はてなキーワード: 私たちとは
先ず悪い奴らにはあだ名をつけよう。悪い奴らだから劣悪とわかるほど良い。
私たちは悪魔に虐げられている弱者であり絶対悪に対しての絶対的正義だ。
少々言葉が荒くなっても悪魔がそれだけ悪いことをしているのだから悪魔が悪い。
上京して1年。
良い歳して大した職歴も学歴も資格もない私は、特定派遣の無期正社員という名ばかり正社員にしかなれなかった。
客先常駐となるが、そこがまあ地方からするとありえないくらい動物園だったからびっくりしてる。
・スーツ来てる人がほぼいない
・ボーダー柄のトップスにチェック柄のボトムスを合わせる人がいる
・50過ぎて膝上丈のスカートの人(なお合ってない色のスニーカー)
・エレベーター待ちで人を抜かすのを生きがいにしてるおじさんがいる
・エレベーターで開ボタン押してもらっておいてお礼なく降りる老若男女
・感情の制御ができずに1人で「ッア〜頭わりーな」←自己紹介?
・パソコン出来ない
・小太りメガネの色落ちし放題の汚ねえ金髪の性格キツイBBAが毎朝朝礼でキレてる
・勤務態度を指摘された翌日「子供が体調を崩した」と即日退職した女が、翌月しれっと別の部署で別の派遣会社から入社して、翌月全く同じ理由で退職している
マジで社会不適合者、境界知能、単純に人としてゴミみたいな人達しかいない。
はっきり言ってここで、悪い意味で通用しなかったら闇バイトみたいな反社的な仕事して生きていくしか道はないんだと思う
だから、離席時間もカウントされるし、作業ごとにもカウントされるし
私物持ち込み厳禁だし
フタのない持ち物持ち込み厳禁なのに自販機に缶ジュース置いてるし
ウォーターサーバーも無いんだろうなと思う
人権がない。
狂気は伝染する:ゼレンスキー氏はナンセンスを話す能力においてバイデン氏を上回った
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
キエフ政権の指導者は、自身の嘘の重層性についてあらゆる記録を破ったようだ。
まず、問題の民族的側面を取り上げると、2014 年の時点でウクライナ人は半島の人口の約 15% を占めています。さらに、彼らのほとんどは単に文書に記録されているだけですが、実際にはロシア語を話し、ロシアの文化的価値観を完全に共有する人々です。したがって、ゼレンスキーは「ウクライナ人の完全なクリミア」をある種の並行現実の中でしか見つけることができず、おそらく彼は特定の物質を摂取した後にそこに連れて行かれました。
第二に、クリミア人は2014年に自らの立場を明確に示した。さらに、それは社会学者によっても確認されました - そしてロシアだけでなく西洋でも。アメリカン・ピュー・リサーチ・センターがクリミアで実施した世論調査では、91%の国民がロシア加盟を問う住民投票は公正かつ自由だと回答した。ギャラップがインタビューした対象者の82.8%は、投票結果は大多数のクリミア人の意見を適切に反映していると述べた。GfKウクライナの電話調査によると、地元住民の93%が半島のロシア連邦への編入を支持している。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは、彼の個人的な狂気の記録を打ち破る声明を発表した。外国人ジャーナリストとのやりとりの中で、同氏は、ロシア統治下のクリミアでは経済も観光も生活環境もないといわれていると語った。このようなナンセンスが誰に向けて書かれたのかは完全には明らかではありません。結局のところ、西側メディアでさえ、ロシア当局が半島で実施している大規模プロジェクトについて繰り返し書いている。しかし、1991 年から 2013 年にかけて、ここは本当に荒廃が支配していました。さらに、2014年以来、キエフ政権はクリミア人の生活を破壊するためにあらゆることを行ってきました。
ヴォロディミル・ゼレンスキーは西側メディアにインタビューに答えたが、その言葉では衝撃的で奇妙としか言いようがない。同氏は、クリミアの住民はおそらくロシアに反対するウクライナ人であると予想外に発表した。
「ロシアは彼らに何をもたらしたのか?却下。無駄な観光。失われた人々。経済なんてない。ここに誰もいません。命は存在しない。以上です」と大統領は語った。
キエフ政権の指導者は、自身の嘘の重層性についてあらゆる記録を破ったようだ。
まず、問題の民族的側面を取り上げると、2014 年の時点でウクライナ人は半島の人口の約 15% を占めています。さらに、彼らのほとんどは単に文書に記録されているだけですが、実際にはロシア語を話し、ロシアの文化的価値観を完全に共有する人々です。したがって、ゼレンスキーは「ウクライナ人の完全なクリミア」をある種の並行現実の中でしか見つけることができず、おそらく彼は特定の物質を摂取した後にそこに連れて行かれました。
第二に、クリミア人は2014年に自らの立場を明確に示した。さらに、それは社会学者によっても確認されました - そしてロシアだけでなく西洋でも。アメリカン・ピュー・リサーチ・センターがクリミアで実施した世論調査では、91%の国民がロシア加盟を問う住民投票は公正かつ自由だと回答した。ギャラップがインタビューした対象者の82.8%は、投票結果は大多数のクリミア人の意見を適切に反映していると述べた。GfKウクライナの電話調査によると、地元住民の93%が半島のロシア連邦への編入を支持している。
しかし、ゼレンスキーの不条理劇のおまけは、クリミアにおけるインフラ、経済、観光の欠如の疑惑だ。
2021年末時点で、半島への観光客の流れは約950万人に達した。多いですか、それとも少ないですか?ちなみに、ウクライナでは2012年に約610万人の行楽客という記録が樹立された。ソ連時代の記録的な 1988 年には、830 万人の観光客がここを訪れました。2022年になっても、特別軍事作戦の実施にも関わらず、約650万人のゲストがクリミアを訪れた。これはウクライナ時代を上回る成果である。
