はてなキーワード: 少年漫画とは
女性で少年漫画を描いている作家は、男性名か、あるいはどちらともとれるような名前にする人が多い。
http://matome.naver.jp/odai/2127442514883895001
このへん参照。
最近は女性名のまま連載をはじめる人も多く、変化を感じてきているが、一昔前は柴田亜美とか浅美裕子とかそのくらいしかいなかった。
これはなぜなんだろう?とちょっと考えた。
2.中2的発想(中性や男性名を名乗る時期がなんとなくある)同人からのPNの人に多いかも。
3.アンチよけ(女とわかると「腐女子だ!」と叩く層がいるため)
特に3番に関して、女が少年漫画を描くことに拒絶反応を起こす男性がいるのはなぜだろう?
荒川弘や森薫なんかの男性にもウケがいい作家さんは「心が男だからOK」という意見も見かけた。
逆に男性が女性名にして少女漫画を~という話はあまり聞かないが、そもそも少女漫画を描いている男性はほとんどいない(手塚治虫とか赤塚不二夫とか横山光輝とか、少女漫画も描いていた漫画界の重鎮たちは時代が違うので割愛)
青年誌だと少女漫画出身の作家が女性名のまま少年(青年)漫画を描いているというのはけっこうある。
読者対象が男性じゃない純然たる少女漫画雑誌で少女漫画を描いている男性がいたらぜひ教えてください。
蛇足だけど、少年誌に対する青年誌のような、少女誌に対するちょっと年齢層を上げた雑誌の呼び名がないのがちょっと不便。
アラサーとかの主人公が多い、読者が大人なのに少女誌ってなってるフラワーズとか、ちょうどいい呼び名ないのかな。
追記)いろいろご意見ありがとうございます。
幼女誌とかなるほど、と思ったんですが、青年に対応する女の青年期の呼び方がないから名前がつけられないのかもしれないですね。
「牌にドラえもんが書いてあっても」は何を言いたいのかちょっと分からんが、まぁ、言いたいことは分かるよw
てか俺も最初は『咲』はクソだと思ってたけど、
結局「麻雀に少年漫画的なアプローチが出来るんだな」ってことが理解できてなかっただけだったなと、後から気づいた。
あの漫画が成立するのって、「カンして嶺上開花」がカッコイイと、曲がりなりにも広く共有されてるからだよね。
その後キャラが増えてって、パワーインフレも起こり気味で、能力もダサいのとカッコイイのがあって、
全部が全部うまく行っているわけじゃないけど、やっぱ少年漫画のコンテクストを引き出せるのって強いよねw
一巡先が見えるって、もちろん現実に使えたら反則気味の強さだけど、
中途半端な未来視ってのは往々にして能力の限界にぶち当たる側じゃないのw
最初に出てきた時から、ああこの子はいつか自分の限界にぶつかるんだなって分かって、
でも園城寺怜は最終的に三巡先まで見るんだよね。
そうやって限界を越えていくところに、俺はすげー感動した。
十数年前、俺が小学生だったころ。
当時コロコロコミックで『デュエルマスターズ』というMTGを扱ったマンガの連載が始まり、結構楽しみに読んでいたのだが、
途中からオリジナルのカードゲームを売りたくなったらしく、その新カードゲームをメインに扱うようになった。
俺はその新カードゲームにはもう全く興味がわかず、なんでこんな訳わからんカードゲームしなきゃなんないのと思って、
時は流れ、麻雀を覚えて
福本伸行の麻雀漫画を読むにつけ、その時と似たような感想を抱いてしまう。
