はてなキーワード: RADWIMPSとは
遅れて鑑賞。若い子も多かったがカップル以外の客も増えていて、結構年齢層も公開初週よりは上がって来たのではないだろうか。以下、長い。
年間とかではなく今までの興行収入ランキングみたいなものを見たら分かると思う。
何故売れたのか?と疑問に思うものまでさまざまだ。
少なくとも「スカスカ」映画ではなかったし「何故売れたのか」という点でも完璧ではないが、ある程度説明つくのではないか。
ステマだけではなく本当に評判が良い映画が自分に響かないと、ただ普通につまらない映画を見たとき以上にガックリくる。
この映画を見る今日まで、映画通やら映画通という名のアニメファンやら映画通という名のやり○ん騒動男やらの、いろんな批判を見た。
映画が好きな自分からすると、「そうか。食いつける映画なんだな」ということで、自分にとっては逆宣伝になった。
(まぁ信頼する映画通たちは結構試写時点で絶賛してたんだけど)
映画が好きだと書いたが、アニメ映画に関してはもっぱら円盤待ちの人間なので、その自分を映画館に行かせたという効果は絶大だ。
まず自称新海ファン評の「新海らしくない映画」だが、しっくりこない。
むしろ新海監督のファンサービスがちりばめられていて、過去作好きこそ振り回される映画ではないだろうか。
キャラ、ストーリー構成から唐突感だったり、詩的な部分だったり、感覚的な部分。とても「新海らしい映画」だと感じた。
むしろ新海らしくないというのなら、何らしいのか。
思いつかないので、やっぱり新海らしい映画だった。
隣りで見てた50オーバーが号泣し、終わった後感想を熱弁していた。50オーバーを若い世代という世界には住んでいない。
しかし確かに今まで見てきたアニメ映画とは、一味もふた味も違うのかもしれない。
ニュージェネレーションに対するギャップが、ある人にとっては大きかったのかもしれない。
例えば主役が高校生だから高校生しか感動しない。というのは馬鹿な話である。
じいさんが主役でも、子供が主役でも、感動するものは感動するだろう。無理なら想像力が欠如している、と言っているようなもんである。
RADWIMPSは嗜む程度だが、あまりRADWIMPSらしくもなかったので、激烈RADファンからすると絶賛はしにくいんじゃないか。
自分のような嗜む程度のやつに、ちょうどよかった。
歌もしっかりはまっていたし、劇判にも仄かにRADらしさがあった。しかしやっぱりそんなにRADらしさは無かったかもね。
つまりファン以外も満足しているということだ。(ファンもある種の初期RAD感が出ていて嬉しいのかもしれないが)
ここはとても「邦画」感が溢れていた。秒速~以外に、自称映画通なら何作品か思い浮かべたいところだ。
昨今の邦画は設定を詰め込み、それを全て説明しようとしてくる。故に物語に勢いが無くなったりする。
しかしそこまで説明されずとも作りこまれている映画に傑作が多い。本家アカデミー賞受賞作などを見ると、設定をしっかりした上でとにかく勢いが凄くて、設定なんてどうでもよくなる。
その部分がエンタメ邦画には足りないなぁと常々思っている。(無いとは言わないし、説明カットし過ぎてダメなのも邦画あるある)
結局作りこみすぎると、ヲタクは解説したくなってしまうのだ。(ヲタク=脚本家・監督)
君の名は。はその絶妙なバランスにたどり着いた。日本人が受け入れられる塩梅での。勢いと説明の狭間だ。
例えば、見てない人には分からないだろうネタバレだが、三つ葉が父を説得するシーンが今作には無い。しかし説得した、と分かる。
でも後々…もしかしたら見終わった後で、もしかしたら2回見た後で「あ、そういえば説得してたな」と気付く仕組みになっている。
見ても無い自分が「フィクションだからさぁ…」と突っ込みたくなるような批判だったが、見た今なら「あれはこういう意味があったんじゃないかな?」と推測できる部分がしっかりある。むしろちりばめられている。突っ込んだ人はもっとストーリーをみるべきだった。
きっとリピーターは血眼で探しているだろうし、他のそういう手品のトリックみたいな演出も、多分2回見たいと思わせる構成だ。
男女入れ変わりと聞いたら、転校生を始めいろんな作品が頭をよぎるだろう。使い古された設定に見えるかもしれない。ボーイミーツガールは王道だし。
その設定を使ったこういう構成の脚本を、薄っぺらいと言うのか。本当にそう思ったのなら絶望的な感覚である。とまで言っちゃう。
「薄っぺらい」ではなく「説明なさすぎ」の言い間違いじゃないのかなあ。
これくらいで良いと思うけどね。商業映画は。(もう一度見て理解したいと思わせる技は必須)
おっぱい揉んだりパンツが見えたりしただけでヲタク向けになるのか。
パンチラは角度的にどうしても見えてるだけであって、逆に見えないのはあの画の中では大きすぎる嘘になってしまう。
パンツが見えないのはギャグだ。リアリティがない。むしろ日常萌えアニメはミニスカで絶対見えるパンツを描かないことで、フィクション感をだしている。
ていうかパンツ一瞬しか見えない。コンマ何秒とかしか見えない。騙された。
この理屈と同じで、実際あの状況なら胸は揉むだろ。
そんなわけであがっている批判を見ても、「え?なんでそんな批判があがるの?」というものばかり。
(例えば漫画原作のように<漫画という神>と違うからという批判は、心情的に良く分かる。調理した方と見た方の問題は根深い。)
是非まだ見てない人に、見てから判断してほしいと頼みたい。別に批判をする人がわるいわけではない。的外れな批判が溢れているだけだ。
