■とりとめのない夫婦の話
結婚8年。
女として死んだこと、好きな人と身体で一体になれない寂しさが耐えられず不満を訴え始めたが初めの1年はガン無視、なぜしたくないのか自分の中にある理由すら考えてくれず、したくない!こんな話すら辛い!と言われ拒絶される。
結婚3年目くらいから度重なる喧嘩に嫌気が差し、またこのころ実家の父が謎の激痩せと体調不良に苛まれ介護、看護が発生(実家が近かったことと、母は免許なし、小柄で介護が難しかったこともあり)
色々な不安と不満から蕁麻疹がとまらなくなり、徐々に眠れない日が増え、仕事のトラブルを機に鬱病発症、会社を休職。
休職中は家にいたため夫と話し合う機会が多く、殴り合いにまで発展するような喧嘩を経て、やっとセックスレスが解消し、夫婦仲を再構築する第一歩が始まった。
(セックスレスの問題だけに関わらず、話し合い中に席を立ちベッドで寝に行き話し合いを放棄する、嫌になったら話し合いを無言で貫く、親の看護で実家に帰る私に寂しい•家にいてくれ•これじゃ結婚した意味がない等負担をかける、付き合っていた時は早朝から叩き起こされ性欲解消に付き合わされたのにこちらの性欲を軽く扱う等夫婦としてもたくさん問題があった)
体調が回復したため会社に復職するが、セックスレスの問題を放置、約束を反故にし、またもや話し合いがまともに出来ない状態へ。
私自身は基本相手は変えられない、自分が変わるしかないと思っているので、もう諦めの境地、不満を表さず全てを我慢、自分の対応が相手をその気にさせられないのだとめちゃくちゃいろんなことを頑張ったのだが空回り。ストレスだけが増えていたようでまたもや全ての体調が悪化、再休職。
2度目の休職は仕事のトラブルや父の看護から解放されていたため純粋に夫との関係が原因だったように思う。
2度目の休職でやっとことの重大さに気付いたのか、ここからやっと夫が本気で変わろうとしてくれていることを実感する。
夫曰く仕事のストレスが強いと家庭に気持ちを割けない、セックスも最中仕事の事が頭から離れず仕事のように感じてしまう、だから本気で家庭に向き合うなら仕事のスタイルを変えるしかない(=昇進を諦める、したい仕事を諦める、楽な仕事をすることに労力を割く)と言われた。
宣言通り夫は最速の昇進を諦めた。そのあたりからかなり優しくなって話し合いをしてくれるようになった。家庭が本当に平和になってセックスも月1くらいはするようになった。
私の気持ちとしてはもうセックスなどどうでも良かったのだが自分に向き合ってくれる証として満ち足りた気持ちになった。
そして2度目の復職。しかし今度は何もないのに体調が戻らず病院漬けの日々が続く。
夫と相談した結果、健康を大切にしよう、会社は辞めようと言うことになった。その際、夫が家族と向き合わなかった結果が今の私であるという反省はしっかりとしてくれた。その反省があるから専業主婦でも自分が養うから働かなくて良いと言ってくれたんだと思う。
◾️
これが今までの話。
ここ数年平和だったのだが、最近になってまたセックスレス当初の悪いところが出てきた。
昇進を諦めたとは言え、時がたち偉くなってしまい、また仕事のストレスから予約がなくなってきたようだ。
私からしたらもう何年こんなことをやっているんだろうという気持ち、いつまで苦しまなきゃいけないんだろうという気持ちで、前より喧嘩の後の謝罪に許せる気持ちがなくなってきてしまった。
彼が変わろうと常に頑張ってくれているのはわかる。だができない時に何か失うのはいつも私なのだ。もう職もないし、病院通いも直ってない。
でもこんな状態で独り身になってどうするんだ?という気持ちもある。でも寄生したくもない。
なぜはじめのセックスレスの頃に離婚しなかったんだろう。なぜ自分で生きていける自信のあるうちに離れなかったんだろうという後悔が強い。
もう女と呼べる年齢でもない。
仲良くしたい気持ちもあるし、夫と毎回努力して謝罪して仲直りしよう、自分が悪かったと言ってくれるのだが、もう辛いなという気持ちもある。
意味不明のくだらない創作書いてんなよ、とそう思うかもしれないがこれは事実である。
事の発端はあまり書きたくないのだけど、書かないことで嘘松扱いされるのも癪なので書く。その日の朝、俺は自室のPCをシャットダウンし忘れて家を出たんだ。それで俺が出掛けた後、嫁がそれに気がついた。うちはそれぞれに部屋を設けていて、俺の部屋には自分用のPCがある。当然そのPCにはログインするときにはパスがいる。だがシャットダウンし忘れてそのままになっていたため触り放題だったわけだ。嫁は駄目なことだと分かりつつ好奇心に負けて俺のPCの中身を覗いたそうだ。そして…とここまで書けばもう分かるだろう。
俺は帰宅後嫁の姿を目にして開口一番に「どうした!?」と尋ねた。嫁は「だって…好きなんでしょ?こういうの」と言った。は?と動揺したままの俺を横目に「パソコン、つけっぱなしだった」と言う。俺はあ…と思い、ぇえええええ!!!と叫んだ。それから少しずつ落ち着きを取り戻し、ゆっくり聞くと嫁は俺の秘蔵コレクションに気付き、観たのだという。そこにはスク水系のえっちな動画がたんまりとあり、一つ一つ確認したとさえ言う。それから「こういうが好きとか、知らなかったから」と嫁はスク水姿を見せつけるようにしながら言った。
嫁は昔から破天荒なところがあり、六年も付き合った後に結婚したのでそういったものにも慣れたと思い込んでいた。だが今回の行動には流石に動転し、嫁は照れながらも「似合うでしょ?」と聞いてくる。お前もう二十九だろ……。それでも嫁の乳は大きいため胸部の膨らみは顕著であり腰のくびれと相まって俺はその姿にドキドキしていた。
そもそも何処で買ったんだよそれ…と呆れながら聞けば、今日は時間に余裕があったから少し遠出して買いに行ったとのこと。お土産に百貨店の有名なスイーツもあるから、後で食べようと言って微笑む嫁を見て、ああ可愛いなと思ってしまったのは秘密だ。
