつもりでいました。
(2)の人達は、大学受験では、n校受験などして、それなりにリスクを分散をしています。
(3)の人達は、普通に実力勝負をすると(2)の人達に負けます。
当然ですが、(3)の人が追いつこうと思う間に、(2)の人も前にすすみますから、差を
縮めるのは大変です。
(3)の人達が、(2)の人達に勝つためには、リスクを背負うしか無い。具体的には、
それでも勝てそうになければ、更にリスクを背負う(フィールドをより絞り込む)ことに
なるでしょうし、余力があれば、リスクを分散化(フィールドを広げる)すればいい。
過去問というのは、自分が勝てる場を探す作業。おっさんの受験は25年前で情報古いですが、
実力無い人が、とりあえず、「この戦いに勝てばいい」の方法を書いたつもりでした。
もちろん、後のことなんて考えていません。
おっさんの書いている方法は、当然ながら、真の実力はつきませんし、
でも、「まったく勝ち目の無い戦い」よりは、マシとは思います。
どこの工場にライン作業の横でプログラムしてる様なとこがあるんだよ。
つまりは、「オフィス」という名の工場の中で座ってパソコンの前でやってるけど、要するに「工場」のライン作業と同じことだ、ということだろ、部類として。
幼さを感じて下さいな、勝手に。
ここでジェネラリストスペシャリスト、って単語にするからあれだけど、別に真の意味でのスペシャリストなんてほとんど存在しないんだから、
単に、その分野で現場で働いてました、って人が、上に立って仕切る立場になって他との交渉やら色々現場職以外をやるようになりました、ってのを言いたかっただけなんだけどね、わからないかね。
日本語読むの苦手なの?
全然違うよ!
業職は、技能職・技術職などさまざまな呼び方があり、具体的には工場におけるライン作業や設備保全、プログラマー(コーダー)などの業務に従事する正社員である。
工場で働く正社員の中にライン作業、設備保全、プログラマー(コーダー)などがいるって書いてあるよ。
スペシャリスト→ジェネラリストが一般的な道とか言い出す所から幼さを感じる。
学生かな?
もうちょい勉強がんばってね、応援してるよ。
総合職に対して、一般職・現業職と呼ばれる職掌がある。ここでいう一般職は、一般事務などの定型的・補助的な業務を担う正社員である。現業職は、技能職・技術職などさまざまな呼び方があり、具体的には工場におけるライン作業や設備保全、プログラマー(コーダー)などの業務に従事する正社員である。
総合職は、業務の必要に応じて転居を伴う転勤や出向がある。 企業によっては、総合職とは別に、地域限定総合職として勤務地を限定した総合職を設定することがある。
これみると、ぷろぐらまー様というのは、工場ライン的な作業員と同じ、ってことだな。
ま、それはそれとして、日本だと、この「現業職」って考えを普通の会社で持ってる所は少なくて、通常「総合職」か「一般職」に別れるんじゃ?
最初何らかのスペシャリスト(まあ、別に入った時にスペシャリストな訳ではなくて単にそれに従事した、ってだけが多いけど)で、
http://anond.hatelabo.jp/20130528200613
はじめまして。私はある外資系の会社のCTOをしている者です。
数年前から、新卒者の採用を日本で開始しました。あくまで数人程度で、去年は0人でしたが、それでも応募数はかなりの数です。
私は最終面接の1つ前の面接を担当しておりますが、その際に「専門性を持っている人間か」というのは大きなポイントになります。そもそも、専門性のない人が最終面接の手前に来てしまう事自体、私の不徳のいたすところです。
正直言って専門性のない人を見下しているという記事がはてなで話題になっているようなので書かせて頂きますが、私も「新しい価値の創造」は専門性があるかないかで決まると考えておりますので、この記事についてはほぼ賛同いたします。
この点については、私の上司も同じ考えですので、面接において専門性の乏しき人物については、残念ながらこれからの健闘を祈らせていただいております。
正直言って、少なくとも私の務める会社では、専門性のない人は必要ではないのです。これは基本的に他の業種でもそうだと思います。
「専門性を持て」と言うと、「ジェネラリストがどうたらこうたら」「顧客満足がカクカクシカジカ」とおっしゃる方が多いですが、信じた道を進まれることをおすすめします。
テストの花道と言うのを見ていると、受験勉強の時にいかに「弱い部分」を補強するかに時間をかけているのが分かる。
一方で、仕事の勉強は、その反対の方がよいように思う。「弱い部分」を補強するのでなく、「強い部分」をさらに強くすることだ。
「弱い部分」を補強したところで、他の人と比べても単なるジェネラリストになり、その人の良さというのは出てこない。一方で、「強い部分」をさらに補強することで、「その人にしかできない」ことがどんどん集積していくようになる。結果として、他の人と比べて抜きん出たところが生まれる。
受験勉強ばかり続けた人が大学に入っても、同じように勉強を続けた場合、単なる平凡な人になってしまうのでは、と思う。それでも、まったく勉強しない人よりは、多少はできる人なのだろうけど。