どうも売れすぎて、色んな雑音が耳に飛び込んでくる状況になっている。
これを読んでる人は、君の名は。のことが気になっているはずだ。素直に、自分がどう感じどう思うか?と映画で考える良いチャンスなのだ。
そういう空気が付きまとう世界情勢で、映画界、とくに邦画界にもある時点から閉塞感があった。
いつだって現実が向かってきたし、夢物語は無い。そう示してくる話が多く、心の片隅が窮屈な想いをしていた。
若者たちは経済が少し上向いても無駄遣いをしない世代になった。夢を見るやつは、馬鹿だと思っていた。
でも「君の名は。」は希望のある夢を見せた。ここまでの大きな夢は、もしかしたらあの時の自粛ムードと共にタブーになっていたたのではないかと思う。
フィクションだから、アニメだから、一つの大きな嘘を内包することができた。
なにかの穴を埋めてくれたのかもしれない。
その中のインタビュー記事を読んでいて、ふと感じたことがあるので増田に書き残しておきたい。
新海誠は、アニメ業界出身の監督ではない。手探りでアニメを製作してきた人間である。
これまでの作品のスタッフに、アニメ業界出身者がいないわけではない。
しかし、今回の「君の名は。」では、作画監督に安藤雅司が起用されている。
彼は、スタジオジブリ出身のアニメーターで、いわばアニメ業界の保守本流に属している人間だ。
安藤に対するインタビューの中では、「インディーズ」という単語が度々登場する。
曰く、「君の名は。」は、新海誠がインディーズからメジャーに至る転換点である。
安藤自身は、「君の名は。」の持つインディーとメジャーの二面性に、クリエイターとしての面白さを見出していたようである。
しかし、インタビューの端々に、新海誠がアニメ業界出身ではないことに起因する苦労が見えていた。
新海誠は、アニメ業界の保守本流、メジャーと対峙して、どんな気分だったのだろうか。
私は、安藤や田中のインタビューから、彼らの新海誠に対する「上から目線」みたいなものを感じてしまった。
こいつはアニメがわかってない、みたいな。
それは新海誠の出自を見れば当たり前であり、単純に経験不足であるから仕方がないものでもある。
もちろん、そのことが新海誠の価値を下げるものではないと、安藤と田中は述べている。
しかしなぜだろう、「君の名は。」において、新海誠だけ、一人浮いて見えてしまうのだ。
日本を代表するアニメーター軍団は、新海誠を遠巻きにして眺めている。
旧知のスタッフは、その後ろで新海誠を不安そうに見つめている。
神木きゅんは、狂信者のように新海作品の魅力を語り続け、川村元気が無言で頷く。
興行収入が増えれば増えるほど、なぜか切ない気持ちになってしまうのだ。
私の中の「新海誠」は、この狂騒の中、寄る辺なく漂うしかないのであろうか。
唯一の安息は、雲のむこう、約束の場所にしかないのかもしれない。
追記:
id:cider_kondoさん。確かにそうですよね…。なんというか、新海さんもまさかで安藤さんが作画監督をやってくれるとは思っていなかったのではないかとも思ったり。
id:fusanosuke_nさん。安藤さんから見たら確かにそうなんですが、新海ファンとしてはなんか悔しくなっちゃうんですよね。
id:sgtnkさん。それはすごいですね……。
id:ustamさん。星を追う子供も嫌いじゃないんですけどね……
id:liatris5さん。新海さんも新海さんなりに苦労しているので、本職の方に悪く言われるのは悲しいところですよね。
id:mementm0riさん。そうなんですよね。これまでの新海さんを見てるので余計に。細田さんも素敵ですよね。
「君の名は。」の本当のEDは、Aimer「蝶々結び」だったのではないだろうか。
・2016/8/17リリース(「君の名は。」公開日は2016年8月26日)
・MV監督は岩井俊二 <-映画クレジットにスペシャルサンクスとして名があり
http://blog.szk.cc/2016/09/04/a-story-of-the-power-of-musubi/
「蝶々結び」のシングルにはRADWIMPSの「セプテンバーさん」のカバーも収録されていて、もしやと思ってTwitter検索したら、『君の名は。』の黒板に「9/3(=セプテンバーさん)」の日付があったというRADファンのツイートもあるし、やはりもう1回見に行かなければ……!
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
彼女は「瀧を変えた女子がいるはずって予測してたんだから「その子に会うなら見てみたい」って事でしょ
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
制服が夏服じゃなくなってて同一かわからんからどっちとも取れるけど地元ぽいかなあ
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
それもそうだけど町長が応じたのも何故だよな
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
考えたくは無いけど対処は無理ぽいよな。14日のうち前半3日と後半3日なら8日余るから何とかなるのかも。いや稼働日数よく知らんけど
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
ミツハ姉妹はおばあちゃんに引き取られたとかタキは朝ごはんを父親と当番制でやってるとかわかるんだし十分じゃね?
