はてなキーワード: 卒業式とは
中学時代、掃除中社会科準備室で遊んでいたら、机の上にあった先生の置き時計を落とした。衝撃で時計の横についている細工が折れた。一瞬元々外れるようになっている造りだったんだと思い込もうとしたが、やはりどう見ても折れていた。その場に先生はいなかった。しかし、謝らなければいけないと思って放課後、緊張しながら社会科準備室へ行くと先生が怖い顔をして一人で座っていた。自分はびびりながらも正直に話した。
先生「弁償ってこの時計高いんだぞ? そんな金持ってないだろ?」
先生「はあ? 自分でやったことなのに親に責任取って貰おうとするな。お前はどう責任取るんだ?」
それもそうだと思ったが、それならどうしたらいいのか判らなく黙りこくるしかなかった。とにかく先生は「責任をどう取るんだ?」と言った。
話が進まないまま1時間ほどした後、次の日も放課後社会科準備室に来るように言われた。翌日に準備屋へ行くと、また話は「どう責任を取るんだ?」ということだった。
先生「そんなことして欲しくない」
先生「お前にはできないだろ」
いろいろと言ったがどれも駄目だった。もう自分に責任を取る能力がないことは自分でもはっきりと自覚していたし、先生も当然判っていたと思う。
また1時間ほどした後、話は終わった。しかし、先生は「次の日にまた来い」と言わなかった。自分はこれで終わったんだと思った。結局何もできずに終わったが、安心はしたのは事実だった。
しかし、それから三日ほど経ってまた呼び出され「責任を取れ」と言われた。
もうこっちは泣くしかなかった。泣いたところで許しては貰えなかったけど。
それから断続的に呼び出されることが3週間くらい続いた後、急に呼び出されなくなった。いつかまた「責任を取れ」と言われるんじゃないかと思って眠れなくなることもあったが、それ以来何も言われることなく、卒業を向かえた。
卒業式の日、先生が自分の方に向かって歩いて来た。俺は少し忘れかけていた時計のことを思い出し、身体が硬くなった。先生は
先生「あの時の事件で学んだろ? 一度壊れたものは元に戻らないんだよ。責任の取れないことはするものじゃないし、責任が取れないことに繋がるようなことだってしてはいけないんだ」
と言うこともなく、ただ自分の横を通り過ぎただけだった。
残念ながら気の利いたオチはこの話にはない。でも、責任の取れないことはするものではないとは学んだ。
あの時に感じた「責任を取る」という言葉が含む重さや怖さが今でも心に残っていて、この言葉を聞く度に身体が硬くなってしまう。
大嫌いだった幼馴染みと、頻繁に連絡を取り合うようになってから今日で4年が経つ。
中学の卒業式の日、私はあいつに「もう二度と逢わない」と告げたはずなのに。
行くつもりもなかった同窓会の翌日、知らない番号からの着信を受けた。
5年前より少し低く掠れた、大嫌いな声。
逢いたいと言ったのはあいつだったのに「逢わないんじゃなかったっけ?」と意地悪く笑った顔が忘れられない。
それからは、昔に戻った気がしてた。
くだらないことで笑って、怒って。どうでも良いことで何時間も電話して。
「私が居なきゃ駄目なんだから」「俺が居ないと本当に駄目だな」なんて、言い合って。もう、4年。
私は15歳の頃より、ちゃんと大人になった。
この4年であいつが変えた2つの仕事のことだって3人の彼女のことだって、ちゃんと応援してきた。
なのにあいつは、違う。
彼氏が出来たと言えば、他人に盗られた様な気分になると腹を立てる。
挙げ句の果てには、つい10分前に新しい彼女が出来たと告げてきた口で飄々と紡ぐ。
「お前はさ、いつまで経っても俺のこと好きなままなんだって」
伸ばした手を掴んではくれないくせに、放そうともしないあいつが。大嫌いだ。
今は、もう逢わないなんて言葉も紡げずに、作り笑いで誤魔化すだけ。
あいつとの恋は、きっと始まらない。ずっと昔から、私は知っていた。
少なくともリンク先にあるような記事を書くような護憲派はどうしようもないヤツラだな、ってことでしょ。
そこに、改憲されたら、卒業式で国家歌うのを拒否したら大学推薦取り消されて人生を狂わされてしまう、
という話があるので、これを「押し付け」と言ってるのかと。改憲後、の話ね。
増田が護憲派なのはよくわかったけど、その話の流れで実はあべちゃんもただブラフとして言ってるだけで
ホントはやんないよ、ってのは流石に飛躍し過ぎかと。
あべちゃんと園周辺が実際そう思ってたとしても、実際作業してる人達はそうは思ってないだろうし、
流石にそこまで国民を馬鹿にしてるとは思えないけどな。馬鹿にしてるってか、そこまでこじらせてブラフにする意味もわからないし。
不同意とか批判とかいう意味ではなく純粋に論理的に「何言ってるのかわからん」。
もはや児ポ法は理屈抜きで選挙後にはきっちり可決されそうな状況ですが
個人的には国旗国歌でネット世論も教師批判で一枚岩になった時点で
色々決まってたんじゃないですかね。
・一枚岩とは?
憲法に思想良心の自由が規定されているし、
なおかつ強制はしないという国旗国歌法案の規定なんかすっかり忘れて、
卒業式は卒業生のための式だから!とか教師ならルールを守れ!とかいう
まずその話と表現規制の話とどう関係あるのかがよくわからない。
共通点はあなた達にとってどちらもすごく関心があるということだけで、
じゃあ私は「国旗国歌法案に賛成で表現規制に反対なオタク」です。
いまいち、「卒業式で国歌を歌う歌わない」という話と「表現を規制する」話の繋がりが見えない。
何か霊力の篭った歌だというわけじゃあるまいし、1年に1度1分ぐらいその歌歌ったら何がどうなるのか。
単純な話、その件は思想信条が犯されてるとは思えない。
おわり。
あなた方の歪んだ視野では「オタクが敵に回った」ということになってるのかもしれないけど
オタクも一般人も卒業式の国歌歌う歌わないについての一番メジャーな態度は「あんま興味無い」だろう。
現実問題、どっちでも影響無いんだもん。
(あと、反対するのはいいけど自分の学校の式で暴れて荒らすのだけは最悪のやり方だと思う。
罪もない末端管理職の校長の胃に穴を開けて、生徒に嫌な思い出を残すだけ。見てる人の印象も悪い。
もっと上に詰めに行かずに末端で暴れるのは、成人式で暴れる馬鹿と一緒で暴れる本人の高揚感のためなんじゃないの?
