はてなキーワード: 自己肯定感とは
https://twitter.com/children_ymlaw/status/912569377605656576が話題のようだけど、
思春期女子の性的逸脱を防ぐにはどうしたらいいんだろうね。何を制するればいいの?
ムラムラしちゃって間違いを犯すってよりは、ムラムラされることにより自己肯定感を得ようとしてしまうって方が比重がデカいと思うんだけど。
ムラムラしちゃうなら抜いちゃいなさい。抜くのは何にも悪くないよ。ってのは凄く有用だと思うんだけど、
ムラムラされることにより自己肯定感を得ようとしないで○○しちゃいなさい。って思いつかない。
いや、どこかに議論されてるフィールドがあって、自分が全然知らないだけなのだと思うけど、マジご存知の方教えてほしい。
なんかこう「もっと自分を大事にしなさい」的なお題目しか耳に入ってこなくて、マジでそういうのに悩んでる子はどうしたらいいんだろうね。
勝手なイメージだと女性学とかで名前を聞く諸先生方より、西原とか叶姉妹とかのが実践的なアドバイスを言ってそう(偏見)
あとはアドラー心理学?とか?
ソープへ行けじゃなくて座禅を組め的な?とか?それもお題目か…
教えてエロい人
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いやそもそもソープへ行けとか抜けとかも倫理観みたいなもんがまともに機能してればっていう前提があってのもので、
紅茶の動画https://www.youtube.com/watch?v=oQbei5JGiT8的な倫理観の評価軸を学習するのも大事だし、そもそもそこ理解できる奴は相当「魔が差した状況」にならない限り間違いを犯さなそうとも思うけどさ。この「何が良くて何が悪いかを知っておいたうえで抜いとく」って凄くお守りとして機能すると思うんだよね。
俺も忘れ物とかなくしもの、課題ほっぽらかしとかしまくっていて
(成績自体が悪くなかったからか)親がほぼ放任であまり怒られた記憶がない
でも発達障害者の問題を見るに幼少期の親や周囲の反応による劣等感・自己肯定感の低さが結構な割合っぽいから
親には感謝してる
「創作実話系アカウントなかでもぱぷりこほんま嫌い。人の悪口でしか受け狙えないの人間として最低。」
「若い頃でさえダメ男としかつきあえなかったブス喪婆のくせに説教魔でキラキラ垢やナンパ師垢とやたら絡みたがるぱぷりこの文体がオタク丸出しで凄くキモいわお前自身が痛すぎることに気付け」
「りちゃこにコケにされてる自称バリキャリ()のぱぷりこも痛いよブスでキモオタ女だからゴミみたいな男としか交際できなかっただけなのに被害者ぶって過去彼達の酷さをブログに書き殴ってるけど、結局は破れ鍋綴じ蓋でしょブログの文章からしてオタ女丸出しで超キモいw 」
「美女はスペックも中身も良い男の中から選べるぱぷりこのようなオタクのブスは喪女人生か、他の女なら避けるようなブログに書かれているモラハラクズ男としか交際できない 」
「クズな男にしか相手にされたことがない底辺のぱぷりこが恋愛や結婚を語っても、並以上の容姿で男を見る目もある女子は「そもそもそんなクズ男選ばないしw」と感じるので会話が噛み合わないよ 」
「まともな人格のハイスペには相手にされてないくせに上から目線のぱぷりこも頭悪いって話でしょタラレバ娘読んでショック受けてるような非モテで未婚の婆が結婚語るなよ 」
「ぱぷりこってタラレバ娘のキャラ以下の勘違いBBAだね大体、離婚見据えて好きな女に結婚申し込むハイスペ男はいないだろ稼いでいることしか取り柄ないモテないBBAが小姑目線でモテ女の粗探ししてるだけ 」
「ぱぷりこは此処よりこじらせ女子スレ向けかなーブログのノリがオタク臭いのは分かるはてブで書いてる人って何故か総文字数をドヤる不思議」
「キラキラではないかもしれないけどト○アンナ、ぱ○りこなどの恋愛指南垢が苦手正直20代が上から目線で結婚指南って薄っぺらいやたらハイスペ指向を避難してるけど所謂ハイスペと結婚してうまくいってる人だっているわけだし 」
「ぱぷりこやトイアンナは本人達が学校職場とハイスペに囲まれた環境なのにブスだからマトモなハイスペには相手にされないせいで鬱憤をTwitter上で発散させてる印象こいつらもこじらせ女子 」
「ぱぷりこうざい男に相手にされない女の説法なんて価値無いのに偉そうトイアンナも同じで自分が面白いと思ってそうで自意識過剰 」
「ぱぷりこさん時折流れてくるんだけどみていてきついので吐き出したくなってしまったわ。
「オタクのブス喪BBAなのね。じぶんがまともなハイスペに相手されないだけなのに、上から目線で男を分類、女に説教…彼女もネットで吐き出したいのかな。ほんと他人の粗探しと貶めるような捏造ばっかり。ルックスも心も彼女が一番妖怪女。」
「「お焚き上げ人生相談」もぱぷりこの創作実話らしいのね…オタクくさい外資バリキャリとあるけど執筆量が半端無いのはどうして?」
「ぱぷりこ、コンサルや自称ロジカル男が嫌いというわりには偏見や断定や創作で男女の分類ってまさに自称ロジカル女なんじゃ?どうして自分が恋愛相談なんてできると思うのかなあ。早稲田卒のコンサルってとこかな。説教くささは職業?」
「大学や友達の具体的な話が欠如しているのにもかかわらず恋愛市場に精通しているかのよう服装もオタっぽいのよねえ。ど不細工ではない比較的ブス?の社会人でびゅーのイメージ元祖きらきらのれいことまゆみや東京姉妹、トイアンナさんも化粧してちょっとブスとした普通の顔ああいう恋愛相談聞きたがったり筆者への幻想はどんな層がどうして需要しているのか疑問だわ」
「しかもあんな太い脚よく出せるよなぁ、スゴイ性格とか扱われ方がオタサーの姫っぽい自由奔放にしてるっぽいけど旦那にバレたらヤバイみたいな呟きもあったね」
「ただ服装や文体思考がオタク臭くて恋愛相談してるからどんな人生か興味あるじゃない?はぷりこプライド高くて理屈っぽいから自作自演ぐらい普通にしそう」
「後ぱぷりこ本人が降臨して必死に流れ作ろうとしたように俺も見えたwあんなんブスの非モテオタクに決まってんじゃんw作り話がいてーんだよw」
「ぱぷりこや自称キラキラはKYで相手にされないから誹謗中傷繰り返す 現実見えてないオタサーの姫なんだろうな」
「ぱぷりこ性格悪そう」
どこにいるの?って無理やりひねり出したステレオタイプ
