はてなキーワード: 少年漫画とは
アニメイトやとらのあななど以前オタク男子しかいなかったスポットに多く見るようになった。
女性が働く事でその社会性、外向性の幅が広がりを見せ、ファッション性の高い
元々男性向けを扱うとらのあなと違って女性向けの商品を多く扱っているからでもあるが、
これまでアニメなどオタク性の高い店舗は基本的に男性の聖域であった部分が大きい。
にも拘らず昨今は男性よりも女性のオタクの方が目に見えて増えたものだ。
そういえば、アニメイトやとらのあな、メロンブックスの社員(バイトパート含む)は女性が増えたように見える。
ソフマップなどパソコン用品を扱うお店では男性層も多々見られるものの、実際扱う商品によっては
女性だけの店もよく見られるようになった。
その関係もあって女性のオタクが多くなったのではないかと思う。
そういえば、餃子の王将も以前は男性客で溢れていたのが、女性やカップルの入店を想定してやたらカジュアルな様相になったものだ。
ここ2~3年のアニメを見ても明らかな女性向けテレビアニメも増えて来ていると思う。
というより露骨な男性向けのえっちなアニメが減少してきてる様にも見える。
すぱそにとか妹ちょのような、もはやエロを通り越してお下劣の部類のアニメが多くなって、さりげないチラリズムにドキっとした
あの頃のアニメはもはや絶滅危惧種に思えるのは多分気のせいではないはず。
進撃の巨人の薄い本なんてその殆どがリヴァイとエレンばっかだし、黒バスなんてキセキの世代モノばっか。
当の昔に少年漫画は衰退したと言わんばかりにオタク女子の影響がどこかしこにも顕著になってきた今日この頃、本当は嘆くべきなんだろうけど実感が沸かないのさ。
マガジンやサンデーと違って、特別別格に可愛いヒロインがいるというわけではない。
それなのにごく稀に現れた別格に可愛いヒロインがいたら、腐女子が何故か騒ぎ立てて存在を抹消されるか、リナリー・リーのように没個性化される羽目になる。
そもそも少年誌なんだから、少年がヒロインのために悪と戦う構図が王道なのは当然なのに、そして、ジャンプ漫画というのは古くから伝統的に少年がヒロインの少女を守るべく立ち上がって出会った敵と闘い、仲間と切磋琢磨して成長して行く物語が主だったりするのに、昨今のジャンプ漫画の人気作品には殆どそれが見られない。
一体何に支えられているのか、不思議でならない。
ネット界隈ではやはり、というか腐女子が作者の物語をアンケートなどによって強引に捻じ曲げているのでは?と見る向きもあるが、最終判断はあくまで作者の意向に委ねられているから、それも難しいかなと思う。
いずれにせよ、天下のジャンプ漫画である以上、腐女子向けに描かれる必要性は皆無だし、そんなに腐女子向けがいいなら少女漫画とかレディコミとかでやればいいわけで、
ジャンプにそういう外道を持ち込むなと長年ジャンプを愛好している私は訴えたい。
しかしながら、アンケート至上主義の編集部がアンケートの結果如何で全ての事を決定しているとなると、今後も腐女子の意向によって外道漫画が増えるのは間違いない。
けれど、それでいいのか?
いいわけがない。
何故なら、ジャンプ漫画はあくまでボーイミーツガールを主とした少年漫画でなくてはならないからだ(懐古的な私見であるが)。
その意味では、昨今外道漫画たちは友情とかいいながら、少年漫画から逸脱した、性的な意味での男の友情物語が描かれ過ぎている。正直吐き気がする作品が多々ある。
先日起こった黒子のバスケ脅迫問題にしても、やはり外道作品だからこそ道から外れる犯罪者が生まれたんだと考える。
昔のジャンプであれば少なくとも読者が世間を騒がせる犯罪行為に走るなんてことは殆ど全くなかった。
ジャンプはいつから少年諸君に夢を与える雑誌でなくなったのだろう。
ワンピースやナルトが売れて、確かに全盛期に近い売り上げを誇ることになったが、しかし全盛期に迫るかというとそうではない。
明らかに購買層が変わったせいもある。
恐らく硬派な漫画が好きな層が、この外道な現象に失望して、あるいは幻滅して他誌に乗り換えた可能性も否定できない。
少なくとも私は購入しなくなった。殆ど立ち読みで済ませるようになった。
それは単純に漫画がつまらなくなったというより、読みたい漫画がジャンプになくなったのだ。
今、巷では売上げが伸びていると言われているが、だからどうしたというのだ。
ミストバーンと暁美ほむらと鷹野三四という愛着障害者が物語における敵になる理由 - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20140209/1392025251
邪悪とか漆黒の意思とかそういうちゃちなもんじゃねえ……もっとドス黒い吐き気を感じるッ!
ブコメを見てみるとあの人の事をどんな奴なのか知らない人もいるようで纏めてみる。
名前の由来はジョジョ第五部のゲスこと「チョコラータ」が元ネタだって昔バカッターで言ってた。
原作ジョジョを知らない人に説明すると虐殺を楽しむクズ野郎であって、こいつの数ページにわたって無駄無駄ラッシュがかまされタコ殴りにされるというキャラ。
でも結局は自分に自信がない現れらしい。
口を開けば母親への恨みをしょっちゅう吐いてる。あの人と少しでも絡んだ人なら「母親を憎んでいる人」という事はよくわかるんじゃないかな。
ぶっちゃけまどかマギカ(特にほむら)に執着してるのも、その碌でもない母親を投影してるらしい。溜まったもんじゃないけどな。
そのせいでミソジニーもこじらせてる。昔の作品に拘るけど「強い男、弱い女」がいいらしい。
今までよくTogetterとかで炎上しなかったなこの人……。
最初に言っておくけど、あいつの見てるほむらは原作のほむらじゃない。
「ゼロ年代セカイ系的な糞ヒロイン」としてのテンプレを詰め込んだモノらしい。
だから叛逆で見せたマミさんや杏子に対する捨てきれない情とか、さやかやなぎさを蘇生させた部分があるという「功利」はない。
からくりサーカスやフェイスレスみたいに改心して反省して後悔のままくたばらないと許せないらしい。
その一方でまどマギ以外の虚淵作品にはどうもそれほど執着してないらしい。
Phantomや鬼哭街、沙耶の唄やFate/Zeroとかもそれほど執着してない。男が活躍するから。
サイコパスの槙島の方がよっぽど「愛着障害者」だと思うんだが、多分あいつクレイジーサイコホモだし。
でも狡噛からある種の友情みたいなもの向けられてるからどうでもいいらしい。
それが多分見てないか、ぶっちゃけあいつが見てるのは「俺の理解出来るもの」であってそうしたものから逸脱してる作風にも興味ないんだと思う。
ちなみに彼にとって虚淵は藤田和日郎先生に似てるらしいが、俺は全く思わんけどな。
少年漫画は大なり小なり「悪い奴は反省させるか後悔させるかして負けなければいけない」という要素があるのもわかるし、荒木飛呂彦先生や藤田先生がそういう人なのは分かる。
別にそういう作風が好きでもいいさ。問題はそれを虚淵に押し付けるのを当然だと思ってるからその妄言に吐き気を催すわけで。
母親ほどではないけど父親やお姉さんにも複雑らしい。
姉だか忘れたけど(もしかしたら母親かもしれないけど)「ナウシカ原作は気持ち悪い。アニメの方が好き」という家族の意見に対してキモオタ的な蔑視のコメントを吐いてたと思う。
他に好きな作品はジョジョ・ダイの大冒険・藤田和日郎作品・荒川弘作品・トライガン・ヒラコー作品あたりはよく引き合いにしてるね。
あの人どうも最近の作品についてこれない節があって、作品の引用は70年代~90年代が多い。
別にジョジョネタや懐古ネタだけに特化してれば結構面白い人だと思う。そこは彼の強みだと思うし、ほんと勿体ない。
問題は嫌いなキャラはかなり多い。
