はてなキーワード: 戦争状態とは
あらすじ:ムーア(妖精の王国)とアルステッド(人間の王国)が なんやかやあって戦争状態に突入、最後は仲直りしてめでたしめでたし。
悪いことは全部アルステッドの女王イングレス(アベンジャーズシリーズで先代ワスプを演じたミシェルファイファー)の陰謀なのです。
夫(アルステッドのジョン王)を傷害し、それをマレフィセント(元ララクロフト)のせいにしたり。手下も脅したりだましたりで戦争にもっていくのね。
けっこう激しい戦争になって、モブがいっぱいターミネイトされるのですが※、
「全て女王(元キャットウーマン/セリーナカイル)が悪かった」ということが白日の下に晒され、オーロラ(ムーア所属)、フィリップ王子(アルステッド王国所属)たちが皆を説得し戦争は終わります。
で、両陣営のモブたち、めっちゃ仲良くなる。おたがい助け合ったり手を差し伸べあったり。
いやいやいや
「人が死んでんねんで」(モブ妖精ズも、死ぬに等しい消滅させられる。大量に。)
騙されていたとはいえ、復讐心捨ててそんなにあっさり赦せるの?<ココ
女王の手下で悪事を働いていた人物が改心してマレフィセントにアドバイスしたりする。けど突然すぎて「キミ改心するきっかけ何?CM中になんかあった?」
悪事が露見した女王の処遇、シシオ並みの悪人なので普通のドラマだと死ぬしかないわけですが、本作品なりのうまい落としどころだと思いましたね。納得は行きませんけど。
※
後日、続編に出たり、キャラグッズになりそうなレベルの登場人物は死にません。女王が死なないのも今後ヴィランズに出演したり、かばんにプリントされたりする予定があるのでしょう。
無理でしょ
現代戦はクラウゼヴィッツの戦争論と孫子の兵法が思想的ベースになっていて、ここへ航空戦力を追加した形になっているのよ
これら2大戦術書の戦争の結論は「戦争とは外交手段の1つである」というもの
つまり対話外交と戦争は別個のものじゃなくて境目が曖昧なグラデーションの地続きだという解釈になっている
この結論の恐ろしいところは、この結論を採用しているのは日本だけじゃないということなんだよね
軍事力を抱くすべての国々がこの結論を支持していると言っても過言じゃない
日本がいくら対話外交を叫んだところで他国はグラデーションなので「気付けば事実上の戦争状態」ということになるわけですよ
マジでその考えが通用するなら運輸業界は採用しているだろうし、ググったらすぐ出てきたけれど確かに運輸業界は憲法改悪に反対していて対話外交へすべての信頼を寄せていないようだ
明日は仕事休みますってなって1日休むと翌朝にはほぼ回復する。
時系列で書くと
1日目:軽微な喉の痛み
2日目:全身症状に広がる
3日目:発熱がありひたすら寝る。だいたい、回復期の最後には大汗をかく。
4日目:熱は引いて仕事に行ける。せき・鼻水・のどの痛みは多少残る。
という感じ。
3日目が2日続くこともある。
1日目:原因ウイルスが喉で繁殖開始。免疫系はまだ反応できず。
2日目:ウイルスの活動が活発化して全身に及ぶが、免疫系はまだ準備不完全。
3日目:免疫系がついに活動を開始し、体温を上げて免疫系有利にして体内は戦争状態。
免疫系の勝利がほぼ確定すると、発汗して体温を平熱まで下げる。
4日目:免疫系は残敵掃討に移行。
ということが起きている気がして、
それも今みたいな弱者でも使用方法さえ教え込まれれば誰でも使える重火器が主流の近現代戦じゃなくて刀剣や弓矢が中心だった古代や中世の戦争!!
血湧き肉踊り骨を削りあう骨肉の戦い!!!
