はてなキーワード: TV番組とは
2019年、国体競技にもなったグランツーリスモSPORT。やり始めて約1年(オンライン対戦自体も約1年)たったのでその感想をまとめます。以下は元々ゲーム内SNSに書き込もうと思った文章を改変していますので、プレイしたことがない方には分かりにくい部分もあることを申し上げておきます。
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ときどきゲーム実況されている、フレンドではない方(以下、Aさんとする)とデイリーレースでマッチングする機会がありました。
レースでは、自分はAさんの真後ろを走っていて、コンマ5秒差が数周続く展開から、自分がホームストレート終端で追いついてしまったので、第1コーナーで車両1両分空けながら外側からオーバーテイクしました。
終了後に自分が映っていたのを確認しようと(自分がインタビューされたTV番組を見たくなる心理です)Aさんの動画をみたら、そのチャンネルの視聴者の方(以下、Bさんとする)も含め、自分に対し
・公式戦でよく一緒になるが荒くてよく自滅する
・運転が雑
・直線さえ速ければいいという考え方をしているのだろう
などなど、散々な言われようでした。
これを見てまず少し凹んだのは事実です。そして続いて思ったのは、至極もっともだなということです。DR(ドライバーランク:ドライバーの力量の相対的評価指標)がランクAとランクBの間を行って来いの広島カープ状態である自分の、今後の課題をわかりやすく端的に言語化して頂いたことは、大変ありがたく、感謝しています。自分はBさんのことを存じ上げなかったのですが、何回か公式戦などでご一緒したことがあるようで、そんな場末の相手の走り方まで子細に記憶していて下さるものなのかと軽い衝撃を受けました。
もしかすると、その数回のご縁の中で自分がひどい接触をしてしまったのかもしれません。自分は公式戦で事故が多い(下手な)ので、あり得るなと思います(もちろん故意ではありません)。そうだとすればこの場で謝罪いたします。申し訳ありませんでした。
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この文章を見てお分かりかと思いますが、GT SPORTのオンライン対戦は、ゴルフくらいマナーにうるさく、コミュニティも狭いので一種の「村」のようになっています(笑)
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ところで、お二方のこれまでの動画を拝見するに、Aさんは対戦相手で接触した相手にレース後チャットで「くず」と言ったり、またBさんもチャンネルを所持しておられ、いくつか動画を拝見したところ、言葉遣いが少し乱暴な方であったり、そのせいで、いわゆる引き寄せの法則なのか、逆恨みのような荒らしが発生していたこともありました(「○ね、声がキモいんだよ」といった暴言を吐かれるなど)。
AさんBさん共に、チャンネル登録者数は相対的な数値としては小規模ですし、趣味やストレス解消が目的で配信をされているのでしょうが、こうした敵を作りやすいスタイルは、いつか本格的に炎上するのではないかと、差し出がましくはありますが、懸念を抱いています。少し話は逸れまして、最近ではネット上で起きたイザコザで「hagex」さんという、はてなでは有名なブロガーが殺害された事件もありました。こちらも湧いた粘着、アンチに対し皮肉を言った事で起きた痛ましい事件でした。
先に触れたようにBさんの動画ではすでに荒らしが出ており、また、ご本人もチャンネル概要に注意書きを記載するほどです。こうしたニアミスやヒヤリ・ハットが増えていつか大事件に、ともなりかねません。そうなれば自動車メーカーともコラボしながら、eスポーツを推しているGT SPORT自体への風向きが悪くなってしまうでしょう。
反対に、動画配信チャンネル・コミュニティの運営の仕方で好感をもてるGT SPORTゲーム実況の方も多いです。有吉ぃぃeeeee!みたいなまったりワイワイ系のKさん、O杯主催のNさん、最近チャンネルを立ち上げられたUさんらの動画配信はポジティブですし、とても勉強になります。自分はリアルレースでの経験がないので、リフトアンドコーストやタイヤのデグラデーション、ピットイン戦略などをこれらの動画から学び(?)ました。
動画プラットフォームにおける一般視聴者の特徴として、ネガティブ要素が多い動画よりは楽しかったり、クリエイティブだったり、情報収集が可能な、ポジティブな動画を日常的に繰り返し観る傾向があります。それは、例えばユーチューバーランキングを見ればわかりやすいかもしれません。もちろん視聴者も人間ですから時々は暴言・喧嘩・批判系のネガティブ動画も見たくなりますし、過激な動画配信者もいます。けれども、基本的には丁寧でポジティブな動画づくりが長期的にはファンを集めやすいです。ネガティブな動画は、とくに小規模配信者の場合、将来的なチャンネル運営を自ら厳しくするのではないかなと、今回の一件で感じました。
さてGT SPORTから大分脱線しましたので(笑)、自分の走りに立ち戻ると、さしあたっては、
