はてなキーワード: 自己肯定感とは
この感情はなんなんだろう。
私は骨格レベルのドブスで、特に顎周りの輪郭や頬骨が非常に醜く、化粧ではカバーしづらい部分に重大な欠点がある。
でも、変わった嗜好を持つ夫は私の容姿を褒めてくれるし、見た目も結婚を決めた理由のひとつらしい。
一人の人にそうやって承認してもらえたら、自己肯定感や承認欲求は満たされると思っていた。でもそうじゃなかった。
満たされた部分もあるけど、どうしても満たされない部分が自分の中にある。容姿について常に不安と不満が渦巻いてる。
色んな人に褒められたいという訳でもない。せめて、社会の一員として顔に客観的な評価を下されるにあたり
大多数(80%前後)の人から「貴方の容姿は概ね普通レベルですよ」と思われている確信がほしい。
男性はよく「ブスだから死にたい」と言っている女性を「本当に自分をブスだとは思ってない」「構ってほしいだけ」「ブスなら死んでよし」と揶揄するけど
フレッドは、5人の子どもたちに、非情なまでの競争心と闘争心を持てと教えた。特に、幼いころから自分に似ていたドナルドには、お前は「食う側」になり、「王」になるのだと言い聞かせた。そして、将来の王にふさわしく、運転手付きの大型リムジンで新聞配達の仕事をさせた。ドナルドが、いじめっ子体質で暴力的な少年になったのも当然かもしれない。
http://toyokeizai.net/articles/-/138993?page=3
こういう価値観に囚われ、対等な人間関係を築いた経験が無いんじゃないだろうか。
それでもあんなに強い自己を持っているのは、父親の価値観とどっか共鳴するところがあったんだろうな。
「自分に似ていた」って感じたらしいし、上昇志向とかトリッキーさは遺伝したのかもしれない。
多分、何かが欠損してるってことにも気づいてないんだろうな。
父親の教えを忠実に守ってきたから、高い自己肯定感が確立され、他者を顧みることなく自分本位に生きれてる。
相当生きやすいと思うよ。
アドラー心理学では「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と定義づけられているけど、これに基づいて考えれば他者のこと気にしないから悩みも無いんじゃないかな。
リーダーシップ・アグレッシブさ・決断力など、この人に惹きつけられる人が居るのはよくわかるよ。
一国の未来を担うリーダーとして、国民の様々な声を受け止めることは義務。
自分のやり方を否定されたからと言って、個人の容姿や性格をバカにするとか、あまりにもレベルが低い。
これまでも気に入らない相手はこうやって攻撃してきたんだろうなっていうのが、透けて見えるよ。
この人にとって批判する国民は敵、支持する国民は都合のいい格下の人間。
この人は大統領になるべきではなかった。権力を与えていい人ではなかった。
私は親に否定されて生きてきて、自己肯定感がほぼ無いってことに最近気が付いた。
というか肯定する自己が無い。主体性が無く、全力で他人本位で生きてきた。
情けなくて恥ずかしくて罪の意識に潰されそうだけど、私は今それに気づくことができた。
だから、時間はかかるかもしれないけど、絶対に克服して、人生をやり直せるんだ。
「生きづらさ」を感じていないから。
余計なお世話かもしれないけど、このまま死んでくの本当に勿体ないと思う。
私は精神年齢が低い。
(ちょいメンヘラ=自己肯定感が低い、人と比べる、嫉妬する、自分の感情がコントロールできない、健康的な生活をおくれない等)
ただ、子供を持ってないときは「健康的な生活をおくれて」なくても、「精神年齢が低く」ても、
周りも完璧な人はそういないように思えたし、多かれ少なかれみんなそういう部分を持ちながら
生活しているように見えていたので自分のそういった部分をそこまで気にしてなかった。
でも、子供産んだらこういう点は乗り越えていないと厳しいなと思った。
精神年齢が大人になれていない人にとっての子育ては「産むが易し」ではなかった。
やっぱりか、という感じでなかなかつらい。
「健康的な精神で、健康的に子供を育てる」ってなんて難しいんだろう。
自分一人の時でも「健康的な精神で健康的に生活をおくる」ということは難しかったのに、こどもができたらそれがますます難しい。
こどもがいる分しないといけないことは一気に増えるのに。
前以上に人と比べてしまうし、気にしてしまう部分も出てきたし、
未来を心配しすぎて今目の前のことに手を動かせないことも多い。
だれも幸せにならないってわかっていても、
ネグレクトはしないけど、してしまった人の気持ちがわかるような気がしてる。
自分やこどもを人と比べたり、自分以上に手がかかる幼い子供を「見たくない」となってしまったとかあるんじゃないだろうか。
この気持ちをこじらせていくと「毒親」になっていくのかなとも思う。
それは自然な流れに思えた。