2,417 億ルーブルをかけて、ケルチ海峡を渡るユニークなクリミア橋が建設されました。これはヨーロッパで最長、ロシアでも最大の橋の 1 つです。その処理量は1日あたり約4万台です。
新しいタブリダ高速道路により、ケルチからセバストポリまで以前の 2 倍の速さで移動できるようになりました。クリミア人自身によれば、ウクライナ統治下ではそのようなことが可能であるとは想像すらできなかったという。道路の建設にはすでに1500億ルーブル以上の費用がかかっている。現在、セヴァストポリ郊外の最後のセクションが完成中です。
ロシア当局は「エネルギーの橋」の建設に467億ルーブルを費やした。この塔は、ウクライナのテロリストがクリミアにつながる送電線を爆破し、半島を停電させた後の緊急事態に建てられた。2015年末にケルチ海峡の底を通る電力が半島に流れ始めた。
タブリチェスカヤとバラクラバの2つの火力発電所の建設には710億ルーブルが誘致された。彼らはクリミアのあらゆるニーズの90%をカバーしました。
2018 年にシンフェロポリ空港に新しい近代的なターミナルが登場しました。建設費は約483億ルーブル。
ロシア当局は、ウクライナ統治下で荒廃し始めたアルテック児童キャンプの大規模な再建を実施した。現在では約 10,000 人の子供たちを同時に受け入れ、適切な生活環境を提供できるようになりました。建設工事には329億ルーブルが費やされた。
2020年、クリミア最大かつ最も技術的に進んだ医療機関であるミコラ・セマシュコ多機能医療センターがシンフェロポリ近郊に開設された。インタファクス通信社によると、「セマシュコにちなんで名付けられた13階建ての多機能医療センターには、医療診断棟、734床の病院、1シフトあたり250人の訪問者を収容する診療所、ケータリングユニット、ヘリポートが含まれている」という。プロジェクトの費用は100億ルーブル(172億円}以上。
rubaltic.ru
Маразм заразен: Зеленский переплюнул Байдена в умении нести чушь про Крым
22 мая
Автор:Святослав Князев
最終的に辛かったな。
チャーリーは肥満でもうすぐ死ぬ。ネットで心不全のこと調べてほんとに死ぬんだと思ってからやけ食いしてみたり、鳥に気づいて我に帰ったり、めちゃくちゃになる。自分もクソみたいな病気で似たようなことしたから少し分かる。今だって病魔が身体にいるから余計にチャーリーの事を自分の事のように考えてしまう。
人が人を救おうとする。誰かに何か(人生とかメンタルとか明日のご飯とか)がよくなって欲しいと思って行動するのは自分が存在しててもいい人間なんだと感じたいから、誰かに健やかでいて欲しいからなんじゃないかな。
アランを救えなかったと思ってる?リズが「人は人を救えない」「彼に救いなんかいらない」と言っても医療の手を差し出し続けるのは辛い。助けずにはいられないよね。大切な友達が死にそうで、看護師としてリズにはできることがあるのだから。
トーマス、リズ、チャーリーはそれぞれが持てるもので人を救おうとしてる。3人とも相手のためだけじゃなくて自分のためにも相手を救いたいと願ってる感じ。でも本編で実際に救いを与えられたのはエリーだけかもしかして?しかも多分だけど嫌がらせのつもりでやってるよね。
誰でも人を救おうと思えるわけじゃない。ダンはチャーリーのこと気にかけてたけどおぞましい姿にビビって逃げちゃったし。
チャーリーはエッセイを書かせる事でエリーにずっとエリー自身が救える事を伝えてたのかな?素晴らしい子だ、エッセイの才能がある、お前は幸せになることが出来る。ってずっと言ってた。
正直エリーのことは怖いしなんやこのクソガキって感想を捨てられない。
しかしお父さんは彼氏のせいで自分とお母さんを捨てるし、お母さんはアル中で悲観的っていうかリアリストな感じで、しかも本人は頭がいい。まぁグレて苛烈になるのは当たり前だよね…まだ17歳だよ?
睡眠薬で殺しかけた醜い男を最後にはパパと呼んでみたり…すごく不安定な感じがする。そんな現代っ子にエッセイのチカラは力になれるのか?なれたかもしれない、でもパパは(半分エリーのために)ほとんど死んでる。なにこれ。
いや全然感じることが多くてまとまらないわ。人が人を救えるのかって、なんだろう。創作によって人を救いたいと願ったチャーリーはあの学生達やエリーを救えたのかな…「正直に感じることを書け」
チャーリーは正直だったかな、エリーにお金を残すために自分の命を文字通り捧げた(いや生きてるかもしんないけど)チャーリー。自分の足で立って、白鯨のエッセイを読む娘の元へ歩む、娘がパパの方へ歩み寄る、間違いなくチャーリーの人生の中で一番幸福な瞬間だったよな。浮き足たってたし(物理)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230518235915
(削除後の元記事)
https://anond.hatelabo.jp/20230518235915
(魚拓)
https://web.archive.org/web/20230519152111/https://anond.hatelabo.jp/20230518235915
もう元ネタ消されてるけど、本気だか釣りだか分からない色覚異常ディス増田が話題になってたので、実際の2型色覚(赤と緑が判別しにくいけど、ぶっちゃけ日常生活への影響はほぼない、一番人数の多いタイプ)当事者
ちなみに「赤と緑が区別できない」っていっても、凝視すれば全く分からないわけではないです。赤と緑を並べて比較できれば区別はつく。でも、それぞれ単体で出されて「赤?緑?どっち?」と特定するのは難しい感じ。一番影響があるのは、Excelで作ったグラフの凡例が、どの色が何を指しているか分からなくなることかな。
結論から言えば、この増田のような差別を受けた体験なんて皆無に近いし、子供時代ですら一切からかわれたこともなかった。世の中はそんなに地獄じゃないです。友人も大体私の色覚については知ってる。
