はてなキーワード: ぼんやりとは
「おしっこを漏らした」
その事実をようやく受け止めた頃、私はただぼんやりと薄汚いパンツを見つめていた。
事の発端は、夢だった。
もうどんな夢だか忘れてしまったが、夢の中で私はトイレに入り、用を足そうとした。小さい頃ならお漏らしフラグとしてかなり確実かつあるあるな場面だ。
でも、私はもう25歳。最後に漏らしたのは小学生の時だし(ゴミ出しに行くエレベーターの中で漏らした。9歳の時だった)、もうこれだけ大人になれば夢で用を足したって現実に影響が出ることはない。実際、今までも夢の中で用を足したことはあったが、漏らしたことはなかった。
異変に気づいたのはおしっこを20%ほど出した時だった。おや?と首を捻る。
『これはもしや、夢なのでは?』
そう思った次の瞬間には、自室のベッドの上だった。しかも、嫌なことに──おしっこの穴から、何かが漏れ出ていくような感覚が、した。
いや、でもこれはおしっこにいきたいという予兆なのかもしれない。すぐにベッドから飛び降りると、トイレへ急ぐ。そして、身体に残っていたおしっこの70%を出し切った時、私はただ何にも考えていない頭で、自分のパンツを触った。
湿っている。明らかに湿っている。
パジャマにしている、ジャージのズボンも触ってみる。そこもやっぱり、湿っていた。
漏らした。私は25歳にもなって、漏らしたのだ。
ここから後の行動は速かった。パンツとズボンを水でさっと洗ってから洗濯機へ投げ込み、新しいものへ履き替える。
シーツも湿っていたので雑巾でひたすらポンポンポンポン……と叩いて汚れを取った。
ベッド自体におしっこが染み込まなかったことだけが救いだった。
それから今日を過ごしたわけだけど、仕事をしている最中はずっと「私はおしっこを漏らしたんだ……」と変えようのない事実がずっと頭の中をついてきたし、上司に注意されても「大人にもなっておしっこを漏らした女に人権はないんだ……」と思ったし、何となくおしっこの穴が緩い気がした。
前に友人の家の風呂でうんこを漏らしたこともあるが、その感覚を少し思い出したような気がした。
今回のことで学んだのは、
・大人になっておしっこを漏らすのはたとえ家で、誰に見られてないとしても羞恥心が生まれる
・お漏らしの処理は楽(子どもの頃は途方にくれるしかなかったが、今では少なくともどう対処すれば良いのか分かる)
ということだろう。
中途で入った会社だけど勤務年数もだいぶ長いし、上司からなんか気に入られてるのもあってか、管理職にならないかと言われた。
自分としては給料もちょっと上がるし、立場良くなったらいろいろ動きやすいかなーと思ったし。
本当はプレイヤーとしての道を極めたかったけど、自分の部署の中で管理職向いてそうな人間は誰かと言われたら確かに自分かもしれないとその時は思ったので、受けることにした。
で、管理職になったのを機にもともと支店にいたのを本社に異動になったのだが、この本社がすごい問題だらけだった。
・それによってみんな残業時間が月60〜80時間くらいになってる。
・そもそも人が育てられていない。教える立場にいる人間が忙しくて後輩を見れていない。
・ていうか、そもそも本社を管理していたはずの人が全く管理職としての仕事をしてなかった。
・案件数やスケジュールを管理するツールが何もなく、現状の把握すら出来ていなかった。
ざっと言うとこんな感じ。
本社は忙しいとは聞いてたけど、こんな状況とは知らなかった。
もともと本社にいた管理職の人が現状を支社と共有してなかったし。
知ろうとしなかった私も良くなかったけど。
で、自分がこの中に入っていろいろ変えようとしているんだけど、これがめちゃくちゃしんどい。
・みんなが抱える案件数が異常なので、自分も実務に回らざるを得ない。
・特殊案件を処理できる人も限られてるので、自分もやらないといけない。
・ので、管理職としての仕事をする時間がなかなか取れない。目の前の仕事で精一杯。
・みんなが安心して相談できるよう常に機嫌良くいるけど、元はただの根暗野郎なので、笑顔でいるのがしんどい時がある。
・管理職の中でも下っ端なので、管理職としての雑務が回される。
・チームの中には年上の先輩もいるので、気を使う。
・支社に助けてもらったり、外注を入れてはいるが、そもそも管理すべき案件が多過ぎて管理しきれない。
・その中で業務改善しろと言われる。しなくちゃいけないのはわかるが時間が取れない。
気が付いたら、毎日23時くらいまで残業し、休みの日も仕事をしてる。
どんどん自分がすり減っているのがわかる。
休めばいいって言われるけれど、みんながんばってるの知ってるから休みたくない。
辞めればいいって言われるけれど、この会社のこと基本的に好きだし、一緒に働いてるみんなのことが好きだから、なんとかしたいって思うから、辞められない。
でもこのままではあと1ヶ月もしない内に自分が先に潰れる気はしてる。
だから何とかせねばと思ってる。
今までだったら「無理でーす!!」って悲鳴を上げたらそれだけでもいいんだけど、管理職だから「無理です!だからこうしてください!」までの道のりを自分で考えないといけない。
今週、上司に一応それを相談するつもり。うまくいくといいんだけど。
本当につらいなー。
プレイヤーのまま「忙しいのは管理職のせい!」と人のせいに出来る立場の方が楽だったな。
裁量は増えたけど、今の私には使いこなせていない。
あぁ、頭がぼんやりするな。
もうすぐ昼休みが終わる。
とはいえ本格的な介護ではなく、近場、例えば近所のコンビニやスーパーなら一人でも出掛けられる
その程度の軽い介助
自分も心臓に持病があるから一人暮らしして発作が起きるのが怖くて、持ちつ持たれつ暮らしてる
会う度いつも私にばかり任せてごめんと言ってくれる
母親にもいつも面倒見てくれてるからと家賃すら請求されて事がない
きっと私は人より恵まれてると思う
甘えている自覚がある
以前、ちょっとした飲み会に出たときにその歳で実家暮らしは甘えだと言われたことがあった
というかそう言われることは何度かあった
言ってくるのはそれぞれ別の人だけど、共通するのはみんな夢や目標を持っていて自信と行動力に満ちあふれていた
「独り立ちした姿を見せるのがご両親への一番の親孝行だよ」「一人暮らししてこそ一人前だよ」と必ず言われた
私は全くその通りだと思ったし、「なかなかタイミングがね」なんて適当な言葉で場を濁した
「タイミングなんて今動かなかったら一生来ないよ」と言われたのも覚えている
その通りだなと思いながら、うまい返事が思いつかなくて結局適当に話題を変えた
少なくとも、そのとき話した相手と私は、自分や親の病気を明け透けに話すほどの関係ではなかった
今日予定があって一人で出掛けた
予定が終わったのがお昼の一時
そこから夕方六時、親から心配のメールが来るまでずっと駅のホームで電車が通り過ぎるのを眺め続けてた
ただ電車に乗って、乗ると家に帰り着くんだと思ったら足が動かなかった
ぼんやりと何本も何本も通り過ぎるのをただずっと座って眺めてた
今日は寒かったからマフラーしてきて良かったなあとか、手袋もしてきた方がよかったかなあとか、そんな事しか考えてなかった
辛いとか苦しいとかもう嫌だとかも全く頭に浮かばなかった
甘えてるんだと思う
