はてなキーワード: お接待とは
道具
荷物は野宿しながらだったのでテントと寝袋も入れたリュックで重量12kgくらい。全行程の7-8割はアスファルトの上を歩くので登山靴よりも柔らかめのものがベター。雨の際は見た目は悪く目立つけどカッパよりもリュックまですっぽり入るポンチョの方が楽。(道具を買いに行ったモンベルで対応してくれた店員さんが3回お遍路を回っている人で色々とアドバイスが貰えて良かった。)
装束・杖・傘の3種の神器は傘が最強。装束は綿で汚れやすく直ぐ臭ってくるのでほぼ着なくなり、杖も山道の際には邪魔になることが多いのでリュックに挿しっぱなしだった。傘は日除けになるし何よりも自分がお遍路さんだとアピール出来るので不審者と思われないためにも重要。
道中
毎日、今日は歩かず休もうかと考えるけど歩く以外にやることがないので結局歩き始める。黙々と歩いていると内省して鬱々として来るかと思ってたけど、周りの景色を眺めてるだけで無心な感じが心地よく、考え事と言えば本日の寝床と食事のことばかり。
一週間もすると遍路仲間も出来てくるしお接待も毎日受けることになるので寂しいと言う感じもない。たまに怪しいお遍路さんもいるので注意は必要。
徳島・高知は身体も慣れてなく毎日が修行って感じで愛媛に入ると街も多くて天国な感じ、香川に入ると飽きが出て来て早く終わらないかな〜と思ってた(うどんは最高!)
結願までに40日(全休は1日)で掛かった金額は30万(宿には10泊くらい、納経帳代含む)。
途中で知り合って一緒に歩いてた遍路仲間は基本野宿で20万(たぶん宿は二泊くらい)とのこと。
信心深いわけでもないけど行って良かったと思う。
と言うかまた行きたい野宿は流石に勘弁だけど。
あとは思うことを箇条書きで
・初めの3週間くらいは痛み止めを飲まないと歩けなかった(餞別に薬をくれた友人ありがとう!
・めちゃくちゃお接待を受けるので「ありがとうございます」が口癖になる。
・公式の遍路マップは基本旧道を歩かせるので気をつけないと食いもんにありつけなくなる。
・当時、遍路中だった菅直人の30km後ろを歩いてたので皆んなが菅さんのこと教えてくれた。
・酒好きなので鬼殺しの紙パックはお友達。
・いまだに般若心経が唱えられる。
①基本的に旅館・ホテルとか百貨店のコンシェルジュとか、コルセンとかそのあたり向けのビジネスマナーを標準としている。
②①の人たちは、接触する人を気持ちよくさせてお金を使ってもらう職業(プロ)
③①の人たちは、距離感が違うだけで、②の意味で風俗業・キャバ・ホストと同じ構造
④営業の人たちは、なんとしてでも売り上げを上げたい。もし、お客さんが気持ちよくなってお金を使ってくれるなら
法に反していない限りどんな手でも使いたい。なので「マナー」を重視し、周りにもそれを求める。
⑤人事・総務系などスタッフ職の人たちの給料は、「真の業務アウトプット・プロセス革新」の達成率でなくて
上司にどう思われるかで決まることが多い。なので全力で上司を「お接待」する。会議の席次や名簿の順番位で
上司が気分よくなって給料上げてくれるならしめたものと思っている。なのでマナーを重視し、周りにもそれを求める。
こんなに泣けるなんてって思った数日。
何が一番悲しいのだろうと思った数日。
私たちファンってなんだったんだろう 無力だなあと思った数日。
そんなに苦しんでたのに全くわからなかった自分を反省した数日。
ヲタの気持ちはやっぱりヲタが一番理解してくれるなと思った数日。
予兆はあったにせよ、やっぱりこのタイミングこの形で知るというのは、驚きで、知った日は驚きすぎて涙も出なかった。
去年倒れて以来思うところあったのかな?やっぱりイル活のせいで入試を受けれなかったり、卒業式も出られなかったり(確か韓ヅメの記者会見の日、あれ飛ばしていいと思ったんだけど。どうぞ来てませんように卒業式出てますようにって祈ってた。)、べくその接触商法・極寒酷暑の中の屋外イベ、詰め込みスケ(経費削減のせいか2回公演の後握手会とか) 高額お接待ファンミ(夏ツアーのMCでグアムの告知する時いやな顔しながら言っていて、おいおい君も出るんでしょうにと思ってた。) などで色々考えたんだろうか。もっと遡って言えば きぼむとさんだの解雇とか見て思うところあったのだろうか。
小さいときから芸能人を目指して練習生で下積んできたわけでないからどうしてもアイドルになりたいという渇望とか アイドルという職業に執着はなかったんだろうな、デビュー当時の映像を見ると本当に恥ずかしがりやで このひといつそれなくなったんだろうと動画とか見るたび思ってたよ。芸能人に向いてませんでしたって本人から言われてはもうぐうの音も出ない。活動休止でなく引退っていうのがらしいといえばらしい。