自慢じゃないけど俺は学生時代から兄貴以外には喧嘩で負けたことがない。
昔から「俺はなんでこんなに喧嘩強いんだ?」って思ってたくらい強い。
たぶん動体視力が優れてるから攻撃を避けるのが上手いのと顔や股といった人間の急所を攻撃することに躊躇するリミッターが存在しないことに俺の強みがあるんだと思う。
俺は学校の勉強は全然ダメだった。まずずっと座ってられないんだよね。
すぐ文房具で遊んだり落書きしたり足でリズム刻んだりして集中できなくなる。
あとすぐ眠くなる。高校時代なんて誇張じゃなく殆ど寝てたと思う。
だから今は学もないのでそれなりの仕事に甘んじるしかない虚しい人生。
でもこんな俺でも一度国が戦争状態に陥れば活躍できるし重宝されるはずなんだ。
だって俺喧嘩強いから。真面目にいざとなったら上司と同僚全員と乱闘しても勝つ自信あるわ。
小学生4年の時に既に自力でハイキックとバク転を習得した程の運動神経は健在だから。
問題は重火器主流の近現代戦では俺の得意の近接戦闘の出番が少ないっていうとこ。
だから俺は核禁止条約どころか重火器禁止条約が必要だと思ってる。
今の戦争は高度化し過ぎて、如何に楽に殺戮でききるかを前提とした非人道的な兵器がどんどん開発されてる。これは絶対に間違ってる。
男の闘いとは鍛え上げた肉体を元手に刀剣で切り結ぶ死線のことを指す。
ヒョロガリ陰キャ達が互いに照準を重ねて引き金を引くだけのおままごとは断じて男の闘いではない。そういうのはFPSでもやってればいい。
俺はこの肉体を持て余している。仕事なんて辞めて闘い続ける戦士になりたい。でも重火器戦闘は男の戦いにあらず。
悩ましいぜ。
某キャラクターカフェの予約が戦争状態なので、自分のスキルをお金にしようと思い
Twitterで1席500円で予約代行を募ったところ、DMでめちゃくちゃ叩かれました。
受け取ったメッセージの中で一番多かったのが、
「明確な違反です!」「お金を取るのはだめです!」だったのですが、
また、予約代行でお金をいただくのがアウトなら、
予約を取るための時間や技術を、お金を払って肩代わりしてもらうことができなくなるので、
世の中にあるレストラン・ホテル等の予約代行業は軒並みアウトだと思っています。
予約システムのREST APIにPOSTリクエストを2発投げるだけなので、
DMで怒ってきた人に「明確に違反しているということなので、どの点が何に違反しているのか教えてほしい」
ときいても、「常識的に考えたらわかるでしょう!」「真面目に予約を取ろうとしている人に失礼です!」
といった感じで、明確な答えを出してくれる人は一人もおらず、
どうしても「お前のやってることが気に食わないから潰す」
と言っているようにしか思えませんでした。
Twitterで「代行費」で検索すると、普通に代行費をとって何かしらの
グッズ・チケットの購入を代行している方が山程いるのですが、
周りの人を総動員して予約を手伝ってもらっていて、
それと何が違うのかよくわからなくなりました。
単にお気持ちヤクザさんに怒られたのか、明確に何かに違反しているのかわからずもやもやしているので、
昨日おとといと増田もはてブも落ちていて、今日見てみたらむちゃくちゃびっくりしました。
読んでいただき本当にありがとうございます。
普段増田に書いてもブコメ0トラバ0だったこともあり、やけくそで多少盛った自己紹介をしたことは謹んでお詫び申し上げます。
以下追記です。
本当にそうですね…。
予約したい人の名義で予約をとるつもりだったので、譲渡に当たらないと端から思い込んでいたのですが、
ご指摘の通り、譲渡に当たるかどうかは運営会社が決めることですし、ルールに違反してまで強行する気は毛頭ないです。
というか、もう仮に許可がもらえたとしても「運営は許しても僕は私はお前を許さない」系の
こちらの理解が及ばない人にめっちゃ叩かれるのが目に見えてるので手を出す気が失せました…。
答えは知りたいので、運営会社には次の内容で問い合わせました。現在返事待ちです。