東京だと満員電車でやられたとか聞く被害だけど地方だと無いのかな?ああいう店での事例は聞いた事ないけど無くはないだろなあ
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
消えたんじゃないかねえ。デジタルデータは消えやすそうだけど紙まで?!って感覚なのかな。デジタルもそうそう消えないって感覚だわ
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
出身地みたいな言い方だったけど若い頃だけじゃなくある年齢までは住んでたように感じた
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
おばあちゃんにもお母さんにも経験としてあったのならお母さんから町長が何となく聞いててそれで避難に応じた可能性あるかなーって思った
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
同じこと思った
ヒットしたわけは分かるが
君は本当に彼らの口コミスピードと新しいもの好きを知らないんだね。
まずヒットした理由を3行で,
中高生に焦点をあてたボーイミーツガールだということ,そして彼らの口コミ伝播速度はまるでそこだけが別世界のようにはやいということ。
つまり,全体のアーリーグループに裾野まで収まるほど時の流れの早い中高生をメインターゲットにしたこと。
もちろん,この理由でなければ"メガ"がつかないなんてことはない。しかしこの作品はこれで"メガ"がつく。
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他愛のない会話をすることにとっても慣れている。
しかもそれがとっても共感できる,キュンキュンできる作品なら…そりゃあとってもオススメするだろうね。
多感な中高生なら2時間で突然「君の名は。」のコアなファンになってごリ押しまくってもなにもおかしくない。(新海誠のそれではない。)
そこにRADWIMPSだ
彼らは中学生でも理解できる語彙を使って,中高生が惚れるような詩をかく。
胸が締め付けられるような詩 カッコよさで狂ってしまいそうになるような詩
/// 追記 - 201609152329
/// 君の名は。では
/// 「でも君のいない 世界など 夏休みのない 八月のよう」
/// が一番記憶に残った。これはRADの作家性をとてもよく表現した良い詞だと思う。
バンドなんてメジャーレーベルだけでも一人の人間が全部聞くのは不可能に近いくらい沢山ある。中高生に聞かれるのは一握り。
そのくらいにはRADは中高生に好かれてる。これ以上は日記がRADWINPSに寄り過ぎちゃうからコレでも置いとくさ。
http://music-book.jp/music/news/column/107155
9割(1割はマセた子)がRADも好きになる世代だから,観たやつはみんな君の名は。を"べた"褒めしてオススメした。
だから観に来るし,予約してないのにギリギリに行くから観れないと文句を垂れる。
彼らの熱量はすごい。__世界は若者の熱量供給で回っていると俺は思う。__彼らの影響力は大きい。
朝のニュースは彼らを取材して,彼らのコメントを拾い,そして私達はいつも彼らの声を聞く。
彼らは当然中高生並の感想を喋るが,熱量は伝わる。その熱量に気圧されて,アーリーマジョリティが動く。
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また,中高生は新しいものを抵抗なく好きになれる。まだ知らないものばかりだからだ。
裏を返せばまたすぐに塗り替えられるのだが,上映期間の3ヶ月くらいは保つ。
知らないことばかりの彼らの時間は,大人と比べてとてもはやく流れる。
彼らの世代では既にレイトマジョリティまで届いているかもしれない。
彼らが受け入れられるものについて,彼らの裾野はいつもマジョリティの山まで引っ張られていると思う。
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この映画はリピートにもそれなりに耐えられるが,中高生には金が無いし,時間も土日にしかない。
彼らが受け入れたせいでこの映画の動員数は過去の曲線よりも頭を打つのが早くなると思う。
2% - 200万 - ヒット
5% - 500万 - 大ヒット
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追記
『君の名は。』のメガヒットは製作委員会とみんなのツイートがもたらした(境治) - Y!ニュース
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sakaiosamu/20160914-00062175/
はてブにいる古参オタクの「君の名は。」への反応を見ているとどうもそんな印象を受ける。
最近のオタク系のコンテンツを見ているとわかるがこの類の「劇中で歌詞つきの伴奏をかける」という手法がわりと普通になっている。
また、若干毛色が違うがゲームのペルソナシリーズもその一環である。
RADWIMPSが旧来のオタクからの評判があまり芳しくないというのは何となく見て取れるのだがどうも言及が少ない。
「君の名は。」を見るとわかるが、作品全体を通してかなり緻密に劇伴を主軸にして映像を作り上げている。
前半のコミカルシーンの頂点の前前前世や後半の転んで立ち上がる際のシーンや隕石衝突のシーンにかかるSparkleは話の持って行き方、画面にドンピシャなタイミングで写る彗星などあまりにも見事だった。
物語の区切りやテンポそのものまで音によって明示していたりする。
隕石衝突直前のパキーン!というSEと、三葉に再度戻る時になるパキーン!という音は観客に明示的に三幕構成であると伝えるようとしているにすら見える。
http://shiba710.hateblo.jp/entry/2016/09/14/122251
この底の浅いヒョロヒョロな評論考察を読んでイライラしてしまった。ライターが仕事ほしくてケツにローション塗りたくって新海と川村と野田にケツ差し出して媚びてるようなヌルヌル文章だよ。こんなの。
まあネットを巡回して色んな意見をまとめて自分の考えをたとえ薄っぺらい内容でも分かりやすく主張して言っているという部分ではローションライターとしてはいい線いってるんじゃないか。
で、内容は
東浩紀や渡邉大輔とかはリア充性に注目しているけど、そうじゃない、エンタメ技術論なんだと。うん。その方法論の実現のためにRADWIMPSという存在があると。うん。で、そういう組み合わせを仕掛けた川村元気が天才的なんだと。ううん?
