はてなキーワード: 大袈裟とは
(1)(2)両方読んだ。
自分も似た領域で働く身であり、元増田氏の主張の殆どは正論だと思った。憶測も多く含まれてる主張だが違和感は感じ無かった。でもあまり「ゴミオタクども」等と煽らない方が良い様に思う。
そう言いたくなる気持ちはわかる。大きな仕組みの中で、手間ばかりかかる煩雑な作業に対して最善を尽くそうする人々の努力を、実態も理解せず雑な大企業批判ノリで踏みにじられるのは、かなり腹が立つ。わかる。
同様に、監督やヤオヨロズ等の振舞いに対して、社会人としての一線を問いたくなる感情も理解出来る。クリエーターは中心的かつ重要な役割りではあるが、その他の役割りに対する一定の配慮も必要である。という主張は正論だと思う。でも。それでも。けもフレの件に関して言えば、それらの怒りは少し置いて、考えてみるべき事がある様に思った。
自分はその界隈で働く人間であるが(けもフレ自体には関与していない)、同時に一人の視聴者として、けもフレという作品と作品が巻き起こす現象を大いに楽しみ、その行き着く先に大きな期待感を持っていた。確かに、幾つかの発信物にクレジットが無い事に気付いて「おや?」と思いもしたが、それ以上に、作り手と作品とファンがかつて無い速度で呼応しながら熱を帯びて行く様子を見てとてもドキドキした。既存のコンテンツプロデュースの枠組みからは決して生まれて来ない熱の発生を目撃で来た事にとても興奮した。大袈裟に言えば、そこに未来を感じていたのだ。
とても残念な事に、今回の件に関しては、不幸な炎上騒動に行き当たってしまったので全てはタラレバでしか無いのだけれども。もしも、本件の関係者達が悩みに悩んだ上で、かつての「正論」の枠外にある「新しいコンテンツプロデュースの仕組み」を編み出す事に成功出来ていたとしたら...ひょっとしたらその先には、今までに見た事も無い様な作品やビジネスが芽を吹いていたのではなかろうか...
とても残念な出来事が起こってしまい、起こってしまった事はくつがえせないとは知りつつも、その話しの経緯を端で見ていた者としては、苛立ちをぶつけ合って喧嘩をするよりも、どうやったら「その先に行く事が出来たのだろうか?」という事を考え、議論した方が良い様に思う。
苛立ちと喧嘩と確執の深め合いだけで終えてしまうには、あまりにも惜しい作品であり現象だったのでは無いかと考える。なのであまり煽らないで欲しいなと。
今学期からアパートに住んでいるのだが、ルームメイトがうざい。
体が大きくて、20代とは思えないほど下っ腹が飛び出ていて、歩くときはそれを突き出すようにしてのそのそと歩く。その様子がキモくて、不快感を催す。
おまけにくだらないことでこちらに構おうとする。冷房の設定温度を上げておいたから、暑かったら言ってくれ、とか、何とか。
細かいことで過剰に思えるほど大袈裟に反応したりもする。部屋の鍵をかけ忘れていたぞ、とか、こちらが就寝中でも重大事として叩き起こして、注意しようとする。
口数も多い。やたら早口で、重要じゃないことや、誰でもわかる程度のことを長々と話そうとする。こちらは、嫌がらせをしているわけでもない相手に対して冷たく黙れとは言えないから、そうかそうか、聞いている。
深夜になっても寝付かず、朝方まで起きていて、なぜかアパートのビルの中を歩き回っている。その様子がまたキモい。なんの用事があって歩き回っているのか気になるが、そんなことでわざわざ彼と話したくない。
こちらが勉強をしていても、彼女と喋っていても構わずくだらない用件で割り込んで来る。
難儀なのは、これらの不満がほとんどすべてこちらの一方的な嫌悪感にすぎなくて、彼は別に悪いことをしているわけではないという点だ。くだらないことで人を嫌っているのはこちらである。誰にも苦情を申し立てることができないし、自己嫌悪に陥りそうだ。
iPhone X発表会を林信行が語る それは人類が向かう確かな行き先 (1/3) - ITmedia PC USER
今回の記事は他の媒体があんまり取り上げてないところをかなり詳しく書いてたりするし、
ジョブズの精神性からAppleの全体的な戦略、そして個々の新製品へと説明が移っていくのも上手い。
ジョブズシアターなんてモロに宗教的な施設だし、いつもは大袈裟に感じられるノビーの文章がむしろマッチしているよね。
なんかこういうのって一度でも「嘲笑していい対象」認定されると何やっても嘲笑されちゃうけどさ。
普段は馬鹿にしていたとしても、ちょっと良い仕事してたら褒めてあげようぜ。
少なくとも俺はこの記事を読んでApple Watch買ってみようかなと思ったよ。
諸用あり帰省した。
祖父母の元気がいよいよなくなってきているという母親の脅しもあり、高い飛行機のチケットを買った。
「実家で羽を伸ばしてきてね」
という同僚たちの声かけがありがたかったが、帰省には内心うんざりしていた。落ち着けないなと思った。自分がこの世で心底落ち着ける場所は、もはや東京都北区6畳ワンルームの寝床のなかだけな気がしていた。
家族はあまりきれい好きではなくて、というか掃除が大嫌いだから、実家は埃まみれで汚い。もともと自分は不潔な子供だったと思う。お風呂も2日に1回だったが、それが当たり前だと思っていた。
けれども実家がゴミ屋敷めいて汚くなり始めたのは、大学進学に伴って家を出てからだ。自分が関東の大学に進学し、学費のため母親が働くようになり、家の隅々まで気がまわらなくなり汚くなった。つまりは自分のせいだ。
