はてなキーワード: 劇物とは
最初に言うが、これがそういうタイトルの増田文学で、全部単なるフィクションなんてことはない。紛れもない事実だ。
私は今年で40になる。これはちょっと嘘。±30歳ぐらいの範囲で嘘をついてると思って欲しい。
そこそこ安定した業界の安定した職場で正社員をやっている。給料は良くない。
ぶっちゃけこの仕事は嫌いだ。まず面白くない。労働時間も長めだ。スキルの身につきも悪く同業他社への転職だって苦しいだろう。なまじ安定してるせいで変な人間だけが居着いて、ちゃんと他所で生きていける人間は逃げていく。
こんな妄想にいつも取り憑かれている。
夜中にアイディアをひらめいてプロットエディタに設定を並べて、次の日見たらつまらなすぎて消したことが10回ほど。
それとパロディ小説が流行っていた頃に、真似事をしようと匿名掲示板の書き込み欄に妙なものを打ち込んで5分後に完全に飽きて消したのが3回ぐらい。
ハッキリ言って、この小説を書く以前の行為の段階で自分には才能と呼べるものがないことがハッキリしている。
アイディアは思いつかないし、文章力はないし、情熱も続かない。
小中学生の頃は青い鳥や角川の文庫をよく読んでいたので同級生よりはちょとばかり文章は上手かったが、それでも読書感想文の賞すら貰ったことはない。
ある時提出した宿題の出来が良かったのか論文コンクールへの応募を薦められ、好きにしてくれと教師に伝えたら後日参加賞をそっと渡されたことはあった。惨めだった。
ブログの投稿内容を10年前と見比べると露骨に語彙が減ってきたなと感じる。
そんな状況なのに、私は今でも「私はいつか作家になるのだ。超売れるのだ。そして仕事をやめるのだ」と思い込んでいる。
信じられるかい?
ツイッターで面白い(と自分では思っていること)を呟いた時にいいねが2個ついたら喜ぶような人間が、作家として大成する可能性があるのか?
もうこんな妄想ぐらいしか自分には残ってないからなんだろうな、と。
あまりにも毎日が惨めすぎるから何かしら妄想に縋ってないともう限界なのだろう。
たとえばこれが「仕事で大成功する」とか「エンジニアとしての才能に目覚める」だったりすれば、きっとそれはもっと生々しい実感を伴って日々何も積み重ねていない自分の姿を映し出すことになるのだ。
「小説家になる」というアホみたいな夢だからこそ、本当に何もしてないままでなんとか夢を見続けられているに違いない。
なにせこうやってどうでもいい言葉を書いたり読んだりするだけでも「読み書きの練習」だと言い張れるんだから。
インプットはともかくアウトプットにはそれ相応の労力が必要になる。
昔ネットにプログラマーにもイラストレーターにもなれない奴が小説家を目指すというフローチャートが貼られたが、そのどうしようもなさがいい方向に働いているのだ。
とにかくこの妄想は私が死ぬか、次の妄想に取り憑かれるまで続くのだ。
むしろ、私の人生を貶めるような妄想から私を守ってくれているのがこの妄想と言える。
宗教や薬物や恋愛に人生の逆転を求めてのたうち回らぬようにするためのものだ。
自分の人生に余計な劇物を混ぜ込まれないよう、なにかコントロールしづらいものが始まらぬよう、不活性な夢を詰め込んで空虚なままにしているのだ。
昔2chでみたコピペ「人生を壺に例えるのなら、小石や水を詰めてしまう前に大きな岩を入れなさい」。
あの話における岩を自分の人生に入れることも出来ず、かといって手頃な石を必死に集めて人生の価値を取り繕うのも面倒だから、風船を一つ押し込んで人生を終わらせることにしたのだ。
このままつまらない仕事を続けて、結婚もせず、大した趣味も持たずに死ぬ。
酔生夢死を夢見ながら実際にはそれなりの苦痛を緩やかに味わい続けて命が潰えるのを待っていく。
そのための連れ合いとして必要不可欠だから生まれた夢だったのだと思う。
全て忘れたい。
こんな程度の人間に生まれたことも、生きるために人波の中でゆっくり針のむしろを感じて生きる時代の中に生まれたことも。
何もしたくない。
何もせずに生きていたい。
だけど、いつか何かが起きて生きててよかったと思えるからと自分に騙されてここまで生きて、今更何もなくて終わらせるのは耐えきれない。
それで選んだ夢がこんなものか。
それで結局、何もやっていない、と。
どうすればいいんだ。
駄目だ。
自分で書いて読み返すのもキツい。
知り合いの話だが、いきなり別れようっていって音信不通になる男がいたんだけどさ、女の人は真面目で誠実で結構上からも頼られ後輩からも慕われるような人格者の人だったんだけど男側の会社で刃物沙汰になって、警察きたことある。恋愛って人によってはそれだけ劇物になるんだよね。。温厚なあの人がってみんな驚いたから。でも色々あってその女の人いま幸せに暮らしてるから男側がクソだったなとは思うわ。男は今バツイチ。
結局のとこ
①いきなり別れたいといい出して
④逆ギレ(他に女がいるんでしょ?に対して)
実際は浮気してるわけでもなく
徐々に面倒くささを出して
別れたい雰囲気を出せば