ど、どういうことだろう。一体この人は何を言ってるんだろう。
>こういう風にお互いに共通する世界観、作家性を持つクリエイターを結びつけるのが、まさに「プロデューサーの仕事」なんだなと思う。そして、「音楽×映画」という観点で見ると、川村元気という人はいろんな実績がある。
中略
>高木正勝や山口一郎や野田洋次郎や中田ヤスタカのような作家性の強いアーティストに「映画のための音楽」を作らせる手腕。さらに主題歌と劇伴を同じアーティストが手掛けることによって、映画と音楽が密接に関わりあう作品に仕上げる手腕。そのあたりは、『バクマン』や『君の名は。』や『何者』に共通する、川村元気のプロデューサーとしての天才性だと思う。
おうおうおうおう、いぇいいぇいえいぇい。そうね。はいはいはい。
なんか知ってるなあ。こういう物語と音楽のあり方、なんだっけなあ。昔あったな~、同人誌のタイトルで、椎名林檎とかcoccoとかポルノグラフィティとかの曲名を同人誌のタイトルにしたりさあ。自分の好きなカプのテーマ曲を脳内設定したりあったなあ。つか今でも見かけるなあ。
結局川村元気においての映画と音楽なんてのはこういうことを東宝のプロデューサーとしてのスケールでやっているだけで、天才的な手腕でも何でもない。ただの凡庸さゆえにより大きなマーケットに向けての仕事ができるというだけです。村上春樹聞きながらレディオヘッドとか聞いてる学生と似たようなもんなんです。たぶん、人脈つくりや人と仲良くなることが得意なんでしょう。どうでもいいことですが。
本題なんだけど、もうさ、君の名は。の褒め文章、どれもこれも高校生のポエムみたいなのでうんざりする。なにがちょうちょ結びだよ。テーマが結びだ? んな程度のことたいていの物語系のコンテンツで君の名は。以上の水準でやってるよ。挿入歌の歌詞の考察でアニメ映画の評論かいな。さらにそんなスッカスカの考察のアホみたいな文章にブコメで称賛するスーパーアホもわんさか。こういうアホどもをあぶりだしたことが君の名は。の最大の達成かもしれんな。あと褒めるべきは、中高生をひたすら甘やかしてうっとりした気持にさせるためだけに日本のアニメシーンで最高峰の人材が浪費されたのは虚しいこととはいえけっこうな金儲けになったことだけはまあ褒めてもいいだろう。問題はそんな映画についてクソポエムを書いてしまう連中とそれにくっついていくクソオタ。
チャーリーのポエムに続けて40のオッサンが「ここはまさに同意」じゃないんだよ。
君の名は。に前史みたいなものがもしあるとしたら、適当に今考えつくだけでも、書けるだろう。
そして新海誠が作った山崎まさよしのPVになってしまったような秒速5センチメートルが公開されたのは2007年、ハルヒダンスなんかも当時の中高生にとっては重要なのかな。適当に言ってるだけだけど。
つまり、アニメ文化とPV的映像センスの親和性と消費者のリテラシーがこの10年間でとんでもなく浸透し、上昇した。具体的には、自己像を架空の世界、二次元キャラアニメ世界に没入させる技術が今の10代20代はそれ以前の世代と比べて圧倒的に優れているわけ。
そしてさらにカゲロウプロジェクトや告白実行委員会、ボカロ小説といった、若者向け物語文化がさらにそういうPV的な音楽と物語の需要にさらに拍車をかけた。
はっきり言って、やってること同じでしょ? 君の名は。とカゲプロとかずっと前から好きでしたとかって。新宿感はストリート感に対応しているし、青春ドキドキ胸キュンストーリーだし。
震災をダシにしつつ実際は自分の恋愛の成就にしか興味がないウスラバカのための映画で子供の背伸びにもピッタリ。
というのはまあクソオタ向けのまとめであって、なんでこんなとてつもないヒットしたかって、結局のところ新海誠のくどい撮影のキラキラ画面というのは、大衆にとって衝撃的な画面として映ったってことでしょう。しかも、描かれているものはスピリチュアルでスケールが大きい。ただ素朴に、「え~。アニメでこんなにキラキラした画面初めて~。すご~い」ですよ。それを映画館の大画面で見るんだからカルチャーショックでしょう。物語の内容がアホみたいな間の抜けた王子様とお姫様のきっしょいラブストーリーだとしてもね。べつに中高生がうっとりするのにはそれでいいんですよ。(本当はよくない) 問題はそんなのでポエムしちゃう連中。
田中将賀のパンピ向けデザインが安藤雅司ほかのとんでもない水準のリアリズム超作画で青春ドキドキ胸キュンストーリーが、実際の物語としての出来はともかく、予告だけ見てたらとんでもなくヘルシーで健康的な印象でしょ。そういうただひたすらキュンキュンときめきたいっていう大衆の眠っていた願望を呼び覚ますには充分すぎる画面を提示することができたわけ。本当にただそれだけなの。凡庸な物語センスの新海誠と凡庸な音楽の仕掛け人であるところの川村元気のセンスが大衆向けの子供だましクールジャパンアニメの到達点として結実したというのが妥当な見解でしょうよ。
物語コンテンツの需要における文脈や楽しむための作法には積み重なっていく歴史があるんだということさえ理解できないバカが大量宣伝を大衆向けの物語でやったから川村がすごいんだと単細胞な意見でつっかかってるんだね。ガンダムとマクロスをたとえに出して、君の名は。とカゲプロが似てると思うのは老いだぞ、とか。このエントリの文意さえ読み取れてないみたいで、これはバカでも分かるように書かなかったこっちが悪いのかな。それともバカなのが悪いのかな。
君の名は。をバカにされて頭がフットーしてる人、ケチつけられることがつらい人にオススメなのは川村元気は他所の畑で実った果実を自分の畑で植え直して大衆に売ることの天才とでも思っとけば川村でも天才扱いできるからいいんじゃない?
