はてなキーワード: 進学校とは
歳の離れた兄弟がいて、年下の子の扱いには慣れていたから、保育園でも小学校でも小さい子から人気だった。小さい子のお世話が得意な女子ってやつだ。
最初は、ただ小さい子と遊ぶのが好きだから保育士になりたかったんだと思う。大きくなるにつれて、なんとなく「私は将来保育士になるんだろうな」って思っていた。
高校生になってもその夢は変わらなかった。けれど、その頃から希望進路を伝えると、親や先生を含めた周りの担任の反応が微妙なことに気付いた。
私は受験でめちゃくちゃ勉強を頑張って、割と有名な進学校に通っていた。高校は、東大や京大、一橋、東工大などの有名国立大学や医学部、早慶のいずれかに入るのが良いことと考えている人が多かった。
先生もそう考えていて、高校1年生の頃に私が保育士になりたいから資格が取れる地元の大学に行くと伝えたら、やんわりと否定された。親も最初は夢を応援してくれていたけど、「折角良い高校に入ったんだから有名大に行ってほしい。」と思っているのが言葉の節々から伝わってきた。
周りの友人も東大や医学部を目指してる子が多かったし、有名大学に行けなかった先輩のことを軽く見下しているような雰囲気があった。そんな雰囲気に徐々に飲み込まれていって、「良い大学に入らなきゃ!」と思うようになっていった。その頃から「良い高校に入ったんだから、保育士になるのは勿体ない」という謎の思考に侵されて、保育士の夢を諦めた。不快に思う人もいるかもしれないから伝えるが、これは保育士を馬鹿にしているのでは決してない。私がただ馬鹿で、窮屈な価値観を持っていただけだ。
保育士の代わりに自分が何をしたいのか考えて考えて、結論を出した。「有名大学に行って、ある興味のある分野を学んで、企業の開発職に就く」というものだった。高校生の頃の自分は納得していた答えだったけれど、本当に納得していたかはわからない。ただその学問に関わる教科の偏差値が高いから好きなだけで、実のところ興味があるわけではなかったのだと思う。
それでも、いつのまにかその進路に進むことが本当の夢のように感じられて、大学受験をがんばった。
結果、かなり有名な大学に入れた。親も担任も大満足で、たくさん褒められた。あまり話したことのなかった親戚からもめちゃくちゃ褒められて、たくさんお祝いしてもらった。周りの反応が今までにないくらい良いものだったから、「自分は正解の道を歩めた」ってすごく安心したのを覚えている。
でも、「正解の道」を歩めたから、「不正解」になることをすごく恐れるようになった。大学に入ってからは、単位を少しでも落とすことが怖くて勉強をきっちりしたし、体育会かサークルで悩んだ時は体育会が「正解」だと思ったからそちらにした。企業の開発職に就くという「正解の道」に進むため大学院に進学することも決めた。
今、私は大学院の入試試験の勉強をしている。周りの友人は大学院に進む人が多いものの、就職する人もいる。就職する人を横目に学生をすることに少し負い目があり、なぜ私は大学院に行きたいんだろうと考えることが増えた。考えるたび、「本当は保育士になりたかった。別に大学院行かなくて良い人生だって歩めたのにどうしてこんなことしてるんだろう?」という思考が頭を占める。
「不正解の道」を歩んでしまったのではないか?とすごく不安になる。本当は「正解の道」は保育士になることだった?
人生は選択の連続であり、その選択に正解や不正解がないことは重々承知している。今の生活にも満足している。友達がいて恋人がいて学歴も持っている。世間から見たら満足していないのがおかしいと思う。それでも、やはり保育士になるべきだった、なりたかったという気持ちが湧き上がってきてとても辛い。
後悔しても仕方ないから、目の前の院試の勉強を頑張るしかないのはわかっているので、勉強は頑張る。
ただ、とても辛く苦しい。
「こんなものに夢中になって一喜一憂しているのはバカ、知能が低い」
「こんなの見てる連中、出演者も含めて気に入らない」
なぜかというと、これらは「山ちゃん」の見方とほとんど同じだからだ。
私は増田に50%は同意だけれど、もう半分は「山ちゃん的」な楽しみ方をしていた。
見ていない人のために解説する。
テラハというのはまず、表面上は「豪華なシェアハウスに集まった、キラキラした美男美女たち。
職業はハーフモデルや女優の卵は当たり前、ファッションブランド経営者、サーファーにスノーボーダーなど絵に描いたような陽キャ。
ただただ彼らの素敵な恋愛やお洒落な衣装に憧れ、キャーキャーいうだけの番組」
…に見える。読んでるだけで反吐が出そう。私も最初はそうだったので、全く興味がなく見てなかった。
見てないけど、海外ドラマの「ビバリーヒルズ青春白書」や「ゴシップガール」に近い印象だろうか?
何が面白いのだろう?