学生となり帰省したある夏、自分の部屋に、お菓子を食べたあとのごみがうず高く積まれていて閉口した記憶がある。
妹の部屋に入りきらないごみが、自分の部屋にまで侵食していたのだった。そのままでは眠れないと思い処分したが、いざ寝ようと思った時、すえたチョコレートの匂いや埃臭さが壁紙に染み込んでいることに気づき、屈辱を感じた。
その日はなかなか眠りにつくことができなかった。
それからも実家に帰るたびに物が散乱し、形容し難く汚くなっていくのを見て、罪悪感に苛まれた。
帰るのが毎回億劫だった。罪悪感とともに、家族のことを恥ずかしく思う気持ちも芽生えていた。
大袈裟かもしれないが、実家が年々ゴミ屋敷めいていくのが、自分の能力の限界を示しているような気がしていた。
家が汚い人間がどれだけ教養を身につけようと思ったところで、限界があるのではないか。
幼少の頃、家にある本は「課長島耕作」と父親の買うパチンコ雑誌のみ。
家族は集中力がないからテレビのチャンネルをすぐ変える。認めたくないことだったが、自分の家族は、あまり頭がよくなかった。
今は恥じる気持ちも薄れた。お金がないのに関東の大学に通わせてくれて、感謝してもしきれない。だが実家は未だに汚いままだ。このままではゴミ屋敷そのものになってしまいそうである。
だから実家を掃除することにした。面倒だったので墓参り以外に予定もいれておらず、お金を使うのも億劫だったのもある。それに、帰省の前に北区6畳一間のアパートを大掃除したらそれが思いの外楽しかったので、楽しみながら掃除ができるのではと思っていた。
掃除をする旨を家族に伝えると、テレビが壊れて買い替えたので業者が来る、だからリビングから掃除をしてほしいと母親に頼まれた。
隅々まで掃除機をかけた。掃除機では取りきれない埃をモップでとった。絨毯にコロコロをかけた。こびりついた汚れに電解水を噴射し、こすった。面白いほどきれいになった。
楽しくなってきたことを伝えると、うずうずとしていたのか母親も参戦し、ともに台所の油汚れも落とすことになった。換気扇は全面が赤茶色にコーティングされており、パネルはジャクソンポロックの絵画のように汚れが飛び散っていた。
母親がどこからか出してきた業務用の洗剤を噴射してラップを貼り、しばらく置いた。そうして剥がすと、力をいれずとも汚れがスルスルとれた。そうしてあっという間にキッチンは、新築同然の姿になった。
こんな簡単なことだったなんて!自分が悩んだ、実家が汚いという事実や伴う罪悪感は、洗剤とほんの少しの労力で解決できるものだった。
こんなことなら、もっと前から掃除しておけばよかった。楽勝だった。御託を並べている場合などではなかった。さっさと行動すればよかったのだ。
キッチンは電源タップや炊飯器などあらゆる部分に埃がついて、油にまみれてしつこい汚れとなっていたが、少し力をいれたら完全に取れ、新品同様の姿となった。
ソファの合皮もてっきり経年劣化だと思っていたが、洗剤をつけてこすったらピカピカ光り出した。母親が歓声をあげた。
あまりに楽しかったので、掃除をモチーフにしたテーマパークを作ってみてはどうだろうかと想像したほどだ。
大人たちがピザを食べたりなどして見守るなか、子どもはキャストの指示のもと、換気扇の油汚れを落とすのだ。
テーマパークから帰った子供たちは、親の手伝いをするに決まっている。
今回大掃除に成功したわけだが、次に帰る頃にはまた実家は汚くなっていると思う。
見つけてしまったが、パンについてきたシールを適当にとっておくようでは駄目だ。人からの貰い物も躊躇なく捨てるようにならない限り、家はきれいにならない。
できる人間がしなければいけないのだ。この場合のできる人間とは、せずにはいられない人間という意味だ。
できる人間には、それができてしまうという限りにおいてしなくてはならないという義務が生じる。
母親は疲れ果ててできなかったのだ。父親も妹もまたそうだった。自分が恩返しをしなくて何になろう。
できる人が黙々とすればいい。これは掃除に限らず全てにおいてそうだと思う。人への気遣いとか、オリンピック競技の選手とかもそうなのかもしれない。
できてしまう人間はできない人間に対し、それができてしまうという限りにおいて、その行為をしなくてはならないのかもしれない。
なぜならできるということだけで、その人は恵まれているからだ。そして自分は完全に恵まれてしまっていた。全て家族のおかげだった。
帰省の折にたったの一度、大掃除をしただけで何を偉そうなことを、と思う。
盆は大掃除以外には何も素晴らしいことはなかった。祖父母や両親の老い、そして死の予感をひしひしと感じた。
自分はと言えばしたいことも欲しいものもなく、友人と会いたいとも遊びたいとも思えず、貯金への欲望があるのみだ。
自分もまたこうしているうちに死んでいくのだろう。ゆっくりと。その場所はごみに溢れているかもしれない。
だが自分は抗いたい。祖父母や両親の死は避けられない。しかしその最後の時まで恩返しをしたい。だからよい洗剤を探す。収納方法を極める。できることはなんだってしてやる。
見てきた。
どこをどうやったらあれが実写版になりえるのか
ていうか、ものすごい衝撃を受けた。
クリ○ンが出ていたらなおよかったと思った。
ソコくらいかな、残念に思ったのは。
でも、見ごたえは十分!ぜひお勧めしたい
本物を見なければ、その価値は解らない!