・立ち上がりでのアクセルオンタイミングを早める(スローイン・ファストアウト)
これらを徹底したいと思います。
FIAのレギュレーションも読み直したほうがもしかしたらいいのかもしれませんが、「実際、たかが(されど)ゲームにそこまでする?」という億劫さもあります。
運営のポリフォニー・デジタルさんに対しても一つ思うところがあり、書き留めておきます。
とても面白いゲームを作っていただいて、ありがとうございます。1年継続して遊べたゲームは自分の中で初めてです。グラフィックもきれいですし、毎月の無償アップデートはとても大変なことと思います。スポーツモードのインシデント(SR)判定AIも、理由の表記も加わり、以前よりよくなっていると思います。
一点、要望というかご提案があります。スポーツマンシップについて、ドライビングスクールでもミッションチャレンジでも構いませんが、他車のオーバーテイクの仕方や運転マナーの良し悪しをFIAレギュレーションを元に体験できるセクションを作ってみてはいかがでしょうか。初心者プレーヤーも、中上級プレーヤーも新たな視点を得られると思います。
最初に見た他人のレビューが安っぽく狂気狂気と書き立てるものばかりで失望した。アーサーは狂ってなんかいない。むしろ最初から最後まで一貫して、彼には完全な判断力があったし、正気だった。
僕が一番好きだったのはゲーリーを逃がすところだ。この映画のそれ以外の全てと釣り合うほどに素晴らしかった。映画史に残る名シーンだと思う。
家に二人で訪ねてきた元同僚の片方を滅多刺しにして殺し、もう一人も手にかける——、手にかけるだろうと、そう観客は予想する。しかしアーサーは彼の事は見逃した。行っていいと。しかしドアの鍵が閉まっており、小人症で手が届かない彼が、殺人者である当のアーサーに開けてくれと頼む。アーサーは鍵を開けてやり、彼を送り出す。ただ気紛れに見逃したのではなく、ゲーリーのことは本当に殺すつもりがなかったのだと、ここではダメ押しでそう強く明示して見せているのだ。「優しかったのは君だけだ」と額にキスまでして。
なんて涙ぐましいシーンだろうか。アーサーはただ愛が欲しかっただけだ。誰かに愛されたくて仕方がなかったんだろう。愛されればそれに報いることができる正常な人間だった。正常だからこそ、自分に降りかかった世間の悪意に正しく報いて、彼はジョーカーになったのだ。映画的なレトリックでそれを説明し果せている。この直後に初めて、あの紫のスーツの、お馴染みのジョーカーの姿になり、あの階段を下った。晴れ晴れとダンスを踊りながら。しかしゲーリーとのあの別れの直後だけに、どこか空っぽの乾いた悲しみを感じさせる。
「優しかったのは君だけだ。」アーサーはすべて、ちゃんと言葉にして語っていた。正常な知能と判断力の賜物だ。ウェインを訪ねた時も。金が目的だろうと言われ、違う、そうじゃない、欲しいのは温もりとハグなんだと、言葉にしてちゃんと主張してみせている。しかし、返ってきたのは暴力だった。最後にTV番組に出演した時も、司会者に自分の主張を過不足なく説明している。何もない奴を笑いものにし、足蹴にするとどうなるのか見せてやると。そして銃で撃ち抜いた。
作中の事件を伝えるニュースでは、犯行の動機として「格差」があると触れている。これも良く計算されて織り込まれていたと思う。今この時代に、悪役を主人公としたこの映画が作られたことの必然性がここにある。
証券会社の三人組も、チャップリンの映画を見ているシーンでも、金持ちたちは皆、小綺麗な黒のスーツを着ていたのが印象的だった。これは明らかに意図的なものだ。創作作品一般の「悪者は黒色で表される」という不文律を上手く利用して、アーサーの目から見た世界を描いているのだ。彼にとって上流階級とは自分を疎外し苦しめる悪者でしかなかったから。ここに善悪の相対化が、全くの反転がある。「狂っているのは俺か?それとも世界の方か?」という序盤の問いかけは、敢えてこう言い換えてもいいだろう。「冷酷な殺人鬼とは俺の事か? それはあいつらの方じゃないか。」
小綺麗でピカピカな正義のヒーローが、正しい暴力を振るって悪者を懲らしめる。その昔ヒーローものといえばどれもこんな風だった。単純化されたストーリー。分かりやすい善悪。悪者はボコボコにされて言葉を奪われ抗議することもできない。何故ならその暴力は「正しい」のだから当然だ。
みんなヒーローの方に自分を重ねていた。勿論バットマンを見て育った子供たちも。しかし現代ではこの悪者の側に感情移入する人も多いのではないだろうか。やんごとなき上流階級の人々が、政治的に正しい暴力を振るい、庶民を搾取し痛めつける。この社会にそっくりだ。皆自分が殴られる悪者の方なのだとうっすらと自覚している。小汚い貧乏人には抗議する権利もない。何故ならその暴力は「正しい」からだ。“悪者”は黙って殴られていろと、社会システムが無言で言っている。
誰がやりたくて悪者をやるだろうか。誰が好き好んで罪を犯すだろうかと、今になって分かるのだ。あのピカピカの正義の味方に殴られていた「やられ役」は、生きていく中で仕方なくそうせざるを得なかった「弱者」ではなかったか?