「オカルト系以外「そこそこ成績よくて堅実なキャリア」+「奥手(もてない)でも乙女」ばかりで本人なんじゃ…同じ自尊心の低い人に駄目だしして食い物にしてる?って思った
後はハイスペ狙いのきらきらのこき下ろしで下馬評どおりに嫉妬でなくても何様感だった」
「筆圧音頭(笑)パプリコほんと会話がオタクくさい読解ミスなんて口語でいう?」
「ぱぷりこって女子高出身なんだ。オタサーの姫丸出しなのも別学出身は大概こじらせてるし納得。
「「@papupapuriko
大学で心理学やったのと信頼できるカウンセラーに会えたのと、友だちいたの大きい。海外にちょっと住んだのもよかった。」
ぱぷりこさん心理学専攻だったんだー。絶対この人職業コンサルよねw
「つぶやきだとぱぷりこはIT系のコンサル(文系も多いよ)のイメージ」
「ぱぷりこ[相談37]推定相思相愛だった後輩と自然消滅して立ち直れない。トラウマを乗り越えたい
常識常識言うやつなんていないし妄想上の人間を叩くための妄想上のわら人形って感じて耐えられなくて書き込みました」
「ぱぷりこ[相談38]自己肯定感が低すぎハイスペ女子。ハイスペモラハラ夫と離婚すべきか現状維持か判断できない。
「よく分かったね。女の子でこれ言って分かった人、初めてだよ」こんなこというやついるか?それで惚れる女も。ぱぷりこって創作にしても頭おかしいんじゃねえの」
ありえねー」
相手の気持ちに配慮してたらコミュニケーションなんてできない。
だって自分みたいな奴が他人と接触したら不快感や迷惑や加害を与える可能性が高いんだから、他人への迷惑回避を大事にしたら引きこもって童貞処女ニートしてるのが一番誠実ってことになる。
なのに引きこもってると叩かれるわけで。
どうしろっつうの。
とかこういうことをネットに書くと「他人がどう言うかなんて気にしなきゃいいだけのこと」とかやたら偉そう&強そうに言われがちで、かんたんにいってくれるなあ!って腹が立つ。
もうちょい優しい口調の人とか、或いはリアルで話すカウンセラーとかは「ふだんから気にしいな人はそんなに配慮しなくてもいいと思うよ」とか言ってくれて、それはありがたいんだけど、でも世の中の多くのメディア上は配慮しましょう気にしましょうっていうメッセージの方がずっと多くて、一人二人に「気にしなくていいよ」と言われても、気にしろっていう膨大な説教の方がずっと強く心にのしかかるから気持ちは楽にならないし態度も変えられない。
釘を刺しておかないと悪さをする人が大多数だから、世の中は事前に釘を刺す言説が多く、それでうまいこと回ってるんだろう。
でも刺すまでもなく悪さをしないヨイ子ちゃんは、ただ釘をブスブス刺されて穴だらけになるだけだ。
生きてるだけで辛いし、他の人たちが人生を楽しめてそうなのが羨ましいし妬ましいし、孤独で寂しいし、ニートな自分はクズだと思うし、でも他人と接するのは暴力だしレイプなのですべきでないと思うし、とにかくつらいので、誰か、助けてほしい。
なんつって、本当に他人に配慮してる、自然と悪さをしないヨイ子ちゃんだったら、こんな罵倒みたいな文体で書き捨てたりしないだろうから、語るに落ちてる書き込みって感じだけど。
でも、少なくともこの半年は両親と病院の人とスーパーやコンビニの店員さん以外とは会話してないし、交際したこともないし、就職したこともないので、その辺はちゃんと節度を守れてるから一定の評価はしてほしい。
PPPのゴリ押しは慣れたら平気になったけど、カバンちゃんが急にネガティブな事言い出すシーンだけは違和感が拭えない。
ジャパリパークで色んなフレンズを見てきたはずのカバンちゃんが自分を指して『見るからに駄目』なんて言うとは思えないんだよなあ。
サンドスターによって唐突にフレンズになる事を否定するならそれは他のフレンズも否定することになるだろ。
それって間接的に『フレンズって何のために生まれたのか意味分かんないよねー(キモーイ』とカバンちゃんが言ったことになるだろ。
そうじゃないだろ。
今まで旅してきて色んなフレンズが生きてることそれ自体の素晴らしさを感じたカバンちゃんが今更そんな事言い出すはずないだろ。
それに『見守ってくれて』も違うだろ。
一緒に旅をしてきたんだろ。
最初は見守ってたのかも知れないけど途中からはそうじゃないだろ。
一緒にいるのが楽しかったんだろお互いに。
それをなんで対等だと捉えられないんだよ。
そこまできてまだウジウジと自分が下だと思ってるのか。
もっと周りが見えるようになっただろあの旅で。
それなのにどうして、最後にそんな弱気になって自分を卑下するんだ。
木登り出来るようになって自信付けたんじゃないのか。
旅の間に何度もバージョンアップされたはずの自己効力感をなんで急に失った。
お客さんじゃなくなって、パークの皆と対等になったはずだろ。
それなのにどうして最後にそんな悲しいことを言う……。
やっぱ気に食わない。
『自己肯定感の低いゆとり世代さとり世代どもにシンパシーを持たせて神アニメ感マシマシだぜーwwww』とでも思ってそうな所も気に食わないけど、
何よりも最後の最後でカバンちゃんが旅の中で積み上げてきた物が突然なくなって、1話前半のウジウジしてただけの子に戻ってしまったような所が気に食わない。
そこだけが残念だ。
出会って7年目、付き合って累計5年目。
同棲しはじめて3ヶ月くらい。
そして今セックスが少ない。
今の状況が続くなら、真剣に別れを検討せざるを得ないので、実利的なアドバイスや経験談があれば、ぜひ教えて欲しいです。
このままでは、女性として多くの人に受け入れられる為の、私の賞味期限が切れてしまう。
初めの一、二年は週3回くらいだったのが、
少しずつ減って、今は最多でも週一。
私がセックス大好きで、好奇心もあることは、付き合いはじめてすぐの時から彼氏もよく知っている。
というか、私は公私関わらず耳年増下ネタ好きで通っているし、真面目な意味でもセックスは日本人の課題の1つだと思っている。
一方の相手側は、超 ノーマル どころか・自慰も基本しない(どんどん減っている)・新しい道具やシチュエーションも興味なし・いたずらで体を弄れば満足 である為、現状に不満はなさそう。
というか、私が悩んでいることが不満なようだ。
セックスが少ないことによる私の悩みは、以下の3段階。
① 彼が私とセックスしたいと思わない
③ セックスや新しいシチュエーションをしない中、彼は私が他の人とセックスするのを嫌がるので、遊びもしづらい