と、ここまで書いてみて読み返してみるとなんとも嘘臭いけど残念ながら全部本当のことなんだ。本当はもっと嫁の破天荒さについてとか、学生のときはテンプレのようなツンデレだったことを書きたいけどそこまで書くと流石に身バレするのでやめておく(そして俺が殺される)。
今年で結婚七年目ながら俺は未だに新婚の頃のように妻のことが好きだし愛してる。そしてえっちな動画がバレたのは痛かったが、それでもそれに妬いたようにスク水を着てた嫁は正直むちゃくちゃ可愛かった。けど面と向かってそんなことを言えるはずもないので、ここに吐き出してみた。あとこれはマジな話なので魚拓は勘弁な。
当方女、今まで、付き合ってない異性と何回か肉体関係を持ってきた。人数でカウントするとギリ片手で収まるくらいか。パートナーとは遠距離を挟みつつなんやかんや交際3年目。いわゆる浮気に該当することもしている。
3.パートナーが他の異性と関係を持っていてもあまり気にならない
実家のすぐ近くにポルノ映画館があったせいか、性的な行為に対するハードル?は一切ない。思い返せば幼稚園児の頃から無意識に自分の陰部を触り、小6の夏休みは毎晩オナニーをしていた。それは社会人3年目になっても変わらず、何も予定のない休日は本を読むか勉強するかオナニーをしている。
他人との性的接触も好きだ。ちょっとお酒が入ると割と相手によっては「今チューしたらどうなるかな」なんて思っちゃったりする。人間の唇ってなんであんなふにふにしてて触り心地がいいんだろうとキスするたびに毎回不思議に思う。自分から触りに行くことは一切ないが、相手から求められると普通に心地よさで受け入れてしまう。
ただ、相手は選ぶ。私は20代で、関係を持った相手も全員20代だ。おじさん/未成年とチューとかは全然考えられない。選ぶ相手の基準も一定ある。シンプル顔面偏差値とか、匂いとか、定性判断にはなるけど明確なイケる・イケないが存在する。
ちなみに真剣に交際を検討できる人だったら絶対関係持てない。一回関係を持ったらそれありきの仲になってしまうと言うのはわかっているから。呪術廻戦の「一度人を殺したら「殺す」って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」のロジックと全く一緒。あとうっかりハマっちゃうと後が辛そうだし。
結果、今まで付き合ってないのに関係を持ってきたのは恋愛対象外の人たちばかりである。
欲求は人によってそれぞれだし、強い方が弱い方に合わせる必要も弱い方が強い方に合わせる必要もないと考えている。
彼氏が服薬しててEDになってた期間、欲求不満で男友達とセックスしてた。そいつにも彼女がいるが、あまり性的なことに関心がないらしく、頻度は月一回とからしい。その時に「少食な奴を二郎には誘えない」という話をした。
つまり、欲望の強さが違う相手に対して、相手の求めている以上の欲をぶつけてはいけない。ということだ。
少食な人に二郎を強要するのは論外であるように、性欲が薄い人に対して行為を強要するのは論外である。
じゃあこちらの欲はどこに行くのか。二郎に1人で行くのもいいが、一緒に列に並んでくれる友人も欲しいというのが人間ではないか。結果、同じくらいの欲を持つ相手と性行為をする。お互いどっちか結婚したらやめようね、と言うことで今も不定期に続いている。
3.パートナーが他の異性と関係を持っていてもあまり気にならない
パートナーとは一年くらい遠距離だった。その時に、何かのタイミングで彼が後輩の女の子と関係を持った(未遂)。
後輩の女の子が彼にガチ恋したらしく、何度か普通に会ったのちに彼氏の一人暮らしの家にご招待、そういう流れになったと。その時、相手の女の子に告白され、付き合う気はなかったのでお断りして就寝ということがあったらしい。
彼氏曰く「色々あるけどそもそも見た目がタイプじゃなかった」とのこと。タイプだった時にどうなってたんだ?はさておき。て言うかお前タイプじゃない女とヤレるのな。
からかうと面白いので適宜イジって遊んでいるが、別に気にしてはいない。人生で出会える人間の数って限られてるし、それがセフレと言う形でも良いではないか。別に彼氏にセフレがいてもあんまり何も思わない。
逆に私より好きな人ができたらそれはちゃんと別れて欲しい。あと性的じゃない接触をされるのは嫌だ。ワンナイトされるよりディズニーに2人で行かれるとかの方がつらい。
そんなこんなで、付き合ってなくても関係を持った異性がちょいちょいいる。といいつつ今までそういうことしたのは大学か会社の人だ。いい大学→ある程度いい会社だからか、避妊は当然、写真を撮られて脅されるとかもなかったし、「痛かったら言ってね」って絶対言われる。嫌なことを強要された経験は一切ない。そういうのにも支えられているんだろうな。でも世の中いい人ばかりじゃないはずなのでハズレ引く前にやめた方がいい気もする。
なんというか
「ねえねえ、あの人ハゲてない?笑」
とかマジで言ってくる
いかんせん働いてる人がイケてないバージョンの電通、フジテレビとでもいおうか
旦那にちんぽしゃぶってと言われたけど今日、というか最近まったく気分では無いので断ったらめちゃくちゃ不機嫌なって「もういい!」て怒りながら自室にこもってしまった
稼ぎは一緒くらいで今2人とも育休中、家事育児は自発的にはせずこちらの指示に気分が乗ればやってくれる、夜泣き対応は1日も変わってもらったことないけどお願いすればやってくれるのだろうが段取りを考えてあげる必要があるのとご褒美にセックス求めてくるの分かるのでしんどい
寝てなくても真っ昼間でも旦那がセックスしたい時はなるべく応じてたけどここ数日本当に夜なんでか分からんけど気分が落ち込んでしまってとてもじゃ無いがセックスする気分ではなくてちんぽしゃぶれ言われてるけどここ数日は断っている