僕はその後、更に他人の書いたレビューを読んでみて、やはり憤りを禁じ得なかった。
何も持っていないゆとりの無い人間に対して、それなりに足りてる奴が、安全な場所から、もっとこうすれば良かったとか、小人症の男と仲良くすれば良かったのにとか、あまつさえ大して不幸じゃないとか、上から目線の薄っぺらい正論を、自己責任論を披露する。それは正義の味方が「わるもの」を力一杯ぶん殴る構図そのものではないのか。
この映画に共感せずに済むような人たちは、自分がどれだけ恵まれていたかに気付いてない。絶望的に愛情に飢えていて、精神的なゆとりを根こそぎ奪われた人間が、どれだけ不自由でままならないか。それを知らずに済んだ幸運な人たちだ。「こうすれば良かったのに」だと? それができたらああはなってないだろ。「お前は怠けている」とでも言いたいんだろうか。できるならとっくにやっているのに。
「不幸すぎないから共感を生んだのでは」という意見は、少し違うと思った。少しズレている。正確に言うとこれは「福祉の谷間問題」なのだと思う。歩けなくて車椅子とか、目が見えなくて杖をついてるとか。誰の目にも明らかな障害者なら公的な支援を受けられるし、みんなに助けてもらえる。でも微妙な障害だったら? 見た目が普通で症状が分からない、健常者と同じように扱われるのに、しかし健常者ではない。実際には軽微な障害があり、仕事や日常生活で「現に」困っている。困っているのに、誰も助けてくれない。こういうのを福祉の谷間という。発達障害やチックなんかがそうだ。或いはアーサーみたいな、感情が高ぶると笑ってしまうという障害もまさしくそれだった。周りからはそれが障害だと分からないのだ。本人はとても苦しんでいるのに。そして誤解と偏見に満ちた視線のせいで二重に苦しむ事になる。それはこの映画に「大して不幸じゃないじゃん」と言い放った人たちの正にその視線である。ここに地獄がある。
“有色人種なら贔屓してもらえたのに” 白人だから何もない、自分は現に困っているのに、何の手助けも受けられない、ホワイトトラッシュと呼ばれる人たちも、谷間問題という意味では本質的に同じだった。彼らは事実ジョーカーみたいな政治家を支持した——。ドナルド・トランプだ。この映画はこういう人たちの共感を生んだのだと思う。だから社会現象になったのは必然と言えるし、解釈に分断が起こり、理解できる人とできない人とで真っ二つに分かれてしまったのも、必然だったのだろう。
焼肉食べに行きもっと焼いて食べた方がよかった…とか、ハーブ類を使った調理をして辞めた方がよかったかな…とか。その度、赤ちゃんに何かあったらどうしよう…とか考えて落ち込んだりしていました。
加えて私はつわりが酷く、妊娠前は出来た仕事や家事や趣味が体調悪いためどんどん出来なくなり自己肯定感が下がり続けて辛かったです。ただ、最近点滴を打ってもらうと数日間はかなり体調が良く、体調が良いとメンタル面も安定するのが分かってきたので少しずつ楽になってきました。加えて暇つぶしに妊娠前は興味の無かったTV番組を見たり読書をしたりしています。グルメ番組や観光番組を見て行けそうな場所をメモり、いつか家族で旅行に行きたい場所リストを作るが最近の楽しみです。1番しんどかった時からは随分楽になりました。
参考になるか分かりませんが、お母さんの心身の健康がお腹の赤ちゃんの健康にも繋がると思うので、無理のない範囲でご自身が食べたいもの、やりたいことを色々やったり、赤ちゃんが産まれたら…というポジティブな想像を色々されてみると良いのではないのでしょうか?
