はてなキーワード: 戦争状態とは
今、さまざまな場所で多様性が叫ばれている。東京都は「2020年に向けた実行プラン」において、多様性を意味するダイバーシティの推進を掲げている。
男性と女性、障がい者と健常者、日本人と外国人、お金持ちと貧乏人。
社会に存在する様々な差異を強調するこの多様性が、現在の民主主義を破壊している。
「民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権主義的でも分権主義的でもありうる。~それなら民主主義について何がのこるのか?民主主義にとって一連の同一性ということが残る(カールシュミット著『現代議会主義の精神史的状況』)」
決定するものと決定されるもの、支配するものと支配されるもの、命令するものと命令されるものとの同一性。
その同一性において、自ら従うことを自らで決める自由が民主主義の本質だ。
つまり、民主主義が妥当する社会において差異は存在してはならない。
差異が存在すれば、決定するものとされるものの間の同一性が失われる。
従う理由のない決定に従わずに済むために、自らが決定する側にいられるように、闘争が始まる。
政治は闘争へ姿を変え、そこには戦争状態が出現し、民主主義は崩壊する。
かつて存在していた日本人という連帯感は、多様性の推進という言葉によって失われた。
その結果、政治の場は協調と連帯によるものでなくなり、自己利益の最大化のための闘争へと姿を変えてしまった。
この傾向は今後も続く。
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
――谷川俊太郎「生きる」
生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。
死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
「俺はな、この世界に招かれてない。用無しなんだよ。異世界に行きますか、イエス、ノーって、選んだか? お前は。――俺は選んでない。無断で俺はこの世界に連れてこられた。俺に選択肢はなかったし、招かれてもいないんだよ。お前たちは、招かれたんだろう? だからそうして呑気にしてられるんだろう!?」
「ちがう、我々は、誰ひとりとして招かれてないのにゃ」
「お前たちがどうかなんて興味はない。だが俺は少なくとも招かれちゃいない。俺は俺の意志とはかかわりなくこの世界に連れてこられたんだ。この世界は俺を俺の意志とは関係なく、俺を勝手にしようとした。だから俺も世界に勝手なことをしてやる。俺は間違ってるか、〈盗剣士〉!」
(中略)
理不尽な強制としてこの世に生を受けた幼子は、若者となり、己の意志でもう一度生誕を決意する。
自分が何者であるかを胸に刻み、望んでこの世界に生まれた二度目の赤子として自分自身の人生を歩み出すのだ。それは神聖なる契約であり、人はそうして連なってきた。それが人をいままで繋いできた。
にゃん太はそれを守るためならば、我が身を灰にしても構わないと思った。ロンダークがそれを知ってくれるのならば、どんなことでもしてやりたいと思った。
「私の読んでいる作品では「世界との仲直り」がテーマになっているものが多い気がする」
そう書くと「それは、あなたがの内面がそのように作品を捉えるという文脈にあるからだ」という他者の意見が内言として聞こえる
どうなのだろうか
現代においては、私においては「世界との仲直り」という形で象徴されているに過ぎないのではないだろうか
人は世界と仲良くできない
世界はすぐに過ぎ去って、私から感傷に浸る時間すら取り去っていく
そして、世界は私から様々なものを奪い取ったその後ですら、私を生かそうとする
世界は私の期待通りには動かない
望むと望まざるとにかかわらず、世界はただそこにあるだけである
小癪な世界のせいで、私は生き続けなければならない
「ただ生きるだけ」では世界の思い通りだ、負けたようで非常に悔しい
(きっと、世界の方もほくそ笑んでいるだろう。顔があるならね)
鼻を明かせるとするならば、それは自分自身で世界と契約するしかない
不貞腐れながら、いじけながら
それでもただ「この世界に生きるために」という本末転倒な動機から
喧嘩には“限度”がある
勝利することはないのだ、恐らくは
しかし、何かを勝ち取る事はあるのかも知れない
私は明日も、ただ生きる
未明に鳥は“諦く”だろうか“噎ぶ”だろうか、それとも“号ぶ”だろうか
日韓併合がまさにそれだったんだよ
収奪しかしない支配階級、餓死者が大量に出る社会、債務踏み倒しを繰り返す政府
それらを全部金と鉄と血で清算してやったのが当時の日本だよ
ひどい時には東北の窮状を見捨て、人買いが跋扈するまで追い込んででも朝鮮半島に注ぎ込んだんだよ
それを始めて一世紀が過ぎ、終わって七十年以上過ぎた。どういう評価を得てるかわかるか?
ただ国民の拉致など戦争行為をむこうが繰り返してきた上、核開発は安全保障及び国際平和への重大な脅威であるため実力行使してでも止めさせる。
軽い借金苦に悩む、他人からすれば誰がどう見てもダメな生き方を送っていると思う
以前は働いてましたが、今は厳しい
通院してますが非定型なので人からは怠けとしか映ってないでしょう
むしろ今まで血の滲むような努力や我慢をして、なんとか人生を持ち直して
ようやくこの現状なんです
ベストを尽くした末ようやくうつ病無職という状態ながらも生きながらえてるんです
人生を良くしたい良くしたいという一心で頑張って、ようやくこの状態にこぎつけたんです
つらかった
もし努力も何もなくただ流されるままにしていたら、その肩書は無職ですら無く
故人だったろうと思う
生まれつきのハンデはもう、神が『君は早めに死んでね』と言ってるとしか思えなかった
そこから友達や彼女を作ったりと普通の人が普通にしている事を出来る状態にまで
無職?頑張れと言われてもこれ以上は無理なんです、無職だとしてもこれが今の所自分の100点なんです
そりゃ怠けてるだけの人も中にはいるんだろうし、働けるなら働いた方がいいと思う
でも、誰も好き好んで無職になるわけじゃない
そこには戦争状態のような
自分だってここで終わるつもりはない、これからも頑張って逆転して幸せになってやろうと思ってる
でもすぐには無理だ
無職というだけで見下してくる世間の目は本当につらくて、焦る気持ちがまたつらい
と吐き出したくなったから書いてたのに逆に気分が悪くなってきたので
ここまでにします 笑
本当は戦争状態にあるけど、世論がうるさいから黙っているだけなんじゃない?