言ってきた可能性もあるくらいの
いつか結婚しようねと盛り上がってる
彼女は深く傷ついて
恋愛の凄味。
ようやく立ち直り
今では2児の母です。
男はその後も付き合ったり別れたりを繰り返し
多分子育て向いていない。
むかしむかし、ドエロあしがらセックス山の卑猥で淫靡でいやらしくてえっちで全ての陰毛フェチが顔を埋めて一生死ぬまでマインドフルネスしたくなるレベルのインモラル剛毛モジャモジャヴァギナのようなクソスケベで存在自体がデスアクメな山奥に、バイオ性玩具ママサカリをセクシーに背負って、強制的に発情アクメさせる分泌液(ぶんぴつえき)を常に体内に送り込む淫猥触手生物で出来た褌(ふんどし)一丁で、そこら辺をスケベにセクシー徘徊しているドスケベ金太郎(どすけべきんたろう)という名前の毎秒4545194回フルタイム無限アクメしているむちむちボディーばきばきペニス(ちんぽ)のMEGAMAX発情男の子がいました。常にMEGAMAX発情しているので、ドスケベ金太郎のセクシーなスケベ肉体は全体的にエロく紅潮していて常に絶対悩殺発情フェロモンが1日30時間放出され続けています。勿論無尽蔵に垂れ流される精液でそこら中にザーメンマーキングをするのも1日として欠かしたことはありません。当たり前ですね。
ドスケベ金太郎が通った後には絶対悩殺発情フェロモンにつられて激発情した淫乱動物や猥褻植物がエロ集まり、デスアクメする度にリバースアクメをしていました。このスケベなセックス山中の淫乱動物達は、死と再生のアクメを繰り返した結果、棒も穴も突起も袋も全てスーパースケベ強くなり、そこら中でクソスケベな色狂いセックスモンスターズが淫乱ペイジ淫獣大乱交っていました。
ドスケベ金太郎の交尾友だちは、セックス山の色狂いセックスモンスターズから選び抜かれた究極の淫乱動物、その名も究極淫乱動物たちです。
ドスケベ金太郎は毎日毎日、究極淫乱動物たちとえちえちすもうをしてエロ遊んでいました。
Welcome to ようこそドエロあしがらセックス山へ。今日もドスケベッタンバコバコッタン破廉恥大騒ぎです。
「ドスケベ金太郎♡スケベがんばれ♡ドエロ淫乱クマさんもエロ負けるな♡」
———変態とは何か?
誰もが疑問に思い、誰もが気付かない内にどうでもよくなるえっちな概念のスケベな答えがこの2行の空白にあります。私達が認知可能な時間で言えば、僅か3秒ほどの時間になるでしょう。
変態とは認知の先を歩む超越助平者です。ほんの僅かな空間の歪みの隙間から認知出来る氷山の一角だけを私達のような健全な一般市民は変態として認知しているに過ぎません。氷山の一角とは言っても、それは変態のごくごく一部の点でしかありません。線でも面でも無いのです。
私達は常に変態と共にいます。しかし私達は変態を点でしか認知する事が出来ず、また変態も私達のような健全な一般市民には興味を持ちません。それでも変態は「性癖」という穏やかな日差しに似た光を私達に与えてくれます。その光に近付き過ぎれば、私達健全一般市民はただでは済まないという事は、太陽に近付き過ぎたドスケベイカロスのお話や、近付くほどアクメしてしまう美しさのドスケベ白雪姫のお話を持ち出すまでもなくスケベ明白です。
先のたった2行のえっちな空白部分には私達健全一般市民には表現も認識も出来ない悍しくもいやらしい変態生物同士の変態行為がきっと記されているのでしょう。ドスケベ金太郎とドエロ淫乱クマのえちえちすもうは、認知を超越した超助平生命体同士のエロ誉れ高き性戦なのです。しかし、私のような健全一般市民に過ぎないただの人間では、この情欲と色欲と淫欲と肉欲と性欲に塗れた性行為ですらない如何わしくて淫らで卑猥な・・・なんだか知らないけどとにかくエロい行為を書いても2行の空白にしかなりません。勿論このお話を読んでいる皆さんにも2行の空白としか認知されないのです。変態とはそんな領域にしか存在しない絶対的な究極の概念なのです。
あたりを視姦(み)まわすと、エロ観戦していた究極淫乱動物達は一匹残らず発情して、交尾しながら交尾され、ひたすらに快楽と悦楽を貪る理性も本能も捨てた性的な猥褻タンパク質となりました。そしてやがて誰も視姦(み)えなくなりました。ドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物達はみな認知を超越した変態領域を行き来出来る超助平生命体なのです。こうなるともはやドエロあしがらセックス山に近付く事は出来ません。運悪くふもとまで山菜摘みに来ていた夫婦は急性淫乱発情症候群(ズコバコシンドローム)に陥り、ドロドロの肉塊になるまで交尾を繰り返し、感度3000倍の媚薬花粉をばら撒くスギ科の植物、その名も感度3000倍媚薬杉の養分となりました。近隣のスケベな村々でもえちえちな村人達がむらむらして、ある者は近くにいる人を、ある者は何か近くにある穴のある生き物を、またある人はそこら辺にある棒状の何かを相手にぱこぱこ交尾を始め、一人残らず素直にデスアクメです。
