はてなキーワード: RADWIMPSとは
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで、
よく間違われるのです。
まわりは普通にみんないいひとばかりです。
絵を描くことと工作だけは大好きで、
発明クラブに入りました。
いっぱい賞をとりました。
本当に本当に楽しかったです。
けれどいつもひとりぼっちでした。
中学でも高校でもそんな感じでした。
挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。
うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。
おもしろい返しができませんでした。
どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。
なんのために生まれてきたのだろうか。
何になるのだろうか。
そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。
高校を出て予備校に通いました。
いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。
そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。
気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。
そうして、僕はニートになりました。
本当に、本当に、孤独になりました。
求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。
なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。
そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。
北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。
「ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」
甘ったれた僕は家に戻りました。
甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。
甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。
甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。
甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。
甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択。
甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。
甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。
甘ったれた僕は甘ったれて大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニでパートして働いて稼いでくれた金で。
僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。
でも、僕の顔はやつれていました。
20歳なのに30歳くらいの顔になってました。
ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。
友達はできたけど、すぐ離れていきました。
好きな人はできたけど、すごく嫌われました。
バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。
自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。
そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。
すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。
僕は実家に帰りました。
精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。
反響を呼び、年間35位くらいになりました。
ひとは、ひとの不幸が好きです。
自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。
「普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。
いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました
けれども全く集中できない、続かない。
あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。
そんなことを考えてときどき鬱になりました。
頭の中での口癖でした。
けれども、行動しなきゃ始まらない。
けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。
ホリエモンに憧れて
全然起業できませんでした。
金も人も僕には集まりませんでした。
一つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。
芸人養成所に入りました。
バイトも長く続かなくて金のない僕は、
その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。
なにもありませんでした。
プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessingで講義で出た課題を適当にいじるぐらいしかできません。)
アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)
芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)
ESでは適当に嘘を並べました。
大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。
コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールをしました。
するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。
ゲームなんて一切やらないのに任天堂やスクエニは最終面接まで行きました。
本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。
一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。
でも結局落ちました。
当たり前です。
僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。
ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社の社長になりたかった。
(小学校の卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)
編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。
そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。
してはいけないと思っていた。
でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。
だから、適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないから人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。
だから、たくさん落ちた。
そして、いくつか受かった。
誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、
「体力」と「コミュ力」です、と答えた。
やりたいことはなんですかと聞かれて、
「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。
本心だった。
「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアントの要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。
5分くらい説教をされた。
受かった。
そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。
ちなみに卒業論文は書いていない。
白紙で出した。
中退するつもりで出した。
ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。
なぜか認められた。
認められたくなかったので、大学ともめた。
僕は卒業した。
何も修了していないのに「学士」になった。
当然のごとくトラブった。
全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。
また僕は引きこもりになった。
そうして僕は、また、また、孤独になった。
研修でまたトラブった。
でも、まあいいや、そう思った。
僕は5年前、死のうと思った。
周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。
でも、自分は悪くないと思った。
自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。
けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。
だから、僕はこうして今まで生きてる。
ジョブズもホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。
でも、彼らは能力がある。
僕はたぶん、ない。(客観的に見て)
僕は人間だから。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間だから。)
明日には、1ヶ月後には、1年後には
すべてが報われるような気がして、生きている。
でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ。藤井4段もびっくりの詰将棋だ。
あった期間が1度もない。
せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。
ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)
だってあなたは人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)
人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。
ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。
俺はもうやりたいことしかやらない。
金があったらね。
金の呪縛に縛られてるだけ。
ただそんだけ。
大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。
この匿名ダイアリーが反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。
それで何かが変わらないかな。
結局人まかせだな、俺は。
だれかの何かに残れば、それでいいと思う。
そんなことでもいいと思ってしまう。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで
バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも
人間でありたいのです
追記
はてブって返信できないのね。
これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。
ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、
思考の中心にそれはない。
友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。
そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。
今悩んでいるのはずばり、金だ。
やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、
一体何の価値があるのか。
金というのは信用の対価なわけで、
信用は人間に付随する。
人間でない(とされている)僕は、金がない。
姓名判断でも一生金に縁がないとされている。
福沢諭吉の大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。
そしてやりたいことについてだけど、
コメントにもあった通り、
「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。
実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。
今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。
実に無駄に過ごした時間だった。
それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。
だから、僕は全部やるしかないと思った。
金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。
やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛、堂々巡りから逃れられない。
それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。
けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、
日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。
この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。
ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、
それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。
600万の起業資金を彼女の親に出してもらうような麻雀がプロ並みの東大生ではない。
どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。
けれど、答えは出ないまま、卒業した。
だから今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。
今すぐ脱走したい。
脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。
