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2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-07

小学生の頃、シャトルランを頑張ったことがあった

特に運動部でもなんでもなかったし運動も得意じゃなかったけど

ふと限界に挑戦したくなって、気付いたらサッカー部の奴と2人だけ残ってた

最終的に勝ったか負けたか(勝負じゃないが)(多分負けたが)覚えてはないけど、

なんでもない俺がサッカーやってる奴と張り合えたことになぜか喜びを感じてたのを覚えてる

そして大人になって「もっと出来た奴もいて、そいつらがただ折り合いをつけて途中でやめただけ」なんじゃないかと思って

急にバカらしくなってこの記憶を忘れることにした

2020-07-27

41歳の私・毒親への感情

41歳の私は、現在実の親と絶縁状態である

理由は親による虐待兄弟びいきだ。

私には血の繋がった弟が二人いるが、こちらとも絶縁している。

親の仕打ちを少しだけ具体的に書くと

教育格差

私に対し親は「公立学校以外駄目」と言い、指定した高校大学受験させられた。

当然浪人も不可。しかも「文学部は食えないかダメ」と学部指定

一方で弟は高校から私立

その弟は付属大学に進学したが『遠いから』という理由仮面浪人

なのに結局『一人暮らししたい』と遠い大学へ。

仮面浪人費用一人暮らしお金等々、親はすべて支払った。

しかも進んだ学部は「文学部」。

さら大学院に進学(文系私立の)し、すべて親がお金を出す。

●親に反対意見を出すと殴る蹴るの暴行

私だけ親に暴力を振るわれていた。

弟が窃盗事件を起こした時でさえ親は「駄目だからね」と口頭注意のみで終了。

「なぜ私だけ殴るの?」と聞くと親は

「弟を殴ると倍になって返ってくるから怖い。女のあんたは二人がかりで殴れば言うこと聞くし」

とのこと

●私には「耐えろ」、弟には「可哀相」

小学生の時ブラスバンドに入ったけど、担当教師はいわゆるスパルタ

夏場に炎天下練習をさせ、倒れる子が続出。

また小突いたり罵ったりとパワハラオンパレードでやめる子が続出。

私も「やめたい」と親に言ったけど、親は「やめたら家に入れない」と私を叱り飛ばした。

(ちなみにその担当教師は他の親の訴えで担当を降ろされ、のちに処分も受けています

一方、弟はサッカー部に入り、高いスパイクやウエアを購入したけど二か月で退部。

親は「運動部は可哀相だな」とあっさり退部届に判を押した。

●都合が悪くなると「あなた女の子。弟は男の子から仕方ない」という

上記の差について私が「不公平だ」と訴えると

「弟は男だから優遇するのは仕方ない」という親。

その反面、私が部活などで帰りが遅くなっても迎えに来てくれることはなかった。

急に雨に降られて私が「駅まで迎えに来て」と電話した時

親は「知らない。ずぶぬれで帰ってこい」と冷たく言うだけ。

なのに弟のことは毎日迎えに行っていた。

親が仕事で行けない時は「あんた、迎えに行って」と私に言う。

私が断ると「かわいいちゃんが誰かに襲われたら困る。弟ちゃんが雨に濡れたら可哀相でしょ」とのたまった。

「私が襲われてもいいのか」と聞くと「あんたは自分でなんとかしな。ブタみたいだから大丈夫、襲う人いない」と笑った。

まだありますが、このくらいで分かっていただけると嬉しいです。

こんなことがあり、社会人になってから絶縁し、一切会っていませんでした。

絶縁する際、私の親は「あんたなんてもう娘じゃない」と言ったので、こちらも安心して(?)絶縁していました。

ところが先日親が入院したと親戚から連絡がありました。

上気のことを伝え「絶縁してるから会わない」と言ったら

「もう許してやれ」と返ってきました。

許すなんてとんでもない。

私は一時、命を絶とうとしたことがあります

暴力を受けて転んでしまたことがあり、そこがケロイドになって残っています

「許す」なんて考えられない。

命を絶とうと思った時踏みとどまったのは

あんな親のことをいつか見返してやる」「いつか(合法的方法で)仕返ししてやる」と思ったから。

親を怨む気持ちがあったから生きてこられたし、

今でも心の中で

「ほら、あんたたちにブタと罵られて私はこんなにちゃんとした大人になった。納税も勤労もしてる」

とほくそ笑んでいる。

毒親のことはたびたびいろんなところで相談した。

精神化に通っていたこともある。

いのちの電話」やお坊さんや各種の相談員に悩みを打ち明けたこともある。

相談を受けた人は100パーセント「親を許せ」と言った。

親身になって相談に乗ってくれているのは分かるし、そう答えるのがセオリーなんだろうけど

私は彼らの回答を飲み込めない。

なんとか生きていたらいい人に巡り会い、家族に恵まれた。

伴侶の親もいい人で、私は彼らを本当の親だと思っている。

でも、それはそれ、これはこれ。

多分、親を怨む気持ちがなくなったらあっさり命を手放すと思う。

親を怨む気持ちが、私の生きるパワーになっている。

今願うのは一刻も早く親が死んでくれること。

遺産(多分ほとんどない)放棄して完全に縁を切りたい。

弟とも話したくない。

何故血縁があると戸籍上のつながりを消せないのか。

あんな人たちと血が繋がっていることが嫌なので、一刻も早くこの世から消えて欲しい。

こうして文字に起こしたらかなりすっきりした。

これから毒親を恨み続け、心の中で踏みつけて元気に過ごしていこうと思う。

2020-06-17

anond:20200617131427

サッカー部にもいろいろおりますよ。かく言う私も、中学まではサッカー部でしたが体格の成長性・技術の向上が見込まれずに高校以降は見事文化部転向いたしました。今ではすっかりサブカルクソやろうですわ。がはは