認知を超えた変態行為が終わり、私達健全一般市民にも認知出来る程度のエロさになってきました。ドエロ淫乱クマが海老反り痙攣敗北アクメをしてアヘ転ぶと、周りの究極淫乱動物達も歓喜アクメでドスケベ金太郎のエロ勝利をスケベ祝いました。
「アクメこうさん、アクメこうさん、ドスケベ金太郎はスケベ強いなあ♡でも、次はエロ負けないぞ♡」
流石はドエロあしがらセックス山の究極淫乱動物です。このくらいはへっちゃらなのです。他のイキ物ならば既に絶頂消失(アクメロスト)しているのはスケベ明白です。
・・・このお話を読んでいる皆さんはご存知かと思いますが、念の為にエロ説明すると、エロ花もエロ鳥もエロ風もエロ月も・・・このスケベ世に生きとし生ける全てのエロ生命エロ物質には、三通りのえちえちな終わりがあります。一つはデスアクメ、もう一つは死後もセックスを止めないえっちな発情死骸(デスアクメゾンビ)化、そして脳に快楽を伴う電気信号を流すだけのタンパク質の塊となるバイオ性玩具化です。しかし、このドエロあしがらセックス山には第四のえちえち終わり、変態領域に飛ばされて亜クメ空間をエロ彷徨うスケベ物質となる絶頂消失・・・アクメロストがあるのです。
今度は、えろえろつな引きです。
ドスケベ金太郎一人と、セックス山中の究極淫乱動物たちのスケベ勝負です。ドスケベ金太郎たちは何に使っても卑猥になるエロケツのエロ穴ぽこを淫らに拡げ、あるエロアイテムをセクシーにめり込ませていきます。そのエロアイテムとは、淫靡なつなにいくつも取り付けられ、卑猥に連なった硬めの球状海綿体です。連なった球体が乱れに乱れ過ぎて淫らマックスなケツ穴から次々に抜ければ一瞬でアクメ負けてしまう事は、誰にでも容易に理解出来るはずです。さらに、それはただの球体ではなく、弾力があり保水性がある海綿体です。海綿体には媚薬が染み込んでいます。それはどこのスケベ悪魔が創造したのかはわかりませんが、ほんの少し絞るだけで媚薬が染み出す仕組みでした。しかもこの媚薬は僅か1滴で強制的に毎秒五千兆回アクメさせるえっちな効果があり、可愛く呼べば媚薬ですが正直劇物です。そんな劇物がとっぷしとっぷし染み込んだ猥褻凶器(エロアイテム)を、ドスケベ金太郎達は、生まれる前からそうしているかのようにド極めてド自然に、それでいてセクシーな動作でぷぬぷぬとエロ入れていきます。当然エロ入れる時も劇物が染み出すので、この時点で数回ドスケベ金太郎達は認知をスケベ超越しました。このスケベ悪魔的猥褻凶器が快楽しか知らないクソエロ肛門からスケベ抜けたらどうなるか・・・並のスケベイキ物なら、きっとバ行しか話せなくなるくらいIQが虚無虚無バ行になってしまうのでしょう。
究極淫乱動物たちの中には、体の大きなドエロ淫乱クマやセクハラ淫乱ウシや多目的淫乱ウマや多目的淫乱シカ、平安京セックスエイリアンもいましたが、ドスケベ金太郎にエロかないません。ドスケベ金太郎が卑猥な猥褻ブラックホール(ケツ穴)に
「ふぬっ♡」
と、スケベ力を入れただけで、究極淫乱動物たちは残らず素直に五千兆回アクメをし、その瞬間、ドエロあしがらセックス山自体が周囲のむらむら村人達の認識からエロ消し飛びました。そこにドエロあしがらセックス山があった時間すら消し飛び、むらむら村人達は何エロがエロ起きたのかもエロ知る事はエロありませんでした。
「えろえろつな引きも、ドスケベ金太郎の勝ち♡」
私達健全一般市民には一瞬の出来事でしたが、ドスケベ金太郎や究極淫乱動物にとってはエロ漫画4話分くらいの激エロ淫乱猥褻バトルがあったのかも知れません。とにかく、さっきまで究極淫乱動物たちだったモノがあたり一面にエロ散らばっていました。
なんとも大変スケベ力持ちのドスケベ金太郎ですが、スケベ強いだけでなく、とてもエロやさしいあまえち男の子です。でも少しだけエロ寂しがり屋だったりもします。エロ寂しくなるとバイオ性玩具ママサカリにセクシー頬ずりをしてエロ寂しさをエロ紛らわすのでした。
ある淫靡極まり無いエロスとカオスとリビドー渦巻く日、ドスケベ金太郎はドエロ淫乱クマのセクシーと言うにはあまりにも妖艶なえちえち背中にスケベ乗ってそこら辺で拾ったバイオ性玩具鯉で自慰をして濃い精液をボドボドと射精しながらセックス山道をエロ行くと、チンポを挟む直前のマジでズるまで五秒前のパイオツのような形の、その名も乳ズリ谷のところで淫乱動物たちが各々の一番好きな部分をしこしこしながら困っていました。
「どうしよう?♡えっちな橋がないから、スケベな向こうへエロわたれないよんぅおっ♡おっほおぉっ♡」
「よし、ぼくにまかせておけ」
ドスケベ金太郎は近くにエロ生えている大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木を視姦(み)つけると、
「よし、ちょうどいい大きさだ。可愛いね♡すぅーっ♡くっさぁ♡」
と、とろとろのあまあまえろヴォイスでいって、その大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木にえちえち体当たりをしました。
ドスケベーン!