DMで叩いてきた方も別の人に予約を依頼しているパターンが多かったので、代行がアウトになってしまうと自分達に都合が悪くなるから
二次創作するときの「公式に許可を取りに行くな、グレーゾーンのままにしておけ」って話と似てますね。
これは想像力が足りていませんでした…!勉強になりました。ありがとうございます。
レストランについては、某旅行会社に海外のレストランを予約してもらったときに
「電話がつながるところならどこでも代行できますよ~」と言われたので、
特に縛りがないのかなと思いました。国内はわからないですが…。
実際には、ログイン等のユーザーの認証認可が必要な行為なしで、誰でもアクセスできるformに予約情報を投げる動きになるため、
以下ページのいずれにも該当しないと思っています。
月5000円位の儲けにしかならない程度を想定していたので、さすがに納税までは考えていませんでした。
20万円超えたら確定申告しますが、冒頭で述べたとおりもう手を出す気が失せました。
どこかの頭のいい17歳女子高生がこういう需要をすくい上げた上でみんなが幸せになれるようなビジネスモデルを考えてくれればな~
株式取引(至上主義)+いざとなったら売買禁止(独裁主義)はバブルの統制できて民主主義よりも強くて優秀だな、みたいなコメント及び意見があったんでメモ代わりに書く。
話題に出てくる「いざという時には売買できない株(資産)」ってのは流動性にも信頼性にも問題があるわけだから、本来持っているポテンシャルの値段よりも低い価値のものとして売買せざるを得ない。極端な話「どんなに値段が上がってもその気になったら当局に没収されちゃう資産」って言う意味では、価値に上限があると言い換えてもいい。
信用経済っていう語の信用って言う部分は、こんなところの信用にもかかってると思われ。つまり、「いざとなったら売買禁止」ってのはそこまで有用でも万能でもない手段で、やればやるほど中国経済を毀損しているといっても過言じゃない。もちろん一方で、そうであっても売買禁止しないと暴落のストップかからないんで背に腹は代えられないでやってるってのもあるとは思うけれど。
閉塞感(閉塞してるとは限らない)が国に蔓延すると強いリーダー(強い政府)が望まれるってのは理解できるけれど、とにかくあれは、そんな憧れたり褒めたりするような話じゃないよ。
余談だけど、ロシアがたとえ戦争状態になった相手国に対してもパイプラインのガスを止めないのは、それやっちゃうと信用崩壊して結局自分が損するから――って理解でいいのかね。多分そうだと思うんだけど。
肉屋を襲う過激派のニュースのせいで勘違いしてる奴がいると思うんだが、ビーガンはそもそも過激派でなんでもないからな。
ビーガンは頭おかしい滅ぼせって言ってる奴らは、イスラム教徒は全員テロリストだ滅ぼせって言ってるのと変わらないからな。
欧州じゃ人口的にも数%はいて、お前らがやってるのは、「ユダヤ教の教義ヤバイ、全員改宗か殲滅しなきゃ」ってのと同等。こっち来てビーガン滅ぼせ表明したら逆にナチスレベルの過激派扱いされても不思議じゃない。
ヨーロッパの大学の学食じゃ必ずビーガン向けメニューが提供されてるし、若い人にはかなり浸透してきている思想だ。(ビーガンと書かれた食べ物は必ずしもビーガンだけが食べるわけではなくて、欧州では肉を食べる量を減らそうと考える人は多い)
典型的な批判で動物を食べるなら植物を食べるのもおかしいってのがあるんだが、そういうのはあくまで線引きの問題で、「自分と近い命をどこまで尊重するか」という話に帰結される。歴史をたどればほんの少し前まで白人と有色人種の間に線を引く人間もいたし、戦争状態ともなれば自国民とそれ以外の間に線ができかける。
それにしてもビーガンは極端に思えるだろうが、伝統的にも欧州で言えば修道士、日本で言えば厳格な僧侶は実践すべきと教えられてきたことだ(実際はよく破ってたんだが、それは現代のビーガンにもいえるかもしれない)。歴史的にも何一つおかしい話じゃない。(ビーガン滅ぼせって言ってる奴らはもう一度比叡山でも焼くんだろうか?)