僕は人間じゃないんです。これは特別な人間という意味ではない。
だから、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、
僕はそれを望んでいません。
参考URL
ちょっと震災取り入れたからってそれはハリウッドの災害パニック映画と変わらないし
どううまく構成するか、みたいな問題を言うと脚本は穴だらけだし
音楽と合わせて映画を構成していくのは、洋画でも邦画でも何十年も前からある
たとえばそう、「エンド・オブ・ホワイトハウス」って映画はスゲー面白いけど絶対賞はとらないのが分かる。
「インド・オブ・ザ・デッド」って映画も凄い人気なんだけど絶対賞はとらないのが分かる。
「ゾンビーバー」とか…まぁだから色々賞はもらえないけど面白い映画ってたくさんあるんだ。
なんで「マッドマックス」が評価もきっちりされたかというと、いやちょっとわかんないけどアメリカ人じゃないし。
そこまで振り切っては無いけど、君の名は。もいわばそれ。
評価は自分たちだけでしていけばいいんだ。賞とれないことに文句を言う映画では無い。
賞をとるには色々クリアしないといけないことがある。(社会風刺、国内情勢、歴史的価値、斬新度、脚本の緻密さなど)
よく音楽漫画であるだろう。評価される演奏の方法と、楽しんでもらえる演奏の方法は違うって。(これは違和感があるが。)
そういうのを無視して、それでファンが出来て興行収入が凄いんだからそれでいい。
たくさんの人が見たものがどの作品よりも優れているのか?と言うとそれは映画に限らずに「NO」だろうが(風の谷のナウシカは15億にも届いていない。細田版「時かけ」は興行収入2.6億円)
大前提として、2016年紅白は近年まれに見る失敗回であり、大敗北だった。「いやいつもつまんないでしょ。今回だけとか騒ぐのセンス悪すぎ」というあなたは正論だがフシ穴だ。
ここ数年、マンネリ紅白は、それでもなにがしかの爪痕を残していた。「千の風」など販売面での掘り起こし、サザン、長渕などのサプライズ、Perfume、金爆、ももクロに代表される抜擢人事、あまちゃんオールスターズなどNHKならではの組閣などなど。
で、2016のこの無風具合はなんだ。
なんだといえばこれは、会社組織でもストーブリーグでもなんでもいいんだけど、典型的な「世代交代の失敗」である。
高報酬の高年齢層をリストラし、未知数の若年層登用を止め、見た目の効率のいい中年層とコネ人事で固めた結果、全員が自分の数字と派閥の力学しか見ない「無責任モード」になってしかもそれが悪い方向にしか働かなかった。
よく見すぎる失敗。
北島三郎、鳥羽一郎、和田アキ子、小林幸子、美輪明宏そしてSMAP! こういったハイレイヤーのいわゆる「精神的支柱」機能を甘く見積もりすぎ。
サブちゃん祭りしかり、ジャニ勢だって「最後はSMAPさんが」という心づもりがあってこその馴れ合いが可能だった。
高年齢層のリストラは必然だし粛々と進めるべきなのは確かだが、それにしたって0にするのは急すぎた。
五木はAKB喜び組で満足しちゃってるし、美輪明宏代役の大竹しのぶにしても、幸子代役の三森にしてもアッコ2.0のAIにしてもまだカリスマにはほど遠かった。
そして「新しい血」登用の停止だ。
お気づきだろうか。今年アニソン/声優枠は0、ネット枠も0、V系枠も0、アイドル新規も0だ(RADとXは勘定に入れづらい)。
近年の紅白の下がり続ける価値を、辛うじて上げ方向に下支えしてきたのが彼らだ。「他人が憧れるものに人は憧れる」。「紅白」を「オーヴァーグラウンド」の象徴としてとらえ、いまどき珍奇なことに「紅白に対する憧れ」を冗談でも口にし、紅白出場をフリでも盛り上げてきた彼らの功績を全切り捨てした罪は、単純に「驚きと喜びの低下」として番組に表れた。
後に個別に触れるので、軽くにとどめるが高中堅層のプロモっぷりはひどかった。低中堅層のフレッシュ、冒険の少なさっぷりも。
巷間ささやかれる「リハ不足」はいつものことだ。これはさらに大元の、個別の企画力の低さが原因だ。
前半出番のぶった切り編集演出は大成功だった。新曲初披露というフリを経ての「期待の裏切り」「紅白という『枠』のメタ視」「フレッシュさ」で群を抜いており、TVギャグとしても定番が故の爆笑があった。
そして圧巻は後半のPPAPフロイデremixだ。前半の原曲で「いかんせん大舞台には音薄すぎで向かないよね」との印象をすべて覆す音圧。
そして前半のアッちゃん絡み、タモリ絡み、ゴジラ絡みと、2016紅白の演出側ストーリー全てを引き受けたカタルシス(大したものでなかったとしてもストーリーは必ずカタルシスを生む)。
フレッシュさ、裏切り、時代感、引き受け具合、芸としての確かさ、音楽の喜び、笑い、めでたさ、我々がNHK紅白に求めるすべてがそこにあった。
文句なしの「今年の顔」。
ワンショットがMVPを取ってしまうのは、チームとしての紅白にとってもちろん悲劇でしかない。
サプライズという意味ではあれだけガッキーに振っておいてあの体たらくは、座組み側の失策。きっちりガッキーをキャスティングできていればMVPだった(あの恥じらいながらしょうがなくやらされるのがタマラン!というご意見は共感するが、マニアの見立てだ)
芸の確かさを見せた。
AKB五木以来、近年紅白演出が気に入り始めている「ソロ+応援出演」とかいうクソ手法を、本物の芸と華で打ち返し、格の違いを見せた。
子役とかソロダンサーの人は残念な見栄えだったが演出側が悪い。
周りが凹みまくる中、アンセムを堂々とやりきった。
This is 歌番組というセット、演出、選曲で、この中では逆にフレッシュだった。
ライブパフォーマンス単体として見れば2016紅白最高水準。でもそれ紅白ちゃうよね。
歌舞伎町の女王が西新宿の政治家になりました、という何の面白みもない追認劇。
かろうじて演出はフレッシュさがあったが、楽曲パワーなし。そして演出も結果TOKIOと二回まわしするという貧乏くささで台なし。
いやこれは東宝も新海も悪くないし、庵野組に至っては大変仕事したと思う。NHKなに考えてんの感。
「歌合戦」にワンフレーズもなし、来日ツアー告知だけのケータイ動画とかなめてんのマジで。
毎年なので言うに及ばず。とくに嵐の「政治だねえ」感は周囲の状況もあっての結果だがひどかった。新王誕生の祝賀とは到底見えない。
よりによって「メドレー」と称してデビュー2曲だけかよ。hi hiとかサンライズとかいくらでもあったろ若番なのに引き受け過ぎ。その後も何もないし。
LEDダンサー自体もう数年前の技術だし、「人数ふやしました!」と言われても…
キメの2階席同期ロトスコープ演出もカメラが追えてないという体たらく。
あと満島出すとこまでがんばれよNHK。
映像出しそんなにもったいつけてひっぱらなくてもよくね。新海がサボったのか、バンドが嫌がったのか、いずれにしろエゴの匂い。
無料投票で40万とかヤバくない? 票の実数を出したことで凋落が見える化された。
天人五衰。圧のなさがすごかった。
魔法も何度も見せられれば慣れる、とはいえ今回は福山林檎にすらアイディアで負けててライゾマ何やってんの弾幕薄いよ!ってなった。
そして有村架純は今さらのあまちゃん演出でのん(能年玲奈)代役だったことが判明。地獄。
秋にNHKであれだけ圧巻のステージ見せたのにまさかの中森明菜枠。地獄。
コメント切りのタイミングで「マジか」顔してたのがさらにつらみ。
もちろんSMAPという政治劇に巻き込まれた結果、目論見が外れたというのもあるでしょう。2016紅白は新帝王SMAPの戴冠式になるはずだったのは明白でした。それにしたってリカバリの仕方は他にあったし、それ以外の面でも粗だらけ。
結果、ゆく年くる年後に東京国際フォーラムから放送した生さだのほうが生放送音楽ショーとして5万倍良かったというすばらしい皮肉。さだまさし×岩崎宏美、生バンドバックの「夢で逢いましょう」の多幸感、スペシャル感、客席との一体感たるや、「ああ、年初から思いがけずいいもん見たな」と思えました。
どちらを選びますか?