回数が少ないことや、上記それぞれの悩みについては、3年近く前から彼に対して、いろんな形ではっきり伝えている。従い、彼としてもセックスそのものを目に見えて嫌がったりはしない。
けれども、特に①は本人にコントロールしづらい欲求の話でもあって、解決する見込みは今のところない。
私が性欲を失えば悩み自体が消えるのだが、三大欲求とまで言われる性欲を、パートナーもいるのに1人で持て余しているのはなぜなのか。
なまじ交際期間が長い為、これまで自分にできる工夫や演出はしてきたつもりであるが、報われて彼が興奮する事よりも、彼が引き、笑われたりすることの方が大きかった。もっとダイエットする(今も標準体型には収まっている)とか、脱毛とかエステとか、やれることは残っているんだろうが、次に頑張っても無駄だったら耐えられない。
セックスの相性がずっと良い知人や、奔放な友人の話を聞くと、苦しくてたまらない。
私は恋人の性欲を喚起する事すらできないのか。相性が悪いだけなら、早く良い人を探せば良いのだが、セックス以外での問題が少ないお陰で、別れたいとも裏切りたいとも思えない。
自分が望む生活ができていない事、自分の性的魅力のなさを突きつけられている事、相手にプレッシャーをかけてしまっている事、こちらから働きかけてみても相手が何も変わろうとしない事、全部自己嫌悪とフラストレーションの原因になっていて、凹んでいる。
いざセックスに至っても、以前と勢いが違うこともあって「気使って触ってくれてるんだろうなぁ」と申し訳なくなってしまって、楽しめない。
恋人がいないのも辛いが、恋人がいるのに欲情されないのも辛い。贅沢なんだろうか。
全国の増田さん助けて下さい。
本当はいろいろ怒りたい事があるけど現実では我慢していて怒れない。
物わかりの良い都合のいい子供のまま大人になったから、ネガティブな感情の表現方法がわからない。
怒るタイミング・自分が怒る理由・相手への要求・正当性、とか考えてる間に気持ちの温度が下がっていく。
かと言って許せたり悟れるほど人間できてないから毒のように蓄積されていく。
頑張って怒ってみようとしたこともある。
その時は自分の怒りを説明するプレゼンみたいになってしまってすぐ言い負かされて終わった。
論理的じゃないものを論理的な土俵で説明しようとするから簡単に破たんする。
感情に任せようとすると動きも口も思考も停止してしまうんだ。震えるだけ。
勝ちたいとかではない。
ごくたまに声をあげて泣いたり怒ったりすることを許してほしい。
許してほしい相手は誰?
すぐ怒ったり泣いたりできる人を見ると、羨ましいなと思う。
臆せず出せることも、気持ちの反射神経が優れていることも。
読んでも確実に嫌な気分になるとわかっているのについ読んでしまう。
私は怒りたいだけなんだと思う。正当っぽいと罪悪感もないから良い。
どこかに怒りをぶつけたいだけ。
我慢のやめ方も怒り方も喧嘩のしかたもわからなかっただけで、全然えらくないんだよ。
週末たくさん泣いてすっきりしたいので、泣ける映画を教えてください。
運動もしますが、有酸素運動中は嫌な事考えてぐるぐるしてしまうから映画がいい。
でも親から虐待とか全く受けてないし、アダルトチルドレンの原因を片っ端から読んでみても自分に該当するものがなかった。
そういえば、三年ぐらい前に頭が悪すぎて知的障害疑って精神科で検査したんだけど、「AC」のところがカンストしてたの思い出した。けど、その点についての精神科医の言及は無かったからアダルトチルドレンではないんだと思う。
それだけに症状が見透かされたように合致してるからモヤモヤする。
無能だからもう色々諦めるしかないのか。運動はしたけど300グラムの野菜は高くてとれなかったし瞑想してると嫌なことばかり思い出して死にたくなる。
32歳なんだがちんこのたちが非常に悪くなった。
仕事のストレスが原因と思われるから、それが軽減されることがあれば多少回復はするかもしれない。
射精欲はあるから無理やりオナニーするけど、半立ちでやると余計にEDを悪化させそうな気がする。
非モテなので元から女は嫌いだが、どうせセックスできないしと思うと余計に女が嫌いになった。
彼女はいるが、中折れした時は非常に申し訳なく思うし、中折れが怖くてセックスに誘えないので頻度も減って、それも申し訳なく思う。
薬は飲んでるが、薬の効きも悪くなっている気がする。耐性は付かないはずなので、飲み方が悪いのかおれの症状が悪くなっているのか。
やっぱりちんこがたつってのは男のアイデンティティーだなと思う。
どんなにマッチョでイケメンでもちんこが立たなければ男としての価値はないでしょ。
別に人生自体に悲観しているわけでもない。ちんこ立たせる以外にも人生楽しいことはいっぱいあるから。
でもちんこがちゃんと立つってことは、男に自己肯定感をもたらすと思う。
若いみなさんは、「ちんこが勃つ!」それだけで一つの幸せなのだということをよく噛み締めて生きてください。
終わり
抽象的なポイントだけ取り出して話をしたかったけど、私の頭では難しかったので具体的に書くね。相当長くなると思う。
言ってくれたのは、大学を卒業してから5年以上会っていなかった先輩で、現旦那さん。
大学在学中からその先輩のことは恋愛的な意味ではなく尊敬していたけれど、同時にすごい人すぎて雲の上の人だとも思っていた。
そして大学卒業直後くらいのタイミングでなぜかその先輩は私のツイッターをフォローしてくれて、相互フォローになった。なんであんなにすごい人が私をフォローしてくれたのか全くわからなくてただ不思議だった。
でも、相互フォローになったからといって特にやりとりが発生するわけでもなく、淡々と5年以上の時が過ぎて行った。
私は大学在学中から精神病んでたんだけど(つまり、先輩に会った頃にはもうメンヘラだった)卒業してからもなかなか良くならなくて、数年の引きこもりの末ちょっと働いてはすぐに辞めるのを繰り返し、なんていうか人生がボロボロだった。何をやってもダメで、自己肯定感なにそれおいしいの状態。本当に自分を無価値だと思っていた。常に自分の頭の中に自分を否定する言葉が渦巻いていた。
それでも、自分がメンヘラなのを自覚してるからツイッターにはなるべくネガティブなことは書かないように気をつけてた。特に、死ぬ死ぬ詐欺とか構ってちゃんみたいなのは絶対にしないように心がけていた。
でも、ある日ついに限界がきて、ツイッターにすごくネガなことを書いた。自分を否定してくる自分に殺されそう、みたいな話。こんな変な話、きっと人は理解しないし優しくスルーしてもらえるだろう、そう思っていた。けれども違った。その先輩が声をかけてくれた。