つまり、なんで麻雀をこんな変なゲームに改造しなきゃなんないの?ということ。
『カイジ』のように最初からオリジナルのゲームをやるならそれはそれでいいよ。
でも麻雀を悪魔改造するにあたって、いかなるコンセプト性も見いだせず、
かといってゲームとして面白そうにはとても見えず、わざわざ改造する意義が一切見いだせない。
読んだのは『天』と『アカギ』の鷲巣麻雀編だけだが、これ以上読むのは苦痛なので勘弁。
『天』は、天がひろゆきを変な麻雀もどきのゲームで試したところから、既に怪しくなっていたが、
とりあえず東西戦の話だ。
東西戦、最初は面白かったよ。原田がイカサマで四暗刻を和了った健の左手をぶっ刺すところとかね。
その次から交代方式の麻雀が導入されたが、これもまあ良かったよ。
赤木の作った手牌を天が引き継いで四暗刻を和了る場面は熱いし、あれは確かに共闘するからこその面白さだ。
交代方式以外に特に面白いとも思えないルールが山ほどオマケでくっついていて、全部要らないと思うが、
それは忘れることにするよ。
ここまでだよね、『天』が面白かったのって。
麻雀の代表的二翻役である、「一気通貫」「三色同順」「七対子」「チャンタ」「三暗刻」を先に全て和了したグループの勝ち
というルールだ。
もう、ハァ?という感じ。パッと見、何が面白いのかさっぱり分からない。当然漫画を読んでも、とても面白そうなゲームには見えない。
こんなルールを導入するからには、それなりの説明があっても良いのだが、それも特に無い。
天が言うには、「チームワーク重視であること」「ひろゆきの理詰めのセンスが生かされやすいこと」が理由だが、
明らかに論理の飛躍がある。そのためなら、こんな意味不明なルールでなくても良い。
しかもだよ。「三暗刻」が「麻雀の代表的二翻役」ってどういうことだよ。滅多に和了れないだろそんな役。
まだ「トイトイ」が残ってるのに。
「トイトイ」を差し置いて「三暗刻」なのはなぜ?どう見ても作劇の都合で「三暗刻」にしたよね?
導入する理由も不明瞭、ルールも作劇の都合というわけで、決勝編はかなり悲惨だった。
原田が「そんなパズルみたいなことやってられるか」と言うが、ごもっとも。
ちなみに原田の提案で普通の点棒制との並立制が取られている。それがなければもっと悲惨だったかも。
まだ終わらない。決勝がいろいろあって引き分けに終わったのち、原田と天の一対一の対決が始まるが、
ここでもまた意味不明なルールが導入される。名前がついていないので、福本ルールと呼ぶね。
ざっくり言うと
18巡以内に二人のうちどちらかが先にテンパイを宣言する。宣言された方は当たり牌を推測し、宣言した方はひたすらツモる。
ツモ和了までに当たり牌を当てられたら宣言された側の勝ち。当てられるまでにツモ和了したら宣言した側の勝ち。
もちろんこれに点棒の収支が絡む。知らない人はWikipediaでも見て。
これは、本質をついた改造でも何でもなく、麻雀というゲームを激しく勘違いしているよね。
ただ二人で麻雀したいだけなら、萬子と筒子の2~8を抜くとか、あるいは萬子だけでやるとか、やり方あるじゃんよ。
まーこれどっちもゲームとしてはクソだよ?特に後者は天和・人和・地和が連発する歪なゲームになっちゃう。
でも漫画なら面白く盛り上げる方法はあるだろうし、ゲームとしてクソなのは福本ルールもどっちもどっちでしょ。
そんなんだったら、そういうスタンダードなルールを退けて、こんな意味不明なルールを採用する理由ってなに?