こっちはライターがフェアな関係であるべき対象を天才とか軽々しく言い出したのがイラついただけなんでね。
文脈なんて前提だよって人もいるけど、だったらライターはその文脈を歴史として記述しなきゃ。ポエムなんかよりも。
なぜヒットしたのか? 天才プロデューサーの仕事だからでありますって。ちゃんちゃらおかしいよ。ライターがプロデューサー褒めそやしてバカな素人がそれに乗っかって「これが君の名は。の正しい評論だよなあ」って好きなもの同士の特権意識で頷き合ってる気持ち悪い構図になってるんだがら。
このライターの人も君の名は。をRADWIMPSの音楽で読み解きたいんじゃなくてただ取引先ともっと仲良くなりたいってだけなんじゃないかなあ。業界の仕組みなんて知らないけどさ。
シン・ゴジラや君の名は。を絶賛する層には受け入れがたい認めにくい批判にあう映画なのかもしれないが
今のところ今年一番好きなオリジナル映画はこれ。
ゴジラや君。にあった「社会情勢」は「カープ好調」で表し、現代問題については「カープ女子って妊婦でも可愛く見えるよね。だからまぁ赤い服が重要じゃないの?」を提起している。
年代層もデスメタルを好む若者から、矢沢永吉にグッとくる良いオッサンオバサンたちまで幅広くカバー。
ラストの怒涛の展開に観終わった後「なんか負けた」感が味わえるのも、上記2作品と類似している。
またそのラストでの音楽との絡みも最高であり、君の名は。RADWIMPSくらいの調和感を持っている。冒頭のデスメタルバンドにテルミンなんか最高だった。
人間の生死について考えるところも、今年のヒット作と類似している。果たしてモヒカンは大事にしただろうか。
こう書くとヒットしなかったように思えるが、広島じゃ大作押さえて初週1位を記録しロングランになった。じゃけぇ、見るとおどりゃーも広島人になるんかもしれん。
とにかく、そういうわけだから、見てくれ。
あらすじか?モヒカンが、故郷に、帰るだけだ。それ以外に必要なのか?マッドマックスだって行って帰ってきただけだろうがあああ!
ある日、四国のはてラボに暮らす女子高生の増田は、自分がはてなブログの男子増田になった夢を見る。
日頃からはてブロで消耗する生活に憧れを抱いていた増田は、夢の中で念願だったはてブロを満喫する。
一方、はてブロで暮らす男子増田の増田も、行ったこともないはてラボで自分が女子増田になっている奇妙な夢を見ていた。
繰り返される不思議な夢。
そして、明らかに抜け落ちている記憶と毛。
何度も入れ替わる身体とネットライフに戸惑いながらも、現実を少しずつ受け止めてゆく増田と増田。
残されたお互いの下書き記事を通じ、時にdisりあい、時に相手のアカウントを炎上させながら状況を乗り切っていく。
しかし、気持ちが打ち解けてきたのも束の間、定期的に起きていた入れ替わりが突然途絶えてしまう。
RADWIMPSの曲を背景にリズミカルに入れ替わりながら、同時に自分たちが特別に繋がっていたことに気付いた増田は、会ったことのない増田に会うため、
抜けおちた毛を目印に高知に向かうが、たどり着いたはてラボは、3年前の不人気によりサービス終了、
増田やその家族、友人も含むユーザー数百人が死亡していたことが判明する。
増田は以前増田と入れ替わった際に参拝した、山上にある神社の御神体へと向かい、もう一度入れ替わりが起きることを願いつつ、3年前に奉納された増田の下痢便を飲み下す。
再び(3年前の)増田の身体に入った増田は、増田の友人とともに、住民を避難させるため、わんわんワールドを爆破してラボ一帯を停電させ、
botのスパム投稿をジャックして避難を呼びかける作戦を計画するが、その要である増田の父(増田)の説得に失敗する。
増田の身体に入った状態で御神体のある山にいる増田に会うため、増田(身体は増田)は山を登る。
生きている世界には3年の時間差がある2人だったが、なぜか互いの本アカは見え、本アカで互いを相互ブクマする。
ブクマが伸びると、入れ替わりが元に戻り、初めて2人は直接会話することができた。
計画通りに増田を炎上させ、避難指示の放送を流すが、そのスパムジャックも増田ブクマカに見つかってしまい、避難は進まないまま、増田は改めて増田である父の説得に向かう。
増田が「入れ替わり」という不思議な出来事にあってから5年後、
そして「奇跡的に住民が脱糞訓練をしており被害者が出なかった」増田の消滅から8年後へと舞台は移る。
増田も増田も、入れ替わりのこともその相手の名前も忘れていたが、
ときおりホッテントリの人気記事でその相手の気配を感じることがあった。
ある日、並走するtwitterの窓でお互いを見つけた2人は、
ようやくライブドアブログのランキング上位に増田を見つけた増田と、
すれ違ったところで増田が話しかけ、2人とも互いに探していた増田だと分かって涙を流し、そして2人同時に相手に名前を尋ねた。
「君の増田は。」
最初に言っておくと、流行っている物を否定する自分カッコいいと思って書いてませんし、
『君の名は。』が良いという人の何が、どこが良かったのかを、真剣に聞きたいだけです。
・主人公2人はどうして惹かれ合ったのか?
…仮に自分が女子高生だとして、無意識のうちに他人(男)と入れ替わってて、胸を揉まれていると分かったら、
逆に自分が男になっている間になんとかして社会的に殺そうとしないだろうか?
・入れ替わっている時、年号が違うことになぜ気づかないのか?
…多少なり新聞やTVなどのメディアを見ていれば、3年前or後にタイムスリップしている事くらいすぐ気づきそうなのに。
そもそもカレンダーとか曜日が違うから、違和感ありまくりじゃないのか?
・3年前に既に会っていることをなぜ忘れているのか?
…受験期間というナーバスな時期に、あんなキチガイじみた女子高生に遭遇していたら、
間違いなく覚えていると思うんだけど、記憶喪失にしては都合良すぎないだろうか…。
・三葉はどうやって父親を説得したのか?
