はてなキーワード: 卒業式とは
中学1年生のときに一目惚れをして、僕から声をかけ、中高の6年間で付き合ったり別れたりを何度か繰り返した。付き合った、といってもごっこ遊びのようなもので、平日はメールや電話でやりとりして、休日にたまに映画を見に行く程度の付き合い。手も握ったことなければ、もちろんキスなんてしたこともない。
彼女とは大学が別々になり、それがきっかけで疎遠になっていた。
それから4年が過ぎ、大学の卒業式の日、ふと彼女のことを思い出した僕は、思いつきで彼女のメールアドレス宛にメールを送ってみた。4年間でメアドも変わっているだろうと自分に言い訳しながら。
「元気にしてる? 今日は卒業式だったよ。来月から東京で社会人だ」
どうせ返事はこないさ、という僕の予想に反して、彼女からすぐに返事がきた。
「元気にしてるよー」
思わぬ返事に舞い上がった僕は、何度かのやりとりのあと、東京にいく途中で彼女の家に行っても良いかと聞いてみた。彼女からは「いいよ」という返事が返ってきた。
ひとり暮らしをしている女の子の家に泊めてもらう。何かあるわけじゃない、ともだちとして泊まりに行くだけだ、と自分に言い聞かせながらも、僕の中では彼女と何かあるんじゃないかという期待が膨らんでいた。
そして、約束の日の夕方、待ち合わせの駅の改札を出ると、彼女がいた。久しぶりに見る彼女の姿に、高校を卒業した頃の姿が重なる。小さな身体にしっかり結んだポニーテールがよく似合っていた。
ふたりで家の近くの居酒屋に入り、近況を語り合った。ひとり暮らしのこと、学校のこと、恋人のこと。彼氏がいるということだったが、最近はうまくいっていないということを聞いて、期待がまた少し膨らんだ。お酒が進み、酔っ払うにつれて、高校のころや中学のころの話になり、あの頃がなつかしいね、一緒に映画を見に行ったよね、と時間が巻き戻っていくのを感じた。
2時間ほど飲んだあと、居酒屋を出て、彼女の部屋へと向かった。
ワンルームの部屋にはこたつが置いてあった。寒いねと言いながら、こたつに入ってテレビをつけた。テレビではバラエティ番組を放送していた。テレビでは芸人たちがおもしろいことを言って笑いをとっていたが、舞い上がっていた僕の目にはまったくはいってこなかった。
「汗かいちゃったね。お風呂どうする?」と言われ、彼女と交代でシャワーを浴びることにした。僕がシャワーから出ると、先にシャワーを浴びた彼女はこたつから上半身を出して眠っていた。何かあるかもと期待していた僕の気持ちは急にしぼんでしまった。このまま朝になって、なにごともなく帰るのかな、と。
僕もこたつに入り横になった。目をつぶって寝ようとするが、昂ぶっているのかなかなか眠ることができなかった。こたつに入って15分くらい経ったころ、
「眠れないの?」
と、眠っていると思っていた彼女が口を開いた。
「うん」
正直に答える。
「...」
「...」
沈黙が部屋の中に充満していく。
「そっちにいってもいい?」
思い切って聞いてみた。
「...いいよ...」
彼女が答える。
彼女が寝ているこたつの辺に身体を入れて、彼女にくっつくように抱きしめた。小柄な彼女の髪の毛が僕の鼻をくすぐる。女性用シャンプーの魅惑的な香りが僕の脳を麻痺させていく。頭を少しずつずらして、彼女の顔へと近づけた。
中学のとき、高校のとき、求め続けて得ることができなかった彼女のくちびるがそこにあった。
思い切ってくちびるを合わせた。彼女はびくっと身体を震わせた。お互いの身体から緊張が伝わる。緊張をやぶったのは、彼女の方だった。くちびるから舌を出し、絡ませてきた。僕もそれに応えた。お互いの口から吐息が漏れる。ねっとりとしたキスをしながら、手で彼女の身体をまさぐった。ふとももから撫でるようにおしりをさわろうとしたとき、彼女の手が僕の手を制した。
小さい声で「...ダメ...」と言う。
ここまでしているのに? これ以上はだめということ?
パニックになった僕は思わず「なんで?」と口に出してしまった。
「...これ以上すすんだら、ともだちじゃいられなくなるよ?」と彼女は言った。
彼女の言い分としては、セックスするならちゃんと付き合って欲しい、付き合わないのにセックスをするのであればともだちとしての付き合いも今日まで、ということだった。
それならば彼女と付き合ったらいいじゃん、という話だが、実は僕には大事な彼女がいて、その子と別れるつもりはまったくないのだった。ひどい話だと自分でも分かっているのだが、仕方がない。
僕は少し考えるふりをして、ともだちとしての付き合いが終わってもいいから、付き合うとかはなしでセックスしよう、と言った。彼女は少し残念そうな顔を見せたが、仕方ないとあきらめたのか、ふたたび僕と身体を合せた。
服を一枚ずつ脱がせていく。これまで想像のものでしかなかった彼女の身体が、少しずつ顕になっていった。僕も服を脱ぎ、肌と肌を合わせる。彼女の大切な部分に指をはわせると、僕の耳元で一段と大きな吐息が漏れた。彼女の息遣いに僕の興奮は最高潮に達していた。
彼女の身体を下にして、いざ挿入という段になって、彼女が言った。
「...ゴムは?...」
「...持ってきてないや...」
しばらく目と目で見つめ合ったが、ここまでだなと僕の中でなにかの区切りがついて、結局彼女に挿入することはなかった。
彼女はもう一度シャワーを浴びてくると言って風呂場へと消えていった。こたつにひとり残された僕は、風呂場から聞こえるシャワーの音を聞いていた。それはまるで身体のけがれを落とすかのような音だった。シュコシュコシュコと、歯磨きの音も聞こえてきた。さっきまでお互いに求め合い、くちづけ合っていた余韻をさっさと洗い流してしまいたいという音だった。