ちんぽしゃぶらなかったので明日もきっと旦那は朝から不機嫌で子どもの前でもほぼ口を聞いてくれなくなるのだろうな
と思うとしんどくなって腕切りかけたけどていうか何本か切っちゃったけどダメだこれはとなひ冷蔵庫から急いでにんじん出して切った
こんな気分になるなら言われるまましゃぶっとけば良かった
髪の毛4ヶ月以上切ってなくてボッサボサで汚ねえ
身なり整える時間はくれへんけどちんぽしゃぶるか股開く時間は細かく作ってくる
22歳にしてようやく彼氏が出来て、自分がアセクシャル(他人に性的欲求を抱かない)だということに気づいた。それを踏まえると今までの自分の嗜好に対して説明ができ、なかなか面白い。
例えば、恋バナが苦手なこと。気になる人ができても付き合いたいとは思わなかったこと。映画や小説で恋愛ものは好んでみないこと。ただしBLやブロマンスは大好きで特にプラトニックな関係が好きなこと。勝手に恋愛感情を付け足す二次創作が苦手なこと。夢小説が苦手なこと。俳優に興味が無いこと。etc.
このように、単純に好みの問題と思っていた様々な傾向が、アセクシャルだという事実に結びついている。やっぱり名前をつけるって大事だ。
10月に夫の転勤が決まった。
聞いたのは1月であれから6ヶ月経って、それなりに覚悟を決めてはいたのだけど、昨日夫が「7月から2ヶ月出張になった」と言い出した。
子どもは1歳7ヶ月と、3歳の2人。
マジでふざけんなと思う。
なんとか拒否できないものかと思ってちょっと調べたら、出張はわからないけど転勤は基本的に拒否できないらしい。
ただ転勤拒否を理由の減給は不正らしくてその場合は拒否できるらしい。
そもそも結婚の時に転勤の可能性は聞かなかったのかと言われそうだが、聞いていた。
おそらく多分ない、と聞いていた。
ただ人の心があれば幼児のうちに転勤されることはないだろうとタカをくくっていた。
人の心はなかった。
子どもが生まれて家を買うと飛ばされるという噂は聞いたことあったが、まさか現代にまで残っているとは。
自分が甘かった。
岸田さんが「夫婦別姓は家族の一体感に関わる」なんて言ってたらしいけど、別姓にすることよりよほど一体感を壊すような制度じゃないの、これ。
せめて子どもが小学生くらいまでは転勤を命じた企業は処す、くらいにしないと少子化にマジで関わるからどうにかした方がいいと思う。
返事は来たが、はてなは削除に応じないそうだ。
したがって、やべーやつ番付の作者が●●●●●●.hatenablog.comであることはほぼ確定。
AV新法に批判的なanondユーザーは●●●●●●.hatenablog.comの末端子分かもしれない。
やべーやつ番付の作者と●●●●●●が関東地区で同居している可能性がある。
おそらく、はてな社は●●●●●●と●●●●●●と「山田らの集団」の山田美沙子には逆らえないのではないか?
同性愛および同性愛のセックスに関する、生々しい描写が含まれます。
苦手な方はこの場でブラウザバックしてください。
BLの世界では「攻め」「受け」ですが、ゲイの世界では「タチ」「ウケ」です。そして、アナルセックスで「挿入するほう」「されるほう」でもあります。
なお、アナルセックスをしない嗜好のゲイを「バニラ」と呼びます。ほぼ「ペッティング」ですね。
わたしは20代前半から40歳になるまで双極性障害を罹患していました。今は寛解しています。
わたしにとってセックスは、生きる不安や苦痛から目を逸らすための手段でした。出会い系の掲示板やマッチングアプリを使って、数えきれないほどセックスしました。
求められている実感がほしかったとかではないです。ストレスとセックスが密接に結びついてしまった。性的倒錯の一種なのでしょうか。
ちなみに、「疲れているとヤりたくなる」という男性はそれなりにいるんじゃないでしょうか。それに近く、わたしは精神疾患が原因で常に不安定で、常にセックスを欲していました。
パートナーは何回かできたのですが、わたしがあまりに荒れていたこともあり、どの人ともセックスはすることなく、一瞬で別れました。
「好きだから、愛しているから、セックスする」を一度も経験できなかった。
38歳のときに公認心理師によるカウンセリングを2年間受けたのですが、それが効果てきめんで、わたしの症状は劇的に治りました。
感情が安定していくにつれてゆきずりのセックスの頻度は減り、寛解したころには性欲はほとんどなくなってしまった。
そんなとき、今のパートナーに告白されました(もともと知り合いだった)。
彼には、「自分は性欲が薄い」ことを事前に伝えたうえで、「それは大丈夫。ただ、たまにはイチャイチャしたい」という返答をもらって、交際をスタート。
はじめはわたしも頑張って月に数回はアナルセックスをしていたのですが、彼に対する愛情が深まっていくのと反比例して、性欲が完全に枯渇してしまいました。
ここで具体的な話をしますが、アナルセックスをするためには「準備」が必要です。その準備が、個人的にはしんどい。行為のあとにぐったりと疲労してしまう(これは以前からそうだった)。
また、性欲が薄くなってわかったのですが、もともと出口であるところを入り口にするには、それなりの気持ちの昂りが必要なのです。気持ちが乗らないと、どんなに指でほぐそうとしてもほぐれない。
一度、どんなに頑張っても入れられないことがあって、それを最後にパートナーとアナルセックスはしていません。
しかし、彼の要望であった「たまにはイチャイチャしたい」は絶対に守りたくて、「前提」に書いた「バニラ」をするようになりました。
彼は乳首が性感帯なので、乳首を攻めるだけで射精できてしまう。
わたしの一方的な行為になってしまうので、「作業」にならないよう念入りに時間をかけて、気持ちを込めて、しています。
どうやったらもっとうまく気持ちよくできるか、男女の風俗系の記事とかも参考に試行錯誤してる。