これまで顔で苦労をしたことが一度もないような顔面偏差値の高い美男美女が、いつもの調子でノー勉で進学校のテストに望むのだ。
これまでだったら並の女はチャラチャラついてきたような、会話のない退屈なデート。当然、撃沈。
これまでだったら並の男はホイホイついてきたような、セクシー通り越して下品な服。当然、撃沈。
そんな彼らの「あれ?おかしいな、いつもはこうじゃないのに」と落ち込む姿に容赦無く突っ込む存在がいる。それが山ちゃん。
山里亮太は「非モテ」の立場から、羨望と冷笑の入り混じったツッコミを続けてきた。
綺麗な顔して実は家事ができない、優柔不断である、清楚系に見えて異性を惑わす、定職についてない、ドヤ顔で着てる服がダサい、
特に叩くところがなければ、「売名のためだけにテラハに出ている八方美人」という理由でも叩けるからもう無敵。
それもこれも全部、「下から目線」だからある程度マイルドに見えていた。
なんなら、モテ男モテ女の双璧である徳井、YOUの連合軍が「また童貞の僻みが始まった」というていで反論するから、まだなんとかなっていた。
それが最近では山里が結婚してしまい、徳井がいなくなり、みんなで山里に同調し、一緒になって叩いていたという。(まだ見ていない)
(徳井とYOUも以前からかなり酷い下ネタで盛り上がったりしていたので、山里だけを悪者にするのは違う)。
さらに言えば、花のキャラクター自体、洋介やゆいのように「最初の好印象から一気に転落するキャラ」としてロックオンされてしまったように思う。
報道では「ヒールだが実は繊細だった」と言われている花だが、「実は」なんて言われなくてもはじめから彼女はシャイでピュアで繊細だった。
そういう、いろいろな面を垣間見れるのがいいところだった。
花ちゃんに限らずいろんな話が放送後、メンバーのインスタグラムから出てくる。悪者だったあの人も、実は料理が上手だった、実は落ち込んでる時慰めてくれた…
みんないいところがあった。たくさんあった。なのに切り取られ、カメラには映らない。
つらい。みんな大好きだ。
自分は、「一般的に、暗記数学に賛成している人」とされている、
の中の一人だが、そのはしくれとして、「暗記数学が正しい」という妄言を徹底的に批判する。
その塾では基本的に生徒に自習させ、分からないことがあったら講師(自分)に質問する、というスタイルを取っていた。
基本的に自習だが、毎日チェックテスト(基礎的な数学の問題が数題出題される)のみ、全員に共通したノルマだった。
講師の初日、全員にチェックテストをやらせていたが、一人(A君とする)だけなぜかやらなかった。
話を聞いてみると、「基礎の練習など無意味。自分はもっと応用問題の解答を暗記する」という強い信念を持っていて、基礎はやらない、とのこと。
「生意気言うな。基礎もできない人間に応用問題なんてできるわけないだろ」と何度も注意したが、
なんでも和田秀樹の本を読んで感動したらしく、忠告は拒否され、毎日せっせと解答の丸暗記をしていた。
結局浪人期間の一年間で一番A君と仲良くなった(自分の説明が分かり易いので気に入ったらしい)が、
彼の解答の丸暗記法では、全く同じ問題だと解けるのだが少しでも違う問題だと全く太刀打ちできなかった。
彼が熱っぽく如何に和田秀樹の理論が素晴らしいかを語るを聞き、
「問題が解けるようになってから言えよ。とはいえ、いたいけな受験生をここまで変な考えにさせるなんて和田秀樹ってやつはトンデモねー極悪人だな。」
としか思えなかった。
結局彼は成績が上がらず、目標としていた難関大学(ぶっちゃけ慶応)よりも相当偏差値の低い大学に行った。
最後に彼は「やっぱり基礎は大事なんですね」と反省していたが、彼の貴重な一年を棒に振った暗記数学はもう極悪だとしか思えなかった。
以上が、私が和田秀樹の提唱する暗記数学が絶対に間違っていると判断するに到った根拠である。
とは言え、暗記数学氏の
との主張は至極最もだし、暗記数学氏の提唱している勉強法は「暗記数学」というタイトルを除けば極めて全うだろう。
また、私もA君からの又聞きによってしか和田秀樹の理論を知らないので、
「A君のやっていた『解答を丸暗記する』法は本当の暗記数学ではない。本当の暗記数学は理解して暗記するものだ」
との反論はあるかもしれない。
詳しくは知らないが、自分の読んだことのある和田秀樹のエピソードは、
和田秀樹が大学時代に灘の高校生(B君とする)の家庭教師をしていた。B君は灘というプライドがあったため、和田秀樹が何度も
「解答を覚えろ」と忠告したのにも関わらず、いきなり難問を自力で解くという勉強法を繰り返し、成績が上がらず、大学受験で撃沈した
というものである。これは暗記数学氏の言う「何かをこじらせて勉強法に無駄な拘りを持っている人たち」に対応するものだろう。
確かに「数学は暗記だ」という言葉は、B君みたいな灘に入ったからと言って勘違いしてしまった一般人(灘にいる本当の天才はそんな勉強法でも大学受験レベルの数学くらい解くだろう)には有効な言葉かもしれない。
A君みたいに解法を暗記するだけ暗記して全く応用の聞かない馬鹿を産み出したのは確実に和田秀樹のせいである。