まどマギキャラ全般(特にほむら)・ドラゴンボールの悟空はしょっちゅう叩いてるし、絶対に彼らを認める発言はしないどころかジョジョや藤田作品の下衆キャラと同類扱い。
エヴァのアスカを初めとした暴力ヒロイン全般・母性キャラ全般もしょっちゅう叩いてる。怖いらしい。
嫌いなものに対して絶対に認める事とかしない。(例に出すなら、彼がほむらや悟空に抱いてる「憎悪」はエターナル東方が艦これに対して抱いてるような「憎悪」に近い)
しかもエヴァ時代のノリをまどマギに投影しちゃってて、しかも虚淵とかシャフトとかと全く無関係の「俺が好きな作品の方が作風は上なんだ!」「虚淵先生だって俺の好きな昔の少年漫画と同じなんだ!」って偏執性がある。
虚淵が昔の少年漫画好きなのはわからんけど(多分好きだと思うがわからん) それが作風に投影されてるかっていうとね。
「悪いことした奴は苦しむか反省しなきゃいけない」という倫理に囚われてるんだと思う。
そういう善悪も結局は流動的なのにね。
『ドラゴンボール』の悟空と碇ゲンドウの共通性について - tyokorataの日記
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20100512/1273598659
こんな記事描いてたけど、こういう時期はまだ楽しめてたよ。
あんまゲンドウの事触れてないけど、少なくとも悟空のキャラ性はあながちブレてなかった。
問題は彼の思考は90年代くらいで止まっちゃってる所でね。
ただ今思えばあのマンガの「正義」「邪悪」の倫理が彼が頭おかしくした原因なんだと思う。
まどマギ10話ですごい勢いでぶちギレたらしくて、その日に「ほむらはキュゥべえの同類だった」とか言い出してすごい剣幕でほむら叩き出してなんだったんだと思った。
賛否分かれるのは分かるけど俺はあの話すごい好きだったし、何言ってんだこいつと思ったよ。
しかもどんどん「邪悪なほむら」像が蔓延して行って、「まどかがほむらをキモがってる」とかそういう前提でね。
ほむら=フェイスレスという説 - tyokorataの日記 - はてなダイアリー
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110313/1300032043
いやほんとこの人何言ってんだろ。
つーかこの人まどかも嫌いなはずだけど、エレオノールと一緒にしていいのだろうか。
だからほむらは「反省するか倒されるしかない」と思ってるのかもしれんけど、それキャルとルイリーと沙耶と切嗣と槙島とシドさんの前でも言えんの?
別にほむら叩いてもいいんだけど、あの人のほむら像って「自分の中で知ってる作品で培われたもの」だからな。
叛逆ほむらが民間人に直接的な危害を加えることしなかったし使い魔にもさせなかったこととか都合の悪いものを無視してるでしょ。
そして織莉子さん(スピンオフ「おりこマギカ」の主人公)を引き合いにしてほむらdis(笑)か、織莉子さんも可愛そうだな。
>ジョジョや少年漫画に埋め込まれた意図や作者の描いた哲学を掘りだすことがモットーです
要するにtyokorataに感じる「吐き気」は「邪悪」なんかそんなものでもない。
ですよ。
> 自分しかここにいないのよ! その自分も好きだと感じた事ないのよ!
ほんと、この人はまどかマギカに触れておかしくなったと思うのでそういう意味ではすごい同情してます。
別にほむらがどうとかじゃなくて、彼の言う「暁美ほむら」への自己投影がうんざりするというだけです。
「碇シンジは俺なんだ!」的なそういうノリなのかもしれませんけども、あれは自己投影するようなキャラでもないし、
そもそも「自己投影しやすく屈折したほむら」なんですよね。ヘイト創作でキャラをゆがめる手法そのもの。
他の漫画は見れてるけど、まどかマギカに関しては間違いなくあの人作品を見てないし、自分しか見ていない。
もうちょっと他人を認めてもいいのに。
私は原作の漫画は読んでいませんが、アニメは毎週兄と一緒に楽しく見ていたのでその感想を書いてみます。ネットでこころない大人たちによって叩かれすぎだと思うのです。すくなくとも私の周りでは大人気ですし、時代についていけないセンスのない大人たちが若者文化を叩くのを見ると私はとても悲しい気持ちになります(いつの時代もそうだったのでしょうか)。
私はこの作品に触れて、作品内容が類似しているかどうかはともかくとして、アルベール・カミュ『ペスト』、ジーン・ウルフ『新しい太陽の書』、スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、安部公房『飢餓同盟』、大江健三郎『万延元年のフットボール』などを思い出しました。『進撃の巨人』はこれらの小説のどれにも劣らない深みと非常に高いクオリティを持った稀有な少年漫画なのだと思います。その作風はアニメを見る限りたしかに単純で素朴で荒削りですが、作者の諫山創先生は、世間にあふれる自意識と自尊心だけは一人前の凡庸な作家たちが血も滲むような努力をしたところで一生得ることのできない文学的センスというものを無自覚のうちに獲得していらっしゃるようにわたしには思えます。
壁の向こうには海があって、海には宝とも言える塩がたくさんあるとエレンとアルミンが目を輝かせて会話するシーンがあったと思います(アルミンかわいい!)。壁の外に真の楽園を夢見ながらも、壁の外の脅威=巨人によって偽りの楽園である壁の内側にとどまるしかない人類。そして偽りの楽園は日々縮小傾向にあり、もはや人類は楽園という夢想を捨て現実に立ち向かう必要に迫られています。もし外からの脅威によって人類の生活圏が縮小しないのなら、人類はこのまま壁の内に閉じこもったまま、一種の自己欺瞞によって自らを制御し動かしながら、秩序を維持することに一生を捧げていたでしょう。そうした変化のない永遠の倦怠ともいえる世界では、いずれ歴史が失われ、始まりも終わりもない空白の永続状態だけが文字通り無意味に残る、いや、それは記録されないので残るというよりは虚空に漂うことになるでしょう。しかし『進撃の巨人』の世界では人類は変化を迫られました。そしてその変化を迫ってきたのは、脅威=巨人なのですが、その巨人とは人類自身だったというわけです。
現状を打破せよ変化せよという声なき声、暗号を発しているのが巨人ですから、巨人とは人類の無意識の飢餓感、欲望のメタファーだと思います。そして人類は自らの欲望の代理人である巨人と戦わなくてはなりません。これは自己矛盾をはらみます。人類はみずから欲望をいだき(巨人を生産)、みずから欲望を抑圧し(巨人を駆逐)、みずから破滅します。いつしか人類の欲望は敵となっています。それは生への意志を否定するものです。みずからの欲望が真の楽園への道を閉ざし、日々縮小する偽りの楽園において鬱屈とした毎日をゾンビのように送るしかなくなっているのです。原始においては槍で戦うしかなかった人類が、科学技術が進歩したことによって、核兵器や生物兵器などのとんでもない力を生み出すようになってしまいました。長い歴史にわたる真理の探求と知識への欲望が私たち人類の生活を豊かにし明るい未来へと導いてくれるはずでしたが、洗練された人類は新たなそれまでとは比較にならない圧倒的に暗愚で野蛮な状態に陥ってしまったのです。巨人に性器がないのは必然で、それは人類の欲望なき欲望だからです。欠如によってしか私たちは未来を示すことができなくなってしまったのです。
そんな行き詰まった世界で人類はどうやって生きていったらいいのでしょうか。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するでしょう。これは勝利なき戦いです。かならず負ける戦いです。私たちに突きつけられたこの運命に私たちはどう立ち向かうべきでしょうか。友情によって? 愛によって? 暴力によって? 狂気によって?
