はてなキーワード: ヤキモキとは
29歳女です。3年付き合った男と別れてもうすぐ半年。夏が来る前に別れ、数年ぶりに夏休みを同性友人とすごし、久しぶりにブランクの週末が続き、感じたことは淋しさより解放感だった。
もうあいつのことでヤキモキしなくて済むんだ。連絡の返信がまる一日たっても返ってこなくてイライラしたり、もしかしてあの言い方で傷つけちゃったのかな?と心配したり、わたしの好きちゃんと伝わってないのかな?って不安になったりしなくていい。
楽だ。あいつは癒しでもあったが心労の種でもあったのだと別れて気付いた。
1人で好きに過ごせる。ボディのケアも多少サボれる。お部屋の掃除もゴミ出しも週1回でいいや。ちょっとくらい食べ過ぎてもいいや。結構太った。
そうこうしてると半年なんてあっつうまだった。
友人らは、意外と気を落としてない私に対してびっくりしていたくらいだった。
最近は仕事が終わると毎晩、以前よりだいぶだらしなくなった部屋でだらしない身体を横たえてポケットモンスターレッツゴーイーブイをやっている。
これはこれで楽しいけど。
やっぱり恋人がほしいッ
なんかやったらめったら鼻について気になってイライラしてしまう。
どう考えてもそんな致命的な出来事ではないのに。
小さなことにすごくイライラしてしまって気持ちを持て余してしまう。
いままではイライラをこんなにため込んだことはなかった。
違いは明白だ。恋人の有無。
そういえばいままではやるせないことがあるとすぐ恋人とアポを取り恋人としゃべったりスキンシップしたりしてソウルジェムを浄化していた。
これじゃまずい。
やっぱり恋人がほしいッ
イーブイを画面越しにいくら撫でまわしても濁ったソウルジェムは浄化されない。
もう恋に恋する歳じゃないけど数千年ぶりに恋人がほしいモードだ!
異性として愛でる対象がほしいッ
恋人がほしいッ
毎期アニメが終わるたび一生分のアニメを観たような気になるので、今期もまた新作アニメのPVやニュースを憂鬱な目で見ていたはずなのだけれど、気づけば今期もまた新作アニメを浴びるほど観る毎日に身を投じていたので風呂敷を広げすぎないうちに感想を書く。それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。
ちなみにここに書く作品すべて2話まで観ているわけではなく、まだ1話しか観ていない作品もいくつかある。あと解説の中に殆どキャラクター名(固有名詞)が出てこないのは、単に全く記憶していないからだったりする。表題のキャラ名(グリッドマンとか)や2期のキャラを除くと、真面目に「伝説の山田たえ」くらいしかフルネームを覚えていないかも。
~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信。
~のみ最新話無料…対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信。
私はTVでアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。
良い最終回だった。百合は百合でもガチの百合。花の学生生活を描くアニメ。
今年観た百合アニメで非常に印象的だった「citrus」と比較すると、citrusは主人公が性愛の目覚めに至ってから物語が始まるのに対して、本作は自分の気持ちにどんな意味があるのか?というところにフォーカスしていく物語みたい。「やがて」という言葉を冠しているところからも、同性愛に至るまでを描く内容なのだろうか。「わからない」っていうセリフが控えめに言って最高。あとcitrusにもあったけれど、最初に「男性から告白されて(恋愛対象とみなされて)、それを断った上での百合展開」というのがよりガチっぽくて好き。特に2話以降で言えば、同性愛の目覚めがけっしてみんな一緒のタイミングではなく、キャラによって気づきの早さが異なり、それゆえのすれ違いが描かれているところが最高に良い。
本作の脚本を手がけるのはあの花田十輝。「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督がどこかのインタビューで「花田脚本は絵で語る表現がうまく、例えば誰かが喋っているとき、そのキャラの顔をアップにするのではなく別のキャラの顔をアップにするとか、そのキャラの手元を写すなど「行間を読ませるような演出」に優れた脚本」と評価していたけれど、本作もそういった意匠のある演出になっている。「響け!ユーフォニアム」「宇宙よりも遠い場所」などでも見られるモノローグなど、花田十輝の良さが出ている作品。キスシーンめっちゃエモかった。
大島ミチルの音楽が非常に良い。校舎や制服が少し時代を感じさせる一方で、すごく特別で隔世感のある華やかな雰囲気に包まれていて、それを音楽が加速させている。また、パリッとしたわかりやすさを持たない、複雑な心情とよく合っていて痺れる。
それにしても制服のデザインがめちゃくちゃ好き。「ゆるゆり」「あまんちゅ!」の制服に似た優雅さがある。
AmazonPrimeVideo独占
制作:P.A.Works、背景:スタジオ・イースター(監修・東潤一)、音楽:出羽良彰、脚本:柿原優子。ゴリッゴリのP.A.Works作品。高校生の青春を描く物語。割とやさしいせかい。
なんやかんやで色が見えなくなった女の子がふさぎ込んじゃって、魔法使いのおばあちゃんが彼女のために云々・・・というシナリオ。色覚異常をテーマにした作品と聞いて「聲の形」が一瞬よぎったけれど、扱っているテーマが違う(あっちはいじめが大きなテーマになっている作品)。
演出的には「主人公を見守るような視点」が多く描かれていて、全体的に優しさに包まれている。魔法が日常に溶け込む世界感は「凪のあすから」くらい生活感のあるSFに仕上がっている。
生活感といえば1話の「魔法ショップの店内の様子」みたいなシーンを見て「ふらいんぐうぃっち」を思い出す人もいたと思うけれど、それもそのはず、本作の劇伴・出羽良彰はふらいんぐうぃっちの劇伴も担当していた人なので、圧倒的ふらいんぐうぃっち感のある、優しさに包まれた作品になっている。透明感のあるビブラフォンが骨身に沁みる。劇伴買おうかな。