肉食わないと生きてけないみたいに言う人間もいるがビーガンよりマイルドなベジタリアンは卵とか乳製品食えるから栄養的には問題ないし、ビーガンも大豆由来のタンパク質なら食い放題、タンパク質の加工技術が上がってビーガン向けの肉料理もどき加工食品もラインナップが充実したことで、栄養学的にも健康に実践できるようになった生き方なんだよ。(多少平均寿命が縮むかもしれんが、こっちは肉の食い過ぎで太り過ぎてる人も多いのでなんともいえない。)植物由来でタンパク質をとれることを知らないレベルの議論してる人間がビーガンの栄養認識馬鹿にするとかどんな地獄なんだか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/newsphere.jp/national/20181019-2/
このブクマは偏見に満ちてるが、犬だって肉食性ではなく人間と同じ雑食性だと記事で説明されてるし(実際日本では犬に肉由来のペットフード食わせるようになったのは最近の話。)、動物愛護の観点っていうのは「現状ビーガンのドッグフードが栄養が足りていないor高価であり保護されるような貧しい犬に行き渡らないという」極めて論理的でまっとうな指摘であって、お前らが表明してるような「犬が肉食えないのかわいそう」みたいなそれこそ人間視点の見方じゃないわけ。
あと肉の生産に関する議論を補足すると、肉の生産には飼料コストがかなりかかっていて、地域によっては食料よりも飼料生産が優先されるせいでそこの貧困層の人間が飢えているって指摘があるわけ(実際肉の生産止めたところでそいつらに食料がまわるかは知らんけど)。実際ペットフードの生産地で餓死者が出てるんだとしたら、動物殺すのも植物殺すのも変わらんお前ら風に言うと、お前らの犬は途上国の貧困層の人間食い殺してるのも変わらんってことになるな。
ちなみに自分はビーガンじゃないし、欧州じゃ価格が安いのをいいことに毎日肉食ってるけど、自分がユダヤ人でも黒人でも朝鮮人でもないから差別してる奴らを無視するっていうのは違うと思うから怒りの増田を書かせてもらった。
追記:誤読している人がいるようだが、普通のビーガンは肉屋を襲わない。お前らの見てた海外ニュースには肉屋を襲う過激派をビーガンと呼ぶって書いてあった?度々引き合いに出してイスラム教徒にはすまないが、それは9.11の直後に「テロリスト=イスラム原理主義者」って誤解を広めたメディアがいたのと似たような問題。最近だと一部メディアの「インセル」の使い方もそうか。それにしてもいつもはマスコミ不信決めこんでるのに、何かを悪く言うレッテルのときだけは簡単に信じて扇動される層よくない。
もっといえば普通のビーガンは鬱陶しい街頭活動もしない。まあそれは言論の自由だけど。肉食について過剰に批判する層は表現規制フェミと一緒で一部の過激派という認識でよろしい。
ブコメに少し返信
ketudan
統計は知らんが欧州では明らかに多い。出羽守という指摘は正しい。
「我が国の事情も知らない物知らずが説教するな」っていうのは、ミャンマーやサウジアラビアや中国も弾圧する側は同じようなこと思ってるだろうね。実際のところほとんどの人はそのあたりの国の歴史的背景について詳しくないでしょ?