現代社会ではみなそれぞれが不安をかかえて生きています。それは生存の不安です。自分の不安に無自覚でいることはもはや許されません。人類の足場はもろくも崩れ去ってしまい、そうしたなかで人類は原始への回帰、裸で樹上生活をしていたころに戻ろうと、立体機動装置で最後のあがきをこころみるのです。これだけの技術力がありながらどうして他の兵器を作らなかったんだという批判がありますが、腰部から射出されるアンカーが射精のメタファーだということを考えればそれが無意味な批判であるということがわかります(そもそも巨人の完全駆逐は目的ではありません。巨人を完全に駆逐したとき人類は絶滅するからです)。人類はアンカーを射出しなければならなかったのです。それが人類の見た最後の夢だからです。かつて液状で運動性に優れていた精液はこの時代においては外的要因によって働きかけられないと動かない冷たい鉄になってしまいました。それでも人類は去勢不安を打ち破るために重い腰を上げてさびついたアンカーを射出しつづけなければなりません。それはまさしく不条理な悪夢ですが、しかしこれこそ現代の私たちがおかれている状況というわけです。
現代は論理的な未来予測というものをつねに逸脱し飛躍し暴走して、私たちの手の届かないところに行ってしまいます。私たちは世界から疎外され置き去りにされ、存在理由をはぎとられてしまっています。人類は人類自身と向き合い戦わなくてはなりません。しかしその戦いには勝利というものがありません。滅亡へのゆるやかな推移があるだけです。
私は『進撃の巨人』は現代社会へ警鐘を鳴らしているのだと思います。私たちは自分の巨人とどう向き合うべきでしょうか。私たちは当然のように幸福を追求しますが、その幸福とはいったいなんなのでしょう。希望なき時代の希望とは? 光なき時代の光とは? 私たちは絶対者、神を殺し、あるひとはそれを人類の勝利だと誇りさえしますが、依然として私たちには難問が残っているのです。
こんなニュースがありました。「進撃の巨人 : 最新巻が初の初版200万部突破 1巻の50倍超、「ワンピ」に続く快挙」(http://mantan-web.jp/2013/12/07/20131206dog00m200072000c.html) やはり時代に求められているので売れているのだと思います。批判している大人のひとたちは自分の愚かさをよく考えてみてください。
先日ネット上にて、星海社から発売された『ロジック・ロック・フェスティバル』が古野まほろの『天帝のはしたなき果実』の盗作であるという疑惑が生じ話題となった。
そして、その『ロジック・ロック・フェスティバル』が本日、晴れて全文公開された。
http://sai-zen-sen.jp/awards/logic-lock-festival/
そういうわけで今日は本作が本当に盗作であるかというかのを考えていきたいのだが、その前提として知っておかなければならない事実として、「盗作」とは何かということである。
ここで日本で盗作について一番詳しく書いている栗原裕一郎の『〈盗作〉の文学史』から一部引用させていただこう。
本文に先立ち、何を「盗作」と呼んでいるかをはっきりさせておく必要があるだろう。
「盗作」にしろ「剽窃」にしろ、いずれも俗語だから、明確な定義は持っていない。
したがって、「盗作」であるか否かを区別する客観的基準というものも――明白な著作権侵害である場合を除いて――存在しない(中略)「影響」も「模倣」と捉えれば、広義には「盗作」と呼べないこともない。
つまり何かが盗作であると断ずるには、著作権侵害レベルの一致がない限り難しいのである。そして、肝心の版元である星海社は盗作の件について
と、はっきりと否定。また、盗作された側である古野まほろもtwitterで
本歌取りは日本の伝統、本格の伝統です。だから、もし本歌取りを「盗作」などと貶めるなら、それはとんでもない侮辱で冤罪です。私は、元の和歌が分かるマナーのある本歌取りなら、むしろ嬉しく思います。逆なら悲しい。私は、話もせず真実も知らず、人を断罪することは、不正義だと考えます(古野)
と言っており、両者の意見が「盗作ではない」と一致しており、晴れて『ロジック・ロック・フェスティバル』が盗作ではないことが確定したのである。パチパチパチ。
しかし、それでは面白くない両者の意見をよく較べてみると、あらゆる面で一致しているわけではない。
古野側は
ですから「類似点が多い」のはどうしてか。そして、これまで古野について一切、どこかで語ったり、書かれたりしていないのは何故なのか。これらがハッキリすれば、何の問題もないと思います。「盗作」は考えにくいから。もし本格の後継者でいらっしゃるのなら、古野とは仲間だから(島津)
という具合に、盗作とは言わないが、こんだけ類似点が多いのは偶然で済ませられないだろと主張しているのに対し、星海社側はあくまで、
本作『ロジック・ロック・フェスティバル』においては小説を構成する主要素であるところのテーマ・プロット・キャラクターにおいて、先行作品との「盗作」に該当する類似点は一切ございません。
と類似点なんてねーよと全ツッパ。
ここで難しいのは、先ほども書いたように、「盗作」というものの定義がはっきりしていないため、星海社のいう『「盗作」に該当する類似点』というものがどういったものかわからないのである。
どこまでが、『「盗作」に該当しない類似点」であり、どこからが『「盗作」に該当する類似点』というのを言ってくれないと判断に困る。
しかし、言ってくれないものは仕方ないので、こちらで勝手に検証していく。
さて、ではここで問題となっている両作品の類似点とはどういったものなのか。
まず、読者の印象に大きく残る点として、全体のストーリーの流れが挙げられるだろう。
・天帝のはしたなき果実
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事件が発覚すると大会が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
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↓
↓
事件が発覚すると文化祭が台無しになる、多数決でこれからどうするか決める
↓
↓
↓
2chからのコピペだが、両者を読み比べた自分から見ても、この通りの展開が書かれていたし、印象もだいぶ似ていた。