北朝鮮のミサイルが失敗したらしいけど、ホントはアメリカのステルス戦闘機やステルス無人機が北朝鮮上空を飛んでいて北朝鮮のミサイルを迎撃したんじゃない?
北朝鮮の能力ではアメリカの無人機の存在に気づかずに、「アレレレ~失敗したニダw」って感じ?
北朝鮮の中でも、ホントは米軍機にミサイルと撃ち落とされたことは現場レベルで分っていても、将軍様に「アメリカにミサイル打ち下ろされっちゃったテヘペロッw」なんて報告したら将軍サマが逆上して報告した幹部を処刑するからみんな黙ってるんだぜきっと!
日本では戦争状態にあるところへ自衛隊が行くのは問題が出るから交戦状態であることを黙っている。
こんな感じ?
(「朝鮮半島有事で日本が被害を受けないようにするには」の転載記事の後編)
前編はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20170412123643
以下転載再開。
我々が住んでいる日本が被害を受けないなら、北朝鮮と韓国がどれだけ対立しようが、好きにさせたらいいと思います。
でも、実際は対岸の火事ではありません。
元々は北朝鮮と韓国の対立のはずなのに、有事の際は日本までも巻き込まれる形で北朝鮮から攻撃を受け、甚大な被害を受ける事になってしまいます。
これには私だけでなく他の多くの日本人が、本当に心底うんざりしているのでは?
北朝鮮は日本を「有事の際には日本は韓国を助けるだろう」と考えてミサイルで狙っているのはもう北朝鮮自身が宣言しています。
実際に北朝鮮と韓国が戦争状態に突入すると、日本全国の自衛隊や米軍基地やその周辺もいきなり攻撃を受けるのはもちろん、日本の首都・東京やそのほかの都市も北朝鮮はミサイル攻撃をしてくるだろうし、日本各地にいる北朝鮮の工作員達が色々な形のテロをしてくるのは目に見えています。
地方であっても、北朝鮮の工作員によるテロやミサイル攻撃で原発やその他の重要施設が攻撃を受け甚大な被害を受ける事に。電力会社や政府は原発などは停止中のも含めて特にテロ対策をきちんとするよう今のうちに改めて確認をすべきでしょう。
原発に関わる人物の身元確認や、重装備での警護を24時間やり続けるなども。
首都が大きな被害を受けると、首都に本社機能がある会社は経営が大きく傾いたり、場合によっては経営を続けるのが無理になってそのまま倒産する事にも。
テレビで普段見かける芸能人の多くが北朝鮮による攻撃に巻き込まれて死んだり、毎回楽しみにしていた漫画や小説の作者が北朝鮮の攻撃のせいで死亡して連載が止まったのを知って、茫然とする事態にもなりかねません。
結局日本が甚大な被害を受けるのを回避するには、「北朝鮮と韓国が戦争状態に突入するのを何があっても回避させる」しかありません。
そしてそのためには、今回書いたように「情報による抑止」をしておくというのも、われわれができる一つの手でしょう。
「戦争状態になると北朝鮮と韓国の双方の国は確実に亡びる事になる上、朝鮮半島の大部分が放射能汚染で人の住めない地域になってしまう。」という実際に起こる事実を、北朝鮮と韓国の双方の人間に前もって嫌というほど認識させるのです。
「対立の果ては北朝鮮と韓国の双方の国の破滅しかありませんよ?それでもなおあなた達は対立を続けるのですか?いい加減和解の道を選んでは?」と。
ロシアや中国の人間にも、「朝鮮半島有事で確実に起こる大規模放射能汚染は、ロシアや中国の領土にまで及ぶ」ときちんと認識させると、ロシア政府や中国政府は躍起になってなんとしても北朝鮮と韓国が和解するように仕向けるでしょう。
今回私が書いたこの文章は、どうか一人でも多くの人が目にするよう、みなさんブログやツィッター、掲示板などで紹介をお願いします。
一般の方はもちろん、情報発信力が高い芸能人の方や著名人、マスコミ関係者の方も「日本が被害を受けるのは何としても回避したい」とお考えなら、どうか「情報による抑止」にご協力ください。
特に東京に現在お住みの方は、場合によっては北朝鮮のミサイル攻撃により自分や家族が命を落とす事にもなりかねないので、その点でもそれを回避するよう協力してください。
また、日本と同じく被害を受ける事になる国の方は、海外の方も、誤訳のないよう慎重に翻訳して紹介していただけたらと思います。
youtubeをやっている方、動画を作れる方は、前述のような内容の動画をyoutubeにアップしてください。きちんと海外向けの字幕バージョンも作れば、想定以上の再生数を叩きだして、ちょっと信じられないほどの額の大金を手に入れる事もできますよ。