仲良くなれないと思う奴

飲み会序盤にレッドブルウォッカ頼む奴

スマホケースがディズニーの奴

サッカー部だった奴

2020-06-14

anond:20200613190253

そうは言っても地元強豪野球部OBを何人も養ってるってことで、地元では仕事がもらえるし役所の受けもいい。

増田は替えがいくらでもいるだろうから、現時点では脳筋野球部の方が貢献してるかもしれない。

もうあと10年もしたらサッカー世代経営者になるから野球部OBからサッカーOBの天下になるんじゃないか

増田会社社長野球びいきは変わらないだろうけど。

2020-06-13

仕事から逃げ出しちまった

夜布団に潜るたびに反省会が始まって眠れないから書きなぐってストレス発散するんじゃ。

そろそろ仕事に慣れてきただろうし、次は先輩に付き添って学んでくれやって。そこで小言に耐えられず1週間後にとんずらこいた。こいつうんこすぎない?一番効いたのは「普段クスリとも笑わないけど、友達と過ごすときもそんな感じなんだね?」何も言えずに下向いて口パクパクしてましたあ!うんこうんこうんこー!こいつは成長性に難アリ。使い物になるまで10年はかかりますようるせー!こちとら打ち上げ幹事なんてやったことないんじゃ!こうういうのがパッとできないと社会人とは言えないねじゃねー大学3年の頃から講義以外に家から出れなかったことを面接で言わなかったことは謝りますけどね?

とにかく翌日無断欠勤し、そのあと辞めた。

そういえば、ちょい前に悩みごとがあれば相談してくれって同期のヤツに言われたこと忘れてたわ。こんなのと一緒に仕事させて本当にすまんかったわ。サッカー部キャプテンなのにあんまり圧がなくて、失敗も多いけどそれをウケに変える愛されキャラってことくらいしか印象に残ってなかったけど。でも向こうから見て俺はゲームが好き?な人(何のゲームが好きかは知らん)みたいな感じだったろうし。コミュる気ゼロじゃんなめてんのか。大体、こんなこと相談されてどうすんだよ。自分を変えられないめんどくさいって駄々こねてるだけなのにどう反応返せばいいんだよ困るだろ。相手の口からこう明言されたらもう終わり耐えられないから親しい友人にも親にも話せなかった。事実は変わらないけども、脳が敗北を認識した時点でどうなるか怖いんよ。

バイトの時もそうだったわ努力もせず話も合わせようともせず。先輩と後から入ってきたやつ(どちらも同年代)がよく遊びに行ってたことを辞め際に知ったり。何今更ボディーブローのように効き始めてんのさ、そん時悲しい恥ずかしいって落ち込んどくべきだったってことじゃん。うんこ

そもそもなんでこの仕事選んだんだっけか。就職相談で「俺プレゼン得意なんですよ」ってぶち上げたら、営業やってみない?って流れになってあとは忘れた。セールスポイントが活きることはなかった。資料まとめて人前で説明するのに抵抗がないってだけなんだよね。そんで、俺は自己主張に乏しく会話も苦手マンタイプだから自分から手え上げないとそういう出番は回ってこないってのにさ?

なんか面倒になってきたかエスコンの話するわ。この前アリコーン戦でようやくSランクとったわ。といってもファルケンで使ってギリギリなんだけど。実在機では対艦最強装備SFFSを積めるF-15Eが一番有効だと思うんだけど、艦載機相手に振り回されちゃってタイムが厳しんだよね。機動力を強化したいが対空VLSが怖いか生存性重視にせざるをえんのだ。まあアリコーンかっこいいから失敗もそんなに苦じゃないけど。あとカウントいいよね。特に、「計算では一機でも生き延びれば作戦遂行できる!」っていう護衛対象に対して、「その計算ってのをやめねえか!」って叫ぶシーン。ビックマウスの元詐欺師のくせに仲間のことになるとすぐ熱くなるのがいい。次のミッションの、「遺書は書いてきたぜ」「笑えねえ冗談だ」ってセリフも受け取り方が変わるというか。

そうだ、居眠りが多いんだよね。さすがに立ったまま寝るほどではないけど、こう隙あらば水のみ鳥になる感じ。こいつ舐め腐ってんなーと思われてたね。工場研修の時はそうでもなかったか肉体労働の道しか残されてないっぽい。親御さんにごめんなさいしろ!高い金払って大学に通わせてもらったのに無心で手を動かすミートボーンアームにもなれないその性根を恥じろ!クソ

その他にもプライドを傷つけるような出来事がいっぱいあった気がしたけど忘れた。なんなんだろうね?エリートでもないのに自尊心だけはいっちょうまえだもんね?こういうのは学生までに一度へし折っておくべきものらしいのに、間に合わなかったね。大学無為に過ごしたことへの後悔ばかりが募るのにどうすればいいのかわからん自分の中で折り合いのつかない後悔とどう向き合えばいいのかわからない。