そういうのって見抜かれるよ。)
…というのもいま頭で考えてのことで、感情的にはあんま興味はないんだけど。
片山さつきのバカみたいな初音ミク論に憤って児ポ法反対してるオタクは多いんだろうけど、
これは全部あなたたたちの特殊な脳髄では繋がってるだけで、
「ご冥福をお祈りいたします」を意味も分からず、安易に使う奴が多すぎる。「深くお悔やみ申し上げます」じゃいけないの?
この言葉、「死後の世界での幸福を祈る」という意味なので、死後、信者は必ず幸せになると教える宗教の人には、ひどく失礼な言葉。例えていえば、小学校の卒業式で、「中学校も無事卒業出来るようにお祈りいたします」って言ってるようなもの。中学校は基本的に全員必ず卒業できるのに、わざわざ卒業をお祈りされるという事は、「お前のような低脳が中学校なんかに行くべきではない」という皮肉に取られてもおかしくない。
同じように、死者は、生前いかなる悪行を犯そうとも、必ず天国に行ける、と教える宗教の人に「ご冥福をお祈りいたします」と言う事は、「故人は生前酷い悪行を犯したので、天国へ行くべきではない」と言う皮肉に取られてもおかしくない。つまり、「地獄に落ちろ!」と同じ意味になる。
そもそも、死後の世界の幸福を祈る前に、故人に対する自分の気持ちを表す方が先でしょ?だったら、「深くお悔やみ申し上げます」とか、「つつしんで哀悼の意を表します」の方が、よっぽど自然だと思うけど。
これ、そんなに極端な意見ではない。例えば、天皇陛下が式典で、不特定多数のなくなった方に哀悼の意を表す時は、「冥福」という言葉が使われる事は決してない。相手の宗派が分からないから。浄土真宗やキリスト教だと失礼になり得る。
ラブライブは「スクールアイドルの甲子園(花陽談)」なので、年に二回ある。
たぶん9月と3月。9月が選抜で3月が選手権、みたいなものだろうか。
三年生最後の大会ということで夏の甲子園が盛り上がるように、3月開催のラブライブのほうが盛り上がりとしては大きいだろう。
9月開催のラブライブがランキング上位の選抜だったのに対して、3月開催は地方予選からトーナメントで一回負ければ終わり…かどうかは分からない。
とはいえ再始動したμ'sが3月開催の第二回ラブライブに向かっていく姿が2期では描かれるのだろう。
三年生の卒業式か、春になって雪穂と亜里沙が部室に入ってくるところで終わるとかそういう感じか。
(作中では描かれないが、卒業生は大手芸能事務所によるドラフト会議にかけられる。)
2期の最後で新メンバー加入を匂わせるかどうかで3期の展開は変わるわけだが…
μ'sのメンバー構成が変わってしまうのは拒絶反応が大きいような気がするからやっぱり新加入は無し。
だから3年生の卒業によってμ'sは解散、伝説にしてしまおう。
時は移ろい3期の舞台は解散から数年後、それぞれの場所でそれぞれに活躍する元μ'sの面々が再びあつまってμ'sが復活するまでを描く。
うん、5期くらいまではなんとかなるな。
時の流れというのは早いもので、2013年ももう5ヶ月過ぎた。
いつもこの時期になると聞こえてくる言葉の一つに「5月病」というものがある。意味は知っている方も多いと思われるが、簡単に説明すると意気揚々と4月に飛び込んだ新しい環境に馴染めず鬱状態になったり「本当に今のままでいいのだろうか」とやけに軽く焦ってきたり(これはもしかして僕だけだったのだろうか)する精神状態のことを言うらしい。
何分僕もその頃、まだ若いというのに人生の意義や今後の進路について過剰に煩悶していた張本人であった。当時、高校1年生の頃だった。そして、なんと勝手に地方から東京に出、結果的に約3年間を無駄と化してしまったのである。
これから僕が書くのは「懺悔」の文だ。と同時に、今頃僕と同じ、正確には3年前のあの頃の僕と同じ精神状態に陥っている高校生(もしかしたら中学生も含むかもしれない)への、ちょっとした戒めの文でもある。稚拙ながら、その点ご容赦願いたい。
先に言っておくと、僕は現在とある地方の予備校生だ。まあ、タイトルからして分かるだろう。全くといっていいほど勉強していなかったから、大学なんて受かるはずもなかった。
ここまで書くと、「なんだ、予備校生なんて日本に何万人といるよ」と思われるかもしれないが、そういう類ですらない。学校でも全く勉強という勉強はしなかった、授業すらあってないようなものだったのである。
正直に言うと、現在の僕の学力は高等学校普通科に換算すると1年の1学期ほどまでの学力しかない。いや、3年間ほったらかしにしていたからそれからさらに落ち、中学校程度しかないのではなかろうか。(参考程度に12月に受けた河合模試の結果を書いておくと、国英社平均して偏差値30台後半だった。)
はい、全くもってその通り。が、気づくのが遅すぎた。
ただ単にさぼっていたというわけなのだが、学校で寝たりしていたのではない。むしろそれ以下だった。学校という学校に通ってすらいなかったのだ。あの頃の僕は本気で「勉強よりも今やるべきことがあるはずだ」と思っていたのである。「学生」なのに。
というわけで論より証拠、僕のこの3年間の動きについて、書き綴ってみようと思う。まさかこの年で自分の行いを振り返る事があるとは思わなかった。しかし、これもあの頃の僕のように著しい思い違いをしている高校生を一人でも思いとどまらせるためのものだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
今となっては途方もなく堕ちた僕だが、小、中とまでは何処にでもいる学生だった。高校もまずまずの進学校、といっても地方なのでその高校の偏差値も50台半ばだが、とまれ当時の僕はそれぐらいの学力はあったのである。
しかし、その僕に変貌が訪れてしまうきっかけとなる出来事が3年前、高校1年生の今頃に起こってしまう。
僕は丁度、テレビを見ていた。すると、僕と同じ高校生なのに、学校とは別に団体を作ってボランティア活動に従事したり、あるいはビジネスで大人の人と渡り合い、あるいは海外で外国の経営者や政治家と直接話し合っている高校生が特集されていた。いわゆる「意識の高い学生」である。
今ではどうやらこの言葉は大学生を主として使われているらしいが、僕の場合この意識の高い高校生を見て衝撃を受けたのである。そして、「これこそ今僕がやるべきことだ」と「気づいて」しまったのであった。
その頃の僕は大多数の同世代の例に漏れず、思春期特有の将来に対する漠然とした不安というものがあった。皆さんも「このまま何となく大学を出て、何となく会社に入って・・・というつまらない人生でいいのだろうか」と、自分の進路に悩んだ方、悩んでいる方も多いのではないだろうか。こういうのは本来時間の経過とともに治まっていくものだが、僕の場合、変にこだわりが強いせいかそれはもう延々と悩み続けた。そこに前出のスーパー高校生の登場である。
もちろん、一地方の田舎でそんな活動ができるわけはない。特集されていた高校生も、みな東京の学生だ。元々上京意識が高かった事もあったが、彼等を見てついに僕も上京を決心する。
早速両親に上京を掛けあってみたのだが、勿論のごとく変えてくるのはありきたりの言葉だった。