朝鮮半島有事は実際に起こると、北朝鮮と韓国の双方の国は亡びるし、それだけでなく多くの国々が巻き込まれる形で甚大な被害を受けるという事になります。
これほど馬鹿げた事はありません。
朝鮮半島の大規模放射能汚染は誇張ではなく実際に起こり、後世の歴史書では「当事者国はどちらも亡びたし、関係国も甚大な被害を受けた。おまけに朝鮮半島の大部分が人が住めない地域になってしまった。なんとも愚かな出来事だった。」と語られ続ける事になるでしょう。
そのような事態をなんとしても回避するため、どうか一人でも多くの方に「情報による抑止」のご協力をお願いします。
前述の通りの声明をIAEAや国連がきちんと繰り返し北朝鮮と韓国に対して出せば、かなりの抑止になると思うのですがね。
もしIAEAや国連の関係者が見ていたら、急ぎそのような声明を出すよう動いてもらいたい。
米ソ冷戦時代も、「アメリカとソ連が開戦すると核ミサイルを撃ちあって、甚大な数の被害者が出る」という状態になっていました。
キューバ危機みたいに戦争前夜になった時もありましたが、結局は「対話」によって事態は解決したのです。
当時のソ連もアメリカも、お互いがお互いの国を心底憎み、KGBやCIAのスパイが殺し合いをしたりしてたのに、きちんと対話する事で険悪な関係は解消され、今ではアメリカもロシアもお互いの国をミサイル攻撃する可能性はほとんど無くなりました。
北朝鮮や韓国(とアメリカ)の指導者は、いい加減「武力によって相手を威圧しても、全然効果は無く、むしろ事態をどんどん悪化させていってる」という事に気づくべき。
また、中国やロシアはとばっちりで被害を受けるので、中ロは北朝鮮と韓国(アメリカ)が対話の席につくよう急ぎ動くべきです。
このままだとトランプか金正恩のどちらかが暴発して最悪の結果を生み出す事になるでしょう。
戦争を回避したい人、「日本は被害を受けたくない」という人は、この文章をブログやツィッター、掲示板などで紹介したり、転載してください。
もし転載の場合は、この部分(転載しても良いという文)も含めて全文を転載するようお願いします。
また、日本と同じく被害を受ける国の方も、誤訳がないようにきちんと正確に翻訳した上で海外でも紹介して事態の改善にご協力いただけたら幸いです。
*以上で転載終了。
戦争になると、日本が被害を受けないならともかく、どう考えても日本も巻き込まれてとんでもない被害を受けるわな。
金正恩もトランプも頭に血がのぼって馬鹿な選択を繰り返しているが、実際に戦争になるとそれでどれだけの人間が被害を受ける事になるか、ちょっと冷静になって考えろや。お前らは猿以下の知能しかないのか?
第二次大戦の時もそうだったが、非常に頭の悪いクソみたいな一部の人間の判断ミスのせいで、多くの人間が被害を受けてしまう事になる。いいかげん歴史から学ぼうや。
文章量が多いので、文字数制限の都合から前編と後編に分けて転載した。
北朝鮮と韓国が戦争状態に突入すると、その二国だけが被害を受けるならともかく、実際は日本やアメリカ、そして後述するようになんと中国やロシアまでも思わぬ被害を受ける事になってしまいます。
戦争になると、北朝鮮と韓国は誇張ではなく「双方の国が亡びる」事になります。
日本は北朝鮮自身が「有事の際には日本もミサイル攻撃する」と宣言しているので全然対岸の火事ではなく、ミサイル攻撃だけでなく国内にいる北朝鮮工作員達による様々な形のテロも起きて被害を受けるでしょう。
ミサイル攻撃については、核が搭載されているか、まだ実用化されていないかはわかりませんが。
アメリカの場合は、北朝鮮のミサイルはまだ届かないと思いますが、日本と同じく全米各地にいる北朝鮮の工作員達が一斉にテロをやってきたり、北朝鮮から出港した潜水艦でアメリカ本土を直接ミサイル攻撃してくるという事も起こり得るでしょう。
朝鮮半島有事は、「北朝鮮と韓国の当事者国は双方が亡びるし、関係国も甚大な被害を受ける」という、まったく誰の得にもならない事態を引き起こすため、何があっても戦争になるのだけは絶対に回避しなければいけません。
北朝鮮自身が日本への攻撃も宣言しているので、「日本は対岸の火事」だと未だに思っている人はその認識を改めるべきでしょう。
それぞれの国が被害を受けないようにするには、我々は一体何をしたらいいでしょうか?
