はてなキーワード: ぼんやりとは
たぶん18禁?
無料の子宮がん検診ついでに処方してもらい、低用量ピルを飲み初めて数ヵ月になる。
生理前の気分の浮き沈みと肌荒れを緩和するのが主目的だった。これは見事に達成されてる。
自分の場合副作用もなかったし、快適すぎてもっと早くに飲み始めていればよかった…っ、と強く思う。月2000円ちょっとで様々な安定が手に入るのは最高みがある。
二次的な目的だったけど、避妊を自分で主体的にコントロールできるというのも魅力だった。
コンドームも完全ではないから予期せぬ妊娠を防ぐという意味でも、いわゆる生というものを安全にできるという意味でも。
ピルを毎日飲めるか最初は不安だったため、きちんと続けられて3ヶ月ぐらい経ってから彼氏に伝えて、生アンアンを堪能しようと思っていた。
しかし伝えていない。
理由は何か。
たぶん「処女」を守りたいのかもしれない。
初めて生のちんを受け入れるなら、将来を共にする相手のがいい。
でも目の前の彼氏は、同棲するといいつつその後話を進めてこないし、クリスマスも将来話も何もなかったし、もう5年以上付き合ってこれ以上何も起こりえない気がする。
コンドームが付いていてもアンアンは気持ちがいいし、付いていてもいなくても女側の気持ちよさは変わらんとも聞く。
だからこのままでいいような気もする。
とりあえずピルは神。
進路がまだ決まっていない
就職するつもりで就活しているけれど、12月末現在いまだ内定なし
院に行く気も全くない
今は卒論を書いているが、1月前半に卒論を提出したら就活を再開する気でいる
周囲からは人生詰んでしまう前に休学した方がいいと勧められるが、生まれてこの方両親に進路への理解を示されて来なかったので、両親に相談する嫌さの方が先にきてしまう
休学して何かしたいことがあるわけでもない。就活もやりたい仕事があるわけではなく、親から離れたいという気持ちでやっている
だから今すべてにおいて身が入らない
人生詰んでる、と言われるくらい客観的に見ても大変な状況なのになぜか危機感がわかない
何とかなるとは全く思わない
むしろ何とかならないだろうと思うからこそ、このまま貧困→のたれ死にコースかな…と就活しながらぼんやり諦めかけている
人生を自ら細かくちぎってどぶに捨てているような虚無感
どうしようかな
さほどひどいいじめではない。たぶん大して理由もない。相手の虫の居所が良くないときにちょっと無視されたり、部活で叱咤激励の皮を被った罵倒を浴びせられたり。その程度だ。世の中にはもっとひどい目に遭っている人がたくさんいる。
しかしそのいじめは、当時の私にとっては世界に否定されたと同義であった。だって、私にはそのコミュニティにしか居場所がなかったのだ。なのに、そこからはじき出される。いらない、死ねと言われているんだと思った。
結果として、私は部活で使う体育館に足を踏み入れるだけで過呼吸を起こすようになったし、人と関わることが怖くなった。それは中学を卒業してからもずっと続いた。特に、高校生活は灰色だ。保健室で、口にハンカチを当ててゼーゼーヒーヒーいっていた記憶しかない。
自分は誰からも嫌われる、この世にいらない人間なのだと思った。その気持ちは大学生になっても、社会人になっても、ずーっと消えなかった。
社会人になって、すぐの頃。仕事がうまくこなせなくて、同期や先輩とのコミュニケーションも上手にできなくて、私は自己否定がやめられなくなった。過呼吸を通り越して不眠症になり、やがて抑うつといわれる状態になってしまった。
入ったばかりの会社を休職した。人生ではじめて心療内科に通った。さほど医者に助けられたとは思えないけれど、とにかくいろんなことを考えた。
私の人生にはなんの希望もない。親ですら私を見て、こんなに困っている。苦しい思いをして生きるくらいならもう死にたい。どうせ誰にも求められていない。
はじめは、そんな感じ。だけどだんだん、私は腹が立ってきた。自分にではない。世界のほうに、だ。
私をこんな風に生んだ親が憎い。私をこんな風に育てた親類や先生が憎い。私をいじめた奴らなんか特に憎い。死んでしまえと思う。私の人生がめちゃくちゃになってしまったのは私のせいじゃない。好きでこんな風になったんじゃない。世界が悪い。世界が、世界が、世界が……。