Mr.Children BUMP OF CHICKEN 椎名林檎 RADWIMPS 米津玄師 サカナクション SEKAI NO OWARI
One ok Rock UVERWORLD ASIAN KUNG-FU GENERATION フジファブリック クリープハイプ
ムーンライダーズ 少年ナイフ 曽我部恵一 ホフディラン ボアダムス キリンジ 小島麻由美 朝日美穂
Alfred beach sandal ミーマイモー 高橋翔(昆虫キッズ) cero 前野健太 シャムキャッツ おにんこ
The Collectors スピッツ THE YELLOW MONKEY 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国) くるり ゲスの極み乙女
B'zがついにCDを売らなくなった。
10月と11月ににリリースされた新曲がデジタル配信だけだった。
中学くらいからのファンなのでかれこれ15年近く彼らの活動を追っているけど、個人的にはやっとランキングの呪いから彼らが降りれた、という気持ちでほっとしてる一方、B'zですら日本の音楽のメインストリームから自ら降りる選択をとる世の中になって、最早日本に置いて音楽アーティストが文化の中心になることはもうないんだろうなと思うと寂しくなった。
今年のRADWIMPSにしろ星野源にしろピコ太郎にしろ、ドラマやアニメ、MVの中毒性といった付随効果があってのヒットだった。
この映画は日常アニメとしても評価されており、確かにそうと言える。
ほんわかした笑いの連続で劇場の空気は温かいし。戦時中を舞台にしているというのに、声を出して笑える映画だ。
その一方で暮らし様式や知恵、戦艦や飛行機、情勢、草、花、木、鳥、全てにおいてリアルに描かれている。
このアニメがアニメだと思えないほどリアルだと感じられるのは、このせいである。
そういえば、8月公開の「君の名は。」でもこの問題については言われていた。
そこで気付いたのだ。
まずタイトルが変なとこで終わっているね。そんなことはどうでもいいんだ。
君の名は。で話題になったのは音楽の使い方だった。これが凄く似ているんだ。
RADWIMPSとコトリンゴ。音楽で話を進める力を持つ。この世界の片隅にの挿入歌も数曲あるので音響よろしいとこで見るとよろしい。
また「その日」にどうやって進むのかという焦燥感なども同じポイントだ。
ここまではツイッターにでも書けることだ。
展開?
うん、違うよね。
そうだね、おっぱいだね。
君の名は。公開当日は「おっぱい」でツイッターの感想や反響スレが埋まっていたほどだった。
三葉のおっぱいのシーンCMで見るたび、諸君はドキドキしたであろう。
おっぱいで感動させ、おっぱいで笑わせる。すごいおっぱい映画だったんだ。
更に追い打ちをかけるのが口噛み酒。これは新海監督の確信犯だ。酷い男だ。
え、なんでおっぱいの話をしてるのかって?
決まってるじゃないか。
『この世界の片隅に』のおっぱいシーンはみんな見るべきだろ…………!!!!!!
超真面目なアニメの中に数秒入り込む全裸シーン。大画面で見る横乳に、「あれ、どうして、こんなシーンが入ってるの…!?」と混乱すること間違いなしだ。
そのおっぱいは主人公のすずさんのものでは無いんだけど(すずさん、あんなに乳なさそうだし)、これまた入浴しているすずさんに、おっぱいがかぶさっている絵というのが最高。
●RECがたくさんつきそうなシーンがあるのだ。
しかもアニメ界でも尊敬される監督と、有能アニメ会社「MAPPA」の作画でそれを見ることが出来る。
おっぱいはあんまり、という稀有なあなたにも薦めたいのだが、予告を見ていただいたら分かるとおりキスシーンがある。
しかしこれがまた、真面目に丁寧に品よく作られていて、子供が見ても「?」となる具合。しかし大人が見たら「うぉぉおおお」となる演出になっている。
さらにはNTR!?というシーンもアリ、しかも超作画で超セクシー。生々しくて、あの絵柄で(!)ドキドキするのだ。
主人公すずが「この子はもうまったく…」といったぼんやりした子なのだが、時々女の顔になる。その時の色気具合ったらありゃしない。
隙だらけの色気というのか…なんなのか。声も良いよね、リアルで…。
しかも主人公を取り合うのが、二人とも最高レベルでイケメンボイスを作っている細谷さんと小野Dなのだから、色気出しすぎてて男女ともにドキドキしてしまう。
さておっぱいの話に戻るけど、バスケシーンの三葉はノーブラである。流石にキャミソールくらいは着ているものと推測できる。