朝鮮半島にアメリカの原子力潜水艦や空母を常時配備したり、韓国に核ミサイル基地を設けて『武力による抑止』をもって戦争を回避するという案もあるとは思います。
ただ、武力による抑止は、抑止としてきちんと機能するうちはいいですが、逆に緊張をより高めて戦争状態に突入させやすくする事にもなりかねません。
「武力による抑止」をやるかどうかとはまた別に「情報による抑止」もあらかじめしておいて、戦争を回避しようとすべきではないでしょうか。
「情報による抑止」は、今この文章を読んでいるあなた方もそれに簡単に協力できる事です。
『情報による抑止』とは、北朝鮮と韓国の双方の人間に、「戦争状態に突入すると、どちらの国も必ず亡びる事になる」という『必ず起こる事実』を繰り返し認識させ、何があっても戦争しないように仕向ける事です。
実際に戦争状態になると、誇張ではなく北朝鮮も韓国も双方の国が亡びる事になります。
「片方の国は被害が軽微」という事は絶対にありません。確実に北朝鮮も韓国も双方の国が亡びる事になります。
「それがわかっていてもなお、あなた方北朝鮮と韓国はまだ対立を続けるのですか?もう和解するべきでは?」と、突きつけるのです。
しつこいくらい繰り返し、繰り返し。
また、実は後述するように、『もっと洒落にならない事態を朝鮮戦争では引き起こしてしまう』というのがあります。
こちらの方がインパクトはより大きい。
<各国が受ける被害>
まず北朝鮮はアメリカが戦争を短期で終結させようとして、核攻撃も辞さないで本気で総力をもって攻撃し、北朝鮮は壊滅するはめになります。
一方、韓国は北朝鮮の攻撃でソウルが開戦まもなく火の海になり、他の都市も北朝鮮の熾烈な攻撃を受け、莫大な数の死者が出て、おまけに韓国経済も壊滅するでしょう。
朝鮮有事は、「北朝鮮と韓国の双方が亡びる」という事につながり、その点だけでも北朝鮮と韓国の人間はどちらも「何があっても戦争にならないよう、もう対立はやめて対話を選ぶ」と改めて認識すべきです。
いまだにお互いがお互いの国を非難しあっていますが、その先には「双方の国の破滅しかない」という事にいい加減両国の人間は気づくべき。
実は北朝鮮と韓国の被害はそれだけには留まらず、もっと洒落にならない事態を引き起こします。
「戦争状態になると、北朝鮮の核処理施設や韓国の何十基もある原発が攻撃を受けたり、あるいはまともに管理されなくなり、チェルノブイリや福島原発事故をはるかに上回る量の放射能放出が起きてしまい、朝鮮半島の大部分を強い放射能汚染で人が住めない地域にした上で、周辺国のロシアや中国、東南アジア、日本などにまで汚染が広がる」と、世界各国の研究機関が『朝鮮半島有事の際にはほぼ確実に起こりえる事』として想定をしています。
原発の存在をすっかり忘れている人も多いようですが、北朝鮮にも韓国にも数々の核処理施設や原発があり、おまけに北朝鮮は2015年にも「有事の際には韓国各地の原発を攻撃する」とはっきり宣言しています。
ミサイル攻撃以外にも、戦争時に南北の軍事境界線が大きく動くと施設から人間が逃げ出し、停止させた原発も送電施設や発電所がやられてしまうとまともな管理者達が逃げた状態では原子炉や燃料プールのメルトダウンを引き起こします。
福島原発事故では燃料プールのメルトダウンはなんとか防げましたが、北朝鮮と韓国の戦争では人が逃げ出してしまいそうはいかなくなります。
燃料プールのメルトダウンまで起き、放出される放射能の量は福島やチェルノブイリ事故とは比較にならないほど莫大な量になる、と世界各国の研究機関で試算されています。
北朝鮮と韓国が本格的な戦争状態に突入すると、朝鮮半島の多くの地域がひどい放射能汚染で人が住めない地域になってしまうのです。
ロシアや中国、東南アジアや日本などその他の国々にまで汚染は広がり、周辺の海までもひどい汚染を引き起こす。
逆に言えば、この事実をもっと広く知らしめる事が、北朝鮮と韓国の双方の人間に戦争を思いとどまらせるための『大きな大きな抑止力』になりえます。
そのためには、北朝鮮と韓国の双方の国に対して、「戦争状態では原発や核処理施設が攻撃を受けたり適切な管理が行えなくなり、チェルノブイリや福島原発事故を大幅に上回る量の放射能汚染を引き起こし、朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にした上、ロシアや中国、東南アジア、日本などにまで汚染が広がってしまう。戦争だけは何があっても回避しないといけない。」という緊急の声明をIAEAや国連が繰り返し出すのです。
IAEAや国連はそのような事態を回避したいと本気で思うなら、今すぐにそういう声明をきちんと出すべきです。
そういう事にならないようにするのがIAEAや国連の本来の役割でしょ?
今でさえ福島原発事故によって原発に対しては世界的に風当りが強くなり、東芝の倒産寸前になるほどの莫大な損失でもわかるように原発業界は斜陽産業になっています。
もし朝鮮半島で戦争が起き、想定されていたとおり大規模な汚染が実際に起きると、もう世界中で原発に対する大きな拒否感が出て、今以上に終わるのは確実です。
IAEAにとっては非常に望ましくない事態を招く事になります。
IAEAはそういう事態を回避したいのなら、今のうちに緊急の声明を北朝鮮と韓国の双方にきちんと出して、絶対に戦争が起きないようにすべきです。
また、youtubeで「朝鮮半島有事の際には、大規模放射能汚染が確実に起こる」という内容の動画をアップロードするという手もあります。
ピコ太郎氏がPPAPの動画一つで思わぬほどの莫大な富を得た事がありました。
インパクトのある動画なら信じられないほどの再生数を世界で叩きだし、広告収入もすごい事になります。
「朝鮮半島有事の際には、放射能汚染により朝鮮半島の大部分を人が住めない地域にしてしまう」というのは、相当インパクトのある話です。
そういう内容の動画をアップし、多言語向けの字幕バージョンもきちんと作れば、今朝鮮半島情勢が緊迫している事もあって、世界各国での再生数がすごい事になるでしょう。
また、その動画は北朝鮮と韓国の緊張が高まるたびに繰り返し紹介され再生数は今後もずっと伸びていきます。
残念な事に万が一戦争状態に突入して朝鮮半島の放射能汚染が現実の物となってしまった場合も、「事前に放射能汚染を警告していた動画がある」という事で世界中で次々と紹介され、再生数がものすごい事になってしまいます。