そんな私が願うことは、保育園に全員が入れるようになってほしいということです。
専業主婦がいける人はそれをえらんだらいい。
無理な人は(私が思うにそういう人のほうが多いと思う)、すぐに保育園にいれて、
日中は子供は保育士(プロ)と楽しく過ごし、親は家事なり仕事なり、自分の生活をしたらいい。
こういう大人になれてない親と子供を二人っきりにさせないほうがいいよ。
幼稚園まで待って、という意見もあるけど、2年でも1年でも、独身の人からしたら大差ないかもしれないけど子育てしてる身からすると遠いよ。
幼稚園いれられる数年までなんか待てない人もいるよ。
本当に、お願いします。
私は『親になる人は、精神年齢が高くないと・人として大人でないと子供を産んではダメ』というのは
厳しすぎだし、そこまで言わなくてもいいかなと思ってる。
私自身、今大変だけど子供を産めてよかったなとも思うし、これから楽しんでいけたらと思っている。
成長せざるを得なくてだろうけど、自分も成長している部分もあると思うしそれは嬉しいことだ。
これからもきっと核家族だけでは子育て大変なのじゃないかなとおもっている。
こどもを育てるのを、どうか手伝ってほしいです。
ある日、鏡を見るとどうもくびれがない。これはヤバイと思ってダイエットを始めた。その他の場所では種々の事情により微妙に書きたくないので、ここに書いておく。アラサー男性のダイエット記録である。
ダイエット前のスペックはアラサー男性、170cm 60kg 16.3%。ダイエットの目標は昔の体型を取り戻すこと、具体的な数値目標として55kg、つまり5kg減を目指した。
結果は約5ヶ月で目標達成。1ヶ月1kgの健康的なペース。体脂肪率も2%減した。
メインはレコーディングダイエット、山瀬まみがいたときのガッテンは信用できるので。まず、体重計を買った。スモールスタートということで体脂肪率が測れて大手メーカーでは最も安い、タニタの「フィットスキャン FS-102-WH」というものにした。記録はiOSのアプリ「Simple Diet」を利用。記録するのにストレスがなく、グラフが簡単に見られる。UIは好きではないが、この2要素を満たしているから他を探して乗り換える手間が面倒なのでそのまま使っている。
測るのは夜ベッドに行く前にした。測る時間を同じにしないとレコーディングダイエットは難しいので、一番安定して取れると思ったのだけど、朝のほうが軽いからモチベという意味では朝のほうがいいかも。単純に出てくる数値が小さいほうが嬉しいので。
やってみると飲み会のあとの体重と体脂肪率の増加っぷりには驚いた。これはダイエットに効いた。自然と食べ物を減らすので。あと急激に減ると体調落ちてるなども分かり、健康管理にも良かった。
サブは「Wii Fit U」である。ゲーミフィケーションしたほうが楽しいだろうということでやってみたんだけど、元々ビデオゲーム好きなのでハマった。「バランスWiiボード」も買ったし体重測れるのだが、Wii Fit UのUIがレコーディングダイエットにあまり向いてないし体脂肪率が測れないので、体重計は別に買ってよかった。本当にWii Fit UのためだけにWii Uを買ったのだが、Wii Fit Uのトレーニングが楽しいので、追加でコントローラを買うほどだった。
Wii Fit Uで特に良かったのは、筋トレ。元々筋肉が弱ってたらしく、筋トレをしたら大分日常生活の動作(歩く・階段をのぼるなど)が楽になった。疲れやすくなったのは加齢のせいだと思ってたら、ただ単に筋肉が落ちただけてのが分かって驚愕の事実だった。筋トレをしてしばらくすると、体力の回復も早くなった。以前は平日働いたら土日のどちからを完全に寝て過ごさないと回復しなかったのが、激しい運動をしなければ回復するようになった。
もうひとつ特筆すべき点は歩数計のフィットメーター。歩数と消費カロリーを計測することで、Wii Fit Uでのトレーニングと合わせて、その日の総消費カロリーが計算される。総消費カロリーと体重の増減を見て、目標消費カロリーが出て来て、これを目標に運動することとなった。今日はあまり歩いてないな、という日は余分に散歩したり、乗り換え時に歩行距離の長い乗り換えを選択してみたり、と積極的に運動するようになった。これもひとつのレコーディングダイエットである。
一方で、Wii Fit Uのイケてないところはたくさんあり、まずディスク版を買うとディスクがないとプレイ出来ないこと。途中でゼルダが発売されたのでやってたが、そうするとディスク交換が必要でめんどくさい。また、クラウドと連携し、iOSやAndroidからも使えると完璧だと思うのだが、未だに出てこないところはもったいない。ソフトの中身的なところでも、体重が目標付近になると再設定をしょっちゅう求められてめんどくさいことが多く、もう少しストレスフリーな作りが出来るはずだ。これらの欠点はスマートフォンアプリ化しWebサービス化することで解決するのでスーパーマリオラン作るよりも早く……って感じだ。