管理職にする。
取締役にする。
…というのは、こういうときに使う方法なんだろうなあ、と思った。
上から下までそこそこになんでもこなせる能力を持っていて、創業当初のとにかく人が不足している時期には本当に不可欠な人材だった。
彼には今でもとても感謝しているし、彼がいなければ今の成長はなかったと思う。
しかし、幸いにも会社が成長し始めて徐々に人が雇えるようになり、優秀なエンジニアも入ってきてくれるようになった。
最近入ってきたエンジニアはインフラやフロントエンドそれぞれの領域でエキスパートな人間ばかりで、システム全体が毎日すごい勢いで改善されている。
多くの社員がそれぞれの領域で成果を出していて社長としてもありがたい限りなのだが、そんな中Aさんの存在が気になるようになってしまった。
彼は決して能力がないわけではないのだが、今これだけ人材が集まってきた状況にあって彼のジェネラリスト的な能力が、どうしても各分野のエキスパートと比べて見劣りしているように感じてしまう。
一人に何でも頼らなくても分野ごとの分担ができる状況になった今となっては、彼を輝かせられる場所が見いだせないのである。
このまま彼を雇い続けられるだけの体力は会社にあるが、厳しい話をすると会社として彼を雇うメリットは日を追うごとに薄くなっている。
まずここさ、
なにが「だから」なのかさっぱりわかんないよね。
ここの繋がりが全然論理的でないことは議論が好きな人ならわかるはず。
1「自由闊達な議論を推奨する」ことも、
2「意見や提案を入念な議論で精査する」ことも、
3「かなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ」ことを正当化はしないよね。
そもそも全然つながってねーし。
むしろ3は1や2を萎縮させかねないと思うけど。
そこんところを社長はどうお考えかお聞きかせ願いたい。
荒い言葉が乱れ飛んでるって状況は
「自由で柔軟で風通しのいい社風」なんてものとは全く似て非なるものなのに
親分がそこを理解しないまま満足してるのはいけないと思う。
だいたい
タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。
むしろ他人と接するときにはほとんど「欠点」と言った方がいいことにお気づきだろうか。(個人的には同性質なんだが。)
その性質と仕事での議論を分別してないらしいところが大変危うい。
(そしてあなたに諫言出来る部下が居なかったゆえだ…)
ところで、最近新しく人を雇った。財務・会計のスペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。
一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。
あんたの会社は、
あんたの強引なパワーと、それに洗脳されて従順な子分達のインチキ合議制で運営されてる。
外部からいきなり入ってきた人はそりゃ馴染めないはずだ。一人だけ洗脳受けてないのだから。
そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。
まあこれは一般的に経理マンの特徴って面もあるかもしれない。
俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。
「私は」。「人間」。「です」。でしょ。
そもそも言葉遣いからだけでもあんたの独りよがりでナルシシズム過多な性格が読み取れるんだよ社長。
全文そうだけど。
そういうのも会社の推進力になるのかもしれないし
もしかしたらそれはあんたの才能なんだろうけど
自分の性格の負の面は常に考慮に入れて、自制すべき場面では自制しろよ。
してるならいいけど、あんたの文読むとしてなさそうに思える。
だから、彼が提出して来たレポートや企画書にも、細かく質問・意見を出す。わからないところは教えろと言う。
彼はこれが煩わしいようなのだ。
これは無理だよ・・・。
専門分野について知識の土台すらない人に100%の説明するのは不可能だ。
ごく浅い説明をもっともらしい口調でやる、素人騙しなら出来るけどね。
それをやらないだけ誠実な人だよその人は。
社長さんが本気で経理財務を、経験豊かなスペシャリストと同じぐらい把握する気なら、そのガッツはいいと思う。
けど、それならまず最低限として簿記1級をとってもらわないといけない。
それぐらいの労力投下をしたうえで「さあ教えろ」って言うならまだ対等なやり取りといえる。
でももし、自分は経理の知識ゼロのまま「すべて把握させろ」っていうなら
それはそもそも不可能な話の上に、相手にだけ負担を押し付けててフェアじゃない。
ウチの会社にジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。
我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。
これは余計なお世話だが、
小さい新しい会社ならそのやり方もいいけど、
大きくなればどっち道その制度は持たないと思う。
大会社から経理マンを連れてきたのを見ても、そろそろ過渡期なんじゃ?