「なんで今なんだ」「大学出てからにしろ」「そんなこと考えてる暇があるなら勉強しろ」「その高校生は特別なんだ」「そもそも具体的に何するの?」
今となっては、実にあたり前のことだった。しかし、僕は知っていた。いや、知ってしまっていた。世の中の偉人と言われる人は皆、周囲の反対を押し切った人が成功しているのだと。
繰り返しになってしまうのだが、あの頃の僕は本当に前しか見ておらず、成功者の自伝などを読みまくり、その結果としてこれはある経営者の高校生時の状況と瓜2つだということを感じ取ってしまった。SoftBankの孫正義である。彼も高校生時代に、周囲の反対を押し切りアメリカへ行ったのだ。アメリカと東京という違いはあれど、まさしく今の僕と同じ状況ではないか。
・・・その頃の僕は気づいていなかった。1人の「成功者」と呼ばれる人物の裏では、何百人という人々が涙を飲んでいるという事実に・・・
かくして僕は、とうとう貯めていた貯金の全てを使い切り、抗議の意志を示すかのごとく断りなく一人単身で東京に行ってしまったのである。安い旅館に何日も泊まり、東京行きを正式に認めてもらうまで家には帰らないと突っぱねた。その頃、季節はもう夏になっていた。
そしてついに両親は根負けし、東京行きを認めることになった。マンションの一部屋を借り、学校にも転入届を出すことになる。
ここに、間違いがあった。転入先の高校を通信制高校にしてしまったのである。池袋駅東口をでて大通りを歩くとビルの上にでかでかと緑の看板があるあそこだ。前にも書いたが、勉強なんてそっちのけでやるべきことがある(が、はっきりとはしてなかったし結局しなかった)というのが僕の持論だったのだ。根拠のない自信である。「ただ単に勉強にあくせくするだけの高校生活では後悔する。それよりもむしろ高校生という立場を利用して、社会的にコミットしていくべきではないか」と。勿論、学習塾の類にも通わなかった。
・・・いや、「学生」の意味わかってるか?と今になって突っ込んでも、もう遅いのだ。
さて、東京に来た秋から卒業してから連れ戻される今年3月までは、すべてを語るともう読むだけで日が暮れてしまうだろうから、かいつまんでだけ説明する。
まず、多くの本を読んだ。上京する前から本は読んでいた方なのだが、上京してからは大型書店がたくさんあったこともあり、大量に購入してむさぼり読んだ。内容としては社会問題(震災、ボランティア等)や政治経済、自己啓発書、著名な経営者が書いた本などが主であった。
次に、自由に使える時間を利用して、様々な講演会に出かけた。これは東京でだからこそ出来る代物であろう。政治家、各省庁の役員、NPO団体の代表、大学教授や評論家、新聞記者さんなどが開催する講演会やシンポジウムである。僕は前もって作った名刺(といっても名前と電話番号、メールアドレスしか描いてない素朴なものだった)を持って行き、終了後に社会人に混じって名刺交換に励んだ。「学生です」と言うと「こんな若いのに立派だねえ!」と返してくれる。それが嬉しかったのか、どんどんと基本的に社会人向けの講演やシンポに出席するようになった。周りがスーツだらけの中1人洋服だとしても、全くお構いなしだった。
他にも参宮橋近くにあるいわゆる意識の高い人達がいっぱい集まる某センターに何度も紛れ込み、迷惑になるので名前は明かせないが様々な団体と交流したり付属の宿泊施設に泊まったりすることもあった。
その他にも興味のある大学の授業にひっそりと出席したりと、まあ思いついたことをそのままやってみせた。
ここまで聞いて、「何だ、結構すごい事やってんじゃん」と思った方もいるかもしれない。
確かに、当時僕が交流していた学生にはテレビや雑誌で紹介された経験もあるようなすごい人もたくさんいた。が、彼等意識の高い学生と、僕とが全然違うファクターが1つだけあったのである。
それが、「学力」だ。
僕は、一般の高校生が学校に行き、その後学習塾に行き、ヘトヘトになって帰宅して更に課題に追われているその間に、好きなまましてきただけのことだった。先述した他の学生は学校に行った上で、その他の活動もしていたのだ。この時点で差は明白だったのだが、これも今だから言えることである。
とは言え、当時の僕がいかに学力で劣っているかは、当時の僕自身も知っていたことではあった。
3年生になった。そろそろ進学先を決めねばならない。しかし、学力は無い。じゃあどうするか。
学力の無い僕にとっては大学に行く手段としては自己推薦・AOしかないわけで、実は上京した当初からそれを狙っていた。そのためにこれまでたくさんの一般高校生とは違う活動をしてきたんだ。この経験は大きいだろう・・・
とまれ、そのためには小論文や自己推薦書の練習をしなければならない。偶然にもイベントで何度も同席していたとある都立高校生が、論文対策にこれまでも同試験で多数の大学に合格者を出しているW塾を教えてくれた。
が、ここに相談に行った時に、僕のこれまでの一連の楽観的考えを一気に叩き潰される出来事が起こるのである。
推薦対策のコース説明を聞き終わり、帰宅前にアンケートを書いていた時の事だった。
「あ、〇〇高校さんなんですか。」
「ええ、そうです。」
「あの、確かそこって通信制高校でしたよね。」
「はい、そうですが。」
「・・・言いにくいことですが、通信だと推薦やAOは難しいですよ。」
考えてみれば確かにおかしな話である。「今までの画一的な学力入試にとらわれない多面性を重視した新しい入試方式(うろ覚え)」なのに、どうしてそんな差別があるのか。
そこから先は、今まで何度かこの文章の中で自分自身でつっこんできたことそのままだった。手短くまとめると、背伸びをする前に学生としての本分を果たせとのことだ。反論できなかった。呆然とするしかなかった。
しかし、今まで普通科以外の高校から合格した人もたくさんいるのではないか。苦し紛れに反論した僕に、更なる追い討ちをかける。
「何か、これだけは日本一だと誇れるものはあるか?」「何かの大会で優勝したり入賞したことはあるか?」「テレビか、ニュースで報道されたことがあるか?」「まあそうじゃなくても、せめて何かの団体を率いたり、主催をしたことがあるか?」「そもそも、東京に来た目的ははっきりしたか?」
・・・今考えると、最後は「それをはっきりさせるためにここに説明を聞きに来たんでしょ!」と反論できなくも無かったかもしれないが、その他の部分ではもはや撃沈であった。
どう帰ったかは、よく覚えていない。こんなにはっきり言われたのは、初めてだったのだ。確かに通信制の学校で、何も勉強せずに大学に通った例は、たとえば芸能人とか、ゴルフなどで優勝したとか、ケン玉で日本一になったとか「特筆すべき何か」を持ってる人ばかりだった。
だが、一般高校の場合はまた違ってくるだろう。僕も今まで、さまざまなW塾出身の合格者に出会ってきた。しかし、その人もたいてい何らかの(小さいながらも)組織の代表を務め、さらに将来に対する明確な目標や問題意識を持っていた。