「あなたが大切です。生きていてほしい」って。
こんなことを言ってもらえたのは初めてで、もうボロ泣き。本当に張り詰めてたところに思わずかけてもらえた言葉だったから、ものすごく心に沁みた。
で、それがきっかけで再会してお付き合いを始めて結婚して今に至る。
現旦那さん、話を聞いてみると在学中からずっと私のことが好きだったらしい。ツイッターをフォローしたのも好きだったから。当然卒業してからの5年以上ものあいだ恋焦がれるみたいな熱量ではなかったけれども、それでもずっと幸せになってくれたらいいな、って思ってたって。
でも、私のツイッターでの様子を見て私が死んでしまうのではと考えたら、生きていてくれた方がいいからあの言葉を言ってくれたそうで。
旦那さんは本当に優しくて、お付き合いを始めてからもずっと優しい言葉をかけ続けてくれていた。
一方の私は、あの一言だけで全ては解決というほど単純な話でもなくやっぱりどこか精神的に不安定だったのだけど、でも旦那さんの優しい言葉は疑わずに受け取ろうと心に決めた。そうしたら少しづつ自己肯定感が育ってきて、今では自分が無価値な人間だなんて露にも思わなくなった。あんなに頭の中に響いていた、自分を否定する言葉の数々もすっきり消えたよ。
これが、私に起こった奇跡の大体のところ。
旦那さんに、私のどこが好きだと思ったの?と聞いてもなんか好きみたいな曖昧な答えしか返ってこないし、私自身も前述の通りの状況で特に優れたところがあるわけでもなく容姿も人並みという以前に旦那さんが人の容姿で何かを決める人じゃないし、本当に何がどうなって今こんなに幸せなのか、その理由はわからない。
だから
そのために、何をどうすればいいのか、または、何がどうなればいいのか。
は説明できないんだけど、でもいくつか言えることはある。
私も自己肯定ができなくて、でも自分で自分を肯定できるようにならなきゃと思って何年も頑張ったつもりだったけど、結局それは無理だった。私を肯定してくれる人が現れて、それでようやく自分で自分を認めることができるようになったということ。
そして、絶望を吹き飛ばす奇跡は存在するということ。どうやらその奇跡には理由なんていらないらしいということ。
この話が何かの役に立てば嬉しい。
ポリコレが正しくないと言うつもりはありません。むしろ正しいと思います。
だからこそ、ポリコレの正しさを利用して自己のアイデンティティを支える人がいると思うのです。そして正しさにアイデンティティを求めてしまった人は、正しくないことを許容できなくなってしまう。他人にも自分が信じる正しさを求め始めてしまう。それは息苦しい、という話です。
ポリコレ自体を批判したいのではなく、ポリコレが絶対に正しいと信じることでポリコレに沿った生き方をしている自分もまた絶対に正しいのだというゆがんだ自己肯定感を持ち、他人もまたポリコレを絶対に正しいと思うべきであると押し付けてくる人を批判したいのです。
似たような経験してるよ
今は絶縁気味だけど
近所中から嫌われてた
成長していかに周りに良い人と思われながらターゲットだけ虐めるか、
特徴十中八九当てはまってる
人の心が欠損した爬虫類脳なんだそう
遭遇したら、とにかく相手にせずに逃げた方がいいとか。
もしくは、相手がしてくる事とそっくり同じ事を返す。
そこをえぐられてしまうらしいよ
まず、正しいことは絶対だと思っていることに息苦しさを感じます。それは、人は間違えることもある、という基本則を認めない息苦しさであるだけではなく、正しくある自分は絶対であると思っていそうな傲慢さにも息苦しさを感じるのです。
なぜそんなに傲慢になるのか、私なりに分かるところもあります。私もかつてその類の傲慢さを持った人間であったからです。
前提条件として、自己肯定ができない人がこの傲慢の罠にはまります。なぜなら、自己肯定ができないということは自分の中に評価軸というものがなく、何が良いものか悪いものかを計るときに他人の物差しを借りてこなければなりません。で、借りてくる他人の物差しに正しさを求めます。その正しさが絶対的なものであれば、自己肯定ができない不安定な自分が確固たるものになるからです。
絶対に正しい評価軸に沿って生きていれば、何か自分を揺るがす出来事などに遭遇しても「自分は絶対に正しい基準に従っているのだから間違っているのはあいつらだ」と思うのが非常に楽になります。それは不安定さからは程遠いものであり、生きるのには楽な姿勢ですが、でもやっぱり傲慢でしかありません。
そしてこの傲慢な人間は、他人の価値観を基本的に認めることができません。この傲慢を支える絶対的な物差しがそもそも他人からの借り物でしかないからです。加えてその物差しを絶対だと思っているから、さらに他の人の価値観を認めることは構造的にできないのです。
次に、自分が正しいと思っていることを他人にも求めていることに息苦しさを感じます。先ほど述べた傲慢さは、「自分は正しくなくてはならない」という生き方であり、この時点でも自分が間違ったときにそれを肯定できなくなるため生きづらいです。
けれども加えて、「なぜおまえは正しくないんだ」ということを他人に問う生き方をする人もいます。これはハッキリと生きづらいです。なぜなら、自分が信じている価値観に沿った生き方を他人にも求めているからです。それは、他人は他人の価値観があるということを認められないから起こる態度です。
ここで、自分が信じている価値観が無条件の自己肯定感から出てくる自分なりの考えであるのならば、他人の価値観を認められなくなるところまで行くことはめったにありません。自分が肯定している自己と同じだけのものが他人にもあると思えるからです。無条件に自分を肯定できているからこそ、他人の価値観を認めても自分が揺らぐことはありません。
けれども、自己の価値観を持てず絶対的に見える他人の正しさを借りてきただけの人だったら、その正しさを絶対的だと思えば思うほど、他人もその正しさを身に着けるべきだという視野狭窄に陥っていきます。ここでもまた、他人の価値観を信じてしまっているからそれ以外の他人の価値観を認めることができないという構造的な問題があります。
さて、ここまでで述べてきた、絶対的に正しい他人の価値観とは何でしょう?かつてはそれが宗教でした。自己のアイデンティティがなくその確立を宗教に求めてしまったからこそ、自己を守るために自分が信じる宗教以外の宗教が認められないという構造がありました。