そして、日本の「数学が出来ない高校生」のうち、A君タイプ(解法の暗記はするけど理解が追い付いていなく、暗記した問題から少し変えると答えられない)が99%で、
B君タイプ(自分は天才だと勘違いした凡人)は1%にも満たないだろう。
そのような状況で、B君タイプを減らすことを目的として、A君タイプを量産することになる
仮にA君の暗記数学の理解が不十分だったとしても、暗記数学という言葉は有害無益である。
暗記数学氏の主張が
という主張なら、それは100%正しい。オイラーやガウスでもない一般人が平方完成も知らずに
二次方程式が解けるはずがない(というかオイラーやガウスも平方完成は暗記しただろう)。
しかし、オイラーやガウスが行ったことを「暗記数学」とは言わない。
暗記数学氏の想定している「アンチ暗記数学派」の主張は「数学の体系をゼロから始めて全て車輪の再発明をしよう」
という荒唐無稽な主張であるため、このような主張のアンチテーゼである「暗記数学」
和田秀樹らによるいわゆる「暗記数学」の要点をまとめると、以下のようになるだろう。
これは従来、数学の入試問題を解くのに必要なのが曖昧模糊とした「ひらめき」や「才能」だと思われていたことへのアンチテーゼである。「暗記」という語はその対比であり、特別な才能がなくとも、基礎事項を確実に習得することで、入試を通過できる程度の数学力は身に付くことを主張している。
そもそも、大学入試は大学で研究をする上で重要な知識や考え方の理解度を問うているわけであって、徒な難問を出して受験生を試しているわけではない。したがって、そのような重要事項(つまり、教科書の基礎事項や、数学を活用する上で頻繁に出てくるような考え方)を身に付けるのが正攻法である。
そのための教材としては、エレガントな別解や難問に拘ったものよりも、基礎事項や入試頻出の問題を網羅したスタンダードなものが良いとされる。
これはいわゆる解法暗記である。なぜ、具体的な実例を学ぶのかと言えば。数学に限らず、具体的な経験と関連付けられていない知識は理解できないためである。
実際、教科書を読んだばかりの人の多くは、自身の知識と入試問題との間にギャップを感じる。たとえば、ベクトルの内積の定義や線形性等の性質を知っただけでは、それを幾何学の問題に応用するのは難しいだろう。教科書を読んだばかりの段階というのは、将棋で喩えれば駒の動かし方を覚えただけのようなもので、実戦で勝つのは難しい。実戦で勝つには、定跡や手筋のような、ルールだけからは直ちに明らかではない、駒の活用法を身に着ける必要がある。
将棋の定跡を初心者が独自に発見するのが難しいのと同様に、数学の自明でない実例を見出すことも難しい。そのほとんどは歴代の数学者が生涯をかけて究明してきたものなのだから、当然である。しかし、現代の高校生には既に教科書や入試問題がある。特に入試問題は、数学の専門家が選りすぐった、良質な実例の宝庫である。受験生はこれを通じて数学概念の活用のされ方や、論理の展開等を深く理解するべきである。
そしてこれは、大学以降で数学や工学を学ぶ際も同様である。特に、大学以降の数学では、抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、具体的な実例を通じて理解しているかを非常に重んじる。たとえば、セミナーや大学院入試等では、以下のような質問が頻繁になされる。
教科書の記述や、解いた問題は完全に理解すべきである。つまり、
といったことを徹底的に自問するべきである。自分の理解が絶対に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけない。「微分で極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題だからとりあえず微分してみる」というような勉強は良くない。
そして、理解できたと思ったら、教科書の一節や問題の解答を何も見ずに再現してみる。これはもちろん、一字一句を暗記するということではなく、上に書いたような知識が有機的な繋がりを持って理解できているのかを確認することである。ある事実が、どのような性質を前提としていて、どのように示されるのかという数学のストーリーを理解していれば、何も見ずともスラスラ書けるはずだ。
また、問題を解く際は、いきなり答えを見るのではなく、一通り自分で解答を試みてから解答を見ることが好ましい。実際に手を動かすことにより、分かっている部分とそうでない部分が明確になるからである。
以上のことは、何も受験数学に限った話ではない。他の科目でも、社会に出て自分で調べたり考えたりしたことを他人に発表するときでも同様である。
要するに、数学の専門知識と社会的常識のある人は暗記数学に賛成しているようだ。
逆に、反対している人。
反対しているのは、金儲けが目的で目立つことを言っているか、何かをこじらせて勉強法に無駄な拘りを持っている人たちのようだ。
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思うに、アンチ暗記数学派というのは、精神の根底に以下のような考えを持っているのではないのだろうか?