mori99
ビタミン剤が健康によくないという考えは、味の素が健康によくないというデマに近接するところにあるんだが、逆にそう思ってるエセ科学層とビーガンが被るところもあってそのタイプの人間が無知なまま子供育てると虐待まがいの結果を招くということはあるので難しい問題だとは思う。
verda
一応主語ははてブではなくて偏見のはずなんだが。はてブを場所ととるか人の集合ととるか。人の集合にしても思想が統一されてないのが当たり前だしなあ。タイトルで煽らないと人が釣れないと思ってたところは残念ながらある。
maguro1111
犬の幸せを特別視する思想いいと思う。やっぱり恣意的な線引きの問題ではある。犬は歴史的にも人にとって特別といえると思う。対立はいいと思う。非難されるべき偏見と無理解。あと自由主義を前提とすれば他人の自由を奪う押し付けもよくないとはいえる。そういう意味で嫌われるビーガンがたくさんいるのは知ってるが、おかしいのは押し付けあるいは個人の自由を軽んじる姿勢であって肉を食べない思想じゃない。犬が肉を食べる自由は、その犬の飼い主の自由なのか犬自身の権利なのかという議論はあるだろう。
ブコメやトラバで勘違いしている人が多いが、マルちゃん陣営と日清陣営の類似商品ですら、戦争状態になっていない。
少なくとも審判者(消費者)である我々の間では、激しい武力衝突は確認されていない。
例えば赤いきつねVSどん兵衛きつねうどんを考えてみよう。はっきり言って味に大差がないのでは?
なので、審判者たる我々は特にこだわりなく、その時安かった方、店にあった方を買う人が多いはずだ。
稀にブランドに愛着がある人がいて小競り合いを起こす程度。派閥性に乏しいのである。
増田の本来の主旨である、同社内のうどん-そば間の戦争についても同様だ。
赤いきつねが食べたい気分のときもあれば、緑のたぬき気分のときもある。
よってこれらも競合していない。うどんかそば、どちらかが嫌いという人も比較的少ない印象だ。
帰化したのに、何故か民族の誇りと称して反日行為に勤しむ国会議員や在日2世・3世が居るが、こんなのは放置してはいけない。最早五族共和を目指した戦前ではなく、大戦により各国が独立の契機としたのは、民族自決、日本で言うならば日本民族であって、韓国朝鮮人・中国人は含まない。移民国家米国と異なり、日本の地で生まれてもそれは変わらない。嫌なら自分の民族国家へ帰るのが、民族自決主義の本旨。ヘイトではない。米国ではグリーンカードを貰う時に聖書に手を置いて米国に忠誠を宣誓する。日本国籍を付与する時はどうか。指紋押捺を免除するのは言語道断、再開すべきだし、大使を帰任させている戦争状態一歩手前の韓国や国交のない北朝鮮に遠慮することはない。入国にはビザを必要とし、入国拒否乱発でも可。沖縄の基地反対は中韓人ばかりというようなことを招かない様、断固として本国送還すべし。
https://monitor.gov-online.go.jp/report/kokusei201604201703/detail.php?id=1377351
敵:ゼントラーディという宇宙人。戦闘しか知らない民族。偶発的に地球と接触して戦争状態になる。
マクロス7
敵:プロトデビルンという宇宙生物。スピリチアというエネルギーを欲している。地球人はスピリチアを生み出せるので狙われる。
マクロスF
敵:バジュラという宇宙生物。変な奴らに操られて地球人を襲う。
マクロス⊿
敵:ウィンダミア人という宇宙人。地球との不平等条約に反発して独立戦争を仕掛けてくる。
敵:ジオンという宇宙コロニー。地球からの独立を宣言して戦争を仕掛けてくる。
敵:ティターンズという地球連邦の組織。ジオンの残党狩りを主導して横暴の限りをつくす。
ガンダムZZ
敵:ネオジオン。ジオンの残党。ジオン再興を目指して戦争を仕掛けてくる。
敵:ザンスカール帝国。新興宗教を母体とする。地球連邦からの独立、思想に基づく秩序の再構築などを目指して戦争を仕掛けてくる。
敵:ムーンレィス。地球が住めなくなったのでいったん月に避難してまた地球に戻ってこようとしている。特に強硬派が地球を侵略してくる。
前に分類した以下のような感情は「期待」から生まれるのでは?という考察
また、他人の期待を多く見、理解する過程で、自分の中で「こう期待されるだろう」という推測データが作り上げられる。
その推測データを素に自分が他人からどう期待されているかを推察するようになる。
期待の推察が過剰になると被害妄想に発展する。
「疎外感」「無力感」は、「罪悪感」のうちの一種類としてカウントできる。
「不満」は、相手に「罪悪感」を抱かせる働きを取る。
その罪悪感は誰のどんな期待によって生まれたのか
ガッカリさせ、失望させ、イライラさせ、不快にさせ、不満にさせたとしても
そのことに罪の意識を感じる必要が自分にあるのか?を考えるのもいい。
罪の意識を感じさせようとしてくるのは、コントロールしてこようとしてくることと同義です。
だったらそこをいちいち気にするのは徒労じゃないの?