人と交流するのがめんどくさい。成長するための努力ができない。挑戦する一歩が踏み出せない。義務を果たせない。なんなの?陽のもとを胸張って歩くための能力が決定的に欠落してんじゃん。レースゲームで最高速とコーナリングが死んでるようなもんじゃん。

一日でも早く次の仕事を見つけて、見つかんないならバイトして、とりあえず働く。するべきことは明確なのに何もしない俺は何なの?するべき、した方がいいって言葉が全部、やってないお前はどうしようもないやつって言われているように感じる。テレビCMとかももうんざりだ。でも、「やんなきゃいけないのはわかってる」って口にだしてさ、無職になったやつがさ?もうヤバイ奴じゃん説得力皆無じゃん。弁解の自由を完全に失ったわけだけど、でも何もできないことがつらいってのを聞いてほしいのよ。でもやる気ないだけじゃんって返ってくるのが目に見えてんのよ。考えの堂々巡りが止まんねえのよグルグルさ。話せば変わるかもしれないけど、万一億が一完全に否定されるのが怖い。うんこ

2020-05-25

許せない

俺が13歳の時の話をしたい。23年前の話だ。

俺は当時、田舎男子中学生だった。住んでいた場所がどれくらい辺境かというと、まさに地名がそのまま「村」なぐらいだった。現在はもう村としては存在していないが地名としては残っている。

それはどうでもいい。そんな田舎中学校で、俺は卓球部所属していた。

もちろん、別に卓球が好きだったわけじゃない。当時は何処かの部活に入るのが必須な風潮だったし、野球部だとかサッカー部だとかに入るぐらいなら比較的楽そうな卓球部へ…などという安易すぎる考えで俺は卓球部に入った。

当然、そんな生半可な気持ち卓球が上手くなるわけもない。大会などでは一回戦敗退が定番と化しており、サボり方も身につけ始めた中堅卓球部員となっていた。

当時、男子卓球部女子卓球部は別れてはいたが一部では一緒に練習したりすることもあった。

その中で、俺はある1人の女の子に恋をした。

相手は同い年のAちゃん

決して目立ったところがない子ではあったが、なぜだか話しているうちにどんどん惹かれていった。

決して付き合うとか、好き合ってるとかそういうことではなかったが(この年代はみんなそうだろ?)俺たちは心が通じ合ってた気がした。

彼女はよく俺に

「サボらなかったらコーラおごってあげる」

と言った。練習サボりがちな俺をいじりながらも気にかけてくれたことをよく覚えている。

そしてちょうど23年前の今の時期、同じ会場で大会が開かれるということで途中まで一緒に行くことにした。

彼女

「優勝まで行かなくても準々優勝ぐらいまでいったらコーラおごってあげる!」

と茶化して俺に言った。もちろん、俺が一回戦敗退の達人であることを知っての発言である。こんな会話が好きだった。

「じゃあAが優勝したらなに奢ろうかな」

と話し出したところで会場につき、別々に試合をして(俺は当然一回戦敗退、Aちゃんの結果は覚えてない)別々に帰宅した。

そしてその後、Aちゃん行方不明になった。

大会の帰り、そのまま彼女は消えた。

たちまち学校中は噂でもちきりになった。誘拐だとか、神隠しだとか、家出だとか、そんなクソみたいな噂話すべてに腹が立った。

俺は気が気でなくなって、村のどこかに彼女がいないか探した。でもどこにもいなかった。新聞には彼女が消えたとされる場所で靴と血痕が発見されたと書いてあった。

帰り道だからすぐにわかった。現場は綺麗に片付けられていたようでなにも残ってなかった。俺はもはやなにも考えられなかった。あらゆる可能性を考えてもクソみたいな結論しかかばない。

彼女が消えてから1週間、1ヶ月と経っても彼女は消えたままだった。

もう、彼女は一生帰ってこないんじゃないかという話を同級生がしていた時、俺は掴みかかって否定した。帰ってこないはずがないんだよ、絶対帰ってくる。

ちょうど3ヶ月後ぐらいに、テレビ犯人逮捕されたというニュースが流れた。

そいつはこの村のクソみたいなゴミクソ人間で、彼女にクソみたいなことをしようと思って声をかけたが無視されたので車で轢き、車に乗せて首を絞め、石で何度も何度も何度も何度も打ち付け、彼女を殺した。そして布団に包んで捨てた。

俺は何もかも許せなかった。犯人のことも、自分のことも、この犯人の親とか、友達とか、全てが許せなかった。何もかもがどうでも良くなった。

なにも許せず、なにも成長できないまま俺は大人になった。

今でも許せない。犯人は早々に自殺したらしい。それが何なのか、あの男が死のうとなにも終わらないし始まらない。

最初から存在すらしなければよかった。それだったら彼女は今も普通女性として生き、普通就職したり、普通結婚したり、普通子供を産んだりして彼女人生を歩んだんだ。

23年経っても許せない。許せないまま、あの子コーラを奢ってもらえる日を待っている。

2020-03-13

ヘディングが得意だった俺

中学校から始めたサッカー

サッカー部を選んだ理由小学校の頃の友人の多くがサッカーをやっていたから。

ちなみに小学校ではドッチボールクラブだった。

幼い頃からサッカーをやっていた連中とは天と地ほど実力に差があり、一軍の試合に出る事は一度もなかった。キャプテンミスに対して異常に不快感を示すタイプでとても怖かったので試合に出たいと思う事はなかった。

