はてなキーワード: 自己肯定感とは
朝に弱過ぎる私の半生について語りたい。
幼稚園時代
朝に弱い傾向は覚えてないが、この頃から超面倒臭がり屋。
確か、年長くらいまで母に着替えさせてもらっていたと思う。
母に、「こんな年になってお母さんに着替えさせてもらってるのなんてあなたくらいよ」と言われるけど、平均的な園児の平均的な着替えのスピードなどは分からない。
小学校時代
基本的に間に合わない、起きれない。
小学1年生頃くらいまではまだちゃんと登校班に間に合うように行っていた気がするが、学校が好きではない事もあり、徐々に「登校」に燃え尽きていく。小学6年生になる頃には、半分以上登校班に間に合わなかった。そういう時は、1人で走って学校へ行った。夏休みの朝のラジオ体操は、2回くらいしか行ったことがない。毎日行っていたという人がいるが、私とは全く別の種の人間だと思う。
中学校時代
ギリギリ登校。遅刻をする人がクラスメイトから悪口言われているのを見て、頑張って登校するが、やはりギリギリ。早く起きれないから、女子で仲良く登校しているグループに入れなかった。
無理やり身体を起こして、半分寝ぼけたような顔で学校に来るから、よく笑われた。髪とかも、ボサボサでみっともない事が多かったと思う。体力がなくて部活は辞めてしまった。夏休み、冬休みの部活の練習も、行く気になれなかった。中3になり、受験で塾に行くが、せっかく授業料払っているのに疲れて寝てしまう。勉強したいのに、身体がついていかない。ここら辺から、学校に行けないことが増えて行く。遅刻も増える。このあたりでうつ病っぽくなってしまった。志望校には受かったものの、おそらくこの時期に大きく心と身体を損ねてしまったと思う。
高校時代
眠い。授業に全く集中できなくなった。登校は、良くてギリギリでほぼ毎日遅刻。遅刻する自分が嫌で、遅刻する事に何か言われるのも嫌で、自己嫌悪もひどくなっていくし、登校日数すら危うい。学校生活に支障を来していたので、この頃から心療内科に通う。夜眠れる薬をもらったが、効きすぎて翌日さらに眠かったり、元気を出す薬も効きすぎて躁転したりした。本で発達障害のことを読んで、私はADHDではないかと医者に言ってみたら、やはりADHDだった。しかし、当時はリタリンが規制されてしまった時期で、ADHDの私の症状に処方する薬はなかった。
死にそうになりながら、受験シーズンがきて、やはり塾に通う。先延ばし傾向の強い自分は、塾に行かなければ勉強しないと思った。しかし、やはり言われたことをできない。夏期講習も、参加して勉強したいのに、起きれない。勉強のできる男子が、私のことを批判して、本当に辛かった。詳しくは書かないが、彼の言動は何年もトラウマになり、私を苦しめた。結局学校自体の成績も悪く、偏差値も伸びず、私は浪人してしまった。
浪人時代
再び、眠い。勉強しようにも、様々なトラウマが蘇る。しかし、週2で予備校に通っていたものの、週5回毎朝起きて、学校に通うという習慣がなくなったのは良かった。予備校は夕方だったから。元々面倒くさがりな私が浪人で勉強するわけもなく、よくネットをやっていたので、家族からも批判された。しかし、座ることさえ苦痛になった私が、せめて熱中できるのが、ネットと本だった。
英語の音読はとりあえずやっていたが、私が早稲田や慶応、マーチにも受からないことは明らかだった。そもそも、この状態では社会人にとしてやっていけるかさえ危うい。「社会人になったら大変だよ」「社会に出たらそんな事は許されない」みんな言う。今でさえ大変なのに、これからもっと大変なのか。私は、本を読んだり、知識を頭に入れることが好きだ。だから、大学には行きたい。しかし、その先、働いたとしても、上手くいかないのではないか。
いつでもベットと本があった浪人生活。こんな風に、生きていけたらなあ。
昔は大学を卒業して無職で家にいる女性は「家事手伝い」と呼ばれ、それなりにいたらしいが、今の世の中だとそれでは「ニート」だし、聞こえも悪い。家族も私の将来を心配するだろう。
もう一つ、大学卒業後「家でゆっくりする」生活を手に入れるとしたら、それは専業主婦になることだ。そして当時、婚活、という言葉が流行り始めた。結婚できない女性が増えているらしい。そして、奥さんが専業主婦できるくらいの年収の男性も減っているらしい。ならば、早いうちに準備しなければ。稼げて、かつ、生涯を共にしてもいいと思えるほど愛せる人など、きっと何年かに一度しか会えない。私は、こんな私をバカにし、理解しない家族や、嫌な思い出のつまった家を早く出たい。新しい家族が欲しい。幸い、私はまだ若く、容姿も良い。私の最大の武器。
志望校は、早稲田や慶応も受けたが、もちろん撃沈し、あとは男ウケの良さそうな女子大を受けて、その中の一つに合格する。この頃から婚活を意識して志望校を選んでいた。(本当は高学歴の学校に受かるのが一番良い。優秀な男にたくさん出会えるから。)
受かった女子大は家から遠く、やはり朝がキツかった。2限より前の授業に遅刻せずにいけたことなんて、数えるほどしかないと思う。お嬢様で育ちの良い女子大生たちは、ほとんど授業をサボらず、皆真面目だった。服も髪もメイクも、本当にみんな綺麗。その中で遅刻しがちで、寝ぼけた顔で大学に行くのが嫌だった。相変わらず、どうしようもなく朝が苦手だった。もう、遅刻することとか、何か色々言われるのが嫌で、大学ではほとんど友達を作らなかった。