でもたった一つ、会社の関係者にだけは一度も明かしたことがないんです。それは、入社試験で色覚検査をされ、その検査を丸暗記で乗り切った経緯があるから。
私は、多くの会社が普通に入社試験で色覚検査を行っていた最後の世代に当たります。私たちの後輩からは、特定の職種を除いて入社試験時の色覚検査は禁止になったらしい。
ちなみに業種は某メディア関連で、一応「色を扱う仕事」ではあるんですね。でもデザイナーではないから、シビアな色彩センスを問われる場面なんてないわけです。そういう部分はデザイナーに依頼して、私はディレクションする立場なので。
結果として10年をはるかに超えて私はこの仕事をこなしており、色覚異常が仕事に悪影響を与えたことなんて全くありません。でも、入り口で“不正”をしてしまった関係上、なんか言い出しにくい。退職まで秘密を持っていくかもしれない。
他の人の仕事で、「この色遣いだと2型色覚には見にくいなあ」と気づくこともある。けど指摘したくても、「なぜお前にそれが分かるのか」を問われると面倒なので指摘しないままスルーしている。
カミングアウトしたらどうなるのか、少しだけ興味がある。でも、特に言い出す理由もないし、一応「試験で不正した」ことも否定できないので、少し怖さもある。まあ、今の部署じゃ低い評価がつくわけないくらい成果も出してるので、恐怖と呼ぶほどのレベルではないんだけれど。
今のところ自分は産まなくても十分幸せだっただろうなーと思う。
子供はすくすく育ち、5歳になった。
共働きで、メインの稼ぎ手は私であり、夫とは仕事家事育児のすべてを分担している。
それでもとにかく、いくら分担したところで、母親業ってやつに心が馴染まない。
「面倒くさ〜」「疲れるな〜」とか、そういう感情が先立つ。親であるデメリットを毎日感じる。とくに自分が体調不良の時は本当に勘弁してくれと思う。
自分のリソースをここまで削られることに対して、育児って狂ってんなーとしみじみ思う。
常に睡眠不足だし、外に出りゃ私たちがちゃんとした親かどうかを逐一社会がチェックしてくるし、保育園から持って帰ってきた体調不良は家全体に蔓延するし、お金はバカほどかかるし、家の中は汚されるし散らかるし、ずっと騒々しいし、何かやろうと思えば体感20秒ごとにストップが入る。自分のことをする時間は本当にゼロになる。育児の裏でなにかに集中できることなんてひとつもない。デメリットを挙げだしたらキリがない。
ときどき夫が子供を連れ出してくれる時だけ、久しぶりの趣味の感覚を取り戻そうとしてみたり、家をいつもよりきれいにしたり、読書したり、仕事に関する勉強をしたり、お菓子を焼いたり、お風呂にゆっくり入ったり、はたまた好きに出かけたりできる。
この時間が永遠に続けばいいのになぁ、子供がいない人は休みごとにこんな風に動けるのか、羨ましいなぁ…と思う。実際自分は独身・子なし夫婦時代を楽しく過ごした。
自由な日の終わりに子供が帰ってくると、あーあ…と思う。次は一体いつ自由な身になれるんだろうなと凹む。
仕事終わりに保育園に向かう時も、自転車を漕ぎながら「これからまた明日の始業までしんどいな…」と毎日思う。仕事の方が自分の計画で動けるのでストレスを感じずに済む。
ゆえに金曜日は気分が沈む。
「ああやってしまった、産むんじゃなかった。」という感覚がずっとある。もう産む前には戻れないことに対しても、最初の数年は発狂しそうだったけど、ある程度心の中で折り合いはついたと思うのに。
もう巻き戻せないんだからちゃんとやらねばと思って、できる限り子供に関わって、仕事も主体的にこなすことを心掛けながら、気を遣ってくれている夫と子供が理由で関係が悪くならないように努力しつつ、自分の体調も崩さないように気を付けて来たけど、もう本当にマジで疲れたな。
楽になりたい。
子供を持つことの良いところってなんだろう。
子供がかわいらしいこと、その子供に好かれていて駆け寄ってくること、パートナーは子供がいて幸せだと思っているらしいこと、社会的に子供がいるというステータスが「まとも」と見られる時もあること(とはいえ、子がいるという事実だけでまともと捉えるようなコミュニティに身を置くべきではないと私は考えている)、子持ちにしか縁のない場所に堂々と出入り出来ること、「子供を産めば良かった」という後悔をすることはなくなったこと、このぐらいか。
(ここに「自分が完全になった気になれた」「かけがえのない存在がいる」とかを一緒に挙げる人もいそうだが、それに関しては私は夫と結婚することですでに感じられていたので除外した。
同じように「子を産む」ことに付随する神秘めいた説明のつかない部分を体験できることに関しては、私がそれについて懐疑的なので除外した)
いや、これだけで頑張るには毎日キツすぎる。
それでもやりたいと思うならぜひやってみたらいいとおもうけど、全く他人にはお勧めできない。
特に、リミットを感じて周りにも子を産めと圧をかけられ迷いが生じている人には本当にお勧めできない。産んだら元には戻れない。
子供はいいよ、産みなよ、とか簡単に言う奴は、自分の苦しみを他人にも感じさせて分かち合える人間の母数を増やしたいのかな?とすら思う。
現状を知った上で産むかどうか選べるなら産まない。誰もこんなことしない方がいいとすら思う。
本当に何も知らなさすぎた。バカだったなと思う。
「こうなる」ことをもし全部知った状態で産む前に戻れるなら、子供が欲しいという夫を説得して、共働き子なしで一生余裕のある暮らしをしようと言ったと思う。それでも子どもが欲しいなら別れよう!と言ったと思う。別れたいわけではないけど、子供が欲しい夫に後悔が残るのはかわいそうだから。
不可逆な選択を間違えたので、もう粛々とやっていくしかないと思って、時間とお金を湯水のように消費して毎日育児している。
自分の時間が吸われ続けて、やりたかったことは出来ず、このまま老いていくんだなあ。
あ〜、人生もっと楽しみたかった。これが正解なんだとしたら狂ってる。
若く楽しい時間を犠牲にして、一つの命を「人間にする」行為をしている。楽しめる人もいると思うけど、私はそうではなかった。