それにしても、背景美術のクオリティが異常。一旦OPEDを観てほしい。タイトル通り本作は「色」が大きなテーマになっていて、物語のキーとなる背景が主役になるカットが多い。「(世界はこんなに美しいのに)主人公の目には世界が灰色に見える」という、暗闇の中にある思春期の心象風景に説得力を持たせるためには相当美しい背景が必要なのは分かるのだけれど、それにしても書き込みや彩色がエグく、特に彩度については主人公の心象とリンクして白黒〜極彩色まで変化するくらい凄まじい仕上がりになっている。なので、1話ラストの抽象的な、印象派のような絵画っぽい心象風景によって世界が彩られる演出は痺れた。
湘南のご当地アニメ(舞台が湘南なのは、原作者の鴨志田一曰く「湘南で青春の日々を過ごすことに憧れてたから」とのこと)。
鴨志田一といえば「Just Because!」がアニメ放送されたのは2017年10月だけれど、本作も学生のヤキモキした感じが漂う青春群像劇(ボーイ・ミーツ・ガール)になっている。
タイトルは章ごとに変わるらしい。ひたぎクラブ→まよいマイマイ→…的な。なお原作も各巻ごとにタイトルが異なる仕様だっため、先日発売された新装版は「タイトルを見ても巻数が分からない問題」が修正されている。ちなみに、2話で登場する少女(CV.水瀬いのり)のエピソードは、来年に劇場作品として公開が決まっている。
バニーガール先輩も青春豚野郎も非常にクレバーなキャラなので、ライトノベルっぽいタイトルやバニーガールのキービジュアルからは想像し難いような会話劇だったりする。「サクラダリセット」に近い。ともに主人公を演じるのは石川界人。彼の淡々とした口調がすきだなあ。ってティラミス見ながら思った。
本作は「思春期症候群」という都市伝説がテーマ。例えば「根も葉もない噂」とか「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」とか「なんとなくみんなに合わせないといけないような、ハブられないようにしないといけない、という空気」とか「いじめを受けたことによる、目には見えない心の傷」など、特に学生時代に抱えやすい、可視化の難しい問題を「思春期症候群」という舞台装置によって可視化しているのかな。ある意味残酷ではあるけれど、逆に救いのある物語だよね。
会話の意味のなさが良い。「サクラダリセット」に出てくる相麻菫と浅井ケイの会話を思い出す。哲学に片足を突っ込んでるあたり特にツボ。1話なら「ありがとう」に「ありがとう」という意味が無いとか、2話なら「キスしよっか」が「キスしよっか」という意味を持たないような。そんなバニーガール先輩を見ていると「打ち上げ花火」のナズナちゃんを思い出す。会話にほとんど意味がないために、彼らの感情をうまくキャラクターの表情で表現しているのが言葉の軽さと対照的になっている。エモい。
特に2話は、問題の解決と同時に解消されるであろう二人の関係を思うと、どこか漂う諦め、虚無、寂寥感がある。
音楽を担当するFox capture planはシンセの曲が多めかつ特にEDのようなジャズっぽい
雰囲気があるので、「Just Beacause!」と比べて本作は精神年齢高めな作品に仕上がっている。
三浦しをんの小説原作。制作はproduction I.G。大学生10人がある日突然、箱根駅伝出場を目指してみた話。
原作が一般小説なので、大学生たちがアニメっぽいキャラクター性を持っていない。性格が地味な子が多い。しかもキャラの表情やしぐさにコミカルな表現(今期「うちのメイドがうざすぎる!」みたいな動き)をほとんど使用していない。なのに表情が非常に豊か。しかも10人とも顔のデザインがかなり異なっているのに(双子を除く)どのキャラも表情含め丁寧に描き分けしている。
アパートの飲み会中後ろでガヤガヤしている人(アドリブ)とか、アニメならキャラ同士のイチャコラを中央に据えて順番に映して「ガヤガヤしてる感」を演出しそうなのに、全くのガヤになっていて「仲がいいキャラクター同士のあつまり、という空気感」として描かれている。2話では特に青竹荘の日常が描かれていて、朝食のシーンなんか「大学生の住んでる古いアパートの日常風景」がそこにある。そういうリアルな空気が「見える」作品。
カットの特徴で言えば「やや見下ろすような視点」が多い印象。その場の雰囲気を描くためなのかな。
あと背景の情報量が多い。特に1話ラストのランニングシーンとか見ると何枚街のカットがあるんだ。全体的に黒っぽいのも実写っぽさがある(普通アニメでは夜の暗さを青色で表現する事が多い)。
ランニングシーンで言えば、走りモーションの躍動感とチャリを立ち漕ぎしてる体の触れ具合が好き。
死んだ女の子がアイドルとして歌って踊る佐賀の日常に異世界転生する話。大人が本気で悪ふざけしているアニメ。大人の悪ふざけxアイドルなアニメで今年放送された作品だと「魔法少女☆俺」が思い浮かぶけれど、本作はあっちよりもずっとアイドル寄りに仕上がっている。不和→衝突→団結を繰り返しながら一つになっていく物語の中にライブパートが含まれており、毎話ライブがエモい。特に2話は、ライブシーンのアニメーションもさることながら主人公を演じる本渡楓がめっちゃすごかった。日本語のラップに抵抗のない人なら楽しめると思う。
概ねギャグアニメになっていて、ゾンビというB級モチーフも相まって福田雄一っぽさを感じる。特に宮野真守が演じる巽幸太郎がだんだん佐藤二朗に見えてくる不思議(「全部宮野さんにおまかせで!」っていうディレクションだったらしい)。
ゾンビというモチーフを積極的に使った作品で私が観たことのあるアニメは「さんかれあ」くらいなのだけれど、どっちも「ゾンビ化」→「第2の人生」みたいな、特にこの作品では「異世界転生」みたいな機能を持っているみたい。つまり佐賀は異世界。
ちなみに「さんかれあ」では、ゾンビについて「生きているのか、死んでいるのか」「魂はどこに?」「自由意志はあるのか、ただの反射なのか」「自己同一性」「どこまで肉体は不変なのか」「どれくらい肉体が朽ちると、彼女は彼女でなくなるのか」みたいな視点に触れているややハードめな作品なのに対し、本作は(2話時点で)そういう視点がざっくりスルーされているので、安心して観られる。
なぜだろう、ただ若干肌が土気色で目のくぼみが強調されているくらいなのに…なんだか…あれ?…かわいいぞ…?