終戦前の庶民というと、ブラジャーはまだ無かった。乳バンドとかいうのはあったようだけど、それもパッドがついているようなものではなく、帯だったようだ(暮らしの手帖より)
つまり、「この世界の片隅に」で出てくる主人公すず(18歳~)、遊郭の女性や、気の強い義理のお姉さん、近所の奥さん、妹といった魅力あふれる女性たちは、みんなノーブラということにになる。ちなみにロリまで出てくる。
いかがだろうか。この世界の片隅にを見に行かなければならない理由は、以上にある。
こんなことあの真面目な映画で長々文章にできるアカウントやブログが存在する気配が無いのだが、正直みんな思っていることを代弁したまでだ。
後悔は無い。
ごめんなさい。
間違いなく良いのに、どう良いのかを説明できない。小難しい言葉を並べ、一生懸命伝えようとするので、コメントに失敗をしたら妙に怖い怒ってる威圧感が凄まじいバカみたいな感じになる。
それは多分「こういうアニメ今まであったよね」という前例がないからだと思う。
なのであえて、前例を総動員して例えながら感想してみようと思う。
例えるなら、絶望先生のOPアニメーション(犬カレー版)を見たときのような「なんだこれは…!?」という第一印象。
しかし映画自体は『となりのトトロ』『のんのんびより』とか『ばらかもん』の系統。ファンタジー部分でトトロは欠かせない。
ただし徐々に『火垂るの墓』がやってきて『紅の豚』が起こりつつ
待っているのは『君の名は。』
主役のすずは、『あまちゃん』のアキ並みにぼけっとしてるし、『ゴルゴ13』のデューク・東郷並みにハードボイルドだった。
さて、どんな映画だかよく分かったと思う。
一つだけ例えられないものは、見終わった後の感覚。これはどのアニメにも見つからない。
笑うし、泣いた。笑って終わる。
とにかく一度、ご賞味ください。
あーちなみに、決して泣けるアニメじゃないんで。ハンカチ持って行ってみてください。泣けない泣けない。手元のハンカチびしょびしょだが。
Twitterで「小説・君の名は。」発売前後のツイートを検索してみると(小説 "君の名は" until:2016-06-19)、
中高生っぽいアカウントで「『君の名は。』を買った/買いたい」って言ってるのがめちゃくちゃ多い。
「新海監督が映画を先に見てって言ってるから小説を読むか迷う」みたいな。
発売三日で10万部で即重版っていう売れ方からしても、宣伝や店頭で売れたって感じじゃないよね。
(参考:たちまち18万部! 映画公開の期待をふくらませる新海誠最新作ノベライズ『小説 君の名は。』 | マイナビニュース)
あとは神木隆之介ファンとRADWIMPSファンも関係してくるけど、
・元気にあったときに今の仕事が終わる、2ヵ月後に企画書出しますよと言った
・企画書を作りだしたのは提出1週間前
・初期段階で男女が入れ替わり、彗星が落ちて、最後に再開するという筋書きは出来ていた
・川村元気は最初チャラくて新海誠の典型的なイメージどおりの(いわゆる)プロデューサーが来たなと思った
・会議では如何に感情の起伏を作り出すかや、終盤で序盤の台詞との重ねあわせ等をしたほうが良いと指摘された。
・そのほうが皆感動して涙を流す。その一粒が興行収入いくらになるとか茶化しながら言われた。
・ラピュタのように、三葉(シータ)を物語の軸にして、語り部を瀧(パズー)にしたほうが良いといわれた。※元気に
・とりかえばや物語などの日本の古典や夢で好きな人を見た和歌などを参考にした。
・額につけている飾りは龍である
・RADWIMPSの野田洋二郎は童貞じゃないと思うけど、童貞力がある。※新海誠談
・結局二人(瀧と三葉)は再開したけど、再会した後にやっぱいろいろあるらしい
・安藤さん的にはもうちょい芝居の方向性を提示してほしかったらしい。
・今時のキャラデザの田中将賀の絵を使えれば(リアルな絵を描くのが得意だったので)なんか(典型的なアニメ的手法みたいな)新発見あるかもとおもっていたらご飯をよそったり意外と日常芝居が多くて大変だったらしい。※アニメではただ椅子に座ったりするだけとかの日常芝居(絵を描くの)はかなり難易度が高いといわれている。
・幅広い観客に観てほしいと思ったので全体的にはマス向けに作っているがファン向けにいろいろ過去作の小ネタを仕込んでいる
②があるかはわからない
b:id:msdbkm 出典は後日追加します。
b:id:watermaze 紹介の話は川口さんと新海監督の間で食い違っているので真実はわかりません。推測はできますが。
よくいるけど、MVとかMV的って言われると貶められた気分になるのかな?
