はてなキーワード: 商業地とは
その一 https://anond.hatelabo.jp/20240318182037
東口の地下に何やら変な駐輪場があるのだが、実はこれは1990年までは地下街であったのだ。出来たのは1960年代のはず。
天井低くてしょぼいし店舗も狭いし店も昭和中期っぽくて古いしで、テコ入れされないままに90年に廃止。
というのも、90年にそごうが出来る事になったので、橋上駅の高さのままにデパートに入れるペデストリアンデッキを築造し、地下じゃなくて上の方で発展させる方向になったのやね。
で、駅の真ん前のデッキの基礎を建てるには地下街通路が邪魔。って事で、通路を閉鎖してデッキ基礎が貫通する形になった。残りの部分は店舗仕切りなどを取っ払って駐輪場へ。
なので一部閉鎖区画があって鉄板や木の板で塞がれているのだ。増田はここにどうにかして侵入できないかを昔から考えているのであった。
ちょっとあるよ。
本来、東アジア反日武装戦線「狼」はお召列車爆破と昭和天皇暗殺を狙っていた。場所は東北本線貨物線荒川鉄橋。
1968年まで赤羽以北の東北本線は貨客混合の複線だったが、輸送力増強の為に複々線化されて貨客分離された。これでお召列車は貨物線を走るようになった。原宿駅のお召列車ホーム自体が山手貨物線に接続されているから。
そうすると、貨物線橋梁爆破しても一般人に危害は与えないという事になる。そこで一味は爆弾設置の為に電線を設置しにいくが、人影があり、付近を徘徊しているので恐れて中止した。
そこで目標を変更して三菱重工爆破事件に至ったというワケ。元の一般人への危害回避はどこに行ったんだ。川口の乗越線はやっぱりこの貨客分離が元だから関係があると言えば関係がある。
wikipediaの虹作戦の項には「爆弾を仕掛けようとしたのは旅客線」と書いてあるが、これは間違いじゃないかと思う。そこは間違えんだろうし、増田が聞いていた話と違う。
東口駅前のそごうはそごう西武グループが売却してゴーストビルのままになってるが、三井が取得する見通しと、去年市議会で報告があった。三井という事はララガーデンとかららなんとかとかららクロフトとかになるのかと思われる。
しかしデパートというのはハイコスト、ハイリターンの業態に合わせた建物で、コストがメチャクチャかかるんだな。それは冷暖房費やエレベーター、エスカレータなどもそうだし、搬入口が狭くて外部の納品代行業者経由で整理して混載で搬入するのでないとパンクするっていうのもある。
だから巨大ダイソー一棟貸しみたいなのなら行けるが、色んなテナントが入って納品代行は使わないっていうのは無理など、難点が多いのだ。
そもそもデパートの損益分岐点って日商4000万円とかそういうレベルなんでショッピングモールなんかに入るテナントと業態が合わないのだ。
だからどうなんのかなと様子見。結局開店が流れちゃう可能性もあるね。
SLあおば通りって道があって、ファミマのSLあおば通り店っていうのもありhttps://maps.app.goo.gl/fWvvCmGbAjvhLPZw6 、道筋にはSLのオブジェとかもある。
でもこれインチキなんだよね。ここに線路があった事ってないんだ。
アリオは元はビール工場で、そこと川口貨物駅の間にユニオンビール専用線という貨物線があった。でもその専用線は現線路に平行していてJRが保線基地に使ってる。
そこでビール工場跡を再開発するにあたり、専用線跡を記念するオブジェを配置したい、でも専用線跡はJRが使ってる…って事で隣の道を指定しちゃったと思われるのね。こういうのは混乱の元だから止めて欲しいですな。
あるね。https://maps.app.goo.gl/dGPVNnEXP6hMg3n26