すすすすっ。”SSSS.”は発音しない。グリッドマン。アニメ版特撮ヒーロー。アニメ(ーター)見本市からの長編アニメ化(過去に長編化したのは「龍の歯医者」だけ?)。監督、美術、音響効果など一部スタッフが続投している。アニメで観る特撮ヒーロー。
作品のコンセプト的に子供向けっぽいのかな、と思っていたけれど、OP見ると本来あるはずの白文字テロップ歌詞が無いので、なんか大人向けっぽい。
作品の雰囲気を象徴している背景美術のフェチズムがすごい。何あの電柱の書き込み。他にも教室の雰囲気や町並みなども懐かしさを感じる雰囲気。
強烈なのは、日常と非日常が交錯する日常パート。「なんかヤバそうなんだけど、別にみんななんともないし大丈夫なのかな」という正常性バイアスに支配された日常っぽくてしびれる。特に1話の日常パートには音楽がなく、緊張感がある。
それはそれとして、モブ同士の会話がすごく良い。文字通り何気ない会話なんだけど、モブが活き活きしている。なお公式では毎週期間限定でボイスドラマを公開していて(脚本:雨宮哲監督)、内容としては各話の幕間を描いている。1話4分位なので聴きやすい。
そんな日常パートが終了するキッカケとなる怪獣の登場シーンがまた強烈。デザインとか暴れ方はまさに特撮ヒーローに出てくる怪獣そのものって感じだけれど、直接怪獣を描くのではなく「混戦する無線通信」「燃える街」「ビルの向こう側でなんか大変なことが起きてるみたいだけど見えないのであんまり慌てていない電車の乗客」等、雰囲気を描くことで怪獣の怖さを描いている。私はあんまり特撮ヒーローモノを観ないけれど、これを観てて「シン・ゴジラ」と同じ感動を覚えた。本作の音楽も鷲巣詩郎であり、無音からの劇伴→勝利用BGMという演出が見事に決まっている。
グリッドマンのアクションシーンもやはり特撮ヒーローライクな演出(というか再現)になっていて、重量感のある着地や舞い上がる瓦礫はまさにという感じ。特にアニメで見るライダーキックは迫力がある。アニメなのだからもっとデフォルメして空高く飛んだりしてもいいのに、中に人間が入っているような動きで繰り出すキックらしい迫力がある。これを観たかった。あとたまにフィギュアが動いているように見えるのは、監督含むトリガーの人たちがフィギュアオタクだからなのかも(職場が足の踏み場もないくらいフィギュアで溢れているらしい)。
心・技・体の揃った「未確認で進行形」の紅緒お姉さまがロリ小姑を追い詰める。
動画工房の持ち味である、ヌルッヌルのコミカルなアニメーションを観ることができる。特に本作はチーム太田(監督:太田雅彦、副監督:大隈孝晴、シリーズ構成・音響監督:あおしまたかし、音響監督:えびなやすのり、音楽:三澤康広。代表作は「みつどもえ」「ゆるゆり」「琴浦さん」「さばげぶっ!」「干物娘!うまるちゃん」「ガヴリールドロップアウト」等)による新作であり、作品のベクトルはあんな感じの日常コメディ。ついニコニコ動画で観ちゃう。
https://anond.hatelabo.jp/20180930210657
観戦していたものです。
このような厳しい環境の増田で、あなた方の論戦は例外的に上手くいった方だと思われます。過去の議論の多くは大抵は数レスで空中分解してしまいました。今回の稀な成果はギリギリの緊張のなかでもお互いへのリスペクトを保ち続けた甲斐があってのことでしょう。二人とも本当におつかれさまでした。
俺は一昨日(?)色々やりすぎた。反省してる。
何を言っても上手く伝えられないし、お互い平行線でヤキモキしてた。
どういう思いで「全ての無視は最低だ」と言っているのかも分からねぇ。
何故分からねぇかっていうと、お前が「どういう事情があってだめだ」と思い至ったか書いていないからだ。
お互いに仲たがいというか、意見の違いで思い切りケンカしてお互いに無視した。
嘘をつきまくって、周囲の人を巻き込み迷惑かけまくっていた。孤立気味だった。
そいつがいじめられそうになっていたから、嘘をつくのをやめるように話したし、友人の一人として真面目に向き合った。
だがそいつは「直せないし直さない、お前は今後一切絡んでくるな、話しかけるな」と言われた。
まぁ結局、友達から、知り合いに戻っただけだ。俺としては別に良いが結局孤立していった。
今なら、そいつとも上手く話せる気がする。
だが、あいつは未だに俺と関係を持とうとしないし、高校時代の奴とも連絡を取っていないようだ。
でもまぁ、それでいいじゃねーか。今、お互いに何も無く幸せなんだから。
お互い対立していたほうがずーっと不幸だぞ。
長文すまん。
中学入学時で141センチ、中2になって10センチ伸びて151になった。
1年で10センチ伸びたのは初めてなのでやっと本格的に身長が伸びる時期に入ったんだろうか。
でも次の1年で10センチ伸びてもまだ160センチ台前半なんだよね。
本人は背が伸びれば嬉しそうにはするけど、背が低いことをコンプレックスに感じている様子や、
どうにかしてもっと背を伸ばしたいというような意思は見えない。
だから勝手に心配してるだけなんだけど、170くらいはあった方が後々いいよな、成長期が過ぎてからもっと背が高くなりたかったって思い始めたら気の毒だな、
なんかできることないかなってヤキモキしている。本人はそんなこと思わないかも知れないのに。