どうしてだろう。
宇多田の元旦那の紀里谷和明がMV出身で、キャシャーンで笑い者にされたからかな?
でも、別に「MV的」とか言う人がいても、貶してるとは限らないだろう。
事実として映画の印象的なシーンで同じバンドの新曲が4曲も流れるんだから。しかもアニメの動きと曲はピッタリ連動する。
監督はできた曲を聞いて、作品をいろいろいじったとも聞くし、曲主体の映像作品、MV的なアニメと十分言えるし、むしろ褒め言葉だろう。
むしろ近年、ドラマ仕立てのMVが量産されてYouTubeを通じてどんどん若い子に視聴されている。
だからこそMV的に作られた『君の名は。』が大受けして何度視聴しても飽きない、リピーターが大勢出現したんだろう。
これからどんどん同じタイプのMV的アニメ映画をつくるべきだよ。
日本のコンテンツは、超長連載の漫画や、最低でも1クール仕立てのアニメばかりで映画は弱かった。
これらの長い物語を映画化しようとすると、どうしても端折る部分が大きくなり、説明不足になりファンは納得しなかった。
でも、『君の名は。』の場合、端折ってるストーリーはたくさんあるが、そこを全てRADWIMPSの歌に合わせてダイジェストで流すことに成功した。
歌と音楽で観客への説明不足を圧倒して、なんとなく理解したつもりになって次の場面に行くことができる。
ようやく見てきたので感想。
ネタバレあるよ。
『君の名は。』は秒速レクイエムと『ほしのこえ』ぐらいから新海を見てきたヤツは言うんじゃないかなと思う。
終盤の展開は、わざとらしいぐらいモロカブリだった。
そーなんす。自分の中からほとんど失われてしまったあの子を、何を探してるかすらも忘れてしまったのにそれでもずっと追い求めてる、ってゆーある意味クッソ気持ち悪いアレをもっかいやるんすよ。
でもって明確にリフレインされてるのが、“すれ違う”と“電車に乗ってるときに見かける”のふたつ。
すれ違いは、『秒速』のラストで印象的に使われていた。線路で“君”とすれ違い、お互い渡りあった後に振り返るけど電車が走ってきて、それも何本も重なって長い時が流れる。遮断器が上がったときには“君”はもういない。
『君の名は。』では今度こそ振り返った時そこに阻むものは何もなく再会できるのかと思わせておいてスカす。心憎い演出だと思う。
『秒速』では電車に乗ってる貴樹は“君”らしきひとを見つけるけど乗ってるのは急行で彼女も気づかず再会できない。
『君の名は。』ではお互いが電車に乗っていて、ドア越しに決定的な再会を果たす。すぐ間に電車が走って分かたれるけど、『秒速』と違ってお互いが求めあってるので“君”がいなくなったりはもうしないのだ。
で、この違いを生んだ最大の理由に奥寺先輩をあげておきたい。瀧のバイトの先輩で、淡い恋心を抱いていた女の人。
三葉と入れ替われなくなった瀧は彼女を求めて飛騨に向かう。なぜか奥寺先輩(と友人A)がついてくる(そう、貴樹と違って瀧くんには友人がいるのだ!)。演出上は探せど探せど手がかりが見つからないシーンのコメディリリーフなんだけど、彼女が「ラーメン食べたい」と言ったお陰で次のシーン、ひいては三葉との再会へとつながる。
構造的に言うと、瀧くんには三葉との間を埋めてくれる第三者がいて、貴樹にはいなかったっつー話になる。
瀧は奥寺先輩に二度振られる(といってもどちらのタイミングもすでに三葉のことが好きになってるので、違うっちゃ違うんだが)。特に二回目は奥寺先輩の薬指に結婚指輪が見える形でそれが露わになる。
これは三葉の指に存在しかねなかった指輪を奥寺先輩が引き受けてくれた――と『秒速』を経た人間としては思った。
音楽。
天門→RADWIMPSだね、と。うん、この映画にはあの前向きなボーカルが必須なので大正解だと思う。川村元気の功績として語られることが多いこのチョイスだけど、ガチならそれだけでプロデューサーの役割は果たしたと言えるぐらいにRADWIMPSだった意味は大きい。
なお歌が流れてるときは映像が後景化しあたかも曲のPVであるかのようにしつつ話を圧縮して転がしていくのは見ていてかなり気持ち良かった。