ああ私はずっと怒っていたのだな、と、正常ではない頭で薄ぼんやりと思った。考えてみればいじめなんて、いじめられている側からすればひどく理不尽な理由で起こるものだ。どういうわけか私はその理不尽に、無理やり理由をつけて自分を納得させ、怒りを抑え込んでいたらしい。タンブラーにそのときの気持ちを書き殴っている。読み返すとあまりにも憎しみがむき出しで、気分が悪くなる。でも、それほどまでに怒っていたのだ。そしてそれに気づかずにこれまで生きてきた。病気になるわけである。
散々怒って泣いて、一ヶ月後、私はひとまず正常に戻った。
そのあとも何度か危うい橋を渡り、薬でどうこうするだけでは根本的な解決にはならないと思い至り、現在はカウンセリングに通っている。
いままで書いてきたような話を洗いざらい聞いてもらって、なんだかずいぶんと楽になった。こんがらがった感情を解いていく中で思うのは、私はやっぱり怒っていて、多分一生怒り、憎み続けるのだろうなということである。
それも、いいんだよ、と先生は言った。許せないことは許せないことでいいんだよ、と。私にはそれが正しいアドバイスなのかどうかが分からない。全部許せるのが本当はいちばんいいんじゃないかと思う。
でも、許さない。
具体性のないぼんやりした話だな
嫁はなんとなく麻雀というものを知ってはいたが、ルールもぼんやりとしか知らないという様子だった。
(※いっこ取っていっこ捨てる、三つ揃えればOKくらいのルール認識)
自分がなんとなく暇つぶしでお互いゲームが出来ればな~と思い、嫁にルールを教えてみた。
すると麻雀にドはまりして、寝る前に毎日スマホで麻雀をしようと誘って来るまでになった。
最近では夫婦でMリーグを視聴して多井が~たろうが~などと話すことすらある。
そこで嫁になんで麻雀が面白いと思うか聞いてみたところ、牌をツモるたびにガチャしてる気分になって面白い、とのこと。
考えたこともない答えが返ってきて驚いたが、なんか妙に納得した。
https://twitter.com/aruto250/status/1076856089260392448
生きることの価値に気づいたのかもしれないが、
死んだら終わりみたいにぼんやりと思っていたが、
死後により悪い状態になるという思いが強くなってきて、
それを避けたいとか、他にも色々ありうるだろう。
「ロクな」は「陸な」と書き、もともとは「陸のように平坦である」という意味、
https://kotobank.jp/word/%E9%99%B8%E3%83%BB%E7%A2%8C-414007
「ロクなゲームではない」というと「まともなゲームではない」というわけだ。
現代の辞書的には「後に打ち消しの語を伴う」ということになるが、
もちろん江戸時代の頃には否定を伴わない形で使われてもいたこともある。
あくまで慣習的なものとみなすべきで、「語源からしてありえない」というわけではないと思われる。
やはり大半は否定とセットで使われているが、
屑のような論文が百も出るうちには一つくらいは少しはろくなものも交じる確率があり、万人の研究者の中には半人くらいは世界的の学者を出すプロバビリティーがあるかも知れない。
ろくな仕事をこつこつやるより、かうやつてぼんやりしながら「悲歌」のことだの、僕が近いうちに身を打ち込んでやりたいと思つてゐる仕事のことだのを考へてゐる方が、まあどんなに好い事だらう。
など用例がないこともない。
※ この私見はすべて、twitter上で喪女と名乗ることについてに限定したものです。
10日くらいに、新しいtwitterアカウントを作った。リア垢オタ垢美容アカ勉強アカ裏垢… いろんな種類と界隈を選べるtwitterの世界で、わたしは新しいアカウントで、恋活界隈に片足を、そして喪女界隈に片足をつっこむことにした。
ウィキペディアで“喪女の定義”という項目を見ると、4つの条件が明記されている。①交際経験が皆無 ②告白されたことが無い ③純潔である(処女) ④恋愛感情をもたれたことが無い
これと同時に、「誰が喪女を名乗ることを許されるのか」という論争も触れられている。
ここで論点となるのが、「ネ喪」の存在だ。ネ喪とは、上記4つの条件を全て満たしていないが故に、本来は喪女を名乗ることが出来ない女性たちだ。しかし、それにも関わらず喪女を自称する場合にはネ喪だとカテゴライズされる。