よく食べるけどガリガリで、部活もやってないから運動は体育の授業くらい。
声変わりなどはまだ。下の毛の様子は知らんけど。
なんかしてやれることないだろうか。
追記:
・「中高生の頃は」モテなかったということはその後はモテたのかな。高学歴だったりコミュ力が高かったりかな。
・1年で25センチ伸びることもあるのね。
まあ本人にその気がなければ親にできることは限られてるし心配してもしゃーないよね。
そこも楽しめるのは今のうちなので、どぎまぎヤキモキしてください
俺は呆れ果てて何も言えないでいたが、同じくクラスメートであるタイナイが、カジマの蛮行を嗜めた。
そのタイナイが嗜めるのだから、カジマのやっていることは思っている以上にタブーのようだ。
「抗議活動は結構だけど、これはただの目立ちたがりの売名行為にしかならない」
「こーいうのは目立ってなんぼでしょ!」
「悪目立ちで集まるのは、騒ぎに乗じたいだけの烏合の衆だ。それだと肝心の問題についても、大衆に正しく認知されない。主義主張が何であれ、正しい筋道で実行されなければ正しい支持も得られないんだ」
「あーあー、そうやって物知り顔で、抗議活動している人の出鼻を挫いていくんだよなあ。タイナイみたいな自称常識人は~」
タイナイの言うことは真っ当だが、カジマにはまるで通じない。
カジマに自身を客観的に見れる冷静さがあるなら、始めからこんなことをやろうとはしないだろう。
「カジマ、お前のやってることはむしろヘイトを広めるだけ。しかも、そのヘイトはお前自身に向かうぞ。一般大衆からはアニメオタクは過激で常識もないバカだと思われ、アニメオタクからは抗議活動の邪魔をする輩だと非難される」
「え……そこまで深く考えてなかった……よし、この抗議活動はやめるっす!」
カジマは大義名分があるからやっているだけで、別に高尚な志があるからこんなことをやっているわけではない。
いっちょ噛みしたいだけでリスクまで背負いたくはないので、それをチラつかせるたほうが効果的なのだ。
「あーあ。現実の喧騒から離れて、楽しい気持ちでアニメを観ていたいはずなのに、どうしてこんな現実問題でヤキモキしなきゃならないんすかね……」
カジマは何だか純粋ぶったことをのたまっているが、俺たちは面倒くさくなってきたので無視した。
ところかわって父のほうでは、フォンさんと共に重役たちの説得に回っていた。
「…………いま一度考え直しませんか」
「そうは言っても、アニメってのは総合芸術だろ? 監督とは言っても、その実アニメの製作は他のスタッフたちの働きによるところが大きい。彼が『ヴァリオリ』を作った代表者だと表現することは不可能ではないが、100歩譲っても彼だけの、彼のためにある作品ではないはずだ」
「もちろん『ヴァリオリ』はシューゴさんだけの作品ではありません。ですが……」
「我々だって何も全面的にシューゴ氏を責めているわけではない。出来れば彼に監督でいて欲しかったし、実際これまではそうしてきた。だがモノにはコンプライアンスがあり、限度もある。そして我々が何度言っても彼は改めなかった」
「言っておくが、君たちにだって責任はあるんだぞ。君たちが彼の手綱をちゃんと握っていれば、こうはならなかったかもしれないのだから」
しかし、いずれも色よい返事はこなかった。
ーー『ハテアニ』スタジオ。
世間ではかなり騒ぎになっていたが、スタジオ内は意外にも落ち着いていた。
この界隈でスタッフが途中で入れ替わるなんてのは珍しいことではなかったし、それは監督という立場でさえ例外ではない。
今回はそれが人気アニメの監督だったというだけで、世間よりも現場のほうが冷静な者は多かった。
それに監督が誰であろうと給料が変わるわけではないので、現場の人間はただ目の前の仕事をこなすしかないのだ。
せいぜい、暇をしてるアニメーターが、WEBメディアの取材でテキトーなことを並べるくらいである。
しかし、現状ではその程度で落ち着いていても、このままではいずれ瓦解するという危機感が、父とフォンさんにあった。
やはりシューゴさんを呼び戻すのがベターだが、成果は芳しくなく、父たちは頭を抱えていた。
「シューゴさんの『ヴァリオリ』における功績を丁寧に説明しても尚、誰も首を縦に振ってくれませんね……」
こうなった大きな要因は、シューゴさんに対するネガティブイメージが強く残り続けているのが大きな要因だった。
特にある一件では、彼の過激な言動によってアニメ業界全体が激震し、謝罪会見にまで発展したこともある。
経営側から見て、そんな人間を制作のトップに置き続けるのは、リスキーすぎると判断するのは当然だったのだ。
「フォンさん、“あれ”はどんな調子ですか」
「では、そろそろシューゴさんのほうにもアプローチをかけてみましょうか」
某日、『ハテアニ』の親会社にて。
「え!」
シューゴさんは口ではそう言っているものの、その態度は白々しい。
上から何かを言われるのは今に始まったことではなく、いちいち真面目に相手をすることが億劫だったからだ。
そして、そんな二人の間を取り持つフォンさん。
父にとっては定期的に見る構図であった。
もちろん、それを俯瞰して見ようとする父も、その“構図”の中にいるのだが。
「ほう、分かっていらっしゃらない? あなたが先週、ブログで書いた記事を読み聞かせましょうか」