けれども、今は宗教がそんなに絶対的なものではないということが明らかになってきました。絶対的でない神には意味がないので、そういう意味で現代は神が死んだ時代です。
しかし、全ての人が無条件に自己のアイデンティティを持てている時代になったのかというと、それもまた否であります。
私にはポリコレというものは、かつての宗教にとって代わる現代の聖典のように見えます。
だからこそ、あの界隈の人々は正しくあることに妄信的であるし、他人にも正しくあることを求めます。それが自己のアイデンティティを支える術だからです。
でも、正しくなくてもいいじゃないですか。自分だって他人だって間違えることはある。それを認めることができる強さを持ちたいと思います。
それに、絶対に正しい他人の価値観に沿った生き方はやっぱり息苦しいのだろうと思います。その他人の価値観に沿わない自分を認められなくなるからです。自分を正しさで守るために他人の価値観にすがったのに、その価値観に沿わない自分が現れたら苦しいなんて言うのは本末転倒にしかなりません。
そうじゃなく、自分で自分を評価するのをやめて、自分が感じることをそのまま認められるようになるのが、自分を守り、他人を認める一番の近道だと思うのです。
いつも思うんだけど、一番知りたいことが書かれてないのが不思議でならない。
もちろん、かく言う私も童貞でね。
ヘルスとソープの違い程度は調べてわかったが、じゃあそのソープは一体どうやって探して選んだのだろう?食べログとか価格コムみたいな口コミサイトがあるのだろうか。
こう言っては悪いが、どの店のサイトも出会い系サイト並みに胡散臭く怪しい。しかも掲載写真は悉く、暈かしが掛かったり手で隠していたりで精々輪郭と体格程度しか窺い知れない。かといって予約無しで突撃すれば漏れなくボストロールに襲われ討ち死にすると言われるのだ。成功者達は一体どのように成功したのか。
また、いざ出陣するときの出で立ちも疑問だが話題に上ることは少ない。風呂と歯磨きは常識の範疇で分かるとしても、歯科医で歯石除去しておくべきか、下着は新品を下ろすのか、爪は何処まで切れば良いのか、スネ毛は処理しておくのか、気になり始めれば全てが気になるが店の注意書きにはそこまで書かれてはいない。しかし書かれていないから良しとするのは間違っているし、むしろこの国では「行間を読む」という高等スキルが暗黙の了解として周知されている。
などと考えていると、童貞特有の自己肯定感の無さも相まって、ああ準備するだけで面倒臭いなあ……と行く気が失せてしまう。自分に対する投資など欠片もしてこなかったクズにはあまりにも精神的ハードルが高すぎるわけだが、一体どのように乗り越えたのか。
人生に勢いは必要だとは言うが、急いては事をし損じるとも古人は言う。
童貞を捨てることができるのは童貞のみ、即ち一生に一度しかないのだ。慎重に慎重を重ねるべきだ。
元彼は前の職場で知り合った2つ年上のカメラマンで、いつもニコニコしてるんだけどいまいち何考えてるんだかわからない、みたいなエキセントリックなサブカルくん的雰囲気の人だった。
私含め美大卒の世間知らずな女とか、箱入り娘みたいな子には局地的によくモテた。
新橋の居酒屋で焼き鳥を食べながら「前の彼女、最後ちょっとメンヘラっぽくなっちゃって」と言われた。
1年付き合って、その間彼女から何度も「もう別れる」と迫られ、じゃあ別れようってなったら翌日に泣きながら縋ってきて、メンタルがズタズタになって半年前に別れたと言う。
誕生日とか記念日は気にしないけど、なんでもない日に花を贈ったりするの好きかも、と照れながら言われて、それにやられてしまった。
すぐに私から好きだと言って付き合った。
付き合うと、1日に4回とか5回電話がかかってきた。何してるの?と聞かれて1人で買い物と言うと、「ちょっと付き合って」と実家で同居してるお母さんの愚痴とかを延々喋る。
そろそろ、と切ろうとすると「寂しいからもうちょっと」。好きだったので、可愛い!と思った。
買い物どのくらいで終わる?と聞くから「1時間くらい」と答えると「えー長い」と冗談ぽく拗ねられた。
じゃあ30分、と言って本当に30分で済ませて電話すると、彼は落ち込んでいた。
躁鬱だというのは付き合う前にちらっと聞いていたのでそんなに戸惑わなかった。
「もうだめかも。何も食べられない」と言うので話を聞いたけど事情がよく分からない。
大丈夫、よく頑張ってる、ちょっとずつ食べてみてと励ました。電話は途中から無言になってやがて急に切れた。
翌日何もなかったようにご機嫌なテンションのLINEがきて、そこには「きみに救われてる。大好き」と書かれていた。
私は池袋のジュンク堂に双極性障害の本を買いに走って、その日に何冊も読んだ。
悪い癖で、私は待ち合わせによく遅刻した。
○分遅れますごめん、と連絡を入れると、10件とか20件、「おそい」「なにしてんの」「つかれた」とLINEがきた。
完全に私に非があるので、会って謝った。長く待たせてしまった場合は当然カフェのお金も出した。
ただ、向こうも向こうでよく遅刻した。待ち合わせ時間に連絡がないので電話したら寝ていたこともある。
彼の体調次第でその日に行ける場所が決まるのと、途中から鬱が悪化してしまって彼は仕事をほぼしていなかったので、
前日に行こうと話していた場所に行けず、当日の朝になって「今日は○○の駅までしか行けない。マック一択」という連絡がきたりするので結構困った。
さすがにデートでマックばかり続くのは嫌だから、私がお金を出してできる限りのところには行ったのだけど、途中で彼が黙り込んでしまうことが頻繁にあった。
機嫌が急に悪くなって、何時間も一切口をきいてもらえず、ただ後ろをついて歩くだけの日もあった。
あとから、彼の体調がよさそうなときに「あれは嫌だった」と伝えると、「ごめん。傷つけた」と真摯に謝られた。
そういうときにばかり「大切に思ってる」「愛してる」と言う人だった。
付き合って半年経つころには、携帯がナースコールみたいになっていた。
仕事をしていても、寝ていても、「もうむり」「たすけて」という連絡がきたらLINEを返した。電話にも出た。
私が連絡に気づかないと彼はスタンプを連投してきた。一番多いときでLINEは1000件きた。
一時期、彼が家でお母さんと喧嘩するたびに物を壊してしまうと言うので、彼の実家まで話をしに行ったこともある。