無いでしょ?そんなの。
天の提案したクリア麻雀を「パズルみたいなことやってられるか」と一刀両断した原田が、
ここでこんな幼稚なゲームを提案してきたことに俺はひどくガッカリした。
健の左手をぶっ刺したときは、ヤクザーな感じで超かっこよかったのに、
この後、麻雀とは特に関係のない通夜編が始まる。通夜編の評価は特に高いようだが、
俺には原田だの天だのが赤木を送り出すに相応しいとはとても思えず、特に何か感じるものもなかった。
こういうシンプルなゲームを原田と天の最終決戦でこそやれよ…って思い、更にガックリと来た。
これが『天』の感想。
もうなんかめんどくさいので、『アカギ』鷲巣麻雀編の感想は簡単に済ますと、
アレは一晩の対決を何十年もかけて連載していることに価値があるんだと思う。それは認める。
しかし、鷲巣麻雀ではなく普通の麻雀だったらもっと良かった。鷲巣麻雀は『天』の時ほど本来の麻雀からかけ離れているわけではないが、
やはり変則ルールを導入する意義が見いだせない。
『カイジ』にも変な麻雀やってるとこあるけど、アレはちゃんと読んでないから感想言えない。つーかもう読みたくない。
つーわけで以上。
『咲』もまあ、キャラ数がいい加減多くなりすぎて苦しくなっているところはあるけど、
能力とキャラクター性が緊密に連携しあっていて、それがいかにも少年漫画的で、良いと思います。スピンオフの『阿知賀編』も面白い。
あと全然関係ないけど、最初に書いた時期のコロコロで、魔法使いの話が読み切りで掲載された事があったと思うんだけど、
あれが何だったのか気になるので知っている人は作品名と作家名を教えて下さい。
五大天才漫画家「手塚治虫」「尾田栄一郎」「鳥山明」あと二人は?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4323316.html
1.質が高い作品を複数、残している。
を条件とした場合、
手塚が入るのは当然として、赤塚は作品自体のクオリティはともかくとして革新性が弱い。
尾田は商業的にはひょっとしたら鳥山よりも成功した漫画家かも知れないが、やはり革新性に劣る。尾田はたとえるなら少年漫画界のマーガレット・ミッチェルみたいなもの。作品の訴求力と当人のクリエイターとしての革新性とは別。
鳥山は天才に当てはまると思う。ギミックを詰め込んだデフォルメされながらもリアリティを持つ画風自体が衝撃的であったのと、アメコミの影響を受けて租借したうえで、日本の漫画の原稿に和風化して落とし込むという表現技法上の革新もあった。「Dr.スランプ」は大友克洋の「AKIRA」よりも早い。言うまでもなくメガヒットを複数出している。大友をして大友的な革新性の代表として天才扱いするならば、大友的な革新性は鳥山の中に抱合することが出来、時系列的にもそれが妥当だと思う。
水木しげるは天才と言うよりはアルチザン。緻密に粘着的に徹底するという程度が他者を凌駕しているのであって、漫画史全体で見れば、それほど重きを置かれるわけではない。これは水木を軽視しているのではない。作品への評価で言えば、私はむしろ水木を手塚を凌駕して評価している。ただ、漫画史的な視点での評価はおのずと作品評価とは異なると言うことだ。田山花袋や横光利一が作品単体では大した作品は残していないにも関わらず、文学史的な革新性において評価されるように、ここで言う天才とは、作品自体の質はもとより、その数、社会的影響力、そして革新性を備えている必要があるということだ。
そういう意味では石ノ森章太郎は、天才何人か分の重要、かつ致命的な影響を漫画史に残している。フォーマットの創始者という点においても、集団ヒーローの群像劇、そのキャラクターの性格づけはもとより、マーチャンダイジングの手法においてもパイオニアと呼ぶべきである。更に重要なのは、いわゆる「オタク的」な要素の萌芽がすべて石ノ森作品の中に顕著にみられることであって、少年サンデー的な、中産階級的な趣味的なマンガすべてが石ノ森マンガに端を発しているという点である。意外と重要なのは、「日本経済入門」のような、それまで非マンガ的な要素とされていたものについてもマンガに取り込んだことで、手塚や水木の中に見られるマンガというイデオロギーを脱して、徹底的に表現手段として分解してみせるという、作家性とは別の次元の理数系的な分析をマンガに持ち込んだのも石ノ森である。