植物の繁茂で全然読めないが、実は同じものが陸橋の西詰にあるよ。https://maps.app.goo.gl/GNdf7d4UP3eT9aYj7
石碑の内容は、整圃事業の謝辞だよ。戦争中にまだ農地ばかりだった駅付近一帯を碁盤目状に土地の区画整理をして、その協力した地主達を名上げして感謝している。川口は江戸から離れ鋳鉄で栄え舟運で製品を出荷してやがて鉄道が来て~という事を漢文で書いてある。
この区画整理を戦前にやっておいたせいで、戦後に鉄の民需が爆上がりした時に鋳鉄工場が大量に出来て鉄の街となったのだな。
また、最初の碑がある場所というのは実は大踏切があった場所だ。駅の方から来た道が斜めに線路群を渡り、対面の斜めの道に踏切で抜けていた。
でもこれは当然危ないわけで、昭和30年代に埼玉県は荒川~大宮間の踏切を全部立体交差にする工事をしたのだ。それでこの大踏切も廃止になって代わりにこの北の川口陸橋が掛けられた。
因みにこの陸橋の開通セレモニーでは神主が来てお清めしてから神主が渡り初めをしているのが写真に残っている。
だから王子から赤羽には踏切が幾つか残っているのにその北の大宮には踏切が無いのだ。
多分西詰の石碑は元は大踏切の反対側にあったのがこの時に移動されたのではと思う。
タワマンというのは住宅地には建てられないの。日影規制もあるし、日照権も主張できるからあとから訴訟になる。
でも商業地や工業地ではそれらは主張できない。だから工業地帯から転換した地域はタワマンに最適というか、それ以外では建築が難しいの。
更にタワマンには建物の周りに公開空地を設けないとイケないのだが、「大規模な町工場」というのはこれで必要とされる広さに丁度いいのだ。
そういう訳で、川口にある〇〇製鉄、○○鋳造なんて名前の会社は、多くがもう工場を持ってないか縮小して他所に移転していて、不動産業メインの会社ばかりになってる。
日本初のタワマンは川口元郷のエルザタワー32なんだけど、ここは日本ピストンリングというエンジン部品を造っていた会社の工場だったところ。
因みにピストンリングは昔は鋳鉄を丸く繰り抜いたものが使われていた。鋳鉄には細かな穴が沢山あるのでここにオイルを保持して焼付き防止になっていたのだ。って事でやはり川口なので鋳鉄なのだ。
その丸井が閉店になって共同所有になり、ビるの愛称を決めた。もとが0101だから1110って訳でシャレや。
駅西口から徒歩7分くらいの所に飯塚氷川神社という神社がある。https://maps.app.goo.gl/fKh6qXTZGCNTYGRE9
ここだが、境内に結構古い社務所があるのだが、なんとこの社務所、選挙の投票所に指定されている。中は畳と板張りなんだが、そこに土足で入れるようにシートを敷いて投票箱と記帳所を置いて公職選挙が行われる。
すげえ田舎や離島で神社が投票所というのはあるだろうが、東京都境から徒歩10分、駅で一駅のタワマン林立地帯でこんな投票所があるというのは珍しいんじゃないか?
好事家の皆さんは選挙の日に覗きに来てはどうだろうか?
何?じゃなくて教習所や。元々地産グループの教習所だったが、グループ首魁が逮捕された影響で元会社が倒産、売りに出されて飛鳥ドライビングカレッジとなっている。
ここだが、ちさん時代から教習料が安いのが特長。都心から近いのに首都圏で一番安いという穴場なんだな。免許取りたい人はイイゾーここ。
因みに2019年台風19号の増水ではコースが7mの泥水の底になって、後にはコースも見えない泥の沼が残り、教員たち総出で泣き泣き泥かきをしたそうだ。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。
山手線の駅と方角くらいはなんとなくでも知っておくといいかもね