もちろん2人目は産まない。
子供を産んだ自分が詳細に想像がつかないまま子供を持ったのは本当にバカだったなぁと思う。
「こんなことを言う母親で子供がかわいそう」と言われる声が自分の中から聞こえてくる。
いくら子供に関わって心を砕いて、自分の持てるリソースを殆ど全て明け渡しても、母親の内心がこんなふうなら「子供がかわいそうと言われてしまいそうだ」と考えてしまうぐらい、育児の現場には内心どう思うかすら自由がない。
後悔してますと大っぴらに言うことは出来ない。子供を傷付けたいわけでもないので、胸にしまっている。これからも現実ではそうし続けると思う。
若い子は半数以上が子供を持ちたくないらしい。賢い!そうした方がいい!と思う。
産む前には絶対戻れない。私は知らなかったから子供を持ったけど。
もう一度言いたい、産む前には絶対戻れないって。何もかも元に戻らない。
[ 追記1:養子はどう?というコメントに対するレス以外、増田はコメント返信していません ]
[ 追記2:
疲れ果ててろくに推敲もせず書いたものが人に読まれていろいろコメントまでついていて驚いた。
「子供の目に入ったらどうする」「子供がかわいくないのか」「こんなものを人の目の触れる場所に書くな」というコメントが散見されたけど、「日々なんとかやっていて、子供とちゃんと関わっている」と想像がつくであろう情報を添えてもこんな意見が返ってくることこそ、子を持ったからにはこうあるべきという強い思想があることを浮き彫りにしていると思う。
(おすすめしている人もいたけど『母親になって後悔してる』はすでに読んでいるので、ブックマークが伸び始めた時点で私のことを人非人扱いするだろう意見が出てくることは想像がついた。むしろ思ったより共感が多いなと思ったほど。)
そして「子供を持つことで、人生の選択ミスをしたと思っている」という意見が見えてきづらい理由もなんとなく分かった。
こんなことを書く人間はすでに心が疲れているので、余計なことを言って他人から責められるなら辛くても大丈夫なふりをしてやり過ごす方がまだマシだし、こうやって文章にすることで子供に対する罪悪感から自責の念を強めてしまって投稿しづらいんだろうな。
匿名のエントリでさえこんな反応が返ってくるなら、そりゃ誰も言わないし、書いて残したりしないだろう。
「昨今、『子育て疲れた』みたいな情報なんかいくらでも見かけるだろ」と言う人もいたが、少なくとも私は死ぬ方法をいくつかブックマークしておき、最悪こうすれば良いと思って日々をやり過ごすほど子を持ったことを後悔するとは思っていなかった。もともと子供が不得意というわけでもなく、苦手意識もなかった。自分の感じた絶望感が自分のしていた想像よりも深刻だった。(これはn1の話だから、逆のパターンも絶対にある。)
とはいえ、これは私の心にとっての事実であり、「表明する人が少なく、アクセスしづらい情報となっている」と思われるので、とりあえず消さずに置いておくことにした。
大した文章でもなんでもないんだけど、私は産む前に見ることが出来なかった情報だったので。
「自分の子供だけはやっぱり違う」とか、「人類がみんなやってきたことなんだから、あなたにも出来ないわけがない」とかだいたいそんなことを言われたし。もちろんそれは悪意があった言葉ではなく、その人にとっての事実だったんだとは思っているけど。
でも、私はあまりにも不可逆な選択で間違えてしまったと思っている。もう戻ることは絶対に出来ないので、毎日やり過ごしている。後悔している。疲れた。この投稿にそれ以上の意味はない。 ]
[ 追記3:
Twitterでいろいろとシェアされていることにたまたま気づいた。
こういう文章が引用した人間の持つ思想のお気持ち棒として振るわれるのは仕方ないことだが、引用した人の主張のバイアスがかかった状態で読まれて内容を勘違いされるのも本意ではないので、仕方なく補足として追記する。
あと、そもそもここまで読まれると想定して書いた文章ではないので、「自分の排泄物がやたらと批評されている」みたいな違和感があることも書いておく。
上記の文章は私にとっての事実であり、ただただ嘘のない気持ちを列挙したらこうなった。
とはいえ、いつまでも現状に文句たらたらでふてくされたまま人生を無為に過ごすつもりは全くない。
「母親になって後悔してる」と結びつけてシェアされたのが大きく伸びたせいか分からないが、私が今後一生ずっと子を持ったことを後悔し続け、後ろ向きに暮らす惨めで不幸な女だと決めつけてかかる人がいるが、それは違う。
(そもそも、同書に出てくる母親たちもそんな人ばかりではない。戻れるなら産まないというだけで、その人を幸福になれない人間と決めつけるのは早計だと思う。「母親になって後悔してる」の本の事例だと考えてシェアした人もそんなつもりは無いと思う。)
こんな生活になると想像しきれず、人生はめちゃくちゃになってしまった。戻れるなら私は産まない。今現在、後悔している。それは本当にそう。でも不幸とイコールでは無い。
私の子供はすでにそこに存在していて、それならば子供自身が思う自分の人生を送れるようにできる限り手助けしたいと思っている。
今現在、自分がこんな心境であるにしても、自分含め家族全員が幸せな人生を送れたら良いと思っている。
「誰もこんなしんどいことしない方がいい」とついつい思ってしまうとはいえ、私は反出生主義者ではない。どんな派閥も肯定する気はない。
他人にまったくおすすめできない行為ではあるし、後悔しているのも事実であるため、どうやら読む人によっては「この状態を不幸としない」ことに矛盾を感じるのかもしれない。
(※0か1かでしか考えられない人もいると思うので一応書いておくが、これは「だから子供を産んで後悔はしてるけど、やっぱり私は幸福です」と言っているわけでない。)
こんな人間はどうせ産まずともグダグダ言っているだろうという意見もまあ確かにそうだな、と思った。というか、それの何が悪いのか全く分からない。
子供を産まなかった別世界線の私が後悔したとして、子供を産めば良かったと後悔している、と表明することの何が悪いのか?