苦しいふりをしていれば慰めて貰えることを知ってるから努力から逃げてるんだと思う
世の中にはもっと大変な人ももっと頑張ってる人も沢山いて、私は周りも理解があって随分恵まれてる自覚がある
それでも電車のドアが開いて閉じるまで、何回も何回も足は動かなかったし
それでも、母親からの「大丈夫?もしかして発作起きちゃったの?」のメールに大丈夫だよって返して、結局そのまま次の次の電車に乗って、家に帰って、母親にはウィンドウショッピングしてたら時間が経ってたと言った
今自室でこんな起承転結もなにもない意味もない文章を書いている
きっと、私は自分が甘えてる自覚があると書きつつ苦しいと思ってしまっていて、苦しいとか思ってしまっている事自体が甘えていて、その甘えを誰かに叱って欲しいし、だけど誰かに慰めても欲しいと思っている
甘えている
これから寒さが酷くなる
寒さが酷くなると母の足腰の痛みも酷くなる
痛みで歩けなくなる姿を見る度変わってあげられればいいのにといつも思う
次に用事で電車に乗ったときにすんなりと帰りの電車に乗り込めるのかは解らない
だけど何時間ホームで電車を眺めたとしても、最後にはきっと今日みたいに家に帰るんだってことは、私は自覚しているし、きっとそれが正解なんだと思う
話の微妙な重たさゆえに長らく友人にも親にも話せなくて今までずっと溜め込んでいたけれど、夢野幻太郎というキャラクターを自己解釈する作業で苦しくなってきたのでようやく吐き出す決意をした。
おそらくこの日記を開いた人であれば夢野幻太郎というキャラクターについての説明は不要だと思うので割愛するし、お前の冗長な自分語りに付き合ってられないという人に対して要点だけ述べると「昔、父方の従妹二人を亡くしているので「とある青年」がまだ生きている夢野幻太郎が羨ましい」というものである。
まず一人目の従妹の話。彼女は私の一つ年下の従妹だった。年が近いこともあり、正月やお盆の親戚の集まりがあるたびによく遊んでいた。
彼女の家族は隣の市に住んでいたので正月とお盆以外で頻繁に会うことはできなかったがそれでも会える日はめいいっぱい遊んだと思う。
しかし理不尽なことに、ある日(正確な年数が思い出せないことも自責の念に駆られる)彼女は入院した。
自分はその時は小学校高学年であり、祖父も既に他界しているので人の死についても経験はしていた。
ただ、人の死について体験はしていても理不尽な体験も、理不尽な出来事が起こるという想像もできなかった。
一応、従妹の手術は成功した。
退院後、一度我が家に泊りに来たことがあったので、一緒にお風呂に入った時に気遣いのできない自分は病気についてあれこれ聞いてしまった。
今でもその時の答えづらそうな表情を覚えているし、どうして不快になることを聞いてしまったのか、今でもひたすら彼女に謝りたい。
再入院して、それからいつもの様に学校へ行こうと支度をし始めた朝に両親から彼女が亡くなったことを告げられた。
意味が分からなかった。だって手術は成功したはずではなかったのか。
葬儀に参列して、棺に入った彼女の顔をまともに見ることはできなかった。
葬儀中はずっと神様に彼女が生き返るようお願いをした。泣きながらお願いをしてもその願いは叶うことなく、この時に神様なんていないという事をぼんやりと理解した。
正直、彼女の死について未だに受け入れられないでいる。
何度も何度ももし彼女が生きていたら自分はどう成長していたのだろうか、と考えるしどうして死ぬのは自分の方ではなかったのかとも思う時もあった。
彼女が亡くなってから正月とお盆の親戚の集まりが苦痛でしかなかった。
無神経な大人たちは自分の目の前で「もしあの子が生きていれば…」という話を繰り返すし、叔母にいたっては自分の娘でなく私が死ぬべきだったと密かに呪っているのかもしれないという恐怖もあった。
しかし田舎であることや父が長男であること、母に対して良い感情を抱いていないこともあって親戚の集まりに行きたくない、と言い出せなかった。
そうやって粛々と毎年居場所のない親戚の集まりに参加していた。
例の親戚の集まりでよく遊んでもらった記憶はあまりないが、可愛がってもらったと思う。
そのお姉さんを亡くしたのは中学二年の時だった。ただ、病気であった事や容態が芳しくないという話をあまり聞かなかったように思える。
お姉さんは結婚をしたばかりで、葬儀には旦那さんも参列していた。
火葬場へ出棺する際に、棺に取りすがって大声で泣いている姿を鮮明に記憶している。
さて、二人目の従妹を亡くした事で自分にある恐怖が芽生えた。
もしかしたら自分も将来大きな病気で長生きできないのではないか、と。
もちろんこの事は誰にも話せなかったし相談もできなかった。
多分この時から「将来」を考える事が出来なくなったのだと思う。
しかし、社会に出て就職するまでの学生の間は常に進路という将来を考えなければならなかった。
どうせ長生きできないのだ、と強く思い込んでいた事と親に意見する事が面倒だったこともあり高校も大学も進路決定は非常に適当であった。
自分の中で20歳まで生きられないと思っていたので20歳を迎えてしまったことに絶望してしまった。
そうしてこの絶望も誰かに話すことなく更に時は流れ就職活動の時期に差し掛かる。
就職活動に関して過去の自分を振り返る自己分析という作業があるが、今の今まで人生投げやりに過ごしてきた人間に中身などなく、その事実にまた絶望した。
故人の為に頑張れるほど立派な人間ではないし、そういった自分の矮小さが嫌いで仕方がなかった。
一年ほどニートになったが何やかんやで就職をすることができた。
大学を卒業して、社会人になってからほんの少しだけ、意外と自分は長生きできるのかもしれないと思い出した。
また自由に使えるお金を得たことでオタク活動に磨きがかかり、色々と思考を逸らすこともできるようになった。
ただ相変わらず何十年先という将来を考えようとしても「人は死ぬときは死ぬ」とブレーキがかかってしまうし、このブレーキについてはそれこそ死ぬまで付き合わないといけないだろうな、と思っている。
ここまできてようやく夢野幻太郎(以下、幻太郎)のお話ができる。いや、上記の体験から言えば正確には寂雷先生の『迷宮壁』がピッタリなのだが、幻太郎の方が共感できた。
幻太郎の『シナリオライアー』をそのままで受け止めた時に、幻太郎は「とある青年」の元に何度も通ったと言っている。
まさにその点が羨ましいのだ。
一人目の従妹が入院している間自分は一度も彼女の病室を訪れなかった。
病院が隣県だった、というのもあるが両親に頼み込んででもお見舞いに行くべきだったと後悔している。
天寿を全うした人であれば生前の話に花が咲くが、そうでない場合は故人に対してやってしまったこと、やってあげたかったことへの後悔しか残らない。
誰にも赦しを請えないし、救われるということもないと思う。
そんな自分の今までの体験もあって、幻太郎が羨ましいし幻太郎のこれからの人生が幸せであってほしい、自分と同じ苦しみを抱えないでほしいと強く願う。
憧れだった仕事に何とか就いたはいいけど社会で普通に働くことが厳しく退職。
今は細々在宅。年収はひどいもんだ。
恋人や結婚などはどう頑張っても興味が持てず友達もほとんどいない。
趣味も仕事も細々やりつつまったり暮らすという目標は一応叶ってるけど、将来を考えると不安。
人生ってこんなもんなのか?
