はてなキーワード: TV番組とは
青がどうとか書いた人です。研究とかしてないし確信があるわけではないのですが、多分そのコミュニティの人々がネットで多数派と言えるかはかなり怪しいと思います。ただ私の「多数派」という言葉は実数ベースでの話で、実際には実数関係なく、声が大きければ「多数派」に見えます。つまり印象として多数派に見えるということですが、「実数だとこの人たち別に多数派じゃないし」と思おうとしてもリアルで付き合ってるときつそうですね。
ただほんと、声優の顔とかアイドルとかを気にする時点で多数派ムーブではないと私は感じます。私はおそらくオタク(年間でアニメを5本映画を10本くらい見る、二次創作もする)ですけどリアル知り合いで声優の顔に興味ある人いません。サブカルの意味も分かっておらず、従ってサブカル系アイドルの意味も分からない。ネット上の関わりでもそのようなトピックを語る人はいません(アカウント分けているのかも)。多分いる界隈が違うのでしょう。ネット上の方ではTV番組については批判する人いて、私もTV番組好きじゃない方ですがTV番組批判が多い人はミュートしてます。「自分の周りにいないから多数派じゃない」という印象論は、実数ベースで考える場合には不確実極まりないなのですが、言いたいのは、印象ベースで語るなら、何が「多数派」かは界隈ごとに変わるということです。
自分と合わない意見を日常的に見聞きしてしまうのはつらいですよね。しかも自分や他人がどういう意見持つかなんて結局環境と遺伝子のガチャで決まってるわけで…
実現可能かどうかを置いておくと、適した界隈に移動すれば楽になると思います。ただリアルでの界隈移動はきつい。私は高校時代に仲良くしてくれてた友達グループがきれいすぎて辛くなり自主的に離れてしまったのですが、後悔はあります。ちなみに彼女たちはたとえばはてなのトップエントリ投稿とかtogetterのコメント欄が本番記事みたいなのとは無縁の人たちでした。多分今も存在を知りもしないと思われる。知ってものめりこまなそう。TVも楽しそうに観てました。
あとそうだ、リアルでの私と私の周りはインターネットを見てるからといってインターネットで見聞きした不特定多数の意見についてリアルで語ったりは基本しないです。猫ちゃんやシャンシャン可愛いねは除く。この点でも界隈が違う感。
どの番組か忘れたけど、SPA!「ヤレる」女子大生企画関連で、編集部に抗議ってなTV番組を見てたんだ。
署名活動して、抗議のハッシュタグで日本批判して、楽しそうに「活動」してた。
本人は否定するだろうが、ああした活動家には、今回の件嬉しかったろうな。
大手を振って叩ける案件で、相手は「組織」「日本」「男」で、自分が何かをした気になれる。
なんでも、「ヤレる」という思考が、男性上位で、女をモノとしてみていて、許されないことなんだそうだ。
署名が集まったと楽しそうにカメラの前で語るのを見ながら、吐き気がするほどの嫌悪感を覚えたよ。
それが楽しそうなのは、お前の自己顕示欲と承認要求が満たされたからで、普通は憤るところだろ。
こんなにも怒っている人が居ますってよ。
こういう人らは、女性誌でも普通に言及されてる、「ATM」だの「狙い目草食男子」だのをどう思うんだろうかね。
するわけないよな。
だって、差別だのジンケンだの、コイツラには本当はどうでもいいんだもの。
共産党に居座る活動家崩れもさ、社会の改革や思想や主義なんてどうでもいいんだぜ。
労組が絡んだ、どうでもいいことを法廷に持ち込むジンケン裁判とかもさ。
あれができるのは、当事者の原告が活動家まがいの人間で、職場で孤立しようが関係なく堂々とできるからなんだ。
普通の人にはそのまま働くとか無理だから、退職金とかで和解するよな。
さて、このエッセイについて
作家の森下くるみさんが過去に出演したアダルトビデオの二次利用としての配信販売の停止の依頼をしたという内容です。
これについて、以下のようなブコメがあり、スターを多く集めていました。
b:id:aramaaaa これは微妙な問題を含んでいて、通常の映画作品で出演者の誰かが販売を停止したいと考えた場合できるのかってこと。AVとはもちろん若干違うのだが、法律上は同じ「映画の著作物」ではないかと思うので
b:id:unfettered アダルトだけに、この行為は理解できるものの、今後あらゆる表現物が、出演者の「忘れられる権利」によって廃盤にされたり本人出演シーンにぼかしが入れられたりすることにはならないか、が心配。
確かに、こういう点は気になるかと思います。ですが、結論から言うとそのご心配は「杞憂」です。アダルトビデオを含む「映画の著作物」は、通常は出演者の意向によって廃盤になることはありません。
アダルトビデオといえども、著作権法上における「映画の著作物」であることは基本的に否定され得ないですが、その出演者であるAV女優には、出演したアダルトビデオの著作権は別途契約上の定めがない限り与えられません。
しかし、このような「映画の著作物の出演者」を含む「実演家」に対しては、著作権法は「実演家の権利」を与えています。
例えば、著作権法91条1項は、実演家の有する「録音権及び録画権」について次のように定めます。