この辺りはファルコムを出すにしろminoriを出すにしろ、長編映像を作る前に短い映像をたくさん作ってた話を出すにしろ、新海の本領と言える部分なので、さもありなん、といった感じ。
あと映像について。
初めて話を見せるための映像になったなという印象。『秒速』って映像を見せるためにお話がついてくるといった感じがあったでしょう。『秒速』に限らず、『ほしのこえ』も『雲の向こう、約束の場所』に関してもそう。
今回だって「あー、このシーンみせたいんだなー」と感じるところは何個もあって(隕石が落ちてきてそれを眺める最初のシーンとか、太陽を背にふたりが逢魔が時に再会するのとか)、新海の癖だろう映像から話おこしてる感が完全に消えたわけじゃない。
でも、今回は映像を見てるんじゃなくお話を追ってる感が見てるあいだずっとあった。だから映像はキレイだし印象に残ってる画面はあるけどそれじゃなくお話で満足した感がある。
もっと言えば映像の凄さは超展開の強引さを埋めるために機能したというか。
あのかなり無理やりなお話を、映像の凄さで納得させたというか。
新海誠は自分の絵の凄さをようやくフルに使えたんではなかろうか。
ここまで来たらぜんぶ書いちゃうか。
三葉ちゃんめちゃくちゃ可愛かったね。新海のどこがいちばん成長しましたかって聞かれたら女の子がちゃんと可愛かったって答えるわ俺。世界をしょった儚い女の子とか可憐な女の子はこれまで何人も出てきてたけど(『星を追う子ども』と『言の葉の庭』は見てない)、三葉のような見ていて楽しい、素直に可愛いと思える、愛着の湧くヒロインは初めて。このタイプのヒロイン自体が初めてなのに圧倒的に成功してるというのはほんとすごいと思う(単純にキャラデザがいいってのはあるけど。『ほしのこえ』は新海本人、あとはいろんなひとに作監お願いしてきたけど、今回がいちばんウェルメイドだと思いますふつーに)。
おっぱいについて。
瀧くん執拗なほど三葉のおっぱい揉み揉みしますよね。あれもちろん単なるセクハラじゃなくて(セクハラなんだけど)、①サービスシーン、②(妹につっこまれることで)コメディシーン、③(重ねることで微細な差が生まれる)コメディシーン、④キャラの置かれてる状況の違いを強調する小道具エトセトラな効果があります。
おっぱいモミモミにこれだけの多重性を持たせられたってのも新海成長したなあと思いました。というかこれ誰かがそうしろって新海をたぶらかしたんじゃないかと思うんだけどどうだろ。
とりあえず。
映像のためのお話じゃなく、お話を表現するための映像になったのと、三葉がものすごく好感の持てるキャラクタになってたという二点で新海は本当に化けたと思う。見る前はただのフロックじゃねーのと眉唾だったけど、地力ついてきたとふつーに思うので、これまでもがき苦しんできた新海本人はもとより支えてきた周囲の方々にも本当にお疲れ様、次回も楽しみにしてますと言いたい。あと天門はどこかでまたいっしょに仕事してあげてください。minoriとはもうしなくていいです。
さて今朝は君の名ははエロゲみたいだと主張する意見について語りたいと思います。
まずエロゲの定義として胸部をさわさわするものではなく、この場合はストーリーがあるものだとします。
エロゲ会社の社長のツイートがソースですが、エロゲ売上は5年以上連続で毎年20%前後下がり続けているというデータがあるのだそうです。
理由はいろいろあげられますが、とりあえず「売れなくなった」ことが客観的にある事実なのです。
最近の若い子はストーリーのあるエロゲを知らないとは言わないけれど、少なくともブームにはまったく触れてないのでしょう。
大人になってもエロゲをやめられない大きなお友達には、なにかの欠陥があるのかもしれません(それでこそオタクだと言えるでしょう。誇りを持ってください)。
若い子がメインのゲームで、若い子がプレイしない。産業としての終わりを感じますね。
それは「エロゲ」を比喩として使う層は、少なくとも10代では無いということです。
5年連続とも言ってますし、U25にはもう馴染みがないのかもしれません。
エロゲを知り尽くしているかのような発言を見てもアラサーがギリでしょうか。
と言ってエロゲをみんながしていた時代なんてありません。09年の感覚によればエロゲの売り上げは1万でヒットレベルです。