にわか乙って言われるくらいなら、見ておいた方がいい。
りくつ抜きなストーリーには驚かされっぱなしです。
が、しかしハリウッドも、ただ大袈裟な超展開だけではありませんでした。
ところドコロに出てくる、「気」のCGエフェクトがリアルさを強調。
うまく原作を活かしながら表現している演出も、あまりの完璧さに溜息が出るくらいです。
ゴ○ウの強さは、実写でもマンガでもかわらない強さだったということです
ざっくり感想を延べては見ましたが、やはり見ていただかないと
いきなりの超展開にド肝をぬかしちゃいます!
まさか!?みたいな所ばかりで、時間があっという間に過ぎていきました。
後出しジャンケンは、相手の手を見ることで絶対に勝つ手を出すことができるが、それと同じことをする人がいる
つまり他人の仕事を自分の都合の良いように評価する人がいるということである
良い仕事について、ちょっとのミスを指摘したり、成果をわざと本当より低く評価したりする人がいる
「仕事がどうだったか」ということについては、毎度データを用いるなどして客観的に検証・評価するわけではない
ことさらに小さいミスを責めたり、大した成果でもないのに大袈裟にほめたりできるのだ
私たちは仕事が実質的にどうだったかということよりも、どのように受け止められたか、評価されたかということによって自分を振り返る
同じ仕事でも評価によってやってよかったか悪かったか決まってしまう
本人にとっても周りにとってもそうである
だから、どう評価して、その評価をどう伝えるかによって人が育つか育たないか決まる
成功についても失敗についても正しい評価を伝わる言葉で伝えられることで、成果と課題がはっきり分かり、次への意欲につながる
どんな言葉掛けをするかで伝わるか伝わらないか、次に活かせるか活かせないかが決まる
人を評価するときに後出しジャンケンをしていないか、評価される人の成長の一助になる言葉になっているか、肝に銘じておかなければならない
これは一個人の愚痴でしかないのですが、誰かに言えそうでもなく、それでも何処かにぼやきたくなった為ここに書かせていただきます。
私は所謂世間で言う腐女子です。私自身の気持ち的に、元腐女子と言った方がいいかもしれません。
元々私自身が腐女子となったキッカケは高校の部活の先輩のススメでした。
共通して好きだった作品を通して会話をしていて、誰が好きなの?と聞かれた時にこの人が好きです、と答えたところ腐向けの作品を教えてもらったのです。
前々からBLの存在は知っていましたが、さして興味も無く、手を出す機会もなかったので先輩のオススメを読んだのが二次創作BLに触れたキッカケでした。
読んだその時の感想としては絵も上手だし、好きなキャラが描かれている訳ですから単純な私は「ああ、これ凄く可愛いなぁ」と私は率直に思いました。
ただ今よく考えれば私の他人の顔色を窺ってばかりな性格も災いしてか、先輩が良いと言ったものだから!と右にならえで賛同しただけだったのかもしれません。
それでもその先輩に「この前教えてもらったの、凄く良かったです」と感想を伝えた過去の私がいましたので、そこから腐女子としての生活が始まりました。
腐女子としての生活といっても何ら特別な事はありませんが、イベントに行く・参加する、漫画を買い漁る、ネットで二次創作を見る、ツイッターで交流する、などが主でした。
今振りかえっても、悪い思い出ではないです。寧ろ掛け替えのない思い出だと思います。楽しかったですし、とてもとても充実していました。
ツイッターで出来た特に交流が深い所謂価値観が近いフォロワーと、この作品が面白いよ!と言い合ったり
この作品だったら「○○×△△」だよね、そうだよね!だなんて会話をして盛り上がったりというのはしょっちゅうの事でした。
ただ人間何が起こるか分からないもので、私はとある理由から一時ネットから退いたのです。
己の薄情さを自分自身ひしひしと感じましたが、それまでの関わり合いというのは一切シャットアウトしてただ一人殻に閉じこもるみたいな生活になってしまいました。
そんな生活に陥ってしまう程に自分としては精神的にもまいっていて、塞ぎ込んでいた所、とある作品に出会いました。
こんな風に書けば大袈裟かもしれませんが、この作品のおかげでかつての「楽しい!」という気持ちも芽生えたし、新しいCDやグッズが出るから買いに行かないと!と当初は避けていた外出も行えるようになりました。
私としては純粋にこの作品がとても好きで、楽しくて、素敵だと思ったのです。ただ一人、その作品を見て読んで聴いて楽しんでいました。
そんな生活を続けていると気持ちも徐々に復活してきて、割愛しますが色々な機会もあったので、私はまたPixivであったり、ツイッターだったりそう言ったSNSサイトを閲覧したり、私自身も再び参加する様になりました。
ただとある日、その作品の二次BL作品を見かけた時に私は今まで感じた事のない「嫌悪感」の様な物を感じたんです。
原作は勿論BLジャンルではないので○○と△△は付き合っていません。
友情関係の結びつきで○○は△△に「好き」とは言ったけどそれは別に恋愛感情ではなく、ブロマンスとして最高の感動シーンなはず。
それでも○○の△△に対しての感情を「恋愛感情」として置き換えた、そんな二次創作でした。