これによって、AV女優は、アダルトビデオのメーカーに対して、自らの演技を録画させることを許諾することができるわけです。同様に著作権法は実演家に対して「放送権及び有線放送権(テレビ・ラジオに限りネットは含まない)」「送信可能化権(平たく言うと、ネット配信のためにデータをサーバにアップする権利)」「譲渡権(録音物録画物の頒布の権利)」「貸与権(音楽のみ。映画は含まない)」を与えています。
そうすると「なんだ、実演家の権利で簡単に出演作の販売差し止めできるじゃん」と思うかもしれませんが、話はそう簡単ではありません。
「映画の著作物」に出演した実演家の権利は、著作権法は非常に厳しい制限をかけているのです。
先ほど上げた実演家の録音権録画権に関する著作権法92条2項は以下のように定めます。
前項の規定は、同項に規定する権利を有する者の許諾を得て映画の著作物において録音され、又は録画された実演については、これを録音物(音を専ら影像とともに再生することを目的とするものを除く。)に録音する場合を除き、適用しない。
どういうことかというと、映画のサントラに映画の音を録音する場合を除き、「一回出演OKって言ったら、その後あんたの録音権録画権を行使する機会はないからね」という意味です。つまり、昔だったら録った映画のフィルムを複製するのは映画会社の自由だし、いわゆる二次利用のためにビデオテープやDVDを作りまくるのも許諾なしにしていい。加えて、先程挙げた「放送権及び有線放送権」「送信可能化権」「譲渡権」全部そうです。つまり、撮影時のギャラだけ払って撮影OKと言ったら後は著作権者は二次利用し放題、再放送も映画専門チャンネルでの配信もパッケージソフトの販売もダウンロード販売も自由ということです。
なんでこうなっているかというと、まあ、映画産業においてこれを俳優に与えていたらとてもじゃないけど産業が成立しない、ってことなんですけどね。もちろん契約で上書きすることは可能ですけど、そんな面倒くさい俳優使う理由もないですし(大物になれば別かもしれませんけど)。
#ちなみにワンチャンス主義の適用のない音楽業界はどうかというと、これは録音時にレコード会社が「実演家の権利」を買い取ってしまうのが通例です。こっちはこれでなんで問題にならないかと言うと、まあ、そういうもんだで通っているからですかね。
というわけで、「映画の著作物」は、「通常の場合」出演者の意向によって廃盤になることはないのです。
とはいえ、もちろんこれは「出演に同意があった」場合の話です。昨今問題になった「出演強要」あるいは「台本と異なる強制性交」これらはもちろんのこと「出演の合意」など仮にあったとしても無効ですから、二次利用についても同様に消すことができます。そういう意味で言えば、アダルトビデオメーカー側も、女優と契約書を交わして「何がOKで何がNG」と女優の意思を残しておくことが、メーカーを守ることにもつながるのですけどね。これについては毎日新聞がいい記事を書いていてくれました。
森下くるみさんの場合は、契約書なんてなかったとはいえ、御本人の執筆活動などを通して「出演への同意はあった」ことは「黙示の同意」として明らか(なんか変な表現だな)ですから、ここは問題に成りえません。
また、アダルトビデオは通常の映画の著作物と異なり、一旦出演者が出演に合意したとしても、その後になって出演者の人権を著しく侵害するおそれを持ちうる性質のものです。こういうものに関しては、個別の事情ごとに考慮することで、人権と著作権のバランスに考慮するような裁判所の判断が下ることもありうるでしょう。
自主的な取り組みとして、AV人権倫理機構による配信停止申し込みの代行とそれに応じるメーカー、プロダクションの動きも重要です。これについては、AV人権倫理機構が自ら書いている通り、「当機構に賛同する枠組み内のAVメーカーやプロダクションを対象としております。それ以外のメーカーや無修正などのAV作品の場合、当機構では対応が出来ません」という限界はありますが、逆に言えばこれらのメーカーやプロダクションをユーザー側が支持することで、市場原理により賛同しないメーカーを市場から退場させることもできるでしょう(闇市場については完全に刑事機構に委ねるしかないため、そこは本稿では触れられません)。
アダルトビデオ専門チャンネルでAV大賞のようなイベントやAV女優のトーク番組を除く「放送するためだけのアダルトビデオ」を制作することがあるかどうかわかりませんがそれがないという前提で本論から外れるので補足としましたが、上記の「ワンチャンス主義」はあくまで「映画の著作物」に適用されるもので、TVドラマやTVアニメには適用がありません。
つまり、かつては「録音録画」の概念がなかった生放送は言うに及ばず、一旦収録した後編集等を加えてから放送するドラマやアニメにしても、こちらの二次利用(映像ソフト化やネット配信など)は、収録の契約とは別途の契約が必要になるのです。なお、放送の許諾を出演者から得た場合、放送のために一旦収録することや、それを系列局に送ったり他の局に放映権を売って放送することはできますが、その場合は出演者に「相当な額の報酬」を払わなければなりません。ブコメでid: shigak19 さんが書いていたのはこれに基づくものです。また、映像ソフト化やネット配信は当然できません。