一部の人は、大学入試では「ひらめき」「発想力」「頭の柔らかさ」「地頭の良さ」などを試すために敢えて典型的ではない問題を出しているとか、「天才」を発掘するために常人には解けないような難問を出題していると思っているのかも知れない。しかし、先にも述べたように、大学入試は、大学に入って研究するための基礎学力を測っており、入試問題は、そこで問われている知識や考え方が重要だから出題されるわけである。したがって、そういう重要な知識や考え方を十分に身に着けていれば受かる。ただそれだけの話である。そして、良識ある教育者は、数学で重要なところが分かっているから、それに基づいて教材や予想問題を作っている。そうでない人はもしかしたら、大学が普通の受験生には解けないように徒に問題を複雑にしていると思い込み、ひねくれた問題を教えているのかも知れない。
また、「数学自体は重要ではなく、数学を通じて思考力を鍛えることが重要」とか「受験勉強は社会に出て嫌な仕事を我慢するための訓練」等と思っている人もいるかも知れない。特に前者は、自称数学好きにもいるようだ。しかし、深く考えるまでもなく、大学受験に数学が課せられるのは、大学で研究するために(少なくとも、教員が望む水準で)絶対に必要だからである。そして何度も言うように、入試で問われるのは、研究のために必要な知識や考え方であり、「頭の柔らかさ」などではない。また、数学をそれほど使わない学部にも、受験に数学が課せられるのは、多くの大学には転部等の制度があり、文学部から経済学部とか、農学部から工学部に転部するような事例は珍しくないからである。
上記2つに共通するのは、「理解」よりも「ひらめき」等のオカルティックなものを重視することである。これは、上に述べた胡散臭い教育業者や、受験生に絡んでる学歴コンプが暗記数学に反対する理由と符合する。金儲けがしたい受験業者にとって、「基礎を確実に理解することが重要」と言うよりも「入試本番に典型問題は出ないから、ひらめきが大事(。そして、ウチの教材を使えば、それが鍛えられる)」などと言った方が、客は集まりやすいだろう。また、SNS等で受験生や教員などに絡んでる奴にしても、数学の本質が理解できず霊感的なものに価値を見出しておかしな勉強理論にかぶれてしまったと考えれば納得がいく。
自称進学校に入学したばかりの頃、太ってたしそれなのに自分のこと可愛いと思ってた頃、友達たくさんもちろん彼氏も作って最高な高校生活にしてやるぜと意気込んでたあの頃。実際はデブだったし顔も真顔だと怒ってる、笑うとキモイと言われるくらいにブスだったしコミュ障だから思い描いていた半分以下くらいだったし彼氏もできなかった。
大学生4年になって、ずっと続けてきた地味なダイエットも結果が出てきて、化粧もだいぶマシになったからか本当にごくたまに好みだと言われるくらいの、一応普通くらいの顔にはなった(これもまた思い込みかもしれない)し友達は相変わらず少ないし彼氏もできないままだけど何となく満足した生活を送っている。
でも、もし今ドラえもんとか魔法使いとかが出てきて好きな時間に、時代に戻してあげると言われたら間違いなく高校時代を選ぶと思う。
クラスで一緒にいた子とか部活の子にブスとか言われたり男子にアイツだけはないなって陰で言われたり傷ついたことも数えきれない。でも部活(吹奏楽部だった)のコンクールで金賞取ろうとみんなで努力した事とか重役になって放課後集まって話し合いという名の愚痴大会と恋バナした事とか初めて友達とディズニー行ったりお泊まり会したり旅行行ったりした事とか先輩を好きになって告白した事とか卒業後も定期的に遊ぶ友達に出会えたこととか、そういう思い出が全部全部心の中で輝いている。高校時代の自分の顔大嫌いだからカメラロール見たくない、もし将来結婚したとして披露宴とかで高校時代の写真とか映像流されたらたまったもんじゃない卒アルなんて破り捨てたい燃やしたいとは思ってるけど、キラキラした思い出が大切すぎて、今じゃ考えられないほど毎日が生き生きしていたあの頃が好きすぎてカメラロールを見返したいし人に見せびらかしたい。そんな矛盾。
俺の能力を勘違いしちゃった母親に中学受験させられて嫌だったな。大人に「勘違いすんなよ」とか言われたりするのも嫌だった。
俺は勘違いなんてしてないよ。井の中の蛙だってわかってたよ。でも母親は「今に見てなさい!」みたいな感じだったな。受験するの俺なのに。
分からない問題を聞いても親も分からないので「もういいよ」っていうと「教えてもらってるのに態度が悪い」と言われて怒られた。
俺が「どうせわかんないでしょ」と思ってたのが原因だと思う。親は解説できないから高い金払って塾の補習塾である個別指導塾に入れられた。
そこの授業が終わるといつも「どうだった?わかった?」って聞かれるから「わかった」って言ったら「あの女全然やる気なかったじゃない、ダメな先生の時ははっきり言いなさいよね」って怒られた。
塾のテストの日程を全く把握してないのをめちゃくちゃ怒られた。やる気ないのに覚えてるわけない。
自分の部屋ないからみんながテレビ見てるところで勉強してた。自分たちはテレビ見てるのに何でおれだけ勉強やらなくちゃいかないのかなと思っていた。
6年生の夏くらいに突然給食が食べられなくなって一週間学校を休んだ。病院に行ったらストレスと言われた。
それから塾に行く前に吐き気を催すようになった。塾に行く時間がちょうど水戸黄門が始まる時間だったので水戸黄門が始まると気持ち悪くなった。
塾を休むと元気になったのでよかったと思っていたら「何よあんた親を騙してたのね」と言われた。
いつの間にか志望校が慶應になってた。全然知らない学校だったのに。親が行かせたかったんだと思う。結局塾から無理そうと言われて受けなかったけど。
それで東京の進学校とMARCHの付属中学に受かったんだけど母親に「えーMARCH?」みたいなこと言われて行かなかった。
中学受験で母親がおかしくなったのは怖かったな。母は今だに過干渉だけど昔よりはましになったのでよかった。
あと親父に昔の話を聞いたら親父も親に塾行かされててみんなとサッカーできなくて嫌だったとか言ったのでじゃあ俺に同じ事させるなよと言った。そしたら「うーん」って言われた。
にゃーん
人を愛するためには自分を愛する必要があって、それはとても難しいよ。って話。
人生を振り返る。
女の子と遊んでいた記憶もあるけれど、受験が成功して地元から離れることになって以来、その人とは会ってない。
中学校では虐められていた。
毎晩泣いて帰宅していたことを覚えているし、毎日ぼんやりと死に際について考えてた。
最終的にこの運動部は引退間際に活動停止になったこともあり、その流れでやめることとなった。
仮にも進学校だったのもあって、成績が良いとそれなりの地位にいれることを学んだからだ。
人と関わること無く勉強に熱中したおかげで、いい大学に入ることが出来た。
大学というところは便利なところで、勉強だけをしていても白い目で見られることが無い上に褒められることもある。
ある意味では現実逃避にうってつけな環境だった。おかげで興味のある進学先へ行くことも出来た。
この世がひっくり返るほどの発見はできなかったものの、卒業時には表彰されるほどの名誉を得た。
研究者の道もあったが、生きていくお金が欲しかったため、自分のテーマに最も近い民間企業へ就職をした。