その事に対して私は嫌悪感を抱いたんだなと思いました。大好きな作品、その登場人物を歪められたと思ったんです。
そこまで思ってハッとしたのですが『私が今までやってきた事ってこれと同じじゃないか』と思いました。
私がとある作品が大事なように、誰かにとってもそうである作品を今まで私は歪めて捉えてきたんだ。
それは原作者にも熱心なファンにも凄く失礼な事だったな、と本当に今更ながらに考えました。
考えれば当たり前の事なのだと思います。なんと自分は身勝手なんだろうと思いました。
今も昔も自分の楽しさ、自分の考えを押し通すように生きている、そう思いました。
ただ世の中に「腐媚び」という概念がある様に、そう明言されずとも明らかにそれを狙い澄ましたような演出があるのも確かだとは思いますが、それでも純粋に作品を愛している人にとってはどうでしょうか。失礼に値するのではと思う訳です。
それでも一人一人に嗜好という物があるのですから、二次BLを好んでしまう人が大勢いるのも仕方がないことです。
ですが今、ツイッターを覗いてみると「BL二次創作は当たり前」だと隠れず、何も見えないようにアカウントを非公開にもせず大多数からの閲覧が出来る状態で堂々と呟いている人が多いのが目に見て明らかです。
作品の公式アカウントにリプライでカップリング名をツイートしてみたり、○○×△△は公式だからとツイートしてみたり。
自分の嗜好と合わなければ「地雷」だという言葉を使って他者を殺傷物呼ばわりして跳ねのけてみたり、逆カプ(自分が好きなカップリング〔○○×△△〕とは逆の組合せ〔△△×○○〕)は潰れろと、自分は過激派だから~と前置きしていってみたり。
自分の想像とそぐわない事が起これば「解釈違い」だと言ってみたり、ましてや公式に対して気に入らない事があれば「公式が解釈違い」と騒ぎ立てる事も見かけた事があります。
ましてやあるキャラの過去を知っているキャラが現れただけで「元カレ」だとお祭りの様に騒ぎたてたりするのは、個人的に「取り敢えずBLにしとけばいいや!」くらい、ちょっと軽率すぎなんじゃないだろうかとも思います。
自分の解釈を、自分の嗜好を何だと思っているのでしょうか。あなたは公式なのですか。過激派だから何言ってもいいですか?テロリストと一緒でしょう。と思うと、不信感ばかりが募ります。
フォロワー数が多い人の発言を鵜呑みして少数派の意見を摘み取っていくのも、つぶすのも、その発言がさも公式だと振舞う様にも首を傾げざるを得ませんでした。
ここまで来て、自分が腐女子であった事に対して罪悪感を抱くようになりました。
マナーがいい方も、優しい方もいます。ちゃんとルールを守ってひっそりと楽しんでいる方もいます。
それは当然の事でした。ただ自分自身、そんな勝手な気持ちがムクムクと大きくなったのです。
誰に関係ある事でもないので、私はそっと「見たくない人は見なければいい(この意見も極端だと思いますが)」という意見の元、またツイッターやPixiv等をパッタリ退会しました。
そんな中でも自分自身の汚い所で「私と同じ気持ちの人間がいるんじゃないのか」と探してみたい気持ちになって、辿り着いたのがBLが嫌いな人達が書き込む掲示板でした。
そこの掲示板にもなかなか過激な事が書かれてありましたが概ね同意するような内容ばかりで頷く事も多かったのですが、書き込むルールという所に「元腐女子もここでは厳禁」と書かれてありました。
あぁここにいる人達からしてみれば、私も何ら嫌悪する対象と変わりがないんだなぁ、と思うと、そのページを閉じるしかする事がありませんでした。
それに私としては見る、見ないはさておき一次BLの存在自体、何もおかしいとは思わないのです。
前にツイッターで「大豆は一度腐って納豆になったら、もう二度と大豆には戻れない」と書かれてありましたが、自分はそうでないつもりでも他者からしてみたら全くもってそうなんだと思いました。
腐女子の俗称で「ゴキ腐リ」とありますが、やっぱりゴキブリはどこに現れようがゴキブリのままで、納豆は納豆のままなんだと思いざるを得ません。
これが今まで通ってきた業だと思い、受け止めようと思ったのですが勝手ながら寂しいのも事実でした。
結果ここに甘えて、このような書き込みをしてしまう事を許していただければ幸いです。
随分と長々、自分勝手な事ばかり書きならべて申し訳ありませんでした。
追記
こういう場に書き込んだ以上矛盾した言い方ですが、こんなに人に見られるものなのだなと内心驚いています。
この文章にて他の腐女子の方々を巻き込むように、ゴキブリと明記した事は配慮に欠ける発言だったと思います。
一部界隈でそう呼ばれていた為、これを書いていた時はただ単純に自分を嘲る為に用いましたが他者の目に触れる以上大変不用意でした。
他の方の気持ちを推し量らず、感情のまま書き並べて申し訳ありませんでした。
ただ同性愛差別をしていることにつながるのでは、という事に関しては同意しかねます。
ここまで書きたてておいて今更どう思われても仕方の無いことですが、ただ純粋に作品の一キャラクターの発言をそういう風には捉えてほしくなかったという一心だけでした。
そのキャラクターが同性に対して恋愛感情を抱いているようなニュアンスでの発言の上だったらこのような気持ちにもなっていません。
あと腐女子自体が嫌いになったわけでも「仲間にしないで!」といいたい訳でもないのです。