当時は無限に体力があったこともあり、朝から晩までサッカー&サッカー毎日を送っていた。ほとんど遊びの延長だったのだけれど。

そんなんだから学生時代記憶に残った試合とか一切ない。あれだけ時間を注いだのに一切成果が出てないのは自分らしいなとも思う。

さて、時は流れて20くらいの事だ。

手軽に取り組めるフットサルにハマっていた俺たちは鎌倉で開かれた大会に出場した。大会にはレギュレーションが設定されているのが一般的初心者向けだったり女性を交えて楽しくやろうなんて大会も少なくない。

しかし、血気盛んな俺たちはオープンクラス大会を選んだ。オープンというのは何でもOK、つまり上級者向けなのだ

案の定、対戦相手はめちゃくちゃ上手い。ピチピチのタイツニット帽とか被ってるタイプのやつもいた。

今思えば、中学校時代に一軍だったやつらと肩を並べて強敵と戦う初めての時間だった。

35歳になった今でもその大会での試合はよく覚えている。なんならフェイントをかけて相手を抜いた感触まで覚えている。

クライマックス決勝戦で起こった。

スコアは2-2残り時間僅か。

コーナーキックのチャンス。

キッカーは友人。

俺は額を指差し頷いた。

なんてことを仕事中にふと思い出したよ。チームメイトも散り散りになったしあのメンバーサッカーをすることはもうないと思うけど良い思い出だよ。

2020-02-24

俺には性格がない。

自覚したのは大学の時だった。

二年の夏休み中学の同級会があってそこで「お前、何か性格変わった?」と言われたのがきっかけで自分には性格がないのだと気付いてしまった。

思い起こせば大学内のサークルではおちゃらけてふざけた奴。バイト先では真面目な好青年高校の時は女性的なルックスのせいか人懐っこい不思議君。

そして中学では部活一筋の熱血サッカー部員。

小学校では教室の隅に固まってうじうじしているのかいないのか分からないようなヒエラルキーの最底辺

俺はその場その場で皆からどう思われるかでキャラを演じているに過ぎなかったのだ。

もうすぐ就活が始まる。

あなたはどんな性格でどんな人ですか?と聞かれて答えられる気がしない。

自分にできるのは、面接官や会社の人が求める

声に呼応するだけだ。

俺には性格がない。

自覚したのは大学の時だった。

二年の夏休み中学の同級会があってそこで「お前、何か性格変わった?」と言われたのがきっかけで自分には性格がないのだと気付いてしまった。

思い起こせば大学内のサークルではおちゃらけてふざけた奴。バイト先では真面目な好青年高校の時は女性的なルックスのせいか人懐っこい不思議君。

そして中学では部活一筋の熱血サッカー部員。

小学校では教室の隅に固まってうじうじしているのかいないのか分からないようなヒエラルキーの最底辺

俺はその場その場で皆からどう思われるかでキャラを演じているに過ぎなかったのだ。

もうすぐ就活が始まる。

あなたはどんな性格でどんな人ですか?と聞かれて答えられる気がしない。

自分にできるのは、面接官や会社の人が求める

声に呼応するだけだ。

2020-02-20

anond:20200220075041

しかも、ごく普通公立校サッカー部なのに私立強豪校に向けるようなアドバイスしてる、みたいな。

岩田医師サッカー部OB

岩田医師なんかに似てるなって思ったけどサッカー部の先輩だわ。

昔その学校サッカー部部長だった選手卒業後母校が頑張っていい成績出し始めたと聞き「よっしゃ指導したろ」と思う。一応顧問に話し通して「見学ならいいけど指導していいとは言えない。見学して選手コーチ信頼関係が結べたら指導もできるかもしれない」と見学許可をもらう。

で、部活見に行った途端「こんな練習あかんわ。俺が指導してやる」と騒ぎだす。選手は突然現れた知らん人が偉そうにしてなんやこいつとなる。違う指導のもの違う方針練習してるのに部外者が喚いて練習邪魔をする。で、監督咎められて摘み出される。

そんな感じ。

たとえ言ってることに正しい部分があってもそんな人間を許したら現場オペレーション崩壊する。

2020-01-25

小学校から中学校に上がる時、サッカー部に入るのを諦めた

その理由は「キャプテン翼」だった。

ドライブシュートボールネットを突き破ったり

スカイラブハリケーンで5mぐらい上空まで飛んだり

激しいタックルで体が吹き飛ばされて怪我をしたり

そんな壮絶なプレイ自分にはどう考えても無理だと思ったかサッカー部には入らなかった。

代わりに入ったのが卓球部

2020-01-23

anond:20200122165005

>ち○この強さは大腿四頭筋の強さと比例する

デマはやめろ!サッカー部とかラグビー部アメフト部とかそんな、硬いのかよ!