サークルには入った。音楽が好きなので、軽音サークルでボーカルとギターをやった。先輩になってくると、バンドを組んで、バンドリーダーという立場にもなった。歌とギターが上手くなりたくて色々頑張ったこと、人前で大きな声で歌ったこと、ギターソロができるようになったことは自分の中で大きなプラスの経験になった。ここで、念願の優秀な彼氏もできた。男子校育ちでモサかったので、そこは私が磨いた。彼氏にもメンタル的に支えてもらい、いろんな事に挑戦するようになった。飲食店のバイト。ギターを習う。ボランティア。読書会。浪人してしまったが、やはり大学には行って本当に良かったと思った。
就活
大学3年生の終わり、就活の時期がやってくる。ここでまた、私の朝の弱さと先延ばし傾向が炸裂した。
まず、ESが書けない。面倒くさい。要領の良い人は、「一応受けとく」レベルの会社でも、さーっと書いてさっと出す。私は、書けない。やりたくない。夜、書こうと思ってPC開いたは良いものの、書きたくなさすぎて朝になる。会社説明会は4割くらい遅刻。自己嫌悪で自信がなくなり、また受からなくなる、できなくなる。
結婚の話もちょくちょく出ていた彼氏は、やはり私が就職しない、というのは嫌らしい。旦那の親から見ても、優秀な息子の彼女が就職できず無職というのは、今の時代恥ずかしいのではないか。優秀な彼氏にふさわしい妻になる彼女として、どうしてもどこかに内定をもらい、就職しなくてはいけない。
自分が、社会に対して何ができるのか。今まで、私が褒められた事を思い出す。私は容姿が良く、友達は少ないものの、コミュ力には問題ない。元気で礼儀正しいと言われたこともある。ブラック低賃金と名高いが、販売職で明るく物を売ることならばできるのではないか。椅子に座ることが苦手だから、事務職は視野に入れなかった。
確かに、彼氏もこの世の中、彼女が一度も社会人経験なく専業主婦になる、というのも不安だろう。ある程度社会を知ってから結婚した方が良さそうだ。
最後の方は一ヶ月に一回、会社を受けるというペースで、私はなんとか販売職に内定をもらった。
販売職時代
数年前炎上したブログに、「社会の底辺の人とは関わってはいけません」https://ameblo.jp/akky-0829/entry-12188216276.htmlというのがあったけど、販売職はまさにこういう世界だった。いや、このブログはさすがに極端すぎるけど、残念ながら、大方賛同できてしまう。私はここで、巷で噂される「若くて可愛い子に嫉妬して悪口を言うおばさん」を初めてみた。一日中、イライラしている大人を初めて見た。それでも、人が足りないからと言う理由で彼らは雇われているのである。私は遅番が多く、昼から出勤が多かったから、朝の弱さは軽減された。しかし、基本的にギリギリ出勤ではあった。基本、先輩よりも遅く来た。出勤が昼とはいえ、30分も早く売り場にいることが生理的に無理だった。ある日、私の評価をつける人が、「店の準備」の評価項目にCをつけた。毎日商品の埃を払ってフロスなどを熱心にかけているのに、なぜここがCなのか。上司に聞いてみると、ギリギリ出勤だからだと言う。おいおい、そういう準備も、規定の就業時間の中に入っているんじゃないのか。ギリギリでも、時間内に来てるんだから、せめてBでしょ。会社に、強く不審感を抱いた。
一方で、私は働く楽しさも感じていた。私は、よく売れる販売員となったからだ。それは、私の容姿や愛嬌、コミュ力のおかげだ。また、商品提案のための勉強も進んでした。そして、若い私は男性社員からも気に入られた。しかしそこがまた、先輩から気に入られなかった要因でもあった。いじりとしても、先輩からのキツイ言動が増えた。その頃からまた、私は心療内科に通うようになった。当初の予定通り、専業主婦になって辞めればよかったが、人手不足の中、辞めて良いものかわからなくなっていた。まだ若い私は、色々なことが経験不足で、判断がつかなかった。
色々あって、ああ、もう、キツイなと思った時、退職を考えた。このころあたりに、結婚した。職場に行くのもキツくなったときに、休職し、傷病手当をもらって辞めた。旦那に養われながら、傷病手当をもらいながら、ゆっくり休むことにした。この頃、ストレスでガリガリになっていたが、念願の専業主婦になる夢がやっと叶った。
専業主婦時代
本を読む。RPGのゲームをする。ジムに行って、身体を鍛える。ギターを弾く。散歩する。
ささやかな、やりたいことを色々やった。この頃あった友人に、「なんか綺麗になったね」と言われた。
しかし、念願の専業主婦になったにも関わらず、私の中にはある思いがあった。
「このまま、20代半ばにして専業主婦で過ごしていて良いものか」
他の同年代はみんな働いている。そして、私はどうも、仕事ができない方じゃない。子供を産んだら、子育て中心の人生だ。それで良いのか。私は、働けばお金になるのに。
そこで、転職活動を始めた。しかし、職歴販売職のみ20代半ば既婚、いつ妊娠するか分からない私はなかなか良い職に受からない。しかもここでまた朝弱いが発動、面接もしばしば遅刻してしまう。
やっぱり私はダメなのかな。
そう思った矢先、親戚の保険のおばちゃんに声を掛けられた。正直、保険の営業に良いイメージはなかったので断った。しかし、給料も販売よりずっとよく、女性が働きやすい環境で、福利厚生もしっかりしているという。とりあえず、面接だけは受けてみないか。そう言われ、とりあえずで受けに行くと、トントン拍子で面接が進み、あっさり合格。保険の営業には抵抗があったが、他に受けた企業よりは条件が非常によかったため、挑戦してみることにした。