確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな
あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。
内容にもよるけど、
経理実務の話に簿記すら理解してない人から「矢のような質問」をされても閉口するだけだと思う。
論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。
それが別個のことだと理解してるなら、
まず「かなり荒っぽい言葉が飛び交う」状況は改善すべきだと思う。
それで喧嘩にならずに済んでるのは単に、怖い親分がトップに居るから&全員親分のイニシエーション済み子分だからで、
よその水で育った人(つーより社長んとこの水で育った人以外すべて)にそれは通用しない。
ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。
まとめるよ。
・専門性の高い分野について、実務家と素人の間に「議論」は成り立たない。どんなに素人達が「議論」のつもりでも。
・本気で部下の仕事を100%把握する気なら、会社が発展すればするほど寝てる暇なんかなくなる。睡眠1時間で勉強をすべき。
突っ込みばっかり書いたけど、
タフな議論が物凄く好きだし、12時間ぶっ続けで討議しても飽きないくらいの議論好きだ。
だから、本質的な対立の無い相手に対しても、ある種意見や提案のストレス・テスト的な意味合いを込めて
反論を試みることが多い。どんなすばらしく見える意見や提案もある程度「叩いて」みないと真価はわからないものだと思っている。
そういう風に経営をやって来た。俺が論戦を挑む時はネガティブな意味合いはなく、ただ単にあらゆる側面から
提案や意見の真価を問うているだけだ、と部下には理解して貰って来たと思う。
自分が面倒くさい経営者であり上司であることは十分理解しているけれど、その代わり俺は闊達な議論こそを是として
どんな立場にある人間にでも、極めて自由な発言を許して来た。俺に対して「おまえは間違っている」と面と向かって言える会社を目指してきたし
ある程度は実現出来て来たと思っている。だから、会議ではかなり荒っぽい言葉が乱れ飛ぶ会社になった。
形式的なものは一切重視しない、立場も上下も無い。意見をひたすら出せ、戦わせろ。という会社の風土には満足している。
ところで、最近新しく人を雇った。財務・会計のスペシャリストで、別の会社から引っこ抜いてきた。
一般的な観点から見れば、高い給料を払っている。会社の規模から考えれば、少々ムリをしたと言えるかもしれない。
しかし、この人材を動かしてみるともちろん専門領域では想定通りの有能さを見せるものの、
議論が成立しないのだ。「反論」を人格否定と受け取られてしまう。そして、自分の専門領域以外では一切の発言をしない。
俺は、部下の職務内容は100%理解しておきたい人だ。現実的にはそれは難しいとしても、最低限部下の土俵で論議が出来なければいけない
と思っている。だから、彼が提出して来たレポートや企画書にも、細かく質問・意見を出す。わからないところは教えろと言う。
彼はこれが煩わしいようなのだ。専門領域外には口を出さないから、自分の領域にも口を出すな。そういうことらしい。
もちろん、俺はそれを絶対に認められない。
そして、財務・会計のスペシャリストとして雇ったとはいえ、会社全体のことも理解して貰わなければ困る。
率直に物を言い合うことを是とする他のメンバーと同じ土俵に立ってもらわなければ困る。
「この会議にわたしが呼ばれる理由がわかりません」とか、ホント困る。つーか、俺言ったよね?面接であれだけ念を押したよね?
ウチには基本的に何かのスペシャリストしかいないけど、業務領域は一切特定されてないって言ったよね?
そりゃ、元が大企業の人だからわからんでもないけど、ウチクラスの会社で「専門領域しか触らない」なんて出来るわけないのよ・・・。
ウチの会社にジェネラリストっていうか、専門的な職能を持たない人間って社長の俺しかいないんだからさ・・・。
我が社は、誰かが提案を上げて来たら、他のメンバー全てがその提案の粗を探す。
徹底したブラッシュアップを図る。ミーティングは闘争的にやれ、つまらない会議するくらいなら帰れ。
そーいう会社なんだよ。そりゃ、あなたの職能は高いよ。だから高い給料出してんじゃないですか。
確かに、自分の専門領域にケチつけられるのは不愉快かもしんないよ。でも、ウチってそーいう会社で、別にみんな
あなたが憎くてバシバシ議論振って来てるわけじゃないのよ。むしろ、あんたを尊重しているから矢のような質問と反論が来るのよ。
論戦と人格否定は違うし、それは全くかかわりないってことを、どうやったら理解してくれるんだよ・・・。
そりゃ、プレゼンが始まったらガンガン質問と批判が降り注いだのにビビったのはわかる。
でも、それがウチの社風で俺のスタイルなんだよ。変える気はないから、適応してくれよ・・・。
毎回会議の後にブチギレて憔悴しきった顔されても困るんだよ。別に、会議が終わった後の飲み会に来いとまでは言わないから
ウチの会議のやり方には慣れてくれ・・・。ウチでは合意と意思疎通のためだけのミーツは一切やらないんだよ。会議は常に議論なんだよ・・・。
そして議論の中でどれだけ敵対しても、個人間の対立にはしちゃいけないんだよ。そーいうルールなんだよ。わかってくーれーよー・・・。
そういう意味で東大*1を出すのは、用例的には正しくないと思うが なんだろう。短く言う方法を思いつかなかったので比喩的に。
トップという意味であれば、どの業界もトップをとっているのは、コアドリルを見つけて天元*2を突破した螺旋の戦士たちなので。
もはや、東大とかそういうカテゴリーではなく、螺旋の戦士である。
あれは、なんというか、東大とか、最高学府とか、もはやたぶん、トップとか、そういう事ですら無く、螺旋の戦士であり、魂の友である。としか。
*1 東大はジェネラリストの最高学府であって、スペシャリストの最高学府ではなく 東大といった場合に一般的に誤解なくさすのは平均的によく出来るという意味であって
*2 零五歩
id:aionarapです.自分のブログがなく,ブコメじゃ情報を書き足りないのでこの場をお借りしました.