4つの条件のうち満たしているのは「純潔(処女)である」というものだけで、彼氏は過去にふたりいて、告白は片手ぶんの男性にされ、これらから予想するに恋愛感情を持たれていた。しかし、喪女を自称している。
新しいアカウントを作るより前から、喪女の定義についての論争が絶えないことを知っていたので、bio欄には“セカンド喪女”と書いた。手前味噌だが、なかなか良いと思う。
わたしは9年前を最後に彼氏がおらず、最後に告白されたのが8年前で、それゆえ8年前から恋愛感情を抱かれたと確信したことはない。
わたしとしては正直、自分が喪女だろうがネ喪だろうがセカンド喪女だろうがどうでもいい。酷く綺麗事のように聞こえるだろうが、わたしはわたしだからだ。
しかし、わたしのなかで渦巻く感情を、同じような感情を持つ人と共有したい。
わたしは、8年間男性に選ばれない人生を過ごしてきた。それが9年、10年…と続いていくであろうことも、ぼんやりと予感している。
そういうことの辛さだったり、鬱憤や開き直りを共有できる女性かどうかは、“喪女の定義”を満たしているか否かでは測ることができない。したがってわたしは、ツイートの言葉とそこに現れる感情を読み取って、フォローをする。いいねをする。
自分のbioにセカンド喪女と書くのは、自分の状況を誰にでもある程度まで察させる言葉だと思うからである。しかし、ツイートでは自分を形容するのに喪女という言葉を使う。セカンド喪女という言葉が自作であり、また文字数の観点から、喪女という言葉を用いるのがいちばん便利だからだ。
いちツイートを切り取ってみれば、わたしがbioでセカンド喪女を自称していることは意味をなさず、わたしは分かりやすいネ喪となる。わたしのツイートは、そういった意図の有無に関わらず、冷やかしやマウンティングだと捉えられる。
それが、人を傷つけているのだという。
理解はできる。
ある特定の条件を満たす人たちを名付けるという行為は、「わたしたち」と「あのひとたち」を明確にすることであるとわたしは考えている。強い言葉を使うと、分断だ。
この行為には往々にして、「本当の〇〇とは何か」という論争がつきまとう。本当の日本人とは?本当のファンとは?本当の喪女とは?
「本当」を自称できる人々は、強い。揺るぎないアイデンティティと、言葉から香る正当性に支えられるからだ。自然と人々のあいだの団結も強まる。故に「本当」の人々は、さらに声高にその根拠を叫ぶことができる。
一方で、マージナルな位置に存在する人々はそうはいかない。意見や感情を主張する前に、そのアイデンティティを確かにすることに注力しないといけないからである。「本当」の人々の揺るぎなさと相対的な弱さに、どうにもならない焦燥を覚えたり、傷つくこともある。
わたしの個人的な意見としては、そこで停滞していたくないのだ。ラベリングやカテゴライズを飛び越えて、感情を共有したい。
そう考えている人は、少ないだろうか?
冷やかしやマウンティングのために、心にもない理解や同意のポーズを取るのは論外である。心が貧しい。
しかし同時に、強者の立場を利用して分断の線をはっきりと引くのも、同じくらい受け入れ難いことだ。
喪女を自称する人々は、自分のことをある種の弱者だと自虐することや、恋愛経験がある人を強者とみなすことが多い。これは「本物」と「マージナル」の強者と弱者の関係とは全く逆で、それゆえにこの「強者」の構造が見えづらくなっている部分があるはずだ。
なんだかとりとめのない文章になってしまったが、わたしが感じているのは「ラベリングではなく、その考え方や抱いている感情で相手と向き合うほうが心地いいのではないか?」という簡単なことだ。
新参者のわたしが、長く続く論争に注ぐのは油でも水でもないはずである。
これを読んでくださった方が、こういう考えの人もいるのだと知ってくれるのであれば嬉しく思う。
今年6月ごろにうつ傾向が強くなり、初めてメンタルクリニックに行ったり、うつについての本を読んだりした
原因になった職場をすぐに辞め、3ヶ月くらいぼんやりしていたら改善した、最近新しい仕事に就いた
うつ状態の間、小学生くらいから抱いてた希死念慮をさらに強く感じ、死ぬまでにしたい事を今やろうと、とりあえず物欲を満たすために(自分なりに)大きい買い物をした
結婚願望は無く、貯金を増やし東京を出て家賃が安い地域で一人暮らしをする予定だった