彼は果てると本当にうれしそうで、それはわたしもとてもうれしい。前に彼がこれを「セックス」と呼んでくれたことがあって、たしかに「バニラセックス」なるジャンルはあるけど、「ああ、この人はこれをセックスだと思ってくれているのだなあ」と、すごくうれしかった。
とはいえ、彼がおふざけでわたしに抱きついて腰を振ってきたりすることもわりと多くて、本心では挿入のあるセックスをしたいのだなと。
酔ったときなどに、「またいつか入れたい」と漏らすこともあったりして、そのたびに申し訳ない気持ちになります。
彼と過ごしていると、リラックスして心から安らぐことができ、一緒にいるだけで満たされます。たぶん、オキシトシン的な恋愛なのでしょう。
自分の人生にこんな幸せがあるなんて、思いもしなかった。思春期のころからずっと死にたいと思っていたけど、今は生まれて初めて、まだ死にたくない、頑張ってもっと生きていたいと思っている。
彼を心の底から愛している。愛しているからこそ、セックスができないのです。
わたしにとってセックスはドーパミンの出る行為で、ドーパミンの出る行為はわたしにとってはもう快感ではないのです。今でも、日常でドーパミンがなるべく出ないように、感情の振り幅を小さくして、心に波を立たせないように慎重に生きてる。双極性障害が再発したら、わたしの人生はまた壊れてしまう。
彼の望んでいることはできる限り叶えたいと思っているけれど、どうしても、セックスだけが、できない。
彼には、外でセックスをしてきてもよいと普段からわりと真面目に伝えています。けれどやはり、彼がセックスをするなら、わたしとしたいのだそうです。
たぶんわたしの中に、「バニラはセックスではない」という固定観念があるのだろうなと。彼はバニラでも十分うれしいと言ってくれているのだけれど、このままだと、これから一生、彼にセックスをさせてあげられないという後ろめたさがある。
男女夫婦のセックスレスの増田の記事を読むたびに、自分が大罪人であるような気持ちになります。「セックスできないなら離婚しろ」というコメントも散見され、落ち込むこともしばしば。
どうしたらまた、セックスしたいと思えるようになるのだろう。もしくは、どうしたらこの申し訳なさ、後ろめたさと折り合いをつけられるようになるのかな。
https://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83
残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。
長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。
東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校の教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。
それから東大を意識するようになって、現国の問題で毎回おもしろい文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機で東大を第一志望にし始めた。
高校は私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県住民対象でやっていた給付型奨学金も支給されていた。
学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要もなく、教育費はほぼゼロ。
大学も同じように学力さえあれば行けるし、貧乏人にはそれ相応の奨学制度があってそれで何とかなると思っていた。だってそうあるべきじゃないか?
父親のギャンブルによる借金が原因で離婚し、母親が非正規雇用で働き始めていたというのが数年前からの我が家の状況だった。養育費もなく、突然働かざるを得なくなった母親は当然ストレスを抱えていた。その捌け口になったのが私。
自分の娘が東大に行けるはずがない、父親似の目つき・言葉・存在その全てがとにかくムカつく、おまえもどうせ父親と同じだ、あんたは地頭が悪いからだめ、性根が良くなければ勉強なんてできたってなんにもならない。色んな言葉をぶつけられて、まあ限界でしたわ。
A判定しかない模試の結果を見せ続けてもだめ(ふーん、だから?)、日本学生支援機構の貸与奨学金の話をしてもだめ(あんたも父親と同じで借金踏み倒すんだろ!)、年収400万円以下が対象になる授業料免除の話をしてもだめ(ちゃんと免除される保証がどこにあるの!?)、格安の学生寮の話をしてもだめ(入れなかったらどうする、女なんだから余計な下宿費がかかる!)。
給付型奨学金も地方のしょうもねえ高校に全然情報はなく、先生たちも諦めるなぐらいしか言ってくれない。
自分で調べろって? 調べた上で給付型奨学金は勘定から外していた。
募集人数がめちゃくちゃ少ないのに、「学業優秀」で「経済的に困難を抱えている」学生に自分が「絶対に」該当するなんてどうして言い切れるんだ?
地方、女、貧困が混ざるとこうなる事例としてぜひ参考にしてくれ。
制度が存在することと、使えると認識することは違うんだ。うちの場合だけかもしれないけど。
結局「何とかなる」でゴリ押して、受験すること自体に同意を得たのは高3の12月。浪人なんてできるはずもないので、東大に落ちたらすでに受かっていた防衛大に行くつもりだった。とりあえず家から逃げることが第一の目的に変わっていた。その上で大学でおもしろそうなことを勉強したかった。そうじゃなきゃ生きている意味がないと思った。
無事に受験できて、合格した。合格したからってごちそうが出たわけでも金一封が出たわけでもなかった。
翌日に大震災。見事に被災して、なーーーーんも調べることもできないまま、ほぼ丸裸で上京した。
大学のこともなんもわからんし、クラスなんそれ、語学ごとに性格あるんだへー、五月祭なんてものがあるのかー、演習ってなんだ?