なんで映画(含むパッケージソフト産業)とTV番組でこうも違うんだと言うと、まあ立法された1970年のメディア産業構造の違いによるとしか言えないでしょうね。その後で産業側の方が構造固定化されたために、実務上も問題になっていないということで。
ただ、この違いがとんでもない問題になっているのが「昔のTV番組のWEBアーカイブ化」で、映画(含むセルビデオ)は文化遺産としてのウェブアーカイブ化は著作権者の同意があればできるのに対し、TV番組は著作権者だけではなくエキストラの一人にいたるまで同意を得ないとWEBアーカイブができないのです。本人が死亡した場合は遺族の発見とか、存命中でも芸能界を引退した人とか、元子役とかだとまず連絡を取ることができません。しかも結構な大物でも、死後や引退後数年で簡単に連絡先不明になります。TV番組にワンチャンス主義が採用されていないのは、この点では問題なのです。
まぁ、普段からPTAタイプの人は、昨日の水曜日のダウンタウンに思い切り噛みついてるの別に矛盾してないし通常営業っすねって話でしかない。
AKBグループの選抜なんちゃらとか、乳の形丸出しのVTuberが解説するなんちゃらだって、見る人によっちゃそれなりにグロテスクだと思うのだが、恐らく男性それも非モテ派の発言力が強いはてな界隈じゃそういうものもグロテスクだとは認めないだろうが。
クロちゃん企画にブクマ民はすごい怒ってる、怒ってないにしても強く関心を抱いてる人がいる、見てもないと腐しながら見てもないものに馬鹿にした体で関心を示している。
そもそもこちらは、元ネタ(テラスハウス)も、そもそも地上波TVでプライベート恋愛感情まるだしなのも(虚実は知らんが)すげー下品だと思うわけだが、テラハはなんで怒られなかったんだろう。私は十分アレも嫌いだった。
さらに、それを言えばそんな感じのTV番組なんて大昔からあるしその手の番組を経てタレントになってる人もいたりするし、日本に限ったことでもない。リアリティ・ショーといえばTVの定番人気コンテンツである、現職の米国大統領も出てたぐらいだ笑。
広めにくくったらもっとある。ドッキリ系の番組とかマネーの虎的なものとかラップバトル的なものとかガチンコなんとかとか、枚挙に暇がなく、そういうのにPTAメンタリティの人が怒るのは論理的帰結である。まぁそうでしょうね。
もっと広めにくくったら、質の低いYoutuberなんてのもそのたぐいだろう。ネットは関係ないなんて言うなよ、今やネットよりもYoutubeの方が子供が見てる。
twitterで色々反応を見てたら、もっと昔には完全な素人が告白タイム!とかやってたらしいじゃないか、セミプロ(クロちゃん含む)やワナビーを集めてやってるだけまだ人道コンプライアンス的に幾分はマシなぐらいだ。一応時間帯もプライムまで落としてるから視聴者配慮もしてた。もちろん、としまえん近隣住民に著しい迷惑をかけたのはノット・コンプライアンスではあるが。
私は水曜日のダウンタウン自体は面白い企画やほのぼの企画もあるので家にいるときは好んで見ている。でもあの企画は嫌いだったので始まるとTVを消したり流れでつい見てもすぐ耐えられなくなりTVを消す程度のつまみ食いではあった。だがつまみ食い情報だけでもお腹いっぱいのグロテスクさではあった。
いつだかたまたま見ちゃった回で、非モテモンスター・クロちゃんは「自分が一番有名人で自分ありきの企画なのだから、自分の思い通りにして当然だ」と、そのリアリティショーの他の出演者にかん高い声で恫喝まがいの言葉をまくし立てていた。それで、うひゃーこれもうバラエティと言うよりもホラー・メタ・ドキュメント作ってるつもりなんだろうなーと思って、逆に興味が沸いた。
なので最終回をつい見た。面白おかしいバラエティ番組ではなく、世界のグロテスクさを伝えるドキュメンタリーから目をそらしてはいけないのでは、という謎の義務感を持って見た。
ドキュメンタリー番組で流れる世界のグロテスクさについては、おお酷いと正義の場から嘆く人はそれなりに多いだろうと思う。だがこの手の「非モテ・ホラー・ドキュメント」って、ドキュメンタリーがまだ進出してない分野なのではと思う。たぶんだが、「非モテ」の部分が人道的には扱いづらいテーマだからではないかと邪推しているのだが、非モテモンスター・アイコンを擁してお笑いの仮面をかぶれば可能ということになる。「そういう仮面がありゃ番組作れるんだな」という、社会全体の構造(そういう企画が通るということは、そういう社会でもあるということでもある。現実はそのようにグロテスクだ)自体が、本当にグロテスクなわけだが。
テレビをあまり見ない僕が、たまたま「爆報! THE フライデー」という番組を見た。
酒を飲みつつ見ていると、芦屋小雁さんが認知症になったということらしい。
うん、確かに認知症だけれど、ごくごく初期の非常に軽いものだ。
これは適切な医療にかかって、変化を見ていくべきだね、これからが大変だね、と。
TV番組?等で演出をなさっている奥様の仕事の都合で自宅を空けるので、ショートステイを利用することになったと。
あるグループーホームのショートステイ(数年前に規制緩和でグループホームでもショートステイが可能になった)をするとのこと。
そこまでは特に問題ないのだけど、グループホームの対応がひどい。
まず迎え入れの歳、いきなり嘘をつく。
これ、逆に落ち着かなくなりますよ?