そのあとは、朝まで別々に眠り、始発の電車に乗るために、早起きして彼女の家を後にした。
東京に向かう電車の中で、昨夜のことを思い出しながら彼女にメールを送っていた。
「一線は越えてないから、僕たちはまだともだちだよね?」
体型よし、感度よし、攻めよしと3手揃った最高の女性
料理も上手だし優しいし超絶かわいいし付き合って2年近いが彼女のことが常に頭から離れないので絶対この人にプロポーズする。
愛のあるセックスは何より最高だ、と毎回感じる。
この人となら素晴らしい家庭を築けそう。
Hカップの爆乳の持ち主。今の恋人と付き合う前に付き合っていた。
年齢に裏打ちされたテクニックは腰砕けになったし、若さを吸い取るようなプレイに20代の自分はかなわず腰砕けになり、
その瞬間俺は彼女の上でひたすら腰を振り続け、爆乳に埋もれるだけの存在と化した。
しかしそんな見た目とは裏腹にエロい体つきで、しかもものすごい騎乗位がヤバかった。
しかも、言葉責めがエロゲーのようにかなり激しいので、自分のドM心が刺激されて完全に彼女の虜になっていた。
肌が弱いので、全身にアトピーがあったが、むしろそのアンバランスさがかえってそそられる。
今も思い出してムラっとくる。付き合いたかったな。
お互いのムードがよかったのでなんだかベッドインする流れになった。
「ヤれればいいのがセックスじゃないんだよ、愛と相性が大事なんだよ」とセックスの神様が教えてくれたきっかけとなった。
とてもやさしく、いい人だったがセックスがかなり耐えられなかった。
ワキガだったし、下も臭かった。
そのせいで毎回萎えてしまうのだが、それを言うととてもとても可哀想で言えず、結局別れてしまった。
お肌の荒れ具合とかにコンプレックスは持つ必要は無いと思います。
もしかしたら俺だけかもしれませんが、そういうほうがかえって素人感があって燃えます。
そしてやっぱりどんな体型だろうとどんなテクニックがあろうと、
大事な大事な一番の事は「この人と一緒にいたい」「この人と家庭を持って添い遂げたい」と願う愛だと思いました。
※彼女以外で例えば、という仮定で。
多分ムリだろうな。
悶々としていた。今も日々悶々としている。
スク水とか着せてみたい。
もはやいないとおもってる
ロシア人としたいです。
アニコス。
っていうか、アニメキャラクターみたいなドギツイ髪色が好きなんだ。
コミケとかでナンパしてお持ち帰りとかしてみたいですよね。まあ迷惑だし絶対やらないけど。
・巫女装束
きっと、いや絶対叶わないだろうな。
絶対叶わないだろうな。
セックスできたら死んでもいい。
まぁ言われ慣れてるとは思うけど、
大手の経歴はベンチャーにいる上で武器になっても重荷にはならない。
自社株貰ってイグジットに到達!なんてことになりゃそりゃ儲かるよ。
まー、この段階でしかも成長性の高いベンチャーなんて社員の切符残ってないけどさ。
新卒を募集するベンチャー()なんて、最早ベンチャーじゃねーの。ただの中小企業。
だってそのベンチャーさんのアドベンチャーが成功してワンピースに到達しても
「研修がしっかりしていてきっちり育ててくれる社風」って時点で、そのベンチャーに入る価値はないんだよ?
ただの給料安くて仕事がハードで労働環境クソミソなのに夢に向かって滾る
キチガイにお付き合いしなきゃいけないお仕事なのよ、ベンチャーって。
あ、ベンチャー経営者って一人残らず頭おかしいから。頭おかしいだけならまだしも純粋に頭悪い場合も多いから。
最近新卒3人取ったけど、まーそりゃ給料は上がるよ業績上がれば。
でも、俺ら創業メンバーの目の黒いうちは給料以上の分け前なんてあるわけないじゃないの。
だって、「いくらでも替えが効く人材」が必要だからまっさらな新卒採用してるわけで。
おまえらに渡る可能性のあったオプションはさ、もう中途で入れた即戦力連中に使い果たしたんだよね。
んで、業務の属人性を極力外していらないスペシャリスト切り捨てて、マニュアルも出来上がって
「さて新卒くん取るか」って話しになるわけよ。そこまで到達してやっと。
それまでは業務まわすだけでマジ一杯一杯だからね。新卒に辿り付けるベンチャーはもうベンチャー卒業式を挙げていい。
だから、おまえら普通に社員なの。ベンチャー入っても特別なオプションなんて無いのよ。
「成長できる」とか言うけどさー、俺たち弱小クソベンチャーの教育環境が大手以上だと思う?そんなわけねーじゃん。
つーか、これは俺の会社がクソ以下なだけかもわからんけど、俺、俺以外の奴のやってる仕事なんてぜんぜんわからんぜ?
おまえら新卒組は一日18時間労働でマンションの一室からベンチャー立ち上げた奴らの中で
歯車さんになるんだぜ?こんなの好き好んでやる奴の気がしれないわ、マジで。誰も仕事なんて教えてくんねーよ?
雇う側としちゃ「最初の新卒はまぁ、練習」ぐらいの気持ちだからな。
んで、ベンチャーの99%はこっから進歩しないんだこれが。俺もな、昔は「教育マジ大事」って思ってたよ。
でもさ、余裕無いんだわ。いや、わかってるよやれることはやってんだよ辞めないでくれよ…っていつも思うよ
でも辞めるんだわ、これが。
つーわけでさ、スマートな釣りならそれはそれでいいし「良かった、ベンチャーに入った馬鹿な新卒はいないんだ…」って思えるんだけどさ、
こないだまた新人辞めちまった俺としてはね、おすすめできない。
ベンチャーは経営するものっつーか、イクジットの時の報酬をもらうためのものであって、
会社ってもんの成り立ち考えたらわかるでしょ、あんたの取り分無いの。全く無いの。
俺はね、とにかく新人育てるの辛いの。もちろん新人も辛いと思うの。でもさ、これ仕事なんだよね!
そういうわけで、まだ辞退してなかったら素直に大手行ったらいいよ!