…あえて描かないことで、観る人間に解釈させる余白を持たせたのだ、という考え方も有ると思いますが、
他にも色々言いたい事はあるんですけど、総じて、設定もキャラクターも、
すべてが作る側の「ほら、こうすれば感動するんだろ?泣くんだろ?」っていう思惑に振り回されすぎてて、気味が悪い。
やー見てきた。素直に面白かったよ。
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
あと、一時期流行った山ガールなんじゃね?服装気合はいってたし
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
→田舎の人間にとっては土着の場所が消滅すれば岐阜だろうが東京だろうが同じなんじゃない?
土建屋も地場の道路が消えればやってけないだろうし、田舎に仕事が無いから東京に来たんじゃないかな。
それか、行政の処置でみんな関東に来てるとか?だいぶスレたカップルになってたな。
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
→野暮なこと聞くな胸糞悪い
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
→わからん
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
→1%くらいトトロっぽさを感じたからその影響かも。たきくん家のお父さんは何となく浮気で離婚したと言われても納得いく雰囲気だったと思う
→現代人の悪意とか嫌な人を端的に描きたかったんじゃない?下にあるように実際ある行為だし。
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
→消えたと思う
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
→それな。俺もてっきり土建屋の息子がラーメン屋になったのかと思っちまった
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
→それはそう思う。あと、ちょっと曲が余計だったところはあった気がする
もしわかるって人がいたなら教えて下さい。
・長澤まさみが中の人はなんで飛騨についていった?(ヒマだから?)
・ムー好きの土建屋の息子と泣きぼくろの彼女はなぜ東京にいた?(岐阜にいない?)
・ヨツハも中学生になってどこか人の多い学校にいた風になってたけどもしかして東京にいる?
・反町長派がけっこういそうなのにみんな素直に避難に応じたのはなぜ?
・ミツハが生理のときはどうしてた?(週に2~3なら該当するときがあるだろ)
・飛騨にあんな所あるの? 飛騨にないにしろモデルみたいな所あるの?(湖のあるところやご神体のあるクレーターなところ)
・人格が入れ替わる前のミツハもタキもどういう生活をしていたのかよくみえないんだけど(どっちも母親不在っぽい)それは監督のチカラ不足ってこと? それともなんか理由がある?
・ヨツハがスマホに日記を書いていたようにタキもノートに日記を書いていたけど、それも消えた?
・高山ラーメンのオヤジは彗星が落ちる前の町にいた?(あと高山ラーメンはあんなじゃない記憶があるのだけど)
・ミツハのババアの過去にあった入れ替わりはなんか伏線としてある?
・RADWIMPSってあんなBUMP OF CHICKENっぽかったっけ?
・3年のタイムラグを感じさせる描写ってゲーム機以外になんかあった?
ただ、思いついたこと列挙しただけですね。
1番好きなシーンは泣きながらおっぱいを揉むところです。
純然たるラブコメとして見れば良作なんだけど、震災の傷跡とかそういうのをないがしろにして、結果的にボーイミーツガールしか残らないお話で残念だった。
東京目線で「みんな避難して助かってよかったよね、消えた町のことは知らんけど」というスタンスを感じちゃったというか。
バンプオブチキンとかアジアンカンフージェネレーションみたいなのは好きなのかと思ってたけど、何が違うんだろう
新海誠監督の最新作『君の名は。』が公開から2日で59万人動員だ興行収入7億だ、最終的に60億円見込みだと話題になってて、はてダ時代から棲息しているボンクラな古参はてなーどもが「誰にそんなにウケてんだ」と驚愕してる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/eiga.com/news/20160828/8/
Hoodedcrow1 なんかブコメ見てると把握してない人多いけど、この映画のボリュームゾーンは中高生女子(オタに限らず)ですよ。新海誠だから見ている訳じゃないっす。小説は既に50万部売れてて、主題歌でさらにブーストかけてます。
raitu 新海誠の新作アニメ映画「2日間で観客動員約59万人、興行収入約7億7000万円(26日が約3億4800万円、27日が約4億2200万円)を記録」今回は「君の名は。」という中高女子向けの人気原作であることも寄与してるっぽい
まーこのあたりのブコメが正解だよね。タイムラインを追うとはっきりわかる。
2015.12.10 製作発表・公式サイト開設。2016年8月に東宝配給で全国公開、神木隆之介・上白石萌音の主演が明らかに
4.6 予告PV公開。主題歌と劇伴をRADWIMPSが担当することが明らかに。キャッチフレーズは「この夏、日本中が恋をする。」
6.18 新海監督書き下ろし原作小説刊行(角川文庫)。3日で売り上げ10万部を超える
どう見ても「勝ってから戦ってる」でしょ。最初から、神木隆之介だRADWIMPSだ、やれ「日本中が恋をする」だという要素に惹かれる層を相手どってる。
4月時点で、プリクラをtwitterアイコンにしてる地方の大学生が予告編を観てこんなツイートをしてた。
上映予定の君の名はっていうの
めっちゃ見に行きたい🙄
これ泣くやつや
https://twitter.com/youtyan731/status/725877277683159041
昔ボンクラどものカリスマ?だった新海誠が、こういう人々相手の商売に成功しようとしてるわけ。
しかし、言うほどボンクラどものカリスマだったか?という疑問があるのよね。
新海作品は初期から知ってるけど、ボンクラどもが『秒速五センチメートル』でひっかかりまくっていた「女々しさ」(敢えて言う)が、『ほしのこえ』『雲の向こう、約束の場所』あたりでは逆に若い女性にウケて話題になってた記憶がある。
14年前、『ほしのこえ』が初めて公開されたのが下北沢のトリウッドとゆーミニシアター。『雲の向こう~』も今は亡き渋谷シネマライズ。女性客多かったよ。
新海誠作品は元々そういう文脈でウケてて、扱う主題的にも、こういうふうに勝ってから戦える可能性はバリバリ秘めてた。『秒速~』がむしろ例外的に、当時のはてな村の非モテ文脈に乗せられてたことでヘンな誤読を招いてたんじゃないかと思うけどどうよ?
