はてなキーワード: キリスト教会とは
大正時代末期のことだが、九州の資産家であった港町の「太田家」が、高原町の旧家である「川瀬家」に2代続けて婿を送り込み、代わりに、太田家の根岸町の土地を川瀬家に与えたということがあった。太田家の婿は川瀬家の先代の婿が起こした養父殺し事件を隠してやったりもしている。
さて、1代目の「太田ナヘイ」は高原町に水力発電所を建て、戦争中には国策に従って国に譲渡して、戦後に早世した。2代目の「太田カクオ」は東京で陸軍士官学校の化学教授となったが戦後九州に戻って2年目に没し、元太田家の土地もおおむね没収されている。死因諸説あり、戦犯処刑だった可能性もある。もちろん2人とも苗字は「川瀬」姓になっている。おそらく太田家が、太田の名を使いたくなかったのだ。
3代目の「川瀬マツオ」は、カクオが没したあと家財を売りながら兄弟姉妹とともに東京に戻って大学を卒業し、国の研究所に勤めた。ところが、留学研修の前に牟田サエと出会ってしまう。サエは九州のある杜家の縁戚の娘で、戦争推進に励んでいたある大手キリスト教会の会員であり、かつ国営通信会社社員で、マツオが出入りする将棋クラブにいた(サエの父親は外務省の諜報員だった)。マスオは、奸計家で暴君のサエと結婚してしまったのちは振り回され、子の世話をさせられたり、おかしな弁護士を紹介され散財させられたりした。しかし研究所もきちんと務めたという。
そのマツオの息子は防衛族家系の娘と結婚したが、娘のほうはIT企業にいたところ不審な事故に遭って婚約者を亡くしたうえ、サエを介してトラブルに巻き込まれているようだ。
この話にはもちろんフェイクを入れたが、元日本ナチスの軍閥系家系に取りつかれた家の話ということになろうか。
なぜ川瀬家に取りついたのか不明だが、川瀬家は九州の家であり、近畿に遷都した皇族家系とは違うほうの旧家らしい。
しかし、何よりマツオとその娘が可哀そうだ。
簡潔に書いていく。
当然虐待。殴る、蹴る、ヤラれる、ネグレクト(これが一番キツかった)。
跡今でも残ってる。男が嫌いなのは幼少期のこの経験が影響してるかもしれない。
親元から引き離される。おじさん家庭にお世話になる。
金を出してくれない(そりゃそうだ、愛想の欠片もない汚い子供なんて迷惑でしかない)。
高校までは出してやるということで進学。
地頭だけは良かったし中学の先生が「理解のある先生」だったからそこそこのところに入ることができた。
この人いなかったら死んでたと思う。
摂食障害、抜毛、不眠、変な弁当、無表情、常に他人を睨んでいる、それが私。
それら全てを受け入れてくれた上でいろいろ世話になった。
高校では可もなく不可もなく教室の隅っこで過ごす。相変わらず男が怖い。
金のかからない文化部頑張る。結果が出る。脳みそに感謝。親には憎悪。
高校、そして例の中学の先生に相談。給付型の奨学金をあれこれ提案してもらう。
応募する。何個か受かる。オタク文化部で頑張ったかいがあった。
新歓。無理。男無理。お持ち帰り無理。吐く。叫ぶ。同期に引かれる。
噂回される。
寝込む。引きこもる。
ああ辛い。辛い。辛い。辛い。死にたい。どうしよう。阪急って柵なかったよな。
生命のガソリンがからからな感じ。何もできない。餓死しかける。
どうせ死ぬならもうどう思われてもいいや精神が発動(これは結構大事だと思う)。
先生うち来る。びっくりする。
何をすべきか表にまとめて教えてくれる。
大学の保健センター的なところへ行き、とりあえず休学。心療内科受診。手帳をもらう。
気力がまるで湧かないのでこの諸般の手続きが本当にしんどかった。
すごいいいレストランに連れて行ってもらう。今までマック代も出してくれなかったのに。
その後仕送りを少しずつしてくれるようになる。奨学金とそれで何とか一年はもちそう。
先生と話をすることが増えた。ファミレスで、オンラインで、通話で。
洗いざらい話すと少し世界が澄んだように思う。
オタク文化部のころの趣味に本腰入れる。他にやることもないし遊ぶ友達もいないからめっちゃ捗る。
ネット上で褒められる。
休学明ける。2年。長かったようで短くもあった。