「卒業式で桜ノ雨」「お昼の放送でボカロ禁止」といった話題がネットに上がってから3年~5年、
ニコニコ動画におけるVOCALOID初期作品の『みくみくにしてあげる』や『メルト』からおよそ6年半。
青春の音楽=ボカロって層はまだ学生だろうけど、大学くらいでボカロに触れて楽しんだ人が教職に進んでクラス担任を受け持っていることはありえると思う。
すると生徒とくだけた話もするタイプの教師なら、ボカロ好きな生徒との会話を試みて
「先生が学生のころは〇〇Pを聴いてたんだよー」「そんなP知らなーい」「えっ」
といったシチュエーションがあるかもしれない。
でも私が中学校の頃はどんなに若い教師でも、私たち(のものと思っている)の娯楽にすり寄られるとウザいと感じた。
むしろ私たちだけがその娯楽の面白さを知ってればいいとさえ思っていたから、
冒頭で挙げたネタで出てきた「自分の好きなものを否定されて辛い」って感情は
否定してくる相手が同級生なら共感できるけど、教師だとできない。
モーニング娘。・嵐・浜崎あゆみ・宇多田ヒカル・aiko・椎名林檎・19・ポルノグラフィティ・Dragon Ash・BUMP OF CHICKENは私たちのもので、教師が入ってくるのを拒んでた。
「二宮くん可愛いよねー」より「私の1番は今でもかーくんなの!」という女性教師の方が誠実そうに見えた。
吹奏楽部が定期演奏会で『ザ☆ピ〜ス!』を下級生のダンス付きで披露したとき、飛び入りでダンスに参加した副顧問の男性教師にはかなり白けた。
一方で自身の思い入れのある曲・歌手・娯楽を紹介できる教師は、ちゃんと青春を謳歌して大人になったんだなと好印象だった。
『TSUNAMI』、『波乗りジョニー』の大ヒットで当時40代の教師たちがサザンオールスターズや桑田佳祐を熱く語った。おかげで男子に『マンピーのG★SPOT』が大流行した。
ドラマ『人にやさしく』でTHE BLUE HEARTSを知った子も多かった。体育教師は持久走の授業で『リンダリンダ』『TRAIN-TRAIN』をBGMに流して生徒が関心を示すと、どこか満足気だった。
一番印象に残ってるのは卒業式とは別にあった、教師のくだけた訓話と生徒の出し物がメインのお別れ会。
男子生徒のバンド演奏で2人の男性クラス担任がボーカルの子と並んで歌った、スピッツ『チェリー』。
『桜坂』は大ヒットしてたけど、後発の桜ソングはまだなくて桜ソング=卒業ソングというイメージもまだなかった時代。
それでも春と旅立ちのイメージで選ばれたんだと思う。
『チェリー』のCDリリースは96年。私たちは小4で、大流行してたJ-POPを主にテレビからどんどん吸収していた。
歌った先生たちは教員になったかならないか、でも『青い車』『ロビンソン』なら学生だった世代。
男子生徒たちは普段Dragon Ashを体をくねらせながらコピーしていたせいか『チェリー』だとかっこつけきれず、はにかむような顔を見せた。
先生たちは学生のころの気持ちに戻ったと言いながら、ノリノリで歌い終わったあと赤面してた。
お互いの照れがとても印象的だった。
これがスピッツではなく19だったら、あるいは尾崎豊だったら、生徒と教師が一緒につくった思い出としては今の私に強く残らなかったと思う。
同じクラスの女の子から「第2ボタンちょーだい」なんて言われて、
周りのみんなはからかって、はずかしいやら、うれしいやら。
前から気にはなっていたけど、相手にそんな気持ちがあるなんて
これっぽっちも思っていなかった。
その日からなんとなく付き合い始め、
それぞれの高校は、男子校、女子校のため、最寄駅までの自転車通学の間だけ同じ。
ただ、一緒にいるだけで楽しかった。心も満たされた。
あの頃は携帯もなく、待ち合わせなんてなかなか出来なくて、
お互いにいつ帰ってくるかもわからないのに、駅で待ちぼうけ。
それでも満足だった。
淡い、ほんとに淡い懐かしき思い出。
結局、別れた理由は聞けなかった。
高校2年の時に地元を離れ引っ越したことで、さらに彼女との距離は遠くなった。
今更聞く事はできないし、会うことも出来ないと思うけど、
聞いてみたい。
なんで別れることになったのか。
どうして姿を消したのか。
卒業式は終わったけど、中身は伴っていない。
遊びには行ったけど、実験はしなかった。
言われた事もちゃんとしなかった。
1〜3週間音信不通でサボったことが何回あっただろう。
そんなB4。
先輩や同輩は割と励ましてくれるけど、教授は呆れているし困っている。
ネットで見る横暴な教授や先輩と比べたら、非常に好意的だし優しいと思う。
とてつもなく申し訳ない。頑張れなくて。やる気がなくて。
院試は通ってるけど、院へ進んだところで更生できる気もしない。
何度か「今日から心を入れ替えて頑張ります」って言って泣いたけど
まぁ数日は続くけど、すぐに行けなくなってしまった。いや行かなかっただけか。
教授にも辞退を勧められた、のかな。ストレートにではないけど。
だからやっぱりやめとこう。その方が研究室にとってもいいよね。
卒論だけはどうにか出せと言われたけど
手につかない。動きたくない。教授にももう会いたくない。
わがままで甘えた事を言ってるのはわかってる。
「充実した研究生活」「院生仲間との交流」「普通に就活」「教授、先輩との議論」
思い描いていた理想に執着心、未練がまだまだあるけど、そろそろ諦めないといけないな。
職探しする気も起きないけど、これは危機感がないからだろうなあ。
吐きそうなくらい、どうなってるんだってくらい甘い。
あーあ、なにやってんだろ。
時々、東大卒の有名人が首席を名乗る場合がある。伝記の類でその手の記述がされることもある。一般人でも自称する場合がある(先日は取引先の部長が、自分の息子が東大首席だと言っていた)。そんなものはない。15年ほど前の自分のまわり(文学部)しか知らないのでひょっとしたら違っているかもしれない。
前期の教養課程を終える段階で、成績の平均評点がでて、文学部・工学部などではそれによって進学先が決定される。我々の時はシンフリと呼んでいた。客観的に示される学業の総合指標というのものは、この平均評点しかなかったように思う。この平均評点は、あくまでシンフリ用のものなので、成績表にも載せられていないし、第一、学年で順位が付けられたりだとか、優秀者の実名のリストが掲示板で公開されたりだとかそういうものではない。平均評点が1位がだれなのかはわからないし、通常誰も興味がない。
卒業式の総代、というものがある。あれは確かに、1名のみが選ばれて、かつ、同学年のものも誰が総代なのかを認識可能ではある。しかし、総代は成績によって選ばれるものなのか、また、成績優秀な学生は総代に選ばれることを目標に学業に励むのか、といった点に関しては私は知らない。おそらく私以外の大多数も知らないはずだ。
あとは、学部や学科ごとにどのような評価・表彰をしているのかという話になる。例えば、ある学科では毎年一人の学生に返済不要の奨学金を付与していたので、その学科においては奨学生=最優等生ということになる。しかし、特定の学科の優等生と首席を同一と考えることはできない。