永田町:政治家の魔窟。国会議事堂をはじめ首相官邸など政治関係の主要機関が集中している
霞が関:官公庁のこと。各中央省庁の庁舎が集中している。永田町の隣
市ヶ谷:防衛省と自衛隊。高級住宅街でいい所だけど有事の際は優先破壊目標になるので市ヶ谷周辺は個人的にはお奨めしない
桜田門:警視庁本部がある。霞が関にあるがその特殊性で区別されている。桜田門駅がある
代々木:共産党本部がある。ちなみに自民党本部は永田町。そういえば代々木アニメーション学院は水道橋へ移転しちゃったね
兜町:証券界隈の代名詞。日本橋兜町に東京証券取引所がある。最寄り駅は日本橋ではなく茅場町なので気を付けよう
大手町:ビジネス街。大手町駅はリアルに「8番出口」が楽しめる。東京駅に直結しているが15分くらい歩かされる乗換案内の罠に嵌る地方民が後を絶たない
丸の内:東京駅前のビジネス街。丸ビルがある。オフィスレディ発祥の地でありキャリアウーマン憧れの地。皇居の目の前
八重洲:丸の内から駅を挟んで反対側、日本橋方面。小路や老舗が多かったが区画整理中で丸の内のようなオフィス街になりつつある。近辺のビルは地下街で繋がっているので傘も外套も要らない
有楽町:ビジネス街であり商業地でもある。丸の内から銀座へと続くグラデーションを成す緩衝地帯で雑多な賑わいがある。大手町・丸の内・有楽町で大丸有地区とも
銀座:老舗の多い高級繁華街……だったが区画整理やコロナ禍でコンセプトが迷子になっている。若者はとりあえずGINZA SIXに行っておこう
歌舞伎町:新宿にある日本最大の歓楽街。ここで泥酔すると色々な物を失う。明け方になると道に人がいっぱい落ちてるけど平常運転なので放っておこう
新宿二丁目:単に二丁目とも。ゲイバーが集中しているのでそういう意味で使われる
有明:ビッグサイト(東京国際展示場)。コミケで有名だけどビジネス展示で営業マンとか技術者とかなら行く機会がそこそこあるはず
五反田:ピンク街。お金はあんまりないけどお姉さんたちと遊びたい人たちが行くところ
徒然に書いてみたらあまりに多いので切る
むかし公民館で花火大会の運営をしてた。毎年、地方の花火大会を無料でやっていたから知っているのだけど、本当にしんどい。なので、それを書き込んでみる。
とまあ、花火大会を無料でするというのは、今の時代は無理ですよ。かつては、花火大会をすることで公民館のメンバーが潤ったけど、もはや利益受給者がないのだからやろうと思えない。というわけで、夏の風物詩を欲すならば金を払ってくれ。貧乏人うんぬんではなく、花火大会には金と体力と気力が必要なのだ。金が無いと花火大会は実施できない。花火大会を無料で観覧させろというのは、「パンとサーカス」よろしく事業継続性に乏しいのである。
あってよかった的なもの
・電動シャッター
電灯消し忘れ、蓋閉め忘れがなくなって喧嘩激減
・ドアの電動鍵・車庫の電動シャッター・浴室物干しあたりもまあ普通にいろいろあってよかったカタログ通りの性能
(追記)60キロの人が寝られる丈夫さのつくりつけ本棚もまぁ活用してますわ、床にあふれてるけど
(追記)鉄骨でないと家がたたない商業地ゆえに壁が無駄に厚く、その分階段にニッチつくったけど、リンゴとか燃えないゴミとか置いとくのにいい
・ドアのチェーン
在宅でいるかいないか判別できないので閉めなくなった(出勤したおつかれのときにかぎっての締め出しが複数回発生した)
すぐにバネが弱くなってはねかえるようになってめんどくさい
・洗う便器
だれも洗剤いれてないなう
ひととおり1回ずつ基盤などの壊れが発生した
・二階の洗面所の蛇口に浄水器つけさせてくれ、鉄管ビールという言葉があるほど風呂上りの新鮮な浄水はうまいんだ