“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
はてなブックマーク - “徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申 - MSN産経ニュース http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/life/news/110131/edc11013122040003-n1.htm
この中教審の答申に関して,ブコメでは否定的な意見が多数,というか肯定意見は皆無ですね.しかし,私個人はある程度この試みに賛成です.あ,先に書いときますが,完全肯定じゃないですけどね.修論は書いたほうがいいし,徒弟制の完全廃止もどうかとは思っています.
じゃぁ何が賛成なのよ,という話ですが,Qualifying Examの導入,及び広い範囲の教育に関してです.これは必須,と私は考えています.この辺りのお話に関するご意見を皆さんに聞いてみたいと思い,当エントリを書くことにしました.
今回の中教審の答申は,博士の現状の問題を反映した意欲的な取り組みに感じる.丸呑みにするには良くない部分もあるが,期待しても良いのではないのか.
さて,そもそもの出発点ですが,博士は「スペシャリスト」でありさえすれば良いのでしょうか?私は否と考えます.博士こそ「ジェネラリスト」にもならねばならない.…と書くと誤解を招きますね.要は専門馬鹿になっちゃいかん,ということです.
勿論,博士課程の人間は自分の専門分野に関して,国際的な第一線に立てるような知識と経験が必須です.一生懸命に自分の研究に取り組む必要があります.ですが,それだけではダメで,最低限隣接領域(まぁ定義が微妙ですが)に関して,可能であればもっと大きな枠組で知識を深めなきゃいけません.科学技術はどんどん煮詰まってきて,先に進むためには学際分野の融合による新しい概念の創出が必要です.それをイノベーションと呼ぶこともあるでしょう.それを生み出すためには,少なくとも2つの分野に関してよくものを知っていないといけません,そうですよね?
テクニシャンとして分野を極めるのもひとつの道かもしれませんが,博士に求められているのはそういうことではないと私は考えています.
加えて,博士が「スペシャリスト」のみを意識していると,博士課程の人材の活用先は研究者,それもかなり狭い分野に限定されます.
ここで,大学院設置基準が定めている博士課程の役割を見てみましょう.昭和49年の時点では,
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行うに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
「専攻分野について,研究者として自立して研究活動を行い,又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力及びその基礎となる豊かな学識を養うことを目的とする。」
と,敢えて変更を行っています.差分は,
「又はその他の高度に専門的な業務に従事するに必要な高度の研究能力」
「社会の多様化,複雑化等に対応し,博士課程において,大学等の研究者のみならず,社会の多様な方面で活躍し得る高度の能力と豊かな学識を有する人材を養成する必要から明確化」
(以上,http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05090501/021/003-3.pdfの2ページ目より引用.)
平成元年の時点で,大学院設置基準は博士課程学生に「社会の多様な方面で活躍しうる」人材たることを求めているのです.
「おいおい,博士が研究者にならなくてどうするのよ…」という意見もあるでしょう,それは理解します.ですが,包含関係を取り違えてはいけません.研究者として生きて行けるのは,博士号を取得したうちの一部の人間です.研究者になるのは博士号取得者でしょう.ですが博士号取得者は全員研究者にはなれません.国家として,限られた国庫の中から博士を全て取り込めるほどポストを恒久的につくるのなら別ですけどね….