ちなみに海外の大学では、優等の卒業を示す公式な資格・呼称のほか、平均評点としてのGPAがあり、Web上で公開されている研究者や大学院生の履歴書を見ると、その手の記述が書かれている場合が多い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Latin_honors
http://en.wikipedia.org/wiki/Honor_society
http://ja.wikipedia.org/wiki/GPA
※追記(3/17)
総代は成績・卒論等によって選出がされる、というツッコミをいただきました。内的にそのような基準があるにせよ、在校生一般にはそうした選出過程が知れ渡っているわけではなく、また総代=首席とみなされているわけでもない。ゆえに仮に総代であっても、「首席と自称しちゃうのはカッコ悪い」というのが私の認識です。
3.11という言葉が、それを大層に扱わなければいけない空気が苦手だ。大変なことがあったのはわかる。いやわからないけど知識として知っている。でも大変なことは3年前の東北以外でもたくさん起こっているだろう。無念の死を遂げたひとも、突然大切な人を亡くしたひとも、ずっとずっと苦しみから抜け出せないひとも、何十万人もいるだろう。一回のできごとの規模が違うからなんだというのか。
その全てを忌まわしい震災の日にしないでくれ。悲しい日にしないでくれ。
悲惨な写真を見て被災者の状況を聞けば心は痛む。たぶん人並みには震災の話を聞いてきた。嫌でも聞かされたし目に入ってきた。それでも私は今回の震災に興味がないのだろう。駅前でボロボロの服を着てこの寒いなか裸足で寝ている人すら何の関わりもない他人なのだ。どうして一度も行ったことのない東北に思いを馳せ続けることができよう。そんな私が3月11日だけ常に悲しんでいるし力になりたいと思っていますなんて面はできない。力にはなりたいが困っている人がいればなんとか助けたいぐらいのものだ。ボランティアに行って本当に力になれるのだろうか。調べる気力すらない。自分でも最低だと思う。だからいい人で溢れかえる3月11日は窮屈で苦手だ。我がことのように被災した方々を想えない罰と受け止めるべきなのか。
どうせ忘れてしまうから年に一度みんなが振り返る日があるのはとてもいいことだと思う。それがもう少し静かに振り返ることができる日になったらもっといいと思う。まあ無理なんだろうけど。
日が変わったので書いた。
ようやく今月で退職する。しがない非正規だったけど、一応専門職。
契約更新できたけど、もう限界かなーと思ってしばらく失業手当で暮らすよ。
自分のとこが一番だとおもってる
私以外の職員は全員そこの市民。
ちなみにわたしはけっこう遠くから通ってて、噂には聞いてたけどこんなに閉鎖的とは知らなかった。
何年も前に職場をやめた人でも市民だからってことなのか、しょっちゅう訪ねてくる。
来るだけなら別にいいけど
「毎年○○って業者から年末に送ってくるカレンダー、そろそろ届いてる?あれ使いやすいから頂戴!」とか
「息子のノルマを助けてやって!」と、年賀状だかゆうぱっくだかの押し売りに来たり。
で、その協力費ってことなのか、まんじゅうやらケーキやらを一応持ってくるんだけど、
それは自分がうちの職場で食べる分も入ってるから、忙しくてもコーヒー入れたりして接待しないといけない。
同僚の知り合いは自分の知り合い、ってことで、いざというとき何かを頼める!ていう思考回路なのか、
職場では全員の身内、親族、子どもがいればその彼氏に至るまで学歴やら勤務先に至るまですべて情報交換して把握され、
定期的に「今どうなってるの?」と現状把握もしっかり。
家は実家までグーグルのストリートビューで検索され、おまけに今の売値まで調べられる。
プライベートはすべて職場で公開が原則で、身内の結婚式のビデオは昼休みに上映会をしたり。
子どもの卒業式に着ていく服もわざわざ職場に見せに来てから出席する同僚もいた。
空き時間には常に子どもの彼氏や自分の夫の現状報告アンド情報交換会。
子どもの就職先の斡旋も職場の同僚や知り合いを総動員して大騒動。
ついでに、とっくの前に辞めたパートさんの子どもの有名大学合格にも大騒動。
こういうのって、なんていうんだろう?パワハラでもないし、セクハラでもないけど、
そういうのになじめない部外者としては本当に嫌で嫌でたまらなかったな。
やめることになってすっとした。
登場人物
私とA子はオタク仲間。BLより乙女ゲー派。それ以外も含めて趣味が合う一番の友達。
そんな私たち2人は、仲の良い先生がいる。いや、私たちは卒業したし先生も別の学校に移ったから元先生か。でもいいや、今でも先生って呼んでるし。
卒業式の次の日、私たち3人はアキバにいた。アニメショップ行って、サイゼ行って、クレーンゲームやって……つまり、完全に遊び。
先生は割と気前よくおごってくれた。その後も何回か私とA子と先生と3人で遊びに行った。
私もA子もブスではないので、おごってくれるだけの人なら他にもいると思う(←うぬぼれ)。でも、おごってくれるだけじゃなくて一緒にいて楽しい人はなかなか見つからない。
先生はそういう人だ。『俺はオタクを15年やってるんだからお前らみたいな小娘に負けてたまるか(笑)』って言ってたけど、実際ほとんどの話題に話を合わせてくるのは凄いと思う。
先生に彼女はいない。というか童貞だと自分で言っている。本当か。その割には女子について変な勘違いしてるところもなく
(たまにあるけど、他の若い男の先生と同レベル)、女子高で上手くやっていたが。まあ、現時点で彼女がいないのは本当。
先生はなんで私たちと遊ぶと気前がよくなるのか、なんとなく気付いていた。先生はA子のことが好きだ。
割とみんなに優しい先生だけど、A子にだけは特別に優しい。A子の一番近くにいる私だから分かる。そう思っていたら、先生から相談された。
私「好きなの?」
先生「あれ、気付いてた?」
私「なんとなくはね。いつからA子のことが好きだったの?」
先生「いつの間にか好きになってたけど、きっかけは一緒にアキバ行った時かなー。あの時に『こいつと一緒にいると楽しいな』って思った」
私「意外と普通ですね」
先生「『実は一目惚れでした』って言ったら一部の女子は喜ぶんだろうけど」
私「A子はそういう子じゃないよ」
先生「ですよねー」
こういう発想が出てくるあたりが先生は女子に慣れてると思う部分だったりする。いや、顔はともかく30なのにハゲてるからモテるとは思わないけど。
私「なんとなくは分かります」
先生「A子より攻略するの(←こういう表現つかうあたりがギャルゲー脳だと思う)簡単な子なんていくらでもいるし、その中にはA子より可愛い子だっているけどさ」
私「そういうことはA子には言わないようにしましょうね」
先生「それは分かってる」