NTT退職エントリーとか見てるとみんなシャッキリした人生を頑張って送ってるんだなぁと思って心臓がバクバクする。
大企業にいる人たちはもっと幸せなんだろうか?と考えてみたけど、それも何か違う気がする。
人生って難しい。
これでいいのか分からないまま何年も何年も経った。
どこへ向かうのか分からない。夢も目標も特になくなっちゃった。
その時やりたいことを何となくやり続けてるだけだ。
今やってる仕事もあと10年くらいしたらそのうち無くなりそう。
自分の人生の舵は自分で取るしかないし責任者も自分なんだけど、終着点が分からないのでずっと迷子。
こんなもんなのかなぁ。
視線を合わせないように俯いてスーッと通り過ぎる。
「上司と目が合えば嫌味の一つや二つ言われるに違いない、、、」
特に悪いことをしてるわけではない
定時で上がっただけなのに私は小走りで
逃げるように
会社を後にする。
「夕焼け小焼け」が聴こえてきた。
早く帰ろう。
退屈だ、大体のことに興味が持てない。
冷めた日常を押し流すように
強めのアルコールを喉に流し込めば
朝になるまでの数時間は気がまぎれる
そしてまた 現実を突きつけられる日々
後輩の冷ややかな目
を思い出すと憂鬱になる。
あげる
最低限の会話と最低限の仕事をこなして
終わりを告げるチャイムが鳴れば帰路につく。
しかし確実に歳はとり、 老ける。
シワが増え 記憶力と体力も低下していく
白髪が混じりの44歳。
考えたくもない。
この日も上司に定時で上がることを告げた。
正直、気分が高揚していた
リビングへと向かう。
夕食を広げると同時にテレビの電源をつけた。
映し出されるスタジアム。
誰にも言ってないが最近の楽しみがこれだ
点が決まると独りで雄叫びをあげる。
お酒が進む進む。
前半戦が終わりハーフタイムになって
一息ついた時、我に帰った、
「俺が応援したところで何があるのかな。」
「ただ1人で叫んでいるだけではないか。」
たまにあるのだ、
そんな時はアダルトビデオでも見ればいい
ひとりの時間は十分過ぎるほどあるんだ
そう思い、ブックマークしてあるエロサイトの中からDMMの文字をクリックした。
しばらくページを眺めるが
すぐに手が止まっていた。。
違うなぁ、何か違う、何かこうなんとなく虚しい 虚しくて涙が溢れてきた
泣いても 仕方がないのはわかっているが
こんな年にまでもなって、いつまでも同じことを繰り返している自分が情けない。。。
こんなはずじゃなかったなぁという思いが
込み上げて涙が次から次へと溢れて止まらない。 無理して住んでいる家賃が高いアパート。
無理して新車で買った車。
すべて偽物の願望で、空虚な心を埋める為に過ぎない。
顔を上げて洗面台に写る、幼いじじい どうしようもない。 声を上げ奇声を上げ咽び泣く。
疲れては果てて、感情を抑えきれなくなり
横になって体を震わせた
そして胎児のように丸くなった。
そこに写っているのは
まだ幼い頃の私と弟と父、母
あぁ、この頃に戻りたいなぁ。
意識が遠のく。やり直したいなぁ。
生まれ変わりたいなぁ。
しばらくして
隣の部屋に置いてあった携帯の着信音が珍しく鳴っていることに気づいた。
のそのそと音のなる方に近づき、なんなら出る前に切れてほしい思いとは裏腹に
着信音は鳴り続けた
また昔みたいに県外に泊まりでさ! 」
声に出してはみたが頭の中で
反射的に面倒という文字が浮かんだ。
思えば相手の要求に対してつい良い顔をしてしまうのが昔からの癖だ。
数年前、自分含め友人三人でスキー行ったのだが自分以外の二人はちょくちょく会っているようで
そこにどう入っていけばいいか分からず あんまりいい思い出はない。
翌日
スキーの為になまった体に鞭を入れようと地元のフィットネスクラブに向かった。
土曜の昼過ぎと言うこともあり、閑散としている
受付と着替えを済ませ
鏡の前で、20代後半らしき女性がストレッチをしているのが見えた。
自分もとりあえずランニングマシーンの電源を入れペタペタと歩いてみる。
視界に入る女性のヨガか、太極拳かよくわからないがとにかく気になって悶々とする。
顔に出ないように心がけるが、むっつり顔になっているのが自分でもわかる。
30分くらい走っただろうか、顔と背中に汗が滴っているのが分かる。鏡に映る自分はいつもより爽やかに見えて
この際ストレッチをしている女性に声でもかけてやろうか!と考えた。
「おつかれさまです!! 体柔らかいですね!」
「よかったら一緒に走りませんか?」
いつのまにかおばさん達もいなくなって
あと一回り若ければチャンスだったかもしれない。
こっちに向かってくる男性が目にとまる。
私はすぐにマシンを降りて気付れないように二人の様子を伺った。
すぐに二人が親密な関係なのが見て取れた。
危ない危ない
まるでスーパーマンのようにきらきらと輝いていた。お似合いなのだ。
そう悟ったら一気に恥ずかしくなった。
着替えてジムを出てそのまま
また涙で視界がぼやけてきた。
どのくらい時間が経とうが構いやしなかった。
予定も何もない土曜の昼過ぎに汗だくのおじさんがただ独り、意味もなく命を消費している。
人としてこの世に生まれ 私は何を残せているだろうか?
目を瞑り、答えのない答え探しの時間に入った。
それは蜂やハエやムカデだったり季節ごと様々だが、見つけたら容赦なくシューズで踏みつけ
その死骸をつまんで作業台の上に乗せる。
拡大鏡を取り出し、潰された虫の変わり果てた姿をまじまじと見つめていると段々気持ちが楽になる。
少し経って死骸に問いかける
「お前は何の為に生きていた?
私に殺された気分はどう?死んだら生まれ変わったりする?」
返事はないようだ。
鬱陶しければこの虫けらのように
いや既にされているのかもしれない。
目立たず大人しく弱々しく
誰にも見つからないように
生きてきたのに、存在自体が認識できなくなって今じゃまるで透明人間のようじゃないか
行き交う人はすり抜けるように私のことなど見てはいない。それは自分が望んだことでもあるが
そんな気持ちも心の片隅に顔を出している
これからどんな事をして、何を食べてどんな生活を送れば 世間からいいねを貰えるのか。
案外私と同じ悩みを抱えているの人も多いかも
しれんなぁ。」
なんだか前にも同じこと考えた気がする
びっくりするほど撫で肩になった。
指先がとても冷たい。帰ろう、
間接照明が照らすダイニングキッチンの隅に小さく丸くなり、ぼんやりと薄暗い部屋を眺める。
出てきた検索欄に「女性と話す方法」と入力したページを無表情で黙々とスクロールしていくうちに。ガールズバーに行こうと思った。
丸見えだし気が引ける
次の週
前より孤独感や焦燥感、不安で目眩と吐き気が増した気がしたがなんとか踏ん張った。
上司に「今日は体調が悪いんで定時で上がらせて下さい」と告げ会社を後にした。
いつもならまっすぐ、アパートに帰り
空いた時間をゲームとアダルトビデオで埋めるのだが、今日は久々に実家に帰りたくなった。
ドアを開けると空き家という感じはしなかった。
まだ生活感で溢れているせいか、つい最近来たようなそんな感じがした。
父も母も数年前に亡くなり、四つ離れている弟も
県外で暮らしている。
数年ぶりに二階にある
自分の部屋にも入ってみた。
しばらく、ぼんやりと立ち尽くしていたが、市の防災無線から流れる「夕焼け小焼け」
のメロディーが
部屋を出る前に押入れから家族写真を取り出してポケットに入れた。
繰り返される日々
(冒頭に戻る)