大きなミスなのに、番組は素晴らしい対応をとったかのような解説。アホかと。
もちろんご本人は慣れない場所で、一晩寝ることもできずに過ごされます。
そして「本人の体調を考えて、二泊を一泊に短縮」
もうアホかと。
アマチュア無線やFM放送によって法律に違反した電波帯利用、強度電波によって放送される無許可ラジオ。
当然ながらバレると摘発され罰金刑を貰うが、無線局の運営者が学生だったりすると注意だけで済むことがある。
アマチュア無線をやっていると「ラジオやったら面白いんじゃね?」と発想しやすいため(未成年なら尚更)、アマチュア無線全盛期ではかなり問題になった。
ただし、地域のアマチュア無線コミュニティが大抵は遵法派が多いので、地域のアマチュア無線コミュニティメンバーから摘発される前に無線上で注意することが少なくない。
クロスベアリング法などによって不法無線局(≒自宅)は簡単に割り出されるので、法律は守ったほうが良い。
この件で代表的なものは「FM西東京事件」が有名。運営者は大学生だった。
超極狭エリアでのみ受信できるFM放送で、実際のところコチラがサブカル放送のメイン。
大半が音楽を垂れ流すミュージック系ラジオであったが、普段は音楽を流しつつ、番組表を作りトーク系ラジオもやるという局もあった。
リスナーからのメッセージは郵便局に私書箱を設置して受け付けるスタイルがほとんど。
稀に地域のアマチュア無線おじさんがやる気を出し地域のイベントで情報提供を行う目的でラジオ放送したりするのに使われたこともある。
この特性から同人誌即売会などでもミニFMは限定的に開設されることも多々ある。コミケ参加者はバッテリ駆動できるFMラジオ受信機を持っていくと新たな楽しみが増えるかも知れない。
長らく個人によるサブカルメディア放送はミニFMが主要なプラットフォームであったが、ブロードバンドの登場によりミニFMからインターネットを通じて放送するPodcastへ移行する者が増えた。
WMAやMP3で収録し配信するスタイルは非常に気軽で様々なPodcastチャンネルが生まれたが、Podcastブームの煽りを受けてあまりにもPodcastチャンネルが生まれすぎて混沌と化す。
そして同時に今までリアルタイム放送をしていた者達からするとPodcastの感覚が掴めない、配信する環境を整えられないという欠点が存在していたので、Podcastにリスナーを取られたミニFM局が終了するなどが相次いだ(ミニFMの終焉の原因がPodcastかは不明)。
Podcastは全盛期よりもリスナーが減ったとは言え、幾度かの転換点を迎えて今日も続いている。
ブロードバンドの進化のお陰でリアルタイム配信が可能となったことで誕生した音声配信サービス。
日本では「らじおちゃんねる(後のねとらじ)」がブームとなり認知度が上がり、更にTVワイドショーで紹介され一部の一般人にすら認知されるようになった。
2ちゃんねるの実況板文化から派生したインターネットラジオを介した声によるTV放送実況は文字ベースの実況からの1つ転換点だったと言える。
極少数例ではあれど、ゲームを同時に起動してボイスチャットのように利用してMMORPGなどをプレイする用例や、ビジュアルノベルゲームをみんなでプレイするなどの用例もあった。現在で言うゲーム配信に近い。
こちらも全盛期と比較してリスナーは減っているが今日も続いているが、個人的な印象としてPodcastの方がリスナー人口は多いように感じる。
インターネットラジオが登場した頃にはミニFMはほぼ壊滅状態にあり、現在では極々一部の趣味人によってのみ期間限定で運営されていることが多い(有名な老舗もいくつかはある)。
様々なメディアを埋め込みつつ、プログラマブルなプラットフォームとして開発されたシステム。
2ちゃんねるを中心に爆発的流行をし、現在のWebクリエイターの中にはFlashで注目された者も居る。
現在でいうところの「コラボ」も数多く行われ、様々な表現の実験の場となり、今でも参考になる発想が多い。
企業Webサイトでの採用事例も多く、インターネットの一時代を築いたと言っても過言ではない。
現在は惜しまれながらもAdobeのFlashサポートの終了予定発表やHTML5の登場なども合わさり採用はゼロに近いものとなっている。
Youtubeに感化され、2ちゃんねる実況板の影響を取り込んだ動画に文字を表示するスタイルを確立したのがニコニコ動画。
当初は違法動画のアップロードサービスと化して居たが、MAD動画ブームを皮切りにクリエイティビティの発露の場として成立する。
Flashからの移行組も数多くおりニコニコ動画の黎明期を支え、次代にその技術を伝えた。
2ちゃんねるDTM板のVOCALOIDスレでしか注目されていなかったVOCALOIDが初音ミクの登場によりニコニコ動画で再評価され爆発的ブームが起こる。
初期のVOCALOIDは2ちゃんねらー全体で言えば知らない2ちゃんねらーの方が圧倒的に多い状態であり、何ならDTM板住人であってもDTM Magazine読者くらいしか知らないレベルであった。
更にはMikuMikuDance(MMD)の登場により、Flash時代ではマシン性能の兼ね合いで難しかった個人による3D表現が本格化。
現在のVtuberに近いMicrosoft Kinectとの連携によってMMDモデルを動かす試みなどが始まる。