先生の言っていることはたぶん合ってる。先生はハゲなのに私の同級生からは妙な人気があった。お金のことを抜きにしても、先生から言われたら付き合うのOKする子もいたと思う。
先生「でもそういう計算とか抜きにして、A子と付き合いたいんだよ」
私「A子とエッチしたい?」
先生「うん」
そこは即答するのか。でもダメだとは思わない。付き合っていたらそういうこともあると思う。むしろ「そういう下心はない」とか嘘を言われたらかえって怪しい。
そして、私はA子が少し羨ましかった。先生に好かれているのがじゃない。私も一度くらい、それくらい強い気持ちで好きになられてみたいなぁと思う。
ついでに言うと先生が本当に童貞なら、それくらい好かれた人の初めての相手になるというのも悪くない。
だが悲しいかな。先生が分かっている通りA子のガードが堅いので、私も『私のこと気にしないで先生と2人で遊びに行ってきたら?』と言ってるのにA子はOKしない。
4月に入社した13卒、小さめの規模のメーカーでOL1年目だ。
待ち合わせは19時。
私は17時30分の定時、から軽く用事を済ませて18時ごろに退社。
待ち合わせ場所までは15分ぐらいなのでブラブラ寄り道しつつ、10分前に到着。
着いたよと連絡するも、ちょっと遅れるとの返信を受け、時間になったのでとりあえず先に席に案内してもらい待つことに。
結局友人が着いたのが20分頃、友人の同僚は20時にようやく来られた。
いやあ大変ねえ。
話は当然仕事の話になるわけで。
おまけにかなり厄介なお局様がいたり。
ろくに仕事もしないで無意味に賃貸情報なんか見て時間を潰している上司がいたり。
同性で年上の派遣社員に指示をするのも気を遣う。
などなど、彼女たちの会社の、仕事の愚痴は留まることを知らない。
私は、うわあ大変だね、わかるわかる、何それありえない、と相槌を打つことしかできない。
トラブルはたまにはあるものの、基本的には定時か、延びても1時間とかで終わってるし。
会社のおばさま方はみんな優しくしてくださるし。
上司はいつも忙しく飛び回りながらもまめに電話で指示をくれるし。
良いことだとは思う。
環境に恵まれている。
大学の卒業式での、学部長の祝辞。うろ覚えだけど、こんなことを言っていたのが印象に残っている。
「困難に負けず、頑張ってください。
皆さんなら、どんなことでも乗り越え、成長できます。」
乗り越えるべき困難が与えられません。
せいぜい毎日満員電車での通勤がんばれよって、それぐらいの困難しかない。
私にとってはその程度が乗り越えられるギリギリの困難というジャッジでしょうか。
怖いお局様と上手くやっていく自信だって無いし。
22歳まで化粧はほとんどしたことがなかった。理由は興味が無かったから。
女オタクにもいろんな種類の人がいると思うが、私はメイクとかファッションに興味が無いタイプのオタクだった。というか今も興味が無い。
高校が私服だったため、卒業式に袴を着た時に一度、ヘアメイクと一緒にやってもらった。それ以外は記憶にない。
なので大学に入ってもすっぴんに眼鏡で通ってた。眉毛も左右つながらないようにしてただけ。
しかし、大学生活の最後には就職活動というものが待ち構えており(高校は制服、ノーメイクで良いと聞いた)、女は化粧をしなければならない。
というわけで化粧を覚えた。そのときの化粧法を、防備録的に残しておく。
前提として、ニキビが少なくて、できても生理前くらいの肌の人向け。
下準備とりあえず、毎朝、毎晩顔を洗った後、保湿クリームか乳液、美容液など何かフタになるものをつける。
化粧水は付けた方が良いけど、無くてもなんとかなる。その場合は顔拭かないで水分が残った状態でフタになるものを塗ると良い。
自分はスキンケアレベルで興味が無かったので母の使ってた雪肌精と極潤だったと思う。
大事なのは、何を使うかではなく、何をするか。20歳前後まで化粧をしてこなかったなら肌は綺麗だと思うので、水分が飛ばないよう保湿することだけ気を付ければ良いと思う。
とりあえず、「見れる肌」を目指す。美しく見せることは考え無い。
日焼け止めが良い、というか楽。顔に塗れるやつを体と共用すると安上がりだ。
MMU(ミネラル成分のみのファンデ)だと下地つけないほうが仕上がりが良いことがある。SPFと相談。
自分はベアミネラルのプライマーを使っていたが、今はお金がないのでちふれの美容液を塗って、フェイスパウダーをはたいている。
BBクリームを使うならこのタイミングで。乳液とか化粧水で薄めると下地になるよ(ようはBBクリームの機能のうちファンデとコンシーラーの機能を無くすことができる)
特にこだわらない。塗れれば良い。初心者はプレスト(コンパクトに入ったやつ)のが良いと思う。
自分は某ミネラルファンデを大量に貰ったので、それを使っていた。
お金のない、というかメイクにお金をかける気のない人にリキッドファンデはお勧めしない。綺麗にみせるにはフェイスパウダーがいる。
色の選び方だが、美容部員に話しかける勇気のある人はこんな記事を読まんと思う。
すっぴんで行っていろいろ塗ってみて選び、その辺のテスターの乳液とかで落として帰ってくるのが一番かと。
黄色ぽいならベージュ、赤っぽいならオークルってので見当をつければ良い。
コツはブラシで塗ること。
①ドラッグストアで700円くらいで売ってるナイロンブラシにファンデを取る
②くるくる円を描くようにして頬、額、顎に塗る
割と早い。慣れれば30秒くらいで終わる。
まゆげを整える。というか化粧する前だなこれ。
剃刀より毛抜きより、980円で売ってるフェイスシェーバーが楽。メイクの上からでも剃れるし。
眉毛の形を決めるなら、「まゆげ 形」でググってそれを参考に。絵を描くオタクなら自分の顔の写メを加工だ。
眉毛というか毛そのものが太い場合、薄いデザインの眉にしようとすると眉マスカラとか必要になるので、なるべく濃い眉を参考にしよう。
自分は範囲が広いので「剃っておいて書く」だけど、普通は「書いてからはみ出た部分を剃ったり切ったりする」らしい。
形を決めるのが面倒な場合は眉間とまぶたに生えた毛と、こめかみに生えた毛を処理する。
眉を描くときはしかめっ面をして一番高くなるところを眉山にして、眉尻を書き足す。
最低限のメイクなら、ファンデと眉毛とアイラインでなんとかなる。というか自分が今その状態。
とりあえず、まぶたに近い部分に濃い色、アイホール全体に薄い色をのせれば大体OK。
縄文顔の人は正直、アイシャドウあっても無くても変わらない。特に、メイクに興味が無いなら、無理して付けることはない。
二重の人は二重の線にアイシャドーやファンデーションが溜まるので、メイク直しの時に気を付けよう。
これが一番重要と思う。
ぶっつけ本番ならペンシル、練習する気があるならリキッド。絵を描くオタクの人にはリキッドをオススメする。
とりあえず、睫毛の間を埋めるようにとか粘膜にとかメイク本には書いてあるが、そんな恐ろしいことは無理なので睫毛の根本を定規替わりにゼロ距離で書こう。割と見れる。