彼氏いないしこれからできるわけもないと思うけど(何しろ虐待の痕跡がそこかしこにあるのだ、あと私は美人じゃない)、定期的にしんどくなるけど、前よりちょっとガソリンのたまりは良くなった。気がする。
結論。
理解のある彼くんを見つけられた人は幸運だ。生涯寄り添ってもらえるんだから。
ただ中にはあなた方のことをオナホとしか見てない人もいる。絶対にいる。
ぜひとも気をつけてもらいたい。
もし生きづらさを抱えている人がいたらきちんと治療を受けた上でストレスをできるだけ排除し趣味に没頭しよう。
別にユーチューブ見るとかでもいいと思う。没頭しよう。狂信が自殺を防ぐように没頭も人を救う。
何ならキリスト教会に助けを求めてみよう。私もよく昔お菓子をせびっていた。キリスト教関係者は優しいイメージがある。
どっちが勝つかわからないけど、とりあえず次の大統領はこんな感じ。
これまでの「史上最高齢で就任した大統領」はロナルド・レーガン(2期目の就任時に73歳)で、「史上最高齢で1期目を開始した大統領」はドナルド・トランプ(70歳)だけど、バイデンもトランプも2期目のレーガンより年上なので、「アメリカ史上最高齢で就任した大統領」が誕生する。
開票結果を見ていると、一般投票でバイデンが勝ちそうなのはほぼ確定。この結果を選挙人投票でひっくり返したら、トランプは「史上初めて一般投票で勝たずに2期を務めた大統領」になる。
過去、一般投票で勝たずに選挙人投票で逆転して大統領に就任した者は5人いる。1825年に就任したジョン・クインシー・アダムズ、1877年に就任したラザフォード・ヘイズ、1889年に就任したベンジャミン・ハリソン、2001年に就任したジョージ・W・ブッシュ、そして2017年のトランプである。このうち、アダムズとハリソンは次の選挙で落選し、ヘイズは次の選挙に出馬せず、ブッシュは次の選挙で一般投票で勝利した。したがって、「2回とも一般投票で勝たずに選挙人投票で勝って2期務めた大統領」は歴史上存在しない。
また、大統領の急死や辞任によって昇格した大統領は、皆、次の選挙で落選するか一般投票で勝利して再選されるかのどちらかであり、「副大統領から昇格して、次の選挙で一般投票で負けたけど選挙人投票で勝って2期努めた大統領」はいない。
したがって、仮にトランプが再選された場合、かなり高い確率で「アメリカ史上初の一般投票で勝たずに2期務めた大統領」が誕生することになる。
レーガンは77歳で退任したけど、バイデンは就任式当日には78歳になっているので、「アメリカ史上最高齢で退任した大統領」になることが確定する(トランプの場合、任期途中で辞めたりすると史上最高齢にはならない)。
アメリカでカトリックの信徒が大統領になるのはジョン・F・ケネディ以来2人目。
1993年にビル・クリントン(1946年生まれ)が就任して以降、ジョージ・W・ブッシュ(1946年生まれ)、バラク・オバマ(1961年生まれ)、トランプ(1946年生まれ)とここ30年ほどは戦後生まれの大統領が続いている。もしバイデン(1942年生まれ)が勝利すれば、ジョージ・H・W・ブッシュ(1924年生まれ)以来28年ぶりに戦前第二次世界大戦終結前生まれの大統領が就任する。
ブコメで指摘されて気付いたけど、1939年にナチスがポーランドに侵攻してから1945年に日本が降伏するまでの間に生まれた大統領はこれまでにいないから、アメリカ史上初(そしておそらく唯一)の「第二次世界大戦中に生まれた大統領」になるのか……
前任の大統領よりも年上の者が新しい大統領になったことは何度もあるが(前回の大統領選は、クリントンが勝ってもトランプが勝ってもオバマより年上の大統領だった)、それが2回続けて起きるのは、セオドア・ルーズベルト(1858年生まれ)より年上のウィリアム・タフト(1857年生まれ)より年上のウッドロウ・ウィルソン(1856年生まれ)が大統領に就任した1913年以来のことである。
これまで2人続けて苗字の文字数が同じ大統領が就任したことは6回ある(Van Buren→Harrison、Lincoln→Johnson、Grant→Hayes、Kennedy→Johnson、Carter→Reagan、Obama→Trump)。だが3人連続したことはない。もしバイデン(Biden)が当選したら史上初の例となる(Obama→Trump→Biden)。