それに,(ありえませんが)もしそうなったとしても,全員研究者になるのもどうかと思います.一人ひとりが研究テーマを持って,プロジェクトリーダー的な役割を果たしつつ,世界の最先端を突っ走ってきた人間が,その経験と知見を他の分野に持っていくことは非常に意義があるでしょう.ある意味,一人でプロジェクトチームに求められる役割を全て果たす必要があるのですから,その能力は推して知るべしです.是非,社会のあちこちで活躍するべきです.
非常にポピュラーなのは,専門を活かした職業でしょう.企業での研究開発を初めとした「明示的に博士を求めている」職業は多いです.…まぁ敢えて書く必要はないですね.
初等,中等教育の教師もいいでしょう.勿論高専も.起業もいいですね.
そして,本当はその他の「博士が求められていない」と考えられている職業にも行ったほうがいいと思うんです.だって,ずっと知的体力を鍛えてきたわけですから,同年代の博士号非保持者と比較してその辺りは大きくリードしているはずです.
彼ら/彼女らが持っている問題発見能力は,必ずや企業にとって大きな助けになります.
前節の内容に関して,同意して頂けましたでしょうか?して頂けた方も,そうでない方もいらっしゃるでしょう.
でも,同意/非同意にかかわらず,ほとんどの人は「夢物語乙!www」という感想を抱くのではないでしょうか.いえ,私もそう思います.
例えば,id:scicom 氏の快著,「博士漂流時代「余った博士」はどうなるか?」(http://goo.gl/Pd0ls amazonへのリンク)には現状の博士号取得者,特にポストドクター(PD)の状況が整理されています.
簡潔に言えば,現状は散々たる物です.企業は博士号に魅力を感じていません.これは伝聞ですが,採用担当者は「博士は当たり外れが大きい」と感じているようです.ハズレを引くリスクを恐れて採用を控えるそうです.
そもそも,皆さん,博士号をとっている人間が「最低限」「共通して」何を出来るか,分かりますか?
言い換えると,博士号が担保しているものは何か,知っていますか,ということです.
特に,博士課程では,①学生に特筆すべき顕著な研究業績を求める大学院もあるなど,博士の学位が如何なる能力を保証するものであるかについての共通認識が確立されていないこと,②博士課程(後期)の教育が,個々の担当教員がそれぞれの研究室等で行う研究活動を通じたものにとどまり,学位プログラムの整備という観点から不十分であること,③大学と産業界等との間において,大学院が養成する人材像と産業界等の評価や期待に関する認識の共有が十分でなく,修了者が産業界等の社会の様々な分野で活躍する多様なキャリアパスが十分に開かれているとは言えないこと,といった問題点が見られる
(http://goo.gl/Jq0LU, pdfファイル,5ページ目)
文科省は,博士号が担保するものに関する共通理解は無い,と述べています.また,教育の質もバラけていることを指摘しており,このことも共通理解の妨げになるかと思います.
個人的には,博士号は「専門知識」と「プロジェクト(研究)遂行能力」は担保していると思います.…が,サンプル数が少ないので断言はできません.
この「一般的な博士像の不存在」が,世間一般への博士の浸透を妨げていることは想像に難くありません.
当の本人たる博士号取得者は活躍の場が減る,すなわちたつきの道の選択肢が減ります.
納税者の皆さんは,せっかくお金をつぎ込んで育てた人材が有効に活かされず,「税金の無駄だ!」と感じるかもしれません.
後進の学生は,この惨状を見て博士に進まなくなります(というかそうなってます).
こうして,本丸たるアカデミックの世界ごとジリジリと衰弱し,…あとは言わずもがな.
勿論,「これさえやれば万事解決!」みたいな簡単な処方箋はないでしょう.でも,チャレンジは出来ます.
私は,そのチャレンジの一環が今回の中教審の答申だったのではないか,と考えています.(というか資料はそれを物語っています)
専門の知識だけではなく,基礎知識や計画力,語学力,倫理観などもちゃんと持っていることをQualifying Examで保証しましょう.
どこに放り出しても生きて行けるほど強くするために,総合的な教育もちゃんとしましょう.
そういった取り組みが,今回の答申の意図ではないのでしょうか.
この新課程を出た博士がその有用性をアピール出来れば,在野の博士号取得者にもスポットが当たり始めるでしょう.
さて,ここで,「大学院に進んでまで人に教育を受けるとかwww自分で学べよそれぐらいwww」という気持ちになる人もいるかもしれません.
正直,私も「それぐらいじぶんでするわい」と思ってたりします.
でも,主眼はやっぱり「質の保証」なんだと思います.ちゃんと大学院は「最低限」「共通して」一定の能力を持った博士を輩出しますよ,という保証.
さぁ,経営者の皆さん,安心して共同事業を博士が経営するベンチャーと行って下さい.
さぁ,保護者の皆さん,安心して博士の教員を迎え入れてください.