ペンシルは下まぶたに移るので、メイク直しの時に少し気を付けよう。
面倒なのでしなくていい。というかメイクに興味ないなら手を出さないほうが幸せなアイテム。処理が面倒。
肌の色に合わせて、オレンジかピンクの一番薄いやつを塗る。黒目の下とかちょっと外側とかから斜めに。
色の選びかただが、ファンデを塗った状態でピンクのものとオレンジのものを頬にあててしっくりくる方の色を塗れば間違いないと思う。
面接があるなら重要。「最低限」なら無くてもなんとかなる(マナー的には必要らしい)
とりあえず、唇の色が紫な人はリップクリームを塗ってから粉ファンデをはたいておくと口紅が発色します。(専用のコンシーラーもあるけど)
色ですが、チークと色を合わせれば楽勝です。
リップブラシで塗ると形が綺麗に決まります。ペンシルとかは慣れて興味が出たらで。
しなくていいです。
9月に関西出張にいってきた際、大学時代の男友達に転職の相談をされた。
友人スペック→そこそこ名の知れた出版会社での編集者。社内でもそれなりに有能らしい。既婚(相手は専業主婦で首都圏出身)、子供1才あり。
転職活動したい理由は「会社の業績は右肩下がり。決まった業務をするだけなので、ぬるま湯環境。今の会社にいる間はいいが、首になったり会社が倒産したら終わり。ぬるくない環境=スピードの速い東京のweb業界にいきたい。」。
私「自宅買ったんでしょ、どうするの。」
友人「ローン残るけど売る。ローンが残っても、今の環境にいるよりずっといい」
私「奥さんは大丈夫?」
友人「とにかく今の会社がぬるま湯。毎年ルーティンで似たような記事を書いて売っているだけだから部数は右肩下がり。紙媒体はこの先厳しいと思う。スピード感のある環境で仕事したい。webに少しでも近い仕事だと思って担当する雑誌のツイッターでフォロワー○千人増やしたりもしたけど、もっと色々やりたい。」
友人「マーケティングとかユーザーエクスペリエンスを考える仕事。HTMLとかCSSは初心者で今スクールで勉強しているところ。今受けようとしてるのが、サ○バーエージェント、リ○○ート、D○NA、L○NE、楽○、G○O、P○perboy、K○ACK。アプリ好きだからアプリ作ってる会社がいい。あそこの会社の○○さんとか○○さんも一緒に働きたいといってくれてる」
私「…(あーうちの会社うけたいのか。。)。」
友人「きみの会社って・・・(以後会社についての詳細な質問が続く)」
友人は優秀な人だ。学業成績も人当たりも良く、小さい学部ながら学部卒業式で総代もつとめていた。
希望の出版社には誰より早く内定がでて、皆に内定を祝われていた。
出世もして私の2倍以上は稼いでいるようだ。だから自信があって、現在の給料をベースに転職を考えている。
※私は出産して時短で今は働いているので、年収は大幅にダウンしてる。そして目立って優秀でもなく、目立たない社員だ。
話をしてて気づいたんだけど。
友人の転職の動機は「今の環境を変えたい」「きらきらした話題の環境へいきたい」という、環境依存でしかない。
そして家族がいるから生活水準は落としたくないし、今の給与が基盤での転職だから大手しかうけない。
プライドも相応にある。一から知識を吸収する丁稚のような立場には戻れない。
「今の環境にいたほうが幸せじゃないかな」という言葉が何度も喉から出そうになった。
言わなかったけど。
言うのが優しさなのか、言わないのが優しさなのか、よくわからない。
駅で別れる時、「内定がでたら声をかけるよ。旦那さんも一緒に飲もうぜ。娘にも会わせてよ。」と友人はいっていた。
「転職活動がんばって!」と私もゆった。
その後連絡はこない。
結果をこちらもきけない。
30代の転職活動は難しい。
東京で友人と一緒に飲める日がくることを祈るばかり。
こんなに泣けるなんてって思った数日。
何が一番悲しいのだろうと思った数日。
私たちファンってなんだったんだろう 無力だなあと思った数日。
そんなに苦しんでたのに全くわからなかった自分を反省した数日。
ヲタの気持ちはやっぱりヲタが一番理解してくれるなと思った数日。
予兆はあったにせよ、やっぱりこのタイミングこの形で知るというのは、驚きで、知った日は驚きすぎて涙も出なかった。
去年倒れて以来思うところあったのかな?やっぱりイル活のせいで入試を受けれなかったり、卒業式も出られなかったり(確か韓ヅメの記者会見の日、あれ飛ばしていいと思ったんだけど。どうぞ来てませんように卒業式出てますようにって祈ってた。)、べくその接触商法・極寒酷暑の中の屋外イベ、詰め込みスケ(経費削減のせいか2回公演の後握手会とか) 高額お接待ファンミ(夏ツアーのMCでグアムの告知する時いやな顔しながら言っていて、おいおい君も出るんでしょうにと思ってた。) などで色々考えたんだろうか。もっと遡って言えば きぼむとさんだの解雇とか見て思うところあったのだろうか。
小さいときから芸能人を目指して練習生で下積んできたわけでないからどうしてもアイドルになりたいという渇望とか アイドルという職業に執着はなかったんだろうな、デビュー当時の映像を見ると本当に恥ずかしがりやで このひといつそれなくなったんだろうと動画とか見るたび思ってたよ。芸能人に向いてませんでしたって本人から言われてはもうぐうの音も出ない。活動休止でなく引退っていうのがらしいといえばらしい。
後 契約が残ってたのに揉めずに辞められたのは本当によかったと思う。
ついでに言うなら暫定的引退 って書かれてたけど、どうかな、戻ってきてほしいけどもう戻ってこない気がする。なんか違う分野ですごい活躍しそう。
ふつう(何が普通かはわからないけど)の家庭で育って(いつか撮影の時、ママお手製の海苔巻の差し入れを嬉しそうに頬張ってたよね。)、ずっと大学生になりたいって言ってた。望み通り大学生になっていっぱい色々な可能性を作ってほしかった。九九も満足に言えないアイドルになってほしくなかった。
片や新学期の時は活動休ませてもらい学校が休みの時に活動してる人が同じグループにいて不公平感もあったんだろう。(っていうか、なんで事務所は試験受けさせたり卒業式出させたり、大学生と兼業させてあげなかったんだろう)長い目で見て本人の為にはこの選択は賢明だったって私も思う。すべて推測だけど・・・。
だから まだわからないけど もし望み通り学生にまた戻れるのなら、わあよかったねって手放しで喜ぶし、学生でなくても望んだ道に進めるのならそれはそれで私も自分のことみたいに嬉しく思う。
でも 突然のさよなら と もう一生会えない というのが寂しすぎて・・・・すごくつらい。つらい気持ちの方が断然勝ってる。
バカみたいに能天気に次会うのは12月かなー帰ったら向こうの活動追うの楽しみだなーとか思ってた私に教えてあげたい。そして 向いてなくないよ おかげでたくさん楽しい思い出も幸せな気持ちももらったよって伝えたかった。
お疲れ様も今までありがとうもこれから頑張って 遠くから祈ってるよ ばいばいも何も伝えられずに、もう一生会えないなんて悲しかった。今 どんな髪型して どんな服着て どんな顔して 健康そうなのかつらそうなのか もうわからないままなんだね。