が、東京に住む利点や今の職場環境の良さを手放さずに一人暮らしができるなら、それが一番良いかもと思い始め
正社員になり会社近くに住めというのが一般論だと思うが、ブラック企業に勤めてた時よりフリーターになった今の方が生きやすい
勤務時間も月給も大して変わらない
生涯独身でいるなら実家に住み続けて貯金を増やした方がいいのか、家を出て自立した方がいいのか判断ができない、、、
知恵袋に頼ったら実家に残り貯金をするべきという意見が圧倒的だった
外を歩いてるとすれ違いざまにでっかいくしゃみぶっぱなされたり唾を吐かれたり電車でも空いてるのに隣でフラフラフラフラしてたサラリーマンがこっち向いたと思ったらでかいくしゃみかけられ、歩道を歩けば後ろから暴走してきた自転車を避けられなくて怒鳴られる
みんなこんなこと日常茶飯事であるものなんですか?被害妄想もあるけど怖すぎて気が狂いそうです
外に出ると必ずと言っていいほど変な人に出会ってトラウマになって引きこもりになって自分自身がどんどん変な人になってきている
だから余計に変な人を引き付けている気がする
なんか強そうに見える服装を教えてください
普段はぼんやりした服着てるから余計に大人しく見えて「こいつなら」みたいに思われてんじゃないかともうもうもうもう…おかしくなりそう
東浩紀には様々な弟子がいる。それは彼と時間を多くともにした既に名のある批評家や小説家であったり、もしくはただ一回動ポモを読んだだけの学生だって弟子だと言える。
彼の著書を意識した言葉選びをするならば弟子であり子であり家族とも言える。東浩紀には様々な弟子や子どもがいる。親を慕う子もいれば憎み復讐をたくらみ絶縁した者もいる。とかく、彼に影響を受けた人間の数は多い。東浩紀は学校もたくさんやっている。芸術だったり批評だったり小説だったり、一昔前であればゼロアカと呼ばれていたものもあった。教えることを何度も繰り返し、弟子のような子のような存在がたくさん生まれた。それらは種のように撒かれいくつかは生まれ、広がりを持った。
東浩紀は弟子と喧嘩をする。本当によくする。彼は感情的なので裏切られた、後ろから刺されたような思いだった、など言う。弟子は心外だと思い、関係を修復しようとするがそれはとても困難なことだ。多くの場合関係は壊れ敵となる。だが、幾人かの弟子はその軋轢を乗り越えより強固な関係を彼と結ぶ。まるでワイドショーのように東浩紀と誰彼は喧嘩したり仲直りしたりと忙しい。人間がいて、感情がある。
東浩紀にとって一番大きく、そして厄介な育て方をしてしまった弟子である子ども、それが「ゲンロン」という会社だった。彼はそれを、あまりに甘やかし過ぎ、気を使いすぎ育ててしまった。その結果、ゲンロンは彼にとってわがままで気が利かなくそのくせ彼なしでは生きていけない憎まれ口を叩くニートのように育ってしまった。東はそれにずっと気づけなかった。気づいたときにはもう遅かった。なぜこんな子どもを生んでしまったのか。にくくて仕方ない。自分がいなければ生きていけないくせに常に罵倒を浴びせられ、こきを使われる、これほど増悪を抱く存在が他にあろうか。しかし、自分自身が作った存在なのだ。増悪はすべて自分に跳ね返り、いつしか精神の状態は鬱と呼ばれるターンに迷い込んだ。
東浩紀は限界を迎え、ゲンロンという弟子を突き放した。正確には、代表を辞めた。東浩紀は弟子とよく喧嘩をする。本当によくする。彼は感情的なので裏切られた、後ろから刺されたような思いだった、など言う。弟子は心外だと思い、関係を修復しようとするがそれはとても困難なことだ。多くの場合、関係は壊れ敵となる。だが、幾人かの弟子はその軋轢を乗り越えより強固な関係を彼と結ぶ。ゲンロンは、東浩紀と関係を修復し、さらに強固な絆を取り戻せるだろうか。それはおそらく、相当に難しいだろう。なぜなら、ゲンロンは人間ではなく会社だからだ。会社は、意思のあり方がぼんやりと空気で決められる。ましてや代表だった人間が突然変わってしまったのだからなおさら、東浩紀の居ないゲンロンという会社は意思のあり方が非常に曖昧なのだ。だが、東浩紀からの増悪は受け続ける。この空虚な存在であるゲンロンが再び主人と関係を結ぶには、かつてあったような喧嘩や仲直りとは別次元の思考回路、レイヤーが必要である。しかし、現実で対応可能な人間はもう既に疲れ果て、逃れるものは逃げ、敗戦濃厚と言って良い状態だ。どうしたらいいの だれかおしえて