すると大きな感度3000倍媚薬花粉大量噴出木はエロ簡単にスケベ折れアクメてしまい、ドスケベ金太郎がそれを持ち上げて乳ズリ谷にかけると、感度3000倍媚薬花粉大量噴出木は大量の感度3000倍媚薬花粉を噴出させデスアクメし、ドスケベ金太郎に肉コキして欲しさのあまり、チンポのような形にみるみる変形(オスイキトランスフォーム)し、あっという間に一本チンポ橋のエロ出来上がりです。
「わーい♡どうも、ありがとっほお゛お゛ぉお゛っっー♡♡ぴゅーってなゆ♡うれしくてあたまぴゅーってなゆ♡ぴゅーぴゅー♡ぴーぼぼぼぼぉぉぉっっ♡♡♡」
淫乱動物たちはエロ大喜びで、ドスケベ金太郎のつくってくれたチンポ橋を発情した雌犬のようにエロ渡り一匹残らず無限デスアクメしました。ドスケベ金太郎は粋な変形(オスイキトランスフォーム)をしたチンポ橋を優しくヨシヨシしました。チンポ橋は嬉しさのあまり素直に石化アクメをし、より丈夫で硬くて黒光りする淫靡で猥褻なチンポ橋となったのでした。
その後、強いスケベ力とやさしいエロ心を持ったドスケベ金太郎は立派なセックスセクシーセックス若者になり、セックスパンデモニウム京都の、エロえらくて、究極にして無敵、銀河で最もドスケベなお侍さん、その名も・・・エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんのドス家ベ来(どすけべらい)になって、エロえらい究極無敵銀河最ドスケベお侍さんやエロ仲間達と供に、感度五兆倍媚薬酒を尿道から垂れ流して直接チンポから呑めばいいのにわざわざ地面に溢れた尿酒を四つん這いになって呑む特殊オナニーにドハマリしているクソスケベ美少年ふたなり酒キチガイ鬼やドスケベ羅生門に住む淫乱ふたなり鬼、えちえち土蜘蛛やろりろり爆乳老女(290歳)などエロ悪い助平者を次々とドスケベッタンバコバコッタンにバイオ便所化させてやっつけたり、ドスケベ桃太郎一行と淫乱ペイジ淫獣大乱交御前試合を行いセックスパンデモニウム京都をえっちな発情死骸だらけにしたということです。
この度の解釈改正(「桜を見る会」めぐる首相告発を不受理 東京地検:朝日新聞デジタル)によって、以上の犯罪の告発はできなくなりました\(^o^)/
毒親育ちという言い方。あまり好きじゃない。「自分がそういう親の元で育った故に現状がこうなのは仕方ない」という考え方に陥れば、後に残るのは地に足を着けていける何かよりは、運命論的あきらめになりそうなのが本当に怖いから。
「親と子の間の葛藤」「配偶者間の葛藤」「嫁姑の葛藤」「介護の葛藤」等々、本当は多くの人の支えを必要とするような話にかぎって劇物すぎて誰にも話せない。だから、話せる人間=家族になりがちだが、その家族自体が原因だったりすると、悪いものが堂々巡りになる。
むしろ、家族こそ一番何も話せない相手だったりする。協調・共感する相手ではなく逃れるべき相手だったり、時には自分を守るために立ち向かわなきゃいけない相手だったりするから。
それでいて、いつでも笑顔で明るく何もなかった顔をして生きていくのが社会人のスタンダードだから割としんどい。
社交的な局面や親密圏、友人との交流ですら、そんな重たいものを吐き出したら人との繋がりを失っていく。
この手のコンテンツ、ブログエントリにするにしても、ずっとそれがそこにあると、後悔しそうな気もする。
ツイッターだと、それを目にした人との繋がりが濃く出来すぎるのも怖い。
応酬で成り立つ、濃密過ぎた人間関係からの半ば本能的な回避性向があるせいで、行き詰まってるのは理解しつつ。
ここで晒すのですら、書きっぱなしのつもりぐらいでないと書けないし。
ただ、投票しといてなんだけど、れいわの代表である山本太郎のことはあまり好きではない。
というかはっきり反感を覚える部分がある。
彼のどこの反感を覚えるかというと、パフォーマンスだらけのその姿勢だ。
天皇に手紙を渡したり、一人で牛歩をやったり、議員に向かって焼香ポーズとったり・・・。
そんなパフォーマンスを見せられる度に、またやってんのかこいつはと、うんざりした気分になっていた。
だから仮に選挙区の方で出馬していたとしても、彼には投票していなかっただろうし、
次の衆院選で出馬するとしても、やっぱり彼自身には投票しないだろう。
じゃあなんで比例ではれいわに投票したんだって思われるだろうけど、
それは彼が今回、社会的に良い目を向けられることが少ない、マイノリティの人々を擁立したからだ。
正直この擁立自体にもパフォーマンスくささを感じるし、当選した二人は議員としての職務をきちんと果たせるのか疑問に思う部分が大いにある。
けれど、こうして国会に社会的に弱い立場の人を送り込むぐらいじゃないと、日本の社会の目も変わらないんじゃないかと思うんだ。
ここ数年、障害者の施設への襲撃もあれば、京アニの事件のように明らかに精神を病んでいるような人物が凄惨な事件を起こすこともある。
その度に、弱い立場の人間を切って捨てたり、危険視するような論調が立ち上がってきて、ますます社会の分断が広がっていくように感じていた。
こんな状況を変えるには、劇物じみた手法であっても、なにか巨大な一石を投じるべきじゃないかと考えていた。
当選した二人の働きぶり、周囲の支え方によって、社会全体に助け合おうとする考え方が広まっていくかもしれない。
あるいはその逆で、やっぱり議員としての職責を果たせないじゃないか、能力が無い人は引っ込んでおくべきだ、なんて言説がますます広がってしまうかもしれない。
山本太郎という劇物が今回起こした行動は、日本に大きな衝撃を与えた。
俺はできればみんなが共生し合う日本になってほしいと思っているけれど、今回の選挙の結果がそうした社会への道を開けるかはわからない。