これに対して星海社は、
たとえば本作『ロジック・ロック・フェスティバル』にてテーマとなっている「学園での殺人事件」につきましてはミステリーを描く上では一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、ご承知の通り、先行作品を枚挙することに暇はありません。また、文化祭で殺人が起こり、その発覚によって学園祭が中止してしまうことを恐れて生徒達が独自に行動する、という本作のプロットには先行作品としてはたとえば『前夜祭』(角川書店刊/芦辺拓・西澤保彦・伊井圭、柴田よしき、愛川晶、北森鴻氏らによるリレー小説)の存在を指摘することができると思いますが、こちらの作品に関しても前段となる殺人の状況と、後段となる推理と解決へと至るプロットには、本作との密接な類似点を見出すことはできません。
そして、「特殊な場所への警察権力の介入を防ぐために居合わせた人間が素人探偵となって活躍する」といった本作のプロットに関してはたとえば『水の迷宮』(光文社刊/石持浅海)などの優れた先行作品を指摘することができると思いますが、こういったプロットに関してもまたミステリー界においては極めてポピュラーなものであると言えるでしょう。 キャラクターに関しても、学園の生徒会やその周辺の個性にあふれた生徒たちが登場し、事件を解決するのはいわゆる「学園ミステリー」ものの常であります。
この理屈がありならば、「少年漫画において、探偵が主人公というのは一大ジャンルを成すポピュラーなテーマであり、大人だった主人公が子供になるという設定も手塚治虫の『ふしぎなメルモ』など枚挙に暇がなく、また主人公が知り合いの博士におもしろグッズを作ってもらうのも、偽名に古今東西の有名人の名前を使うのも決して珍しいケースではないので、本作『名探偵ドイル』は完全なオリジナル作品なのです!」などという無茶苦茶な理屈もありになってしまう。
問題となっているのは、別個であるはずの2つの作品でこれだけ似通った要素が複数に渡って存在してる点なのに、それを因数分解のようにバラバラにして、よくあるケースだと主張するのはいささか無理がある。
もっともミステリなんてのは、『名探偵、皆を集めて「さて…」と言い』という言葉があるぐらい、ある種の流れが決まっているジャンルだし、このぐらいのストーリーの類似はよくあることかもしれない。だがそれ以外でも古野側が、
私はこれまで徹底して、著者の方の名誉と将来のため、具体的指摘を避けていました。また性善説に基づき、盗作説を断固否定した上で、類似点の多さを悲しみました。それすら非のない方への中傷と言われれば、非は私にあることになる。ならば、相当数あるうちの1つだけ、まずお示ししましょう(古野)
鷹松学園と勁草館高校。学校の設定を比較対照してみて下さい。 やや時間を置いた上で、その具体的指摘も行います。 できればこれに止めたいですが、私に非があるとされている間は、二の矢三の矢を射ちます。極めて不本意です。私はこの段階でも、平和裡に解決することを強く、強く希望します(古野)
と主張しているように設定面においても、両校の舞台が「藩校を前身とする名門校であり、地下に軍事施設がある」という一致を見せている。
普通、ここまでの一致はなかなか見られまい。
また『ロジック・ロック・フェスティバル』の応募時キャッチコピーが「学園ミステリーは青春に捧げる供物である」というものだったのに対し、『天帝のはしたなき果実』に対する、ミステリ作家・有栖川有栖氏の推薦文が「これこそ、虚無なる青春への供物。真正の本格にして破格のミステリ」となかなかどうして似通っている。
それ以外にも両作品の最後の一文も綺麗に対称関係となっている。
このまま順調にいけば、古野によって二の矢三の矢が射たれるはずなので、今後の展開を楽しみにしておきたい。
ただ、個人的な意見を言わせてもらえば、『ロジック・ロック・フェスティバル』において、軍事施設の設定は必ずしも必要なものではなく別の設定でも代替可能だったはずである。だから、もし作者に本当に盗作をする気があるならば、こうした部分は真っ先に変更したはずである。それにもかかわらず、このような明白な形で残っているのだから、この一致は作者によるオマージュやリスペクトの一種とみなした方がいいだろう。
しかし、オマージュであれ、リスペクトであれ、このような類似点が多数ある以上、星海社側の「完全な事実無根」や「なぜ火のないところに煙の立つような今回の「盗作」疑惑が起こってしまったのか」という発言はいささか苦しい。少なくとも根や葉や火種はあったわけなのだから。
『ロジック・ロック・フェスティバル』のあとがきによれば、本作は作者が初めて書いた小説らしい。
その点を考えれば、こうした部分はむしろ若気の至りや遊び心と言えるし、前途ある新人に対して執拗に非難するべきではあるまい。
本作を受賞させるにあたって、星海社の太田副社長は座談会でこのようなことを言っている。
この人、ミステリーの手つきが本当にいいわけ。小ネタから大ネタまで、80点以上のミステリーが次々とやってくるって感じ。飲茶のおいしい料理が次々やってくる感じなわけね。しかもなおかつ、法月綸太郎的、佐藤友哉的な青春の痛みがしっかりとあるのよ。だけど生々しく「法月綸太郎が」とか「佐藤友哉が」みたいな感じでは出さないようにしてるんですね。
また、さらにこのようなことも言っている。
うん、この人は新本格ミステリーの正統後継者だと思うよ。あの世にいる宇山さんにも読ませたいよね。そういう意味で言うと、「ありそうでなかった」っていう感じがする作品なんだよね。新本格はその誕生以来ずっと奇形化が進んでいったわけだけど、正統的な先祖返りというか……この人の作品は音楽で言うと「黒いジョン・レノン」と呼ばれたデビュー当時のレニー・クラヴィッツみたいな感じなんだよね。あるいは、とかくビートルズと対比されたデビュー当時のオアシスとか。とにかく、これまでにありそうでなかった青春ミステリーの最前線、みたいなわくわくする感じがこの作品にはあるような気がするんです。
ここで太田が読ませたいと言っている、宇山氏が生前最後に送り出した作家・古野まほろをまたしてもガン無視である。「ありそうでなかった」人扱いである。まほろの存在が歴史から抹消されている。預言書が燃やされたのだろうか?