スペイン語はそれまで触れたことがなかったので、一から少しずつ勉強してきた。
そして今、ようやくたどたどしいながらも、業務でのメールを書いたり返信できるようになってきたところ。
新聞は辞書を引かずにうすぼんやりと大意はわかる程度。専門分野ならほぼ辞書無しでマニュアル等の文書はなんとかわかる。
日常会話はペースを3分の1くらいに落としてもらえればついていける。
普通のペースでは、いいたいことを考えているうちに皆においていかれてしまう。
タクシーは行き先をナビできるかまだ自信がない。
試験などを受けたことはないので、レベル感がピンとこないけれど
感覚的には新人として英語で初めて業務を始めた頃(TOEICでは500~600点くらいだった)の感覚に近い。
一番はじめの海外出張のときは、飛行機のなかで英語での自己紹介の練習をしたものの、本番では自分の名前と所属を名乗って10秒足らず。
今でこそ英語で会議にバンバン出ているけれど、最初はそんなものだった。
英語のときはとにかくアウトプットの機会を増やして、自分の話し方のパターンを身に着けて、それを増やしていったように思う。
そういうのを10年くらい積み重ねて今に至っている。
一方的にしゃべるだけでとりあえずはなんとかその場をしのげるプレゼンは、最初のステップとしてはいい。
そういう意味では、そろそろ思い切って、場を選んでスペイン語でプレゼンをしてみるのもいいのだろうな。
カタコトのスペイン語は、赤ちゃんみたいな言葉に聞こえると思うから場を選ばないといけないけど。。
スペイン語のいいところは、フレーズの途中で、わりと息継ぎがしやすいところ。
英語って、私の話し方の悪いところかもしれないけれど、
一気に終わりまで喋ららないと、まだ途中なのに話し終わったみたいに思われるのが嫌で、
インターネットを見てるからか常にぼんやりとした不安を感じる。おそらくインターネットを見ているからだろう。
インターネットは常に俺に答えを提示してきた。大学受験のときも就職のときも一定の作法を俺に示してくるインターネット。
俺はその作法を愚直にこなすことでそこそこの学歴と職歴を体に入れたけれど、そのかわり常にぼんやりとした不安を抱えることになった。
インターネットは定量的で答えの決まった問題についてはある程度固まった指針を示してくれるが、
定性的で、答えは時と場合とスタンスによって如何様でも変わる場合には、如何様でも変わるような情報しか示してくれない。
あらゆる人があらゆることをいうので俺はスタンスを決めることができない。
インターネットの後ろには日本人だけでも数千万人はいると考えられるし、数千万人の日本人は俺にとってあらゆる人だ。
偉そうな人がいろんなことを言うし、ポジティブな側面を語られた場合にはポジティブな意見が、
ネガティブな側面を語られた場合にはネガティブな意見が同様の事象に対し書かれたりしてわけわからん。
もちろんそれもあらゆる人がいてあらゆることを書いているからだろう。
だけれど同じ人が手のひらをくるくる返すときもあるからタチが悪い。
こういうとき思うのは、やっぱりいろいろ知ってて偉そうなことを言う人よりも、
自分で責任をもって自分の考えで定性的なものごとを決定できる人が一番強いなあと思う。
ぺらぺらと管理職が日本社会が産業構造が配布されたPCスペックが悪いだの言っている人よりも
黙って手を動かしてきっちり自分で決めて責任までとれる人がすげえなあと思う。
そしてそういう人はインターネットにはそんなにいないのだろう。
「6年勤めたNTTを退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt に寄せて。
この方は修士卒→NTT研究所という有能かつエリートな道を歩んできた方ですが、極端に有能すぎてあまり参考にならないケースですね。無能代表として僕の事例も紹介しておきます。
・NTT社員の子として誕生。生まれ出づる時はかわいらしい赤子であった。健康に恵まれるものの、勉強運動コミュニケーション能力全てダメ。部活もバイトも恋愛も人とおはなしすることすらせず、無駄飯食らってすくすくと育つ。
・三流私立大学の文学部に入学。進学動機はそこしか受からなかったから。在学中はキーボードすら打ち込まなかった。
・就職活動に取り組むものの、地図を見て会社にたどり着けない(当時はGoogle Mapとかいう便利なものはなかった)、人と目を見て話せない等のスキルをいかんなく発揮し、見事全敗。無い内定のまま無益に卒業。おまえの おかあさんは 泣いているぞ!
・全ての気力をなくして部屋に閉じこもり、悟りを開こうと昼寝の修行を積み重ねるも、それを見かねたパパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社(契約社員)の面接を受けさせられる。
・面接では痛罵される。23年間ぼんやりと生きていた人間に価値はないらしい。面接官にやる気と能力のなさを見せつけるも、なぜか合格。親のコネってすごい。
・入社後、ろくな研修を受けないまま、某地方の拠点に配属される。辺り一帯に草が生えてた。
・配属初日に出社後、課長代理と面談するも、90秒で嫌われる。
・配属後、しばらく電話番をするも、人というものが怖くて怖くてたまらない僕には全くできない。電話番という仕事を取り上げられ、OJTをするもどうにもならない。
・仕事自体はサルでもできる内容だったが、サル以下の知能しかない僕には全く理解できない。次から次へとトラブルを引き起こしたせいか、契約社員なのに次から次へと別部署に飛ばされる。引越しの荷造りスキルが格段に向上する。
・人件費削減目的で設立された子会社には、似たような境遇の契約社員がたくさんいた。彼らは皆生産性のない仕事に従事していた。正社員への道はほどんどない。なれたとしても新卒正社員と同じ待遇にはならず、給与面で差別される。当然皆やる気が出るわけがない。
・僕の成績は最低だったが、なぜかクビにならない。国家資格や社内資格に無理やり挑戦させられるも連戦連敗。パートのご婦人の方々に罵倒され、息も絶え絶えに徒然を過ごすなか、無駄に歳を積み重ねる。
・当然若い世代も入ってくる。正社員(中途採用)の枠が広がったせいか、契約社員のやる気が上がり、下の世代に次から次へと抜かされる。子会社枠での新卒正社員採用が始まり、有能な方々が入社する。
・彼らの台頭により、猫の額ほどであった僕の居場所が全くもってなくなる。そうこうしているうちにメンタルを病んで逃げるように退職。就職活動もせず、うどんやそうめんを食いながら生をつなぎ、今に至る。無職の病は悪化する一方だ。
文を重ねるうちにいよいよ即身成仏でもしたくなってきましたけど、無能の立場から見たNTTについて論じていきます。
NTTには団塊世代の方、契約社員やパート・アルバイト、新卒採用の方等、立場は違いますが、多くの方が在籍しております。びっくりするほど有能な方もおり、それぞれの部署で活躍していました。
問題はやる気を全くなくしたもの、極端に無能なものを排除する仕組みがないことです。社員はクビにはできませんが、パートや契約社員をクビにしないのは本当におかしいとしか思えません。僕の契約は一年契約でしたが、会社の利益を考えるなら入社後一年で切るべきでした。仕事のできない非正規を何度も配置転換(引越し代金は全て会社持ち)までして雇用を継続しようとするのは、正気の沙汰と思えません!