youtubeで動画をアップロードしている方や、3DCGでリアリティのある映像を作れる方は、以下のような感じの動画を作ってみてください。
「朝鮮半島で戦争状態に突入すると、戦争開始からまもなく周辺国で放射能が漏洩しているのが検知される。北朝鮮の核処理施設や韓国の原発から放射能漏洩が起きているのが判明するも、もう止める事はできなくなり、汚染は朝鮮半島を中心に広がり、朝鮮半島の大部分が人が住めない地域になった上、ロシアや中国、東南アジア、日本などのその他の国の一部にまで汚染は広がってしまう。だから戦争になるのだけは絶対に回避しないといけない。」という内容の動画を。
普段から映像制作の仕事をされている方、日本の方だけでなく海外の方でもいいので、どうかそういう動画を作ってyoutubeにアップして拡散していただきたい。
あなたが作ったその動画が世界中で話題になると、北朝鮮と韓国の双方の人間に思いとどまらせて戦争状態に突入するのを回避でき、ひいては日本が被害を受けるのを回避するのにつながります。
おまけにPPAPほどではないと思いますが、再生数に応じた広告収入で結構洒落にならない額の金が入ってくる事になるでしょう。
私と違って動画を作るスキルを持っている方は、今目の前に転がっている「大金を手に入れるチャンス」をどうかお見逃しないように。
後編はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20170412123845
終始、人の話を聞かない
相手の主義主張を一考して尊重するプロセスも余地も持ち得てないので基本的に自己完結型の非コミュニケーション人間
同じ作られた存在の王蟲はファンだから許すが新人類の卵は嫌いだから焼き殺すダブスタの典型
新人類の卵も、過去の人類が導き出した答えの1つであるにも関わらずその答えを全否定
現人類が唯一生き残る方法かもしれない墓所を個人的な判断で破壊する
例え墓所が騙すつもりだったとしても技術だけを盗めば済む話であって戦争に勝利した時点でそこに交渉の余地は十分あった
墓所を批判しておきながら自分も巨神兵やヒドラを騙して死ぬまで酷使したのに私って酷い子…で済ませる度胸
いくら戦争状態に突入したとしても結末が敵国民の皆殺しという風の谷の蛮族さながらの着地点、子どもをあれだけ大量に焼き殺すヒロインは後にも先にもナウシカだけだろう
とにかくキレたら躊躇なく人を殺す
信者たちからは無条件で肯定される、唯一冷めた目で見れるのは自立してるユパ様だが触らぬ神に祟りなしで矯正する気なし、ユパ様のエロ同人は希少
主義主張が違うはずのブ王やクシャナでさえ認めてしまうほどのカリスマ性で、咎めるべき対立存在がいない、対立すると死ぬので認める話に強制的にされる
結果として描いてる宮崎駿でさえ「こいつ頭おかしいわ」と振り返るほどのキャラになって暴走のまま決着したラスト
独裁者であり破滅主義者でもあるナウシカが許されるのは全てカリスマ性のおかげ
そもそも自然であるべきというこの手の自然主義が陥りやすい「人間のやることは自然に含まないのか」というパラドックスを解消どころか問題視すらしていない
所詮はナウシカのいう自然に任せろという自然の定義はナウシカの中にしかおらず、たまたまナウシカが絶対的なカリスマによってそれが肯定されているに過ぎない
だから私はナウシカよりもののけ姫が好きだしもののけ姫をナウシカ扱いして悦に浸る馬鹿とは絶対に同じ釜の飯を食いたくない
超絶強いSJWが自分色のポリコレ棒片手に敵をぶっ殺しまくった話
ナウシカに心酔してるものほど漫画版ナウシカを庇いたがる当たり、業は深い
https://www.nta.go.jp/tokyo/shiraberu/gakushu/kyozai/chiba02.pdf
国債が歳入の41%を占めている先進国政府の税収として極めて異常な状態。
対してアメリカ合衆国の歳入
http://www.dir.co.jp/research/report/place/intro-usa/20140605_008612.pdf
データは古いが
しかしながら、なぜ亡国とならないのかというと国民が耐え忍んでいるからである。
その際の負債を支払わずに役人政治家の2世3世たちは今ものうのうと政治をしている。
ようは国民全員から分け隔てなく国債によって税収が上乗せされているのだが、
その国民が疲弊しているにも関わらず死なないおかげで消費税を引き上げることも可能だし、
今の日本国政府は無抵抗主義のサラリーマンたちの手によって支えられているといって過言ではない。
またアメリカではサービス産業にはチップの文化があるため弱者的立場に置かれやすいサービス従事者たちは税を免れる道が残されている。
しかし、チップ文化がない日本ではどれだけ個人で努力したところで耳を揃えて税収され一生彼らは逆転することはない。
弱者も強者も等しく同じ負担をしいれば死ぬのは弱者だけである。
バイト派遣と正社員の扱いや保障が違うのも異常であるがこの概念が導入された際に、
時の労働組合と大企業は国内に奴隷が欲しかったため政府に今の体制を飲ませた。
今の日本の不幸の始まりを作ったこいつらは今ものうのうと生きている。
国民の生命を守るとうたわれた社会保障も本当に守られるべき弱者は守られていない。
生活保護も切り捨てに掛かろうとしている。
本当に受給が必要かどうかを明確に判断するマニュアルすら無いまま進められている。
身寄りのない老人の箪笥預金が消える先は国だ。
私は恐ろしい。
国の理不尽で無策で無能な政治によって年々膨らむ税に物言わずに律儀に支払続けている国民たち。
お国のために死ぬという精神性は決して滅んでいなかったのである。
大々的な戦争が無くなった現代においての戦争の代替物とは経済格差である。
今、日本は戦争状態に突入しているにも関わらず、それに目に見える形で認識できていないため他人事の態度をしている。
我々は死に向かっている。
私は死に向かっている。
あなたは死に向かっている。
彼は死に向かっている。
彼女は死に向かっている。
独立した個性ある一人の人間として全員一人ずつ一人で死に向かっている。
空いている落とし穴に気付かずに。
憎め。
反骨しろ。
憎め。
憎め。
憎め。
憎め。
今の生活を変わるために憎め。
ね?