そういえば、オバマ&バイデン、トランプ&ペンス(Pence)と、2代連続で正副大統領の苗字の文字数が一致しているのはレアケースかもしれない。大統領選挙で二大政党の候補者の苗字の文字数が一致する(Trump vs. Biden)のは、2000年のブッシュ対ゴア(Bush vs. Gore)以来20年ぶり。
第二次世界大戦後のアメリカでは、民主党が1期でホワイトハウスを明け渡したことはあるが(ジミー・カーター政権)、共和党が1期でホワイトハウスから追い出されたことはない。再選に失敗したジェラルド・フォードもジョージ・H・W・ブッシュも、前任者(リチャード・ニクソンとロナルド・レーガン)が共和党員なので共和党のホワイトハウス支配は2期以上続いている。もしトランプが1期で追い出されバイデン政権が誕生したら、戦後初めて共和党が1期でホワイトハウスを明け渡すことになる。
カマラ・ハリスは、女性としても黒人としても、そしてもちろん黒人女性としても初めての副大統領になる。
メディアだと「黒人女性としては初の副大統領」って言われるけど、女性としても黒人としても初なので表現が難しい。「初の黒人女性」だと、白人女性や黒人男性がそれ以前にいたかのように聞こえる(「黒人女性初の国務長官」だったコンドリーザ・ライスがそうで、「女性初の国務長官」はマデリン・オルブライト、「黒人初の国務長官」はコリン・パウエル)。
戦前警察アメリカ分署です。1942年はすでに米もWW2に突入しており、バイデンが戦前生まれは明らかに誤りです。戦中か戦勝前としてください
カトリックの少なさに驚く。ググると2014年時点で37%がプロテスタント、23%がカトリックらしい。それでも凄まじい偏りだが、どんな背景があるんだろう
このうち後者について、ケネディは1960年の選挙演説で次のように言っている。
わたしは、公的にはカトリックでも、プロテスタントでも、ユダヤ教でもないアメリカを信じます。そこでは、公共の政策に関して、公僕が、ローマ教皇やキリスト教会全国協議会やその他の宗教組織に指示を求めたり、そのような組織から指示を受けることがありません。
つまり、20世紀後半になっても「教皇の言うことを聞くやつが大統領でいいのか」という不安があったという話。
ちなみに、バイデンはアメリカ史上初の「カトリック信徒の副大統領」でもある。「二大政党から大統領候補に指名されたカトリック信徒」としては4人目(アル・スミス、JFK、ジョン・ケリー、バイデン。全員20世紀以降に民主党が擁立)。
なお、これまで日本の首相になったカトリック信徒は3人いる模様(原敬、吉田茂、麻生太郎)。プロテスタントも何人かいるし、首脳の信じている宗教という一点に限ってはアメリカなんかより日本の方が遥かに多様という。
仮にバイデンが任期途中でリタイヤしてハリスが昇格し、2024年の大統領選挙でハリスが女性候補に敗北すると、「初めての女性大統領」と「初めて選挙で選ばれた女性大統領」が別人になるので、トリビア好きにはたまらない展開になる。ニッキー・ヘイリーには頑張ってほしい。
(現状、「最年少大統領」がこの状態で、「最年少の大統領」はセオドア・ルーズベルトだけど、彼は前任のウィリアム・マッキンリー大統領の暗殺に伴って昇格したので、「選挙で選ばれた最年少の大統領」はジョン・F・ケネディ。仮に今回の選挙でピート・ブーティジェジが勝っていたら限定なしで「史上最年少の大統領」になっていた)
一番のリスクが大統領就任式という説も。就任式は1月に屋内で行われるけど、高齢のバイデンには風邪を引くリスクがある。実際、1841年に、68歳だったウィリアム・ハリソン大統領がめっちゃ寒い日に就任式で長々と演説して3週間後に風邪を引き、そこから肺炎になってアメリカ史上最も在任期間の短い大統領になってしまった(在任31日間)という故事があるので……
(ちなみに、日本の内閣総理大臣で最も在任期間が短かったのが東久邇宮稔彦王の54日なので、日本の首相よりアメリカ大統領の最短在任記録の方が短い。ハリソンの在任期間はあの宇野宗佑の半分以下)
イスラムはねえ、俺はどちらかといえば、イスラムが寛容になっていくことに注目しているんだよね。