そもそもそれが自分の望みでないなら、同一視するべきじゃないのでは?
罪の意識を感じさせれるような自分の姿…「こうあるべき」姿と食い違う自分。
それを変えることが本当に自分の望みなの?
それをよく考えることだ。
「なぜ鬱になるか?」
「なぜ罪悪感を感じるか?」
「行動の結果背負う責任とはなに?」
「自分が引き起こした結果を受けて、それが自分の起こした行動の結果だという自覚を持った上で、次の行動につなげていくこと」
「どうすれば次の行動につなげていける?」
「罪悪感(鬱)に足を取られてそもそも対処できなくなる状態を避ける」
「どうすれば罪悪感とうまく付き合える?」
「罪悪感は"こうあるべき/こうあるべきでない"という期待、定義から生まれる。定義に即しているのが常で、反すれば異常。この期待度には大小がある。例えば、こうあるべきでないという期待のうち、規模の大きいもので言えば無差別殺人を犯すとか、強姦、強盗とか。小さいもので言えばTPOを無視した服を着るとか、言葉遣いの乱れ、電車内での通話とか。小さいものまで目を皿のようにして"禁止されている"ように感じるから、それが(自分には許容範囲でも)誰かにとっては許されないものなのではないかと想像して、なんでもかんでも不安になり、行動をためらう……で、規模の小さい禁止行為(と思い込んでいる行動)の受け止め方が、自分の中で変わっていけば、それが罪悪感とのうまい付き合い方になる。と思う。」
「それはどんな変化?」
「それをすることで、誰かが不快に思うだろう、だからやってはいけない。やるべきではないだろう。でも、自分はやってみたい。だったらやってみよう。こんな変化。」
「実際に誰かに不快に思われて、"やめろ"と言われたらどうする?」
「それは、自分のやりたい行為と、相手のこうあるべきという行為が相反している状態。一種の戦争状態。強行して自分を貫いて勝ちを得るとか、降伏して相手の意を汲みすっぱり諦めるとか、色々戦略が考えられる。自分のやりたい行為を続けたいのであれば、相手と向き合う必要がある。強引で暴力的な状況ではなく、交渉状態に移行できるといいと思う。」
「自分の中ではこのように納得しているので、それを実行している、という相手に提示できる自己説明を提示できればいいと思う。そうしたらそれを受けて相手のそれに納得できない理由を聞き出せる。それに対して自分も相手の納得できない部分に交渉を返せる。どうなら納得できるかって視点に切り替えられれば、その繰り返しで妥協点が見つかると思う。」
「集団は、個人で構成された組織。組織は、ある機能をもたせることを目的に存在している。機能を大きく損なうのを防ぐためのものが"ルール"。その集団がどんな機能のために存在しているのか?損なうとしたらどう損なわれるのか?どこまでなら損なわれても問題ないのか?とかを考えて動いて、融通がきかないんだったらその組織を離れて別の方法を試すよう方向転換すればいいと思う。」
あくまでも集団の一部ではなく個人として生きているという自覚があれば
集団の雰囲気や不文律や古いしきたりや多数決の結果や場の空気みたいなアレに振り回されなくてすむんじゃないのか
という期待
交渉とか高度なこと求めるのこそ酷では?