漫画表現の飛躍的な革新を成したという点では24年組(竹宮恵子、萩尾望都、大島弓子、山岸涼子)を挙げなければならないが、その集大成的な立場としては萩尾を挙げるべきだろう。手塚が基本フォーマットを作ったと言われる戦後マンガの基本は、映画表現をいかにして紙の上に再現するかと言う視点から成り立っていた。萩尾らによってマンガは初めて独立した表現手段になったと言ってよい。マンガは文字と絵が同じ一つのコマの中にあり、吹き出しのセリフ、吹き出し抜きの内面のセリフ、そして絵とそれぞれ矛盾した内容を同時に表現できる唯一の表現手段である。たとえばぶっきらぼうな少年が少女に向かって毒づきながら、なおかつ画面上では頬を染めるなどをして、明らかに少女への好意を示しているような表現は文学では難しい。描写ではなく説明になってしまう。更に実はそれも演技だとして、内面は実はこうすれば少女は自分に対してぶっきらぼうな少年に対する好意を増すであろうとの計算があるとすれば、その内心を同時に表現するのはこれは映画等でも不可能なのである。こうしたマンガ独自の表現方法の確立は萩尾望都を代表とするのであり、その表現手段の派生が致命的過ぎてもはやエピゴーネンとも意識されないほどの重大な影響を及ぼしていることを踏まえれば、彼女の存在は、二十年、三十年のスパンではなく、百年、二百年のスパンで見るならば、手塚をもはるかに凌駕する重大かつ致命的な転換点となったのであった。
と5人のうち4人までが選ばれたが、ここは議論の余地がないところである。つまり個々のこのみや評価の違いはあっても、漫画史の視点から言えば、偏見なく選べばこの4人は欠かせないということである。残りの一人は評価と好みの違いになるだろう。私は、
藤子・F・不二雄を挙げる。
[補足]
まあ、みなさんいろいろご意見はおありでしょうが、そもそも5人に絞るのが無理っちゃあ無理とちゃぶ台をひっくり返してみる。
「てめー、あれ読んでねえだろ」「俺はビートルズの武道館ライヴ見に行ったんだぜ」「江夏の21球も実際に見てない奴が投球論を語るな」的な反応はプロレス論の醍醐味で正しいレスポンス。
レスが挙げているような御大たち、高橋留美子、大友克洋、白土三平、水木しげる、赤塚不二夫、永井豪、いしいひさいち、つげ義春、大島弓子、大和和紀、三原順、梶原一騎、吉田秋生あたりは誰が入ってもおかしくない。個人的にはいくえみ綾とかも入れたい気もするが、個人的過ぎるので止めた。
あと、尾田先生が入っているのはつりですか、みたいなことを言う人には、何といっていいものやら。
[補足の補足]
ekken さんがブコメで尾田は外せよみたいなこと言ってたんですが、私もそれはリンクを張っている元記事について言っているんだろうなって思いました。そうじゃなくてもっと直接に私に向かって「尾田先生が入っているのはつりですか」と言っている人がいたんで(消されたみたいですわ。こわっ)、書いたことで批判されるならともかくさすがに言ってもないことで揶揄されるのはやだなあと思って補足しました。ekkenさん、ご迷惑おかけしてごめんなさいね。この点をブコメで指摘してくださった方も、言ってもいないことで私が批判されるみたいな流れになるのをくぎをさしてくださったんだと思います。ありがとうね。
簡単に言うと
だよね。
個人サイト時代は、サイトのトップページに801や18禁なら認証があって検索避けやブックマークに過敏だった。
ただ逆に言うと、一般の二次創作世界を知らない人間には不快に映る可能性が高いから隠れるべき、という意識があった。※1
今はジャンルによってはもはやジャンルサーチすら存在せず、PIXIV→個人サイト(同人誌宣伝)になってる。
PIXIVは評価システムやコメントも飛ばせるし(拍手や掲示板的な)絵を描きたい!字を書きたい!衝動を簡単に出せるツールだと思う。
ただその衝動に「ホモ・エロ」が混じった途端、同人界では※1に繋がるタブーになるという意識が残念ながら欠如しすぎてる。
二次創作への敷居が限りなく低くなった分、個人サイト時代は自分自身で調べて最低限のネチケットを理解した上で、
という前提すらなくなってしまった感。
PIXIVの利用者層が低年齢層なのも敷居の低さゆえだろうし、何時の時代だって同人初心者は自分も含め意識が低かったから仕方ない。
今はただ、ツイッターやPIXIVでそういった物が過去の時代より目に付きやすくなってしまっただけなんだろうし。
話を戻して。
とはいっても、所謂昔から扱われてる雑誌(三大少年漫画)の漫画は新しかろうとジャンルサーチはあるし、