冷静になって考えてみると、通信云々という前にこの時点でアウトだったのかもしれない。僕は「東京に一大決心をして来る」ということを「目的」としてしまったのだ。その後にやってきたのは皆、講演会にしてもイベントにしてもシンポジウムにしても、ほかの誰かが開催したものにただ参加したというだけ(しかもお金まで払って)の、単なる「客」だったということだ。はっきり言って「受動的」。これではダメだ。
誰が、こんな人を入学させるのだろうか。
しかも僕の場合はさらにひどく、このような活動をしていないほかの高校生を見下してさえいたのである。先述したとおり、「学生」の本分を完璧に忘却していた。当時僕が「見下していた」多くの学生は、今頃大学で楽しい生活を送っているのだろう。対して僕は予備校詰めだ。これはある種の罰なのだろうか。
話がそれた。
W塾での出来事は相当こたえたが、だからといってあきらめるわけにもいかない。これで受からなければ、とても大学には進めないのだ。僕はありとあらゆる大学の資料を取り寄せ、自己推薦書や小論文を書き出願した。やみくもに書いたわけではない。このころになると都内の有名どころの大型書店の地図は全て頭の中に入っていたから、何店舗か回って関連書籍を買い漁った。文の書き方から何まで丁寧に指導してくれていた本もあり、それも参考にしながら今までやってきたことや思ってきたことを全て提出用紙に書きなぐった。何が「お前じゃ難しい」だ。今に見ていろ。何校も受かって、鼻を明かしてやるからな。
帰ってくる不合格通知の山。僕は、目の前が真っ暗になった。今までやってきたことは何だったんだ。
伊達にW塾は毎年何十人も推薦合格者を出してきたのではなかったのである。
しかも、出願前に必要事項を記入していてわかったことなのだが、大学側が求めた記入事項にも、それを裏付ける所があった。人間性のみを見るはずなのに、通っている高校が「普通・定時・通信」のどれなのかを記入しなければいけなかったのだから。
久しぶりのスクーリング日。担任の先生に言われた。「そろそろセンターの準備はできてる?」
もう、2012年も残すところ1ヶ月だった。
12月、僕は初めてセンター模試というものを受けてみた。といっても、これは今年のセンター模試の最終回だったらしいが。
結果は、始めの方に書いたとおりだ。センターまであと1ヶ月ちょっと、このままの成績で大学に受かるなど、ドラゴン桜のカリスマ先生が今一堂に会しても不可能だろう。そもそも、勉強の習慣さえついてない。
もちろん、模試の時書いた志望校の合格可能性欄は軒並みEだった。・・・いや、1つだけA判定があったな。ちょっと前に2ちゃんねるで騒がれていて、ネタのつもりで書いたBF校、日本橋学館大学。進学させてくれなかったけど。
卒業式には、行かなかった。
よく覚えていないが、このころは全ての夢が潰えたショックで、ただひたすらに家でぼーっとしていたような気がする。
―――Check mate―――
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
大学の部活やサークルなんてやりたきゃやればいいし、やりたくないならやらなきゃいいだろ。
だいたい好きになれなかったなら、そもそも入らなければ良かったんじゃないのか。
辞めるのも迷惑かもしれないけど、根本的に、好きでもない部活に参加するのが迷惑だと思うぞ。
好きでもない部活に入ったって面白く無いのは分かりきったことだし、周りの好きでやってる奴に鬱陶しく思われるのも当たり前のことだろう。
卒業式で誰にも祝われないとか言ってるけど、そんなこと無いだろ。
部活やってりゃそれだけ関わる人も増えるし、祝ってくれる奴くらい絶対いるはずだ。
祝ってくれるやつがいないって台詞は、初めから部活やサークルに参加してなかった俺みたいなクズのためにあるものだ。
甘えたことを言うな。
すごかった。
しかしこんなに出席者がすごいのは、卒業生たちが、国の緊急時に、真っ先に危険な状況に
踏み出していかなければならない存在だからなんだなあと思った。
昔から死と隣り合わせの職業(兵士、騎士、将軍、軍人など)の人々は階級にもよるが、かっこいい服が与えられ、
そうでもしないと、自ら危ない職業になりたいと思う人間が出ないではないか。
しかし国の緊急時に関わらず、災害が発生した場合はやっぱり彼らを頼るしかないしな。。。
一般にはあまり知られていないが、この大学で勉強した彼らは、一般大卒業生よりもリーダーシップや
不屈の精神がすごいと思う。
これから幹部候補生学校に入校して、幹部としての人間性を身に着けていくんだね。
自分も負けないように頑張るよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130318183655
期末だから仕事が忙しくて忙しくて、肉体的精神的疲労が溜まって効率悪くなって仕事の進みが遅くなってますます忙しくって、そりゃあ心を亡くすと書いて忙しいだわ~てな感じで、そのイラつきたるや、通勤途中に道を譲らぬ対向者がいたら猛然とダッシュしてドロップキックでも食らわしてしまいたくなるような昨今なのだが、貴様は如何がお過ごしか。って書いてあったな。なんとなくは把握した。
上記の通り、俺はイラついてイラついて仕方がないのだが、夜食代わりにコンビニで買ったタカナシのおいしいバナナのミルクラテとかいうのが存外うまくて気分が良いので、俺で良けりゃ回答しようか。気に入るかどうかはしらんがね。
なっちまったもんはしょーがねーよ。若いと脂っこいんだ。跡が汚いのは手入れしなかったツケだ。俺もそうだった。今から手入れすれば、ちったあマシになる。
方法はググれ。
ニキビの発生自体は年取りゃ収まるが、きれいにするにはちょっとずつでも手入れするしかねーよ。レベル上げみたいなもんだ。
それと、今はともかく、結婚するような年になると、顔のことはあんまり気にしない女は多い。
でも、顔の手入れは女のほうが上手なので、手入れした結果の顔なのかどうかはバレる。美醜そのものよりも、そういうのの方が減点ポイント高い場合もあるよ。
薬でなっちまうもんはどうしようもないけど、あとは手入れだ。レベル上げだ。1日1回やれば1年で365回だ。やらねばゼロだ。やるのだ。
お前の顔の具合なんかしらねーよ、見えねえもん。
大事なのは表情と髪型。ほとんどそれが全部だ。アイドルになるんじゃあるめーし。
鏡に向かって笑顔の練習すれ。真偽の程は定かでないが、楽しくなくても笑顔でいるとなにやら楽しくなってくるという説もある。
とりあえずお前の顔の原型になってる両親が結婚できたんだから、磨けば少なくともそのレベルにはなるだろーよ。
どっか繁華街のマックに行って、窓際の席で通行人眺めてみろ。どいつもこいつもたいしたツラじゃねーから。
あと髪型はとりあえず清潔にしときゃいいんだよ。ハメ外すのは大学に入ってからで結構。というかハメ外す必要は別に無い。向いてないだろ、そういうの。
すまん。よく知らない。でも文章を見るぶんには特にひどいようには見えないが。
なんかして良くなるものなら良くすりゃいいし、どうにもならんもんならどうにもならんので気にするな。
すまん。これもよく知らない。小学校の頃の同級生に人工透析してたのがいたけど、あんな感じか?