2019-12-29

自分の子供を陰キャラにさせない方法

小学校低学年のうちに野球部サッカー部所属させることだと思う。

自分の周りを振り返って見ると、陽キャ陰キャを分ける最大の要因って小学校時代にどんなコミュニティに属していたかデカイ。多分小学校のうちに人間性の大部分が決まるからというのもあるし、幼少期にスポーツに慣れることも大きく関係していると思う。陽キャ例外なくスポーツを好む。

子育てしている方はこれを是非参考にして、子供有意義学生時代満喫させてください

2019-12-27

浦和レッズ呪縛から解き放つ妄想

2019シーズン浦和ホーム17戦のうち4勝しかしていない。試合内容も得点の気配はせず観戦してもワクワク感がない。

ネット書き込みを見ると、チームの戦略戦術が不十分、監督の力量不足など根本的な原因を改善して欲しいという意見散見される。そんな中、主要株主三菱重工から派遣されるチームの経営陣・フロント刷新されなければいつまで経ってもチームは変わらないだろうという意見にとても納得してしまう。

←どうしたらフロントが変わるのだろう?

三菱撤退したら変わる?

←どうしたら三菱撤退する?

三菱重工グローバルグループ経営を掲げており、国内宣伝活動経営方針に沿っていない

https://www.mhi.com/jp/finance/library/plan/pdf/h30_10keikaku_summary.pdf

国内広報活動等と同じ金額を使うなら海外のチームのスポンサーになった方が主業の拡大に貢献するはず。従い、日本国内広告宣伝活動は縮小が望ましく三菱重工サッカー部を手放すことは検討に値する。

歴史があり地元根付いた住友金属サッカー部鹿島アントラーズ)の株主がIT企業メルカリに変わったことは記憶に新しい。

浦和を引き受ける受け皿はあるのか?

浦和2018年決算(カッコ内 前年比)

業績

営業収益 75億(△4億)

営業利益  0億(△5億)

財務状況

総資産  31

純資産  15億

https://www.urawa-reds.co.jp/club/managdata.php

鹿島2018年決算(カッコ内 前年比)

業績

営業収益 73億(+21億)

営業利益  5.8億(+7.1億)

財務状況

総資産  33

純資産  21億

鹿島アントラーズメルカリへの売却額15億円 61.6%)

https://r.nikkei.com/article/DGXMZO48009870R30C19A7X93000?s=3

鹿島アントラーズ純資産 21億円

https://kigyolog.com/company.php?id=609

純資産21億の61%12.8億。これを15億で取得したということは差額の2.2億円(17%)は付加価値というか将来獲得する利益期待値

三菱重工の持分 30.8%

三菱自工の持分 19.8%

https://www.google.co.jp/amp/s/www.urawa-football.com/post/26435/amp/

ものすごく単純に企業価値が純資産に等しいと仮定した場合。(18年度は辛うじて赤字を免れているところを見ると将来生み出すフリーキャッシュフローは多くはないと想定。よって企業価値は純資産額。)

三菱の持ち分相当を個人出資者で買い取るとしたら、、、

三菱の持ち分 51.6%(約8億円 = 15億円×0.516)

シーチケホルダー 19,000人(2013年

http://tassiy.jugem.cc/?eid=2790

8億円 ÷ 19,000人 = 42,000円/人

クラウドファンディングで8億円集めて三菱から経営権を獲得。一時的主要株主は多数の個人になる。

じっくり時間をかけ適格な企業を探し個人株主の株を売却。

サポーター一時的負担三菱を追い出すことができチームも旧体質から脱却できてめでたしめでたし

妄想して悶々としてみる。

2019-12-23

anond:20191223140848

分倍河原くんって居たらかっこいいだろうなあ、サッカー部エースとかやってそう

2019-12-18

鉄ヲタ不正乗車の話

少し前に不正乗車https://b.hatena.ne.jp/entry/gahalog.2chblog.jp/archives/52479013.html)の話が話題に上がっていたので、この件で勝手解釈をした怪文書を書きなぐる。

お前は誰?

撮り鉄2015年あたりから趣味に飽きだし、今ではあまり鉄道趣味をしていない。

不正乗車ヘビーユーザーを遠からずも近からずなところから見ていた。深いつながりを持っていたわけではなく、この記事では事実だけでなく予想が入り混じっています。悪しからず。

最近趣味人間関係はかなり薄くなったので、"昔は"という話がメインで今についての話はほとんどないと思います

どこから広がった

自動改札設置駅での不正乗車については、元はラジオライフあたりの雑誌記事から広がっていったと記憶している。

その後は2ちゃんねる(当時)のキセルスレ方法やできる場所書き込みがあったりとジワジワとネット経由で広がっていった。

そんな中、爆発的に広がったと感じたのは動画サイトSNSの「爆発的な」普及。

年で言うと2011〜2012年ぐらいから一気にそういうことをした話を聞く回数が増えた。

動画サイト

上の記事にもいくつかあがっているがyoutubeに実際にやった方法掲載する人が現れ、そこから方法が広まった。

撮り鉄界隈では罵声大会撮影中に映り込む駅員や撮影者に大勢暴言を浴びせまくること)や尊師マーチを流す、といったドン引きするようなタブー行動をネタとして見る傾向があり、

当初は自動改札機を突破する動画一種ネタ話題になっていたが、中高生の大半が動画サイト流入し始めた時期からネタではなく指南書的な意味でそれらの動画が使われるようになっていった。