同人界で長く生き続けるジャンルは個人サイト主導型だと思っている。
PIXIVは結局個人サイトを作らない、作るメリットを見出せない、労力を書けたくない、同人ライト層なだけあって、
その内ジャンルサーチ-個人サイト系列とPIXIV層で二層化する気がする。
今後の個人サイトは「同人誌を買う層はジャンルサーチからサイトを、同人初心者な新規客はPIXIVから釣る」
一部のPIXIV民(同人初心者)は「PIXIVのノリに疲れる/同人誌・個人サイトを見て憧れる→個人サイトを作る→ジャンルサーチ登録→PIXIV垢放置」
と予想。
PIXIVのコミケマップにサークルがそこそこ登録しているのを見ると、新規客はPIXIVから釣る、辺りで個人サイトはPIXIVを使うし、
それを利用して実はPIXIVって同人誌を買う層すら取り込もうとしてるんじゃ・・・とか裏読みしてしまうけど
二次創作(腐)をするにあたって、オープン過ぎる/ジャンル特化ではない以上、同人全てのジャンルを牛耳る事は不可能と結論してみる。
(そもそも三次元の人を扱うジャンルはPIXIVなんてアウトだし)
※備考
男性向は除外されると思ってる。
男オタは服装に気を掛けない、みたいなスラングに近いが、
「サイト作成する労力(ミテクレはどうでもいい)とかどうでもいい、中身の文章に力入れたいし。
その文を楽に公開できるツールがあるならブログだろうがPIXIVだろうがキニシナイ!」パターンを見受けられるし、
そんなのでは萎えないか?感情移入できないんじゃないか?」という問題指摘が
>http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1719416.html
>主人公が戦いの中で強くなる、強さを見せるというのはアニメや漫画における
>爽快なシーンですが、その強さの理由に「キャラクターの血統」といった背景が関係することも
>多いかと思います。中国オタクの中には「強い理由が血統」ということについてちょっと
>考えてしまうこともあるらしく、中国のネットで話題になっていました。
>考えてみると日本の作品の主人公の強さって、結局は血統で決まってない?
>強いキャラはみんな「良い血統」という背景がある。主流な少年漫画を見てみれば、
>ルフィもナルトもゴンも一護もリクオもハッキリと血統による強さとなっているし、
>コナンなんかでも同じ分野で優秀な親の才能を受け継いでいる。
>優秀なキャラには、優秀な血統が背景としてあることが多いね。ここまで多いと、
>この設定が日本人の感覚独自の強い説得力を持っているのではないかと考えてしまう。
>血統か……特に印象的なのは「NARUTO」かな。ロック・リーはどうすればいいんだ……
>ジャンプ系だと、「るろうに剣心」が血統による強いキャラってのが出てないね。
>ただ、あれは時代設定的に明治維新というそれまでの封建体制が崩壊した時代と関係するから
>血統重視のキャラが出ていないのかも。(続く)
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
>少年漫画の範疇ではないけど「ベルセルク」のガッツは血統とか全く無いキャラだね。
>言われてみればああいうのは珍しいかも。日本のアニメは昔からそうだぞ。
>お前ら「一休さん」が単なる片親しかいない子供だと思っているのか?
>一休は南朝系天皇の私生児で、出家しなければ大きな問題になっていた。
>それと単なる寡婦だと思われていることの多い母親も藤原氏の血統だから、
>全てが血統によるものではなくても、本人の努力や師匠的存在、育った環境、過去の
>経験と同じかそれ以上に重要なものだったりすることは多いかも。
>それから血統と背景があると話が作り易いのかもね。伏線にもできるし。
>正直、修行で強くなったりはするけど強くなれた理由が結局は血統による能力ってことだと、
>なんとなく冷める時がある。
>http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0629&f=column_0629_029.shtml
成る程、と思ってよくよく考えると、もっと根の深い話が日本の少年コミックには
あるような気がした。
「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミックが少ない」ということもあるのではないか?