今年頭からずっと考えてたって、そんな中 ちゃんと夏のツアーも変わらない様子でまっとうして偉かったな(周りのメンバーもね。どんだけ周りに心配かけたことだろう。皆 何食わぬ顔でやり切ってえらかったよね。すうの苦労を思うとちょっとつらい。)
向いてないって思うほど苦しんでたけど(あの最近の野球写真のやつれっぷり は なんかそんな苦悩を推察させる。)、そんな中 少しでも 一個でもいいから ああ楽しかったってこと 嬉しかったこと あったよね あったといいな、全部の笑顔が嘘ではなかったよね。って信じたい。
もう会えないかもしれないけど ずっとすきです。あいしてます。ずっとしあわせでいてね。
大切な名前をぎゅっと握ってずっと心の中で呼び続けるよ。
正直言ってグループペンでなく個ペンだったので、私ももうグループからは離れる。
わたしたちはわたしたちにしかわからないりゆうではなれていくのだろう
そういうと かなしがる きみのひとみ。
ちょっと仕事に待ち時間が出来て、昔のことをぼんやり思い出したので書いておく。
バイト先の別高校の男の子と付き合ってたAちゃん(唯一のモテ?彼氏持ち)
NちゃんとAちゃんが特に仲良しで、二人とも勉強も運動もそこそこ
私とF子は勉強も運動もサッパリだったけど、オタク気質で話が合った。
私は部活の仲間ともよくツルんでた。でも一番長い時間を一緒に過ごしたのは同じクラスのこのグループ。
でも周りから浮かないように適度にギャルギャルしく、ラルフのカーディガンと、
まだ大人しかったルーズソックス(ようやく90cmとかが出てきた頃だった)を履いて
スカートは校則では膝丈だったけど、3回折り曲げて短くしてた。
化粧はしないけど、身だしなみはそこそこ整えて。
就職組のF子と、進学組のその他3人。
頭が一番良かったAちゃんは、絶対に大学に行くんだろうなって思ってた。
ケンカの愚痴とか聞きつつも、離れたりくっついたりしてる当時の彼氏と結婚するんだろうなって思ってた。
Nちゃんが、他県の大学に推薦で受かって、私は地元の大学に進学することが決まって
F子は無事に就職が決まって、Aちゃんは…一番頭が良かったはずのAちゃんは
専門学校に進学した。
大学に入学したら、みんなバラバラの人間関係になってしまって、
特に連絡を取り合う事もしなかった。
1回だけ成人式のあとに同窓会があったけど、その時私は部活のメンバーとばっかり話してて
F子ともNちゃんともAちゃんとも会わなかった。
バッタリAちゃんと会った。
「あー!」
って声をあげて、懐かしいね!って。
「結婚したんだね!」
なんて話をした。
Aちゃんの旦那さんは、坊主頭でイカツイ感じで、明らかに高校のときの男の子とは別人だった。
「職場結婚だよー」
Aちゃんは言ってた。
AちゃんからNちゃんは他県に住み着いてて、連絡取ってなくて
F子も今何してるかわかんないやーって話を聞いた。
(私はコウモリみたいにAちゃんとNちゃんからのお互いの愚痴を聞いてて
心の底ではお互いがお互いを見下してて、仲悪いっていうのを知ってたから
卒業後、連絡とらなくなるだろうなーっていうのは予想してた)
その場でAちゃんとは別れた。
連絡先の交換もせずに。
私達の友情なんてそんなもの。
その後、ふと思い出した。
Aちゃん、高校のとき、いっつも左の鼻の穴からハナクソと鼻毛出てたなーって。
指摘したら絶対怒って(Aちゃんは若干ヒステリーで怖い)無視されるから
1回も指摘できなかった。
F子と「今日も出てるね…」「言ってあげたほうがいいよね…」「怖いよね」「私達、何も見なかったよね…」みたいな。
もしかしてモテる秘訣は頭良くても鼻毛出してるあたしおっちょこちょいテヘペロ★みたいなキャラ?!
Aちゃんは鼻くそと鼻毛出てても彼氏が居て、結婚も出来たのに、私ってば…!
人生ってままならない。
結婚の予定も相手もいないけど
私も強く生きてこ!
10月1日でございました。
はっきり言って内定式に出ずに来年の4月入社するのは厳しいです。
万一滑り込んで入社しても、同期はもう内定式の時からコミュニケーションをとり
飲み会をし、連絡先を交換し、入社式までの緊張を共有していますので
そもそもこの時期に無い内定ということは、自らに何か欠陥があると思ったほうがよいでしょう。
大した実力もないくせに、根拠のない自信で
「私は他の人より秀でた才能がある」と思っていませんか?
身内に少し褒められたくらいで勘違いをしていませんか?
履歴書に記載できるような賞を獲ったわけでもないのに
自分は他の人より優れていると思い込んでませんか?
残念ながらすべて幻想です。
あなたは優れていないのです。
しかしもう手遅れなのです。
しかし少し考えてみてください。優良企業がそんな時期に採用試験なんてしますか?
もう良い職場は残っていません。あなた方を待っているのはブラック企業です。
そしてあなた方は言うのです。
「会社が悪かった」
そんなわけありません。内定式までに真面目に就活しなかった自分たちが悪いのです。
自分の身の丈に合った会社を選んでこなかった自分が悪いのです。
自分に才能があるなんて妄想をやめなかった自分に責任があるのです。
自分に自惚れていることに気づいたほうがいいです。
周りの人から見るとただただ滑稽です。
あなたがどんなに気丈に振舞おうと、周りから見れば「内定の無い人」です。
マジうけます。内定もないのにTwitterに自作ポエム()書いてんじゃねーよ。
残念な人生です。ご愁傷様。
高校に入ると彼女は心機一転し、未経験の部活動に精を出し、そのために距離を置こうとなった。
まだ子供だった僕はどうしても離れたくないが為に、謎に体育館を100週してみせたり、兎に角無意味な抵抗を見せたが当然彼女の決意は変わらなかった。
やがて僕が離れなければ彼女の頑張りの邪魔になると感じた僕は了解し、しかし忘れられない自分がまた邪魔をするのではないかと感じ、自分の変化のためにも新しい恋をしようとした。
やがて高校を卒業、卒業式に二年ぶりに会話を交わした公園で彼女は彼氏を作らずに僕を待っていてくれたことを知る。
それから音沙汰なく10年が過ぎ、僕はその時の恋人と一緒にいる。
でも待っていてくれた彼女の事は忘れられないし、愛している。
きっともう結婚しているだろうが、それでも変わらず愛している。
セックスしたいとか、結婚したいとかじゃなく、二度と会えないとしても愛している。
彼女の待ってくれた二年間、僕は勘違いな行動で彼女を傷つけていた。
決して伝わることのない愛を枷にして生き続けるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130904143712
左翼を自負する人に不毛な煽り抜きに聞きたいことがいくつもある
もし一部が重なるとすれば、どの程度重なってるの?
そしてそれを中心と呼ぶのは、
それとも勢力的多数派や標準値と言う意味で?