戦争経験しなかったから贅沢言ってて嘆かわしいなら今すぐ戦争状態に突入しようぜ?
あんたたちみたいに戦争経験して心が綺麗な人間で贅沢言わない人間が美しく尊いというなら
経験してみないと分からない教の信者たちもそうだそうだ、戦争してみないと分からないぞ体験しろ!って言ってるよ?
そう!
負けをハッキリと体験しないと調子乗りモンキーの日本人は反省できない島国だから!
同じアジア人の中国人に徹底的にボコってもらって焦土にしてもらい死体の焼ける臭いを肺にいっぱい吸い込んで堪能すれば
今のクソガキジャップどもも眼を覚まし震えながら負けを認めて努力し勤勉なモンキーに戻るだろう
そして再び経済大国へと舞い戻りアメリカのうんこを咀嚼しながら贅沢を堪能する国へと戻ることができる!
何が悪い?
他に方法があるのか?
ないだろう
なら戦争して負けましょうや
もういいじゃありませんか
この国はもう終わっとるんですわ
何もかも遅すぎた
汚い花火で終わらせましょうや
日本は国際社会の中では異常としか言いようのない「戦争のできない国」だった。それが安保関連法案の施行によって普通の「戦争のできる国」になった。次は緊急事態条項を盛り込んだ憲法改正で「いつでも戦争のできる国」になる。今はまだ声に出して言う人は多くないだろうが、これは私を含め多くの国民が望んでいることだ。はやく戦争を始めて欲しい。そしてできることなら私を召集して欲しい。
その前に、憲法改正では国民投票で投票者の過半数が賛成しなければならない。しかしこれはそう高いハードルではない。国民投票は楽勝だ。投票率が先日のイギリスと同様の72%ほどになると仮定すると、投票権を持つ者の37%が賛成票を投じるだけで改憲が可能となる。実際の投票率はもっと低いだろうから、投票権を持つ者の1/3ほどが賛成票を投じるだけで済む。
「移民が仕事を奪い社会保障を食い潰す」と脅されたイギリス国民は、EU離脱を問う投票で過半が離脱に賛成した。「中朝が攻めてくる」と脅せば、日本国民の1/3くらいは簡単に改憲に賛成票を投じるだろう。ちょろいものだ。たったこれだけで、国民の主権を取り上げ、緊急事態を宣言すれば政府の思い通りの法律を発令できるようになる。そして我々が多数派であることは何度も証明されている。
すでに道は開かれた。私たちが強く望んだ道だ。連帯感など感じたことのないつまらない人生だったが、選挙のたびに、私は小さな希望に燃える。全国に同志がいて、私と同じように考え、同じような行動をしていることがわかるからだ。日本国民は皆、私と同じように馬鹿だ。皆で前に進む実感がある。
戦争は悲惨だ。しかし、その悲惨さは「持つ者が何かを失う」から悲惨なのであって、「何も持っていない」私からすれば、戦争は悲惨でも何でもなく、むしろチャンスとなる。
もちろん、戦時においては前線や銃後を問わず、死と隣り合わせではあるものの、それは国民のほぼすべてが同様である。国民全体に降り注ぐ生と死のギャンブルである戦争状態と、一部の弱者だけが屈辱を味わう平和。そのどちらが弱者にとって望ましいかなど、考えるまでもない。
持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。
上は今からおよそ10年前に書かれた「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。からの引用だ。古い話なので忘れていたという人もいるだろうし、初見だという人もいるかもしれない。できたら全文を読み、興味があればその続編であるけっきょく、「自己責任」 ですか 続「『丸山眞男』を ひっぱたきたい」「応答」を読んで──も読んでほしい。
これらが書かれた10年前からすれば、今はずいぶん前進した。もちろん戦争に向かってだ。国民は戦争を欲している。その背景にあるものは、未来に対する深い深い絶望だ。老人は逃げ切れるかもしれない。若者や子供にとって未来は未知数だ。しかし持たざる中年である私にとって未来は絶望でしかない。しかし戦争は、上の引用のようなチャンスとなるかもしれない。
私には配偶者もなく、子もなく、安定した職もなく、資産もなく、趣味も、職能も、持ち家もない。失うものはもはや何もない。私は将来に絶望しきった中年だ。日本人であることだけを誇りとして生きている。
戦争が起きても、何の技能も持たないまま中年となった私には何のチャンスも回ってこないかもしれない。それならば、私は国のために戦って散り、英霊として眠ることを切望する。そう贅沢な望みでもないだろう。もう私には、残された望みはそれしかないのだ。
ググレカス曰く「ほかにすることはないのですか」
http://www.geocities.jp/koreanlaws/kenpou.html
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3277/2013kenpou.html
http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/index.htm
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8186538
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19490404.T1J.html
http://anond.hatelabo.jp/20160413013038
言及いただいたkato19です。大変遅くなりましたが地震の影響はありませんでしたでしょうか?