大学とギャップがあるとは聞いていたが、自分としてはやることは同じだと思った。
分からないことがあれば人に尋ね、知識を補強するために勉強をし、そして自分の成果を発表する。
なんのことはない、単調な作業。
30目前になると、周囲の人が結婚し始める。
色々な本を読むと、そこそこ順調だと思ってた自分の人生は失敗だらけだったことに気づく。
そして「自分は進んで人生の選択をしたことがなく、劣等感を払拭するために生きている。」ことにも気づいた。
大学・大学院では現実逃避のために勉強や研究に熱中していたこと。
今の企業へ入った理由も、何かがやりたいわけでなく、自分の得意なフィールドであれば最低限虐められることはないだろうとの考えがあったこと。
全ての選択が受動的であり、また常に「見えない何か」に怯えた生活をしてきていた。
結局、自分は自分のことを愛していないし、愛そうとも思わない。
劣等感でグズグズで、何かになろうと努力をするもゴールが曖昧なので成ることも出来ない。
自分を愛することが出来ない以上、どんな人と会っても自分を売り込む気になれず、恋愛や結婚は失敗する。
この話にオチはないし、これからの未来におそらく劇的な展開も起きない。
「見えない何か」から逃げ続けつつ、生きていける道を見つけた以上、自分はこの道を外れることを過度に恐れている。
学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。
1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代が愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています。
ブラック部活は、愛着障害の治療の集団療法という側面があったのだろうと思います。愛着障害が存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員は意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。
そのあたりから、学校に福祉的機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮、個別の支援計画、外部機関との連携。部活動。
教員は、授業を成立させるために、福祉的業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式に業務にしてしまうのです。
ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。
以下は、『身体はトラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、
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太古の昔から、人間は自分の中の非常に強く恐ろしい感情に対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシアの演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話の再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合の儀式だったのかもしれない。
演劇を通してトラウマを治療する。愛と憎しみ、攻撃と幸福、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時に、トラウマの本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇は情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。
学校からは、能力と集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽、演劇、美術、スポーツがどんどん姿を消している。
見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。
筋肉を動かすこと、意識の集中が必要な作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである。
教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワークの学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師や学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験の得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題に効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。
規則を平然と無視する生徒は、アメリカの学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。
他者の言葉をしっかり聞き、自分の言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。
教師が怒鳴ったりする代わりに、子どもが経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分の感情を説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全の経験を学ばせるのだ。
(しかし)学校はトラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。
トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセル・ヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから
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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにいます。教員は守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています。個人情報なのでメディアにも明かされません。
日本の福祉政策の不備を、教員が無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子どもを学校が福祉的にケアすることを国民は望みます。学校の教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉的ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます。
うちの娘は年長
・就学が半年遅れる
・今年全員留年
・今の生徒たちの学習の遅れは?