そしてニコ生がリリースされるとリアルタイムゲーム実況が確立され、現在のYoutube LiveやTwitchの萌芽とも言える状態だった。
一部では現在でいうところのVLOGを投稿する者もおり、様々な試みがなされた。
しかし運営側の迷走の伴いサービスのコンセプトや品質が陳腐化し、対応が後手になってしまいユーザが離れるという事態に陥った。
現在ではユーザ目線での改善に力を入れているらしく今後どうなるかが注目される。
そして現在、個人によるサブカルメディア放送はYoutubeがメインのプラットフォームへとなっている。
特徴的なのがニコニコ動画では登録者すべてがいわゆるニコ厨と呼ばれていたのだが、Youtubeでは動画投稿者がYoutuberで視聴者がリスナーと呼ばれている点である。
ニコニコ動画からコンテンツをそのまま移行したYoutuberも数多いが、元々ニコニコ動画へ投稿していた者は実写系が少ないという特徴がある(一部例外も居る)。
ニコニコ動画が自らコケたという部分もあるが、堅実に強化とユーザビリティの向上に努めたYoutubeは日本のサブカル層も無視できなくなり、今日のYoutube人気を決定付けた。
ニコニコ動画時代では少なかった顔出し実写系動画が増えたり、マシン性能の向上によって実現を果たしたVtuberの登場など個人によるサブカルメディア放送は転換点にあると言って良い。
プラットフォームの移行が発生するかはわからないが、これまで顔出しを拒んできたサブカル層が徐々に顔出しするという動きが昨今では起きている。
日本ではこれまで大手メディアの影響などにより社会全体でのオタク蔑視の時代があったりなど海外に比べてサブカル層は顔出ししにくい環境であったとされてきたが、世代交代が進んできたのかサブカル層の顔出しが起きている。これは良い環境変化だと言える。
この次に何が起きるか?と言えばおそらくは「実名活動・顔出しの敷居がより下がる」程度にしか予測はできないが、様々な選択肢が増えることは歓迎したい。
視点を変えれば旧来のサブカル層が若い世代が持つ印象に救われつつあるわけだが、その若い世代に技術を継承したのは何だかんだで活動を続けてきた旧来のサブカル層なので、今後とも持ちつ持たれつという関係を築けていけたらなと思う。
そして続けて現れる今の若いサブカル層の技術を継承した次代・次々代の子たちがどんな風にクリエイティビティを発揮するか楽しみでならない。
1.
2.
仮に「炎上」しているのが本当だとしても、千田氏が引用したケースでは「炎上」の理由が「性的に強調された描写、女性の体をアイキャッチに使うこと」であり、
千田氏が(最初の記事で)苦言を呈する内容と一致するものではないので、「炎上しているから(炎上していることから分かるように)適役でない」というようにとれるタイトルは不適切では? ということ。
さらに言えば、わざわざこの「炎上」を取り上げなくても書ける内容なのでは? ということ。
3.
なぜもっと「公の場」である地上波TV番組の同様のケースではなく、キズナアイの件が選ばれたのか? ということ。
あるいはもしキズナアイではなくリアル人間の女性が特設サイトに相槌役で起用されたとしてもこの問題を取り上げたのか? ということ。
(キズナアイ問題以前からの千田氏の言動に対する不信によるもので、ぶっちゃけ難癖)
4.
ジェンダロールの再生産の問題というなら、どうすればよいのかもっとはっきり書くべきでは? ということ。
千田氏はただ相槌を打つだけの女性ではなく「せめて白衣の女性が立ち、きちんと受け答えをしてくれていたら」と書いているが、
このようなケースでジェンダロールの再生産をすべきでないというのであれば
・「先生と生徒」スタイルでも、生徒役に「相槌役」はさせず、ある程度の知識を持った者を配置すべきである。
・「先生と生徒」スタイルで、生徒役が相槌を打つことがメインであれば、先生役が女性もしくは男女両方(生徒役は男女どちらでも可)か、生徒役が男性もしくは男女両方(先生役は男女どちらでも可)に限定すべきである。
のいずれかということになるのでは?(今自分が思いつく限りでは)
であれば、はっきりそう書くべきでは?
そしてそうなると、キズナアイが生徒役(相槌役)しかできないような分野のこういったコンテンツには、
先生役も女性でない限りキズナアイは同じ役割の男性を伴わなければ参加するべきではない(企画側が呼ぶべきではない)ということになってしまわないか?
それはキズナアイ(のような女性)の活動の場を制限してしまっていないか? ということ(個人的には企画側あるいは演者側がこういった構造を自発的に避ける事自体は「よく考えられた配慮」と思うし、本当に「女性は相槌役」だから「相槌ができる」「相槌しかできない」女性を出そうというコンセプトが明らかであればそういったケースには反対したいが、一方で必ずしもそのような理由でなくても何らかの理由で選んだ「人」が「たまたま(知識不足の)女性」であることはありうる(例えば「自局のとあるドラマ番組をアピールしたいからそのドラマの主役を採用」とか、「今年の流行語大賞獲得間違い無しの話題No.1の人物を採用」など)と思うし、そのような場合であってもその女性が知識不足であるために採用すべきでないとするのであれば行き過ぎと感じる)。
仮にそうだとしても、それでもジェンダロールの再生産はすべきでないのか? それほどジェンダーロールの再生産の悪影響は強いのか?