・今日でてたけどほんと背の高い人に日本の台所低すぎ問題はあるある
設備品
K氏:マンションに隣接する土地を所有する地主。増田とはそんなに仲が良くない
L氏:K氏所有の借地に家を持ってる
Kの土地:KがLに貸している借地
Lの家:Kの土地に建っている家。廃屋寸前で増田のマンションに対して外壁が崩れ落ち始めている。本当はほかにテナントもあるが簡略化
何がしたいかというと、増田マンションに隣接するKの土地を丸ごと買って新しくマンションを建て替えたい。そのためにKやLと交渉したいのだが、ということ。
増田マンションは築20年弱の低層マンション。このマンションに隣接するのがLの家だがそこはツタが生い茂って外壁もボロボロ。正直もういつ崩れてもおかしくない状況だ。Lの家はもともとの家主が既に去っており、現在はその子供(Lとする)が住んでいる。Lはこの家に関してあまり関心がないのか知らぬ存ぜぬを決めているらしい。
増田としてはこんな危険な物件を放置しておきたくない。そもそもこのLの家を含めて増田マンションに隣接するテナントからもいろいろと迷惑行為をかけられている。
それとは別に増田のマンションは築20年とは言え、施工不良でさんざんな目にあっており、いまどきエレベーターもない。ならばいっそのこと隣のLの家を土地ごと買い取って全部をひとまとめにして更地にして一回り大きなマンションにしてはどうか。そう考えて地主であるKに対して打診した。けれどKは首を縦に振ってくれない状況だ。
Lの家は借家である。その地主であるKはもちろんLの家のことを知っており、老朽化が進みすぎたLの家を退去させたがっているとのこと。ようはK自身は上物を取り払いたいのだ。しかし借主Lはその交渉を無下にして全然立ち退かないらしい。増田としてもはやくLの家を壊して欲しい。でももしかして借地法(旧法)で契約しているとどこまでも立ち退かないかも
Kがその土地をどうしたいのかはよくわかっていない。不動産屋からの又聞きによると、以前に遺産相続でかなり争ったらしく、土地を売ることによって多額の現金が入ることを嫌っているらしい。だから立ち退きはさせても売る気はないとのこと。
だが新たにその土地を整備しなおすにしてもセットバックが必要だし、ぶっちゃけ駐車場にするくらいしか考えていないだろう。
増田からすると、長年マンションに損害を与えてきたLの家は早くどうにかしてほしい。だからその地主であるLを応援するのだが、同時にLにはその土地の底地も売ってほしい。
自分は不動産については素人だが、借地は借地権とその下の底地があると勉強した。借地権事態は売買ができるので、Lから増田が借地権買うことはできる。しかし、底地をもつKから土地も買い取らなければ自分のマンションを大きくはできない。逆もそうで、底地だけあっても借地権をLがもっていたらしょうがない。調べると底地の相場は非常に安いらしいが借地人が買い取る時だけは高くなるそうだ。だったらLが土地ごと買い上げてそれを増田が買うのがスムーズかもしれないが、そもそもLは金がないことが分かっているので難しい。というか地主のKがLに土地を売る可能性すら薄い。
なんか八方塞がりだな。
これを解決するにはどうすればいいのやら。Lを立ち退かせるのは大勢にメリットがある。となると借主Lか地主Kに対して民事裁判を起こすのがいいのだろうか。
幸いにもLの家から受けている被害は長年証拠がたまっているのと、現在進行形で被害は続いている。だからこれを元に裁判を起こすことは可能で、和解案の中でKの土地と借地権をすべて買い上げるようにすればいいのではないか。実際、そういう手があると教えられた。たんに裁判をしても先の計画なければあまり意味がないだろうから、銀行や不動産屋に相談するのが吉か?