保険屋時代
最初は、毎日16時帰りで研修をした。保険についての授業を受ける。保険を売るための試験に受かったら(みんな受かる)いよいよ営業活動である。
相変わらずのギリギリ出勤だが、このころ、やっと安定して朝9時の出勤時間に間に合うようになる。20代も後半に差し掛かり、やっと。
しかし、本格的に営業が始まると、やはり体力的にキツかった。荷物も重い。大抵の保険屋の女の人は、バッグを二つ持っている。一つは財布やポーチなどを入れるバッグ、一つは資料やお客様の提案書など、書類を入れるバッグだ。自分が保険屋になると、他の保険屋が分かるようになる。保険屋さんって、いっぱいいるんだなあ。
1週間のうち1日は、出勤だけして、疲れて何もできない日があった。そう言う時は、カフェや図書館で時間を潰して、適当に報告書を書いて一日が終わった。情けないけど、この一日があったから、私は今まで続けられたと思っている。
数字の方だが、私は順調な方であった。しかし、その順調な数字も、多少無理して働いた結果であった。週1日は休む日を作っているとはいえ、疲労でキツイ日も多かった。それでも、1年は続けようと思った。保険営業でやっていけたら、他のこと何でもできるような気がした。自信がつくと思った。確かに1年は、私は頑張った。しかし、段々とまた、身体が弱っていった。風邪を引きやすくなったり、頭痛や腹痛も増えた。
私は愛嬌で保険を売っていたと思う。愛嬌で近づき、仲良くなり、アポをとり、上司が提案する。しかし保険の知識があるかと言われると、あんまりだ。形が見えない商品は、イメージがしづらく、正直あんまり興味が持てない。飛び込みも、営業先の企業で知らない人を呼び止め名前と生年月日聞くのもキツくなってきた。
この仕事を続けて2年。同じ時期に入った同僚が半分以下になる中、私はよく頑張ったと思う。
最近は会社も休みがちになってしまい、今日も会社を休んでこの増田を書いていた。
私が今、会社を休みがちになってしまったのは、朝弱いにも関わらず、無理矢理にでも9時に出勤し続ける生活をして、また壊れかけてしまったのだろうなと思っている。
私はいつだって、他の人とは違うと言うコンプレックスに苛まされていた。普通になりたい、普通になりたいともがき続けた。一日中、寝っ転がって本を読むような生活だってしたかった。でも、誰かの役にも立ちたかった。いろんな思いがグルグル回って、色々やり続けた。
私は今、27歳。昔よりは色々落ち着いて、大人になった。自分のこともよく分かった。
ひとつ、これはもう辞めようと思ったことがある。それは、週5のフルタイム労働だ。体力的にキツイし、学校でも、会社でも、週5で何かして良い結果を残したものはない。幸い、旦那が高収入だから、基本的には週5でフルタイムで働くことはなさそうだ。しかし、人生何があるか分からないから、お金を稼ぐ手段は手に入れたいと思っている。
いや、それにしても、私は生きてきた。思うに、色々やっていれば、人の能力は年々高まって行くものらしい。朝9時出勤も、ずいぶんできるようになったし、寝つきの悪さもかなり改善した。仕事終わりにササっと美味しい手料理を作り上げた日など、旦那からはあまりの変わりように「お前は誰だ」と言われたものだ。
欠点があっても何とか色々頑張ろうとがむしゃらに生きた結果、今があるのだと思う。
誰がこの増田を読んでいるか分からないけど、読んでくれた人、ありがとう。
【追記】
書いた当初、自分としては力作に関わらずあんまり反応がなかったので、残念な気持ちになっていたのですが、昨日夜見たら色々反応があって嬉しかったです。
反応をいただくのは何でも嬉しいですが、「読んでよかった」「人の半生は面白い」「頑張ったね」などの言葉は特に嬉しかったです。
ありがとうございます。普通の人が普通にやっている事が私にはとても辛く、例えできたとしても世間では「当たり前」ですから、自分が頑張っていることが認められていない気がしていたのです。本当に、ありがとうございます。
・元増田が能力が高い、勝ち組、若くて容姿の良い女はイージーモードだと言う声について
まずは、ご意見ありがとうございます。
あの記事は、また会社を休みがちになってしまい内面的にもグダグダになり、誰かに自分がADHDであり、朝が弱く、辛い人生を送ってきたと言うことを誰かに急に吐き出したくなり、衝動的に書いてしまったものです。
匿名ダイアリーだからこそ、自分は実は発達障害で〜などと秘密にしていることも話せるように、「私は若くて容姿が良い」など、現実世界ではちょっと言えないようなことも吐き出すことができます。普段人に言えないようなことがかけるからこそ、魂の叫びのような記事を読めるのも、増田の醍醐味だと思います。
知り合いには誰にも見せない日記だから、私の良いところも、悪いところも正直に書きました。日本は謙遜する文化だから、はっきりと「私は容姿が良い」などかくと、自慢に聞こえてしまったかもしれませんが、私の人生を語る上で、これは重要なファクターでした。
正直、私は発達障害者にしては恵まれている方だと思います。しかし、これはあくまで「発達障害の中では」と言う話であり、やはり人一倍辛い人生を送ってきました。
この記事のコメントにも死にたい、とありましたが、死にたい、と思って死ねる人なんてほぼいないと思うのです。私は小学校低学年の時から死にたかったですが、結局、人間苦しくてもよっぽどのことがあっても死ねないのです。死ねなかったら、生きるしかないじゃないですか。それも、なるべく苦しくないように。