なんにせよ、お身体大事にして無理せず考えすぎず、私はお腹で赤ちゃん育ててるだけで偉い!くらいの気持ちで気楽に過ごしてくださいね。
ネタバレそんなに気にしない派だし、なんなら小説の最後の数ページ読んでから最初から読むくらいだけど、Twitterで人気作公開日・発売日直後の「〜〜見ました!ネタバレは避けますがしんどい!」みたいな投稿が嫌い
みたいな感じで呟くやつ。確かに物語の核心のネタバレは避けられてるんだけど、例えば映画の初日やTV番組だと一斉にTLに流れてくるのでげんなりする。
某映画の各ブログのネタバレ祭りもどうかと思ったけど、ブログは本文読まなきゃいいのでまだいい。だが上映開始直後からえんえんタイトルも出さず、しかし特定作品の愚痴だとわかる状態でだらだら呟いてたフォロイーは「ふせったーでも使ったら?」と思いながらミュートした。
有名作品だと普段常識的な人もいきなり箍が外れたことを言い始めるから本当にうんざりした。感想なら読むからブログできっちり語ってくれ。
大して気にならない。
表彰式ってのは、勝者だけ映せばいい。
二位の敗者を映す必要はない。
なのに、MC、実況者、解説者、サポーターの芸能人・アイドル、スポンサーの代表者がゾロゾロと出てくる。
「並んでください」「もう少し距離つめてください」「笑顔お願いします」
勝利を掴み取った高校生たちが、指示されながら撮られ続けている。
指示が全部放送で聞こえてるが?
あとで地上波のTV番組で特集するし、各ニュースで取り上げるから、
使いたい絵がたくさんあるのだろう。
スポンサーからの商品授与が終わるまで、10分近くメディア対応。
シラけるわけ。優勝の余韻が。
インタビューにしても、なんか全体的に「ゲームで頑張った子ども」然として扱ってるわけ。
撮影用の素材として扱う前に、戦い抜いた勝者として扱えと。
と不満を述べてみたが、N高の生徒も岡山共生の生徒も楽しそうだった。
お前はこの1日に何をやってたわけ?
チャットがスパムで荒らされたり、ひどい中傷が流れたりした時、
eスポーツ甲子園に出場するのは、ほとんどアマチュアの一般参加。
その参加者にひどい中傷が飛ばされる、というのは常識になってる。
スプラトゥーンのある女性選手が、何年もネットで見た目を叩かれ続け、
ひどく傷ついた件が少し前に問題になった。
実害が出ているレベル。
しかし、多感な高校生が見るであろう場所を、無法地帯にしていいのか?
目に余るコメントはぶっ叩くようにしている。
それで@tvtokyoが何をしたかというと、こちらのアカウントを永久BANである。
納得はしないが、もしノイズになるなら消すのも認めてやろう。
ただそれをやるなら出場者への中傷も消せよ、という話だ。
https://arp-fc.yukes.co.jp/arp/info/news-0603_2/
主にyukesに対して。
ホームページでの告知以外に、ラジオ・TV番組でキャスト変更する旨を発表してほしい。
突然の別れを受け入れるには、どうしても直接の言葉を耳にしてから心の整理をしないと辛くてたまらない。
突然のホームページ上のお知らせだけでは、あまりにもファンとの絆を軽んじてるのかなと思ってしまった。
ARPは歌やダンスだけではなく、脚本にないメンバー同士の掛け合いがあったからこそ、キャストに占める重要性は高い。
ニコ生ラジオでファンからのメッセージに返答してくれたり、ファンとメンバーとの交流があったからこそ、突然の別れの宣告だけでは到底納得しきれない。
シンジくん単独ソロではないからこそ、慎重に今回の出来事は取り扱うべき。
これからもARPプロジェクトは続くのだから、細心の注意を払ってファンとの向き合い方を考えてほしい。
自分の応援が足りなかった、と自分を責めている人に。応援はきっちり届いてたはずだから、自分が悪かったと責めないで。
これからARPを応援できなくて離れようと思ってる人も、ファンをやめることは仕方のないことだと思うので、責めることもないし、ファンを続ける義務もないと思う。
自分の考えた結論に従って、もしも心が傷ついてしまったのなら、いつか時間が解決して傷が癒えるように願ってます。
今回の案件が、yukes側の何らかの過失によるトラブル起因だったとしたら、再発防止に努めてほしい。