食事に関しては変えようと思ってなかったのだが、レコーディングダイエットしてみると気になってしまい、結局変えたのでダイエット方法比較としては因子が増えてしまい良くなかった。自炊は元からほぼしてない状態で、ダイエット中も今もしていない。基本的にパン屋かコンビニなのでが、パン屋では例えばお昼に「サンドイッチ、惣菜パン、菓子パン」の3つを買ってたのを惣菜パンをやめて2つにしたり、コンビニだと買うときに必ずカロリーを見るようになり、よく買うのも「麺類、おにぎり」などから「スープ、おにぎり」を中心にした。なるべく野菜を取ろうと思ったので、スープを中心にメニューを選んでいる。この頃は、この記事を参考にもう少しタンパク質を取るようにした。
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/atsushi-hakuo/17-00068
体重は順調に減っていた4ヶ月目、56kgになったのだが、どうも体型が変わらない。これはどういうことだ???と思い、試しに腹筋してみたら数日でくびれが生まれ、衝撃があった。ただ脂肪を落とすだけでは引き締まった体にならない。言われてみれば当たり前だ。Wii Fit Uは筋トレに腹筋がなかったので、そこからは自分で追加して腹筋するようになった。
くびれが欲しいと思ってダイエットしてみたら、筋肉がついて疲れにくくなり、思いの外健康的な生活を手に入れられた。今も継続して毎日体重は測っていて、体重は変わらず体脂肪率はさらに1.5%ほど落ちてきた。自己肯定感が上がるので、レコーディングダイエット、おすすめである。
http://anond.hatelabo.jp/20170529064047
最初に謝罪なのだが、実は元の記事は二、三年ほど前にここに書いたが全然反応がなかったものの再投稿であった。
黙っていてすまん。
相変わらずどころか、加齢のぶん状況が悪化してるわ。
ザッと見た反応には共感も叩きもあるが、とりあえず前と違ってガン無視されなかったというだけでいくばくかの慰めを得ることができたので、そこんところに大いに感謝したい。
それでも叩いたり説教した奴はとても憎いがね……。
ところでこの記事のタイトルはイリヤの空UFOの夏が元ネタだ。
俺の発言がかつてないほど話題になって調子づいたので、その反響に対する自分語りを長々追記する。
悪いが、提案や説教に対して、でもできないよおと拗ねる内容だ。
返事しやすいことにだけ返事しているから、クリティカルな指摘はスルーしてるかもしれん。
・俺の求める優しさとは何か
・宗教
・創作
・風俗
・会おうかと言ってくれる人について
・無職で生かしてもらってんのがこれ以上ない優しさ
・働け
沢山ツッコまれている、「お前の求める優しさってなんだよ」ということを考えてみた。
自分の中でもふわっとしてるので、とりとめなく羅列する書き方になってしまうが。
たぶん俺が欲しているのは、物理(経済)面と、精神面の両方とで、自分の生存に罪悪感と不安を覚えなくていい状態ができてほしい、ということに近い。
居場所を作ってほしい、支えができてほしい、許しを与えてほしい、関係を持ってほしい。
こんな存在価値のない無能が生きていて申し訳ないとか、人と会話して申し訳ないとかの自罰的な気持ちと、その反動で貯まる攻撃的なルサンチマン、更にそれらからくる社会活動・経済活動のうまくできなさから解放されたい。
生きている現在と、生き続ける将来に安心したい。なんとかいい感じに暮らしていけそうだとほっとしたい。
物理面の安心は、セーフティネットや、俺でもつとめられる安定した職や、日本の将来の暗さの解決なんかが欲しいってことだろうか。
精神面の安心は、流行っている言葉で言えば自己肯定感が欲しいとまとめられるかもしれない。
個人でも、思想でも、社会システムでもいいから、俺に優しくすることで自己肯定感を育て直す手助けをしてほしい。
俺が幼稚だという感想も見たが、育て直しを手伝ってほしいってのを望むくらいだから、そりゃ幼稚なんだろうな。
他人を頼るなって意見も多く、そうできるにこしたことはないけど、自己肯定感を独力で育てるのそうとう厳しくないか。
厳しくてもやるんだよ、甘えるなっつーのが人生の現実ですか? こらこら、しばくなしばくなww
ついでに言えば、自己否定感をもたらす色々なものから守ってもほしい。
守ってほしいというとお姫様気取りかよと言われそうだが、人間には防壁が必要だ。
思想も信仰も密な人間関係も、外部の影響で精神が動揺するのを防ぐファイアーウォールになるというのが役割の一つだと思う。副作用として悪質なそれらにハマった人も、防御機能が働き意見を変えづらくなるってのもあるが。