だから、私は自分が持っているものを、最大限使おうと思いました。その事実を書きました。
自慢したかったのではなくて、「そうやって生きてきた」と言いたかったのです。
あと、ちなみにイージーモードではありません。
それに、遅刻はするわ色々ミスするわなのに、「可愛いから」もしくは「イケメンだから」という理由でモテてたり、かわいがられる同性の同僚がいたら、ちょっと嫌じゃないですか?なんか悪口言いたくなりませんか?私だって、そんな人が周りにいたら、少し黒い感情が湧きます。容姿の良さが仇となることもあるのです。
血圧は十代のころから低めでしたが、目立って低い訳ではありませんでした。
大人になって、疲れやすいと言うことで甲状腺の病気を疑い、検査したりしたのですが、結果は到って健康でした。正直、体のどこも悪くないのです。
むしろ今の会社の上司が、女性の営業職10年と言うことでかなりバリバリ働く人なのですが、健康診断の数値で低血圧で引っかかっています。しかし、普通にバリバリ働いています。本人曰く「気合い」だそうです。体の色々な数値よりも、結局「気」と言いますか、生命エネルギーのようなものの方が大事そうです。私には、それが足りないようにも思います。
起立性調節障害については確かに、十代の頃、親が調べてくれればよかったな。。。肝心の母は私が朝全然起きれないことを母の母(つまりおばあちゃん)に愚痴ってた。。。私が発達障害な事もあんまり認められない感じだったし。父母共に優等生だった故か。もう過ぎた事だけど、書いてて悲しくなってきたわ。もうフルタイムでは働かないって決めたから、もう治療する気もないけど、子供の時に親がもっと色々やってくれればと言う思いは確かにある。学校が辛くても、せめて家庭だけでも私を受け入れてくれたら。子供の時の記憶は、悲しい事ばかりです。
・朝の時間を守ることを以上に重要視するせいで道を踏み外す人が結構いると思う
私もそう思います。そもそも人には色々リズムがある訳で、全員朝9時出勤と言うのも無理があると言うのも同意です。遅刻する人に対する嫌悪も、「自分は周りに合わせてこの時間に来ているのにお前はゆっくりしやがって」という嫉妬なのかもしれません。
あと、大学の授業でやったのですが、日本人はとても均等性を重視するのだそうです。なので、その観点からも、遅刻をする人は「均等を乱す」ため、好かれないのもしれません。
・朝起きれないのは自己肯定感の低さが原因だった
自己肯定感が低いと、全てにおいてレベルが下がりますよね・・・私も、旦那と暮らしてから急速に成長したように思います。これから私はしばらく子供も作らず好きに生きる予定ですが、それは自分の自己肯定感を上げるために、必要な期間であるように思います。
・小規模な会社なら増田の働けるところがあるかも
そうですね・・しかし、周りの人たちに聞きますと、大企業より中小企業の方がブラックなところが多いようで、就職先として探すのは尻込みしてしまいます。コメントをくれた方は人を雇う立場なんてすごいですね。何かのご縁があり、あなたのように寛容な人の元で何かしら活躍できればそれはとても素晴らしいことだと思います。
家事、アンペイドワークの価値を訴え続けて来たのはフェミニズムだよ
その昔、専業主婦は無賃労働という事で評価が低かった。あるいは自己評価が低かった。小さな山かなー。小さいかもね。主婦の心の中の充足感が満たされれば、その運動自体が不要だし。小さい問題だなー。
そういう状況に異を唱えたのはフェミニズムだった。
今ある専業主婦の自己肯定感の高さや「ゆとり」←これは周囲の理解なしには実現しない、これはフェミニズムが作り出した名残なんじゃないかなぁ。
実際、私の嫁さんは共働きで働いて頂いているんですが、可能なら働きたくないって言ってる。丁寧な暮らしいいよねー。な訳ですが男女ともに働くようにデザインが進む昨今に置いて難しいわけでして「いやー、君が働かないなんて社会的損失じゃない?」「君が働くおかげで保育園、幼稚園の雇用が!」みたいな話をして働いて頂いてる。
職場に行くのが辛い。
転職したばかりだというのもあるが、前職と大体同業なのに、私の今までのスタンダードと今の職場のスタンダードが違い過ぎて業務がまずしんどい。
正直、人間関係も上手くいっておらず孤独感と自分の役の立たなさに毎日自己肯定感がすり減っている。
今までの職場で業務が辛いことはあっても職場の人間関係が悪いことは無かったのでどうして良いかも分からず土日はひたすら仕事のことを考えないようにしている。
が、ここ最近職場で泣きそうになったりすることもあり、そろそろやばい気がしている。まさか自分がこうなるなんて夢にも思わず、これがうつ病なのかなとぼんやりと思ったりしている。
転職、休職、退職。どれも何かに負けた気がするのでしたくない。どの選択肢をとっても別に死ぬわけではないのだけれど、決断して実行する余力が無くて何となく耐えながら明日も職場に行くんだろうな。
元増田です。備忘録的になんとなく最近あったことを書いておこうと思います。
ブクマコメントが励みになりました。ゼロにしなければいい、ってことですよね。
ビッチな彼女とは仲は良いです。まぁまだ少ししか経ってないけど、愛しているし好きという気持ちに変わりないです。
昨日、「私、この1ヶ月4人と計5回のセックスを見送ったんだよ」と言われました。