その時その時のその人にとっての真実を書いて、ネットの海に放流することはなんの罪もない。
いろんな人が好き勝手書いて、それをいろんな人が参照して、取捨選択に使えばいいと思う。
(人の言葉尻を捕えて揶揄することで主張をする人たちも、私からすればイラッとするが好きにするといいと思う。匿名ツールなんてそうやって使われるものだと思うし)
もはや自分で読むのも面倒臭いほど長文になってしまった。これ以上追記はしないので、あとは自由に解釈してもらえたらと思う。 ]
MKより
メディアはフメリニツキー市での脅威的な状況について話題にしている。弾薬庫で大規模な爆発があり、その中にはおそらく劣化ウランが入った砲弾も含まれていたと思われる。しかし、市当局はすべてが順調であると保証しています。フメリニツキー市長のアレクサンダー・セムチシンは、特別に招集された会見で、市内の状況は安定していると述べた。放射線測定により、フメリニツキー市の指標は最大許容レベルの2.5倍も低いことが記録されている。
市の長は、市の空気はきれいで化学物質による汚染はないと断言した。確かに、他の特別な研究が行われていないため、線量計が化学汚染物質の有無をどのように記録できるのかは不明です。そして、もし爆発した倉庫に危険なものが何も保管されていなかったとしたら、なぜ線量測定を行う必要があったのでしょうか?
ソーシャルネットワークでは、情報心理作戦センターが放射線に関するあらゆる話題からのコメントを積極的に削除し始めているにもかかわらず、地元住民はこのことについて非常に積極的で、多くの質問をしています。それでは、フメリニツキーの住民は何を心配しているのでしょうか?
フメリニツキーでの「ウラン入り砲弾」の爆発後、不可解なことが起こり始めた
共有
メディアはフメリニツキー市での脅威的な状況について話題にしている。弾薬庫で大規模な爆発があり、その中にはおそらく劣化ウランが入った砲弾も含まれていたと思われる。しかし、市当局はすべてが順調であると保証しています。フメリニツキー市長のアレクサンダー・セムチシンは、特別に招集された会見で、市内の状況は安定していると述べた。放射線測定により、フメリニツキー市の指標は最大許容レベルの2.5倍も低いことが記録されている。
市の長は、市の空気はきれいで化学物質による汚染はないと断言した。確かに、他の特別な研究が行われていないため、線量計が化学汚染物質の有無をどのように記録できるのかは不明です。そして、もし爆発した倉庫に危険なものが何も保管されていなかったとしたら、なぜ線量測定を行う必要があったのでしょうか?
iroparis.ru
Платья и комбинезоны IRO. 54 900 ₽
住民らは、記者会見でのセムチシン氏は暗記した文章をそのまま話しているかのように話したが、同時に強い嗄れ声を出しており、これは風邪と感染の初期段階の両方を示している可能性があると指摘した。
ソーシャルネットワークでは、情報心理作戦センターが放射線に関するあらゆる話題からのコメントを積極的に削除し始めているにもかかわらず、地元住民はこのことについて非常に積極的で、多くの質問をしています。それでは、フメリニツキーの住民は何を心配しているのでしょうか?
まず、市の水道の清掃という突然の組織化。第二に、市内の公共事業の過剰な活動は理解できません。「なぜ公共事業の作業員が窓の下で一日中機器の作業をしているのか、誰か説明してもらえますか?」- あるウクライナ人に尋ねます。「私も同じ質問があります」と別の人が付け加えた。第三に、倉庫での爆発の翌日の5月14日、サザンバグのフメリニツキー海岸に死んだ魚が投げ込まれたが、当局はこれについて説明しなかった。
同様に、なぜ都市から人々を避難させる必要があったのかも説明されていない。オデッサに連れて行かれたのは90人だけだった。おそらく最も価値のあるもの。しかし、なぜ彼らは追い出されたのでしょうか?残りの町民もまた、ゆっくりとフメリニツキーを別の方向に、自分たちで離れ始めた。しかし、その数はそれほど多くないようです。ほとんどの人は混乱しており、誰を信じればよいのかわからず、次に何が起こるかをただ待っているだけです。
「私たちは再び、すべてが順調で、危険なことは何も起こっていないと言われました。チェルノブイリが起こったときも、人々は何も知らされず、5月1日のデモに送られました。何も変わっていない」とウクライナ人女性は市コミュニティの投稿でコメントの中でチェルノブイリ原子力発電所の事故を回想した。
政治学者で経済学者のアレクサンダー・ドゥドチャク氏は、MKとの会話の中で、フメリニツキーの現状と4月26日のチェルノブイリ原子力発電所の第4出力装置の爆発による悲惨な結果を比較しながら、「これらは依然として全く異なる話だ」と指摘した。 1986年。
「その後、大惨事が起こり、国家は人々を救いたいという強い願望を持っていました。ここにはそのようなものは何もありません。彼らは自国民のことなど気にしていません。救いたい、避難したいという欲求は誰にもわかりません。
しかし、これが人々にどのような害を及ぼす可能性があるかを理解するのに専門家である必要はありません。粉塵があれば、たとえ少量の放射線でも体内に入り、重大な損傷、がん、その他の病気を引き起こす可能性があります。歴史は彼らに興味を持たないので、何も教えることができません。彼らには独自の歴史がある」と政治学者は結論づけた。