また、自分が腐女子であったため腐女子のマナーを例に挙げましたが、百合が好きな方であろうが、男女カプが好きな方であろうが人目に触れてはいけないものはいけないと思います。
最近の性犯罪についての議論やらと、「子供の頃嫌だと言っても(からかうこと等を)やめてくれない大人が本当に嫌だった」という内容のブログだかトゥゲッターだかを読んだ影響で、子供が「嫌だ」「やめて」と言ったらすぐやめるようにしている。大人が「やめて」と言われてやめなければ、子供に「やめなさい」と言ってもやめない子に育つのは当然だと思ったし。
今日も娘(2歳)とくすぐり遊びをしていて娘がケラケラ笑いながらも「やめて〜!」と言うのでくすぐるのをやめた。するとしばらくして娘が「コチョコチョして!」と言い出した。さっきの「やめて」は本当にやめてほしかったわけではないらしい。思えば自分も子供の頃「嫌!」と言いつつもっとくすぐってほしいと思っていたことはあって、嫌と言っているのにくすぐられたりすると嬉しかったな。
外国では「嫌」イコール「嫌」でしかないという。この「外国」が欧米だけなのか、他の東アジア含む全世界なのかよく分からないけども、外国の子供はくすぐられて「やめて〜」と言いつつ本当はもっとくすぐってほしいと思っていることはないのだろうか。なんとなくある気がするのだが。
外国では「やめて」と言えば大人は実際にやめることを何度も体験することで、子供はやめてほしくない時は「やめて」と言わないように学習していくのではないだろうか。つまり、大人に「やめて」と言ってもやめてもらえない体験を何度もする日本だから、「嫌よ嫌よも好きのうち」という思想が育まれていくのではないだろうか。(それは逆から言うと、大袈裟だが、親に本心を察して貰える嬉しい体験が日本では可能で、外国では不可能だということ)
おう、夏も本番だが体調とか崩してねえか?
やっと築地と豊洲の話が書けるようになってきたんで、ガッツリポジショントークで整理しておくぜ。
オレが何かを主張してるわけじゃないっていうエクスキューズはいれとくな。
コレは単なる整理だ。
ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)って言うと、大袈裟だとか思うだろう?
GoogleMapで築地市場を御覧ください。
そう、マンション開発するなら超絶な好立地であり、
商業施設であっても、都心では恐らく二度と無い大変素敵な土地なワケだ。
タワマンだとか土地のお値段って言うのは、「その辺り一帯の価値」が反映されやすい。
つまり、大江戸線や日比谷線、有楽町線や浅草線の沿線も影響を受ける。
ごく判りやすい例で行けば、月島のマンションの価値が影響を受ける。
そして、ちっとわかりにくいかもしれんが、
GoogleMapをもっかい見てほしいんだが、中央卸売市場築地市場のまわり。
お店が沢山あるじゃろ?
沢山のお店の人達は、別に豊洲に引っ越せとは言われてないワケだが(察しろ)
小池都知事まだ1年経ってないのよ。
石原慎太郎さんが2012年まで、猪瀬さんが2013年まで、舛添さんが2016年まで。
さて、「観光資源」である「千客万来施設」から、すしざんまいが撤退したのは2015年で、
「お台場の大江戸温泉物語が終わるってんで温泉施設込みで計画立ててたのに、何勝手に定期借地権契約更新してんだよ」
と、フツーに考えたら市場隣接の商業観光施設で他所が潰れる前提で計画立てるのはムシが良くね?ってのが理由になってた。
ただまあ、この手のは忖度だの融通だの記録に残らないアレコレで、
筋を通したり泣いてもらったりの寝技が跳梁跋扈する世界でもある。
みんなスコーンと忘れてると思うが、2016年11月に新市場を開場するって決めたのは舛添さんで、
理由は「五輪の交通網整備の時間がねえから良いから移れよ」だったんだよね。
築地に比べりゃアクセスは悪いし、「築地」って名前のブランドも無いし、ひとくるの?と。
んでまあ、築地市場って今回移転するしないで揉めてるところの周りにも沢山築地の名前で商売してる人はいる。
NIMBY(必要は認めるが近所には来るな施設)である卸売市場は、マンションの近所にゃ来て欲しくないし、
超絶好立地な都心の一等地の開発にはイッチョカミしたい。地価が上がればマンションも高値になるし。
こういう本音を隠したまま、建前で「安全が安心が」とか「五輪がスケジュールが」とか揉めてると、
建前「だけ」回避・解決された上に、本音の儲けどころは丸抱えで持っていかれるという……
政治家の成果は有権者の投票に出るから、そういう意味で成功失敗は判りやすいよね。
ポジショントークだって最初に言ったけど、まあ、焦ってマンション買ったりするなってことで。
無駄遣いしないようにしようぜって掛け声の東京オリンピックで、
全部別の話なのに、全部同じ話をしてるという、地面から見たお話でした。
白紙のはずの再開発が、マンション建設で進んでたのに観光市場残されたらたまらん!みたいなのって
ぶっちゃければぶっちゃけるほど、密約とか口利きとかコネと根回しの生臭い話になるんだけど、
そういうアングルでスクラム組んでも、別に現都知事を攻撃できるわけじゃないからなあ。
鉄火場は誰にも予想できないんで、変に吹き込まれて素人が手ぇ出さないようにな。
約束だぞ!