給与については皆話したがらず、噂話程度しか知り得ませんが、団塊世代の給与は会社再編に伴って削減されたらしく、手取りですが月額20万円を割り込むという話を聞いたことがあります。現在ほとんどの方は退職されたと思います。
僕の年収は200万円代後半(額面)からスタートし、月1000円程度給与は上がっていきました。新卒正社員(子会社)の場合は年収は300万円程度(額面)からスタートしていきますが、400万円程度(額面)で頭打ちになり、それ以上を目指すなら管理職コースに乗らないといけない(はず)です。正規社員は手厚い福利厚生が受けられますが、非正規にはそれはありません。
NTTでは人より10倍仕事ができる人間に、10倍の給料を支払うことはありません(一部営業を除く)。しかし10倍の量の仕事を押し付けられることはおおいにあり得ます。
NTTでは部署全体の仕事の量により、人員の配置数が決められる傾向があります。仕事ができるもの、やる気のないもの、仕事ができないもの。部署内では全て「一人」としてカウントされます。できない、もしくはやろうとしない人間に仕事を回してもどうにもならないため、彼らの分の仕事は必然的に仕事のできる人間に回っていきます。当然ギスギスします。
上記の話とは相反しますが、会社全体として労働法の徹底遵守が推し進められています。月30時間以上の残業は原則禁止ですし、サービス残業なんてもってのほかです。社員(僕もでしたが)は終業時間後、会社から雁首そろえて脱兎のごとく逃げ出していきます。
しかし会社に残っての自主学習(仕事に必要な技術の訓練)には給与は出ないという話も聞いたことがありますので、部署によってブラックな方針を立てているところもあるかもしれません。
NTTの組合は巨大です。NTT組合は正規非正規関わらず、雇用を守ろうとし、処遇を改善していく姿勢を打ち立てています。NTT研究所にいらっしゃった方のブログの記述にある、「組合としては現在は相対的に冷遇されてきた契約社員・有期雇用・再雇用などの方々の待遇改善を通して護送船団方式で全体の改善を図っている」は僕も聞いたことがあります。
労使共に巨大組織なので、一個人の話はなかなか通りにくいでしょう。ソフトウェアエンジニアのPC環境の改善はとても理にかなっていますが、要求として吸い上げられるとは、僕には思えません……。
NTT自体はとてつもなく大きな会社です。僕は末端を垣間見る機会しかありませんでしたが、「カネを稼ぐぞ!」という意識は低く、僕の目から見ても上から下まで無駄なことばかり力を注いています。
典型的な親方日の丸商売で成り立っている会社なので、部署によるでしょうが、何年いても外で通用するスキルを習得するのは難しいかもしれません。ISDNの仕組みにいくら詳しくなったとしても、それで一生食っていくのは無理そうです!
NTTの社内システムは非常に使いづらい印象を受けます。末端までセキュリティ施策を推し進めるのは結構ですが、全体最適化のために推し進められた施策が個々の部署の生産性を大きく押し下げているケースが多々あります。
NTTの組織は官僚以上に官僚的だという話を聞いたことがあります。幹部候補生は様々な関連会社、関連部署に飛ばされます。管理スキルは向上するでしょうが、専門性を高める機会に恵まれません。ある部署でITに携わってもしても、3年程度で別部署に飛ばされるため、継続的な学習は困難です。特定分野の専門家は社内で出世できません。
NTT研究所にいらっしゃった方が述べたように、上層部のITリテラシが低いのは当然の帰結であり、むべなるかなとしか言いようがありません。
駄説を長々と述べましたが、NTTはとてもいい会社です。ーーできない人に限ってですが。できる人に負担をかけてまで、無能を排除しない。無能と有能で給与に大きな差が出ない。先々のキャリアプランが見えやすい会社ではあります。
できる人はやる気をなくし適当に過ごすか、転職するかのどちらかの道を選ぶ場合が多く、やる気を継続したまま定年まで勤められるのはレアケースです。さすがに僕のまわりでGoogleに転職された方はいませんが、NTTを踏み台にして別の道に進まれた方はたくさんいらっしゃいます。
NTTには無能ばかり残ります。しかし会社は潰れません。NTTは会社自体に特別な法律が適応されるほどの特殊な企業であり、国策企業だからです。NTTが潰れる時は、日本国が潰れる時です。
とにかく何もしたくない、しかしほどほどのお金が欲しい方はNTTに潜り込むことをおすすめします。Googleに入れるほど優秀で意欲にあふれる方には絶対におすすめしません。現場からは以上です。
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11/27 1:45 タイトル・本文中の「退社」を「退職」に修正、本文中の表記、誤字修正。
11/27 1:57 NTTの組織全体のどこの子会社かわからないため「パパのコネで無理やりNTTの子会社」から「パパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社」と表記修正。orbital_velocity氏、ご指摘ありがとうございます。
11/28 18:30 複数の方よりご指摘のあった、「パートの妙齢のご婦人」を「パートのご婦人」に表記修正。その他表記修正。ご指摘ありがとうございます。パートどころか老若男女関わらず平等に罵倒される日々を送っていた記憶もありますが、本文中はそのままにしておきます。
12/8 21:38 あとがきを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20181208213728
手足と臓器が基準なのか
やりたかった仕事についたけどぜんぜんできなくて、あのときもっと頑張れていたらなんとかなったかな、でも頑張れなかった、いまも頑張れていない、頑張り方がわからない、どうやっても手が届かないようにしか思えないのにずっと引き摺ってしまっている、とかそういう類の話だからそういう基準で見たら全く必要ないんだろう
増田基準でいけば目標を達成できようが何もできなくて自室で腐ってこんな文章を打っていようが病院で点滴受けながら白い壁と天井だけぼんやり見て過ごしていようが大差ないんだろう 実際大差ないような気はするけど
障害はあるのかわからん(わからんのでないと思う すぐ疲れるとかすぐ身体悪くするとか睡眠障害とかはあるけど)
したいのに、うまくいかなくて、スポイルされた感じの状態がずっと続いた結果したいのかわからなくなっているけど、できたい、みたいな
したいかしたくないかではしたいし、未練もあるし このまましなくなってもずっと引き摺って行くんだと思う そしてもう歳をとってしまったと後悔するたびに思って今よりも若くなることはなくて
生きざまとか壮大な話ではなく勉強とか資格とか語学とか絵とか文章とかプログラミングとか就職とかそういう矮小な話で申し訳ないけれど
まああとは遅刻しないとかがしたいけどどうしてもできない あと集中とか(もう終わり・のタイミングで急にやる気出るみたいなクソさは多少あるので常に終わっていればいいのかな?←?)