そうであれば、千田氏なりの配慮なのかもしれないが「若い女性が励まされるだろうか?」「配慮をお願いしたい」という程度に留めず、はっきりそう書いてほしいということ。
5.
4.と多少重複するが、そもそもNHKはキズナアイが「(見た目が)女性だから」「生徒役に」選んだのか? 他の可能性はないのか? ということ。
キズナアイについている客層目当ての人選ではないのか? あるいは意外性のある起用によって耳目を集めるためでは? ということ。
仮にそうだとしてもジェンダーロールの再生産に変わりないのだろうが、そういったことも考慮に入れた上で、それでもの話ということであれば、
あるいは女性だから選んだのだと思える理由があるのならそれを書けば説得力が増した。
6.
ジェンダーロールの再生産の問題というなら、この場合どちらかといえば問題は配役、つまりは企画側のNHKにあると思うのだが、キズナアイが強調され過ぎではないか? ということ。
NHKはこうした、こうすべきという言い方よりも、キズナアイはこうであるという書き方が多い。
「「キズナアイ」に割り振られた役割」ではなく「NHKが「キズナアイ」に割り振った役割」では?
「人工知能という設定を生かして、もう少し専門的な解説をする役割を、振ることはできなかったのか」ではなく、
「NHKは、人工知能という設定を生かして、もう少し専門的な解説をする役割を、振ることはできなかったのか」では?
「このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性が立ち」ではなく、
「NHKは、このキズナアイの代わりに、せめて白衣の女性を立たせ」では?
これでは「NHKがジェンダーロールを押し込めた役割を振った、もしくはジェンダーロールを体現するような者を起用した」ということより、
「キズナアイがジェンダーロールを体現している、振られた役割にとどまっている」ということが強調されていて、
言い換えとして成り立つ範囲を超えて、「NHKはジェンダーロールを再生産しないような配役を考えるべき」というよりも
「(この場では)ジェンダーロールの再生産となるようなキズナアイは不適切だ」というニュアンスが強まってしまっていると感じる。
https://anond.hatelabo.jp/20181007223207
オレ個人は日本人の大半レベルと同じ程度に穏当なキズナアイファンだと自分を思うんだけど、ネットで見る自称キズナアイファンの人たちが袋小路に突き進んでいくさまを見ているのがとてもつらい。運動としてもそっちにいったら味方いなくなるとか同士討ちになる方向に突き進んでいくし、言論的にもそのロジックはすぐさまブーメランで自分の立場を崩すとか今までのキズナアイを全否定しちゃうとかあまりにも考えなしな方向へ飛んでいってつらい。
ありていに言って自滅してるようにしかみえない。なんでこんなんなっちゃってんだ。意味が全くわからない。
そもそもTV番組の出演なんてキズナアイが接する問題の中でまったく大きな論点じゃないでしょう。そんなところで大騒ぎしたって、キズナアイの中の人の待遇は何ひとつ少しも改善しない。むしろキズナアイそのもののイメージを悪化させて、先人が勝ち取ってきたものの足元を危なくするとか、本末転倒にすぎないですか?
仮にじゃあNHKを脅しあげてフェミニストを引っ込めさせたとして、その代償としてキズナアイファンは狂犬じみたクレーマーだから関わり合いになるのは避けようと言った印象を社会に与えてしまうのだとすれば、それってあまりにも損失のほうが大きいと思うのです。
んで転載禁止以降、ネタがなくなったせいか過去人気だったネタを再利用して記事更新するブログが結構ある
当時のコメントと今年ついたコメントで、たいてい温度差がすごいことになってる
当時はすんげー盛り上がってるのに、今のコメントはめちゃくちゃさめてる
いやまー実際創作がほとんどなんだと思うけど、じゃあ何で面白がるんだっつったら、もう今は現実の事件なんだよな
あと昔は長文で読むのがかったるいのもあると思う
把握するのも数十秒だもん
創作を楽しむのは明らかに創作だとわかる場所で、しかるべき内容はしかるべき場所で楽しむ、っていうように変わったんだろうな
昔は釣りを含めて楽しむ空気みたいなのがあったけど、もう今はそんな余裕どこにもない
変わってないとこは、今でもみんななんだかんだでテレビ見てるってとこだと思う
芸人の話とかTV番組の内容とか、たびたび話題になるのを見ると、なーんだテレビなんてもうみねーよっていってるわりに見てる人間まだかなりいるじゃん、と思う
基本的には何をやっても良く、時折とんでもない研究作品が出る事も多々あるが
そもそもまともに自分で考えて出来る子供など殆どいないため、大体は親がその大半を担わなければならない
はっきり言って、何の意味があるのだろうと子供の頃は考えていた
大人になり社会人となり、様々経験を得た今、個人的に夏休みの自由研究の目的とは何かを考えて、至った結論を持論としてまとめようと思う
まず最初に結論を書くが、夏休みの自由研究の在り方や目的は『結果』よりも『過程』が最も重視されるものであると考えている
時折凄まじく、大人でも唸るような自由研究が生まれてくるが、それはよほどの熱意を持ち元々の蓄積が無ければ出来得るものでは到底無いし、普通の小学生に求めるのは酷な話だ