俺妹という失敗作をベースに問題点を改善しようとしたがキャラの魅力は減退しストーリーはご都合主義、突っ込み所万歳、嘘大袈裟紛らわしい展開ばかりで見るに堪えない駄作。
最悪なのが妹の設定。義理の妹を出すために主人公の母親を殺し父親に再婚させ連れ子の兄弟にする。その後邪魔な両親は殺して退場させるという鬼畜の所業。さらに引きこもりにして外部との接触を断ち外野からとやかく言われないようにするという徹底ぶり。前作が結末で叩かれたのがとても応えたらしい。
紗霧アニメーターとわざわざエンドクレジットに載せるほど紗霧の可愛さに重点を置いているのは分かる。しかしそれって結局、今回も他のキャラは捨て駒ってことだろ。
メイン回のあったエルフやムラマサはともかく、最終回になって久しぶりに出てきた委員長や書店の子がどんなキャラクターか把握出来た人はどれだけいるかな?
せっかく物作りを題材にしているのにの作者達の創作物がどういう物かさっぱり伝わってこないのも痛い。それで売れた売れないと言われても説得力が無く、ラノベ天下一武闘会もなぜ勝てたかさっぱり分からない。
ラノベ作家と絵描きが主人公ということで1%でも業界物要素を期待しているなら無駄なのでバクマンでも読んだ方が100倍マシ。
この作者のストーリーに期待できないなんていうのは前作の時点でわかりきっていたが、可愛い可愛い紗霧ちゃんと愉快な捨て駒サブヒロインを愛でられればそれでOKという萌え豚なら面白いと思えるかもしれない。
パロディオマージュを通り越してパクリにしか思えないキャラクターの設定と展開に萎えた。レクリエイターズじゃなくてパクリエイターズに改名しろ。
とにかく頭も性格も悪いキャラが多く見ていて冷める。デスゲーム物ゆえにそういうキャラが中には居るっていうのは分かるが、それにしても創作キャラクターも政府の人間もアホばっかりというのは斬新。根拠0の世界崩壊仮説に専門家呼ぼうとか笑っちゃうわ。
そして視聴者が見たいのは創造キャラクター同士の戦いで、オフパコ超会議で出会った女がネットで叩かれて自殺したとか、それで悩んでましたとかすげーーーーどうでもいい。出番の多い主人公がウザいって本当無理。そんなのに二話も使うとかアホ。
絵だけは綺麗で金かかってんだなとしか思わなかった。ソシャゲ原作のアニメって時点で地雷でしかないのに一応全話見た自分を褒めたい。
今更二期感が強く旬は過ぎた。巨人中学校、総集編映画、くそつまらんOADやカバ何とかを作ってないでさっさとこっちを出せばよかったのに。
ストーリーは原作で巨人の正体を知っているため驚きもなく流し見で終わってしまった。さらにこの後しばらく巨人が出ず人間同士の足の引っ張り合いの話になるとさらにつまらなくなるのでシーンズ3も期待出来ない。
よくある絵だけは可愛いアニメだったがそんな物は世に溢れかえっており食傷気味。せっかくの演劇という題材も活かせたとは言えず1ヶ月後には忘れられてる。こなたが本を食いだした時がピーク。インクと化学薬品の塊を食ってよく腹を壊さないな。
くまみこの再来。9話の超展開からジェットコースターのように落ちていった。人類対異方の交渉が崩れた時点で終わっている。最後には半分戻って来たけど。
ザシュニナから魅力が無くなりただのヤンホモ小悪党になっていくのが虚しくも笑えた。人間性を得た結果がホモ化とはたまげたなぁ…。
ただただ胸くそ悪い話。巨人に食われたり魔法少女が斬殺されるアニメより残酷だった。
石鹸枠へのアンチテーゼ的作品なのかと期待したが結局いつもの石鹸枠を抜け出せなかった凡作。かっこいい先生がかっこいい所を見せて先生すげーってのならぬーべーの方がよっぽど面白い。
15年前の話を5年前レベルの3DCGで今更やる必要性が分からない。特に一期から3DCGが全く進歩していないのに驚いた。同時期にやっている作品に比べて大きく劣っていることに気がついていないのか?