ネット越しのあれこれを見てると、ファイアーウォールの十分でない俺の精神はどんどん腐っていくのを感じる。
だが他に気軽に寂しさを紛らわす手段もないので延々ネットを見ている。
そもそもこういう記事を書くこと自体、優しい言葉と厳しい言葉を両方飛ばされるかただガン無視されるかのどちらかだから、俺みたいな拗ねてこじらせた脛齧り野郎はやらないほうがいいんだ。
共感が10個あっても叩きが1個あったら叩きばかり印象に残る性格の奴が、運がよくても半々、そうでなければ袋叩きになるような愚痴をネットに書いてその反響を追うのはよくない。カウンセラーにでも愚痴るべき。それはわかる。
カウンセラーに愚痴っても淡々と聞かれるだけで虚しさが募ってきたから、我慢できず書いちゃうんだけど。
言ってみりゃ、BUMP OF CHICKENのリリィみたいな存在に出会いてえんですよ。
弱音と苛立ちをこぼしても「そういうところも全部かわいい人ね」って言われてえよ。
無職なのでスポットライトも浴びてないしがんばって自分を唄ってもいないけど。
人に優しさを求めるならまず自分が周囲に優しくしろ、というコメントも多かった。
この場合、俺が他人に送るべき優しさってなんだろうな。俺が求めてる優しさは上で書いた感じだが。
オタクやリアルの方では、人の愚痴にはできるだけ親身に乗っているつもりでいる。いいと思った創作者に長文感想を投げたりもする。落とし物を拾う手伝いとかする。
どれも迷惑な押しつけかもしれないし、性根の腐り具合が滲んでるかもしれないけど、いちおう些細な優しさだとする。
たとえば仕事がきついとか、上司がセクハラしてくるとか、金がないとか、親との関係が悪いとか、モテないとか、ネットで叩かれたとか、そういう愚痴に俺ができるのは「大変だよな」「そいつマジクソファッキン口からウンコ漏らし」「思いつめない方がいいよ」などを言うだけ。作品への感想も結局は面白かったと言ってるだけ。
しばらく泊めてやるし旅費も出すからろくでもない家と会社からは逃げてきなよと言うとか、出版関係者とコネがあるから紹介してあげるとか、そういうちゃんと役に立つ対応はできない。
俺は地方民なので、知人はみな地理的に遠く、日常的に会って一時的にストレスを紛らわしあうこともできない。(俺と会ったらむしろストレスが溜まるかもしれないが、一般的にはそういう優しさもあるだろうってことで)
生活に将来性がないので、他人の自己肯定感を育てられるほど長く密な関係を築くこともできない。
お金も社会的安定も能力も甲斐性ない人間は、責任のある優しさ、問題解決能力のある優しさを人に与えられないんじゃないか。
だから俺も優しくされないのか?
服を買いに行くための服がない問題みたいだな。
フェミニズムについて書いた部分もあれこれコメントされている。
元の記事でフェミニズムとマチズモの双方を俺の敵対陣営として書いたが、根源的にはフェミニズムは悪ではなく、公正さを目指すって意味ではむしろ善なる思想だとは思っている。
しかし、昨今俺に最も自己否定感や罪悪感をもたらしてくるのがフェミニスト的な言説だから敵視しているのだ。
俺のガバガバなメンタルファイアーウォールを突き破ってくるんだよ。
そういうのは真っ当なフェミニストではなく一部の過激派だとか、フェミを名乗るミサンドリストだとか、脳内フェミだとか言われるのだが、とりあえず確かにツイートやブログが見えるから脳内妄想ではないとして、一部過激派やミサンドリストと「真っ当なフェミ」なるものを区分するのは非常に困難である。
自己否定を煽られたならミサンドリーだとするなんてのは、俺に/男に都合のいい意見しかフェミニズムと認めないなどという傲慢極まるスタンスになるのでありえない。
そしてフェミニズムも色々な考え方があるっぽいから、明らかに罵詈雑言を投げてるタイプくらいしかミサンドリーだと断じきれない。
そもそも疑問なのだが、ミサンドリーの入ったフェミニストが見分けられたとして、フェミに耳を傾けましょうって立場の人間が「ミサンドリーフェミの主張は無視していい」なんて言うのはアリなのか?
ミサンドリーの奴らは、男によっぽど嫌な目にあわされたとか、別に大した理由はなく性格が歪んだとかで男に憎悪を抱き破壊的なことを言うわけだが、そこで他人が聞く耳を持たなくていいのは破壊的な部分に限られていて、あいつらがどんな被害にあったとかどこに男女不公平を感じるとかの指摘を無視することに正当性はないのでは?
たとえて言えば、テロリストのテロ行為は許すべきでないが、なぜテロリストがテロ思想に走ってしまったのかという部分は着目するに足る、みたいなのと近い。
ミサンドリーフェミニストは言論テロリストだしその論調と主張手段は責められて然るべきだが、あいつらが語る己がテロリストになってしまった理由については、ある程度の誇張を割り引くとしても聞いてやるのが、フェミ親和派としちゃあ正しいのでは?