そういう事を,皆が自信を持って主張できるように,ということでしょう.
ええ,上記の効果を狙ったとしても,逆効果になる部分もあるでしょう.
徒弟制を完全廃止すると,一本軸の通った研究ができなくなって,結果として「スペシャリスト」にもなれなくなります.
(念の為に再度主張しますが,博士は「スペシャリスト」の能力を最低限備えてなければなりません,と考えています)
博士課程に進学希望の学生が修士論文書かないと修士/博士の間のフレキシビリティを損なうことになります.
なので,細かい部分は考える必要があるでしょう.
でも,今回みたいに,現在抱えている問題に対してちゃんとコミットメントしたということで,私は文科省をちょっと見直しました.
というかなんか雰囲気で「お役人は肝心なことに取り組まない」みたいな思い込みがあったのですが,やっぱりそんなこともないよなぁ,と思いました.
なんせ,前述の「博士漂流時代」を読んで気になったことを調べ始めたら,殆ど中教審の資料にまとめられていたのですから.
さて,長くなりましたが,これにて本エントリはお終いです.お付き合い下さり誠にありがとうございます.
ホワイトカラーだと頭脳労働者で意味合いはあっているのですが 巾が広いので
公認会計士さんや法務の人など、専門知識を持ったデスクワーカーが含まれます。理系だとプログラマーとか。
いずれも、専門職的意味合いが強いので、東大という汎用大学のトップが当てはまるかというと、微妙に当てはまりません。
東大というものを引きあいに出した場合、自動的にジェネラリストを暗黙のうちに内包しますので、
これら、専門職のトップ・エリートになるために 必ずしも5教科を平均的に習得する必要性があるか?という疑問に対する解答は否定的になります。
たとえば、法務だけを徹底的にやってきたが、理系は詳しくないという場合、東大には落ちる可能性はありますが、トップ弁護士になれる可能性はあります。
いつからだろう、何か本気で取り組んでみたい物事を見つけるたびに、わざとそれを避けるようになったのは。
できないからやらないのではなく、したくないからやらないのでもなく、したいけどやれない。
こんな矛盾した気持ちを抱えているのは自分だけではないだろうと思う。
自分だけにしかできない何か一つを持つよりも、自分は何一つできないことなどない。
そんな人間になりたかった。
個性なんてお断り。個性なんて背負えば他が潰れてしまう。なるべく平らで均されていて、でもそれぞれか程良く高い。
そんな優秀な人間になりたかった。なれると思っていた。
どんなことでも経験してみたかったし、どんなことでも知りたかった。
何も華やかなことや凄いことだけじゃない、苦しく汚らしく嫌らしい、そんな何もかもを体験していきたかった。
そして自分のそうした好奇心がいずれは自分を大きく立派な人物に成長させるのだと信じていた。
小学生も高学年になればあの頃に特有の万能感もだいぶ薄くなっていたけれど、この好奇心があれば自分は大丈夫。人とは違う。
そう思えた。
少なくとも僕は一握りの才能をもって生まれた人間ではないということに気づく。
物語にでてくるような何でもできるスーパーマンにはなれそうもない。
それでも没個性への志向と自分は好奇心が強いという核にブレはなかった。
けれど、実際のところそれは心の持ちようでしかなく、
好奇心が強く色々なことを経験したかったはずの僕は、何か行動を起こすというのにはいつも消極的だった。
歳を指折り数えられなくなった頃、世界は大きく広がった。
自分の手が届く範囲だけでも見落としてしまいそうなくらい小さなものから、すぐに目に付く大きなものまでたくさんの選択肢がある。
そのそれぞれから続く道は更に遠くどこまでも伸びてゆき、いくつもに枝分かれしている。
多くの友人が一番大きく太い道を、特別な何かを持った幾人かはそっと違う道へと逸れていく。
僕はというとあれもこれもと言っているうち、とうとう時間がなくなってしまいしぶしぶ皆と同じ道へ。
そうしてそんなことが何度か繰り返され、大きかった道もだんだんと狭まっていき、仲間も減っていく。
結局僕は目移りをしていただけだ。
寄り道することも、それらに触れることすらもなく綺麗に舗装され踏みならされたその道をまっ更な靴で歩いている。
気づけば大学4年生。
何にも挑戦することなく、もちろん何の実力もなく、周囲と自分を騙し騙し生きている。
あと半年。
これから待っている残りの人生は子供のころ憧れていた僕とは程遠く、思い描いていたものとはだいぶ違ったようだ。
本当にしたいことが、やってみたいことがたくさんあったのに。
何一つ手をつけることすらしてこなかった。できなかった。