狂戦士の甲冑も全く迫力が無くてがっかりした。これなら過去のアニメやゲーム作品の方がよっぽど良かった。
3Dでは再現できない原作の雰囲気を出したい時だけ絵になるがその絵でずっとやれ。ちなみに原作だとようやく妖精島にたどり着いてキャスカが戻りそう。
文句ばかりになってしまったが、ここで触れていないアニメはまだ見る価値のある物だった(もしくは特に語る所も無いか)
中でもsin 七つの大罪、覆面系ノイズ、僧侶と交わる色欲の夜に…は展開が全く読めず見ていると頭がぐっちゃぐちゃになり気持ちよかったのでオススメです。
褒めるなんて大袈裟なものじゃなくて良い。ありがとうね〜とか忙しいのに悪いわね〜とか言われるだけで嬉しい。
世間の公務員に対する印象は分かってる。自分も民間企業で働いていた頃は公務員を信用していなかったし、たらい回しがお家芸の楽な仕事と見下していた。だから市役所の窓口対応や電話応対で予期せず褒められると「えっ!お褒め頂けるんですか!」と驚いてしまう。例え社交辞令でも嬉しい。法律や憲法、自治法に雁字搦めな立場ゆえにお役に立てない事もあるが、出来得る限りでもっと力になりたい、頑張ろう、と思う。
頑張った結果住人に褒められることがなくても、「まあそうだよな」という感想が真っ先に来るので、別に褒めを求めている訳ではない。公務員への不信感が募る現代で住人に褒めて貰えるのは藤井四段風に言えば僥倖である。褒められなくても仕事はきっちりこなす。
自分の勤め先である役所の他部署や他市町村の役所に行くと、たまにびっくりする程酷い対応をする職員がいる。めちゃめちゃ腹が立つ。
役所に来る住民の人は必ず目的があって自分の時間を割いて来てる。プラス、役所と関わり慣れてない人はどの窓口でどんな手続きが出来るのかという不安や、書類の提出期限に追われる焦燥も抱えているかも知れない。その心情を知ってか知らずか良い加減な対応をしたり上から目線だったり怠そうに振舞ったり、もう辞めちまえと思う。
役所に来る住人の中には横柄な人が何人もいる。怖い人も嫌な感じな人も大勢居る。そういう人達には行政として然るべき対応をすれば良いが、大体が善良な住人だ。そして大体が役所の複雑な手続きと窓口の多さに戸惑ってる。そこに声を掛ける、手を差し伸べる所か舐めた応対しか出来ないなら職員なんかやるべきじゃない。横柄な住人ばかり相手にしてきたから態度が良い加減になる、それで良いのか?目の前に居る住人が必ず横柄なのかと言われたら違うはずだ。
話がまとまらなくなってきた。伝えたい事を箇条書きにする。一部主題からずれる内容もありますが切実なのでご容赦ください。
・褒めて貰える、貰えないに関わらず仕事はきっちりやるよ
・住人に褒めて貰えると驚くけど内心とても嬉しいよ
・良い加減だったり偉そうだったりする職員は己を省みて欲しいよ(住人が役所苦手になる原因は職員の態度の悪さだと思う)
・役所に来てくれる時は出来るだけ事前に電話して持ち物や手続きの流れを確認してね(書類不備や持ち物忘れがあると折角役所まで来てくれたお客さんを帰らせなきゃいけない。いつも心苦しい。ホームページに明記してあるならそれを確認でもOK)
https://anond.hatelabo.jp/20170614201508
だから、表現が人に影響を与えるなんてことは前提の上で、規制(抑制と言ってるけどそれは結局規制になる)は否定されてるんだってば。何度も何度も何度も繰り返されてる話だけれど。
そもそも規制すべき表現とそうでないものをどう決めるの? 人を傷つける表現は全部だめにする? でもそもそも誰も傷つけない表現なんて存在しないよ。
例えば子供を亡くした人は子供が死ぬ話で傷つくだろうし、逆に幸せそうな家族を見て傷つくことだってあると思うよ。自殺を考える人は、普通に振る舞う人を見るだけで心を痛めるかもしれない。誰かを傷つけることがだめなら、極論をいえば全てが規制されるよ。
ロリをレイプする表現なんて誰が見てもだめだろうって? 本当にそうか? 有名な小説で少女とセックスするものもあるし(今の基準ではレイプだ)、知的障害の女性を輪姦して殺してしまう話もある。こういう小説も漫画も古今東西いっぱいある。扇情的でなければいい? 昔の話ならいい? 小説ならいいけどエロ漫画はだめ? その違いは?
犯人が参考にしたと供述したらだめにする? 他の事件でドラえもんを持ち出した殺人犯がいたけれど、ドラえもんは出版禁止にするべき? 時計仕掛けのオレンジを見てホームレスを殺した人がいたけれど、若者が犯罪に走る小説や映画は作ること自体許されない? 聖書を理由にした殺人も五万とある。過去最も犯罪の原因になってるこの本は真っ先に規制すべき?