『ヴァリオリ』の総監督であるシューゴさんは非常に我の強い人物だった。
好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと公言することを憚らない。
そのため、彼がブログなど様々なメディアで口を開く度、波紋が広がることは日常茶飯事であった。
シューゴ監督を雇っていたスタジオの親会社はその言動、ひいては存在にいつもヤキモキしていたのだ。
「だったら、我々がなぜ怒っているのかも分かるでしょう! あなたはもう少し、自分の言動が周囲にどのような影響を与えるか考えるべきだ」
このご時世、何かを好きだったり嫌いであるだけで誰かに不自由な思いをさせる。
「オレが気を揉む理由がない。間違ったことは書いていませんし。それを納得できない人間がいるのなら価値観の相違でしかなく、是非の問題ではないでしょう。もし理解することすら出来ないなら、そいつがバカなだけです」
「そういうところです! あなたの言動は、『ヴァリオリ』のファンを減らすことに繋がる。実際、あなたのブログを見てマトモに見れなくなった人は少なくありません」
「オレの人格と、作品の良し悪しは別の話でしょ。仮に同じだとして、オレ一人でアニメ作ってるわけじゃないですから。そこを切り離せないなら、それは気持ちの問題でしかない」
いつもなら、このあたりで取締役が爆発して更にデッドヒートするのだが、今回はそうじゃなかった。
「いえ、ま、待ってください! 確かにシューゴさんはこんな感じですが……」
このあたりで父も、今回はいつもとは別ベクトルでマズい状況だと薄々思い始めていた。
「“シューゴ監督”……あなたのスタジオにおける……特に『ヴァリオリ』においての功績は、我々も十分に理解しているところだ」
「だが、それでも尚。あなたをこのまま監督として使い続けるリスクは重い、という結論になりました」
そして、嫌な予感が的中する。
父やフォンさんはショックを隠せないのに対して、シューゴさんは意外にも狼狽えていなかった。
「ふーん、そうですか。じゃあ、これで話は終わりっぽいので帰りますね。お疲れ様でした」
むしろ、あっけらっかんとそう言ってのけ、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
父やフォンさんは慌ててシューゴさんの後を追う。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ」みたいな理由ではないことは確かだ。
そんなしみったれた人間は、はてブには一人たりとも存在しないからな。
意味が提示されていない場合、それは各々が見いだすものであるし、仮に見いだせなくても「意味がない」=「悪い」ではないからな。
「意味がないから」といって怒るような、さもしい人間はこの世界には存在しない。
なので私は「表現規制反対派の過激なメタファー説」を推したい。
多くの規制は作り手が自主的にやっているものだが、是非の判断については漠然としていることが多い(いや、まあ、ボーダーラインが可視化されてないからだろという指摘は、ひとまず置いといて)。
ドラ○もんという書き方は、○首や○ンコだけ隠れているものの、肌色率が圧倒的に高い絵みたいなものだな。
そして表現問題において、そういう可視化されていない境界線上のアウトセーフ議論が中々に厄介なのだ。
要はヤキモキする人が出てくる。
いっそのこと全部伏せ字にするか、或いは「エ」をちゃんと書いてくれれば、漠然とした境界線上をイ○イ○棒持って歩かなくても良いのに、と考えているのだろう。
・・・・・・いや、やっぱこの説はないな。
ああ・・・・・・そのようだな。
つまり、ドラ○もんの○には意味があったってことになってしまうな。
じゃあ「特に言いたいことが思いつかないけど、とりあえず難癖つけとけ説」にチェンジで。
これは質問者の君にも当てはまるから、意外にも有力候補になってきたな。
何か誤解しているようだが、巷の差別問題の大半は「人種」という枠組みの範疇でしか語られていないぞ。
人間を人間として扱うのは差別じゃないので、動物を動物として扱うことも差別じゃないだろう。
・・・・・・いや、当人が思ってなくても認定することは可能か。
じゃなきゃ、私は今頃チョウチョになってる。
そりゃあ、認定すべきだろう。
まあ、その個体を違う種だとするなら、除外しても良いと思うが。
「そういうことするのは差別じゃないのか」と言われても私は知らんよ。
インフルエンザで自宅待機中。
とてつもなく暇なんで、1973年製増田による「30年経っても心に残ってる80年代アニメOVAベスト5」を置いてく。
エッチなアニメかと思ってレンタルしたらいろいろ違ってびっくりした作品。ドタバタで混沌としているのが80年代OVAっぽいんじゃないかと。こうゆうC級ノリは今でも好き。何度も観たわけじゃないのにエンディングの歌(プリーズcall me tonight♪)が今でも頭にこびりついてる。歌詞にタイトル名を入れちゃうあたりが80年代的ルール。
大人の世界ってこんななのかと感じた作品。たぶんエッチシーンが大人っぽかったから。時祭イヴの歌「風のララバイ」が荒廃的な世界観とあいまって、どうにも救いようのない作品だとの印象が強い。ちなみに続編(IIとかIII)を観ていないんで、増田の中でメガゾーンの世界は本当にここで終わっている。今思えば時祭イブって初音ミクみたいな存在なんで、俺らのミクさんが「助けて私は殺される」とか言い出したら、我々はこの世界の構成を根本から疑わねばなるまい。