それとも『天帝のはしたなき果実』の文庫版が講談社からではなく、幻冬舎から出ていることと何か関係しているのだろうか?
そして受賞作の発売に寄せてこのようなことも言っている。
……というわけでぜひみなさん、『ロジック・ロック・フェスティバル』を読んでください。綾辻行人さんや法月綸太郎さん、有栖川有栖さんたち、かつての「新本格」推理小説ムーブメントは終わっていなかった、それが見事に証明される一作です。学園祭の密室の妙に酔いな……!
そりゃまほろも怒る。
明らかに古野まほろの影響を受けている作品に対して、他の作家の名前をガンガン引き合いに出してるのに、肝心のまほろを無視しているんだからそりゃ激おこにもなるだろう。
この場合考えられるケースは4つ。
1.選考に関わった全員が『天帝のはしたなき果実』を読んでいないor内容を忘れていた。
2.色々類似点があると気づいていたが、この程度大した類似ではないと考えた。
3.色々類似点があると気づいていたが、読者は類似に気づかないと考えた。
イラストに大御所CLAMPを使っている時点で4番は無いだろう。考えられる可能性は残りの3つ。外野である我々にはどれが真実なのかを判別する術はない。
ただ、やっぱり上に挙げた類似点を考えれば、作者が古野まほろを全く知らなかったというのだけは考えられない。
そして星海社は普段から新人賞の選考においてオリジナリティを重要視しており、以前の座談会ではこのようなことを言っている。
次は岡村さんが担当した『MV ―Meteddo Vevaea―』。これは高校生?
そうですね、高校生でこの枚数書けるのは素直にすごいです。
何枚くらい?
400枚以上ありました。
おお、それは確かに頑張ったね。
ただ、肝心の内容がまんま『IS〈インフィニット・ストラトス〉』なんですよね……。
タイトルもそれっぽい!
岡村さんもさらっときついことを言うようになってきたねえ(笑)。
いやいや、でも本当にそうなんですよ。架空の兵器があって、それを使える男性は主人公だけ……という設定で、何から何まで『IS』を連想させてしまう内容でした。これをそのまま出版したら、ちょっとタダではすまないだろう、と(笑)。
大変なことになりそう(笑)。
似た例は僕のところにもあって、『コトホギ』ってのがそうなんですけど。
コトホギ……?
柿内
タイトルが既に不穏だなあ。
これ、舞台は大正二十年、帝都。女の子が悪魔に襲われているところに、書生姿の男が助けに入り……と、ほとんど『葛葉(くずのは)ライドウ』です(笑)。
一同
まんまじゃん!
電波塔がうんたらとか、もうほとんど二次創作でした(笑)。これでライドウを連想しない人はいないだろうと。
まだあんのかよ! いい加減にしてくれよ(笑)。
主人公が着物姿で武器は刀……式の性別を男にしただけ、まんま『空の境界』!
冒頭1ページ読んだだけでそれと分かる感じでしたね……。
よく星海社にこれを送ってきたな、という。度胸はあるのかもしれませんけど、酷い!
別に新人賞でオリジナリティを重視するのはかまわない。むしろ当然である。既に市場に似たような作品があるのならば、多くの読者は新人ではなく実績のある作家の作品を選ぶだろう。
だが、だとしたら『天帝のはしたなき果実』を連想させてしまう『ロジック・ロック・フェスティバル』を受賞させたのは失敗ではなかっただろうか?
普段の座談会で大上段から応募作を切り捨てているからこそ、受賞作にはそれ相応のクオリティが求められる。さらに帯に『まだあった「新本格」推理小説! 全ミステリファン注目の新人登場』なんて書いたらハードルの高さはそりゃもうウナギ登りでよっぽどの脚力が無い限り、足を引っ掛けて転倒は免れまい。
先程も書いたように、『ロジック・ロック・フェスティバル』の作者である中村あきにとって本作は初めて書いた作品である。
そうしたまだ若き作者に対して、これほど高い下駄を履かせるのはどうなのだろうか。
少なくとも「全ミステリファン注目」というのはいささか厳しすぎる。
そういう意味では、今回『ロジック・ロック・フェスティバル』が受賞してしまったことは決して幸運などではなく、むしろ運が悪かったのかもしれない。
身も蓋もない話、これが星海社からではなく別の出版社から刊行されていたら、ここまで話題になることもなかったと思うのだが……。
読んでる人ならわかると思うけど
彼女が出来たと勘違いで舞い上がらせてから地の底にたたきつけて
仲間達から半笑いでフォローされて女から引き気味に対応されてというアレ。
何が面白いのあれ。
久保ミツロウの漫画に不快さが似てると思ったらこれも作者が女なのな。
あとなんかすごい試練を男主人公に課すのが好き。
肉体的にハードな試練とかならまだしも
ああやって嫌な思いさせられて恥掻いて笑われて
みたいなことたびたび繰り返してたら
普通はもうまるごと嫌いになるだろ。
モルジアナとかに会うのもこそこそと避けるようになるよな。
彼女ぐらい絶対作れるでしょすぐ。
特に、こういっちゃ何だけど、
でもそうはしない。
そういうのは女作者の欲望とは違うから。
多分モルジアナのためだけにこれからも苦しんだりプライド傷つけられたり嫌な思いをし続けるんだと思う。
(モルジアナの為に戦って肉体的に怪我したりするならまだいいんだけどさー)
少年漫画でそういうのやるのはやめてくれよ。
女だって少女漫画誌で男性作者が男視点のエロとか萌えとか描き始めたら気分よくないだろ。
俺はあれだぞ、腐女子に何故か偉そうなこと言って排斥しようとするアホとは違うぞ。
pixivで進撃の巨人の腐向けタグの作品見るのは好きだ。すごく面白い。兵長より104期の方がいいけどな。
でもこの場合はみんなの広場であるべきpixivとは話がちげ-だろ。
俺はあんま読まないけど
男に都合いい萌え漫画とかお色気漫画とか女から見たらキモかったり気分悪かったりするだろうと思う。
でもそういうのは少女漫画誌に載ったりはしないわけじゃん。
隙を見ては女の欲望を駄々漏らしにするんだ?