今回の漫画は犯罪の具体的な方法が書かれているからだめ? 犯罪が描かれた小説などには現実に応用できる具体的な描写があるけれどそれもだめ? 詐欺の手口も報道できなくなるよ。
性欲発散という欲望がはっきりしたエロ漫画と犯罪方法が結びついてるのがだめ? 例えば経理の参考書などは資産の効率的な運用、つまり金銭を増やすという欲望がはっきりしている。そしてこういうことをしたら脱税になるからやめろ、と注意書きの形で犯罪方法も書かれている。それを元に脱税をした犯罪者がいたら、経理の参考書は規制されて当然だと言うだろうか。脱税した方がおかしい、参考書になんら責任はないと思わないだろうか。
そして、もし仮にロリレイプものになんらかの規制をするとしても、それは望む範囲で実現すると思う? 歴史的に見たら絶対に無理だ。
今回のような二次元ロリを規制したとして、それが当然になった社会では、しばらくしたら次はレイプや痴漢などの性犯罪ものが規制されるよ。悪い表現だから規制したっていう前列があるから、そういう要望は止められなくなる。もしくはそれを利用する人が出てくる。性犯罪がだめなら一般の犯罪描写を表現してもいい理由もない。犯罪がだめなら非道徳的な描写もよろしくない、もっといい表現にすればいい社会になるはず、と規制は際限なく続くよ。報道すらも規制される。
そんなわけないと思うかも知れないけれど、戦時中は実際そうなった。エログロは規制され、大政翼賛の報道しかできなくなった。戦時中と現在は違うというかも知れないけれど、違わない保証はどこにもないよ。
規制のために表現の良し悪しを決めるとして、それは誰が行う? 結局は権力者が決めるんじゃない? 国民の代表が決めれば文句はない? 国家にあれはいい表現、悪い表現、と決められて納得しちゃうの?
権力側にとっては、表現を規制できるのはすごく都合がいいよ。権力への批判を封殺できるから。そして権力側が表現規制するときに真っ先に狙うのが、今回のようなエログロ表現だよ。国民の中でも嫌悪感を持つ人が多いから。そうやって感情的に納得させやすいものから狙い、次第に権力への批判も規制し始める。これは世界の歴史でも現在でもお馴染みのパターンだよ。
大袈裟なと思うかも知れないけれど、自由の問題というのは蟻の一穴を開けないことが大事なんだよ。最低の表現を守るからこそ表現の自由に意味がある。選ばれた表現しか守られないなら、それは本当の自由じゃない。もちろん、表現の自由を盾にすれば批判を免れるということではないけれど。
以上、多くの人が規制に反対するのにはこういう理由があるわけ。簡単に抑制とか言っても、それを実現したら社会的影響がすごくあることを考えてほしい。
「俺だって金さえあれば大学院くらい」って言われたこともあるし、院生ですって言った途端に「金持ちなんですね」って言われたこともある。
確かにある程度の収入の親がいないと大学院まで来られなかったかもね。
それでもこういうことを言われる度に地味にダメージだった。
私の努力を無にされてるようで。
ただあなたがしたような努力(受験勉強とか)は私も同じようにやってきたんだよ。裏口入学したわけでもあるまいし。金持ちとなんか関係あるか?奨学金で来てる人だっていると思うよ。
もちろんこういうこと言わない友達はたくさんいてくれる。
ていうか口に出さないでいてくれたらそれでいいのに。思うことは止められないから。
すぐに何でもかんでも金に結びつけるなんてお下品ですね
次言われたら言ってやりたい。
最近、山本美月がバラエティにゲスト出演しては宣伝しまくってる映画「ピーチガール」。CMも打ちまくってるよね。
って、少女漫画なんて読んだことのない俺が何故このタイトルを知っているのかというと、
パトリック・マシアスというアメリカ人オタクライターの書いた「オタク・イン・USA」というアメリカのアニオタ事情を解説した本の中でアメリカを騒がせた作品として紹介されているからだ。
あるアメリカの夫婦は、小学生の娘が図書館から借りてきたMANGAを見て大変なショックを受けた。
そのMANGAは図書館のティーン向けの棚にあったというが、中身は見るのも憚られるセックスシーン満載のポルノとしか言い様の無いシロモノだった。
「大人の私ですら、吐気がするくらい正視できない内容なのに、こんなものを子供に見せるなんてとんでもない!」
その夫婦が怒り狂った漫画とは、英語に翻訳された「ピーチガール」だった。
ググったらソースもあった。
http://d.hatena.ne.jp/juice78/touch/20060915/p1
さて、この夫婦の告発が新聞に載ると、テレビのニュース番組も挙って取り上げ、
アメリカでは「ジャパニーズ・マンガ」の一大バッシングが巻き起こった。
「日本がアメリカの子供をポルノで洗脳しようとしている!日本の漫画をアメリカから追放しろ!日本の漫画を許すな!」の大合唱に、
当時のアメリカのアニオタ達は「もうアニメが輸入できなくなるかも」と戦戦恐恐したそうだ。
だが、当の図書館がピーチガールの廃棄を発表してからは、この話は下火になり
まあ、セーラームーン上陸の際も「ポルノだ!女性差別だ!」と騒いだ国だから、大袈裟かもしれないが
当時の少女漫画は「今時の少女漫画はセックスシーンが無いと売れない」と言われ、どんどん過激化していたのも事実。
俺はピーチガールを読んだことはないので、セックスシーンがどれだけ過激かは知らないが、ネットのレビューでは中々ドロドロとしたストーリーであるとの評が多い。
で、話は変わるが、俺の周りの男達は全員、山本美月が好きだという。
どんな美人な女優やアイドルでも、男が集まれば「あんなの好みじゃないよ」と言い出す男が必ず一人はいるのだが、山本美月を否定する男には出会ったことがない。
もちろん、俺も大好きだ。