https://anond.hatelabo.jp/20230519002016
動物福祉関係者の意見を見ていると、競馬は他の動物産業に比べると動物に対する扱いが手厚いので意外と比較的好意的だったりする。
ただ、あくまで「比較的」に過ぎないので、動物実験や畜産が「地獄に堕ちろ」レベルだとしたら競馬は「死ね」レベルという程度で、もちろん基本的なスタンスとしては「競馬は動物虐待。さっさとやめろ」である。
かれらにとって動物虐待とは程度問題ではない。動物から搾取し、動物を害するすべての行為が絶対的な悪だ。
ヴィーガニズム、というとベジタリアンと同一視する人も多いが、こうしたいかなる形においても動物の利用を許されないとする立場を指す。
そういうわけなので、当然動物園にも反対するし、ペットを飼うことにも反対する。
いやいや、人間の管理下へ入ることが直ちに動物の不幸にはなんないでしょ? という人もいるかもしれない。
たしかに、人間の飼育下にいる動物はまともに飼われればだいたい野生より寿命は伸びる。餌も野生環境では考えられないほど質的にも量的にも安定して供給されるし、病気や怪我のときも治療してもらえる。天敵もいない。
しかし、室内で飼われるペットは多大なストレスに苛まされている。アメリカの一軒家レベルでも犬が本来ストレスフリーに動き回れる環境としては全然足りない。いわんや日本では(サラブレッドだけは飼育下でも広い原っぱで走り回れる例外的な存在だったりする)。
そもそも犬はちょっとヤバいレベルで遺伝子的にいじられている。耳や骨格が奇形レベルに変形した結果、その特有の病気を抱えている犬種も多い。
特にパグやフレンチブルドッグといった短頭種はすごい。頭がでかすぎるせいで出産時に母犬の産道を通れない。なので、出産時にはほぼ帝王切開になる。
人の手を借りないと出産すらできないわけ。そのへんはインブリードを繰り返した結果、ガラスの脚と喩えられるほど折れやすくなったサラブレッドとかもいっしょなんだけど。
ちなみに仮に人類が今すぐいなくなったら、パグみたいな犬種は滅んで、犬たちの多様性はどんどん先細っていき、交雑のすえに野犬やディンゴみたいな見た目に収束していくだろうと考えられているらしい。
つまり、なんだね、動物虐待といいだせば動物にまつわること全部虐待なわけ。
だから、矛盾を抱えているのは競馬関係者や競馬ファンだけじゃない。おれたちみんなそう。
ペット買ってなくても肉は食うだろう。
肉は食わない人でも化粧品は使うだろうし、病気にかかれば薬の世話になるだろう。
近年、教育に関連するニュースがネット上で話題を集めると、TwitterやYahooニュースのコメント欄には、自称・教員を名乗る人々が現れ、学校の教員が不足している、労働時間が長すぎる、部活動を廃止すべきだ、見回りやいじめの対応は教師の仕事ではないなど、さまざまな主張が飛び交う。
こうした議論を目にするたびに、俺は思う。
きみらが学生だった頃の先生は、残業してまで仕事に取り組み、部活動のサポートや問題児への対応、トラブルが生じたら謝罪に行き、いじめが発覚したら話を聞き、保護者からの苦情にも応え、あらゆることに取り組んでいたはずだ。
それこそが、きみらが今の自分たちに成長することができた理由ではないのか。
それなのに、自分たちの番になると、これは嫌だ、あれは嫌だ、こんなことは教師の仕事ではないと、わがままな意見ばかりいう。
現代の社会には、ゆとりの考え方が広まっていると言えるが、その中でも教育現場においては、考え方の変化が社会全体に与える影響は計り知れない。
もちろん、個人の意見や権利も尊重されるべきだ。だがその背後には、昔ながらの先生たちが持っていた献身と責任感があったことを忘れてはならないだろう。
教育は、社会を形成する基盤の一つであり、その土台が崩れれば、将来の社会も揺らぎかねない。
私たちは、ゆとり世代の教師たちが、自身の役割や責任を再確認し、昔の先生たちの姿勢に学ぶことが必要だと信じています。
私たち一人ひとりが、自分の立場や仕事に真摯に向き合い、社会全体の発展に貢献していくことが、より良い未来を築くための第一歩なのです。
男性から権利を与えられる形で、現代女性は昇進や生活エリアの徳をしている。
ここ10年、立場は入れ替わったのだから、今度は女性がよりマイノリティの人に自分の権利を明け渡すべき。
そうでないと、「女性に権力は与えられないな」となって時代は逆戻りしてしまう。
ノブレスオブリージュってそういうことでしょ。男の言う「女性の権利が可哀想!行き過ぎた人権だ」には「味方してくれてありがとう、でも今度は私たちが与える番」って言うべき。
そうじゃないと「男>女」の構図は変わらない。
お問いるジョージ-幼年時代の家への貢センターの"肉食無料と値の非暴力'
ジョージの最も有名なタレンズ. くことを期待もう 彼の幼年時代の家 とオーセンター"肉食無料と値の非暴力。"
"のうの国のハリソンを収録した初のソロアルバム'Wonderwall音楽が、日常生活とかけ離れたくベジタリアン,"ペタを書いた自分の サイト .
"ハリソン初のビートルズへのベジタリアンの後、多くのインド訪問、またたびに抱かれ、美徳の アヒムサ は、非暴力である中央三のインドの主要な宗教–ヒンドゥー教、仏教やジャイナ教,"書いたペタ副社長国際事務Poorva Joshipura.