描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大なカメラワーク。日常と幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。
ショタコンにしてケモナー。自意識過剰なキャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。
未来のミライを面白かったと言えるかの全ては、細田守の悪癖、性癖、嗜癖を理解した上で、その発露を作家性として消費することが出来るかにかかっている。逆に、そういったものに対して一切無頓着に、ただ何も考えずに綺麗な映像が流れる2時間のパラパラ漫画だと思って鑑賞するかだ。
未来のミライには細田守の内面”だけ”が描かれている。”だけ”である。この映画は主成分が細田守なのではなく、すべての成分が細田守なのだ。全スタッフの労力、作業は製作の過程で全て細田守分として返還されてしまう。そこに慈悲はない。この映画は全力で細田守であり、それ以外のものが含まれることは認められていない。実際、この映画の制作にあたってスタッフに細田家のホームビデオが見せられたというエピソードすらある。スタッフが「家庭」というものに描くイメージを、「細田家の家庭」というイメージで塗りつぶし、他の家庭から異物を混入されることを防ぐ徹底した管理体制である。
甘えん坊でわがままで自分を認めてもらいたくてたまらない子供は当然細田守であり、彼の成長を通して鑑賞者から贈られる称賛を求めているのも細田守自身なのだ。彼が作中では徹底して直接その苦しみを認められることがないのは、そういうふうに世界を見る細田守が細田守の中に居るからである。電車好きである点などは細田守の実子がモデルとなっている。彼にとってこの映画は自分の子供が成長する姿を通して「かつて自分が子供だった頃に成長したことを客観的に見ることになった」という事実を描いたものでもあるのだ。ケモナー成分を取り込んだりハチゲームでクネクネしていたりと(ショタコンケモナー向け)サービスシーンも多く、彼が主人公であるということは、細田守にとってはケモナーやショタコンであることが自己同一性の核であることを示す。
客寄せパンダとして使われまくったのに、出てくるシーンは意外と少ない。未来という名前、赤ん坊であること、婚期を逃すことを気にする発言、最終的にくんちゃんに血縁上のつながりを思い出させる役目、これらの要素から「男女の関係によって子孫を残すこと」のメタファー、ひいては「(ショタコンではなく)普通の人間として生きること」のメタファーであることが伺える。同時に「世間で受け入れられ、未来に繋がる作品」のメタファーでもある。最初にキャッチコピーとして登場し、最後のクライマックスにおいてただの細田守回顧録であった映画を一般向けの娯楽映画へと引き戻す役目を追っていることからもこれが分かる。
仕事人間であり、子供の親でもある細田守。一般的役割に対して性別が反転しているのはジェンダーフリーというよりも、それぞれに細田守に繋がる要素をもたせることで、どちらもを細田守にするためである。時折ヒステリックなのも妙に余裕ぶってみせるのも、自分たちが変わってきたと殊更に言うのも、全て細田守の独り言なのだ。
オスケモ。王子だったという発言は、細田守の中で最も大事なものがケモナー性癖だったことの暴露である。それにかつてという言葉をつけるのは、今の自分はそれを卒業したという自負である。
ホモホモしい外見、言動、であるのだがそれがハッキリと語られることはない。ここまで赤裸々にショタコンもケモナーも自己開示してきて、それをあえて語らないのは、細田守の中において自分のホモセクシャルへの興味がまだ疑問の残るものであるからである。逆に言えば「それすらも」赤裸々にスクリーンに映し出したのだ。
上で述べたようにミライは『普通の家庭』や『世間一般の価値観』のメタファーであり、それが細田ハウスに持ち込まれるのは、ショタに興奮だけしていればよかった世界の終わりを意味している。ミライファーストの生活を否定する姿は、一般向け要素を散りばめた映画を作らされてきた細田守の姿である。その中で雑な反逆に出ては怒られる。悪い意味で細田守らしい映画を作ってきたことへの反省と、それに対する怒りが描かれる。『自由にショタでケモいアニメだけやらせてくれ』、くんちゃんが繰り返すミライ否定発言はつまる所こういうことなのだ・
『雛人形を毎年1日ずつ出し続けていたら1年ずつ婚期が伸びる』という会話は、ずっと結婚できないということを意味している。それを片付けてミライちゃんが未来で結婚できるようになった。これは、細田守が自分の中で幼少期から積み上げてきた結婚感を今一度棚卸しして、普通に恋愛をして普通に結婚をする人生を受け入れたことを意味している。作中に置いて、未来ちゃんが過去にやってくるのは、細田守の中で過去の細田守と共に今の細田守が気持ちの整理をつけた経験を描いているのだ。そこに犬が加わっている理由は、それが彼の性癖に置いて重要な意味を持つからである。普通に見ていると何がしたいのかわかりにくいシーンも、このように整理していくと理解できる。これが未来のミライの面白さだ。
これもうそのまま細田守が自分の親に対して「心の中で」やっていたことです。自分が親になって子供を持つ身となってそれで子供の頃の両親の大変さとか知って感謝してーっていうアレです。そのままかよ!そしてその中で全部セリフにしちゃうのかよ!このシンプルさ!観客への信頼の無さ!そして自分の表現への自信の無さ!これもまた細田守なんですわー。自分がちゃんと愛されているか不安だとそのまま口にするのは、自分の映画がちゃんと観客に伝わっているのか不安だっていう宣言でもあったりするわけで。メタいぜー。