集中がぜんぜんできないのですべてのことができない、やたら腰が重くてなんにも手を付けられないまま時間ばかり過ぎるとか
何もかもを一回鬱になった所為にしたいけどそういうわけにもいかんしそうだとしてもそっかーって言っててもなにも変わらないしぼんやりしてしまってもうだめ
高校の教員をしてる。管理職でない限り、全員が何かしらの部活動を受け持たないといけない。私は男子バレーボール部だ。
バレーボールは体育の授業くらいでしか触ったことがない。指導は、別に専門の先生がしてくださってる。だから私は見てるだけ。
でも、楽しい。
弱小だけど、みんな一生懸命で、中には練習をサボる子もいるけど、みんなバレーが大好きで……。
6時半に練習が終わっても、そのまま体育館に残ってボールを触っているから、私はそれをぼんやり眺めて、7時半になったら、まだ物足りなさそうな部員たちを追い出して、体育館を施錠するのが日課になっている。
自分のよく知らないものでも、誰かが夢中になって頑張っているところを見るのはとても楽しい。
と同時に、不思議でもある。
どうしてこんなに一生懸命になれるんだろう。
どうしてこんなに、こんなに…。
11月24日(土)
を観た。
好きな俳優さんのTwitterから、この公演のことを知って、劇団のHPであらすじを読んだ瞬間、絶対に観に行こうと決めた。
――――――――――――
<あらすじ>
そのコートで、失った熱量を懐かしんでいると先生に会ってしまいます。
促された松坂はシュートを打ちます。打って、それから、謝ります。
バスケット辞めてごめんなさい。
誰も知らないまま、辞めたのです。
ただ、バスケットを辞めたのです。
――――――――――――
何がそこまで私を惹き付けたのかわからない。
だから、観に行った。
客席に入って、まず目に入ったのは中央のバスケットゴール。そして床に描かれたバスケットコートライン。
フラットな舞台の両脇には階段があって、まるで体育館のギャラリーみたいだな、と思った。
下手側の階段の踊り場にはギターを抱えた人がいた。「間もなく開演です」のアナウンスのバックで、静かにギターを弾き始める。音が重なって、重なって、そして静かに反響しながら消えた瞬間。
そしてそれを少しずつ切り裂くように、そこにある、松坂の肉体。
先生がやって来て、松坂がシュートを打つように促される。高校時代が蘇る。
部活前の男子部員の空気が、本当にリアルで驚いた。シューズの紐を結びながら、他愛ない話をするあの感じが、私が普段目の当たりにしているものと同じ温度でそこにあった。
物語が進むに連れて、少しずついろいろなことがわかってくる。
ずば抜けて上手いのはキャプテンの吉住だけ。彼は素行が悪くてバスケが強い学校には行けなかったから、この学校で一からバスケ部を作った。ちょっとやんちゃで、先生に口答えすることもあるけど、それは結局のところ本人が甘えたなんだと思う。
主人公の松坂は、もともと野球部だったが、部員と折り合いが悪くて部活を辞めた。バスケ部に入ったのは、クラスメイトに「楽だし、初心者でも大丈夫」と言われたから。
部員の個性が見えてくるに従って、私は自分の部活の生徒の顔が重なるような気がしてならなかった。一人一人は全然違うのに、「ああ、いるよな」「ああ、あるよな」が積み重なって、まるで自分の話のように思えてくる。
中でも胸に来たのは、顧問の沖先生が授業準備が忙しくて部活に来れなくなるシーンだ。代わりに来た外部コーチに、吉住は激しく反発する。
「俺らのバスケ知らないやつに練習メニュー指図されたくねえ!」「お前、顧問じゃねえのかよ!何で来ねえんだよ!授業が増えたとか知るかよ!部活の時間は部活に来いよ!俺の言うこと聞けば勝てるって言ったよな?じゃあ命令しに来いよ!」
私も、授業準備や他の生徒の対応で部活になかなか行けない日がある。やっと体育館に行くと、もう終了の挨拶…なんてことも、何度もある。
生徒は部活に休まず来てるのに、顧問は部活に来ない…なんて、不満に思っても仕方ないよな、と思うけど、授業準備も部活動指導も、教員にとっては両方とも「仕事」だ。私自身はかなり部活が好きな方で、沖先生もかなり部活が好きな方で、でも部活よりも優先しなきゃいけないことがある状況は、すごくよくわかる。
でも、それは部員には「わかってくれ」と言ってもわかるもんじゃないよな、というのも、すごくよくわかる。
コーチが来て、彼らの練習風景はがらりと変わる。活気が出る。それまでだらだら惰性でやっていた練習が、意味付けされて、みんなが「勝つために」練習をやり始める。
新入生が入ってきて、二年生になった松坂たちは少しずつ「自分の武器」を身につけていて、チームは確実に強くなったことが肌で感じられる。
そして迎えたIH予選。
負けたら、三年生の吉住と當座は引退だ。
IH予選1回戦は、勝った。でも、ミスが多くて先生に叱られる。
そして當座が、「辞める」と言い出す。
「大学受験マジでヤバいから、バスケで大学推薦がもらえる吉住と違って、俺はバスケ頑張っても何にもならないから、勉強しないとマジでヤバいから」
當座は序盤から、勉強と部活の両立に悩んでいるような描写が繰り返されていた。だからいつかはこうなる予感があった。でも、それは今なのか。三年生の、IH予選で、1回戦は弱い相手にギリギリ勝って、2回戦は相手も強いからこうはいかないかもしれないけど、でもとにかく負けたらそれで引退の、三年生の、今なのか。
そんな當座に、吉住は噛みつく。「何でだよ!」と詰め寄る。
そして溢れる當座の本音。「俺がいなくても、俺より上手い後輩がいるから大丈夫だよ。俺が試合に出るよりも、後輩が出た方がいいよ」
「下手でもお前出ろ!俺のパス受けろ!」吉住の激昂。二人きりの三年生。吉住と當座と、顧問の沖先生の三人だけでやって来た一年間。少しずつ後輩も育って、やっと勝てるようになった三年生の、IH予選。
でも、頑張ってどうなるんだろう。将来どうするんだろう。部活を頑張った、その先は?
私も、自分の高校時代、勉強を理由に部活を辞めようとしていた同級生を必死で引き留めたことがある。結局、彼女は三年生の夏まで部活を続け、一緒に引退したけれど、今でもあのときの私は正しかったのかとたまに思い出す。もしかしたら、あそこで私が引き留めずに彼女が部活を辞めて勉強だけに打ち込んでいたとしたら、彼女はもっと上の大学に行けたかもしれないと、考える。まあ、最終的に決断したのは彼女自身なのだから、そこに私がとやかく言うことに何の意味もないのだけれど、私は最後まで彼女と部活ができて、とても楽しかったのだけれど……。
教員になってからも、勉強と両立できないから部活を辞めようかと悩んでいるという相談を受けたことは何度もある。そのたびに、私は止めてきた。それが正しいかはわからないけど。
今でも、必死に練習する部員たちを見ながら考えることがある。バレーを頑張ったからといって、進路の保証があるわけでもない。この時間を、補習やアルバイトに費やす方が有意義な生徒もいるかもしれない。でも、この経験はきっと、いつかどこかで、何かの役に立つんじゃないか…。
「これが将来にどう活きていくか」なんて、考え出したらキリがない。とくに教員の仕事なんて、どんな指導をしたとしても、本当にそれが生徒にとって良かったかわかるのは、5年後が10年後か、何年先になるかわからないし、もしかしたら一生わからないままかもしれない。
それでも、今一番良いと思えることをやるしかない。
IH予選2回戦。
格上の相手に、チームは苦戦する。でも、全く勝てない相手ではない。今、自分たちにできる、最高のプレーを。
残り時間あと6分。点差はわずか。負けたら、ここで終了。勝ったら、もう少しだけバスケができる。