いや、オンライン授業とかでちゃんと対処してる学校も多いでしょ。全員が全員遅れてるわけじゃないぞ
無策で4か月過ごした学校だけ遅れているんだが、それをケアする必要ある?
・受験はどうする?
受験生の条件一緒でしょ
ルールを後から変更すると、それで損する人と得する人が出るので大反対
現行ルール維持だと浪人生が有利になるかもしれないけど、新センターを嫌って昨年度は浪人生が少ない
で、それに対してメリットは?
・無策だった学校で授業こなせないところに、正規の時間だけは与えられる
・海外とそろえられる
・改革をしてやった感が得られる
苦しいので書く。
私はどうしようもなく頭が悪い。
それに気づき始めたのは小学生の頃だった。まず九九が覚えられなかった。
数日で同級生たちが余裕綽綽で九九を唱えれるようになる中、私だけは数年単位の時間を要した。
それはどの分野でもそうだった。理科でも体育でも、それこそ暗記というものが関わると全くダメだった。満足にできることといったら、国語の朗読ぐらいだった。
努力しなかったわけじゃない。むしろ努力は人一倍した。同級生たちが数時間で覚えるものを私は数日かけて覚えた。
そうやって同級生たちに追いつかないと、私は自分の頭が悪いことを自覚してしまう。それだけは嫌だった。とにかく嫌だった。
なぜなら私は医者になりたかったのだ。今となればなぜそう思ったのかはわからないが、女医だった母親に影響されていることは間違いない。
父親のことは何も話さなかったが、女手一つで私を育ててくれた。その背中に憧れた。そして(最近の話だが)早いうちに亡くなってしまった。
そうした生活を続けていくうちに高校進学では中々上位の進学校に入学することができた。しかし問題はそこから始まった。
全く授業が理解できなかったのだ。
中学生のときは一日の全てを注ぎ込めばなんとか授業についていけたし、高校でもそのままで大丈夫だと思っていたのだが、それは完全に見当違いだった。
必要とされる前提知識の量と進行の速さについていこうと必死になったが、起きている時間だけでは足りないほどに暗記の必要量が増え、それは雪だるま式に膨れ上がっていった。
2年生になる頃には完全に置き去りになった。先生などにも積極的に教えを乞うた。しかし最初は親切に教えてくれるのだが、何度も何度も同じことを聞いてきたり、全く要領を得ない私の姿を見て誰もが呆れた。
ここらでやっと私は気づいた。わたしは根本的に頭が悪いらしいと。
その後も頑張って食らいついてみたものの、諸事情(母の死、親戚の不幸)などから私は卒業を待たずに働く選択肢を与えれた。
助成金などでそのまま高校に通うことは可能だったが、現在の単位状況や成績から見て医学部進学はおろか大学進学すら怪しいという事実をみて私は高校を辞めた。
その後は2年ほど職を転々としたが当時の人手不足の波の中でも私の物覚えの悪さは抜群に発揮され、ろくに稼ぐことなどできなかった。
たどり着いた先は性風俗だった。
こう書くと頭の悪い=性風俗だと思われるが、そんなことはないと釘を刺しておきたい。(私がいうのもアレだが)
性風俗でも物覚えの良さは必要だし、細かいことを要求されることも多い。最初は全くの失敗続きで店を転々としたりもしたが努力と暗記でなんとかし、また優しい友人などにも支えられてやっと安定した。
中退しておいて何をいうのかと思う方もいるだろうし私もそう思うのだが、やっぱり諦め切れないのだ。
だから私はいまでも本気で勉強をしている。側から見たらなんて低レベルな勉強法なんだ、と思うだろう。しかし私にはこれしかない。これしかできない。
やっぱり私は頭がとことん悪いのだと思う。
この先がんばっても医者になれる確率は少ないと思うし、努力も無駄に終わる可能性が高い。
それにいちばんの問題は、いったい何処の誰が金をもらってちんこをしゃぶっていた女に診てもらいたいと思うのだろうか。医者になってもらいたいと思うわけがない。
ある日私の客の中に医者がいて、私はつい嬉しくなってこのコンプレックスを打ち明けた。医者はうんうんと話を聞いていたが、言いにくそうに「努力は認めるが」という前置きをした上で
と言った。
要はお前のようなやつを育てるぐらいならそこらへんのもっと頭のいいやつを育てたほうが効率がいいということだ。まさにその通りだと思う。本当にぐうの音までないほどの正論だ。
でも私は諦められない。
ふと、社会人デビューする前にこれを吐露しておくと肩の荷が下りる気がしたので下ろしておくことにしました。推敲は一切しないので悪しからず。