イスラムってあれだぜ、「改宗しなければ殺す」とか国全体に言ってた宗教だぜ。
間違ってもイスラム原理主義みたいなやつらに、「ああいうのは一部だ」なんて言う宗教じゃあなかった。
欧州でイスラムが弾圧されてるってのも、ちょっと左翼バイアスに影響されすぎ。
でも政府と教育が保護する方針じゃん。なんなら使わなくなったキリスト教会がモスクに改修される。
暴力やヘイトがなくなることを「差別が無くなる」と呼んで、そうでないと差別の改善じゃないという考え方が、もう罠なのだ。最初にレスした通り。
私は体が弱いので、いよいよ働けなくなって食い詰めた時に助けてもらえないかと思い、色々な慈善団体やボランティア団体を訪ねているのですが、どこも宗教やイデオロギーに基づいて運営されていて馴染めないので、そういうの抜きの互助組織のような団体があれば紹介していただければありがたいです。
純粋に弱者の支援だけを目的とした団体というのはどこにあるのか……
宗教やイデオロギーと言っても露骨に布教してくるケースにはあまり遭遇したことがありません。だいたいみなさん親身に私の将来への不安の話など聞いてくださります。ただ、結局、その団体のオカルトめいた教義の信者になるとか政治活動の手伝いをするとかしないことには、私の目的である食い詰めた時に仕事を紹介してくれるとか福祉に繋いでくれるとかそういう援助を期待できる立場になれそうにないんですね。
団体の目的に貢献しないなら仲間として受け入れないし援助しないというギブ・アンド・テイクのルールは当然だと思います。しかしその団体の目的の宗教やイデオロギーというのがとにかく苦手で。
私は神は存在しないと考えています。より慎重に言えば「聖書その他の経典に記された人格とエピソードを持った神の実在は証明されていないので、人間の作り話と考えるのが妥当」という立場ですが。とにかく「神の言葉」のような妄想に基づいて行動するのは無理です。「日本人はあまり知らないだろうけど、今アメリカではダーウィンが始めた進化学説は否定されつつあるんだ。『インテリジェント・デザイン』という説を聞いたことはないかな?」なんて話題をコーヒー・ブレイクで振られると今すぐ逃げ出したくなるんです。
一方でイデオロギーもダメなんですね。ホームレス支援のために(私がホームレスに転落した時に助けてもらうために)参加したのに、なぜフクシマやオキナワに関して日曜の街頭に立って訴えねばならないのか? 政府や自治体への福祉の拡充の請願だったら内容を吟味した上で署名しましたよ。だけど、福祉を離れたイシューに私はコミットできません。この季節に街頭に長時間立つと風邪を引いちゃいますから。
公平のために言及すると、上記のフクシマやオキナワが好きなイデオロギーの人たちとは反対の立場(いわゆる保守)の人たちの慈善団体というのはさっぱり遭遇しませんね。保守の人たちは地縁血縁に基づく相互扶助で手一杯なのでしょうか。私のような都会の砂粒の如き孤独な個人を拾い上げようとするのは宗教(福音派キリスト教会)か左翼イデオロギー(共産党)だけと。
馴染めなかった団体への愚痴が大変な文量になり申し訳ありませんが、この記事の目的は「純粋に弱者の支援だけを目的とした団体」があれば紹介していただきたいということにあります。
弱者当事者だけでは継続が難しそうなので、当事者の相互扶助+弱者に同情する裕福な人々や専門家の支援で運営されているような団体がより望ましいです。
私は体は弱いですが、まだ一応ホームレスへの炊き出し活動で働ける程度に、健康と時間と金銭に余裕がありますので、元気なうちは支援者側で頑張ります。その代り、失職したり体にガタが来たら支援を受けたい、ただそれだけが望みです。
団体の具体名まで挙げていただかくなくとも、宗教フリー・イデオロギーフリーな慈善団体を見つける方法などご教示いただければ幸甚の至りでございます。
3
3日目 午前
旅先では余り眠れない事が多い。
今日が今回の台湾旅行で最後の朝だけど、グッスリとはいかず、7時前に目が覚めた。
ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。
お客さんかな?ベッドメイクかな?