男性への不公平感や抑圧感が嫌悪憎悪のレベルに達することで「あいつらはミサンドリストだからフェミニストではない」と切断処理の対象になってんのって変な気がする。
などとやたら長く書いたが、どっちにしろミサンドリストもフェミニストも嫌いなんだ俺は。
だって俺が男である以上、体格がいいとか化粧しないでいいとかヒール履かなくていいとか生理がないとかガラスの天井がないとか性暴力を受けづらく与えやすいとか性別由来の既得権益を得てはいるし、どんなフェミニズムであれその権益の使い方や再分配をよく考えましょう配慮しましょうと啓蒙してくるわけで、それは公正ではあるけど「ああ、男である俺は不当な利益を貪ってんだな、反省しなきゃな」みたいな気分にさせられるから、そりゃあ嫌いになる。
そのくらいの自省要求にすら耐えられないほどクズなんすわ、悪かったな。
しかし考えてみれば、ネット議論は幾らでもある中で俺が特に精神をかき乱されるのがフェミ主張ってことは、否が応でも目に入ってしまうくらいフェミニズムがネットに行き渡り無視できない勢力にまで育ったわけだから、フェミにとっちゃ順調っちゃあ順調なんじゃないの。
さっきちょっと信仰と書いたが、宗教を勧めるコメントも多かった。
わかる。
持たざる者が精神的救いを求めるなら、宗教が王道と言っていいと思う。
自分でも、上手くハマれればとても楽になれそうな気はずっとしている。
結婚式でチャペル行くのも葬式で数珠握るのも地鎮祭も、もちろん新興宗教の類も、くだらないしキモいと感じられる。
だから楽になるだろうことは分かっていてもやりたくない。
この場合の宗教はいわゆる神様を拝む系の宗教を指しているので、科学信仰や宗教嫌いも宗教であり~みたいな話は今回はなしで。
実はすでに、病院とカウンセリングには学生の頃から通っている。
病名はついているが、憂鬱とイライラと胃弱くらいしか自覚症状がないのでピンと来ていない。
延々経過観察されている。
薬は全然効かないので、現在は憂鬱が激しい時にその場で飲む薬しか処方されていない。
障害年金はもらえそうにない。
実はこれも嫌々ながらやったことがある。
某NPOの臨時作業員というかお手伝いみたいな感じで数か月混ぜてもらった。
でも、NPOの人らが輝いた眼をして、力強い握手と共に「増田クン、まずは元気な挨拶からがんばろう!」と言われた一日目の時点で内心もうダメだった。
いや挨拶はしていた。どっちかというと丁寧にしていたつもり。小学校でクラスの挨拶名人賞を受賞していた、昔取った杵柄だ。
ただ全盛期を過ぎた今の俺の挨拶はオドオドさも香るスタイルになってるから、エネルギッシュな人たちからすると元気よくと言いたくなるのは分かる。
でも俺とは求める心地よさが違うのだなと感じた。血圧が俺より30くらい高そうだった。
あと単純にボランティアの具体的な活動でも俺はグズで気が利かなくて、役立たずとして混じってるのがキツかった。
ワンシーズンの活動が終わったあと、臨時お手伝いの立場ながら打ち上げに呼んでもらえたので優しくしてもらったとは言えるんだろうけど、その最後の打ち上げの席も辛かった。
気力体力行動力の消耗がヤバかったし、がんばって書いても読者が少なくてあんまり褒めてもらえないので悲しくなった。
小さいものを一つ作ることはできても、それを複数作ったり書き続けていくのはひどく大変だ。
内容が多少まずくても創作できる人はそれだけですげえよ。42.195kmを走らず歩ききるだけで凄いようなもんだよ。
風俗。
俺の「童貞」という悩みを噛み砕いて言えば、「コミュニケーション能力と、アイデンティティのかなりの位置を占める男性という属性の二つが、他人(特に男性)から被害を受けやすい女性から受容されたことがないことによる、不全感や許されていない気持ち」が問題なので、お金で受け入れさせたところで解決になる気がしない。むしろその手段を取ることで罪悪感が増しそうで怖い。金という暴力で女を従わせたってことになる。
なんて言ってみたが、風俗でいいから一回ヤってみてーという即物的な気持ちもモチロンある。
でも実家暮らしだと、家族に風俗行ったとばれないかという心配事もありなかなか行けない。
男性性なんかにアイデンティティの重きを置くなって意見も見るが、その重心バランスはセルフコントロールムズイでしょ。
はてなの内外で、首都圏だったら飯奢ったり遊んでやるよと言ってくれる人をちょっと見た。
とてもありがたい。だがすまないことに、前述の通り俺は地方民である。
まあそうじゃなくても、こんなクズ of クズな記事書いといて非匿名で会うなんて、恥ずかしさと怖さでできやしないが。
知人に首都圏在住者が多いのもあり、そっちで暮らしたい気持ちは大いにあるが、以前親に話を振ったところ良い反応をもらえなかったので無理だ。
自殺企図したことがあるため、離れた場所に行かせるのは心配らしい。
「30代になって親の顔色をうかがうとか幼稚すぎる」と言われるだろうが、親と話し合ったりお願いしたりということが物凄く苦手でダメだ。一度話を振っただけでとても勇気を出したくらいだ。
無職でもその年まで生かしてもらえてることが最高に優しくされてるだろというド直球。
就職しろというド直球。
養ってくれているお父さんお母さん、医療保険を使わせてもらってる社会、ありがとう! 年金くらいは払ってます!