自分は小学校の時、音楽の授業での合唱に何故か強いモチベーションを持っていた。確かあの時はパヴァロッティの演奏のビデオを見たり、ソプラノ歌手のものを見たりしたかと記憶してる。それでもって家に帰るや否やソプラノ歌手の声真似をしようとしていた。声が変わるとそれは厳しくなって少し苦悩はしたが、声は大きかったことと中学に混声の合唱部があったこともあって真っ先に合唱部を選択した。
中学で3年テノール(バリトン寄り)を歌い続けたのは自分にとって一番長い合唱経験になっている。
高校に入るとき、自分は先行き不安定な歌で身を立てる訳にはいかないだろうから、と合唱から距離を置いて勉強に勤しもうとした。が、これにいくつかの失敗を伴った。
合唱から距離を置いた結果中学の合唱部時代の同期達と疎遠になった自分は荒れた自称進学校で格好のストレスのはけ口だったようだ。合唱に勤しみすぎたのか、自分には頼れる人間が合唱部の同期の他にあまり多くはいなかった。それどころか一部の同期には大分冷たい目を向けられていたように今は思う。ただその一方人数合わせに先輩に呼ばれて一度だけステージに立ったこともあった。
高校を出る頃から今まで、自分は合唱から距離を置くべきだったかどうかについては結論が出ないままでいる。そしてこれからも出ないと思う(こういうことを吐露したかった。)
2年を経て上京して、大学に入った際、大学のグリークラブが一曲入学式で歌っていた。ゆるそうな雰囲気を感じてここならやっていけるかと思ったが、ここで思いのほか高い壁に当たった。ミサの聖句の一つ一つが余りにも自分にとって重い物になっていた。かつて中学の頃は文章の意味を追いかけて、恐らくは絵本程度の世界を思い浮かべることが限界だった。大学に入って、あまりにもミサの聖句は苦しいものだった。半年持たなかった。
それから翌年、中学の同期と後輩に呼び出されて歌った。これは昔ともに歌った人間も居て勝手も分かりよかったのだが、やはりミサの聖句は重かった。しかしミサが一番ウケがよかったのも事実だった。結局、1年半ほどたったところで仲たがいしてしまい、それっきり今に至る。
結局自分にとってミサは何だったんだろうか。家は浄土真宗本願寺派と日蓮宗の両親の下に生まれ、それなりに二人とも経を唱える程度のことはし、自分もさせられた。そんな家で育った自分にとって、若いころはミサはもう一つ、どこか別のところで誰かが信じている神の姿を描こうとするものだったように思える。つまり、そこに神は、自分の中では居たように思う。
しかし、恐らくは不登校と化して自傷まがいなこともやっていた(出席日数もギリギリだった)高校時代辺りが節目だったかもしれない。
大学時代に歌うミサは自分にとって余りにどう歌えばいいか分からない、そんな曲だった。旋律を美しく仕上げることは、特に死ぬほど練習した中学時代の勘が多少なり働いてくれる。でもそれだけだった。曲が自分たちを支えている。しかし支えられる自分が何も描くことが出来ないような空虚感があった。神はもう居なかったように思える。
それなりに人を信頼して生きていた中学時代、人を信頼しなくなった高校大学時代ではあまりにもミサに対してモチベーションが違った。
1日経って、やはりある程度肩の荷が下りているのを感じているところです。
思いのほか拙文を人が見ていたので幾分かの追記をしておこうと思います。
グリークラブ=聖歌隊なんだから今思えばバカをしたなと思っています
ではないんですがかなり出身校に偏りがあり、出身の中学から90人程度、ほかの中学も10~30人程度の塊で進学して来ている人が殆どで、既にその中でコミュニティが存在しているというのが実情でした。後東〇予備校に9割の生徒が通っていて、金銭的事情でそういった所に所属しなかったのも大きいかもしれません。
今の自分の思想は無神論に寄っていて、神を熱心に信仰している他人が不思議に思えてしまうのです。
それに、ミサはKyrieなどがそうですが、「私はあなた(神)を讃えます」みたいな内容、つまり信仰の告白を歌詞に含む曲が多い以上それを非キリスト教徒が歌うことに疑問符を隠せないでいます。
言われてみると、合唱と神というスコープを通して興味関心が少しずつハッキリとしてきた人生かもしれません。少なくとも信仰は無神論寄りになって、クラシックな合唱からは足が遠のいているのが実情ですが、時には歌を歌う人、神を信じる人の気持ちを感じる機会を得られればと思います。
平日は普通に出社してるのに、土日はコロナのせいで家にこもって鬱々とした気持ち。鬱々ついでに今まで書けなかったことを書いてみる。自分語りでごめんね。