不便だろうけど、こればっかりはなったことが無いので想像するしかできん。
同じ病気の人とかに相談すれ。ネットならそういう人も探しやすかろうよ。
おまえ身長160cmの人の前で同じ事言ってみろ。
俺は身長180あるけどな、俺の好みは俺を物理的に優しく包み込んでくれる人であり即ちデカイ女なんだよ。俺よりデカイ女なんてほとんどいないぞどうしてくれよう。
んー、あれだ、ぶら下がり健康器やれ。
何のためにやってんの?
俺は一応、親が大学進学できなかったのがコンプレックスだったみたいで、しかもありがちなことに小中だけはろくに勉強せずともトップクラスなもんだから、妙に期待されちゃって、
でも俺は勉強なんか全然面白くもなんともねーし、入った高校が曲がりなりにも進学校だったもんだから勉強は大変だし、予習復習する習慣もないし、
アホ教師が地理と倫理選ぶと受験が楽だとか言っちゃうもんだから、俺がやりたかった世界史の選択授業が人数不足でなくなっちゃってやる気ゼロだったよ。アホすぎる。
あまりにもアホらしいので3年になったら授業サボって部活だけ出てたよ。引退しても部活だけ顔出してた。あとは寝るか食べるかゲーム。んで卒業式の日に退学。
まあ俺の話はどうでもいいんだ。
で、何のためにやってんの?
言うまでもなく、いい大学に入学→いい企業に入社ってなもんなんだろうけどさー。
他にやることないなら、別にそれでいいんだけどさー。
無いっていったって、これまで生きてていいことなんてひとつもなかったよ! なんてこたぁないだろ。
なんか楽しい思い出の一つや二つあるだろ。些細なことでもいいんだ。漫画見るとかでもいーのよ。
それがなんで楽しかったのか、どうすればまた&もっと楽しい気分になれるのか、それを考えればいい。
ちなみに俺は家族も友達もうっちゃって、貯金でどこかのど田舎に引きこもって絵とかプログラムとか好きなもん作ってたい。そんで、どうせ金にはならないだろうから、そのまま野垂れ死にたい。野垂れ死ぬ自由のある素晴らしさよ!
親に相談しなさい。
んなこと恥ずかしいと思ってるんだろうけど、別に恥ずかしいことじゃない。
ただ、恥ずかしいからって何気なく話すと、何気なく流されちゃったりするので、
相手の目を見て、真面目な顔で、相談があるって言えばいい。
親は親で忙しかったりするから、その場ですぐにってなわけにはいかないかもしれないけど、
日程決めて、約束して、その日に話そう。
もし約束をすっぽかされても怒っちゃいけない。大人だって辛いこともあれば、約束を忘れることもあるのだ。また次だ。
で、何を話すかだが、増田に書いたようなことでいいのだ。
何をしたらいいのか分からなくて悩んでいると、素直にかつ真面目に言えばいいのだ。
だって、お前、自分が親になったと仮定して、子供が悩んでる時、一人で悩むくらいなら相談して欲しいだろ? 違う? 違うとしても、お前の親はそうかもしれないだろ?
ただ、親を責めるような風に言わないように。親だって人間だ、責められればつらい。
でも、なあなあで済まそうとされるのなら怒ってもいい。養われてたって、雑に扱われたら怒る権利くらいある。ひと通り怒った後に許そう。相手を許すのは超大事。自分のために許す。
で、相談したとして、一回の相談で簡単に答えが出るもんでもないだろう。それは期待しすぎだ。焦るな。おちけつ。また次だ。
少なくとも、両親の内、片方くらいは真面目に聞いてくれると思う。
駄目ならじーさんばーさんだ。兄弟や仲の良い従兄弟がいるならそれでもいい。
①多様な価値観
高偏差値大学の方がより多様です。なにせ、そこを目指して全国から集まるので。
そもそも、偏差値が低いということは目的意識を持った学習をしたことがない
偏差値40というのはそういうレベルなので、価値観と呼べるほどのものを持った
価値観の多様性を求めるなら、意地でも高偏差値大に行きましょう。
尚、地方旧帝は地元で既に人間関係が固まった生徒も多く、やや閉鎖的な傾向があります。
これが欲しいなら、早稲田慶応などのマンモス私大が良いでしょう。
価値観の多様性という意味では、「当校は総理大臣からホームレスまで日本で最も多様な人材を輩出しております」
と総長が卒業式辞でやらかした伝説を持つ早稲田なんかがいいかもしれません。
②損得勘定抜きの仲間、
これは大学だとふつうできます。というか、就職の時期が来るまでは
いかに高偏差値大学と言えど、損得勘定のみで人と付き合ったりはしません。
そーいう人もいるかもしれませんが、少数です。
損得勘定のある「社会に出てから役立つ」付き合いが出来るのがメリットというのは元増田の仰る通り。
これを求めるならやはり意地でも東大に到達するべきでしょう。
就職活動が近づくと、「財務省のOBから電話がかかってきた」というようなエピソードに代表される
強烈な東大閥は最高に便利だと思います。僕のかつての勤め先でも「東大に非ずば人にあらず」レベルの
企業社会で戦うことをあなたが目指す場合、東大卒以外であることは人生に巨大なハンデを負っていることを意味します。
そういうものに価値を求めるなら、意地でも東大入った方がいいです。わりと辛いです。
僕は地方旧帝を中退、某マンモス私大へ再入学という経歴を持ってますが
大学教授は例外もいますが、基本的に教えたがりです。学部生でも熱意を持って接すれば
「帰りちょっとサイゼリヤで飲もうか。ワリカンな」というようなことにすぐなります。
というか、「奢ってくれたら個人指導する」と言うほどカネに困ってた講師もいました。
それも、マニアックな一つの世界に生きてきたワープアです。バンドやってるフリーターと大差ありません。
そんな人に「あなたの話を聞かせてくれ」と言えば、そりゃ優しくしてもらえますよ。
これは大学に入ったら是非やった方がいいことです。ただ、マンモス私大のような場所だと
指導者と生徒の人数比が開いているので、これを濃厚に求めるなら地方旧帝のようなやや少人数かつ
閉鎖的な雰囲気のある大学が良いかと思います。ただ、人間関係トチったら院進絶望即死だがな。
④頭の使い方を学ぶ
どう考えても、高偏差値大学の方がより効率的かつハイレベルに学べます。
http://anond.hatelabo.jp/20130121001007
読む前は「吹雪の中を幼い兄妹二人が母親の薬のために奮闘するが、塩狩峠で行き倒れる話」だと思っていた。
イメージ的には「火垂るの墓」、あるいは「ベロ出しチョンマ」のひどく悲しいものを無意識に予感してしまっていたためか、現在26歳に至るまで一度も読んだことはなかった。