今年のIH予選。地区大会は勝ち抜いたけど、県大会は1回戦から格上の学校が相手で、良いプレーはしたけど、負けてしまった。
バレーボールに制限時間はない。先に25点取った方が勝ちだ。じわじわと、相手の点数が25点に近づいていく。
「ああ、このまま、このまま終わってしまうのか。もっと見ていたかった……もっと見ていたい……いや、まだ終わってない、希望はある……うちがここから○点取れば…………」
そんなことを考えながら祈るように試合を見ていたことを思い出した。
そのときの、バレーコートの中の選手の気持ちはわからない。でも、今、目の前の、バスケットコートの中の選手の気持ちは、客席まで伝わってくる。きっと、同じだ。彼らも、彼らも。そう思うと涙が出た。
舞台上の試合のシーンでは、本当にバスケの試合が行われていた。
もちろん、ある程度の段取りはあるだろうが、シュートが決まるかは打ってみないとわからないところは、試合と同じだ。シュートが決まればこう、外れたらこう、みたいなパターンはあるのだろうが、それも、試合と同じだ。
何のスポーツでもチームで行う競技すべてに言えることだろうが、上手いチームは「いるべき時に、いるべきところに、いるべき人が、いる」と感じる。
それは、演劇も同じだと思う。
何をやるのが良くて、自分は何がやりたくて、それがどう自分のこの先に繋がっていくかは誰にもわからない。
何かをやるにしても、何かをやめるにしても、自分が「良かった」と言えなきゃいけない。
いろいろなものが重なって、なんだかもうわけがわからなくなって、最後の方はほとんど泣いていた。
泣きすぎて拍手ができなくて、それだけが心残りなくらい、泣いていた。
だからいつも感想はTwitterで呟いたりするのだけれど、今回はあまりにも自分のプライベートな事象とリンクしすぎてしまったから、匿名ブログに託すことにする。
観に行って良かった。
世の中には色んな記憶術があるが、「頭の中で文字を書く」という方法は聞いたことがない。
それを実際にやってみると、目の前にぼんやりと文字が浮かび上がるような感じで思い出せるようになる。
やり方は簡単で、覚えたいものの綴りをそのまま頭の中で書くだけ。
手は使いたければ使ってもいいのだろうが、私は使わない。文字通り頭の中だけで文字を書くのだ。
例えば、「jurisprudence 法律学」を覚えたければ
目をつぶって「jurisprudence 法律学」と頭の中で何度か書く。
「ju ris pru den ce 法律学」というふうに分割して書いている。
最近は面倒くさくなって文字を順番にイメージするだけにしているが、それでも効果はあるようだ。
もちろん、1日やっただけではすぐに忘れてしまうので復習は必須だが
まるで頭に刻み込むように覚えられるので、知識がどんどん増える感じがしてやる気が出る。
私はこれを「脳内筆写法」と名付けた。
我ながらいい方法を思いついたと思う。
視線を合わせないように俯いてスーッと通り過ぎる。
「上司と目が合えば嫌味の一つや二つ言われるに違いない、、、」
特に悪いことをしてるわけではない
定時で上がっただけなのに私は小走りで
逃げるように
会社を後にする。
「夕焼け小焼け」が聴こえてきた。
早く帰ろう。
退屈だ、大体のことに興味が持てない。
冷めた日常を押し流すように
強めのアルコールを喉に流し込めば
朝になるまでの数時間は気がまぎれる
そしてまた 現実を突きつけられる日々
後輩の冷ややかな目
を思い出すと憂鬱になる。
あげる
最低限の会話と最低限の仕事をこなして
終わりを告げるチャイムが鳴れば帰路につく。
しかし確実に歳はとり、 老ける。
シワが増え 記憶力と体力も低下していく
白髪が混じりの44歳。
考えたくもない。
この日も上司に定時で上がることを告げた。
正直、気分が高揚していた
リビングへと向かう。
夕食を広げると同時にテレビの電源をつけた。
映し出されるスタジアム。
誰にも言ってないが最近の楽しみがこれだ
点が決まると独りで雄叫びをあげる。
お酒が進む進む。
前半戦が終わりハーフタイムになって
一息ついた時、我に帰った、
「俺が応援したところで何があるのかな。」
「ただ1人で叫んでいるだけではないか。」
たまにあるのだ、
そんな時はアダルトビデオでも見ればいい
ひとりの時間は十分過ぎるほどあるんだ
そう思い、ブックマークしてあるエロサイトの中からDMMの文字をクリックした。
しばらくページを眺めるが
すぐに手が止まっていた。。
違うなぁ、何か違う、何かこうなんとなく虚しい 虚しくて涙が溢れてきた
泣いても 仕方がないのはわかっているが
こんな年にまでもなって、いつまでも同じことを繰り返している自分が情けない。。。
こんなはずじゃなかったなぁという思いが
込み上げて涙が次から次へと溢れて止まらない。 無理して住んでいる家賃が高いアパート。
無理して新車で買った車。
すべて偽物の願望で、空虚な心を埋める為に過ぎない。
顔を上げて洗面台に写る、幼いじじい どうしようもない。 声を上げ奇声を上げ咽び泣く。
疲れては果てて、感情を抑えきれなくなり
横になって体を震わせた
そして胎児のように丸くなった。
そこに写っているのは
まだ幼い頃の私と弟と父、母
あぁ、この頃に戻りたいなぁ。
意識が遠のく。やり直したいなぁ。
生まれ変わりたいなぁ。
しばらくして
隣の部屋に置いてあった携帯の着信音が珍しく鳴っていることに気づいた。
のそのそと音のなる方に近づき、なんなら出る前に切れてほしい思いとは裏腹に
着信音は鳴り続けた
また昔みたいに県外に泊まりでさ! 」
声に出してはみたが頭の中で
反射的に面倒という文字が浮かんだ。
思えば相手の要求に対してつい良い顔をしてしまうのが昔からの癖だ。
数年前、自分含め友人三人でスキー行ったのだが自分以外の二人はちょくちょく会っているようで
そこにどう入っていけばいいか分からず あんまりいい思い出はない。
翌日
スキーの為になまった体に鞭を入れようと地元のフィットネスクラブに向かった。
土曜の昼過ぎと言うこともあり、閑散としている
受付と着替えを済ませ
鏡の前で、20代後半らしき女性がストレッチをしているのが見えた。
自分もとりあえずランニングマシーンの電源を入れペタペタと歩いてみる。
視界に入る女性のヨガか、太極拳かよくわからないがとにかく気になって悶々とする。
顔に出ないように心がけるが、むっつり顔になっているのが自分でもわかる。
30分くらい走っただろうか、顔と背中に汗が滴っているのが分かる。鏡に映る自分はいつもより爽やかに見えて
この際ストレッチをしている女性に声でもかけてやろうか!と考えた。
「おつかれさまです!! 体柔らかいですね!」
「よかったら一緒に走りませんか?」
いつのまにかおばさん達もいなくなって
あと一回り若ければチャンスだったかもしれない。
こっちに向かってくる男性が目にとまる。
私はすぐにマシンを降りて気付れないように二人の様子を伺った。
すぐに二人が親密な関係なのが見て取れた。
危ない危ない
まるでスーパーマンのようにきらきらと輝いていた。お似合いなのだ。
そう悟ったら一気に恥ずかしくなった。
着替えてジムを出てそのまま
また涙で視界がぼやけてきた。
どのくらい時間が経とうが構いやしなかった。
予定も何もない土曜の昼過ぎに汗だくのおじさんがただ独り、意味もなく命を消費している。
人としてこの世に生まれ 私は何を残せているだろうか?
目を瞑り、答えのない答え探しの時間に入った。
それは蜂やハエやムカデだったり季節ごと様々だが、見つけたら容赦なくシューズで踏みつけ
その死骸をつまんで作業台の上に乗せる。
拡大鏡を取り出し、潰された虫の変わり果てた姿をまじまじと見つめていると段々気持ちが楽になる。
少し経って死骸に問いかける
「お前は何の為に生きていた?