ホモホモしいアンちゃんとの初体験。遠くを見据えろと語られるが、そのさきに見えるのは廃墟。この道の先に未来はない。細田守も分かっている。ショタコン一本では子孫は残せない。アニメだって歴史に残らない。分かっている。分かっているけど、そうして進んだ先で結果を出したのが今の細田守だろ?そんな叫びが聞こえてくる。補助輪無しで突き進むには、遠くに廃墟を見据えなきゃいけなかったんだ。そうしてバケモノの子が生まれてしまったんだ……。
自分を見失ったとき、戻ってくるためには家族の名前を呼ぶ必要がある。自分に流れる血の繋がりを思い出す必要がある。そして、そのためにはミライを認める必要がある。ミライは「普通の家庭」「普通の価値観」のメタファーであり、自分がそれと深くつながっていることを認めることが、自分を取り戻すためには必要だと、最後の最後で認めることになる。途中からひたすらショタキャラメインで妙な話ばかりしていた映画が、ここで突然なんとも一般受けしそうなキャラと共にさもストーリーがしっかりとある映画であるかのような物語へと戻っていく。細田守の敗北宣言だ。人間としての細田守がここにいるには、彼の父親や祖父がショタコン一本で通さなかったからである。映画監督としての細田守がここにいるのは、デジモンやサマーウォーズといった一般向けに迎合した作品を作ってきたからである。自分が今ここにいるなかで、ケモナーであったことや、同性愛的な面を抱えていたことはたしかにあったが、それでも『普通』を受け入れてきたからだ。そう認めることで、見失っていた自分は取り戻される。そして、和解は結ばれた。ケモノやショタへと一度は預けられた細田守界の王位継承権は、最後には『普通の未来』へと託された。
凄まじい映画だった。「作家性の塊」と呼ばれる映画はいくらでもあるが、純度99%作家性の劇物はそうそうはないだろう。アニメ映画というと娯楽作品ばかりで、文学性や哲学性を謳っておきながら結局は娯楽作品に片足と重心は置きっぱなしにした作品ばかりな中で異彩を放っている。そんな世界にこんなものが現れたらそりゃ受け入れられないだろうな。ましてそれを作った人間の最大のウリ文句がサマーウォーズや時をかける少女なんていう痛快娯楽一般層向け作品なら。サマーウォーズや時かけ期待してこれ見に行ったら羊頭狗肉も良いところだって怒りたくもなるだろうな。
この作品には作家性以外を求めちゃ駄目なんだよ。日本の広告業界や映画業界はそれを頑なに伝えようとしなかった。そこは紛れもなくEVILだね。
ミライちゃんがただの客寄せパンダであり、その使われ方も「はいはいこのへんでパンダ投入すれば良いんだろ?」っていう態度で行われることに、細田守の中に渦巻いた鬱憤を感じ取ろうっていう気概を最初から持って見る分にはね、いい映画なんですよ。
そこは分かってあげて欲しい。
でも娯楽映画としては本当に駄目だけどな。俺はこれを娯楽として楽しむことは出来たけど、それは正しい意味での娯楽じゃなくて単に俺の見方が捻くれてて性格が悪いから娯楽に出来ただけだわ。素直な心の持ち主が素直に楽しめる娯楽映画を作った方が最大多数の最大幸福だよ。新海誠の君の名はと、細田守の未来のミライ。このコントラストはある意味美しいけどね。
意外ときついのは理系ってバリキャリフルタイム勤務しか無いことが多いこと。
子供産んでフルタイムはきついなって思った時に、スキルを活かせる仕事がほとんどなくなるから
手に職もクソもなかったりする。
ドラフトとか眼鏡とか手袋とか安全のための装備はもちろんつける。
そもそも有機溶剤とか半田のニオイぷんぷんする。ニオイがわかるってことはそれだけ吸い込んでる。
なんか子供ほしいかもって思った時になんとなく、大丈夫なんだろうけど不安になった。
現場のおじさんたちに「重機かっこいいかもしれんけど、こういうの使うとこで働くのは危ないからやめなさい」
って止められた。
事故のリスクも、起きた時の被害も、扱うものが多いから当然でかい。
リケジョであれば人体に無害なものしか使わないであろう食品系とか、事務職とか、情報系とか、
結局そういうのが無難なのかねって。
四日市市にある太陽化学の関連会社の工場から劇物に指定されている「メチルエチルケトン」約7トンが漏れ出し、一部が近くの池に流出する事故がありました。
太陽化学によりますと、27日午後4時ごろ、四日市市山田町にある関連会社ティエムティの工場で劇物に指定されているメチルエチルケトン約7トンが流出。
側溝に流れ込み、一部が、工場の敷地外にある調整池に流出したということです。
職員が異臭に気づいて警察や消防に連絡し、現在、ポンプ車で回収作業を進めています。
近くに住む住人が「異臭により気分が悪い」と訴え、医療機関を受診しましたが、大きな健康被害はないということです。
この工場では、食品添加物の製造でメチルエチルケトンを使用していて、何らかの原因で原料貯蔵タンクの開閉バルブが開いたとみて、詳しい状況を調べています。
いつも通りはてな界隈をぶらぶら流し見していて、はあちゅうさんやその周辺における最近のあれこれについても色んな意見、投稿、コメントを見た。
最初はそれほど強い関心を抱かなかったがここ数日、「童貞いじり」に関しての話題が結構よく見かけるようになった。
自分にも無関係ではない話なので、一人の意見っつうか暇つぶしの自分語りをしようと思う。
僕は童貞だ。正確には素人童貞であり、それを自分から進んでネタにして周囲の笑いを取るタイプの人間だ。
どうしてそういうことをするようになったかと言えば、中学時代にスクールカーストの最下層にいたことが大きい。
いや、十数年前に「スクールカースト」なんて言葉はまだなかったが、当時から日陰のクソ野郎として辛酸を舐めていた僕と友人は
「学校にはピラミッドのような不可視の階級社会があって、僕達はその底辺だ」
という共通意識はもっていた。スクールカーストなんて言葉がなくても、地べたの人間はのしかかられる重さでその権力構造を感じていた。