SNS

こちらのほうが影響は大きかったと思う。特にtwitterが普及しだしてから

撮り鉄撮影するための場所が同じになることが多く、当時から撮影地でネット上の知り合いとオフ会状態になることも多々あった。

それだけであれば楽しく愉快な趣味で、母数も多いこの趣味であればそこから爆発的に広がるということはあまりないように思われるかもしれない。

バリ鉄」と呼ばれる人の存在

今はどういうのか知らないが、"バリ"バリ"鉄"道趣味をする人のことを「バリ鉄」と呼んでいた。

そういった人は1週間の間に仙台にいたり、新潟にいたり、大阪にいたり、東京にいたり…と通常では考えられないような移動を行っていた(勿論正規手法で移動する人もいたが)。

特に廃車回送新車輸送といった時刻表掲載されないような臨時列車を追う場合日本各地を転々とする必要がある。そのため各地で新幹線等の不正乗車を頻繁に行っていた人もいた。

通常であれば、「そんな人間とは縁を切れ!」という話になるがそうも行かない。こういった人の犯罪行為に対して目を瞑ることで、時刻表掲載されない臨時列車業務列車情報が得られたりするから縁を保つ人が多いのである。また、それが人脈のハブ位置している場合、それに対して咎め場合、それなりの大きさのコミュニティから迫害される可能性もあった(と思う)。

そんなことで、まぁこういった人と付き合うことで趣味的にはヒジョーに美味しい思いができるのである

twittermixiができてからは全く関係のない人間同士であっても、簡単に仲良くできてしまうので、こういった人脈が広くなっていく。その中に特にグイグイ食い込んでいったのが中高生である。そういう時期だしね。

※ ちなみに中には「"元"やっていた」という類の人間もいる。手段情報の共有は好き勝手に公開で行うが、自分ではやらないタイプである

中高生

どの世代中高生時代でも共通していると思うが

・目立ちたい / 優越感に浸ってみたい

・"ワルい"自分に酔う

とヒジョーに面倒な感じになってしまう時期であるが、これは撮り鉄中高生にも当てはまる。

学校という狭いコミュニティでは野球部サッカー部といった運動部が華形をとっていき、ヲタクコミュニティにいる人間は多くの場合日陰者になってしまう。

しかし上にあるような不正乗車バリ鉄と仲良くすると以下のようにこれら2点を満たすことができる。

情報ハブとつながっているという優越

不正乗車方法知識として得ることができるので、界隈の中でハブでありながら「ワル」になることができる(ヤンキー的なアレである

 → 運行情報不正乗車情報知識を教えることでSNSで仲間を増やしながらボス猿的な役割になれる

 → 学校といった趣味が違うコミュニティの中でそういった知識披露すると、突然その輪の中で主導権を得られたりする。ここあたりから音ゲーの界隈にも広まったのではと予想。

 → 「席」といった隠語を使えば捕まることもなく、アングラ雰囲気を醸し出すことができるという憧れ

また、中高生バイトが出来ても収入たかが知れている。

無料かつリアルタイム写真情報を得ることができる今となっては、それによる欲求不満を解消するには情報を得ながら不正乗車で移動しまくるというのがベスト選択肢になりうることも、こういったコミュニティ中高生を中心に爆発的に広がった原因にあるのではないか勝手に予想する。

そしてこの年代は「反抗期」と呼ばれるヤツである

駅員のことを「犬」、駅員がいるスペースを「犬小屋」と呼び、コソっと不正に下車することを喜んでやっていた中高生大人にもいたが)はそこそこいた。

人によっては「〇〇線が〇〇両のままだからあの会社に金を払う義理はない!」とよくわからない理屈をこねたりもしていたが、未だによくわからない。面白いと思っていたのだろうか。

まぁそんなこんなでインターネット世界の成長と同時に、こういったコミュニティもぐんぐんと成長していったのである(雑なまとめ)。

ここらへんはどのコミュニティいるかによって、どう解釈していたのかは別々なので一つの歴史解釈として見てもらえればいい。

ぶっちゃけ捕まるのになんでやるの

まとめ記事にもあったが、

1. そもそもわざわざ出てきて捕まえる駅員が多くない(ピンポーンと1回ぐらい音がなっても、チラ見程度で済ませる場合が多い)

2. 警備員や駅員がいない、もしくは死角になっていることを確認した上でやっている

というところで、捕まる率が少ない。

また、捕まったとしても正規運賃の3倍程度払えば解放されるので、遠距離も含めて10回, 20回とやるなかで1回捕まっただけであれば十分に得になるのであろう。

また、未成年場合特にだが、捕まった場合、親や関係者が警察署や駅まで来て解放ということになるが、常習になると「お出迎え」などと言って特にそれを気にすることもなくやる。

何度も同じ警察署になっていればそうも行かないのであろうが、各地の駅で捕まるので連れて行かれる警察署はだいたい別。「また君か」とはならないのであろう。

とにかく、不正乗車日常的に行う倫理観の持ち主であれば、不正乗車はローリスクハイリターンなものしかないのである

撮り鉄だけの話なの

そんなことはない。乗り鉄もやっている人はやっているし、録り鉄だろうとやっている人はやっている。

不正乗車以外は何もやってないの?