どうせ机上の空論!
嫌になってきたところで寝てリセット
最近よく考える事がある。
世のサービスの殆どはPCが用いられているが独自システムに独自ネット回線というものは限られている。20年前はオタクだけのものだったワールドワイドウェブは既に子供から老人までが日常的に使うものになっている。つい数年前までネットを敵視していたテレビやラジオでもネットを積極的に取り入れるようになった。
ところが、である。日本のネット上のサービスの多くは日本企業によるものではない。AmazonにGoogleにAppleにTwitterにLINEなど主流ネットサービスの殆どは外国企業によるものだ。簡単な話、Yahooの検索エンジンはGoogleと同じなのだから検索するには海外のお力が必須なのだ。
日本のネットが海外企業に独占されているとしても問題はなく、むしろ世界最高水準のネットサービスが簡単に使えるメリットのほうが大きいだろう。体力の無い日本企業がGoogleと同じサービスを維持できるだろうか? LINEのような通話アプリを無料で提供できるだろうか? その代償がGPSや通話やクレカ情報を含む個人情報だとしても不満を感じない人のほうが多いのではないだろうか。
しかしこの便利なネット社会はいつまで続くのかと考えると、不安が付きまとう。
現実的に考えれば幾ら戦後レジュームがどうこう言っても日米が戦争状態になる可能性は低いだろう。ありえない話だ。しかし日本とアメリカとのインターネットが断絶しない保証は無い…もちろんSF小説のような荒唐無稽な可能性ではあるが。
例えば中国がアメリカ製CPUのハードウェアの脆弱性を突きネットを介して大規模なクラッキングを行った場合、中国製CPU搭載機を除く世界中の殆どのPCが壊滅する。昨年末にCPU脆弱性問題が騒がれたが、独自に開発を続けている中華CPUはこの影響を受けない。また昨年には中華ハードに仕組まれたマルウェアによって大規模なDDoS攻撃が発生している。もちろんPC壊滅などという荒唐無稽な事ががすぐさま起きるとは思えないが、その布石が着々と打たれているような不気味さがある。「インターネット戦争」は安いコストで敵国にダメージを与えられるので中国に限らず侵略国家ならばどの国が行っても不思議ではない事だ。
もっと単純に、なんであれ日本の周辺が戦時下になった場合、直接的に攻撃を受ける事も恐ろしい事だが、通信インフラを攻撃され破壊される可能性もとても恐ろしいものだ。政治や戦争というものは一般庶民には縁遠いものだが、通信用海底光ケーブルを寸断されたら庶民が使うインターネットもあっさりと終了するのだ。
他にも貿易とか権利とかの問題で日米間の通信が規制されるとか、GoogleやAppleが倒産しちゃうとか、日本国外の都合でネットサービスが日本に齎(もたら)されなくなった場合、どうなってしまうのだろう? 日本の企業とサーバーだけでどの程度のサービスが維持できるのだろうか?