こんな感じ。臆病な自尊心で合格発表前に色々調べておかなかった私も悪い。
ていうかみんな発言がちゃんとしすぎ、英語喋れすぎ、そしておしゃれすぎ。それに対して私は何もかもが終わりすぎ。
慣れない電車通学、週20コマの授業、母親の言葉のフラッシュバックで病んだ。健康診断の段階で精神科を勧められて受診はしたけど、医師が震災のサバイバーズ・ギルトですねで終わらせたのもあってその後の通院には結びつかなかった。
毎日何とか自殺を先延ばしにして、大学に通い続けた。おもしろい講義を聞いている時だけは生きている感じがした。
そんな感じで大学と寮の往復で友人もできないまま夏学期が終わり、冬学期が終わった。試験対策が高度に制度化されているおかげもあって、単位には困らなかった。ぼっちこそ東大に行け。
2年生になって少しメンタルが回復してようやく友人ができた。ようやくふつうの大学生に近づけたと思った。3年生のときには友人の繋がりでのちの彼くんとの付き合いも始まった。
優秀かどうかは分からないけれど、友人になったのはみんな良い人たちだったし、私が母子家庭であることを公言していないせいか、友人たちが気を遣ってくれていたおかげか、対等な付き合いができたと思う。劣等感のようなものもそれほど感じなかった。仲良くなったのが都市部出身のゴリゴリ強者ではなく、地方の中流〜上流家庭出身者ばかりだったというのも大いにあると思う。父親が教授とか銀行員とか(母親は当然専業主婦)、そんなのばっかりだったけど。
仕送りは当然なかった。しかし、授業料全額免除、家賃が月1万円程度の学生寮、さらには運良く引っかかった給付型奨学金のおかげで、経済的に困窮することもなかった。自分でも意外なぐらいに何とかなってしまった。
毎年授業料免除のために母親の源泉徴収票を手に入れていたのだが、当時の母親の年収は200万に満たない程度である。たまに母親も仕事が嫌になって無職になったり、転職を繰り返したりしていたので、提出書類をそろえるだけでも一苦労だった。
ちなみに震災の影響で提出できなかった書類を改めて提出するために訪れた奨学係で、たまたまリストを渡してもらえたから給付型奨学金に応募できた。
3年生になるとあっという間に就活ですよ。院進も国家公務員試験も留学も考えてなかった。そういうのはタフでグローバルなふつうの東大生がやるものなので。
自己分析しているとまた病んで眠れなくなった。家と大学・図書館の往復の日々を過ごしてきた私に書けることなんてなかった。どうして自分はふつうの東大生になれなかったのか。私と彼ら彼女らで何が違ったのか。
考えるのが嫌になって、手持ちのタマが切れた段階で就活をやめた。留年をぼんやり意識し始めて、さてどうしようとなったのが生活費と授業料。
特に遊びに行くわけでもなく、自炊を続け、節約しまくっていたのと、貸与型・給付型奨学金と細々としたアルバイトのおかげ何とかなりそうな貯金はすでにあった。
しかし留年すると、奨学金は止まる上に、いくら世帯年収が低くても授業料免除の対象からは原則として外される。授業料分までの貯金はなかったし、家に頼ることはできなかった。
結局めちゃくちゃアルバイトをして授業料相当額を稼いで、留年に備えた。
「とりあえず留年」の先に何か目指している進路があるわけではなく、毎日自殺を考えていた。しかし、たまたま履修したゼミに救われて、大学院進学を考え始めた。もっと救われたかった。
成績だけは相変わらず良かったので、無事に合格できた。また、ようやくメンタル問題と向き合う決心がつき、学内のカウンセリングに通った。留年した年の学費はこのために支払っていた気がする。
院進後は授業料免除も奨学金も復活し、博士課程では生活費と研究費付きのプログラムに採用してもらえたから何とかなった。
博論書けない無理とふつうの院生のように悩んでいたところ、身体を壊してしばらく入院することになった。標準年限の3年で上がれないのが確定したこと、生活費のあてがないこと、研究とアルバイトを両立させるような体力はないこと、その状況でまた授業料を支払わなくてはならないこと。何度も自殺は考えてきたけど、ついにその時が来たなと思った。
彼くんに頼ることは全く考えていなかった。しかし、結婚し、しかも授業料も出すことをあっちから提案してきた。実は親戚に博士号持ちが多く、本人もかなり稼いでいたこと。これが「博士号取得にやたら理解のある彼くん」の背景にあった。
それまでは割り勘だったしお互いの家の話もロクにしていなかったので、そこそこお坊ちゃんであったことに驚くとともに、これが東大生の家庭なのかと惨めな気持ちになった。
しかし、自分の人生にここまで賭けてくれる人がいるという事実は単純に嬉しかった。自分の救いのためだけではなく、応援してくれる彼のためにもさっさと博論を仕上げようと奮起し、かなり短期間で博論を仕上げて博士号を取った。