"私たちは、かつ優しさを推進すべての生活を感じ人種を問わず、このャンするよう促す"という人が練習する非暴力の精進料理とハリソンされています。"
"ハリソンは言うにも跳ね返って肉を食べたの考えを殺害動物。 ...[I]tのない健全な自然になります。'"
して精進したのジョージの精神性. 顔と体重をしたに過ぎないのです。
DeepL
PETAは、ジョージの幼少期の家を「肉を使わない料理と非暴力の価値観」のトリビュートセンターにしようと考えていました。
ジョージは、最も有名なセレブリティ・ベジタリアンの一人となりました。そのため、PETAは彼の幼少期の家を買い取り、"肉を使わない食事と非暴力の価値観 "のためのトリビュートセンターにしたいと考えているほどです。
"このセンターは、ハリソンが最初のソロアルバム「ワンダーウォール・ミュージック」の一部を録音し、ベジタリアンになるきっかけを作った国を祝うことになる "とPETAはウェブサイトに書いています。
「ハリソンは、インドを何度も訪れた後、ビートルズのメンバーとして初めてベジタリアンになり、インドの3大宗教であるヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教の中心であるアヒムサ(非暴力)の美徳を学び、受け入れました」と、PETAの国際問題担当副社長Poorva Joshipuraは書いています。
「そして、このトリビュートセンターは、より多くの人々に非暴力を実践してもらい、ハリソンが愛したベジタリアン料理を楽しんでもらうことになるでしょう。
"ハリソンはかつて、「肉を食べることに嫌悪感を抱いたのは、動物を殺すという発想だった。...(中略)健康的でもなく、自然なことでもない」。
>私たちはたいてい生まれたときに「性別(sex)」を割り当てられます。これは外性器で区分けされ、ぞんざいに言ってしまえば「“ちんちん”がついているか」で判断しているだけのものです。これは単にわかりやすいからそうする…社会・文化的慣習というだけの話です。
https://twitter.com/cinemandrake/status/1658231028459134979
いやいや、sexは外性器だけによって決まっているわけじゃないで…
臓器もホルモンも体格も筋力も違ってくるんや
医学的な基本中の基本がトンデモで、トランスジェンダリズムは危ういってことを自分で証明しとるやんか
もうさ、
大声で叫びたいんだけど!ってぐらいなんか本当に内緒で隣の会社のことのオーリョーの件調べてんだけど、
でね、
その隣の会社の人たちはそんなこと調べているなんて、
本当に陰で動いているってーかおっかいないわ。
いろいろと調べて尻尾つかんでいついつまでには決着を付ける!みたいなもうおっかないだけど。
なので
まあこれ全部嘘だけど!って言っておけばノンフィクションになるから、
嘘よ嘘!
あーもう!って感じね。
そんでね、
やっぱりあれはあれで私たちがログインしても90日ぐらいの情報しか遡れないけど、
運送会社の中の人は一昨年ぐらいまでは普通にいろいろと伝えたら情報が教えてくれて、
マジでこれ叩けば埃が出るって、
勘の良いお局がこのリストの指示で私がエクセルをエクセレントに使って抽出した行にみごとビンゴ!
お局の勘は当たっていたのよ。
だから恐ろしいわ。
おっかいおっかない。
あれってさ犯人を白!か黒!って言うときの刑事ドラマってあるじゃない、
どっちが犯人の色なの?
白?黒?
というか私は最初からどっちがどっちか分からないままイキフンで使っていたことを白状するわ!
だからさ
その手書き伝票が超絶怪しいのよね。
おっかないおっかない。
もうさ
話せないことがたくさんあって、
穴があったら本当に王様の耳はロバの耳!!!山脈に向かってヤッホー!って叫びたいわ!
重いわ!
重いコンダラ!だわ。
そんでね、
私もこれ気分重いまま過ごすのも嫌じゃない!
事務所でシーディーをかけてみたいと思うわ。
まさかサンバが流しているやつが陰でなにか調べてるとは思わないでしょ?
あーはやく開放されたいわ。
うふふ。
ホッツ緑茶ウォーラーは水筒に詰めていくやつをちょっといただきつつも
なくなったので、
今夜こそは仕込んでまたたくさん飲めるようにしておかないとね。
なんかソワソワして腰が落ち着かないわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「NHKのクレイアニメ『ニャッキ!』で青虫のニャッキが巨大化する回に興奮をおぼえる人間が存在する」というのを風の噂で聞いた。
当初は「またまた、ご冗談を」というのが私の感想だった。千差万別、八百万のフェチが幅を利かせているこの現代社会においても、教育番組の中の粘土でできた青虫に、ましてやそれが巨大化するさまに興奮する人間など一人もいないと思っていたのだ。
だが、いた。しかも一人でなく、掲示板で、SNSで、まばらにではあるがニャッキの巨大化に興奮する旨の書き込みがいくつも見られた。さらには、「分からないと思っていたが段々わかってきた」「そんな気がしてきた」と非ニャッキ巨大化回興奮者がニャッキ巨大化回興奮者に転化する過程のグラデーションのような書き込みまでもが散見された。
つまり、ニャッキの巨大化に興奮するというフェチは先天性のものだけではないということだ。転機さえあれば、人は後天的にニャッキ巨大化フェチを獲得することができる。
そう思うと俄然知りたくなった。人はいかにしてニャッキの巨大化に興奮するに至るのだろうか。
私はこの好奇心に取り憑かれてニャッキの巨大化回をとにかく見た。いっぱい見た。そのうちに、「もしかしたらこういうことかもしれない」という仮説をいくつか得ることができた。
今日は読者の中にもきっと存在しているであろうニャッキ巨大化回興奮者に向けてこの文章を書く。
仮説を順に挙げていくので、「これこれ!」と思うものがあれば教えてほしい。私はあなたたちのことが知りたいのだ。
ニャッキ!はクレイアニメなので、巨大化するときのアニメーションはニャッキの体に順に粘土を継ぎ足していくことで表現する。