今年の10月の終わり、私は池袋駅南口で半年間付き合いのあった彼氏と別れた。
性格の不一致だった。
泣きながら北口の耳かき専門店に行き、耳かき撫子相手にビャンビャン泣いた。きっと撫子としては相当迷惑だったと思う。
そしてここまで来てしまえば後は勢いだと、前々から興味があったレズ風俗に電話することにした。
週末の夜、突然電話したものだからキャストの在籍確認が取れるまで少し間があった。10分から15分程して折り返しの電話があり、あと30分程待てば来るという。私は一も二もなくオーケーを出した。
キャストを待つ途中、「待ち合わせ?出会い系?」という通りすがりのおじさんの質問に必死に「違います」と拒否したのはよく覚えている。
やがて来たのは小柄で可愛らしい女性だった。「にゃあ(仮)です」と自己紹介された時、私はあまりの可憐さに目眩がした。歩きながら話をしてコンビニで酒とつまみを買った。にゃあさんに「外人さんが来るのかと思いましたよー」と言われた所で漸く緊張が少しずつ解けてきた。
安いホテルの一室で支払いを済ませ照明や有線の設定をした後、お決まりのように彼氏と別れたという話をした。彼は最後まで優しかった、けれど私が彼の優しさを踏みにじってしまったという後悔と懺悔を吐くとにゃあさんは優しく「二人は交わらない運命だったんですよ。最初から決まっていたんです」と。そこで私はふっと心が軽くなった。出会って間もない他人の言葉に救われたのだ。
ここでも私は少し泣いて、それから産毛を剃っていない事を思い出し慌てて風呂場に駆け込んだ。にゃあさんは「そんなの気にしなくていいのに」と笑っていたが私が気になって仕方なかった。ボッサボサの産毛を剃りつるつるになった所でにゃあさんを呼んだ。にゃあさんの身体は白く薄くすべすべで股にすら毛の一本も生えていない人形のようだった。対して私は良く言えばむっちり悪く言えばデブ。それでもにゃあさんは胸や柔らかな体を褒めてくれた。
さていよいよと。
ベッドに入った。最初は女子同士のノリで触れ合うだけだったが、やがて完全にマグロになった私ににゃあさんが乗ってきてキスをし始めた。キスの時ににゃあさんの長い髪が私の肌に触れるのが新鮮で、その後も何度かキスをせがんだ。
クンニは正直気持ちが良いと言うより生暖かいという感想が勝った。それよりもGスポットを開発されている私にとっては指入れからの腹部圧迫が一番気持ちよかった。
逆転して、私がにゃあさんの脚の間に収まる。小さなクリトリスを刺激し指を中に挿入する。薄い体が傷付いてしまいそうで恐ろしかったが、にゃあさんは私の拙い愛撫でも酷く善がってくれた。
にゃあさんを責めている時点で終わりを告げるタイマーが鳴った。それから二人でまたお風呂に入ってホテルを出て池袋駅までの短い距離を歩いた。終わってしまうのが寂しい、そう伝えたら、にゃあさんは酔っ払いのノリでハグをしてくれた。
「また宜しくお願いしますね」
「機会があれば是非」
その応酬を最後に、私はにゃあさんに見送られ池袋駅を発った。不思議と寂しさは無く、何とも言えない満足感のような感情が私を満たしていた。
そしてまた、そのお店のサイトをぼんやりと眺めている自分がいる。
21000円で買った90分は、確かに私を幸福にしたのだ。寒くなってきたこの季節に、もう一度、あの暖かな幸福を手にしたいと思う。
そのアースウィンドアンドファイアーさんのクリスマスバージョンのアルバムには
ディッセンバーって曲が入っていて、
最近それを私知りました!
しかしさ
12月この時期になってもうやっぱり冬本番というか坂本冬美というか、
寒さがキタコレって感じで
でもさ
ちょこちょこ年1回ぐらいの頻度で
風邪引いておいた方が逆に大病にならない気もするって言うし
案外定期的に熱がどーっと40℃近く上がって出たり風邪引いたりするのも
きっと。
だから、
定期的にちょっと調子悪くなってみたりするのが良いと思うのよ。
私は今年はまだないんだけど、
なんか年1回ぐらいはなんか風邪引いたり急に熱出たりするので
たぶんそれかなーって思うのよね。
なるほどーそうだったんだーって。
うふふ。
タマゴミックスサンドとローストビーフアンドスモークサーモンサンドで
ぜんぜんサーモン感を感じなかったわ。
うっかりしてたわー。
もっとしっかり噛みしめて食べるべきだったのね!