まぁスマホを持たず楽天とニコ動とDMMしか使ってない人なら大丈夫だろうが、ネット依存の俺は即座に悶絶死しそうだ。
あまり深く考えずに適当に書き連ねてしまったので、以下「こんな可能性でネット終了するのでは」または「海外ネットサービスなくても日本には○○がある」という大喜利などでお楽しみくだしあ。書き捨て御免。
熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義的プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。
また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間が独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。
以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。
五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。
まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。
表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセスの正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間に要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。
またイオングループの自主規制は、その前提となった千葉市の要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である。
このことは、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことからも明らかなように、千葉市の要請とイオングループの規制は政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである。
よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。
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ある表現物に対し、役所などの行政が規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである。
よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請は表現規制の要請である。
また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市の要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市の要請を端緒としていることを明記しているのだから、千葉市の要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである。
このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本の表現規制の歴史においては行政による規制と自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制も行政による規制の要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である。
一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者の人権を侵害するようなものは名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器の露骨な描写についてはわいせつ物として規制が行われている。
すなわち、あらゆる表現のなかから、他者の人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである。
したがって、今回の千葉市についてもその表現規制が妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。
しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続きの正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。
また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。
「民意があり、議会が承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」
とまとめることができるだろう。
しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。
なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないからである。
例えば、以下に例示したものは民意に基づき、民主的な手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。
ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党(NSDAP)は一応は民主的な選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。
日本がアメリカとの戦争状態に入ったとき、アメリカは世論の後押しを受けて日系人を強制的に収容した。またこのときその財産も事実上簒奪された。これらの名誉回復は1980年以降にようやく行われた。
「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。
オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策。
また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。
『民意の代表たる議員が議会質問をもって提案し、関連予算が議会で承認され、並行して市民意見も聴取して改善を求める意見が多数と確認』
されたならば外国人や性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。
これらは不当に差別的なものであり、人権の侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈で表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。
そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定の物事については単に民意や議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定の物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。
表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。
私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現の規制はこれを慎重にしなければならないと考える。
そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。
表現の自由は基本的人権の一つであり、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。
また、ここには報道や出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからずものである。政府などによって恣意的に表現を規制することは原則としてあってはならない。
日本における性的表現物に対して規制している法律は刑法175条で定義しているわいせつ物頒布等の罪である。
サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件が定義された。
すなわち、
.性欲の興奮、刺激を来すこと
その後チャタレー事件、悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。
刑法175条の運用として、警察は局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき、陰毛も性器の一部として取り締まりの対象としていたが、1980年頃から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制の対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。
このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである。
1950年のチャタレー事件をきっかけとして各地の地方自治体で青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間のPTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。
1989年東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤が逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディアが人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞が漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。
各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激な暴力や性表現のものを包括的、あるいは個別的に指定する。指定された書籍は18歳未満への販売が禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体が自主規制として指定を受けた図書の流通を制限している。
業界団体の出版倫理協議会が制定した、性描写が過激な成人向けコミックにつけられるマーク。
コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない
-コンビニ向け成人誌
コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌。
-春画の展示
春画は江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。
しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器に修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者と警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。
その春画展に合わせて春画を掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。
このように、日本の性的表現物については行政側の規制の要請と民間団体の自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループが千葉市の要請をきっかけとしていることを認めており、千葉市の要請とイオングループの自主規制については一体として論じるのが適当である。
政治的にも、ミニストップと熊谷千葉市長が共同して記者会見したことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定の政治上の責任を負っている判断される。
熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニで流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。
表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠を規制する側である行政は提示しなければならない。
また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係の規制である。これは当初の規制の目的のひとつである、成人向けコーナーの雑誌の過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である。
以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。
また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性を検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。
不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権を擁護するために他者の権利を侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。
例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論は形成されているが、これまでの歴史において性的少数者は迫害されてきた。性的少数者が迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論が構成されていたからだろう。
多数が不快に思っているのだから、性的少数者を迫害してもいいのだろうか。
もちろん、これは否である。性的少数者を不快に思う気持ちは内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者の人権を侵害していいわけではない。
表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者の表現の自由に対する侵害である。
また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。
よって、不快さを根拠として表現を規制することは適当ではない。
以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌にカバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこの規制は適当ではない。
イオングループが発表した流通規制は千葉市が要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定の政治的責任を負う。