というか、ぶっちゃけ土地が手に入るかどうかにかかわらず裁判して白黒つけたいのだが。台風のたびに隣の外壁が落ちてくるのは恐怖でしかない。
増田のマンションは駅近の商業エリアのど真ん中にある。もしもKの土地やその周辺の戸建て(交渉可能)をひっくるめれば、正方形の200坪前後の角地が商業地に生まれることになる。路線価は20万/平米なので1億くらいの価値かな。
近隣は開発が停滞しているしボロボロなビルばかりだ。立て替えていいという増田のような人は聞いたことがない。だから銀行や不動産屋に掛け合ったらおいしい話として積極的に動いてくれるのではないだろうか。
一人暮らしの腹ペコ学生さん向けマーケットでは、コンビニだけが甘い汁を吸い続けてきた。
その裏で、学生さんご飯おかわり自由の昭和定食屋は、単純なコスト戦争によって負け続けてきた。
学生さんご飯おかわり自由の昭和定食屋の衰退の理由はなにか、もう一度立ち返って考えるべきだと思う。
飲食店がこぞって付加価値を求めたバブル的な経済成長はすでに終わっているどころか、コロナ禍で完全に行き詰まった。
長引くデフレによって、競争力のある商業地での営業は、すべてチェーン店に塗り替えられてしまった。
まあ、それはもういいよ。振り返っても仕方がない。
ただ、ハッキリ言って、生活圏内に限って言えば、ダラダラくつろげるとかデートに使えるとか、もうそういうのイランのよ。
メシを食べるだけの殺伐とした学生さんご飯おかわり自由の昭和定食屋のビジネススキームの復活が望ましい。
たとえば台湾や韓国の一人暮らし向け賃貸住宅がキッチンなしというような、あるいは江戸時代のような、外食前提の文化になるのもアリだと思う。
(そのためには少子化対策が先んじるわけだが)
やっぱ、明治~昭和前期の日本の内陸部でも、横浜や神戸(最新の舶来文化が入ってくる商業地)への「格好つけやがって」「ハイカラ気取りめ」という反発心があったんでしょうかねえ
まあでも、現在の上海の若いIT業界関係者とか「今や俺らの方が香港より進んでるもんね」とか本気で思ってるんじゃない
内心では裕福で自由な香港に嫉妬してると認めてしまったら、自分の方が惨めになる
本当に現代の中国人が裕福(だけでなく)プラス自由に憧れてるなら、香港をすっ飛ばしてさっさとアメリカや日本に行く
中国本土にとどまってる連中は、今や充分中国本土も裕福だし(日本で、ばくぜーんと自民党政権を支持している層と同じように)政府に逆らいさえしなければ充分自由じゃんと思ってるんじゃないか
戦時下で起きた女性の社会進出が一時的なもので終わらなかった一因は
たぶん、終戦のすぐ直後は勤労動員してた女性の多くも家に帰った
でもその後、日本じゃ1960年代に高度経済成長期に入ると、工場や商業地で多くの労働力が求められて、高卒や中卒の女子もばんばん働くようになった
これと平行して全産業に占める農業の割合は低下して、農家で跡取り以外の次男坊三男坊、二女三女以下は都会の働き口に流れていった
その中には高学歴化してフェミ思想を唱えるようになった者も、ごく少数いたでしょうが、高卒や中卒の女子労働者の大部分は、「家計ため」+「国家や資本の要請」で働いてたと思いますよ
しかし実際、前近代的貧乏状態のままフェミが勝利した例てないんじゃない
>フェミは豊かになってから侵略するわけだから、フェミから見たら不可分
俺もこの認識に近い
>「男女平等思想」とか偽り続けられると思ってるんだ?もうバレてるよ、ただの女性特権運動だって。
これは矛盾しないんだよ。なぜなら、最終的には女尊男卑の実現が目標でも、その中間過程に男女平等があるという考え方ならね
フェミ連中が戦略的に過剰に男女平等是正を言ってる面はあるだろう
ナチスも必要以上にユダヤ人の力を誇張して危機感を煽って自陣営を正当化してたし
ただ、しつこいようですけど、今の非婚少子化の大部分をフェミだけのせいにするのは現実的に無理があって
まず自民党政権下での高度経済成長のもとで、左右の思想に関係なく高卒含む女子労働力が工場や商業地帯に広まって、
世の中が一定の豊かさが達成されて、左右の思想に関係なくみんな結婚相手をえり好みできるぐらいに贅沢の味を覚えたあと、おこぼれのようにフェミ思想が出てきたと言いたいだけ
彼個人の資質についてはアホだけどいじめの才能だけは有り余ってるとかかね?
票については田舎の農協が強いとこは自由匿名選挙っていう前提がないので
農協の言うままに自民に入れろって言われてジジババがその通りに投票するし
役所の人間も誰が投票に来て誰がどこに入れたか見張ってるっていう
そうかそうか方式より数段キッツイシステムが罷り通ってるって聞いた
田舎でうまくやるには中卒とか高卒の子どもや孫を役所か農協に入れなきゃいけないし
金が入用になったらうまく道路を通してもらって端っこの土地を役所に高値で売らなきゃいけないし
デメリットは、家賃は高いわ生活に必要な店は少ないわ鉄道路線や大通りが多いから騒音は大きいわとあれこれ山積みで、普通の土地であればわざわざ他のところから好き好んで移り住む場所ではない。
だが、たったひとつのメリットがあまりに大きすぎてそんなデメリットなんかどうでもよくなる。
想像してほしい。現在では漫画・アニメ・ゲームの聖地と言われるこの地で、全世界のヲタクが憧れ目指す先にあるこの地で、日常の生活を営むこの興奮を!