カーモンベイベーアラスカ!
鮭がやたらでかくて美味い~
カモーンサーモン!
次はしっかり味わってみるわ!
輪切りにしてホッツ白湯ウォーラーを入れてお好みでハチミツなんかも加えちゃったりしたら、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
既にボロクソだが
ある程度高負荷のウエイトトレーニングを薦める後半とも整合性が無い
そもそもスクワットもデッドリフトもフォーム次第過ぎてこんなぼんやりした目安でどうこうならない
ただ例えば84kgの人(バーベルは100kg)のきちんとパラレルまで下げるストリクトフォームのスクワット10repであれば
俺等から見たらアップのうちだが0から一朝一夕で出来ることでもなく、こんなシッタカ馬鹿がやってるとも思えない
少なくとも
こなせるようにするだけでだいぶ変わるよ
なにが「こなせるようにするだけ」だ
お前みたいな口先カスにそのレベルまで取り組む根性はねーと請合ってやる
60kgぐらい担がせて腰を下ろさせただけで心臓バクバクフォームガタガタになって激痛でピーピー泣く
これに至ってはどういう種目なのか、何をどうするのか、想像も出来ない
お前一体何言ってんだ?
んで何故ベンチプレスでなくプッシュアップなのかもわからんけど
ひょっとしてベンチプレスって言いたくてプッシュアップになったのか?
もう酷すぎるわ
ちなみにベンチプレス体重の80%で10repだとどんなにストリクトフォームでもショボすぎです
KKOを自認しつつ現状を変えたい人へ
トレーニングに興味があるならスポーツクラブへ行ってバーベル触ってみろ
持ってるだけで手がいてえ前腕がいてえ肩がいてえ腰がいてえってなる
それが実体験だ
そこからだお前は
最近のオタク文化にとって、声優という存在は切っても切り離せないものになってきた。
「○○の△△っていうキャラクターが好き!」という話をすると、「声かっこいいよね!」という返しがくることも多いし、声優からそのジャンルを知り、キャラクターを好きになる人だってたくさんいる。
別段それは悪いことでも何でもないし、むしろそのおかげでジャンル自体が盛り上がり、売上が伸びることはいいことだと思う。
ただ個人的に思うのは、最近あまりにもキャラクターと声優を同一視する人が多くないか?ということだ。
おそらくこれはSNSやラジオやリアルライブなどで声優本人のことを見て、知る機会が増えたことによるのだろうが、二次創作のみに限らず果ては原作にまで、声優の行動や人格がキャラクターに逆輸入されたりファン内での暗黙の了解となったりしている場面をよく見る。
私にとって声優というのはあくまでキャラクターの一部であり、キャラクターの人格や設定というのは声優のそれとは独立した存在であったため、正直なところ初めてそれに遭遇したときは戸惑った。
さらに言えばアニメとはあくまでも原作の付属品、あってもなくてもいいものであって、ノーコストで見れるものでもない(これは私が地方民のため、購入もしくはレンタルの必要性があるためである)。
漫画など声のつかないものが原作の場合、自然と声優という存在は必須のものではなかった。
勿論アニメが嫌いなわけでもないし、原作よりもアニメのほうが好きなシーンだってある。このキャラクターのこの台詞の言い方がいいな、と感じることも多々あった。
それでもそのキャラクターの話をしているときにまるでそのキャラクターの魅力の大部分が声優であるかのように、または声優が面白い方だからといってそのキャラクターまでネタキャラのように話をされるのはどうしても不快に感じてしまう。
私自身リアルライブのあるジャンルにいて、ライブ参加をしたこともある。
けれどもそれは、推しの歌を聞きたくて行っているだけであって、声優を見に行っているわけではなかったし、当然推しと声優を重ね合わせるなんてしなかった。
踊りながら歌うなんて相当な努力がないとできないし、少しでも私達ファンに楽しんでもらおうとしているのがダイレクトに伝わってきた。もちろん応援はするし、感動だってする。
それでも私は、声優のリアルライブよりも、たとえ薄っぺらでもステージ上の画面に映された私の推しが踊っているライブのほうがきっと魅力的に感じただろう。
ぼやかしても察してしまう人がいるかもしれないが、例えば、最近SNSで「このキャラのほうが明らかに歌が上手いのに、こっちのほうが歌バトルで負けるのが納得がいかない」「歌の上手さでは勝ってるのに人気差で勝敗がつくのが悔しい」という意見を見た。
どうやら投票によって勝敗をつける企画があったらしく、歌の技術的には勝っているチームが負けたらしい。
広く拡散された意見だったが、私としてはあまり賛同できなかった。
技術面ってそれ、キャラクター同士の勝負じゃなくて声優同士の勝負じゃないのか?