電子レンジを壊されたとお母さんは言った。お母さんもお母さんで相当参っていた。
彼の病気のことを説明して、物には当たらないことを彼に約束させた。
ある病院では確かに双極性障害の傾向が強いと言われ、別の病院では強迫性障害だと言われた。
自分の状況を説明するとき、彼はとても穏やかに、自分がいかに辛い思いをしているかを話した。
物に当たるのは一種の自傷行為だと言ったお医者さんがいて、彼はそれを聞いて強く納得していた。
一時期は我慢できていた物に当たる癖が、それからまた頻繁に出るようになってしまった。
「お母さんも怖がるし、物を壊すのはやめよう。話はきちんと聞くから」と伝えても、彼は「俺は傷ついてる。これはリスカと同じで自傷なんだ」の一点張りだった。
書ききれないことが山ほどある。
急な仕事が入ってしまってデートの日程を変えてほしいと伝えたら、「裏切り者」「そんなに仕事が大事か」「ひどい女だ」と罵倒されたこと。
体調を崩すだけで責められたこと。「浮気しちゃうかもよ」と軽い冗談を言ったら胸ぐらを掴まれたこと。
心労が重なって職場を離れることになったとき、「お前に負担をかけた会社の人間を殺してやる」と彼に言われた。
あなたが負担なんです、とは言えなかった。彼も病気と闘っているのに、そんな言い方はできない。
別れ話は1度だけしたことがある。でも、彼が心配になって翌日に連絡してしまった。元カノと同じだと思った。
私は彼のことが死ぬほど好きなつもりだったけれど、これはただの共依存なのだとしだいに分かってきた。
ある日ふと、死んだほうが楽なんじゃないかと思った。
いつか彼のことが手に負えなくなる予感はあったから、そうなる前に死ねたら幸せだと思って、夜、歩道橋の上から車を見ているとおまわりさんに声をかけられた。
職質は生まれて初めてだった。死にそうな人はちゃんと分かるんだなと妙に感心して階段を下りた。
さすがにまずいと思って友人たちに相談した。
全員「別れろ」「逃げろ」「死ぬな」と言った。
「本当にめちゃくちゃ彼氏が好きだとしてもお願いだから逃げろ」と言う人もいた。
彼と一緒にいられるなら全生活を犠牲にしてもいいと思っていたけれど、本当にそれでいいのかと考えるようになった。
友人のひとりが「きみの人生を生きてほしい」と、歌詞みたいなことを本気で言ってくれた。
別れ話をしたあとも、メールや手紙は来続けた。けれど、一度冷たくしたらパタリと止んだ。
SNSで偶然名前を見てしまっても、過去の写真が出てきても、もういまは何も感じない。
暴力を振るわれたことは一度もない。けど、今日たまたま調べていて確信した。
ドメスティック・バイオレンス(DV)とは | 内閣府男女共同参画局
完全にDVだった。目が覚めた。
※追記
夜中にダーーッと勢いで書いたのでこんなに読まれて驚いている。ありがとうございます。ブコメとトラックバックに関して少しだけ。
彼は他にも怒るときに大声を出す、したくないときもセックスを要求してくる(断ると「失望した」「信頼できない」と罵倒される)、彼に設けられた門限を私がオーバーすると「心配してるのに」「もう死ぬ」と連絡が止まらなくなるなど、こちらの恐怖心を煽ってくることが日常的にあった。
「別れたらこの人はだめになる」という強い思い込みと、どうせ別れられないという諦めも常にあった。
……ので、これはDVというくくりが適切じゃないかと思ったんだけどどうでしょう。
他にもこういう経験をしたことのある人、周りにこういう関係のカップルがいる人の話ももっと聞きたい。文中で書ききれなくてすみません。
・なんでそんなやつを好きだったのか
よくも悪くもアーティスティックな人だった。お世辞を言わないのと、自分に自信があるのがよかった。
いま考えると、彼に振り回される→その都度それを解決する(対症療法でしかないが)→彼に「やっぱりきみがいないとだめだ」と言われる という刺激に依存してたんでしょう。
気持ちをガタガタに揺り動かされるのを「強烈に好き」と脳が勘違いしてたんだと思う。
・増田も病んでるよね
彼はいままで付き合った女の子みんな数ヶ月ももたなくて、例外的に1年もった前の元カノは「絶対に怒らない死ぬほど優しい子」だったと話していた。そりゃそうだと思う。彼女がいま似たような男と付き合っていないかだけが心配なので、どうか幸せになっててほしい。
・結局捨てたんだよね/育てればよかったのでは
2年のあいだ人間関係を制限され続けて満足に1人で外出も眠ることもできず(電話かかってくるから)、病院にも仕事探しにも何度も付き合って、それでも罵倒してくる人とまだ付き合おうと思える理由があったら教えてほしい。
・その後元気か
元気です。1人でのびのびと買い物したり仕事できるってすごいなと毎日感動してる。
心配してくれた人ありがとう、もしも周りにこういう人間がいたら目をかけてあげてください。死ぬほど好きと思い込んでるうちはなかなか言うこと聞かないと思うけど、どうかお願いします。
だから相手にとってその提示内容が現実的じゃないから助けてって叫んでるって話しても
無駄なんですねえ…お前の常識がどこにでも通用する狭い世界でしか普段生きてないんですねえ…
その狭い常識を自覚してもらうためにあえて極端な例を出したのに
(何が常識で何が非常識かは相手じゃなくて俺が、俺だけで決めることだから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
(俺ができることは常識で、俺ができない数式や役員になることや空を飛ぶことは非常識!だって俺ができないからダモン♪)
「こんなことできないのは非常識!ちょっとお前の常識疑ってみたらどう?(←ここで優越感と自己肯定感を持つからドヤ顔)」
生来、大声が苦手で、幼少のころ、親に「そんな勢いで言われても頭に入らない、もっと優しく言って」「文章に書いて伝えて」などとお願いし、理解されなかったエピソードに始まり、今でも怒鳴り声に直面すると、文字通り固まって黙り込むという、コミュニケーションにおける最悪手を取る結果になってしまう。
これは男性の罵声であっても、女性のキンキン声であっても全く同じ。それどころか、「あ?何言ってんの?」程度の凄んだ声でも必要以上に緊張する始末である。
なんというか、何か返さないといけないと思っても、そういう風に言われた直後からしばらくの間、考えがまとまらないのである。
日常会話では、某大御所お笑い芸人の定番芸よろしく「あんだって?」みたいな聞き取り事故が結構起きる。