腕力なくて荷物を落としそうになって迷惑かけたバイト先、一回寝過ごしたらもう顔見せるのが怖くて連絡を絶ったバイト先、寝坊した上道分かんなくなって面接キャンセルした就活先、集団ディベートで変なこと言う俺と同じ組になった就活生、興味ある職種を答えられず困らせたハロワの相談員さん、ごめんなさい!
こんなに迷惑をかけても、直接的な刑罰とか咎は負わされてなくてこの社会はクズにも優しい!
その辺はマジその通り。
なのに、こんなに優しくされてるのに、なんでか人生がうまくいかねえし外に出るのが辛いし社会や他人と関わるのも不安だし心身落ち着かねえしで自分じゃどうしようもねえし辛いので、もっともっと優しくされたらうまいこといかねえかな、誰か救ってくれよっつー夢想を書き殴ったのが元記事なわけ。
自分じゃどうしようもないとか甘ったれてんじゃねーよ人は自分で何とかするしかないんだよとか、むしろ優しくされすぎたのが悪いんだよとかの声も拝聴しております。
書きたかったのはだいたいこんな感じだ。
自己卑下してかわいそうぶることで批判を避けようとしているのが鼻についたら申し訳ない。
卑屈さによる防御は卑怯なのだが、いったん頭に浮かんだ卑屈さや恐れを脱臭するのもこういうクズ人間のエッセーみたいな文章ではニュアンスを損なうのでは、と考えるとよくわかんなくなった。
よくわかんなくなったということを言い訳にして、卑屈さを大量に残して責めづらくする予防線を張り、そして予防線を張ったことについての予防線を更に張る卑怯な書き方申し訳ない。
また2年後くらいにどうなったのか報告してほしい
2年前に実際に行動を起こし、自宅の鴨居にロープをかけて首を吊ってみたことがある。
その時は幸か不幸か、ロープから首が外れてしまい死ぬには至らなかった。
意識が一瞬で飛び、耳元で大きな爆発音がしたくらいで苦痛は全くなかった。
昨年練炭を浴室で火をつけてみたもののムセてムセてしんどかったからすぐやめた。
何となく同僚が冷たい気がする。
少しでも心が揺らぐことがあると、「あーあ、そろそろ死んどくかな。死ぬのってそんな苦痛じゃないみたいだし」という考えがにじみでてくる。
でも自分が死んだからって誰かが悲しむイメージがわかなくて抑制にならない。
先日猫を拾ってしまったので、自分が死んだら猫の引き取り手もいないだろうし猫を看取るまでは実行にうつしちゃだめだよな~と思って今日もなんとか帰りにホームセンターでロープを買うのを止められた。
毎日死ぬことを何回も何回も考えてしまうのでなんとなくしんどい。
病院に行ってもその場ですぐ治るわけじゃないだろうから行くのが面倒くさい。
だったらこの場でサクっと死んだ方が楽だよな~とかまた考えてる
プライドが高く自己肯定感が低く、生育環境に問題があるからこういう考えかたになるんだろうか。そんなん治すのに気が遠くなるじゃんね。あー死にたい死にたい
誰に助けてほしい。
表現がやたら出てくるあたりは気になる。
「私は芸能界か美術しか考えてなかったから(中学受験は)意味ないな」とか、モデルはダメと言われて「全てに」絶望とか、「親にマイナスになる事も多く考えて、それでもこの道『しか』ないと」とか、「アニメが好きだった自分を全否定した」とか……
いま必要なもの・目に入るもの以外はすべてゴミのように扱い、切り捨てているようだ。
なんでよ。多数派と少数派が入れ替わったぐらいで「狂った」とか、ほんと表現が強い……
「これからの人生絶望しかない」と言うけど、確率的にンなわけないと思う。もし向こう60年、本当に絶望しかなかったら、それはマジで稀少な人生なので、本でも書いて売ったらいい。
考え方が極端だから視野が狭いのか、その逆かはわからないし、多かれ少なかれ子供はそういうとこあるんだけど、元増田はもう20歳なんだから、もう少し世界を広く捉えられていてもいい。そういう意味では、「元増田は幼い」とも言えるように思う。
未来が暗黒に見えるのは、自分で光を締め出してるからじゃないか、と私には映る。
世界ってけっこう雑然としているし、視野が広くなれば目に入る光の量も増えて、「お先真っ暗」が「お先うすぼんやり」ぐらいにはなってくれないかな。
自分が好きなものは自分にとっての光だ。そういうものを大切に、ちゃんと手元につかんでおけば自分を慰め、励ましてくれる。これからの夏、渋谷のスイーツでもなんでも食べたらいいじゃないか。青学生である必要なんかないよ。
私ももう30越えてオバサンと言われておかしくない年齢だけど、今年の夏こそ原宿アイスモンスターでかき氷食べてみたいと思っている。
元増田から見たら、こういうオバサンはきっとみっともないんだろうけれど、私と元増田はなんの関係もないし、元増田にどう思われようと私は痛くもかゆくもないのだ。
またでました「本当の好き」(笑)