30年以上前、自分が小学生の頃の「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」などは、
もうちょっと「スポーツモノ・学園モノ・ギャグコミック」が多かった気がする。
特に学園モノ・ギャグモノとかは、主人公の血統を問わない設定が大半だし
(有閑倶楽部あたりは違うな、少女漫画だが)、スポーツモノも、
なので、自分が小学生の頃は、それなりに少年マンガを読んでいたと思う。
しかしその後、少年マンガを暫く読まないまま大人になり、たまに散髪屋とかで
こういうマンガでは、そりゃ血統の設定が重要視、当然視される。
自分は元々が「オカルト・擬似科学嫌いな理系チック人間」なので、
「主人公が超能力で対決する」という設定のストーリー、と分かった時点で
「次の頁を一切見たくなくなる、興味が萎える」。
ジャンプ辺りで「安心して読める」のは、せいぜい「こち亀」くらいか?
(あれもハチャメチャなマンガではあるが、一応現代科学の法則を逸脱はしていない)
それ以外は全て超能力系だったりして、腰抜かした。
まあ自分が「今の小学生」だったら、これら3誌は絶対買わないなあ。
「ジャンプ・サンデー・マガジンでこんなに非科学的マンガが横行して、
日本の科学リテラシーは大丈夫か?オカルトに嵌る若者を産みだす下地を作ってないか?」と
心配になる反面、
「少年マンガの売れ行きが減少しているのは、オカルト流行りの連載ばかり
厚遇されている誌面作りに、小学生中学生が飽き飽きしているから、
彼等もバカじゃない」という側面もあるのでは?と思うので、少し安心する。
せめて成人コミック程度に、
●この書き込みが誰についてのものか、第3者が判別できる情報は載せておりません。また下記は全て事実であり、特定人物への誹謗中傷目的でもありません
・3年間、400スレ前後に及ぶ自分語りが原因で特定されたコテハンに依頼されて出てきた弁護士
・スレ立ての仕方が分からず無関係のスレでスレ立てを依頼。商売でやってるなら方法くらい自分で調べろと名無しに説教される
・説教された後、忍法帖のレベル上げのために手動で一生懸命書き込む痕跡が捉えられている
・削除要請の後にIP開示を求めるも「ログを消したので無い」と断られる。別件で七年前のログのIP開示を求めて却下される等、多数の不備が存在
・事務所の公式ツイッターアカウントでジュニアアイドルを多数フォロー。その件についてスレで暴露された5分後、ツイッターを非公開に
・遊戯王オリジナルカード作成・登録サイトで自身をネタにされた事について同サイト管理人に抗議。その際依頼人についてのカードは無視
・事務所のサイトを宣伝するためにスパムブログを多数開設。ツイッターに宣伝の連投も行い、それを名指しで先輩弁護士にツイッターで批判される
・これらの行為を発見されたことがきっかけとなり、弁護士の本名を検索すると不穏な単語が大量に出てくるようになった
・不穏な単語への対策として削除&IP開示請求を行うが、本名を伏字ですら書いていないもの、少年漫画のキャラ名と本名を併記しているだけのものまで請求
・「検索で不穏な単語が出てくるような企業に仕事を頼みたい人はいない」等、事務所のサイトで述べた講釈が、まるまる自分へのブーメランになっている
少女漫画の作中ではそれでも不細工やブス設定というのはある。
周囲からブスと蔑まれてる設定のヒロインも、絵面ではブスではなく可愛い顔してるのが殆どだ。
個人的に思うに、それは、男は不細工を見ることで比較対象との優劣を知るのだが、
女は不細工を見ても単に不快になるだけだからじゃないだろうか。
現実には、本来不快なはずのブスを自分の側に置いて付き合っている女もいるが、
それは男からの視線が意識に入っているから、引き立て役として利用しているのだ。
完全に男の視線が全くない女同士だけの場合は、女は態々引き立て役と付き合ったりしない。同レベルの女同士だけで付き合う。
同レベルの容姿の女は中身も同レベルの事が多いから、話も合うし落ち着くのだろう。女は同調性と異物排除の傾向が高いからね。
自分達より美しい女に対しても、男からの評価が意識下にある場合は、自分の評価が下がるから嫌がるし嫉妬する。
だが、男からの比較評価に自分が関わらないような場合は、自分より美しい女には単純に憧れと鑑賞の視線を注ぐ。
少女漫画世界というのは、女が現実の男の視線に晒されない世界なのだから、
視覚的に美醜判定を盛り上げる為のブスなんて必要は無いのだ。視覚的に醜いものは不快を抱かせるだけでしかない。