2chの女性向け板にエロ書き込みして喜ぶクズ男のメンタリティだろそれは。
高橋留美子は本当にえらいと思うわ。
サンデーで描いてる漫画については女の感性を出すことはあっても女の欲望は出さない、甘えない。
でもあれがプロだろう。
なんで高橋留美子以外の女性少年漫画家っつうのはすぐ甘えを出すんだ。
ジャンプでやってた「保健室の死神」っていうのも途中からもうダダ漏らしだった。
あ、荒川弘も自制心あるよね。
と、漫画を読んでいて思う。
単純に少年漫画には男性作家が多く、少女漫画には女性作家が多い。
で、自分は週刊少年誌を購読して10年以上になるが、性別不詳な作家であっても何話か読んでいると不思議と「あ、この作者は女性だな」と思う気付くものだ。絵柄もあるけど、物語のテンポやコマ割の空気感でなんとなく分かる。大高忍さんとか星野桂さんは分かりやすく女性的だね。
この辺の差異は何に起因するかと考えると、やはり個々人のこれまでの人生において、どういうものに触れて生きてきたかってことになるんだろう。プリキュアを見て育つ女児と戦隊ヒーローを見て育つ男児は異なる作品経験に曝されている。だから例えば、プリキュアを見て育った女児とセーラームーンを見て育った女児は、おなじ幼女でも恐らく「カッコイイ」の原体験が微妙に違うのでその二人が成長して漫画を描いたら違う漫画になるだろう。
というか、100人いたら100通りの漫画になるのが漫画の面白いところなんだけどさ。まあ傾向として。
あともしかしたら女性の脳と男性の脳の構造的な違いに因る、空間認知の差異が絵柄に反映されているかもしれない。というのは考え始めるとワクワクする話だが、そんなに大幅な違いなんかはたぶんないだろうな。人間とチンパンジーの差異よりかは少ないはずだ。
そんな感じであくまで傾向という話なので一般化は難しいと思う。
「女漫画家は~」「男の描く漫画は~」といった論調で語りがちなひとは、自分の過去の原体験を振り返ってみるといいんじゃないだろうか。例えば男性的なるものに多く触れた人生を送ってきたならば、同性の描く漫画に好感を得、異性の描く漫画に違和感を感じるのもまた道理である。ただまあ、あんま声高に主張すると、ひとには嫌がられるだろう。
これは単純に体力的に激務だからということなんだろうか。最近は目立って増えてきた印象がある。中村章子さんとか。
女性アニメーターが女キャラを描くと同性ゆえの遠慮の無さみたいなものが線にあらわれて、その良い意味での下品さみたいなものがとてもいいと思う。
所詮ラブコメしか書けないエロゲ畑出身者が原作だしと思うとまあ納得もできるんだけど。
少年漫画としてもB級アクションマンガとしても中途半端に感じるんだよなあ。。。
なんでだろ。
あと大筋の話が進まないのがでかそうだな。
国を変えるみたいなこと言ってるのにしょぼいことばっかりやってる印象。
仲間が死んだりするけど、そのキャラに感情移入する間もなく死んでるだけだから、マンガの中ではなんかすごくシリアスだったり泣き叫んだりしてるのに、それが読者には伝わらなくて置いてけぼり感がすごい。
掘り下げがいろいろ薄いんだな。
キャラの掘り下げとか国とかの設定とかナイトレイド自体の仕組みの掘り下げとか。
上っ面の登場人物がマリオネットみたいに動いてるだけで、説得力を持たせる描写が少ないんだ。
主人公の立ち位置もなんか微妙で、割りと最初から強いからすんなり暗殺集団に溶け込んじゃうから、ますます読者置いてけぼりなんだよね。
普通そこはなんらかのしがらみなり摩擦があってそれを乗り越えて初めてどうこうってところだと思うんだけどねえ。。。
いろいろすんなりいきすぎて読者の心にひっかかりを作ることなく進んでいっちゃうから、読みやすいっちゃ読みやすいけどまったく印象に残らない。
って感じで、いい年したおじさんが金田一蓮十郎のライアーライアー読んでハマって一人で身もだえしています。
金田一蓮十郎はジャングルはいつもハレのちグゥで見出された天性のギャグセンスの持ち主。
少年漫画のギャグセンスがほどよく少女マンガライズされてラブってコメったらもう最強です!
あらすじは、
お団子すっぴんデフォの姉がちょっとしたきっかけでゆるふわモテカワガールで歩いてるとナンパされちゃってそれが実は弟で!? 言い出せないまま禁断の恋をすることに!?
ってな話です。
いやぜってーねーよ普通肉親なら気づくよっていう野暮なツッコミは無しでねてへぺろ!
ありがちっちゃあありがちな設定かもしれないんですけど、金田一蓮十郎のラブコメセンスでそこいらの似たような設定のマンガとは違って読んでてすごく男も楽しめるんですよね。
まあ個人的に好きなのは主人公の姉じゃなくて同じ大学のサークル部員でショートヘアで食べること大好きな方の女の子なんですけど。
とりあえず絵柄がかわいい。
エロとかなくていい。
ほへら~って崩れたギャグ絵がかわいすぎてもうひとりで悶絶してます。
あと
\/
みたいな口の描き方とかあわわわわってなってるときの口の描き方とかすごくかわいい。
ニコイチ(同じ作者のマンガ。完結済)でもそうだったけどぽへ~っとしたデフォルメ絵がかわいすぎて見てるこっちもすごい和むんです。
絵柄もキラキラしすぎてなくてすっきりしてて読みやすいですし。
絵柄だけじゃなくてお話もキャラクターも男が読むに堪えうる感じです。
姉がどんどん泥沼にはまっていってるんですが、それでも変な嫌らしさとかドロドロとか逆に女の妄想ばっかってことがなくて、読んでて胸糞悪くなることがほとんどないんですよね。
例えば、姉にフられた男が姉に対して「友達だろ? なんでも相談しろよ」って言うのに対して、当のフッた姉は「聖人君子かよ!いい人すぎる!!!」ってバカみたいに感動してるっていうシーンがありました。
ここ、男の読者からしたら、それただええカッコしいなだけなのに何張本人が調子ぶっこいて感動しちゃってんの?とイラっとするんですが、その後でちゃんと本編でその男の苦悩描写があって溜飲がある程度下がります。
ここだけ書いてもわかんないですね(汗
とりあえずそんな感じで、男が普通の少女マンガ読んだときに感じるような、全然納得いかない、できない、もやもやするってことが読んでて少なく感じます。
とにかく少女マンガが面白いのは知ってるけど、いかにもバリバリでコテコテキラキラなのはさすがにちょっと…という男性にもオススメです★
下読みするに際して言われたのは、とにかく面白いと思ったのを、とのことだった。
そして、だいたい十本ぐらい選んだ。
今でもわりと覚えてるのが、
この五作は読み応えがあって、かなり面白かった。
だが、他に選んだのも併せて次の選考で全滅したと知った。
後日、編集さんたちと懇談会とでもいうような規模の飲み会に参加したので、それとなく選考について聞いてみた。
すると、「ああいうのラノベじゃダメなんですよね」と半笑いで答えが返ってきた。
いわく、暗いのや専門的なのやスポーツはダメらしい。それと、ラノベの対象年齢層と食い合わせが悪いのも。
しかし、紛れもなく思しろかったのは事実だし、漫画の編集をしたことがあったのもあって少年漫画でもいけそうなのを選んだつもりだった。
なんとなく腑におちなくて「でも、漫画ならわりとああいうのもありますよね」とは言ったが返答はなかった。
以前どこかで、要はラノベは漫画小説だ、という話を耳にしたことがあるが、そのわりにはどうも許容範囲が狭いように思える。
あれ以来下読みの話は舞い込んでこないが、漫画では当たり前にあるジャンルがラノベで異端扱いされてるのをみるとずいぶん窮屈な業界だなと思えてならない。
文句言われても知らん。
らんまも読む。犬夜叉も読む。うる星も一通り。人魚の森や高橋留美子劇場も読んだ。一応ながら萌えキャラだっている。
それでも、それでも。高橋留美子作品を読みながら、手の中の本を破ってかなぐり捨てたくなることが少なからずある。
その理由、私情入りまくりだけど言わせてもらおうっ!