君の名は。は動員数700万人を超えました。
エロゲだ、エロゲだ。と騒いでいる人。それを広めたい人が居るようです。
しかしまったくもってその比喩は広く響かないし、自分がエロゲマニアのおっさんだと認めるようなものなのです。
エロゲプレイヤーとして自信を持っているのなら良いですが、どうも目にするのは「みんなエロゲしてるよね。エロゲみたいだよ。若い子は違和感抱かないのかな」みたいな論調が多く、怖いです。
KOWAI。KIMOI。似てますね。
それと同時にセカイ系を連呼している方もいらっしゃいますが、エヴァンゲリオンは今年で21周年を迎えます。
若い子は知らない、のではなくそこから受け継がれていたものがあり、何度も形を変えたと思う方が自然でしょうが、何故「セカイ系」という概念にこだわっているのか。
古い概念で論じている時点で、多分「君の名は。」を語ることはできないと思います。
(BUMPと一緒に語られることもありますが、BUMP世代よりもう少し下の世代の配信時代が始まってから出てきたバンドです)
(アラサ―世代はニコニコでMADに触れ、ハレ晴レユカイを文化祭や運動会で披露した世代です。新海監督の演出ががっつりハマる層だと言えます)
(テレビで何度もアニメ映画が放送されるというのは、子供だけではなく大人まで影響を及ぼしているはずです)
何故エロゲに結び付けるのだ。もっと色んなアニメや映画や本、漫画を読めばいいじゃないか。
これが今朝の気持ちです。
ノリや感情みたいなのをむき出しで刺激する
オラサイトとか、https://www.youtube.com/watch?v=oLFMdMYWUxM
トゥートゥートゥマシェリとか、https://www.youtube.com/watch?v=MCBS8-kh3e0
マイヤヒーとか、https://www.youtube.com/watch?v=GeeUSDW3tcA
しぃのうたとか、https://www.youtube.com/watch?v=VurT6jZnZks
でそのなかで、2ちゃんねらーのなかでも
https://www.youtube.com/watch?v=GKqGN3EQUIs
エモくて俺は苦手だったんだけど
とにかく当時のニヒリズムな2ちゃんねらーでもバンプは人気だったのを覚えてる
おまえらこういうの好きなのかよってね
これ以降、ネットは動画サイト時代になったりして、ニコニコ動画的なものが生み出されていくから
最初FLASHのこと忘れてて、君の名はってのはニコニコ動画的なものだなって思ってたんだけど
新海さんの年齢から考えて、おそらくFLASH動画のエモくて歌ものBGMでの演出に影響されていったんじゃないかなって思う
RADWIMPSを指名したのは新海さんだっていうんだけど、歌い方がみょうにBUMPっぽくなってて驚いた。
あのせだいに訴えかけるなにかがあるんじゃないだろうか
新海誠は「君の名は。」で「秒速5センチメートル」を見た人に向けて、ファンサービスまたはSMプレイをした。
今も弄ばれた傷は消えないし、ハラハラもドキドキも「君の名は。」の後ろに見えた「秒速5センチメートル」のせいだ。
いつRADWIMPSが山崎まさよしに変化するのか、というのも見ものだった。
桜の花びらが秒速5センチ(遅い)で散る瞬間を、今か今かと見守った。
新海誠はポスト駿と言われているらしい。本人もピンと来てないだろう。
しかしだ。
1992年7月18日公開の映画『紅の豚』この映画のラストシーンを思い出してほしい。
「あれ、結局人間に戻ったっけ?豚のまんまだっけ?」となるだろう。
その9年後2001年7月20日に公開された『千と千尋の神隠し』
ラストの展開を思い出してほしい。
「豚…豚のまま終わる…!」
奇しくも『君の名は。』は『秒速5センチメートル』の9年後に発表されている。
「君の名は。」にはまだ、過去作を見た人をいたぶる仕組みがある。
君の名は。で雪野に気付いたときハッとしてうれしく思うのだが、それがどんどんと不安にかられていく。
雪野、やっと幸せになれてたかもしれなかったのに!ああああ!!