技術面だけで勝負するんだったらそのキャラクターはいらないのではないか?
個人的には人気差のほうがキャラクターの見た目、性格、生い立ち、色々なものが組み合わさって、きちんとそのキャラクターを見てくれているように思える。
公式から明確なステータス差も出ていないのに、声優の能力だけでキャラクターのステータスまで決まってしまう方がおかしいのではないか。
別に歌が上手い声優が当てられたからと言ってキャラクターまで歌が上手いわけではないし、逆に下手な声優が当てられたからと言ってキャラクターが下手なわけではない。
公式からのキャラクターのステータスが出ていない以上、そこから技術の良し悪しを推測するのはあまりにも残酷ではないだろうか。
声優というのは、魅力の一つにはなるであろうがそれだけが魅力ではない。
それだけを考慮して結果を決めるとなれば、『声優のおかげ』だけならまだしも、『声優のせい』になってしまうこともある。
こうして長々と声優とキャラクターの同一視に苦言を申してきたが、私自身声優とキャラクターを結びつけてしまったこともある。
自分のジャンルで声を当てている声優が、自分のファンへ後ろ足で砂をかけるような発言をした。
そのキャラクターは特に推しという訳ではなかったが、それでもその発言を知ったときはかなり衝撃的で、そして何より悲しかった。
私の知るそのジャンルは、そのキャラクターにかかわらず、すべてのキャラクターがファンを大事にする子たちだった。
先述したとおり、リアルライブを行うそのジャンルでは、一見してその声優は一生懸命だった。
私はてっきり声優もそのキャラクターのことを好きだと思っていたし、必死に応援だってした。
声優の行動は当然そのジャンルの評判に関わる。これは同一視があるからとかそういう問題ではないのはわかるだろう。
ファンのことを思って一生懸命頑張っている声優が大多数だろうとは思う。
それでも彼は仕事だからやってただけだったんだなあとぼんやり感じて、私はそのジャンルから離れてしまった。
それでもそのキャラクターも好きだったし、そのキャラクターを見るたび声優を思い浮かべてしまう自分が何よりも嫌だった。
そのキャラクターの魅力はたくさんあるのに、その世界の彼とは無関係な声優のやったことで、そのキャラクターを評価してしまう自分が嫌だった。
もうこんな思いはしたくないと思ったし、どのジャンルであってもリアルライブには二度と参加しないだろう。
今でもそのジャンルは好きだし、例のキャラクターだって好きだ。
いつか本当に私がその声優とキャラクターとを同一視しなくなることができるようになったら、そのキャラクターそのものを見ることができたら、その時は再びそこに戻れることを願っている。
私にも好きな声優がいる。
そして、その数以上に好きなキャラクターがいる。
未だ『声のついていない』大好きなキャラクターたちにとってマイナスにならない声優がついて、そして、声のみでなく彼ら・彼女ら自身を見てくれるファンが増えることを願っている。
私はばかな女だ
辛いことがあっても、うまく言葉に出して上手に伝えられない
私への距離が近い人は苦手 なんかうまく応対できなくてぼんやりしてたら、さっさと他のグループ?とかに行ってしまって違う団体の人かと思い知らされるから
家の中でいじめられても、何もしてないのに先生に腕を力いっぱい掴まれてつねられて泣かされたり、痴漢に襲われたり、大人に嫌味言われたり、たくさん嫌なことあったけど、乗り越えてるひとはちゃんといる
いいことを心の糧として大事にできない私が嫌い
悲しみをずっと持ち出してて、幸せになりたいのに、そんなことに囚われてる私が嫌い
酒量増えて仕方がない
quick_past 案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨの餌になってるけど、何度謝ればいいんだって、それ殺人犯がムショで言ったらどうなると思うよ・・・。合意は過去の過ちを無いことにするものではない
>案の定この先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってるネウヨ
当該コメント欄に「先進国」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
当該コメント欄に「日本様」との文言もそれに類する単語も見当たらなかった。
一体どこから「この先進国日本様に盾突きやがって」という日本人の声(?)が出てきたのか具体的に指摘して欲しい。
もし具体的な誰かのコメントのこの部分だというように言えないのであれば
quick_past氏のこのコメントはぼんやりと日本人全体に向けたものと捉えざるを得ない。
要するに
「日本人が韓国のなんらかの措置に対して反発するとは生意気だ」
「日本人の分際で」
なのだろうか。
それ以外の何か深遠なニュアンスがあるのだろうか?