「フェミニスト」とかもそうだけど
自分でそれを名乗るなら定義とか信条とか、自己紹介をバシッとして欲しい。
で、「お前は違うだろ」って言う騙りの左翼が居たら糾弾して欲しい。
自分の個人的な印象を書いておくと
「左翼」ってやっぱり
卒業式を妨害してぐんくつぐんくつ言ったりする、
やけに中国や韓国を賛美する・日本や日本人には悪意を隠さない、
みたいなイメージ。
http://anond.hatelabo.jp/20130904111911
その時計はあの人からの贈り物だった。私が教師になった日、当時あこがれでもあり、尊敬の対象でもあったあの人は、記念にと精巧なゼンマイ式の置き時計をプレゼントしてくれた。外側が透けていて、中の歯車が動いているのが見える、アンティーク調のものだった。
「教師になるんだから、時間はきちんと守るようにね。今までみたいに寝坊ばっかりしてちゃだめだよ」
あの人は目元をほころばせながら、いたずらっぽくそう言った。私は嬉しさと緊張のあまり、お礼の言葉もうまく言えなかった。
それから数年後、あの人は飲酒運転のトラックが起こした事故に巻き込まれ、帰らぬ人となった。二人で結婚式での衣装を決めたその帰り道でのことだった。私はまだ学校に仕事が残っていたので、貸し衣装屋から学校へと戻り、あの人は自宅へと帰る途中だった。巨大な鉄の塊に押しつぶされたあの人は、ほぼ原形をとどめていなかった。だから余計に、私は長い間あの人の突然の死を受け入れることができなかった。
あれから10年。何度かお付き合いをする相手はいたが、結婚にまでは至らなかった。あの人を越える女性に出会えなかったからだ。いつも冷静で大人っぽいくせに、時折見せるいたずらっ子のような無垢な表情。とても聡明で賢いくせに、誰にでも優しく、生徒からも慕われ、常にまわりを穏やかに明るくしてくれる。そんな人だった。誰といても、常にあの人と比べてしまう。そんな状態で結婚なんてするのは、相手にも失礼だと思ったし、自分自身も耐えられないと思った。
あの人との思い出の品はそれほど多く残っていなかった。元々、物に執着する人ではなかったし、私も事故後の辛さからいくつかの思い出の品を処分してしまった。残っているものといえば、就職祝いでもらったこの置き時計くらいだった。手巻きのゼンマイ式だったが、あの人から貰って十数年、一度もこの時計を止めたことはなかった。職場の机の上に置き、初心を見失わぬよう、あの人からの戒めを忘れぬよう、常に自分への戒めの象徴としていた。
ある日、気がつくとその置き時計のねじ巻き部分が折れ、カバーにヒビが入っていた。古いものだが、ずっと大事にしてきた。一度も落としたことなどない。傷ひとつつけたことはなかった。しかし今その時計のねじ巻きの部分がぽっきりと折れ、カバーが無残にも傷ついてしまっていたのだ。私はあの日の事故を思い出してしまった。何気ない日常だと思っていた日が、突如として崩れ、壊され、絶望へと変わる。あの感覚を。
もちろん、たかが時計のことである。あの日、あの人を失った事故と比べれば取るにらない。それに時計は完全に壊れたわけではない。ほんの一部が欠けただけだ。直して直せないことはないだろう。それでもなぜか、とても大切なものが、私のこの十数年が、あの人ととの大切な思い出が、不意に傷つけられたような気がして、目の前が真っ暗になっていった。
放課後、一人の生徒が私の元にやってきた。「社会科準備室でふざけていたら、誤って時計を落とし、壊してしまった」と告白してきた。言いづらいことを素直に告白してきた生徒の勇気は認めたかったが、一方で入る必要のない部屋に入り、ふざけて私の大切なものを壊したということに対して、抑えようのない怒りを感じていた。それでもあえて冷静に努め、私は生徒に問うた。
生徒は打ちひしがれた様子で答えた。
「すいません、弁償します」
簡単に言ってくれる。あの人との思い出を、私の十数年を、元の形にして弁償してくれるとでも言うのか。そうでなくとも、この時計は中学生が小遣いで弁償できるような安物ではない。今では時計の制作会社もなくなり、この時計を入手することさえ困難だろう。
「弁償ってこの時計高いんだぞ? そんな金持ってないだろ?」
「お、親に頼んで・・・・・」
残念な答えだった。せめて「将来働き始めたら必ず弁償します」とでも答えてくれていれば、許す気持ちも持てたかもしれない。しかし生徒は、自らの失態の尻拭いを親にさせようというのだ。私の語気は我知らずきつくなり、その後は生徒を詰問するような言い方になってしまった。私とて、何か結論や正解を持っていたわけではない。生徒がどう答えても、完全には納得できなかったかもしれない。生徒も必死で謝罪していた。それでも、もっと何か、納得できる答えを求めてしまっていた。
もちろん、教師といえどただの人間だ。感情的に大切なモノを壊された怒りをぶつけていた部分もあった。しかしそれよりも・・・加害者として人の大切なものを壊してしまうことの深刻さを、もっと知ってもらいたかった。今回はたかが時計だ。しかし場合によっては、飲酒運転で事故を起こし、誰かの人生を、その人を大切に思う人の一生を、潰して消してしまうことがある。それは大げさな言い方かもしれない。しかし、悪ふざけや、「ちょっとくらいいいだろう」という気持ちが、そういう惨事を引き起こすということを知ってもらいたかった。わかってもらいたかった。教師というより、大切な人を失った者のエゴ、だったかもしれないが。
それから数週間の間、私はその生徒を呼び出し、詰問した。しつこかったかもしれない。加害者としての責務を知ってもらいたかった、というのは本心だったが、自分の怒りと憤りを晴らすという部分があったということも否定はしきれない。そして叱責を繰り返すたびに、後者の部分が大きくなり、生徒のためにというより、そうやって己のうさを晴らすようになっていただけだったのかもしれない。生徒は泣いていたが、それも自分の境遇が辛くて泣いているようにしか見えなかった。
そんなある日、夢を見た。目の前にあの人が立っていた。その横には、あの生徒がいて泣きじゃくっていた。あの人は生徒の肩に手をかけて、顔を覗きこむようにして何かを話していた。あの人はしばらくして私に向き直ると、穏やかな声で「ちゃんと反省してるから、許してあげよ」と言った。そして私の側にそっと歩み寄ってきて「ずっとありがとう。でも私は大丈夫だよ」とはにかんだ笑顔で言った。私は恥ずかしかった。あの人なら、たとえ大切なものを壊されても、生徒にあんな風に怒ったりはしなかっただろう。私はあの人のようになろうとして、まったくなれていなかった。忘れていた。ずっと覚えていたつもりでいたのに、あの人の心を忘れていたのだ。私は泣きじゃくった。夢の中のあの人の胸で、子どものように大泣きをした。目を覚ました私は、布団の中でやっぱり泣いていた。
それ以降、私はその生徒を呼び出すのをやめた。
卒業式の日、久しぶりのその生徒の姿を目にした。避けていたわけではないが、避けられてはいたのかもしれない。生徒はバツがわるそうに目を伏せていた。正直なところ、私の方もバツが悪かった。人間として未熟な部分を生徒に見せてしまった。なにか声をかけようと思ったが、いい言葉が思い浮かばなかった。何を言っても言い訳に聞こえてしまうだろうし、下手をするとまた説教めいたことを口にしてしまうかもしれない。そう思って黙ってすれ違った。
私はまだまだ未熟者だ。あの人のようになれる日はまだ遠い。