公立中学から公立進学校に進み、部活をやりながら指定校推薦でMARCHへの入学が決まった。高校の友人(特に部活の子)たちとは、卒業後も遊んだり合コンしたりしていた。大学は留学することもなければ留年もせず、可もなく不可もない成績だった。けど、思いがけず就活で苦労した。
先輩たちから就活の体験談は聞いていたけど、彼ら・彼女らはなんだかんだで有名企業に内定をもらっていた。だから、甘く考えていたところもあったと思う。少なくとも大学名で足切りされることはほぼないし、成績も素行も悪くはないから、どこかにはひっかかるだろうと。でも、早い段階で選考が始まる大手には見事に全落ちした。特に好きなものも熱意もない私がほんのり持っていた「やりたいこと」は、「大手企業のゆるキャリ事務職」だったのに、早々にその芽は潰えてしまった。
その上、私の就活時期は地震の翌年で、3月以降は中小企業が選考をとりやめたり、内定を取り消したりして、就活生には厳しい状況が続いた。…そんな中でも、やはり決まる子は決まるのだ。同じ大学の友達はもちろん、高校の友達も。私よりランクの低い大学の子や、「就活厳しい」と笑っていた、聞いたことのない美大の子まで。
4年の12月までかかって、やっと今の会社に内定が出た。誰も聞いたことのない、小さな会社だ。業界にも業種にもまるで興味が持てなかったけど、嬉しかった。あらゆる企業に不要のハンコを押された私を救ってくれた気がした。
女友達とは、社会人になってからもずっと会っていた。話題は学生時代とあまり変わらず、最初の3、4年は楽しく過ぎた。けど、20代も半ばになると明らかな差が表れる。仕事のレベルが開くにつれて、生活レベルもスタイルも違ってくる。「既婚者と独身じゃ変わっちゃうよね」みたいな話じゃなくて、同じ独身でも、経済的な理由でひとり暮らしのできる子/できない子、自分にお金をかけられる子/そうじゃない子、あとは、周りに色んな知識を持った人がいる子/いない子…などなど。稼ぐ力の差は明確に出るし、これからもどんどん開いていく。
今の会社にはもうすぐ8年務めることになるけれど、給料はびっくりするほど安い。かろうじてひとり暮らしができているけど、貯金はできないどころか実家暮らしの頃の貯金をたまに切り崩して、ボーナスで補填する有様だ。
その上、これほどリモートワークが浸透してもうちの会社は対応していない。せいぜい時差出勤で、マスクを消費し、怯えながら出社している。自分よりずっと高収入な友人が、リモートワークとUBERイーツで家から出ずに働いている状況をSNSで確認しながら。
いやらしい話だけど、稼ぐ子の彼氏は高収入だ。いやむしろあなた、無職の男性養えるよね…?ってくらい稼げてる子でも、そういう例ってほんとに見ない。まぁ、仕事や趣味の場で知り合うことが多いから当たり前だけど。いくらマッチングアプリが市民権を得ても、やっぱりそういう、周りの環境ふくめた恋愛の方がお互い本命になりやすいんだと思う。マッチングアプリは、関係がふたりの間で閉じすぎていて嘘がまかり通ってしまうし、信頼関係を築くまでに時間がかかり、しかもお互い同時に複数の人とやりとりをするという難しさがある。結局、高収入な男性と結婚したければ、高収入な男性のいるコミュニティに入るのが1番だったのだ。
勝ち負けで考えるのは良くないとわかっているけど、私の人生は負け、なんだと思う。
好きなことも得意なこともなく、それを見つけようともせず。明らかに大学卒業後から、描いていた将来図からズレた。結婚に夢も持てないけど、結婚しないと私はますます辛いと思う。結婚する・しないを本当に選べる女性って、余裕を持って自分を養える人だけだと思う。だから私みたいなのは焦れるのに、アプリにも疲れてしまったし、コロナもあるしで何もしてない。言い訳ばかりの人生で涙が出る。
私は2012年から2019年の間、異様な若者の風景を見てきた。
進学校の高校生がオートバイを乗り回し、大学生がグリーン車で移動し、大学や大学院のサークルが中堅か大手の出版社で出版された本で印税を稼ぎ、20代の高学歴の社会人が家を持って一人暮らし、30代の高学歴の社会人が結婚している。
これは彼ら彼女らが好きでやっていることとは思えない。若者は弱いとか貧しいとか希望がないと罵ってきた大人世代に対する怨嗟の念を感じる。
SEALDsといった団体も、原動力は活動家集団を買うカネではなく活動家一人一人の大人世代への怒りだったのではないか。
路上で、電車で、本屋で、ネットで若者に大人世代がからかわれているが、これは陰湿な若者いじめを長年続けた大人世代の因果応報である。