手にとって読んでみると、まあすらすら読める。
こんなに平易な文章で短篇集的なとっつきやすさを持っているものであれば、中学生くらいのときには読んでおきたかった。
いろいろと考えるきっかけにもなりえただろうことからなおさらそう悔やまれてならない。
内容。
あらすじを知っている人からすれば当然だったのかもしれないけれど、知らなかった自分からすればあまりにも唐突。
死亡フラグが立っていたとはいえ、それでもあんまりだなあと思った。
ふじ子かわいそうっていう。
あーでもそのやるせなさとかからの逃げ場所としてキリスト教が救いになったってことなのかなー。
理不尽なこととかにも黙って耐えるような、そのときのすがる先。宗教ってそういうものかね。
生きる意味すらも指し示されるような。
それもありかもね。そういう選択肢もあるんだねとは思った。
ただ最後らへんの、すげー影響があっていっぱい入信したとかそういう下りは「小説としては」いらなかったんじゃないかなー。。。
掲載誌を考えたら仕方なかったのかもだけど。
ただ死んだだけじゃなかったんだよーこんなに多くの人に影響を与えたような、意味のあった立派な死だったんだよーっていうのがちょっとあざとすぎた気がした。
あとがきとか解説について。
解説で、この本のテーマは犠牲って書いてあった。確かに、乗客のために命を犠牲にしたりだとか、吉川が自分の夢を諦めて「普通」を目指すだとか、いろいろな部分に犠牲というコンセプトが見え隠れする。
そういうものの見方を知ったことは有益だったけど、自分にはできない、やれない、やりたくないって思っちゃうなーと、この歳まで無宗教でダラダラ生きてきた人間は思った。
友のために命を投げ打つ、犠牲になることが愛。
そう思うのは勝手だけど、結局正当化するための理由でしかない。自己満足に過ぎないとしか思えないという考え方が拭い切れない。
根っからのキリスト教国に生まれてたらまたその考え方も違ったんだろうけど。
否定はしないけど、別に肯定もしない。受け入れるつもりもない。そもそも受け入れられない。
そういえば中学校のときに、卒業式で大地讃頌を歌うことになっていたのがたったひとりのキリスト教の生徒のために変更になったことがあったわ。
やっぱり、宗教が前提にある人とそうでない人って歴然とした差が根っこからあると思うわ。
あるところはすげーあるんだよ。
この事件とか覚えてるだろ?
1999年(平成11年)2月28日、君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する日本教職員組合傘下の広島県高等学校教職員組合(広島高教組)の組合員教職員や部落解放同盟広島県連合会との連日の交渉に追われ、一方でそれを義務付ける通達を出した文部科学省との間で板挟みとなった当時の校長が卒業式前日に「何が正しいのか分からない。自分の選ぶ道がどこにもない」とする遺書を残し自宅で自殺する事件が起こり、『国旗及び国歌に関する法律』成立のきっかけとなった。校長は教職員の執拗な抵抗に追い込められたことが自殺の要因であるとし、自殺の7年後に公務災害に認定された。
高校1年のある日、同じクラスのやつが下校していたのが見た。名前はカイル。自分の教科書全部持ち出してるように見えた。「一体誰が金曜に教科書全部持って帰るんだよ、ガリ勉すぎるだろ」なんて思った。
週末はぎっしり予定もあり(パーティーやら翌日の午後には友達とフットボールの試合)、やれやれと歩き続けた。何人かがカイルに向かって走っていく。そいつらはカイルに突進。教科書を叩き落として、地面に転ばせた。草むらのほうに眼鏡が3mくらい飛ぶ。起き上がったカイルはひどく悲しい表情だった。
さすがに同情して彼に駆け寄った。這いつくばって眼鏡を探すカイルの目には涙。「しかしひでーやつらだな、他にやることねーのかよ、な」と眼鏡を拾って手渡した。「ありがと!」今度は心から感謝してるのがわかるくらいにっこり笑っていた。
教科書を一緒に拾い集めながら、どこに住んでるか聞いてみた。そしたら実は近所だ。じゃあなぜ見かけることさえなかったかは、これまで私立に通っていたということらしい。私立に行くやつなんて一緒にいる気さえしなかったけど、結局教科書を持って話しながら家まで帰った。
なんかこいつめちゃくちゃいいやつだ。週末のフットボール一緒にやろうと誘ってみたら、来ることに。
週末ずっと一緒に遊んで、カイルのことを知れば知るほどいいやつだとわかった。俺の友達もそう思ってた。月曜になり、今度は積まれた教科書を抱えたカイルを呼び止め言ってやった。「おいおい、毎日毎日こんな教科書の山運んで、どんだけ筋トレするつもりだよ!」カイルはただ笑って山の半分を俺に渡してきた。
4年間の高校生活を経て俺たちは親友になった。受験の年、大学への進学を考えはじめた。カイルはジョージタウン、俺はデューク。カイルは医者を目指し、俺はフットボール推薦で進学、ビジネスを学ぶ。
カイルは主席で卒業する。やつのガリ勉っぷりはいつもからかってきた。これで卒業生代表スピーチらあいつ。壇上で挨拶なんて、ほんと俺じゃなくてよかったよ。
卒業式の日、カイルはいい顔してる。こいつは高校でちゃんと自分ってのを確立した人間だ。身体も大きくなり、眼鏡も似合ってる。俺なんかよりモテたし、女子全員に人気あったな。ときどきマジで羨ましかった。正直、今日もそのときどきの内だ。カイルはスピーチに向けて緊張しているのが目に見えた。だから背中をぶっ叩いて「よ、代表さん、イケてるよ!」と言ってやった。彼はあの笑顔(心から感謝するほうの)で、「サンキュー」と言った。
カイルは少し喉を鳴らしてスピーチを始めた。「卒業式とは、この決して楽ではなかった4年間を終えここまでたどり着くことができたことを助けてくれた人々感謝する場でもあります。両親、先生、兄弟、コーチもそうかもしれません。そして友達です。私は今日お伝えしたいのは、あなたが誰かの友達になってあげることは、その人にとって自分ができる最高の贈り物だということです。ひとつそのエピソードを紹介します。」
僕とカイルが出会ったあの日のこと、耳を疑った。カイルはあの週末に自殺することを考えていた。自分の死後、母親が学校に後片づけに来なくていいように、ロッカーから持ち物を全て持ち帰ろうとしていた。俺を檀上からじっと見つめ言った「でも幸運にも私は救われました。言うことができないくらい最悪なことをする手前で救い出してくれたのです。」 ハンサムな人気者が一番弱く、くじけそうになったときのことを話したとき、会場の誰もが息を飲んだ。カイルの両親もあの笑顔で俺を見つめている。そしてこのときはじめてこのカイルの話の真相を知ることになる。