反応に困った。きっとこれはあなたをちゃんとこれでも愛していますよ、ってアピール的なやつなのか、、?ますますよく分からない人だった。
多分、自分が忙しくなると、彼女はどこかフラフラと消えてしまいそうな気がする。
でも、それって自分のせいなのか、彼女の問題なのか、この手の議論って「仕事と私どっちが大事なの?」っていう古典的な答えのない質問にめっちゃ似てるなぁって思う。
難しいなあ。俺は答えを出せない。
好きな人にとって「都合のいい人」になりきるってのは多分、今の関係を続けるには手っ取り早いんだと思う。けど、それは都合のいい人じゃなくなった瞬間、相手の望んでいる人じゃなくなる。未来があまりにない、寂しい関係だと思う。
じゃあ自分は都合のいい人ポジなのか、そこはNOとは言い切れない自分がいる。
つまり、自信がない。この一言に尽きる。この結論出すの何回目だろうって思う。
本音では愛する人を他の人に奪われてしまうのが怖い。だからこそ自分に自信をもつべき。
わかってる。わかってる。
昔、彼女を見ていると自分が惨めになるみたいな増田とか、兄弟間での格差に悩む増田とかも書いた記憶がある。多分悩んでて、恥ずかしげもなくつらつらと書いた。
結論、自分は自己肯定感が低くて、自信がないクソダサイ奴って増田に指摘された。本当にその通り。
だから改善するために、最近あった良いこととか、ちょっと感動したこととか、あって嬉しかったこととか、なんでも毎日書き留めるようにしてる。
そんで、思ったこと、特に感情表現をするようにしている。もちろん、本音と建前とか、傷つけることとかはしないように、そこら辺はうまくね。
なんか最初は恥ずかしいんだけど、案外いいもんだなっておもう。相手が喜んでくれたりするのってなんかこっちも嬉しくなる。
精神的に明るくなれる。相手の反応が大きくなるから、自分の影響力?みたいなのを感じて認められた気がする。
昔から、周囲の人はこんなことを当たり前のようにやってたんだなーって思うと、自分がいかに狭くて、暗くて寂しい人生だったかってたまに悲しい気分になる。
けれど、それはそれ、ということで納得してる。
離婚して2年。
この2年間、両親とは絶縁状態だった。
両親とは元々性格や価値観が合わず、私の人格形成に大きく影を落とした元凶だ。
離婚する時、こんな時だけ親を頼るのもという葛藤の末、自分の命と精神をまずは守ろうと思い実家へ少しの間避難させてほしいとお願いした。
「いいよ」みたいな軽い返事で拍子抜けしたが、迎えに来た父親は
「◯◯君(元夫)がそんなことするとは思えないしどうせお前が悪いに決まっている。お前を引き取ったら夫実家へ示しがつかない。お前はうちに来るな」
と言い出し帰っていった。
その後私は自力で別居のための家を借り、生活のため転職し、離婚した。
家を出た後しばらくは両親から毎日鬼のような回数の電話がかかってきた。
ようやく安心して寝れるようになった。
友達もだいぶふるいにかけられた。
しばらく経ってから、「あの時は悪かった。悪気はなかったんだ」というメールが両親から届くようになった。
全て無視した。
「一度話がしたい」と言われても特に話すこともないので無視し続けた。
何事もなかったかのように近況を伝えてくる母のメールが怖かった。
「お父さんのことをどうしても止められなくて…」と自分悪くないアピールする母にも心底むかついていた。
メールや電話をなぜ着信拒否しなかったかというと、変に警察沙汰にされても面倒だったからだ。
私は今の住所を親族の誰にも伝えてない。
この家が見つかったら、私の安寧が壊れてしまう。
両親を許さない自分を責めたり、または両親と絶縁状態にあることが足枷のように感じた。
社会人であると「正月はご実家に?」とか「ご両親は…」みたいな悪意無き挨拶がマサカリのように頻繁に飛んでくる。
その度に言葉を濁し、嘘をつき、心は沈んでいった。
離婚したことに加えて両親と絶縁状態だなんて、なかなか受け入れてもらえる話ではないし変な親孝行推奨説教みたいなものも聞きたくなかった。
でもこのことは私の、自分自身への自信を確実にすり減らしていった。
体重も10kg近く増え、2年間の間に2回転職し美容やファッション等自分自身への興味は薄れ、不眠と鬱で大量の薬を飲む日々だった。
腹の底では何を思ってるかわからないが、少なくとも表には絶対に出さない。
「あの人はああいうところがすごいですよね」という会話が多かった。
最初は上っ面だけで仲間意識が強いやつかと警戒していたが、皆本当に悪意がないと分かった時、自分の発言がネガテイブすぎて心底反省した。この2年間で誰かを信用すること、尊敬すること、助け合うことを忘れてしまっていた。他人と話し合い価値観の違いも受け入れ、それでも共存していくことの大切さを改めて実感した。
心が少し柔らかくなったような気がした。
3秒ほど悩んだ末に電話に出た。
「元気か?」
「もう干渉はしない。絶対にしない。だから一度顔を出してくれ」
という内容だった。
所々、嗚咽のようなものが混ざっていた。
切りぎわ、「電話に出てくれてありがとう、ありがとうな…」と聞こえた。
父親の干渉しないという言葉は正直なところ全く信用していない。干渉されたくもないけど勝手に悪い者扱いされた怨みは忘れない。会いに行くのも正直嫌だし、これを期にまた鬼電されるのではと怯えてるところもある。
私は両親とはあまり仲良くない、それでもいいのかなと少し思った。