というか、コミュニケーションは「相手ごとに個別最適化された、些細なことの積み重ね」なのは、読者諸兄もよくご存じだと思う。
どういうわけか相手の言動を観察できず、どうしても一方通行気味の会話となってしまう。
それでも友達らしい付き合いはどうにか可能だが、彼女を作るとか、仕事でステークホルダーと際どい内容を話せるレベルの関係を作ることは、非常に困難ないし不可能である。
実際、自分の恋愛経験はアラフォーの今でも毛が生えた程度だし、仕事でもコミュニケーション面は完全に落第点である。
歩くときも座っているときもついつい考え事をし、それで誰かとすれ違う時は「お互いが同じ方向に動く」コントみたいなことがたまに起きる。
これって騒音のせい?
雑音をシャットアウトする手段で、古くからある定番の一つは耳栓だ。
最近はこの耳栓も大変便利になり、ノイズキャンセリングで不要な音だけ排除し、必要な音はクリアーに聞こえるという「デジタル耳栓」なるものまである。
昔ながらの耳栓は個人的にあのフィット感が嫌いで、かなり若いときに数回試してやめてしまったが、このデジタル耳栓はイヤホンもどきだし、そんな気にならなさそう。
その結果は、自身のQOLに、想像以上の途轍もない効果をもたらすこととなった。
最初は電車で使い始めて「あれ、こんなもんか」という感想だった。まあ車内放送は聞こえるし、別にいいけど。
などと思っているうち、よりによっていつも降りる駅近くになって眠り込んでしまった。
それでも、いつもは不思議と車内放送を聞き逃さず、すかさず起きて降車できるのだが…今回はそうならなかった。
実に20年ぶりくらいに車内放送を聞き逃し、乗り越しをやらかした。
大慌てでいつもの駅に駆け戻り、デジタル耳栓を外す間ももどかしく改札をくぐった。
そこから速足気味で歩き始めて数秒後、いつものペデが、なんだか違うのである。
えらい静かなせいなのか、自発的に周りを注意しないと…という意識が自動的に働いてしまった感じだろうか、とにかく人の動きがよく目に飛び込んでくるのだ。
それも、周りを注意せず歩いている人なんて一瞬で分かってしまうレベルで識別できる。
これなら例のすれ違いコントなど起きようがない。
そうなる前に、なんとなく人の動きが読めるのだ。
上述のように周囲に注意しつつも、それでも考え事がやむことはなかったのに、独り言だけがパッタリやんでしまった。
独り言をしなくても、考えたことがスッと頭に入っていく感じだろうか。
数年来の友人と電車内で会話したとき、とにかく相手の話に苦も無く追従できたせいだろうか、彼が今まで話した中で、最も楽しそうに喋っていた…ような気がする。
こちらも、その話しっぷりから「コイツの飾らない人柄、すげーイイ奴だ!」などと妙に感動してしまったり。
これってもしかして「ちょっとしたこと」ができていたということだろうか。
だとすれば、確かにこの「ちょっとしたこと」は他人に教えられない。
自分もコミュニケーションが苦手なので教えてほしいクチだったが、これは文字通りフラットな経験から体得するしかないんだなーと痛感した。
数年前に話題になった、某引っ越し業者の幹部がユニオンのスタッフを怒鳴る動画、最近取りざたされた某女性議員の「このハゲー!!!」で始まる動画、この2つをデジタル耳栓をつけた状態で試聴してみた。
確かに「あーコイツやべえ、すっげーなオイ」とは思ったが、さほどビビらなかった。
これなら「あっすみません●●は××にしておきます、あの、ご指摘ありがとうございます」くらいのアクションを咄嗟に返す余裕はありそう。
少なくとも、怒鳴り声で感じる威圧感は最小限だった。
別に変なクスリをキメたつもりはないのに、デジタル耳栓をしている時間が、極上に安らかなひと時になっている。
とにかく不安感が全然ない。不安になる事を考えていても、である。
「満更でもないな」という気持ちが非常に支配的で、安心感が凄まじい。
ともかく、「人間の感情も思考も、全て感覚によって形作られる」ことを認めざるを得なかった。
そして、「この世界は俺にとってうるさ過ぎる」とも。
というわけで、なるべく早く、というか可能な限り最優先で、聴覚過敏の専門医を受診しようと思う。
確かにデジタル耳栓は快適なのだが、これを今後ずっと使い続けていいのか、そもそもの自分の感覚異常の正体は…など、色々気になる。
サヨるのはホコリが無いから。ネトサヨとか(「オルタナ左翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
ホコリが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力を引きずり落とさないと自己を保てないのである。
近年は「中国共産党」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという組織がサヨサヨしている。北朝鮮がミサイルを発射したこととは相関関係はある。けれども、戦後の混乱期の頃から既に、少なからぬ人々が共産主義に傾いた。己の不安定感から、共産主義国家を指向した。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする組織の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの組織は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからギリシャでは共産主義者が横行し政権がサヨっている。ネトサヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトサヨっていうのは、ホコリが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説を垂れ流し、それを「表現の自由」であると強弁する。
共産主義みたいに権威権力を独占する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「あかはた」とか「マルクス・レーニン主義」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴なんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己のホコリの無さを、ホコリをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