そもそも大学生であっても、そんなものは卒業レポートとして提出レベルになってくる
そして『過程』を重視するのであるのならば、テーマは何でもいいのではないかと思う様に至った
正直、ここから先はかなり個人的な意見にはなるので、一般の感覚とは少し離れるだろうしこうしたものは認めないという人も多いだろう
だがしかし、飽く迄も『自由』な『研究』という名目なので、悪いことをしないのならば基本は何をしても良いと私は解釈する
さて、前置きをした所で
何を調べるのか、これが定まらないのであれば自由研究など進まない
そもそも子供の主体性を伸ばしたいという様な思惑も含まれるだろう事は自由研究という名前からして感じるのだ
ならば私は『その子が、今最も好きな事、好きな物に対して調べさせる』のはどうかと思う
そんなことは言われなくても、誰もが分かっているだろう
だが、好きなことが分からない子が大体だろう
だから、なんでもいいのだ
その子が、今一番ハマっている事を言わせて見ると良い
スポーツでも良い、料理でも良い、TV番組でも、youtuberの作品でも、ゲームでもアニメでも良い
その好きな事に対して、なんでもいいから調べてみるのだ
例えばスポーツで、野球が好きならば、変化球の投げ方を研究したとして毎日ボールを投げてみて、どうすればどう動くのか書きだしてみれば良い
最後に自分の感想を入れて締め括ればそれで立派な自由研究ではないだろうか
やるのが好きではなく見るのが好きなであるなら、甲子園などの試合を見て、試合ごとに自分の解釈を乗せて書いていけば面白いだろう
本を読むのが好きなら、作品ごとに考察を入れて、この時登場人物がどんなことを考えていたのか考えてまとめてみたらどうだろう
読書感想文と似ているが、形式に囚われず好き勝手に考えて書き出すのだ
いっそ自分で小説や漫画を1つ書いて完成させるくらいしても良いだろう
アニメも同様だ、1つの作品を一通り見て、それについて感想を述べるというのも面白いのではないか
今アニメで放送されている『はたらく細胞』を見て、各細胞の働きをまとめるという発展だってあり得る
だが私はそれでもいいと思える
例えばだ、対戦型ゲームなどで、それぞれのキャラクターの戦法を調べるなど面白いと自分は感じる
wikiに乗っていたとしても、自分で調べてまとめるというのは、十分に研究の1つだろう
実際にそれを自分でプレイして、思ったことを感想として書き込む
全部は無理ならば、いくつか絞ってそこに焦点を当てるなどすれば良い、そしてやりこむのだ
RPGであっても、どうすれば効率よく進められるか、レベル上げに適したところはどこか、この敵はどんな戦法が効くのか
wikiで調べてまとめるなり、逆にwikiに一切頼らずクリアしてみるなり、要は何をやったか一々書き出すのだ
wikiではこう書いてあった、でも自分でやってみてどう思ったか書いてみれば凄く頑張ってる感じもする
自分が調べたいと思った事柄を、自分がやりたいように調べる、あるいは作る
それをまとめて1つの成果として完成させる、十分ではなかろうか
このように、自分の好きなことを1つ、なんでもいいから言わせて見て、それに対して何か調べさせるといのが大事なのではいか
対象が何であれ、調べる、実際にやってみる、形にしてみるという『成果』が得られる
というのも社会に出て大事なのは、トライアンドエラーなど実際にやってみる、そして自分なりに考える、だと思うのだ
現状を分析し、あらゆる角度からアプローチをし、少しずつ条件をかえて進める
興味がある事柄に関してまず調べる、調べたうえで考える、立派な研究ではないか
そうやって改善していくのだ
冒頭でも語ったが、小学生などが出来る自由研究なぞたかが知れている
しかしそれを毎年繰り返していけば、年齢が上がるにつれ質は上がっていくのではと私は思う
これが私が夏休みの自由研究というものについて考えて至った持論だ
正直、実際に行うにはかなり反発があるだろう
特にゲームに関して調べましたと言えば、中身も見ずに激高する教師が多数いるのはまず間違いない
これらの研究結果という代物を受け止め、そのうえでアドバイスが出来る教師の度量なども必須になってくる
やり方も分からずテーマも決まらず、ただ自由研究をやれと言われてぶん投げられるより、好きな物に関して調べてこいと言った方が確実にやる気が高まる
ゲームだから駄目だ、などと言われず、ゲームでも良いとすれば視野も広がる
可能であれば、夏休み前などに教師などの大人がある程度誘導してやるのが好ましいのだが
好きなことを聞き出し、そのうえでどんなことをやらせればいいか、など
勿論全く興味がない物を押し付けたのでは、まず子供は絶対にやらないと断言できる
結果、夏休み終了直前に嘆くのだ
まあ、子供の興味などコロコロ変わるので、始まる頃には飽きて結局終了直後に嘆く子も多いだろうが
もちろん、既存の自由研究の様なテーマを行うのもそれはそれで良いだろう
自由研究キットを買ってやってみるというのも否定はしないし、実際にやってみるという成果が得られるのだ
だが、結局やらされてる感がある物よりは、自分の好きな物としてやらせる方が記憶にも残るしやる気も出ると私は考えている
……因みに、今の私がこれらの前提で自由研究を行うとするのなら
元々銃器類が好きなのもあるので、この際だからと各国の銃器の歴史を年代別に書き出して、どう進化していったのか表にまとめていくのも面白いなと感じている