後 契約が残ってたのに揉めずに辞められたのは本当によかったと思う。
ついでに言うなら暫定的引退 って書かれてたけど、どうかな、戻ってきてほしいけどもう戻ってこない気がする。なんか違う分野ですごい活躍しそう。
ふつう(何が普通かはわからないけど)の家庭で育って(いつか撮影の時、ママお手製の海苔巻の差し入れを嬉しそうに頬張ってたよね。)、ずっと大学生になりたいって言ってた。望み通り大学生になっていっぱい色々な可能性を作ってほしかった。九九も満足に言えないアイドルになってほしくなかった。
片や新学期の時は活動休ませてもらい学校が休みの時に活動してる人が同じグループにいて不公平感もあったんだろう。(っていうか、なんで事務所は試験受けさせたり卒業式出させたり、大学生と兼業させてあげなかったんだろう)長い目で見て本人の為にはこの選択は賢明だったって私も思う。すべて推測だけど・・・。
だから まだわからないけど もし望み通り学生にまた戻れるのなら、わあよかったねって手放しで喜ぶし、学生でなくても望んだ道に進めるのならそれはそれで私も自分のことみたいに嬉しく思う。
でも 突然のさよなら と もう一生会えない というのが寂しすぎて・・・・すごくつらい。つらい気持ちの方が断然勝ってる。
バカみたいに能天気に次会うのは12月かなー帰ったら向こうの活動追うの楽しみだなーとか思ってた私に教えてあげたい。そして 向いてなくないよ おかげでたくさん楽しい思い出も幸せな気持ちももらったよって伝えたかった。
お疲れ様も今までありがとうもこれから頑張って 遠くから祈ってるよ ばいばいも何も伝えられずに、もう一生会えないなんて悲しかった。今 どんな髪型して どんな服着て どんな顔して 健康そうなのかつらそうなのか もうわからないままなんだね。
今年頭からずっと考えてたって、そんな中 ちゃんと夏のツアーも変わらない様子でまっとうして偉かったな(周りのメンバーもね。どんだけ周りに心配かけたことだろう。皆 何食わぬ顔でやり切ってえらかったよね。すうの苦労を思うとちょっとつらい。)
向いてないって思うほど苦しんでたけど(あの最近の野球写真のやつれっぷり は なんかそんな苦悩を推察させる。)、そんな中 少しでも 一個でもいいから ああ楽しかったってこと 嬉しかったこと あったよね あったといいな、全部の笑顔が嘘ではなかったよね。って信じたい。
もう会えないかもしれないけど ずっとすきです。あいしてます。ずっとしあわせでいてね。
大切な名前をぎゅっと握ってずっと心の中で呼び続けるよ。
正直言ってグループペンでなく個ペンだったので、私ももうグループからは離れる。
わたしたちはわたしたちにしかわからないりゆうではなれていくのだろう
そういうと かなしがる きみのひとみ。
ある寄附講座に顔を出す。
その道の一流の方々が顔を並べる講座で、その回は仕事上お付き合いのある方(車屋さん)に
お願いしたのでそれもあって顔を出したのです。
講義自体は面白く先端技術を学生にも分かるように纏められていて、とても良かったのだけど
学生を見回すと、後ろにまとまってて、ああ俺のガッコも俺もこうだったなとか思ったりしました。
学生は皆「あー、終わった終わった」と帰り支度です。
誰一人先生に話しかける生徒はいませんでした。
そこで色々と思うことが膨らんできたので、その事を書きます。
昨今就職が厳しくなってきているようで、四季報がどーとかSPIがどーとか面接術とか
なんで皆そんなに正攻法なんでしょーか。
就職は受験と違って正攻法じゃなくても許されるのに、なぜ、なぜキーマンが近くにいんのに
アプローチしないんだろ。
そっから自分の営業かければいいのに。
その後、先生にお声をかけ、上司と共に近くのホテルのレストランでお接待いたしました。
お酒が入った先生は、昨今の若い社員の積極性の無さに嘆いておられました
で、ですが、あたしが思うことです。
有象無象が集う就職説明会で人事に質問するのではなく、キーマンに質問しよう。
→キーマンに質問するときはそれなりに武装すること、優秀は人材は常に不足している。
名刺は持とう。
あともう一つ、大学は学校ではなく研究機関だという考えの下切磋琢磨した人間だけが
エッジの方々の心をなびかせると思うのです。
そうでない人は正攻法でお願いしたいと思います。