るーみっくのヒロインは全く以て可愛くないと! むしろ憎しみすら沸くと!
反論されてもどうしようもないからそこは理解しとけ。
自分は暴力系ツンデレかつ嫉妬深い女子と、姉御肌かつ嫉妬深い女子をとことん嫌悪している。そのような女子キャラは非常に不快だ。
けれどAKNや、SAGさんや、KYKさんや、LMさんSNBさんは…!
なんて可愛くないのだろう! なんて自己中で身勝手なのだろう!
男に自分から好意を表明していないと言うのに、何故あんなにも嫉妬し束縛しようとすることが出来るのだろう。
彼女らは、「あたしのためにこれくらい出来て当然!」とか、「”あたしを”護ってくれたあの人」とか言うように、男よりも自分が余程大切に見える。
我が嫁おキヌちゃんのように、またパイのように、己よりも惚れた相手を優先し大事にすることは出来ないんだろうか。
嫉妬深すぎる女はうざったい。
惚れた女に嫉妬されるならまだしも、好かぬ女のそれほど重いものはない。
それでいて彼女らは、自身が好かれて当然だと思い込んでいるかのように暴力を振るい、嫉妬し、束縛する。
るーみっくに限らずそんなヒロインはいるけれど、やはり高橋留美子作品や少年漫画を描く女性作者に多いと思う。
単に読書傾向のせいで他を知らないだけかも知れないが。
なお個人的にるーみっくで可愛い!好き!と思える女子キャラクターは、
>嫉妬の怒りを暴力って形で好きな相手にぶつける女が、何でそうなるのか理解できないんだ。
>嫉妬ってのは相手が浮気したとか、他の女性とずっと一緒にいるとかで起こるもんだろ?
>私の元を離れてしまうかも、とか、私よりもあの人のほうが好きなのかもってさ。
>そんな不安って普通、また好きになって貰うには、もっと自分が魅力的になろうとか、自分の欠点をどうにかして治そうとか、つまりはどうにかしてもう一度振り向いてもらおうってなるとあたしは思う。
>なのに更に嫌われるような暴力を振るうってのが全くもって理解出来ない。
>好きな相手に暴力を振るえるのも理解出来ない。
料理漫画は清潔感が第一なので、絵が綺麗という点で、まず評価が上がる。
たとえばトリコなどには「絵が汚くて美味しそうに見えない」といった批判があった。
また、巨大学園という舞台を生かして多くのキャラを登場させているが、キャラがはっきりしているので混乱しない。
シナリオにもソツがなく、「食戟」などの設定は少年漫画的で分かりやすい。
加えて、料理漫画のリアクションにエロを持ってきた作品は意外に少なく、新鮮味がある。
佐伯俊はエロ漫画家の出身であり、さすがエロ描写が堂に入っている。
いまのジャンプでぽっかり空いていたお色気枠に上手く嵌り込んだ。
ガルパンについて語りたくなったんだけど
ツイッターでやるには140字の縛りがウザいし
自分のWEBサイトはエロ絵サイトだから需要の薄い長文乗っけて誰得な思いさせたくないし
はてなダイアリーの垢は持ってるんだけど長らくログインしてなくてIDとパスを忘れちゃったしなので
増田に描く
なお原文は2012年11月にミクシィの日記に書いたものなので
身内向けということで文体が多少馴れ馴れしいし
まだ6話のサンダース戦前の状況ということで現在の、「俯瞰的見地から見たガルパン像」から
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ブレインストーミング代わりに今日はガルパンについて語りたい
ガルパン(正式名称「ガールズ&パンツァー」、以下愛称の「ガルパン」で統一)
現実とはちがう世界、「華道」や「茶道」のように、戦車を使って軍事教練に励む「戦車道」が良家の子女の教養の一つになっており
学校教育で「戦車道」がクラブ活動として推進され(←日本の右傾化が!軍国主義復活!ぐんぐつの音が~!)
そんな世界で女子高生が「戦車甲子園」を競う青春の日々を描いたアニメです
やはり日本は憲法九条を護持し他国に侵略的な脅威をいだかせるような軍備拡張路線をとるべきではない、という個人的信条なのですが
ほらリアルでょぅι゛ょレイプとかダメ絶対でもぷにケットでそういう系同人誌買ったりするじゃん?
「それはそれ、これはこれ」という…
社会に対する「こうあらねばならない」という理想の大枠と、個人的な趣味嗜好との間に矛盾をきたすのは人間よくあることだというわけで
は、積極的に嗜好するほどではないにしても【興味があります】状態なのですよね~
軍事っていいよなパワフルで
兵器の味って男のコだよな
それでガルパンです
(どれくらいかというと、「ガルパン」劇中の10式戦車と90式戦車の区別が全くつかなかったレベル)
ストパンと似た部分(女の子×ミリタリー/キャラ原案島田フミカネ先生)があり
この奇貨居くべしと思い密かに注目していたのですが
「戦車」という全く馴染みのない題材を
女の子たちがキャッキャウフフ!しつつ戦車甲子園を目指すというサクセスフルなアプローチを取ることで
うん! そうかそうかそうなれば話が違う
ここに並んだ大量の戦車がすべておかずとして立ち上がってくる
という、キャッチーな萌え豚仕様の娯楽アニメに仕上がっているのですよね~
僕みたいにストパンでハルトマンを知ったニワカミリタリ趣味のアニオタには
ちょっと敷居が高かったのですが
劇中では「部活動」の体裁を取ることで、「戦車戦」の持つ面白さの基礎を啓蒙しつつ
理想的な作りになっているのです
そもそも一般的に男は「力強いもの」へのあこがれがあるのですよね
戦車や戦闘機・軍艦にかぎらず、偉大なアスリートやマッチョな格闘家、完成した帝国、大馬力のクルマ、大きなタンカー、巨大構造物や、強靭な猛獣や雄大な自然…
そういう「力強いもの」と、そういうものに近づこうとする努力や姿勢というのは…やはりそれだけで大きな「見せ場」「おはなし」を生むわけです
それでガルパンです
萌え豚の中の、「力強いもの」へのあこがれを「戦車戦闘」のシーンで上手く引き出して
むしろ王道的な少年漫画に近い、男性的娯楽性をあげることに成功していると思います。
ガルパンに関しては
等の冒険主義的な発言を行なっている背景には、こういう部分があると思います。
結論としては
ある程度の商業的成果を残せる作品になりうる可能性は秘めているのじゃないかと思います。
(↑この部分、去年の11月に書いた部分なんで今更感が激しいのですがあえて残す)
んで
実はこの件について
当サークル(※同人サークルやってる人間のミクシィ日記なのでこういう表現なわけだ)の特別顧問たる妹くんのご意見を賜りたく
件の動画
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を見ていただいたのですね
※ちなみに妹くんは、いわゆる男性的なヲタ娯楽(軍事・格闘技・ガンダム等)にはほぼ全く共感性を持たない方なのですが
しかしストパンをキャラアニメとしては評価していたり、ガンダムUCを「ボーイ・ミーツ・ガールなサスペンスもの」としては評価していたりと、「ギミックにかかわらない話の面白さ」は積極的に汲んで評価する方だと思います
で感想
「お兄ちゃん…悪いけどこのアニメ、お兄ちゃんが思ってるよりずっと
玄 人 向 け す ぎ だから」
ファッ!?