※意味不明な一般の方へ:一連の流れは下記のブログに記載されています。
じっくり読ませてもらいました。批判文っていうのは読むのにもなかなかエネルギーを消費してしまいますね。増田の文章は論点も多いのでなかなか大変です。自分の知らない分野についても検索しながらできるだけ理解できるように努めました。とはいえアニメ化以前をリアルタイムで追っていない以上は本当の意味での理解は難しいなと思いました。増田が本当に細かい所まで気にしている所に驚かされますが、これがまさに増田の拠り所であるんだなと感じましたね。
今回増田の疑問に逐一回答する事はあまりに労力が大きのでご容赦ください。総論的な内容になります。それに以前も書いたように、そもそも回答した所で増田が納得するとは到底思えないのです。増田も同じような事を書いていますが、結局それぞれが重要だと思う所を重要だと思えないのです。
それを踏まえた上で今回のやり取りの感想を書かせてもらいます。
私が、批判派に対して当初思っていたのは、あの作品を観て面白くなかったんだろうか?それとも面白かったんだけど細かい所が気になってしまってダメだったのか?もう全てがダメで良い所はほとんどないのか?という所でした。
増田の文章を通読してみて感じたのは、やっぱり原作・原案問題がなければこんなにこじれる事はなったんだろうなぁという事。増田ですら『カップヌードル』程度には面白いと思ったわけで。『見たい作品が見られなかった』という点については批判派の方からもツイッタなどで一定の賛意をいただけた所です。
さらについでに言うと、僕はこの映画を観たとき、涙もろいタイプなのもあってちょっと泣いたんだよね。その意味では、その程度には感動した。でも、あの劇場版が駄作だという評価、特に脚本が極めて稚拙だという評価はまったく変わらないし、それは普通に両立することだと思っている。— おりあそ (@oriaso) 2016年4月11日
批判派のおりあそ氏が劇場版で泣いたってのも自分にとっては結構衝撃的な事実で驚いたんだけど『μ'sが解散するんだから涙くらい出るよ』という事なんでしょうね。もちろん自分にも当然そういう所はあるのだけど、今回はそれだけではない感動があったんですよね。
自分は『ガルパン』劇場版でも大変感動して涙が止まらなかったんだけど、あれは決して大洗女子学園が存続してよかった!という事で感動したのではないのです。あの映像と演出自体に感動させられたのです。心底すごいと思いましたしその凄さに当てられて感動しました。話の筋で感動したのではなかったのです。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/11/girls-and-panzer-movie.html
劇場版ラブライブ!の感動はそれによく似ていると思いました。技術レベルと前衛的な演出、それと当然ストーリー上の感動が合わさって強い感動を得られたんだと思います。自分は少数派になる事が多いので自分の意見が絶賛派の主流ではないでしょうけど。
増田はおそらく劇場版ラブライブ!はガルパンより論理的妥当性がないからダメと言うでしょうが、自分にとっては十分に許容範囲であったという事です。しかしこの点については程度問題としか言いようがありません。
『もっとも、絶賛派の多くは作品において即時的で表面的である所の彼らがいうところのアニメならではの表現内容への思い入れを拠り所にしていて、前後や総合的なつながりや辻褄の考察を要する物語性やキャラクター性については考えたくないようなので難しいかもしれませんが…。』- 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用
『考えたくない』のではなく『気にならない』というべきですが、上記のように互いの主張は『糠に釘』状態なわけです。お互いを説得する事は出来ないよね。実際、増田はなぜ絶賛派が絶賛するのか?その理由を理解できていない。その結果『ラブライバーの自己愛』などという荒唐無稽な理由で論じている。自分は前回から増田はもっと前向きな方向にエネルギーを使うべきだと主張してるのだけど、それはこの問題については相手の考えを変える事は無理だからです。もしも増田が絶賛派に対して『本作が駄作だと改心』しなければ納得しない・・・とすれば残念な事です。
増田は初期作品の良さも述べているというが、アニメ版への恨みつらみが主となってしまっているのは間違いないですよね。増田が単に虚空に向かって文句を叫びたいだけなら仕方ないですが、初期作品の良さを知ってほしいのならその方法があるはず。増田で絶賛派を無能呼ばわりしていてもしょうがないわけです。
増田の意見を読んで公野櫻子さん関係を少し勉強しました(増田から見ればまだまだでしょうけど)その中で上記ブログの公野櫻子論で印象的だったのは、公野さんの特徴として読者参加型作品を得意とする事でした。ラブライブ!の初期作品も読者参加型であった事を考えると増田もその影響を強く受けているのかなと。やはり自分達で作り上げた作品という感覚が他の作品よりもずっと強く、それがアニメ版に対する『歪められた』という感覚につながっていると推察しました。そこが単なる原作改変問題とは違う根深さなのかな。
自分は『参加型』とは真逆の鑑賞者。京極・花田氏の作家性が強く出ていても何の問題もありません。ガルパンのように映像作品としての演出・技術に感動し『物語』は当然必要だけれどもそれは作品の一部を構成しているにすぎない。それがつまり『構成・演出・楽曲すべてが一体となって表現』の意味なのです。増田にとっては物語(や、それを含むキャラの設定)が重要なテーマであってそれ以外は物語をよく見せるための添え物であるべきなんだろうと思う。そしてラブライブ!においては公野さん以外の作家性が見える事は不快感につながっているんでしょう。
ちなみに私だって物語重視の作品は大好きですよ。『ここさけ』なんて感動しすぎて3本も感想書きましたし・・・。
参考 http://kato19.blogspot.jp/2015/10/kokosake.html
ラブライブ!については原案の先入観なくアニメに入っているだけの違いです。増田は先入観でまずハードルがあり、さらに細かな物語重視の点でさらにハードルがあった。その二つに加えて大事にしていた公野作品が汚されたという感情的な問題が不快感を増幅させているのだと思います。
本当の数はわかりませんが、初期作品からのファンの全てがアニメ版を否定しているわけではないですよね?おそらく増田が一番怒りを感じているのは、初期作品からのファンのくせにアニメ版・劇場版を礼賛している人間でないでしょうか。アニメ版以降の人間はただの無知蒙昧だから啓蒙する必要があるが、初期作品からの人間はなぜ礼賛するのか理解できない。だからラブライバーとしてのアイデンティティを維持するためだけに礼賛している害悪だ。完膚なきまでに叩く必要がある・・・と。
増田氏は絶賛派を宗教的などと揶揄するけれどそれはお互い様でないですか?というより、この議論そものもが神学論争である事を自覚していないのだろうか。私は自覚しています。この問題は宗教論争やイデオロギー論争と全く同じです。
(初期作品群を)肯定をしている様子も殆ど見受けられません。ただ踏み台として蹴落とされるべき歴史としての存在を認めているだけに過ぎないでしょう。先述のメディアミックス理論の持ち出し方にもそれが現れているように思います。 - 絶賛派の負のエネルギーを和らげたい より引用 カッコ内筆者付加
原案作品群を否定していないだけでは飽き足らず積極的に肯定しなければ満足しない・・・踏み絵でしょうか?折伏でしょうか?『目を覚ま』さねまばらないなど過激な宗教団体と同じではないでしょうか。少なくとも私は初期作品群を『踏み台として蹴落とされるべき歴史』とは思っていません。そもそもよく知らないだけですから。
まあ、そういう人もいるでしょう、誰もが議論に慣れているわけではないでしょうから。もちろん私は『批判する奴が悪』なんて思っていません。しかし好きな作品をけなされる不快感は原案派の人だって同じでしょう。貶して凹ませるのが目的なんでしょうか?そうであるなら品がない行為だなぁと思いますが、実際には増田にとって大切な『初期作品群』を不当に扱われている事を質したいという趣旨ではないですか?