行動する力が何をもたらすのか、決して甘く見ることはできない。ちょっとした行為が人の人生さえも変えることができてしまうのだ。
母親は、昔モデルをやっていたくらい美人です、正直娘の私でも「わあ綺麗!」って思ってしまうくらい。
ぱっちり二重・高くて細い鼻・小顔
でも残念ながら私は父親似でした。
なぜ、できるだけ美人に遺伝子は組変わらないんでしょうか・・。ああ、遺伝子に容姿なんて関係ないんですね、わかりません。
もう、卒業式がゆううつでたまらない・・父親似だって思われたくない、言われたくない。
細くて脂肪が分厚い目・低い鼻・大きい顔・・みればみるほどそっくりで正直話しかけないでほしい。
毎日毎日顔のことばかり考えてしまう。一度整形して新しい気持ちで人生を生きたい。顔以外のことを考えていたい。
私の友達は可愛いこばっか。一番可愛い子はむしろ美人でちょっとつんでれな性格でモテモテ。
友達なのに、近くにいるのに、あの子ばかりが男子に話しかけられて、彼氏ができて。
私は?男子には自分からじゃないと話せない、彼氏なんてもってのほか、ずーーっと片思いの人にすら振り向いてもらえない。
今までのの友達もなぜかかわいくてモテてる子が多かった。つらい、なんで可愛い子ばっかと友達になるんだろう。
将来は、高校、せめて社会人になるまでバイトでお金を27万円くらいためて、高須クリニックで全切開法の二重手術をしたい。
元々は奥二重なんだけど、もっと幅が広くて大きくて脂肪の少ない綺麗な左右対称の目にしたい。
目頭切開は、お医者さんに相談。自分ではそんなに蒙古襞がかかってない気がするんだけど、自分じゃわからないから・・。
上向きの鼻もどうにかしたい。あと、鼻を小さくしたい。
あと、涙袋を真顔でもできる状態にしたい。エラボトックスも打って、小顔にしたい。
でも、絶対失敗しないように、お医者さんにちゃんと相談して、不必要な所は絶対いじらない。
絶対綺麗になりたい。整形したら全部完成するように、今からお肌やできるだけ小顔に、目を大きくする運動とかダイエットとかガンバル。
男見返したい。今までばかにしてきた人たちとかも見返したい。整形整形言われても正直綺麗になれたらいい。
A子とは高校1年生の時同じクラスになり、仲良くなった。
ただし、境遇はかなり違った。私の家は貧乏で塾や習い事にも行けなかったが、彼女の家は金持ちで、いろいろな習い事をしていたし、家に遊びに行くと見たこともないような綺麗なお菓子といい匂いの紅茶が出てきた。
それでも劣等感を感じずに友達でいれたのは、容姿に関しては私のほうが上、と思っていたからだと思う。
彼女は太っていて近藤春菜似。洋服のセンスもダサかった。(これは、10年経った今でも相変わらずである)
私はスタイルには自信があり(実は中学までは太っていたのだが、頑張ってダイエットした)、眞鍋かをり似と言われる。もちろん眞鍋かをりほど可愛くはないが。
古着をリメイクするのが趣味で、センスが良いと褒められることが多い。実際、大学時代には作った服をオークションに出すと高値で売れていたので、おせじではないと思う。
私にはB男という好きな人がいた。彼は私の幼馴染で、周りから「お前ら付き合っちゃえよ」と言われるくらい仲が良かったのだけど、なかなか一歩を踏み出せずにいた。
2人きりで遊ぶと冷やかされて恥ずかしいので、A子を誘って3人で遊んでいた。
ある日気付いたら、B男とA子が付き合っていた。
私は、そのショックでうつ病になり、引きこもってしまった。大学受験のストレスなんかも重なっていたのかもしれない。
予備校に行くお金などなく、自宅浪人だったこともあり、A子がその後どうなったのかの情報は入ってこなかった。
大学は楽しかった。大学の友人たちは、うつ病の後遺症で挙動不審気味の私のことも受け入れてくれたし、彼氏もできた。
私は、次第に元の前向きな性格に戻っていった。
その後、猛勉強の末、公務員試験に合格し、地元の市役所に就職。
イヤイヤ期の育児は大変で、夫ともたまに喧嘩もするし、マンションのローン、奨学金の返済など、経済的にも楽とは言えない。
でも、公務員という立場はやはり恵まれていると思うし、自分はどちらかと言えば勝ち組のほうだ、と思っていた。
それが間違いだった。
高校の同窓会の通知が届いた。
高校の友人たちは、引きこもって卒業式にも出なかった私のことを心配しているかもしれない。
幸せになった自分を見せに行こう、と思って参加表明してしまった。
そこで知ったのは、A子が日本で一番偏差値の高い私立大学を卒業し、有名企業に就職していたこと。
A子自身も仕事はやめておらず、世帯年収は我が家の4、5倍くらいで、高級住宅地の一軒家に住んでいること。
今まで「自分は幸せだ」と思っていたのがガラガラと崩れていった。
全てが無駄だった。自宅浪人で旧帝に受かったことも、倍率30倍の公務員試験に受かったことも。
頑張って育児と仕事を両立させていることも、体型維持に努めていることも、ファッションに気を使っていることも。
全てが無駄だったのだ。
今はただ虚無感。
なんとか起死回生を図りたいけれど、公務員なので週末起業も出来ないし、億が一何かの間違いで私と結婚したい大金持ちの男性が現れたとしても、夫と子どもを愛しているので離婚なんて絶対に出来ない。
終わった。
今までの私の人生は何だったのだろう。
私はただ、A子に負けるためだけに産まれてきたのだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20120510141749
前回の続き
さて、MBSの記者が自らの番組「VOICE」にて件のやりとりを報道した
それに対し、橋下市長は
「アンケート自体も、無回答が多く校長が全体としてどのような意見を持つかが不明瞭など、正確性に欠けた上に恣意的な扱いをされている」
と述べた
嘉悦大学教授であり政策コンサルティング企業「株式会社政策工房」の代表取締役会長である「高橋洋一」は橋下市長のやり方について、
「件の記者は、報道内容を先に作った上で、それに沿った言動を引き出すのが目的だったのではないか」
「橋本市長はそれに対して"管轄外だからコメントしない"と簡潔に言うのではなく、きちんとその論理を説いた」