集団や場の中に居心地の良さを感じる、自己肯定感が得られる、承認欲求が満たされる、愛好者が世の中に多数いる、そういう要素も趣味嗜好の中では大事でしょう。
「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」
誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。
しかしこれ諸刃の剣。そもそも雑な反論だし、おまえが相手のメンツ潰すためにメタ視点でマウント取りに行ってるわけじゃん。
ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛な論法なので使用は自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。
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追記1
○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性がヤバい人は混じる。
何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。
自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分はもっと嫌い」とか。4パターンのどれもありうる。
自分に酔ってる感じがするから、エゴが含まれてるから本当の好きではない、って前提はない。「本当に好きならなぁ〜」ってマウント合戦を始めるんかい?
あんまり掘り下げるとコミュニケーション・処世術とか、愛とはなんぞや、みたいな増田で書くにはメンドくさいテーマになっていきそうだが。
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追記2
この増田記事を書こうと思った背景というか文脈を明かすと、別に自分がどこかで誰かにそう言われて悔しかったからって話じゃ全然なくて。
まず、ちょっと前にたしかTwitterだったかで「映画好きのサブカルくそ野郎がマウントとってきて、言い返してスッキリ」みたいなストーリーの漫画が上がってて
その中でこういうセリフが使われてた。(ソース見つからない。タイトル忘れた…)その時もなんだかなぁ、とモヤモヤした気持ちがあったけど、まぁスルーした。
で、最近のコーヒー好きが言いにくいって増田の記事がヒットしてて、そのブクマコメントの中にそういうこと言いだしてるやつがまさにいたわけ。(わざわざ晒さないけど)
うわぁー実際に言ってるやついるよ、ちょっとひとこと言っておかないと伝家の宝刀みたいに使いまくるやつこれから増えそうだな、と思ってカァーっとなってこれを書きました。
他人の「好き」の定義に振り回されて萎縮というか、「自分はこれを本当に好きなのだろうか?」って疑心暗鬼になることないよなーっと。
ただ注意が必要なのは、よく主語警察がよく指摘してる"主語の大きさ"ってやつが問題になるように、ジャンルというか大きい括りでの○○好きを気軽に公言しない方がいい場面もあるだろうってところで。
例えばコーヒー好きと最初から大きく名乗るのではなく、「こういう状況で飲むどこそこの缶コーヒーが好きなんですよー」って小さく限定しておいてから、話を徐々に広げるとか。
たまたまネットで見かけたPVを見たその日から、彼のことが頭から離れなかった。
動画を見るうちにどんどん夢中になり、今までアイドルなんて興味もなかったのに現場にも通うようになった。
はじめは気が向いたとき程度だったが、気づけば現場のために毎週夜行バスで東京と地元を行き来する生活をしていた。
CDがリリースされれば握手会や写真撮影のために同じものを120枚以上買った。
=====
推しは繊細な人だった。見る人によっては病んでるようにも見えるかもしれない。
元気で明るいキャラではあったが、追っていくうちに自己肯定感が低く小さなことで悩みがちだと感じるようになった。
何度も何度も握手会でかっこいいよ!今日のダンスよかったよ!と言っても、調子よく茶化されたり全力で否定されたりしてその度に悲しくなった。
ブログで活動のこと、今後のことについて悩んでいるのを見ては自分も病んだ。
でも推しのことでこんなに悩めることが幸せで仕方がなかった。
悩んで悩んで、それでも笑顔で頑張っている推しが心の底から好きだった。
繋がりたいとかそういう感情はなく、ただただ傷を隠して輝こうとする推しが人間として大好きだった。
ずっとずっと活動を休止するまで追い続けると信じて疑わなかった。
そんなこんなで追い出してから1年半ほど経ったぐらいから、推しは活動の幅を広げていった。
もともと所属していた別のグループでアイドルしてではなくイベントをすることも多くなっていた。