これがいかにして地方の母子家庭出身の女が東大で博士号を取ったかだ。要するに学力と幸運に恵まれていたから。
高校、民間の公益財団法人、東大の奨学制度、博士課程学生向けプログラム、そのすべてに感謝している。うまくやれてる限りにおいて、選ばれる限りにおいて、多くを望まない限りにおいて、意外なほどに制度は充実しているというのが一当事者の感想。
生まれながらに貧困だったわけではなく、しばらくはそれなりの生活を送り、両親もそろっていたので、ガチ不利層というわけではない。だから代表者ヅラする気はない。あくまで一つのケースとして見てもらうのがよい。また、学力自体は最初から備わっていた。だから学力格差と関連する機会の平等の話ではない。
学力があっても受験自体が危うかったこと、経済的に一度でも詰んでいればそこで諦めていたであろうことが私がお伝えしたかった点である。詰まなかったのは単なる偶然。
博士課程の最後の一年がふつうの東大生が過ごしてきた環境なんだろうなとも思う。教育のために金を惜しまず、授業料を払い、衣食住が保障されて、何よりも心から応援してもらえる。率直にずるい。それなりにプレッシャーはあるし、生活が保障されていても勉強や研究が大変なのは分かったけど、でもずるい。
もちろん、そうじゃない人たちもたくさんいた。授業料免除申請の大行列、寮の住人たち、親との折り合いが悪く仕送りもないのに授業料免除からも奨学金からも対象外にされて私なんぞよりよっぽど厳しい経済状態にあった知人たち。彼ら彼女らと連帯することはなかったけれど、どうにかそれなりの人生を歩んでいることを願ってやまない。
授業料の値上げの必要性は理解している。国立大学法人改革はクソ。競争的資金はクソ。
しかし、値上げの代わりに経済的に困難を抱えた層への支援を充実させる案には、次の5点の問題があることから反対の立場だ。むしろ授業料免除制度なんていらないくらいに、学生のアルバイトで賄える範囲に授業料を下げるべきだとさえ思う。
第1に、書類準備の手間。住民票、源泉徴収票、アルバイト先・RAの先生に書いてもらう収入関係の書類、とにかく書類が多い。家族に提出をお願いする書類も多い。私の母親は書類に関しては協力的であり、私自身の事務処理能力もそこまで低くないので何とかなったが、自分・家族の書類準備能力が不足している場合、あるいは家族が非協力的な場合、容易に詰む。しちめんどくさい書類を準備させる手間を経済的困難層に課すことは正しいことなのか? その手間を背負わされる学生たちを増やすことは正しいことなのか?
第2に、スティグマ。本当に困っている人の授業料が免除されるならいいけどという言説はキャンパス内にも普通に存在した。生活保護と同じようなもので、授業料を免除されているということは「恥ずかしい」。払えるものなら、こっちだってすばらしい授業と指導の対価として気前よく授業料を払いたかった。
第3に、高い授業料を払う層と授業料を免除される層の発生による、「合格さえすれば平等であり対等なコミュニティの仲間である」という虚構の崩壊。
第4に、親との折り合いの悪い人々が制度の狭間に陥る。学部生の場合、独立生計を認められるハードルはめちゃめちゃ高かった。つまりたとえ親からの仕送りが全く存在せず、世帯からの恩恵を全く受けずに自分のアルバイト等のみで生計を立てていたとしても、授業料の免除の対象に入れてもらえない。個人的にはこれが一番の問題。「親との折り合い」を判定条件に入れて、不正を見逃さずに、本当に支援が必要な学生を正しく判別できるのか? できるなら教えてくれ。そしてすぐ実行しろ。もしかしたらすでに改善されているのかもしれないけど。
第5に、留年すると原則対象外になるので、失敗・留年覚悟の挑戦ができなくなる。
他方で、なぜ高卒の人々には支援が行われずに、同じ年齢の大学生に対してのみ支援が行われるべきなのか、私には分からない。日本社会の発展に繋がるから? 勝手に期待して我々の未来を決めないでくれ。
高卒の人が一足先に社会で働いて収めてくれた税金が巡り巡って私の就学を支えていてくれていたこと、しかし学歴を理由に彼ら彼女らが下に見られること、さらに生涯年収に大きな差が生まれることを考えると、勉強ができて大学に入学できたというだけで大学生が優遇されていて非常に不公平だと思う。若者支援というくくりで全員に対して支援をやらないとおかしい。
結局東大に金がないのが悪いんだから、「貧しい家庭出身でも能力があるなら東大に行ける」、そういう理想を守りたいんなら自分で金を出してくれ。つまりみんな直接東大に寄附すればいいよ。「修学支援事業基金」っていうまさにその目的のための基金もある。
ttps://utf.u-tokyo.ac.jp/project/pjt83
ちなみに税額控除対象。政府に回る金を減らして直接自分の思う公益のために金を投下できるすばらしい制度が税額控除だ!