大半がwikiなどに乗っているが、それを年代別に並べて見やすくするのだ
これはこれで中々いい自由研究になるのではないだろうか
欲張るな。それ以上は諦めろ。
お前は十分過ぎるほど幸せだ。仕事があって、妻がいて、子供がいる。これ以上何を望む。
持ってないものを数えるな。
もういい年こいたおっさんだ。何を頑張ったところでビッグなボーナスステージなんて来やしないんだ。
お前は経営者じゃない。
転職先?なんとかなるさ。
数をこなせばどっか見つかる。
今の会社が全てじゃない。
生きていく道は一つじゃない。
ダラダラしろ。
残業して、帰宅してからまたPCを開いたり勉強したり、お前は交感神経が興奮しっぱなしだ。
くっだらないTV番組でも見て笑いながら屁でもこいてろ。
もっと副交感神経を働かせろ。
寝ろ。
健康第一。
「日本すごい」といった日本礼賛TV番組が揶揄されることがある。
その是非はとりあえず置いておいて、そこで取り上げられるのって、
職人が作った包丁だとか、江戸切子だとか、食品サンプルだとか、
すごいのはわかるけど、みんなが使うものじゃないんだよね。
例えるならイームズの椅子のような、そりゃ好きな人は好きかもしれんが、大抵の人にとって身近なのはニトリなんだよ的な。
白物家電が強かった時代の日本企業の製品ってやはり世界中で知られていて、
トーシバだとかヒタチ、パナソニック、ソニーって企業の名前やブランドは知られている。
翻って現代のコモディティを考えるとハードだとスマホやPC、ソフト(サービス)だとSNS(Facebook, Twitter, instagram)やWebサービス(Google, Amazon), アプリ(Uber, Airbnb...)といった感じで、日本発のものってコモディティ化すらできてないんだよね。
https://kotaku.com/politician-made-anti-lgbtq-comments-on-dragon-quest-com-1827885043
日本の政治家である杉田水脈がTV番組で行った反LGBTQ発言は、世界的なニュースになった。このTV番組の共同司会者は「ドラゴンクエスト」の作曲者、すぎやまこういちだ。このことは Twitter ユーザの Shaun Musgrave によって指摘された。
君はこの恐ろしくて忌々しい話をぶちまける酷い政治家とヘラヘラ笑ってる司会者たちの動画を見たかもしれない。
でも君が多分気付いていないのは、この番組で笑ってる司会者の1人がドラゴンクエストシリーズの作曲者、すぎやまこういちだってことだ。
これは極めて右翼主義的な放送局だ。番組は社会の主流ではなく、広く見られてもいない。だがこれはすぎやまの仕事だ。番組のテロップはすぎやまの政治的主張とともに、彼がドラクエの作曲者だと紹介している。以下は杉田のコメントだ。動画は編集され字幕が付けられている (フルバージョンはここから視聴可能)。一緒に聞こえてくるのが、すぎやまの笑い声だ。
日本の国会議員らがLGBT教育についてTVで話している。これが現在の状況だ。
#MeToo #takepride #LGBT #transgender #Japan pic.twitter.com/pSt4M1BgQ0
上の動画クリップに含まれていないが、杉田はゲイカップルに税金が使われるべきでないと話した際、"差別じゃないですよね。区別なんです" と付け加えた。すぎやまも "(それは) 区別" と言って同調している。
杉田はすでにその発言を厳しく非難されている。日本最大の新聞のひとつ朝日新聞は "社会は杉田の愚かな発言を排除したが、自民党は違った" と題した社説を掲載した。杉田は自民党=自由民主党 (Liberal Democratic Party) のメンバーだが、この政党はリベラルではなく、むしろ保守与党だ。
杉田が物議を呼んだのは今回だけではない。今月初め、杉田はレイプを告発した女性ジャーナリスト伊藤詩織氏の "女性として明らかな落ち度" を非難した。それは "男性の前でたくさん酒を飲んで記憶をなくした" というものだ。この杉田がいったいどんな政治家なのか気になるなら、テンプル大学教授 Michael Thomas Cucek による説明がある。
3) 18年の地方官僚を経て、彼女は政界入りした。極度に狭量な右翼の道化たち (Yamada Hiroshi, Hironuma Takeo, the Nakaharas) と石原慎太郎の取り巻きとなり、
8) そこから逆戻りして、杉田は2012年に維新の会の地元選挙区で最も人気のない候補者にランク付けられながら議席を勝ち取った。
すぎやまが物議の中心人物となるのも、これが初めてではない。この著名な作曲家は、日本の戦争犯罪否定主義者だと見なされてきた。かつて南京大虐殺はなかったと主張するドキュメンタリーで猛批判を浴びたこの放送局に彼が出演する理由も、自ずとわかるだろう。
スクウェアエニックスがこれについてどう考えているか興味深い。
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出展:ハングル板より https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/korea/1532664540/