このころから以前に比べて病んだり悩んだりといった発言が少なくなっていった。
本当にアイドルとしてではない活動が今のやりたいことであると伝わってきた。
それがどうしても許せなかった。私は葛藤しながらもアイドルとしてステージに立つ推しのことが一番好きだったのだ。
自分が一番好きな推しは、彼にとっては一番好きな自分ではないことがたまらなく悲しかった。
周りの道丹は他グループの現場にも足を運んでいたが、私はついに一度も行かなかった。
気づけばあれだけ毎週通い詰めた現場にも行かなくなっていた。
推しを作る気はなかったが、明らかに私はそちらに心が向いていた。
でもあれだけ好きで時間もお金も費やした推しから心が離れているのを認めたくなくて、周りのオタクには忙しいから行ってないだけで他界も推し変もしないと強がっていた。
私が彼を推す前から彼らが目標にしていた大きな舞台でのライブがあった。オタク仲間から誘われ、当日券も出ており、何度も行こうと思ったが、結局は行かなかった。
私が好きだった推しとは変わってしまった推しがそこにいたらどうすればいいのだろうと不安だった。
もう好きなふりはできないと思って、大きなライブが終わった次の日に私は上がるともなんともつぶやくことなくtwitterのアカウントを消した。
今にして思えば、推しが幸せそうなのを一緒に喜んであげられなかった時点でオタクする資格はなかったと思う。
最後まで見届けられなくてただただ申し訳ないが、推しの今後の活躍を祈っている。
もしこれを読んでいる中に3次元の推しがいる人がいたら、推しの幸せは全力で喜んであげてほしい。
私も次に推しが出来たら、今度はちゃんと推してあげたいと思っている。
「俺メンヘラホイホイだからさーw」などとうそぶく男性は自分も精神がアレ、という事実はとうの昔に「バレンタインはチョコ会社の陰謀」レベルの常識として国民に広く認知されているかと思っていたのに!
ここ最近「俺メンヘラホイホイw」アピールを複数方面から続けざまに喰らったのでツラい気持ちになってる。
ちなみにこの場合のメンヘラとは「自己肯定感が低く不安が強く情緒が安定しない女性」くらいの意味。
「自称メンヘラホイホイ」には二通りのパターンがあると思っている。
いわゆる自己肯定感が低く、不安が強いタイプの女性に惹かれやすい。なぜなら不安が強い人は常に「不安です、不安です、不安です!」と解消して欲しい課題を提示し続けてくれるから。課題が見えやすいので「自分でも彼女を救えるかも」という気持ちになる。「彼女となら俺はヒーローになれる」と甘い気分にもなれる。
裏を返せば、常に彼女の不安を解消することで、役立ち感や居場所感を抱けないと彼自身も不安になってしまうのだ。根っこには「彼女を救えるような俺でなければ愛される価値がない」「役に立つ人間でいなければ生きている価値がない」という彼自身の自己肯定感の低さがある。
自己肯定感が低く不安の強い人間同士で相互補完的にくっつく分には問題がないように思うが、彼女の「不安です!」をすべて完璧に解消することは、神や仏の領域に達しない限り難しい。大抵はキャパオーバーとなり「付き合ってみたら彼女がメンヘラだったわw」と飲み会でアピールすることになる。
2…ちょ、おま、それはメンヘラホイホイじゃねー!メンヘラメーカーだ!
ストレスがあまりなく、それなりに満たされていれば、感情や情緒の変化もモニターできて何か問題があっても過剰に攻撃的にならず状況を良くしていける、そんな人は男女問わずいっぱいいます。
そんな人であっても、常に強いストレスにさらされ、不安な状態に置かれ続ければ、メンタルが不健康な状態に追い込まれるのは、実感としてわかるのではないでしょうか?
例えば、
・調子の良いことはよくしゃべる割に正面向き合っての話し合いからは逃げる
・他の女の影をちらつかせる
・判断や決断はいつも相手任せにしいざとなったら「あなたがそう言ったんでしょ」と相手のせいにする
要するに相手を不安にさせて「不安です!不安です!不安です!」攻撃を仕掛けずにはいられない状態に追い込むタイプの男性が一部いまして、そんな風に自分で仕向けておいて「好きになったときは普通だと思ったのに、付き合ってみたらメンヘラだったわw俺まじでメンヘラホイホイw」と飲み会でドヤ顔キメるのです。
なんで彼らはそんなことするのかと言ったら、結局「彼らもまた不安だから」としか思えない。
常に「なんでこんなに不安にさせるの?」「なんで?」「なんで?」「なんで!?!?」と構われ続けていないと不安なのだ。
相手を自分に強く依存させていないと、離れて行ってしまうんじゃないかと不安なのだ。
ここでも1と同じように、依存のない状態での自分は愛されない、離れていってしまうという自己肯定感の低さが見える。