すごいめちゃくちゃで、ふわふわとした話を圧縮して(いるかのように騙されながら)、勢いで見せられたという感じである。
思いつくまま適当に文句を言います。誤字脱字はスルーしてください。読みやすさは保証できません。
単純に、これ、この二人の恋愛物語が、なんでこういう話でないといけなかったんだろうって思ってしまった。現実世界を写実的にアニメビジュアルで美しい世界でやっていればいるほど、プロットが進めば進むほど、リアリティがなくなって、ふわふわしてくる。秒速5センチとかは、ファンタジー要素は、クズ主人公が理由もなくモテること以外は別段、物語に存在しないから、ああいうクズのナルシシズムの物語として説得力があったが、君の名は。みたいに大きな舞台設定をコントロールする力量がないからもうひたすらめちゃくちゃで、あきれる。なんか最後の方とかエヴァもどきの精神世界みたいな描写とかもあったし。2016年であんな描写見て、何を説得したいのか謎だった。もっと普通のドラマの描写を作って言いたいこと言えよ。
もし、これがテレビアニメ1クールだったら、予算も時間も潤沢でなく、画面にオーラもなくお得意の映像美もろくすっぽ使えないだろうから、物語面が強調されて、みんながアレコレと粗を突っつくので「すごいきれいな映像の映画を見た!」っていう勢いがなくなり、凡作認定されていただろう。元々新海誠みたいなのって、エヴァンゲリオンと村上春樹を創作のよりどころにしているような、たいして才能のない作家であって、自意識過剰で独りよがりな恥ずかしい妄想で物語を構築しようとする奴が一人で短編アニメをそういう感性で作ってそれが玄人筋にセカイ系だのと変な刺さり方をしたせいで、なまじポエムとかキラキラした画面作りがうまかったせいで長編アニメ映画作家としてのレールに乗ってしまったのが間違い。このあたりの、「アニメーション映画の作家」のブランド化を擁立する回路と発想の貧しさってかなり根本的にどうしようもないことになってると思う。漫画みたいにさ何十人何百人と作家がいるんならいいんだけど、新海誠って、ただ異様に夢見がちで異様にロマンチストなだけでしょ? それがこのひとの作家性でしょう? 東宝が大衆向けに成立させるためにいろいろテコ入れ指導しただけで、悪いところは何にも治ってないよ。寝取られ趣味を指導されてセルフパロディで両想いハッピーエンドなんてところは作家の力量の場所じゃないだろう。
君の名は。にしたって文芸的な発想として、基本的にやってることは、ぶっちゃけ今やってるアニメだとリゼロあたりとほとんど変わらない。何か一つか二つ、使い古された仕掛けを元ネタとして、そこに自分の価値観人生観恋愛観青春観家族観女性観男性観などを展開していく土台にするわけだけど、この映画、雰囲気しかない。ひたすら美しい彗星を見上げるキミとボク、っていう。あそこから恋愛物語を出発させていくんだけど、それが、あの映画。40過ぎた男が「オリジナルで」やるのが、あれ。背景美術の美麗さ、超豪華アニメーター陣の画面の力をとっぱらえば、何がある? 単なる借り物の想像力で自分語りしているだけでしょ? その自分があまりに貧相なんでもうつらいつらい。
ポスト宮崎? つまり20年後の国民的な映画作家? 本当にこの人でいいの? まあジャニーズ帝国みたいにジブリ帝国だった時期があるせいでこういうことになってしまったんだろうけど、画面作りに非凡な才能があるというだけで、大した教養もない奴を神棚に飾らなければならないカリスマを祭り上げる発想が薄気味悪いし居心地悪いしもう最悪。
コイツ一度でもテレビアニメの平均的な予算と時間でやらせたほうがいいわ。君の名は。ではこれまでついてきてくれたアニメーターたちを切り捨てて東宝マネーであてがわれた超豪華なメンツのアニメーター引き連れて興行収入はこれまでの最高が1,5億を初日だけで軽々と塗り替えるくらいの大宣伝攻勢。プロデューサーたちは頑張ったよねえ。シン・ゴジラより興行収入あげちゃうかもしれないんだから。宣伝はうまくいったよね。口コミはどうなんだろうなあ。シンゴジラみたいになるのかなあ。どう考えても駄作だけどなあ。
本編のうざったさは、まず、入れ替わりの際の決まりごとの曖昧さ、具体的なルールや法則性の明示のされなさ。これにいらつく。元に戻れば記憶が薄れるとか、バカにしてるだろ。
他人と入れ替わったのに学校に行きバイトに行き、お互いの素性を知っても連絡を取ろうとしない。そんな日常を代行するくらい打ち解けても自分が生きている時間や日付に気付かないという脚本がわざと主人公たちをバカにしていて、もう序盤で冷めていた。写実的アニメのくせしてこのラインのリアリティの話なんだなと。思春期の男女が入れ替わって? 家族や友人がそれまでと変わらずに? 陰口叩いてくる同級生の威嚇のために机を蹴っ飛ばすの? ホントに大丈夫? そのレベルのリアリティでやってくの? 女子力が高い男子高校生と女子大生が仲良くなる過程のディテールもろくにかけないからランチして笑ってればいいの?