私に殺された気分はどう?死んだら生まれ変わったりする?」
返事はないようだ。
鬱陶しければこの虫けらのように
いや既にされているのかもしれない。
目立たず大人しく弱々しく
誰にも見つからないように
生きてきたのに、存在自体が認識できなくなって今じゃまるで透明人間のようじゃないか
行き交う人はすり抜けるように私のことなど見てはいない。それは自分が望んだことでもあるが
そんな気持ちも心の片隅に顔を出している
これからどんな事をして、何を食べてどんな生活を送れば 世間からいいねを貰えるのか。
案外私と同じ悩みを抱えているの人も多いかも
しれんなぁ。」
なんだか前にも同じこと考えた気がする
びっくりするほど撫で肩になった。
指先がとても冷たい。帰ろう、
間接照明が照らすダイニングキッチンの隅に小さく丸くなり、ぼんやりと薄暗い部屋を眺める。
出てきた検索欄に「女性と話す方法」と入力したページを無表情で黙々とスクロールしていくうちに。ガールズバーに行こうと思った。
丸見えだし気が引ける
次の週
前より孤独感や焦燥感、不安で目眩と吐き気が増した気がしたがなんとか踏ん張った。
上司に「今日は体調が悪いんで定時で上がらせて下さい」と告げ会社を後にした。
いつもならまっすぐ、アパートに帰り
空いた時間をゲームとアダルトビデオで埋めるのだが、今日は久々に実家に帰りたくなった。
ドアを開けると空き家という感じはしなかった。
まだ生活感で溢れているせいか、つい最近来たようなそんな感じがした。
父も母も数年前に亡くなり、四つ離れている弟も
県外で暮らしている。
数年ぶりに二階にある
自分の部屋にも入ってみた。
しばらく、ぼんやりと立ち尽くしていたが、市の防災無線から流れる「夕焼け小焼け」
のメロディーが
部屋を出る前に押入れから家族写真を取り出してポケットに入れた。
繰り返される日々
(冒頭に戻る)
特に悪いことをしたわけではないが
定時で上がる時は俯きながら逃げるように
会社を後にする。
「夕焼け小焼け」が垂れ流されていた。
退屈だ、大体のことに興味が持てない。
冷めた日常を押し流すように
強めのアルコールを喉に流し込めば
朝になるまでの数時間は気がまぎれる
そしてまた 現実を突きつけられる日々
後輩の冷ややかな目
を思い出すと憂鬱になる。
あげる
最低限の会話と最低限の仕事をこなして
終わりを告げるチャイムが鳴れば帰路につく。
しかし確実に歳はとり、 老ける。
シワが増え 記憶力と体力も低下していく
白髪が混じりの44歳。
考えたくもない。
上司に定時で上がることを告げた。
正直、気分が高揚していた。
リビングへと向かう。
夕食を広げると同時にテレビの電源をつけた。
映し出されるスタジアム。
誰にも言ってないが最近の楽しみがこれだ
点が決まると独りで雄叫びをあげる。
お酒が進む進む。
前半戦が終わりハーフタイムになって
一息ついた時、我に帰った、
「俺が応援したところで何があるのかな。」
「ただ1人で叫んでいるだけではないか。」
たまにあるのだ、
そんな時はアダルトビデオでも見ればいい
ひとりの時間は十分過ぎるほどあるんだ
そう思い、ブックマークしてあるエロサイトの中からDMMの文字をクリックした。
しばらくページを眺めるが
すぐに手が止まっていた。。
違うなぁ、何か違う、何かこうなんとなく虚しい 虚しくて涙が溢れてきた
泣いても 仕方がないのはわかっているが
こんな年にまでもなって、いつまでも同じことを繰り返している自分が情けない。。。
こんなはずじゃなかったなぁという思いが
込み上げて涙が次から次へと溢れて止まらない。 無理して住んでいる家賃が高いアパート。
無理して新車で買った車。
すべて偽物の願望で、空虚な心を埋める為に過ぎない。
顔を上げて洗面台に写る、幼いじじい どうしようもない。 声を上げ奇声を上げ咽び泣く。
疲れては果てて、感情を抑えきれなくなり
横になって体を震わせた
そして胎児のように丸くなった。
そこに写っているのは
まだ幼い頃の私と弟と父、母
あぁ、この頃に戻りたいなぁ。
意識が遠のく。やり直したいなぁ。
生まれ変わりたいなぁ。
しばらくして
隣の部屋に置いてあった携帯の着信音が珍しく鳴っていることに気づいた。
のそのそと音のなる方に近づき、なんなら出る前に切れてほしい思いとは裏腹に
着信音は鳴り続けた
また昔みたいに県外に泊まりでさ! 」
声に出してはみたが頭の中で
反射的に面倒という文字が浮かんだ。
思えば相手の要求に対してつい良い顔をしてしまうのが昔からの癖だ。
数年前、自分含め友人三人でスキー行ったのだが自分以外の二人はちょくちょく会っているようで
そこにどう入っていけばいいか分からず あんまりいい思い出はない。
翌日、
スキーの為になまった体に鞭を入れようと地元のフィットネスクラブに向かった。
土曜の昼過ぎと言うこともあり、閑散としている
受付と着替えを済ませ
鏡の前で、20代後半らしき女性がストレッチをしているのが見えた。
自分もとりあえずランニングマシーンの電源を入れペタペタと歩いてみる。
視界に入る女性のヨガか、太極拳かよくわからないがとにかく気になって悶々とする。
顔に出ないように心がけるが、むっつり顔になっているのが自分でもわかる。
30分くらい走っただろうか、顔と背中に汗が滴っているのが分かる。鏡に映る自分はいつもより爽やかに見えて
この際ストレッチをしている女性に声でもかけてやろうか!と考えた。
「おつかれさまです!! 体柔らかいですね!」
「よかったら一緒に走りませんか?」
いつのまにかおばさん達もいなくなって
あと一回り若ければチャンスだったかもしれない。
こっちに向かってくる男性が目にとまる。
私はすぐにマシンを降りて気付れないように二人の様子を伺った。
すぐに二人が親密な関係なのが見て取れた。
危ない危ない
まるでスーパーマンのようにきらきらと輝いていた。お似合いなのだ。
そう悟ったら一気に恥ずかしくなった。
着替えてジムを出てそのまま
また涙で視界がぼやけてきた。
どのくらい時間が経とうが構いやしなかった。
予定も何もない土曜の昼過ぎに汗だくのおじさんがただ独り、意味もなく命を消費している。
人としてこの世に生まれ 私は何を残せているだろうか?
目を瞑り、お得意の答えのない答え探しの時間に入った。
それは蜂やハエやムカデだったり季節ごと様々だが、見つけたら容赦なくシューズで踏みつけ
その死骸をつまんで作業台の上に乗せる。
拡大鏡を取り出し、潰された虫の変わり果てた姿をまじまじと見つめていると段々気持ちが楽になる。
少し経って死骸に問いかける
「お前は何の為に生きていた?
私に殺された気分はどう?死んだら生まれ変わったりする?」
返事はないようだ。
鬱陶しければこの虫けらのように
いや既にされているのかもしれない。
目立たず大人しく弱々しく
誰にも見つからないように
生きてきたのに、存在自体が認識できなくなって今じゃまるで透明人間のようじゃないか
行き交う人はすり抜けるように私のことなど見てはいない。それは自分が望んだことでもあるが
そんな気持ちも心の片隅に顔を出している
これからどんな事をして、何を食べてどんな生活を送れば 世間からいいねを貰えるのか。
案外私と同じ悩みを抱えているの人も多いかも
しれんなぁ。」
なんだか前にも同じこと考えた気がする
びっくりするほど撫で肩になった。
指先がとても冷たい。帰ろう、
間接照明が照らすダイニングキッチンの隅に小さく丸くなり、ぼんやりと薄暗い部屋を眺める。
出てきた検索欄に「女性と話す方法」と入力したページを無表情で黙々とスクロールしていくうちに。ガールズバーに行こうと思い立った。
丸見えだし気が引ける
次の週
前より孤独感や焦燥感、不安で目眩と吐き気が増した気がしたがなんとか踏ん張った。
上司に「今日は体調が悪いんで定時で上がらせて下さい」と告げ会社を後にした。
いつもならまっすぐ、アパートに帰り
空いた時間をゲームとアダルトビデオで埋めるのだが、今日は久々に実家に帰りたくなった。
ドアを開けると空き家という感じはしなかった。
まだ生活感で溢れているせいか、つい最近来たようなそんな感じがした。
父も母も数年前に亡くなり、四つ離れている弟も
県外で暮らしている。
数年ぶりに二階にある
自分の部屋にも入ってみた。
しばらく、ぼんやりと立ち尽くしていたが、市の防災無線から流れる「夕焼け小焼け」
のメロディーが
部屋を出る前に押入れから家族写真を取り出してポケットに入れた。
早く戻ろう。悲しくなる前に。
※繰り返される日々
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