「アニメ制作現場「脱ブラック」へ 経産省、描画ソフトに共通規格で作業負担軽減」という記事をみた
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180322-00000000-fsi-bus_all
みんないろいろと突っ込んでいるし、経産省がずれていることも理解するのだが、一番思ったこと。
アニメや映画といった作品は「効率化」や「量産化」が構造上そぐわないのである。
まず、勘違いされたくないので私のスタンスを述べると、この手のクリエィティブ業界においてブラック化や薄給化は避けられるべきと考えている。
一方で、クリエィティブ界隈というのは「尖っていること」「脱個性的」であることが至上命題である。
それは「マンネリに対する刺激」こそがクリエィティブ業界で求められているためだからだ。
共通のツールや効率的な生産スキームが出来上がればできあがるほど(それによってスマッシュヒット作品が大量生産はされるが)
その「生産的な」方法に乗らずに、根性と気合いによって、過剰な質を達成した作品が賞賛されるというジレンマがある。
たとえば、TVアニメなのに劇場並みのクオリティ・動画枚数という賞賛自体が、本来は正しくないブラック構造の賞賛になっている。
もちろんゲーム業界のように一度構築したエンジンの再利用によって、多くの異なる作品を高頻度で生み出すことも可能なのかもしれない。
映画は洋画はエンジン型、芸術思考邦画は職人芸型、TV曲主導邦画はコピペ型と評価できる。
アニメはどちらに向かうのか?
アニオタが円盤やグッズをもっと買えばいい