朝、目が覚めればそこが秋葉原。末広町駅付近から中央通りを南下して電気街口に至るルートが通勤経路。秋葉原に引っ越す前、遠くから秋葉原に通った日曜のあの日……夕暮れでそろそろ帰るかと思って「巡回忘れた店無かったかな」とか「欲しかったアレ、次来た時まだ残ってるかな」とか思いながら電気街口を目指すんだけどいつも改札機前で一瞬立ち止まってしまって。そして意を決してSuicaタッチした後のあの寂しさを毎日思い出して少し悲しくなることもある……。でも、仕事が終われば帰宅という日常の行動で、「今日はどこの店から向かおうかな」という、秋葉原通い時代に感じたあのわくわく気分が戻ってくる。でもあの頃とは違って、方々から聞こえる「おかえりなさいませご主人様」の呼び声を意味の通りに受け取れるのは秋葉原に引っ越した後の今の特権だ。秋葉原が活動拠点の「会いに行けるアイドル」だって、ここに住めば逆にアイドルが自分に会いに来てくれる事になるのだ。
そしてゲームセンターや同人誌屋、ジャンク屋の誘惑に負けそうになりつつ、二次元グッズで溢れた家に帰宅。もちろん我に返って急に恥ずかしくなることはない。だって俺は秋葉原の住人なんだ。すべては秋葉原に住んでいる事実があるだけで夏冬の特定期間に集中する来訪者たちも自然に納得してくれる。風呂に入る時だって、「秋葉原で風呂入るなんて贅沢を許されていいのかな」なんて思ってしまう。ましてやビールを飲みながら深夜アニメをリアルタイム視聴しているなんて……もう優越感を通り越して「秋葉原住民としての義務を果たしている!」という自分でも何言ってるのかよく分からない満足感に浸ることになる。
コンビニに外出すればアニメ作品とのコラボをやってたり、ハナマサに食材を調達に行くだけでそこがアニメの聖地だったりする。風邪気味になって最寄りのドラッグストアに行けばなぜか隣でアイドルが踊り、ファンが大声援を送ってる。もはや何をするにも秋葉原文化がついてくる。
そして就寝。秋葉原の中で布団に入るこの素晴らしさは何事にも代えがたい幸福だ。外から聞こえる騒音だって、今の秋葉原の音だと思うとなんだか安心して眠りにつけそうな、そんな心の落ち着きが得られるような気がしてしまう。
さて、昨年秋葉原に引っ越した私であるが、もうこれが最高すぎて毎日のように興奮している。ここで私が言う秋葉原はもちろん東京都が定義する秋葉原エリアのことだ。過去にcyberglass氏が秋葉原に住むメリットを挙げた記事を書いていたが、氏が住んでいた外神田6丁目は秋葉原エリア周辺の住宅街といった趣があり、やはり「秋葉原の中に住んでる」とは言い難い。秋葉原に住むなら妥協せずにここは秋葉原の中だ!と言えるところに住むべきというのが持論。秋葉原の周辺には住んだことはないけど、たぶん満足度はかなり下がっていただろうと思う。マンションの廊下や部屋の窓から見える風景が秋葉原、エントランスを出ればすぐにいつものあの風景、吸っている空気も秋葉原かどうか。この差は自分にとってはかなり大きいと思われる。
秋葉原エリア内は商業地なだけあって、そもそも住める物件を見つけるのが難しいし、ましてや自分の予算や条件に合ったものを探すのはさらに難しい。でも秋葉原に住みたくて数年間探し続け、ようやくここぞという住処に巡り合えた。臨海エリア、お洒落な街並み、落ち着いた高級住宅街はいくつかあっても、秋葉原らしいところは世界探しても秋葉原以外にないと思っている。多様なヲタ文化にあふれた聖地に住みたい人の目標は明確だ。
みんなで秋葉原に住もうぜ。