そんなことはない。

カメラ三脚といった機材を盗んだり、現役退役問わず車両部品を盗んだり、人を殴る蹴るなど犯罪行為は色々である

多くの場合不正乗車も兼ねているので、もう病気の域に達している人もいるのだと思う。

将来なにやってるの

中高生場合偏差値が高い私立高校に行っている子や、親がそこそこ教育に関心がある場合大学進学で突然真人間、もしくはそういった行動を慎みだすか隠すようになることが多い。

一方高卒場合就職真人間になったり、平然とやり続けるパターンもあったり(20代半ば以降でやっている場合はこのパターンが多い)様々。

知っている限りで言えば、不正乗車窃盗暴行などを繰り返し少年院になったとしても、鉄道現場系の職種関連会社職員保線系)といった職であれば、大手でもありつける。人不足だしね。

中には昔部品窃盗したり、不正乗車をしていた会社系列会社就職した人間もいるのであるからおかしものである

じゃあどうすればなくなるの

倫理観問題だと思うので、並大抵の対策ではなくならないと思う。

警備員や改札を増やすというよりかは、不正乗車をするメリットをなくしていく(例えば不正場合請求額を高めたり、情報の共有を会社間、もしくは各地の警察署間で行うとか)ことが、根絶につながるんじゃないですかね。

こんなこと書くとまた界隈の人間から偽善」と叩かれそうですが(笑)

最初から雑な文だけど、そんな文ですら書くのも疲れたので終わり。

2019-11-06

サッカー部バスケ部陰キャいじめ続けるだけの漫画

なんかない?

救いが無ければ無いほど好いです。

2019-10-20

anond:20191020221951

さらに横増田を重ねると

女は野球部とかサッカー部には入れないし

これ、全く同じ表現を「82年生まれ、キムジヨン」で見たような気がするけど気のせい?

どういう文脈だったかさっぱり忘れたけど

2019-10-19

雨の中サッカー部練習してて、男子部員サッカーパンツが濡れて透けて競パンが見えるシチュエーションで抜いたわ。

でも恋愛対象は女だよ。

2019-10-07

悔しい。

日曜日お仕事から帰宅後のお話

40代夫婦中学校2年生(都内私立男子校 中高一貫。本人が希望して入学したが、少し勉強についていくのに苦労している)の3人暮らし我が家

夕食の席で、中学校2年の息子が「学校のことで話をしたい」と言い始めた。

そして、家族会議をすることに。

議題は、彼の「学校でのこと」について。

俺に似て、ナードな息子は「運動部の奴らにイジられていて辛い」と話し始めた。

中学2年にしては、かなり小柄でちょっと太めの彼。

運動部に入っていたが、同年代の子に「辞めちゃえばいいのに」と繰り返し言われて辞めたという経験がある。

俺は運動部が憎い。

自分中学生の時も、サッカー部野球部の連中は我々のようなスクールカーストの低い人達を虐げていた。

偏見なのは100も承知だ)

坊主憎けりゃナントカだとは分かっていても、本当に気に入らない。

彼は、俺からみても、ややADD傾向。

本人の希望で、スクールカウンセラーにも相談に行っている。

カウンセリングの内容は当然だが、親も知らない。

息子は「話せる人がいるのはありがたい」と話している。

この年代で、親に話せないことがあるのは当然なので、援助希求能力を上げるためにもとても大事だと思っている。

ところで、我が家では、家族会議ときには、いつも俺が議事録をつくる。

Macメモをとりながら、Apple TV経由でリビングモニターに映しながら、問題を外在化しようと試みるのだ。

そこで、ある程度のフェイクを入れながら、下記に転記する。

___________________________________________________

参加メンバー:息子、妻(母親)、父(父親

*息子より問題提起

学校でのことを相談したい」

「授業中など勉強しているときに、運動部でイケている感じの奴らに後ろからちょっかいを出されたりする」

進学校からか、勉強運動もできるやつは威張っている。とくに背の小さいやつをイジってくる」

家庭科の授業中に後ろから糸くずを置かれた。遠くで笑われたりする」

ちょっと気分が悪い。それが辛い。」

「体育の時間にいろいろ言われるのが辛い。たとえば、「邪魔」「動けよ」「ちゃんとやれよ」「デブ」ということを言われて、大変だと思っている。」

「いろいろ試してみた。キチンと嫌だと言ったり、おちゃらけてみたり、ちょっとキレ気味にいったり。でも、どんな風にしても馬鹿にされる」

「次回の(スクールカウンセリングで(このことを)聞こうかな、と思っている。」

>妻「Sくん(彼の仲の良い友人。自分と同じようにイジられている立場だ、とのこと)も同じような感じ?」

息子「Sくんは、教室の後ろの方の席だから(息子ほどでは)ない」

>妻「特定のひとに言われるの?」

息子「5〜6人くらい。あとから、のっかってくる人もいる」

(他にも具体例はあったが省略)