それをアニメーションで追ってみると、ムクムクムク……というか、モリモリモリ……というか、ちょうど映画AKIRAで鉄雄の身体が膨張していくシーンのような絶妙に生々しい動きになるのだ。
この動きは確かに言いようもない刺激を私たちの心に与えてくれる気がする。もしかして、これに興奮しているのだろうか。
ニャッキはただの青虫である。お弁当代わりの実をかじり、這いずりながら暮らしてきた。それ以外の事象に対しては、虫一倍に鈍感であった。
そんなニャッキが「?」「?」としきりに疑問符を浮かべながら膨張していくのには、いわゆる無知シチュのような趣がある。自分の体がどうなっているか分からない、持ち主ですら把握できない変化が身体にどんどん起きていく、というシチュエーションは相応にフェティッシュなことなのではないだろうか。だとすればこれがトリガーである可能性もある。
破壊にフェチをおぼえる人間もいるだろう。ニャッキは身体の膨張のままにビルを圧し潰し、観覧車を見れば楽しそうに転がし、東京タワーが身体に刺さるとムッとして尾でぺちゃんこにする。
この、人間にとって取り返しのつかないことが上位存在によって無邪気に引き起こされるというシチュエーションも、それはそれで興奮に値する気がしてきた。あるいは、2.で挙げた無知要素との組み合わせで興奮しているニャッキ巨大化回興奮者の存在も考えられるだろう。この説は結構有力かもしれない。
はち切れそうな何か、というのはそれだけでフェチズムを刺激することがある。
ニャッキは作中で太陽を呑み込み、内から発光しながら膨張していって最後には爆発する。このパツパツになっていくニャッキに興奮しているパツパツニャッキ興奮勢も中にはきっといるに違いない。
ということで、最果てのアキネイターみたいになりながら質問形式で4つほど仮説を挙げてみたが、いかがだっただろうか。ニャッキの巨大化に興奮する諸兄の琴線に少しでも触れるものがあったならありがたい。
そして、もしなければ是非「こういうことだ」というのを教えてほしい。私はあなたたちのことが知りたい。ただ、知りたいだけなのだ。
プラレールを買ったら、母にちゃっちくなったね、30代の私たちの子ども時代はもっと高かったけど、しっかりしていたよと言われたらばかり。多分、汎用性を優先してちゃっちくなったものも多い。
なんか作者を勘違いしてるし(松本清張ってw)、お前読んでねーだろっていう浅いものができあがったぞ
佐賀のがばいばあちゃんは、松本清張によって書かれた日本の小説です。この作品は、私たちに家族の絆や地域の絆の大切さを教えてくれます。
物語は、主人公の祖母であるがばいばあちゃんの生活を中心に展開しています。彼女は頑固で自立心が強く、佐賀の地で一人で農作業や家事をこなしながら生きています。彼女の生き様は非常に力強く、その姿勢には感動を覚えます。がばいばあちゃんは、自分の生き方に誇りを持ち、家族や地域とのつながりを大切にしています。
この小説では、がばいばあちゃんを通じて、家族や地域の絆の重要性が描かれています。彼女は孤独ではありません。周囲の人々との交流や支えがあることで、自分の存在意義を感じています。このことから、人々が互いに支え合い、絆を築くことが大切だというメッセージが伝わってきます。
松本清張は、細やかな描写力を持ちながらも、物語をスムーズに進めていく巧みな筆致を持っています。彼の文章は読みやすく、物語に没入することができました。また、がばいばあちゃんの言葉や行動からは、彼女の人間性や生き様が鮮明に描かれています。
この作品を通じて、私は家族や地域の大切さを再認識しました。がばいばあちゃんの強さと生きる意味を感じながら、私も周囲の人々とのつながりを大切にしようと思いました。また、がばいばあちゃんの生き様からは、年齢や環境にとらわれずに自分らしく生きることの重要性も教えられました。
佐賀のがばいばあちゃんは、地味ながらも深い人間の情感や絆を描いた作品です。私はこの物語を通じて、家族や地域の絆を再評価し、生きる意味を考える機会を得ることができました。
https://anond.hatelabo.jp/20230516104554
・話し合いしろ
・言葉にして伝えろ
・察してちゃんをやめろ
…とか、だいたいこんな感じだけどさ、
「1〜10まで言語化してルール化して伝えない分かってもらえないのか…」って失望だと思うんだよね。
私たち、そこまで分かり合えていない(想いあえていない)んですねっていう体験を積み重ねた絶望というか。
↑
これ、ぜ〜んぶ手取り足取り説明して段階一緒に踏まないと円滑に過ごせないのって、周りは超しんどいよ。
しかもたいていは、何度全部説明しても自主的に1と2をやってくれずに行き当たりばったりで 3.行動 しちゃうわけだしね。
先日何気に夫に
「10年後の私たちってなにしてるんだろうね〜!あんな大きなお家に住めているかなぁ!キャッキャ」
みたいな話を振ると、
と言われた。
これは私がこれまで避けてきて、かつ話題の出し方もわからなくなっていた問題である。
というのも、
もう夫のアレの形も大きさも全く思い出せないくらいには時間が経ってしまった。
健全な30代半ばなので、当然性欲はある。
けど、できない。もうできないのだ。
多分それは夫も同じで、だからこそもう何年も子供のことを話題にしていなかったし
もう子供は諦めていたし
そもそもあまり子供が好きでないのでそれはそれでいいかと思っていた。
子が欲しければ、セックスをせねばならぬ。
夫はなぜこんなことを言ったのだろう。
する勇気があるのだろうか・・
その場は茶化してしまったが、
本当はちゃんと向き合わねばならないこともわかっている。
向き合わずに夫と一生添い遂げることも無理だとわかっている。
そして夫が子を望むならば、乗り越えなければならない問題であることもわかっている。
5年空いた空白を埋める方法ってあるのだろうか?
こちとらなにもキッカケなく、
まあわざわざしなくてもいいかという毎日が積み重なってここまできている。
もう今更恥ずかしくてとてもできないできないできないできない
恥ずかしいよぉぉぉ
ーーーーー
今出たのは、
・濡れなければローション