幼少の頃から「味方が欲しい」とずっと思ってきた。それは今でも変わらないけど、またいつか味方になってくれる人に会えるような気がしている。
親に関してはこのまま会わない方がよい気もしているのでゆっくり考える。
この2年間、本当に疲れてしまって、でも少しだけ休憩できそうな感じがしている。
マシュマロ実験 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%AD%E5%AE%9F%E9%A8%93
ある日、旦那が突然「娘ちゃんにマシュマロ実験を何回も繰り返して、将来成功する子にしよう!」と言い出した。
びっくりして思わず「は?何言ってんの?」と言ったら旦那は半ギレしだした。お前は子供の将来を考えてないのか、とか。
いやいやいやいや。
IQテストもそうだけど、こういうテストはいい結果が出るまで繰り返せば賢くなって成功する、というものではないでしょ。
世界に対する信頼とか、
普段の旦那は、娘が食べるつもりだったお菓子をいつも勝手に食べちゃうし、我慢ということができなくてすぐ半ギレになるし、娘を全力で頑張らせた末に絶望させる悪趣味極まりない遊びをどんだけ注意してもやめない。つまり、自ら努力や我慢を否定している。
もちろん私にも悪いところはあるけど、まさに旦那の子供の将来への影響を考えて、しょっちゅう離婚を考えている。
健気な娘はそれでも両親に仲良くしてほしくて必死だけど、子供にできることなんて知れてる。
この状態で上の三つなんて育つわけないじゃない?
豊崎愛生さんが一般人男性とご結婚されたようですが、私は豊崎愛生さんのファンではないんですけど、かわいいよね、とたまにネットで見かける度に思ってたので、少し寂しい気もします。
私も(そして大半のあなたも)一般人男性な訳で、一般人男性と結婚したウチの自称専業主婦は、掃除もせず部屋は汚部屋で私が片付けようとするとキレるヒステリー持ち、いや、何もしなくてもキレるんだけど、働かずにネットで食い物やら何やら買い込み、ブクブクと太り、多分自制心や理性が無いから自分を客観視できず、自己肯定感が低いから気に入らないことがあれば、感情をコントロールできず幼児のようににギャンギャン喚きます。こいつも一般人男性の妻なのになぁ……いくら褒めても優しくしても底の抜けたバケツのように承認を吸い取り、しかし決して自分で自分を承認することなく、他人の承認を頼りに、自分の意志で自分を律することなく生きている。
私も(そして大半のあなたも)一般人男性なのだから豊崎愛生さんと結婚するルートもあったかもしれない。いや、豊崎愛生さんだって人の子なのだから、ヒステリーぐらい起こすんだろうけどね。
来世に期待です。
・現在29歳
・やや小太り
・わりとブサイク
・自己肯定感超薄い
失恋をしてしまってつらすぎて土曜日1日中インターネットを見て過ごしていたのですが、
ふと開いたソープランドのHPを見てそういえば自分童貞だったなーと思い急に行為をしてみたくなりました。
高級だったらまあ無難だろうって勝手に思って数件に目星をつけて検索。
HPや写メブログを見ていると、完全に顔が好みでプロフィールによるとHカップ、黒髪、乳首がピンク、非喫煙者という
(個人的に)最高の条件の子がいたので緊張しながらも即座に予約しました。2時間ちょっとで6万円。
当日。
入店時に予約の名前を言って、階段を上がって待合室へ。テレビでは競馬。
その場で全額支払いました。大金を払って緊張。
戻ってしばらくしてからアレ?歯磨きとかしてなくね?いいの?ってなったけどそのままご対面へ。
エレベーターで嬢とご対面。童貞なので手をつないでくれるだけでもうめちゃくちゃ緊張。
いわゆるパネマジもそんなになく想定通りの好みの顔でした。
最初に童貞と伝えました。めっちゃ驚かれる。嬢も童貞の客ははじめてらしい。
飲み物ウーロン茶入れてもらって、とりあえず一気飲み。緊張MAX。
「ひょっとしてキスとかもしたことなかったりしますか?」「はい…」
「はじめてが私で大丈夫ですか…?」「あ、はい!!めっちゃ大丈夫です!!最高です!!」そのままDキス。あっ歯磨きしてない。めっちゃ舌。唾液。頭ぼーっとする。
服を脱がせてもらう。もちろん女性に裸を見られるのははじめて。緊張。
嬢も脱衣。服のジッパーおろすのもはじめて、女の子の下着姿を見るのも初めて。
ブラ取る前にブラの上から胸を揉ませてもらう。公称Hカップ。すごい。すごいしか言葉がない。
ブラの留めをはずさせてもらって胸があらわに。すごすぎる。
「触ってみます?」「触っていいんですか???」めっちゃ笑われました。
HPにはスレンダーって書いてあったけどややぽちゃでした。顔とは違って若干パネマジ。でも許容範囲。むしろ好き。
何分か口でしてもらったあと嬢もパンツを脱ぐ。毛がない。すごい。
中指を中に。ぬるぬるしてるすごい。
ここまですごいすごいばっかり書いてますけど正直すごいすごいしか言えなかった。
語彙力3て感じでした。ここからもすごいすごいしか言ってない。
仰向けになって再び口で。あと全身リップ。あれ絶対気持ちいいわけないでしょって思ってたけど実際やられると気持ちいいんですね。
そのまま上に乗られる。嬢ニヤニヤ。なんですかなんですかって言ってるうちにそのまま騎乗位でin。卒業ですおめでとうございます。
あったかくて気持ちよくてやばかった。あーこんなもんかーって感想をよく聞きますがそんなことなかった。すごかった。