くりいむレモンシリーズ丸ごと心に残ってるんだが、何かひとつ選ぶならこれ。もはや富本たつや氏のキャラデザそのものが80年代アニメOVAとして記号化してる。閉塞的な淫猥とした館モノの教科書見本みたいな作品でかつエロさ半端ないんで、「殻の中の小鳥(PC98ゲーム)」と併せてメイド古典としてデジタル国宝に指定すべき。尚、くりいむレモンで何を推すかは完全に個人の思想に依るので論争化すべきではないものの、土器手司氏が好きな増田としてはポップチェイサーも捨てがたいとだけは申し上げておく。
「なんかすごいもんみた」とビビった作品。レンタルビデオを自室で観てたが、とにかく怖くて、観るのをやめたいのにやめたら窓の外に何か居るんじゃないかと思ってやめられない状態になった。怖いもの見たさで何度かレンタルして、その後30年観てないけど、とにかくドキドキしたことだけ今でも鮮明に覚えてる。原作者の士郎正宗氏が自分で絵コンテ切ってどっぷり介入した作品だったと記憶しているが、そのおかげでアップルシードの新作がなかなか出なくてヤキモキしてた。
初めて観たとき美麗で驚いた作品。あまり筋の通らないストーリーなのに、垣野内成美氏の美しい絵が動いているだけで許される気がした。救われない話も多いのに、後味が悪くないのは結局のところ主役は美夕だから他はモブってことで。何だかんだいって増田は、OVAもTVシリーズもLD BOXを買いドラマCDを買いWindowsデスクトップアクセサリーを買い、もろもろの売り上げに貢献した。声優は初代もいいけど、三木眞一郎ラヴァ兄さんの色気っぷりは捨てがたい。
観てた時期はほぼ中学生。改めて観なおしてるわけじゃないんで、本当に心に残っている部分だけの感想だけど、こんな時代あったわーと懐古するおっさん仲間がひとりふたりいてくれれば是幸い。
追記。
いろいろ反応ありがと。レダとかパトレイバーとか迷ったよ。あとダーティペア(違うラブリーエンジェルぅ!って脳内で聴こえる)も。アニメ大好きは関西圏?そんな番組があったって聞いてうらやましかったよ。情報の拡散スピードが遅い時代で市場も広くなかったから、中学生がレンタルビデオを週に1本借りるだけでも網羅できる量しかなかったよなOVA。懐い。
今年になって仲良くなった友人(22歳)は声豚である
好きな声優:小倉唯・水瀬いのり・内田真礼・佐倉綾音etc... 数え役満である。
そんな声豚な彼はこれまで日常系アニメばかり見てきたようだ。のんのんしたりぴょんぴょんしたりぞんぞんしたりである。
私(友人より年上、声豚だが未アニメの漫画なども読む)は、日常系も好きだが恋愛要素がある方が好きなので(そしてハーレムは苦手なので固定CPが好き)、
たとえば同じ4コマ系でもファミレスだったり未確認だったり今期のドSだったりが好きである。
そこで微妙に話が合わないのが残念であった。
圧倒的声豚集客力を誇るキャスト陣に、友人は当然ホイホイされた。
これはチャンスだと私は思った。徒然チルドレンは原作から追っていて、その甘酸っぱさ、恋愛経験に乏しい我々にとっての理想のような恋愛模様は大好物だった。
この作品なら、きっと友人も男が出てくるのも悪くないと思ってくれるはずだ。
石川界人と水瀬いのりの演じるCPにニヤニヤしながらヤキモキし、
小野賢章と佐倉綾音の演じるCPはなんであんなにキスばっかしてるのかと腹を立て(怒るポイントが如何にも童貞で笑った)
毎週会うたびに、最新話の感想を聞かされた。かつての自分の高校生活を思い返して軽く憂鬱になっていた。
そして彼は来年のイベントに6口ぐらい応募して現在、金欠になっている。
彼をラブコメ沼に沈めたいのだ。同士を増やしたい。
その為に、どんな作品を勧めればいいだろうか。
そして声豚なので、若手の可愛い声優が出演している作品以外見ない。
某ファミレスを勧めた時、明らかに反応が微妙そうだった。お前アスミスに謝れ。
ここまで読んでくれた方、知恵を貸して欲しい。
とりあえず、近場にいる色んな夫婦の生活を密かに観察してみることにした。
「離婚しちゃったのか」
捜索開始から、いきなり出鼻をくじかれた。
だがシロクロは意外にも喜んでいる。
自信満々にそう言ったシロクロを見ながら、俺たちはため息を吐いた。
「タオナケの言うとおりだ。その結論だと、離婚するために結婚していることになってしまう」
「シロクロには難しい話かもしれないけど、離婚ってのはしないに越したことはないものだから。そんなものをゴールに据える位なら、最初から結婚なんてしなければいいって話になっちゃう」
「つまりシロクロの結論は破綻しているってこと。それに結婚した後の生活もあるなら、離婚したってその後の生活もあるだろ。だから離婚はゴールじゃないよ」
「うーん、それもそうか」
ミミセンの話をシロクロが理解できたとは思えないが、納得はしているようだ。
「次だ! 次いってみよう!」
「あそこの人たち」
「いわゆるホームレスってやつだね」
「私、聞いたことがあるんだけど、ああいう人たちを“人生終わってる”とか言ってる人もいるらしいわ」
生きているのに人生終わってるって、よっぽどのことだ。