前半のガバガバなリアリティが死ぬほど退屈で、アホらしかったわ。憧れの年上のお姉さんのマネキンっぷり、生々しさの演出がタバコって失笑でしかない女性観。もう一段階読み込むと、バカな男たちが惹かれる顔と身体だけの女として、あの先輩を描いているかもしれない。青春の幻影的な? まあ嘘だけどね。魅力的な現代的な女性像なんて新海誠に誰も期待してないでしょう。もう単純に、長澤まさみばりにいい女っていう記号でしかない。
主人公をめぐる人間関係にしたって、後半の探索を円滑に進めるメンツの確保のためでしかなくて、ハリボテ感がすごいんだよね。まあこういう部分はオリンピック見ても分かるように日本中がスクールガールスクールボーイコンプレックスで単に学園物っていう牢獄にいるようなもんだから、ガキっぽい世界観になるのは国民病なんだけど、ただの事実として、選択した物語のギミックにふさわしい舞台設定の調整と情報量のコントロールがド下手。何か原作をつけてアニメを作ったこともない、TV放送で1話20分で回したこともないんじゃそうなって当然だよ。
まあこういう勢いで迫力を出している、野生のバカであるがゆえの新海誠という作家性があるのも事実とはいえ、君の名は。を名作として崇めようとするのはやめたほうがいい。新海誠は文芸的にはリゼロと同レベルなんだから。あのバイト先のレストラン、高級シャレオツぶってるけど、客の民度から察するに最低ランクでしょ? パンケーキのお店のほうがランクはるかに上なんでしょ? 物語の動かし方がつまようじドキュンを活用することでしか分からないんでしょ? やばいよ、あれは。つうか長澤まさみがなんか機転を利かすのかと思ったら謝るだけだったし、ガチで思春期男子が顔と身体だけであこがれてる女性っていうイメージなのかもしれないなあ。まあどうでもいいが。
最初から最後まで、子供っぽいふわふわした基準のリアリティで物事が進んでいく。入れ替わりギミックのぼんやりした設定だけじゃなくて、人間関係とかもヒロインにおいてすら、投げっぱなし。思わせぶりなセリフで色々匂わせるんだけど、それだけ。冒頭で、ヒロインとおばあちゃんが父親とうまくいっていないという物語的な課題を提示しているのにほっぽりだす。ヒロインの家系の巫女的能力があることだけほのめかして、クライマックスの筋に絡まない。ものすごい空虚な存在でしょ、父親が。碇ゲンドウ的ですらない。母親なんて排除しちゃってるもん。
後半の畳みかけるような展開は、正確に把握できたかどうか自信がないけど、もしかしたら、きっちりつじつまが合うように作られているのかもしれないけど、仮にそうだとしても、見ている側との意思疎通がほとんど感じられない。何がどうなれば物語としてオーケーなのか、ゴールが正確に提示されないでしょ? 酒を飲んだら入れ替わりが発生するとか、そんなん言われても、法則性はないのでどうとでもなる展開でさ。
んで助けに来て、おばあちゃんは入れ替わりに気付いても、彗星の話は信じないとか意味不明だろ。父親を説得にも失敗して声を荒げたら「お前は誰だ?」というところでやっぱりあの家系は死んだ母親ふくめて代々そういうことがあったんだと示唆されるわけだけど、なぜか場面転換して逃げ出すように「俺じゃ説得できないのか」って好きな女性の父親とのコミュニケーションを放棄して、なんか展開おかしいなあと思ったけど、彼女とバトンタッチで世代を超えて組糸の家族の和解がテーマかと思ったらそっちも何もない。わだかまりを解消するとっかかりが示されるわけでもない。
土建屋と放送部とか、人間関係と設定がご都合主義的なのはまだ許せても、カタルシスが用意できてない。子供と大人が揉めて、対立して、そこで何かしらのきっかけでうまくいきはじめて、カタルシスが生まれるはずなのに、あれ、なに? 避難訓練て。リゼロみたいに、自分が頑張ってますってアピールするためだけにあの状況があったの? 大人たちは?
現実なのかよくわからない「たそがれ」の場所で幻想的な背景の中でマジックで「好きだ」ださいわ~、普通書かれたらその場で見るだろ。ださいわ~。
そのへんのラノベアニメにないもんっつったら時間のメタファ~()であるあの伝統工芸とかなんだろうけど、物語の中のアリバイ作りとかになっちゃってない? 組糸にしたって、ただのドラマティックな恋愛の盛り上げ役っていうかさ、あのアニメの中の世界であの伝統芸能がどういう存在でこれからどうなっていくのか、とか故郷を災害で失い、跡形もなく消し飛ばされた人々は、東京でつつましく暮らして結婚とかしちゃいますよ? 憧れの先輩も結婚とかしちゃいますよ 君たちも幸せになろう? 頑張っていこう?
は?
震災の記憶と自意識過剰な文学青年が出会って作品にしちゃう最悪のケースの一つ。自分たちを彩る美しい壮大な光景、君の名は。の描く震災は、ロマンティックで残酷な恋愛が体験できるアトラクションなんだよ。BGMはRADWIMPSでさ。
要するに、子供の幼稚な恋愛の話しか興味がないし、子供の幼稚な恋愛の話しかできないの。この人は。庵野が言うコピー世代っていうのよりもう一段階ひどい。子供の世界観でしか物を語れないうえに、何か題材を選んだとしても、それを自分の自意識のファッションみたいに扱ってしまう。
なんか、今回の新海誠をとりまくメディアとかアニメファンの状況が、裸の王様が誕生した瞬間を目撃したような気分になる。
追記
トラックバックで白状がどうとか頭のおかしいこと言っている人がいますがなりすましの変人です。書いてることも奇妙でどういう意図があるのかよく分かりませんが。