>妻「私はSくんの親とも繋がりがある。Sくんの母親相談するのはナシ?」

息子「それはSくんに悪い。話していない可能性もあるし」

息子「(あるいは)Sくんもカウンセリングに言ったら、楽になるのではないかと思う」

>妻「いつ頃からなのか?」

息子「一学期の終わりくらいから」

>妻「他にも言われている人はいるのか」

息子「Kも、デブとか言われている」

息子「カウンセリングでは言おうと思っている」

>妻「カウンセリングでは言うのはいいと思う」

>妻「結局、(前の部活)もそういったことで辞めていることもある」

息子「そうだね」

>妻「(今の部活文化部)では問題ないの?」

息子「問題ない。おんなじカテゴリーの人が多いからだと思う」

>妻「介入するべきかどうかは迷っている。でも、介入が必要なようにも感じる」

>父「両親からみると現時点でもつらそう」

>父「『イジる』というのはプロ行為素人が真似していいものではない」

>父「一般的には、本人が不快に思った時点でハラスメント

>父「あなたは、我々の助けや介入が必要だと思っているのか」

ハラスメントについて、適当PDFを探し、参考資料として共有)

 https://www.pref.shizuoka.jp/kyouiku/kk-010/documents/harasumentobousi.pdf 

息子「うーん。今の時点では、よくわからない」

>妻「学校先生には言えない状況なの?」

息子「いえない」

>妻「では、カウンセラー先生に言ってみるのがベストか」

>妻「たとえば、こちらとしては保護者会の後に、先生お話しをしてもいいとも思っている」

>妻「でも、あなたが『言ってほしいかどうか』を大事にしたい」

>妻「自分としては、どうしようと思っているのか」

子「カウンセラー先生には相談をしていきたいと思う」

>父「気になったのは、助けてほしいかという質問に対して『よくわからない』という感じ。少し不思議。もう少し詳しく聞きたい」

息子(息子の現状への認識の話)

息子「自分オンラインで仲の良いゲーム友だちもいる。まだ頼れるところもあるし、大丈夫だと思う…という感じ」

息子「(息子が)イジられなくなると、他の誰かのところに行くのではないかと思っている。先生相談できない一番の理由もそれ」

息子「奴らは次の標的を探していると思う」

息子「自分の一番の目標は誰も傷つかないこと」

息子「一番自分と仲の良いSは友達もあまりいない。心の拠り所もなさそう」

息子「だったら、自分が(ある種の)タンク役として、受けられるといいのかとも思う」

>妻「息子は、イジりに対して、反応がいいのではないか

息子「反応は良いと思う。アイツラは楽しそうにしているし」

息子「実際、格好の餌だと思う」

息子「ただ、ひとりだけ本当に嫌で…〇〇って奴」

息子「あいつの弄りは本当に嫌だったから、その人からは本当に距離を置くようにしている。物理的に。ただ、それはそれで反応を面白がって近づいてくる」

>父「自分としては、息子である貴方大事

>父「そこまでの責任を感じる必要がないと思う」

>父「自分課題他人課題を切り分けるべきではないか?」

>父「次の標的を探している→だから自分犠牲になるべきだ、というのは、ある種の過大な自己評価ではないか

>父「彼らは単に反応のよい人に触れているだけ、とも思う。ボタンを押して、反応するのが楽しいような原始的感覚

息子「(モニターをみながら)文字だけ見返すと、確かに過大評価かもしれない」

息子「でも、家庭科の授業のときに、◆◆が小声で言っていたのは『いじめるんだったら、Sとか(息子の名字)とか…』と言っていた」

息子「遠くでこちらをみて、笑っていることがある。本当に、こっちをみているかどうかはわからないが…」

息子「Sについて、責任を感じる必要はないかもしれない。でも、万が一、あるいは数%でもそういう可能性があるのは『怖い』と思う」

<話し合い中、またはその後の息子の反応や言動

(話し合いの最中から涙を流し、一時中断した。15分程度、タイムアウト

(話し合った直後)

息子「学校のことで時間をとってくれてありがとう。少し楽になったよ。助かった」

(しばらく経った後に泣きながら)

息子「なんか、いろいろと思い出して辛くなった」

息子「学校で色々言われていると『自分は消えてなくなった方がいい』と思うこともある」

息子「家でも居場所がないように感じてしまう。自分がいない方がいいようにも感じる」

<話し合い後:今後の具体策>

担任先生には、息子が話したくなるまでは言わない

定期的に、家族へ現状の報告をする

日記不快出来事+そのときにどう思ったか記載する

場合によっては両親の判断で「タオル」を投げる(両親としては現時点でもタオルを投げたい)

カウンセリング先生との面談が3日後。そこで話してみる(こちらの会議内容のコピーを持参してみる)

毎日出来事カウンセリングでの反応をみながら、適宜、話し合いを持ちたい

→息子会議とは別枠で、話し合いを適宜実施していく


__________________________________________________

と、まあ、こんな感じになりました。

子供の抱える問題は、どこまで介入するか、とてもむずかしいなー。

悔しい。

遠くから悪口が聞こえたり、自分存在を消してしまいたいと思うなんて、ちょっと鬱だよね。

なぐりてえ。

ウチの大事な息子をそんな目に合わせた奴らのことを殴りてえ。

でも、殴ったらいけないことくらいは分かっている。

彼らにとっては本当に些細なことでも、居場所を失いそうなくらい、息子は気にしているんだ。

息子が嫌がることをしないでください。

本当にお願いします。

もっと早く気づいてあげられてたらなあ。

ごめんな、ごめんな。

ごめんな。

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