が、しかしフィニッシュできず。正常位を提案されたのでできないながらやってみるけどすぐ疲れた。たぶんやり方間違ってた。
バックはどう??っていうことでバック。これは気持ちよかった。けどフィニッシュまでいかない。
あれーおかしいなー、ひとりでするとだいたい5分も持たないんですけどね、なんて言いながらよくよく考えてみると、
この歳まで童貞でずっと一人でやってきたせいで、自分の手でフィニッシュするのによい扱き方、よい強さを極めてしまっていたんですね。
しかも皮使い。inしてる間ってむけっぱなしですからね。こりゃだめだ。
ここまでで60分。あと半分ちょい。
騎乗位でダメならダメかもだけど、とりあえずマットしてみます?って言われたのでそうする。
とりあえず洗体。さっきよりちょっと明るい豆球に照らされて座る。なんか急に恥ずかしくなる。
浴槽に移って潜望鏡。気持ちよかった。
そのままマットの準備。マットってでかいな…
準備してる間に雑談。どこから来たかとか失恋した件とかけっこう喋りました。
失恋のこと喋る相手もいなくて、はじめて喋ったんですけど、ちょっと気が楽になりますね。聞いてもらえて嬉しかった。
ローションあったかい。そしてめっちゃ気持ちいい。なにされてるのかよくわからんかったけど。
仰向けでも。もっと気持ちよかった。気持ちよすぎて目閉じてたからなにされてるのかよくわからんかったけど。
マット大好きっぽい、覚えました。
しかし一通りのことが終わってもう一回騎乗位もフィニッシュに至らず。
「うーーんこれは困ったなーー!どうしたらいいのかなーーー!」って言いつつ手でずーっと扱き続ける嬢。
ひたすら扱きに扱かれ数分。そのまま手コキでフィニッシュ。
女の子にフィニッシュまで見られるのはもちろんはじめてですけどこれハマる。露出狂の気持ちがわかった気がしました…
残り時間は25分ほど。
とりあえずベッドに戻って座ってお茶を飲んで雑談。内容はわすれました。
なんか流れでモノをさわさわする嬢。対抗してHカップをさわさわする。
「えーそっち?」「?」「こっちでしょ?」下の方を触らせてくる。
ここで急に女体というものに興味が湧いてしまいもっと近くでみせてほしいと頼む。
足を開いてベッドに寝転ぶ嬢。眼前にある女性のそれ。「動画でみたことある!」嬢爆笑。
どこがどうとかよくわからないので慎重ながら適当に触る。ぬるぬるがすごい。
もうちょっと続けたかったけど「時間なくなりますけど大丈夫?」の声でストップ。ほんとに時間なかった。
もう一回正常位でチャレンジしてみたかったけど時間がなかったので、
結局口でしてもらって最後は皮使って自分で処理しました。嬢の手に向かってフィニッシュ。
その場でひとりでするときでも皮使うのはやめるって宣言しました。絶対もうしません。
ひとりでするの自体やめてみたら?って言われたけどそれはさすがに無理。寝てるときに出たら困るしって言ったらそんなことあるのー?って。
学校とかで習ってないのかなって思いましたけど言わなかったです。
急いで身体洗って服着て最後にもう一回Hカップをさわさわして退室。
エレベーターで最後にDキスしてさよーなら。最後までキスはずっと気持ちよかった。
こんな感じで6万円が飛んでいきました。でも行ってみてよかったなって思います。
嬢は最高だったし本当に終始気持ちよかったのですが、最後まで中でフィニッシュできなかったのは残念でした。
自己啓発書を読み漁ってみたり、幸福学の本を読んでみたり、瞑想をしてみたり。
客観的な幸せの指標については知ることができたが、しかし、私が知りたいのは「どうしたら私自身が幸せになれるのか」ということだ。大学生のとき「私は幸せにはなれない人間だ」と直感した。悲観的で自己肯定感が低い私は、どんなに恵まれた状況でも「幸せ」を感じることが出来ないだろうと考えたのだ。こんな私が幸せになれるには、性格から改善するしかないのではないか。とある新書によると、楽観的な性格は、幸せな人生には重要らしい。
そこで私はまた考えてしまう。満足な豚と不満足なソクラテスのたとえ話を。
楽観的な性格になること、あるいは趣味に没頭したり、スポーツで体を動かすことは、満足な豚になることではないのか。気の持ちようは大事だ。体と感情と思考はつながっているだろう。となると満足な豚は決して不幸とは言えないのではないか。ここまでくると「どう生きるべきか」という問題につながってしまう。そりゃあ倫理学的に考えると、「いい人生」とは「不満足なソクラテス」になることだろう。でもそれが決して幸せの実感とはつながらないとしたら。
私がほしいのは「べき論」ではない。じゃあ豚で満足しろよという話なのだが、しかし、そう簡単に割り切れないから悶々としているのだ。私は満足な豚にも不満足なソクラテスにもなれない、中途半端な人間だ。
前に書いたように、私は自分自身を「幸せになれない人間」であると認識している。不幸せなりに生きていくしかない、と思い、割り切って生きてきた。結婚相手を決めた理由も「この人となら一緒に不幸になっても構わない」と思ったからである。が、実際に結婚してみたところ、自分の不幸に配偶者をつきあわせるのは申し訳ないという気持ちが今さらながらに湧いてきた。私は配偶者や私たちの子供に不幸になってほしいわけでは決してない。
そして、そのうちに「もしかしたら私も幸せになれるのではないか?」といった希望までもが芽生えてきたのだ。
私も幸せになってもいいのだとしたら? 幸せになれるもんならなってみたい。
ところで、そもそも私は不幸なのか?