「そうか、つまりアレがゴールだ!」
「うーん、でも皆がみんなああいった風になるわけじゃないでしょ」
それもそうか。
一見すると人生終わっているように見えるが、あれでも生きていることには変わらない。
ホームレスが例外処理できれば、ここで結論を出してしまってもよかったのになあ。
「……ひょっとして、ゴールなんてないんじゃないかな」
こういう時、割と核心をついたことを言うのがドッペルだ。
俺も何だかそんな気はしていた。
その気持ちはみんな同じだった。
けど、いつまでも見えそうで見えないゴールラインに、みんなヤキモキしていたんだ。
「そんなこと言っても、こんなに探しているのに、まるで見つからないじゃないか」
「ゴールのないレースなんて走りたくない!」
「シロクロ、僕たちはレースの話なんてしていないよ」
だが、意外にも一理ある考えだ。
シロクロは何も考えずに言ったのかもしれないが。
ゴールもなしに人は走り続けられない。
ペース配分できないからな。
「うーん……」
この時の俺たちはさしずめランナーズハイで、いつまでも走れるような心地だった。
だがそれは、そう遠くないうちに息切れすることを意味していた。
それまでに、何とか結論を欲しい。
「なんか、あそこ騒ぎが大きくなってるな」
ホームレスの溜まり場で、やたらと人が集まっている場所があった。
変装が得意なドッペルに様子を見てもらう。
服をどこで用意していたかは知らないが、たちまち風景に馴染んだ見た目になる。
しばらくすると、俺たちが思っていた以上の成果報告をもって帰ってきた。
「……どうやらホームレスの人が誰か死んだらしい。原因は分からないけれども」
死。
「となると、ゴールは死ぬってことか」
「うーん、確かにもう先はなさそうだよね」
「それとも天国とか地獄とかが実在するなら、死ぬこともゴールじゃないのかな」
「とは言っても、それは実在するか分からないしなあ。それに、もし輪廻転生とかいうのがあったりしたら、ゴールどころかスタートに戻ってるよ」
「うーん……」
俺たちは走る体力も気力もなくなっていたんだ。
皆でしばらく唸っていると、ドッペルが何かに気づいたそぶりを見せる。
自信はなさそうで、恐る恐るその可能性を口にした。
「……なんだか“ゴール”って、候補含めてロクなものじゃないよね」
発想の転換に感動した一同は、まさに答えを見つけたといわんばかりに喜ぶ。
実際は何も導けていないんだけど。
「なるほど。そう考えると、結婚をゴール扱いされるのは確かに不服かもしれない」
「私、女だけど、その考えに賛成するわ」
「カンコン! ソウサイ!」
皆も迎合する。
「きっと、このまま探し続けても有るかどうかすら分からないし、あったとしてロクなものじゃないよ。そんなものを無理して暴いても、誰も得しない」
こうして、俺たちのゴール探しは、ゴールかどうかはともかく終着には向かったのである。
近年は宮崎駿・高畑勲両監督の後継がいないことにヤキモキしていました。ゲドとアリエッティは論外。
コクリコ坂は好きだなと思っていたら脚本が宮崎駿と知って頭を抱えました。スタジオジブリが製作部門を解体のニュースを見てある意味ホッとしました。このまま有象無象の作品を作るより、ジブリはこれまでの作品の管理会社となるのが一番平和な道だと、そう思いました。毛虫映画が出来るのと宮崎駿が死ぬのとどっちが先か、そんなときに「メアリと魔女の花」ジブリかと思ったらジブリじゃない。スタジオポノック!何それ!でも予告を見て期待しました。「ジブリだ!ジブリが帰ってきた!」と思いました。
私はスタジオポノックを応援しています。良い意味でのジブリイズムを後世に伝えていって欲しいと思っています。けれど「メアリ」を周りの人にオススメ出来るかと言われたら無理。アリエッティよりは500倍面白いと思うけど、お金を出してまで観る価値ある?金ローまで待ったらいいんじゃない?レベル。
起承転結が薄い。人物像がぼんやりしてて、何の感情も動かされない原作ありきの作品で、かつ原作未読なので本当はどういう話なのか分からないけど、それにしたって全然盛り上がらない。
魔法の力を得たら猫が喋ったり、眠っていた魔女の血が目覚めるみたいな展開も欲しかった。ピーターが自ら魔法の力を望む闇落ち展開とか。
どうしてもナウシカやラピュタやもののけ姫と比べてしまって、勝手にガッカリしています。でもジブリイズムを引き継ぐならそれも覚悟の上でしょう、とまた勝手に思ってみたり。
とりあえずスタジオポノックには今後も頑張って欲しいです。2作、3作と作り続けていつか宮崎御大に負けない作品が生まれることを願っています。
今回は少年ジャンプ+
話としては、いわゆる悪い存在だと思っていたものが悪くなかったっていうもので、それで思いつく範疇の語りや展開がされているね。
画風もこれといった特徴がなくて、背景も簡素。
鬼側の背景とかも何となく分かりはするんだけれども、小出しにして雰囲気だけというか、情報や設定を表面だけなぞっているだけな感じ。
まあ、クライマックスの見せ方は好きかな。
ああいう結果だけ見せることで、逆に効果を発揮させるという手法は良いと思う。
各々が様々な事情で思い思いの行動をして、それが他の登場人物たちとも絡み合っているのが楽しい。