quick_past氏のコメントが日本人差別に基づいたものではなく
「この先進国日本様に盾突きやがって」が具体的に誰のどのコメントへの批判なのか書いて欲しい。
すごいコメントだ。
ところでquick_past氏ほどの知識人であればそんなことはないと思うが
世間の無知で差別的な人間の中には「罪人は永遠に罪人」というような認識の者がいる。
これは正しくない。
犯罪者であっても逮捕されて服役して罪を償った後は、例えば氏名等が具体的に報道されたりしない。
(テレビ番組で過去の有名人権を扱う時に犯人の名前等もぼかされたり偽名になったりしてるのを知らないだろうか?)
1つの事件で何度も裁判を受けてその度に監獄に送られるとか、その度に謝罪させられるとか、そのようなこともありえない。
同じ争いで何度も裁判を受けてその度に賠償命令を受けて謝罪と賠償を繰り返す、ということもありえない。
たまにきちんと服役や賠償を終えた人をいつまでも「罪人」等と言って後ろ指を差したり侮辱したりする人間が居るが
例えばほりえもんのことが嫌いだったとしても、きちんと服役して勤め上げた件について「犯罪者」呼ばわりしたり、「お前は犯罪者なんだから一人前みたいに喋るな」とか言ったら、ほりえもんの虫の居所が悪ければ訴えられるだろうし、そうなれば何の抗弁も出来ずボロ負けするだろう。
実際にほりえもんに対して過去のネタを持ち出したそのようなあらゆる侮辱(逮捕服役歴や性嗜好を持ち出してほりえもんのあらゆる主張を封殺したり嘲笑ったりする)は5chのようなところでは毎日行われているが、低質な人間が毎日行っている=社会的に許されている、ではない。
それを踏まえて、
日本人全体を戦前の出来事をネタに、それも謝罪も賠償も完全かつ不可逆的に終わっている件をネタに、
「お前らはムショに居る殺人犯なんだから」という例えをするのはどういう意図だろうか?
事実に全く即さない例えである上、もはや日本人全体への悪意と差別意識しか読み取れないように感じる。
本件が最終的かつ不可逆的に解決したと確認(2度も。ファイナルファンタジーのナンバリングぐらい矛盾に満ちている。)された件であることはquick_past氏も熟知していて、その件について何度でも蒸し返して謝罪と賠償を請求し続け威圧を図ろうとする韓国側のスタンスが論理的にも倫理的にも間違いであることの判断もquick_past氏には付いている。
だから、「それはおかしいのではないか」と反発しだした日本人に対しては「ネトウヨ!」「過去の過ちをないことにした!」「先進国日本様に盾突きやがってと言いたがってる(???)」などと、謎の日本人罵倒による正面から組み合わない次元での封殺を狙っていっている。
このやり方は論理的にも倫理的にも一部の理もないダダ捏ね・因縁付けにしかならないことをquick_past氏ほど聡明な人なら人に言われるまでもなく自覚している筈。
それでもなお道理も論理も踏み倒してこのような無理のある主張を、無理があると自覚できる知性の持ち主が主張し続けることには、
感情的なファクター、つまり日本人へのヘイトナショナリズム・レイシズム以外につけられる説明がなさそうに見える。
そうであればquick_past氏の知性すら政治的感情やレイシズムが曇らせてしまったという事実をとても残念に思う。
quick_past氏にはここに並べた疑義について堂々と反論したうえ
あの日本人へのヘイト丸出しに見えるコメントの真意について説明してほしい。
私が「全く的外れな勘繰りでした」と謝る流れになればどれほど良いかと思うが
たぶんそうはならないだろうなと暗澹たる予感は有る。