逆に一番恐れているのは、キャストさん起因や所属事務所側のトラブルが起因だったとしたら、キャストさんの今後の出演とか連鎖する出来事が起きないか。
さて、私はこれからどうしよう。
キャスト変更に対しての今後の対応を見たり、次のkick alive3にも参加しようとは思っているけど、
ファンを続けていられるかどうかは、全く予想がつかなくて、辛い。
本当に情けなくて本当に悲しい。
セックスレスが5年間続いた。
その間は何をしてもやんわりと断られ、自分の努力が足りないのだと色々なことを頑張った。
妻は専業主婦だが、一人の時間が作れるようにと家事もお風呂も寝かしつけも積極的に行った。
妻はそうして手に入れた時間で、一人で夜遅くまで海外ドラマを見ていた。
スキンシップが足りないのかと思い、ハラスメントにならないようにできるだけ気をつけながらハグや手を握ったりした。
その度に妻の体は僕を避け、握った手は早々に解かれ、再び握り返されることはなかった。
話を聞いてほしそうにしていれば、仕事で疲れていても見たいTV番組があっても後回しにして話し相手になった。
セックスのために頑張っていたわけでもないし、ただセックスがしたかったわけでもない。
妻とセックスがしたいという気持ちを快く受け入れてもらうことで、妻との愛を確かめたかったのだ。
子供が寝ている横ではそんな気持ちにならないと言われれば、子どもたちを実家に預けて外食に誘うようにしたし、妻の両親を旅行に招待して子どもたちを両親の部屋でねるように促したりもした。
その度に妻は何かと理由をつけて僕を拒んだ。まだだ。努力が足りていないのだと、その度に何をすれば妻が喜んでくれるのかに頭を悩ませた。
そんなこととは別に、年に1度は家族旅行を心がけているのだが、先日の家族旅行で信じがたいことが起こった。
妻とセックスをしたのだ。
隣でこどもは寝ていたし、早朝たまたま目が覚めたときだったのでお酒が入っていたわけでもなかった。
空が白み始めたころ、ふと目を開けると妻の横で携帯がぼおっと光を発していた。
「起きたの?」の問いかけに「なんだかね」とそっけない返事。
何時も通り、どうせ拒絶をされるのだろうと妻の布団に入り込んでみると、妻はさっと体を横に避けて僕が入り込むスペースを作ってくれた。
あれ?っと思った。今までこんなことは一度もなかった。
半信半疑でスペースに入り込むと首の下に腕を回してみる。
それも全く拒絶されることなく受け入れられた。
戸惑いながらもまるで教科書に書いてある通り一つずつ手順を進めてみる。
妻はその一つ一つをとうとう最後まで拒絶することなく、めでたく5年のセックスレスは終止符を打った。
ただどうしても腑に落ちなかった。
目が覚めてしまったらせっかくの機会が台無しになるととても急ぎ足なセックスだったのは確かだが、それでもなぜ、妻がこのタイミングで僕を受け入れたのかがわからなかった。
努力が実ったというよりは、妻がたまたま気に迷っただけとしか思えなかったのだ。
少なくとも、それから半年は再び妻と交わるような機会はなかった。
全くこちらから働きかけなかったわけではない。相変わらずスキンシップはやんわりと拒絶されるし、妻から二人の時間を作ろうとの歩み寄りがあったわけではなかった。
あの時のセックスが、気持ちさえ乗じていれば誰とでもするセックスと同じように感じられて疑問は徐々に悔しさのような感情へと変わっていった。
たまたま妻の実家に子供を預けて二人で家に帰ってくる用事があった。
せっかくの機会だからと、普段子供をつれては行けないようなお店でランチを食べた。
食事中は妻の日頃の苦労を労い、褒め、そんな妻を心から愛していると口説いた。
妻も嬉しそうにはにかんでいた。
まだ時間はゆっくりある。家に帰って二人きりの時間を楽しめるのかもしれない。そう期待していた。
しかし、家に帰って妻が最初にしたことは、テレビを付けて海外ドラマを見ることだった。
子供を迎えに行く時間が迫ってくる中で、唖然とするしかなかった。
いつも欠かさず見ているようなドラマではない。その証拠に、内容もそれほど理解していないし、本人もなんとなくで見てしまうというようなことを口にしていた。
だったらば、これほど二人だけの時間をすごせる機会にすることではないではないか。
多少強硬になってしまうかもしれないと思いつつ、妻の隣に寄り添い、恐る恐る膝枕になるように頭を載せてみる。