ともあれ、犯罪クラスのイジメには至らずとも、教室の隅っこに追いやられる程度には他人からバカにされてきた僕だったが、そのままでは正直つらかった。
でも、ふとある時に、部活の上位カーストに属している一人から軽く小馬鹿にされた時、ふとそのイジりに乗っかってみたのだ。
すっげえウケた。
しかも、イジりの内容自体はそれほどダメージのない(僕にとっては)軽いものだったので、それ以降は自分からそのネタ、つうか若ハゲネタを自分から使いだした。
童貞若ハゲキモオタデブキャラ、というレッテルを自分から張ったことで、ある程度被害を僕の意識でコントロール出来るようになった。
「キモいけど面白いやつ」ということで、好意的に接してくる奴も増えた。それは単に僕を下に見下したことで成立している関係なのかもしれないけど、
正直イジメじみた扱いをされるくらいなら百倍マシだった。
そんなこんなで、学生時代はもっぱら「童貞(後に素人童貞)」、「若ハゲ」、「貧乏」などの自分を貶める自虐ネタで周囲とコミュニケーションをとるようになった。
つまり、僕は最近問題視され始めた「童貞いじり」を自分からする人間だ。
かといって、「俺みたいに童貞ネタで笑いを取ってるやつもいるんだ、これを駄目だなんて言うな!」とは決して言わない。
「童貞いじり」に苦しむ人が無くなる方が、僕の持ちネタが一つ消えることよりよほど優先すべきである、とはっきり思う。
なので今後、「童貞いじり」が社交的な場で白眼視されるような空気が社会全体で醸成されてきたら、僕は素直に引くと思う。
というか童貞いじりもそうだし、自虐ネタ下ネタは基本的に扱いに注意が要るのだ。不快になる人はいるのだから。
これまでも最低限の用法として、自虐やら下ネタやらが苦手な人相手にはそれらを封印して普通に会話してたしね。
基本的にこういう「誰かを貶して笑いにする」系は、する側される側の合意がなきゃ絶対だめだと思うし、合意があったところで他の第三者が不快感を得るならやっちゃダメだ。
笑いを取りに行ってるのにスベってどうする、と僕は思っていた。もしかしたらここらへんで「いや違うしそうじゃない」と思う人がいるかもしれない。
「人を貶めて取る笑いなんて笑いじゃない」という人もいるだろうし、それを否定するわけではないが、何が面白いかなど人一人で違うだろう。とも思う。
下品な笑いが嫌いな奴もいれば、それで爆笑するやつもいる。僕はどっちも好きだ。
自虐ネタとか、そういうのは良くないってやつらは僕のことも分け隔てなく人間扱いしてくれる人が多かったし、
僕のハゲネタや童貞ネタで腹抱えて笑ったり、一緒に乗っかってきてイジりに来てくれる奴らはだいたいすぐ友達だ。ほとんどは、程度をわきまえてホントのほんとに僕を蔑んだりはしないしね。たぶん。
けど、そういう「他人を貶す笑い」、「童貞いじり」を進んで受け入れる僕のような存在がいるせいで、勘違いした自称「いじりキャラ」が僕以外の誰かを不当に、合意なく傷つけたのなら、申し訳なく思う。
「お前も「童貞」へのセクハラに加担した加害者だ!」と言われれば、少なくとも傷ついた被害者の人に、傷つけた奴と一緒に頭を下げたいと思う。申し訳ない。
ただ、人との関わり方がまだよくわかっていなかった子供の頃の僕にとって、「童貞であること」、「前髪が薄いこと」を自分から言ってバカにされるのは、
唯一、苦しみから逃れられる苦肉の策だったのだ。それがなければ人の輪っかの中に入っていけなかったんだ。
とにもかくにも、「童貞であること」をバカにされて苦しんでいる人がこの件を通じて生きやすくなれば良いなと思う。
それと同時に思うのは、セクハラもそうだし「童貞いじり」などをやめよう、と声を上げるのは、大事だけど、もっと大事なことがある。
結局、言葉や態度の表層的な、コミュニケーションのパターンに制限を掛けるだけで終わっちゃだめだ。
なぜ男がセクハラをするかと言えば、「女の人への性的興奮」が本能に依る衝動だからだ。
いやほんと、男として情けない限りだけど、性欲って条件次第では人間を獣にしてしまう劇物だよ。
そもそも理性の薄い奴、対象に対して圧倒的に優位になってしまったことで魔が差した奴、これはもうコントロールが効かない。
「童貞いじり」にしたって、根っこの根っこは「他者より優位でいたい」という競争本能だと思う。
これらは、どんなに言葉や行動や態度や眼差しを刈り取ったところで、根本的な解決にならない。
誰かが誰かを傷つける、という構図に対して、明確な特効薬にはならない。
虱潰しに、人を傷つける表現や言葉と戦っていけばいいのかもしれないけど、僕にはその先にディストピアの風景しか見えない。
じゃあどないせえゆーねん、と自分でも思った。
戦うんじゃなくて、自分とその周囲を自衛すればいいのかな。とふと思った。
いやもちろん社会全体の総意として「NO!」と強く宣言しなきゃいけないことも絶対ある。
今回の岸氏の件は間違いなくそれだろうし、はあちゅうさんも普段のSNSの発言は、その点の分だけは反省した方がいい。
けど、だいたいのことは、自分で自分を何とか守る。守れるように先を見据えながら行動する。で十分だと思う。
それ以外は、もうほっといたら良いんじゃないかな。
少なくとも、ネット使って距離の離れた相手まで、皆してわざわざぶん殴ることもないでしょうに。
気晴らしに誰かを攻撃したいなら、何とか僕を見つけてくれ。
あと長文でごめん。
もちろんだけど、版画で見て欲しい。
でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。
例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。
かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。
まず、色について。
画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のものを採用していると思う。