決意を新たにし、覚悟を決めたのは10回や20回なんてものではない。
何百、何千回と心にリセットを掛け、道具や思い出を大切なきっかけに見立て、人に伝えることで退路を絶った。
しかし、それが行動に移ることはただの一度もなく、代わりに腰についた鎖だけが重みを増し、より立つことを困難にしていく。
自分は何かに挑むことが、何かを頑張ってみることが、それができない、そういう生来の特徴を備えた人種なのではないだろうか。
そんな風に考えるようになっていく。
でも、本当はそれでよかったのかもしれない。
挑戦しても、頑張ってみても、成功することなんて滅多にないのだ。
わざわざ敗北者になりたいの。どうせできっこない。
今の自分を、今までの自分を認めてあげようよ、自信を持とうよ。
そんなことを考えてしまう自分の心がどうしようもなく気持ち悪くて、自ら作った防護柵をがしがしと音を立て壊していく。
そうして残った自己嫌悪だけはしっかりとそこに根を張り、
自信や自己実現なんて成功に必要な好循環からは遠ざかる一方だ。
常に揺らぎを持って自分を定位置に留めていたくない。
理想はそうあったのに、口だけなら今でもはっきり言える。
でも、現実はほんとうに同じような毎日の繰り返しで、決まって同じ場所にぽつんと立つ自分がいる。
なぜここまで心と体で乖離できるのだろう。
こうして日々を過ごしていけば、嫌でも自分というものがわかってくる。
自分に何かの才能がないことを知った時よりも、自分にはスタートラインに立つ勇気さえないと気づいた時の方が何倍もショックだった。
思いが行動に繋がるにはほんとうにいくつもの壁がある。
周りの人間がひょいとその壁と軽々しく飛び越えていくのを見るたび、より壁が高くなったように感じられる。
こんな気持ちは学生にありがちなものとして、いつしか忘れることができるのだろう。
中二病というやつをこじらせてしまっただけなのかもしれない。
でもいつなのだろう。
これまでも幾度かあった。
心のなかで燻っていたものがいつの間にか消えているのに気づいてしまいそうになることが。
違う。まだなくなってはいない。
そんなように感じるだけだ。
でも、まだ確信ではないのだけれど。
それを確かめるのが怖い。
認めたくない。
そうしているうち少しだけ、ほんの少しだけ息を吹き返す。
それを感じ、まだ自分には願い想う心だけは残っているのだと、ほっと心底安心する。
でもいつか本当に消えてしまう日がくるのだろう。
いつなのだろう。
挑戦したいと思う気持ちまでもがきれいさっぱり消えてしまい、可能性すら失うのは。
http://anond.hatelabo.jp/20100813234019 これ読んで、自分がその先輩とは真逆のタイプだなーと思った。
あまり具体的に書くと僕が誰なのかばれそうなのでかなりぼかした話になる。
僕自身にはたいした能力はない。良く言えばジェネラリストで普通に言えば器用貧乏で、ようするにとても平凡だ。
知り合った奴の中に、
「こいつ底力も人望もありそうなのに、なんか遠回りしてるなあ」
「折角いいセンスを持ってるのに落とし穴にはまってる気がする」
「彼がやりたい事を実現するには、あれを学べば彼ならできそう」
「あの人とこの人を逢わせたら化学反応起こしそう」
という人物を見つけることがある。
そういう人に、こういう開発方法もあるんだよ、こういう発表の場もあるんだよ、こんな考え方もあるよ、これで悩んでるなら教えるよーって横で踊ってあげると、本来そうであるべきだったように伸びに伸びまくってあっちゅーまに僕の上にいく。
コツは、学ぶならこうしなければいけないと強制するのではなくて、あくまで選択肢を提示して自ら選ばせること。熱意を湧き出させるためなら、その人の手がけてるもののコピーを新しい方法でジョバンニで作り直して見せてあげるくらいのサービスはする。それが一番説得力のある方法だから。彼らは最初にエンジンが起動さえすれば、あとは自身の燃料で走り続けられるから。地図を広げ、発射方向を定め、エンジンを起動するためになら、僕は努力を惜しまない。自分の事では努力出来ないのに。他人を後押ししてる時は、成功のビジョンが見えていて大抵その通りになるんだ。
僕が色々教えたり後押しした人たち…そのうちの数人は大きくなりすぎて遠慮さえ感じる。人気デザイナー、必読と言われる本を出した奴…みんなすごくなってる、まぶしくなってる。
彼らは、僕が関係しなくてもいずれそうなってたのかもしれない。でも彼らのうち何人かが今でも、僕との出会いがなかったら人生違ってたって言ってくれる。お世辞かもしれない。今では、僕自身の仕事や人生を豊かにするのに彼らからたくさん与えられている。僕はもうなにも与えていないのに。