共産主義、言い換えれば社会主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。簡単にいうと、共産主義というのはファシズムである。共産主義とかいうのは本質的に、ロシア革命から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、革命中だけの問題ではない。文化大革命やポルポトの時代には、共産主義の理屈が主に都市部に浸透させられていった。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に大虐殺が行われ、総括、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、文革時代の文化を礼賛する言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。それこそ民主主義社会の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
ホコリが無いから、ホコリホコリと盛んに言うのである。自己にホコリが無いからサヨクのホコリとか言い、ホコリが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、革命だ革新だと言うようになる。そして多くの組織は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は共産主義に懐く。
自分の中の「誇り」ってカゴをひっくり返してみると
いろんな種類の手札がパラパラと何個か出てくるんだけど、
どんだけカゴの底を叩いても「国籍」しか出てこないような奴がいる。
色々と努力するんだけど、その努力を怠り、その上で手札が少ないのを
マイノリティのせいにして現状を見ようとしないのがネトウヨ・オルト右って認識。
ちなみにこれを安倍のせいにすればパヨクの完成、左右とも末端の構図は同じ。どちらもクズ。
切れる手札が少ないのはあんたのこれまでの所業のせいやで、と教えてやるのが吉。
保険の為にも、なるだけ「誇り」の手札は多く持ってた方がいい。
手札が少ないとその手札だけで自己肯定感を全部埋めないといけなくなる。
ウヨるのは誇りが無いから。ネトウヨとかalt-right(「オルタナ右翼」と訳されているやつ)とかいう群れは典型。
誇りが無い、つまり、尊厳の自覚が欠けている、自己肯定感が足りないから、権威権力に依存しないと自己を保てないのである。
近年は「日本」に依存したがる人々が増え、そしてそれにあやかって収益をあげようという企業がうようよしている。安倍政権が成立したこととは相関関係はある。けれども、東日本大震災の頃から既に、少なからぬ人々が国家主義に傾いた。己の不安定感から、国家という概念に懐こうとしていった。
バブル崩壊から続く底なしの不況、経済縮小の中だから、そういう依存気質を利用してでも稼ごうとする企業の方が多い。宣伝する広告代理店とかマスメディアとかも、やはり、そうなる。
他方の欧米では近年は、例えば「LGBTブーム」が起こっているけれども、多くの企業は「稼げるからLGBT支援」であって、尊厳の問題で支持している理解者はそう多くはない。だからアメリカではalt-rightが横行し政権がウヨっている。ネトウヨを利用していてなんで政権が獲れるのかって、その方がその実、カネが動いている、少なくとも、動く期待がされているからだろう。
マイノリティ(社会的弱者)がプライド・パレードとかやると、マジョリティ(既得権益者層)から「俺もプライド・パレードやる」とか言うバカが出てくる。なにがバカって、社会から既に尊厳を認められている奴にはアピールする意味は無いから。けど、やりたがる奴が必ず出てくる。なぜなら、そういう奴らは、誇りが無いから。
マイノリティは、誇りをもっているけれども、社会から迫害されているから、生きるためにアピールしないといけない。他方で、権威権力に依存することで既得権益をもっている奴には、誇りが無いから、「俺にもアピールさせろ」となる。
社会的弱者は、声を上げ、声を大きくしていかないと、死ぬ。他方のネトウヨ(alt-right)っていうのは、誇りが無いから、「俺にも平等に言わせろ」と主張して社会的弱者を苛める言説(ヘイトスピーチ)を垂れ流し、それを「表現の自由」(free of speech)であると強弁する。
国家主義みたいに権威権力に依存する、例えば「歴史」(偽史)や「民族」(虚偽の民族)に依存するのにしてもそうだし、「富士山」とか「東京スカイツリー」とかに精神性を依存しないと自己を保てないような奴にしてもそうだが、自分より強い奴に依存しないと自己を保てないような奴。そうすると、自分と同質の奴はナカーマなんだけれども、異質で自分と馴れ合わない(そもそも本質的に馴れ合えない)奴があるのは不愉快で癪なのであろう。己の誇りの無さを、誇りをもっている異質な者に対して投影して、相手のせいにして苛める。
国家主義、言い換えれば封建主義というのは、強い奴が中くらいの奴らを苛め、中くらいの奴らは強い奴に依存して生きて、そうやって苛めがより下層の社会的弱者に押し付けられるシステムである。そして、そういう構造によって統治が実現せられている。簡単にいうと、封建主義というのはファシズムである。日本とかいうのは本質的に、江戸時代から連綿とファシズムが確立されてきたのであり、戦時中だけの問題ではない。江戸時代には、武家社会の理屈が主に都市部に浸透させられていた。そうしないと統治体制(治安)が保てなかったからだ。普通に残虐刑が行われ、厳罰、見せしめ、スケープゴートをつくって引き締めないと成り立たないファシズム国家だった。
今も、江戸時代の文化を礼賛して日本古来の文化とかいう言説が横行しているけれども、それは言い換えればファシズムだ。実際には古来の文化ではない。それこそ京文化の立場から見るとこんなん嘲笑の的だ(笑
誇りが無いから、誇り誇りと盛んに言うのである。自己に誇りが無いから日本人の誇りとか言い、誇りが無いから世界に認められる「箔」を欲しがり、オリンピックだの世界遺産だの欲しがるようになる。そして多くの企業は、そういう「箔」を利用して稼ごうと必死である。なにせ今の日本は貧しいから、貧困が比較的マシの連中は権威に懐く。