第三者から見れば、私は十分に幸せだろう。衣食住については満たされているし、スキルはないがいちおう働いている。家族も自分も健康だ。特別欲しいものはない。
これ以上、何を求める?
私はよく宝くじが当たればいいのに、と妄想しているのだが、もしも億単位(生涯賃金相当)の高額当選したらこの不安はなくなるのかもしれないとは思う。結局、私が求めているのは、「何があっても大丈夫」と思える人生の担保なのではないか。と考えると、結局幸せになるのに必要なのは、「私は何があっても大丈夫」と思える自己肯定感なのかもしれない。
火曜日の深夜、アニメおそ松さんの第3期が始まった。部屋の明かりを消し、ジュースとアイスを用意し、騒音にうるさい隣の部屋の住人のためにイヤホンを着け、完全装備で待機していた。一年と七カ月ぶりに彼らに会うのだから、半端な用意で会うことなんてできなかった。
おそ松さんの第一期の中盤頃、私は高校三年生だったけど、学校に登校できていなかった。自分は不登校になんてならないと信じていたのに、高校生最後の冬、驚くほど呆気なく学校に行けなくなってしまった。毎日ベッドの上で天井を見つめながらブツブツ一人言を呟いて過ごした。一日中ずっと家にいるなんて、今から考えたらとてもいい生活に思えるけど、毎日毎日、自分のダメなところを探して「学校に行けないダメな自分」を責め、生き地獄のようだったことを覚えている。一度夜中に家出して、道路に飛び出そうとしたことがあったけどできなかった。生きていること、この先もダメな自分と生きていかなければいけないことが怖くて怖くて仕方がなかった。不思議なもので、一度「ダメな自分」を頭の中で作ってしまうと、なかなか自分のことを好きになれなくなる。一度落ちるところまで落ちてしまうと、なかなか這い上がれず、藻掻くばかりで苦しいだけだった。
どんなに泣き腫らして眠れない夜をすごしても、必ず朝は来る。それがつらい時もあったけど、感謝した時もあった。
そう、おそ松さんだ。たしかテレ東で月曜日深夜にやっている放送を録画していたから、火曜日の朝には録画を再生することができた。朝観ていたか昼観ていたか、もう覚えていないけど、眠れなかった真っ暗な夜が、少しだけ明るい灰色に変わるようだった。
劇中のくだらないギャグが心に全く響かなくて、あんなに好きだったものがどんどん好きじゃなくなる様をまざまざと見せつけられて、おそ松さんを観ながら泣いたときもあった。でも、六つ子の笑顔に何度も励まされたし、六つ子のクズ具合から「私の方がまだマシなのでは?」なんてことを思ったり、自己肯定感も少しずつ回復していた。中毒的でポップなA応Pの歌、カラフルで画面いっぱいに飛び回る六つ子。OPを観る度に、「先週と相変わらず学校に行けない自分」と「カッコイイOPにワクワクしている自分」に会うことは、少し切なくて、少し嬉しかった。特に「なごみのおそ松」が好きで、何回も何回も録画再生をしたのを覚えている。おそ松さんを観ていると、少しずつ自分のことが好きになった。どんなにつらい夜も「明日はおそ松さん観られるな…」と思い出せば、少しだけつらくなくなった。たまたま落ち込んでいたときに見たから救われた気になっているのかもしれないけど、どうしようもなく落ち込んでいる時には、否定も肯定もしない底抜けな明るさが必要なんじゃないかと思う。私にとってのそれは「おそ松さん」だった。
今は、ひとり暮らしをしながらなんとか生きている。
おそ松さんを観ると、ダメな自分に怯えてボロボロになっていた自分を思い出す。そして、今もなかなか好きになれないけど、少しだけ成長した自分に会うことができる。
おそ松さんを観ると、少しだけ切なくて、でもくだらなくって、楽しくて、アホで愛すべき六つ子たちに会うことができる。
さんまが岡村に女の子を紹介し、後日岡村は女の子との食事に自分の親戚のおじさんと行ったらしい
そんな岡村に対して出川が頭指さして「お前は馬鹿だ」というイジり・・・
出川が再度イジると、「なんでそんなん言われなあかんねん!」って岡村がマジ切れ
うつは自己肯定感の少なさから来る。元々自分が馬鹿だな・・・って思いがちの人が人から頭を指さされ、最大限に侮蔑のニュアンスを含ませて馬鹿といわれるのってどれだけ辛いんだろう。
見ててつらかった。
そして岡村にドン引きするリアクションをする出演陣。つくづく日本はコミュ障には生きづらいと思う。
岡村は何故これがダメな行為だったのか、女に教えてもらったことや、具体的に指摘する人がいなかったんだろう。
でもそれだけだ。それまで属してきた環境によっては自分にも同様の境遇になってイジられるかもしれないのだから・・・。
この程度も分かっていないの?って言われるかもしれないけれど、人の理解力に程度があるのは何も知識だけじゃない。社会経験(笑)もそうなんだよ。