理想を実現するためには金がいる。金も出さないくせにごちゃごちゃ抜かすな。口だけの偽善者になるな。
6月13日現在の今年度の寄付総額は約130万円、寄付件数は80件だ。
この数字が増えることを楽しみにしている。
フェイクはいれました。要約すると友達に切られてクヨクヨしてます。
創作の仕事で活躍してるリア友がいて、プロデビュー前から付き合いがあった。私は無産。
向こうが作品を発表するようになってから気づいたけど直接会って話したり遊んだり、SNSで絡む分にはたまに「ん?」と思って次の瞬間には忘れているくらいだった断片的な違和感の全体像が作品内では明確に示されていて、私にとっては悪い意味で相手方の価値観について符丁が合った。
それが合っているとしたら向こうは私のような人間を見下して何が悪いのかと思ってるくらい憎んでいるし、私側も理解できない。そんな価値観の違い。
でも作中人物の価値観と作者を=で結ぶのおかしい話だし、とは言え実際彼女自身の発言や振る舞いからしてその価値観に関しては実際そうだったんだと思うけど、そういう不安をクリエイターに向け出したら終わりなのかもなと思って、あえてその辺は思考にモヤをかけて考えないようにしてた。それがクリエイターの周囲の作法なのだろうと納得していた。
直接の交流はほとんど途絶えていたけどさっきプライベートの鍵付きインスタとLINEとTwitterで彼女からブロックされてたのがわかった。確認したのも久しぶりだったから正確なタイミングはわからない。
当たり前だけどこっち側だけがわかるわけじゃないんだよね。向こうから見てもこいつ無理なやつだなって早々にわかるだろうなそりゃ。むしろ向こうがとっくに気付いてて制作前も制作中も自覚的だったんだろうな。(配慮を求めたいという意図では全くなく詠嘆のニュアンスです。)普通にずっとストレス我慢してくれてたんだろうな。
やっぱり多少ショック&口には出さなくても大きな価値観のバッティングあると時間の問題なんだなーと思いました。虚勢に聞こえるかもしれないけど少し安堵感もある。
切られた側目線で見ても、作品は面白いからこれからもネットやテレビや本屋などで彼女の作品が目にはいることはあるんだろうな。そもそもアマの時点で彼女の作品が好みで、一ファンとして親しくなったところもあるから、これからも自分好みの作品群に近付くと、ジャンル的に目に入りやすそう。現実はワードミュート出来ないから、見かけるたびに切なくなったりするのかな。落ち込んでる時なんかに見かけたら、私が間違っていると当て付けられている気持ちになるのかな。気が重い。
もう消すなよカス
お父さん、お母さんが楽器を弾けるなら、以下の文は、釈迦に説法、孔子に論語、ラフマニノフにソナチネ、パガニーニにクロイツェル。(後ろの2つは聞けるものなら聞いてみたい。)
ガチで音大目指すとかそういうのじゃなく。子供に楽器を習わせている一人の親として。自分は趣味で楽器が弾けるだけ。業界の人でもプロでもない。
子供がピアノとか弾けたらいいなとか、バイオリンっひけたらかっこいいなとか。そんな感じで子供(4歳くらいから小学生低学年まで)に楽器を習わせたいなと思っている親御さんへ。
習わせる覚悟は犬を飼うのと同じと思ってね。親が思う、「趣味程度で楽器が弾けるといいな」になるには、最低10年、だいたい15年くらいは習わないと、そうならないと思う。
犬と違って、途中で辞めることはできるけど。
子供が「ピアノやだー」っていってても、レッスンには毎週連れて行って、うちで弾き始めたら「うまくなったね」って言って、だらだら続けていれば、いずれ楽しく弾けるようにはなると思う。
自分の子供にはピアノを習わせてる。5年生(女)と2年生(男)だけど、一緒に習っているお友達がだんだん辞めるようになってきた。
特に小学校低学年でかなりの割合の子が辞めちゃう。3~5年くらい習ってたことになるんだけど、それだとたぶん、この先は趣味でもピアノは弾けないと思う。楽譜も読めないと思う。
すごく勿体ない。その時間、別の習い事をしていればとさえ思う。辞める理由は、練習しなくなったとか、お金がかかるからとか。
発表会でもうちの子より上手に弾いてたのに、と思うと、本当に勿体ない。
楽しく自分のペースで弾けるようになるには、中学終わるくらいや高校生までかかると思う。そこまで続けば、しばらく休んでも再開できるし(手は動かなくなってるが)、楽譜もそこそこ読める。
いわゆる才能があって、小学生の間に、上手に弾けて楽譜も読める子は、たぶん辞めたくないっていうし、先生も引き留めるから、大丈夫。この話の対象ではない。
子供に楽器を練習させるには親の協力も必要だ。鈍感力(できなくてあたりまえ。家ではほぼ騒音)と、共感力(できたときに褒めるだけ)、忍耐力(練習していないままでもレッスンには連れて行く。)が必要だ。
それに加えて、やっぱりお金。毎月最低1万円くらい×12ヶ月×12年。だいたい150万円くらい。楽器代や楽譜などの教材費は除いてそれくらいはかかる。
よく、ピアノは中古でも高いとか、バイオリンは買い換えが・・・、とかいうけど、長期にかかる月謝も高い。
塾や習い事が増えてきて、お金もかかるし取捨選択を迫られたときに、どうしても楽器は辞める方向になりがちだ。お金を出しているのが、楽器を弾かないお父さんだった場合は特に。
でもちょっとまってやって。ここで辞めたら無になる。ここは、投資で言う「コンコルド効果」をいい意味で考えよう。「ここまで払った投資が無駄になる。きっと上向くはずだ。」
自分は4歳から高2までバイオリンを習ってた。親は楽器は弾けない。
中学生、高校生の時はほとんど練習せずに週Ⅰレッスンだけ行ってた。だから、同じ先生に習ってた同じくらいの年の子より数段下手。ソロで人に聞かせるレベルではない。
でもね、楽譜みながら、一応音は拾えるし(拾えたからといって弾けるとは限らないが)、楽器は楽しい。
妻は中学か高校までピアノを習ってた。大学の軽音楽部で知り合って結婚した。そのとき僕はバイオリンではなくウッドベース弾いてたけど。
子供に楽器を習わせてるのは、ただ1つ、大人になって楽しみが増えるから。一人でも楽しいし、数人集まっても楽しい。
スポーツと違って、対戦相手もいらない上に、仲間がいればもっと楽しい。ケガもしないし、遭難もしない。超平和。
もう二度と行かないように書き散らす。
「リアル脱出ゲーム」と書けるのはここだけだ。
大筋は特定の部屋に閉じ込められ、謎を解かないと脱出できないというもの。
様々な状況やコラボ物などもあり最近は聞いたことのある人も多いんじゃないか。
自分は月に一回以上行く、いわゆる「謎クラ」だった。
成功率は5.6割ほど。コンテンツ全体を通して、成功できるのは参加者の
体感3割ほどなので、慣れもあるがそこそこ成功している方だとは思う。
難しいコンテンツの回を成功した時のあの感覚は、本当に良いものだと
思うので行ったことの無い方はぜひ味わってほしい。
そして、最近は全く謎解きを楽しめないどころか、行くのが怖い。
今も新作の告知を見るたび、行きたい気持ちと、
気持ちが湧いてくる。いや本当に行きたいけど嫌なんだよ。
自分でもなにいってんだこいつって思うけど聞いてほしい。
その際、ゲームによっては1チームの最大人数が決められている。
2人でチケットを買えば、現地で知らない誰かとランダムに組み合わされる。
中々社会人で予定を毎回合わせて行けるものでもない。中毒者以外は。
よって、自分はだいたいがソロ、もしくは妻と2人での参加になる。
まず現地のランダム組み合わせによってはそこで詰む。
聞かれるのだ。毎回悩む質問を。
「リアル脱出ゲームのご参加は何回目ですか?」と。
正直に答えれば、両手両足の指なんてものじゃないのだ。
でもそれを言ったとたん、【初心者と組まされるリスクが高まる】。
タスクが増えるのだ。たまったもんじゃない。成功率も普通に下がる。
一回の金額だって決して安くは無いのだ。映画2本分位するんだぞ?