妻はそれを明らかに嫌がった。
とっさに頭を上げ妻を見て言う。
「ごめん。ただ、せっかく貴重な二人だけの時間だからさ、今しかできないことをしようよ。」
何のことかわかっていない妻の手を握ってみる。
すると妻は間髪をいれずに僕の手をぱっと振りほどいた。
「せっかく子供がいない自由な時間なんだから一人でゆっくりさせてよ!」
その時の妻の表情と語調は、僕の心を粉々に砕くのに十分すぎるほどだった。
憤りよりも先に惨めさで一杯だった。
その後はただ、呆然と迎えの時間が来るのを待つことしかできなかった。
いままでの自分の頑張りは何だったのだろう。
湧き上がってくるどうしようもない性欲のはけ口にしたかったわけではない。
夫婦間レイプをしたいつもりなんて一切ないし、だからこそ相手の気持ちが動くように働きかけてきた。
それなのにどうしてこんな仕打ちをうけなくてはならないのか。
妻はいつも僕に何かを求めるばかりで、自分から何かをしようとすることはなかった。
それがある程度はジェンダーロールだと理解した上で自分が頑張り続けてきたが、もう限界だった。
この日を堺に、それまで自分を苦しめ続けてきた妻とセックスをしたいという願望は嘘のようになくなってしまった。
性欲としてセックスをしたいという願望はある。ただ、そんなものは理性でどうとでもできるレベルの欲望に過ぎない。
いまだから改めて言えるが、やはり自分は誰とでもセックスをしたかったわけではなかった。
性欲のはけ口を妻に求めていたわけではなかった。
ただ、愛する妻の喜ぶ姿を見たかった。
セックスという直接的な行為でしか得られない喜びをともに感じたいだけだった。
今はもう、妻の顔をどれだけ眺めていても、そんな願望は一切として湧いてこなくなってしまった。
もし万が一にも妻がセックスを求めてきたら自分はそれに答えることができるのだろうか。今は全くその自信がない。
ピエール瀧が逮捕され、氏の所属する電気グルーヴの作品について、所属レーベルのソニー・ミュージックレーベルズは過去作品の出荷・販売・デジタル配信の停止を決めた。
「ピエール瀧の逮捕に伴うソニー・ミュージックレーベルズの対応について」
https://www.sonymusic.co.jp/artist/DenkiGroove/info/504907
"この度、ソニー・ミュージックレーベルズの契約アーティストであるピエール瀧が、麻薬取締法違反の容疑で逮捕されたことにつきまして、ファンの皆様、関係各所の皆様にはご迷惑とご心配をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。この事態を厳粛に受け止め、本日より、弊社が取り扱うピエール瀧、及び電気グルーヴ関連の商品に関して、以下の通り対応いたします。
電気グルーヴの作品は市場に供給しないというレーベルのコミットメント。今のところSpotifyではまだ電気グルーヴの曲を聴くことができるのだけど、これだっていつ止まるかわからない。
ひと昔前であれば、大半の音源はファンの手元に(CD、カセット、MD等々の形で)残っていくものだったと思うのだけど、今のようにipodすら風前の灯でAmazon MusicやSpotify等のストリーミングサービスが主役となって来ている現在において、デジタル配信停止、というのは一部ファンから完全に音楽を取り上げることになってしまう。
勿論薬物使用は重大な犯罪で、青少年への影響を配慮することや企業のレピュテーションリスクも踏まえれば、ある程度(例えばTV番組で電気グルーヴの音楽はしばらく使われなくなるとか、CMでは流さないとか)くらいの影響は仕方ないかもしれないけれど、レーベルの段階ですべての作品を止めてしまうのはあまりにも影響が大きすぎると思う。
そしてこういうことは今後電子書籍やWebsiteについても起こりうるわけで、このような慣行が続くのであれば、私たちは過去の芸術作品を、言論を、何か問題があるとされるたびに焼き尽くして葬り去ってしまうことになる。それってあまりに悲しくない? 作者に収益が入るのが問題なら、代わりに寄付でもすればいい。
(恥ずかしながら、私は現状実名でリードすることができないのだけど、誰か勇気のある人がいたらぜひ以下のサイトなどを利用して署名活動等行ってほしい。全力で応援したい人はたくさんいるはず。。)