「いや自覚したほうがいいと思うよ、電車と軍事とガンダムロボに萌え萌えになれるのは男の子だけですから」
で…でも…ガルパンは見せ方がすごく丁寧で…
「そう思ってるのはお兄ちゃんが「軍事モノ属性」がある人だから…
軍事関係の「ルール」っての?ああいうものがわかってないと、何やってるかわからないんで
「ああ、わかる人にはわかるんだろうな」ってのは伝わってくるけど、それが面白さに直結してくれないんだよね」
「この動画だとキャラクター多すぎで、しかもキャラ同士の人間関係が…「(戦車内の)役割」しか伝わってこないじゃん?
ストパンみたいに、キャラ同士の性格がよく見えて、そこから感じ取られる関係性で、「軍事とか興味ない人」にも楽しめる的な要素がありませんでした」
そ…それは!1話から通して見ていくとだんだんとわかってくる部分で…
「理解がないとやっぱり1話から、軍事に興味ない人は見ないよ、こういう話…
あと戦車だと女の子がみんなおんなじ格好してて、車内だから体の一部しか見えないわけじゃん?
そこも女の子ごとに違うコスが全身見え(て、芝居ができ)るストパンと違って、キャラに感情移入しにくいんだよね~
「この子たちどういう事をやってんの?」って感じで」
「戦車」はシステム上、1台あたり最低3人多くて5人の乗員を必要とし
どんなに最低限のユニット構成にしても、最低限10人(主人公チーム5人+<味方チームリーダー一人*4>+敵1人)のキャラの見分けが初見でつかなければならない…という
非常に厳しい前提条件があるのですよね
「やっぱりキャラ描写って、ヌルい人を釣るのにも大事な要素だと思うわけよ
例えば(同じ水島監督の)「おお振り」なんかは、野球のルールがわからなくても阿部さんや三橋のキャラが立ってて、
野球の試合って劇中のキャラの関係性を表現する舞台だったわけじゃん?
人間関係が生み出すドラマがメインで、野球がそれを表現するツールにすぎないみたいな…
この動画だと、完全に戦車のドンパチがメインで女の子が添え物(表現のツール)なんで、戦車に興味ないと見てて退屈なんだよね」
「あとせっかく女の子いっぱい出てるのにストパンと違ってパンツ全然見えないじゃんこのアニメ。」
あれはズボn
あ、ハイ…
「それで、まさかこのアニメで冬コミに新刊出したいとか思ってないよね?
お兄ちゃん前の日記で『(ガルパンを新刊候補にしたのは)趣味だから』って言ってたじゃん
これが同人的に来る可能性低いのわかってるよね?」
で、でも…ガルパン6話が神だったし…
「そりゃ、これ本編は熱狂的なファンに受けそうな気はするよ?
でも同人って、本編でやられてない「外野」の部分を妄想するのが楽しい訳で、みんなそこに期待してお金払って本買うわけでしょう?
キャラ同士の関係性とかさ~…そういう外野の妄想の楽しさって、あんまりこのアニメにはナさそう…劇中の戦車の使われ方を解説する本とか、そういうのが受けそう」
確かに…
西住殿×秋山殿がふたふたする本でも描こうかな~と一瞬思っていたのですが
3話くらいまではちょこちょこ出ていた「百合営業」シーンも
4話以降はめっきり絶えて、「普通に女の子同士の友情と共感」以上の感情が、ガルパンのメインキャラ間からは汲み出しにくい感じだと思います
(↑この時点で6話までしか見てなかったんで今から見たら的はずれなこと言ってるがあえて残す)
マイミクさんでガルパン好きな方いたらすみません;;disってるわけじゃないんです;;
それだけはわかってほしい
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↑は冬コミでガルパン同人だそうかなぁと思って妹に相談したら止められたという話
実際有村悠氏のガルパン同人が残念な結果になったことはご本人も仰っているし
当サークルでも、この後ガルパンふたなり化同人出したら、会場で出た部数が ふたけっと>>ガルパンオンリーイベント だったりで
最近の少女漫画は本当に些細な感情の機微にスポットを当ててるものが多いから、共感できなかったらつまらないし、できれば自分のことのように面白い。
そもそも、漫画好きが読むようなのは別として、メジャーな少女漫画は対象年齢が中高生なんだから、その時点でけっこうフィルターだし。
逆に自分は少年漫画は戦ってばっかりでキャラが何考えてるのかわからなくてあんまりおもしろくない。でも自分が少年じゃないからしょうがないと思う。
恋愛することが目的で、片思いが両思いになって、途中ライバルが登場して色々あったけど結ばれましたと。
大体これで説明がつく、どれも似たりよったり。
これなら幼児向けマンガのほうが設定にも独創性があって面白かったりする、それこそハム太郎なんかは、ハムスター目線で描かれるストーリーの新しさ、友情や家族愛をうまくまとめてて、恋愛だけの少女漫画より数倍面白い。
昔、萩尾望都や竹宮惠子の時代はこんな判で押したような恋愛漫画だけじゃないストーリー性があったし、理不尽な絶望や、想像したことが無いような心理面まで見事に描かれていた。
月9も同じ理由でくだらなく感じている。見なくても結果が分かるからつまらない。
少年漫画もある程度型が決まっている。
こうやって見ると少女漫画の「主人公が恋愛する話」と大差ないように見えるけれど、少年漫画の舞台は広い。
有名どころでは「ジョジョ」「幽遊白書」「BLEACH」「NARUTO」などなど
いつも戦ってばかりなんだけれど、それが面白くどの話も魅力的だ。