復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。
摺りたてを想像して作られてる。
そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。
いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。
色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。
ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。
たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材が資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。
それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。
画集ではとても再現できない。
まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。
空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工
たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg
布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。
たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg
これについては生で見ないととてもわからない。
スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。
寝る前によく眺めてる。
ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。
なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。
さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションのバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg
http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG
どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。
さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいだから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。
というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。
木の幹は視界に入っているのに入ってない。
フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。
ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。
遠くで友達が花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。
さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。
次に、白梅の花に目を移してみる。
そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。
さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。
そんなこんなでまたいずれ。
http://anond.hatelabo.jp/20141025064357
それに高齢化と自動車運転不要な都会への居住者続出で、これからどんどん写真付き住基カードやパスポートを身分証明書にしての手続きをする人が増えていくことは確実です。
手間を考えれば、むしろ自動車免許を取得するほうが費用がウン十万円、取得必要期間の長さも考えれば割にあわないと思いますが。
自動車所有における加害性、被害性、環境負荷の重大さ、重苦しい維持費を考えれば、あえて自動車免許取得を選ぶ必要性がある人は限られてきますね。
自動車免許というのは、危険物を扱うという意味では、劇物なんかを取り扱う危険物取扱者免状のそれとなんら変わりません。
そういうのを扱うことがなければその免許を取る必要もなく、そんなことをするのであれば、もっと有意義なことに時間を使うべきでしょう。
身分証明書は安価で迅速なパスポートや写真付き住基カードで解決ですね。
「その車、本当に必要ですか?」“金食い虫”の自家用車の維持コスト
http://diamond.jp/articles/-/24093
http://kuru-ma.com/page317.html
一体、車を持つと維持費にいくらかかるのか【持たない暮らしで豊かに暮らす】
http://fx-style.boo.jp/car18.html
事故を誘発した違法駐車運転に6千万円の賠償命令 消防車や救急車の行く手を阻む違法駐車 緊急事態現場への到着、未だ遠く
http://www.city.minokamo.gifu.jp/home/kouhou/IHAN/1.html