「これには、記者に"橋本市長は逃げた"という記事を書かせないという効果もあったのではないか」
「これからもこうした透明化を行うことで、偏った報道への抑止力となるだろう」
などと述べた
しかし、透明化を行なってもテレビというメディアの影響力は今だに大きい
あの(編集された)放送をみたら誰だって"橋本市長は気が狂ってる、いきなり怒りだしてどうしたんだ"と思うだろう
ネットを見ない、テレビを見る数百万人があれを視聴したんだから、僕はイチコロだよ
と述べている
口元チェック問題で注目された中原徹校長は、自身のブログに国歌斉唱問題について記事を書いた
「正当な手続きを踏んで、最高裁判所でも合憲判断を下された職務命令には従うべきであり、
入学・卒業式という生徒を迎え・送るセレモニーの場では個人個人のイデオロギーをアピールせず、起立斉唱をして生徒を祝福して欲しい
しかし一方、日の丸・君が代と日本の負の歴史が関連している考えを持つ方においては、そういった意見を封殺する事はあってはならないと考える
もちろん、そういう考えを"式典での行動"で示す事はあってはならない
それはもはや教育という場でやるべきことではない、大人同士の争いであるからだ
教育現場で行うべきは、君が代・日の丸にどのような意味が込められ、賛否それぞれどのような意見・見解・解釈があるのかを分け隔てなく伝える事である
そして、国歌斉唱問題がどのような構造の下に発生し、どのような解決がされていくべきなのかを生徒自身に考えされるようにするべきである
と述べた」
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201136169940037635
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201137389358419969
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201137895208255488
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201138385065213952
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201140900062183425
http://twitter.com/#!/t_ishin/status/201141476548292609
http://nicoviewer.net/sm17794316
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17794316
じゃあ、俺も学生時代の思い出を書くよ
しばらくは飼い殺し。ネズミ世話当番をこなす。
その時は、研究室でやってるテーマとか材料を論文検索に突っ込んで、ページ数少なそうなやつを発表してた。
あんまり考えてなかった。
院生が教えてくれたのはそれっきりだと思う。
「なにを言ってるのかよくわからないだろうけど、この材料でこういうことをやれ。
2年前に卒業したやつの卒論の補完だから、その卒論と条件を揃えてやるように。」
どうやっていいかわからない。モノの場所も研究室ルールもわからない。
B4で似たような手技を使う先輩を捕まえて泣きつく。
その先輩、商業高校推薦で潜り込んだそうで、指数対数計算も出来ない。
左手で持って右手で注射する、その話は院生に聞いた、あてにするのはやめてとりあえず試行錯誤。
細々したルールを全無視して好き勝手やってると先輩たちから目の敵。
そんなこんな、色々と実験、というか半分はサンプルを野外から集めてきたり、それを精製したり調整したりという泥仕事が定着。
「いついつまでに誰にこういうサンプルを作って渡せ」
という指示が飛ぶようになる。
割に合わない泥仕事ばかりだったが、研究室のどこでどういう実験が動いているのか全容がわかるようになる。
他の連中が渡されたサンプルで渡された操作をしてるのに比べたら、まあ勉強にはなったわな。
とはいうものの、面白い結果がでたところで、次になにをやっていいかわからないのはやる前からわかってた。
教官狂喜するが
教官「で、次どうするか考えろ」
古今東西の文献を調べまくって、論文の束に付箋を貼りまくって、あーだこーだ説明。
その頃から自由にモノを買ったりするようになる。
たぶん院生よりも金を自由にしてた。
いつものように50万くらいのものを電話注文してたら、すっかり助教授(教官と呼んでいたのはそいつ)に研究は任せ、会議や事務仕事などに引っ込んでいた教授に見つかり、高額なものは助教授と相談して買うようにと言われる。
一声かけに行くと
教官(助教授)「お前がやってる研究に必要なモノをお前より俺がわかると思ってるのか!」
教官「増田くんは卒論のネタが3つも4つもあって余裕だから、同期の卒論をどうするか考えろ。」
要約すると、卒論のテーマを与えようと思ったが思いつかなかったらしい。
俺は泥仕事の過程で出たデータにちょいちょい足していけば、それっぽいストーリーがかける状態だったしで。
そのうちにどんどん増長していく。
今度配属されてくる後輩の面倒も一人見ろという。
同期のやつらも同じように後輩の面倒をみたりしていたが、手技を教えたりするだけだったんだが、俺の場合は卒論のネタまで考えて与えろと。
やれと言われたので、やった。
そのうち愚痴の聞き役担当にもなり、ウン年前に卒業した院生の博士論文であのデータが足りないとか、そういうまで。
なんか自分がすげぇやり手みたいに書いてるけど、教官の言ってることは半分くらいしかわからんかった。
どうも、その研究に必要な基礎知識とか、ライバルの論文は全部俺が読んでるという前提で話しているようで、
というノリ。
適当に相槌を打ってた。
教官「お前はネタが3つも4つもあるのに卒論は1つしか書かないなんて、残されたほうにもなってみろ!」
ということで卒業式の後に、卒論にしなかったネタをどうするか、誰かにデータを追加させてそいつの卒論にするとか、どうやって学会発表にもってくとか、そういう話をずっと。
相変わらず躁だったり欝だったり激しかった。
俺「先生、この間と言ってることが違うじゃないですか」
教官「おまえ、俺のことなんか信用できると思ってるのか?何年俺と付き合ってるんだ!」
しばらくして、その教官は死んだ。
自惚れではあるが、俺が院にいっていたら、死ななかったかもしれないと思ってる。