そんな経緯があるから geek 系のクラスタにやたら縁があるけど、深い親交のある相手は大抵そいつが無名の頃に知り合ったというパターンだ。僕自身はそんなクラスタにそぐわない普通の平凡な人間だから見上げるばかりだ。
もうこの歳になってから自分が何かを起こせる人間に変われるとは思えないから、すごい人の後押しをするだけの簡単なお仕事という生き方で一生行こうと最近は思ってる。皆、僕を追い越していく。だが、それがいい。
なにより、他人のすごい点が気になりすぎて自分の瑣末さが本当にどうでもよくなってしまうんだ。
元増田さんは、辛い、あんな風になりたかったと言ってるけど、僕は追い越されまくってるのにそれを辛いと思った事は殆どないんです。
むしろ自分の生きがいに近いものさえ感じてる。
縁って他では代替がきかないものだよ。先輩の今にもあなたの縁がきっと関係してる。
考え方次第で、辛くも嬉しくもなるはず。
対人コミュニケーションが人生のすべてだと思っている人の意見ですね。
もしその人に他にいいところがあっても、非コミュだと全てが台無しになると思ってるわけですか。
組織の中でうまく立ち回れる能力だけが、全てだと思わない方がいいですよ。
いわゆるいじめられっ子タイプって、職人や研究者やクリエイターになることが多いものです。
僕も、自分がうまく立ちまわるために、非コミュの人を選んでスケープゴートに仕立てて、
彼らのいじめに耐えつつ頑張って、地道に作品を作って、業界内での評価や知名度を高めて、
今はそういう半端なコミュニケーションしか出来ないような営業職とかジェネラリストの奴らに
頭を下げさせられる立場になりました。
クソみたいな飲みニケーションを強要したり、知能レベルの低い噂話ばかりで盛り上がったり、
その場の空気を読んで無難なことをすることに価値を置いたり、そんなことをしなくても
いい立場になりました。
いわゆる、業界における重鎮と呼ばれる立場になったからです。
僕は、対人コミュニケーション能力が中途半端に高い人を信用しません。
そういう人は、独りでコツコツと数年間同じことを続けるような地道な努力を回避して来たからです。
ひとつの道を選んで、作品に自分の考えのすべてを注ぎ込める人こそを信用しています。
コミュニケーション能力こそが自分の真髄だと選んだなら、ホストや芸人にでもなればいい。
もしくは、一般企業にいても、誰からも慕われるようなトップ営業になれるはずです。
本当に優秀な営業は、人をイジったりせずに、しっかりマネジメントが出来る人です。
数字を追うために、調子のいいトークで人を丸め込んで、アフターケアを丸投げにするような人ではありません。
僕が一番何をいいたいのかと言うと。
人の生き方が気に入らないなら、それなりの覚悟をもって、一対一で戦いを挑んで来いよ。
ということです。
組織や集団の力に頼らないと自己主張も批判も出来ない人間が多すぎます。
そんな奴らに、職人やクリエイターとしての芽をつぶされたくはありません。
いじめられる側にも原因がある?
そりゃ原因が無いことなんてこの世にはひとつとしてありません。
だから、いじめられる側に原因があるように、いじめる側にも原因がある。
集団の圧力に耐えきれず、スケープゴートを作りたがる弱い人間であることが、いじめる理由です。
そして、双方に原因があったとしても、どう考えたって加害者の方が悪いんです。
繰り返しますが、対人コミュニケーションだけが、全世界共通の価値基準じゃありません。
学校や部活やサークルや会社の秩序だけが、世界の基準じゃありません。
こういうことを全部理解した上で、自分が悪いと知ってていじめてるならまだマシ。
一対一なら、それは価値観同士の戦いですから。
無自覚で、主犯格じゃなくて、いじめに便乗して、そのくせこんな言い訳をしたがる薄汚い小悪党が一番ひどい。
元の文章を書いた増田、お前のことだよ。
その技術はどの程度進みが早いのか?
薬学とか遺伝子には人脈とか経済力とかでチームを作らないと最先端には食い込めない。
今はだれかの庇護の元でしょ?だれかの力を借りてるんでしょ?
博士になって、それ以上になって、自分がチームリーダーになって、あれこれ偉そうに部下の男性に指図できる性格ならいい。
公務員もそういう意味でアドバイスを請われてえらそうにあれこれいってるだけじゃない。
自分であっちからこれを吐き出させ、こっちからアレを吐き出させにかけまわることになるよ。
ジェネラリストじゃなくてスペシャリストなんだっていう言い訳は、
けっこう面の皮をためてから初めて言える。
森博嗣でさえ、あれだけ苦労している。