でもいくつかの箇所はぼやかしながら進行させいているから、それらが本筋にどう絡んで、どのように展開するかは予想しにくいっていう見せ方も良い。
アドベンチャーゲームとかで、複数の主人公を動かしながら進めていくザッピングシステムを見ているみたいだ。
例えば今回だと、独自に捜査を進めている鬼頭が小坂にアドバイスをして、それに触発されたので部下の五十嵐に命令するとかね。
ただ、そのせいで話の進みが遅くてヤキモキするところもあるので、一長一短かな。
本作のレビューをする前に、踏まえておいて欲しいことがある。
評価基準の是非についてだ。
あれも出来は悪くないのだが、はっきり言ってアニメに抵抗感がない人は素直にそっちを観ることを強く推奨したいのが本音である。
ミュージカル一つとってもアニメのほうが歌唱力や演出、どれをとっても上だといわざるを得ない。
そもそも何十年も前の作品と優劣で勝負しなきゃいけないレベルの時点で、この実写化を手放しで褒めることはとてもじゃないが無理がある。
だが、そもそもアニメと実写を完全に同じものとして評価することも無理があるというのも確かだ。
ましてやアレは“翻案された作品を更に翻案したもの”であるから尚更だろう。
いくら原作だとか翻案元があるとはいえ、それはそれとして割り切って観ることも一つの評価の仕方だ。
当然、受け手の中には翻案元にそこまで思い入れのない人や、日が経ち過ぎて記憶が薄れてしまった人、そもそも観ていない、把握していない人だっている。
受け手側の前提に幅がある以上、評価に幅が生じることも当然で、そこに是非を求めることは難しいだろう。
とはいえ、評価する人間の中にはそれぞれ何らかの“基準”があり、だからこそ優劣を判断できることは踏まえておかなければならない。
でなければ、あらゆる作品は個人にとっても全て傑作になるか、全て駄作になるかのどちらかにしかならない。
他作品と比較する手法を毛嫌いする人もいるが、評価とは得てして相対的なものである。
比較対象があり、自分の中に評価基準がある以上、それを無視して評価することこそ無理な話なのだ。
何を言いたいかというと、今回のレビューもそういった部分を理解して読んでいただきたいということだ。
いくら客観的に見えるような書き方や評価方法をしたとしても、あらゆる感想は最終的には主観に収束する。
自分がいくら酷評しようが絶賛しようが、他人にとっての傑作、駄作は脅かされない(もしも脅かされたと感じたのなら、それは被害妄想である)。
また、書いても大丈夫な範囲で内容を説明していくつもりだが、念のためネタバレ注意も喚起しておく。
読んでいる途中だったが、ヤキモキしたので指摘せずにはいられなかった。
「なあ、前置きクドくないか? 今回のレビューとは直接関係のなさそうな話だし……」
「レビューだとか感想というものが何かってことを深く考えたことがない人や、それらの距離感のとり方を自覚していない人もいるんだよ。それくらい書いておかないと、“ウブ”な反応をする人たちが出てきてしまう」
なんだか、俺にはオサカのその気配り自体が無駄なようなものに思えて仕方がなかった。
特定の読者を想定して書いたものを、不特定の人間が見れる可能性のある場所に公開すれば、必然的にそういうことだって起こりうるだろうし、恐らくそれは不可避だ。
そもそもオサカのいうことを理解している人間ならば語るまでもないだろうし、理解していない人間ならば説明したところで理解できないだろう。
「そういう“ウブ”な人間を、お前の裁量でどうにかできるとも思えないんだがなあ」
「そりゃそうだろうけどさ。例えば説明書に書くまでもないようなことを『書くまでもない』といって書かず、それでポカをやらかした人間が出てきたら、そこに多少の落ち度はでてくる可能性があるんじゃないか」
どうやらこの長い前置きは受け手への気配りであること以上に、書き手の保険のようなものも多分に含まれているのか。
オサカに諭され、俺は気を取り直して読み進める。
今回はやわらかスピリッツ
いや、ほんと凄まじいテンポだな。
全体に漂う軽いノリの世界観含めて私は嫌いじゃないけれども、これだと話の細かい部分は読者側で勝手に補完しなきゃいけないからねえ。
ただまあ、個人的にはそこらへん丁寧にやりすぎな漫画に辟易しているので、割り切ったスピードでどんどん話を展開させてくれるのはむしろ心地よい。
辻褄合わせのための解説とかに長々とページ割かれる位なら、これくらい開き直ったテンポで話を進めてくれるほうが私は好きだ。
今日び、ここまで無理を通せば道理引っ込むキャラって珍しいよなあ。
悪役ってのは大なり小なり話が通じるし、あくまで暴力ってのは一つの手段でしかないことが多い。
けれども、こいつはもう我を通すためなら時と場所関係なく躊躇せず使う。
妥協案も自分が折れることもなくて、ただひたすら暴力でそれを押し通す。
ここまで開き直って大立ち回りを演じられると、かえって清々しいかもしれない。
今回はインストラクターの話か。
周りの状況の変化だとかに翻弄されつつも、苦しい顔を見せずに対応しようとする姿は、画風や世界観の描き方含めて卑屈になりにくい程度にスっと入ってくるね。
それ自体はいいんだけれども、これまで作中でフィットネスしている描写がいかんせん薄いから、今回描写されているインストラクターの努力やバックボーンの説得力が弱くなっているのは否めない。