初心者と組ませた割引くらいしてもバチは当たらないレベルの苦行になる。
これが行きたくなくなった理由の一つめ。コンテンツの敷居が低くなった結果、
お前が一人で解けばいいってものでもないんです。本当に。
謎解きの手も足りなけりゃ、謎を一人で抱えれば不満の種にもなる。
それでもまだ頭の良い初心者の方と当たれば救われる。
最大6人参加のゲームに、2人でそのまま放り込まれる事もあるのだ。
手が足りない! 頭も足りない! 時間も当然に足りない。
どうしようもないのだ。失敗した言い訳が出来たと思うしかない。
そして二つ目。
初心者と組まされるのが嫌、という話にも繋がってくるのだが、
成功を目指すあまり、謎解きの体験自体を純粋に楽しむことができなくなってしまった。
今回は失敗しないだろうか、ヒントはどこだ、同行者のレベルは…
そんなことばかり気にするようになってしまった。
今回の謎は何かな?と純粋に楽しんでいた、リアル脱出ゲームに行き始めた
頃が懐かしい。
そして何より成功して感じるものが、上に書いたような独特の感覚よりも
「安堵」なのだ。ああ失敗しなくてよかった、この公演は検索して
成功者が多かったし難易度も低かったし…云々。もう全然精神は脱出出来てない。
こっちだって、たまたま組んだ初心者に楽しんでほしくない訳ではないのだ。出来るなら脱出成功して、楽しい思い出を持ち帰ってほしい。また来て
だいたいの公演では、始まる前に席に案内されると、同行者同士の自己紹介が
始まる。そこで「経験者です」と自己紹介し、失敗した時のあの情けなさ。
たまたま組んだ方、グループで来た同行者を問わない。誰に対しても感じる
あの罪悪感こそ、成功至上主義へ押し上げた原因であり、あれを味わいたく
こんな無能感を金を払って味わう必要がどこにある?という話である。
3つ目。多分何処にでもある、リアル脱出ゲームに限ったものではない話。
無能感、と書いた続きにもなる。「本物」の話だ。
やばいのは初心者だけではない。稀に組む、「本物の熟練者」だ。
彼らは快刀乱麻を断つ勢いで謎を解き、余裕があれば取り組んでね、という
なんだこいつら…(ドン引き)
成功は勿論する。何なら制限時間に余裕もあり、一度きりの最終提出を
余裕をもって見直せるのだ。
成功としてカウントできない成功回なのだ。なぜかって働いてないから。
上の失敗と同様だ。比較して無能感を味わい、心は全く満足せずに帰路につく。
書いてて思ったけど本当にめんどくせぇなこいつ…
以上、長くなってしまったが、自分がリアル脱出ゲームを楽しめなくなった
産まれてから言葉を話し始めるのが遅かった時点で気づくべきだった。検査したら発達障害。今は5歳だが、既にアトピーで皮膚はボロボロ。意思疎通が下手で情緒も安定していない。
私も配偶者もお世辞にも頭も容姿もいいとは言えないし、息子は将来成長しても弱者男性まっしぐらだろう。まさか自分が末代を作ってしまうなんて思ってもみなかった。
いくら実子だとしても、実子だからこそ、見たくないものを直視しなければいけない苦痛がある。愛情がないわけではないけど、自分の子供が、世間一般で見れば平均以下だと認めざるを得ない。
こんなことなら病院が間違って隣の子供と取り違えていて欲しかった。せめて自分の子じゃなければ、そういう性質を持っていても優しい気持ちで受け入れられたのにと思う。
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音楽好き(流行りが好き)って人とお話ししてて、どんな音楽好きなんですか?って質問されたから多分理解して貰われへんやろな〜って思いながらもサクッとジャンルと好きな歌手話してみたの。
その中でフュージョンに引っかかったらしくて、「え?(笑)ドラゴンボール?(笑)」みたいな感じでバカにされて。まぁそこまではよくあるけど音楽聞かせて説明した時に「スーパーで流れてる曲やん(笑)しかも歌詞ないとか何がおもろいねん、音楽聴く意味ないし(笑)」って言われたの。
もう色々言いたかったけど最大限言葉飲み込んで「君の愛してるアーティストにも失礼やし音楽聴く資格ないよ」とだけ伝えて話終わらせた。
こんな人にフュージョンの良さ知って欲しくないし音楽好きって言ってもらいたくないよねって話!
フュージョンはマジでかっこいいしインストはインストの良さある!
おわり!