それにしても、楽しそうによく笑う。
朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳、japan walker、烏龍茶を買った。
昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。
昨日、台北車站の地下街を歩いているとき「中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。
烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。
あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香りが重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。
ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。
台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。
雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。
あと数時間でチェックアウトだ。
午前9:45分。
雨はとっくに止んでいる。
定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。
空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。
3日目 午前
世界に展開するグローバリズムの象徴、スターバックスはここ台北にもある。
わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカルの微妙な違いを見るもの楽しいものだ。
150元を支払い、アイスのカフェモカ、グランデサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。
コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。
入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーにバツ印が書いてある。
その下に「禁止打牌」。
ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。
ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバのドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。
少しがっかりして、70元を支払ってアイスの紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。
旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾版suica、悠遊卡についてだ。
エリーさん曰く、チャージした金額の有効期限は2年だし、デポジットの100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。
複雑な購入手続きで切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK。
多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。
帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄で台湾北部の景勝地、淡水に向かった。
3日目 午後
駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。
ふと見ると赤い看板。
「本河岸遊客衆多
為維護遊客安全
本路段禁止甩竿汉示」
さて、初日の寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。
「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。
海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。
昼時で丁度いい、食おう。
「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。
こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。
台北についたのは午後14:00過ぎ。
今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。
やがて中山站を過ぎると、右手に地下街にそって長い本屋が見えて来た。
「中山地下書街」
やった、本屋だ。
「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」
台湾版Sex and cityか?はたまた中国のジェーン・スーか。
ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。
これならなんとか分かるかもしれない。
分からなくても、開いているだけで楽しそうだ。
買って帰る事にした。300元。
これは是非行かないといけない。
新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。
色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁の蓋碗がディスプレイされている。
日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかったから丁度いい。
560元は、多分日本より安い。
3日目 夕方
あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リストの最後の項目がまだだった。
台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。
最近、アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。
この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。
どれにしようか?
ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。
席に着くと、鍋一杯のお粥。
さあ食うぞ。
しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。
もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。
これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。
最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。
恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。
無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後の地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路はしっとり濡れていた。
参ったな、あと一息で雨だ。
でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。
意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。
3日目 夜
ホテルのフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。
日本語だ。
そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。
自分は今夜、日本に帰るが、今日、日本から来たかもしれない人がいる。
ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。
しばらく待っていると、また日本からの家族連れがフロントにやって来た。
お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロントの男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。
話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。
一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。
この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。
嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。
「英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。
チャンさんは人当たりが良く、風貌もイケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。
空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。
台湾の男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代で伊達メガネのブームがあった事。
台湾で男同志の性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。
ドトールのトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。
ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。
やっぱりちょっとチャラかった。
チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。
台湾で出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。
もう直ぐ台湾を去る。
台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。
「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」
でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。
「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後のメモを見せた。
「太棒了、台湾」