それなら絶賛派に対して『自分の感動はまちがっていました。この作品はご指摘の通り駄作です』と言わせる事で目的は達せれれるのでしょうか?私には単なる当てつけのようにしか感じません。
増田とは確かに感じ方もキャリアも違いますが、同じラブライブ!というコンテンツを楽しんでいた者としては、互いを排除しあうのではなく包摂されるべきだと思う。
増田氏がアニメコンテンツの流れに大変造詣が深いだろう事は一連の文章を読む事で推察されます。であるからこそ、ラブライブ!が『もはや好きとは言い難い作品』などと離れるのではなく、その想い・知識を残すべきだと思うんですよね。
それは、ネガティブな文章を増田で埋もれさせるのではなく体系的に整理された作品案内を提示するべきでなないですか。増田の思う本当のラブライブ!の楽しみ方を、初期作品の良さを記録に残す方がずっと目的にかなうと思います。確かに旬は過ぎてますが、ワンテーマのブログだとしても増田で埋もれるよりはずっと有益だと思う。注目されやすいアニメ版にくらべて原案作品群は実際のところ目立たないし、新たなファンには見る事すら困難になっているわけです。サンシャインが出た今はなおさらμ'sの初期情報は検索しにくい状況です。だから意味はあると思う。
個人的には、この一連の投稿はすごいと思うし、内容についての賛否は別にしても、ただ増田で埋もれるのは残念だと思う。でも別の形で発表するにしても、ぜひ否定だけではない前向きな批判。つまり好きな作品を広めるために使ってほしいと思うんですよね。
増田は原案作品が軽く扱われている事に不満を持っていますが、増田にとっては自明の事でもアニメ以降のファンにとってはその周辺知識は非常にわかりにくいのは事実です。サンシャインが始まるとはいえ、これから再放送や配信でオリジナルを見るファンも多いでしょう。実際私もちょっと調べただけでは意外と整理されていない事に気付きました。作品紹介、見る順番、その魅力など、いまからでも整理して発信する事は無駄ではないはずです。はっきり言って知識の乏しい自分には無理です。
それなら読んでみたいと思うし、こんなマイナスのエネルギーで文才を消耗する事はないと思う。もしそんなページを作ってくれたら是非私のブログにリンクしてお知らせください。こちらからも紹介させてもらいますから。
こんな事書くとまたね『上から目線』みたいな批判がツイッターでされそうですけどね。ツイッターで深い議論のやり取りはむずかしいですが、このように長文を書ける人の意見は真意が分かりやすくエネルギーを使う意味があると思います。自分も今回の事で劇場版の良さを変更する気は全くないのですが、初期作品群の事を詳しく知るきっかけになりましたし、批判派の真意というのも(ある程度ですが)理解できてよかったと思っています。
いいじゃん平和で!と思ったけど、まさに批判派にとっては戦争状態なのだな・・・その心中がわかりますね。平和に絶賛を謳歌している絶賛派への怒りを感じます。
海未はアニメ以降特に不遇だと囁かれるキャラの一人であったため制作陣の悪意や、または慢性的な配慮の怠りの結果だと感じる人も多かったようです。
そうなんだ・・・でも海未ちゃん不遇かなぁ・・・アニメ版でもすごく人気あるじゃないですか、自分もかなり好きですよ。でも一番好きなのは花陽ちゃんですね。批判派の人はアニメ版の花陽ちゃんを『ただの米好き女』に貶められた怒っているみたいですけどね。あのキャラ設定良くないですか?アニメ版の花陽ちゃんすごく良いと思うんだけどなぁ。
※以前指摘されたメディアミックス論の『出自』部分については訂正しました。
『ラブライブ!』は私達に何をもたらしたのか? http://kato19.blogspot.jp/2016/01/lovelive.html
追記:最後になって申し訳ないんですが、『絶賛派の負のエネルギーを和らげたい①』http://anond.hatelabo.jp/20160413011057 を見逃してたみたいです!ごめんなさい。読んで改めて追記で補足しますね。(2016/5/1)